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我思う、ゆえに我あり?

1 :考える名無しさん:2006/11/02(木) 02:51:20
ありえない話なんだが
まったく同じ精子と卵子
別々の場所でまったく同じ部屋・環境・栄養・刺激
で育てられたら
その外見がまったく同じ人間は寸分違わず同じ行動をするのだろうか?

2 :考える名無しさん:2006/11/02(木) 03:31:21
あなたは1秒の間に自由な思考をしていると思いますか?
では1000分の1秒間ではどうですか?
100億分の1秒間では?
自由な思考をしていない時間が集まって1時間が経っても、自由な思考をした1時間にはならない
∞分の1秒間においても自由な思考をしていないなら、自由な思考にゃーならねえよっと
つまり、自由な思考には時間がかかっちゃダメってことね
時間がかからないってことは変化がないってことであって、
「どうしようかな?」→「こうしよう」というような変化もないってことだ
何にも考えられないじゃん♪自由な思考なんて無理無理

3 :2:2006/11/02(木) 04:15:29
だけどね、僕は自由なんだよ
だって僕は迷うもの
自由だから迷うんです
自由意志がなくたって僕は自由
意思決定は僕がしているんです
僕の内部で行っているんです

4 :考える名無しさん:2006/11/02(木) 04:30:21
自由だと思えることと
自由であることは別。

5 :考える名無しさん:2006/11/02(木) 04:32:01
>>1
すると思う。

6 :考える名無しさん:2006/11/02(木) 04:33:46
スレタイ詐欺

7 :考える名無しさん:2006/11/02(木) 15:53:33
まったく同じ行動をすると考えると
今度は、すこし違う刺激を与えるとどうなんだろう、
多分その瞬間からそのまったく同じ行動をしていた人間は
その瞬間から違う行動をしだすと思うんだ、
だから、俺がここに書き込んだ事で、これを読んだ人の未来が大きく変わるかもしれないし
このスレ読んだ人と繋がってる人の未来が大きく変わるかもしれないし
そう考えると、個人の力ってすごく大きいって事を再認識できるよね


8 :考える名無しさん:2006/11/02(木) 16:24:50
>>1
「我思う」からいるんじゃない。
父ちゃんと母ちゃんがいるからいるんだ。

哲学板なんかでゴロゴロしてないで、
きりきり働いて親孝行しろ。

9 :考える名無しさん:2006/11/02(木) 17:01:06
哲学的にいえば、コギトはすでに否定されてる。
「われ思う」の「われ」というのがそもそも誰なのか、
というところで論理的に破綻しているのが、デカルトの限界なのだそうな。

それに1の疑問には、他者の存在が欠落してる。
むしろ外的要因こそがすべてといって過言ではないと思うんだけど。

10 :考える名無しさん:2006/11/02(木) 17:10:44
>>9我思う故に我有りっていう言葉の本質的な意味はデカルトがなにが正しくなにが間違いなのかを考えたときにいろいろ疑ったんだが
「オレという人は存在しないかもしれない。しかし疑っているという人が存在するということは正しいんじゃないか」
ということだから事故破綻してない

11 :考える名無しさん:2006/11/02(木) 18:21:34
ハイデガーによれば、我「在り」の部分、つまり存在そのものの
意味が分かっていないから不完全だということだそうな。

12 :考える名無しさん:2006/11/02(木) 18:25:32
>>11
( ・∀・)つ〃∩ ヘェーヘェーヘェーヘェーヘェー
ハイデガーは「在る」とは、どういう意味かわかったの?

13 :考える名無しさん:2006/11/02(木) 18:52:33
>>12
完全に分かった、とは言っていなかったハズ。
とりあえず、「存在と時間」とかで探求の方針をたててる。

ざっと基本の基本だけ話すと、

1.われわれは在るということが何を意味するのか知ってはいない。けれども、その意味を了解している。

2.われわれは普段、存在者について問うだけで、存在そのものを問うたことはない。

3.存在を問うときは、いかなるおとぎ話も述べてはならない。すなわち、存在者の規定のために
 存在者全体をなにか別の存在者にひきもどして考えてはならない。

4.現存在は、おのれの存在において存在そのものに関わらされている。つまり現存在は自己を了解している。
 現存在が、いつも関わり合っている存在そのものを「実存」と呼ぶ。

1は、たとえば「右」という言葉の意味を説明できないのと同じように、「ある」という言葉も説明できないけど、
 でも日常的に「ある」という言葉を使っている、ということ。
3は、つまり存在を「神」だとか、超越者(確かめようのないもの)のおかげにしちゃいけないってこと。
4の現存在というのは、「自己」だとか「主体」だとかに暗示される概念をハイデガーが再定義したもの。
「我思う」というときの「我」だと思ってくれ。

14 :考える名無しさん:2006/11/02(木) 18:58:38
>>13
乙。ありがとう(人-)
俺は、現存在なわけだ。
俺がいつも関わり合ってる存在そのもの…それが実存
なんじゃそりゃ?

