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■ 熱狂の系譜学 その3 ■

1 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/06(水) 19:23:24
人々はなぜ自然神へ熱狂したのか
人々はなぜキリスト教へ熱狂したのか
人々はなぜ戦争へ熱狂したのか
人々はなぜ自由と平等へ熱狂したのか
人々はなぜ科学へ熱狂したのか
人々はなぜ商品へ熱狂したのか
人々はなぜテクノロジーへ熱狂したのか
人々はなぜセクシュアリティへ熱狂したのか
人々はなぜイスラム教へ熱狂するのか
人々はなぜグローバリズムへ熱狂するのか
人々はなぜ環境問題へ熱狂しないのか
人々はなぜネットへ熱狂するのか
ネットではなぜ熱狂が日常化するのか

その1 純粋略奪の快楽(自然主義的闘争論)http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1151086281/
その2 自然主義的闘争論 http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1154698437/

2 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/06(水) 19:30:56
■なぜ神話への熱狂は必ず回帰するのか

ヘーゲルの弁証法とダーウィンの進化論の差異

マルクスは社会は自然と人間、人間と人間の関係において、考えなければならないという。ここで自
然は一見、外部のようであるが、外部ではない。マルクスは自然と人間を、共同所有と私的所有で
分析する。すなわちマルクスがいう自然とは人間に開拓された自然であり、内部(社会)の一部と
なった自然である。

このようなマルクスの考えは、へーゲルの弁証法を継承している。ヘーゲルの弁証法とダーウィンの
進化論の比較で明らかである。これら二つは一見、同じもののように考えられることが大きいが、決
定的に異なる。弁証法は、ある対象に対して否定的な契機が対峙し、それが止揚される。ここである
対象を自然物とおくと、人間はそれに否定的な契機(加工する)ことで、あたらな生産物が止揚され
る。すなわち進歩する。このように弁用法的な歴史は進歩史観である。

これに対して、進化論は進歩しない。ある生物に対して、自然淘汰圧がかかることで、ある生物はそ
れに対応することを強いられる。これはその生物が進歩したように考えられるが、ここで考えなけれ
ばならないのは、自然とはなにかである。進化論における自然は、マルクスのように人間に管理さ
れた自然ではない。人間の認識を越え、コントロールなどできない不確実で突然発生する生物に対
して圧倒的な力である。だから生物はただ自然の従うしかない。

自然は不確実で偶然的である。今日は自然圧に対して有用な特性は、明日には最悪の特性である
可能性がある。このための生物は止揚することなどできない。ただその場、その場で変化を強いら
れるだけである。

3 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/06(水) 19:31:32
熱狂によって「リアリティ」という神話は生まれる

人間の歴史がそのまま進化論に対応するということではない。生物進化と人間の歴史の混同は自
然主義的誤謬である。重要なことは、外部自然は不確実で圧倒的な力としてあるということである。

そして外部自然は不確実で圧倒的な力としてあるということは、さらに重要なことを示している。人は
外部自然を語れないということである。外部自然とはカントのいう認識不可能な「物そのもの」であ
り、人が認識する自然とはあくまで「仮象」でしかないということだ。すなわち外部自然は絶えず神話
として語られ、そして神話として回帰しつづけるということである。

このような神話が神話として成立するのは、人々がその神話へ熱狂することによる。そして神話へ
の熱狂が社会の「リアリティ」を形成し、社会を再構造化する。そしてそこにその時代の進歩史観は
生まれる。

4 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/06(水) 19:32:19
否定しきれない時代の「核」

どの時代にもある否定してもしきれない「核」がある。現代の神話は、マルクスの指摘した貨幣、商
品の「物神性(フェティシズム)」である。ボクたちはこれらに熱狂し、そして「リアリティ」そのものである。

たとえば目の前に1億円おかれれば目が眩り、強烈な力を発する。いくらお金など紙切れだ、お金で
幸せは買えないなどどいって、この「物神性(フェティシズム)」の魔力は否定できない。このような貨
幣の圧倒的な力がボクたちの社会をより深層で支えており、ボクたちの言説はその表層にしかな
い。しかし貨幣がこのような力をもったのは産業革命前後である。それ以前の社会には、その時代
の神話への熱狂としての「核」、「リアリティ」があったのだ。

未開社会は自然神の世界である。現代ボクたちが知れえるような世界の分析的な空間的、時間的
状況は知りようがない。彼らにとって外部自然は不確実な脅威としてある。それを神性化によって回
収するのである。そしてそれが彼らの「リアリティ」である。

このような状況は封建社会の階級制を支えた1神教、そして近代では科学世界という神話であり、
資本主義の貨幣、商品の物神性(フェティシズム)、さらに現代のマーケティング、マスメディアは熱
狂をめざす神話製造装置であり、ボードリヤールのシミュラークル論に繋がる。そして環境問題でさ
え神話である。ネットではたとえば嫌韓など神話を大量生産している。そしてネット上で対価なく労働
が行われるのが、そこに「まなざしの他者(自分を承認してくれる神的他者)」が捏造される故である。

5 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/06(水) 19:32:59
熱狂は止揚せず、必ず回帰する。

マルクスに外部がないのはすでに「類的本質としての共同体」という進歩史観の神話として回収され
ているからだ。これはより具体化したのが柄谷の「世界共和国」である。柄谷がこれを「超越論的仮
象」と呼ぶとき、「熱狂される神話」であるということだ。

ではなにゆえに「世界共和国」は熱狂されるのか。柄谷は、格差、テロ、環境問題などの現代の問
題への不安からであるという。 これはカントが世界大戦を、マルクスが大恐慌を期待したこととつな
がる。破滅的状況が「世界共和国」という神話への熱狂を生むというわけだ。

現在、「世界共和国」は熱狂を生んでいないが、将来になにが起こるかわからない。だが再度いえ
ば熱狂は決して止揚しない。かりに外部環境の変化から「世界共和国」のようなものが生まれても、
歴史はおわらない。熱狂の神話は必ず回帰し、リアリティを生むのだ。なぜなら「熱狂とはただ熱狂
としてあり、人はただ熱狂へ向かうからだ。」

今後、人々はなにに熱狂するだろう。

6 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/06(水) 19:33:41
■熱い熱狂/冷たいアーキテクチャの二重構造

熱狂の日常化、多様化において、「リアリティ」の多様化、コミュニティの分散が起こっているとととも
の「リアリティ」そのものの希薄化が進む。貨幣へのフェティシズムも、一つの熱狂への変容である。
そしてこのような熱狂が活性化する場として、サブカルチャーがあり、たとえば女子高生、オタクなど
があり、それらはネットへ集約知れつつある。ネットは熱狂は場であり、様々な「リアリティ」が生まれ
る場としてある。

レッシングは人間を規制・制御するものとして、「法、規範、市場、アーキテクチャ」の4つを上げてい
る。このうち、法、規範そして市場ははリアリティを反映し、再構築されるが、アーキテクシャはリアリ
ティの外部として作動する。

人が認識できないような外部自然そのものを管理することを目指す。管理される自然=グレイゾー
ンの拡大である。このような意味で、近代以降の「数量化」には、特別性がある。そこに歴史が止揚
する可能性が開かれる。

7 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/06(水) 19:34:15
>>
具体的に踏み込もう。レッシグによると、社会統制には4つのやり方がある。1.威嚇的命令、2.市
場、3.規範、4.アーキテクチャー。厳罰化すれば統制できる(=1)。市場価格の上げ下げでも統制
できる(=2)。学校教育でも統制できる(=3)。

問題は4だ。これはシステムの設計のことだが、設計次第で人々の行動を変えられる。このタイプの
支配は統治権力よりむしろ商業領域で膨大なノウハウの蓄積が進んでいる。例えばコーヒーショッ
プの椅子の堅さ。椅子の堅さ次第で客の回転率を操縦できる。

威嚇的命令による支配には、被支配者の不自由感が伴うが、2市場<3規範<4アーキテクチャー
の順で不自由感は減る。そのため、被支配者が自己決定しているつもりで、支配者から見ると意図
通りの支配が実現する。分かりやすく言えば、自ら喜んで支配に服する。これに抗するのは大変だ。
自分は自由だと思っているので、対抗する動機づけが存在しないからだ。(宮台)
<<

熱い熱狂/冷たいアーキテクチャの二重構造は、近代の数量化そのものがもつ構造である。デカル
トの心身二元論、機械論に見られる。東はこれをポストモダンの解離構造と呼んだ。しかしこれはそ
れほど特異だろうか。再度、進化論的視点に戻ろう。外部自然は圧倒的な不確実性としてある。そし
て、グレイゾーン(アーキテクチャ)の向こうからやってくる。すなわち、東の「ポストモダンの解離構
造」にも外部がないのである。

8 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/06(水) 23:38:24
西洋中心主義史観は、自然の開拓による管理される自然=グレイゾーンの拡大として語ることはできる。
未開社会→農耕社会/封建社会→近代資本主義社会→後期消費社会
これはマルクスの唯物史観にも繋がる。マルクスの史観は、経済=豊かさにおいてしか、
歴史は存在しない、という意味で考えなければならない。
これは決して、マルクスのいう「類的本質としての共同社会」への道には繋がらない。
これ歴史の帰結は、アメリカの消費社会を目指すというである。
豊かで、自由で、平等な社会であり、ヘーゲルの、そしてコジェーブの、そして
フクヤマの「歴史の終わり」である。

現代のグローバリズムはこのような西洋中心主義史観の空間的な拡大を目指している。
そして最近ならイスラム圏で特徴的であるが、様々な軋轢を生むことは当然である。

この軋轢は二つの意味で考えなければならない。
一つは、アメリカ=「豊か、自由、平等」をめざすが、世界の周辺では、
アメリカを同じ方法論では、搾取の対象にしかならず、他の方法論を模索するしかないということだ。
周辺の後進国が共産主義国家は目指すのは、このような理由である。

もう一つは、アメリカ=「豊か、自由、平等」を目指すことはあくまで、西洋中心主義史観であり、
一つの価値でしかない。異なる価値を目指すことである。
すなわち「文明の衝突」であり、「神話の対立」である。
最近のイスラム圏の反発に特徴的であるが、後進国の問題は、これら二つの理由から
考える必要があるだろう。

9 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/06(水) 23:43:22
これは、人々の満足とはなにか、という問題に繋がる。
満足が、「豊か、自由、平等」でないことは確かである。
豊かさの中にいるボクたちの様々な好意がそれを示している。
これらが満足の一部であることも確かである。
これは、ホッブスから功利主義、そして現代までつづく、「自然状態」の議論である。

10 :考える名無しさん:2006/09/07(木) 00:14:51
>人々はなぜ自然神へ熱狂したのか
>人々はなぜキリスト教へ熱狂したのか
>人々はなぜ戦争へ熱狂したのか
>人々はなぜ自由と平等へ熱狂したのか
>人々はなぜ科学へ熱狂したのか
>人々はなぜ商品へ熱狂したのか
>人々はなぜテクノロジーへ熱狂したのか
>人々はなぜセクシュアリティへ熱狂したのか
>人々はなぜイスラム教へ熱狂するのか
>人々はなぜグローバリズムへ熱狂するのか
>人々はなぜ環境問題へ熱狂しないのか
>人々はなぜネットへ熱狂するのか
>ネットではなぜ熱狂が日常化するのか
誰かがしようがしまいが、世界的レベルで見れば、大勢は傾倒しない。

してるのは、独りぴかぁ〜だけ。

ぽまいは、うっさい。


11 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/07(木) 00:24:19
コジェーブがいう歴史の終わりとは「動物化」である。
管理される自然=グレイゾーンの拡大が、人間という自然さえ機械論的に
開拓し尽くす。空腹、ストレスなどを管理され、家畜のように動物化するということだ。

しかしこれには問題がある。一つは、このような満足は、周辺の搾取の上に成り立っている
ということだ。自然破壊であり、周辺国からの搾取であり、動物化された労働力=下流からの
搾取である。

グローバリズムはこれらを解決し、世界全体を、動物的な満足に満たすことができるのだろうか。
一つは本当に人は動物化して満足するのだろうか。現代の豊かさの中にいる人々は、
豊かと自由と平等で、充足しているとは思えない。たとえばネットへ向かい、あえて波風を立てている。

この二つは、そのまま、先の軋轢に対応する。
そして再び、満足とはなにか、ということに繋がる。



12 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/07(木) 00:47:50
ボクはこれを、環境×公平×正義の相補的な関係とした。

環境とは、共同体の外からの影響である。
公平とは、人の満足感である。ただこれはホッブスのような個体として考えない。
人は、すでに共同体へ帰属し、繋がりの中で公平感として満足を求める。
贈与互酬の円環内のゼロを満たすような公平感である。
正義とは、共同体秩序を保つような強制的な力である。法、国家である。

社会は成員の公平感を満たすよう目指されるのであるが、
公平は環境、正義との相補的な関係によって、影響を受けて変化する。
すなわちこの三項のバランスが求められるであるが、
環境という外部は、自然であり、人間を越えて、不確実なものである。
そのための、内部(環境)と内部(正義×公平)の間には、
緩衝域としてコントロール可能な環境=グレイゾーンが存在する。
そしてグレイゾーンは、不確実な自然を、予測可能性を高め、リスク管理するために
技術によって管理された領域である。

外部(環境)/グレイゾーン(技術)/内部(正義×公平)

未開社会のグレイゾーン(技術)とは、テリトリー、狩り道具、火、集落などであり、
封建社会では、農耕技術、灌漑技術、兵器であり、
近代社会では、数量化、科学技術

近代社会は、科学技術の爆発的発展は、グレイゾーンを驚異的に拡大し、
リスクを下げ、人の生存率、寿命を高め、人口は爆発的に増加したのだ。

再度言えば、これのみによって、西洋中心主義史観が正当性を持ち得る。

13 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/07(木) 01:11:48
グレイゾーンの拡大によって、外部から内部への影響を
コントロールすることができる。これによって物質的な豊かさは
達成することだできる。

外部(環境)/グレイゾーン(技術)/内部(正義×公平)

そして資本主義社会では正義と×公平という内部重視によって、
満足感を目指すことができる。それが資本主義社会である。
ただ先にあげたような、自然破壊、周辺国からの搾取、労働力=下流
からの搾取の問題がある。

これらの問題は、グレイゾーンへの疎外問題と言うことができる。
内部から排除し、コントロールされる自然である。
周辺の環境、単純な低賃金労働は、身体という自然の管理、動物化である。
ここで働くのは、形而上学的二項対立としての人間/動物である。

これは、近代の科学技術の発展と繋がる権力である。
たとえばデカルトの心身二元論、機械論からあり、
フーコーの生権力である。
グレイゾーンの拡大は、人間身体を管理する自然として、それを
労働力とする。産業革命以降の大量生産(フォーディズム)は、
このような身体と機械とのインタフェースによって可能になっているのだ。
さらには、管理された自然環境と機械とのインタフェースである。

このような形而上学的二項対立としての人間/動物は、
成員/奴隷として実現され、奴隷は動物、管理された自然、
グレイゾーンとしての労働力であった。
科学技術によるグレイゾーンの拡大は、より人間を開拓した。
奴隷という質の悪い労働力から、教育された成員から
心身を分離し、労働力としての身体を取り出すことで、
均質な良質な労働力を生みだしたのだ。

14 :考える名無しさん :2006/09/07(木) 01:14:37
クソスレ立てるなこのボケが!

