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大清帝国

1 :愛新覚羅○○:2006/06/10(土) 16:10:15 0
 五族協和の世界帝国として中国に君臨した最後の王朝、清。
 その国家理念は、「五族協和」。
 五族とは、支配者である@満州族、圧倒的多数を占めるA漢民族、
それに同じ(支配者である満州族と)少数民族であるBモンゴル族、
Cウイグル族、Dチベット族の事です。
 アメリカが他の民族の伝統・文化を無視し、自国の価値観を押し付けようと
する限り、イラク情勢は一向によくならないでしょう。
 また、世界中の国々が頭を抱える民族問題。
 如何にして、異なった伝統や文化、宗教、価値観を持った民族同士が
共存共栄できるかは、21世紀の課題と言えるだろう。
 そんな時代だからこそ、異民族王朝でありながら300年もの長きに渡って
中国の支配者として君臨し続けた大清帝国が、歩んだ歴史を紐解く事が重要
なのではないだろうか?
 後世に伝えたい大清帝国の偉業や足跡を、書き込んでもらえる事を
祈る。

2 :世界@名無史さん:2006/06/10(土) 18:06:28 0
@戦乱などで荒れ果てていた大明帝国皇帝陛下の居城であった紫禁城を
修築し、自ら(大清帝国皇帝陛下)の居城とするなど、漢文化の保護に
努め、後世にそれを残した事。
※日本は、明治維新以降、前政権、つまり徳川幕府の幕藩体制の象徴
でもあった各地の城を次々と取り潰し、後世に残ったのは、ごく僅かの
城のみ(第二次大戦で焼け落ちた名古屋城などの城もあるが)。
A『康煕字典』、『四庫全書』の編纂などの文化事業。
※『康煕字典』は、支配階級であった満州族が話す満州語の辞書ではなく、
被支配階級であった漢民族が話す漢語の辞書で、最も権威ある辞典とされた。
 『四庫全書』は、漢語で著された中国最大の叢書。
B満漢併用の官制を定め、漢民族も官吏に登用するなど、支配階級である
満州族と被支配階級である漢民族とを差別する事無く同等に扱った事。
※清朝末期の有名な政治家である林則除や李鴻章も漢民族の出身。
C満州族の風習であった辮髪と、民族衣装を漢民族に強制(漢民族の
伝統文化でもある京劇を演じる場合に限って、漢民族の伝統衣装を
着用する事を許可)した以外は、満州語の強制や満州文字の使用の強制、
満州人名語への創始改名などを行わなかった事。
※支配階級であった満州族が逆に、被支配階級であった漢民族の
伝統文化を吸収するなど、漢民族化していった。
例)大清帝国帝室の姓である愛新覚羅とは漢語の姓であり、満州語での
姓は、アイシン・ギョロ。
 戦前の日本が、朝鮮半島の植民地支配で行った事とは大違い。
D大清帝国皇帝は、満州族の母国語である満州語と被母国語である漢語
とを話し、満州語を文字で表す満州文字と漢語を文字で表すの漢字とを
教養として身に着けなければならなかった。

3 :世界@名無史さん:2006/06/10(土) 18:45:29 0
驱逐鞑虏,恢复中华,大汉万岁.

4 :世界@名無史さん:2006/06/10(土) 19:01:27 0
 中国革命の父、孫文曰く『我々、漢民族は、異民族である満州族に支配
されているという民族的な屈辱よりも、辮髪を強制されていた事が嫌だった』
 事実、大清帝国の打倒に向け、革命運動を展開した孫文も、最初から大清帝国
の打倒に向けた革命運動を展開した訳ではない。
 国を憂い、大清帝国の建て直しを官吏の中で最高実力者でもあった李鴻章に
訴えたものの、聞き入れられず、さらに、第11代皇帝の光緒帝が康有偽らを中心に
推し進めた維新運動(百日維新)が保守派で大清帝国の実権を握っていた西太后
によって弾圧された事が切欠で、大清帝国に見切りをつけ、その打倒に向けた
革命運動を展開し、革命家へと転身を遂げたのである。
 世界の市民革命、清教徒革命では、国王チャールズ1世が処刑され、
フランス革命では、国王ルイ16世と、その王妃マリー=アントワネットが処刑され、
ロシア革命では、皇帝ニコライ2世と、その家族もろとも処刑されているが、
辛亥革命では、皇帝・宣統帝溥儀ら大清帝国の皇族の誰一人として処刑
されていない。
 後の満州国崩壊後も含めて。

5 :世界@名無史さん:2006/06/10(土) 19:10:24 0
 あえていうなれば、“男装の麗人”として有名な川島芳子だけが戦後、
蒋介石の国民党によって処刑されている。
 川島芳子の国籍は、大日本帝国ではなく中華民国(当時)で、
その戸籍上の名は、愛新覚羅芳子。
 すなわち、幼少の頃、日本人の養女となったものの戸籍には入れて
もらえなかった大清帝国の皇族、つまり清朝一族の○○親王(親王の名前、
忘れたけど、醇親王と恭親王ではないのは確か)の王女様。
 けど、川島芳子が処刑された罪状は、 辛亥革命とは全く関係のない
戦時中のスパイ容疑。
 因みに、大清帝国最後の皇帝、愛新覚羅溥儀は、晩年、政治協商委員
として毛沢東・周恩来らの国家建設の仕事に協力し、その実弟である
愛新覚羅溥傑もまた、全国人民代表大会(中華人民共和国の国会)の
常務委員を勤めるなど、最後の最後まで新政府によって処刑される事は
なかった。
 それどころか、文化大革命で紅衛兵らの手によって自宅を襲撃された
事を知った周恩来首相の命令で、劉少奇やケ小平らのように“反革命分子”
として、三角帽を被せられ市中を引き回される事無く保護され、難を逃れた。
 その周恩来は、毛沢東ともに共産革命を展開した革命家でもあったが、
大清帝国の地方官吏(役人)の子であった。
 ある意味、革命家となった元家来が、元主君の命を救ったといえよう。
 日本の明治維新の立役者で、大政奉還をした江戸幕府最後の将軍、
徳川慶喜を新政府に加えようとしたが為に、それに反対する倒幕運動を
推し進めた薩摩・長州の藩士によって暗殺された(一説によると)
坂本龍馬と同じかも?

