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「日帝50年」の被害を痛感

1 :美麗島の名無桑:2006/09/22(金) 15:13:53
労働新聞 2006年9月15日号
兄弟の慰霊のため台湾を訪ねる
今も残る皇民思想に驚く
「日帝50年」の被害を痛感

速見 進一

より以下引用


●総統府で出会った老人
 台北では、国立博物館に行くために総統府の前を通っていると、
日本人観光客が「総統府の見学口はあっちだ」と言っていたので、
私も行って見ようと思い、ついて行きました。
当然ながら、荷物はすべて入り口で預け、
金属探知器を当てられ総統府に入りました。
中に入ると一人の老人が待っていて、流暢(りゅうちょう)な日本語で
「私はボランティアで日本人相手に総統府の説明をしている」
と自己紹介をしました。
 彼は建物の歴史を語りながら自らの歴史をも語りました。
「私は若くして(日本兵)志願した。
その通知が来た時には小躍りして喜んだ。そして、ビルマ戦線に送られた。
日本が負けた時、『あなたはもう日本人ではない』と言われ、
自分は明日から『シナ人』になれというのかと、一晩泣いた」と。
 これを聞いて私は驚くと同時に、
五十年にもおよぶ日帝植民地での「皇民化教育」の恐ろしさを知りました。
また、老人は見学者一人ひとりに「教育勅語」を渡し、
「これは大変良いことが書いてあります。今の日本をダメにしたのは日教組と左翼です」
「あの戦争は誤った戦争ではないのです。日本の皆さん、自信を持ってください」
と言いました。
 もうここまで言われて黙っているわけにはいかず、感情を抑えながら
「教育勅語でえらい目にあったという多くの日本のおばあさんたちがいますよ」
「あの戦争はまぎれもなく侵略戦争であったし、また植民地争奪戦争だった」
と反論しました。
 老人は、「米国は十二月八日以前に台湾を爆撃した」
「米国は今もイラクを侵略している」と米国を批判しました。
私はこの点では老人と意見が一致しました。
また、私は「今も日本は米国の従属下にあること」を話しました。
 この老人は二・二八祈念館でも説明員をしているそうです。
なぜなら彼の弟は二・二八事件で殺され、老人も投獄されたそうです。
だから老人は、総統府内での蒋介石と蒋経国のコーナーは
「私は彼らに弾圧されたので飛ばします」
と言って、素通りしました。
私は、この老人はまさに日帝五十年の植民地の被害者だと思いました。

2 :美麗島の名無桑:2006/09/22(金) 15:18:10
ナガノ!

3 :美麗島の名無桑:2006/09/22(金) 16:13:19
汝 台湾共産党員 工作員として 此処に潜入したナ

4 :美麗島の名無桑:2006/09/30(土) 22:02:56
日帝w

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