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◆決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない84◆

1 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 09:22:18
人間の脳が「物質」であることには、誰も異論がありません。
しかし、脳内には物質以外の「何か」がある(筈)と考える人が居ます。
・・それは願望思考・自己欺瞞という「観念論的誤謬」です。
人間の脳を構成する千億個の神経細胞は軸索を伸ばし、突端から
分泌する神経伝達物質で、他の神経細胞に情報を伝えるだけです。
勿論、脳内には核分裂のような原子核反応もありません。
分子生物学と生理学の対象分野「分子レベルの現象」が全てです。
「この宇宙」で人間の脳だけが「特殊な物質」であるとする科学的根拠は
全くありません。人間の脳も地球上における「物質の進化」の一過程に
すぎず、人間の脳が造り出す『意識』も何ら「特別」ではありません。
『意識』は『クオリア』を持つ動物全部に生成する現象です。
「何を思うか何を意志するか」は、あらかじめ物理・化学法則により
決定されております。自由(意志)感は文字通り『感じ』にすぎません。
量子論の「不確定性」は意識には何の関係もない「単なる観測問題」です。
以上が「超・大統一理論」=量子論と相対性理論の統一後に残存し得る
『唯一の最終真理(思想)』の輪郭です。全宗教全観念論は徒労です

前スレ
◆決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない83◆
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1165674692/

過去ログ
http://www.emit.jp/ai/ai.html

2 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 09:23:13
1.我思う故に我在り・・・主観性が一つ(以上)存在する
2.他の人間にも主観性が存在する・・・主観性は二つ(以上)存在する
3.外見で主観性のあるなしを判別できない・・・哲学的ゾンビ

2と3は仮定。これが正しいならば、
二つ以上の主観性の『違い』を比較することは絶対不可能。
よって、「『私』はほかの主観性と違う唯一絶対の存在である」は誤り。

1は、「『私』が『一つ在る』事が疑い得ない」のであって、
「『私』が『一つだけである』事は疑い得る」

結論。
最高位の主張は根拠のない出鱈目。
最高位完全破壊の証明終わり。


3 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 09:23:32
何にせよ最高位の敗北は確定したね。

唯物論だと精神は物理現象であるゆえに、
薬物とか物理的損傷による精神の変化を説明できる。
最高位は精神現象について何も説明できない。
この時点で唯物論の勝ちだ。つまり最高位の敗北。

『私』の存在性については、唯物論も最高位も説明できない。
そもそも、存在性自体は、物質であろうと、『私』であろうと、唯物論が説明するものではない。

精神は物理的に解明可能性はある。不可能である事は証明されていない。
人間は物体であり精神は物理現象にすぎない


>『唯物論では人間の内的部分を解明しきる事はできない』

唯物論ではという限定は間違い。
人間の内的部分をもっとも解明できるのは唯物論上の論。
ただし、それをもってしても、人間では解明できない事があるだけ。

唯物論で解明できないものは、人間には解明できない。
人間に解明できるものは、すべて唯物論上の論。


4 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 09:23:45
唯物論を「世界を物理現象で全て記述できる」という思想だと思い込んでいる、最高位は根本的に間違っている。
唯物論は何かを説明できるという思想ではなく、「物質や物理現象以外の存在は、物質や物理現象によって規定され、従属する」という思想。


5 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 09:24:18
303 名前:考える名無しさん 投稿日:2006/08/25(金) 13:31:09
>>301
あるかどうか以前に、
キミが考える『私』『自我』と、俺の考える『私』『自我』は同じではない。
キミはそういう単純なことすらも理解できていない。


304 名前:考える名無しさん 投稿日:2006/08/25(金) 13:34:02
>>300
>(ただし唯物論が間違いである事は論理的に明らかだが)

いいやこれは最高位の間違い。

最高位の観念の中にある「最高位唯物論」が、最高位の観念の中で、
「間違いであることが論理的に明らか」と、最高位の観念で認識されているだけ。

最高位の観念の外では、論理的に成立しない。



6 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 09:24:29
最高位は「物質」が何か知らない。
その証拠に、最高位は、物質を定義することができない。

物理現象が何かしらないくせに、デタラメを垂れ流しているだけ。



7 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 10:37:11
乙>>1 

8 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 11:05:09
ニートのあるコテのチラ裏スレだな。

自殺したいスレ

とどうようにニート暇人は自殺するまでは毎日書き続けるw

しかし、そいつが自殺、放心状態の

頭あぽーんになると
スレはなくなる。

このスレもいずれそうなる。

ニートおっさんは哀れだ。

9 :哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/12/19(火) 11:43:14
前スレ>984
>物理的に言えば、最高位の言う「私」は物理的な全ての要素に
>よって構成されていると言える

だから、それは結果的な状態を述べているだけであって、そんなのは哲学をしない人の感覚的なアンサーだろw

『この体』というものは、どこまで行っても『物理的要素』にすぎない
全く同じ物理的要素の物体を作成しても、物理的な要素をいかにしても
どうやったって、それは絶対に『私』になる事はありえない
これは絶対的な結論
しかも、物理的要素と『私』とは、いかなる因果関係もありえない
なぜ『この体』が『私』であったのか
『他人』ではなく、なぜ『私』であったのか
という問いには、絶対に答えを出す事は不可能だ
これも絶対的結論

>永井の本読めばおまえの言ってることがいかに低レベルかすぐにバレるよ

おかしな事を言うなぁ・・・キミら『私』の本質である『存在性の奇跡』について、全く理解できてないのになw
私は永井先生について、ほとんど知らないが、そういう部分だけは読んだよ
その部分だけでも、キミが『私』を理解していない事は明白なんだよw
理解できたと思い込んでるだけ

>物以外があるって認めているのはおまえの方なんだから、
>それが何なのかを説明するのはおまえの義務なんじゃないの?

説明って物理的にか?w
物理的に説明できないものがある って言ってるんだよ
あのな
『私』は『私』という『存在性』なのであって、その他の要素によって分析したり、説明したりできない絶対的な存在性なんだよ
これが説明だ
そういうこと理解できんの???

10 :哲学大博士:2006/12/19(火) 11:58:07
>>9

最高位君は他人に自我があるかどうかわからないと言うくせに
自我があるとするのはおかしいよ。
いいかね、最高位君は自分に自我があるとわかっている。
だがね、君がいくら自我を講義しようが
他人に自我があるかどうかはわからん。
自分にしかわからない自分の自我では哲学では独我論なのだよ。
キミが客観的に自我を講義できるなら話は別だがね。

11 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 12:01:17
>>9
私という存在性とは何ですか?
意味を分かりやすく説明しなさい
存在性なんていうあやふやな語を使わず
自分の意図を明確に表しなさい

そもそも、分析、説明も出来ない絶対的なものっていうのは
神とかそういう概念のことだろ?
私は人間に宿っているものだろ?
私というある人間の主観的なパースペクティブが何故「モノ」に還元されない
絶対的存在だなんてことが言えるの?
全然論理的じゃないんだが・・・
絶対的絶対的を連呼しても論理とは何の関係も無いよ
永井の本読んだのなら分かると思うけれど、
彼はこの「私」に意味など無いかも知れないという考察もしている
もう少し多角的に物事を捉えた方がいいよ

12 :哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/12/19(火) 12:27:58
>>10
私は他人に自我があるなんて決め付けてないよ?
あるように見えるし、たとえ、もし無いとしても
人形と話してるだけなんだから、私が間違えていても責任はないしね
「あるんじゃないかな」と仮定して「一応、あるとして話を進めよう」というだけの事だよ
キミらにも自我があるんじゃないの?と聞いているだけです
私にはあるからね
それについては結論でてるんだよ
だから実際のところ、キミらに有ろうが無かろうが、あんまり関係ないのよ

>>11
存在性がわからんて?
もう少し国語の勉強からやった方がいいねキミ
だいたいわかるだろ普通
簡単に言えば『存在する』って事さw
存在するという性質そのものの意味を抽出して表す言葉

『私』というものは『存在性』という意味においては、『神』とも平行する存在だよ
なんせ論理的に言って、原因的要素に還元できるもんじゃないんだからね
だけど、ここに存在してるんだ
単なる奇跡そのもの と表現せずしてどうするよw

>永井の本読んだのなら分かると思うけれど、
>彼はこの「私」に意味など無いかも知れないという考察もしている

キミこそ断片的で表面的だ
『意味』について、もう少し考察した方がいいんじゃないかね?
意味とは、『私』があって初めて生じるものだよ
意味は私の観念なんだからね

それから永井、永井と言うけれど、私より永井先生の解釈が上だと誰が決めたの?w
それはキミが勝手に思い込んでるだけだろw

13 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 12:28:54








代休で来たが
平日昼間からやってますなぁw


14 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 12:36:01
>>12
>私にはあるからね

証明してみて。
どのようにあるのか説明でもいいから。

15 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 12:37:14
>>12
>『私』というものは『存在性』という意味においては、『神』とも平行する存在だよ

唯物論のモノと同じレベルですね。モノと『私』は同じでは?


16 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 12:40:37
>>12
なるほど、神と私は並立ね
そんなものをありがたがってるなんてめでたいな
大昔の神学と変りは無いってことか

最高位は永井の足元にも及ばないので、とても比較対象にはならない
思い込んでいるのではなくて、事実
永井は唯物論は破壊するなどというトンチンカンなことを言ったりはしない
純粋に「私」という事実に気付き驚いてそれを深く掘り下げただけ
その奇跡がモノによって起きたとしてもいいし、
そんな瑣末な部分に永井はこだわらないだろう
最高位は深く掘り下げていないし、分からないものは分からないけれど、
唯物論はこれを以って破壊出来るなどと狂ったことを言っている

17 :哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/12/19(火) 12:48:35
>>14
他人には証明できん
これはもうね
あきらめるしかないのよ

自我というのは『私』という主観性そのものな存在性 であって
主観性だから、主観性自身にしか認識できない
ようするに『自覚』する以外ないっつー事だな

自分で自覚できれば
自分の哲学的課題に対して答えが出る という性質のものだね
ある種の悟りにも似ている
まぁ、クオリアが証明できないのと同じだよ
なんせクオリアの主体なんだからねw
本質を悟りたまえ

>>15
『モノ』は『他』であって、懐疑論の範囲に入っちゃうだろ

しかし『私』は、疑いえない 絶対的な『存在性』なんだよ

18 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 12:50:39
俺の彼女
http://megurulove.com/bbs/etc/img/11150448610245.jpg


19 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 12:53:41
>>18
保存して抜いた

そしておまえに殺意を抱いた

20 :哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/12/19(火) 12:58:07
>>16
あのね
何回同じ事を言わせんの・・・

『人間の精神は物理現象にすぎない』
という長年の心身問題における唯物論の主張は論破されるんだよ
何がトンチンカンなんだよバカ

永井先生は、問題意識の観点が違うから言ってないだけだろ
なんで違う観点に応用したらいかんのだ?
それからな
キミに審判されたって、何の価値もないわ ボケが

>なるほど、神と私は並立ね
>そんなものをありがたがってるなんてめでたいな
>大昔の神学と変りは無いってことか

全然わかってないじゃんかよw
進歩しろよ進歩

21 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 13:02:12
>>20
こっちも何回同じこと言わせるんだよw
分からないものを持ってきてこれで唯物論が破壊できますってのが
おかしいだろ
モノとそれに付随する現象しかないことを否定するには
そうじゃないものを持ってきて論理的に説明しないと否定出来ない
私の存在性はどういうものか分からないと最高位も認めているんだから、
それがモノから発生していると考えても何ら不思議は無い
私の存在性がどういったものであり、モノ以外から発生している根拠を
提示してから能書きを垂れるべき

22 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 13:03:03
>>17
>他人には証明できん

じゃあ、最高位の勘違いということもあるわけだw


23 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 13:05:45
>>17
>『モノ』は『他』であって、懐疑論の範囲に入っちゃうだろ
>しかし『私』は、疑いえない 絶対的な『存在性』なんだよ

うん。モノの一部に絶対的な存在性があると考えれば、
すべてモノで包含できるね。『私』がそこに含まれていると。
唯物論で問題ない。

24 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 13:06:43
>>20
>『人間の精神は物理現象にすぎない』
>という長年の心身問題における唯物論の主張は論破されるんだよ

破壊されないよ。物理現象に『私』が含まれているだけなんだし。
最高位によって、唯物論の主張は強化されたと思う。

25 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 13:07:06
唯物論を「世界を物理現象で全て記述できる」という思想だと思い込んでいる、最高位は根本的に間違っている。
唯物論は何かを説明できるという思想ではなく、「物質や物理現象以外の存在は、物質や物理現象によって規定され、従属する」という思想。


26 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 13:08:34
>>24
素晴らしい!
また唯物論は強固になったということか!

27 :哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/12/19(火) 13:12:30
>>22
>じゃあ、最高位の勘違いということもあるわけだw

勘違い というのは『私』がするのであって
『私』の観念だわな
勘違いできる時点で、あるだろ『自我』

>>23
モノは観念にすぎないかもしれない という説は
どうやって否定するの?
モノの一部に絶対的な存在性がる って
何を根拠に?

>>24
主張内容と原因結果を、もう少しよく考えろ
キミらは、その一方向からしか見ていないんだよ

28 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 13:36:12
>>27
>勘違いできる時点で、あるだろ『自我』

コンピュータのバグみたいなもんだろ。石と変わらん。

29 :哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/12/19(火) 13:42:53
>>21
わからないものって何?
キミは、自分がわからんの?
「我思う我あり」わからんの?

全体的にアレだな
キミは、画一的な範囲に限られた思考しかできないようだな
頭が固すぎて話しにならん

>モノとそれに付随する現象しかないことを否定するには
>そうじゃないものを持ってきて論理的に説明しないと否定出来ない

だから『私』を持って来てるだろ
物理的要素で、どんな事をしてもいいから
『私』を作ってみなよ


今日はここまで

30 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 13:42:59
>>9
>『この体』というものは、どこまで行っても『物理的要素』にすぎない

最高位氏、すでにこれが間違いなのです。『この体』は、物理的要素によっては
特定できないのですよ。現に『この体』と全く同じ物理的要素の物体を作成しても、
それは絶対に『この体』になる事はありえないのです。おわかりになりませんかw?

>全く同じ物理的要素の物体を作成しても、物理的な要素をいかにしても
>どうやったって、それは絶対に『私』になる事はありえない

おお、『この私』にはならなくても、『他の私』になるかどうかはわからない、
と、ご自分でお認めになったではありませんか。お忘れですかw?
というか、本当は、それが『この私』になる可能性だとて、ないとは言えない
のですよ。それどころか、全く何もしなくても、それまで『哲学者最高位』だった
『この私』が、なぜか次の日には『機械的唯物論者』になっていた、という事態
だとて、論理的には十分可能なのです。可能というより、『この私』と『この体』の
結び付きには何の必然性もない、というあなたのような考え方をするならば、
むしろそうなっても何の不思議もない、と主張しなければなりません。
ただし、この場合でも、『この私』は『過去には哲学者最高位だった』という
「記憶」だけは手放せません。これもなくしてしまうと、もう『同一の私』
である、という意味がなくなってしまうからです。これはつまり
「哲学者最高位の心」−「哲学者最高位の体」という個物の組み合わせが、
「哲学者最高位の心」−「機械的唯物論者の体」という組み合わせに変わった、
という、単にそれだけのことを意味します。

永井均氏は、「いやそうではない。哲学者最高位と機械的唯物論者の体にも心にも
何の変化もないのに、前者だった『私』が、あるとき突然後者になる、ということは
十分に可能だ(有意味だ)。」と(少なくとも昔は)述べていました。
さて、あなたはどうお考えになるでしょうか?

31 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 14:21:04
>>30
明快で分かりやすいね


32 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 14:42:26
科学者という人種は世間の人々から見ると驚くべき幼児性を抱え込んだ人種である。人の事を勝手に調べるのは当たり前だが自分の事を調べるのは絶対「許さん」と本気で思っている。精神的な脆弱さは想像以上である。バイオ的に見ても「弱い脳」を持つ人種である。

33 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 14:49:46
>>32
それでそれがどうなるの?

34 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 14:50:38

    人生で大事なのは…
     ∧_∧
    ( ´・ω・`)     ∧_∧
    /     \   (    )ハロワ池よ 
.__| |    .| |_ /      ヽ
||\  ̄ ̄ ̄ ̄   / .|   | |
||\..∧_∧    (⌒\|__./ ./
||.  (    )     ~\_____ノ|   ∧_∧
  /   ヽ 働け!     \|   (    ) 
  |     ヽ           \/     ヽ. オマエ無職だろ
  |    |ヽ、二⌒)        / .|   | |
  .|    ヽ \∧_∧    (⌒\|__./ /


35 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 15:57:00
>>25
そう思うのなら、最高位のいう【私】がどのような物質や物理現象に規定され、
どのようにそれらに従属しているかを述べればいい。それだけの話し。


36 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 16:37:31
>>35
もし、ここで言われている「私」が、『存在性(=在ること)』であるなら、
述べることはできないのではないか?「ただ在る」ことに、どのような詳細な記述があるのか?
座標(位置関係)や、組成、様相、動きetc.を、くまなく記述すれば事足りるのか?
だとするなら、この世に何一つ同じ記述はありえない。
石ころだろうが猫だろうが机だろうが椅子だろうが、地球だろうが月だろうが、変わりはしない。
愛やら友情であれば、それを見出している構成員間の様々な事象や、彼らの記憶・経験等が
総合的に判断され、脳内にある状態をもたらしている、と言えるかもしれない。
いずれにしろ、
最高位に関する、ありとあらゆる情報を網羅して、(彼の精神活動に関わる要素を抜き出し)、
記述すればいいのか?生育環境や人間関係、何を学んできたか、何を経験してきたか、
などを詳細に提示して貰わねばならない。

もし、そうではなく、「意識」というものが、「或る状態」「或る活動」であるなら、
脳科学の今後の研究を待ちつつ、『これこれこういう脳の状態が、【「私」という自覚をしている状態】』である
という記述になるかもしれない。この時、どこに個別性が見られるだろうか・・・。
やはり、日常的私が身体を境界として認識されるように、その延長として「この脳の活動であるから・・・」
ということにしかならないのかもしれない。

37 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 16:38:42
日本語で桶

38 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 16:55:39
>>37
今、それが分からんからって、これからも分からんとは限らん。
安易に、それを結果として飛びついてないか?って話さ。

39 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 16:58:38
>>35
最高位の肉体に従属してるのは明らかだろ。そこから出られないのだし。

40 :前々スレ538:2006/12/19(火) 17:18:46
>>前スレ958
>その「定義」がちょっと怪しいんじゃないかってのが俺の疑問。
定義に怪しいも怪しくないもないんだが・・・
気に入るか気に入らないかの問題でしょ。
君はおれの使う定義が気に入らないということだね。
それなら他の定義を出してもらわなきゃ話のしようがないな。

>今は他人の心であれ自分の心であれ心全般がよくわかってないのでその性質であろう主観性もよくわか>らないところがある。
>なので、それについての定義が修正されたり、極端な話消去されることだってあるかもしれない。
>そのような探索の可能性を「定義」から排除することはばかげてると思う。
いくつか勘違いがあるようだが。
まず、「よくわかってない」からこそ定義をしっかりとしなきゃいけないの。
「よくわかってない」ものをそのままあやふやな言葉遣いで議論したって何の合意にも達し得ないでしょ。
「よくわかってない」もののうちからはっきりと定義できる部分をとりだして、
その部分についてまず厳密な議論をする、という形でないとなにも確かなことは言えないよ。
(議論ごっこに興じていたいってだけなら別だけど。)
次に、仮にいま用いている定義が修正されたり消去されたりする可能性があるとしても、
その定義に基づいた議論の確からしさには何の影響も与えないし、具体的な修正案もなしに
その定義はおかしいと言われても、ただのいちゃもんとしか受け取れないよ。
最後に、何かを定義したからって、それ以外のものの探索の可能性を排除するなんてことにはならない。
むしろ逆で、おれが「唯物論の立場からは探索不能だ」と言っているのは、おれの定義した
主観性についてのみであって、その定義から外れるものについては何の主張もしてない。

>一方、形而上の方はその定義が適切であるかどうかはその主張の中での整合性で判断されると思う。
「形而上の方」ってのは「形而上の主観性」って意味で言ってるんだと思うが、主観性ってのは常に
現に与えられてるものなんだから、「形而上の主観性」ってのは意味を成さない。
他人の主観性のことだったら「形而上の主観性」と呼べるかもしれないが、おれは一貫して
自分の主観性についてのみ論じているから、上記の引用以降のコメントはおれの主張とは
関係ないってことになる。

41 :前々スレ538:2006/12/19(火) 17:31:42
んー、もしかしたら前のレスに出てる「形而上の方」ってのは
「形而上の主観性」って意味じゃなくて「形而上の唯物論」もしくは「形而上の唯物論における主観性」
って意味で言ってるのかな。
どっちにしてもこっちの主張は同じで、おれが問題にしてるのは「現に与えられている主観性」のみだから、
形而上的に考える必然性も必要性もないと考える。

42 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 17:32:56
http://www.fder567ujhder5678uijhgfbvder567ujhbvcsertyhvcsertyhgvcxsdrtyhbvcdtyujbvcdtyujnbvcdyujnbvcdtyujnbvcdyujnbvcyujnbvcxdyujnbvcdtyujhbvcxdtyujhbvcdyujbvcdtyujnbvcfjbvcdjbvcdfyujhbvcdtyujbvcdfyujbvcfyujbvcftyujbvcfyujbvcfyujnbvcfgjnbv

43 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 17:54:31
機械の「唯物論」が形而上学・観念論であることは認定済
マルクスのマの字も理解できずに「唯物論」を詐称し反共主義をやっているw

44 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 18:04:55
>>43
形而上学的・観念論的でない「唯物論」など本当にあるのだろうか?
もしかすると「唯物論」というものこそ虚構なのではあるまいか。
それは神を観ることと同じで、モノそのものを明確に捉えることができるという
人間の烏滸がましさの表出ではあるまいか。
すべては観念論的にしか表現できず、観念論的にしか理解できないのではあるまいか。
それが人間の限界のように思うのは私だけであろうか。

45 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 18:10:37
>>43
心身問題での心脳同一説とか随伴説とかってのは、
マルクス主義の唯物論と関係付けて論じる必要があるものじゃねえだろ。

46 :前々スレ538:2006/12/19(火) 18:11:23
>>44
>それが人間の限界のように思うのは私だけであろうか。
とりあえずニーチェでも読んだらいかがでしょう

47 :科学の]神:2006/12/19(火) 18:44:20
2001のHALのぶっ壊れた会話だな

48 :りくーつ・こねりー ◆Cgc5LCr8co :2006/12/19(火) 19:46:06
>>44
あなたのいいたいことが分からないでもなかったりする
「モノそのもの」みたいなもんはハナから扱えないし、
モデルは所詮モデルなんて、今更いってもしょうがないとは思う

科学的実在論についてどのように捉えてるのかな?
俺は詳しくはないんだけど、どうも掴み所がないんだよね
こういったもんの捉え方による食い違いが発生してるような気がしないでもないけど

俺としては、もう面倒だから、原子ぐらいなら外界に対応物があってもいいなあ、
とは思ったりする
個物みたいに捉えれば存在すると人々がいえそうなストライクゾーンって意味で

素粒子みたいなもんについてはモデル上の存在だと割り切ってたりする
電子なんかになると、わけ分からんちんにはなるけど、
モデル上で電子半径 0 みたいなもんの対応物を求めること自体がナンセンスだとは思う

とはいえ極論をいえば、
そもそも実在するしないを今の科学は問題にしていない、と俺は思ってたりするんだけど

49 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 20:43:50
>>40
前半の定義について語られてるところはおおむね同意する。

ただ、俺は「よくわかってないんだから定義をするな」って言ってるわけじゃないよ。
よくわかってないものについて議論するにあたっては不適切なあるいは論点先取的な定義を与えてあらかじめ議論を封殺するのはよくないと言ってるんだよね、わかってもらえてるとは思うんだけど。

で、「現に与えられた主観性」についての「他者からアクセスできない」ってことはそんなに「しっかりと」「はっきりと」定義できる部分なのかな?
君も他人から自分の考えを読まれてたとか気持ちを言い当てられたとかいう経験したことないかな?
素朴すぎると思うかもしれないが俺はこういうことでも君の定義を疑う十分な理由になると思うんだよね。

君が「現に与えられた主観性」を問題にすると言ってる割には、人間にあって哲学的ゾンビにないもの、みたいにその定義は随分と形式的過ぎるように思える。
もちろんそういった定義が無意味だというわけではなくて、むしろ君も前書いてたように自然科学寄りの議論よりは哲学板にはふさわしいと思うんだけど。

50 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 20:48:56
前スレ>982
>ただ「個々人の心には当人以外には知り得ない、理解し得ない何かが存在しうる」
>ということが唯物論者に理解されればいいわけです。

これは、「唯物論者だから」なのではなくて、「他人だから」そうなのである気がしますが?
私の主観で言えば、
「個々の人に限らず、動物にも植物にも、石ころにでも、私には理解し得ない何かが存在しうる」
と思います。人間だけがそうだと納得できる理由はありません。
逆に言えば、
「私だけが知っているあなたの心、個々の人、動植物、石ころ・・・もありうる」
とも思います。
「あなただけが知ってる私」もあるでしょう。

唯物論者と一括りにしてしまう時点で、やはりそれぞれの世界を無視しているようにも思います。
唯物論者と言っても沢山いて、それぞれが自分にしか分からない世界を経験し、
それぞれに自分の唯物論を持っているのでしょう。
あなたにとっては唯物論者は他人なのですから、彼らがそれぞれに思い描く唯物論的世界を理解できず、
勝手に解釈することしか出来ない。もちろん唯物論者同士でも。
存在し、主張するということは、常に誰かを無視したり否定したりという事を、避けられないのではないでしょうか?

でも、
性能のそれぞれに違う沢山の機械が、それぞれに別の時と場所から世界を観測したら、
やはりそれぞれに違う観測データになるのが当然だとも思うのです。

51 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 20:51:00
続き

>それは、ある人が哲学的ゾンビであるかどうかの違いをまず認めたうえで、
>実際には哲学的ゾンビであるか否かは知り得ないから
(>当人は知りえるがそれを他人に伝えることは不可能だから)
>そんな違いは無視する、ということでしょうか。

「人間」とか「当人」という一般化した言葉がうかつに使えない問題だとは思いますが。

他人については定義上、認識としては人間=哲学的ゾンビでしょう。
随伴説を取る人にとっては、当人=人間=哲学的ゾンビです。肉体の死=私の消滅
間違いだったと判る可能性があるのは自分が死んだ時でしょう。正しければ判らないw

随伴説をとらないならば、
『私』になんの法則性もないのならば何でもアリじゃないでしょうか?
「当人にとって」と一般化するならば、あるいは他人と比較するならば、
何らかの法則性というか共通性を見出してると思うのですが。
人間の認識というのは、この「比較」という作業をやらずにはいられないのだと思います。

>もしそうなら、つまり心脳随伴説や唯物論が主観性以外の人間の精神について論じるなら、
>唯物論は主観性とか『私』の問題とは無関係なものでしょう。

答えるのが難しいですねw
何故ならば他人に問われてるからです。
『私』の問題とは、各々が勝手に答えを出す問題だと思いますが、私自身は無関係だと思います。

52 :前々スレ538:2006/12/19(火) 21:52:49
>>49
>よくわかってないものについて議論するにあたっては不適切なあるいは論点先取的な定義を与えて
>あらかじめ議論を封殺するのはよくないと言ってるんだよね、わかってもらえてるとは思うんだけど。
うーむ、こっちの言ってることは全くわかってもらえてないようだ。
どんな定義を与えようと議論の封殺などにはならないって言ってるんだけどなあ。
繰り返しになるけど、特定の定義やそれを用いた議論が気に入らないなら、
自分で他の定義を出してきて、それを使って議論すればいいだけのことでしょう。
誰にだって好きなことを好きなように定義をする自由はある。
それが有意義かどうかはまた別の話だけど。

>で、「現に与えられた主観性」についての「他者からアクセスできない」ってことは
>そんなに「しっかりと」「はっきりと」定義できる部分なのかな?
>君も他人から自分の考えを読まれてたとか気持ちを言い当てられたとかいう経験したことないかな?
>素朴すぎると思うかもしれないが俺はこういうことでも君の定義を疑う十分な理由になると思うんだよね。
どうもまたえらい思い違いをされているようなんだが、
「他人から自分の考えを読まれてたとか気持ちを言い当てられたとかいう経験」は
ここで言っている主観性とは全く関係のないことなんだよね。
前にクオリアの説明をしたけど、それに即して言えば、自分の感じる赤色の感覚と
他人の感じる赤色の感覚を比較するすべがない、ということが、
自分に現に与えられているもののなかに「他者からアクセスできない」部分があるという
洞察の基本になっていて、それに即して主観性を定義している、ってことなんだが。

>君が「現に与えられた主観性」を問題にすると言ってる割には、人間にあって哲学的ゾンビにないもの、み>たいにその定義は随分と形式的過ぎるように思える。
「人間にあって哲学的ゾンビにないもの」ってのは主観性の定義じゃないよ。
前に言ったように、主観性を客観的な観点から定義することはできないんだけど、
主観的な観点からの定義を言えば、上に述べたようなことから、
「自分に現に与えられているもののなかで、他者と共有できない、
もしくは共有していることを確認し得ない部分」
とでもなるだろう。

53 :「機械的唯物論」者 ◆6xfUzFrrFE :2006/12/19(火) 22:00:25
>>9
>『この体』というものは、どこまで行っても『物理的要素』にすぎない
>全く同じ物理的要素の物体を作成しても、物理的な要素をいかにしても
>どうやったって、それは絶対に『私』になる事はありえない
>これは絶対的な結論

違います。
『この私=この脳』というものは、どこまで行っても『物理的要素』にすぎない
全く同じ物理的要素の物体を作成しても、物理的な要素をいかにしても
どうやったって、それは絶対に『私』になる事はありえない
何故ならば「x軸y軸z軸(3次元座標)」が同じ「全く同じ物理的要素」というのは
「概念的にありえない」からである。
・・・当然「x軸y軸z軸(3次元座標)」を同じくする「同じ粒子(例えば陽子・中性子・電子)」
が「(同時刻(t次元:4次元目同一)」では「あり得ない(物理学的に存在し得ない)」からである。
これは絶対的な結論

54 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 22:08:28
>>52
>「自分に現に与えられているもののなかで、他者と共有できない、
>もしくは共有していることを確認し得ない部分」

それが「主観性」の定義だとすると、「客観性」に当たるものとは
「自分に現に与えられていないもの」または「自分に現に与えられている
もののなかで、他者と共有できる、もしくは共有していることを確認し得る部分」
ということになるのか。で、それは例えば何だ?


55 :「機械的唯物論」者 ◆6xfUzFrrFE :2006/12/19(火) 22:12:11
>>48
>「モノそのもの」みたいなもんはハナから扱えないし

(理論)物理学では、昔から扱っております。
そもそも「原子核」である「陽子:中性子の対の組み合わせ」は「大きさ」
を持ちますが、それを周回する「電子」は「大きさ」を持つかえ解らないほど
「小さい」のですが、「電子を操作する」ことを抜きに(理論)物理学は
成立しません。
 「電子顕微鏡」然り、何より「コンピュータ」も「電子計算機」であり、
「(大きさがあるかどうかも解らない)電子の振舞いを制御する」ことで、
初めて成立する技術なのです。

56 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 22:16:51
>>36
色々と突っ込みたいところが満載だけれども、もしかして貴方は素人さん?


57 :哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/12/19(火) 22:20:36
>>25
長年、唯物論者が主張してきた
「人間の精神は物理現象にすぎない」という心身問題における立場はどーなんの?

>>28
コンピュータは勘違いなどせんよ
正しく計算して出力するだけだ

勘違いするのは人間だよ

当たり前だろこんなの
話にもならない

58 :哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/12/19(火) 22:21:11
>>30
何回説明してもアホが治らんようだな

『この体』というのは『私』の観念なのであって
ある『物理的要素』として認識された物体を指す

そして、同じ物理的要素の物体は、原理的には作成が可能なのだよ
水Aも水Bも、同じH2Oだろ
何が違う要素なのか答えてみ

それからな
『この体』というのは固体だから誤解してるようだが
結局あり方としては『この水』と同じだ
何が言いたいのかと言うと
ペットボトルAの『この水』とペットボトルBの『あの水』を
同時に鍋に入れちゃったら『この水』は、どの水か、わからなくなっちゃうだろ
『この体』も同じだよ
移植したら定義が曖昧になるだろ
キミらは『この体』と『私』が同じだと言うが
その存在様式が丸っきり違うんだよ
根本的に間違えているんだよ
唯名論の基礎ぐらい理解しなきゃ、話について来れないんだよ
自覚しなさいよ

と言っても
まぁキミは、これだけ教えても理解できないんだから
よっぽど知能が低いんだろうね
いくら説明したって、本質的な事は何も理解できないんだろうとは思うがね

59 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 22:23:55
本当にこの人哲学者最高位さん?
トリがばれて違う人がやってるんじゃないの?

60 :「機械的唯物論」者 ◆6xfUzFrrFE :2006/12/19(火) 22:30:39
前スレ>>966
>なぜ物質である脳から意識が発生するのか?これは唯物論では分からない。
>しかし唯心論・独我論的な立場だと、物質に関する全ても
>質感、感じてるだけ、つまり『クオリアの一種』で説明できます。

「分からない」のではありません。
任天堂Wiiを先週購入してやってみましたが、ワイアレスリモコンの
微妙な動きが敏感にディスプレイ上に反映され、例えばテニスや野球の
「打感」もリモコンの振動として手の触覚に反応してきます。
念の入ったことに画面からの音だけではなく、リモコン内蔵スピーカー
から「打音」が聞こえるということまで工夫されており感心してしまいます。
PS3やXbox360ほどの「視覚上のリアリティ」は犠牲にされておりますが、
その代わりに「触覚」と「聴覚」及び「手(身体)の動きに敏感に反応する
ディスプレイ上の『私』」・・によって、今までに無かったゲームの面白さを
「実感」させてくれます。
 その「実感」が、視覚・聴覚・触覚の「3覚のクオリア」により、「脳」に
フィードバックされていることにより「リアリティ」を醸し出すので、・・
「今までのゲーム機にはない非常に面白い体験」を生み出す・・ということです。

61 :りくーつ・こねりー ◆Cgc5LCr8co :2006/12/19(火) 22:31:05
>>55
> (理論)物理学では、昔から扱っております。
> 「電子を操作する」

自然に介入するという意味では扱ってるかもしれないね
そういうことをいってるわけではないんだけどね

> そもそも「原子核」である「陽子:中性子の対の組み合わせ」は「大きさ」
> を持ちますが、それを周回する「電子」は「大きさ」を持つかえ解らないほど
> 「小さい」のですが、

いや、古典電子半径みたいなのを基準に考えるなら、それでいいとは思うんだけど、
場の量子論の定義だと点電子になって、電子半径が 0 になっちゃうと思う
いずれにしても、こういった電子についてのお話は、
>>48 に書いたとおり、とっても微妙なもんだと俺は思うんだけどな

62 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 22:39:38
>>58
誰かがあなたの脳も含めた身体の完全なコピーを作れば、
そのコピーはあなたが過去に行ったことについて、
あなた自身が持っているのと同様の「私は・・・」したという
形の記憶を持つだろうから、自分が本物だと信じるだろう。
これは逆に言えば、我々は自分が過去の自分と本当に同一人なのか、
それともよく似たコピーなのか知らないと言うことを意味する。
「私」なんてのはその程度のものなんだよ。

63 :「機械的唯物論」者 ◆6xfUzFrrFE :2006/12/19(火) 22:39:58
>>61
>場の量子論の定義だと点電子になって、電子半径が 0 になっちゃうと思う

シュレディンガー方程式では(1とか0.0001とかの)具体的数値を
「大きさ」とすることは出来ませんので・・というか、そもそも「大きさ」
とは「3次元空間座標上で固定した場合の大きさ」ですので、電子ほど小さいと
右を観測した時と左を観測した時の「同時性」を確保できなくなり、「同時に観測できない」
ので大きさ(右端と左端との距離)を観測することが「原理的に不可能」なだけです。
 電子とは「雲上の(最高位さん流の言い方をすれば)存在性」である・・ことになります。

64 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 22:40:11
>>60
どうでも良いがそんなのはwiiの面白さの理由にはならないな。
普通の人の素朴な感想をクオリアとかの言葉に換えて言ってるだけ。
その機械頭はそんなもんか?w

65 :哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/12/19(火) 22:40:54
>>39
それは単なる結果報告にすぎないと言ってるだろ?
もっと原因的な根拠について、厳密な話をしてるんだよ
哲学者は、もっと深い内容について考えてるって事
それじゃ子供が見たまんまの感想を述べているのと同じじゃないかw
知能が低いと、大きくなっても、その次元から抜け出せないんだな
深刻だぞ?キミの知能・・・・

言っておくけど、ここは哲学板だからね

66 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 22:43:07
自分は頭悪いからさっぱり分からんのだけど
最高位たんに質問

意識を規定するものが物質では無いとすると、一体何が意識を生み出しているの?

67 :「機械的唯物論」者 ◆6xfUzFrrFE :2006/12/19(火) 22:45:09
>>58
>『この体』というのは固体だから誤解してるようだが
>結局あり方としては『この水』と同じだ

それは誤解です。
「この体」は(人類である限り)の多く(7割以上)は「液体(水=H2O)」です。
むろん「骨」とか「皮膚コラーゲン」とかの「固体部分」も2割強はありますが・・。


68 :哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/12/19(火) 22:50:56
>>66
さぁね
ホント摩訶不思議っつーかね

意識の大元には『私』が鎮座してるからねぇ・・・

物理現象で説明できりゃいいんだけど
それが100%不可能である事が立証されちゃってるからね
結果報告なら可能だろうけれど
その原因的要素は、解明することじたいが不可能なんじゃないかな?

69 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 22:53:02
>>66
じゃー、物質は何が生み出したの? 物質の原因は何?

70 :哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/12/19(火) 22:53:14
>>67
くだらねぇよ

71 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 22:53:22
>>57
>コンピュータは勘違いなどせんよ

熱雑音とか、エレクトロマイグレーションとか、量子コンピュータとか知らないんだろうな。
話にならない。

72 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 22:54:57
>>68
>意識の大元には『私』が鎮座してるからねぇ・・・

さらに大元には、物理現象が鎮座しているよ。
『私』など、物理現象無くては存在しえない。
『私』以上に、物理的存在の解明は不可能だよ。

73 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 22:56:35
>さらに大元には、物理現象が鎮座しているよ。

突然なんで断言できるの?

74 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 22:57:07
心身問題について論じている哲学者の中で随伴説を取る者はたくさんいる。
それが「私」を持ち出すだけですぐに間違いであることが証明できるとしたら、
そいつらはみんな馬鹿か気違いということになるだろう。
哲学最高位って奴は、本気でそう思ってるのかな?w


75 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 22:57:24
>>58
>そして、同じ物理的要素の物体は、原理的には作成が可能なのだよ

同じ『私』も原理的には作成可能。同じ物理的要素の物体を作るのと同程度の困難さ。

>水Aも水Bも、同じH2Oだろ

構造が同じだとしても、位置と状態が違う。人間も同じ。

76 :りくーつ・こねりー ◆Cgc5LCr8co :2006/12/19(火) 22:57:31
>>63
好きな勝手なことをいうのは自由だとは思うけどさ、

> 観測することが「原理的に不可能」なだけです

から、電子半径を 0 に定義したわけじゃないと俺は思うよ

とりあえず、電子半径を 0 にしとかないと上手くいかないから、
そこに落ち着いてるだけの話だと思うし

77 :「機械的唯物論」者 ◆6xfUzFrrFE :2006/12/19(火) 22:58:05
>>70
最高位さんは、まずご自分の体の7割強を占める「液体(水=H2O)」
を排泄し尽くしてから「所詮は液体(水=H2O)」とかおっしゃるべき
ではないですか?
 その時点でミイラ化した最高位さんの脳が機能するか?は非常に疑問ですが・・

78 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 22:58:21
>>73
人間が何かを断言できるとすれば、物理現象が鎮座していることだろう。
これほど明らかなことは他に無いぐらいに。

79 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 22:58:59
>>68
よく分からんのだけど「私」と「意識」は別物なの?

>>69
宇宙の大元がどこから来たのかは知らんが
今こうしてキーボードを叩いている人間を構成する物質は地球上の恵みから
原因はパパとママから生み出されました

80 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 22:59:18
>>78
だから何で断言できるの?
って理由を聞いてるんだけど。

きみ頭弱いひと?

81 :哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/12/19(火) 22:59:41
>>71
コンピュータ内では
起こるべき物理現象が
起こるべくして起こっているだけであって
主観性による自由意志に基づいて勘違いしているわけではない

勘違いしているように見えているだけであって
それは人間が、そう勘違いしているだけだYOw

当たり前だろ

82 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 23:00:12
>>57
>長年、唯物論者が主張してきた
>「人間の精神は物理現象にすぎない」という心身問題における立場はどーなんの?

アホ。
唯物論の主張は昔から↓のと同じだ。

唯物論を「世界を物理現象で全て記述できる」という思想だと思い込んでいる、最高位は根本的に間違っている。
唯物論は何かを説明できるという思想ではなく、「物質や物理現象以外の存在は、物質や物理現象によって規定され、従属する」という思想。


83 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 23:00:27

>人間が何かを断言できるとすれば、物理現象が鎮座していることだろう。
>これほど明らかなことは他に無いぐらいに。

こんな簡単に断言できちゃうんじゃ、
心身問題で頭を悩ませてる哲学者はみんなバカになっちゃうね。

84 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 23:01:28
>>80
できるよ。断言するというのが人間がし得ることならばね。
断言できるものが何も無いのなら、断言とは何かを知る人はいないだろうね。

85 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 23:02:12
「意識の大元には物理現象が鎮座してる」


なんてどうして断言できちゃうの?

理由はまだ〜?

86 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 23:02:20
>>83
>心身問題で頭を悩ませてる哲学者はみんなバカになっちゃうね。

心と体を別のものだと思い込みたいから、そういう病気になるのかもね。

87 :「機械的唯物論」者 ◆6xfUzFrrFE :2006/12/19(火) 23:03:06
>>76
ゼロにしないと「(無限に)発散してしまう物理式」があるからです。
あくまで「量子のふるまいの計算上の集積結果とマクロ世界の観測結果を整合させるため」
以外に「半径を0とする」理由(むしろ「動機」と言うべき?)はありません。

88 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 23:03:14
>>85
キミはどういう意味で断言という言葉を使っているの?
なぜ断言できないと思うの?

89 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 23:03:38
>>84

だから理由は?

いつまで逃げ回ってるの?

90 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 23:05:25
>>88
>キミはどういう意味で断言という言葉を使っているの?

誰もが納得できる形で論理的に後追い可能なら
「断言できる」といっていいでしょ。

だからそのための「理由」を示せって言ってるんだけどね。

91 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 23:05:28
>>65
>それは単なる結果報告にすぎないと言ってるだろ?

結果の積み重ねが人間の知性だ。
例外があるのなら、それが観測されてから考えればよい。
最高位がその体から出られず、その境遇に従属していることは明らか。
所詮、環境に動かされているマシンに過ぎないよ。キミは。

92 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 23:05:37
>>39
最高位の【私】が最高位の肉体にどのように従属しているの? 「どのように」
を言わずに何かを断定するのは、あなたの思い込み。
それと、あなたの意識(想像、幻想、空想、妄想)はしょっちゅうあなたの肉体
を超越しているよ。気がつかない?

93 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 23:06:23




Q. 君たちは、会社でも地味なの?






94 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 23:06:43
>>65
悔しかったらその体から出てみろよ。
お前の『私』は、その体に従属している奴隷だろ。www

95 :第2唯物論:2006/12/19(火) 23:07:13
 唯物論は「私」を説明できないなどというのはこのすれ特有の妄言だよ

俺のを参考にして少しは私とはなにでできてるか語ったらどうだ

 物理現象でできてるなどとという野暮な階層違いなことは俺はいってないぜ

96 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 23:07:28
おーーーーい。

「意識の大元には物理現象が鎮座してる」
なんてどうして断言できちゃうの?

いつまで待たせるの?

97 :750:2006/12/19(火) 23:07:32
>>87
どうして、物理的に物質は安定しているのですけど、
動機と願望がわかっていませんね。
内部で思考しているのに、まだきづかないのですか?

98 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 23:08:28
>>92
超越していないよ。誰の意識も。
そして、いずれ人間はAIに負けるときが来る。創造性の分野でも、人間の領域の切り崩しは始まっている。

99 :第2唯物論:2006/12/19(火) 23:09:44
  >それと、あなたの意識(想像、幻想、空想、妄想)はしょっちゅうあなたの肉体
を超越しているよ。気がつかない

だから肉体の「何から」超越してるのか?

100 :750:2006/12/19(火) 23:09:52
>>81
意味無いですよ。コンピューターは人間が作ったのですよ。
どうしても思考しなければならないですね。
意味無いですよ

101 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 23:10:10
ていうか物質のことすらまだ未解明の部分が多いのに、
精神のことなんて分かるわけないのにね。
心身問題なんてそう簡単にかたがつくわけないじゃん。

で、なんで

>さらに大元には、物理現象が鎮座しているよ

断言できちゃうんですか〜??