15 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/07(木) 01:48:44
外部(環境)/グレイゾーン(技術)/内部(正義×公平)

グレイゾーンの拡大によって、資本主義社会では正義と×公平という内部重視によって、
満足感を目指すことができる。

外部からの拘束が強いときには、内部拘束は外部から内部(社会)を守る障壁となるが、
逆に外部拘束が弱いときに、内部拘束が強いときには、それは抑圧的に感じる。

たとえばグレイゾーンがほどに「厚くない」封建社会では、階級制という内部秩序は、
外部拘束からの圧力(自然環境、他共同体からの闘争)が強く、社会を守る内部拘束として
働いてただろう。

現代、階級制が人々の自由を抑圧するものとして考えられるのは、豊かな社会
となって外部拘束の働くが弱いために、内部拘束は弱いものが望まれるためである。

たとえばこれは現代のリベラルズムにおける自由と保護の関係にも言えるだろう。たとえば景気が
良いとき、外部拘束が弱いとき、内部拘束は弱く、より自由な社会が求められ、景気が悪いとき、外
部拘束が強いときには、内部拘束が強く、保護的な政策が求められる。

「自由」という言葉が積極的に語られるのは、近代以降である。近代以降に、グレイゾーンの
強度がまし、経済的に豊かになる中で、いままでの内部拘束、封建的な階級制度は抑圧的になり、
啓蒙主義的な個体の自立による自由と平等が求められた。このときにリベラリズム(自由)というという
積極的なイデオロギーが生まれた。

ただ、ここで重要なことは、自由と平等というリベラリズムが、先にあげたデカルトの心身二元論、
機械論や、グレイゾーンの拡大としての良質な労働力を生み出すなど、
先の資本主義システムと相性が良いことを考える必要がある。
たとえばウェーバーはこれをプロテタンティズムの倫理と関係されるがが、
宗教革命は近代の啓蒙主義の流れの中にある。
ルネサンス以降に、還元主義としての、数量化であり、個人主義の流れを流れを見いだすことが
できるだろう。

16 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/07(木) 01:50:27
たとえばバーリンは自由を「積極的自由」と「消極的自由」を区別した。「積極的自由」とは自由な社
会に向けて、積極的に正義(社会秩序)=内部秩序を構築することである。

しかしある程度、豊かなみたされたたとえば後期資本主義社会で重要になるのは「消極的自由」である。
「消極的自由」とは正義の強度を弱めることである。もはや「積極的自由」という内部拘束でさえ、
抑圧的に感じるために、 内部秩序の強度を弱めることを意味する。
これを可能にするのが、グレイゾーンの拡大による、外部からの不確実性の排除、
社会の予測可能性の向上、リスクの低減である。

しかし内部拘束を希薄にすると、それぞれの主観的な「公平感」を剥き出しになり、対立が生まれる。
そこで行われるのが、ボクたちは他者へ関心に対してあえて無関心であるという「儀礼的無関心」である。
これはさまに「消極的な自由」の社会の状態である。

流動性の低い社会では、地域コミュニティで生活するために、関心しあう関係(知り合いの関係)は
繋がりであり、利便的である。しかし流動性が高まると、大量のあたらな関心の中におかわる。そこ
では関心は抑圧的に感じ、無関心であることが、安心し、利便的である。社会的な関心とは拘束で
もある。たとえば知り合いよりも知らない人の方が気を遣わずに、気楽である。ボクたちは、これほど
に外部抑圧から解放され、内部抑圧が希薄化することを望んでいるのだ。

現代では「消極的な自由」は、「積極的自由」というイデオロギーの対立以上に、他者の関心からの
自由という生理的なレベルにまで達している。これはまさに公的なもの=政治への無関心、私的趣
味への高い関心に繋がるだろう。


17 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/07(木) 01:51:52
現代では「消極的な自由」は、「積極的自由」というイデオロギーの対立以上に、他者の関心からの
自由という生理的なレベルにまで達している。これはまさに公的なもの=政治への無関心、私的趣
味への高い関心に繋がるだろう。

このような「消極的な自由」と貨幣システムは奇妙に相性がよい。人は貨幣によって、儀礼的無関
心、他者回避のように他者と深く関わらずに社会生活をおこることができる。「お金ですべてが買え
る」というメタファーは、貨幣によって商人と通すことで、様々なことは可能になる。「面倒なことを貨
幣によって購入することで、他者を回避でき、私的な「好きなこと」を時間を傾けることができる。

逆にいえば、商人は面倒なことを引き受けることで、いままで等価交換に乗らなかったようなこと、他
者との協力関係でまかなわれていたような些細なこと、全てのことが商品となる。情報化社会では、
人の認知力に限界がある。余計なことに患わされず、「好きなこと」のために、貨幣が必要であるわけだ。

たとえばこれを積極的に商売にして成功しているのが、マクドナルド化である。誰に対しても、世界
中どこでもおなじ必要以上に干渉しない(他者回避)サービスである。

18 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/07(木) 02:00:10
このようなリベラリズムの「消極的な自由」と貨幣システム=資本主義社会が奇妙に相性がよいのは、

外部(環境)/グレイゾーン(技術)/内部(正義=リベラリズム(自由と平等)×公平)

外部と公平の疎外としてをコントロールしながら、グレイゾーン(技術)と正義(リベラリズム)が両輪となり、
進んでいることをしめすだろう。


たとえば「好きなこと」をするために面倒なことは貨幣で買う。しかし「好きなこと」とはなにか。
たとえば風俗嬢のジレンマ。好きでもない男の性器をしゃぶるなど苦痛であるがお金のためには仕方がない。
お金があれば好きなことができる。しかし風俗嬢はホストにお金を貢いでしまう。彼女の好きなことがホス
トに貢ぐことではないが、お金を稼ぐこと、使うことが目的化するのだ。

例えば現代の「夢を持とう」という考えはこの先にある。「さあ、他者回避し時間の余裕ができた。「好
きなことをしよう。」ということであり、現代はここに強迫性が生まれ、そしてお金を稼ぐこと、使うこと
が目的化する転倒が起こる。そして貨幣によって社会的な関係性を再構築するのである。

たとえばボードリヤールはこれをソシュール的言語構造、差異の体系と対比させている。いままでの
地域コミュニティなどのつながりから、流動性の高い社会では市場=貨幣システムに主体性を委ね
ることが求められる。主体と客体が逆転した「もの」によって規定される人を描いている。

特にここで重要なものがマスメディアである。「これを買えばあなたのアイデンティティは満たされ
る。」これが広告の究極的な意味である。なにを買い、なにをもっているかによってアイデンティティ
は支えられる。それが消費社会である。

そしてものをもつことによるアイデンティティとは、他者の承認によってしか現れない。貨幣によって
「公的な他者」を排除し、自らを承認してくれる「私的な他者」を手に入れることができる。

このような状態はまさに、公平という充実感=主体と、グレイゾーンと正義=客体の転倒であり、
主体の疎外の上に成り立っている。

19 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/07(木) 02:04:29
「私的な他者」とは、私の心を満たしてくれる他者、心の他者である。このような傾向は商品の物神
性に求められるとともに、貨幣交換を越えている。お金では買えない物をお金で買うというジレンマ
がある。たとえばアイドルは、商売であるが、ファンはそれが商売であるとわかっていながら、求めて
いるのはお金でかえない「心の他者」である。

たとえばロックスターが商業主義を嫌い、ファンとの心の繋がりを重視する。売ってはいけないもの
がある、などの思想は、貨幣交換関係嫌悪、他者との関わり重視=贈与互酬関係の重視である。

これは心身二元論的な心の領域である。現代の資本主義社会では基本は貨幣交換であると言わ
れるが、必ずしもそうではなく、貨幣交換でされない。貨幣交換で量化されて部分が重視される。

たとえば私的な領域とはそのような領域である。消費社会において、貨幣交換されないものを求め
て、貨幣交換するというジレンマがあったのだ。

このようなリベラリズムの「消極的な自由」と貨幣システム=資本主義社会が奇妙に相性がよいのは、

外部(環境)/グレイゾーン(技術)/内部(正義=リベラリズム(自由と平等)×公平)

正義は消極的な自由として、強度が低減され、外部と公平の疎外としてをコントロールしながら、
グレイゾーン(技術)が重視される傾向である。このような状態はまさに、公平という充実感=主体と、
グレイゾーン=客体の転倒である。

20 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/07(木) 02:06:44
さらに新たに動きが、ネット社会である。「公的な他者」を排除し「私的な他者」を手に入れる方法として
貨幣に変わって、ネットが補完する傾向がある。

ネットでは匿名であり、場からの参入離脱が容易である。社会では空間的(物理的)な制約から、
出会いは身近な人に制約されるが、ネットでは自ら能動的に、自分と関心があう人間と関わることもできる。

他者との関わりをコントロールすることができる。この話題に首をつっこみ、飽きれば離れる。「関
心」のコンロトールの容易性がネットのコミュニケーションを支えている。ネットがリバタリアンにむか
のも、このような「消極的な自由」の容易さからである。

ネットのもう一つの大きな特徴は、貨幣が重視されていないということだ。たとえばネットの「ウェブ進
化論」でのこちら側とあちら側の区別があったが、こちら側は資本主義システムが作動する領域で
あるが、あちら側は著作権を無視した違法コピーの大量流出されなど、貨幣が流通していない。の
ま猫、VIPまとめサイト問題などのようにむしろ貨幣交換関係は嫌われていて、贈与互酬関係によっ
て秩序が保たれている。


21 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/07(木) 02:28:55
これは動物化がさらに進んで傾向としていえる。
すなわち

外部(環境)/グレイゾーン(技術)/内部(正義=リベラリズム(自由と平等)×公平)

グレイゾーンの拡大と、疎外されている公平感の取り戻り(バックラッシュ)の解離的な二重構造である。
東はこれを、ポストモダンの解離的二重構造と呼んだ。

以上に、大きく問題は四つあるだろう。

@グレイゾーンの拡大の問題。環境管理権力。アーキテクチャ
>>
具体的に踏み込もう。レッシグによると、社会統制には4つのやり方がある。1.威嚇的命令、2.市
場、3.規範、4.アーキテクチャー。厳罰化すれば統制できる(=1)。市場価格の上げ下げでも統制
できる(=2)。学校教育でも統制できる(=3)。

問題は4だ。これはシステムの設計のことだが、設計次第で人々の行動を変えられる。このタイプの
支配は統治権力よりむしろ商業領域で膨大なノウハウの蓄積が進んでいる。例えばコーヒーショッ
プの椅子の堅さ。椅子の堅さ次第で客の回転率を操縦できる。

威嚇的命令による支配には、被支配者の不自由感が伴うが、2市場<3規範<4アーキテクチャー
の順で不自由感は減る。そのため、被支配者が自己決定しているつもりで、支配者から見ると意図
通りの支配が実現する。分かりやすく言えば、自ら喜んで支配に服する。これに抗するのは大変だ。
自分は自由だと思っているので、対抗する動機づけが存在しないからだ。(宮台)
<<

A公平(充実感)の取り戻し
自由(グレイゾーン)が拡大されすぎた不安、そして消費社会に見られるように、自由の揺り戻し。
むしろ不自由を求めることがおこっていること。
あるいは、自由と不自由のらせん状態の中で終わりない消費への過剰、ネットでの繋がりへの過剰が
起こっている。これはネットにも見られる。他者回避と他者を求めることのらせん状態。

22 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/07(木) 02:30:32
Bネット上の秩序
これは、ネット上では、グレイゾーンと対立している。著作権など貨幣システムからの逸脱と、
新たなネット上の公平感を満たす正義のあり方の問題である。
従来の資本主義的秩序を守らないネット上はまるで未開社会のような野蛮な状態になっている。

Cグローバリズムによる、周辺との対立
アメリカイズムと原理主義など周辺の対立。これは先にあげたように二つの要員。
資本主義からの搾取(環境問題、貧困)と、文明の対立がある。


これら4つの問題を再度、グレイゾーンの拡大と、疎外されている公平感の取り戻り(バックラッシュ)の解離の
問題と考えると、ネグリの帝国とマルチチュードの関係との繋がる。

帝国=グレイゾーンの拡大→先進国・・・環境管理権力、周辺・・・環境問題、貧困
マルチチュード=公平感のバックラッシュ→先進国・・・ネット上の野蛮、周辺・・・原理主義、テロリズム

23 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/07(木) 02:39:51
宮台がいうリバタリアニズム・リベラリズム・コミュニタリアニズムの円環は、このようなジレンマを
あらわしているといえるだろう。

>>
リバタリアニズムでは足りないとリベラリズムが主張され、リベラリズムでは足りないとコミュニタリア
ニズムが主張される。でもコミュニタリアニズムで足りないとリベラルな追加措置が提案され、一部リ
バタリアニズムが再評価される。こうした三者の円環が、政治思想の煮詰まった今日的状況だ。

リバタリアニズム・リベラリズム・コミュニタリアニズムの円環 宮台真司 
ttp://www.miyadai.com/index.php?itemid=28
<<

>>
あるべき社会のビジョンですが、個人はバラバラたり得るのになぜ社会が秩序立っているかが社会
学最古の問い(ホッブズ問題)です。社会学の回答は三つで、「共同体化」と「主体化」と「管理化」です。

「共同体化」とは、人々が共同体的存在であることで衆人環視や村八分を気にしてフォーマットの内
側に収まるもの。
「主体化」とは、誰かに見られていなくても自発的にフォーマットを出力するように整形する規律訓練。
これがコストがかかるので、情報管理テクノロジーを背景に出てきたのが「管理化」。誰かが見てる
のでもなく、罪の意識を内蔵するのでもなく、快不快に反応する動物性があればフォーマットを調達できる。

快不快を制御する「管理化」とは言っても文字通りの電気ショックはあり得ない。とりわけ不快につい
ては「これをしたら身の破滅だな」という社会的な否定性の意識を使います。その意味で「身の破滅
はイヤだ」と感じる程度の「主体化」が前提です。生きていければ刑務所にぶち込まれようがOKとい
う連中を相手に「管理化」を機能させるのは難しい。「管理化」もなにがしかの「主体化」を前提とし、
その意味で社会化──成育環境のデザイン──を前提するしかない。ことほどさように、政策科学
的には、現状を踏まえ、かつ未来を見据えて、「共同体化」「主体化」「管理化」の最適バランスをどう
設計するかという問題なんですね。
<<

24 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/07(木) 02:48:05
すなわち、

外部(環境)/グレイゾーン(技術)/内部(正義=リベラリズム(自由と平等)×公平)

グレイゾーン重視・・・リバタリアニズム、「管理化」、資本
正義・・・リベラリズム、「主体化」、国家
公平・・・コミュニタリアニズム、「共同体化」、ネーション

グレイゾーンの拡大と、公平感との解離する現代において、三項の
バランスが必要であるということだ。
これらは、柄谷の資本×国家×ネーションにも対応する。
柄谷はこれらの相補的な関係を「ボロメオの輪」と呼んだ。
そしてボクはこれらのバランスを、「ボロメオリベラリズム」と呼ぶ。

このような三位の解離した正義に、ご都合主義に成りかねない。たとえばアメリカのイラク戦争にお
いて正義はどのように理解されるのか。アメリカの論理では、資本主義的リベラル(平等)の正義の
布教であり、(リベラル的な)世界の不自由、不平等が911のようなテロリズムを生み、世界の平和
を脅かす悪の枢軸であるから、世界の警察的な行為であるということだ。

すなわちイラクというイスラム圏としての正義があるという共同体の価値を重視するのでなく、環境
問題のように、世界が保守すべき問題であるということだ。これがネオリベラル、ネオコンサバティブ
が自由と保守を都合良く使い分けていると言われる所以だろう。

しかし逆には、もはや多様化した問題には、多面的に考えなければならないということだろう。これ
は「煮詰まった状況」でなく、より積極的に複雑なバランスを保つための正義のあり方を模索必要がある。


25 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/07(木) 03:16:44
外部(環境)/グレイゾーン(技術)/内部(正義=リベラリズム(自由と平等)×公平)

それでも外部は回帰する。決して止揚しない。そして、マルチチュード=ネット上の野蛮、テロリズムは、
予期できなく到来する外部でもあるのだ。グレイゾーンの拡大は、公平感を外部へ排除している、
外部を生んでいるのだ。

再度、正義の設計が求められている。それはもはやアメリカイズム、リベラルを越えたもので
なければならないだろう。それはもしかすると「世界共和国」のようなものかも知れない。
理念の設計以上に、ネットであり、世界共和国であり、正義をいかに行使するのか、それが問題になる。

ならば各自が環境管理権力をもち武装する「帝国」がある。管理自衛世界である。

あるいは、ローティのように、残酷さを共有する連帯を呼び戻すような共同体化か。


26 :考える名無しさん:2006/09/07(木) 03:43:19
その3ということはその1その2があったんですか?
全く気がつかなかった。

27 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/07(木) 08:08:23
宗教、貨幣、規範、数学

28 :考える名無しさん:2006/09/07(木) 08:16:59
国語、理科、社会、体育

29 :考える名無しさん:2006/09/07(木) 08:36:00
図工、音楽、道徳、保健

30 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/07(木) 11:09:56
■「歴史の終わり」と回帰する熱狂