15 :考える名無しさん:2006/11/02(木) 19:11:21
>>14
こっちから観ると単なる存在者になるわけだけどね。

 同じ「在る」でも、「リンゴが在る」というときと、「我在り」というときでは
意味があきらかに違うでしょ。現存在は、自分の存在について、なんらかの
了解だとか関わりを持っていて、「リンゴが在る」と同列にはとても扱えない。
その了解がどういうものかとかはまだ分からないけど、とりあえずこの
「特別な存在のしかた」をまとめて「現存在は実存している」と呼ぼう、という話。単なる定義だよ。

16 :考える名無しさん:2006/11/02(木) 19:24:26
>>15
俺から見ると、俺は現存在で、
貴方は存在で、パソコンも存在。

現存在は実存している
存在は実存している。

実存…なんでしらんがあるって了解されてる感じ

これでいいのかな…

17 :考える名無しさん:2006/11/02(木) 19:30:50
>>16
いや違う。

現存在(自分)は実存する。
存在者(リンゴ)は存在する。

実存:「現存在が」自分の存在と関わりながら存在すること

18 :考える名無しさん:2006/11/02(木) 19:36:04
>>17
なるほど。
私と言う身体は存在なんだ。その存在と常に関わりながら、現存在が存在することを実存というんだね。

違うかな… 難しいなぁ…

19 :考える名無しさん:2006/11/02(木) 19:39:15
>>18
身体のことは忘れたほうがいい。
あと、「存在者」と「存在」は別の用語なので気をつけて。身体は「存在者」だよ。

20 :考える名無しさん:2006/11/02(木) 19:49:10
そうか、それで、
「自分の存在と関わりながら存在すること 」の意味を取り違えてたんだね。

これの意味は、自分が存在する気がするみたいなそんな感じ… うまくいえねぇ

ご教授ありがとうございました。

21 :考える名無しさん:2006/11/02(木) 19:59:26
よく考えたら「君想う故に我あり」だよな

22 :考える名無しさん:2006/11/02(木) 21:28:35
>>1
>>まったく同じ精子と卵子

全く同じ精子と卵子でも、どちらのDNAの性質を受け付けるかは、偶然
なので、同じ精子と卵子でも、女の子と男の子、別々の子供が生まれる事がある
一卵性双生児でも、DNAの配列は同じでも、因子が発祥する部分としない部分が
個体差に出て、ホクロ有りと、ホクロ無しになっちゃったりします


つーわけで、偶然に左右される因子が有る限り、条件同じにしても同じ結果にはならんよ

23 :考える名無しさん:2006/11/02(木) 21:29:33
>>22
問題の本質をわかってないな…

24 :考える名無しさん:2006/11/04(土) 16:13:57
>>23
いや、逆に本質的だと思うが。

身体そのものに偶然が作用するなら、その行動に差異が生じてもおかしくないだろ。
意思が身体から全く独立してあるとか主張したいなら別だけど。

25 :考える名無しさん:2006/11/04(土) 16:16:45
養老先生の[脳のシワ]になんか書いてあったな

26 :考える名無しさん:2006/11/04(土) 21:36:35
>>24

全く同じ精子と全く同じ卵子を全く同じ環境で全く同じ方法により受精させたときに
その偶然が表れるのか…表れないのか… 表れるとすればその偶然を生み出すのは何なのか…

27 :考える名無しさん:2006/11/04(土) 21:41:25
>>24
サイコロと出目に着目して
「全く同じサイコロを、全く同じ環境下で、全く同じ投げ方をすれば、必ず同じ目がでる。」
このことについて、抵抗を持つ人は少ない…

人間と行動に着目して
あるいは精子・卵子と受精卵に着目して
同じ事が言えるのか… 言えないなら、それは何故なのか…

28 :考える名無しさん:2006/11/04(土) 21:55:37
一卵性の双子は ひとつの精子 ひとつの卵子から生まれるのよ?

 自然界のクローン人間だよ。 知らなかったのか?