102 :第2唯物論:2006/12/19(火) 23:11:36
 >だから肉体の「何から」超越してるのか

 肉体の神経細胞から超越してるなどといわれても困るんだなあ
それなら物理現象馬鹿どもめというぜ

103 :750:2006/12/19(火) 23:11:51
>>99
超越まともにわかっていますか?
意味無いですよ

104 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 23:12:00
子供の喧嘩じゃないんだから煽りあうのはやめなさい
そして誰か
「私」←これを誰か解説してください。お願いします

105 :哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/12/19(火) 23:12:12
>>75
違うから じゃ『私』の根拠にならんと説明しただろ
ひとつ言ったら、ひとつ忘れるからなキミたちは
ホント知能が低いよな
グルグル繰り返すだけだわ

>>82
じゃぁさ
唯物論の立場として
『人間の精神は物理現象ではない』
って事でいいの???

だったら
いずれにせよ心身問題は解決だね
観念論の勝利って事になるな

106 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 23:12:27
>>56
ぐだぐだ言ってないでツッコめば?w
相手が素人だったらツッコまないのか?
君の疑問はその程度のものなのか?

まだスレは始まったばかり。とりあえずツッコんでおいたら?

107 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 23:12:48
>>101
逆。
精神のことはかなりわかってきているが、物質の存在は全くといっていいほどわかっていない。
物質の振る舞いは観測できるが、どうしてそうなるのか全くわからない状態。
波動と粒子の特性を持つ理由もわからない。
重力や電磁気が逆二乗則に完全に一致している理由もわからない。
まさに、物質は神秘なんだよ。



108 :750:2006/12/19(火) 23:13:14
102
ヘーゲルからやり直せ、マルクスも理解してないな

109 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 23:13:35
>>105
唯物論では、存在するものはすべて物理現象だよ。

110 :第2唯物論:2006/12/19(火) 23:13:57
 >精神のことなんて分かるわけないのにね

自分がわからないからといって世界中の誰もがなんにもわからないなどと妄想するなよ

111 :第2唯物論:2006/12/19(火) 23:16:52
>>104 俺に6回目のリクエストか??考えておくよ

112 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 23:17:29
>>78
人間が何かを断言できるとしたら、(だれかの)意識によって物理現象が
見出されたことだよ。これほど明白なことはあるまい。

113 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 23:17:48
>>110
一人で北朝鮮に亡命して世界中のビンボー人にエネルギー危機を説いて
革命を推進しなさい。

114 :哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/12/19(火) 23:19:46
>>91
ホント、バカだな

>所詮、環境に動かされているマシンに過ぎないよ。キミは。

キミも言ってるだろ
この

>キミは。


『キミ』
が、重要

環境に動かされていようが何をしようが
『私』の存在性は、物理現象ではありえないんだよ

そこに気づかないキミ達は、知能が低いんだよ
いい加減、気づけよ

115 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 23:20:02
「説明できないから〜ではない」という理屈はどうなのだろう?

116 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 23:20:17
>>111
解説してくれるの?そりゃありがたい
最高位の言う「意識の上に鎮座する私」を
バカにも分かるように易しい言葉でお願い

117 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 23:20:43
みんな感情的になりすぎてるよ

118 :りくーつ・こねりー ◆Cgc5LCr8co :2006/12/19(火) 23:21:19
>>87
で、話が元に戻って、電子というのは、

> ゼロにしないと「(無限に)発散してしまう物理式」があるからです。
> 理由(むしろ「動機」と言うべき?)

みたいな微妙な存在だと思うよ、
結局、機械氏本人がそういってるわけだし

119 :第2唯物論:2006/12/19(火) 23:22:32
>>113 おまえまだ唯物論は革命志向に違いないと馬鹿妄想してるのか.50年古いよ

 いってみれば唯物論とは私とはなにか説明するぐらいなもんだよ

実在するエネルギー危機と人間の心理の関係も説明するけどね

120 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 23:23:21
>>114
『(「私」という物理現象が)在る』。
まさしく「存在性」じゃないですかw

121 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 23:23:53
>>92
いわゆるデンパですね?

122 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 23:25:00
>>106
そうです。彼だと、くどくどと議論するのが面倒くさいのです。酔っ払って
アホ話しをしたい気持ちになります。そのていどです。私の疑問は。

123 :哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/12/19(火) 23:26:00
>>115
しかし少なくとも
もちろん
「説明できる」と言っている思想は否定されるね

「説明できないから、説明できると言っている唯物論は間違いである」と言える

説明できない物理現象なんてないよね
説明できないのは、いわゆる超常現象と呼ばれるものでしょうw

124 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 23:26:51
>>112
そうだね。その意識を作っている物理現象に気がついてしまったんだよ。
そして精神を遥かに超える物質の偉大さにも気がついた。

125 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 23:27:54
>>114
『私』の存在性は、PCにおけるソフトの存在性と同じ。
それがわからないなら、最高位はアホ


126 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 23:28:25
>>119
いや、確かに電気代が高すぎて電気を止めにくると言われている
我が家のエネルギー危機は世界一深刻な危機だと思うから、とりあえず
先先月分の3620円くれないか?電気止められるとガスの着火も出来なくなるから
一家6人全員が凍え死んでしまうかもしれないんだよ。たのむよ!

127 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 23:29:33
>>123
>説明できない物理現象なんてないよね

じゃあ、二重スリットの実験で干渉する理由を説明してください。


128 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 23:29:57
>>123

唯物論を「世界を物理現象で全て記述できる」という思想だと思い込んでいる、最高位は根本的に間違っている。
唯物論は何かを説明できるという思想ではなく、「物質や物理現象以外の存在は、物質や物理現象によって規定され、従属する」という思想。


129 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 23:31:57
>>107
あなたは転倒していますね。ふーん、神秘ですか。

130 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 23:32:20




Q. 君たちは、会社でも地味なの?






131 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 23:36:08
>>123
「説明できる」と「その説明を納得できる」は同じだろうか?

132 :「機械的唯物論」者 ◆6xfUzFrrFE :2006/12/19(火) 23:36:24
>>128
そのとおりですね。
「その違いに気づきながら敢えて見ようとしない最高位さん」の「心理」の
問題にすぎない・・・と思います。

133 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 23:36:47
>>129
天才ファインマンですら、物質の根本である量子の世界は理解不可能と意っていますからね。
人間の精神なんかよりも、物理現象のほうが遥かに複雑で手が付けられないのは確か。

134 :哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/12/19(火) 23:39:46
>>109
だから唯物論は間違い

>>125
PCのソフトなんて『状態』だろ
存在性じゃない
バカか?

>>127
今は説明できないってだけで理由はあるんだろうよ
理由もなくそうなってるとでも思ってんの???

『私』の存在性については
理由そのものが、物理現象としては100%ありえないんだよ

>>128
だから・・・何度言わせるんだよ
心身問題における唯物論の立場は捨てるのか?と聞いてるんだよ
それに答えろボケが



なんでこんなにアホばっかりなんだ???

135 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 23:40:26
>>133
その程度の自然に対する謙虚さを機械も持ってたらいいのにね

136 :「機械的唯物論」者 ◆6xfUzFrrFE :2006/12/19(火) 23:40:42
>>131
違いますね。「納得するしない」は個々の「脳の資質」に関わりますが、
「学問における(その時代の)真理」は、「個々の脳の資質」を超越して
「厳然と存在する(各)学問上のコンセンサス」です。
それは・・「多数決」では決まりません(為念)。

137 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 23:41:01
>>134
>だから唯物論は間違い

だからという理由になっていない。日本語からやりなおせ。アホ

138 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 23:41:57
>>134
>PCのソフトなんて『状態』だろ
>存在性じゃない

存在性もあるんだよ。お前よりマシな自我があるソフトもある。
お前はそれより劣るwww

139 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 23:42:44
>>134
>今は説明できないってだけで理由はあるんだろうよ

『私』についても同じだよ。それがわからないのなら最高位はアホ


140 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 23:43:39
>>134
>>120

141 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 23:44:47
>>134
>心身問題における唯物論の立場は捨てるのか?と聞いてるんだよ

精神を物質とは別のものと考えるかどうかによる。キミはどっちなの?
同じものなら、すべて物理現象だ。
別のものというのなら、物理現象に規定され、従属するものだよ。


唯物論を「世界を物理現象で全て記述できる」という思想だと思い込んでいる、最高位は根本的に間違っている。
唯物論は何かを説明できるという思想ではなく、「物質や物理現象以外の存在は、物質や物理現象によって規定され、従属する」という思想。


142 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 23:50:35
>>124
転倒していますね。意識をつくる物理現象って何? だれがそれに
気づいたのですか。名前をあげてみて。どんな物理現象?
「精神を遥かに超える物質の偉大さ」とは、これまたスゴイ表現ですね。
しかし、そのことに気づいたのはあなたでしょう? 超越論的主観+ものすごい
思い込み。最高位があなたのレスを読んで、ほくそ笑むのが目に浮かびます。

143 :「機械的唯物論」者 ◆6xfUzFrrFE :2006/12/19(火) 23:53:15
>>141

@「心理学」を説明できる「大脳生理学」
A「大脳生理学」を説明できる「分子生物学」
B「分子生物学」を説明できる「高分子化学」
C「(高分子)化学」を説明できる「(理論)物理学・・量子論」
・・・が揃うこと、さらに
D「(この)宇宙の全構造」を説明できる「(理論)物理学・・相対性理論」
・・・が整合性を持って「揃うこと」・・それが「超ひも理論の完成型」です。

144 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 23:55:39
>>141
唯物論は思想ですか。それなら、まぁいいです。せいぜい宣伝して
折伏してください。

145 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 23:55:51
>>107
そんなこといったらじゃあ、
その「分からないことだらけの物質」から
なんで意識が生じてくるのかってことも分からなくなっちゃうじゃん。
墓穴ほってるよ。

それともうひとつ。
自然法則はいくつも法則が見出されてるよね。
運動量保存の法則、質量保存の法則、エネルギー保存の法則、
作用反作用の法則、万有引力の法則、慣性の法則、……
一方精神の法則については?
仮に精神の根底に物質があるなら、精神活動にも普遍的合法則性が見出せるはず。
自然法則に見出されるような普遍的法則が精神活動にも見出されてるの?

精神はかなり分かってきてる?
はあ?
何の根拠もなく言いたい放題だね、このスレ。

ていうかこの板の8回連続規制ってなに?
激しくウザイな。

146 :哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/12/19(火) 23:57:30
>>141
>唯物論は何かを説明できるという思想ではなく、「物質や物理現象以外の存在は、
>物質や物理現象によって規定され、従属する」という思想。

何を逃げてるんだよw
そんな事を主張したって意味ないだろ

私が黙ってたら、唯物論者は
>唯物論を「世界を物理現象で全て記述できる」という思想
だと主張するんだよw

立場が弱くなった時だけ、コロコロ変えるなよ

人間の精神は物理現象にすぎない と言った後に
だから人間は、その辺に転がっている石ころと同じであって何ら変わる事はない
という主張に結び付けるんだよ

キミは、そういう主張はしていない と言うんだろうけど
そういう主張をする唯物論者に、キミは反論するか?
しないだろw

逃げてばかりいないでさ
もっと本質と、歴史を把握してしゃべれよ

147 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 00:01:45
>>145
ペンフィールドの地図とかは?

148 :「機械的唯物論」者 ◆6xfUzFrrFE :2006/12/20(水) 00:04:16
>>146

@「心理学」を説明できる「大脳生理学」
A「大脳生理学」を説明できる「分子生物学」
B「分子生物学」を説明できる「高分子化学」
C「(高分子)化学」を説明できる「(理論)物理学・・量子論」
・・・が揃うこと、さらに
D「(この)宇宙の全構造」を説明できる「(理論)物理学・・相対性理論」
・・・が整合性を持って「揃うこと」・・それが「超ひも理論の完成型」なのです。

「(現時点において)説明出来ているか否か?」・・は専ら「説明される側の脳の資質」
に関わることが多い・・ということです。
 「説明可能な状態にある各(自然)科学分野の最先端」に関して全く知識がないならば、
 「縄文人と同じ素朴シャーマニズム信仰」に戻る他に道はありません。


149 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 00:08:05
>>145
向精神薬は?

150 :哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/12/20(水) 00:09:15
>>137
>唯物論では、存在するものはすべて物理現象だよ。

だから
唯物論では、存在するものはすべて物理現象なんだろ?
だから間違いじゃんかw

『私』が物理現象であるのならば
この体の、いかなる物理的要素によって『私』であるのか説明できるだろ

今まで説明してきた理屈により
唯物論は間違いである事が証明される という事だバカ

いちいち丁寧に説明されなきゃアカンのかよ

151 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 00:09:51
>>146
例えば覚醒剤打たれても同じ主張を続けられる自身ある?

152 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 00:12:36
>>147
「ペンフィールドの地図」ってググってみたけど、
要するに「脳の機能が部分ごとに分業してる」ってことだけでしょ。
それが精神活動の法則とどうつながりがあるの?

153 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 00:13:35
物質の投与で意識を変化させられるならば、
意識は物理現象かそれに伴う何かと考えてもいいのでは?

154 :哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/12/20(水) 00:24:03
>>151
>>153
また逆戻りかよ
そんなのはわかってるんだよ
次元の低い所で、いつまでもウロウロするなっつーの
なんで存在性について理解できんのだ???

まぁ、理解できない人は理解できないんだから仕方ないわな
でも、確実に理解できる人の比率は増えていくだろうから
そのうち唯物論なんて恥ずかしくてクチに出来ない時代が来るね
なんせ私が、論理的に破壊したからね

155 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 00:27:00
>>154
>なんで存在性について理解できんのだ???

なんで理解できるの?説明してよ

156 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 00:29:17
>>154
少し訂正。なんせ私が論理的に破壊「された」の間違いだよ

157 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 00:40:00
>>154
>>120

158 :哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/12/20(水) 00:47:07
>>157


『私』という存在性は、物理現象によって、物理世界に顕現している
だよ?

159 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 00:56:08
>>158
あ〜あw
やっかいな文章書き込んじゃったねwww

御愁傷様です (-人-)

160 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 00:57:01
あくまで『私』という存在性は物理現象によって、物理世界に顕現している
から、「物理現象によって物理世界に顕現している(のではない)『私』」
は、『私』ではない。ということか。

161 :哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/12/20(水) 01:03:48
どちらかというと
ようだ が抜けたなw

162 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 01:21:59
物質の説明をしないで何を言っても空虚じゃね?

163 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 08:48:33
>>162
同意。
唯物論者の諸君に、まず【物質】の説明をして欲しいね。君たちの好きな
“定義”でもいいよ。
【意識】を捨象するのは君らのお家芸でもあり、その“思想”的立場上
しかたあるまいが、【物質】を括弧に入れておいて、あれこれ能書きを
述べるのはまずいだろう?


164 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 09:25:01
>>163
それ以前に、唯物論を否定する人こそ説明しないとダメだろ。

どんな論でも、人でも、否定する以上、対象物を理解している必要がある。
支持するだけだったら、完全に理解していなくてもいいが。
否定するということは、それだけ困難なことなんだよ。

165 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 09:26:39
>>164
それは思うね

166 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 09:27:12
>>163
物質=存在するもの。例えば、石、植物、人間、海、星といったもの。

167 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 09:27:57
「ひとは誰でも、自分の思い(自分が〜と思ったこと)は疑い得ないが
自分以外の思い(他人が何を思ったか)は確かめ得ない」

もし唯物論が正しければ、他人の思いは物の存在と同程度確かめうる。
では唯物論が正しければ、自分の思いも物の存在と同程度の確かさなのか?

目の前の物質や物理現象が仮に幻覚や錯覚であったなら、それによって規定されている
他人の思いも同様に幻覚であるだろう(そんなこと他人は思っていなかった)。

しかし私が物質や物理現象をどんなに錯覚していたとしても、
「私は実はそんなこと思っていなかった」などとは言えない。

なので唯物論が正しくても(私の思いをいくら物質や物理現象で規定しても)、
「ひとはみな自分の思いだけは疑い得ないが自分以外の思いは物の存在と同程度疑いうる」
と言うことができる。

私も言うことができる。誰でも言うことができる。

しかし私の思いは物理現象に従属するのに、
その物理現象以上に疑い得ないとは奇妙ではないか?

いや、例え私の思いを生成している物理現象が幻覚だとしても、
唯物論を信じる限りその思いを真に生成している別の物理現象があらねばならない。
そして真に思いを生成している物理現象はもう疑い得ない。

168 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 09:29:01
>>158
>『私』という存在性は、物理現象によって、物理世界に顕現している

これってまさに唯物論の立場。
物がないところに私は存在せず、
『私』がなくても物は存在しうる。
つまり、『私』は物に従属しているが、物は『私』に従属していない。



169 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 09:34:48
>つまり、『私』は物に従属しているが、物は『私』に従属していない。

これを疑うようになったら狂気だな

170 :750:2006/12/20(水) 09:38:05
存在の根底の問題ですね。
機械さんはなしましょう

171 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 10:29:22
>>58
>同じ物理的要素の物体は、原理的には作成が可能なのだよ
>水Aも水Bも、同じH2Oだろ
>何が違う要素なのか答えてみ

おお、まさに私も同じことを言っているのですがw
水Aも水Bも同じ物理的要素なのに、「違う水」なのです。ですから、
水Aを沸騰させても、水Bは沸騰いたしません(「水は100℃で沸騰する」と
力説されていたでしょうにw)。素粒子Aと素粒子Bでも、人体Aと人体Bでも、
原理は全く同じことです。このようにして、「個物は物理的要素によって
個物であるわけではない」という結論が導かれます。
「唯名論wであるかどうか」は、この結論とは全く関係がありません。
唯名論wである「この水」も「この素粒子」も「この体」も、物理的要素によって
「それ」であるわけではないのです。なぜおわかりにならないのか、真に不思議w

>ペットボトルAの『この水』とペットボトルBの『あの水』を
>同時に鍋に入れちゃったら『この水』は、どの水か、わからなくなっちゃうだろ
>『この体』も同じだよ

これまたその通りですねw そして、『この私』でも全く同じことなのです。
『この私』が分裂したり「他の私」と混ざり合ったりしないのは、唯物論的に考えれば、
『この体』(特に脳)が統一的な機能を持つ固体であって、水のようには分裂したり
「他の体」と混ざり合ったりしない、という経験的事実の帰結に過ぎません。ですから、
『この体』がアメーバのように分裂して2つになれば、『この私』も2つに分裂
すると考えられますし、あるいは右脳と左脳を別々の体に移植すれば、『この私』
は2つに分裂し、移植先でそれぞれの「他の私」と混ざり合う、と考えて
何の不思議もありません。マンガのように2人の人間がぶつかった拍子に
混ざり合って1人の人間になってしまう、ということも、論理的には十分可能です。

172 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 10:32:11
(続き)
あなたは「私は現在この瞬間だけ存在すればいいので、過去の私との同一性など
問題ではない」と言いながら、「純粋な存在性」の話になると、とたんに変化や
分裂や混ざり合いがあるかどうか、と「通時的同一性」を問題にし始めるのは、
はなはだ不可解です。
念を押しておきますが、『私』の通時的同一性は非常にあいまいなものであって、
確実でも何でもありません。最終的には唯名論wである『この体』の通時的同一性に
帰着するしかないようなものです。
「哲学的ゾンビ」の話がありますが、実は他ならぬ『この私』が哲学的ゾンビであった
可能性もあるのです。『この私の過去』というのは、現在の私の記憶に過ぎないもので
あって、それ自体を直接認識する方法は、原理的にありません。その点では「物自体」や
「他人の心」と同じように「超越」なのです。ですから、現実に私の体が生まれてから
何十年もの間はずっと哲学的ゾンビであって、今この瞬間に記憶とともに心が発生した、
という可能性も、否定できません。そうでない、ということを証明することは、原理的に
不可能なのです。というか、あなたのように「私とこの体との結び付きにはどんな
因果関係もない」と考えるなら、むしろそうであっても何の不思議も無い、と
言うべきでしょう。

173 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 10:34:34
(続き)
もちろん、心だけでなく、体も今この瞬間に発生した、という可能性もあります。
あなたのお好きなw「コピー人間」の話で、他ならぬ『私』がコピー人間だった、
というケースなどがそれに当ります。この場合は、他の私から見れば、『私』がずっと
継続的に存在していたのか今この瞬間に発生したのか、は客観的に判断できます。
つまり『私』であるかどうかは、唯名論wであるはずの「この体」であるかどうかに
かかっているわけです。
(ちなみに、『私』だけでなく、他の私も含めたこの世界全体にまでこの話を広げると、
有名な「世界三分前創造仮説」のようなことになります。この場合は、もう神様以外には
世界の通時的同一性についての判断はできません。)

>キミらは『この体』と『私』が同じだと言うが
>その存在様式が丸っきり違うんだよ
>根本的に間違えているんだよ

おお、「同じだ」と言ったのは、あなたですぞw
前スレで、私がわざわざ「私はこの体である」では唯物論だから、「私は現在は
この体と結合している」と言うべきではないですか、と聞き直したのに、
「私はこの体である」と改めて断言されたではありませんかw
『この体』と『私』の存在様式が丸っきり違うのなら、どうして「私はこの体である」
などと言えるのか、真に不思議ですw

174 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 10:55:25
物質や物理現象に基準を置かず、観念的な『私』を基準にした場合、
最高位の考えとは裏腹に、「物質や物理現象、それらの法則性」が超越した存在になるね。

175 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 11:03:22
最高位君。
君には心身問題の意味も「哲学的ゾンビ」の意味もまるで分かってないようだ。
君にこそ哲学的ゾンビの疑いがかかっているのだよ。
その疑いを晴らす方法を提出してみたまえ。これが課題だ。

もっとも、
>>17
>他人には証明できん
>これはもうね
>あきらめるしかないのよ

答えはもう出てるようだねw
君は存在性を主張する哲学的ゾンビだ。
君の主張だけで君に存在性が在ることが認められるならば、
存在性のある人工知能プログラムを組むことは可能になるな。

まあ、心身問題の意味も分からないような知能だしね。

176 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 11:08:43
最高位君。
たとえ君が今、死んだとしても、世界はなくならないし私もなくならないよ。
この意味が分かるかい。

177 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 11:16:33
>>12
>私は他人に自我があるなんて決め付けてないよ?
>あるように見えるし、たとえ、もし無いとしても
>人形と話してるだけなんだから、私が間違えていても責任はないしね
>「あるんじゃないかな」と仮定して「一応、あるとして話を進めよう」というだけの事だよ
>キミらにも自我があるんじゃないの?と聞いているだけです
>私にはあるからね
>それについては結論でてるんだよ
>だから実際のところ、キミらに有ろうが無かろうが、あんまり関係ないのよ

21世紀の最新の哲学というのはどうやら独我論のようだね。
それに君は、人形と話せる可能性も認めているようだw

178 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 12:09:28
ビッグバンが起きた瞬間からかそれ以前からすでに
未来は決まっているんだろう。

>>169
細胞は入れ替わるし骨も何年かでいれかわる。脳も将来技術的に
入れ替えが可能になるだろうから、 物は入れ替え可能なことから
従属してないと証明できる

179 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 12:13:48
こうやってレスを書くという事実もだいぶ前から決まっていたこと。


たとえ人が死んでも世界は存続しつづける。存続し続けるから科学技術は
発達するわけで、未来がわかっているように逆に過去もわかるような技術が
できあがるかもしれない。 それができれば、死んだ体の粒子を前のままかきあつめて
戻せは 死んだ人が生き返る可能性もある。


人類やそれ以外の生物が2006年やそれ以前などに死んだ人間をいき返せるのかどうかの
未来は、すでに決まっていること

180 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 12:31:43
>>178
君の心も入れ替わってるんだよ。
だから成長するし進歩もする。
それとも君の心は学習もしないし成長もしないのかな?
そういう人も世の中にはいるのかもねw

181 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 12:41:18
>>178
入れ替え可能でも、入れ替える必要があるので、
物というレベルの階層に従属していることには変わらない。

182 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 12:42:57
>>179
いのちの書に記された人は、生き返る。

183 :前々スレ538:2006/12/20(水) 15:18:35
>>54
ずいぶん単純にものを考えるねえ。
主観性の定義の否定をとったらそれがそのまま客観性の定義になるわけ?
んなわけないでしょう。

まあおれの与えた定義もよくなかったけど。
定義しなおすと、
「クオリアの集まりとして世界を観取するというありさま」
が主観性かな。
で、クオリアは前に述べたように、
「他者と共有できない、 もしくは共有していることを確認し得ない」
という特質を持つ。

184 :49:2006/12/20(水) 16:53:59
>>52
おお、これはわかりやすいね。
わかりやすいというのも失礼な話かもしれんが、これを読んでたいぶ理解できたような気がするよ。
俺が言ってる事のほうがおかしかったね・・・、ちょっと遅いけど。

>>183
> 定義しなおすと、
> 「クオリアの集まりとして世界を観取するというありさま」
> が主観性かな。
それ、わかりにくいな。
主観性の定義は>>52が良いな。
クオリアは主観的であるという性質を持ち、主観的であるとは
「自分に現に与えられているもののなかで、他者と共有できない、
もしくは共有していることを確認し得ない」 ことをいう、
という説明の方が俺はしっくりくるんだがどうだろう?

185 :前々スレ538:2006/12/20(水) 17:07:38
>>184
「主観的」の説明だったらそれでいいと思うけど、
おれが「主観性」と言うとき、それは認知主体が世界に向かって
どう相対しているかという態度のことを言ってるんだよね。
だから>>183のような言いかたにならざるを得ない。

186 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 17:11:45
決定論と運命論がごちゃごちゃだな。

187 :49:2006/12/20(水) 17:29:40
>>185
なるほどね。
俺の場合は、心にはある特徴的な在り方をしてる部分があって、
その部分・ありかたを指して「主観性」って呼んでるんで
結局その説明は「主観的とはどういうことか」ってことになっちゃうんだろうな。
俺は自分の理解が一般的だと勝手に思いこんでたんだけどね。

188 :前々スレ538:2006/12/20(水) 17:47:11
>>187
いや、おれの使い方が一般的だとは限らないよ。
実際、「主観的であるという性質」を指して
「主観性」という語が使われるケースは多いと思う。

189 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 17:56:05
>>184
>クオリアは主観的であるという性質を持ち、主観的であるとは
>「自分に現に与えられているもののなかで、他者と共有できない、
>もしくは共有していることを確認し得ない」 ことをいう
確かにそうだが、他者と共有できるもの=論理、理論(数学etc)もあるのが
本当なんだよね〜 クオリアより論理って何?
両方とも"物"に従属しているのは確かに。
(でもどっちが先かなんてのわからんよね)

>>169 不可知論でいうと厳密には物自体は「私」に従属しないけど"物"は従属
するんだよね〜 物自体によって「私」が発生して、しかし、その「私」は物自体
を知る事はできないという。あくまで”物”を知っているという。 
こうすると唯物論の"物"が何か所詮わからないから唯物論自体が唯"物理現象"論という
観念論だなどと言っておられず、畢竟オカルトlike観念論になってしまうね〜
「私」は"物自体"に従属するにしてくれ〜



190 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 18:05:05
人物

191 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 18:24:12
>他者と共有できるもの=論理、理論(数学etc)もあるのが
本当なんだよね〜 

論理や理論を他者と共有していると、どうしてわかるんだ?

192 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 18:31:23
>>191 そ〜言うと思った、でもそれ言うとポモ的だよんw過激な相対主義
じゃない?科学も何もないって? でも言語で私達はそれを共有してる
クオリア、表象は違うけど。 つーのが本当のトコロでは そーしないと話成立しない


193 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 18:59:07
共有出来ないものの本質は時と場所だよ。
クオリアなんてのは枝葉に過ぎない。

それがわかれば唯物論と主観は矛盾しない。

194 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 19:07:47
唯"物"論nearly=唯"物自体"論 唯物論信者も観念論信者も 同じ穴のむじな?

195 :第2唯物論:2006/12/20(水) 20:17:52
>>163  >【意識】を捨象するのは君らのお家芸でもあり

まだ馬鹿単純の思い込み太郎がいる、この世にはタダモノだけがあるというの唯物論だと思ってるのかという昔の明治のころの話

196 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 20:46:34








よく伸びるね 無職スレ



197 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 21:09:19
>>195
第二唯物論のことではないよ。第二は“物資”を土台に据えており、
人間(の意識)を捨象していないのは了解している。私が指摘したのは
このスレに多い機械的唯物論のこと。

198 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 21:14:06
どうでもいいけど、第2は消えてくれないかな


199 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 21:26:01
>>164
観念論・原理主義者ではないけれども、非唯物論者は“物質”を定義する
必要はない。物体であれ、物理現象であれ、その一切が(私の)主観であると
いう立場。
次は君の番だ。物質とは何?


200 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 21:34:12
>>199
定義する必要無いのなら、唯物論と戦う必要も無い
黙ってろ

201 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 21:47:16
>>168
「『私』がなくても物(世界?)は存在しうる」のですか?
すごい断定だね。そのスゴサにご本人は気づいていないんじやないか。
もっとも、そのへんのオバさん、オジさんもみなそう言うと思う。だれでも
超越はできるからね。
もう一つ『私』が物に従属しているというのは、どなたの観測結果ですか。


202 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 21:50:55
>>1
量子論の「不確定性」は意識には何の関係もない「単なる観測問題」です。
の根拠は?

203 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 22:00:40
>>200
よく読め。直接的ではないが、一切が“主観”であると説明している
だろう。
こういう場で「黙ってろ」とほざくな。他人のレスが気に喰わなければ
無視しろ。
唯物論と戦っているわけではなく、君のように自分の思い込みを絶対だ
確信する三流の“原理主義者(とでも呼ぶしかない)”輩をおちょくって
いるだけ。

204 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 22:00:52
>>201
おまえが死んでも世界は何事も無かったかのように
存在し続けるから心配しなくていいよ
それでも私は存在してるんだ!と叫ぶことは可能だがねw


205 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 22:06:54
「観測」するのは意識-主体ですね。

206 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 22:07:54
>>203
つまんねえレス
非唯物論者全員が一切は主観だなんて考えてるわけねえだろw
馬鹿なんじゃねーのおまえw



207 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 22:09:48
観念=物理現象で一件落着

208 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 22:13:34
>>204
色々と変なレスを読んだけれども、稀にみる薄っぺらさだな。
君はそれを言いたいために、ここに来たのか。
悪いことは言わないから、その健全な考えを後生大事に、まず仕事しろ。


209 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 22:15:13
普通、「個別に現れている世界」と普遍的・客観的な世界が同じであると
いう素朴な信憑がある。
それが崩れるのは「宝くじに当たる」「不運」「差別」などのきっかけによる。



210 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 22:17:57
>>208
言い返せないだろ
いくら「私」を大事に抱えても、ある個体が死んだら「私」も消える
という事実は変わらない
別におまえから仕事しろと言われる筋合いは無い
おまえ大した仕事してないだろw
だからそういう下らねえレスつけられるんだよ

211 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 22:21:46
「個別世界」は個人の死で消滅する。


212 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 22:21:48
>>199 唯物論者も非唯物論者も 物質とは主観あるはずでは?
客観つたって、誰かの主観ではあるわけでしょう。唯物論者は
すべてが”その主観の物質”で記述される事
に重点をおいて、解明されたとこを羅列して
「理系の勝利!」と悦にいってるわけよ。
でも主観の物質で在る以上、もやもや残るわけよ。
非唯物論者は”物質は主観”を強調して、それで記述できないもの
があると言っている。。。なんか五十歩百歩だな醜い争い

213 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 22:21:52
>>206
「全員」などと言った時点で、君のバカさが浮き彫り。
私は私の立場を述べただけだ。非唯物論者「全員」のことなんか
知らんよ。君は知っているみたいだな。超能力者か?

214 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 22:26:47
そうだよ

215 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 22:30:43
>>213
くだらねえレス
おまえの立場なんておれも知らねえよw
自分の書いた文章もう一回読み直してみろ
「非唯物論者は・・・・」って出だしから始まってるだろ
これはおまえだけを対象にしてるようには読めない
普通は非唯物論者全員を対象にしてると読むだろ


216 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 22:31:24
「唯物論-観念論」の対立以前に「実在論-バークリー的な主観的観念論」が
あるのですよ。

217 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 22:31:38
>>209
そのとおりですね。それがいわゆる超越論的な主観でしょう。
そこが始点でしょう。しかし、このスレの連中は初めから
普遍的・客観的世界の存在を前提に語りますからね。安っぽい
(本人が観測したわけでもない)科学的知識を振りかざして。

218 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 22:36:23
普遍的・客観的世界の存在を前提にしない偉い人たちが、
「スレの連中」の存在を前提にしているのが笑えるな。w

219 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 22:39:25
機械コテのニートぶりはすごいな。
未来はホームレス確定だな。

暇人すぎ。やばいよ、
ニート

220 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 22:40:23
>>209>それが崩れるのは「宝くじに当たる」
>「不運」「差別」などのきっかけによる。
えっ?どうしてそうなるの?誰かわかりやすく教えて!

221 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 22:42:21
>>217
中世ヨーロッパに生まれた人はキリスト教的世界観を習得するわけですね。
とすると、素朴な「個別世界」もキリスト教的色彩であり、
死後の世界も信じられるわけです。


222 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 22:42:42
>>215
アホか。自分の立場や考え方以外の何を語るんだ。権威筋の高遠な
説を羅列するスレか。
君には文章が読めないようだ。私は一切は主観だと言っているだろう。
私が何を対象にしようが何を語ろうが、それは私の主観にすぎないと
やや自虐的に述べているだろう。

223 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 22:46:36
敵はお主の作りだした観念じゃ

224 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 22:46:39
>>222
それはおまいの主観に過ぎない。w

225 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 22:55:21
ヘーゲルの客観的観念論、絶対主観を超えるのは容易ではないですね。

226 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 22:57:48
お主は世界の主なのじゃ
全てはお主の生み出した観念なのじゃ
世界はお主の思い通りじゃ
努々忘れることなかれ

227 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 22:57:56
だからこそ
推察という手法が威力を発揮するんじゃないのかな・・・

228 :750:2006/12/20(水) 23:01:23
>>225
ヘーゲルは客観的観念論ではないですよ。
否定二元論の弁証法ですよ


229 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 23:06:32
>>228
客観的観念論としてはスピノザ、ヘーゲルなどが代表とされますが・・

230 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 23:09:12
自分の主観しか確かなものはない、ということですか?

車の運転をしてる時、
ブレーキの効きを常に疑いながら、
ハンドルを切る方向とタイヤの向く方向を常に疑いながら
運転するということですか?

231 :モスクワは涙を信じない:2006/12/20(水) 23:26:28
体育館から、「象が暴れている!」と叫びながら男が飛び出してくるのを目撃しました。
目撃者は、男の叫びを信用するだろうか? なんてね。


232 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 23:34:11
>>231
そうか・・・

よく事故である、「ブレーキとアクセルを踏み間違えた」
なんて事例は、実は、
「今度踏んだ時は、ブレーキを踏んだらブレーキが効かず、
アクセルの方を踏んだらブレーキが掛かるかもしれない!」
と主観的判断がなされたのかもしれないねw

233 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 23:37:56
客観的判断は、多数決やプロに委託されるが、どちらも間違い得る。

234 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 23:49:01
現代人も中世と同じように
素朴な世界観を疑うことなく
その道の権威にしたがって
生きているんだよ。
キリスト教的世界像が
自然科学的世界像に変わっただけでね。

235 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 23:50:58
インターネットも観念なのじゃ

236 :750:2006/12/20(水) 23:52:52
>>229
客観的観念論ではないですよ。
ヘーゲルスピノザの背理わかっていますか?

237 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 23:54:42
権威主義的-素朴-土着的世界観が世の常。

238 :「機械的唯物論」者 ◆6xfUzFrrFE :2006/12/20(水) 23:56:20
>>230
>車の運転をしてる時、ブレーキの効きを常に疑いながら、
>ハンドルを切る方向とタイヤの向く方向を常に疑いながら運転するということですか?

その「疑う」という脳の働きは、少なくとも「引っかけクイズの出題趣旨を疑う」という脳の働き
とは、全く「関係がない」と言えます。
 車の運転では、視覚聴覚触覚から絶え間なく入力される「各種感覚的クオリア(の元)」を、
脳はリアルタイムで処理しつつ手や足や眼球の筋肉に発動命令を掛け続けます。
まさに「リアルタイムフィードバック」」ですので、実は「疑う」時間などありません。
・・・それは「脳の反射」と言ってもいいほど素早い「外界への反応」ですので、
ある意味「非常に動物的」です。従って、よほどの危険を感じない限り、「横断歩道を渡り始めて
止めた人影」を見てブレーキに足を乗せた行為があったとしても、10分後にそれを「思い出せ」と
言われて思い出すことの出来る「人間(人類の脳)」はまれです。


239 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 23:58:23
これからはインテリジェントデザインの時代だよ。よく勉強してね。

240 :230:2006/12/20(水) 23:58:25
>>238
そういうことを聞いてるんじゃないよwww

241 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 00:00:26
>>199
物質が何か知らないなら、否定することも出来ない。

242 :「機械的唯物論」者 ◆6xfUzFrrFE :2006/12/21(木) 00:01:35
>>240
一口に「主観」と言っても、実は「個々人により千差万別な対象」を指している
・・ということを述べたまでです。

243 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 00:01:39
機械タンはスレ主だけどとんちんかんなレスで知られている
まともにコミュニケーションできる人はごくまれwww

244 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 00:04:53
>>230
ブレーキの効きも主観であるということだと思われます。

245 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 00:07:06
>>238
記憶力がないのかな?

246 :「機械的唯物論」者 ◆6xfUzFrrFE :2006/12/21(木) 00:12:31
242の続きです。
「疑う」とか「選択する」とかも同じです。
人間の「行為」とは、極論をすれば「心臓の鼓動を1回打ちなさい」という
「命令」を脳(幹)から出すこと(完全に無意識的)、「肺を1回膨張させ空気を取り入れる」
・・という「意識すれば(一時的に)止めることも出来る」行為(半意識的)を含め、
「明日の生活のために今日は我慢して労働する」・・という「意識的行為」まで、
千差万別であり、「真理を知りたいから勉強する」というのは、実は人間の行為の中でも
かなり高度(動物的必要性から超越的である)な行為である・・・ということです。

247 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 00:14:26
主観(個々人の)はそれぞれ固有の座標軸を持っている。そうでなければ
右も左も無いわけだし。

248 :「機械的唯物論」者 ◆6xfUzFrrFE :2006/12/21(木) 00:17:20
>>245
「記憶する必要がない(薄い)情報」は自動的に削除する「フィルタリング機能」
を、人類の脳は誕生時から(あたかも「ハードディスクプリインストールソフト」のように)
備えているのです。

249 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 00:18:32
>極論すれば
って、下手な詐欺師の口上みたいだよ。

250 :「機械的唯物論」者 ◆6xfUzFrrFE :2006/12/21(木) 00:22:40
>>249
インドのヨーガ行者には「心拍を一時止める」ことの出来る方も居ます。
・・・別に一般人には「必要性がない」ので、修行する必要はありませんが・・

251 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 00:23:15
>>247
客観的に位置付けるとそうなると思います。

252 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 00:26:20
>>248
そんなことはゴキブリだって同じだよ。


253 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 00:28:02
俺の脳は不必要な情報でいっぱいです。

254 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 00:28:47
>>253
エロは卒業しろよw

255 :「機械的唯物論」者 ◆6xfUzFrrFE :2006/12/21(木) 00:30:12
>>252
「あなたの脳の機能」がゴキブリのそれと同じでも、違う方もおられるのです。
「人類いろ〜いろ〜♪」なのです。

256 :素人:2006/12/21(木) 00:31:42
こういう機械タソが好きだwww  >>255

257 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 00:33:12
トンボだってカエルだってミツバチだって

258 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 00:34:46
>>255
抽象的思考が欠如してるね。

259 :「機械的唯物論」者 ◆6xfUzFrrFE :2006/12/21(木) 00:38:02
>>258
脳内睡眠物質の蓄積によりむしろ「具体的思考」の方が欠如してまいりましたので、
本日は就寝させて戴きます。

260 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 00:41:13
機械が機械(スタイル)を脱ぎ捨て羽ばたくことを期待しているぞ。
ま、最高位なんぞは最高位という自称を捨てるとただの耄碌爺らしいしけど。

261 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 00:41:56
科学は抽象的思考の賜物だよ

262 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 00:48:23
科学の成果をコピペするだけでは抽象的思考とは言えないな。

263 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 00:54:40
今日は休みだ〜 いやーもう年末じゃぁ〜 早いねぇ〜 ついこないだ
オリンピックだと思ったら  もう 北京も近ずいてきたな

264 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 01:02:18
たしかに、北京も近ずいてきたな。N天童ウィスポーツで訓練しとこうよぃっしゅζ

265 :哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/12/21(木) 02:04:14
>>168
>物がないところに私は存在せず、
>『私』がなくても物は存在しうる。
>つまり、『私』は物に従属しているが、物は『私』に従属していない。

なぜそんな事が言えるのかな?
小学生かな?キミ

>>169
論理的には不確かな事なんだよ
キミらは深く考えず、テキトーに信じているだけ
哲学する姿勢ではない

>>171
その『違う水』の分子1個を
私の体にある水の分子1個と入れ替えたって
私は何の問題もなく、私のままだが?
違う物体なんだろ?
違う物体になるんだろ?
じゃぁ、なんで私のままなんだい?

私は、同じ要素の違う物体は代替が利く と言ってるんだよ
しかし、根本から全く同じ要素の物体を作成しても、私にはならないだろ
ここで言える事は
物理的『要素』で、私は私であったのではない という事だ
これが結論

そんなに難しいか???
まぁ頑固になっているんだろうが
わざと間違えなくていいから
ちゃんと論理的に考えて、正しく哲学しなさいよ
それとも、職業的左翼の人?

266 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 02:19:19
もうこの天才には何言っても無駄だな
天才は他のスレ行ってくれよ
ここは凡人が正しくない哲学を好き好んでしてる場所だからさ

267 :哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/12/21(木) 02:27:44
>>176
>最高位君。
>たとえ君が今、死んだとしても、世界はなくならないし私もなくならないよ。
>この意味が分かるかい。

でも、キミが死んだ場合については
キミ自身で、それは言えないはずだ
キミが死んだら、この世は消えてなくなるかも知れないぞ?w
この意味がわかるかねw

>>177
独我論ではない

論理的な部分で
独我論は否定できない部分を応用しているだけだ

キミらは、その基本的な事すら理解できていないんだよ
ハッキリ言って
哲学的話題についてこれない小中学生との会話になっちゃってるワケ

268 :哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/12/21(木) 03:40:33
『物質とは何か』
これを定義するのは、唯物論者、観念論者、共に現在においては未だ不可能であろう
しかし唯物論者は、最初に『モノ』ありき なのだから
それを主張するのならば、その『モノ』とは何の事なのか、明確にすべきなのは言うまでもない
でなければ、主張そのものが曖昧になる
一方、唯物論を否定する立場の場合
矛盾点を指摘すれば事足りるのであって
どちらかといえば、必ずしも『物質』を定義する必要はないであろう

しかし、ここで忘れられがちなのは
いずれにせよ『定義』するのは、人間の『観念』なのだという事

哲学をする際
必ず、観念論は唯物論より
ひとつ大きな輪を持っている という法則から逃れる事はできない
いかなる結論が導かれたとしても
その結論は
『観測者』すなわち主観性であるところの『私』
の観念である という事

いかなる客観的結論を導こうとも
それは、どこまで行っても
主観性である『私』の考えなのであり
観念論を凌駕する事は不可能なのだ

唯物論者は
不用意に『私は』とか『キミは』と平気で言うが
なぜ、その主観性であるのか
そういう主観性の本質にせまったり、もちろん解明などなされていないにもかかわらず
不用意に『前提』として論じてしまう
その論理的飛躍に、気づきもしないのだから、最初から議論が始まっていないのだ
問題意識を共有できる知能が、未だ未開発なのである

269 :哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/12/21(木) 04:10:19
唯物論者 というのは
無条件に、素朴実在論を前提としたものであり
自分に入ってくる情報
すなわち『感じ』を、そのまんまに無条件に『信じる』
無意識にではあるが
自分の感覚器に絶対的な信頼を置き
すなわち、自分の『観念』を信じているのだ

観念論者は、この『観念』にすら問題意識を以ってあたっている
物体を認識しているこの『観念』とは何か

唯物論者にとって『観念』は『前提』
であるがゆえに、そこで終わる
観念論者にとっては『前提』ではないがゆえに
「いかなる物理現象によって生じているのか」というような問題意識を持つ事も可能

しかし物理現象によって生ずるような「存在性」ではない という結論に至る
いかなる物理的要素によっても『私』を生じせしめる事は不可能だからだ
そのシステムは、少なくとも物質的要素によっては解決できない
これが結論
唯物論は間違いである

270 :750:2006/12/21(木) 05:12:15
素朴実在論がなぜいけないのか解りますか?
あなたの立場もそうですよ。
物体を認識しているのは観念ではなく、知覚された内容ですね
唯物論や批判的観念論はどうしますか?
素朴実在論を批判してることで成り立っていませんか?
おかしいですよ。
私とは何かと貴方に言えば、単なる観念なのですよ。
無意味だと思いますが


271 :哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/12/21(木) 05:18:19
>>270
>物体を認識しているのは観念ではなく、知覚された内容ですね


全体的に、何を言っているのかわかりません
知覚された内容=観念
ですよ?
観念以外の何だと言うのですか?