@満足とはないか。

人々の満足とはなにか。満足が、「豊か、自由、平等」でないことは確かである。豊かさの中にいる
ボクたちの様々な好意がそれを示している。これらが満足の一部であることも確かである。これは、
ホッブスから功利主義、そして現代までつづく、「自然状態」の議論である。

ボクはこれを、環境×公平×正義の相補的な関係とした。((人間にとって平等であることは「自然」な
ことではない。 http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20060825))環境とは、共同体の外からの影響である。
公平とは、人の満足感である。ただこれはホッブスのような個体として考えない。人は、すでに共同
体へ帰属し、繋がりの中で公平感として満足を求める。贈与互酬の円環内のゼロを満たすような公
平感である。正義とは、共同体秩序を保つような強制的な力である。法、国家である。

社会は成員の公平感を満たすよう目指されるのであるが、公平は環境、正義との相補的な関係に
よって、影響を受けて変化する。すなわちこの三項のバランスが求められるであるが、環境という外
部は、自然であり、人間を越えて、不確実なものである。

31 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/07(木) 11:10:33
Aグレイゾーンの拡大

そのための、内部(環境)と内部(正義×公平)の間には、緩衝域としてコントロール可能な環境=グ
レイゾーンが存在する。そしてグレイゾーンは、不確実な自然を、予測可能性を高め、リスク管理す
るために技術によって管理された領域である。

外部(環境)/グレイゾーン(技術)/内部(正義×公平)

未開社会のグレイゾーン(技術)とは、テリトリー、狩り道具、火、集落などであり、封建社会では、農
耕技術、灌漑技術、兵器であり、近代社会では、数量化、科学技術である。近代社会は、科学技術
の爆発的発展は、グレイゾーンを驚異的に拡大し、リスクを下げ、人の生存率、寿命を高め、人口は
爆発的に増加したのだ。

B内部拘束と外部拘束

外部からの拘束が強いときには、内部拘束は外部から内部(社会)を守る障壁となるが、逆に外部
拘束が弱いときに、内部拘束が強いときには、それは抑圧的に感じる。

たとえばグレイゾーンがほどに「厚くない」封建社会では、階級制という内部秩序は、外部拘束から
の圧力(自然環境、他共同体からの闘争)が強く、社会を守る内部拘束として働いてただろう。

現代、階級制が人々の自由を抑圧するものとして考えられるのは、豊かな社会となって外部拘束の
働くが弱いために、内部拘束は弱いものが望まれるためである。

たとえばこれは現代のリベラルズムにおける自由と保護の関係にも言えるだろう。たとえば景気が
良いとき、外部拘束が弱いとき、内部拘束は弱く、より自由な社会が求められ、景気が悪いとき、外
部拘束が強いときには、内部拘束が強く、保護的な政策が求められる。

32 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/07(木) 11:11:19
Cグレイゾーンの拡大と自由

グレイゾーンの拡大によって、資本主義社会では正義と×公平という内部重視によって、満足感を
目指すことができる。

「自由」という言葉が積極的に語られるのは、近代以降である。近代以降に、グレイゾーンの強度が
まし、経済的に豊かになる中で、いままでの内部拘束、封建的な階級制度は抑圧的になり、啓蒙主
義的な個体の自立による自由と平等が求められた。このときにリベラリズム(自由)というという積極
的なイデオロギーが生まれた。


D「歴史の終わり」

西洋中心主義史観は、自然の開拓による管理される自然=グレイゾーンの拡大として語ることはで
きる。未開社会→農耕社会/封建社会→近代資本主義社会→後期消費社会。これはマルクスの
唯物史観にも繋がる。マルクスの史観は、経済=豊かさにおいてしか、歴史は存在しない、という意
味で考えなければならない。

これは決して、マルクスのいう「類的本質としての共同社会」への道には繋がらない。これ歴史の帰
結は、アメリカの消費社会を目指すというである。豊かで、自由で、平等な社会であり、ヘーゲルの、
そしてコジェーブの、そしてフクヤマの「歴史の終わり」である。

コジェーブがいう歴史の終わりとは「動物化」である。管理される自然=グレイゾーンの拡大が、人
間という自然さえ機械論的に開拓し尽くす。空腹、ストレスなどを管理され、家畜のように動物化す
るということだ。

33 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/07(木) 11:12:56
Eグレイゾーンの拡大と資本主義システムの相性

ただ、ここで重要なことは、自由と平等というリベラリズムが、先にあげたデカルトの心身二元論、機
械論や、グレイゾーンの拡大としての良質な労働力を生み出すなど、先の資本主義システムと相性
が良いことを考える必要がある。たとえばウェーバーはこれをプロテタンティズムの倫理と関係され
るがが、宗教革命は近代の啓蒙主義の流れの中にある。ルネサンス以降に、還元主義としての、数
量化であり、個人主義の流れを流れを見いだすことができるだろう。

34 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/07(木) 11:13:36
Fバーリンの「積極的自由」と「消極的自由」

たとえばバーリンは自由を「積極的自由」と「消極的自由」を区別した。「積極的自由」とは自由な社
会に向けて、積極的に正義(社会秩序)=内部秩序を構築することである。

しかしある程度、豊かなみたされたたとえば後期資本主義社会で重要になるのは「消極的自由」で
ある。「消極的自由」とは正義の強度を弱めることである。もはや「積極的自由」という内部拘束でさ
え、抑圧的に感じるために、内部秩序の強度を弱めることを意味する。これを可能にするのが、グレ
イゾーンの拡大による、外部からの不確実性の排除、社会の予測可能性の向上、リスクの低減である。

しかし内部拘束を希薄にすると、それぞれの主観的な「公平感」を剥き出しになり、対立が生まれ
る。そこで行われるのが、ボクたちは他者へ関心に対してあえて無関心であるという「儀礼的無関
心」である。これはさまに「消極的な自由」の社会の状態である。

流動性の低い社会では、地域コミュニティで生活するために、関心しあう関係(知り合いの関係)は
繋がりであり、利便的である。しかし流動性が高まると、大量のあたらな関心の中におかわる。そこ
では関心は抑圧的に感じ、無関心であることが、安心し、利便的である。社会的な関心とは拘束で
もある。たとえば知り合いよりも知らない人の方が気を遣わずに、気楽である。ボクたちは、これほど
に外部抑圧から解放され、内部抑圧が希薄化することを望んでいるのだ。

現代では「消極的な自由」は、「積極的自由」というイデオロギーの対立以上に、他者の関心からの
自由という生理的なレベルにまで達している。これはまさに公的なもの=政治への無関心、私的趣
味への高い関心に繋がるだろう。

35 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/07(木) 11:15:31
G「消極的な自由」と貨幣システムの奇妙な相性のよさ

現代では「消極的な自由」は、「積極的自由」というイデオロギーの対立以上に、他者の関心からの
自由という生理的なレベルにまで達している。これはまさに公的なもの=政治への無関心、私的趣
味への高い関心に繋がるだろう。

このような「消極的な自由」と貨幣システムは奇妙に相性がよい。人は貨幣によって、儀礼的無関
心、他者回避のように他者と深く関わらずに社会生活をおこることができる。「お金ですべてが買え
る」というメタファーは、貨幣によって商人と通すことで、様々なことは可能になる。「面倒なことを貨
幣によって購入することで、他者を回避でき、私的な「好きなこと」を時間を傾けることができる。

逆にいえば、商人は面倒なことを引き受けることで、いままで等価交換に乗らなかったようなこと、他
者との協力関係でまかなわれていたような些細なこと、全てのことが商品となる。情報化社会では、
人の認知力に限界がある。余計なことに患わされず、「好きなこと」のために、貨幣が必要であるわけだ。

たとえばこれを積極的に商売にして成功しているのが、マクドナルド化である。誰に対しても、世界
中どこでもおなじ必要以上に干渉しない(他者回避)サービスである。

36 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/07(木) 11:16:23
H主体(公平)と客体(グレイゾーン)の転倒

たとえば「好きなこと」をするために面倒なことは貨幣で買う。しかし「好きなこと」とはなにか。たとえ
ば風俗嬢のジレンマ。好きでもない男の性器をしゃぶるなど苦痛であるがお金のためには仕方が
い。お金があれば好きなことができる。しかし風俗嬢はホストにお金を貢いでしまう。彼女の好きなこ
とがホストに貢ぐことではないが、お金を稼ぐこと、使うことが目的化するのだ。

例えば現代の「夢を持とう」という考えはこの先にある。「さあ、他者回避し時間の余裕ができた。「好
きなことをしよう。」ということであり、現代はここに強迫性が生まれ、そしてお金を稼ぐこと、使うこと
が目的化する転倒が起こる。そして貨幣によって社会的な関係性を再構築するのである。

たとえばボードリヤールはこれをソシュール的言語構造、差異の体系と対比させている。いままでの
地域コミュニティなどのつながりから、流動性の高い社会では市場=貨幣システムに主体性を委ね
ることが求められる。主体と客体が逆転した「もの」によって規定される人を描いている。

特にここで重要なものがマスメディアである。「これを買えばあなたのアイデンティティは満たされ
る。」これが広告の究極的な意味である。なにを買い、なにをもっているかによってアイデンティティ
は支えられる。それが消費社会である。そしてものをもつことによるアイデンティティとは、他者の承
認によってしか現れない。貨幣によって「公的な他者」を排除し、自らを承認してくれる「私的な他者」
を手に入れることができる。

このようなリベラリズムの「消極的な自由」と貨幣システム=資本主義社会が奇妙に相性がよいの
は、正義は消極的な自由として、強度が低減され、外部と公平の疎外としてをコントロールしなが
ら、グレイゾーン(技術)が重視される傾向である。このような状態はまさに、公平という充実感=主
体と、グレイゾーン=客体の転倒である。

37 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/07(木) 11:17:53
I公平へのバックラッシュ

「私的な他者」とは、私の心を満たしてくれる他者、心の他者である。このような傾向は商品の物神
性に求められるとともに、貨幣交換を越えている。お金では買えない物をお金で買うというジレンマ
がある。たとえばアイドルは、商売であるが、ファンはそれが商売であるとわかっていながら、求めて
いるのはお金でかえない「心の他者」である。たとえばロックスターが商業主義を嫌い、ファンとの心
の繋がりを重視する。売ってはいけないものがある、などの思想は、貨幣交換関係嫌悪、他者との
関わり重視=贈与互酬関係の重視である。

これは心身二元論的な心の領域である。現代の資本主義社会では基本は貨幣交換であると言わ
れるが、必ずしもそうではなく、貨幣交換でされない。貨幣交換で量化されて部分が重視される。た
とえば私的な領域とはそのような領域である。消費社会において、貨幣交換されないものを求めて、
貨幣交換するというジレンマがあったのだ。

これは、資本主義そのものに内在するものであることを、ウェーバーは「プロテタンティズムの倫理と
資本主義」でしめしたのだ。・・・公平とは他者との関係である。自然の擬人化、神という擬人化、「ま
なざしの快楽」である。

38 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/07(木) 11:19:16
Jネット上のバックラッシュ

さらに新たに動きが、ネット社会である。「公的な他者」を排除し「私的な他者」を手に入れる方法とし
て貨幣に変わって、ネットが補完する傾向がある。ネットでは匿名であり、場からの参入離脱が容易
である。社会では空間的(物理的)な制約から、出会いは身近な人に制約されるが、ネットでは自ら
能動的に、自分と関心があう人間と関わることもできる。

他者との関わりをコントロールすることができる。この話題に首をつっこみ、飽きれば離れる。「関
心」のコンロトールの容易性がネットのコミュニケーションを支えている。ネットがリバタリアンにむか
のも、このような「消極的な自由」の容易さからである。

ネットのもう一つの大きな特徴は、貨幣が重視されていないということだ。たとえばネットの「ウェブ進
化論」でのこちら側とあちら側の区別があったが、こちら側は資本主義システムが作動する領域で
あるが、あちら側は著作権を無視した違法コピーの大量流出されなど、貨幣が流通していない。の
ま猫、VIPまとめサイト問題などのようにむしろ貨幣交換関係は嫌われていて、贈与互酬関係によっ
て秩序が保たれている。

39 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/07(木) 11:20:26
K熱い熱狂/冷たいグレイゾーンの二重構造

これは動物化がさらに進んで傾向としていえる。すなわち

外部(環境)/グレイゾーン(技術)/内部(正義=リベラリズム(自由と平等)×公平)

グレイゾーンの拡大と、疎外されている公平感の取り戻り(バックラッシュ)。ボクはこれを熱い熱狂
/冷たいグレイゾーンの二重構造と考える。これは東はこれを、ポストモダンの解離的二重構造と呼んだ。

熱狂の日常化、多様化において、「リアリティ」の多様化、コミュニティの分散が起こっているとととも
の「リアリティ」そのものの希薄化が進む。貨幣へのフェティシズムも、一つの熱狂への変容である。
そしてこのような熱狂が活性化する場として、サブカルチャーがあり、たとえば女子高生、オタクなど
があり、それらはネットへ集約知れつつある。ネットは熱狂は場であり、様々な「リアリティ」が生まれ
る場としてある。

熱い熱狂/冷たいグレイゾーンの二重構造は、近代の数量化そのものがもつ構造である。デカルト
の心身二元論、機械論に見られる。東はこれをポストモダンの解離構造と呼んだ。しかしこれはそ
れほど特異だろうか。再度、進化論的視点に戻ろう。外部自然は圧倒的な不確実性としてある。そし
て、グレイゾーン(アーキテクチャ)の向こうからやってくる。すなわち、東の「ポストモダンの解離構
造」にも外部がないのである。

40 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/07(木) 11:21:15
M4つの問題

まとめると4つの問題が考えられる。

1)グレイゾーンの拡大の問題。環境管理権力。アーキテクチャ
レッシングは人間を規制・制御するものとして、「法、規範、市場、アーキテクチャ」の4つを上げてい
る。このうち、法、規範そして市場ははリアリティを反映し、再構築されるが、アーキテクシャはリアリ
ティの外部として作動する。人が認識できないような外部自然そのものを管理することを目指す。管
理される自然=グレイゾーンの拡大である。

>>
具体的に踏み込もう。レッシグによると、社会統制には4つのやり方がある。1.威嚇的命令、2.市
場、3.規範、4.アーキテクチャー。厳罰化すれば統制できる(=1)。市場価格の上げ下げでも統制
できる(=2)。学校教育でも統制できる(=3)。

問題は4だ。これはシステムの設計のことだが、設計次第で人々の行動を変えられる。このタイプの
支配は統治権力よりむしろ商業領域で膨大なノウハウの蓄積が進んでいる。例えばコーヒーショッ
プの椅子の堅さ。椅子の堅さ次第で客の回転率を操縦できる。

威嚇的命令による支配には、被支配者の不自由感が伴うが、2市場<3規範<4アーキテクチャー
の順で不自由感は減る。そのため、被支配者が自己決定しているつもりで、支配者から見ると意図
通りの支配が実現する。分かりやすく言えば、自ら喜んで支配に服する。これに抗するのは大変だ。
自分は自由だと思っているので、対抗する動機づけが存在しないからだ。(宮台)
<<

41 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/07(木) 11:21:59
2)公平(充実感)の取り戻し
自由(グレイゾーン)が拡大されすぎた不安、そして消費社会に見られるように、自由の揺り戻し。む
しろ不自由を求めることがおこっていること。あるいは、自由と不自由のらせん状態の中で終わりな
い消費への過剰、ネットでの繋がりへの過剰が起こっている。これはネットにも見られる。他者回避
と他者を求めることのらせん状態。

3)ネット上の秩序
これは、ネット上では、グレイゾーンと対立している。著作権など貨幣システムからの逸脱と、新たな
ネット上の公平感を満たす正義のあり方の問題である。従来の資本主義的秩序を守らないネット上
はまるで未開社会のような野蛮な状態になっている。

4)グローバリズムによる、周辺との対立
アメリカイズムと原理主義など周辺の対立。これは先にあげたように二つの要員。資本主義からの
搾取(環境問題、貧困)と、文明の対立がある。

42 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/07(木) 11:22:51
N熱狂は必ず回帰し、歴史は終わらない

これら4つの問題を再度、グレイゾーンの拡大と、疎外されている公平感の取り戻り(バックラッシュ)
の解離の問題と考えると、ネグリの帝国とマルチチュードの関係との繋がる。

帝国=グレイゾーンの拡大→先進国・・・環境管理権力、周辺・・・環境問題、貧困
マルチチュード=公平感のバックラッシュ→先進国・・・ネット上の野蛮、周辺・・・原理主義、テロリズム

