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■自然主義的闘争論■

1 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/08/21(月) 10:48:56 0
自然とはこの世界そのものであり、未曾有の混沌であり、不確実性であり、決して到達できない「物
そのもの」であり、人にとってトラウマ的なものである。トラウマ的ある故に、人はこの自然に向かい
負債感のない純粋な暴力を行使する。だから「自然」は純粋略奪(暴力)可能な無垢(仮象)として回
帰しつづける。

この「自然」と人間の闘争を下部構造に考え、人は有史以来、そして将来にむけて、どのように「自
然」をみい出し闘争するのか。それが経済として駆動する。

             社会形態/交換様式/闘争様式(純粋略奪の快楽)
自然崇拝の時代・・・未開社会/互酬/自然崇拝し、純粋贈与(ポトラッチ)する暴力
自然排除の時代・・・都市化、帝国/再配分/「動物」(奴隷、異教徒)を排他する暴力
自然征服の時代・・・国家、資本主義/交換/自然を数量化(科学技術)によって征服する暴力、
            過剰消費する暴力
自然管理の時代・・・地球環境保護機構/交換、再配分(環境税)/自然を管理する暴力、
            ネット(疑似自然)を開拓する暴力

闘争様式(純粋略奪の快楽)の系譜は、ポトラッチから、野蛮人(異教徒)との闘争をへて、科学によ
る自然征服へ至り、現在は自然を管理し、疑似自然としてのネットの開拓へむかっている。
現代は、自然征服から自然管理へ向かっている。環境問題、あるいは遺伝子操作の倫理なども含
め、様々な問題は地球規模で影響を与えるために、保護主義的傾向が強まるのは否めない。資本
主義システム、ネット上の情報交換などの創発的な動きと、それをコントロールする政治的な保護主
義の対立の中で、世界はバランスを取っていくだろう。

2 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/08/21(月) 15:12:49 0
自然主義的闘争論と伊東俊太郎:文明論の比較

             社会形態/交換様式/闘争様式(純粋略奪の快楽)
@自然崇拝の時代・・・(人類革命〜農業革命)
 未開社会/互酬/自然崇拝し、純粋贈与(ポトラッチ)する暴力
A自然排除の時代・・・(農業革命〜精神革命)
 都市化、帝国/再配分/「動物」(奴隷、異教徒)を排他する暴力
B自然征服の時代・・・(科学革命 第1段階:近代革命、第2段階産業革命)
 国家、資本主義/交換/自然を数量化(科学技術)によって征服する暴力、
 過剰消費する暴力
C自然管理の時代・・・(科学革命 第3段階:情報革命、環境革命)
 地球環境保護機構/交換、再配分(環境税)/自然を管理する暴力、
 ネット(疑似自然)を開拓する暴力

参考 伊東俊太郎:文明論
@人類革命・・・人類が類人猿からヒトへ、約500万年前のアフリカ
A農業革命・・・農耕の開始、西アジア(メソポタミア)、東南アジア、南中国(長江)、
 メソアメリカ(メキシコ)、西アフリカ(ニジェール)、1万年前から前5000年のあいだ
B都市革命・・・都市の形成、食物の生産に直接従事しない都市民の誕生、メソポタミア、
 前3500年、エジプト、前3000年、黄河、前1500年
C精神革命
 第1段階:高度な宗教や哲学の成立、前8世紀から前4世紀、旧約の預言、ギリシア哲学、六師、 
  ブッダの思想、諸子百家の思想
 第2段階(4世紀から7世紀):中国仏教の成立、西欧のキリスト教化、イスラムの勃興
D科学革命
 第1段階:近代科学、17世紀西欧、デカルト、世界史における「近代」の始まり
 第2段階:産業革命、18世紀後半
 第3段階:情報革命、20世紀後半
E環境革命・・・地球環境問題(京都議定書)、グローバリゼーション

3 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/08/21(月) 16:30:32 O
たとえばパンドラの箱は人間創世の親和であるが人間というものを的確に表している。
開けてはいけない箱といけない故に開けてしまう人間
あるいはアダムとイブのりんごも同じ構造をもつ。