>私とは何かと貴方に言えば、単なる観念なのですよ。


私は、私という存在性です
観念は、その私の観念です


何か根本的に間違えていますね

272 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 08:35:24
>>271

横から失礼しますよ。

「私は私という存在性」と言う観念が、
普段知覚される「私」という「状態」が生み出す物ではないかと、
その様に思えるのですが、どうでしょうか?

273 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 09:09:17
>>272
その辺は最高位は説明できていない。
「私」の存在性ばかり主張しているが、
これまで一向に「私自体」が完全に説明できていない。


274 :哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/12/21(木) 09:09:38
>「私は私という存在性」と言う観念が、
>普段知覚される「私」という「状態」が

『が』が繰り返されてるので、ちょっと意味がわからない

275 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 09:12:41
>>268
>しかし唯物論者は、最初に『モノ』ありき なのだから
>それを主張するのならば、その『モノ』とは何の事なのか、明確にすべきなのは言うまでもない

別にその必要は無いよ。
理解してもらいたいなら説明した方がいいが、他人に教えない自由はある。

>矛盾点を指摘すれば事足りるのであって

理解せずに、指摘なんて出来ないよ。
唯物論者の言う物質と物理現象に『私』が含まれていることを最高位は知らない。

276 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 09:13:12
物質や物理現象に基準を置かず、観念的な『私』を基準にした場合、
最高位の考えとは裏腹に、「物質や物理現象、それらの法則性」が超越した存在になるね。


277 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 09:13:48
>>158
>『私』という存在性は、物理現象によって、物理世界に顕現している

これってまさに唯物論の立場。
物がないところに私は存在せず、
『私』がなくても物は存在しうる。
つまり、『私』は物に従属しているが、物は『私』に従属していない。



278 :哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/12/21(木) 09:14:00
>>273
『私』とは
主観性自身を指す言葉であり、主観性そのものな存在性 である

これ以上に、どんな説明をしろと?

279 :哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/12/21(木) 09:22:18
>>275
>理解してもらいたいなら説明した方がいいが、他人に教えない自由はある。

しかし面白い事を言うなぁw
だったら最初っから『主張』なんかするなやw
できないなら出来ない と正直に言えばいいだろ
まどろっこしいw

お前は、アホなんだから黙ってろw

>>276
うむ
因果関係が、論理的に超越してるからね

>>277
短絡的な子供の発想
もっと、脳を鍛えなさいw

280 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 09:27:44
何にせよ最高位の敗北は確定したね。

唯物論だと精神は物理現象であるゆえに、
薬物とか物理的損傷による精神の変化を説明できる。
最高位は精神現象について何も説明できない。
この時点で唯物論の勝ちだ。つまり最高位の敗北。

『私』の存在性については、唯物論も最高位も説明できない。
そもそも、存在性自体は、物質であろうと、『私』であろうと、唯物論が説明するものではない。

精神は物理的に解明可能性はある。不可能である事は証明されていない。
人間は物体であり精神は物理現象にすぎない


>『唯物論では人間の内的部分を解明しきる事はできない』

唯物論ではという限定は間違い。
人間の内的部分をもっとも解明できるのは唯物論上の論。
ただし、それをもってしても、人間では解明できない事があるだけ。

唯物論で解明できないものは、人間には解明できない。
人間に解明できるものは、すべて唯物論上の論。


281 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 09:28:19
1.我思う故に我在り・・・主観性が一つ(以上)存在する
2.他の人間にも主観性が存在する・・・主観性は二つ(以上)存在する
3.外見で主観性のあるなしを判別できない・・・哲学的ゾンビ

2と3は仮定。これが正しいならば、
二つ以上の主観性の『違い』を比較することは絶対不可能。
よって、「『私』はほかの主観性と違う唯一絶対の存在である」は誤り。

1は、「『私』が『一つ在る』事が疑い得ない」のであって、
「『私』が『一つだけである』事は疑い得る」

結論。
最高位の主張は根拠のない出鱈目。
最高位完全破壊の証明終わり。


282 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 09:28:34
唯物論を「世界を物理現象で全て記述できる」という思想だと思い込んでいる、最高位は根本的に間違っている。
唯物論は何かを説明できるという思想ではなく、「物質や物理現象以外の存在は、物質や物理現象によって規定され、従属する」という思想。


283 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 09:28:50
303 名前:考える名無しさん 投稿日:2006/08/25(金) 13:31:09
>>301
あるかどうか以前に、
キミが考える『私』『自我』と、俺の考える『私』『自我』は同じではない。
キミはそういう単純なことすらも理解できていない。


304 名前:考える名無しさん 投稿日:2006/08/25(金) 13:34:02
>>300
>(ただし唯物論が間違いである事は論理的に明らかだが)

いいやこれは最高位の間違い。

最高位の観念の中にある「最高位唯物論」が、最高位の観念の中で、
「間違いであることが論理的に明らか」と、最高位の観念で認識されているだけ。

最高位の観念の外では、論理的に成立しない。



284 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 09:29:02
最高位は「物質」が何か知らない。
その証拠に、最高位は、物質を定義することができない。

物理現象が何かしらないくせに、デタラメを垂れ流しているだけ。



285 :哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/12/21(木) 09:30:24
>>275
他人に教えない自由があるんだったらな

人にも説明を求めるなバカw 基地外w

286 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 09:37:09
>>285
その場合は説明を求めないだろ。否定するなというだけで。

他人の主張を否定するなら、その主張を完全に理解したうえで、その根拠を説明せねばならない。
理解していないことをまず認めることだ。
最高位の場合、小学生が相対論は間違っているというようなもの。

287 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 09:44:54
哲学者最高位の妄言録
423 名前: 哲学者最高位 ◆EcCgOA7Vw6 04/10/12 12:18:24
私は
人生の半分はジュニアに支配されてるなぁ
第二の脳と言っていいかも知れない
いや
実は、全て支配されているのかも知れない・・・
204 名前: 哲学者最高位 ◆CkVRGtgYP6 04/10/29 10:14:59
赤ペン先生とかいってんじゃねーぞ!くずがぁ!!!

205 名前: 哲学者最高位 ◆CkVRGtgYP6 04/10/29 10:16:49
じゃまだじゃまだ!どけどけぇ

それで私の説を論破してるつもりか?バカやろうこのやろうめ!
ぜんぜん矛盾だらけだぞ!バカやろうこのやろうめ!

206 名前: 哲学者最高位 ◆CkVRGtgYP6 04/10/29 10:18:24
またやってしまった orz

207 名前: 哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo 04/10/29 10:19:29
今度はこれでいきます orz


288 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 09:56:52
そういう辛辣表現は逆に最高位の精神的脆さを感じさせるなぁ

289 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 09:57:11
>>284
じゃあ、あなたが「物質」とは何か定義してみてよ

290 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 10:56:55
>>265
>違う物体なんだろ?
>違う物体になるんだろ?

おお、何を言い出すのですw?
私は「個物は物理的要素によって個物であるわけではない」という説明をしている
のですよ。水の分子は「この体」を構成する物理的要素の一つです。それが一つ
「別の個物」と入れ替わったからといって、「違う物体」になるわけが、ないでは
ありませんかw それは単に「この体」が変化した、というだけのことなのです。
(この事情は、「この体」でも「この水の分子」でも「この素粒子」でも、同じことです。
ただ、素粒子は物理的な内部構造や構成要素を持たないとされているので、
「変化することは有り得ない」とされている、というだけの違いです。)
そもそも、「この体」は構成要素においても構造においても大きさや形においても、
常に変化しています。水の分子一個の入れ替わりどころの騒ぎではありません。
変化しない体など、生きているとは言えないので、唯物論的に考えても
「私」でありようがありませんw
ところで、あなたご自身のお考えがよくわかりませんが、「この体」の水の分子
が別の個物と入れ替わると、それは「違う物体」になるのですか、それとも、
「この体」のままなのですか。さて、どちらでしょうかw?

ただし、これは「物質の通時的同一性」の話なので、本当は解釈の問題に過ぎません。
水の分子一個が入れ替われば、もう「同じ物体」ではないのだ、という解釈も可能です。
ただし、個物の「変化」とは「その前後の同一性」が前提とされている概念なので、
その場合は、どんな個物も「変化する」ことは有り得ない、と解釈するしかありません。
だから、我々の言語の構造を根本的に変える必要があるでしょう。

291 :哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/12/21(木) 11:02:22
>>287
ずいぶん昔の書き込みを拾ってきたねぇw

すごいなキミ

執念つーか
そんなくだらん事
私には、とてもそこまではできんよ


まぁ関係ないんだけど
うちのお客さんに勧められたフラッシュムービー

よかったら見てくれ

ttp://blog.plaync.jp/happytime.slog
大きな岩とたった一度のケアル

今ちょっと心が壊れたみたいになってて
気持ちがいっぱいいっぱいだから

また明日な

292 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 11:12:24
(続き)
>私は、同じ要素の違う物体は代替が利く と言ってるんだよ
>しかし、根本から全く同じ要素の物体を作成しても、私にはならないだろ

はて、「代替が利く」とは、何のことでしょうか。あなたの体と全く同じ要素の
物体を作成すれば、もし唯物論が正しいならばそれは「別の私」になりますので、
十分「代替が利く」ことでしょう。あなたのかわりに会社の経営をやっても、
家族と会話しても、誰も気が付きません。コピー人間当人が、「自分は何十年も
ずっと哲学者最高位だ」と考えているのですから、気付く人間は誰もいません。
「しかし、コピー以前の私から見れば、それは他人だ!」とおっしゃるのでしょう。
それが間違いなのです。「コピー以前の私」というのは「過去」ですから、
今現在は「存在しない」のです。この問題は、現在2人いる「哲学者最高位」の
うちのどちらが「過去の哲学者最高位」と同じ私であるか、という「私の通時的
同一性」の問題なのです。これは「存在するものと存在しないものの同一性」
という話なので、本当は「解釈の問題」に過ぎないのです。

時刻T1(過去)において「哲学者最高位Aの私」がいました。時刻T2(現在)に
おいて、「哲学者最高位Bの私」と「哲学者最高位Cの私」がいて、二人とも
「自分は時刻T1においては哲学者最高位Aの私だった!」と信じているわけです。
さて、では時刻T1において「本当に」哲学者最高位Aの私だったのはどちらなのか?
これを決めるには、「体」の通時的同一性によって判断するしかありません。
通常はそれは「カタマリとしての時空的連続性」によって判断(解釈)されますから、
コピーによって作成された方ではなく、昔から存続しているオリジナルの方がそうだ、
と判断(解釈)されるでしょう。

293 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 11:15:23
(続き)
しかし、もしも「水の分子一個が入れ替われば、それはもう違う物体なのだ」と
いう解釈によるなら、Bの体もCの体も生きている限りは常に変化していますから
「Aの体と同一の体だ」とは解釈されようがありません。ですから、「私」の
通時的同一性については、主観的な記憶を基準にして、「BもCもAだった」と
解釈するしかないでしょう。あなたは「この体」など唯名論で存在性がない、と
常々主張されていますので、本来はこの解釈を取られるのが筋ではないかと
思うのですが、違いますでしょうかw?
(ちなみに、Aの体が分裂してBとCになったケースなら、どんな解釈によっても
「Bの私もCの私もAの私だった」と判断するしかありません。すなわち
「私」が分裂した、ということです。)

これは、昨日いたしました「この私の通時的同一性など、あやふやなものだ」という
話につながります。この私など、今この瞬間まで存在しなかったかもしれないし、
次の瞬間には「別の私」になっているかもしれないもので、その点ではいろいろな
「個物」と、何の違いもありません。そういう意味でなら、別に「純粋な存在性」
でも何でもないわけです。
おわかりになりましたでしょうかw

294 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 11:49:34
ねえ、いつも冗長?で長ったらしくて要点がわからないから今度からテンプレつくってよ。

このスレでの状況、主な主張の要点を“中立的な”立場から述べたテンプレをさ

お願いしますよ

そうじゃないと読む気が起きないって言うかいまいちどこから入れば、いや入るつもりっていうか読んで理解したいってだけですけど、わかんないので

295 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 11:52:01
>>289
俺が唯物論を否定しているわけではないから、定義する必要は無い。
否定する奴が定義すればいい。

296 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 12:22:06
>>291 最高位
>今ちょっと心が壊れたみたいになってて

2chに入れ込み過ぎてネカフォ経営危機に陥ってるなら、ここで宣伝しろよ
近かったら遊びに行ってやる

297 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 12:31:44
>>296
俺も行って、最高位を論破してくる。w

298 :272:2006/12/21(木) 12:59:33
>>274 最高位さんへ
レスが遅くなりましたが、こういう質問でした。


『私の存在性』は、『私』が知覚した内容。

では、私の存在性を知覚した、『私』とは何か?

「私は私でありアナタではない」と自と他を区別させる物が『私』なのか?

ウズラとニワトリの実験において、免疫はウズラの脳を排除しましたが、
何故最初から排除されなかったのか?

最初は自他を区別する物がなかったのか?

それとも自と他を区別させる物は『私』ではないのか?

であれば、その『私』はどの時点でどのように発生したのか?

『私』という物が、生物がその活動にあたり、必要に応じて発生したのであれば、
『私』とは、ハード(存在)ではなくソフト(状態)とは呼べないのか?

という疑問からの書き込みでした。

299 :ニート最低位、機械:2006/12/21(木) 13:44:24

わが、ママンの飯は最高位である。
カレーが大好きだ。

さあ、論じたまえ。

300 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 13:49:19
>>299
カレー板でスレ立ててもいいがここはまずインド・東南アジアにおけるスパイスと仏教イスラム教のあたりから論じるのがええんではないかの?

301 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 16:02:30
>>291
夜勤は健康に悪いよ。
食事が悪いと心がこわれるよ。

302 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 16:22:45
>>299
カレーライスとライスカレーではどちらが正しいのかね?

303 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 16:55:07
>>269
自分の文章の述語の末尾に必ず、
「〜と『私』は思う」
と付けると『他人』は納得すると思うよw

妄想世界チャンピオン乙

304 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 18:08:54
最高位はコテンパンに論破されては少しの期間姿を消して
いつのまにか現れて鶏みたいにコテンパンにされたことを忘れて
同じ言動を繰り返すんだよなぁw


305 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 20:13:06
>>299
機械氏はどのような素性であれ筋金入りの唯物論者です。
カレーと同等に論じられるような人物ではない。

>>302
カレーライスは皿の真ん中でご飯とルーがしっかり分かれているもので
ライスカレーはご飯の上にただルーをかけただけのものと、私は定義します。

>>304
最高位氏は私の見たところ、これまでに誰にも論破されていない。
論破していたとしたら、大層有名な固定ハンドルになっているはずです。
名無しさんは有力な論を展開することはほとんどなく
実力が無いために荒らしになるのが関の山です。

306 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 20:17:23
おまえはカレー最低位だろ?

あいつ論できなてないもん。

朝鮮と一緒でね。

論もまちがえだらけw

下手な英語きいてるみたい。

正すと違うというだけ。
爆笑

ニートとカレーはどうとうだろ?
自演援護よ?

307 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 20:22:48
>>305
俺にリンクがついていないわけなのだが…(´・ω・`)

308 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 20:28:51
>>306
最高位氏は最高でも最低でもありませんよ。
奇しくも「哲学者最高位」というコテハンを使用しているため
その真逆の「最低位」と呼ばれることもありますし、私も昔そう罵ったこともあります。
自演を援護できるというならその方法を私も知りたいですね。
ニートとカレーは同等ではありません。
それはあなたがたとえ、会社員、学生、バイト、隠居老人、犯罪者、有名人であったとしても
カレーと同等ではないのと同じですね。

309 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 20:30:52

なぜ、最低よ?
自演するか?
答えよ。

おまえは負け犬おっさんママのカレー最高だからだ。

さあ、逃げずに討論しよう。

また、逃げればおまえはまた論破たね。

ニートは負け犬である、ニートのおまえはママのカレー食いながら、反論したまえ。

社会に論破されたニートよ。
年下社長の下につくのはどうだ?

逃げるな。

310 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 20:40:57
>>309
私のことかな?私はニートなどという上品なもんじゃない。放浪者だな。
君は若いようだからわからないだろうが、男にとって母親の死はきついぞ。
君のママは若そうだからいいがね。いずれ君もそうなるだけだ。
カレーにこだわってるようだが最近は私も1日1回松屋の290円のカレー食べてるよ。
社会に論破されたつもりはない。君は知らないかもしれないがね、
社会は論理なんか考えるほど正攻法で来ない。ドロドロの戦術を使ってくる。
年下社長でも私は構わないよ。

311 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 20:50:24
>>291
最高位、大丈夫か?
いきなり弱そうなところ見せるなよ。
こっちまで後悔するじゃねえか。

312 :750:2006/12/21(木) 20:53:39
自我がわかっていないので無理でしょう
最高位に言っても無駄ですよ

313 :750:2006/12/21(木) 20:55:20
機械はまだ来ていないんですか?

314 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 20:56:03
いつも偉ぶっている奴がたまにやさしげなところを見せると凄くいい奴に見える。

これをジャイアン効果と呼ぶ。

315 :ニートでルンバ:2006/12/21(木) 21:03:56
おもしろそうな板発見。

316 :750:2006/12/21(木) 21:04:14
>>314
ルチサンマンですね。それではやくざと同じですよ。
哲学的な論考がわかっていないですよ
ヘーゲルの「力なき美意識が知性を憎むのは・・・・」
読んでいただきましょう。
知性がないからそれを憎んでる状態ですね

317 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 21:06:06
>>316
面白い

318 :ニートでルンバ:2006/12/21(木) 21:08:27
人はわれを「脳」と呼ぶ
答えはNOだ アホ!

319 :750:2006/12/21(木) 21:15:04
なぜ「私」根源的な系譜学の発展がわかってないですね。
318
それではだめですよ。唯脳論ですよ。
哲学的論議にアホなど使いません。
しょうがないですね

320 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 21:18:30
おい、ニートが好きなバカあらしが発生してるぞ。
ここのスレはこういうの無視するのがことごとく苦手なんだよな。
山手線の人身事故みたいにダイヤが乱れまくる。
普通に無視して進めりゃいいだろが。
こんな荒廃状態で御本尊の機械様がお出ましになるわけないだろ。


321 :750:2006/12/21(木) 21:27:20
320
物性変化と磁気の本質、これが答えられないでしょう。
機械は避けましたね。それが物理学では完全に解明されていないですからね
君が答えてみろよ

322 :ニートでルンバ:2006/12/21(木) 21:29:50
これは理屈限定の話ですが
理屈を述べるとき「AはBである」
このような言い方をするじゃないですか。
しかし「B」とは一体なんでしょう?
「B」はきっと「C」なのでしょう。
ひょっとしたら「D」かもしれませんが。
だから「B」は「C」であると同時に「D」なのです。

323 :ニートでルンバ:2006/12/21(木) 21:33:34
べつに「B]は「D」でもかまわないんです。 そんなことは問題じゃありません。
大事なのは「C」は「E」であることであって、「D」は「F」であることなんです。
でも待ってください。最初に「AはBである」と言いましたが、ここで新たな事実が
発覚しました。「AはGでもある」ということなんです。これは弱りました。

324 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 21:37:31
>>322
君の論理は実に興味深い。
私のためにそんな長文を書いてくれたとは。
同一律は成り立たない、といえば済む話だよ。
なんと超相対主義者の荒らしさんだったのですね。
でも荒らしならそのくらいの手を使って頂かないと
こちらも張り合いがないというものです



325 :750:2006/12/21(木) 21:41:49
>>322
>>324
思考そのものがわかっていませんね。
ただの古い三段論の法と同じですよ。
古すぎる。
相対主義の盲点わかっていますか

326 :750:2006/12/21(木) 21:43:47
思考法則もわっていないですね。
意味無いですよ

327 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 21:44:28
750は第2と一緒に
http://etc3.2ch.net/denpa/
ここの住人になるといい
天才が集まる場所でこんなアホの溜まり場とはレベルが違う


328 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 21:53:12
いきなり割り込みしといて750君も失礼極まりないね。礼儀を知らん。
相対主義と三段論法の違いくらいは私もわかるよ。たぶんね。
自作自演の擁護かね?いや、
ニートでルンバ=荒らし、である。750=荒らしの味方、である。
つまりは750も荒らしってことだ。三段論法だろ。

329 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 21:55:45
割り込みです。
機械も最高位も、こんな極端なのありえねー漫画キャラですね。
やっぱ苦心して作ったんですか?


330 :ニートでルンバ :2006/12/21(木) 21:57:40
>327
「感謝する。交信オワリ。」

331 :750:2006/12/21(木) 21:58:12
>>327
自分の無知がわかってないですね。
言語により思考は変わりますよ
特徴の共通性から考えるのですよ。
それで概念を、理念を形成するのですよ。
アホは侵害ですね。
その特徴の必然性によってある概念が生まれる。
A概念にはpqrが含まれBにはpzfが含まれるのですよ
共通なのはpですよね。その必然性がわかっていませんね。
その必然性により思考しているのですよ。
論理的思考の適用範囲も知らないですね。



332 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 22:01:02
>>331
釣り?
それともマジの電波?

333 :750:2006/12/21(木) 22:05:35
>>332
自分の無知をさらけ出すだけだ。
弁証法的なことも知らない。
唯物論もあればモナド論、実在論などあるよね。
君は根本的に哲学を知らない
話すのがあほらしくなりますね

334 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 22:09:27
750と会話が全く通じないのだが、これは高度な釣りなのか?w



335 :750:2006/12/21(木) 22:09:54
>>328
馬鹿さらすだけですよ。
根本的に哲学を知らないのがわかりますよ。
自分の論考を出してみろ
それでなければ話にならん


336 :750:2006/12/21(木) 22:12:02
>>334
高度すぎてわからないんづすよ。きみは
哲学をまず読んでいないのがわかる。
まともに批判できないからね

337 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 22:14:06
ところで何の話をしてるんだっけ。確認しませんこと?

338 :750:2006/12/21(木) 22:14:34
知覚の内容のことも、私がだしたんですよ。
過去のレスでも見てください。>>334

339 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 22:14:35
>>336
もしかして750は第2と一緒でガーナ人?

340 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 22:16:14
割り込みです。
機械も最高位も、こんな極端なのありえねー漫画キャラですね。
やっぱ苦心して作ったんですか?

341 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 22:23:13
機械最高位同一人説は以前からあるが、二度も書くほどの内容ではないぞ。
ちなみに、第2唯物論750ガーナ人説も、確か前にも出ていたw

342 :750:2006/12/21(木) 22:57:21
>>341
貴方はまだわかっていません。
哲学的論理性、弁証法、ロジックも知らないのですか?
また無知をさらしたね。
いいんですか?
ではお題、理念とは何ですか?

343 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 23:52:37
りねん【理念】 理性から得た最も高い考え。
リネン     リンネル。亜麻の繊維でつくった薄い織物。

りせい【理性】 一時的な本能や衝動に左右されず、
        概念や実在を理性的に考える心のはたらき。
        しばしば、感性・感情と対比される。

344 :ド素人:2006/12/21(木) 23:54:37
物質

一般的には「物」。例えば水、空気、土というように原子から成り立つもの
唯物論でいう「物質」はそれらに加え
物質から生み出されるものまたは影響を受けるものを含む。
例えば光子、熱運動、空間

こんな感じであってる?物質の定義

345 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 00:04:47
Wikiを見ると最初に
「物質(ぶっしつ) とは物体を構成し、空間を占有する性質のある存在のことである。」
とある。
変化や現象は物質と区別して扱われることが多いと書いてあるが、
考え方もいろいろあるようで厳密性は期待できないようだね。

せいぜい違う流派同士の華麗なるパフォーマンスショーを期待したいものだ。


346 :「機械的唯物論」者 ◆6xfUzFrrFE :2006/12/22(金) 00:36:28
>>345
「占有」とは言い得て妙です。
「3次元空間・・縦:横:高さの世界」を占有するのは「時間(4次元目)」
を異にすると「容易に可能」ですが、「ある3次元空間」を「同一時刻に『占有』できる」
・・・のは、たぶん「物質粒子」としては「1個だけ」です。
 しかし「物質粒子間に働く4種の基本力を媒介する『力媒介粒子』達」が、「物質粒子」と
「時空4次元空間を共有する(どの粒子も『占有』はしない)」ことは可能だと思います。

347 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 01:17:20
ははぁ・・ ぼくもこの板は初めてですが
4次元目にあたるものは「時間」ですか。
僕は自己解釈で縦・横・高さにつづく広がりは「内と外 ・・・ 奥行き」
だなんて考えているんですけどね。

348 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 01:22:09
>>347
おまい向かないから。素人は「素人」だけで充分だから、いね。

349 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 01:41:49
>>344
おーけー
君が一番まともだよ


350 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 01:51:31
ここはえらい先生が支配するスレッドです。

351 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 02:16:14
えらい先生、うん、確かにそうだ

352 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 05:41:15
「私はAであり、Bは他人である」

この違いはAとBの物理的性質・時空的位置の違いでは説明できない。

AとBが別々の個物である限り、コピー実験や分裂の場合を考えても
物理的性質・時空的位置の違いを完全に無くすことはできないが、
AとBの物理的性質・時空的位置の違いは誰にとってもそうである。

Aがこれこれの物理的性質・時空的位置を持ち、
Bがあれあれの物理的性質・時空的位置を持つ、ということは
AにとってもBにとってもCにとっても同様だ。

そこから導き出される(?)AとBの違いはせいぜい
「AにとってはAが私でBは他人、BにとってはBが私でAは他人」
という違いに過ぎない。

CにとってはAもBも同様に他人(または「私」)なのでAとBに
それ以上の違いはないが、Aにとっては
「AにとってはAが私でBは他人、BにとってはBが私でAは他人だが
 実際に私はAなのでAが私でBは他人である」
というそれ以上の違いがある。(Bも同様)

ただ「実際に私はAなので」と言っても、
他人には「Aにとっては実際にAが私なので」と言う意味にしか伝わらないので、
Aの発言は「Aにとっては(実際にAが私なので)Aが私でBは他人である」
というふうに理解される。そしてそんなことは誰にとっても同様にそうである。

よって『私』の存在は言語で言い表すことができない。
では、言える限りのこと(AにとってはAが私でBは他人、
BにとってはBが私でAは他人)は、唯物論で導き出せるだろうか?

353 :750:2006/12/22(金) 08:54:10
352
発達的に言えば、私だと悟る瞬間ですよ。自我感覚といってもいいですよ

354 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 09:54:45
>>352
>この違いはAとBの物理的性質・時空的位置の違いでは説明できない。

というより、物理的性質・時空的位置の違いから、AとBが違うと導けるのですが。

>そこから導き出される(?)AとBの違いはせいぜい
>「AにとってはAが私でBは他人、BにとってはBが私でAは他人」
>という違いに過ぎない。

間違い。BにとってはAも自分ということがありうる。
例えば自分の制御下にある人間は、自分と言えるだろう。
個体を束ねているボーグクイーンみたいな存在が無いとはいえない。
キミがそれを認識できないだけで、その可能性がないとはいえないのだよ。


355 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 09:56:39
>>352
>そしてそんなことは誰にとっても同様にそうである。

まともな思考力を持っていれば、「誰にとっても」同様などということはいえない。
それを言えるのは唯物論の立場に立ったときだ。
唯物論から離れれば、個体が「誰にとっても」同様などではない。主体と他は違うのである。

356 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 10:00:28
よく似た体を持っている他の人間が、自分同様自我を持っているだろうと考えるのは、
物質構造に原因を求める唯物論の立場。
唯物論から離れると、他人は哲学的ゾンビの可能性が出てくる。

357 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 10:09:52
>>352
> ただ「実際に私はAなので」と言っても、
>他人には「Aにとっては実際にAが私なので」と言う意味にしか伝わらないので

それは「伝わらない」のではなくて、それ以外の意味はないのです。だから、
実際は十分に伝わっているのであって、「読み替えられている」のではありません。
Aさんが「私」と発語する場合と、BさんがAさんを指して「あなた」と発語する
場合と、CさんがAさんを指して「彼」と発語する場合とでは、指示の仕方が
違うだけで、指示されている対象は、完全に同じものなのです。
そこで指示されているものは、完全に世界の一部分であって、世界の縁でも
世界の限界でもありません(と考えても、何の矛盾もありません)。

Aさんの「私」は、客観的な表現をすれば「Aさんの心」であり「Aさんの体」です。
そして、その「私」は、存在している限りは、決して「Aさんであるという性質」を
完全に脱却することはできません。
「私」は「私がもしAさんでなくBさんだったら…」等々と考えることはできますが、
そこで実際に考えられているのは「この(Aさんの)心が、別の体に宿ったら…」
という事態なのです。「Aさんの心」という性質を完全に失った「私」は、もはや
「Aさんだった私」と同一の私では、有り得ません。というより、「誰の心でも
ない、単なる私」(いわゆる脱人格的自我)というのは、それこそ唯名論でいう
単なる名前であって、存在することはできません。それが存在しているとはどういう
ことか、考えることもできません。ポチでもシローでもハチ公でもない「単なる犬」が
存在できないのと、同じことです。

358 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 10:11:51
(続き)
永井均氏は「私が永井均であるのは単なる奇跡であり、永井均の持つどんな
肉体的精神的性質とも無関係である」と主張し、その当然の帰結として、
「永井均も安部晋三も、肉体的にも精神的にも今まで通りの人間であり、世界は
何の変化もしていないのに、『なぜか』私が安部晋三になっている、という事態も
可能である。」と述べています。
しかし、それならば「『なぜか』私は犬や猫やコウモリやアリになっている」
という事態も、可能であるはずです。いや、<私>は永井均が持つ「自我である」
という性質とも無関係だとすれば、「『なぜか』私は漬物石になっている」という
事態も、可能でなければなりません。しかし、永井氏は「どういうわけか、
私はそういうことは考える気がしないのだ。」と率直に述べています。
つまり、永井氏をしても、<私>を「永井均性」と完全に分離して考えることは、
ついにできません。言い換えると、<私>という概念に「世界内に存在する無数の
自我の一つ、永井均の心という個物」という以外の意味を持たせることは、
ついにできないわけです。

359 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 10:19:32
>>356
可能性?
哲学的ゾンビ以外の可能性は何?

360 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 11:28:08
>>359
ゾンビ以外の何か。自分とは本質的に異なる主体とか。

361 :750:2006/12/22(金) 12:49:23
>>358
それで仏教的ですよ。
海で表されますよ。
それでは自然主義ですよ。
畏敬を忘れていますよ



362 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 12:57:43
唯物論者が物理的人間であって、非唯物論者が非物理的人間であったとしても別に矛盾はしない。
なんらかの共通性を認めないのならば、私と他人を、同類と一括りにする理由はないだろう。

363 :哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/12/22(金) 13:02:31
>>357
>>358
一応、言っておくけど、総理の事を言っているなら
安部 じゃなくて
安倍 な

>永井均氏は・・・・『なぜか』私が安部晋三になっている、
>という事態も可能である。」と述べています。

ホントに可能である なんて言ってんの???
可能なら是非、見せてもらいたいもんだねw
安倍総理がテレビなどで「私は永井均です」と言ったら信じようw

>「私」は「私がもしAさんでなくBさんだったら…」等々と考えることはできますが、
>そこで実際に考えられているのは「この(Aさんの)心が、別の体に宿ったら…」
>という事態なのです。

違うでしょう
これは逆に考えてみる必要もあります
逆に考えて、初めて理解できます
永き人類歴史上、何百億人という人がいたでしょう
それ以上かも知れません
とにかく想像を絶する程の数の『他人』がいたはずです
しかし、よく考えれば、なぜ今『私』がいるのだろうか という問題です
どう考えても『私』が存在する事実は、不可解極まりないのです
今ここにある私の体も、唯物的に考えるならば
本来的には『他人』であるべきではないのか
しかし、なぜか、この体は『私』である
では、この体の、いかなる物理的要素の故に『私』であるのか

その答えは「ありえない」です
それを私は言っているのですよ

364 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 13:16:19
>>352
>AにとってもBにとってもCにとっても同様だ。

>そしてそんなことは誰にとっても同様にそうである。

現にあなたに「同意」しない人がいるのだとするならば、
同様ではないのでしょう。

ですが、「誰にとっても同様ではない」という事も
誰もに同意して貰える事ではないのです。

>「私はAであり、Bは他人である」

>この違いはAとBの物理的性質・時空的位置の違いでは説明できない。

説明できないのではなくて、「説明しても違いが無くならない」だけなのです。
私とあなたが完全に「同意」になるにはあなたとぴったり重なる意外にないのです。

365 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 13:19:33
>>363
>永き人類歴史上、何百億人という人がいたでしょう
>それ以上かも知れません
>とにかく想像を絶する程の数の『他人』がいたはずです

キタコレw
それが前提なのね?w

366 :哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/12/22(金) 13:40:49
>>365
ん?意味がわからん
今日のは、いくらなんでもバカでも理解できると思ったんだが・・・

わかりやすくする為に工夫しただけだよ

他人が少数であろうが一人であろうが
たとえゼロ人であっても
『私』の存在性は変わらない

すなわち同じ理屈が適用できるわな
あれが理解できれば、本質に近づく事ができる

367 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 13:54:27
>>366
>他人が少数であろうが一人であろうが
>たとえゼロ人であっても
>『私』の存在性は変わらない

では他人がゼロ人であることを前提として、
バカでも理解できるようにもう一度説明し直してください。

368 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 14:03:31
>>363
>永き人類歴史上、何百億人という人がいたでしょう

いないだろ。億超えたのも最近のことなのに。
それに、どこから『人』と見なすの?
原始人に『私』はないの?
魚に『私』はないの?
細菌は?
ウイルスは?
水は?

『私』なんてすべての物質にあるんだよ。唯物論が正しいんだよ。

369 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 14:20:55
>>368
歴史上の人物の合計が何百億人ってことだろう
水に「私」って、トンデモの方?

370 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 14:24:24
>>368
子供のダダに聞こえる。信憑性を感じない。

371 :750:2006/12/22(金) 14:26:05
>>368

証明して下さい。
私が物質であることを立証できてないでしょ。
なぜ蜂が団体的な群れ社会を形成して情報交換しているかわかりますか?
立証できてないのに余計です。立証してください

最高位
わたしの存在性を証明してください。
貴方まだ自我がわかっていないですね。
意識もわかってないでけど。どうします。
前のスレ見てないのですか?



372 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 14:30:21
人類史上最高の天才である最高位氏の
「たとえ他人がゼロ人であっても変わらない『私』の存在性」
とは即ち、馬鹿で凡百である我々にとっての独我論なのだ。

373 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 14:42:07
>>363
おお、最近陰が薄いものでつい。総理sorry(←くだらんw)

>安倍総理がテレビなどで「私は永井均です」と言ったら信じようw

そうではないのですよ。それは「安倍総理の肉体に、永井均の心が宿った」
というだけのことで、現実にそういうことが起こったら唯物論はかなりの見直しを
迫られるでしょうが(そして、現実にはそういう事態が観察されないので唯物論が
有力なのですが)、そういう事態を想像することは容易なのです。現にマンガなど
にはそういう描写はしばしば出てきます。
永井氏の言うのは、「永井均も安倍総理も、肉体的にも精神的にも(もちろん
記憶も含めて)今まで通りの人間として存在し続けている。2人とも、何の変化にも
気がつかない。世界には何の変化もない。しかし、今まで永井均だった<私>が、
なぜか突然安倍総理になっている、そういう事態は可能である。」ということです。

永井氏の発想の原点は、「永井均という人物と、古今東西の他の無数の人物
の間には、肉体的にも精神的にも様々な性質の違いがあるが、そのどんな違いも、
現に永井均が<私>である事実の根拠にならない。だから、<私>が永井均として
存在するのは、どんな原因も根拠もない、単なる奇跡である。」というものです。
永井均という人物が心を持って存在したとしても、<私>は全く存在しないことも
できたし、他の誰かとして存在することもできたはずだ、ということです。だからこそ、
永井均という人物が今まで通り体も心も持って存在していても、「なぜか突然それが
<私>でなくなり、<私>は存在しなくなる」ということも可能だし、
上述のように、「なぜか突然<私>が他の人物になる」ということも可能だ、
という帰結が導かれるわけです。
というか、「<私>がなぜ特定の人物であるのか?」という疑問に意味がある、
と考えるならば、言い換えると、<私>という概念に「特定の人物」抜きで意味を
与えることができる、と考えるならば、上の結論は論理的必然だと思いますが、
あなたはそういう事態は「有り得ない」とお考えなのですか?
それだと、あなたの思考ははなはだ不徹底かつ不整合なものになってしまいますがw

374 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 14:49:39
(続き)
>とにかく想像を絶する程の数の『他人』がいたはずです
>しかし、よく考えれば、なぜ今『私』がいるのだろうか という問題です
>どう考えても『私』が存在する事実は、不可解極まりないのです

さて、古今東西たくさんの「人間」という種類の個物は存在しても、
「哲学者最高位」という人間(個物)は存在しなかった、という事実に、
特に不可解な点はないと思います(本当はこれも不可解なのですが)。
次に、「哲学者最高位」という人間が存在する以前は、『私』は存在しなかった、
ということも、上の文章からするとあなたは承認されているようですね。
存在しないものを定義することはできず、意味を与えることもできません。

次に、「哲学者最高位」という人間(個物w)が肉体的精神的な通時的同一性を
保って存在している間は、『私』も通時的同一性を保って存在している、
ということも、あなたは同意されているようですね。上記のように永井氏は
これには同意しないのですが、あなたは常識に従っているようなのでw

次に、「哲学者最高位」という人間(の体)が消滅した後で『私』が存在する、と
言えるためには、「哲学者最高位性を持つ心」が存続している必要があるのです。
具体的には「記憶」を持っている、ということです。「体もないし記憶もないが、
でも『私』は前と同じ『私』です」という事態は、想像もできず、端的に無意味です。
(それは純然たる『別の私』です。有名な「中国の王様に生まれ変わる」話は、
このことを示しています。)

こうして、結局『私』という概念は、「哲学者最高位」という個物(もちろん人に
よって違います)を抜きにしては、意味を与えることができません。言い換えると、
『私』とは、世界の内部に存在する「哲学者最高位の心と体」を主観的に指示する言葉、
という以上の意味を、持ちようがないのです。

こうして、「なぜ『私』がいるのだろうか」という問いは、「なぜ『哲学者最高位の心』
という個物が存在するのだろうか」という問いに帰着し、「私はなぜ哲学者最高位なのか」
という問いについては、それは論理的必然なので無意味だ、という結論になるわけです。

375 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 14:58:31
>>371
>私が物質であることを立証できてないでしょ。

物質だよ。自明。そうでないというのなら、
石が物質であることを立証してください。
物質が物質であることでもいいや。


376 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 14:59:08
>>369
>歴史上の人物の合計が何百億人ってことだろう

だから、合計でもそんなにいないってことなんだけど。


377 :名無し@autn.sys:2006/12/22(金) 15:09:43
脳は物質だから意識は必然に過ぎない
って、問題系の設定を完全に間違っているでしょう。
しかも、何重にも間違っているから、
良く分からなくなるのです。

(1)
まず、「脳とか物質」を議論する問題系と、
「心や意識」を議論する問題系が別で、
同じことを議論しているようで、
ぜんぜん別の話だということ。

「心」というのは誤解されやすい概念ですが、
ちょっと考えれば分かるように、
脳には内部と外部があるわけですが、
心には外側がありません。
自分が見ている世界の外側に出ようとしても、
絶対に出ることができない。
そうして心が描き出す世界の中には、
自分自身の心もあるわけです。
「自己観察された心」です。
また、同じく、そうした心と関係して存在している。
「脳」も心が描き出す世界の中の表象の一つです。
医学的視点、物理学的視点は、すべて、
私たちの心の働きの一部として存在している。
これが話の出発点です。

378 :名無し@autn.sys:2006/12/22(金) 15:10:47
さて、そうだとすると、「私」が考える「脳」と、
「あなた」が考える「脳」が同じものだという保障はありません。
これは、あらゆる事物一般に言えることです。
心の描き出す世界は主観的なものだからです。
ところが、「社会」というのは、
そういう主観的なものと主観的なものをつなげるものを持っています。
言語とか、知識とか、そういうものです。
とりあえずこれを<言葉のようなもの>ということにしましょう。
これによって、初めてコミュニケーションが成り立つ。
こういう中で、「脳」、「コップ」、「水」のようなものは、
すべて、こうやって浮かび上がってくるものです。

ここで、あらためて考えてみると、
「心」とか「意識」とかが成立している視点と、
「脳」が成立している視点がぜんぜん違うものであることが分かります。
あえて「心」を物質的な広がりで考えるならば、
それは世界全体に至る広がり持ちます。
「意識」についても同じです。
こういうものを、「脳」と同じ視点で考えること自体ナンセンスです。

379 :名無し@autn.sys:2006/12/22(金) 15:11:50
(2)
ここで2つ目の論点、
「科学的視点」と「必然」いうことについて説明したいと思います。

(1)で出てきた<言葉のようなもの>は、
基本的にはさまざまなレベルでのコミュニケーションのまとまりに固有のものです。
たとえば、恋人の2人でしか通じない言葉とか、
家族でしか通じない言葉とかがあるでしょう。
2ちゃんねる独特の用語とか、
煽りとかを含めたコミュニケーションのあり方も、
2ちぇんねるというコミュニケーションのまとまりに固有のものだと思います。
そして、そういうものが広がって、「日本語」とかあったり、
日本だったら通じる何かとかあったりする。
近代以降、こういうコミュニケーションのまとまりとして重要なものは、
「国家」ということになるでしょう。
やはり、日本人だったら、「日本で」というくくりは大事だと思います。

こうしたコミュニケーションを成り立たせる<言葉のようなもの>として、
現代では、「科学」というものがあります。
これは、いわば人類の共通言語のように働くもので、
これによって、世界中の人は、その範囲を気にせず、
コミュニケーションを行なうことができるわけです。
そうすると、あたかも科学的世界観が、すべてで、
それ以外にはものごとをとらえる視点がないかのように思ってしまう。
しかし、あくまで「心」というのが、あって、
その一部として、「科学的視点」があるということを、忘れてはいけないのです。


380 :名無し@autn.sys:2006/12/22(金) 15:12:33
たとえば、私があるものを見ている。
「心」の立場からすれば、見ているにほかならないのであり、
説明をするまでもありません。
しかし、どうして見ているかということを、科学は完全に説明できるでしょうか?
もちろん、それを物理学的に、生理学的に、説明することはできるでしょう。
しかし、「私があるものを見ている」ということは、
私が生まれてきてからの歴史によって初めて可能になります。
さらにさかのぼれば、親の親の親の…となり、
人類の、地球の歴史の全てを知る必要があります。
科学がどんなに発達しても、
過去に世界で起きた全てのことを記述することはできないでしょう。
それでも、物理学的視点、生理学的視点によってものごとが明らかになるのは、
それが、「ある視点」からのモデル化だからです。

これは、決して科学を否定しているとかそういうことではありません。
私たちがものごとをとらえるとか、真実であると考えるのは、
全て特定のモデル化や、特定の視点によっているものです。
科学はそういうモデル化の一つであり、正しいと言えるものです。
ただし、科学が科学として正しいのは、「モデル化」としてであり、
それで世界のあらゆることが説明できるわけではないということは、
留意する必要があるでしょう。
一般に、因果関係を完全な形で記述することはできません。
科学は、因果関係(必然)のモデル化をすることはあっても、
因果関係を完全に記述することはできないのです。

381 :名無し@autn.sys:2006/12/22(金) 15:13:06

ここで、私たちは本来の「科学」と、科学で全てが説明できるという「科学教」とでも言える
見方を区別する必要があると思います。
「科学教」は、「科学で全てが説明できる」という見方のことです。
科学の最前線で研究をしている人たちは、
だいたい科学の限界を知っているわけですが、
そうでない一般の人たちが「科学教」への盲信に陥りやすいのです。

ちなみに、こういうことは、科学というものの成り立ちを考えれば、
自然に分かるわけですが、
科学的視点の内部からも説明することができます。
カオスや量子力学は、私たちが世界の中のたった一つの粒子のふるまいを
完全に記述することすらできない…
それを記述するためには無限の時間と無限の情報量が必要だということを、
教えてくれています。
ここからしても、因果関係の完全な記述は原理的に不可能で、
可能なのは因果関係を特定のモデル化によって
とらえることだけだということが分かります。


382 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 15:34:40
>>381
科学ですべて説明できるというのは間違いだが、
説明できるものはすべて科学というのは正しい。

383 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 15:37:02
>>381
その問題を科学だけに限ってしまうのはミスリードだと思うな。
最初に戻って、問題系の設定の間違いとして考えるならば、
閉鎖系と開放系の(認識上避けられ得ぬ)混同でしょう。

384 :名無し@autn.sys:2006/12/22(金) 15:53:07
>>383
おっしゃるとおり。
科学だけに限るべきではないということはその通りだと思う。
もっと一般的に議論することもできるのはもちろんだけど、
一応、科学が問題になっていたわけなので、
その問題に基づいて書いたわけね。
閉鎖系と開放系については、そうとも言えるけど、
閉鎖系同士の関係として整理したのが、>>377-381
これは単に方法論の違いだけど、
こちらの方がきれいに説明できると思う。

>>382
これはかなり本質的。一応同意しておく。
良くも悪くも、学問的問題についての、
現代のコミュニケーションは、
「科学」以外にないとも言えるわけなので、
そういう時代の特質に対する記述として。
ただし、その範囲で。

385 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 15:55:14
>>384
で、そのダラダラと書き込んだことは、決定論とどういう関係があるわけ?