6 :世界@名無史さん:2006/06/10(土) 19:48:51 0
>1
満州族が圧倒的多数??(゚Д゚)ハァ?

7 :世界@名無史さん:2006/06/11(日) 00:52:02 0
>>6
どうすればその様に読めるのか?

>>4>>5
でも溥儀、癌になった時に病院行けなかったんだろ?
文化大革命の影響でさ。

8 :世界@名無史さん:2006/06/11(日) 01:14:22 0
重複ですよ

【康煕】清王朝について【乾隆】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1126475110/

9 : :2006/06/11(日) 11:35:24 0
>>2
>戦前の日本が、朝鮮半島の植民地支配で行った事とは大違い。


日本もハングルの撤廃や創氏改名の強制は行ってないはずだが?

10 :世界@名無史さん:2006/06/12(月) 23:05:52 0
文化程度
漢>韓>倭>満

11 :世界@名無史さん:2006/06/13(火) 00:48:07 0
Cで
>漢民族の伝統文化でもある京劇

と書いている時点で、

>>2が全くシナの歴史を知らないのは明白。

12 :世界@名無史さん:2006/06/13(火) 00:50:29 0
>>4
まあとりあえず訂正。

×康有偽
○康有為

13 :世界@名無史さん:2006/08/14(月) 18:30:06 0
あげ

14 :世界@名無史さん:2006/08/28(月) 14:16:28 0
>>1

……

15 :世界@名無史さん:2006/08/28(月) 15:22:44 0
>※日本は、明治維新以降、前政権、つまり徳川幕府の幕藩体制の象徴
>でもあった各地の城を次々と取り潰し、
城を壊したのは明治政府ではなく、莫大な維持費用を負担できなくなった
旧大名なのだが。
中国史ばかりではなく、日本史も知らないようだ。

16 :世界@名無史さん:2006/08/31(木) 19:35:46 0
清は前半の6人は名君ぞろいだが、後半の6人は微妙な面子ばっかりだな。

17 :世界@名無史さん:2006/08/31(木) 20:01:27 0
なぜ清帝国は、漢字を廃止して満州文字に統一しなかったのですか?

18 :世界@名無史さん:2006/08/31(木) 20:03:29 0
国民の90%が漢民族なのに、そんな反感買う政策出来る訳が無い。
それに乾隆期では満州族でさえ満州語読めない階層が大半だったんだぞ。

19 :世界@名無史さん:2006/09/06(水) 19:52:30 0
辛亥革命直後の中国で弁髪を切った人は、どんなヘアスタイルにしたんだろう。
いったん全部剃って坊主にしたのかな。

中華民国発足直後の記念写真なんかで、みんな洋髪洋服で写ってるのがあるが、
ずっと海外にいた孫文はともかく、国内にいた連中は頭をどうしたんだろう。

20 :世界@名無史さん:2006/09/06(水) 21:39:22 0
「末代皇帝」というドラマの中での辛亥革命直後の民国の軍人の髪型だが、
ほどいた弁髪を肩の上あたりで切って、オカッパみたいな髪型にしていた。

21 :世界@名無史さん:2006/09/06(水) 21:41:05 0
補足すると、オカッパというより「落ち武者」みたいな頭の上に軍帽をかぶってた。

22 :世界@名無史さん:2006/09/10(日) 14:19:23 0
ウィキにこんな記載があった。

墓は北京郊外の八宝山墓地に埋葬されたが、後年、溥儀は生前「皇帝で
あったことを誇りに思っていた」と李淑賢夫人の証言が明らかになると
改革開放の時代の空気と相俟って、1995年皇帝として改葬することになった。
現在の墓所は北京郊外の易県にある、清朝の歴代皇帝の陵墓のある、
清西陵の近くの「華龍皇園」に新たに「献陵」という陵墓が作られた。

それに関連して2004年に「愍皇帝」の謚号と「恭宗」の廟号が贈られた。
ただし、これらは公式に認められたものではなく愛新覚羅家の遺族などの
関係者から承認されているものではない。
改葬に関しても愛新覚羅家の遺族からの反対も受けている。
また、これらの事は中国の一般市民にはほとんど知られていない。

23 :世界@名無史さん:2006/09/10(日) 16:39:55 0
>>22
溥儀の改葬については、80年代後半以降の清朝ブームに目をつけた霊園業者が
墓地販売の客寄せパンダとして利用したという話を聞いた。
おそらく「恭宗」とかいう廟号も、その霊園業者が勝手に命名したのではないか?

24 :世界@名無史さん:2006/09/11(月) 00:19:33 0
溥儀の弟妹たちはせっかく公民墓に入っているのに、よけいなことするなと
反対したらしいね。
嫁さんの李淑賢が霊園業者とやったのか。

25 :世界@名無史さん:2006/09/11(月) 09:48:17 0
結局、清王朝の宗家継承者ってもういないの?
北京在住の溥儀の異母弟とか、戦後溥儀自身が後継者に指名した一族の青年とか?

26 :世界@名無史さん:2006/09/11(月) 16:01:37 0
今でも一族の世代ごとに字を統一する習慣を守っているかな。
たくさん決めてあったはずだけど、それも使い切っちゃったら
誰が統一名前字を決めるんだ?

27 :世界@名無史さん:2006/09/11(月) 19:57:30 0
永・綿・エキ・載・溥・イク・恒・啓だったかな。

もう「恒」や「啓」の世代になってるだろう。

28 :世界@名無史さん:2006/09/11(月) 20:02:12 0
将来、現中国が内乱状態になった時に備えて
愛新覚羅家を確保しておこうと画策しているロシアとアメリカ。
帝政復古か、或いは東北部の分離独立の際の駒に使うのかは知らんが。

29 :世界@名無史さん:2006/09/11(月) 20:08:20 0
>>28
工エエェェ(´д`)ェェエエ工 マジで?