開けてはいけない禁止とは掟であり、なぜかに関係なく掟を守ることが内部をいじする。
そしてそれをやりたいのでなく禁止されることでやぶりたくなる。これが欲動であり、欲動を想起するものが無垢である。
ここでは二つの力学が働いている。ひとつは無垢を破壊したいという純粋略奪の快楽であり、
もうひとつは禁止を破ることでそこに内部があることを実感するまなざしの快楽である。

4 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/08/21(月) 16:36:25 O
自然主義的闘争論はこれらの力学を下部構造にした文明論である。
なぜ自然であるのかは究極的な外部、それに投影される対象とは「自然」であるからだ。
自然は無限の無垢であり、そこでのみ純粋略奪の快楽は生まれえる。
そしてそれが経済活動である。
その時代、パンドラの箱はどこにみいだされたのか、いかように開けられるのかそれが問題なのである。

5 :世界@名無史さん:2006/08/22(火) 21:58:45 0
age

6 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/08/23(水) 08:07:31 0
比較文明論

このような単純な文明論はさまざまな多様な文化を枠組みにはめ込む還元主義的である。しかした
とえば古代(ギリシア・ローマ帝国)→中世→近代(ルネサンス以降)という従来の西欧中心主義で
は、突然ルネサンスが登場するような断絶が見られるのに対して、「比較文明」 伊東俊太郎 
(ASIN:4130020439) の「V 地中海世界 イスラムとヨーロッパ」では、地中海世界の北側<ギリシ
ア→ローマ→ビザンツ→ヨーロッパ>というインド・ヨーロッパ系の文化だけでなく、南側<エジプト→
フェニキア→シリア→アラビア>というハム・セム系のは二つの系統の文化が相互に影響しあい発
展的姿をしめすことで、イタリア・ルネサンスがギリシア文化がアラビア圏で育ちそれが、十二世紀
ルネサンスなどを経て、伝来する姿によって描かれる。すなわちこのような比較文明論はある種の
還元主義的であるとともに、文明が影響しあう世界システム論的なものを目指すのである。

>>
私はそうした人類史の転回点となったと思われる大きな文化史的革命として、人類革命、農業革
命、都市革命、哲学革命、科学革命の五つを考えるのであるが、これはまた同時に従来の西欧中
心に定位した世界史像から解放されて、より広く地球上のあらゆる文明を比較史的な観点からグ
ローバルに見直す、一つの新しい歴史的視圏を拓こうとする試みでもある。

ヘーゲルの<ギリシア→ローマ→キリスト教的ゲルマン諸国家>という世界史の図式も、ランケの
<オリエント→ギリシア→ローマ→ローマ的・ゲルマン的諸民族>という図式も、さらには<アジア
的生産様式→古代奴隷様式→中世封建制→近代資本主義>というマルクスの図式すらも、それぞ
れ立場やイデオロギー的前提を異にしながらも、等しく世界史の一部分にもに焦点を合わせた西欧
中心の一面的世界史観である。

われわれは今や西欧中心的世界史を越え出て、新にグロバールな世界の世界史「再建」しようとす
る場合、その時代区分の指標としては単に西欧的文脈においてではなく、全世界史的な意味をもつ
歴史的事件をとりあげてゆかなければならないのである。

「比較文明」 伊東俊太郎 (ASIN:4130020439)
<<

7 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/08/23(水) 08:08:29 0
自然主義的闘争論

しかしそこに時代のイデオロギー性がないわけではない。特にこれからむかう「環境革命」にそれが
見られるだろう。「従来の自然対人間、物質対精神の二元論的対立が究極的に止揚される」ことが
現代の環境への関心を示しているだけでなく、全体が止揚にむけての弁証法的な構造を持つことは
否めない。

たとえばそれはマルクス的な環境との調和史観であり、資本主義などに自然との不調和を還元し、
「太古において人類は自然と調和し生きてきた」というような言説に見られるのではないだろうか。

ボクが考えるのは、「人類革命」〜「農業革命」期においては、たしかに現代のように外部として「自
然」という概念はなくトーテミズム、あるいはアミニズム的に一体化していたと思われるが、それは調
和とは非なるものではないだろうか。たとえばボクたちは「動物は自然と調和している」というが、動
物は決して自分たちが自然と一体化しているなどと考えないだろう。彼らは生きるために「闘争」して
いるのである。ただあまりに巨大な自然に包まれているのである。