386 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 15:58:07
>>377
>脳は物質だから意識は必然に過ぎない
>って、問題系の設定を完全に間違っているでしょう。

そんなことはない。
「コンピュータは決定論的マシンだから、ソフトウェアの動作は必然に過ぎない」
なら問題が無い。

実はこれと同じことを言っているだけ。



387 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 15:59:56
>>378
>こういうものを、「脳」と同じ視点で考えること自体ナンセンスです。

これも違う。
意識は脳に従属しているシステムと考えるのなら正しい。
実際、脳に刺激を与えることで、意識に変化をもたらす。

388 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 16:02:22
>>380
>私が生まれてきてからの歴史によって初めて可能になります。

そうとは限らない。脳を全スキャンして、
仮想現実のシステムで他人に投影することが将来は可能になるかもしれない。
何を記憶しているか、どう感じるか、そういったものも、今後は数値化できる可能性がある。


389 :名無し@autn.sys:2006/12/22(金) 16:17:47
>>386

コンピュータが特殊なのは、
その作動の規則が完全に記述できるような形で、
設計されているということです。
これは、システムとして非常に特殊なもので、
同じようなことはそのまま脳には当てはまらない。

逆にコンピュータの作動であっても、
ディスクアクセスエラーとか、
そういうものが入り込むと、途端に予想不能になる。
また、2つのクロックが同期してないコンピュータも同じです。

>>388

その範囲で答えるのなら、
単一の粒子を記述するのに、
必要な記憶装置の容量は無限大。

390 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 16:26:53
>>389
>その作動の規則が完全に記述できるような形で、

脳も変わらん。DNAと環境の要素によって記述されている。
コンピュータだって別の要素を入れれば同じような問題は入ってくるが、
だからといって、決定論的マシンであることには変わりは無い。
別の要素が入る、決定論的マシンである。脳も同じである。

391 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 16:28:21
>>389
>単一の粒子を記述するのに、
>必要な記憶装置の容量は無限大。

とは限らない。実際に有効なものが無限大とは限らない。
君が勝手に無限大だと思いたいだけだろう。


392 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 16:28:33
>>378
>さて、そうだとすると、「私」が考える「脳」と、
>「あなた」が考える「脳」が同じものだという保障はありません。

すいません、この「あなた」というのは、一体何のことですか。
「心に外側がない」のなら、社会も言語も知識もコミュニケーションも他の主観も
「あなた」も、すべて私の心の内側に存在するものだと思いますが、そうすると、
「私」が考える「脳」と「あなた」が考える「脳」が同じでないかもしれない、
という意味が、よくわかりません。私の心の表象にすぎない「あなた」が
どうやって私と違うことを考えることができるのでしょうか。



393 :第2唯物論:2006/12/22(金) 16:33:04
>>377 >>386 
  >脳は物質だから意識は必然に過ぎない
>って、問題系の設定を完全に間違っているでしょう。

間違ってるよ
 脳は生活必要上物資に対応するから、だから意識は必然が多い

ならかなりあってるよ.でも必然は6-7割だね





394 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 16:39:58
>>389
>単一の粒子を記述するのに、
>必要な記憶装置の容量は無限大。

素朴な疑問なんだけれど、これ実際の所どうなの?
素人にも分かりやすいソースとかあったら貼ってくれるとうれしい。
(何故無限大の容量が必要になるのか知りたい)

後、第2唯物論は天才だからみんな対応ヨロシク。

395 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 16:44:57
なんか知らないけど量子力学みんな知ってるんだろうか

396 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 16:51:51
>>395
文系の奴は知らないか、知っていても、実際はわかっていない。
理系の奴でもきちんと理解している奴はほとんどいない。

397 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 16:52:41
>>395
難しくて分かんない。
文系的な知識としてしか持ち合わせていないよ。



398 :前々スレ538:2006/12/22(金) 16:52:53
>>377-381
うーん、すばらしいね。
おれが言おうとしてきたことが全部書いてあるw

科学と心の哲学をまともに理解してれば
誰でもこういう見解にいきつくはずなんだよね。


399 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 17:04:55
>>398
別にすばらしくもなんともない。ところどろこおかしな部分もあるし。
お前もそのレベルってことだ。

400 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 17:08:00
>>1の言ってる「必然」って何?
1.間違えることが絶対にない
2.葛藤する事が絶対にない(意識の欲求が無意識のそれと一致している)
3.理解不明の行動を絶対にとらない
4.ある人格化された一者の意図にのっとって皆がコントロールされている

401 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 17:10:03
>>400
普通に考えて
どれでもないんじゃないのかな。

402 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 17:10:44
>>398
>誰でもこういう見解にいきつくはずなんだよね。

誰でもではない。断じてない。

403 :前々スレ538:2006/12/22(金) 17:11:14
>>399
君がおかしいと感じる部分は、「心」とか「意識」とかの言葉の意味が
君とautn.sys氏とで食い違ってるからだよ。
で、心脳問題の本質的な部分を議論したいなら、それらの語は
autn.sys氏の使っている意味で使わざるを得ない。

404 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 17:12:22
>>401
ですよね。必然という言葉自体が不自然な言葉です。

405 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 17:16:30
「脳は物質だから意識は必然に過ぎない」

こういうバカ丸出しな言葉遣いするから
唯物論者はバカだって言われるんだよ。

406 :前々スレ538:2006/12/22(金) 17:19:14
>>402
まあすごいバカとかすごい天才とかは違うふうに考えるかもしれないけどさw
少なくとも、>>377-381のような見解を通過した上でないと、意味のある議論はできないね。

>>404
スレタイについてはあんまり気にしないほうがいいと思うよ。
ついでに>>1の内容も無視していいと思う。

407 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 17:21:06
>>404
そうじゃなくて
「脳は物質だから意識は必然に過ぎない」
とあったときに想定する必然性が>>400
1〜4じゃないっていうことが言いたかったんだけどね。

408 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 17:21:17
ブログでもしろよw

誰も来ないし、すぐ反論コメントきまくりだぞ。

楽な場所で負け犬はよく吠える。

409 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 17:22:34
>>405
許してあげましょう。
これが彼の脳内物質が作り出した「必然」なのですから。
”正しい言葉使いができない”これも彼の脳内物質が作り出した「必然」。
”他人から理解されない”これも彼の脳内物質が作り出した「必然」。
”話題をループさせる”これは脳波停止。(しかし、これもまた「必然」)

実にかわいい存在じゃありませんか。素敵な珍獣です。
これからも愛護して見守ってゆきましょう?

410 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 17:28:38
>脳は生活必要上物資に対応するから、だから意識は必然が多い
>ならかなりあってるよ.でも必然は6-7割だね

これも凄く頭悪そうな表現だな。
「必然が多い」「必然は6-7割だね」(プゲラッチョ

議論するにはまず言葉遣いに敏感にならなきゃいかんのよ。
とりわけ哲学に関してはね。

こういう洟垂れ厨房はまず学校のお勉強から取り組んで欲しいね。

411 :第2唯物論:2006/12/22(金) 17:35:22
>>410 きみは唯物論の肝心なところが全然判ってないみたいだね
物資に対応すればなぜ必然が多くなるか判るかい??わっからんだろうなあ

 6ー7割でも5-6割でも7-8割でもいいんだよ

412 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 17:38:52
>>411
きみの言う必然の意味を教えてくれ
必然が多くなったり少なくなったりするその「必然」とは何なのか説明してくれないと
きっと誰も理解してくれないよ

413 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 17:41:24
>>406
>少なくとも、>>377-381のような見解を通過した上でないと、意味のある議論はできないね。

誰もがそういう見解に行き着くわけではないからこそ、
そこを通過するのに意味がある。

414 :第2唯物論:2006/12/22(金) 17:42:32
>>412 人間が感じてるほど恣意的でないという意味だよ

前からみてるやつで賢いやつは結構わかってるよ.83スレ前からあるテーマなんだからさ

415 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 17:43:14
>>411
>物資に対応すれば

はあ?
なに「物資に対応すれば」って。
「必然が多くなる」?

きみROMってるひとに笑われてるって自覚ある?

416 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 17:44:44
>>415
相手にしないでくれ。
バカなレスが増えるだけだから。

417 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 17:45:02
>>414

きみさあ、無意味なインデントとか
ピリオドと読点の組み合わせとか凄い醜いって自覚ある?

レポートとか書いたことないの?

418 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 17:55:14
第2唯物論ってどこの底辺大?
それともマジでリア厨なの?

で、「必然」を「人間が感じてるほど恣意的でない」って意味で使ってるの?
言葉の感覚がヤバすぎじゃない?
底辺大哲学科でもこんな使い方してたら失笑ものだよ。

419 :前々スレ538:2006/12/22(金) 17:55:53
>>417-418
この人については、誤字がひどいとか文章がおかしいとか、
もう数え切れないほど何回も指摘されてるのに、全く改善されないどころか
興奮してますますひどくなるうえ、そのうち自分で書いたことに自分でレスつけて
延々と意味不明なレスを垂れ流しはじめるので、みんなあきらめて、
もう最初から、この人が何言っても無視することにしてるの。

人をバカにしきった物言いが癇に障る気持ちはわかるが、
ここは抑えて、もう相手しないでやってくれないだろうか。


420 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 18:00:54
むしろ第2は日本語が達者な人だと思う。
よく使いこなしてるよ。

421 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 18:02:29
>>406
>スレタイについてはあんまり気にしないほうがいいと思うよ。
>ついでに>>1の内容も無視していいと思う。

だったら、このスレで議論する必要もないと思うぞ。w


422 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 18:04:06
>>420
おれもそう思うよ。
外人でここまで堪能な人そんなにいないだろ。
ガーナ語に直すと多分すげえこと言ってるんじゃね?

423 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 18:06:34
肝心の第2唯物論が出てこないな。
遁走しちゃったのかな。

ねえ、「物資に対応すれば必然が多くなる」ってなんなの?

自演なんてしてる場合じゃないよ。
早く答えないと。

424 :前々スレ538:2006/12/22(金) 18:16:24
>>413
>誰もがそういう見解に行き着くわけではないからこそ、
>そこを通過するのに意味がある。
通過してその先まで行った意見がいままで一つもないんだけどw
ということで、いまのところまともな意見は、>>377-381のようなところにまで行き着いて、
通過し得ずそこで止まっている。
そこまで行き着いてない人も多数いるけどね。

繰り返しになるが、科学と心の哲学をまともに理解してれば
誰でもこういう見解にいきつくはず。


425 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 18:17:18
第2唯物論は>>410の煽りに釣られて出てきたくせに、
結局たった2レスと自演1レスで尻尾巻いて敗走しちゃったの?

まあまだROMってるのはバレバレなんだけどね。

426 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 18:26:54
>>418
東大出ててもバカはバカ

427 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 18:52:53
>>424
>誰でもこういう見解にいきつくはず。

キミがまともに理解しているとは限らないし、
本当に理解したとき、その考えが覆る可能性もある。
「誰でもこういう見解にいきつく」とキミのレベルではそう思っているだけであって、
その先では異なる可能性もある。

428 :前々スレ538:2006/12/22(金) 18:57:11
>>427
そりゃ可能性ならなんとでも言えるよ。
既存の物理法則が全て間違ってる可能性だってあるw

人の主張に対してただ「それは間違ってる可能性がある」で返すのって空しいと思わない?
せめてどこがどう間違ってる可能性があるのかを指摘しなきゃ、何の意味もないよ。

429 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 19:09:08
>>396
>>397
じゃあ不確定性原理と不完全性定理は知ってますか?

こういう言い方をしたらソーカル厨という風に言われると思うけど


430 :第2唯物論:2006/12/22(金) 19:29:32
>>415
 前にに書いたことをひいてるからそういってるだけで、意識はかなりが衣食住と人間同士の連帯から来る必然性に相当意識は規定されてるのに自覚は少ないということなのさ

俺のいいかたが悪いはわかるけどこの部分が唯物論の核なんだよ、他に唯物論の核はない.83もあるスレででてきてないだろうが


431 :第2唯物論:2006/12/22(金) 19:32:39
>>430 規定されてるだけが多くて決定はされてない、だから6-7割とかいったのさ

432 :第2唯物論:2006/12/22(金) 19:35:04
>>425 もう一回仕事にいってくるよ、。ちょっとで終わるけど

433 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 19:41:45
>>428
>そりゃ可能性ならなんとでも言えるよ。

何とでもいえるとかそういう問題じゃなくて、
常に可能性を意識して書いていれば、お前のような変な断定はしないものだよ。


434 :前々スレ538:2006/12/22(金) 19:48:28
>>433
いや、だから、断定が気に入らないのなら、どこがどう間違ってると思うのか
具体的に指摘したら?って言ってるんだけど。

435 :750:2006/12/22(金) 20:17:45
人間の意識上に知覚過程から、意識上に上る。
意識はその場に過ぎないですよ。
第二はそのことがわかっていないですね。
統覚されているのですよ。意識の変化も脳では変化することもわかっていないですね
人間の意志の自由にも関連することです。
機械はそのことがわかっていません。

436 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 20:23:43


437 :名無し@autn. sys. ◆pFYl6xGCTc :2006/12/22(金) 20:30:18
>>390
> 脳も変わらん。DNAと環境の要素によって記述されている。
> コンピュータだって別の要素を入れれば同じような問題は入ってくるが、
> だからといって、決定論的マシンであることには変わりは無い。
> 別の要素が入る、決定論的マシンである。脳も同じである。

プログラム組んだことありますか?
マシン語のプログラミングの経験とかあるなら
分かりやすいと思うのですが…。

繰り返しになりますが、コンピュータは、
あるプログラムを入れると、どういう結果が出てくるか、
作動が完全に予測されるように設計されています。
コンピュータがどのように動いているかを知りたければ、
仕様書やプログラムを見れば良いわけです。
つまり、コンピュータは、
設計の段階で「決定論的マシン」であるように期待して作られているわけで、
それを「決定論的マシンである」と考えるのは、
自然なことでしょう。

しかし、脳の場合は、「決定論的マシンである」というのは、
ぜんぜん自明なことではありません。
「これから、科学が発達し、その機能を全て記述できるだろう。」
というような期待のもとに、
「決定論的マシンである」と考えているに過ぎません。


438 :名無し@autn. sys. ◆pFYl6xGCTc :2006/12/22(金) 20:31:12
たしかに、物理学は、
「世界の全ての事象が記述でき、それを完全に解釈するような方法があれば
全ての事象が予測可能」というモデルを立て、
これに基づいて学問が成立しています。
しかし、これはあくまで「ものごとをとらえるためのモデル」であって、
そう考えることによって、特定の状況で、
何かを理解できるということです。
実際、物理学的に事象を記述するためには、
世界中の全ての物質を記憶装置として使っても無理であり(前述)、
この仮定は成り立ちません。
これは、生物学の問題についても同じです。
タンパク質の量を精度高く記述するだけでも、
かなりの困難があり、
細胞単位で、
DNAからタンパク質がどの程度合成されるかなど、
技術的な制約で記述ができないものはたくさんあります。
もちろん、将来的にはある程度できるようになるでしょうが、
結局、カオスの壁が立ちはだかっていることには変わりません。

もちろん、脳は決定論的マシンだと考えることもできるでしょう。
それもある種のモデルだと言うことはできます。
しかし、「決定論的」と言っても、
その挙動は、原理的に誰も知ることができません。
ブラックボックスとして存在しているだけです。
それは、あたかも「神が存在する」というような主張に似ていて、
否定することもできないが、肯定する根拠もないという性質のものです。
これと、コンピュータを同列に扱うことはできないでしょう。


439 :名無し@autn. sys. ◆pFYl6xGCTc :2006/12/22(金) 20:31:55
話が前後しますが、
出先からトリップ(ランダム文字)が分からなくて、
トリップなしで書き込んでました。
(これより上の同名書き込みは、全部自分)
帰ってきて見たら、すごいレスの数にびっくり。

>> 389
> とは限らない。実際に有効なものが無限大とは限らない。
> 君が勝手に無限大だと思いたいだけだろう。

途中も話題に上ってましたが、
これは、カオスと量子力学の話です。

カオスについては話が比較的簡単。

まず話の前提として…。
私たちがある物理量(位置とか速さ)を観測するとき、
有限離散数(よ〜するに、ある範囲の整数)の集まりとしてしか観測値を
記述できません。
たとえば、ある観測値が1.395480932948…といった値だった場合、
それぞれの桁は、0〜9の数ですよね。
ところが、実際の観測値は実数で、何桁まで行っても完全には表せません。
そんで、実数を表すのに、有限離散数が無限大の数必要になるわけです。
有限離散数というのは、ある情報量を持っている
(0〜9の値なら、log10/log2=約3.391928ビット)ので、
実数を記述するのに必要な情報量は無限大になる。
これは、純粋に数学の問題で、中学程度の数学が分かれば理解できることです。

440 :名無し@autn. sys. ◆pFYl6xGCTc :2006/12/22(金) 20:33:07
さて、カオスというのは何なのかというと、
ある粒子の状態を記述するのに、何桁まで求めれば十分か考えたとき、
何桁まで行っても足りないってことなんです。
ちょっとのズレだったら問題ないと思うのが普通だし、
カオス理論ができる前は、みんなそう思っていたわけです。
ところが、ちょっとのズレの影響が時間とともに指数関数的に大きくなってしまうことを、
証明したのが、カオス理論です。

まぁ、これだけでも、「一つの粒子を記述するために、無限大の記憶装置が必要」
ということは説明できると思うのですが、
ダメ押しみたいに存在するのが、量子力学の話。
これは、二つの解釈があるのですが、
一つめは、
さっきの観測値の問題で、ある程度以上の精度で値を求めるのが無理ということです。
カオス理論と合わせると、
実際問題、粒子の状態を厳密に記述するのが不可能ということが
単純に分かります。

もう一つの解釈は、私たちが考えるような「実数の観測値の世界」の向こう側に、
広大な「複素関数の世界」があって、
それを「観測」という窓を通して見ているのに過ぎないということです。
これは若干難しいのですが、数学的に言うと、一つの粒子の状態を知るのに、
f(x, y, z)という関数(しかも複素数)の値を知らないといけないという話。
f(x0,y0,z0)の一つ一つが実数であり、
それが関数空間まで広がっているわけですから、
たった一つの粒子の状態を記述するために、世界中の粒子を使ってもまだ足りません。

これが、「一つの粒子を記述するために、無限大の記憶装置が必要」ということ。
そんな特別なことではなく、物理とかちゃんと勉強している人間なら、
ほとんど説明しなくてもだいたい分かってくれます。

441 :名無し@autn. sys. ◆pFYl6xGCTc :2006/12/22(金) 20:39:36
>>392
> すいません、この「あなた」というのは、一体何のことですか。
> 「心に外側がない」のなら、社会も言語も知識もコミュニケーションも他の主観も
> 「あなた」も、すべて私の心の内側に存在するものだと思いますが、そうすると、
> 「私」が考える「脳」と「あなた」が考える「脳」が同じでないかもしれない、
> という意味が、よくわかりません。私の心の表象にすぎない「あなた」が
> どうやって私と違うことを考えることができるのでしょうか。

これは、なかなか鋭い話だと思います。
半分はおっしゃる通りで、

> 社会も言語も知識もコミュニケーションも他の主観も
> 「あなた」も、すべて私の心の内側に存在するもの

というところは、全くその通りです。
しかし、Aさんの心の世界の中にBさんがいるとしても、
Aさんは、Bさんのことを全て理解できるかと
いったらそんなことはありません。
AさんはBさんを見ていても、それを全く理解していないかもしれない。

ところが、Aさんの心には、社会で共有されている言語や知識があり、
(Aさんの心の中の)、Bさんの心には、
同じく、社会で共有されている言語や知識があります。
この3つ(Aさん、Bさん、社会)の関係によって、
コミュニケーションが成り立つということです。
後は、前のレスを読んでください。


442 :750:2006/12/22(金) 20:40:21
>>437
だから機械論といいますよ。
プログラミングは組んだことがあります。
元の専門です。
コンピューター言語も人間が人工的に作り出したものですよ。
それを生み出してるのも人間の思考であると理解してません

443 :750:2006/12/22(金) 20:41:27
>>437
無からの創造と想像力さえもわかってないということですね

444 :49:2006/12/22(金) 21:05:26
>>400
> >>1の言ってる「必然」って何?
脳と意識の結びつきは法則的に必然ってことじゃない?
意識のあるところには必ず脳がある、意識があるのに脳がないことはない、ぐらいの感じでは?
(多重実現の話はとりあえず置いといて)

あと、このスレタイつけたのは機械じゃないって話もある。

445 :名無し@autn. sys. ◆pFYl6xGCTc :2006/12/22(金) 21:21:14
> コンピューター言語も人間が人工的に作り出したものですよ。

コンピュータ言語に仕様書はあるけど、
脳、あるいは自然言語に仕様書はあるかと考えれば良いでしょう。
その挙動を完全に記述することは原理的にできない。
物理学や生物学が仕様書と言うかも知れませんが、
現象記述の方法がない以上、
脳を、コンピュータのプログラムや、
コンピュータ言語の仕様書と同列に扱うことはできないでしょう。

あと、機械論と決定論はこの場合ほぼ同義でしょう。どちらでも構いません。

ちなみに、他の部分は良く分かりませんでした。
「創造」との関連では、
全知全能の創造主を仮定するのなら、
脳を決定論的と言うことはできるでしょう。
科学は、そういう宗教感情とともに発展してきたのも事実でしょうが、
それが一つのモデルに過ぎないということをずっと言ってるわけです。

446 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 21:41:58
>>441
>Aさんの心の世界の中にBさんがいるとしても、
>Aさんは、Bさんのことを全て理解できるかと
>いったらそんなことはありません。

お話だと、BさんはAさんの心の中に「だけ」いるのだと理解したのですが、
違うのでしょうか。それなら、Aさんの心の中のBさんが、すなわち
Bさんの「すべて」ですから、AさんはBさんのすべてを直接知っている
わけで「理解できる」とか「できない」など、問題になりようがないと
思うのですが。Bさんと「コミュニケーション」する余地など、どこにも
ないのではないでしょうか。
(これはBさんだけでなく、この世界のすべてについて同じことですが。)
Bさんの心に「社会で共有されている言語や知識」があり、Aさんは
それを「全く理解していないかもしれない」となると、BさんはAさんの
「心の外に」存在している、としか思えません。しかし、そうなると、
Aさんは自分の心の外に出られないのだとしたら、どうやってそんなBさんと
「コミュニケーション」することができるのでしょうか。


447 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 21:44:37
別に客観的にコミュニケーションが成立してる必要はなくね?

448 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 21:54:10
ないね。

449 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 21:56:35
じゃあ問題は解決してるな。

450 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 21:56:39
あるいは、この世の全てがモノとモノのコミュニケーション

451 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 21:59:45
そんな風に考える必要もない。
現象とその解釈に帰着させときゃいい。

452 :750:2006/12/22(金) 22:08:07
>>445
まだ解かっていませんね。理解してますか?
そういうことじゃないですよ。
決定論ではないです。決定論と非決定論の中間がわかりませんか?
人の全部が支配されえいるということですね。
西洋の言語から自然法則がわかっていません。
想像力も決定論ですか?
矛盾です

453 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 22:27:00
なにもかも決まってるんだよ。

454 :3時で1時:2006/12/22(金) 23:02:39
睡眠中に見る〈夢の中の私〉が〈私という存在〉ではないとは言えない。
〈夢の中の私〉も〈私〉を認知しているからである。
〈夢の中の私〉も自分を〈分かって〉いる。
自らの感覚、思い、視点があり、自らの状況がある。
〈夢の中の私〉も〈自らの現実〉を認知しているのである。
だから、〈夢の中の私〉にも「我思う、故に我在り」が成り立つ。
〈夢の中の私〉が思っている自分を疑い得ないとしたら、
〈私〉は存在しなければならない。
〈私〉が主観性であるなら、〈夢の中の私〉も認めないわけにはいかない。
〈現実のこの私〉と対比するのは無意味である。
〈夢の中の私〉を、脳が勝手に創り出した存在にすぎないと決めつけると、
〈現実のこの私〉の存在性も危うくなる。
〈現実のこの私〉も脳が勝手に創り出した存在かも知れなくなる。
〈この私〉がまさに実在することを、
〈この私〉が、今、ここに、このように〈現実として在る〉ということを、
〈認知〉によって証明することは不可能に思える。


455 :名無し@autn. sys. ◆pFYl6xGCTc :2006/12/22(金) 23:15:25
>>452
>>390さんとは別人?
話が理解不能。

456 :「機械的唯物論」者 ◆6xfUzFrrFE :2006/12/22(金) 23:27:53
>>445
>その挙動を完全に記述することは原理的にできない

そのとおりです。冬空にたなびく高層雲の水粒子(水蒸気は見えませんので)の
を構成する「H2Oの巨大な分子集団」の1個1個のふるまいを「記述」する
ことなど「絶対不可能」であり、たぶんあと1000年経っても(技術的に)出来ません。
 しかし、「今」現時点で「雲が水滴(水蒸気ではありません)の集団である」こと
を疑う「物理学者」「気象学者」は一人もおりません。
・・・・「(自然)科学」というのはそういう学問なのであり、「文化系」の方には
今ひとつ「理解できない」・・・そういう部分なのだと思います。

457 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 23:37:58
『こちら』側にいると、これも信者なのではないのかと思う時がある
『あちら』側に行っても、信者なのかもしれないとも思う



458 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 23:40:29
>>437
>設計の段階で「決定論的マシン」であるように期待して作られているわけで、

設計図を見なければ、脳同様予測不能の動きをすることができます。

>しかし、脳の場合は、「決定論的マシンである」というのは、

脳の場合ではなく、どんなものは物質で出来ているので、
物理現象に従属した決定論的マシンなのです。

そのヒントとしてコンピュータの例を出しているのですよ。


459 :「機械的唯物論」者 ◆6xfUzFrrFE :2006/12/22(金) 23:40:48
456の続きです。
たとえ千年後の超スーパーコンピュータが2006年12月22日
12:00分、地球東経13x度x分x秒、北緯3x度x分x秒上空1000mに
たなびいていた「水H2Oの分子集団の分子集団の集合の全振る舞い」を「記述」しきれた
・・としても、・・その「記述」を人類の「一生」で「読む」ことは
(「意味がない」こと以前に)「時間的に不可能」です。


460 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 23:41:40
>>438
>結局、カオスの壁が立ちはだかっていることには変わりません。

カオスというのは決定論的作用から生まれるものです。

461 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 23:43:33
>>438
>その挙動は、原理的に誰も知ることができません。
>ブラックボックスとして存在しているだけです。

そんなことありませんよ。
脳波コントロールで様々なものが動かせるようになってきています。
次に人間が何を選択するかも、脳スキャンから予測可能になるときはそう遠くはないでしょう。

462 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 23:44:54
>>439
>ところが、実際の観測値は実数で、何桁まで行っても完全には表せません。

そうとは限りません。量子化されている可能性だってあります。
そのような断定はできませんよ。


463 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 23:46:10
>>457
疑うだけが賢さじゃないさ

464 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 23:46:15
俺は決定論者だが、脳スキャンで分かるほど脳の構造は
単純ではないように思う。

465 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 23:46:31
>>440
>ところが、ちょっとのズレの影響が時間とともに指数関数的に大きくなってしまうことを、
>証明したのが、カオス理論です。

カオスが成立するのは、世界が決定論的な場合です。



466 :名無し@autn. sys. ◆pFYl6xGCTc :2006/12/22(金) 23:47:42
>>456
スレを最初からちゃんと読んでなかったのですが、
量子論とか、最初の方でちゃんと議論されてたんですね。
この話の出発点は、>>379-381あたりで、
その後、>>437-440にも少し書かせてもらっています。

前にも書いたのですが、
やはり科学について
良く理解していない人の陥りやすい間違いという
側面はあると思います。

467 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 23:48:18
>>440
>たった一つの粒子の状態を記述するために、世界中の粒子を使ってもまだ足りません。

その場合、量子化されていないということになります。
つまりそれは、決定論を支持する立場なんですね。

468 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 23:51:32
>>445
>脳を、コンピュータのプログラムや、
>コンピュータ言語の仕様書と同列に扱うことはできないでしょう。

扱う問題によってはその通りですが、

物質に束縛されているという唯物論や決定論を考える上では、
脳をハードウェア、意識をソフトウェアの動作と同列に扱うことは可能です。
誰が作ったかわからないコンピュータで中を見れなければ、
それは観測者にとって脳と同じようなものです。

469 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 23:52:59
ハードウェアだけ扱えば足りる。

470 :「機械的唯物論」者 ◆6xfUzFrrFE :2006/12/22(金) 23:53:47
>>466
2つのスリットを通過する量子・・・ということで、一番議論が盛り上がった記憶があります。
教科書では「量子は『同時に』2個のスリットを通過する(ということに他ならない)」と
書いてあるので、それを「鵜呑み」にした物理学の学生さん達が、教科書通りのことを
おっしゃるので、紛糾した過去があります。・・・1年くらい前でしょうか・・・?

471 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 23:54:01
>>466
一応私はこのスレの常連で、量子力学で論文を書いているものですが、
貴方の方が、科学をよく理解していないと思います。

472 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 23:56:45
>>463
そうなんだろうけどね。

473 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 23:57:44
>>470
別に同時に2個のスリットを通っているとしても問題は無いと思います。
エヴェレット解釈をするなら、1個の粒子は一個に見えるだけで、
無限の平行宇宙の縮退形態といえます。
その場合、無限のものが二つに別れ(わかれても無限のままですが)、
2個のスリットを通っていてもいいのです。
それに同時に決定論と唯物論も成立したままです。

474 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 00:00:51
>>470
機械タンは干渉縞をどう考えてるの?

475 :「機械的唯物論」者 ◆6xfUzFrrFE :2006/12/23(土) 00:01:23
>>473
「別の宇宙」ではもはや「同じスリット」ではないし、ましてや「隣接するスリット」
・・では「ありえません」ので、「同時に(同じ宇宙の)2個のスリットを抜ける」
・・というのは「誤謬」・・ということになります。

476 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 00:08:25
>>475
別の宇宙というのは、表現上の問題で、別世界ってことではありません。
平行宇宙は、この世界と切り離せるものでもなく、区別できるものでもありません。
水が水路で二つに分かれ、また何処からか水が補給されてそれぞれ同じ量になるようなものです。

477 :「機械的唯物論」者 ◆6xfUzFrrFE :2006/12/23(土) 00:12:03
>>476
しかし「あなた」はその冷静に論じておられる「平行宇宙」の
「たった1個内」にしか存在しない(しえない)のであり、
「他の平行宇宙」には「別の『あなた』が発生している」・・
・・ということなのですよ?

478 :「機械的唯物論」者 ◆6xfUzFrrFE :2006/12/23(土) 00:15:52
477の追加です。
「エヴェレット解釈における平行宇宙」というのは(エヴェレット氏自身の解釈では)
(氏にとって)「表現上の問題」ではなく「実在『世界』の問題」である・・ことは
間違いありません。


479 :750:2006/12/23(土) 00:25:46
470
観測をしているのは、知覚をしている本人の自我ですよ。
機械さん、物性の性質変化について述べてください

480 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 00:29:51
機械タソのトリが、私のいない間に変わったんだね。
トリバレでもした?


481 :750:2006/12/23(土) 00:35:08
自分で実験をしていないのに、そのことがいえますか?
機械さん

482 :ディオニュソス:2006/12/23(土) 00:38:50
コンピューターの閉じた決定論システムなるものも厳密に言えば決して閉じては
いない。それを扱う人間の持つ微弱電流やら感情の起伏による内分泌系の移動増
減に必然的に伴うであろう電動電位の変化、微妙な温度・湿度および気候の変化
などの外部環境の影響にたとえ僅かであるにせよ絶えず晒されているわけであっ
て、(実はプリンストン大学の工学部などではこういった問題についておよそ三十
年ほど前から研究が続けられているのであるが、周囲はいささかこの研究の真意
について何か神秘的な誤解をしているようである)決して完全にあるがままの全体
世界としてのカオスの雨風を免れているわけではないのである。否むしろコンピュ
ーターの機構を構成する最小単位の度合いが小さくなればなるほど外部からの何ら
かの影響を受けやすくなり、プランク単位レベルの素子をデコヒーレンス回避でき
るほどの微妙な安定性を持たせる量子コンピューターの開発にいたってはシステム
の構築自体が非常に困難を極めるのである。

483 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 00:38:56
750と第2唯物論は兄弟?


484 :名無し@autn. sys. ◆pFYl6xGCTc :2006/12/23(土) 00:40:02
>>446
> お話だと、BさんはAさんの心の中に「だけ」いるのだと理解したのですが、
> 違うのでしょうか。それなら、Aさんの心の中のBさんが、すなわち
> Bさんの「すべて」ですから、AさんはBさんのすべてを直接知っている
> わけで「理解できる」とか「できない」など、問題になりようがないと
> 思うのですが。Bさんと「コミュニケーション」する余地など、どこにも
> ないのではないでしょうか。
>(これはBさんだけでなく、この世界のすべてについて同じことですが。)

基本的な問題設定としては、近いと思います。
ただし、Aさんの心の中に、Bさんの心も、言語や知識もあるので、
コミュニケーションは、Aさんの心の中の現象としてたしかに起きているのです。
Aさんの心の中の現象として、コミュニケーションの全体は理解されます。
これは、>>392で言われていた通りです。

だから、AさんとBさんが意志疎通できることは自明には分からないが、
可能性としてはありえると、
一応、こういうことになるでしょう。

> Bさんの心に「社会で共有されている言語や知識」があり、Aさんは
> それを「全く理解していないかもしれない」となると、BさんはAさんの
> 「心の外に」存在している、としか思えません。

これはちょっと飛躍ではないでしょうか。
コミュニケーションは、Aさんの立場からすれば、全てAさんの心の内部問題で、
Bさんの立場からすれば、全てBさんの心の内部問題です。
共通了解が生じるかどうかと、心が閉じているという話は別でしょう。

485 :名無し@autn. sys. ◆pFYl6xGCTc :2006/12/23(土) 00:41:16
> しかし、そうなると、
> Aさんは自分の心の外に出られないのだとしたら、どうやってそんなBさんと
> 「コミュニケーション」することができるのでしょうか。

で、結局、この問題になるわけです。
これはちょっと複雑な問題なので、
かなり省略して話したのですが、
せっかくなので、簡単に説明します。

Aさんは、自分自身の心の働きを認識できます。
つまり、Aさんの心の世界には、「自己認識されたAさんの心」が含まれています。
また、Bさんの心も含まれます。
要するに、Aさんの心の世界には、Aさんの心と、
Bさんの心の両方が含まれています。
ここで、Aさんは、Aさんの心とBさんの心が、
ともに、ある社会の規則(言語など)にしたがっている
ということを理解することができます。

486 :名無し@autn. sys. ◆pFYl6xGCTc :2006/12/23(土) 00:41:53
もちろん、Aさんがとらえる規則と、
Bさんがとらえる社会の規則が厳密に同じかどうかは分かりません。
しかし、それぞれの心が、それぞれこうした「社会」に拘束されている。
それが、何らかの形で関連しているということをAさんは理解できるわけです。
AさんやBさんの心は閉じてはいるけれど、
自由にふるまっているわけではなく、
こうした社会のあり方と関連して成立しているわけです。
たとえば、AさんとBさんが話してるとき、
Aさんは全然違うことを考えていることだってできます。
しかし、それが重要な話し合いの場だったりしたら、
Aさんはそれに基づいたコミュニケーションをしていかないと、
社会的に不適合を起こしてしまう。
これは、全てAさんの心の働きの一部として理解することができるわけですが、
Aさんの心が、Aさんの中の社会から拘束を受けているとも言える。
こういう関係の全体として、
AさんとBさんのコミュニケーションが成立している。
ということが言えるわけです。

と、話が少し難解になりましたが、
言ってることは意外に単純です。
Aさんは、Bさんに対して、
「こいつも自分と同じ『心』があるから、
コミュニケーションが成り立ちそうだなぁ」って分かる。
それが裏切られれば、コミュニケーションは成り立たないけれど、
そうじゃなければ、コミュニケーションは成り立つわけです。
「話の分かる奴だな…」っていう感覚を
思い起こしてもらえれば良いでしょうか。

487 :名無し@autn. sys. ◆pFYl6xGCTc :2006/12/23(土) 00:42:25
以上一応質問に答える形で説明しましたが、
この話はもともと、
「科学というのはモデル化に過ぎない」ということを言うための
材料の一つだったわけです。
かなり専門的になってしまいましたが、
もともとの話はそういうことです。

で、元の話に戻す意味で、直前の話からは逸れますが、少々重要な論点に触れます。
今の話の流れを良く見てもらうと、
コミュニケーションの成立と、
「何を『心』とみなすか」という話が関連していることが分かります。
人間はさまざまなレベルで
コミュニケーションを行っています。
恋人同士でしか分からない会話もあれば、
家族でしか分からない会話もあります。
言語圏、国家といった単位でもコミュニケーションもあるでしょう。
また、犬や猫とコミュニケーションを
取っていると感じる人もいるでしょう。
これは、それぞれそのレベルでの心を認識していて、
したがってコミュニケーションが成立していると、
そう考えることができると思います。
心の認識というのは、それ自体相対的なものです。

488 :名無し@autn. sys. ◆pFYl6xGCTc :2006/12/23(土) 00:43:02
ところが、こういう中で、今日、
「科学を前提にしたコミュニケーション」というのが、
人類全体で広く行われている現実があります。
「科学を前提にしたコミュニケーション」というのは、
別に毎日科学的な会話をするということではありません。
「科学的真理が存在する」という
前提に立ったコミュニケーションです。
極端な話、貧しい国の、文字も読めないような人でさえも、
「科学によっていろんなことが解決する」と思っていたりする。
そう言う中、
かつては、民族、地域、国家の範囲で行われていた
コミュニケーションの単位が、
人類全体の規模に広がっている。
いわゆるグローバル化です。

そう言う中で、「心」が認められる存在の範囲が、
「生物としてのヒト」という「科学」によって
定義されるものまで、広がっているということがあります。
かつてであれば、植民地の住民とか戦争の敵は、
いくら殺しても良かった。
今ではそういうことが許されない世の中になっています。
どんなに貧しくても、文化が違っていても、
「生物学的ヒト」を殺してはいけないというのが、
今の人類社会の大前提だと思います。

489 :「機械的唯物論」者 ◆6xfUzFrrFE :2006/12/23(土) 00:43:06
>>481
質のよくない理科の教師に当たった方は「実験しなければいけない至上主義」だけが
(自然)科学だと思いこんでしまいます。
先の例でも述べましたとおり「雲の一個一個の分子の動きを『記述』しなければ
「雲(空に浮かぶ白いモクモク)の正体はH2O(水)である」と断定しては
「いけない」・・・というのが「科学的懐疑主義」という名の「観念論」なのです。

490 :名無し@autn. sys. ◆pFYl6xGCTc :2006/12/23(土) 00:43:42
これは、ある意味人類にとってプラスなことでしょう。
実際、これによって安定した世の中になってきている。
ところが、人権やテロと言ったことにかかわる国際紛争、
管理社会、競争社会と言った現実、
「生物学的ヒト」であることを基準に、
重度心身障害者や、痴呆老人を医療の対象から外そうとするような動きも、
実は、同じところから来ていると言うこともできます。

で、このトピのテーマも、「科学一元論」という意味で、
こういう話と深く関係しているわけで、
そういうことも含めて問題をとらえていかないといけない。
科学一元論に基づいて、
「脳の働きは決定論的」というような視点は、
現代のコミュニケーションが陥りやすい間違いとも言えるが、
実は、それはそれで一理あり、重要な問題意識だったりする。
そう考えると、この問題の複雑さが分かると思います。

491 :「機械的唯物論」者 ◆6xfUzFrrFE :2006/12/23(土) 00:49:31
>>490
>「脳の働きは決定論的」というような視点は、
>現代のコミュニケーションが陥りやすい間違いとも言えるが、
>実は、それはそれで一理あり、重要な問題意識だったりする。

「間違いとも言える」根拠・・というかせめて「そう思う理由」を
一言述べる必要があると思いますが・・。

492 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 00:50:51
機械タンは干渉縞がどうして出来ると考えてるの?

493 :ディオニュソス:2006/12/23(土) 00:54:10
機械よ。
>>490は脳は古典的な意味での因果的決定論ではないと言っているだけだ。
カオス理論やら量子デコヒーレントの趣旨についてよく理解せよ・・。
それは十分説明のつくことだ・・。





494 :「機械的唯物論」者 ◆6xfUzFrrFE :2006/12/23(土) 00:56:08
>>492
波は堤防で「回折」します。
堤防は「スリット」ではありません。
「長さが少し異なる堤防」で回折した波が砂浜に打ち寄せ砂に刻む模様を
積分すれば・・・干渉縞が顕れる・・という(だけの)ことです。

495 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 01:05:23
>>494
電子を一発ずつ打っても出来るのはなんで?

496 :ディオニュソス:2006/12/23(土) 01:09:34
電子一発だけでは単なる点として感光板に映る。
ところが一発ずつ時間を空けて千発一万発・・・・と続けていくと干渉縞
が現れるのだ。

誤解するな・・。

497 :750:2006/12/23(土) 01:10:42
489
どうやったら正当に自然科学を考えることができるのですか
知覚と思考ですよね。それから、実験実証するのですよね
仮説を立てることですよね。今の自然科学では、どうするんです?」

498 :「機械的唯物論」者 ◆6xfUzFrrFE :2006/12/23(土) 01:16:59
>>495
「電子一発」は「粒子且つ波」ですので、スリット状の個体の平面を
通過するときに「曲がって回折」してしまうからです。
「長さの異なる堤防」では、当然「違う回折の仕方」をしますので、
砂浜に打ち寄せられる「波の終末の軌跡」は、「(微妙に異なる周波数で)重なり合う」
・・し、「回折した場所からの距離」が微妙に異なりますので「干渉縞」を形成します。

499 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 01:25:24
>>478
平行宇宙は実在のですが、別の宇宙という言い方はちょっとニュアンスが違うと思います。
ある意味「同じ場所」にあるのですから。

500 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 01:25:57
機械は人を愛せない。

501 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 01:27:28
>>498
二つのスリットを交互に開け閉めして、かつ一発ずつ打っても
干渉縞って出来るの?