30 :世界@名無史さん:2006/09/11(月) 20:18:56 0
嘘つきで姑息なチャンコロを支配しなきゃならんから大変だよね

31 :世界@名無史さん:2006/09/11(月) 20:34:52 0
仮に帝政復古しても大多数の漢民族が支持しないでしょ。

32 :世界@名無史さん:2006/09/12(火) 05:18:28 0
甘い ↑

33 :世界@名無史さん:2006/09/14(木) 19:23:29 0
実際、支持されなかったから張勲の復辟は失敗に終わった。
軍閥の権力闘争に嫌気がさしてても、今さら清王朝に復活してほしいなどと思う者は
少数の頑迷な遺臣くらいで、現実的な政治家や軍人はほとんどが支持しなかった。

34 :世界@名無史さん:2006/09/16(土) 16:25:20 0
タイとかビルマって、いつ頃まで清の朝貢国だったんだろうか。
あと、タイやビルマが朝貢するときは、やはり漢文で上表していたのかな。

35 :世界@名無史さん:2006/09/24(日) 13:27:19 0
科挙で選抜された官僚は復辟支持だったのでは?

36 :世界@名無史さん:2006/09/24(日) 17:55:02 0
溥儀の父、摂政王が親貴内閣を組織し、満州貴族で政権を独占しようとした時点で、
科挙官僚やその母体である漢人地主の大多数は清朝を見限った。

37 :世界@名無史さん:2006/09/24(日) 19:30:41 0
1860年代以降、曾国藩とか李鴻章といった漢人官僚が勢力を伸ばし、
清朝の実権を握るようになった。
こうした官僚は漢人地主である読書人階層の出身で、科挙は漢人地主が
官僚となり政治権力を握るための手段だったが、1905年に廃止された。

科挙廃止後は、これら漢人地主は地方議会の前身となる諮議局の議員などに
なることで政治的影響力を維持し、立憲制移行や国会開設を要求していたが、
溥儀の父摂政王は皇族や満州貴族で内閣メンバーを固め、かえって漢人地主の
政治参加の途を閉ざすような政策をとった。

これでは科挙官僚や読書人からの支持は期待できない。

38 :世界@名無史さん:2006/09/24(日) 20:15:59 0
満人貴族は、中華システムへの背信行為を行ったことで自らの首を〆たのだな

39 :世界@名無史さん:2006/09/24(日) 22:32:49 0
清の政治が安定したのは、漢民族に対する懐柔策と弾圧策を上手に使い分けたからで、
懐柔策の基本が科挙による人材登用や伝統文化の尊重だったからなあ。

科挙の廃止と近代教育への移行は時代の要請だからやむをえないにせよ、それに乗じて
漢民族の政治参加の機会を狭めるようなことをしたら、ただでさえガタガタだった体制も
ひっくり返ってもしょうがない。

40 :世界@名無史さん:2006/09/24(日) 23:35:41 0
漢人から見れば満州王朝も西洋列強の侵略も異民族による支配に変わりはない。

41 :世界@名無史さん:2006/09/25(月) 01:38:25 0
もう弁髪してる中国人は一人も存在しませんかー?

42 :世界@名無史さん:2006/09/26(火) 18:25:38 0
著名人で、もっとも遅くまで弁髪してたのは王国維あたりか。
清の廷臣でも、溥儀自身が弁髪を切ったあとはほとんど断髪してるはず。

43 :世界@名無史さん:2006/09/27(水) 13:21:30 0
ってことはもう一人もいないってことかw

44 :世界@名無史さん:2006/09/27(水) 14:36:50 0
ラーメンマンってのは清が滅亡して久しいあの頃にあの頭をしていたということは


リアル女真族?!

45 :世界@名無史さん:2006/09/28(木) 19:43:58 0
ラーメンマンが脇役だった「キン肉マン」は1980年代当時の現代が舞台だったが、
ラーメンマンが主役の「闘将拉麺男」は皇帝がいる過去の(架空の)中国が舞台。

46 :世界@名無史さん:2006/09/29(金) 19:09:56 0
しかも皇太子様は満州族の衣装を着てました

47 :世界@名無史さん:2006/09/29(金) 20:50:57 0
そういえば、ドラゴンボールの連中も満州族の衣装だな。
胴着の連中は別としても、亀仙人、鶴仙人、チャオズ、悟空の息子とか。

48 :世界@名無史さん:2006/09/29(金) 20:55:44 0
>>47
明代の服装なんて動きにくそうな事この上ないからな。アクション漫画にゃ向かないだろ。

49 :世界@名無史さん:2006/10/01(日) 17:16:13 0
ネルチンスク条約当時、清の軍事力はロシアを凌駕してたのか?

50 :世界@名無史さん:2006/10/02(月) 05:40:37 0
あのロシア軍が満州人ごときになんで負けたんだろう。

51 :世界@名無史さん:2006/10/02(月) 06:49:02 0
当時はスペインやイギリスがオスマントルコに戦々恐々としていた。

52 :世界@名無史さん:2006/10/02(月) 10:09:23 0
>>49
極東で戦ってたのはシベリアを荒らしまわっていたコサックです。
ピョートル大帝が大北方戦争に投入したような軍隊とはわけが違う。
>>50
この頃までにロシアが強かった時期なんてありましたっけ。

53 :世界@名無史さん:2006/10/03(火) 00:57:26 0
すまん、正規軍じゃなかったな。
野党の群れとかわらんよな。

54 :世界@名無史さん:2006/10/03(火) 09:14:38 0
>>50
コピペだが、シベリアのロシア軍はこんな感じ

157 :世界@名無史さん :2006/03/11(土) 14:40:48 0
シベリア、ヴェルホレンスク要塞の官吏からミハイル帝へ宛てた嘆願書より:

「閣下、どうか閣下の僕(しもべ)をお許し下さい。要塞には守備兵が二百名必要です。
 さらに、彼らのためにカービン銃200挺、甲冑200領、そして歩兵用にマスケット銃300挺を
 モスクワの帝室武器庫から送ってください。
  と申しますのは、閣下、沢山のブリヤートたちが甲冑に身を固めて要塞を攻めてきます。
 対する閣下の僕である私どもは、装備に乏しく、鎧もありません。
 また、私どもの貧弱な銃では、彼らの鎧に弾がはじき返されます・・・」

クラスノヤルスク城砦建設が1628年。この前後頃に書かれたのでしょうか。

55 :世界@名無史さん:2006/10/05(木) 18:17:24 0
>沢山のブリヤートたちが甲冑に身を固めて要塞を攻めてきます。

ブリヤートって、そんなに強かったのか?
清の支配下にも入ってない、辺境のはぐれモンゴル人ってイメージなんだけど。

56 :世界@名無史さん:2006/10/05(木) 18:47:44 0
バイカル湖周辺のブリヤート・モンゴル人は国家を形成しなかったの?
また、外モンゴルのハルハや清王朝と全く交渉がなかったのだろうか?