29 :考える名無しさん:2006/11/04(土) 22:02:44
>>27
俺はサイコロに関しても「抵抗を持つ人」だけどね。

30 :考える名無しさん:2006/11/04(土) 22:11:10
>>29
サイコロさえ必然はないと考えるなら…人間が必然でないのは当然だ。
だから、そういう人は、サイコロさえ必然的でないことを説明すればいいけど、
それは、決定論のスレと被るから、そういう人は決定論のスレに言った方が良いかもしれないね。



31 :考える名無しさん:2006/11/04(土) 22:28:36
そもそもこのスレ自体要らない
スレタイもおかしいし

32 :考える名無しさん:2006/11/04(土) 22:29:15
>>30
ていうか、そもそもの前提からして有り得ないから無意味だ、っていう抵抗なんだけどね。
似たような場所だろうと、ミクロレベルでは重力が違う、空気の組成も違う、光の周波数も違う。

>>1で話しているのは、要するに思考は外在のものか内在のものか、って話でしょ。


33 :考える名無しさん:2006/11/04(土) 22:45:48
>>32
似たような場所じゃなくて、同じ場所…ミクロレベルでも同じ場所の話をしてる。
そう…少なくともいまのところ、ありえない前提に立って話してる。

でも、無意味じゃない。
全て予測する能力がないから決定論は無意味だという反駁は決定論に立たない人でもしない。
量子レベルでは偶然があると反駁したりする。

ここは、前提として、決定論的世界観に立ってる。(サイコロは必然)
それでも、人間(魂を持つと言われる者)だけが、決定的でないということは在るのかないのか…
そんな話。

34 :考える名無しさん:2006/11/04(土) 22:47:34
心先にありきななら

35 :考える名無しさん:2006/11/04(土) 23:27:12
>>33
俺は反駁なんてしてないよ。
>全て予測する能力がないから決定論は無意味だという反駁
これは反駁じゃない。反駁は反証を挙げるもので、コレは相対化や解体。
決定論には反証可能性がないし、それは>>1も同様。

36 :考える名無しさん:2006/11/04(土) 23:33:44
>>35
わかってるなら、抵抗する必要ない。

37 :考える名無しさん:2006/11/04(土) 23:57:12
しかしバカしかいないのかよ。


38 :考える名無しさん:2006/11/05(日) 00:14:21
「ザクとは違うのだよ!ザクとは! 」

39 :考える名無しさん:2006/11/05(日) 00:26:17
社会構築主義が正解

40 :考える名無しさん:2006/11/05(日) 00:50:47
これ思う、故にこれあり。

41 :考える名無しさん:2006/11/05(日) 00:56:22
存在しなかったら思えないってのが納得いかない
このことは明らかに正しいことなの?

42 :考える名無しさん:2006/11/05(日) 01:20:48
はい

43 :考える名無しさん:2006/11/05(日) 01:25:34
「思う」に必ずその「主体」が必要ならデカルトの
論証は無意味である。つーか「文法的に」明らかだ。

44 :考える名無しさん:2006/11/13(月) 01:42:47
エゴイストの信仰表明みたいなものだ。

45 :考える名無しさん:2006/11/14(火) 00:08:42
2500年前のゴータマブッダでデカルト的コギトなど
完全粉砕されているのに、なんで・・・・?
 デカルトはブッダの縁起弁証法を知らなかったのか。
勉強不足な奴だ。

             落第 !!

 一卵性双生児についてはロンブローゾの深い研究がある。
ググれ。

46 :THE グル:2006/11/14(火) 00:31:47
いいですか、
デカルトのコギトが、
どうしたコンテクストの中から生まれた命題なのかを知らずに、
その字面だけを論(あげつら)って批判することに意味はないんです。
これが今では定説です。
どうかしましたか?

47 :考える名無しさん:2006/11/17(金) 02:16:29
わかりやすいね
単純
あほみたい

48 :考える名無しさん:2006/11/17(金) 10:30:40
デカルトの言ってることってさ、
「思う我あり、ゆえに我あり」
じゃないの?

49 :考える名無しさん:2006/11/17(金) 13:59:34
「思っているものがある。それを「我」と名づける」でしょ。

50 :考える名無しさん:2006/11/17(金) 15:19:19
思考の射程圏には「我」は含まれないってシュタイナーが言ってるよ

51 :考える名無しさん:2006/11/17(金) 15:34:16
「「我」は含まれない」と思考している。

52 :考える名無しさん:2006/11/18(土) 11:53:21
↑ つーか思考してる時には自分があるどころか消滅してるって意味だと思うよ

53 :考える名無しさん:2006/11/18(土) 19:31:05
思考するからこそ自分がいるのだ!というのは間違いで
本当はその逆で自分を喪失してしまうんだ

54 :考える名無しさん:2006/11/20(月) 02:06:20
ワシが絶対じゃ」

55 :考える名無しさん:2006/11/20(月) 02:11:18
考えてる時点で考えてる自分の考え自体は確実に存在するって意味じゃないの?

56 :考える名無しさん:2006/11/20(月) 04:59:26
>>52-53
「思っているからある。思わなければ私はない」
というデカルトの考えとは逆だな。

57 :考える名無しさん:2006/11/20(月) 16:33:37
>>55
デカルトは「自分の考え自体」じゃなくて「我」は存在すると言ったんだろ

58 :考える名無しさん:2006/11/21(火) 12:19:30
じゃろ?じゃろ?じゃろ?じゃろ?じゃろ?じゃろ?じゃろ?