このような意味でおいて人間は太古から自然と闘争して来たのである。自然はトラウマ的であり続
けるのである。現代において環境を破壊しすぎているとしても、容易に止まらないのは、単に下部構
造としての資本主義経済機械が作動し、止めようがないだけでなく、人間は安易に「自然」との闘争
を止めることができないのではないか。現代の後期資本主義の「無駄」な消費社会を抑止してもボク
たちは生きていけるだろうが、トラウマ的な自然への闘争への強迫性を排除することはできないの
ではないだろうか、と考える。

だから環境革命とは、「従来の自然対人間、物質対精神の二元論的対立が究極的に止揚される」
自然と調和でなく、乱獲しすぎた自然からの逆襲をいかに管理するかの闘争ではないだろうか。

8 :世界@名無史さん:2006/08/23(水) 08:16:32 0

つまらん!
お前の話はつまらん!


9 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/08/23(水) 19:42:00 0
■熱狂の人類史  自然(無垢)への熱狂が歴史を動かしてきたのだ。 

@自然崇拝の時代  

>>
人類革命〜農業革命

人類革命・・・人類が類人猿からヒトへ、約500万年前のアフリカ
農業革命・・・農耕の開始、西アジア(メソポタミア)、東南アジア、南中国(長江)、メソアメリカ(メキシ
コ)、西アフリカ(ニジェール)、1万年前から前5000年のあいだ
<<

「人類革命の時代」とは人類が類人猿からヒトへ進化した時代である。この時代、人は狩猟・採集・
漁によって自然の中に生きている。予測不可能で不確実な自然との近接はなにが起こるかわから
ないとても恐ろしいことだ。この対応としてトーテミズムのような自然崇拝がある。

崇拝とは擬人化である。自然を(超越的な)「他者」とすることで、そこにコミュニケーションを成立さ
る。コミュニケーションの成立とは、負債を分け合う贈与関係に引き込むことである。たとえば自然災
害は「自然」から人間への負債(貸し)である。だからそのお返しとして、自然のめぐみとして貸したも
のは返礼される。

10 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/08/23(水) 19:42:50 0
呪術的祝祭は、自然の「他者」とのコミュニケーションの場であり、ポトラッチのような純粋贈与は自
然の「他者」へ最大の負債を追わせる行為(暴力)であり、熱狂である。

人間化するとはこのように自然との間に境界を引く行為である。これは名付けるという言語化にも繋
がるだろう。さらに「農耕革命」においても自然の中で生きることは変わらず、自然を、そして特に大
地を「他者」として「供物を捧げ、豊饒を祈願するアニミズム」によってコミュニケーションが行われる。

しかし農耕では、人間は自然の一部であるばかりでなく、自然を操作し改変するものとなり、人間と
自然の間には一定の距離、コントロール可能な自然の領域が生まれる。これをボクは、内部(人間)
と外部(自然)の間の「グレーゾーン」と呼ぶ。

11 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/08/23(水) 19:44:27 0
A自然排除の時代  

>>
農業革命〜精神革命

都市革命・・・都市の形成、食物の生産に直接従事しない都市民の誕生、メソポタミア、前3500年、
エジプト、前3000年、黄河、前1500年
精神革命
 第1段階:高度な宗教や哲学の成立、前8世紀から前4世紀、旧約の預言、ギリシア哲学、六師、
ブッダの思想、諸子百家の思想
 第2段階:中国仏教の成立、西欧のキリスト教化、イスラムの勃興、4世紀から7世紀
<<

「都市革命」によって、「大規模農耕を発達させ、非常に収穫率のよい農耕を作りあげていったことに
より「社会的余剰」が生まる。」すなわちコントロール可能な領域、「グレーゾーン」が広がり、自然の
不確実性は強固な「隔壁」によって外部へ隔離され、都市内部において予測可能性が向上し、生活
は安定する。

またこのような「隔壁」は人間内部を高度に成熟させるとともに閉塞を招く。強い贈与関係のなかで
「社会的余剰の分配」などをめぐり内部抗争が頻発する。「そこに高度な統治体制が出現して階層
が分化する。」