キリスト教徒で白人のロシアより仏教徒で北方騎馬民族の清王朝に親近感を
感じなかったのだろうか?

57 :世界@名無史さん:2006/10/06(金) 00:29:37 0
ブリヤートもチベット仏教信じてるからダライラマには親近感をもっている。
たまにダライラマが中国通り過ぎてモンゴル、ロシア地域の信者に会いに行く。

58 :世界@名無史さん:2006/10/06(金) 01:53:43 0
>>56
↓こちらのスレに詳しいですよ。

【北元から】その後のモンゴルを語ろう【革命まで】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1119756439/l50

59 :世界@名無史さん:2006/10/07(土) 06:57:56 0
そういう状況なのにブリヤートが清の支配下に入らず、ロシアの支配下に入ったのは不思議だ。
なんで清はキャフタ条約でブリヤート地域をロシア領と認めたのだろう?

60 :世界@名無史さん:2006/10/07(土) 07:39:22 0
あんなトナカイの肉食ってるような連中、まともなモンゴル人が仲間にするはずもない

61 :世界@名無史さん:2006/10/07(土) 09:01:41 0
羊の肉とトナカイの肉に差別はあったんですかね?
昔のトゥヴァの住民の写真とか見るとひどく貧しげですが・・・

女真族が豚を飼い魚を食べているのを
モンゴルが馬鹿にしていたというのは聞いたことがある。

62 :世界@名無史さん:2006/10/07(土) 18:36:32 0
その貧しいトゥヴァも清の領土だったのに、清から放置されてたブリヤートって・・・

ヤクート人も仏教徒らしいけど、この連中もなんで清の支配に服さなかったのかな。

63 :世界@名無史さん:2006/10/07(土) 19:04:45 0
ネルチンスクのとき、清軍が北上してブリヤートもヤクートも征服すればよかったのに。
もしかして征服にも値しない辺境の蛮族と思われてたの?

乾隆帝もジュンガル討伐のついでに、カザフもブリヤートも併合すればよかったのに。

64 :世界@名無史さん:2006/10/07(土) 20:00:22 0
元の時代はバイカル湖周辺のブリヤートや現在のサハ共和国の一部も支配してたようだな。

65 :世界@名無史さん:2006/10/07(土) 22:26:56 0
北方民族のくせにモンゴル草原より北には食指が動かなかったのか?>清

66 :世界@名無史さん:2006/10/08(日) 08:42:45 0
乾隆帝って「十全老人」とか言ってるわりに、カザフもブリヤートもロシアに取られて、
たいしたことないなw

67 :世界@名無史さん:2006/10/08(日) 10:01:10 O
>>62
ヤクート人はシャーマニズム+ロシア正教だが

68 :世界@名無史さん:2006/10/08(日) 10:01:46 0
昔読んだ人物往来社の「東洋の歴史」の清の巻には清の朝貢国として、
おなじみの朝鮮やヴェトナム、シャム、ビルマなどに加えて、
ブハラ、ヒヴァ、コーカンドの3ハン国、アフガニスタン、ネパール、
琉球などが列挙され、サハリン北部まで含まれていた。
ところが最近の世界史の教科書の地図では3ハン国やアフガニスタン、
ネパールはもちろん、琉球すら清の朝貢国に色分けされてない。

これはどういうこと?

69 :世界@名無史さん:2006/10/08(日) 10:15:02 0
近世琉球は「日中両属」とはいえ、清の朝貢国であることに変わりはないのに、
地図中の清の朝貢国から省かれているのは納得いかない。

しかも世界史Bの本文の記述にすら、琉球は清の朝貢国の中に入っていないが、
これは文部科学省の検定の結果なのか?

70 :世界@名無史さん:2006/10/08(日) 10:29:54 0
>>68>>69
明の時代は琉球が朝貢貿易やってたってことは、教科書にもちゃんと書いてある。
明清通じて琉球王朝が中国に朝貢して臣下の礼をとってたことは事実だし、
島津の琉球支配もそれを利用して貿易の利益を入手することが狙いだったのに、
あえて清の朝貢国に琉球を書いてないというのは、名目より実態を優先したのか、
明治初年の琉球処分における日本側の立場を正当化するための伏線なのか・・・

71 :世界@名無史さん:2006/10/08(日) 23:00:09 0
知っていても利口な国民はだまっているよ。

72 :世界@名無史さん:2006/10/09(月) 09:09:19 0
そういうことをやってると、また中国から
「やめなさい」
と「厳命」されますよ。

73 :世界@名無史さん:2006/10/09(月) 10:04:10 0
>>68
ウィキで清の最大領域地図を見たら、3ハン国はもちろん琉球も朝貢国ではなかった。
教科書といいウィキといい、いまはこれがデフォなんだろうか。

「東洋の歴史(現・中国文明の歴史)」では3ハン国やアフガンまで朝貢国だったのに。

74 :世界@名無史さん:2006/10/09(月) 10:37:02 0
上の方で、なんで清がヤクートやブリヤートを征服しなかったのかという疑問があったが、
寒冷で貧しい満州から肥沃で温暖な中国本土を征服した満州族が、わざわざ自分の故郷より
気候のきびしい酷寒の土地を征服する意味などない。

何を好きこのんで永久凍土のヤクートなど征服する必要があるのだ。

75 :世界@名無史さん:2006/10/09(月) 15:24:11 0
逆に考えると、極寒のタイガやツンドラのシベリアを延々東に進んだロシアって凄いなw

76 :世界@名無史さん:2006/10/09(月) 15:39:31 0
>>75
黒テンのおかげだなw

77 :世界@名無史さん:2006/10/09(月) 23:01:03 0
中公新書の宮崎市定の「科挙」と三田村泰助の「宦官」は面白かったな。
後者は清末の宦官生き残りの写真がキモかったw

78 :世界@名無史さん:2006/10/10(火) 16:20:01 0
中国映画やドラマに出てくる宦官は、普通の中国人のおっさんという感じだ
けど、写真のはキモイよね。