502 :750:2006/12/23(土) 01:32:20
>>498
波動と粒子の問題について述べてください、スリットの実験ですよね
アインシュタインの光子論ですよね。
明確にそのことを述べてください。
それも科学的方法論ですよね。述べてください

503 :「機械的唯物論」者 ◆6xfUzFrrFE :2006/12/23(土) 01:36:32
>>500
そんなことはありません・・・と思ってる(だけ)かもしれませんが、
愛する人が居る時期もあるし、居ない時期もある・・ということです。
皆さん(他の「人類の個体」)と、なんら「特別に異なる」ようなことは
ありません。
 本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。

504 :500:2006/12/23(土) 01:43:04
コテ「機械」の中の人の恋愛事情の話じゃなくて、だよ(笑)


505 :750:2006/12/23(土) 01:43:37
逃げるんですね。機械さん

506 :名無し@autn. sys. ◆pFYl6xGCTc :2006/12/23(土) 01:49:55
>>467
> その場合、量子化されていないということになります。
> つまりそれは、決定論を支持する立場なんですね。

おっしゃる通り、量子化してとらえていません。
ただ、ここで行っているのは、観測問題を「情報量」の観点から、
理解し直すということで、
古典量子力学の範囲で十分問題を理解できるということです。

ここで、量子化していないことが、ただちに決定論につながるとは言えません。
たしかに、観測の限界は、量子力学との関連で理解されることが多いわけですが、
情報量の問題として理解すれば、
特定の問題において量子力学、さらにカオスすら不要です。
一番極端なのは以下の説明でしょう。

: 現実の世界に孤立系は存在しないため、一つの粒子の状態を厳密に予測するためには、
: 世界のあらゆる粒子の状態を記述する必要がある。
: ところが、一つの粒子の状態を記述するのには、1つ以上の粒子が必要。
: このため世界の全ての粒子の状態を、記述することはできない。

これでも良いと言えば良いのですが、
この議論は観測に必要な精度が曖昧で、
それにも関わらず「実用上予測に問題がない」
という可能性を否定するのが難しいため、
あえてカオスや量子力学を使うわけです。

507 :「機械的唯物論」者 ◆6xfUzFrrFE :2006/12/23(土) 01:51:35
>>502>>505
別にあなたの言説から逃げるというのは間違いです。
光子についても電子についても「1個1個ずつ発射したのに干渉縞は出来た」
・・・というのは「浜松ホトホロニクス研究所」「日立製作所中央研究所」
で、結果を出しております。
 そもそも「干渉」とは「発射された光子線の諸光子間の関係における『干渉』」
であり発射された光子線の諸光子間の関係における『干渉』」
であり発射された電子線の諸電子間の関係における『干渉』」
・・・ですので・・・、

508 :麻原ショウコ:2006/12/23(土) 01:57:04
私はシヴァ大神の生まれ変わりです

509 :名無し@autn. sys. ◆pFYl6xGCTc :2006/12/23(土) 02:15:06
>>468
> 扱う問題によってはその通りですが、
> 物質に束縛されているという唯物論や決定論を考える上では、
> 脳をハードウェア、意識をソフトウェアの動作と同列に扱うことは可能です。
> 誰が作ったかわからないコンピュータで中を見れなければ、
> それは観測者にとって脳と同じようなものです。

同じことを何度書いたか分からないのですが…。

たしかに、科学によって「世界が全て決定的に理解される」という
モデルを描くことは可能でしょう。
たとえば、古典量子論のモデルだと、
世界中のあらゆる粒子を表す「波動関数」が厳密に記述でき、
それを処理する完全な計算能力があれば、
未来永遠にわたる世界の挙動を記述できます。
(いや、古典量子論のモデルなんてダメだよっていうのが、
>>467さんの横やりでしょうが、
とりあえず、その話は置いておきましょう)

510 :名無し@autn. sys. ◆pFYl6xGCTc :2006/12/23(土) 02:31:48
しかし、「波動関数」を厳密に記述することは原理的にできず、
それを処理する計算能力はは原理的に存在しえません。
(理由は、>>379-381>>437-440>>506のあたり)
このため、この手の決定論は、「そうやって考えることができる」という
以上のものではないということです。
世界の説明方法の一つであって、それ以上ではない。
たとえば、「世界が全て神に創造されたと考えると、うまく説明できる」というのと、
同じで、無数にある、「そう考えることもできる」という視点の一つです。
したがって、それを否定することはできない一方
(神の不存在証明と同じように難しい)、
その正しさを実証することもできないわけです。

繰り返しになりますが、これは物理学の否定でも、
科学の否定でもありません。
科学は、事象を説明するためのモデルであって、
決定論ではない。
これは、本来の科学のあり方を提示しているだけで、
その有効性を否定しているわけではないのです。

どうでもいいですが、脳=ハードウェア、
意識=ソフトウェアという単純な分け方は、
短期記憶などを考えるとうまくいかないはずです。
これに関しては議論の本質と関係ないので、
これ以上のコメントは避けます。

511 :名無し@autn. sys. ◆pFYl6xGCTc :2006/12/23(土) 03:19:14
>>491
> 「間違いとも言える」根拠・・というかせめて「そう思う理由」を
> 一言述べる必要があると思いますが・・。

もぅ、何度も説明したにょ。
一番近いところだと、すぐ上の>>509-510あたり。

てか、これの元レス>>484-490は、全然違う趣旨の話で、
心と言語、規範、価値観とかがどういう関係になっているかという話と、
それをもとに科学的視点の成立過程について書いたもの。
決定論は、話の流れで、ちょろっと出てきただけ。
理由については、本題からそれるというのと、
他の場所で何度も書いてるから、書いてないってだけです

決定論の話そのものについては、
それについて議論したコメントがたくさんあるわけなので、
そっちにレスしてもらえればと思います。

↑みたいなレスの付け方だと、
揚げ足取りされているようにしか思えないんだけど。

512 :名無し@autn. sys. ◆pFYl6xGCTc :2006/12/23(土) 03:55:35
> てか、これの元レス>>484-490は、全然違う趣旨の話で、

微妙に訂正するけど、
「全然」違う趣旨はちょっと言い過ぎだったかも。

考えてみたらこの話は、>>379-381の議論を受けて書いてるわけなので、
要するに、心の働きの一部として、
科学的視点やそれに基づく世界観があるということを言ってたんですよね。
そして、今日では、あたかも科学的視点が唯一絶対のもので
あるかのように思われているが、そうではなく、
科学もあくまで心の働きの一部であり、
ものごとを理解するためのモデル化の一つとしてあるに過ぎないということを
書いたわけです。

結局、>>484-490は決定論に関する是非を直接的に述べたものではないですが、
決定論の背景にある「科学一元論」に対する批判という意味では、
>>379-381からの一貫した論旨を受け継ぐものです。

元はと言えば、>>491の引用が、不公平で、

> 科学一元論に基づいて、
> 「脳の働きは決定論的」というような視点は
> 現代のコミュニケーションが陥りやすい間違い

と書いたのに、最初の一行が削除されていて、
話の本質が見えなくなってしまっていたわけですね。
いずれにせよここで批判したのは、
「科学一元論」で、決定論については他のレスで書いたので詳しくは書かなかったと、
そういうことです。

513 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 04:08:56
えっ?
ひさしぶりにきてみたんだけどさ、もしかしてコイツら、
この調子でずっと議論しつづけてたわけ?
決定論とかいって三人ぐらいでごちゃごちゃと、
うそだろ?
アタマだいじょうぶ?

514 :352:2006/12/23(土) 04:12:06
>357
>それは「伝わらない」のではなくて、それ以外の意味はないのです。だから、
>実際は十分に伝わっているのであって、「読み替えられている」のではありません。

「AにとってはAが私でBは他人」というとき、「Aが私でBは他人」という事態は
Aにとってしか正しくない(Bにとっては正しくない)事態を表している。
だからこそ「Aにとっては」という言葉が付いているのです。

しかしあなたの主張が正しければ、「Aが私でBは他人」も
「AにとってはAが私でBは他人」という以外の意味を含んでいないはずです。
そして「AにとってはAが私でBは他人」は別にAにとってだけ正しいわけではないので、
「Aが私でBは他人」という事態もAにとってしか正しくないなんて言えないはずです。

「(実際に私はAなので)Aが私でBは他人」
=「Aにとっては(実際にAが私なので)Aが私でBは他人」なら、
後者によって前者はAにとってだけ正しいことになる。
しかし後者は誰にでも正しいので、前者も誰にでも正しいことになる。

よって「Aにとっては(実際にAが私なので)Aが私でBは他人」などという物言いは
唯物論の立場から言って正しくない物言いである、と思う。

515 :750:2006/12/23(土) 07:03:52
意識の発生について論じてもらいましょう。
そうしないと論議がそれている状況ですので

516 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 07:12:24
>>515
自分が外界を知覚しているということを知覚することこそ意識だ。

517 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 07:31:20
>>513
そうだよ。卵が先か鶏が先かみたいなことを延々とねw

人間が感情を手にし己の意識という概念を顧みることができるようになった代償としての矛盾。
永遠に答えは出ない、矛盾と混沌。ましてや日本語なり英語なり言語文章で説明できるものでもない。
科学というモデル化概念、とは便利な物の言い方だねw


…とこんな具合にひどいテキトーな持論で納得していればいいのさ。
思想のモデル化という概念さw



518 :750:2006/12/23(土) 08:47:30
>>515
私だと自覚する瞬間ですね。ほとんどの人にはないですね
意識とは統覚された知覚の土台ですよ。


519 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 08:58:24
>>506
>: 世界のあらゆる粒子の状態を記述する必要がある。

これはニュートン力学の世界の場合ですよ。

520 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 09:16:06
>>506
>ここで、量子化していないことが、ただちに決定論につながるとは言えません。

実は言えるのですが、貴方が決定論に繋がることを認識できていないということだと思います。


521 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 09:34:31
もちろん、問題は自己の魂と、その入れ物である身体の間の相克にある。魂の方は
身体が自分の持ち物であることを当然のように思っているから、身体がそれを感じ取り
、実際の質量すら持たない魂に対して、現実感の点では遙かに優れている自己に、
何かはにかみのような物を覚えるため、魂の期待通り、魂の言うことを聴いてやろうとする
振る舞いを見せるわけである。かくしてここに、魂と身体の共同作業、個体という物が生まれる
のである。

522 :ななし〜:2006/12/23(土) 10:26:30
>>1

だったら、ここの一連のレスも必然なんか?

523 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 10:42:31
「決定論が原理的に否定できない」といってたやつは

早々に根拠を示せ。

「非決定論も原理的に否定できないのだよ」

524 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 10:47:57
ブラウザかちゅ〜しゃの設定ファイルをみたら
設定した覚えの無い串鯖が載ってた。
調べて見ると南米かどこかのサーバーを経由してるらしいと判明。
さらに調べると、そのサーバーからスパムメールが送られて来て
困ってるというサーバー管理者のサイトを発見してしまいまして・・・・

これは、必然でしょうか。


525 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 10:50:34
>>514
>そして「AにとってはAが私でBは他人」は別にAにとってだけ正しいわけではないので、
>「Aが私でBは他人」という事態もAにとってしか正しくないなんて言えないはずです

そんなことはないと思いますが。
「Aは私でBは他人」とか「私はAである」という文は、実際にそれを
発語しているのが誰かによって、真偽が違ってくる、というだけです。
Aさんが「私はAである」と発語すれば、それは真ですし、
Bさんが「私はBである」と発語すれば、それは偽です。
「これは犬である」という発語は、「これ」という言葉で示されているのが
犬であれば真だし、猫であれば偽だ、というのと、同じことです。
(よく知りませんが、この場合の「私」とか「これ」のことを指標語と呼ぶそうです。)
指標語を含む文は、実際にそれが発語された文脈がわからないと、
真偽の判定ができません。
「AにとってはAが私でBは他人」という文は、指標語を含まないので、
いつ誰にとっても真です。むしろ、「私」や「他人」を定義した文とも言えます。
一方、「Aは私でBは他人」という文は、指標語を含むのか含まないのか
あやふやですが、それを実際にAが発語する場合には、聞き手は、その背後に
「私はAである」という「指標語を含んでいて真である文」が、発語されない
前提として隠れている、と解釈するので、ただちに真と判断できますし、
Bが同じ文を発語すれば、同様にして、ただちに偽と判断できます。
それだけのことだと思いますが。


526 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 10:52:08
↑すいません、7行目は「私はAである」の間違いです。

527 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 10:53:40
何もかも偶然だよ。
ただ「偶然」と「必然」を入れ替えただけ。
何が「偶然」で何が「必然」か証明できないから。

528 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 11:16:10
偶然と必然の意を定義せぬかぎり次の解釈が可能となる

 「偶然は必然を含み、必然は偶然を含んだ概念である」・・と



529 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 11:18:52
「必然は7割」

530 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 11:46:50
>>523
決定論は原理的に否定できないが、非決定論はそもそも論理的に成立しない。

531 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 11:49:57
>>527
偶然も必然も事象の捉え方に過ぎない。
同じ事象でも主体の能力によって、必然にも偶然にもなりうる。
無知になり、原因を見なければ、すべて偶然とみなすことができる。
もちろん、すべて必然という視点もあるわけだが。

532 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 12:04:31
>>531
既出かもしれんが、客観的な視点というのは、存在を想像できる。

533 :750:2006/12/23(土) 12:21:49
>>482
哲学では,システム論ですね。オートポイエーシスなど発展してますよ
河本秀夫の著作を読んでみたらいいと思います。


534 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 13:10:13

       o。_。_lコ<o>     |l≡≡≡|ミ|__。≠_〇o
 。+ +。。。。。 |l|FFFFFFF|。 。 .。 +|l≡≡≡|ミ|EEEEEEEEEEE|lll| .。+
  * o  o.   |l|FFFFFFF / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     。。oo  |l|FFFFFF | 職も彼女も見つからないうちにクリスマスか…
   /| ̄ ̄ ̄l ::|FFFFFFF \
   |ミ|:」」:」」:」| ::|FFFFFF     ̄|/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
   |ミ|:」」:」」:」| 〇 FF.。   ∧_∧  |l≡o + +! + 。 〇   +
   lミl.」」.」〇 ++ +  (´・ω・) o  〇 。 o  +   〇 。 +
  __〇___。_゚__/ ~つと)____o______〇__o___。
  二Il二Il二Il二Il二Il二Il二Il二Il二Il二Il二Il二Il二Il二Il二Il二Il二Il二Il二


535 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 14:07:19
>>1
人間の脳が物質であることは論を待たないが、その脳の可塑性、シナプスの結合
次第で、意識の有り様はいかようにもなりうる。

536 :職安年下面接官:2006/12/23(土) 16:21:29

年下職安面接官「清掃員の仕事あるかもよ?おっさんにーと?」

最低位「我が名は最高位、機械、自演であるぞ!」

爆笑

537 :名無し@autn. sys. ◆pFYl6xGCTc :2006/12/23(土) 17:14:12
> 決定論と量子力学

なんか量子力学に基づいて決定論を否定するというのが、
「科学的」だと思われがちですが、
「(場の)量子論=非決定論」
「それ以外=決定論」
という分け方は一面的ではないかと思います。

決定論と非決定論の対立はさまざまなレベルである。
生物学や経済学のレベルでも決定論的視点は考えられて、
逆に、それが一面的だという批判ができると思います。
ただし、生物学や経済学の決定論は、
物理学や化学など科学の内部の立場から単純に否定できるわけですが、
物理学の決定論だけは、そうはいかない。
ここに問題の難しさがあるわけです。

自分が決定論について言っているのは、
それが間違っているというより、「一面的だ」ということです。
たしかに、決定論的にものごとをとらえることはできる。
「神が全てを決めている」
というのも、論理的に否定するのは難しいわけで、
この構造はさまざまな科学…、
たとえば量子論を用いても変わらないのです。
(つづく)

538 :名無し@autn. sys. ◆pFYl6xGCTc :2006/12/23(土) 17:17:02
(つづき)
>>439-440では、わざわざあまり一般的ではない
古典量子論の「決定論的解釈」を出した上で、
その限界を指摘したわけですが、
これも科学の決定論的側面を一般化するという意味で書いたものです。
(誰かが言っていたが、「粒子云々」はおっしゃる通りですが、
一般向けに、あえてそう書いたものです。
議論の本質には影響しないはずだし、
物理に詳しい方ならその辺は理解してもらえると思います。)」

>>379-381>>439-440>>484-490あたり、通して言っているのは、
「科学一元論」の問題であり、
それによって「科学的決定論」にとらわれてしまうことです。
「科学的決定論」に対して、「それも一つのモデル」だと、
相対化してとらえることができるのなら、
科学を発展させていく原動力として、
「科学的決定論」も再評価されるのではないかと思います。

539 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 17:20:42
>>507
まともな答えになってないね。機械タン。
脳の限界かな?

>そもそも「干渉」とは「発射された光子線の諸光子間の関係における『干渉』」
>であり発射された光子線の諸光子間の関係における『干渉』」
>であり発射された電子線の諸電子間の関係における『干渉』」
>・・・ですので・・・、

件の実験結果は、その今までの前提が覆されたと解釈するのが一般的だと思うのだが、
あなたは違うのだね?

仮に一発目の電子が左側のスリットを通過して感光版に当たり、
次に二発目の電子は右側のスリットを通過して感光版に当たったとする、
この一発目と二発目が『干渉』するとあなたは考えているわけだね?
でも、二発目の電子も左側を通過した場合は一発目と何故か『干渉』しないのだね?

この場合、スリットを交互に開け閉めしたとしても、
(電子は必ずどちらかのスリットしか通れない場合でも)
干渉縞は出来ると考えられるよね?

540 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 17:22:11
>>536
人に言えない仕事はなぜ儲かるのか?

541 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 17:32:36
>>538
「科学的決定論」というのは意味がよく分かりません。
決定論とは科学の前提に置かれるものではないでしょうか?
決定論の前提に立ってこそ、科学の限界が示されると思うのですが。
突き詰めれば、同一律を受け容れた観方であるかどうかの問題のような気がします。

542 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 17:37:24
>>536
また君か。清掃員だかなんだか知らんが
ここで職業紹介しても誰も食いつかんよ。


543 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 17:57:06
>>541
科学の前提どころか、論理の前提。

544 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 18:53:20
因果の理由がわかれば決定論、わからないなら非決定論、わからないだけで将来わかるかもしれない。
この違いは文系はどうでもよくて、理系は楽しいらしい。
文系はむしろ自由意志が本当か、幻想か(なのに自由を感じるのは何故)に興味あるとオ思われる。
理系の哲学立場って形而上学無視せざるをえないからセマイ

545 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 18:59:46
>因果の理由がわかれば決定論、わからないなら非決定論、わからないだけで将来わかるかもしれない。

表現がまずい。
将来わかると期待されてるだけで永遠にわからないかもしれない。

546 :ディオニュソス:2006/12/23(土) 19:01:32
ある音の組み合わせの状態にはラジオの周波数のようなものがあり、たまたま
その周波数のようなものが合う瞬間があるとそれに応じて様々な匂いがしたり、
視界に記号やら文字やらが突然浮かぶ。突然大きな物音がすると半透明なΨの
文字が視界一面にわっと広がる。一般に聴覚器官と呼ばれているものは最初か
ら聞くことだけのために形成されているのでは断じてない・・。
異なる感覚的起源を持つ者は独自の思考の文脈を確かに持っている。(孤独)
事故のショックや手術後の後遺症および過度の身体的、精神的苦痛などの何らか
の偶然的なきっかけにより後天的に感覚のあり方が変質する者もいることはいる。
そういったものはいずれ良かれ悪しかれ生まれながらの孤独者の孤独を共有する
ことになる。

547 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 19:06:28
>>544
それは、広さ狭さを比べられるようなものなのでしょうか?

548 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 19:08:37
>>546
君は共感覚者なの?

549 :名無し@autn. sys. ◆pFYl6xGCTc :2006/12/23(土) 19:20:09
>>541, >>543
議論の「前提」と「思想的背景」は違うよ。

550 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 19:22:55
>>546
進化論的考えがないよ。メタモルフォーゼと・・・・

551 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 20:50:09
>>544
違う。
原因が存在しないことを証明できたら非決定論。それ以外は決定論。
実際上、原因はあるが知らないことが多いので、
非決定論を主張する側が、原因が存在しない差異の例を示さなければならない。


552 :ディオニュソス:2006/12/23(土) 20:57:23
例外の者たちが大部分の者たちに対し、自分が何か得体の知れないものについて
関わりがあることを告げ知らせるための呼び水としての言葉というものが確かに
ある。理解してもらうために説明するのは骨の折れる作業であり、なおかつ適切
な言葉で表現することが事の性質上非常に困難であるがゆえにあえてものすごい
遠回りをしたり逆立ちしたり道化を気取ったり矛盾したことを述べたりしなけれ
ばならなくなる。そしてそんな気の遠くなるような苦労を払ったところで聞き手
が本当に感得することはまれであり、大抵の聞き手はただその前景を解釈するだ
けにとどまるのである。というよりむしろこれは殆ど不可能を望むようなことな
のだ。「私」と「私」の間には永遠に埋めることのできない質的な断絶がある。
にもかかわらず「私」はどうしようもない孤独からやむにやまれず空しく唄いつ
づける羽目に陥るという更なる例外者の孤独・・。

553 :ディオニュソス:2006/12/23(土) 21:27:18
ギュスターヴ・モローの絵画からは常に異様な音が感じられる。
高速で回転するモーターの音にバチバチと電気が走るような音が混ざった
ような感覚である。
イメージとしてはその音が佳境に入って初めて映像がジーンと浮かび上がる
といった按配であるが、これは一体どういったことなのか?

554 :ディオニュソス:2006/12/23(土) 21:39:45
フランツ・リストの和声の中には紫色の凍える冷たさの感覚が達成されている
瞬間がいくつもある。この場合それが音なのか色なのか温度感覚なのがという
区別が曖昧になっている。

555 :ディオニュソス:2006/12/23(土) 21:46:05
ベートーヴェンのピアノソナタ特に前期から中期にかけての作品。
数時間ほどじっくり弾き込んでいると少しくすんだような濃密な匂いを感じる
ことがある。何の匂いなのかはわからないが、鼻から吸った空気を通じての
匂いではなくむしろ脳がそのにおいを感じている。

556 :「機械的唯物論」者 ◆6xfUzFrrFE :2006/12/23(土) 22:54:11
>>539
>件の実験結果は、その今までの前提が覆されたと解釈するのが一般的だと思うのだが、

「シュレディンガー方程式通り」に1個ずつの量子の「到達点」をシュミレートしても、
最初は「ランダムな点の散らばり」にしか見えませんが、数を重ねると「干渉縞」が
浮き出してくる・・結果になり、実際の実験結果もその通りになる・・・ということです。

557 :「機械的唯物論」者 ◆6xfUzFrrFE :2006/12/23(土) 22:55:18
556は「シミュレート」の間違いでした。

558 :「機械的唯物論」者 ◆6xfUzFrrFE :2006/12/23(土) 23:01:10
>>553>>554>>555
それら「感覚的クオリア間の結びつき」は「人類共通の共感覚的クオリア」ではなく、
あなたが生まれてから経験した事象に基づく「個人的体験が基になる(あなたの脳独自の)
指向的クオリア」による「個人的体験」・・・だと思われます。

559 :ディオニュソス:2006/12/23(土) 23:03:28
一般的な常態だとされている感覚の区分を持つものにとって、五感相互の役割
が未分化で曖昧であったり、配列区分の仕方が異質であるような者の感覚の
あり方をじかに理解することは難しい。

それと同じような意味において、本来あり得ないはずの主体としての自我なる
ものを必ずでっちあげざるを得ない常態としての認識および思考の性質にとっ
て、本来そうあるはずの無我をじかに理解することは難しい。

人間は自分の理解を超える領域に対し往々にして高慢に構え勝ちなのである。

これは単なる勘に基づく憶測に過ぎないのであるが、ガウタマやナザレの
イエスは単なるプッツン者などではなく、おそらく私も含めた大多数の人間
にとって理解しがたいような種類の認識を本当に持っていたのではないだろ
うか?

560 :「機械的唯物論」者 ◆6xfUzFrrFE :2006/12/23(土) 23:23:15
>>559
>おそらく私も含めた大多数の人間にとって理解しがたいような種類の
>認識を本当に持っていたのではないだろうか?

持っていたのでしょう。ただし「私を含めた大多数の人間」とは、実は
21世紀、太平洋の西北端に浮かんでいる島国の「共クオリア」であり、
それが、紀元前1世紀の砂漠の民の町における「共クオリア」とは、
「基本(が)的に異なる認識」である・・ことは容易に想像できます。
・・・「どちらが『優れている』認識なのかどうか?」・・という
問題ではありません。


561 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 23:25:30
>>559
同意するよ。
生まれつき目の見えない者に視覚を説明するのは難しいだろう。
病気の苦しみを、健康な者が理解するのは難しいだろう。
出産の苦しみを男が・・・いくらでもあるな。

オーラの人なんかもそうかもね。

>本来そうあるはずの無我をじかに理解することは難しい。

無意識の癖を他人に注意されないと気付かないってことだろ?

562 :考える名無しさん:2006/12/24(日) 03:19:01
>>561
オレは男だけど出産の苦しみ分かる。
キミも一度産んでみたら?
理屈より経験だよ!

563 :考える名無しさん:2006/12/24(日) 07:24:01
>>551いってる事わかる。思い出した。
決定論は同じ状態から同じ状態がでる事を証明、非決定論は同じ状態から
別の状態がでる事を証明 これは原理的に無理という事だとおもう。
ただ、これの解釈がわからんのだが@実験できないからか?
Aクリプキのウィトのパラドクスの様に 自然がどんな規則に従っているかは原理的に?
知りえないからか?(完全なランダムがあろうと、何か複雑な規則かもは知りえない) 
あ、でも自然はオッカムだから単純な規則になってるのか? すまん酔ってる 無視して


564 :考える名無しさん:2006/12/24(日) 09:45:47
>>563
無視してくれとは書いてあるが、一応。
オッカムの剃刀は、理論は単純な方が良いという価値判断であって、
自然は単純明快であるということではない(これはアインシュタインの立場)。

565 :名無し@autn. sys. ◆pFYl6xGCTc :2006/12/24(日) 15:20:36
> 同じ状態から同じ状態がでる事を証明

あらゆる科学は特定の場面で「同じ状態から同じ状態がでる事を証明」できると考え、それを立証しようとする。
だから、科学によってこれが証明されているかのように思ってしまうわけですが、ちょっと考えれば無理だって分かりますよね。

@ 調べることができるのは限られた事象で、全ての事象について調べることはできない。
A 調べることができるのは限られた観測精度の範囲で、完全な観測精度で調べることはできない。

要するに、@Aの限界の中で、「こう考えると世界をうまく説明できる」というモデル化が科学で、証明も反証もできない。
そして、他のモデル化と対等な一つの見方に過ぎないわけです。
ところが、モデル化だということに自覚的でないと、たちまち科学的決定論になってしまう。

科学的決定論と対等なモデル化としては、たとえば、「神によって全て決められている」という神学的決定論、あるいは非決定論があります。
このどれもが世界に対する可能なモデル化で(経済的利益のような別の価値基準を持ってこない限り)優劣を付けられるようなものではないということです。

ちなみに、ここでは一応、科学ということに限って説明したわけですが、さらに一般化して言うと、私たちの認識、あるいは知識は、「同じ状態から同じ状態がでる」というモデル化と表裏の関係にあるものです。
たとえば、「目の前にPCが見える。
だけど、触って見たら何もない」なんてことがあったら困るし、まぁ、めったいにそんなことはない。
だけど、「何かが見える→そこにものがある」という関係を証明することも反証することもできないわけです。
私たちが認識するということは、実はすでに何らかのモデル化であり、限界がある。
ところが、そのことに自覚的でないと、決定論になってしまう。

言うまでもなく、科学はこうした認識によって生まれてくるものの一つなので、この辺りのことを理解しないで、「科学」をとらえたら、「決定論」から出てこられなくなってしまうのは当然のことです。
ところが、それは現代の社会のコミュニケーションの特質だったりするから、さらに厄介です。まぁ、この辺りのことは、すでに書いたので、そちらを参照してください。
>>377-381>>439-440>>484-490

566 :考える名無しさん:2006/12/24(日) 15:24:25
>>565
>あらゆる科学は特定の場面で「同じ状態から同じ状態がでる事を証明」できると考え、それを立証しようとする。

間違い。
科学に限らず、人間のあらゆる論理は同じ状態からは同じ状態にしか遷移しないことを『前提』にしている。
これが崩れると、因果律が成立しないだけでなく、あらゆる論理の組み立てが瓦解する。
モデル化以前の問題。

567 :考える名無しさん:2006/12/24(日) 15:27:31
>>565
非決定論ではモデル化が無意味でしょ

>私たちが認識するということは、実はすでに何らかのモデル化であり、限界がある。
>ところが、そのことに自覚的でないと、決定論になってしまう。

自覚的だからこそ決定論なんでしょ。

568 :考える名無しさん:2006/12/24(日) 15:31:24
「イコール」を「同じ」と勘違いしている人が実に多いのだ。

569 :考える名無しさん:2006/12/24(日) 15:52:51
>>565
同じの意味が形而上学的だな
結局ポストモダン的な批判にしかならん

570 :名無し@autn. sys. ◆pFYl6xGCTc :2006/12/24(日) 16:26:03
>>566
> これが崩れると、因果律が成立しないだけでなく、あらゆる論理の組み立てが瓦解する。

(1) 科学は純粋な形式論理に基づく営みではなく、
むしろ科学を含めた人間の思考をある形でモデル化したのが論理。
(2) 論理そのものは閉じた議論として成り立つわけだけれど、
現実世界に論理を適用するとする試みは全てモデル化。
あとは、>>565に書いたとおりです。

>>567
> 非決定論ではモデル化が無意味でしょ
ずいぶん細かいところで突っ込んできますね(笑)。
議論の本質と全く関係ないので、
納得いかないなら、そこを外して読んでもらえば良いんですけど…。
一応、>>439-440とかを例示しておきます。

> 自覚的だからこそ決定論なんでしょ。
「その」の指示対象が「限界がある」なんです。
って、ここは国語の授業をするところ?
とりあえずちゃんと読んで。

571 :考える名無しさん:2006/12/24(日) 17:02:33
>>560
その根拠は何です?


572 :考える名無しさん:2006/12/24(日) 17:04:09
>>570
(「限界がある」事に)「自覚的」だからこそ決定論なんでしょ。

これで通じますか?国語の先生

神学的決定論でもそれは変わらないでしょ?
人が自然に敵わないか、神に敵わないか、の違いでしょ

573 :名無し@autn. sys. ◆pFYl6xGCTc :2006/12/24(日) 17:18:10
> (「限界がある」事に)「自覚的」だからこそ決定論なんでしょ。

おっしゃる通りです。そういう意味での決定論だったら賛成します。
「自分は決定論的にとらえているが、それは一つのモデル化に過ぎない」
ということを理解した上での決定論。
神学的決定論でも同じだというのも、おっしゃる通りですね。
で、そうだとすると、何を批判されてるのか分からないんですが…。

574 :考える名無しさん:2006/12/24(日) 17:27:17
>>570
そのモデル化の前提にあるのが決定論。科学の下にあるようなラプラスの悪魔とは別。

575 :名無し@autn. sys. ◆pFYl6xGCTc :2006/12/24(日) 17:44:14
> そのモデル化の前提にあるのが決定論。

どういう意味で言っているのか分からないので、
それが分からないと何とも言えませんね。
もう少し具体的に説明してもらわないと。

一応、言うと、
モデル化によって、ものごとが決定論的にとらえらてしまうわけです。
これは、人間のあらゆる認識について当てはまる。
これを、「モデル化の前提にあるのが決定論」と
言うこともできるかもしれないけれど、
いずれにせよ、世界そのものが、決定論的だということの説明にはなっていない、
ということです。

ちなみに、
「モデル化」というのを、科学的なモデル化に限定してとらえているのだとしたら、
それ以前の問題で、「モデル化」の意味が違うということになる。

576 :考える名無しさん:2006/12/24(日) 17:49:01
決定論を批判したい人は何故批判したいのかねぇ・・・。
人間の認識には限界があるのだから身の程を知れと言いたいのかな?
だったら、その批判自体もふるいにかけられてしかるべきじゃない?
相対主義的愚考にしかならないでしょ、そういう批判はさ。


577 :考える名無しさん:2006/12/24(日) 18:17:09
決定論という定義にも問題あり。@決定論=時間軸による因果影響を意味する
なら、たとえ因果規則が認められなくてもすべて決定論である あたりまえ
A決定論=因果規則が認められる事とする。それを認めるのは人で、んで
ウィトパラドクスで、たとえば因果規則が認められない乱雑さも、そのような乱雑に見える規則かもと
いってしまえば、すべて決定論である。人は規則か、乱雑かなんて知りえない?
この違いは人の定義、考え方に依存するので実はたいした問題じゃない。
もちろん決定論かというと、帰納によりこれまた証明付可。板ばさみw

578 :考える名無しさん:2006/12/24(日) 18:31:55
>>575
>いずれにせよ、世界そのものが、決定論的だということの説明にはなっていない、
>ということです。

仰るとおりでしょう。

>モデル化によって、ものごとが決定論的にとらえらてしまうわけです。
>これは、人間のあらゆる認識について当てはまる。

その通りだと思います。
人間が何かを説明しようとするのならば、
背景にそういう無意識が働かざるを得ないでしょう。

「科学を信じる人」を批判する人にも二種類いて、
科学理論がモデル化であることを知らない人、
そして、科学理論がモデル化に過ぎなかった事に気付いて有頂天になり、
自分の理論も所詮別のモデル化である(と見られる)のを想像しない人
がいますね。
科学を信じる人にも二種類いますが。

こういう事を言う人がいました。
「自動車は設計図の通りに作るものだ」と。
その人は、「設計図の通りに作ったら、設計図がもう一枚出来上がる」とは考えないようです。
きっと、説明とはどういうものかをあまり考えたことがないのでしょうね。

579 :考える名無しさん:2006/12/24(日) 18:42:33
別に考えなくても自動車が走るんだからいいじゃんw

580 :考える名無しさん:2006/12/24(日) 19:11:11
>>579
イヴなんだからこのくらい気楽にいきたいよな。

最高位よ、機械よ、冬休みだからまた学生増えるからな、覚悟はいいか?

581 :名無し@autn. sys. ◆pFYl6xGCTc :2006/12/24(日) 20:28:33
> 相対主義的愚考

相対的にものごとをとらえることは、
それで終わってしまったら、意味がないけれど、
ものごとを分析するためには有効な方法論とは言えると思います。
たとえば、戦争を初めとする
現代のさまざまな社会の問題を分析し、解決策を提示するための手法となります。

当然、相対的視点そのものも一つの視点に過ぎないわけだけど、
説明能力の高さと、最終的に提示される解決策の有効性で、
評価することはできるでしょう。
社会問題はスレ違いだと思うので、「解決策の有効性」は割愛するけれど、
説明能力の違いについて言うと、
たとえば、非決定論で決定論を説明することはできるが、
決定論で非決定論を説明することができないというような議論はできます。
こういう形で、「モデルの有効性」は議論できるでしょう。

要するに、相対的視点も一つのモデルに過ぎない。
これは、>>565で書いたことの当然の帰結だし、
これについては、>>578さんの指摘してくれたとおりだと思います。

ただ、一般的に哲学をやってると自称している人間が、
そういうことにどこまで自覚的かは微妙ですね。

582 :考える名無しさん:2006/12/24(日) 20:49:16
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   /  ̄/   /  /      /      /       /
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        :☆:                     /       :::::::\
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+    .::彡彳*‡:*..                 |(●),   、(●)、.::::|
    .:+彡*★:ミ:♪:ミ。:, +              |  ,,ノ(、_, )ヽ、,, .:::::::|
   .:彡'゚‡,※゚.◎::▲:ミ,::..               \ `-=ニ=- ' .:::::/
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 ..*彡゚◎.从♪.:ミ,☆,゚〓:ミ:,,  +           /    _    l
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.:゚:彡彡彡彡彡彡ミミミミミミミミ::._______,|    |    |´  ハ
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      ■■■                      |__ |   _|   7'′
      .;■■■;...                 (   (  ̄ノ `ー-'′\
                              ̄   ̄          \


583 :考える名無しさん:2006/12/24(日) 21:00:58
>>579
あなたは賢いw

584 :法学士 ◆Ag3iXIDZUk :2006/12/24(日) 21:59:44
>「機械的唯物論」者さん

「機械的唯物論」者さん。半年ぶりです。ご無沙汰しております。
基本的に人間は観念論もしくはそれに準ずるものをまとっています。
ですから、機械的唯物論とやらが観念論を打ち砕いて真理とされることはないでしょう。
それは、「機械的唯物論」者が言う通り、ニーチェのいう超人でなければ耐えられない
ということですから。
つまり、機械的唯物論が真理であるか否かは別問題とすれば、世の中の全ての人が
ニーチェのいう超人になれないのですからこの論が大衆に認められることはないと
思います。それは観念論が人間生活において欠かすことのできないものであり、
人間の構造上、観念論的存在であることが人間性のために必要不可欠であるからです。
よって、機械的唯物論は永遠に人々に理解されず、日の目を見ることはないでしょう。
無駄な井戸端会議やおしゃべりを抑止できず、真理を名乗る立場もありません。
機械的唯物論はコンピュータの分厚い説明書のようなものにすぎず、永久に観念論の
解説書の地位しか得ない徒労の情熱に終わるでしょう。
機械的唯物論者さんはまったく「キリスト教的自然観」の持ち主である。
再び述べるが、「神の巨視的な観点から再組織化された秩序」である。
これは西欧キリスト教の「神」観念の衰退に代わり生み出された、「自然科学的世界観」であり
機械的唯物論者さんもキリスト教神信仰の延長線上にいるとしか思えない。
ここに大いなる危険が孕んでいるのである。人間が主体的に「たった一回だけの人生」を
引受けること。全観念論・宗教をすべて誤謬とすること。それによって、現世を人間が主体的
に受容し、我々自身が肯定的に生きるという「実存的態度が否定される」危険性である。
決定論が「すべて決定されている」とするのは、その膨大な自然科学、とりわけ物理学による
裏付けによって客観的な世界が描かれているように思えるが、機械的唯物論自体が
自然科学的・物理学的知識でできた要塞であり、「現世否定の信仰」にすぎない。

585 :考える名無しさん:2006/12/24(日) 22:51:27

              ,. -─────────‐- .、
             // ̄ ̄\      / ̄ ̄\\
           /                     \
          /        ::::::::::::::::::::::::::::::::       \
        /   / / ̄\\::::;;;;;;;;;;;;;;;;;:::::// ̄\\  \
       /    |  |. ┃ .| | ::::;;;;;;;;;;;;;::::| |. ┃ .| |    \                     
     /      \ \_// :::::::::::::::::: \\_//      \    クリスマスに2chかお?
    /     ../ ̄ ̄\ /   ::|::   \ / ̄ ̄\..     \
   /         :::::      |      |      |       :::::      ヽ.   
  |               |      |      |              |.
  |               \__/\__/               |                 
  |                |       |               |
  |                |r─‐┬──、|                |
  ヽ                |/   |    |              /
    \              \      /             /
     \               ̄ ̄ ̄ ̄             /


586 :考える名無しさん:2006/12/24(日) 22:55:32
>>585 お前に言われたくないわ ぼけぇ!

587 :崋山岩 ◆owNN8RDlXo :2006/12/24(日) 23:48:05
観念論とはイデアとかの形而上学でしょ。哲学の初期にこんな不自然な
事が論じられているのは不思議な気がする。ウィトゲンシュタインなんか
は、哲学の限界というものを悟って、有名なあの言葉をぶちかましたの
だと思う。今世紀、前世紀なんかで、哲学が飛躍的進歩をとげたのは、
なぜだろうか。自然科学の飛躍的進歩とたぶん関係があるのだろう。

588 :考える名無しさん:2006/12/24(日) 23:52:26
無神論のくせして、クリスマスだぁ〜?! プッw

589 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 00:03:25
誰が無神論だ? 八百万の神にキリストも加わっただけだろ。

590 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 01:19:27
  ∧_∧
 ( ;´∀`)  過疎りすぎてもれそう。。。
 人 Y /  みんな見栄でわざと書かないのばればれ。
 ( ヽ し    明日、「昨日はまともな奴はさすがにこなかったようだな、なんてほざきやがるぜキット」
 (_)_)   ホンとはいつも暇なくせによ

591 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 02:49:33
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E7%94%B0%E7%A7%80%E6%A8%B9
和田 秀樹(わだ ひでき、1960年6月7日 - )フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大阪府出身の受験アドバイザー、評論家(教育・医療、政治・経済)、精神科医(川崎幸病院精神科顧問)、国際医療福祉大学教授、起業家。
一橋大学経済学部(医療経済学)、東北大学医学部、上智大学心理学科などの非常勤講師や東進ハイスクール顧問も歴任。
ヒデキ・ワダ・インスティテュート、緑鐵受験指導ゼミナール代表。

論文「人間にまつわる研究 (Risk factors of aspiration pneumonia in Alzheimer’s disease patients Gerontology 2001; 47:271-276)」により 東北大学医学部で博士号(医学)取得。

「中学、高校と灘では落ちこぼれだった自分が理三に現役合格した方法」として、「誰でも難関大学に受かる受験法」を宣伝文句に、受験アドバイザーとして受験界に確固たる地位を築く。

和田式勉強法は灘高校における勉強法、和田秀樹自身が開発した勉強法などに加え、最近取り入れた認知心理学に基づく勉強法で成り立っている。
和田にとって認知心理学はまったくの専門外である、、、

592 :名無し@autn. sys. ◆pFYl6xGCTc :2006/12/25(月) 04:24:38
>>584

全くその通りだと思います。
自分がこのスレで、ずっと言ってきたことを、ストレートに言うとそうなるかもしれません。
自分は理論構成上の理由で、観念論という言葉を使わないのですが、本質的には同じことだと思います。

ただ、さすがにそのような表現では、理解できる人がいないのではないでしょうか。
決定論を初めとする一元論的思考は、一部の哲学者の主張としてのみ存在しているわけではありません。
それは私たちの認識の性質がもたらす、もっとも陥りやすい誤謬の一つであり、さまざまな社会の問題、また個人の悩みの原因となっている、現代のもっとも重要な課題とも言えるものです。
したがって、この問題について語るのであれば、対象は哲学者ではなく、ごく普通の人、こういったことについて考えたことがないような人を対象にしていくべきだと思います。

おそらく、法学士さんは、こういうところまで分かってらっしゃると思う。
だからこそ言うのですが、表現の分かりやすさにはもう少し気をつけた方が良いのではないかと思います。
というのも、法学士さんのレスを見て、「観念論とかいう良く分からないことを言ってる奴がいる」というように問題を矮小化してとらえる人が出てくると思うからです。
そんなの関係ない、言いたいことを言えれば良いのだと考えているとすると、それは単に自己満足ということになるでしょう。

もちろん、自分もまだまだ未熟であり、言いたいことを他の人に伝える力量すらありません。ただ、法学士さんの視野の広さ、議論の卓越さに期待するとともに、そこに甘えさせてもらい、一言申し上げた次第です。

593 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 07:17:13
>>575
>モデル化によって、ものごとが決定論的にとらえらてしまうわけです。

これは違いますモデル化によって、非決定論が妄想される場合もあります。

>世界そのものが、決定論的だということの説明にはなっていない、

説明は無理です。
決定論的世界以外の中で決定論的世界があるのなら、説明できるかもしれませんが、
世界の根底を説明することは不可能です。様子を観察してそれ以外の現象がなければ、おそらくそうであろうというぐらいです。
決定論と矛盾する現象を証明するしか無いでしょうね。
完全に同じ条件下で同じ状態遷移にならない現象と証明をできて初めて非決定論が成立するように見えますが、
それが成立するということは、あらゆる論理性が瓦解するため、非決定論の正当性も破壊されます。
いわば「正しいものは無い」とか「存在するものは無い」とか言うようなもので、無意味な自己否定につながります。
つまり、非決定論が正しくなることは原理的にありえなく、また、決定論が否定されることも原理的にありえないのです。

594 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 07:28:43
一度カオスでも勉強してみればよいと思うが

595 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 07:31:40
>>594
カオスが成立するのは決定論の世界。

596 :第2唯物論:2006/12/25(月) 08:58:34
  >それが成立するということは、あらゆる論理性が瓦解するため

しない

597 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/12/25(月) 10:04:01
決定的な世界と非決定的な世界はあるかもしれない。
(ここで、決定とは、確率的決定も含んでいるものとしよう。)

ただ、非決定的な世界はその非決定性ゆえにモデル化ができない。
なぜなら、非決定的な世界については、モデル化にとって必要な、
現象間の関係決定ができないからである。

もし非決定論的な命題があるとすれば、それは、「世界はモデル化できない」
というものであり、それ以上のことは言えないであろう。

モデルは決定論的であり、決定論がモデル化の限界である。
ここに、カントの言う「私たちは経験世界を因果眼鏡で見る」という
あの主張が思い出されるのではないか。

決定論と言うのは、「世界は決定している」という主張ではない。
「モデルは常に決定論的であらざるをえない」ということだ。

598 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 10:11:38
それはつまり
因果論的にモデル化された 主観的な 思い込みの世界(決定的な世界)と
完全なモデル化をしきれない 客観的な 現実世界(非決定的な世界)
との二つの世界があると言うことだろうか?

599 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/12/25(月) 10:13:53
>>598
客観的世界がモデル化されえないのか、つまり、非決定的なのか、
については誰も知り得ない。それは物自体について語ろうとするような
ものだからである。カントは、物自体の世界は自由であると考えたようだが、
やはりこれには無理があるだろう。彼自身が「知り得ない」と定義してしまった
のだから。

600 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 10:19:47
>>581
非決定論からどうやって決定論を導けるのか教えてくれませんか?
そもそも導けるような非決定論というのは決定論の枠内で語られるような
非決定論しかありえないと思うのですが・・・


601 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 10:48:28
>>599
なるほど
「自由である」というのがどういうことかよく分からないが
物自体についても 知る可能性がある と言うような意味に解釈すれば
物自体については 「知り得ない」 という言明とは明らかに矛盾するだろう

ただ 私は「自由である」と言うのは
自らモデルを更新し続けて 物自体に接近し得る と言うようなことではないかとも思う
また 客観的な現実世界全体が物自体だとするならば
我々自身もその物自体とやらに含まれているのであり
一つのモデル(ドグマ)にとどまり続けることはできないのではないだろうか

それと
「世界はモデル化できない」 以上のことは言えない
として モデル化を放棄することもできないのではないだろうか
我々の認識は あらかじめモデルが必要で
モデルとの関係ではじめて 知覚が認識となるのではないだろうか
したがって モデルを作った上で モデルと物自体との一致の不完全さに気付き
その問題を解消する新たなモデルへとモデルを更新し続けてゆくしかないのではないか?

602 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/12/25(月) 10:51:11
>>601
物自体は「自由である」というのは、物自体の世界には因果関係が
ないということである。カントは、因果関係を、認識によって生じるもの
と考えているようだ。

603 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 10:57:00
>>601
なるほど そういうことであれば
認識のうちと外には違いがあり
我々の認識は常に間違いを含んでいる と言うことを言っているまでで
物自体が非決定的かどうかまでは言っていないように思う
とくに無理は無いのではないだろうか?

604 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 11:00:20
603はアンカーミス
×601
○602

605 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 11:18:47
>>596
するよ。絶対的な正しさというものが存在しなくなるから。

606 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 12:23:36
その前に論理性って何だよ。

607 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 13:15:45
>>606
論理の性質

608 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 13:27:24
3文字を4文字にされても分からんがな。。。

609 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 13:33:45
3年ぶりくらいにこのスレきたけど、パート84!!???すごいねぇ。

610 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 13:37:29
>>608
別にわからなくてもいいのでは?
自分にあったレベルの学習法があると思うよ。

611 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 13:39:07
>>610
いや、だからさw
論理の性質ってもいろいろあるだろ。
いわゆる完全性と健全性のこと?