これらの問題は、「歴史の終わり」に残された残余ではない。グレイゾーンの拡大は、公平感を外部
へ排除している、外部を生んでいるのだ。そして、マルチチュード=ネット上の野蛮、テロリズムは、
予期できなく到来する外部でもあるのだ。それでも「外部は熱狂と共に必ず回帰し、決して止揚しない」。


43 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/07(木) 11:24:11
Oボロメオイズム

グレイゾーンの拡大と、公平感との解離する現代において、三項のバランスが必要であるということだ。

再度、正義の設計が求められている。それはもはやアメリカイズム、リベラルを越えたものでなけれ
ばならないだろう。それはもしかすると「世界共和国」のようなものかも知れない。理念の設計以上
に、ネットであり、世界共和国であり、正義をいかに行使するのか、それが問題になる。ならば各自
が環境管理権力をもち武装する「帝国」がある。管理自衛世界である。あるいは、ローティのように、
残酷さを共有する連帯を呼び戻すような共同体化か。

>>
外部(環境)/グレイゾーン(技術)/内部(正義=リベラリズム(自由と平等)×公平)

グレイゾーン重視・・・リバタリアニズム、「管理化」、資本
正義・・・リベラリズム、「主体化」、国家
公平・・・コミュニタリアニズム、「共同体化」、ネーション
<<

これらは、柄谷の資本×国家×ネーションにも対応する。柄谷はこれらの相補的な関係を「ボロメオ
の輪」と呼んだ。そしてボクはこれらのバランスを、「ボロメオイズム」と呼ぶ。

44 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/07(木) 11:25:22
P宮台の「リバタリアニズム・リベラリズム・コミュニタリアニズムの円環」

これはまた、リベラリズムを中心としているが、宮台のいうリバタリアニズム・リベラリズム・コミュニタ
リアニズムの円環にも繋がるだろう。

>>
リバタリアニズムでは足りないとリベラリズムが主張され、リベラリズムでは足りないとコミュニタリア
ニズムが主張される。でもコミュニタリアニズムで足りないとリベラルな追加措置が提案され、一部リ
バタリアニズムが再評価される。こうした三者の円環が、政治思想の煮詰まった今日的状況だ。

リバタリアニズム・リベラリズム・コミュニタリアニズムの円環 宮台真司
ttp://www.miyadai.com/index.php?itemid=28
<<

>>
あるべき社会のビジョンですが、個人はバラバラたり得るのになぜ社会が秩序立っているかが社会
学最古の問い(ホッブズ問題)です。社会学の回答は三つで、「共同体化」と「主体化」と「管理化」です。

「共同体化」とは、人々が共同体的存在であることで衆人環視や村八分を気にしてフォーマットの内
側に収まるもの。「主体化」とは、誰かに見られていなくても自発的にフォーマットを出力するように
整形する規律訓練。これがコストがかかるので、情報管理テクノロジーを背景に出てきたのが「管理
化」。誰かが見てるのでもなく、罪の意識を内蔵するのでもなく、快不快に反応する動物性があれば
フォーマットを調達できる。

「管理化」もなにがしかの「主体化」を前提とし、その意味で社会化──成育環境のデザイン──を
前提するしかない。ことほどさように、政策科学的には、現状を踏まえ、かつ未来を見据えて、「共同
体化」「主体化」「管理化」の最適バランスをどう設計するかという問題なんですね。(宮台)
<<

45 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/07(木) 11:26:01
Qボロメオイズムの都合の良さ

このような三位の解離した正義に、ご都合主義に成りかねない。たとえばアメリカのイラク戦争にお
いて正義はどのように理解されるのか。アメリカの論理では、資本主義的リベラル(平等)の正義の
布教であり、(リベラル的な)世界の不自由、不平等が911のようなテロリズムを生み、世界の平和
を脅かす悪の枢軸であるから、世界の警察的な行為であるということだ。

すなわちイラクというイスラム圏としての正義があるという共同体の価値を重視するのでなく、環境
問題のように、世界が保守すべき問題であるということだ。これがネオリベラル、ネオコンサバティブ
が自由と保守を都合良く使い分けていると言われる所以だろう。

しかし逆には、もはや多様化した問題には、多面的に考えなければならないということだろう。これ
は「煮詰まった状況」でなく、より積極的に複雑なバランスを保つための正義のあり方を模索必要がある。

46 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/07(木) 12:52:40
歴史の終わりとは今後、資本主義社会が崩壊し、封建社会にもどることがないということではない。
仮に封建社会にもどっても資本主義をめざすということだ。
これはマルクス的な意味においてである。すなわち事前との関係に根源性があり、自然を管理するために
グレイゾーンの拡大をめざすことは生物学的本質=類的本質であるということだ。

ならば、グレイゾーンの拡大とリベラル(自由と平等)に以下ほどの必然性があり
その先にマルクスが再帰する可能性はないのだろうか。

47 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/07(木) 13:13:26
共産主義社会=国家社会主義の崩壊はボロメオの輪の中で、国家という正義の強化により公平感が抑圧され、資本が閉塞したことにある。
資本主義は資本の重視がネーションが抑圧されている。消費社会、ネット社会がバックアップしている。
だからコミュタリズムの台頭である。

資本主義の帝国化でいえば必ず回帰するマルチチュードこそが、資本主義を延命させている。

48 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/07(木) 13:20:39
中国の解放政策をみともリベラルと豊かさはソウホ関係にあるだろう。
ならばリベラルに従わないなら、物質的豊かさを程々に充足可能かかんがえなければならない。
問題はこれには正義を強化するしかないことだ。なぜなら燐国から豊かさがでんぱんするからだ。
隣が豊かであることに耐えられない。現に共産主義の崩壊はそのためであった。

49 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/07(木) 13:37:45
このように考えると資本主義リベラルのグローバル化止められない。


50 :考える名無しさん:2006/09/07(木) 13:50:53
グレーゾーンが広がると人々が多様化するのではなく、
画一化され保守的になっていくのである。

51 :考える名無しさん:2006/09/07(木) 14:00:15
それが自由からの逃亡なのである。
いわずもがな自由は言語による明確なる規定ができない。
これは恰もグレーゾ―ンの拡大により、自由が拡大しているという
錯覚を呼び起こす。逆説的にグレーゾーンの縮小をする自由は喪われてゆく。
よって人々の脱枠的自由を求める欲求は抑圧の解除により縮小してゆき、
人間相互の表面的関係を極度に荒廃させず対立化させないような方向に向かう。
これはグレーゾーン内の自由をすべからず享受するための必要条件となってゆく。



52 :考える名無しさん:2006/09/07(木) 14:08:00
この人間相互の関係は表面的には平安を維持せしめるが、内心の安寧と必ずしも
繋がるとはならない。それは、規範が確固としていた過去よりもグレーとなり
集団的結束とアイデンティティの喪失が根本的問題となるからである。
逆説的にグレーゾーンの拡大による自由の享受に対して、
人間の濃厚な相互関係が喪われることになる。過去においては、
確固とした規範により、小さなゾーンに抑圧されていた状態が
人間の相互関係上の内面的自由と安寧を享受していたのである。


53 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/07(木) 14:24:58
R資本主義リベラルのグローバル化は止まらない

「歴史の終わり」とは今後、資本主義社会が崩壊し、封建社会にもどることがないということではな
い。仮に封建社会にもどっても資本主義をめざすということだ。すなわち自然との関係に根源性を見
いだし、自然を管理するためにグレイゾーンの拡大をめざすという生物学的本質である。これは、マ
ルクスの類的本質そのものである。

ならば、グレイゾーンの拡大とリベラル(自由と平等)の先に、マルクスがいうように、社会主義が回
帰する可能性はあるのだろうか。また中国の解放政策をみともリベラルと豊かさに強い関係性が見
いだせる。

リベラルに従わないなら、物質的豊かさを程々に充足可能かかんがえなければならない。問題はこ
れには正義を強化するしかないことだ。なぜなら燐国から豊かさがでんぱんするからだ。隣が豊か
であることに耐えられない。まさにこれが共産主義社会(国家社会主義)の崩壊の大きな要因の一
つである。国家という正義の強化により、資本が閉塞し、豊かさに差がついたのである。だからこの
ように考えると資本主義リベラルのグローバル化止められない。


54 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/07(木) 14:25:37
S三項(グレイゾーン×正義×公平)の解離とボロメオイズム

再度いえば、問題は帝国化(正義の縮小とグレイゾーンの拡大)と環境と公平の疎外とバックラッ
シュ(環境問題とマルチチュード)である。

ボロメオイズム(リバタリアニズム・リベラリズム・コミュニタリアニズムのボロメオの輪のバランス)で
ある。実際、リバタリアニズム・リベラリズム・コミュニタリアニズムの差異は明確でない。それぞれの
要素が問題である。すなわちボクがいうグレイゾーン×正義×公平、宮台がいう「管理化」×「主体
化」×「共同体化」、柄谷がいう資本×国家×ネーションというボロメオの輪である。

これら3項の解離状況が現代なのであり、3項のバランスが重要となるのだ。

55 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/07(木) 14:38:05
■「歴史の終わり」と回帰する熱狂 >>30-54

@満足とはないか。
Aグレイゾーンの拡大
B環境(外部拘束)と正義(内部拘束)
Cグレイゾーンの拡大と自由(リベラル)
D「歴史の終わり」
Eグレイゾーンの拡大と資本主義システムの相性
Fバーリンの「積極的自由」と「消極的自由」
G「消極的な自由」と貨幣システムの奇妙な相性のよさ
H公平(主体)とグレイゾーン(客体)の転倒
I公平へのバックラッシュ
Jネット上のバックラッシュ
K熱い熱狂/冷たいグレイゾーンの二重構造
M4つの問題
N熱狂は必ず回帰し歴史は終わらない
Oボロメオイズム
P宮台の「リバタリアニズム・リベラリズム・コミュニタリアニズムの円環」
Qボロメオイズムの都合の良さ
R資本主義リベラルのグローバル化は止まらない
S三項(グレイゾーン×正義×公平)の解離とボロメオイズム

56 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/07(木) 14:46:04
■「歴史の終わり」と回帰する熱狂

第一部  神話への熱狂 >>2-5 

@ヘーゲルの弁証法とダーウィンの進化論の差異
A熱狂と「リアリティ」
B否定しきれない時代の「核」
C熱狂は必ず回帰する。


第二部  「歴史の終わり」と回帰する熱狂 >>30-54

@満足とはないか。Aグレイゾーンの拡大B環境(外部拘束)と正義(内部拘束)
Cグレイゾーンの拡大と自由(リベラル) D「歴史の終わり」 Eグレイゾーンの拡大と
資本主義システムの相性 Fバーリンの「積極的自由」と「消極的自由」 G「消極的な
自由」と貨幣システムの奇妙な相性のよさ H公平(主体)とグレイゾーン(客体)の転倒
I公平へのバックラッシュ Jネット上のバックラッシュ K熱い熱狂/冷たい
グレイゾーンの二重構造 M4つの問題 N熱狂は必ず回帰し歴史は終わらない
Oボロメオイズム P宮台の「リバタリアニズム・リベラリズム・コミュニタリアニズムの円環」
Qボロメオイズムの都合の良さ R資本主義リベラルのグローバル化は止まらない
S三項(グレイゾーン×正義×公平)の解離とボロメオイズム @〜S


・・・現代思想の臨界点

57 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/07(木) 14:59:05
■「歴史の終わり」と回帰する熱狂


第一部  神話への熱狂  >>2-5 http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20060906

@ヘーゲルの弁証法とダーウィンの進化論の差異 A熱狂と「リアリティ」 B否定しきれない
時代の「核」 C熱狂は必ず回帰する。

第二部 「自然状態」と平等  http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20060825

@なぜ謙遜するのか A「等価交換関係として平等」と「贈与関係の公平」 B小さなコミュニティ
の公平、大きなコミュニティの平等 C「自然状態」とは公平を求める状態である Dロールズの
「善に対する正義の優位性」 E環境×公平(ネーション)×正義(国家) F「歴史は終わらない」

第三部  「歴史の終わり」と回帰する熱狂  >>30-54

@満足とはないか。Aグレイゾーンの拡大B環境(外部拘束)と正義(内部拘束) Cグレイゾーン
の拡大と自由(リベラル) D「歴史の終わり」 Eグレイゾーンの拡大と資本主義システムの相性
Fバーリンの「積極的自由」と「消極的自由」 G「消極的な自由」と貨幣システムの奇妙な相性
のよさ H公平(主体)とグレイゾーン(客体)の転倒 I公平へのバックラッシュ Jネット上の
バックラッシュ K熱い熱狂/冷たいグレイゾーンの二重構造 M4つの問題 N熱狂は必ず
回帰し歴史は終わらない Oボロメオイズム P宮台の「リバタリアニズム・リベラリズム・コミュニ
タリアニズムの円環」 Qボロメオイズムの都合の良さ R資本主義リベラルのグローバル化は
止まらない S三項(グレイゾーン×正義×公平)の解離とボロメオイズム

・・・現代思想の臨界点


58 :考える名無しさん:2006/09/07(木) 15:14:13
平成18年9月7日

本書を哲学板住民の方々に贈る。 
厳しい残暑の続く長月のぴかぁ〜私邸の書斎にて。
                       ぴかぁ〜(C)

59 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/08(金) 02:33:58
グレイゾーン(技術)は人間の症候(サントーム)である。


60 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/08(金) 04:10:48
たとえば人を殺すということの強度。

公平・・・他者は私であり、他者の死は悲しいことだから、悪である。
正義・・・「公平」に添って、犯罪とする。ただし正当防衛は認める。
グレイゾーン・・・悪意なく、仕事上の事故が起こる。テクノロジーに関係する殺人。
          戦争もアウシュビッツも人殺しが「仕事」である。「例外状態」 
外部環境・・・善悪の彼岸

61 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/08(金) 04:20:40
たとえば、中絶、あるいは安楽死の問題はグレイゾーン=「例外状態」である。
公平(善悪)の彼岸にある。

中絶される「対象」は人間ではない。
安楽死賛成は、死んでも人間である。

このような例外状態はテクノロジー(技術)の上に成り立っている。
死の科学的な認識。
科学の発達がグレイゾーンを拡大し、善悪の彼岸を広げている。

62 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/08(金) 04:23:31
しかし科学技術は、明確な客観的判断を行うためのものである。
それが、曖昧(グレイゾーン)を拡大している。
そして問題が回帰する。
技術とは人間の症候(サントーム)なのである。

63 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/08(金) 11:03:47
人の死

外部の死 カミナリにあたる
グレイゾーンの死  人身事故、戦争、アウシュビッツ
正義の死 刑による死、死刑
公平の死 憎しみからの殺人 たとえばある人が死んだときその原因が特定される。天災だと誰もさばかれない。
憎悪による殺人ならば裁かれるだろう。しかし多くの死はこの間にある。
天災であると思ったものが公害、環境破壊の影響であったなど。人は外部を開拓しグレイゾーンを広げたために、
純粋な天災は存在しなくなる。たとえば最近の豪雨は環境破壊からの地球温暖化の影響が大きいのかもしれない。
たとえば戦争による殺人は、国家命令による正義の殺人であるが、
原爆のようた大量破壊兵器、あるいはアウシュビッツのようなガス室では、正義さえ希薄化し、
ただ業務的な処理でしかなくなる。最近の最新のロボット遠隔操作による攻撃は
ただモニターをみてボタンを押すゲームのようなものである。 グレイゾーンの拡大、全面化とはこのようなものである。

64 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/08(金) 11:13:36
たとえばネット上でおこっていることもこのようなことだろう。
ヒボウ中傷のレスを平気でできるのはネットがグレイゾーンだからだ・
悪意があるかないかでなく、匿名で公共に直結できるテクノロジーの場がそうさせている。
だから発言者は悪くないではなく、ネットは私的でも公的でもなく、グレイゾーンな場としてある。


65 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/08(金) 11:44:50
グレイゾーンな場では他者とのつながり、倫理的なものは希薄化し、人は動物化する。
たとえばマクドナルドの居心地のよさはグレイゾーンな場だからだ。消極的な自由の場である。