59 :考える名無しさん:2006/11/21(火) 12:19:57
でもそれは自分で考えたのか、それとも他から与えられて考えさせられてるのか分からないし何かと共鳴して反映してるだけかもしれないじゃない。

60 :考える名無しさん:2006/11/21(火) 12:53:36
デカちんは自分で考えた場合の話をしているのでしょ?

61 :考える名無しさん:2006/11/21(火) 13:12:13
自由意志の有無とは別問題でしょう

62 :考える名無しさん:2006/11/21(火) 14:00:58
自由意志の有無とは別スレでしょう

63 :考える名無しさん:2006/11/21(火) 19:55:17
くんくん!くんくん!くんくん!

64 :考える名無しさん:2006/11/22(水) 13:12:25
じゃじゃ!じゃっじゃじゃじ!ゃじゃっじゃじ!ゃじゃ!

65 :考える名無しさん:2006/11/22(水) 20:07:34
そういうのは病気なんだから医者に行って適切な治療を受けてください。
貴方の調子の悪い精神をどこまで掘り下げても、宗教的哲学的文学的真理なんて見えてきません。

んなに深刻に哲学思想をこねくって観念遊びをしたところで、
それだけでは「嘔吐」のようにはおかしくならない。

あれは嘘なんです。

サルトルはメスカリンでトリップ体験をしたときに「自明性の喪失」を味わい、
それを何か哲学的な真理に通じるものだと勘違いしちゃったんでしょう。

宗教的神秘体験と似たようなもんですな。

砂漠で遭難して半死半生意識朦朧になって悪魔や天使と問答しちゃったイエスや、
合法ドラッグで宇宙の真理を悟っちゃった「NHKにようこそ」と同じようなもんです。

人は哲学や思想では狂わない。
一方でちょっと薬物を入れれば割と簡単に調子悪くなるもんです。
麻薬である必要さえない。
俺なんかカフェイン錠剤飲みすぎて一時的な不安神経症っぽくなったことあるよ。
いや、その時は確かにすごい怖かったんだけどね。

貴方の心の中、貴方の実存のあり方に、世界の秘密なんて隠れてません。
それは全部貴方サイズの出来事、貴方の都合に収まる小さなこと、世界の広さを前にすれば、
吹けば飛ぶような砂粒に過ぎません。

66 :考える名無しさん:2006/11/22(水) 22:52:36
我を思う、ゆえに我あり。
我という認識があってこそ我という認識が生まれる。
認識?誤認?なんでもいいや。


67 :テーヴェライト:2006/11/24(金) 05:13:20
我苦しむ、故に我あり

68 :考える名無しさん:2006/11/24(金) 13:38:48
つまり自分で考えない人は受動的なロボットだといいたいわけデカちんは?

69 :考える名無しさん:2006/11/24(金) 13:50:38
我思う瞬間が過去になりその記憶に我在り

70 :考える名無しさん:2006/11/24(金) 14:26:05
日記帳=自分なのかよwww

71 :考える名無しさん:2006/11/24(金) 19:20:21
「わしがいるんじゃあーーー」
に小理屈をこねた、ということかな。

72 :考える名無しさん:2006/11/24(金) 22:11:37
我思うは、我考えるって意味なのか?
我感じる?

73 :考える名無しさん:2006/11/24(金) 22:40:18
マインド=首から上 ←デカちん
フィール=首から下

だからデカちんの「我=マインド」だと
どんどん肉体を喪失していくだけwww
そのため顔がデカいのかな?デカちんは

74 :考える名無しさん:2006/11/26(日) 23:48:01
我思う、ゆえに我あり。
我を形作る環境有るが故に我を思う、ゆえに我あり。
五感の無い人間に我はあるのか?

75 :考える名無しさん:2006/12/03(日) 20:33:45
人類の歴史はここ数百年の間に、大きな誤謬を犯してしまいました。
存在を思考と同一視したのです。
コギト・エルゴ・スム=「私は思考する、それ故、私は存在する」というのは、近代世界観の最大の誤謬です。
なぜなら、コギト=「私は思考する」の射程距離全体の中には、スム=「私は存在する」ではなく、ノン・スム=「私は存在しない」が含まれているからです。
言いかえますと、私の認識が働いている範囲内では、私は存在しておらず、像があるにすぎないのです。

76 :考える名無しさん:2006/12/14(木) 23:15:05
本日の おやじギャグ

 デカルト ではなく オカルト

77 :考える名無しさん:2006/12/14(木) 23:20:07
>>75
「ノン・スム」と考えてる自分があるんじゃないの?