612 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 13:40:38
>>611
なら、そうじゃね。

613 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 13:41:32
>>611
キミが論理とそうでないものを区別している、その性質だろ。

614 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 13:43:32
>>613
「俺が」じゃなくて「君が」だろ。
俺は「論理性」なんて言葉使ってないんだから。
で、具体的には何を意味させてるの?

615 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 13:45:43
>>608
そうなら5万文字でもおんなじだろよw

616 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 13:52:30
キミは論理とそれ以外を区別していないか、できないの?
区別しているならそれを書いてごらん。

617 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 13:55:12
>>615
違うな。
「論理性」を「論理の性質」と言い換えるのは、
「論理学」を「論理に関する学問」と言い換えるのと同じで、
文字数を増やすだけで何も明らかにさせてない。

618 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 13:55:19
>>593
>完全に同じ条件下で同じ状態遷移にならない現象と証明をできて初めて非決定論が
>成立するように見えますが、 それが成立するということは、あらゆる論理性が
>瓦解するため、非決定論の正当性も破壊されます。

これは意味がわからない。「完全に同じ条件下で同じ状態遷移になるかならないか」
は、「経験」によって決まる話だ。仮にならなかったとしたところで、論理性とは
何の関係もないと思うが。

619 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 13:55:51
>>616
じゃあ、俺はできないという前提でいいから君がやってくれよ。
こうやって教えを乞うからさ。

620 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 13:58:38
>>619
辞書を引くなりググルぐらいしろよ。それすら出来ん奴では聞いても無駄だろ。

621 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 14:01:57
>>618
>これは意味がわからない。
>仮にならなかったとしたところで、論理性とは何の関係もないと思うが。

まあ、そう思う奴もいるとは思うよ。別にわからなくてもいいし。
すべての人が相対論を理解できるわけではないのと同じで。

622 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 14:04:12
>「完全に同じ条件下で同じ状態遷移になるかならないか」は、「経験」によって決まる話だ。

違う。これは経験以前の問題。
同じとはどういうことかという根底的な問題。

623 :前々スレ538:2006/12/25(月) 14:05:20
量子論では、同一の波動関数であっても観測によって異なる状態へ収縮するよね。
これは論理性を瓦解させるようなものなのかな?


624 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 14:06:19
>>623
そんないい加減なことを書く前に、エヴェレット解釈を学べよ・・・。

625 :前々スレ538:2006/12/25(月) 14:09:10
>>624
なるほど多世界解釈をとるのね。
では多世界解釈をとる根拠は?

あと、いちおうエヴェレットのPRL論文は読んでるんで。


626 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 14:09:20
>>623
>量子論では、同一の波動関数であっても

本当に同一かどうかはわからない。わからないから数式上でとりあえず同一とみなしているだけ。

>観測によって異なる状態へ収縮するよね。

収縮するのは机上の論ではなく、現実の方でそれは、現象がそのように見えるというだけ。

627 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 14:10:48
>>625
>では多世界解釈をとる根拠は?

論理的整合性。収縮などという余計な想像上の概念を持ち込む必要が無い点。


628 :前々スレ538:2006/12/25(月) 14:11:55
>>627
「多世界」のほうが想像上の概念じゃんww
って言われたら?

629 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 14:12:25
理論内部の概念の多さとその理論の論理的整合性は関係ないやん。
公理系の話ならまだしも。

630 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 14:13:49
>>628
そういう質問が出てくるのは、その「多世界」の意味を理解していないから。
まずは、数式で理解しろとしか言いようが無い。
量子の世界というのは、日常の言語で理解できる世界ではないのだから。

631 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 14:16:13
>>629
その概念が論理に根ざしているかどうかで関係がある。
収縮というのは、具体的にそれが説明できるというものではなく、
わけがわからないから、「収縮ということにしておこう」的な、非論理的に、デタラメに導入されたもの。

632 :前々スレ538:2006/12/25(月) 14:17:56
>>630
一応言っとくと、おれ自身は解釈としては多世界解釈のほうがスマートだし都合がいいと思ってる。
が、それは単に審美的な観点から来るものであって、それ以外の根拠はないし、
そんな「好み」の問題をもとにして「非決定論だと論理が瓦解する」とか主張するなんて、
そんなアホな話はないw

633 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 14:18:11
導入の動機と形式論理学なんてなんも関係ないのに。
論理的な理論と根拠のある理論とを混同でもしてるのか?

634 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 14:24:45
>>632
>それは単に審美的な観点から来るものであって

キミの場合はそうかもしれないが、物理の世界というのはそういうわけではない。
オッカムの剃刀で余計なものをそぎ落とした時に、そのように定まるだけのこと。

635 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 14:26:05
おいおい、オッカム出すの前にコペンハーゲン解釈とエヴェレット解釈
の優劣を決める実験について、エヴェレット自身があるといってるだろw

636 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 14:26:36
>>633
別に形式的論理に、量子論とかその世界をなど持ち込んでいない。
論理学や哲学の議論で、物理学的なものを根拠にするのは反対だ。

637 :前々スレ538:2006/12/25(月) 14:26:47
>>634
もしかして、「非決定論だと論理が瓦解する」と信じてるから決定論である多世界解釈をとらざるを得ない、
と考えてるのかな?

とりあえずはファジイ論理とか様相論理とかいうものの存在を知っておくべきだと思う。
物理の基本法則が確率論的であっても「論理が瓦解」なんかするわけはないってことが
よくわかると思うよ。

638 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 14:30:38
>>637
>もしかして、「非決定論だと論理が瓦解する」と信じてるから決定論である多世界解釈をとらざるを得ない、
>と考えてるのかな?

誰もそんなことは言っていないが。

>確率論的

確率を確率として成立させているのは、決定論的作用だよ。
実は、決定論的世界でないと確率という事象の捉え方は導出できない。
もしくは、その事実(確率が成立する原因)に気がついていないだけ。

639 :前々スレ538:2006/12/25(月) 14:36:06
>>638
なんか根本的なところで勘違いしているような気が強くするんだが、
よかったらその
>決定論的世界でないと確率という事象の捉え方は導出できない
ってのを詳しく説明してくれないか?

640 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 14:38:17
>>639
まず自分で確率とはどういうものか説明してみれ。そのレベルにあわせて解説する。

641 :前々スレ538:2006/12/25(月) 14:43:35
>>640
可測空間上で定義された規格化された測度=確率測度
でいいよ。

642 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 14:49:09
>>641
確率測度について聞いているのではない。

「確率」という概念がないところ(もしくはわかっていない人に)に、
確率とはどういうものかわかるように説明してくれということだ。
その説明では「確率」を知らない人には理解できないだろう。

643 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 14:52:41
>>642
むちゃいうな、あんたw

644 :前々スレ538:2006/12/25(月) 14:53:47
>>642
ふむ。
「同一試行を多数回繰り返したときの、全試行数に対する各事象の生起回数の比」
とでも説明するかな。

645 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 14:55:07
>>643
そうか?
知識というものは、知らない人に教えれるかどうかで、
その人が理解しているかどうかを計ることができる。

646 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 14:56:25
>>642
あなたが自分で「確率」という概念がどういうものか、と
「実は、決定論的世界でないと確率という事象の捉え方は導出できない」
ゆえんを説明すればいいだけだろうに。なぜできないのw?

647 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 14:57:04
では、同一試行とは具体的にどういうものか?

648 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 14:57:26
>>644
では、「同一試行」とは具体的にどういうものか?


649 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 14:59:15
つーか、確率測度って確率の別名だろw

650 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 14:59:16
>>646
相対論を小学生に説明するのと、理学系の大学生に教えるのとでは全然違う。

651 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 14:59:38
>>647-648
あんたが教えを乞うてるのだろうがwバカチン!w

652 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 15:01:58
>>650
小学生向けでいいから、とりあえずやってみなってw


653 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 15:16:00
確率もカオスも法則性の一つ

654 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 15:16:31
ランダムとは異なる

655 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 15:21:23
別に世界がランダムであったとしてもそれはそれで構わないが、
全てが「出鱈目」の世界で、君は正しいだの間違ってるだのと言い合ってもw

656 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 15:22:13

            こうして…

エヴェレット解釈と決定論を振り回し続けた奇人は
二度とスレに現れなかったのだった
                             完

                 制作・著作 機械論スレ

657 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 15:25:55
>>652
小学生相手に説明する気はないので。

658 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 15:28:03
>>652
それに、前々スレ538氏に対して説明しようとしているのだから、
他の奴らは終わるまで黙っているか他の議論をしていただきたい。

659 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 15:33:08
尤も、全てが決定されてる世界で言い合うこともそれはそれで・・・

人間の認識上では、決定されてる(ように見える)とされてない(ように見える)を
比べてしまわずにはいられない。
でもその境界を見極められないのが人間の限界。

660 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 15:39:13
>>659
それもそうだが、実際の経験からしても、
要因を知らないが、決まっている場合はいくらでもあるのに、
要因を完全に知っていても、決まっていない場合なんて一例すらないのだが。
それなのに、知らないだけというのを飛び越えて、原因に束縛されないと飛躍するのは実に不思議。

661 :名無し@autn. sys. ◆pFYl6xGCTc :2006/12/25(月) 15:39:35
>>594
> カオスが成立するのは決定論の世界。

横レスですが、その通りです。カオスや量子力学の話は、いずれにせよ、決定論的世界の限界や
自己矛盾を指摘するためのものです。
私もカオスや量子力学の話は補助的にしか使っていません。

>>600
> 非決定論からどうやって決定論を導けるのか教えてくれませんか?
> そもそも導けるような非決定論というのは決定論の枠内で語られるような
> 非決定論しかありえないと思うのですが・・・

これは、ちょっと誤解を与えたかもしれません。
<非決定>論と、非<決定論>は区別する必要があります。
おっしゃるとおり、<非決定>論は、決定論の枠内でしか導かれません。
カオスや量子力学が言っているのは、決定論の枠内の、<非決定>論でしょう。
しかし、決定論も、<非決定>論も、一つのモデル化だということを指摘できるのは、<非>決定論です。

>>593
上に書いたように、<非決定>論と、<非>決定論の違いとして考えると、私の主張と全く違わないということが分かると思います。
それを踏まえると、最初の「これは違います」以外は全部賛成です。

>>618
すぐ上に書いた通り。


662 :名無し@autn. sys. ◆pFYl6xGCTc :2006/12/25(月) 15:41:13
>> 598
> それはつまり
> 因果論的にモデル化された 主観的な 思い込みの世界(決定的な世界)と
> 完全なモデル化をしきれない 客観的な 現実世界(非決定的な世界)
> との二つの世界があると言うことだろうか?

これはかなり本質的な問題提示ですね。
>>599さんの言うとおりで、結論から言うと、そうやって「モデル化されない現実世界がある」と考えることは、また一つのモデル化でしかない。
私は分かりやすいように、「世界に対するモデル化」という、あたかも「世界」が最初から存在しているような言い方をしてきたわけですが、むしろ、さまざまなモデルはそれぞれ一つの世界とも言った方が正確です。
ここでは、Aというモデルでは描けないものを、Bというモデルでは描けるという、モデル間の関係性としてとらえることが有効ではないかと思います。
その意味で、>>601さんの

> 「世界はモデル化できない」 以上のことは言えない
> として モデル化を放棄することもできないのではないだろうか
> 我々の認識は あらかじめモデルが必要で
> モデルとの関係ではじめて 知覚が認識となるのではないだろうか
> したがって モデルを作った上で モデルと物自体との一致の不完全さに気付き
> その問題を解消する新たなモデルへと
> モデルを更新し続けてゆくしかないのではないか?

というのは全くその通りです。
細かく言うと、「モデルと物自体との一致の不完全さ」は、「モデル自体の不完全さ」と言い直すべきだと思いますが。
自分が批判しているのは、決定論的世界観そのものではなく、それが唯一の世界のとらえ方だと思ってしまうことです。

663 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 15:41:56
>>661
<非>決定論は、結局のところ、何も説明していないと思いますが。


664 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 15:43:07
>>662
>それが唯一の世界のとらえ方だと思ってしまうことです。

例えば、誰が?そう思ってしまうのは、貴方だけでは?
決定論者にそういう人はいませんよ。


665 :名無し@autn. sys. ◆pFYl6xGCTc :2006/12/25(月) 15:57:10
>>603
> 物自体が非決定的かどうかまでは言っていないように思う
> とくに無理は無いのではないだろうか?
そうです。そういう(物自体が決定論的という)仮説もありえます。
ただ、そう考えること自体が、モデル化だということです。
話の前提が少し違います。

>>605
> (非決定論が正しいとするとあらゆる論理性が瓦解)するよ。絶対的な正しさというものが存在しなくなるから。
(括弧内は引用者による)

>>593を受けたレスですが、これもかなり本質的です。
基本的に正しいと思います。

まず、話の前提を言うと、そもそも人間が生きていく上で「絶対的な正しさ」は必要ありません。
動物は絶対的な正しさを認識して生きているとは思えないし、人間の生活も本質的に同じ。
絶対的な正しさはなくても、科学を含む人間の活動をとらえることはできるはずです。
その意味で、上の引用の「絶対的な正しさ」が存在しなくなるは、
決して悪いことではありません。

一方、「あらゆる(客観的)論理性が瓦解する」について、これもその通りです。
ただし、そこから何かしらのモデル化で浮かび上がってくる論理性=生きていくための正しさはたしかにある。
私たちが客観的だと思っている論理性も、実はそうした生きていく上での論理性の一部だと考えれば、
私が言っていることと、上の引用は矛盾しないと思います。



666 :名無し@autn. sys. ◆pFYl6xGCTc :2006/12/25(月) 16:01:15
>>663

繰り返しですが、
> 決定論も、<非決定>論も、一つのモデル化だということを指摘できるのは、<非>決定論です。

>>664
> 決定論者にそういう人はいませんよ。

決定論が全ての前提で、それを否定すると論理も正しさも崩壊するって言っている人、
結構いますけど…。

667 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 16:02:39
>>665
>そもそも人間が生きていく上で「絶対的な正しさ」は必要ありません。

それは違うと思います。
1+1=2が絶対的な正しさで成立しなくてもいいという人もいるでしょうが、
多くの場合、そこに絶対的な正しさが必要とされます。
それが成立しない可能性を考えていたら、法も技術もやってられません。

668 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 16:04:41
>>666
>決定論が全ての前提で、それを否定すると論理も正しさも崩壊するって言っている人、
>結構いますけど…。

具体的に、誰が?または、どのレスが?
貴方がその人をそう見なしているだけではないでしょうか。
また貴方のその指摘の正しさを証明できますか?

669 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 16:06:25
>>668
なお、これは唯一の捉え方という部分に対するレスです。

「決定論が全ての前提で、それを否定すると論理も正しさも崩壊する」
というのは、唯一の捉え方ではなく、論理の前提にあるというだけのことです。



670 :名無し@autn. sys. ◆pFYl6xGCTc :2006/12/25(月) 16:07:55
>>667

流れを読んでもらえれば分かると思いますが、ここで言っているのは、それぞれのモデルの中の正しさは成立しているし問題ないが、「絶対的な」正しさなどないし必要ないということです。
1+1=2や、法的・技術的な正しさを否定しているわけではありません。

671 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 16:08:15
>>666
さらにいうなれば、決定論の世界の中で、非決定論的世界があったり、
必然的事象を情報の欠落や、理性の足りなさから偶然と見なしてしまう人たちがいることを否定するものでもありません。

672 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 16:08:44
>>670
必要ないという主語は?誰が必要がないのですか?

673 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 16:11:13
>>665
人間が生きていく上の正しさの話なんてどこにも出てきてないぞw
なんか頭が混乱してないか?
科学が絶対的に正しさ無しに捉えられると思うのは、あなたの願望でしょ?
そういうモデルをあなたが取っているだけ。

>>666
>繰り返しですが、
>> 決定論も、<非決定>論も、一つのモデル化だということを指摘できるのは、<非>決定論です。

あなたの言い分を受けると、
非決定論だけが決定論をモデルと指摘できるとあなたが言ってることも、
単なるモデルに過ぎない。


674 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 17:23:46
1+1=2が絶対的に正しいって、おまえ理系じゃないだろ?
科哲で量子力学の論文でも書いたのか?

675 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 17:28:35
>>674
整数論の世界では絶対的に正しい。

676 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 17:29:47
そもそも数学の正しさというのは、トートロジーそのものだからね。

677 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 17:31:00
>>675
それでも無理だな。
論理について語るならクリプキくらい押さえとけよ。

678 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 17:32:54
常駐暇人キモい臭いコテは
ニートか、

定年したカス老人か。

哀れだね〜

いつ死ぬんだろ。

679 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 17:32:58
その前に「絶対的に」を定義した方がいいな。
これと「相対的に」はなんか曖昧に使われてる気がするし。

680 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 17:36:22
>>677
何が無理なの?
別にその正しさを証明できないって指摘なら、その通りだと思うよ。
俺は絶対的に正しいということ疑わないし、俺にとってその必要もないからね。
それに疑問を投げたい奴だけが疑えばいい。時間の無駄だと思うけど。

681 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 17:49:16
>>679
曖昧でいいんだよ。言葉というものは。

682 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 17:51:34
i my me
you your you ?

683 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 18:20:06
中山美穂だっけ?
裕木奈江だっけ?

684 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 19:12:25
論理的に捕らえる人間が見た瞬間、必ず決定論的に世界を
捕らえてしまうんじゃ。非決定論があると仮定しても
それはすぐに決定論の部分に包摂されてしまう。出鱈目って何?これも原理として知りえない 


685 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 20:16:35
>>684
そこで原理を持ち出さなければいいんだよ

686 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 20:52:08
機械はこんなスレを見てるのか。

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687 :名無し@autn. sys. ◆pFYl6xGCTc :2006/12/25(月) 21:37:43
>>668-669

ちょっと分かりづらかったのですが…、

> 「決定論が全ての前提で、それを否定すると論理も正しさも崩壊する」
> というのは、唯一の捉え方ではなく、論理の前提にあるというだけのことです。

おっしゃる通りですが、そこまで考えているレスは、多く見積もっても半分くらいじゃないでしょうか。最近はかなり改善されていますが…。
まぁ、これについてはそんなに考えていることは変わらないと思います。

>>671
> さらにいうなれば、決定論の世界の中で、非決定論的世界があったり、
> 必然的事象を情報の欠落や、理性の足りなさから偶然と見なしてしまう人たちが
> いることを否定するものでもありません。

どこから「さらにいうなれば」と続いてるのか分かりづらいのですが、ほぼ同意します。
細かいところですが、決定論的世界の中に、<非決定>論が生じるのは、「理性の足りなさ」ではなく、決定論的世界の限界からくるものだとも言えます。
ただし、すでに何度か出ているように、それは決定論的世界の中の非決定論に過ぎないという言い方はできるでしょう。

688 :名無し@autn. sys. ◆pFYl6xGCTc :2006/12/25(月) 21:39:40
>>673
> 科学が絶対的に正しさ無しに捉えられると思うのは、あなたの願望でしょ?

若干議論が後戻りしている気がしますが…。

科学の正しさは、そのモデルの内部における「絶対的な正しさ」ですが、あくまでモデルの内部の問題です。
ここでモデルがモデルだと言うことを理解してとらえている人からすれば、それじゃ「絶対的な正しさ」と言えないでしょう。

> 非決定論だけが決定論をモデルと指摘できるとあなたが言ってることも、
> 単なるモデルに過ぎない。

おっしゃるとおりです。これについては何度か話に上っています。

> 684
> 論理的に捕らえる人間が見た瞬間、必ず決定論的に世界を
> 捕らえてしまうんじゃ。非決定論があると仮定しても
> それはすぐに決定論の部分に包摂されてしまう。

おっしゃる通りです。一つ補足しておくと、最初の「論理的にとらえる人間が」という限定は、二つめの文にもかかっているということです。

この手の話はずっと出ていますが、やはりそれぞれの議論の前提が何なのかということが、混乱しているように思います。
これについては、もう少ししたら簡単に書こうと思います。


689 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 21:56:21
決定論は未来を語るにはあまり向いてないなぁ。
一つのカオスな未来がありますよってぐらいで。

690 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 22:08:21
流し読みしてみての感想

「決定論的カオス」ってのを十分に理解できてない奴がいるのかな?
見た目がカオス(混沌)でも、全く同じ条件なら何度やっても同じ結果(決定論的)ってこと。

モデル化云々は、別の話だろ。

691 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 22:19:52
決定論は常に正しく間違えることが無い
絶対的に正しいとも言える

692 :第2唯物論:2006/12/25(月) 22:23:17
  >見た目がカオス(混沌)でも

カオスってのは見た目の問題か??

論理的なら決定論者であるはずという馬鹿文系の多いこと.その論理は偉い単純論理であることが自覚できないな


693 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 22:37:13
>>690
全く同じ条件を繰り返すことは出来ないけどね。

694 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 22:37:20
次スレの参加条件に、
高校卒業程度の語学力を持つ日本人であること、
もしくは、それに準ずる日本語語学力を持つ外国人であること(ガーナ人を除く)
を加えるべきだと思う。





695 :第2唯物論:2006/12/25(月) 22:43:36
  こんな掲示板の片隅以外でも俺は決定論者だと公言する香具師がおるのかいな
しかも俺は論理的だからそうなんだと思い込んでるんだろう

 気持ち悪いなあ

696 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 22:52:29
>>609
3年前から…((((;゚Д゚)))ガクガクガクブルブルブル

697 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 22:57:04
名無し@autn. sys. ◆pFYl6xGCTc さんっていう人が面白そうだ

698 :第2唯物論:2006/12/25(月) 23:11:11
  >カオスが成立するのは決定論の世界

 とは物理的にどういうことをいってるのじゃ

 と聞いてもまともな答えが帰ってくるのは万にひとつだな


699 :第2唯物論:2006/12/25(月) 23:13:34
>>696 ここ三ヶ月で俺が第2といってるほんとの唯物論はちょっとは進んだよ、唯一それだけがこのスレの救い、あとはひどいもんだ

700 :「機械的唯物論」者 ◆6xfUzFrrFE :2006/12/25(月) 23:32:22
>>584
>つまり、機械的唯物論が真理であるか否かは別問題とすれば、

「真理についての学問=哲学」が真理を別問題にするのは「本末転倒」では
ないでしょうか?

>世の中の全ての人がニーチェのいう超人になれないのですからこの論が大衆に
>認められることはないと思います。

中世、地球が平らだと思いこんでいた「大衆」は、その後「球体」だと受け入れたし、
天動説を信じた大衆は、その後いつの間にか「地動説」を信じるようになり、進化論
をまだ疑っている「大衆」は多くいますが、ローマ法王庁も(聖書との完全な矛盾には
触れないで誤魔化してはおりますが)大衆に馬鹿にされるのを恐れ「進化論」をしぶしぶ
認めましたから、大衆はそれほど「馬鹿」ではないと思いますよ。

>それは観念論が人間生活において欠かすことのできないものであり、
>人間の構造上、観念論的存在であることが人間性のために必要不可欠であるからです。

だからといって「イワシの頭も信心」のような「子供だましの観念論」で、
「神様が居るから自分の魂は天国に行けるのだ」と「自己欺瞞する」ことなしに
「生きていけない」とは「全員」が感じているわけではないと思いますよ。

「自己欺瞞より『真理』のほうが重要だ」と考えることは、別に「超人的精神力」
が無ければ採用できない・・訳ではありません。


701 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 23:38:37
>>699
そうですか
少し第2唯物論さんのレスへ読む力のウェイトを増そうかと思いました

702 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 23:45:50
>>700
>だからといって「イワシの頭も信心」のような「子供だましの観念論」で、
>「神様が居るから自分の魂は天国に行けるのだ」と「自己欺瞞する」ことなしに
>「生きていけない」とは「全員」が感じているわけではないと思いますよ。

そうだね。その通りだね。
「自己欺瞞せずとも生きていける」と感じてる人が自己欺瞞をしない人な訳じゃないしねw
ね、機械タン

703 :「機械的唯物論」者 ◆6xfUzFrrFE :2006/12/25(月) 23:49:39
>>699
で、エネルギーモンダイとか、食糧とかの「物資のモンダイ」は、
未だに「理由は特にないけど大モンダイデアル」のですか?
「飽食の時代」な筈なのに、ワーキングプアが多くなってきているので、
弁証法的唯物論者さん達は、「わぁ!革命の好機だ!」と色めき立って
いらっしゃるのですか?

704 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 23:50:26
機械タンは「プラシーボ効果について」はどう考えてるの?

「イワシの頭も信心」もただの子供だましでは済まないんだけど

705 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 23:51:32
訂正
「プラシーボ効果」についてだ

706 :「機械的唯物論」者 ◆6xfUzFrrFE :2006/12/25(月) 23:53:33
>>702
あなたは「自己欺瞞しなければ生きていけない」と信じておられるのですか?
そこまで「自分は弱い存在である」と脳に刷り込みをしたのは「キリスト教的
マゾヒズム」の精神的伝統です。
「右の頬を打たれたら左の頬を出しなさい」・・・という類の(精神的)マゾです。

707 :「機械的唯物論」者 ◆6xfUzFrrFE :2006/12/26(火) 00:06:59
>>704
プラシーボ効果・・・という傾向は確かにあります。
例えば「ある会社の株価」の一日の動きを予測できれば、
必ず「大儲け」ができますが、株価は「評論家の予想外の動き」
をすることが結構多いので、それは「実際に動くべきではない
(薬を服用していない)にも関わらず動いてしまう」・・という
「大衆的(複数に脳の「共同幻想」)プラシーボ効果」が働いているのだと思われます。
 「1株当たりの利益/株価」など、・・・「ほぼ同じ水準」にあ(べき)であると
「(経済学的には)合理的」だと思われる株価指標も「1桁違い」ぐらいはざらにある
・・というのは「銘柄についての(ある種の)プラシーボ効果」が働いていること・・
・・が理由の一つだと思われます。


708 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 00:11:34
>>706
なるほど。
まずは
「自分は自己欺瞞しなくても生きて行けるんだ、強いんだ」
と『信じる』ところからスタートなんですね?
素晴らしい。

709 :「機械的唯物論」者 ◆6xfUzFrrFE :2006/12/26(火) 00:14:24
>>708
そんな大げさなものではありません。
「ちょっとした(真理に対する)誠実さ」が「自己欺瞞」を避ける
(避けてしまう)・・・だけのことです。

710 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 00:15:22
>>707
株価が評論家の予想外の動きをするのがプラシーボ効果?

そっちの世界ではそうなの?w

711 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 00:21:12
>>709
詐欺師かどこぞのセミナーの手口と変わりませんね。
自分で誠実だという人の言葉を鵜呑みにはしませんけどw

712 :「機械的唯物論」者 ◆6xfUzFrrFE :2006/12/26(火) 00:22:12
>>710
株価の「不可解な動き」について、の「直接的原因」は「売り手と買い手の価格合意」
に違いありませんが、株価が「必ず(上げ・下げの傾向でも)予想通り動く」ならば、
誰でも「いつかは大金持ち」になれますよね?・・そうは「ならない」のです。
 それらが「脳間の情報の交換と同意」であることは違いが無く、それらが
「マクロ必然性」のみならず「ミクロ必然性」をも踏襲していることは間違いない
・・のですが、「あまりに複雑な要素の絡み合い」により「完全予測できない」・
・・ということです。

713 :「機械的唯物論」者 ◆6xfUzFrrFE :2006/12/26(火) 00:27:29
>>711
あなたがキリスト教を信じ続けたければそれはそれでよろしいのでは
ないでしょうか?
キリスト者が「自己欺瞞かもしれない?」などと自分で疑念を抱いたならば、
破門になりますよ。
おりしも、街では「キリストを信じれば永遠の生命をもらえる!」と、
お仲間がラウドスピーカーで叫んでいる時期でもありますから、永遠の生命
・・とやらが「得られると思う気持ち」を死の瞬間まで維持したいなら、
「自己欺瞞」についてお考えになることをについて「思考停止」されたほうが
「得策」なのかと・・存じます。

714 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 00:40:05
株価の秒刻みの変化も138億年前からすべて決まってたんですよね !?

715 :「機械的唯物論」者 ◆6xfUzFrrFE :2006/12/26(火) 00:44:28
>>714
137億数千数百年万・・年前にビッグバンが起きた瞬間(ほぼ正確には十のマイナス44乗秒後)
には「決まっていた」・・と言えます。
 今解明できている「(理論)物理学の法則」がそこまで遡れる(同一である)
・・からです。

716 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 00:49:41
256億8000万年前にBigPonが起きたことがその後の全てを決定しています。
これは必然なのですが、現在では、まだ観測データは不足しています。

717 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 00:50:36
>>715
オジさんの書いたその文章も一字一句きまってて
オジさんは決まってた事をただなぞっただけなんですよね !? 

718 :「機械的唯物論」者 ◆6xfUzFrrFE :2006/12/26(火) 00:51:00
715の続きです。
難しいことを言わないでも、
@現在も宇宙は膨張中である
A膨張速度は解っている
・・という「自然科学の常識」2点さえ得心すれば、
=B宇宙は(ある過去の時点において)「一点」であった。

という「当然の帰結」を(幼稚園児でも)理解できる筈なのですが・・。
B「ある過去の時点」が「ビッグバンの瞬間」(約137億年前)なのです。

719 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 00:53:09
>>718
あ、また137億数千数百年前に決まってたレスの投下ですね !? 

720 :「機械的唯物論」者 ◆6xfUzFrrFE :2006/12/26(火) 00:58:32
>>719
私だけが(物理法則から逸脱した)「自由意思」を持っているなどとは
決して思っておりません。
『自由意思』とは要するに「(人間の脳の)自由意思感」にすぎないのですから。

721 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 01:06:27
>>720
すこし間が有ったようですがこの間の時間も小数点以下数億桁の先まで決まってた事なんですよね !? 

722 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 01:09:18
「我慢」は自由意志の所産であって、「自由意志感」と違うだろ。
睡眠物質で決定される人はわからんけど。

723 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 01:10:36
的ハズレなレスばかりで機械タンが眠くなっちゃいそう・・・

724 :「機械的唯物論」者 ◆6xfUzFrrFE :2006/12/26(火) 01:11:42
>>721
「この間の時間も小数点以下数億桁」について「いちいち神のご裁可で決められる」
・・という考え方の方が、私にはよほど「不可思議・不可解」な考え方なのです。

実は本当に眠いので、本日は就寝させて戴きます。

725 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 01:14:23
>>712
それがあなたの世界のプラシーボ効果ですか?
忠告しますけど、誠実でいたいのなら自分を偽らずに一度、
現実の世界の「プラシーボ効果」を学んだ方がいいですよ。

あなたの世界では株価は大衆が念じるだけで変動するんですね?
これはかなりの拡大解釈です。
「人々の想いこそが世界を動かしてる」と言ってるに等しいです。
それ自体に反対はしませんけど。

あなたは二重盲検法の意義も理解してなさそうですね。

726 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 01:20:35
>>720
つまり、あなたが言う「自己欺瞞をしない」というのも、
「自己欺瞞をしてない感」の事ですよね。
あなただけが自己欺瞞をしなくて済むという事じゃなくて。

727 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 01:26:59
どこかのスレでみかけた。
ラジオやTVが普及し始めてから、狂人たちは電波を受信し始めたのだと。
今や、
インタネやブログが普及し始めてから、・・・は、・・・発信・・・



728 :名無し@autn. sys. ◆pFYl6xGCTc :2006/12/26(火) 02:26:12
なんか議論が細かくなって全体像が見えなくなっているので、ここまでの話を整理しておきます。


(1) 認識と決定論

私たちが、何かを認識するとき、たとえば、そこに何かが見える→それがあるというような因果関係をとらえているとも言えます。
これは、さらに、熱くてめらめらしている→熱い、黒い雲が遠くにある→雨が降る、というような生きていく上でのさまざまなことに拡張されるでしょう。
こうした因果関係は厳密に証明することができないものですが、私たちが生きていくというのは、そういうものを前提にしているということです。
これは、要するに、私たちの認識が、決定論的要素を持っているということです。
ただし、これが通常の意味での決定論ではないということは、容易に分かるでしょう。錯覚や幻覚、記憶違いなどのように、「あると思ったのになかった」というようなことはいくらでもあるからです。

別の言葉で言うと、私たちが生きている中で、世界で起きているあらゆることは、一回っぽい切りのもので、二つとして同じものはありません。そして、これだと人間は世界を認識することすらない。
ところが、人間はある種の一般化、モデル化をして、世界をとらえているわけで、それによって初めて世界を認識することができます。

ここで人間がしたがっているのが、「決定論」だとする、「認識的決定論」とでも言うべき立場はあるでしょう。
たしかにその通りで、人間が認識するということは、何かしら決定論的な前提を置いているということもできます。
しかし、これを決定論と呼ぶことは、常識的に考えると受け入れがたいわけで、このスレでも、これに相当する意見はなかったのではないかと思います。

729 :名無し@autn. sys. ◆pFYl6xGCTc :2006/12/26(火) 02:26:46
(2) 形式論理と決定論

一方、(1)のような認識のあり方を抽象化したものとして、形式論理というものがあります。
ここでは、ものごとは全て決定的にとらえられます。
ただし、これはある意味当たり前のことで、決定論的な認識のあり方を抽象化したのが、形式論理なのだから、形式論理は決定論的です。

たとえば、現実世界に、厳密な意味でAならばA、AならばBというような一般化をすることはできません。
Aとしてとらえたものと、それと同一であるとされているA'が同じである保証はなく、Bについても同じだからです。
しかし、(1)でも述べたように、人間は生きていく上で、気づかないうちにそういう仮定をしているのであり、そういう認識のあり方を抽象化すると形式論理になります。

したがって、形式論理の前提には、決定論があり、決定論を前提にしないと、形式論理が瓦解するという主張はある意味もっともです。
この立場は、「論理的決定論」でも言うことができるでしょう。
私が、自分に対する批判であるにもかかわらず、「そういう見方もある」として肯定することが多かったのはこの手の決定論です。
しかし、何度も述べたように、こうした形式論理は、それ自体現実世界に対する一つのモデルに過ぎないわけです。
「認識的決定論」が受け入れがたいのに、「論理的決定論」が正しそうに思えるのは、それがモデル化だということに気づかなくなってしまうからです。

730 :名無し@autn. sys. ◆pFYl6xGCTc :2006/12/26(火) 02:27:50
(3) 科学と決定論

科学は、私たちが世界を認識するときの、認識体系とでも言えるものです。要するに、世界に対する一つの視点、モデルを与えてくれます。
科学的思考のある部分は形式論理によって一般化することもできますが、科学は本質的には形式論理とは違う形のモデル化です。
ただし、科学が人間が世界を理解する働きの抽象化という意味では、形式論理と共通するものがあり、いずれにせよそこでは決定的に世界が理解されているのです。
これは、上で説明した、「論理的決定論」の別の形ということができるでしょう。

たとえば、ある遺伝子があったときに、こういった形質が生まれる。ある物質を混ぜ合わせると、こういう物質が生まれる。このとき、世界は決定的に理解されています。
ただし、こうした因果律は、(a)観測上の限界、(b)他の何らかのモデル化によって、その限界が明らかになるという特徴があります。
たとえば、「人間の性質は遺伝子で決まる」は正しいが、「人間の性質は全て遺伝子で決まる」というのは明らかに間違いです。
これは、「人間の性質は遺伝子で決まる」は、生物学の特定のモデル化による人間の性質であり、その範囲でしか正しくないからですが、
遺伝子の発現に、環境要因がかかわっていること(別のモデル化による)が分かれば、この結論には容易にたどり着くでしょう。
したがって、こうした議論が、ナイーブな決定論を導くことはあまりありません。
論理的決定論は、基本的にその限界とともに提示されるわけです。自分が論理的決定論に肯定的なのもこの理由によるものです。

これに対し、若干特殊な位置づけにあるのが、物理学だと思います。物理学は、一つのモデル化であり、観測上の限界を抱えているという意味で、他のモデル化と変わらないわけです。
ところが、物理学は物理学以外のモデル化によってその限界を同定することができません。
ここで観測上の問題を無視すれば、すべてが決定的に理解される決定論が生まれます。
この決定論の特徴は、それが閉じた体系で、その仮説からあらゆることをとらえていけるということです。
たとえば、認識の作用も、決定論的に理解できる。これは、ここまでの全ての決定論にはない性質でしょう。

731 :名無し@autn. sys. ◆pFYl6xGCTc :2006/12/26(火) 02:28:55
ただし、一般的に、この手の決定論は、観測上の問題から否定されると考えられています。いわゆるカオスや量子力学の問題です。
これは、モデル内部の問題であり、論理的決定論(論理的に考えている以上決定論的)や認識的決定論(対象の実在を認めている以上決定論的)から、この意味での決定論を擁護するのは、議論のレベルのミスと言えるものでしょう。

しかし、それでも擁護する人はいると思います。観測上の限界があったとしても、あくまで「決定論的世界」があり、それを観察しているのが人間であるという見方です。
これは単純なようでなかなか否定することができません。証明も反証もできないからです。
こうした「決定論的世界」を仮定する決定論を、「科学的決定論」と言うことができると思います。

(4) 一元論的世界観と決定論

科学的決定論は、科学によって生み出されたものではありますが、それは決して科学的に導かれるものではありません。というのも、科学的決定論において、「決定論的世界」の実在の根拠は、それが実在するとすると、世界をうまく説明できるというものとしてまとめられます。
ところが、このロジックを認めるのであれば、「全知全能の神が存在し、神によって全てが決定されている」という「神学的決定論」も認めなくてはいけません。
このことから、科学的決定論/神学的決定論はどちらも世界に対するモデル化の一つとして正しいものですが、絶対的な正しさを持っているものではないということが分かります。

ここで、科学的決定論と神学的決定論に共通する構造があることが分かるでしょう。それは、どちらも、世界の全てを理解する全知全能の存在を仮定するということ、世界を一元的にとらえていくということです。
一元論的世界観と、決定論は深く関係しているのです。

732 :名無し@autn. sys. ◆pFYl6xGCTc :2006/12/26(火) 03:07:27
(5) そもそも決定論について

科学的決定論/神学的決定論は、一つのモデルですが、それでもモデルとしては非常に強力なもので、それを前提にあらゆることを理解することができます。
これに対し、「私の世界」を中心に世界を描き出す視点が、決定論批判の出発点になっているわけです。ここで、決定論は全て一つのモデルとして理解されます。

ここで素朴な疑問は、上で述べたような視点も、一つのモデルに過ぎないのではないかということです。これについての答えはYESでしょう。ここでこうしたモデルを「私」モデルということにします。

ここで、決定論モデルと「私」モデルは対等ではありません。
というのも、上に書いたように、決定論的視点は、「私」モデルから理解することができます。
決定論的視点は、「私」モデルから適切に意味づけし、活用することができるものです。
ところが、決定論モデルにしたがうと、「私」が何で「私」なのかといった基本的なことが理解できない。
このほか、存在とは何か、因果関係とは何か、価値とは何かといったことも、決定論モデルからは良く理解できません。こういうことを考えるためには、結局「私」を出発して考えるしかないのです。
さらに言うと、戦争、倫理、一人の人間の生き方、こういったことについて考える上で、決定論モデルは無効どころか有害でさえある。

要するに、決定論モデルと、「私」モデルは、モデルの成立という意味で対等です。ところが、その説明能力という意味で、「私」モデルの方が優れているということです。
これが最終的に決定論モデルを否定する理由と言えると思います。

733 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 03:33:15
観念論者は確かに科学的な最新知識に疎すぎると思う。ぞういうのを象牙の塔に閉じこもるという

734 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 04:02:44
また強烈な電波を発する人が登場したな
楽しいスレになりそうだ


735 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 04:24:04
プログラムを書いている人ならわかるが、現状のプログラムで意識なんて組めない。
複雑な条件分岐をいくら書いたって、それをどんなに高速に処理するCPUが出来たって
意識なんかプログラムできない。

736 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 04:26:31
プログラムは条件分岐のかたまり。
アセンブラ、フォートラン、コボル、ベーシック、C、オブジェクト指向、名前は変われど
条件分岐の固まり。
脳は意識、自我を生み出すがいったいどうなってるんだろうね?

737 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 04:27:50
哲学の人はもうちょっとその辺考えて実験できるようにしてくれよ。
せめて、これが意識だ!みたいな指標を立ててくれよ。
言葉遊びはたくさんだ。

738 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 08:01:19
>>735
チューリングテストでは判別がつかないらしいが?

739 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 09:14:28
>>728 は文章も柔らかいし、優秀だね。コテをつけたのは最近だけど、
あなたは昔から書き込んでいるの?

740 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 09:35:24
>>732
「私の世界」というのは“意識”あるいは“主観”ということでいいので
しょうか。それとも違うニュアンス?

741 :結構古典が好きな人:2006/12/26(火) 09:45:09
......."理系の哲学は面白くない"の典型のようなスレだな..........


742 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/12/26(火) 10:08:18
名無し@autn. sys. ◆pFYl6xGCTc氏は決定論を少し狭く解しているように思われる。

【問題】
世界Aが a1,a2,a3... と変化していくと仮定しよう。
このとき、世界Aの変化に一定の規則が見つからない限り、
世界Aは決定論的であるとは言えないのか?

【自説】
否である。たとえ世界の変化が完全にランダムに見えても、
世界Aが決定論的であるかどうかは判断し得ない。
なぜなら、そのときには、「世界Aは a1,a2,a3...と変化する規則に従っている」
という規則を作ることができるからである(したがって、本当は、この問題の
前提が間違っていたのである。すなわち、事後的にある規則によって説明
できないような変化は存在しない)。

【解答】
つまり、「決定論と世界の法則性は無関係」なのである。
たとえ世界の運行がランダムに見えても、決定論とは矛盾しない。

743 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 10:20:32
>>728-732
ニュアンスとしてわかる部分もあるのですが、いくつか疑問があります。

まず、ネーミングとして「決定論モデル」と呼ばれているのは、どうも決定論とは
あまり関係ないように思えます。「同一性モデル」ないし「客観モデル」とでも
呼ぶ方がいいのではないでしょうか。「私モデル」というのも、もし純然たる
独我論でなく「誰にとっても通用するモデル」を考えているのなら「主観モデル」
のほうがいいと思います。あるいは論旨を理解していないのかもしれませんが。

>決定論モデルにしたがうと、「私」が何で「私」なのかといった基本的なことが理解できない。
>このほか、存在とは何か、因果関係とは何か、価値とは何かといったことも、
>決定論モデルからは良く理解できません。

これらは「モデル化」以前の「存在自体」の問題としてとらえるなら、
決定論モデル(客観モデル)でも私モデル(主観モデル)でも、理解はできないのでは
ないでしょうか。モデルは所詮モデルなので。
逆に、「モデル化」してとらえるなら、どちらでもそれなりに理解はできると思います。
というより、客観モデルと主観モデルは対立するものではなく、互いに補い合うべき
ものだと思いますが。別にどちらが出発点でも終着点でもなく、循環的に理解したほうが
いいと思うのですが、どうでしょうか。

>こういうことを考えるためには、結局「私」を出発して考えるしかないのです
>さらに言うと、戦争、倫理、一人の人間の生き方、こういったことについて考える上で、
>決定論モデルは無効どころか有害でさえある。

「私」を出発点にして考えるのはよいのですが、逆に言うと「私」は出発点に過ぎない
ということを忘れると、むしろ「客観モデル」より「主観モデル」の方が有害である、
という面もあると思います。「決定論」と倫理がどう関係するかは、この問題とは
あまり関係がないのではないでしょうか。(個人的には、決定論というのは所詮
解釈の問題であって、実際的な意味はない、としか思えないのですが。)

744 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 10:59:16
>>731
いろいろ突っ込みどころのある書き込みだけど、一つだけ。

>ところが、このロジックを認めるのであれば、「全知全能の神が存在し、
>神によって全てが決定されている」という「神学的決定論」も認めなくてはいけません。

科学はかつてエーテルという光の媒質の存在を仮定したが、
結局は必要なしと判断してその存在を否定した。
物理法則が成り立つために全知全能の神などは必要ない。
たとえば、物理学においては、「重力は存在する」ということを
解き明かせばいいだけであり、「なぜ重力が存在するのか」は
物理学の問題ではない。これらは明らかに擬似問題であり、
科学的決定論の正当性を認めたからといって神学の正当性が
認められるわけではないということだ。


745 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 12:28:17
>>744
そういう問題について言ってるわけじゃないのでは?