79 :世界@名無史さん:2006/10/10(火) 17:33:18 0
>>78
いかにも「去勢された」って感じがするよね、あれは。
男でも女でもない不思議な生物と言うか。

80 :世界@名無史さん:2006/10/11(水) 12:13:40 0
中国の歴史に関する娯楽・文学は三戦板のご利用を

http://hobby8.2ch.net/warhis/

81 :世界@名無史さん:2006/10/11(水) 15:51:02 0
支那の歴代皇朝の領土って曖昧だよね。すくなくとも今のような西洋的な国境区分では分からないよね。
実相としては支那から搾取されているようで実は儲けている植民地(朝貢国)といった感じじゃない?支那皇帝に
朝貢したら10倍返しでしょ?いいなあ。

82 :世界@名無史さん:2006/10/11(水) 18:09:17 0
朝貢国というのは、中国と正式の外交関係をもっている国という意味で、植民地ではない。
シャムやビルマは清の朝貢国だが、別に清から支配されてたわけではない。

カザフの遊牧民とかウズベク系の3ハン国やアフガニスタンなども清に朝貢してたはずだが、
こういった国々は最近の教科書では朝貢国にすら含まれていない。

83 :世界@名無史さん:2006/10/14(土) 09:09:22 0
琉球はもちろん、対馬藩も清を頂点する冊封体制に包摂されてるね。

84 :世界@名無史さん:2006/10/14(土) 10:06:44 0
対馬の宗氏は清からみたら陪臣だな。

【天朝】大清皇帝
【直臣】朝鮮国王(清から冊封された朝貢国)
【陪臣】対馬宗氏(朝鮮から官職を与えられ臣従)

85 :世界@名無史さん:2006/10/14(土) 12:01:00 0
マカオのポルトガル人やイギリス東インド会社との交易も朝貢扱いだった。
長崎なんかも清から見れば属国の一海港だったんだろうな。

86 :世界@名無史さん:2006/10/15(日) 23:50:55 0
徳川将軍が明や清と国交を持たなかったのは、臣下扱いが恐かったからだろうな。
大明からの救援要請を蹴ったのも、受諾したら臣属国であることを認めることになる。

87 :世界@名無史さん:2006/10/16(月) 20:34:00 0
秀吉だって、朝鮮南部割譲と勘合貿易再開の要求が実現してたら、
嬉々として明帝の冊封を受けたものと思われる。

所詮、当時の日本はアジアの辺境の小国にすぎない。

88 :世界@名無史さん:2006/10/21(土) 08:04:06 0
江戸時代、日本にとって清は憧れの先進国。

89 :世界@名無史さん:2006/10/21(土) 08:51:57 0
>>88
しかし実態は以下の通り。

第11次朝鮮通信使節(1763〜1764)の一員だった金仁謙の日本紀行文、
「日東壮遊歌」金仁謙著 高島淑郎訳注 平凡社東洋文庫 より。

大阪を見ての驚き
「三神山の金闕銀台とは まことこの地のことであろう」
「人家が塀や軒をつらね その賑わいの程は我が国の錘絽(ソウルの繁華街)の万倍も上である」
「北京を見たという訳官が一行に加わっているが かの中原の壮麗さもこの地には及ばないという」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
名古屋を見ての驚き
「山川広闊にして 人口の多さ 田地の肥沃 家々の贅沢なつくり 遠路随一といえる
中原にも見あたらないであろう 朝鮮の三京も大層立派であるが この地に比べれば 寂しい限りである」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

90 :世界@名無史さん:2006/10/21(土) 11:00:27 0
清朝復辟運動の一つ「明光帝国」に詳しい人いますか?

91 :世界@名無史さん:2006/10/21(土) 13:18:27 0
>>90
恭親王を擁立しようとした運動?

>>86-87
江戸時代になると冊封体制下にあった琉球を介して、明と貿易をするようになる。
満州族に制圧され掛かった明は徳川家光に援軍を求めたが、家光は断った。

江戸幕府及び天皇の日本の冊封体制における立場は曖昧なものであり続けたが、
名実共に冊封体制から離脱したのは明治維新以降と考えられる。

92 :世界@名無史さん:2006/10/21(土) 14:26:54 0
>>90
満洲事変の勃発後に大陸浪人と中国人の一部が
四民維持会という団体を立ち上げて恭親王を会長に担いで独立運動をやった。
恭親王もその気になって清朝の陵墓を祭ったりしたが、
軍は溥儀の擁立に決していたため、恭親王の活動は中止させられた。
これを聞いた溥儀は、恭親王が自分を差し置いて皇帝になろうとしているのでは
ないかとの懸念を抱き、結果的に溥儀の満洲行きを後押ししたともいえる。
恭親王は、野心はなかったと溥儀のもとに弁明しに行っている。

93 :世界@名無史さん:2006/10/21(土) 21:55:04 0
>>89日本の豪華な時代って秀吉の頃とバブルって感じだな。江戸時代ってなんども奢侈禁止令が出て
豪華さからいってつまらないイメージがある。でも負け組みで商業によって藩を盛り返そうとした
大阪なんかはやっぱり豪華絢爛だったのだろうか?

94 :世界@名無史さん:2006/10/22(日) 03:12:41 0
>>93
秀吉の時代は支配者が豪華だっただけ。徳川政権はその初期を除いて終始金のない
政権だったが、その分民間に資本が蓄積された。
秀吉は自分の欲望を具現化するばかりだったが、
徳川幕府は支配者としての節度を守り通した政権だと言っていい。

江戸期に既に全国的に高度な市場が形成されていた事、維新後、あんなにすばやく
日本資本主義が離陸した事の理由はそこにあるよ。

そりゃあ朝廷とその周辺のみにしか金の集まらない、清や朝鮮の体制カらきた人間が
江戸期日本を見れば驚くだろ。

95 :世界@名無史さん:2006/10/22(日) 08:53:04 0
日本ヲタの自画自賛か・・・

96 :世界@名無史さん:2006/10/22(日) 08:56:52 0
中国人朝鮮人の大げさな表現なうち
他のあらゆるものを蔑みあざ笑うくせに
日本に都合のいい部分だけは素直に額面通り受け取る
ピュアハート