グレイゾーンは工学な場であり、他者とのつながり、規範、倫理、正義、善悪が希薄化し設計、コードが場を支配する。
人は意志でなく、他者との関係でなく、ただ設計にしたがう動物化する。
価値体系は贈与互酬から貨幣交換への移行する。すなわち資本主義社会はグレイゾーン化社会である。
すでに街がグレイゾーン化している。
グレイゾーンではイデオロギーも溶解するが、工学的な設計が必要である。たとえばネットが共通のコードで書かれているように
グレイゾーンでは正義は溶解し、小さな政府が求められる。消極的な自由としての自由と平等、リベラリズムだろう。
全体主義、国家社会主義などの国家中心の正義設計は拘束的すぎる。グレイゾーンの全面化を阻害する。
秩序は正義でなく、工学によるのだ。
マルクスの唯物論、経済中心はグレイゾーンと対応するのであるが、問題は設計者を強調しすぎたのかもしれない。
政治的に設計されるのは正義であり、グレイゾーンはあくまで工学設計であり、単一な設計者=政治はいない。

66 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/08(金) 12:10:14
ネットはグレイゾーンであり、動物化な場である。倫理、他者でなく、機械的に発言が発せられる。
正義の次元、すなわち象徴界の機能不全がおこる。そこで想像界のバックラッシュがおこる。
たとえばマクドナルドは他者回避した場であるが、だから、汚い服装や、高校生の馴れ合いなど、野蛮な私的領域が上昇する。
街の地べたに座る、電車の中で化粧するなど私的な行為の反乱は
街がグレイゾーン化していることのバックラッシュである。ネットでの暴言もどうようだ。
たとえばオタクのセカイ系も象徴界の機能不全といわれる。私的領域とセカイの破滅に短絡する。
それだけ私的領域が上昇している、強力なバックラッシュである。
さらにボクは外部産出であるといった。グレイゾーンの全面化は社会の予測可能性の上昇であり、閉塞である。
だからバックラッシュは私的領域の上昇とともに外部へのキユがある。
グレイゾーンに回収されない暴力の行使であり、それはまた強い内部帰属感のとりもどしである。
たとえばマックを自分の部屋のように振るまうのは、@マックでは正義が希薄化するA消極的自由、私的領域が上昇する
Bマックの中にさらに私的なコミュニティをつくりたいCマックに自分達と自分達以外の壁をつくるD自分たち以外への攻撃で閉塞感を破りたい
これはまさにグレイゾーンでおこることである。

67 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/08(金) 12:24:37
だからセカイ系のポイントは自由とつながり、閉塞と暴力である。
ラカンは後期で想像界、象徴界、現実界のボロメオの輪のバランスの危うさから
これらをつなぎとめる第四の輪、サントームと構想する。サントームとは人が人であるための症候であり、症候こそが人をつなぎとめると考える。
そしてこのような症候は現実界に根をもつ。現実界にあり、どくかい可能な文字の審級。
人間にとって技術開発とは自然から逸脱するものそのもの、サントーム(症候)てはないだろうか。
テクノロジーは象徴界を補完し人間を人間たらしめる?

68 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/08(金) 12:35:27
人間が人間たるもの、規定するものは
規範、他者とのつながり
法、規範の明文化、集団的規則

自然 先天的制約
アーキテクチャ、自然の改善、技術

他者から自然へ。まさにルネサンスである。近代化である。コギト、心身二元論もこの意味にとれるだろう。

技術は近代からでなく道具をもつとは人間になったということだ。それが稚拙であり、集団秩序は他者との関係に求められた
近代以降、自然開拓され秩序は技術に求められるようになる

69 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/08(金) 12:55:15
グレイゾーンの全面化によって消極な自由の享受として動物化しつつ、バックラッシュとして野蛮化する。
これは生の二面性である。
動物化=むき出しの生
野蛮化=器官なき身体

野蛮化はボクがセカイ系でいった暴力であり、たとえはオタクにこの生の二面性に生きている。

それはネットでもどうようである。

70 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/08(金) 13:31:35
もし人間誕生の原初の場面があると、はじめに言葉あり、またははじめに道具あり、である。
言葉は「野蛮」人を他者との関係に規定し「人間化」し、
道具は人をアーキテクチャとして「動物化」するのだ。
これは人がもつ公的と私的の両犠牲につながる。

グレイゾーンの拡大は外部からの防御とともに外部をまねく

71 :考える名無しさん:2006/09/08(金) 13:42:44
温泉行きたいナァ〜(人´∀`)
大浴場は苦手な杏だからお部屋に露天風呂がついている所がィィ〜♪そして、ゆっくりと過ごしたい。。。
何もかも忘れて全裸で(* ̄m ̄)プッ(笑)
お部屋に露天風呂がついているとさぁ〜人目も気にせず、いつでも入れるでしょ〜♪
すっぽんぽんのままでいても誰にも何も言われないしィィ(*´・д・)(・д・`*)ネー♪

(笑)露出狂を超えているけど(´_ゝ`)クッククク・・

72 :考える名無しさん:2006/09/08(金) 13:45:34
女子高の友達から聞いた話。
水泳の授業前、女子高なので教室で着替えて、
下着類や制服を全部、机の上にたたんでおいていた。
特に下着類は汚れが見えないように、たたんで
見えないように。

不審者が侵入したらしく、荒らされた。それも盗まれたとかではなくて
下着のうんすじ、まんすじの汚れがはっきり見えるように、裏返して
みんなの机に並べてあったんだって。

73 :考える名無しさん:2006/09/08(金) 13:52:58
リアルであった、バイト先のスーパーでの話。
品出しも終わり、仕事が一段落したので休憩しようと思い食堂に入った。
タバコをふかしながらボーっとしていると、外から何か大きな音が聞こえてきた。
何だろうと思い窓際から外を見てみたら、大きな打ち上げ花火が上がっていた。
「あー、今日は花火大会だったんだ。忙し過ぎて忘れてた。」 と、花火を見ながら考えていると、後ろから、
「何やってるんだ?」と声がした。
その声にびっくりし、後ろを振り返ると店長がいた。
「打ち上げ花火が上がってるので、見てました。」ととっさに返事を返すと 店長も静かに窓の外を見た。
「おー、きれいだなー。」 普段仕事の事意外ではほとんど無口な店長が珍しく 花火を見ただけで声を上げている。
これは無口な店長と話をするチャンスだと思い、何か切り出せる話は無いかと考えて いると、
「君は歳いくつだったかな?」と聞かれた。
「18です。」と答えると、 「そうか、若いな。」と、打ち上がる花火を眺めながら呟いた。
次に何かまた質問されるのかな?と考えていると、
いきなり 「君はクビだ」と言われた。
仕事ではミスを1つも犯したこともなく、 他の従業員よりもしっかり働いていた俺は納得がいかず、
「なぜですか!?」と大声で質問した。
すると店長がこちらを向き静かに俺に聞いた。 「君が今、口に咥えているそれは何だ?」


74 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/08(金) 16:37:48
■「動物化」と「野蛮化」するポストモダン

グレイゾーンの死

たとえばある人が死んだとき、その原因が特定される。「外部環境の死」では、仕方がないことであ
り、誰もさばかれない。憎しみからの殺人ならば、殺人を生かした人は「正義」によって裁かれるだろ
う。そして場合によって、死刑である。これは「正義の死」である。

外部(環境)と内部(正義×公平)の間にあるのが、「グレイゾーンの死」である。たとえば天災である
と思ったものが公害であり、環境破壊の影響であった場合。たとえば交通事故などの憎悪のともな
わない事故死。さらに豪雨による死は、環境破壊からの地球温暖化の影響が大きいのかもしれな
い。これらは完全に「外部環境の死」とは言えない。さらに「正義」によって裁くことも難しい。

グレイゾーンは、外部環境と内部社会倫理の間であり、特に近代以降に科学技術の発展によって
大幅に拡大してきた。科学技術の論理は、善悪の倫理とは異なる価値観としてある。

たとえばアガンベンがグレイゾーンとしてあげるのが、アウシュビッツである。国家間の戦争はそれ
ぞれの国家の正義が衝突する、合法的な「正義の殺人」である。しかし科学技術の発達により、原
爆のような大量破壊兵器、あるいはアウシュビッツのようなガス室では、「正義」のための殺人という
よりも、ただ業務的な処理によって大量殺人が行われた。たとえば、最近の兵器は、遠く離れたとこ
ろから、ピンポイントで、遠隔操作される。ただモニターをみてボタンを押すゲームのようなものであ
る。ここでは科学技術によるグレイゾーンが全面化し、「正義」が希薄化する。

75 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/08(金) 16:38:21
グレイゾーンとマクドナルド化

たとえばマクドナルドの居心地のよさは、グレイゾーンな場だからだ。マクドナルドの特徴は、誰に対
しても同じ形式化された食事、サービスを提供する。フォーディズムでは、商品の生産はオートメー
ション化されたが、マクドナルド化では商品(食事)を食べるものまでもオートメーション化されている
といわれる。グレイゾーンでは、労働者だけでなく、消費者までの機械化される。これは「動物化」と
よばれる。

そしてこのような機械化が居心地が良いのが、そこでは他者の存在が希薄化しているからだ。社会
性とは他者との関係であり、繋がりであるとともに、拘束でもある。それが公共性である。しかしマク
ドナルドでは、テクノロジーによって秩序が保たれ、「消極的な自由」の場としてある。これはマクドナ
ルドだけではない。街は他者回避としての儀礼的無関心が一般化し、グレイゾーンが全面化している。

グレイゾーンは工学な場であり、他者とのつながり、規範、倫理、正義、善悪が希薄化し、工学的な
設計、コードによって場の秩序が保たれている。そして人は意志でなく、他者との関係でなく、ただ設
計にしたがうよう「動物化」する。

このような場の経済は、他者との関係が重視される「贈与互酬関係」よりも、他者への負債を生まな
い「等価貨幣交換関係」が重視される。すなわち近代以降の科学技術の発達によるグレイゾーンの
拡大には、資本主義社会への変容が不可欠である。

76 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/08(金) 16:39:11
グレイゾーンの拡大とリベラリズム

グレイゾーンは、画一した規則を求めることから、一見、全体主義、あるいは国家社会主義を指向す
るようであるが、グレイゾーンではイデオロギーであり、「正義」は希薄化する。たとえば先にアウシュ
ビッツの恐ろしさは、全体主義国家の命令に対して忠実に行われたというよりも、大量殺人が単なる
工学的な操作、オートメーション化されたことにある。そこはユダヤ人への憎悪も、さらには正義の
論理も熔解し、木の実をもぎるように人が殺されるという「善悪の彼岸」としてグレイゾーンがあったのだ。

だから全体主義、国家社会主義などの国家中心主義が設計するのは、政治的「正義」である。「正
義」による拘束は、アウシュビッツや、異民族などを排他することでグレイゾーンが全面化することは
あっても、社会全般に拡大することはむずかしくなる。

グレイゾーンは政治的な設計でなく、そこに善悪が入らない工学設計である。その意味で、政治的
「正義」による拘束が弱い民主主義であり、自由と平等、小さな政府、「消極的な自由」を目指すリベ
ラリズムを目指すだろう。

77 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/08(金) 16:39:57
より純粋なグレイゾーンとしてのネット

その意味で、ネットは工学的に設計された、より純粋なグレイゾーンの場である。現実でははばから
れる誹謗中傷が、ネットで平気で行われるのは、そこにどれほどの憎悪があるかないかでなく、他者
は現前せず、匿名で公共に直結できるテクノロジーが「正義」を希薄化させるグレイゾーンだからだ。
様々な発言は、機械的に発せられる。

さらには著作権など資本主義的な秩序を守らないのは秩序への氾濫でなく無頓着である。あるいは
ネットは公的な場か、私的な場か、と議論されるが、グレイゾーンな場なのである。

78 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/08(金) 16:40:44
セカイ系のバックラッシュ

たとえば、オタクのセカイ系は、「象徴界の機能不全」といわれる。象徴界とは正義であり、ここでも
グレイゾーンの全面化によって正義が希薄化している傾向が見られる。さらにセカイ系の特徴は、
自分の振るまいが、世界全体の今後に直結してしまう。すなわち正義が希薄化する中で、「私的(公
平)領域」と「世界の破滅」が短絡することにある。

<外部(環境)×グレイゾーン×内部(正義×公平)>

の図式において、グレイゾーンの全面化とともに、正義が希薄化する中で、抑圧された公平(私的領
域)がバックラッシュ(反動)する。

グレイゾーンの全面化は、工学的な領域の拡大によって、不確実な世界の中で、社会の予測可能
性の上昇する。たとえば決まった時間に電車が来るなどで、安定した安全な社会である。しかしこれ
は私的領域には抑圧的に働く。心は予定通りには働かないからだ。その不確実性こそが、私的領
域の意味である。

だからグレイゾーンの全面化は、不確実性をもとめた外部産出へ向けて、バックラッシュ(反動)す
る。社会はグレイゾーン化して安定を目指しているために、これはある種の暴力である。これをフロ
イトのいう「死への欲動」を見ても良いだろう。

79 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/08(金) 16:41:25
バックラッシュする人々

たとえば再度、マクドナルド化に戻ると、まずグレイゾーン化そてい、@マクドナルド化したグレイ
ゾーンでは、他者回避され、人々は動物化することで安らぐ。Aそれとともにグレイゾーンの安定性
は新たな閉塞を生む。

次にグレイゾーンへのバックラッシュとして、Bグレイゾーン内で、「あえて」他者に嫌がられるよう
な、正義に抵触するような暴力的な自己顕示を行う。C平坦化したグレイゾーン内に「小さなコミュニ
ティ」を求める。

街の地べたに座る、電車の中で化粧するなど私的な行為の反乱は、街がグレイゾーン化、儀礼的
無関心化していることとともに、グレイゾーンに安住する人々に向けて、「私たち」は違うというバック
ラッシュである。

さらにこのような傾向はネットで顕著である。少し前に「モヒカン族」と呼ばれたが、ハッカーがもつ独
立的な優越性の文化は、人々はグレイゾーンに安住する人々に向けて、「俺たち」は違うというバッ
クラッシュの意味がある。また最近では、誹謗中傷、ナショナリズムなどによる、祭りによって、小さな
「野蛮な群れ(マルチチュード)」が形成される。

80 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/08(金) 16:42:03
「はじめに言葉あり」or「はじめに道具あり」

もし人間誕生の原初の場面があると、「はじめに言葉あり」、または「はじめに道具あり」があるだろ
う。言葉は「野蛮」な人を他者との関係に規定し「人間化」する。道具は人個体の力を増幅することで
他者回避した「動物化」する。

そして近代以降、科学技術の繁栄は、グレイゾーンを全面化し、言葉の次元を弱め、人は「動物化」
し、そして「野蛮化」している。

81 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/08(金) 16:46:42
亀裂にこそ民主主義は対応するは、アメリカのイラクへの論理につながる。

原理主義はいかに作動しているのか。豊かさにむかわないのか

グレイゾーンの障壁は内外をわける。サントーム、症候となる。
貧しく孤独な人々が強い帰属に触れる。
グレイゾーンの拡大は格差をうむ。排除されたものが内部へ回帰する。

民主主義は外部をうむ。
グレイゾーンは正義を弱め、公的と私的の対立を生む。これは内部の論理。

82 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/08(金) 16:59:56
このようなグレイゾーン化をグローバル化、すなわち帝国化とつなげるとき、
さらにグレイゾーン化のもつ排他性がみえてくる。
グレイゾーンは資本主義リベラリズムになじむといったが、
これがネオリベ、ネオコンの推進力になっている。近代の資本主義化からさらに情報化社会によるグローバル化は帝国化をすすめた。
そしてグレイゾーン化は正義なき自由競争であり、格差を生み出し、下流という労働力、後進国の貧民、資源を開拓し、グレイゾーンへ排除する。
テロリスト、二ちゃねらーなどバックラッシュは画一から疎外された人々の回帰ともとれる。

83 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/08(金) 17:19:55
グレイゾーン化の排他性

このようなグレイゾーン化をグローバル化とつなげるとき、バックラッシュの特性が見えてくる。グレイ
ゾーン化は資本主義リベラリズムと相補的であるといったが、近代の世界資本主義化からさらに情
報化社会によるグローバル化は、世界の「帝国」化をすすめた。グレイゾーンのグローバル化がアメ
リカのネオリベ、ネオコンの推進力になっている。