科学的決定論のロジックが結局は神学的決定論のロジックと
同じだってコトでしょ。重力の有無のロジックが神学的決定論の
ロジックと同一だとは書いてないと思われるが。

要するに、科学的決定論は実は自然科学とは関係ないんだと。

746 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 13:13:59
ってか、決定論の場合、同一の状態から同一の状態が帰結する必要すらない。
A-B-A-C
という変化があっても、それは決定論とは矛盾しない。
なぜなら、まさにA-B-A-Cという規則とみなされるから。
だから、決定論を擁護するためにエヴェレット解釈なんか取る必要がない。
決定論に対する反証実験なんて存在しないんだから。
やたらとエヴェレット解釈に拘る人は、むしろ決定論を狭めている。

747 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 13:43:01
>>746
>やたらとエヴェレット解釈に拘る人は、むしろ決定論を狭めている。

拘っているわけではないよ。決定論は量子力学以前の問題で、
原理的に否定できないというのも、>>764と同様のことを想定して書いている。
不要に量子力学を持ち出す奴がいるから、エヴェレット解釈を出しているだけ。

748 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 14:20:52
>>746 
>ってか、決定論の場合、同一の状態から同一の状態が帰結する必要すらない。

そうではなくて、決定論が正しいことを証明するためには、
A−B−Cという変化は、常にA−B−Cでなければならず、
A−B−Dという変化があってはならない。
逆に、非決定論が正しいのなら、A−Bという初期条件から、
CもDも起こりうるケースを提示すればよい。
もっとも実際の事象で全く同じ「A−B」を再現することは不可能なので、
現時点では、検証は不可能なのだが。


749 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 14:24:32
>>748
完全とはいえないが、おおよその検証ならできるだろ。
同じ条件に近づけることで、変化の範囲が狭くなれば、
同じ条件なら、同じになるであろうということがほぼ言えると思う。


750 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 14:31:28
>>749
単純な物理的事象なら検証できるが、
人間の行動のように複雑な事象は検証できない。
自由意思があるかどうか、検証できないのも
そこに大きな問題があるわけだ。


751 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 14:37:16
>>750
>人間の行動のように複雑な事象は検証できない。

そういう風に人間を特別扱いするのがおかしいだろう。
細胞レベルにして観察すれば、おおよそ検証可能。
人間でなくても、雨のように対象の量を多くしてしまったら検証不可能になる。
人間を特別視する必要はそもそもない。



752 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 14:38:46
>>750
>自由意思があるかどうか、検証できないのも

自由意志があるかどうかは、その定義次第。
まず、自由意志とやらを定義してみてくれ。話はそれからだ。

で、自由意志があろうが無かろうが、決定論は成立しうるし、
未来が決まっていることを否定することは不可能である。

753 :老人ホーム:2006/12/26(火) 14:39:15

もうじき死ぬんだから、

おじいちゃんたちは

お外にでようね。

ん?

754 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 14:45:50
>>751
あのね、「おおよそ」なんてのが一番ダメなんだよ

>>752
だから、形而上学的決定論は論じても無意味だって、
以前からずっと・・以下ry


755 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 14:47:21
>>754
無意味だと思う主体なに?キミだろ?
キミが無意味だと思うのなら無視すればよいだけ。

756 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 14:50:51
>>748
>そうではなくて、決定論が正しいことを証明するためには、
>A−B−Cという変化は、常にA−B−Cでなければならず、
>A−B−Dという変化があってはならない。

そんなことはない。エヴェレット解釈における決定論では、
A−B−CとA−B−Dが同時にあっても問題ない。
A−B−CとA−B−Dを合わせて一つの状態と見なすので、
正確には
A−B−E
ということになる。ただし、E =(C+D)


757 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 15:04:07
>>755
おまえが自由意思があろうが、なかろうが以下(ry
っていうから、それは形而上学的決定論だろって言ったまで、
ちゃんとした「決定論」自体には、大いに関心があるの!

758 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 15:05:45
>>756
エヴェレット解釈ってそういうことじゃないだろw

759 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 15:09:32
>>757
形而上学でも無いでしょ
時間の流れはアプリオリな認識だし、
過去が決定しているのだから、未来も過去も時間上の同じ概念として捉えれば
未来が決定してると考えるのは自然だ
経験的におれらはそれを確認出来る
(常にそれは過去ではあるがね)


760 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 15:12:55
っていうかこれって哲学なの?

761 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 15:14:20
>>758
そうだよ。平行宇宙がC,Dに対応するから。

762 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 15:40:27
ひきこもりが
大好きなカレー

嫌いなカレーを語っているような無意味なスレ。

763 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 15:41:59
>>762
無意味ってことにしたいのだろうな。気の毒に思うよ。
本当に無意味なら放置すればいいのに。w

764 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 15:52:39
意味はある。見ていて滑稽だ

765 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 15:54:14
>>764
なら見ているだけにすれば?キミの方が無様で滑稽に見えるよ。w

766 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 15:57:12
>>762-765
www

767 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 15:57:51
いや、口を出して余裕たっぷりなフリをして
頑張って返信してくるキミみたいな人を見るのもまた一興。

768 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 16:01:07
いずれ主の定年暇人のじいちゃんが死ぬから、
ダット落ち。

無意味やん?w

769 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 16:26:56
>>768
機械の意志を継ぐ俺がいるけどな。

770 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 16:36:09
ところで>>763,765はどこに消えた?
オレファンなのに。
哲学をもっと語ってほしいな。

771 :名無し@autn. sys. ◆pFYl6xGCTc :2006/12/26(火) 16:39:48
>>742
> つまり、「決定論と世界の法則性は無関係」なのである。
> たとえ世界の運行がランダムに見えても、決定論とは矛盾しない。

その通りです。>>728-732は完全にそれを前提にしています。
あらためて読んで見てください。


772 :名無し@autn. sys. ◆pFYl6xGCTc :2006/12/26(火) 16:43:21
>> 743
> ネーミング

一般的にはそういう言い方になるかもしれません。論旨を理解していないということはないと思います。
「そもそも主観とは何か」というような、厄介な問題を抱え込むのを避けるために、そういう心配のない用語を選んだだけです。
「とりあえず名前をつける」という意味で、主観モデル/客観モデルでもかまわないでしょう。

> 別にどちらが出発点でも終着点でもなく、
> 循環的に理解したほうが いいと思うのですが、どうでしょうか。

このあたり、基本的には賛成です。とりあえず、そうとも言えると思います。ただし、循環というのだけは微妙です。

たしかに、主観モデルを出発点にすれば、必要に応じて客観モデルへ行くこともできるし、他の人の主観をとらえることもできます。
ただ、逆の客観モデル→主観モデルは、少なくとも現在のところうまくいっていません。たとえば、意識の問題があります。
量子脳理論とか心の哲学とか、あの手のことをマジメに考えている人がいるわけですが、その試み自体成功していないし、そうしたものをトンデモと言って片付ける人もいます(自分もそう思います)。

その意味で、主観モデルの方が優れているということができるというのが、前述の話です。

ちなみに、こうして主観モデルの方が優れているとする見方は、特定の価値判断に過ぎないと言えばその通りです。
というのも、「説明能力が高いモデルの方が優れている」というのに自明な根拠はなく、「私が生きていく中でモデルをどうとらえるか」という、主観モデルに基づく考え方に過ぎないということもできるからです。
客観モデルの立場からすれば、「そういう価値判断は脳の働きの一部に過ぎない」として切り捨てることもできるでしょう。
しかし、「説明能力が高いモデルの方が優れている」というのは、とりあえず現代の多くの人に共有されている価値判断であり、それをもとに議論することは可能ではないかと思います。

773 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 16:58:32
>>772
>ただ、逆の客観モデル→主観モデルは、少なくとも現在のところうまくいっていません。
>たとえば、意識の問題があります。

どういう問題?別に問題などないと思いますが。

774 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 17:06:58
>たしかに、主観モデルを出発点にすれば、必要に応じて客観モデルへ行くこともできるし、他の人の主観をとらえることもできます。

どうやって?

主観モデルというものをもっと詳しく教えてください
私を世界の中心に据えるのなら、私は無謬になりますよね?
これは正しいとか以前にあなたが否定したい決定論と同じ過ちを犯しているように思います。
社会の中の一人の私や、世界に存在する一人の私ならまだ分かりますが・・・


>ちなみに、こうして主観モデルの方が優れているとする見方は、特定の価値判断に過ぎないと言えばその通りです。
というのも、「説明能力が高いモデルの方が優れている」というのに自明な根拠はなく、「私が生きていく中でモデルをどうとらえるか」という、主観モデルに基づく考え方に過ぎないということもできるからです。
客観モデルの立場からすれば、「そういう価値判断は脳の働きの一部に過ぎない」として切り捨てることもできるでしょう。
しかし、「説明能力が高いモデルの方が優れている」というのは、とりあえず現代の多くの人に共有されている価値判断であり、それをもとに議論することは可能ではないかと思います。

ここはめちゃくちゃ
脳の働きの一部に過ぎないと考えているから、
医学などの分野での応用が効いているんですよw
どう考えても意識の問題は客観(素朴実在論的)的な見方の方が有用です
法則を人間が見つけ出せているかいないかというだけの問題です
これは経験的に正しいと言えます

775 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 17:09:18
>>774を訂正

>社会の中の一人の私や、世界に存在する一人の私ならまだ分かりますが・・・

社会の中の数多にいる一人の私や、世界に存在する数多の中一人としての私ならまだ分かりますが・・・

776 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 17:13:48
>意識の問題は客観(素朴実在論的)的な見方の方が有用です

意味わかんない

客観的な見方ってなに?

777 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 17:13:54
>>749
>>751
そうです。
ですから「観測者」を特別扱いするのもおかしい。
同じ条件にするためには観測者も同じ条件でなくてはならない。
観測とは相互作用ですから。
全く同じ条件とは即ち時間を巻き戻す事です。
出来たとしても誰も気付かない。

778 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 17:23:51
>>772
「主観モデルが優れている」と主観がいうのは
他人にとってはまったく妥当性がないのでは?
単なる自画自賛でしょう。

779 :前々スレ538:2006/12/26(火) 17:29:29
何度も繰り返されてきた、「心」「意識」「主観」の定義があいまいなせいで生じる勘違い。

名無し@autn. sys.さんは、これらの語の定義をはっきりさせといたほうがいいよ。

780 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 17:48:20
三歩進んで二歩下がる。

781 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 17:50:18
>>776
とりあえずググれば?

我々の認識に対応した客観的なモノの世界が実在するという見方だよ
当然、人間もそのモノの内部に含まれる

主観が世界を形作るのではなくて、
客観的な実在があって初めて、人間がそこから立ち現れる文化的営みを出来るってこと
こんなのちょっと考えれば当たり前でしょ
経験的事実を、「私」を前提にした論は無視しすぎ
人間の認識は間違えることがあるからという理由で
客観的実在を疑うのは狂気だよ
言葉遊びとしては可能だけれどね



782 :前々スレ538:2006/12/26(火) 17:53:35
>>781
>こんなのちょっと考えれば当たり前でしょ
世の中の様々な「当たり前」を吟味しなおすのが哲学という学問の意義なわけで・・・
「こんなの当たり前でしょ」って主張は、哲学では意味ないよw

783 :第2唯物論:2006/12/26(火) 17:54:09
  どこから非決定論は主観的な考え方とかいう馬鹿理論が出てくるんだい

困ったスレだなあ

 ある些細な、事が決まるにも莫大な要素が関わってくるとすれば、決定要素はあつまるよりも揺らぎ要素がどんどん増えて集まってくると思うが

非決定論者はよくかんがえてないのだろうとか主観的だろうとか言う馬鹿妄想主義者は考え直した方がいい、見苦しくてしょうがない



784 :第2唯物論:2006/12/26(火) 17:54:49
>>783 簡単に言うとカオスはカオスだ

785 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 17:56:45
>>783,784
いいからもう顔を出すな。

786 :第2唯物論:2006/12/26(火) 17:57:16
>>784
自分に意味がわからないことを言ってる。

787 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 17:57:49
>>781
>客観的な実在があって初めて、人間がそこから立ち現れる文化的営みを出来るってこと

その考え方を「意識に対する客観的な見方」なんて言葉で表現してるの?
意味わかんない。

ていうか「客観的実在を疑う」とかなんとか議論が脱線しまくってるよ。
外界の実在性の問題なんて全く俎上に上がってないんだけど。

788 :第2唯物論:2006/12/26(火) 17:58:02
>>785 何物だ?

789 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 17:58:23
>>783
第2は天才だな
アフォリズムの財宝のような文章だ

790 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 17:58:48
>>779
別に「心」についてはわざわざ定義づける必要ないでしょ。
とりあえず意識と物質の関係について考えてるんであって、
心について論じてるレスはまったくないじゃん。
「意識」についても、みんな違和感なく使ってるから言及不要。

ただ、主観モデルとか客観モデルとかの言葉は何とかしてほしいね。
モデルに主観/客観?
意味わかんない。

791 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 18:04:48
>>787
う〜ん、その前に書いてあるでしょw
ちゃんと読んで

>ていうか「客観的実在を疑う」とかなんとか議論が脱線しまくってるよ。
外界の実在性の問題なんて全く俎上に上がってないんだけど

まあ、ここはそうだねw

792 :前々スレ538:2006/12/26(火) 18:05:49
>>790
>別に「心」についてはわざわざ定義づける必要ないでしょ。
>とりあえず意識と物質の関係について考えてるんであって、
>心について論じてるレスはまったくないじゃん。
>「意識」についても、みんな違和感なく使ってるから言及不要。

それがおおありなんだよね。
意識は機能的意識と現象的意識に分けられるんだけど、ここで客観的な立場を強調する人の
ほとんどは、意識=機能的意識としか考えてなくて、現象的意識のほうは、
それが何を表すのかすらわかってないみたいなんだよね。
一方、主観的な立場を強調する人は、意識の両方の意味を把握した上で、
主に現象的意識のほうについて語っている。
同じ「意識」という言葉から、片方は機能的意識を連想して、もう片方は現象的意識を連想するので、
そのせいで話が食い違う。
「心」についても同様。

現象的意識ってのは、大まかに言えばクオリアやそれを感受する主体性のことなんだけど、
主観的な立場を強調する人は、意識って言い方をやめて、話をクオリアに絞れば
勘違いも少なくなると思うんだが。
(おれ自身も、このスレでやった一連の議論で、そうしてやっと相手に話が通じた)


793 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 18:10:37
意味がわからないのが正解。他人の主観だから。
わかるのだとしら主観じゃない。

794 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 18:12:48
>>792
>同じ「意識」という言葉から、片方は機能的意識を連想して、もう片方は現象的意識を連想するので、
>そのせいで話が食い違う。

そんな食い違いどこで起きてる?
ていうか普通「意識」っていったら、
思惟作用とか感受作用とかって暗黙のうちに捉えてるでしょ。
きみのいう「現象的意識」として捉えてるでしょ。
食い違いなんて生じてきようがないでしょ。

>「心」についても同様。
だから心について論じてるレスはまったくないから、
とりあえず心の問題はおいといていいんじゃないの?

…っていってるんだけど。

795 :前々スレ538:2006/12/26(火) 18:16:48
>>794
>そんな食い違いどこで起きてる?

たとえば>>774

>脳の働きの一部に過ぎないと考えているから、
>医学などの分野での応用が効いているんですよw
>どう考えても意識の問題は客観(素朴実在論的)的な見方の方が有用です

医学で扱いうるのは機能的意識だけだから、ここでは明らかに意識=機能的意識としてとらえてるでしょ。
現象的意識ってのは、医学や心理学などの客観的な手法では扱い得ない属性だから、
「医学での応用」なんかまったく関係ないんだよ。

>だから心について論じてるレスはまったくないから、
>とりあえず心の問題はおいといていいんじゃないの?
これからもずっと心について語らないならそれでもいいけどね。


796 :前々スレ538:2006/12/26(火) 18:18:38
あ、わすれてた

>>794
>ていうか普通「意識」っていったら、
>思惟作用とか感受作用とかって暗黙のうちに捉えてるでしょ。
>きみのいう「現象的意識」として捉えてるでしょ。
それって「機能的意識」なんだけど。
やっぱりわかってないじゃん。

797 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 18:20:04
>>792
>ほとんどは、意識=機能的意識としか考えてなくて、現象的意識のほうは、
>それが何を表すのかすらわかってないみたいなんだよね。

何故、何を根拠に、「『他人がわかってない事』がわかる」と思えるのか?
他者間の心の問題でこれを疑わない神経はどうなの?

798 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 18:20:06
>>792
>意識は機能的意識と現象的意識に分けられるんだけど

本当に分けられるか?分けられると勝手に思っているのでは?
機能的意識の一部に現象的意識があったとしてもおかしくはないし、
機能的意識=現象的意識でも問題はないだろうに。



799 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 18:20:48
クオリアだって機能でしょ?
五感が無い人にもクオリアって発生するの?
話があさっての方向に行きそうだけどさ・・・

800 :前々スレ538:2006/12/26(火) 18:23:16
>>797
>何故、何を根拠に、「『他人がわかってない事』がわかる」と思えるのか?
>他者間の心の問題でこれを疑わない神経はどうなの?
疑ってないわけじゃないよ。
「かなりの蓋然性をもって、これらの人たちはわかっていないと推測できる」
ってのをちぢめて言ってるだけ。
毎度毎度こんなふうに厳密に言葉使ってるわけにもいかないでしょ。

>>798-799
とりあえず、wikipediaの「哲学的ゾンビ」の項を読んでもらえるかな。
わかりやすく説明してあるから。

801 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 18:25:55
>現象的意識ってのは、医学や心理学などの客観的な手法では扱い得ない属性だから、
>「医学での応用」なんかまったく関係ないんだよ。
これは同意だよ。
ていうか心身問題を語ってるときに、
意識を現象として捉えないのは論外でしょ。
定義の問題ですらない。

>これからもずっと心について語らないならそれでもいいけどね。
ならやっぱり「とりあえず」はいいでしょ。
意識と物質の関係について語ってるときに、
心の定義云々でやたら議論を複雑にしなくてもさ。

802 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 18:26:19
>>800
これについては、貴方は説明できないのですね。

>>644
では、「同一試行」とは具体的にどういうものか?


803 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 18:28:17
>>800
「他人は私の心が覗けていないのに、私は他人の心が覗けている」

こういう思い込みが(誰しも)あるのではないでしょうか?

蓋然性の根拠とは?

804 :前々スレ538:2006/12/26(火) 18:29:12
>>802
ああ、あのときの君か。
あのね、おれはきみと違って連投規制に引っかかっちゃうんだよ。
100レス中8レスしかできないんだぜ?
細かい質問で無駄にレス消費されると話が続かないんだよ。

で、質問には答えとくと、昨日は
「同一の初期条件から、同一の手順でなされる試行」
と答えようとして規制ではねられた。

こっちの知的レベルが知りたいなら「理系の学部生」レベルを想定してもらっていいから、
手短に君の説明を述べてくれないかな?

805 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 18:29:45
>>800
仮にそういう存在がいたとしても、おれらは全く気付かないし、
そいつ自身も自分がそういった存在であることを分からないんじゃないの?
哲学的ゾンビの例は、
クオリアはあっても無くても構わないようなものだと考えられる例じゃない?

806 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 18:30:26
>>796
>それって「機能的意識」なんだけど。

機能的意識
機能的意識とは、『人間が外部の状況に対して反応する能力』のことである。
脳を物体として捉える観点から言えば、入力信号に対して出力信号を返す脳の
特性としての意識である。これは機能的意識または心理学的意識と言われ、
外面的に観測することができる客観的な特性である。
行動主義心理学などが扱うのは、こういった外面的な意識である。


思惟作用そのものがなんで「機能的意識」なの?
外部から観測できない思惟作用そのものは、現象的意識じゃないの?

807 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 18:32:04
>>804
>「同一の初期条件から、同一の手順でなされる試行」

具体的にどういう試行ですか。一例を挙げてください。

808 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 18:33:14
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809 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 18:38:06
>>800
哲学的ゾンビって、そもそも自己矛盾的な存在だよ。
中途半端に唯物論の立場に立ちながら、唯物論的でないものを無理矢理入れて捏造したもの。
金属で出来た人間みたいなデタラメ。

810 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 18:38:30
機械さん、円のことを考えてくだっさい。完全な円は人間の思考で作りだしていますよね。
円の定義はどう結うことですか?

811 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 18:41:33
物質上で完全な円は存在できないですよね。
円周率ですね。どうでしょう?、みなさん

812 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 18:44:34
>>809
そもそもゾンビが「生きてる死体」だからなw

813 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 18:48:52
>>796
>それって「機能的意識」なんだけど。
>やっぱりわかってないじゃん。

ねーねー。
思惟作用そのものがなんで機能的意識なんですかー?
「考える働き」「感じる働き」そのものは現象的意識なんじゃないの?

なにを勘違いしちゃってんの?

814 :前々スレ538:2006/12/26(火) 18:50:36
>>803
>「他人は私の心が覗けていないのに、私は他人の心が覗けている」
>こういう思い込みが(誰しも)あるのではないでしょうか?
>蓋然性の根拠とは?
「他人の心が覗けている」なんて思い込んでないんですがw
いくつかのレスについて、質問やコメントが余りにもずれてるから、
元のレスの内容を理解していないと考えるのがもっともらしい、と思っただけ。

>>805
>哲学的ゾンビの例は、クオリアはあっても無くても構わないようなものだと考えられる例じゃない?
そうそう、まさに、「機能的に考えれば、クオリアはあっても無くても構わないようなものだ」ってのが
哲学的ゾンビの考察から出てくる結論。
でも実際は、だれでもクオリアを持っているらしい、それはどうして?ってのが問題なわけ。

>>806,>>813
>思惟作用そのものがなんで「機能的意識」なの?
>外部から観測できない思惟作用そのものは、現象的意識じゃないの?
脳に電極突っ込んで測定すれば、観測できる(と客観主義的な人は考える)でしょ。
「これこれの神経細胞がこれこれの働きをすることによって、思惟作用が生じる」って。

>>807
あくまでそういうスタイルにこだわるなら、もう相手してもらわなくて結構です。
こちらの事情を考慮してくれるつもりは全くないようですので。
お手を煩わせて申し訳ありませんでした。

>>809
>哲学的ゾンビって、そもそも自己矛盾的な存在だよ。
>中途半端に唯物論の立場に立ちながら、唯物論的でないものを無理矢理入れて捏造したもの。
これは全く逆で、徹底的に唯物論の立場に立って、「唯物論的でないもの」を全く考慮しなければ、
ヒトは哲学的ゾンビにしかならない、ってことをこの議論は言ってるんだけど。
もう一度よく考えてみてね。


815 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 18:54:15
>>814
>「これこれの神経細胞がこれこれの働きをすることによって、
>思惟作用が生じる」って。

あのーーーー。
思惟作用がなぜ生じるかっていう因果関係の話をしてるんじゃないんだけど。
思惟作用そのものが観測可能かどうか、って話なんだけど。
わざわざ考えるまでもないよね。


で、マジで思惟作用そのものを機能的意識だと思ってるの?

816 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 18:57:39
>>809
人間から哲学的ゾンビを引いて残る物は激しく唯物論的なんだがw
誰も哲学的ゾンビを反唯物論の根拠としてなんか使ってないしw

全然理解せずにレスしてるだろ?

817 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 19:00:15
>>814
>いくつかのレスについて、質問やコメントが余りにもずれてるから、
>元のレスの内容を理解していないと考えるのがもっともらしい、と思っただけ。

それは、あなたの「他者の言葉の解釈」と「他者の心」との間に対応関係があると、
そう考えるのが尤もらしいという事ではないでしょうか?

即ち、「『質問のズレ』を『観測』して判断している」のではなくて?

818 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 19:02:24
>>814
君も間違い。
哲学的ゾンビの前提は「人間から哲学的ゾンビを引いて残る者は
脳から生じている」ということだ。
唯物論的に考えても「意識」の問題は残るんだよ。

そもそも意識を脳に求めてる時点で唯物論的だろ?

819 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 19:04:28
>>818
だからハードプロブレムというわけか
聞きたいんだけど、五感の無い人にそれに対応したクオリアは発生するの?

820 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 19:06:18
>>819
クオリアってのは好きな表現じゃないな。
要は五感(センスデータ)のことだし。

五感のない人間には五感は生じないのでは?

821 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 19:08:08
そもそも、意識が科学的に解明できないなら「ハードプロブレム」なんて呼ばない。
困難だが科学的に解明できると信じてるからこそ「ハード」なのだ。
Wikipediaの説明でも、結局のところは「脳」の問題として捉えられてる。

822 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 19:09:10
>>814
>でも実際は、だれでもクオリアを持っているらしい、それはどうして?ってのが問題なわけ。

実際はもってるらしい?
それはどこから出てきた?

823 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 19:12:44
>>821
膨大な人体実験が必要だろうね。
技術的よりも倫理的にハードな問題だ。

824 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/12/26(火) 19:13:59
ゾンビの問題の起源は独我論にあるように思われる。

これを独我論的ゾンビと呼ぶならば、現代のゾンビは
脳科学的ゾンビと呼ぶことができるかもしれない。

825 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 19:20:59
>>814
>これは全く逆で、徹底的に唯物論の立場に立って、「唯物論的でないもの」を全く考慮しなければ、
>ヒトは哲学的ゾンビにしかならない、ってことをこの議論は言ってるんだけど。

ならないよ。唯物論の視点では、哲学的ゾンビは存在しないから。

826 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 19:23:24
>>824
科学者が他人の脳をいくら調べても、
自分のクローンの脳を調べても、
自分の脳を調べたことにはならないしね。

ここで、自分の脳に「類するモノ」を調べてると思えるかどうかだな。
そもそも、自身にも脳があるだろうと確かめもせず思ってるし。

827 :前々スレ538:2006/12/26(火) 19:30:00
>>815
なんだかなあ。
作用そのものを観測なんてできるわけないでしょ。
観測できるのは個々の具体的事例であって、作用ってのは
そこから帰納的に導き出した抽象概念でしょう。
そんな抽象概念そのものを観測なんてできるはずがない。
機能的意識の持つ機能の一つが思惟作用であり、それが具体的な個々の場面で
どう作用しているかは、原理的には客観的に観測できる、ってことを言ってるの。
一方で、クオリアに関しては、例えば赤い色を見ている時の神経活動が
どうやって主観的に感じる赤の赤さを生み出しているのかってのは、客観的には
どうしても観測できないわけで、だからクオリアは現象的意識に分類されるの。

>>817
>即ち、「『質問のズレ』を『観測』して判断している」のではなくて?
そのとおりですよ。

>>818
>哲学的ゾンビの前提は「人間から哲学的ゾンビを引いて残る者は
>脳から生じている」ということだ。
なんでそんな前提を置く必要があるの??
その前提が、哲学的ゾンビをめぐる議論のどこに利いてくるの?

>>822
>実際はもってるらしい?
>それはどこから出てきた?
「君クオリア持ってる?」って聞いたらみんな持ってるって答えるでしょうw
言い換えれば、「哲学的ゾンビですらクオリアを持っていると答えるのはどうしてか?」
と言ってもいい。

>>825
>ならないよ。唯物論の視点では、哲学的ゾンビは存在しないから。
なんで存在しないか説明できる?

828 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 19:33:51
>>738
それでよいのか?

829 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 19:42:35
>>827
>なんで存在しないか説明できる?

説明するかどうかではなく、
唯物論では、哲学的ゾンビは「存在しない」立場を取る。

哲学的ゾンビを想定するのは独我論ぐらいじゃないの?

830 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 19:44:09
>>829
もっと丁寧に説明すると、
唯物論では、意識は脳という物質に付随するので、
他の脳という物質にも同様に意識が付随することになる。

831 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 19:45:43
>>827
>言い換えれば、「哲学的ゾンビですらクオリアを持っていると答えるのはどうしてか?」

「哲学的ゾンビがクオリアを持っていない」と答えるとしたら、それはどういうロジック?
哲学的ゾンビでも、「クオリアを持っている」と答えるのは当然だと思うが。

832 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 19:46:10
>>827
>作用そのものを観測なんてできるわけないでしょ。

そのあたりまえのことを繰り返してるだけなんだよね。
「思惟作用は現象的意識である」って。

>機能的意識の持つ機能の一つが思惟作用であり、

この表現がまず妥当じゃない。
こんなこといってるから機能的意識と現象的意識を混同するんだよ。
「機能的意識」ってのは、「入力信号に対して出力信号を返す脳の特性」の
ことでしょ。上記の定義からすると。
「機能の分類」って観点からの言葉じゃない。

きみほんとに理解してるの?

833 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 19:53:04
>>830
それだとオッカムの剃刀で他者の意識は切られちゃうぞ。

834 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 19:55:07
>>833
自分の意識同様、他人の意識も残る。

独我論では他人の意識がなくなってもおかしくないけどね。

835 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 19:55:09
極端な話をすると、身体から由来してないと仮定するなら、
意識については完全に不可知です。議論する意味がない。

836 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 19:56:30
>>835
至言だね。

837 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 19:59:08
>>835
意識に上って初めて赤と認識するのですよね。
脳内の作用は経過ですね

838 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/12/26(火) 20:00:01
その場合は経過に規定されてしまうと思うが。。。

839 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 20:02:37
内部から見るか外部から考察するかの問題ですね
外部からは現代科学ですね

840 :考える名無しさん :2006/12/26(火) 20:03:44
test

841 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 20:05:45
たぶん前々スレ538は「作用」ってことばを
「物理的作用」って限定して捉えちゃったんだろうね。
だから思惟作用、感受作用そのもの(クオリア)が
機能的意識だ、なんてトンチンカンなレスをしちゃう。

まー理系くんにありがちな間違いだね。
でも「思惟」作用っていう言葉からしたら、
物理的作用を指してるわけではないってすぐに気づくはずなんだけどね。

842 :49:2006/12/26(火) 20:15:09
機能的意識、現象的意識って言い方が間違いの元だって気がする。
意識の機能、意識の現象的側面って言った方がよいよ。

「痛み」は機能的意識と現象的意識どちらか?なんておかしいよね?
「痛み」は機能も持つし、現象的な面もある。

「作用」は「働き」ってことなんだから機能でしょ。

843 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/12/26(火) 20:17:22
基本的に科学は意識に上ったことを観察している。
であるからむしろ外部の方(認識前)が分からない。

するとクオリアの問題は実は既に解決済みということになる
(要は科学は最初から表象に関する学問なのである)。

バークリーが「科学とは観念間の諸関係の記述である」というとき、
彼は意図せずに、意識からその神秘性を取り去ったのである。

844 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 20:22:01
>>843 科学が唯"物"論であり、唯"物自体"論ではないということかな?

845 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 20:22:48
>>839
違うよ。
「内部から見るか外部から見るか」
と、
「内部も外部も無しに見るか」
だよ。

846 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/12/26(火) 20:23:12
>>844
まあそういうことになるだろう。

847 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 20:25:19
>>842
>「意識の機能」
だからその表現がミスリーディングなんだよ。
原本的な意味からしたら「意識の機能」を問題とした言葉じゃないんだから。
観測可能かどうかってのが定義上の肝であって。
機能的意識っていうより、心理学的意識って言い換えたほうがいいね。

>「痛み」は機能も持つし
意味わかんない。
「痛み」そのものは現象的意識に決まってんじゃん。
「痛み」を感じたときに、脳になんらかの
観測可能な物理的反応が生じた場合、その脳の特性が機能的意識だよ。

848 :前々スレ538:2006/12/26(火) 20:25:37
>>830
>唯物論では、意識は脳という物質に付随するので、
>他の脳という物質にも同様に意識が付随することになる。
まあ、そういう形而上学で考えるならそれでいいと思うけど。
おれが言ってるのは形而下の、観測によって検証されうる唯物論なんで。
自然科学的世界観と言ったほうがいいのか。

>哲学的ゾンビでも、「クオリアを持っている」と答えるのは当然だと思うが。
うん、そうでなきゃヒトと哲学的ゾンビの区別がついちゃうからね。
哲学的ゾンビがクオリアを持っていると答えるのは、ヒトの言葉の用法に則ってそうしているだけで、
実際にはクオリアは(定義上)持ってない。
じゃあそういう言葉の用法はどうして生まれたかって言うと、それはヒトがクオリアを持っているから、
と考えるのが妥当でしょう。
(ヒトにクオリアが無ければそもそもクオリアと言う概念が生じ得ない)
ってことで、哲学的ゾンビでもクオリアと言う概念を扱えるってことは、ヒトがクオリアを持ってることを
間接的に示しているわけ。

>>832,>>841
>「機能的意識」ってのは、「入力信号に対して出力信号を返す脳の特性」の
>ことでしょ。上記の定義からすると。
wikipediaを紹介しといてこんなこと言うのもなんなんだけど、その定義だけ鵜呑みにされてしまっても
困っちゃうんだよね。
例えばググって見つけたところだと、
>the kind of consciousness explained by an account of the information processing that a system undergoes when it is phenomenally conscious
なんてふうにも説明してある。
要するに、機能的意識ってのは、意識のうちで、情報処理的な機能として説明できる側面のことを
指してて、それ以外の、主観的に体験される側面のことを現象的意識(phenomenal consciousness)
っていうわけ。
思惟作用とか感受作用ってのは、機能として説明できるから、機能的意識に属するの。
まあおれの説明が疑わしいなら、チャーマーズの本とか読んでみてよ。
徹底的に議論されてるから。

849 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/12/26(火) 20:28:16
>ってことで、哲学的ゾンビでもクオリアと言う概念を扱えるってことは、ヒトがクオリアを持ってることを
>間接的に示しているわけ。

別にゾンビが「クオリアがあるよ」と発音してるだけでもいいと思うが。

850 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 20:29:18
>>827
>「君クオリア持ってる?」って聞いたらみんな持ってるって答えるでしょうw
>言い換えれば、「哲学的ゾンビですらクオリアを持っていると答えるのはどうしてか?」
>と言ってもいい。

じゃあ、「クオリア持ってる」と答えるコンピューターには
クオリアがあると考えて差し支えないな。

851 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 20:31:56
機械はこんなのも見てるのか?

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852 :750:2006/12/26(火) 20:34:23
>>827
クオリアでは説明ができません。内部も外部もなくはありません。
知覚器官の奇形があった場合はどうするのです。

853 :前々スレ538:2006/12/26(火) 20:36:48
>>849
>別にゾンビが「クオリアがあるよ」と発音してるだけでもいいと思うが。
まあ実際はそういうことなんだけど、ここで言ってるのは
「クオリアという概念を用いた会話に適切に応答できること」
を「概念を扱える」と書いたわけ。

>>850
>じゃあ、「クオリア持ってる」と答えるコンピューターには
>クオリアがあると考えて差し支えないな。
そうだな。
きみもうっかり、冗談で「おれクオリアなんか持ってないぜ」って言ったりしたら
ゾンビと見なされるから気をつけろよw

854 :49:2006/12/26(火) 21:04:19
>>847
> 「痛み」そのものは現象的意識に決まってんじゃん。
「痛み」そのものの話じゃなくて「痛み」の話だよ。
「痛み」そのものって言い方には現象面を指す意図が込められてる。
機能を持つものとして「痛み」を語れるってこと。

> 「痛み」を感じたときに、脳になんらかの
> 観測可能な物理的反応が生じた場合、その脳の特性が機能的意識だよ。
これの方が意味わかんない。
意識の現象面だけじゃなく、機能も脳の特性と同一視できるかどうかなんてまだ決着ついてないじゃん。

855 :750:2006/12/26(火) 21:18:11
>>845
それならヘーゲルの精神現象学を読んだらいかがかな

856 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 21:23:31
>>853
つまり、君が言葉をどう解釈するかの問題だけだな

857 :750:2006/12/26(火) 21:25:06
>>856
言葉だけで体験知ということを知らないですね。
意味解りますか?

858 :750:2006/12/26(火) 21:26:52
>>853
知覚と概念と表象の違いですよ。
根本的に解っていません。


859 :前々スレ538:2006/12/26(火) 21:35:09
>>856
いやお互い様だと思うぜ。
まずは冗談をどう解釈するかをまじめに考えないとねw

860 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 21:43:39
>>859
つまり哲学的ゾンビは哲学者のジョークだということだね。

861 :前々スレ538:2006/12/26(火) 21:44:51
>>860
きみがそう解釈するならそれでいいんじゃない?
おれはそうは解釈しないけどw

862 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 21:45:30
>>857
別にあなたの体験知を知らなくても
何も問題ないが?

863 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 21:45:54
>>781
>人間の認識は間違えることがあるからという理由で
>客観的実在を疑うのは狂気だよ

これは逆ではないのか。人間の認識が「間違える」ことがあるとすれば、
それはむしろ客観的実在を前提としているということだろう。
認識と実在が食い違っている、というのが「間違い」の意味なのだから。
主観から独立した客観的実在を否定するなら、>>774が言うように
「私は無謬」になるしかない。食い違う対象がないのだから。
ある瞬間に机に見えたものが次の瞬間にはパソコンに見え、次の瞬間には
人間に見えて言葉を語り出したところで、「そういうクオリアの変化があった」
という真実があるだけで、間違いでも何でもない。

864 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 22:00:54
>>861
君がどういう解釈をするかは知らんが、
他人は、冗談で誤魔化したと解釈するだろうな。
それでいいよ。何も問題ない。

865 :前々スレ538:2006/12/26(火) 22:03:09
>>864
>他人は、冗談で誤魔化したと解釈するだろうな。
というのもきみの解釈だけどねw

866 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 22:28:44
>>865
なんか、小学生みたいだな・・

867 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 22:33:36
>>863
>「私は無謬」になるしかない

ここに憧れるんだろうね。心理としては。

868 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 22:35:58
>>863
何を言いたいのか、いまいちわからない・・

認識が対象を模写するのか、
それとも、認識が対象を構成するのか・・

コペルニクス的転回。
そういうお話?

869 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/12/26(火) 22:38:22
対応説は、要は表象と観念の食い違いでも、観念間の食い違い
でもいいのだから実在否定と無謬性はあまり関係がないように
思われる。

ちなみに、ゾルレン氏はカントが対応説を取っていたと言うが、
カントは真理については形式主義であると解する(物自体と
観念の対応が認識しえないのだから、カントの体系内では
対応説は成立しない)。

870 :第2唯物論:2006/12/26(火) 22:39:09
ずいぶんどんどん進むなあ

>>814
>これは全く逆で、徹底的に唯物論の立場に立って、「唯物論的でないもの」を全く考慮しなければ、
>ヒトは哲学的ゾンビにしかならない、ってことをこの議論は言ってるんだけど
 
 これは本当の唯物論に対する大誤解、かなり無知馬鹿.俗説にだまされてるだけだよ
538氏もそう唯物論は俺の考えと違うといってなかったかい

871 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 22:43:07
>>869
カントは「真理」なんて言うのかな?
カントは「妥当性」っていう言葉を使うと思うけど。

>物自体と 観念の対応が認識しえないのだから、カントの体系内では 対応説は成立しない

物自体が認識できないとしても、現象界における
対象と認識の一致ということはもちろんあるだろ。

872 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 22:43:22
>ずいぶんどんどん進むなあ

中原中也を意識したレトリックとお見受けしました!



873 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/12/26(火) 22:43:49
形式主義、すなわち、対象間の論理的整合性だけを問題にするならば、
対象間の比較が成立するだけでよい。したがって、「比較の対象は実在
でなければならない」というような要請は存在しない。

874 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 22:45:29
>>871
横レスだが、対象と認識って何だ?
カント哲学では認識を通じて(また、範疇を通じて)対象が構成されるはずだが。

875 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 22:46:03
っていうか、カントはあちこちで矛盾してるから出さなくてもいいよw

876 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 22:47:31
>>874
誤った対象を構成することもあるんじゃない?


877 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 22:49:35
>>876
その場合は、誤ってるってのは何と対応させて誤ってる?

認識前の対象(物自体)が、認識を通じて、誤って、認識後の対象に構成されるとしても、
認識前の対象は物自体だから、誤って構成されたかどうかは定義上分かりえない。

878 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 22:53:01
>要は表象と観念の食い違いでも、観念間の食い違い
>でもいいのだから

それ、どういう場合? 食い違いようがないとしか思えないが。
「対象間の論理的整合性」というのも、意味がよくわからない。

879 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/12/26(火) 22:55:16
例えば、「目の前に犬がいる」という像と表象との比較。

ちなみに私は対応説はとっていない。

880 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 22:55:20
>>877
>認識前の対象(物自体)が、認識を通じて、誤って、認識後の対象に構成されるとしても、
>認識前の対象は物自体だから、誤って構成されたかどうかは定義上分かりえない。

カントの物自体は、認識をたんに触発するだけ。
物自体との一致なんてことはカントは考えていないでしょ。



881 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 22:55:58
>>880
だからそのことを言ってるんだよw

882 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/12/26(火) 22:56:51
対象間の論理的整合性とは、モデル化されたときに、
そのモデル内部に矛盾が生じないことであると解する。

883 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 23:03:45
>>881
ん?

たとえばプロレゴメナにはこう書いてあるね。
「客観的妥当性と〔すべての人に対する〕必然的な普遍妥当性とは
相関概念である。そして、われわれは客観自体を知らないにしても、
ある判断を共通妥当的、したがって必然的と見なすとき、まさしく
それによって客観的妥当性を意味しているのである。」

ここの「客観自体」が物自体に当たるんじゃないかな。

884 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 23:16:01
>>883
反論の意味が分からない。
まず、その箇所でも「物自体」が不可知であることは変更されてない。

次に、「カントも対応説でかつ対応対象は実在だ」というなら(と言ってるのか
どうかは知らんが)、カントの体系内で何が比較可能な実在なのか、これに
答えてもらわないと。現象?観念?

ちなみに、カントが「客観的妥当性ってのは現象と思考の一致のことだ」という
箇所があるなら、教えて欲しいよ(嫌味じゃなくて)。

ところで>>878は君?

885 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/12/26(火) 23:19:19
カント哲学で対応説を取れないというのは言いすぎであった。
確かに、現象間、現象と思考などの対応関係は成立するかもしれない。
ただカントがそう言ってるかどうかは勉強不足で知らない。

886 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 23:27:20
>>853
>きみもうっかり、冗談で「おれクオリアなんか持ってないぜ」って言ったりしたら
>ゾンビと見なされるから気をつけろよw

気を付けるも何も、定義上、他人からは哲学的ゾンビ(=他人)と見なされるのは
当然の帰結だが?君は少し幼稚じゃないか?

887 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 23:27:30
>>884
>反論の意味が分からない。

ん? 

>次に、「カントも対応説でかつ対応対象は実在だ」というなら(と言ってるのか
どうかは知らんが)

「実在」が「物自体」を指してるなら、カントがそんなことを言うはずないでしょ。

>ちなみに、カントが「客観的妥当性ってのは現象と思考の一致のことだ」という
箇所があるなら、教えて欲しいよ(嫌味じゃなくて)。

そもそも、「一致」ということが無意味になるなら、「客観的妥当性」
なんていうことも無意味になるはずではないの?
カントが言う「客観的妥当性」の要素になるものとしては例えば
「共通感覚」っていうのがあるんじゃない?

>ところで>>878は君?

ちがう。


888 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 23:31:51
>>887
>そもそも、「一致」ということが無意味になるなら、「客観的妥当性」
>なんていうことも無意味になるはずではないの?

ならないよ。
そもそも「共通感覚」は対象間の一致と関係ないし。
むしろ対応説が言うように「対象間の一致」で妥当性が満たされるなら「共通感覚」は不要。
ってか、この箇所が指してるのは共通感覚のことなの?

889 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 23:35:57
>>888
>そもそも「共通感覚」は対象間の一致と関係ないし。

ん?
なんで「対象間の一致」になっちゃったの??

>ってか、この箇所が指してるのは共通感覚のことなの?

根底にはそういう考えがあるんじゃない?




890 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 23:39:11
カントは、物自体は認識できないといいました。
現象と思考の一致ではありません。
これではゲーテ的思考ですね

891 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 23:39:14
>>889
>なんで「対象間の一致」になっちゃったの??

対応説の話だから最初からその話なんだけど。
なんと勘違いしてた?