97 :世界@名無史さん:2006/10/22(日) 09:34:03 0
>徳川政権はその初期を除いて終始金のない政権だったが、
文章に矛盾が・・・・

98 :世界@名無史さん:2006/10/22(日) 13:25:49 0
>>96
京都を見ての妄想
「惜しんで余りあることは この豊かな金城湯池が 倭人の所有するところとなり帝だ皇だと称し子々孫々に伝えられていることである この犬にも等しい輩を皆ことごとく掃討し 四百里六十州を 朝鮮の国土とし 朝鮮王の徳をもって礼節の国いものだ」

こんなこと書いてる人物の論評だから逆に信用できると思うのだが。

99 :世界@名無史さん:2006/10/22(日) 13:44:42 0
日本オタ、必死だな。

100 :世界@名無史さん:2006/10/22(日) 13:47:12 0
>>96
ウリナラマンセーにはかなわんよw

101 :世界@名無史さん:2006/10/22(日) 15:53:05 O
くん、くん、キムチ臭がするな

102 :世界@名無史さん:2006/10/22(日) 18:48:12 0
とりあえず、大清が康煕帝や乾隆帝のもと、アジアの先進国で経済大国だった頃、
日本はアジアの辺境の小国にすぎなかった。

103 :世界@名無史さん:2006/10/22(日) 18:59:02 0
当時には江戸城を作る国力があったんだろ?
当時の日本の人口が三千万程度で国土も狭い小国だった事を考えると、
紫禁城・タージマハル並の豪華な城を作れる日本は相当、国力があったと思うぞ。
清が大国である事は否定しないが国土が狭くまた人口も少ない小国が
江戸城を作れた事を考えると、相当、大きな国力を持っていたと思う。

104 :\____________/:2006/10/22(日) 18:59:54 0
      ∨
   |/-@-@-ヽ| ブツブツ・・・
   | . : )'e'( : . |
   ` ‐-=-‐
   /    \
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.    \\          \ /    ヽ.
.      \\         / .|   | |
.        \∧_∧   (⌒\|__./ ./
         ( ´,_・・`)目合わせるなって ∧_∧
.         _/   ヽ          \  (     ) うわー、こっち見てるよ

105 :世界@名無史さん:2006/10/22(日) 19:16:57 0
このスレを荒らしたい人がいるようですね。

106 :世界@名無史さん:2006/10/24(火) 21:59:46 0
日本オタの仕業か。

107 :世界@名無史さん:2006/10/24(火) 22:03:37 0
なんかキムチ臭くてたまらん

108 :世界@名無史さん:2006/10/24(火) 22:20:34 0
>>96
チョンコロもチャンコロも基本的に自分を誇り他者を蔑むからな。
そのチョンコロが他者である日本を褒めているんだから信用していい。
まあ褒めたと言っても、それでも10倍くらい薄めてるんだろうけどなwww

109 :世界@名無史さん:2006/10/24(火) 23:09:57 0
朱子学の魔力だよ。

110 :世界@名無史さん:2006/10/25(水) 18:03:57 0
日本オタがどんなに威張ってみたところで、日清戦争直前でさえ、清の経済力が
日本を上回っていたのは周知の事実。

111 :世界@名無史さん:2006/10/25(水) 18:42:55 0
確かに江戸幕府の滅亡前後には徳川海軍が東洋一の海軍と言われていたのに、
洋務運動の結果、あっという間に清国海軍が日本を追い抜いてしまった。

112 :世界@名無史さん:2006/10/25(水) 18:49:28 0
清って外国に負けまくりじゃん。
英国、フランス、最後には日本に敗北するし。
秦、漢、晋、隋、唐なら未だしも、
清と日本を比較したら圧倒的に日本の方が強国だよ。

113 :世界@名無史さん:2006/10/25(水) 18:50:55 0
国土、人口共に下回っていた日本に敗北するなんて
清は強国では無いよ。

114 :世界@名無史さん:2006/10/25(水) 18:53:04 0
超大国は秦、漢、隋、唐だけであって、清は違うと思うな。
中華民国なんて日本軍相手に敗北しまくりだしな。
内戦と言うハンデが付いていたにせよ、
清/中国と日本とでは圧倒的に日本の方が上だと思う。

115 :世界@名無史さん:2006/10/25(水) 18:54:22 0
戦争が下手なフランス人相手に負ける清が大国だとは思えない。

116 :世界@名無史さん:2006/10/25(水) 19:05:05 0
徳川将軍って、清を目上の国として認めていたんだろ?

117 :世界@名無史さん:2006/10/25(水) 20:29:23 0
もちろん

118 :世界@名無史さん:2006/10/26(木) 01:32:28 0
>>114
漢と隋がいつ超大国になったんだ。

119 :世界@名無史さん:2006/10/26(木) 11:40:26 0
つうか唐だって驚くほど小さいぞ。面積的には。支那が大国だったのは秦と宋と元くらいじゃないの?

120 :世界@名無史さん:2006/10/26(木) 12:07:53 0
>>119
面積を問題にするなら元・清がトップだろう

121 :世界@名無史さん:2006/10/27(金) 02:49:44 0
>>115
世を愚弄する気か! by ナポレオン

122 :世界@名無史さん:2006/10/27(金) 02:53:15 0
>>121
お前コルシカ人だろうが。

123 :世界@名無史さん:2006/10/27(金) 07:21:58 0
ナポレオンは戦争に勝ったヒトラーに過ぎない

124 :世界@名無史さん:2006/10/27(金) 10:11:50 0
それは言いすぎだろう。

ナポレオンには会戦が終わったあと敵味方問わず負傷者は収容して
治療せよと命令するだけのヒューマニズムはあった。

125 :世界@名無史さん:2006/10/27(金) 10:15:24 0
勝った側はなんとでも「自分で」言えるが、負けた側はああだこうだと「他人に」言われるだけ。

126 :世界@名無史さん:2006/10/27(金) 19:22:19 0
アウシュヴィッツ収容所は結婚式が許され、医療施設を無料で利用出来、飛び込み台付き遊泳プールまであり看守の殆どがユダヤ人だった不思議


