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クオリアについて真面目に考えるスレ

1 :考える名無しさん:2006/10/06(金) 17:44:26
これまでは唯物論のスレで済ましていましたが、スレ違いな気がしてきたので独立して立ててみました
クオリアに関する議論、話題ならなんでもOKです

なお、「何でもクオリア2」のスレッドは荒れすぎているので、重複による削除依頼は無用です

2 :考える名無しさん:2006/10/06(金) 17:58:42
とりあえず唯物論スレでの書き込みをコピペしときます
批評してもらえるとありがたいです

概念はクオリアなのか?それを考えてみたいと思います
例えば二人の人に林檎4個+3個=7個と言う定義を目の前で行います
概念がクオリアならば、その時何らかの形で現れている筈です
その後、梨を4個と3個持ってきて、さっきと同じ状態にせよ、と命じます
この時人は恐らく誰でも、7個に集める事でしょう
ではそれは何によって可能でしょうか?言い換えれば、人によって同じとは証明できないクオリアによってか、それともより普遍的な何かによってか?
この時「林檎が4個ある」事を受け入れたので命令を実行できたのではないでしょう。
「林檎4個」と「梨4個」は明らかに異なる情報であって、そしてそうである以上それは、
机の組み立て方を教えた後に、椅子の作り方を問うようなものだからです
では何によって梨4+3=7を人は実行しうるのでしょうか?


3 :考える名無しさん:2006/10/06(金) 17:59:27
人は数字と言う共通の概念を持っている、それが林檎と梨の共通点を見抜き、4+3をさせたのでしょうか?
しかし自然界にとって、十進法の数字は何の意味も持ちません。それなのにそれが、人間にとって共通という、意味のある物事を組み立て得るのでしょうか?
この問題は言い換えれば、自然界にとっては何の意味も持たない物事が、どのようにして人間にとって意味を持ってくるかという事です
それから次に、その意味ある事象は人にとって共通かを考えねばなりません。大きく分けてその二つがさしあたっての問題だと思うのです
では後者の問題から、上記の例を使って考えたいと思います
即ち、数字は人によって同じか否かをはっきりと調べたいわけです
ではまず重要なのは、人により異なるのはどの領域までが考えられるかです
つまり、赤を見て、他の人が自分と同じ色を見ているかどうかは確かに分かりません
が、同じ視覚においても、赤を見ている他者が、その対象をより大きく見て捕らえている、と考えることは不可能でしょう(?)
何故なら、色においては、解釈自に自由度を与えてもいいものの、大きさや距離感においては、他者は自分とは違う捕らえ方をしているとはないでしょう、
(自分を基準にして)大きさを捕らえ違えた者は、現実世界との食い違いにより、その違いを知るからです
その理由を更に考えると、人には触覚も加わっているからです
つまり、視覚においてのみならば、いろんな解釈が有り得ますが、実際はそれは触覚との間で辻褄があわなければならない為、
もし大きさを、自分とは違った風に受け入れているとしたら、現実との対応によりそれは間違いで、自分のは正しい(現実に即している)と考えられるでしょう
つまり、色は一通りの捕らえ方しかできません、故に他者との間で自由度が生じます
しかし形は、二通り以上の捕らえる方法があるために、他者と異なっていないことは現実が証明しています



4 :考える名無しさん:2006/10/07(土) 00:16:51
>>2−3がバカだからこのスレは伸びない

5 :考える名無しさん:2006/10/07(土) 21:42:01
>>4
そう、それが欲しいんです
どこが悪いのか教えてください

6 :決定論スレ46の556 :2006/10/07(土) 21:55:13
>>5
まず、クオリア(とやら)の存在を無条件に前提しているのが根本的な問題。
クオリア(とやら)というような存在を前提しなければ説明できない観察事実は、
何も示されていない。
つまり、今のところ、クオリア(とやら)について、あきらかにいえることは、
「クオリア」と名づけられた「何か」について議論したいという欲求を持った
人たちが存在する、ということだけで、その議論と、現実世界の接点を示す事実は観察されていない。
クオリアは概念でもありうるし、そのほかのものでもありうる。