892 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 23:40:25
意識とは何かに戻ったほうがいいですよ。本論ではありません。

893 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/12/26(火) 23:41:52
意識とは、現象の総体であると考える。
だから、私は観念論に興味を持つ。

894 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 23:42:46
>>891
いや、俺が話してた人は
>現象と思考の一致
と書いてたからね。
その人とはそういう話をしてたつもりなんだけどね。

名無しさんだから誰が誰だかわからない。
まぁいいや。

895 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 23:43:17
カントは共同主観みたいなものを客観性の基準にしてるから、
対応説は取ってないよ。カントは共同主観だとは言わないけどねw

896 :名無し@autn. sys. ◆pFYl6xGCTc :2006/12/26(火) 23:49:23
すごいレスが進んでいますね。最初に言っておくと、

>>779
何度も繰り返されてきた、「心」「意識」「主観」の定義があいまいなせいで生じる勘違い。
>>783
> どこから非決定論は主観的な考え方とかいう馬鹿理論が出てくるんだい

>>自分は基本的に、主観という表現を使っていません<<

主観については、>>743に答えるにあたって、相手の用語法に合わせて、一応その言い方をしたというだけで、もともと自分の用語法ではありません。
また、意識については、「心の哲学」で意識を扱い切れていないという文脈で出しただけですので、定義はそちらにまかせれば良いでしょう。

「心」についても、単独で使うことはなく、「私の心の世界」と言っているだけですが、曖昧な点があるなら具体的に指摘していただければと思います。

特に、「主観モデル」という言葉が一般化し、話の流れを読まないで、「主観」について批判するレスが見受けられますが、
この定義については、常に>>743>>779を参照するべきで、「主観」という用語に基づく批判は全て検討違いです。

897 :名無し@autn. sys. ◆pFYl6xGCTc :2006/12/26(火) 23:50:17
>>774

> 私を世界の中心に据えるのなら、私は無謬になりますよね?
> これは正しいとか以前にあなたが否定したい決定論と同じ過ちを犯しているように思います。
> 社会の中の一人の私や、世界に存在する一人の私ならまだ分かりますが・・・

すぐ上に書いた通り、「主観」についての批判は見当違いです。
私が世界の中心だというと、むしろ客観的な世界の中に私を置いていることになるでしょうが、自分はそういう立場を取っていません。
また、「私の世界」そのものに、自明に「正しい」「正しくない」という価値判断が与えられることはないので、これについては若干議論がすれ違っている思います。
>>772は、あくまで、>>743に対するローカルな応答です。これについての元の議論は>>728-732を参照してください。

> どう考えても意識の問題は客観(素朴実在論的)的な見方の方が有用です

このあたりの議論は当然のことながら、「心の哲学」の有効性とかそう言う話になり、一般には、評価が分かれるところかもしれません。
ただし、>>728-732を読んでもられば分かるように、科学で全てが説明できるという考え方自体、一つのモデルに過ぎないと考えれば、
簡単に解決が付く話で、科学の発展を待つ必要はないわけです。


>>778
> 「主観モデルが優れている」と主観がいうのは
> 他人にとってはまったく妥当性がないのでは?
> 単なる自画自賛でしょう。

おそらく、>>743>>779の流れを理解していないから、
「主観」と言う言葉を使うわけで、>>728-732は読んでいただいてないと思います。
「他人にとって」の妥当性を考えるあたり、完全に議論を誤解しています。
>>728-732の方をあらためてお読みください。

898 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 23:50:18
>>895
だからその「対応説」の「対応」が、何と対応してるのかっていう問題なんだよね。
「物自体」との対応でなくても「物」との対応ではありうるのだよね。
真理の対応説を根本的に否定したのはハイデガーだと思うけどね。
だからそれ以前の認識論は、多かれ少なかれ、対応説なんだよ。

899 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 23:52:45
>>898
カントはモノとの対応すら採用してないよ。
あとゲーデルの方が先じゃね?

900 :広辞苑から:2006/12/26(火) 23:57:00
たいおう‐せつ【対応説】
〔哲〕真理の理論の一。ある命題は、それが正しく実在と対応しているときに真であるとする説。主に経験主義の立場において説かれる。#整合説

せいごう‐せつ【整合説】‥ガフ‥
〔哲〕真理の理論の一。ある命題は、それが他の多くの命題と整合している時に真理であるとする。主に合理主義の立場において説かれる。#対応説

901 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 23:59:08
>>899
>カントはモノとの対応すら採用してないよ。

そう思う根拠は?

>あとゲーデルの方が先じゃね?

ハイデガーの方が先だと思うけど。

まぁハイデガーに言わせれば、
ソクラテス以前のギリシャの真理概念が先だけど。

902 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 00:00:50
>>901
カントの場合、共通感覚の要件が満たされれば足りるから。
自分の中で「これはAだろう」「そして実際にAだ」じゃだめなんだよ。

903 :名無し@autn. sys. ◆pFYl6xGCTc :2006/12/27(水) 00:01:52
とりあえずほとんどの問題は、「主観」という言葉にまつわるもので、>>896-897で言い尽くされていると思うのですが、そうではないものについては、コメントするつもりです。
ただ、今まで、ずっとレスは追ってきたつもりだけど、あまりにも進むのが早く、すぐには自分に関係あるレスとそうではないレスの判別ができません。
そのままでもできる限りレスをするつもりではいますが、いつになるか分からないので、このレス以降、私のHN入りでコメントをいただければ、早くレスができると思います。

904 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 00:02:43
>>902
じゃあ「客観的妥当性」はどういう場合に成立するの?

905 :「機械的唯物論」者 ◆6xfUzFrrFE :2006/12/27(水) 00:18:11
>>732
>というのも、上に書いたように、決定論的視点は、「私」モデルから理解することができます。
>決定論的視点は、「私」モデルから適切に意味づけし、活用することができるものです。

「私」モデルとは脳内の「感覚的クオリアと指向的クオリアの総合である」と「決定論的視点」から、
理解できます。「適切な意味づけ」というのが一つの「観念論的ドグマ」になっていますね。

>ところが、決定論モデルにしたがうと、「私」が何で「私」なのかといった基本的なことが理解できない。

そんなことはありません。「私の脳(というシステム)」が消滅する(要するに「全身死」「脳死」に至る)と
「私」は当然に消滅します。・・・その「(自然)科学的事実」を受け入れることができない「脳の働き」が、
「観念論」という「宗教的思考回路」なのです。
・・・「自分以外の(人間であれ動物であれ)脳」が、「肉体死」を迎えれば「彼らの『私』」も
当然に消滅する・・・ということを確信しつつ・・「自分の『私』だけは例外かもしれない」・・という
「希望的観測が膨張した自己欺瞞」・・・が「観念論及び宗教」なのです。

906 :「機械的唯物論」者 ◆6xfUzFrrFE :2006/12/27(水) 00:51:15
>>897
>私が世界の中心だというと、むしろ客観的な世界の中に私を置いていることになるでしょうが、自分はそういう立場を取っていません。

皮肉なことに?唯物論・決定論(自然)科学によれば「あなたは『あなたの世界(宇宙)』の中心」なのです。

「この宇宙」を観測すること・・・それは1秒前の「月」や、8分前の「太陽」や、4年前の「隣の太陽(アルファケンタウルス)」を
観測することに他ならない・・・ので、「遠方を見れば見るほど『過去』を見ることになる」訳です。
従って「これ以上見ることの出来ない『遠方』」が存在するとすれば、それは「究極の過去」になる訳ですが、ハッブル宇宙望遠鏡
や、すばる望遠鏡は既にその「究極の遠方の『壁』」を観測してしまった・・のです。
それが「137億光年(距離の単位)」であり、「あなた」を「あなたを中心とした宇宙の(137億光年の半径を持つ球状の「宇宙」)
の「中心」に位置する・・・ことになるのです。
 例えば私とあなたが「日本とブラジルの距離」に居るとしたら、「あなたの世界」の中心と「私の世界」の中心は、約1万5千km
離れておりますので・・・光(時間)の速度(秒速30万km)で、約0.05秒「離隔」が生じる・・
・・ということになる・・ということです。

907 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 01:08:10
太陽系って宇宙の中心にあるの?

908 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 01:16:19
>>906
自分で思考していないですね。現代科学的に基づいてものですね。
それにしたがって、思考法則を述べてみてください。
絶対にできないでしょう。
物性変化について、語れないのと同じです。
電子、原子が絡み合うことによって、どうして物性が変化できるか
説明してください。
それからなぜドーパミンが最初からゾンザイしているのか答えてもらえますか?
そのようなことでは、語れないとわかりませんか?


909 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 01:20:57
ゾンザイは存在でした。たつじですみません

910 :「機械的唯物論」者 ◆6xfUzFrrFE :2006/12/27(水) 01:22:29
>>908
>電子、原子が絡み合うことによって、どうして物性が変化できるか
>説明してください。

「すぐわかる化学入門」等々の種々「化学入門書」には、原子核を周回する電子の
軌道・・・により「化学的性質」を解説してありますので、(まあ「化学」の基礎です)
ので、一度目を通して見たらよろしいかと思います。

本日は「高分子化学物質:メラトニン」が脳内に蓄積してまいりましたので、就寝させて戴きます。

911 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 01:24:47
>>907
果てのない宇宙がモデルの場合ならね
地球に果てがないのと同じ

912 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 01:29:14
それはわかっていますよ。機械さん
電子の本質とは何ですか?
物性変化の説明になってませんよ


913 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 02:16:27
>>911
137億光年という果てがあることが気にいらないとしても果てがないという
希望的願望は理解できるがよ。果てはあるし見えてるんだからわがまま言うなw
地球に果てがないならば世界200ヶ国と地域に行った俺の友人に次の目的地を提案してみろ

914 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 02:21:57
>>912
わかっていますよというのに限って全く180度誤解してわかっているのが多い。
180度なら救いもあるが、42度くらいとか69度くらいわかっているのは、
全然わかっていないより千倍くらい矯正可能性が薄い。

915 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 02:27:23
>>912
だいたい電子の『「本質」とは何ですか?』というどういう回答を期待してるのか
さっぱりわからん愚問が脳から出てくる脳の機能状態を調べてから出直してこいよや。
「本質」を押さえれば言い訳なのだろけど、自分で勝手に「これが本質だ」と言って
納得できる他人はいないや。

916 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 02:32:17
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917 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 02:34:00
ろくな人間がいませんね。

918 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 02:42:29
ちなみに全部みるとクリックすると表示されますよ。

919 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 03:32:17
馬鹿しかいないな

920 :名無し@autn. sys. ◆pFYl6xGCTc :2006/12/27(水) 04:09:30
ちなみに、>>896-897のアンカーが一部間違っていました。
読んでいけば分かると思うけれど念のため。



> この定義については、常に>>743>>779を参照するべきで、

: この定義については、常に>>743>>772を参照するべきで、


> おそらく、>>743>>779の流れを理解していないから、

: おそらく、>>743>>772の流れを理解していないから、

921 :名無し@autn. sys. ◆pFYl6xGCTc :2006/12/27(水) 04:18:23
> 「私」モデルとは脳内の「感覚的クオリアと指向的クオリアの総合である」と
> 「決定論的視点」から、 理解できます。

総合であると言って解決したつもりかもしれませんが、
クオリアそのものは、私と何ら関係ないものでしょう。
私たちが、こういった問題を考えるとき、
「私」がクオリアを感じているというように理解しているはずですが、その「私」は何なのかということです。
上で議論されていた哲学的ゾンビや、ハードプロブレムの話も、これと関係するものと言えると思います。

> 「適切な意味づけ」というのが一つの「観念論的ドグマ」になっていますね。

流れを読んでもらえれば分かると思いますが、

> そんなことはありません。「私の脳(というシステム)」が消滅する(要するに「全身死」「脳死」に至る)と
> 「私」は当然に消滅します。・・・
> その「(自然)科学的事実」を受け入れることができない「脳の働き」が、
> 「観念論」という「宗教的思考回路」なのです。
> ・・・「自分以外の(人間であれ動物であれ)脳」が、
> 「肉体死」を迎えれば「彼らの『私』」も
> 当然に消滅する・・・ということを確信しつつ・・
> 「自分の『私』だけは例外かもしれない」・・という
> 希望的観測が膨張した自己欺瞞」・・・が「観念論及び宗教」なのです。

いつ、死後も「私の世界」が続くと言いました?
これは、全く検討違いの批判で、それ以上言うことはありません。

それから、私は自分の主張を観念論だと定義していません。
観念論の立場から私の主張を擁護する人もいるし、厳密には、観念論と唯物論の、どちらとも言えないものだと思いますが、どちらかと言えば、唯物論的に近いと思います。
また、(一部の方は気づいていると思いますが)実は歴史的に、機械論と言われている考え方の流れをくむものです(だからと言って、機械論だと名乗るつもりはありませんが…)。
この手の議論は、いたずらに専門的になり、この場にふさわしくないので避けてきたし、これからもするつもりはありませんが、いずれにせよ、「観念論」であるという断定にもとづく批判は見当違いです。


922 :名無し@autn. sys. ◆pFYl6xGCTc :2006/12/27(水) 04:20:58
>>906
> 皮肉なことに?唯物論・決定論(自然)科学によれば「あなたは『あなたの世界(宇宙)』の中心」なのです。

>>897のレスは、まさにそういう見方を念頭に書いたものです。上の引用の「唯物論」というところを別にすれば、おっしゃる通りだと思っています。
これに対し、私の言う、「私の世界」というのは、世界そのもので、その世界の中で私自身(自己観察された自分)さえとらえられるというものです。ここで、私は世界の中心ではなく、世界そのものだということです。

蛇足ながら、この話の出発点は、>>896-897ですので、これについて新たにコメントされる方は、そちらを参考にしただければと思います。

923 :名無し@autn. sys. ◆pFYl6xGCTc :2006/12/27(水) 04:36:09
すいません。一部書きかけでした。

> 「適切な意味づけ」というのが一つの「観念論的ドグマ」になっていますね。

観念論という断定は当たりませんが、「ドグマに過ぎない」という批判だとして受け止めます。
流れを読んでもられば分かると思いますが、「適切な意味づけができる」というのは、前にも書いていたモデルとしての有効性という話の別の表現です。
すでに述べたように、「モデルとしての有効性」は、ある種の価値判断であり、ドグマとも言えます。
また、これは、科学的視点そのものから出てくるわけではなく、「私の世界」を出発点にした世界観から出てくるものだという意味で、

>>観念論という言い方には賛成しませんが<<(←強調しておかないとまた議論が混乱します。)

<あなたの定義する>、観念論的な世界観に由来するものでしょう。

しかし、これは「説明能力が高いモデルを採用する」というのは、科学的・哲学的理論を考える上で、通常誰もが取っている価値判断であり、
今回の立場の対立を超えて受け入れ可能(というより受け入れるしかない)ものだと思います。
ドグマという批判はその通りですが、これを「ドグマに過ぎない」と切り捨てることはできないと思います。

924 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 04:43:31
名無し@autn. sys. ◆pFYl6xGCTcさんのカウント数からいって

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のどれかをみてるのは間違いない。

925 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 08:17:14

.                     ''';;';';;'';;;,.,    ブーン・・・  
.                      ''';;';'';';''';;'';;;,.,   ブーン・・・
.                       ;;''';;';'';';';;;'';;'';;;
                        ;;'';';';;'';;';'';';';;;'';;'';;;
             rっ        vymyvwymyvymyvy、
             ||       mVvvMvyvmVvvmvyvmVvv、  おすすめからきますた
オススメからきますた  |/⌒ヽ /^ヽ (^^) /^ヽ (^^) /^ヽ(^^)/^ヽ
             (^ω^ )(ω^ )/⌒ヽ(^ω^)/⌒ヽ^ω^)  ( ^ω)-っ
       /⌒ \   |   _二二二つω^ )(\ ( ^ω^ )二⊃ /⌒ヽr 
   ⊂二(^ω^ )二ノ   /( ^ω^ )  ⊂二\\_/⌒ヽ二二( ^ω^)二⊃
       ヽ    | (´ ._ノ ヽ   /⌒ヽつ  \( ^ω^)  |    /
        ソ  ) \\⊂二二二( ^ω^ )二二二⊃ ⊂_) ( ヽノ
       ( < \  レ’\\   ヽ   /   i ) ノ     ノ>ノ 
        \|\|      レ  (⌒) |   /ノ ̄     レレ
                      ⌒| /   '´


926 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 08:18:45
糞スレ

927 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 08:20:05













決定事項です。











928 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 11:04:26
おすすめ2ちゃんねるは
確か、専用ブラウザなら対象外だよ。

929 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 11:42:36
瀕死のの昏睡状態で、復活した人がいますね。
その人に聞くと意識はあったのです。
それをどう説明しますか?

930 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 11:54:32
>>772
ざっとしか読んでいないのですが、「決定論モデル」と「私モデル」を私が
「客観モデル」「主観モデル」と言い換えたために要らぬ混乱を招いたようで、
申し訳ありません。
「主観・客観」という言い方を避けられるのは、いわゆる主ー客図式を超越した
考え方を志向されているからかと推察するのですが、ただ、私はそれはそう簡単では
ないと思うのですが。

>たしかに、主観モデルを出発点にすれば、必要に応じて客観モデルへ行くこともできるし、
>他の人の主観をとらえることもできます。

これは、率直に言ってよくわかりません。純然たる「私」から出発して、「客観」や
「他人の主観」をとらえる(というより意味づける)のは非常に困難、というか、
はっきり言うと不可能(というより無意味)だと思うのですが。
これは他の方でしたか、「すべてを包括するような『私』があり、その中に
いわゆる客観世界も自分の私も他人の私も位置付けられる」というような言い方を
された方がいましたが、これは無理だと思います。そうして位置付けられた客観や
他人の私は、所詮はどこまで行っても『私』の一部(客観モデル的に言うなら、
対象について『私』が持つ『像』)であって、真の意味の客観でも他人の私
でもありません。客観的というのは(日本語で客が観ると書くので「誰が見ても」
というニュアンスでとらえられがちですが、原語の意味から言うと「見られる
対象自体の側に」というニュアンスでしょう)、「客体自体の側に、主体とは独立して」
という意味なので、客観的存在とは、あくまでも『私』の外部にある何か、を
指していると思われます。ですから、もしもそういうものがあるのなら、
「外部にあるものを、どうして『私』が認識(内部化)できるのか?」
「その認識が正しかったり間違ったりするというのは、どういう意味か?」
という疑問が生じるのは必然です。いわゆる心身問題を主観モデルの側からとらえると、
このような形になると思います。「主観モデルから客観モデルに行く」のは、
そう簡単なことではありません。

931 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 12:01:21
(続き)
出発点からすれば、確かに経験でき、確かに存在すると言えるのは変転常無き
クオリアの渦だけですが、「それは全部『私』の内部だ」と考えるなら、
純然たる独我論であって、話はそれでおしまいです。物質だろうと他人だろうと
自分の肉体だろうと他人や自分の発する言葉だろうと、すべては変化するクオリアの
一部分であり、ひいては『私』の一部分に過ぎません。
現実には、このクオリアの変転(経験)だけが存在する、とは、どうしても
思えないわけです。なぜなら、それには自分の思い通りになる部分と、自分の意志に
関係なく、否応なしに「外から」もたらされる部分とがあることが、明白だからです。
ここから、「自分の外部に、自分とは独立に存在する何か」の力、一言で言うと
「他者」の力によってこのクオリアの変転はもたらされているのではないか、という
発想が出てきます。これがいわゆる「実在論」であって、実在するのは神であっても
イデアであっても物自体であってもいいのですが、「物質」が実在する、と
考えるのが、いわゆる唯物論です。そして、物質が客観世界の中に実在する、
という超越というか思考の飛躍を一旦行ってしまえば、他人の体も自分の体もその
客観世界の中に実在する物質、「個物」であることは明白であり、また自分の体と
『私』が密接不可分の関係にあることも経験的に明白です。そして、いわゆる言語を
通じた交渉を通じて、他人の体には『私』と同格の他者、つまり「別の『私』が存在する」
という直観が生まれることも、また否定できません。

932 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 12:02:03
(続き)
その結果、必然的に
「どうして自分の体が『私』などというおかしなものなのか?」
「他人の体も、別の『私』であるように思えるが、これまたどうしてか?」
「『私』と、体を含む物質世界とは、どういう関係にあるのかないのか?」
という疑問が生じます。こうして、やはり心身問題という難問からは逃れられません。

>ただ、逆の客観モデル→主観モデルは、少なくとも現在のところうまくいっていません。
>たとえば、意識の問題があります。

上記の通り、うまくいかないのは主観モデル→客観モデルでも同じことです。
というより、主観と客観は相互規定的であり、同時に成立するものなので、
片方でうまくいかないものは他方でもうまくいかないのは、当然です。
そして、主観ー客観図式を超越する、というのも、言うは易く行うは難し、です。
心身問題という難問の解決はそう容易なことではないと思うのですが、いかがでしょうか。

933 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 12:05:08
>>929
後から思い出してそう言っているだけの場合が多いので、
そのとき本当に意識があったかどうかは確定しない。
夢の記憶と同じで、確かめる方法が存在しない。



934 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 12:56:32
ここの住人はアレよね、病的だよね。
異常者の集まりというか。
唯(?)論とかを標榜してるだけに、一元的でしかモノを考えられない、かたよった人の集まりだから、
女性に対するときもつねに、相手を自分の土俵にひきずりこむことしか頭になくて、
あの手この手で高圧的に振る舞おうとする。蹂躙しようとする。
たとえば相手の女性なんかが拒絶するや否や、逆上して暴力をふるいはじめるわけでしょ?
これは由々しき問題でね、断じて許せない。
女性を侮辱するな!
暴力で女性を蹂躙するな!

935 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 12:59:16
>>934
どう見ても、そんなことをここに書き込んでいるお前の方が異常だろ。

936 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 15:34:46
>>935
ご自分の嫁や子供を暴力で蹂躙してるからってね、
熱くなってはいけない。
まずは冷静になってから書き込むといい。血生臭いカキコは場違いだから。

937 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 15:37:59
また新たなキチガイの登場?

938 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 15:46:44
物凄いキャラの登場だなw
是非、コテを装着して欲しい!
目に入らなくて済むからw

939 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 15:47:03
>>934
この論説はたしかに一理あるな。
ここのスレの住人にはオンナに暴力をふるいそうなヤツがやたらと多い。
殴って、殴って、踏みつけて、弱いやつにほど強く出るやつばっか。
子供にも暴力をふるうし性的イタズラもする。
とにかく異常で異常で、警察はマークしてください。捜査にはいくらでも協力します。
きっとコイツらは人肉を食ったりもするんだろう。
当局はデータをすべて保存し、一軒一軒、聞き込みしてもらいたい。

940 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 16:04:14
>>939
そういう危険性があるのは、唯物論者とはまったく逆の、独我論者だろ。

941 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 16:35:11
>>940
そうやってありもしない論敵(?)のイメージをでっち上げるのはやめませう

942 :750:2006/12/27(水) 16:44:23
>>933
意識がわかっていません。それは夢意識です。
意識状態に変化が起こるわけです。
意識を失う昏睡状態からの中間ですが
意識レベルの話になります。


943 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 16:46:00
>>930-932さんのレス分かりやすくていいね。
一番@autn. sys.さんに聞きたい部分が端的にまとまってる。


944 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 17:14:39
>>932
>主観ー客観図式を超越する、というのも、言うは易く行うは難し、です。

逆のような気がしないでもない。
行うは易く言うは難し。

945 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 17:27:08
テスト

946 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 17:46:23
こんなの出ちゃって困るな。



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947 :前々スレ538:2006/12/27(水) 18:07:45
>>896
>主観については、>>743に答えるにあたって、相手の用語法に合わせて、一応その言い方をしたというだけで、もともと自分の用語法ではありません。
>また、意識については、「心の哲学」で意識を扱い切れていないという文脈で出しただけですので、定義はそちらにまかせれば良いでしょう。

いや、そうやって「ことのついでに」って形で使ったとしても、ここに常駐してる名無しの何人かは
そういうところを目ざとく見つけて、ここぞとばかりに突っ込みを入れてくるわけ。
だから、ここで「主観」とか「意識」とかいう語を使うときは、例え本筋とは余り関係ない場面で
使うんであっても、定義をはっきりさせて慎重に使わないといらない混乱を招きますよ、
ってことを指摘したってわけ。
実際、「主観」って言葉を使った後のレスは、ほとんどそのことばっかりに集中してるでしょう。

「主観」については、相手の使った言葉をそのまま使っただけなんだから、
定義しなきゃいけないのは相手のほうだ、と言いたい気持ちはわかるけど、
どっちが最初に使ったかなんてことに関わり無く、ちょっと目立つハンドルの言葉遣いに
おかしいところがあったら、名無しがわっと寄ってきていっせいにそこを突っつきだすから、
結局混乱を招いてしまうわけ。
それを避けたければ、相手の出してきた言葉であろうとちゃんと自分なりの定義をはっきり示すか、
もしくははじめから人の出してきた言葉なんか使わないか、どっちかにするしかない。

っていうのが、3スレほどここでハンドルつけてレスしてきたおれの経験からのアドバイス。

948 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 18:25:38

.                     ''';;';';;'';;;,.,    ブーン・・・  
.                      ''';;';'';';''';;'';;;,.,   ブーン・・・
.                       ;;''';;';'';';';;;'';;'';;;
                        ;;'';';';;'';;';'';';';;;'';;'';;;
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   ⊂二(^ω^ )二ノ   /( ^ω^ )  ⊂二\\_/⌒ヽ二二( ^ω^)二⊃
       ヽ    | (´ ._ノ ヽ   /⌒ヽつ  \( ^ω^)  |    /
        ソ  ) \\⊂二二二( ^ω^ )二二二⊃ ⊂_) ( ヽノ
       ( < \  レ’\\   ヽ   /   i ) ノ     ノ>ノ 
        \|\|      レ  (⌒) |   /ノ ̄     レレ
                      ⌒| /   '´


949 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 18:51:59
あげ

950 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 18:55:47
>>932
>心身問題という難問の解決はそう容易なことではないと思うのですが、いかがでしょうか。

そうなのかなぁ。
心身問題が哲学の難問とされていたのは、たぶんデカルトが物質と精神を二つの「実体」として、
物質と精神とを截然と分けてしまったからでしょう。
今でもデカルトみたいに物質と精神を二つの実体と考えれば、心身問題は超難問であり続けるだろうが、
私個人的には、精神と物質との境界は、曖昧なものですけどね・・
そもそも現代では「精神」(まして「魂」とか)と言われても、それが何を指しているのか分からなく
なってきているじゃないかと思う。
「主観」と「客観」についてもそれと似たような感じなんですけど、
まぁ今までどういう思想の影響を受けてきたかによって、違うんでしょうね。

951 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 19:01:16
物質=精神とすれば、問題すら消えうせる。

952 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 19:04:57
意識や精神といったものは自分がどんな人間なのか自分では把握出来ないのと一緒で、私たち人間が意識や精神の存在であり続ける限り意識や存在などの本質を解明することは出来ないと思う。

953 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 19:56:26
>>952
それ物質でも同じ。意識や精神を、物質に置き換えても同じことが言える。

954 :前々スレ538:2006/12/27(水) 20:22:17
>>952
「本質を解明することは出来ない」と考える以前に、
そもそもその「本質」って何を指してるの?ってことを考えないと。

955 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 20:28:02
>>943
おおこりゃこりゃさんは
このスレ屈指の冷静な常識派だからw

956 :49:2006/12/27(水) 21:30:15
>>792
> 現象的意識ってのは、大まかに言えばクオリアやそれを感受する主体性のことなんだけど、
> 主観的な立場を強調する人は、意識って言い方をやめて、話をクオリアに絞れば
> 勘違いも少なくなると思うんだが。
> (おれ自身も、このスレでやった一連の議論で、そうしてやっと相手に話が通じた)

クオリアはクオリアでまた別の、より大きな勘違いをうんで収拾がつかなくなるんじゃないかな・・・。
俺の場合はクオリアを例に出されたからというよりは同じことを繰り返し説明してもらってる内に、
とくに自分は自然科学的世界観を問題にしてるんだみたいなことを読んでようやっとわかってきたように思う。

ところで、クオリアを現象的・非機能的なものとして定義付けた場合、
じゃあなんで俺達はクオリアについて語ることができるのかっていう「現象報告のパラドクス」についてはどう考えますか?

957 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 21:56:12
>>956 現在もすぐに過ぎ去るほんの一瞬前の過去として、すべての過去
と同じように、記憶を思い出すという機能として認識されているのでは?
これで、一瞬過去を今現在のクオリアと勘違いして、
物質機能として”今現在”に現出するのでは? 

958 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 21:59:17
なにだらだら語っちゃってんの?wwwwwwwwwwww


まじワロスwwwwwwwwwwwwwwwwwwww


このスレはキモオタのスクツですか><><><;;;


おすすめには
>【ぺろりんこ】濱口のちんぽをしゃぶってる小倉優子 [女性アイドル]
とかwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

偉そうな変態どもだwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

959 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 22:09:33


おじいちゃんたちいくつ?
痴呆症、ボケるまえに

哲学でちゅか?

おじいちゃんたちの糞尿処理しないと。

はいオムツ変えてね。

960 :「機械的唯物論」者 ◆6xfUzFrrFE :2006/12/27(水) 22:34:33
>>923
>すでに述べたように、「モデルとしての有効性」は、ある種の価値判断であり、ドグマとも言えます。
>しかし、これは「説明能力が高いモデルを採用する」というのは、科学的・哲学的理論を考える上で、通常誰もが取っている価値判断であり、
>今回の立場の対立を超えて受け入れ可能(というより受け入れるしかない)ものだと思います。

(自然)科学・・・(理論)物理学が「一番説明能力が高い」と申し上げている訳です。
少なくとも「私の『脳』が五感を通して世界と対峙している・・ことが第一原理である」・・という
「ドグマ」や「神が世界を創造したというドグマ」よりは「明らかに説明能力が高い」・・ということです。


961 :「機械的唯物論」者 ◆6xfUzFrrFE :2006/12/27(水) 22:49:39
>>931
>現実には、このクオリアの変転(経験)だけが存在する、とは、どうしても
>思えないわけです。なぜなら、それには自分の思い通りになる部分と、自分の意志に
>関係なく、否応なしに「外から」もたらされる部分とがあることが、明白だからです。

クオリアは「感覚識」と訳されるので、誤解を生じやすいのですが、「クオリア」には
感覚器官(網膜・鼓膜等)を通じて入ってきた「電気信号パルス」が脳内で結像する・・
・・・所謂「感覚的クオリア」と、その「結像するスクリーンを用意する」・・指向的クオリア
の二種類があるのです。
 例えば「納豆みたいな臭いものは食えん!」と言い続けた人がある日「敢えて食べてみる」・・
・・味覚の感覚的クオリアを脳に受け入れてみる・・結果・・「もしかしたら旨いかもしれない」
・・と思うようになること・・それが「指向的クオリアの形成」・・です。
そのような「種々の経験」が「新生児の脳」に蓄積されている状況・・それが
「その人の(現在の)指向的クオリア」・・なのです。

962 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 23:10:23
つまり観念論も唯物論もただの指向的クオリアに過ぎないと。
どういう感覚刺激に対して選択的に脳が反応するかの違いであって、
ただの持って生まれた脳の個性の差に過ぎないと。

963 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 23:12:35
機械タンだけが特別な脳を持って生まれた根拠など無いのに、
機械タンの脳に生じる指向的クオリアだけはなぜか特別だと。

964 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 23:18:44
脳の個性の差は何に由来するかと言えば
存在する時空の位置の差だと。
唯物論だの観念論だの所詮、
どの時空の脳に発生したクオリアであるか、唯それだけの違い・・・と。

965 :「機械的唯物論」者 ◆6xfUzFrrFE :2006/12/27(水) 23:19:02
>>962
>持って生まれた脳の個性の差
とは「受精卵のDNA配列」です。一卵性双生児では「受精卵のデッドコピー」が
二個出来てしまう状況ですので、その一個一個は「同じ」ですが・・その後
胎内で別々に細胞分裂を重ねると、産まれてきた子は「ホクロの位置が違う」等の
微妙な「違い」を既に持っております。・・すなわち「胎内での別の経験」を経て、
その時点で「脳の指向的クオリア」も微妙に異なって産まれてくる訳です。
・・・誕生後の「経験の違い」が「指向的クオリア形成に及ぼす影響」については
申し上げるまでもありません。
 一卵性双生児が関東と関西で育てられれば、「納豆を旨いと感じる指向的クオリア」
が形成されるのは・・・ほぼ間違いなく「関東で育った方」になるということです。

966 :「機械的唯物論」者 ◆6xfUzFrrFE :2006/12/27(水) 23:25:43
965の一部訂正です。
> 一卵性双生児が関東と関西で育てられれば、「納豆を旨いと感じる指向的クオリア」
>が形成されるのは・・・ほぼ間違いなく「関東で育った方」になるということです。

→ 一卵性双生児が関東と関西で育てられれば、「納豆を旨いと感じる指向的クオリア」
  が形成されるのは・・・ほぼ間違いなく「関東で育った方の個体の脳」が先になる
  ・・ということです。


967 :名無し@autn. sys. ◆pFYl6xGCTc :2006/12/27(水) 23:34:45
レスの順番が変わりますが、分かりやすいところから…。
>>930-932については書いてる途中なので少し待ってください)

>>960

私が言っているのは、「説明能力が高いモデルを採用する」という考え方は価値判断に過ぎないが、それは機械さんに取っても受け入れ可能な価値判断(ドグマとも言える)だろうということです。
>>960を読むと、機械さんはこれに賛成しているようにも見えるし、そうだとするとこれについては共通了解ができたとも言えます。その点どうなのでしょう

ちなみに、

> 「私の『脳』が五感を通して世界と対峙している・・ことが第一原理である」・・という」

って誰の主張ですか?これはどう考えても私の主張とは違うものです。

いずれにせよ、私の主張の全体も一つのモデルであり、科学的決定論/神学的決定論も一つのモデルでしょうが、
それは、上記の価値判断、「説明能力が高いモデルを採用する」という価値判断によって峻別できるというのが私の主張です。

「神が世界を創造した」に批判的な意味でドグマという言葉を使うあたり、議論を誤解しているように思います。



968 :名無し@autn. sys. ◆pFYl6xGCTc :2006/12/27(水) 23:35:24
>>947

ご忠告ありがとうございます。まぁ、そんなに簡単な話だったらとっくの昔にそうしてるとも言いたいところですが、ご親切には感謝いたします。
一般に、あるレベルの議論をしているときに、別のレベルの議論の用語は、定義できなかったり、定義のために非常にたくさんの労力を使う一方、議論の混乱を招くということがあると思います。
そういうときに、「それについては扱わない」とするのは、議論をシンプルにする上で大切でしょう。
一方、相手の主張を批判するとき、相手の立場に基づいて批判するのが一番エレガントだと思っています。

いずれにせよ、「主観/客観」の話が出たとき、議論の流れを全く読まないで批判するレスがたくさんあったことには、辟易しまして、
「あえて相手の主張に基づいて書く」ような言い方はできる限り避けるべきだし、避けられない時に、嫌というほどそのことを強調するべきだということが分かりました。
その意味ではおっしゃる通りだと思います。


969 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 23:39:29
>>965
つまり、
「唯物論か観念論か」なんて、
「納豆が好きか嫌いか」と同レベルの出来事ですよね?
脳にとって。

970 :「機械的唯物論」者 ◆6xfUzFrrFE :2006/12/27(水) 23:40:45
>>967
>いずれにせよ、私の主張の全体も一つのモデルであり、

「モデル」という概念を導入することにより「超越的立場」に立つことが出来る?
・・・訳ではありません。
 あなたが「こういうモデル・・そういうモデル」と言う「視点」は何なのか?
・・と問われてしまうのです。
 逆に言うと「(あなたの)超越的視点を支える『価値観』」自体は「相対化されない」
・・のでしょうか?・・・その理由(根拠)は何なのでしょう?

971 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 23:41:28
そんなこと言ったらものすごくブスな女の人とものすごく美人な人とセックスするのと同レベルってことか

972 :750:2006/12/27(水) 23:44:32
機械論ですね。機械さん
自我がわかっていません。内部からの意志で自分を変化させることが
できますが、そのことがわかっていません。
自分で実験したことを述べてください

973 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 23:50:35
>>971
脳の個性という意味では同レベルでしょう。
私が個人的に嫌悪感を覚えるような事に
快感を覚える人がいるのは事実だと思います。
逆に私にとっての快感が誰かの嫌悪になりうる事も
やはり事実でしょう。

私個人の脳にとっては美人とブスは大きな違いですけどw

974 :「機械的唯物論」者 ◆6xfUzFrrFE :2006/12/27(水) 23:50:47
>>969
「納豆の好き嫌い」と読むのは「浅すぎ」な読み方です。
「納豆の臭いと触感を口の中に受け入れられるか否か」・・というのは、
「納豆は産まれてから一度も食べたことがない」方(結構多いのですが)
にとって(味覚の)感覚的クオリアにとって「別問題である」・・ということです。
「感覚的クオリア」はあくまでそれを脳内に「結像させる為の『指向的クオリア』」
が「あらかじめ」存在していなければならないのです。
 スクリーンが無い空間にいくら映画を投射しても「何も映らない」・・
・・というより、「無意味が投射されている」としか「映らない」ということです。

975 :名無し@autn. sys. ◆pFYl6xGCTc :2006/12/27(水) 23:55:21
>>970

何を批判されているのか分かりません。
私は、「さまざまなモデルを相対的なモデルとしてとらえる視点」そのものもモデルだと言うことを積極的に認めているわけで、
その意味で、機械さんの言っていることと共通です。
私の主張を全く正反対に理解した上で批判されても、答えようがありません。
もう一度、ここに至る議論を読み返してもらえればと思います。

976 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 23:57:47
>>974
「食わず嫌い」の「嫌い」は感覚ではないと?

食べた事のない未知の食物にたいして、
味覚のクオリアは発生しないと?

977 :750:2006/12/27(水) 23:59:50
感覚的クオリアではなく、知覚でしょ。
その内容が意識に上るということですけど
クオリアは感覚器官で異なることがわかりませんか?

978 :「機械的唯物論」者 ◆6xfUzFrrFE :2006/12/28(木) 00:03:49
>>975
誤解があったら申し訳ありませんけれど、「何々モデル」という風に
思想(思考)を相対化するには、相対化できるだけの「超越的視点」が
ひつようであり、それにはその視点が「超越的である故の根拠」を明示
する必要があるのですが、私が見る限りそれが(未だ)明示されていない
・・ということです。

979 :考える名無しさん:2006/12/28(木) 00:04:19
>>977
君は目を開いてるときしか、
色のクオリアを感じない?

980 :考える名無しさん:2006/12/28(木) 00:14:09
指向的クオリアなんて脳の惰性に過ぎない。

と言ったら言い過ぎか?

981 :「機械的唯物論」者 ◆6xfUzFrrFE :2006/12/28(木) 00:19:53
残りわずかになったようなので、新スレを立ち上げておきました。
本日は脳内睡眠物質が蓄積したようで「指向的クオリア」が「眠いよ」
・・という様相で立ち現れつつあるので、就寝させて戴きます。

982 :考える名無しさん:2006/12/28(木) 00:22:06
>>975
sysさんの主張があまりよく見えてこないです。
私=世界であるという主張と
科学にしろ、唯物論にしろ、宗教にしろ、それらは人間がある対象をモデル化したものだということ、
人は説明能力の高いモデルを価値判断により採用するという主張は分かりました。
そしてこれら全ての主張もモデルに過ぎないってことですよね?
う〜ん、何が言いたいのかいまいち見えてきません・・・。(多分、おれの読解力が不足しているせい)
モデルのメタ構造が多分あるんだろうな・・・。

>>377-381あたりが一番言いたいことのような気がする。
なんとなくフッサールみたいなことが言いたいのかなぁと思ったけど、
違うんだろうなぁ。


983 :考える名無しさん:2006/12/28(木) 00:35:13
>>982
377は>医学的視点、物理学的視点は、すべて、
>私たちの心の働きの一部として存在している。
>これが話の出発点です。
というところで出発点を間違えているということは誰にでもわかるぞ。


984 :考える名無しさん:2006/12/28(木) 00:59:36
>>973
あなたはまともそうだ

985 :考える名無しさん:2006/12/28(木) 01:04:40
>>984
そういうあなたはまともではなさそうだ

986 :考える名無しさん:2006/12/28(木) 01:42:14
>>985
そのとおり

987 :名無し@autn. sys. ◆pFYl6xGCTc :2006/12/28(木) 02:19:33
>>930-932
> いわゆる主ー客図式を超越した考え方を志向されているからかと推察するのですが、
> ただ、私はそれはそう簡単ではないと思うのですが。

「主―客図式を超越」と言うより、出発点が違うので、関連付けをする方法論を今のところ持ち合わせていないし、
かりにできたとしても議論が複雑になるだろうということです。
「主―客図式を超越」するためには、きちんと「主―客」についての議論をレビューしないといけないわけですが、そんな大それたことをするつもりはありません。
>>930-932の話も結局、主観と客観という断定に基づいた話なので、私の方で議論をプロテクトする根拠ということに限って言えば、
「そもそもそういう話じゃないので、批判として見当違い」ということにつきます。

ただそれだけでは納得してもらえないと思うので、あえて<あなたの立場に立って>簡単に説明すると、私が言う「決定論的世界」というのは、客観的世界に対応するものではなく、あえて言えば、客観的世界の一部と言うことになるでしょう。
かりに主観と客観は相互規定的だとしても、主観と決定論、客観と決定論は、いずれも相互規定的ではないのです。

ただし、繰り返しになりますが、自分は主観―客観という図式の正当性については分からないし、その議論との関係で議論することが有意義とは思っていません。
「私の世界」という視点は、主観的とも言えますが、人間の認識のあり方についての表現という意味で客観的なものとも言えます。
また、すぐ上で説明した、科学的決定論が「客観的世界の一部」という表現もかなり微妙で、むしろ科学的決定論こそ主観的な見方と言うこともできると思います。

いずれにせよ、主観―客観という議論に基づく批判には、答えようがないわけです。
ただし、これは非常に重要な議論と関係していると思うので、若干説明しないといけないかもしれません。
>>982さんの指摘の通り、これは>>377-381あたりで書いたことでもあるのですが、ここしばらくの議論が踏まえられておらず、
そのまま説明に使うには心許ないので、おそらく次スレの方で、関係することをまとめさせてもらいます。

988 :名無し@autn. sys. ◆pFYl6xGCTc :2006/12/28(木) 03:01:22
>>978

こっちのスレで最後のレスし残しなので、こっちに書いておきます。

モデルというのは、単純に言えばものごとをとらえるための視点です。
さらに言うと、ある視点(たとえば私の視点)というのを細分化した、
特定の視点(法的視点など…)により、
特定のモデル(法的モデル)で対象をとらえることができるわけです。
これを超越的視点と言うことはできないでしょう。

ちなみに、おっしゃる通り、決定論的世界観からすれば、
モデルの相対性は超越的でしょうが、
それは決定論的世界観の限界を示す根拠の一つになるかもしれません。

989 :考える名無しさん:2006/12/28(木) 03:03:34
>>987
自然科学の実際を何もしらんで唯物論云々の戯言を申すな。
せめて高校3年間の物理・化学・生物・地学の教科書ぐらいよんどけよ。

990 :考える名無しさん:2006/12/28(木) 03:40:28
モデルって言うけど「その思想はx型モデル」「その思想はy型モデル」
「その思想はz型モデル」と並べ立てて分類してなにか自分だけ少し利口になったつもりでもいるだけなのかw

991 :考える名無しさん:2006/12/28(木) 04:07:13
マトリックスやアヴァロンを観て思ったんだが、
バーチャルと現実の違いは何か、
もし仮に現実とそっくり同じクオリティーのCGを作ることができて、その映像を、
人の脳に流すことができたら、
そのなかで、あたかもその本人が違和感なく生活することができたなら、
なにがバーチャルでなにがリアルなのかわからなくなります。
今生きている現実が、100パーセントバーチャルでないと言えるのでしょうか。
もし言えるのならどうしていえるのか教えてほしいです。


992 :名無し@autn. sys. ◆pFYl6xGCTc :2006/12/28(木) 04:14:06
>>989

むしろ、高校レベルの理科の知識しかないのに、この手の話をしようという方が間違っていると思いますけど…。
高校レベルの理科だと、決定論的世界観が分かるけど、科学的事実がどのように立証されるかという、「自然科学の実際」はぜんぜん分からないでしょう。
受験レベルの生物の問題の一部に、科学の方法論の理解に結びつく問題はあるけれど、理想化された状況だけで、「実際」とでも言えるようなものは全然分かりません。
このスレでの議論に関する限り、中途半端な知識なら、ない方がましという気もしてしまいます。

993 :考える名無しさん:2006/12/28(木) 04:21:02
>名無し autn. sys

グダグダグダグダ書いてるけどさあ、結局きみの主張って

>科学もあくまで心の働きの一部であり、
>ものごとを理解するためのひとつのモデル化にすぎない

ただこれだけじゃん。
きみさあ、科学を云々してるわりに近代科学の歴史的成立背景すら踏まえてないでしょ。
いわゆる近代科学の方法ってのは、経験的事例から帰納によって仮説を立て、実験によって検証し法則を打ち立て、その法則を演繹的に経験的事例に応用するって営みだよ。

「科学は心の働きの一部にすぎない」ってなに?意味不明。

994 :考える名無しさん:2006/12/28(木) 04:23:25
しかも「モデル化」ってなんのことやらと思ってたら、
「ものごとを捉えるための視点」??

「私モデル」だとか「科学モデル」だとか、はっきり言って中身が無さすぎる。

995 :考える名無しさん:2006/12/28(木) 04:37:19
>科学的事実がどのように立証されるかという、「自然科学の実際」はぜんぜんわからないでしょう

これも馬鹿丸出しだな。
実験によって立証されるんだよ。
決まってんじゃん。

なに大層に「自然科学の実際」なんてのたまってんの?
こんなこと科学的な専門知識なんて皆無でもわかるよ。

996 :考える名無しさん:2006/12/28(木) 04:54:13
科学は厳密には再現性がない現象
を再現可能な対象とモデル化して
理論を構築するということでしょう。俺は
autnじゃないが。

997 :考える名無しさん:2006/12/28(木) 05:03:21
>>996
そういう言い方なら分かるんだけどね。
モデル化って言葉は科学に限定して使われてたならまだ分かるけど、
「私モデル」だとか「主観モデル/客観モデル」だとか、
「モデル化とは物事を理解するための視点のこと」なんて言っちゃうから、
ああこりゃ科学の方法論について理解してないな・・・ってことになる。

998 :考える名無しさん:2006/12/28(木) 05:22:29
独我論は例えるなら、俺の一生は神に見せられてるヴァーチャルリアリティだ
としても、いやそうじゃないとしても区別がつかないってことだ。
つくとしたら種あかしされるか、死んだ後しかない。
そんなこと考えて何が楽しい?

999 :考える名無しさん:2006/12/28(木) 05:25:05
1000だ

1000 :考える名無しさん:2006/12/28(木) 05:26:52
1000

1001 :1001:Over 1000 Thread
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。

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