78 :考える名無しさん:2006/12/15(金) 00:21:53
>>77 あるじゃなくて、残ってるだと思うよ。それ以外はきみが正しい
どこに? と問われれば、それは呼ぶ・呼ばれる場所。人間の自発性がどこまでか?の尺度は僕も知らない。

79 :考える名無しさん:2006/12/15(金) 00:22:41
×残ってる       ○残っている

80 :考える名無しさん:2006/12/15(金) 00:41:35
誰も最初から自我なんて持って無いでしょ…
自我の芽生え…ってのは2〜3歳だっけかな?
五感の発達により認識を得、客観的に認識したものを寄せ集めたのが『我』
『我』には元々自発性なんて無い。

81 :考える名無しさん:2006/12/15(金) 00:58:21
なるほど、じゃあ自発性と呼ぶことにするんでしょう、これから我々は…

82 :考える名無しさん:2006/12/15(金) 01:08:41
「自我」(=わたし)とは一つの観念だと思うのだが。
「自我」を観念する<意識>については語ることができない。

83 :考える名無しさん:2006/12/15(金) 02:04:57
意識は五感によるものではないんでしょうか?

84 :考える名無しさん:2006/12/16(土) 15:10:48
「観念」は五感によらない。
「観念する能力」としか言いようがない。
それは、言語によって大きな影響を受ける。

自我は一つの観念であって実体的に存在するものではない。

85 :考える名無しさん:2006/12/16(土) 15:32:05
経験論の哲学者は、五感の記憶(印象)が連合して観念になると
言っていたようだが。

86 :考える名無しさん:2006/12/16(土) 15:52:03
>>85
例えば、「国家」「神」という観念も五感によるのでしょうか。

87 :考える名無しさん:2006/12/16(土) 16:48:39
経験論の哲学者の考えでは、そうでなければならないことになる。
生得的な概念というようなものはない、というのが彼らの説だから。

88 :考える名無しさん:2006/12/16(土) 17:08:50
>>87
つまり、「国家」や「神」を見たり触ったりできるということですか。

89 :考える名無しさん:2006/12/16(土) 17:10:58
というか、ヒュームなんかは自我なんてないと言っていたんだろ

90 :考える名無しさん:2006/12/16(土) 17:20:15
直接見たり触ったりできなくてもいいだろうけれど、
感覚の印象から何らかの仕方で構成できないとすれば、
それらの言葉に対応する観念は存在しないということになるんだろね。

91 :考える名無しさん:2006/12/16(土) 17:28:54
>>90
「自我」は構成できるのですか?

92 :考える名無しさん:2006/12/16(土) 20:11:45
90じゃないけど、理論的には自我は構成できる〜
てゆーか本当に勉強になるなぁ、良スレ。
いい意味で、意識への懐疑心が生まれてしまう、意識は他者性・全存在性かしら? 荒らさないように去っていく。。

93 :考える名無しさん:2006/12/16(土) 21:01:35
>>90
例えば、本を読むということは「感覚の印象」ということになるのですか?

94 :考える名無しさん:2006/12/16(土) 21:59:35
>>93
感覚の印象を幾重にも綜合しているのでしょう。

95 :考える名無しさん:2006/12/16(土) 22:30:57
>>89
厳密には、確信できないって程度だと思う。

96 :考える名無しさん:2006/12/17(日) 03:06:04
五感により認識が生まれ、認識により観念は育つ。観念は多くの認識の集合体。
例えば、>>85にある『神』や『国家』は、幼子には得られない観念。何故ならば観念の元となる認識をまだ幼子が培っていないからだ。
また、もし「観念する能力」があるならば、五感による認識を持たない者にも観念は得られる事になる。
その様な例があるのだろうか?

97 :考える名無しさん:2006/12/17(日) 16:40:20
>>90
私は逆だと思う。
観念がなければ、ものは見えないし、聞こえない。

98 :考える名無しさん:2006/12/17(日) 22:48:05
>>97
単に「見える、聞こえる」は刺激を受け得る機能が肉体に備わっているかどうかであり、観念による「見える、聞こえる」は自己の中で育てた認識によりその刺激の内容を理解する事。
もし、人間と言う生き物に観念が先にあって、その後に刺激の種を選別しているだけなら、人種を問わず、全ての人類は共通の常識を持っているだろう。

99 :考える名無しさん:2006/12/18(月) 04:29:09
ラカン「我思わぬ、故に我あり」

100 :考える名無しさん:2006/12/18(月) 05:21:17
そもそも「我」があるかないかが問題になっているときに
「我思う」などと書いてしまうあたりがすでに
どうしようもなくバカなんだよデカルト

101 :考える名無しさん:2006/12/18(月) 08:42:59
>>100
プラトン、デカルト、ヘーゲル、サルトル、マルクス

こいつらは、一見、大きな錯誤を人類にもたらしたと言えるが
でも、こいつらの御陰で人類が進歩したとも言える。
功罪を正しく評価してあげねばなるまい。

102 :考える名無しさん:2006/12/18(月) 19:04:29
>>98
感覚を刺激に還元できるという考えは間違っていると思う。

103 :考える名無しさん:2006/12/18(月) 19:19:48
Cogito, ergo sum.
Je pense, donc je suis.
I think, therefore I am.
Ich denke, also bin ich.