例えば、犬とはなにか、という議論においては、実際の犬を観察することにより、
「足が8つある魚である」といった主張は否定することができる。
しかし、クオリアについて何を主張したとしても、それを掣肘しうる観測事実が存在しないのだから、
否定することは不可能だ。

7 :考える名無しさん:2006/10/07(土) 22:21:46
なるほど、多少おこがましかったようですね
それでも、「もしあるとしたら」を考えてみるのは無益でしょうか?
それで矛盾なく何かが説明できるのなら、机上の空論であろうが価値はあると思います
もちろんそれは私個人ではできる筈もないですが、もし議論で何か結論を見出せたら面白いでしょう
何より、議論を楽しみたいという気持ちもあるので、この板にこういうスレがあるのは(私個人の無知は不快かもしれませんが)悪いことではないと思うのです

8 :決定論スレ46の556 :2006/10/07(土) 23:04:03
>>7
>何より、議論を楽しみたいという気持ちもあるので、この板にこういうスレがあるのは(私個人の無知は不快かもしれませんが)悪いことではないと思うのです
そのとおり。
議論したいという欲求を持つ人が、その人たちの間でだけ、議論する分には、
別にかまわないのではないでしょうか。
このスレがそのようなスレであるのであれば、決定論スレでそうしたように、
私はこのスレを立ち去るだけです。

>それで矛盾なく何かが説明できるのなら、机上の空論であろうが価値はあると思います
それがなければ矛盾無く説明できない「何か」が存在するのであれば、
なんらかの意味が(クオリアについて議論をしたいという欲求を持っ人以外にとっても)
あるのかもしれませんが、議論を楽しむことが目的であれば、
そういった意味が無くても別に構わないと思います。


9 :考える名無しさん:2006/10/07(土) 23:16:23
そうですか。なら問題はないようです
誤解のないように言っておくと、私が疑問形で書き込んだとしても、それは「これに答えて(教えて)下さい」と言う意味ではありません
無論それはそれでありがたいですが、クオリアに関する話題ならば、話の腰を折ろうが、私や前のレスを無視した書き込みをしてもらおうが自由です
私の書く事が余りに稚拙だと言うのなら無視してください。それよりも気になる話題に変えてもらってもOKです。
一言で言うと、私個人のスレにするつもりは毛頭ありませんので、柔軟な対応を期待しています

もっとも、中身のない批判や罵倒はスレタイから外れるのでお断りします

10 :考える名無しさん:2006/10/07(土) 23:47:58
クおリア=いんちき

以上

11 :考える名無しさん:2006/10/08(日) 03:11:49
>一言で言うと、私個人のスレにするつもりは毛頭ありませんので、
当たり前だぼけ。2ちゃんとブログの区別くらいしろ。

>柔軟な対応を期待しています
オマエしだいだ。いまのままじゃ無理ってもんだ。

>もっとも、中身のない批判や罵倒はスレタイから外れるのでお断りします
馬鹿か。ここは巨大掲示板公共の場、オマエがとやかく言うでない。

ってか、オマエ失格。

>なお、「何でもクオリア2」のスレッドは荒れすぎているので、重複による削除依頼は無用です
 無用かどうかはオマエが決めることではない。もうやめれ。

12 :考える名無しさん:2006/10/08(日) 03:49:16
そういえば、クオリアという言葉の定義にも依る気がしますが、私が書いた「クオリアはあるかもしれない」という言葉は意味があるのでしょうか?
辞書的な意味としては、個人個人の感じ方が違うかもしれないイメージ等そのものが、物理的な領域からいかにして生じてくるかが分からない、それをクオリアと呼ぶようです
ところで、少なくとも私は結果として、イメージを持っていることを実感できます。証明はできませんが。
そうなると、少なくとも自分にとっては、何かしらの物理現象が感覚に変わった経験があり、それを「クオリア」と名づける―恐らく全く文字通りだと思うのですが―事はできるでしょう
もっとも証明できないものを「ある」と呼ぶ為には、「ある」という言葉の再検討が必要になります
「クオリア」はまず「ある」のか?最も根本的ながら最も証明の難しい領域のようで、これを不用意にあるのだ、としている点については、決定論スレ46の556氏に指摘されてしかるべきだと思います
が、それでは話が始まらないので、まずあるとして話を進め、その途中で気がついたらその有無を検討するというやり方がいいと思います