これは自然を外部へ隔絶することで、内部(人間)内に疑似的外部との境界が生まれたことを意味
する。疑似的外部とは、異民族、異教徒、あるいは奴隷であり、彼らは野蛮な動物(疑似自然)であ
り、怪物、悪魔などに負の神話化し、外部に排他し、暴力を行使する。

12 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/08/23(水) 19:45:10 0
自然神崇拝から、神話は内部(人間)の抗争の物語、そしてたとえば神−王−司祭−平民−奴隷
(動物)のような「神話の体系が王権の支配を保障する」物語のための一神教が求められる。

宗教と戦争が切り離せないのは、都市化により人間が内部へ閉塞するなかで、内部を強化するた
めに宗教はうまれ、そして閉塞の出口として、異民族、異教徒あるいは奴隷などの「野蛮な動物」と
しての疑似自然が必要とされるためである。

またこの時期、労働から解放された上位層の中で、ギリシアの哲学者、ブッダ、孔子などのように、
隔絶して外部(自然)への「合理的統一的に思索し、その中における人間の位置を自覚しようとす
る」「精神革命」が起こる。これは、人間中心主義とともに合理化という近代へつづく、自然(未知)を
合理的に征服する闘争様式の芽生えである。

13 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/08/23(水) 19:45:42 0
B自然征服の時代  

>>
科学革命(第1段階:近代革命、第2段階:産業革命)
 第1段階:近代科学・・・17世紀西欧、デカルト、世界史における「近代」の始まり
 第2段階:産業革命・・・18世紀後半
<<

自然の脅威の排除を可能にした都市化が高度に進み、宗教的秩序をもとにした社会的な贈与関係
からの個人として自律という啓蒙主義が広がる。すなわち「精神革命」の広がりである。

内部の安定が保障される中で、ギリシア的合理性は、中世においてアラブ圏で育まれ、ルネサンス
によって西欧に回帰する。中世のカトリック的閉塞からのプロテスタントによる自律、またルネサンス
の数量化革命、それにともなう大航海時代の自然開拓と重商主義によって、自然としての新大陸
(現住民含む)そして科学的未発見は、「グレーゾーン」の開拓として人々は熱狂する。

ここでは、「自然と人間とは独立な第三者としてこれを客観化し、外からのさまざまな操作が加え、分
析利用する。自然を道具視する支配的理性の発露である。」そしてデカルトの心身二元論は内部の
「心」と外部(自然、機械)の「身体」として、内外の境界を、人間内部に侵入させる。

そしてこの心身二元論の重要性を決定的にしたのが産業革命による資本主義化である。身体を労
働力とし、心を消費者とする心身二元論的人間の発生によって、資本主義は成功したのだ。

近代においても戦争は活発に行われる。大航海時代は新大陸の征服という、かつてと同様に外部
(異教徒、異民族、奴隷)を生み出すための「快楽の戦争」であったが、帝国主義化、資本主義化に
より世界はグローバル化し、国家間の配分競争という「大きな内部」内の闘争となった。すなわち世
界大戦の悲惨さは、科学兵器により大量殺人が行われただけでなく、もはや外部を見いだせない
「人間」同士の善悪を持ち込んだ内部内の残忍で、無残な殺し合い出しかなくなったということだ。

14 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/08/23(水) 19:46:15 0
共産主義の失敗と後期資本主義の閉塞

近代の啓蒙主義革命の革新性は、絶対主義→資本主義→マルクス主義など社会主義化である。そ
して世界大戦後、共産主義国家が多数成立した。しかしこれらは失敗におわった。

なぜ資本主義は成功し、その「先」の社会主義は失敗したのか。ボクは社会主義には「外部」がない
からだと思う。社会主義が提供しえた「外部」は冷戦における戦うべき資本主義という神話のみであ
る。なぜなら社会主義とは人々の「外部」への熱狂(自然主義的闘争)を資本主義的悪として、外部
を解消することを目指す思想だからだ。