グレイゾーン化は「正義」でなく、工学的法則の秩序による自由競争である。特にグローバル化にお
ける「正義」は国連に求められるだろうが、行使力がない状況である。そして工学的法則の秩序によ
る自由競争は、格差を生み出す。

後進国の資源、人々を、グレイゾーンとして開拓し、彼らの正義、公平は排除される。このようなグレ
イゾーン化の排他性が、国内の下流であり、文化マイノリティ(オタク、不良、コギャク、ハッカー、2
ちゃねらー)を排除する傾向をもつ。そしてこれらのテロリストなど、マルチチュードが公平(アイデン
ティティ)を求めて、回帰(バックラッシュ)するのだ。

84 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/08(金) 18:51:31
ただブルジョア/プロレタリアートの二項対立により経済格差論でなく、
技術がもつ人間疎外論である。資本主義リベラルがもつ疎外論であり、
ヘーゲル経由のコジェーブ、フクヤマの歴史の終焉論である。


85 :考える名無しさん:2006/09/08(金) 18:56:43
初めて触ってみちゃいました。

昨日、あまりにももんもんしてたから、夜そっと触ってみました。
でも、どうやったらいいのかわからないので、とりあえずぐりぐりしてみたの。気持ちよかった。

おもちゃとか持ってないし、いまいちイケないな・・・って思ったから、いろいろ想像したりして。
何を想像したかは内緒。
恥ずかしいから。で、イケたからよしとしよう。

86 :考える名無しさん:2006/09/08(金) 18:58:48
付き合ってる人いないと性欲沸かない。
付き合ってる相手から愛されてるって実感を感じれれば、やる気まんまんになっちゃう。
それか…見た目に惚れた男には…積極的になっちゃうかな(*^.^*)



87 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/08(金) 18:58:58
このような意味でのみ、歴史は存在する。

88 :考える名無しさん:2006/09/08(金) 19:06:15
この前、深夜番組で、「もてない男性は世の中には居ない!!」みたいなコトやってたんだ!!
女の人も、男の人も最初は【顔】で印象って決まるじゃん。
でも、最終的に、恋愛がうまくいくには”体臭が大きく左右するんだって!!
超おもしろくない!?!?!?で、ネットで調べたら、こんな風に書いてあったよ(*^・^*)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
未婚の女性に、男性の着たTシャツの臭いをかいでもらい、好き嫌いの関係を探ったところ、父親由来の臭いの遺伝子(HLA)を多く持つ男性に好意を持つ傾向があることがわかったというのだ。

これを推測していくと、女性は父親の、男性は母親の臭いと似ている異性を好むという仮説も成り立つ。
とかく否定されがちな存在だが、体臭はもしかしたら異性に好き嫌いを判定させる好材料なのかもしれない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

すごく不思議じゃない(>。<)
体臭って【クサイ】イメージとかで懸念される感じだけど、恋愛をする時の、判断材料として少しは関係あるみたいだよね。。。

でも、腕枕して寝ながら首元から「好きな人の”ニオイ”嗅ぐ」って最高かも!!
誰か、”クンクン”させて(*´∀`*)

89 :考える名無しさん:2006/09/08(金) 20:40:14
>>87
なるほど
歴史は性欲によって存在するということか。
深いな…

90 :考える名無しさん:2006/09/08(金) 20:55:04
ぴかぁ氏の恋愛論はさすがに哲学的示唆に富んでいるといえるだろう。
哲学的素養があり、これだけの恋愛論を書ける日本人はこれまでいなかっただろう。

91 :ぴか〜スレ向上委員会:2006/09/08(金) 21:06:32
おいおい、スタイル変えろよ、またサーバーの容量が不足するぞ
アーキテクチャーを重視してた貴方にしては迂闊じゃないのか?

人間の作ったのサーバーの神的暴力に逆襲されたか、これも「純粋略奪」なのか?

92 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/08(金) 22:10:06
■なぜグレイゾーンの全面は「動物化」し「野蛮化」するのか

満足とはなにか。

人々の満足とはなにか。満足が、単に「豊か、自由、平等」でないことは確かである。いま、「豊か、
自由、平等」の中にいるボクたちの様々な行為がそれを示している。ただこれらが満足の重要なも
のであることも確かである。これは、ホッブスから功利主義、そして現代までつづく、「自然状態」の議
論につながる。

ボクは満足を、以下のような3項の相補的な関係として考えた。

>>
外部(環境)/内部(正義×公平)
<<

環境とは、共同体の外からの影響である。正義とは、共同体秩序を保つような強制的な力、法、国
家などである。公平とは、人の満足感であるが、ただこれはホッブスのような個体の満足ではない。
人はすでに共同体へ帰属し、繋がりの中で公平感として満足を求める。いわば、共同体の中の自ら
が承認されるような公平感である。

社会は成員の公平感を満たすよう目指されるのであるが、公平は環境、正義との相補的な関係に
よって、影響を受けて変化する。すなわちこの三項のバランスが求められる。たた環境という外部
は、自然環境であったり、共同体の外に人々の影響であったり、人間の予測を越えて到来する不確
実なものでありつづけ、公平は決して満たされることはない。

93 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/08(金) 22:10:45
グレイゾーンの拡大

そのためにひとは、外部(環境)と内部(正義×公平)の間に、緩衝域としてコントロール可能な環境
=グレイゾーンが開拓する。

>>
外部(環境)/グレイゾーン(技術開発)/内部(正義×公平)
<<

人と動物の違いは道具を使い事、という考え方があるように、道具(技術)による外部(環境)の開拓
は人間起源にさかのぼるものである。人は、道具(技術)によって、不確実な自然を開拓し、予測可
能性を高め、リスク管理してきたのである。

未開社会のグレイゾーン(技術開発)とは、テリトリー、狩り道具、火、集落などであり、封建社会で
は、農耕技術、灌漑技術、兵器であり、近代社会では、数量化、科学技術である。近代社会は、科
学技術の爆発的発展は、グレイゾーンを驚異的に拡大し、リスクを下げ、人の生存率、寿命を高め、
人口は爆発的に増加したのだ。

94 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/08(金) 22:11:26
「グレイゾーンの死」

たとえばある人が死んで原因が特定されるとき、カミナリに打たれるなど外部環境によって死んだと
き(「外部環境の死」)、仕方がないことであり、当然、誰も裁かれない。しかし憎しみからの殺人なら
ば、それは「公平の死」である。そして殺人を生かした者は「正義」によって裁かれるだろう。そして場
合によって、正義によって死刑にされる。これは「正義の死」である。

たとえば天災であると思ったものが公害であり、環境破壊の影響であった場合。たとえば交通事故
などの憎悪のともなわない事故死。さらに豪雨による死は、環境破壊からの地球温暖化の影響が
大きいのかもしれない。これらは完全に「外部環境の死」とは言えない。さらに「正義」によって裁くこ
とも難しい。これらは、外部(環境)と内部(正義×公平)の間にあるのが、「グレイゾーンの死」である。

グレイゾーンは、外部環境と内部社会倫理の間であり、特に近代以降に科学技術の発展によって
大幅に拡大してきた。科学技術の論理は、善悪の倫理とは異なる価値観としてある。

たとえばアガンベンが「グレイゾーン」としてあげるのが、アウシュビッツである。国家間の戦争はそ
れぞれの国家の正義が衝突する合法的な「正義の死」である。しかし科学技術の発達により、原爆
のような大量破壊兵器、あるいはアウシュビッツのようなガス室では、「正義の死」というよりも、ただ
業務的な処理によって大量殺人が行われた「グレイゾーンな死」と考えられる。

あるいは最近の兵器は、遠く離れたところから、ピンポイントで、遠隔操作される。ただモニターをみ
てボタンを押すゲームのようなものである。現代は科学技術の発展によってグレイゾーンが全面化
し、「正義」が希薄化しているのだ。

95 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/08(金) 22:12:00
グレイゾーン化とマクドナルド化

マクドナルドの特徴は、誰に対しても同じマニュアル化された食事、サービスを提供する。フォーディ
ズムでは、商品の生産はオートメーション化されたが、マクドナルド化では商品(食事)を食べる消費
者までも、オートメーション化に組み込まれたといわれる。労働者だけでなく、消費者までも機械化さ
れたグレイゾーンな場である。

人々がマクドナルドへ向かうのは、このようなグレイゾーンな場が居心地が良いからだ。社会性とは
他者との関係であり、繋がりであるとともに、拘束でもある。グレイゾーンは他者とのつながり、規
範、倫理、正義、善悪が希薄化し、工学的な設計によって場の秩序が保たれている。そして人は意
志でなく、他者との関係でなく、ただ設計にしたがうよう、家畜のように食事をする、すなわち「動物
化」する。これはマクドナルドだけではない。街は他者回避としての儀礼的無関心が一般化し、グレ
イゾーンが全面化している。

このようなグレイゾーンな場の経済は、他者との関係が重視される「贈与互酬関係」よりも、他者へ
の負債を生まない「等価貨幣交換関係」が重視される。すなわち近代以降の科学技術の発達による
グレイゾーンの拡大には、資本主義社会への変容が不可欠である。

96 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/08(金) 22:12:30
グレイゾーン化とリベラリズム

グレイゾーンは、画一した規則を求めることから、一見、全体主義、あるいは国家社会主義を指向す
るようであるが、グレイゾーンではイデオロギーであり、「正義」は希薄化する。たとえば先のアウ
シュビッツの恐ろしさは、全体主義国家の命令に対して忠実に行われたということではなく、大量殺
人が単なる工学的な操作、オートメーション化されたことにある。そこはユダヤ人への憎悪も、さらに
は正義の論理も熔解し、木の実をもぎるように自動的に人が殺されたということだ。

全体主義、国家社会主義などの国家中心主義が設計するのは、政治的「正義」である。「正義」によ
る拘束は、アウシュビッツや、異民族などを排他することでグレイゾーンな場が生まれることはあって
も、社会全般に拡大することはむずかしいのではないだろうか。

グレイゾーンは政治的な設計でなく、そこに善悪が入らない工学設計される。その意味で、政治的
「正義」による拘束が弱い民主主義であり、自由と平等、小さな政府、「消極的な自由」を目指すリベ
ラリズムを目指すだろう。

97 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/08(金) 22:13:01
より純粋なグレイゾーンとしてのネット

その意味で、ネットは「正義」を希薄化した工学的に設計されたより純粋なグレイゾーンの場である。
現実でははばかられる誹謗中傷が、ネットで平気で行われるのは、そこにどれほどの憎悪があるか
でなく、他者は現前せず、匿名で公共に直結できるという工学的な設計にしたがい行為しているから
だ。様々な発言は、自己主張でなく、反射的に機械的に発せられる。

さらにはネットは自由至上主義(リバタリア二ズム)が指向されると言われが、実社会の資本主義の
豊かさに支えられながら(支えられている故に)、ネット上では著作権など資本主義的な秩序を守る
ことに無頓着である。これは社会への反抗ではなくただ無頓着なのである。

資本主義的な市場の(等価交換な)工学的設計ではなく、異なる工学的な設計をもつためにそれに
従うのである。そこでは倫理、正義が希薄化し、工学的設計に従うだけである。ネットは公的な場
か、私的な場か、と議論されるが、グレイゾーンな場なのである。

98 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/08(金) 22:13:36
セカイ系のバックラッシュ

たとえば、オタクのセカイ系は、「象徴界の機能不全」といわれる。象徴界とはここでは「正義」に近
い。ここでもグレイゾーンの全面化によって「正義」が希薄化している現代の傾向がみられる。しかし
さらにセカイ系の特徴と言われるのが、自分の振るまいが、世界破滅に直結してしまう。「私的(公
平)領域」と「世界」が短絡してしまうことにあると言われる。

これを、「外部(環境)/グレイゾーン/内部(正義×公平)」の図式で考えると、グレイゾーンの全面
化は、工学的な領域の拡大によって、不確実な世界が予測可能性な社会に開拓されることを意味
する。たとえば決まった時間に電車が来る、コンビニに行けば必要なものが手に入るなど、安定した
安全な社会を実現する。

しかしこれは私的領域には抑圧的に働く。心は安定を求めながら、また不確実性を求める。心その
ものが不確実なものであり、安定な世界は退屈であるからだ。だからグレイゾーンの全面化した社
会では、不確実な外部を求めて、バックラッシュ(反動)することが起こる。

社会はグレイゾーン化して安定を目指しているために、これはある種の破壊衝動である。これをフロ
イトのいう「死への欲動」を見ても良いだろう。だからセカイ系と言われる作品の快楽は外部から到
来する異物を残忍に殺戮する場面にあるのだ。

99 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/08(金) 22:14:07
暴力と帰属のバックラッシュ

さらにこのような暴力は、敵を生むことで、逆に見方を生みだし、コミュニティへの強い帰属意識への
充実感を持つことができる。たとえば街の地べたに座る、電車の中で化粧するなど私的な行為の反
乱は、街がグレイゾーン化し、儀礼的無関心化しているとともに、グレイゾーンに安住する退屈な
人々に向けて、「私たち」は違うというバックラッシュである。

さらにこのような傾向はネットで顕著である。少し前に「モヒカン族」などと呼ばれたハッカーがもつ優
越的な独立心は、ネットというグレイゾーンに安住する人々に向けて、「俺たち」は違うというバック
ラッシュの意味がある。また最近では、誹謗中傷、ナショナリズムなどの祭りもバックラッシュである。
祭りは小さな「野蛮な群れ(マルチチュード)」を形成する。

グレイゾーン化とバックラッシュを再整理すると、
@グレイゾーンでは、いつも変わらず、他者回避されたサービスで人々は「動物化」し安らぐ。
Aそれとともにグレイゾーン化した安定の反復は、退屈、閉塞を生む。
B閉塞を破るよう暴力的な行為を行う。
C暴力を承認する「小さなコミュニティ」への帰属を感じる。

100 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/08(金) 22:15:54
グレイゾーングローバル化の排他性

このようなグレイゾーン化をグローバル化につなげると、近代の世界資本主義化から、現代の情報
化社会によるグローバル化によって、資本主義リベラリズムによる世界のグレイゾーン化(「帝国」
化)が進んだ。

グレイゾーングローバル化は工学的秩序による経済の自由競争である。国際的な「正義」は国連に
求められるのだろうが、行使力がなく機能していない状況である。規制のない自由競争は、格差を
生み出す。先進国は後進国の自然と労働力をグレイゾーンとして開拓し、搾取する。そしてテロリズ
ムなどがバックラッシュとして起こっている。

101 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/08(金) 22:16:37
「動物化」と「野蛮化」するポストモダン

グレイゾーンの全面化による経済の自由競争は、国内でも格差問題を生んでいる。しかし「グレイ
ゾーン化の排他性」は、ブルジョアジー/プロレタリアート、あるいは先進国が後進国を、強者が弱
者を搾取するという経済格差による二項対立に本質があるわけではない。

もし人間誕生の原初の場面があると、「はじめに言葉あり」、または「はじめに道具あり」があるだろ
う。言葉は「野蛮」な人を他者との関係に規定し「人間化」する。道具は人個体の力を増幅することで
他者回避した「動物化」する。そして近代以降、科学技術の繁栄は、グレイゾーンを全面化し、言葉
の次元を弱め、人は「動物化」し、そして「野蛮化」している。

これは、グレイゾーン(技術開発)による「動物化」という人間疎外論であり、疎外され従来の正義と
は異なる外部から回帰(バックラッシュ)する「野蛮化」という暴力的な熱狂である。

102 :ぴか〜スレ向上委員会:2006/09/08(金) 22:20:03
この調子だと、前スレと同じだ、1000レス以前で容量オーバーするぞ?