13 :考える名無しさん:2006/10/08(日) 03:51:52
クオリアってロックの観念論とどこが違うの
第一観念だっけ?
はっきりいって昔からある概念を横文字にしてみました
ってふうにしか思えないんだが

14 :考える名無しさん:2006/10/08(日) 03:52:00
神のクオリア

15 :考える名無しさん:2006/10/08(日) 12:14:28
グロリア

16 :考える名無しさん:2006/10/08(日) 23:09:35
観念論については詳しくないのではっきりとしたレスはできませんが、
私なりのクオリアの定義をしてみたいと思います
まず私が唯物論のスレで思ったのは、何かを思い描いているとき、
その何かはどこにあるのか、という疑問でした
意識が物質だとしたら、イメージしている光景も物質、あるいはその運動からなるはずです
だとすると、例えば赤い色をイメージしている時、その赤はどこにあるのか?
イメージとしてですが確かにある以上、どこかにあるのではないか。
それを考えていたとき、クオリアという考えが既にある事を知りました
即ち、物理的に(例えば)赤い光があるとします
それは光の波長がある一定の値になるとそうなるのだ、という事が分かっています
ではそれは、いつ、どうして赤色として捕らえられるのか?
多少乱暴な言い方をすると、何故赤色になるのか?
つまり、青ではなく、他の何かでもない赤という現象を起こすのは何によってか?
例えばコンピューターに赤い光を当てたとき、それは処理される過程において、機械にどう映っているのか?
それが分からないのです
他の例えで言うと、痛みが脳からの信号であることは分かっています
しかし何故それが、痛みという感覚そのものになるのかという疑問にはまだ答えがないのです
その最後の段階、光が赤の光として捉えられた段階のことをクオリアという、私はそう解釈しています

赤がどこにあるか、と、赤は何故赤いのか、は論点が違いますが、
もしクオリアというものの性質や在り方を理解することができれば他の疑問も解消されると思います
技術により赤は何故赤いのか、ほぼ解明されていますが、最後の段階がまだ未完成です
ここがそれについて語れる場所になるといいと思います

17 :考える名無しさん:2006/10/22(日) 19:57:05
               ___
         く/',二二ヽ>
         |l |ノノイハ))
      |l |リ゚ ー゚ノl|   アルバート
    ((⊂   と)  
         (⌒   /      
   (_)ゝ ノノノ
⊂( ゚w゚メ )つ_)←>>782


18 :考える名無しさん:2006/10/29(日) 18:35:44
クオリアってクリオネと似てね?

19 :考える名無しさん:2006/10/29(日) 20:24:04
クリトリともにてるよ?

20 :飛べないカラス:2006/11/02(木) 20:49:01
>>16
> 例えばコンピューターに赤い光を当てたとき、それは処理される過程において、機械にどう映っているのか?
> それが分からないのです
> 他の例えで言うと、痛みが脳からの信号であることは分かっています
> しかし何故それが、痛みという感覚そのものになるのかという疑問にはまだ答えがないのです

「この疑問に対する答えは存在しない」という主張が次第に「わからないことをわかることが大事」
「わからないことすらわからない馬鹿」と進化していくのがクオリア厨
クオリアなど疑問に使用する用語の定義が自分にとってわからないものに貼ったレッテル
この種の人に何を説明しても無駄。

21 :考える名無しさん:2006/11/05(日) 14:36:34
子供の時に、この種の疑問を持って子供なりに考えたことがない奴が
大人になって突然テツガクが目覚めて飛びつくのがクオリア。
茂木とか典型じゃん?

22 :^(´口 ` )^:2006/12/10(日) 23:12:35
ふぉっふぉっふぉっ

23 :考える名無しさん:2006/12/11(月) 03:13:16
>>13
>はっきりいって昔からある概念を横文字にしてみました

その昔からある概念て横文字だったんじゃないの?

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