127 :世界@名無史さん:2006/10/27(金) 20:36:38 0
渤海も高句麗も中国とは「朝貢・冊封制度」という関係にあった。
日本もこの中に入っていたわけです。聖徳太子のときに抜けたわけではなく、
歴史上入ったり、抜けたりしてはいましたが、明確に抜けたと言えるのは、
明治維新のときのようです。

明治維新のときというと中国は女真族の「清」であり、また「明」は漢民族でありはしたものの
皇帝の出自から周辺国で中華としての正統性が疑問視されたようです。
それで、本当の中華を受け継いでいる国は我が国だと言いはじめたのが「小中華思想」ですが、
この小中華を唱えた国の中には当然朝鮮もいますが、日本もいます。
倭の王というのは朝貢冊封されてますし、遣唐使とかも朝貢です。
聖徳太子の手紙は有名ですが、決別したわけではない。
足利将軍義満も日本国王という権威付けをしてもらっている。
その前の南北朝時代は南朝が日本国王。
朝貢冊封というのは、属国になるというものではないのです。
皇帝から王として認められ権威づけする。貢物をしていますが、
それ以上に中国からもらって帰るということでもあり貿易関係という意味もあった。

128 :世界@名無史さん:2006/10/29(日) 21:36:35 0
長崎の孔子廟の祭りは清朝のときの礼装でやるからめちゃくちゃカッコ悪い
佐賀の多久にある孔子廟でやる祭礼は明?というかちゃんとした中国伝統の服装でやるから
地味だけど大変格調が高い

129 :世界@名無史さん:2006/10/29(日) 22:04:33 0
>>128

長崎は在日中国人も参加するからじゃないの?

130 :世界@名無史さん:2006/10/29(日) 22:09:19 0
湯島の孔子病は羊とか殺さないな。
ああいう、ブタ以外の家畜を生贄にする儀式こそ、支那の原風景だと考えている。

131 :世界@名無史さん:2006/10/29(日) 22:30:25 0
服装は朝鮮の方が明のものを忠実に受け継いでいるから支那よりもマシ

132 :世界@名無史さん:2006/10/30(月) 00:50:49 0
>>128
清朝の礼服を馬鹿にするな

133 :世界@名無史さん:2006/10/30(月) 19:56:40 0
>>127サイコパス支那共産党の宣伝か?歴史板でよくもまあそんなデタラメ歴史を語れるな。

134 :世界@名無史さん:2006/10/30(月) 20:21:20 0
渤海も高句麗も中国とは「朝貢・冊封制度」という関係にあった。
日本もこの中に入っていたわけです。聖徳太子のときに抜けたわけではなく、
歴史上入ったり、抜けたりしてはいましたが、明確に抜けたと言えるのは、
明治維新のときのようです。

135 :世界@名無史さん:2006/10/30(月) 20:30:24 0
朝貢問題の話題になると賑わうのが清朝スレ(中華王朝スレ全般)の
特徴だな。

136 :世界@名無史さん:2006/10/30(月) 22:54:07 0
レス先を間違えたので、コピペ。

17 :世界@名無史さん :2006/10/29(日) 23:40:09 0
>渤海も高句麗も中国とは「朝貢・冊封制度」という関係にあった。
>日本もこの中に入っていたわけです。聖徳太子のときに抜けたわけではなく、
>歴史上入ったり、抜けたりしてはいましたが、明確に抜けたと言えるのは、
>明治維新のときのようです。

江戸時代からだと思われ。


18 :世界@名無史さん :2006/10/29(日) 23:45:05 0
明確に抜けたのは明治。実質は江戸か。


19 :世界@名無史さん :2006/10/30(月) 20:25:48 0
>聖徳太子の手紙は有名ですが、決別したわけではない。
>足利将軍義満も日本国王という権威付けをしてもらっている。
>その前の南北朝時代は南朝が日本国王。
> 朝貢冊封というのは、属国になるというものではないのです。

決別してるとおもうが。
以後、歴代の天皇で中国から「冊封」うけたの居ない。
中国年号つかって国書を中国に送った天皇いない。

歴代の室町将軍も、正規の国使おくると、差出人とか元号とか国書とか
問題になるから、坊さんをおくる。


137 :世界@名無史さん:2006/10/30(月) 23:47:48 0
中国人の画家が江戸時代の大阪を見て「ここは楽園だ」とか言ってた。
この話には続きがあって「日本人のくせに楽園を築くとは生意気だ」
みたいなことも言ってた。

例えそのうち中国が崩壊しても天皇は謙虚な姿勢で中国に接するよ。
反日しててもODAもあげちゃう。ODA貰っても反日をする。
それが日本人の性格であり、中国人の性格。そしてそれが国力のイメージである。
だから眠れる獅子なんて呼ばれてた。

彼らの優越にツッコミを入れたら
近年みたいに暴れだすからそれでも別にかまわないけど。

138 :世界@名無史さん:2006/10/31(火) 00:21:05 0
>中国人の画家が江戸時代の大阪を見て「ここは楽園だ」とか言ってた。
>この話には続きがあって「日本人のくせに楽園を築くとは生意気だ」
>みたいなことも言ってた。

ソースきぼん

139 :世界@名無史さん:2006/11/01(水) 19:54:26 0
全盛期の清が今のアメリカ並みの超大国だったのは事実
清全盛期の北京はどんな都市だっんだ?
潜ってもなかなか良いサイトを見つけられない。



140 :世界@名無史さん:2006/11/05(日) 10:33:02 0
対馬藩は朝鮮の臣下だったから、琉球以外にも日本の一部が冊封体制に入ってるんだよな。

141 :世界@名無史さん:2006/11/05(日) 10:44:12 0
朕の臣下の臣下は朕の臣下ではない。

142 :世界@名無史さん:2006/11/05(日) 16:15:04 0
>>139 書籍を薦めよう

燕京歳時記 http://www.heibonsha.co.jp/catalogue/exec/browse.cgi?code=80_083

143 :世界@名無史さん:2006/11/12(日) 09:25:44 0
昨日、NHKの番組で、麗江の豪族の「木府」というのが紹介されたいた。
13世紀から18世紀にかけて、木氏は麗江の支配者として君臨していたそうだが、
18世紀までということは改土帰流で土司の世襲的地位を奪われたということか?

144 :世界@名無史さん:2006/11/14(火) 10:43:29 0
改土帰流の対象になったのは西南部の異民族の豪族だけ?