「サーバーの容量」という自然=外部について再考されたし

103 :555:2006/09/08(金) 22:24:36
薬でもやってるのか、ぴかぁーは。


104 :考える名無しさん:2006/09/08(金) 23:00:18
ウルトラの父です。
と、名乗りたいが為に、子供に超(ウルトラ)と名づけた親がいるそうです。マジ話です。
ネタが無いので今日はこの辺で……〜コメントレス〜>まこさん楽しみにしてまーす。うーん、それにしてもビッキーの名前何にしよう……

105 :考える名無しさん:2006/09/08(金) 23:05:02
こんなのは?



http://s.pic.to/6vqbq

106 :考える名無しさん:2006/09/09(土) 03:12:33
どう思うこれ


631:名無しの笛の踊り :2006/09/09(土) 00:58:14 ID:x55IXn5q
これ、コピペですが、こんな奏者ばかりになってしまったんですかね。
出来の悪い上司をどうサポートするかも、重要な能力だと思うのですが。

2006.9.8

今日はマーラーの交響曲第9番の本番でした。「ブー」がでました。むなしいですね…。
ハッキリ言って私は今日の演奏は嫌いです。でも、目一杯演奏しました。お客様に対してどんな条件でも
良い演奏を…そういうつもりでいつもやっています。…確かに「ブー」を言ったお客さんは、
今日の演奏が良くなかったから言ったのでしょう。でも、正直…「指揮者」が一人の時に言って
欲しかった…。我々はMaxでやっているんです…。こうなると、良い演奏は指揮者の評価…悪い演奏は
オーケストラの評価…そのお客さんはその様に思っている?としか思えません…。
今日は少々やけ酒です…。

ttp://www.bekkoame.ne.jp/~vn-toshi/new17.html

言っちゃった・・・




107 :考える名無しさん:2006/09/09(土) 05:51:34
>>104
ビッキーって何?

108 :考える名無しさん:2006/09/09(土) 11:46:20
男の人ってみんな変態だと思ってました(笑)というのも初めて付き合った人がド変態で、そんな人と4年も付き合ったのでそれが普通だと思ってて…

場所はいろんなとこでしました。
ほぼ毎日車の中。公園、観光名所、トイレ、学校の屋上、研究室など。
コスプレとか服破ったりそーゆーのも好きでした。
そして1日にする回数が多い!
そして今の彼氏はというと性欲がない?
ないわけじゃないけどノーマルを1回って感じ。
10ヶ月くらい同棲してたけど週に1回くらいしかしてなかったし、今は遠距離で2ヶ月に1回くらいしか会えないのに1回しかしない。

あたしは、たまになんだからいっぱいしたい!
前彼は、何回も連続でやったりしてたのに…
ちなみに年齢は前彼24歳、今彼23歳です。この年代の男性としたらどちらが普通なんでしょうか?


109 :ぴか〜スレ向上委員会:2006/09/10(日) 01:19:34
どうした、終わりか?

まあ、2ちゃんって、こんな所だ、悲観するな
戦略立て直せばいい

皆、「熱狂」しつつ醒めてるし、「醒め」つつ熱狂してる、浅田が指摘したように

東が味わった「消費社会の現実」に対してシニカルに対応するか、愚直に対応するかだ

110 :考える名無しさん:2006/09/10(日) 10:46:45
逆縁Vで蔵が建つ!異常な時代が到来してきた。
サラリーマンY氏
「今まで、本当にモテナクテいつも女に
 騙されてばかりでした。このサイトの広告で
 ヤケクソニなって登録。今では女に貢がせて
セックスし放題の生活です」
h

111 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/10(日) 14:44:13
>>109
"スレ向上委員会"って名前はルサンチマンだな。

112 :考える名無しさん:2006/09/10(日) 14:46:23
>>111
そうだね、プロテインだね!

113 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/10(日) 14:49:14
知識人は「社会悪」を暴露するのか、「社会悪なるもの」を作り出すのか

114 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/10(日) 14:51:25
脱構築は他者に開かれるというとき、システムである。

115 :考える名無しさん:2006/09/10(日) 14:51:27
>>113
問いの意味がよく分からない。分かりやすく言うとどういうことで?

116 :考える名無しさん:2006/09/10(日) 14:55:14
>>114
ぴかぁ〜は他者に開かれてないから、システムではない。ということか?
質問しても無駄ということか?

117 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/10(日) 14:56:04
>>115
たとえばネグリは現代のサヨの難しさは、敵が見えないことだといいます。
だから「帝国」では、「帝国」としてピン留めしたわけです。
これは、知識人は「社会悪」を暴露したのか、
「社会悪なるもの」を作り出りだしたのか


118 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/10(日) 14:57:53
>>116
他者を選ぶ権利があるだけだびよぁ〜ん


119 :考える名無しさん:2006/09/10(日) 14:59:19
>>117
知識人が、もともと無い敵を捏造したということか?
その場合、知識人の目的はなんなんだ?

120 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/10(日) 15:00:00
たとえば「格差なるもの」は存在するのか

121 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/10(日) 15:03:44
>>119
知識人の存在意義そのものじゃ!チェックメーット!!

122 :考える名無しさん:2006/09/10(日) 15:05:11
>>120
貧富や階級の格差が、その人の実力に応じて出た結果であれば、
「平等」の理念に適ったものだろう。しかしそれが実力と無関係に、
たとえば「生まれ」によって決まるものであれば不平等な格差だろう。

123 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/10(日) 15:07:43
>>122
負けたものが救済されないわけね。

124 :考える名無しさん:2006/09/10(日) 15:10:59
>>121
知識人自身が自分の存在意義、社会における身の置き場を確保するためだけにそのような捏造をするということか?
社会にとって、ただ知識人が知識人としてあるだけのことが必要だからそうするのであればそれはよいことだが、
社会にとって不要だが、知識人が個人の利益のためにすることなら悪だな。

125 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/10(日) 15:19:29
社会に格差が存在することは当たり前のことで、
「(悪としての)格差なるもの」が構造化されていく。
他者に開かれた脱構築はこのシステムを解体するのか、補強するのか。


126 :考える名無しさん:2006/09/10(日) 15:24:52
>>123
貧富や階級の格差がつくこと自体は一時的な結果に過ぎない。
結果がその後一生続いてしまうようなシステムであれば、システムが間違っている。
結果によって救済が必要になるのであれば、それもシステムに欠陥がある証拠。
救済されるべきは、システムの欠陥による被害で人としての尊厳が危機にさらされるときだろう。

127 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/10(日) 15:25:06
この構造化する力とはなにか。「熱狂」です。
「熱狂」の前に脱構築は無力である。
そしてこの力へ対抗することは可能なのか。


128 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/10(日) 15:31:51
>>122>>126の誤謬は、実力/実力と無関係、
先天性/後天性、恣意性はダメで、偶然性はよい。
形而上学二項対立を元にしてることだろう。

129 :考える名無しさん:2006/09/10(日) 15:37:11
脱構築は、システム自体の変更を立案し決議することと解釈してよいか?
だとすれば、立法権にあたる。これが無力となればとんでもないことになる。

130 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/10(日) 15:42:56
>>129
脱構築は立案、決議でなく、開くことだ。
たとえば「格差社会なるもの」の形而上学を解体することだ。


131 :考える名無しさん:2006/09/10(日) 15:46:54
恣意・偶然の対立ではなく感情(熱狂)・理性の対立として書いたつもりだ。

132 :考える名無しさん:2006/09/10(日) 15:56:04
熱狂と理性の対立まで解体するのであれば、脱構築という発想は自己矛盾しないか?

133 :考える名無しさん:2006/09/10(日) 16:17:34
私は一人娘の親であり旦那の妻である主婦なのに全然駄目人間です。
朝起きれません。
どんなに早く寝ても次の日の朝9時まで寝ていることが多く旦那は結婚当初は「早く起きてよ〜」などと起こしてくれましたが今はもうあきらめたのかごはんを食べて知らないうちに会社に出勤しています。
(一応夜に朝ごはんの準備はしてあるんですが)娘も私と一緒に9時まで寝ています。
まだ1歳半ですが娘も私に似たのか夜8時から翌朝9時まで寝ています。
どうしたら起きれるのか・・・。
子供にも朝ごはんを食べさせないとよくないし、どうにか早く起きたいんだよ:
。;あ〜どうやったら朝すっきり目覚めることができるんだろう。
切実な悩みです。

134 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/10(日) 19:42:38
■「熱狂」に対抗することは可能か。

たとえばネグリは現代のサヨの難しさは、敵が見えないことだといいます。だから「帝国」では、「帝
国」としてピン留めしたわけです。知識人は「社会悪」を暴露したのか、「社会悪なるもの」を作り出り
だしたのか。そこに知識人の存在意義がかけられている。しかしそれは知識人の個人的な陰謀とい
うことはできない。

たとえば「格差なるもの」は存在するのか。社会に格差が存在することは当たり前のことだが、「(悪
としての)格差なるもの」が構造化されていく。この構造化する力とはなにか。「熱狂」です。「熱狂」の
前に脱構築は無力である。むしろ熱狂を補強する。

そしてこの力へ対抗することは可能なのか。

135 :考える名無しさん:2006/09/10(日) 21:07:08
前髪ピン留め前髪のテンパが一番ひどいんですけど、さすがになおんなかったりもするんですね...
でも、前髪くらいだったら寝てるときにピンで横に分けてとめておいて(しっかり)朝起きてピンはずしてケープすると良いですよ〜。
(by みじんこ諜報員)

136 :ぴか〜スレ向上委員会:2006/09/10(日) 21:55:05
>>134
可能だ、シラケれば良い

137 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/10(日) 22:06:25
>>136
脱社会化ですな。脱構築は正義を目指す。
脱構築より脱社会化、動物化、グレイゾーン化。

熱狂/グレイゾーンは対立しない。
シラケつつ、熱狂する。

138 :ぴか〜スレ向上委員会:2006/09/10(日) 22:26:48
>>137
ところがw

東浩紀が「降りる自由」について論じてたけれども、これは脱構築派が正義を目指す故の選択として
正しいが、脱社会派を正当化する理論に容易に転化してしまう、脱社会派が「閉じ」てしまう

脱社会派にもシステムを開く脱構築(正義の理論)が必要なのではないのか?

すまんなネチネチ絡んで、とにかく戦略を、素早く転換したことは高く評価してる



139 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/10(日) 22:43:24
>>138
>脱社会派にもシステムを開く脱構築(正義の理論)が必要なのではないのか?

脱社会は派閥を持たないし、正義も持たない故に、脱社会派なわけです。
ボクは、「忘却」と呼びます。あぼーんすることです。

しかしそれ故にまた容易に熱狂に転倒してしまう。
これを、北田が言う「ロマン主義的シニシズム」です。


140 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/10(日) 23:23:54
問題は、熱狂、正義、シラケに対する下部構造はあるのか、ということだと思います。

141 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/10(日) 23:29:47
日本の時代は80年代だったのだな。ジャパン・イズ・ナンバーワンが象徴している。
中国の時代に向かっている。

142 :考える名無しさん:2006/09/10(日) 23:46:57
>>141
× ジャパン・イズ・ナンバーワン
○ ジャパン・アズ・ナンバーワン

143 :ぴか〜スレ向上委員会:2006/09/11(月) 00:01:27
>>139
ならば「ロマン主義的シニシズム」を打破する脱構築(正義の理論)も
脱社会派は必要とするんじゃないのか?

いや、ネチネチだよねw、すまん

144 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/11(月) 00:06:22
>>143
脱社会を派閥にすると、それは一つの社会派なわけです。
だから群れ=マルチチュードなわけで。

そして脱社会群=マルチチュードでは、正義自体が熱狂の
ネタにしかならない。2ちゃんねるのように。

145 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/11(月) 13:46:11
イデア論はテクネー(技術)な思想である。たとえば素材にはすでに対象のイデアが内在し、制作によりとりだす。
このテクネー性は人間は道具をつかう動物である、以上に人間の根源性である。
人の認識そのものがイデア的である。人はものそのものを認識できず、都合よく認識するという制作をおこなう。
たとえば太古のトーミイズなど自然神からそれはみられるだろう。
ギリシア哲学のロゴスとテクネーの対立に反してロゴスにはすでにテクネー性を内在する。
これが自然主義的闘争様式の原型である。

146 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/11(月) 14:16:42
だからロゴスとテクネーの関係において重要なのは、他者性である。
これはテクネーが一人に閉じるのに対して道具としてのロゴスは他者とのコミュニケーションを重視しているということ。
たとえばハイデガーの転回前は存在者は現存在に従うが、後は存在が先行し、ロゴスに求められる関係にもみられる。


147 :考える名無しさん:2006/09/11(月) 17:52:11
今のぴかぁ〜の勢いは、「あの」純一でも、もう止められない

148 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/11(月) 21:25:55
しかし911ばかりが神性化されるのはどうなんだろう。


149 :考える名無しさん:2006/09/11(月) 22:51:59
それでぴかぁ〜さんはどう考える?

150 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/11(月) 22:57:56
>>149
しるかボケ!

151 :考える名無しさん:2006/09/11(月) 23:04:34
>>150
911を神聖化しないと、石油利権も危うくなるのでは?

152 :考える名無しさん:2006/09/11(月) 23:42:49
ラリってるな

153 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/12(火) 08:38:27
アメリカは映画つくってるけど日本で、チクシテツヤってサヨ系でなかったけ?
つくられたことに背筋がこおる。
番組がおもしろくくそアルカイダメ!を思ってしまったことに
恐さを感じました。

154 :考える名無しさん:2006/09/12(火) 09:19:33
ぴかぁさんのスレは本当に勉強になります。小5からひきこもりですけど
同じひきこもりとしてぴかぁさんのことを本当に尊敬してます。
はやくメジャーデビューして、ひきこもりでも一般社会で生きていけること
を証明してください。

155 :考える名無しさん:2006/09/12(火) 09:39:21
普通に働けよWWWWWWW

156 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/12(火) 11:19:47
技術はいつも人をつくる。技術とは利便性でなく、自然の開拓であり、開拓される自然の制作である。
技術の意味は自然(無垢)を生むことであり、無垢への熱狂を生むこと、新たな人間像の提示である。
プロレタリアートは奴隷ではない。みずから熱狂のなかでプロレタリアート化したのである。

近代の技術革命
@フォーディズム 身体の機械化、生産の貧困
ギルド解体、プロレタリアート化、熟練技、暗黙知のデーターベース化

Aマーケティング、情報処理、アメリカ文化 心の機械化
生産者から消費者へ、象徴の貧困、人間の画一化、動物化

Bサブカルチャー 心の取り戻し
ロック、パソコン、オタク。人間の取り戻し産業。
しかしサブカルチャーは市場の予備軍であり、マーケティングとソウホ的関係にある「心まで売り払うな」
豊かさとともに画一な消費者へ。差別化がさらに消費を促進。脅迫性

Dネット
生産者から消費者から発信者へ。

グーグル、マーケティング強化、必要なものを必要なときに、ロングテール
差別化が消費から承認へ。出会いが容易に。

流動性の向上。虚像のつながり。より身体性から乖離。祭り、身体性をもとめて情動的なつながりへ

消費の脅迫性から発信の脅迫性へ

157 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/12(火) 11:38:37
人は新たな技術により新たな人間となることを望む。これは人間の疎外であるが、疎外と熱狂はソウホ的である。
すなわち熱狂の源泉は疎外である。


158 :考える名無しさん:2006/09/12(火) 11:43:54
僕も疎外されていると実感しているから、ネットをやめられません。そして
あなたの文章に影響を受けてしまいます。

159 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/12(火) 11:56:47
ただ技術と熱狂はわけなければならないだろう。
その技術がいかに使われるかは熱狂が決定する。
たとえばケータイの熱狂は技術者、広報者の考えて異なる。

160 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/12(火) 14:46:46
マーケティングと熱狂はソウホ的である。マーケティングは熱狂の管理をめざす。熱狂はマーケティングに起爆を求める。
しかし今進む環境管理は熱狂の下部を潜水する。
しかしそのような純粋な環境管理は存在するのだろうか。人に気づかれずに監視する。
たとえばケータイなどアクセス地の監視、ネットの接続記録


161 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/12(火) 15:55:25
■技術(テクネー)による熱狂と疎外

技術(テクネー)による熱狂

技術とは利便性を目指すのでなく、「自然」の開拓であり、開拓される「自然」=無垢の制作である。
そして無垢の製作は熱狂とともにある。熱狂と共に新たな人間像を提示する。たとえばケータイが開
発者の意図に反した使用のされ方により急速に広まった(熱狂した)。

たとえば産業革命後に生まれたプロレタリアートとは、産業奴隷ではなく、みずから熱狂のなかで生
まれた新たな人間像である。プロレタリアートが疎外されているとすれば、それは事後的である。

162 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/12(火) 15:55:59
近代以降技術革命の熱狂と疎外