資本主義は産業革命当初、労働者の「身体」を機械として組み込み、「心(人間性)」を疎外した。し
かしその後、生産中心から消費中心へ移る中で、このような搾取は緩和されてくる。なぜなら資本主
義の本質はマルクスがいうように資本家のために資本を生むことよりも、消費者のために疑似的な
外部(自然)、すなわち未知の新しい製品を提供しつづけることにあるからだ。これに対して、共産主
義はこのような資本主義の疑似的な外部(自然)の消費を排除した。

だからといって資本主義が問題を解決したわけでもなんでもない。資本主義における搾取の問題は
グローバル化しただけである。先進国の人々から隔離された発展途上国など周辺で自然は(人的も
含めて)資源として略奪されている。

また先進国では情報化社会に向かう中で、消費という疑似自然へ欲望の徒労感が生まれている。
また豊かになり、価値多様化する中で、自然の不確実性は低下し、人々は「自由」になることで、地
域コミュニティが崩壊している。このような自由の中で、人々はより純粋な外部(未知、無垢)、すな
わち「不自由」を求めるというパラドクスの中で閉塞している。

15 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/08/23(水) 19:47:22 0
C自然管理の時代 

>>
科学革命(第3段階:情報革命、環境革命)
 科学革命 第3段階:情報革命、20世紀後半
 環境革命・・・地球環境問題(京都議定書)、グローバリゼーション
<<

このような状況の現代で重要なのが、ネット革命ではないだろうか。ネットは新大陸に語られるよう
に新たな技術導入が疑似自然(外部)開拓のメタファーになり、人々の欲望を想起している。

またネットは当初グローバルビレッジなど左翼的幻想で語られたが、爆発的な普及を支えたのは、
原始社会に回帰したような部族的な小さなコミュニティへの閉塞性である。そこでは、疑似的ではあ
るが、消費社会で失われた直接的な他者との繋がりの取り戻しが行われている。

最近のネットの右翼化など、コミにティへの閉塞性をあらわすは、「自然排除の時代」の外部(異教
徒、異民族、奴隷)を生み出すための「快楽の戦争」への回帰である。たとえば嫌韓ではネット上で
韓国人は負の神話化され、外部に排他し、ヘイトスピーチの暴力が行使される。

16 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/08/23(水) 19:48:07 0
環境問題の閉塞とネットの熱狂

ネットへの熱狂は、消費社会の主役であり新たな商品を提供しつづけ、それを補助するマスメディア
への反動でもある。「自然征服型」の過剰消費の熱狂から、資源消費に頼らない熱狂への移行であ
り、環境問題へもつながっている。

環境問題とは「地球にやさいく」というような安易な環境との調和などではなく、「グレイゾーン」の管
理する、再征服しなおすことである。このような問題は世界レベルでの解決が求められ、世界が保
守主義に傾くのは仕方がないだろうし、現に京都会議のように世界的なレベルが要求され、オゾン
層対策では成功を収めた。

環境問題、先進国の高齢化などの閉塞により、近代以降の科学技術も自然開拓、征服から管理へ
むかい、快楽を生む行為でなくなっている。たとえば遺伝子工学も未知(外部)を開拓すらものから
人間にむかう現代、内部に近接し善悪を問われつつ、快楽することが抑圧されている。すなわち「自
然管理の時代」とは、外部(自然)閉塞の時代でもあるのだ。

だからなおさらネットは重要になるだろう。ネット上は、「快楽の戦争」へと回帰し、多くの騒乱、抗
争、戦争がおこるだろう。しかしそれは環境管理社会維持にはしかたがなく、テロよりも良いだろうと
いうことである。だから今後人々の生活、文化、そして「リアリティ」はネット上移行する。まさにネット
に「本当の自分」があり、ネット上に生きるのである。

環境問題の世界的は保守主義化とネットの熱狂という自由主義の二重性が「自然管理の時代」の
あり方であり、現在のネオリベラル傾向はこのような二重性によって支えられ、この傾向はさらに進
むのではないだろうか。

ではその閉塞の時代の先は?自然そのものはこの世界そのものであり無限である。火星移住など
宇宙へ?あるいは時間を超越するタイムトラベル?あるいはヴァーチャルリアリティによりネットは
物理的になり移住する?ネット上の精神世界を生きる?

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