145 :世界@名無史さん:2006/11/14(火) 15:38:42 0
麗江の領主は、チベットの史書には「ジャン王」として登場。
最盛期にはチベットの東南部(カム地方の南部)まで掌握したが、
17世紀半ば、広大な属領をグシ・ハン王朝に没収され、さらに
自分自身もグシハン王朝に隷属。
雍正年間(18世紀)に、清朝がグシ・ハン一族のチベット諸侯へ
の支配権を召し上げたとき、麗江の領主はカム地方南部への支配
権を主張したが、取り合ってもらえず、麗江だけの小領主のまま
清に服属した。

146 :世界@名無史さん:2006/11/14(火) 15:50:30 0
それ、朝鮮人じゃない?
エンコリに出てたよね。

147 :世界@名無史さん:2006/11/14(火) 22:36:43 0
土司制度って面白いよね。

148 :世界@名無史さん:2006/11/15(水) 17:10:26 0
結局、土司というのは18世紀に消滅?
それとも地元の名士みたいな形で清の流官とは別に、民国期まで存続したのだろうか?

149 :世界@名無史さん:2006/11/15(水) 18:46:21 0
有名なシーサンパンナでぐぐってみた。

内政は従前のまま、歴代の王が清朝、中華民国より土司の称号を受けて
名目上中国に属するという状態が継続した。1956年、中国人民政府の
もとで行われた社会改造により、従来の国家組織が解体され、王国は滅亡、
タイ族の自治州が設定されることとなる。

150 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

151 :世界@名無史さん:2006/11/16(木) 14:50:33 0
>>140
倭館に出入りする商人は形式的に李朝から位を貰っていたけれど、
対馬藩主は朝鮮の位階を得ていないよ。

152 :世界@名無史さん:2006/11/19(日) 16:00:23 0
倭館で対馬の役人たちが朝鮮国王の肖像画に土下座して拝礼していたのは有名。

153 :世界@名無史さん:2006/11/19(日) 16:05:08 0
歴代朝鮮国王の肖像画って全員揃ってる?

端宗とか燕山君のは全部回収、焼却されていそうだな・・・。

154 :世界@名無史さん:2006/11/19(日) 16:19:12 0
2006年にもなってまだあぼーんされるようなレスをつける池沼がこのスレにいるのかw

155 :世界@名無史さん:2006/11/19(日) 19:39:43 0
清国というか中華皇帝にきた外交使節はすべて朝貢扱いなんだよ。

そういう建前で成り立っているのが中華文明なんだからそっとしておいてやれよ。
実態は弱いんだから



156 :世界@名無史さん:2006/11/19(日) 21:02:21 0
キモイ

157 :世界@名無史さん:2006/11/20(月) 18:01:21 0
アヘン戦争で負けるまでは別に弱くなかったのでは?

158 :世界@名無史さん:2006/11/20(月) 21:23:11 0
いや、弱いよ、なに言ってんの?漢代からすでに異民族の武力に脅かされてきたし、宋代のときは
騎馬民族に「親子」の礼をとって服従している。もちろん、子は中原の国家。蛮族(異民族)ってのは
文化がないから戦争に強いんだよ。慣習や習俗にとらわれない、ある種合理的な考えができるから。
イギリスなんて文化砂漠だけど、戦争にはめっぽう強いだろ?それと同じ。中つ国の勢力はその逆に
戦争に弱い。

159 :世界@名無史さん:2006/11/20(月) 21:30:10 0
中華王朝は異民族のメドレーーリレーだから。


160 :世界@名無史さん:2006/11/21(火) 02:23:00 0
>>158
157はその騎馬民族王朝の話をしてるんじゃないのか

161 :世界@名無史さん:2006/11/21(火) 15:28:58 0
ああ、そうか。飢えた異民族は一度中原に居をすえると瞬く間にブタになってしまうらしいな。
最初は気合の入った武断皇朝なのに、中原を手にしたとたん、ふにゃチンになる。これは欧州の
バイキングなんかも同じだよね。定住したとたん、武力的にはダメになる。

162 :世界@名無史さん:2006/11/25(土) 18:28:31 0
清の支配領域を同心円状に描いたり、東南の弦月と西北の弦月に分ける説があるが、
あれって正しいの?

163 :世界@名無史さん:2006/11/26(日) 11:47:41 0
>清の支配領域を同心円状に描いたり

中央→土司・土官→藩部→朝貢→互市 と広がっていく図式だが、
日本の長崎貿易は「互市」に相当するのか?

164 :世界@名無史さん:2006/11/26(日) 14:16:57 0
長崎貿易の中国商人向け法令を「海舶互市新例」というくらいだから、互市なのかな。

165 :世界@名無史さん:2006/11/26(日) 14:22:22 0
>>161
漢人曰く、武力で征服されても文化では常に征服してきたと…
日本でも武士が都に上ると、公家化してしまったりするからね



166 :世界@名無史さん:2006/11/26(日) 14:54:27 0
漢人は弱いな

167 :世界@名無史さん:2006/11/27(月) 17:49:02 0
満州八旗も役立たずの腰抜けになったわけだが

168 :世界@名無史さん:2006/12/02(土) 02:23:21 O
後半の説が今は主流のようだよ。前半のものを手直しする感じで後半の説がでてきたはず。

169 :世界@名無史さん:2006/12/24(日) 18:51:09 0
あげ

170 :世界@名無史さん:2006/12/24(日) 21:20:13 0
清の冊封体制下の順位では琉球国王が朝鮮国王より上位であった、つーことは
天皇>徳川将軍>薩摩藩主>琉球国王>朝鮮国王
というヒエラルキーでいいのかな?

171 :世界@名無史さん:2006/12/24(日) 21:55:09 0
そもそも徳川幕府って清の冊封体制下に入ってないし

172 :世界@名無史さん:2006/12/27(水) 00:54:14 0
いや、其の前に琉球も朝鮮も実質的には天皇の冊封なんざ受けてないので
こっちがどうおもってようが、あちらさんは全く正反対のことを考えてる可能性すらあんべ
更にいうなら薩摩藩の立場から言えば、形式上は幕府に従ってるわけだが、実質的には
天皇が上位者であって幕府と同等だと思ってるやもしれんわな

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