104 :考える名無しさん:2006/12/18(月) 22:27:35
我思う、故に我あり。に我は二つある

105 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 13:57:59
思考というのは対象に依存するのです
ですから思考してるとき自分は疎外されるのです
だからデカ珍は間違っとるのです
とシュタイナー博士が言っとるのです

106 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 00:03:35
>>102
何故間違いなのか、説明頂けたら有り難い…

107 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 00:04:30
我とは意志決定する機能のこと

108 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 06:43:44
我思わない、故に我なし
思っていると感じているだけだって?
おい、感じているのは誰なんだよ

109 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 20:07:24
>>106
観念抜きの感覚(知覚)は存在しないということ。

私がコップを見るとき、コップそのものを知覚しているのであって、刺激(感覚の最小単位)
からコップを構成しているのではない。確かにコップの知覚を部分部分の知覚に分解していくことは
できる。しかし、それらは「位置」や「色」などの概念に基づいて、別のものに意識を
向けているのであってそれらからコップの知覚が成り立っているのではない。

パソコンの画面はピクセル単位の色に還元されるが、人間の感覚はそのようなあり方をしていない。

110 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 21:11:18
>>98と同じこと言ってるような・・・。

111 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 21:27:32
猫にとって小判は貨幣ではない。貨幣という観念が無いからである。
つまり、単なる物質としての「小判」から得られる感覚を綜合しても
「貨幣」には到らない。

112 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 21:31:35
猫にとって小判は「小判」でさえないだろ。
っておい、それは猫に小判ってゆ(ry

113 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 22:45:46
>>112
単なる交換価値としての貨幣は、動物でも実践してそうだけどナァ〜
問題は、それを演繹するかどうかだナァ〜

人間が気づいてないだけのような気もするナァ〜

114 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 22:57:16
物々交換・・・

115 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 01:22:30
>>109
『これは「コップ」だよ』と教えられない限り、コップはコップで有り得ない。
白黒だけにまだらに塗り分けられた絵を見て、それが何を意味するか見当が付かないが、
この白い部分がコップの持ち手で、黒い部分が中に入ってる液体で、その回りにある白いのが輪郭で…とその絵がコップである事を説明されれば、それ以降はその絵はコップの絵にしか見えない。
目が感知出来る領域の物質の境目『この塊』をコップと認識する事で、コップは存在し得る。

116 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 01:30:12
コップは単なる物質や物体ではない。「道具」であって「用途」と切り離して
考えることはできない。
「小判-貨幣」も同様である。

117 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 01:31:31
思う思うっていうけれど、実際のところデカルトは疑っても疑っても疑いきれないこの「私」を
コギトっていって、まとめてやっとスレタイになったんじゃん。

これよめ
「 西田幾多郎<絶対無>とは何か 2006 NHK出版 ー 永井均 」

せめて自分の専攻をマスターしてからontologyは論じたほうが身の為だよ。

118 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 03:00:54
コップの絵の話は、見えない、ということはないのでは? コップの絵と呼ばれた後も、それが「何か」と想像する人は残るんじゃないだろうか

119 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 20:42:53
>>115=>>116なの?

120 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 02:40:21
だからあ、
1。なんかしらないけれど、言葉を話す世界に生まれ落ちていたんだよって、
ところから始めるのが言語ゲーム的な展開。ノミナリズムにおちいりがちだけれど、ウィトゲンシュタインは違う。
2。たしかに、人は様々なかたちの言葉(記号でもよし)をつかうよ。
  けれども、そんなものを扱う業よりもそれを使う為の力学が先立つのではないか?というのが
  認識論のおこり。

んで、我思う故に〜っていう言葉は言語的な制約の上での表現で仕方が無かったんだよね。
結局、我思う故だろうが、思う故であろうが(我思う故に我あり=思う故に思いあり)でも同じなんだよね。

コップ(対象)がある、ってことは「ただ、そうある」ってことが本質(なにもないわけではない)であってあとは
如何に表現するかってことさ。
我小雨に濡れるが故に我あり、ってのもありだけれど本質は「ただ、こんななってます」ってのが本質であって
我大雨でずぶ濡れさ襟元が濡れて気持ちが悪い云々 故に 我あり でも何でも(文法的に許容可能な限り=語用論の問題圏)
いいわけさあ。
我は打ち消されることによって、はじめてその本質として現れるのだな。

結局、コップなんてジャングリッシュは意地悪なイギリス人にはナキニシモアラズって程度なんじゃないかい?

>>75
そのときに西田幾多郎は認識の距離全体を「場所」と表現したんだよね。
それは超越的主語面と超越的述語面への分解としての場所の自己生成だと。





121 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 05:07:49
コップはコップじゃん

122 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 10:39:03
>>121
うん、コップって?

123 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 15:50:48
我思う故に我あり。
それって何か対象を「思った」ってことですよね?
全てのことを疑えるが、疑っている自分がいることは疑えない
が、コギトの始まりだから。
でも「思う」には対象が必要なので、対象の存在を暗に信じてるような
気がするんですけど

124 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 19:21:39
mindって思考だけど
なんだ「思った」ってw

125 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 20:51:33
>>123
信じてるが、確かではない。
しかし、「思っている」ということは確かだ。

なにが問題なのでしょう?

126 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 21:47:20
>んで、我思う故に〜っていう言葉は言語的な制約の上での表現で仕方が無かったんだよね。
>結局、我思う故だろうが、思う故であろうが(我思う故に我あり=思う故に思いあり)でも同じなんだよね。

「我」という語は「方法的懐疑」という文脈では重要だと思う。

127 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 23:14:40
いま対象がないってことを言っているのかなぁ コップは→コップと言うことに→の距離があるから「場所」が必要とされる。その「場所」って、「どこ」なんだろぅ

128 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 00:40:55
デカルトは「思う」なんて言ってないが(笑)

129 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 08:25:09
思考と対象は切り離せない
思考するとは常に対象を思考することであり
対象とは常に思考された対象である
故に対象を伴わない純粋思考(考えること自体)は存在しない
故に純粋思考であるところの「考える私」は存在しない

「我思う故に我あり」という思考は確かに存在するが
「我思う故に我あり」と思考する「私」は存在しない
もしくは「我思う故に我ありと思考する私は存在する」という思考は存在する

つまり「私」とは何をどこまで考えても常に「私」という思考もしくは観念で終わってしまう

この世界もしくは全存在から「私」は常に疎外されていくのだ・・・。

130 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 11:42:05
哲学的な根源的な問いに導いちゃった でも理念はいいんじゃない? だよな〜

131 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 16:24:15
それは「私」の定義の問題。
無意味な問題提起だ。

132 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 16:42:05
思考する機能こそが我
我食べる故に我あり と言わなかったのはそのためでしょう

133 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 21:50:18
思考するときは頭しかない
首から下はなくなってしまう
デカルトにとって我とは生首のこと

134 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 22:13:30
思考が頭(脳)だけで成り立つなんて考えているから、変な事言う。

135 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 22:50:26
私は考える事ができる
岩は考える事ができない
だから岩は自分が生きてるとは思わない

136 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 23:22:42
首から下があるときとは
思考が腑に落ちたときである

腑に落ちる、故に体在り。

137 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 23:30:10
ロボットが我を持つことはあると思いますか?

138 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 23:32:44
AIは考えることができる
体が無くともAIは自分の存在を認識できる

139 :考える名無しさん:2006/12/24(日) 00:03:21
作られた後は独り歩きするしね
ラジコンとは違う

140 :考える名無しさん:2006/12/24(日) 03:26:07
>>139
鉄人には操縦器が必要だぞ!!

141 :考える名無しさん:2006/12/24(日) 04:18:55
ぜんしんうんどうぜんしんうんどう

142 :考える名無しさん:2006/12/24(日) 08:57:06
>>138
人工知能は考えてる振りをするだけだろ

143 :考える名無しさん:2006/12/24(日) 13:36:47
そうだね  人体実験行われてる

144 :考える名無しさん:2006/12/24(日) 22:35:54
観察者が敢えて注釈を加えない限り、ロボコンそのものは考える素振りなんて高度な業さえできない。
ただ、プログラム上でかくあるのみ。極めてアルゴリスティックな工程があるのみ。(コンピュテーショナリズムの
認識的誤謬)
さて、人間の場合。きわめて発見的探索的(ヒューリスティック)な工程がある、しかも、
認知的なバイアスも相俟ってカオス。たとえば、C.Sパースのいう「アブダクション」なんて業を編み出してしまうんだ。
そこでいう、我とか<私>っつーのは何かと言えば有ると言えば有るもの。
つまりそれは存在論的には本質ではないっつーこと(無論、言葉のうえでのはなし)
結局、「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」って生活感なんじゃないのかね。

>>140 反論になっていないが。突っ込みとしては、ワロスw

145 :考える名無しさん:2006/12/24(日) 22:51:12
>ロボコンそのものは考える素振りなんて高度な業さえできない。
>ただ、プログラム上でかくあるのみ。極めてアルゴリスティックな工程があるのみ。

今のところは、ということだな。

私はロボットが自我を持ってもよいと思う。

146 :考える名無しさん:2006/12/24(日) 23:08:10
シグマ氏酢手無的な意見だね
メリークリスマス
チーン

147 :考える名無しさん:2006/12/24(日) 23:35:18
社会的な「自我」と哲学的な「自我」があるのではないか。

社会的な「自我」はあると思えばある。この意味での自我をロボットが将来
持つようになることはほとんど疑い得ないように私には思える。
しかし、人間はその背後に哲学的な「自我」を想定することはないだろう。

148 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 00:59:23
考える機能があれば自我を持てる

149 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 02:31:36
いや、昨日の私と(いっちゃえば数分前の私)と私との違いだけで、十分に「哲学的」だと想うぞ。

現在、エキスパートシステムという芸術家並みのシステム構築には成功しているが自我は持てない。
理由は、開発者自身が自我の解明に通暁していないから。(ニーズがないし)
つまり、可能性としてはあるが、自我をもつロボットは到底期待出来ないというのが、残念ながら通念だ。

可能性ばっか追いかけてたら、SFだぜ?

150 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 02:49:36
いや、昨日の私と(いっちゃえば数分前の私)と私との違いだけで、十分に「哲学的」だと想うぞ。

現在、エキスパートシステムという芸術家並みのシステム構築には成功しているが自我は持てない。
理由は、開発者自身が自我の解明に通暁していないから。(ニーズがないし)
つまり、可能性としてはあるが、自我をもつロボットは到底期待出来ないというのが、残念ながら通念だ。

可能性ばっか追いかけてたら、SFだぜ?

151 :名無し@autn. sys. ◆pFYl6xGCTc :2006/12/25(月) 06:13:07
さっき、初めてこのスレ見たけど、
>>1の問題設定と、コギト命題とはあんま関係ないんじゃないでしょうか?
途中でも出ていたけど、直接的には決定論/非決定論という話で、何かしらコギト命題とも関連するが、それそのものではないというものでしょう。
タイトルに釣られて>>1と無関係に議論が進んでる気がしますが…。

ここで、簡単に>>1について説明すると、
「まったく同じ精子と卵子 別々の場所でまったく同じ部屋・環境・栄養・刺激で育てられたら」
「その外見がまったく同じ人間は寸分違わず同じ行動をする」
というのは、
近代の科学が前提にしている前提からすれば答えはYES。
ところが、この仮定は、技術的に不可能なだけではなく、原理的に不可能。
さらに言うと、「寸分違わず同じ行動をする」の方も原理的に不可能。
なぜなら、「まったく同じ精子・卵子でまったく同じ環境」であることを観察することは不可能だし、「外見がまったく同じで、同じ行動をする」ということを、
観察することも不可能だから。

要するに、世界で起きているさまざまな事象は、全て世界でたった一つの事象であって、一般化はできません。
ところが、私たちはそれを特定の視点から眺めることで、AならばBというような関係を導いていく。
しかし、それはそもそも世界に対するモデル化であって、厳密な証明は不能なわけです。
そのことを表す例の一つが、>>1の話だということができると思います。

まぁ、これ以上の詳しい説明は、決定論のトピに譲るとして、参考までに、自分が良く使う、別の命題を紹介したいと思います。
おそらくこっちの方が問題が明確だと思います。

: 意識情報命題
:
: 人間を構成する物質の状態を全て記述して、デジタル情報化したり、そこから物質を再構成する技術が確立したとする。
: そうすれば、ある場所における人間をデジタル情報化し、離れた場所に送信することができることになる。
: さて、問題はここから。このとき、一つの人間から、複数の人間を作ることができることになり、こうしてできた複数の人間は、全てもとの人間の意識を引き継ぐことになる。
: ここで、こういう技術は論理的に実現可能か



152 :名無し@autn. sys. ◆pFYl6xGCTc :2006/12/25(月) 06:17:35
> 近代の科学が前提にしている前提からすれば

意味は通じると思うけど、あまりにもアホみたいなんで、訂正させて。

> 近代の科学の前提からすれば

153 :天ノ川 創:2006/12/25(月) 06:37:08
アマテラス降臨!

154 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 15:58:52
>>150
人間が行っている賃労働を、ロボットが人間と同じ仕方でこなすように出来るように
なることは2050年までには実現すると思う。
その時、人間は、人間に対して使用している観念(「○○は××と考えている」など)
を、ロボットに対して使いまわすことになるだろう。
それはすなわち、ロボットが社会的な「自我」を持ったことと考える。

155 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 16:04:14
>>154
>こなすように
→こなすことが

156 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 08:18:59
なると思う。生まれてからの連鎖を止めるものがない限りは。

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