@フォーディズム
ギルド解体、プロレタリアート化

熱狂:大量の労働者(プロレタリアート)の発生
疎外:熟練技、暗黙知のデーターベース化、身体の機械化、生産の貧困

Aマーケティング
生産者(プロレタリアート)から消費者へ

熱狂:マスメディア(映画、ラジオ、テレビ)の登場、アメリカ文化浸透、豊かさ、消費の楽しさ、
疎外:豊かさとともに画一な消費者へ。心の画一化。象徴の貧困、動物化

163 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/12(火) 15:56:37
Bサブカルチャー
生産者から消費者から発信者へ。

熱狂:若者文化の登場、ロック、パソコン、オタク。消費+創造性による個性の差別化。
疎外:サブカルチャーとマーケティングは相補的な関係によって市場経済を支える。

Cネット
生産者から消費者から発信者へ。

熱狂:消費による個性の差別化の強化、さらに他者の承認による差別化へ。
    グーグル;マーケティング強化、必要なものを必要なときに。ロングテール。
疎外:消費の脅迫性から発信(繋がり)の脅迫性へ
    虚像のつながり。より身体性から乖離。身体性をもとめて情動的なつながり(祭り)へ。
    環境管理技術;アクセスの記録

164 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/12(火) 15:57:17
熱狂と管理(疎外)の相補的な関係

熱狂と疎外は相補的な関係にあり、マーケティングが目指すのは、熱狂の管理である。(ネットでは
Web2.0)そして熱狂は多くにおいて、管理を越えていく。たとえなマクドナルドの椅子の硬さの話は、
回転率をあげるという熱狂の管理であるが、高校生などの放課後の居座りの熱狂は管理を越えていく。

ボクたちが自由を望めば望むほどに管理は、潜伏すると言われる。これは単にビックブラザーによ
るもとということでなく、ボクたち自身がそのように望んでいるということだ。「気持ちよく熱狂したん
だ。わからずに疎外してくれ。」

165 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/12(火) 16:24:38
グレイゾーン化とは、世界の不確実性を予測可能性へ転換すること、リスク管理することである。た
とえば狩猟文化から農耕文化への変更は、自然を開拓管理することで、食料の入手の予測可能性
を高めた。さらに蓄積を可能にすることで、不確実な飢饉へ対応することが可能になる。このような
グレイゾーン化は本質的に対象の還元性をもつ。還元することで、反復を容易にする。

特に近代以降、この還元性は「数量化」の徹底によって行われる。数量化は質を量の等価交換関係
に還元し、質を排除する。そして数量化は「反証可能性」という力を生みだし、反復回数が向上する
ことでより確実なプラグマティック(実証的)な成果を期待することができる。その方法が正しい、間違
いというよりも、どれだけ実働的であるかということ。それを見いだすためには同じ事を反復し、
フィードバックすることにある。

このような数量化の人間社会への展開する場合、人間そのものを数量化することを望まれない。人
間は数量化できない尊厳がある。このための心身二元論が生まれる。数量化可能=機械的身体と
数量化不可能な心(コギト)。

これは、熱狂という心(質)と、数量化による管理される身体の対立に繋がる。マルクスなど疎外論
では、管理側が指摘されるが、この対立はまた相補的に作用する。いわば革命も管理に対する熱
狂であり、対立であるとともに、補完しあっていたといえる。そのようにしてグレイゾーンは強化され
ていくのだ。

166 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/12(火) 16:25:16
グレイゾーン化とは、世界の不確実性を予測可能性へ転換すること、リスク管理することである。た
とえば狩猟文化から農耕文化への変更は、自然を開拓管理することで、食料の入手の予測可能性
を高めた。さらに蓄積を可能にすることで、不確実な飢饉へ対応することが可能になる。このような
グレイゾーン化は本質的に対象の還元性をもつ。還元することで、反復を容易にする。

特に近代以降、この還元性は「数量化」の徹底によって行われる。数量化は質を量の等価交換関係
に還元し、質を排除する。そして数量化は「反証可能性」という力を生みだし、反復回数が向上する
ことでより確実なプラグマティック(実証的)な成果を期待することができる。その方法が正しい、間違
いというよりも、どれだけ実働的であるかということ。それを見いだすためには同じ事を反復し、
フィードバックすることにある。

このような数量化の人間社会への展開する場合、人間そのものを数量化することを望まれない。人
間は数量化できない尊厳がある。このための心身二元論が生まれる。数量化可能=機械的身体と
数量化不可能な心(コギト)。

これは、熱狂という心(質)と、数量化による管理される身体の対立に繋がる。マルクスなど疎外論
では、管理側が指摘されるが、この対立はまた相補的に作用する。いわば革命も管理に対する熱
狂であり、対立であるとともに、補完しあっていたといえる。そのようにしてグレイゾーンは強化され
ていくのだ。

167 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/12(火) 18:29:40
■技術(テクネー)による熱狂とグレイゾーン化

グレイゾーン化と予測可能性の向上

技術とは利便性を目指すのでなく、「自然」の開拓であり、開拓される「自然」=無垢の制作=グレイ
ゾーン化である。

グレイゾーン化とは、世界の不確実性を予測可能性へ転換すること、リスク管理することである。た
とえば狩猟文化から農耕文化への変更は、自然を開拓管理することで、食料の入手の予測可能性
を高めた。さらに蓄積を可能にすることで、不確実な飢饉へ対応することが可能になる。このような
グレイゾーン化は本質的に対象の還元性をもつ。還元することで、反復を容易にする。

特に近代以降、この還元性は「数量化」の徹底によって行われる。数量化は質を量の等価交換関係
に還元し、質を排除する。そして数量化は「反証可能性」という力を生みだし、反復回数が向上する
ことでより確実なプラグマティック(実証的)な成果を期待することができる。その方法が正しい、間違
いというよりも、どれだけ実働的であるかということ。それを見いだすためには同じ事を反復し、
フィードバックすることにある。

168 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/12(火) 18:31:21
グレイゾーン化と熱狂

グレイゾーン化は熱狂を生む。グレイゾーン化は、「自然」の開拓するのではなく、開拓される「自然」(無垢)そのものを創造する。ここに開拓されるべき新たな自然があるという発見へ人々が向かう
熱狂である。そして熱狂と共に新たな人間像を提示する。たとえばケータイが開発者の意図に反し、
あたらなコミュニケーション場という「空間」の創造に人々が群がり(熱狂し)、急速に広まったのだ。

このような数量化の人間社会への展開する場合、人間そのものを数量化することを望まれない。人
間は数量化できない尊厳がある。このための心身二元論が生まれる。数量化可能=機械的身体と
数量化不可能な心(コギト)。

これは、グレイゾーン化される身体と、グレイゾーン化する心として示される。たとえば産業革命後に
生まれたプロレタリアートとは、産業奴隷=機械化された人間ではなく、みずからの心が身体を機械
化する。そしてこれは、労働者(プロレタリアート)層の誕生という社会的な熱狂のなかで生まれた新
たな人間像である。プロレタリアートが疎外されているとするのは、事後的である。

これは、熱狂という心(質)と、数量化による管理される身体の対立に繋がる。マルクスなど疎外論
では、管理側が指摘されるが、この対立はまた相補的に作用する。いわば革命も管理に対する熱
狂であり、対立であるとともに、補完しあっていたといえる。そのようにしてグレイゾーンは強化され
ていくのだ。

169 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/12(火) 18:31:52
近代以降技術革命の熱狂とグレイゾーン化

@フォーディズム・・・ギルド解体、プロレタリアート化
 熱狂:大量の労働者(プロレタリアート)の発生
 グレイゾーン化:熟練技、暗黙知のデーターベース化、身体の機械化、生産の貧困

Aマーケティング・・・生産者(プロレタリアート)から消費者へ
 熱狂:マスメディア(映画、ラジオ、テレビ)の登場、アメリカ文化浸透、豊かさ、消費の楽しさ、
 グレイゾーン化:豊かさとともに画一な消費者へ。心の画一化。象徴の貧困、動物化

Bサブカルチャー・・・生産者から消費者から発信者へ。
 熱狂:若者文化の登場、ロック、パソコン、オタク。消費+創造性による個性の差別化。
 グレイゾーン化:サブカルチャーとマーケティングは相補的な関係によって市場経済を支える。

Cネット・・・生産者から消費者から発進者へ。
 熱狂(ビジネス):消費による個性の差別化の強化。さらにアフェリエイトなど広告者に。
         マーケティング強化、必要なものを必要なときに。ロングテール。
 熱狂(コミュニティ):消費による個性の差別化から他者の承認による差別化へ。繋がりの社会性
        消費の脅迫性から発信(繋がり)の脅迫性へ
        虚像のつながり。より身体性から乖離。身体性をもとめて情動的なつながり(祭り)へ。
 グレイゾーン化:環境管理技術;アクセスの記録などプライベート情報の管理、Web2.0

170 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/12(火) 18:42:27
熱狂と環境管理技術

熱狂とグレイゾーン化の相補的な関係において、マーケティングが目指すのは、熱狂の管理であ
る。そして熱狂は多くにおいて、管理を越えていく。たとえなマクドナルドの椅子の硬さの話(マクドナ
ルドは椅子を固くすることで、客に気がつかないように長居をさえないようにしているというマーケ
ティング法)は、回転率をあげるという熱狂の管理であるが、高校生などの放課後の居座りの熱狂
は管理を越えていく。それがまたグレイゾーン化を強化する。ネットにおけるWeb2.0もまたネット群衆
の創発性の管理である。

たとえばコンピューターウィルスとセキュリティの関係も相補的である。コンピューターウィルスのばら
まきは愉快犯である。ハッカーにはネットそのものが開拓されるべき自然(無垢)と現前化する。それ
は「そこに山があるから登るのだ」ということだろう。ここに自然への熱狂があり、セキュリティーが強
化されるから、ウィルスはつくられるという関係にある。

171 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/12(火) 18:54:29
「「象徴的貧困」とポピュリズム」

たとえば「「象徴的貧困」というポピュリズムの土壌」 ベルナール・スティグレール
(ttp://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20060911)では、「象徴的貧困」ということはマーケティングなどのグレ
イゾーン化による個性が搾取される閉塞が、ポピュリズムという「衝動」的な熱狂をうむと理解するこ
とができるが、全体に搾取論的すぎるのではないだろうか。グレイゾーン化(管理)と熱狂はもっと相
補的、共犯的なものである。さらに最近のオタク、ネット上のパーソナルな多くの発信は、「象徴的貧
困」に向かっているといえるだろうか。 ポピュリズムという「衝動」的な熱狂へ向かう傾向は否めない
が、またそこに新たな創造的な熱狂も見いだせるのではないだろうか。

172 :考える名無しさん:2006/09/12(火) 19:49:33
国分「それでぴかーはどう思った?」

173 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/13(水) 10:45:17
他者を助ける行為はそれを埋めることで自己が見いだされる喜びである。
だから欠落した他者は有用な存在である。
これは偽善だろうか。しかしこのようにしてしか自己は見いだせないとき、ヘーゲル的主奴の関係が立ち上がる。

174 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/13(水) 13:54:02
欠落とは外部からの純粋な略奪である。
人々はこの負債を分散するのでる。これが贈与のサイクルが作動させる一撃である。

175 :リーマン ◆N.J4yHzilE :2006/09/13(水) 23:04:44
横レス済みません。

結局、熱狂とは、「自然の人間化」をリアリティの地点で推し進めようとする
行為である、と考えて良いのでしょうか?だから自然が本来の「自然」で
ある必要はなく、そこに欲望を見いだすことが出来るものが自然である、と。


ところで、>>164「熱狂の管理」において、web2.0を上げられていますが、
googleは管理的であるとしても、SNSはどうお考えでしょうか?
googleの管理性は、googleがネットの世界を全て覆い尽くそうとするところから
来ています。全てをgoogle化するのが自己目的化しています。それ故、全ての
情報がgoogleに集まり、我々はgoogle無しではネットで身動きが取れなくなる。
まさに管理的です。
しかし、だからこそgoogleは万人に開かれていると言えます。万人に開かれている
が故に、管理的になる。このジレンマを抱えています。

しかし、SNSはこのジレンマはない。掲示板などと違い、SNSは会員制ですから、
「掲示板的」と揶揄される使い方を覗けば、社交クラブに過ぎない。そこに見える
管理は、技術的な管理などでは全くないように私には思えるのです。

web2.0というとき、それが「儲かるか儲からないか」「流行っているか流行っていないか」で
斬られている気がします。しかし、ことなる目的、異なる作用を持つ技術が結果としても
異なるものをもたらすとき、それらは同一の範疇にくくることは出来ないのではないでしょうか?

私は「管理」の問題を前提として語られる技術としてのweb2.0はグーグルくらいしか無いと思います。
SNSは電子社交パーティです。web1.0以下です。
この点をどうお考えになられますか?

176 :考える名無しさん:2006/09/13(水) 23:19:42
>175
横レスすみません。

googleが、例えば中国において制約を受けている(管理されている)現実がある限り、
googleは、{管理」の問題を前提として語られる技術としてのweb2.0}とも言えないと思います。
この点をどうお考えになられますか?


177 :考える名無しさん:2006/09/13(水) 23:25:05
>結局、熱狂とは、「自然の人間化」をリアリティの地点で推し進めようとする 行為である、と考えて良いのでしょうか?

バッカじゃないの?

おまぃは、屁をひるのにもぴかぁ〜の承諾を必要とするのかい?
ケッ

178 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/13(水) 23:37:06
>情報がgoogleに集まり、我々はgoogle無しではネットで身動きが取れなくなる。
>まさに管理的です。

身動きがとれなくなることが管理というのはいかがでしょうか。
もう少し広い意味で取った方がよいと思いますよ。

179 :リーマン ◆N.J4yHzilE :2006/09/14(木) 00:14:59
>>176
中国当局(ベトナムなんかも)が行っている「管理」は、あくまで
Googleの技術に制限をかけることによって行われる、古典的な
国家権力です。

それにたいしてGoogleは、全ての情報を一元化し、そこから自動的に
現時点における人間の総体的な欲望を探り出し、それに沿った
マーケティングを進めようとしますが、このマーケティングとは、
統制の道具に容易に転化します。これは国家によっては管理し得ない
技術的な権力です。

私はそのように区別しています。

>>178
はい。
Googleが目指しているのは、ネット上の「自然」の「人間化」であると
考えます。現在の「人間化」された社会とは、いずれにしろ貨幣制度を
前提とした資本主義です。だからGoogleが「人間化された自然を
データストックし、その比較における欲望の構造のストックをため込む行為は、
権力を発動させるアーキテクチャであると考えています。

すみません、ぴかぁ〜さんのレスの視野が非常に広いので、中心点がどこだか
わからなくなり、うまく斬れ込めないんですよ、正直なところ(笑

180 :考える名無しさん:2006/09/14(木) 00:27:51
気持ち悪いね、きみら。
まるでオタク同士の的外れなおだてあいと一緒だな W

181 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/14(木) 14:54:49
著作権とは知の囲い込みである。囲い込むことで商品化し、貨幣交換システム=市場へと
流し込む。
ネットではこの囲い込みが説かれる。ネット上の情報も複写容易性によって、
情報は複写され、バラ巻かれることで、この囲いは破られ、交換価値を失う。
あるいは複写でなくとも、同様の知が、ネット上の対価ない労働によって、
作成されて、バラ巻かれる。

これらは実質取り締まることが困難である。
匿名性が高く、なおかつこのような「違法」があまりに容易に行われるている。
そのあまりの容易さは「違法」であることを外部におく。
このようにネットでは知を囲い込むことが難しい。

だからこれを肯定的な文化として受け止めようといいう意見がでる。
かつてのナップスターのように。ナップスターは正当性を求めて、
「こちら側」の司法判断に晒され、失敗したが、
本質的に、ネット上の「知の解放」にはなんら影響がない。
ナップスターと関係なく、もはや日常となってしまっているからだ。



182 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/14(木) 14:58:38
>>179
「人間化」の意味がよくわかりません。
欲望の構造のストックをため込む行為?
ストックする=ためこむ?


183 :考える名無しさん:2006/09/14(木) 15:01:10
場所が暗いとわらだな

184 :リーマン ◆N.J4yHzilE :2006/09/15(金) 00:35:29
>>182
>「人間化」の意味
ネット上に溢れる情報は無秩序な情報が散在している状態であり、
それぞれの情報は解析可能ですが、情報同士の間の関係は、
人間が認識する限界を超えています。その意味では、ある情報と
他の情報の関係は人間の意識の外にあります。それは「未開拓の
荒野」という自然としてGoogle社には認識されています。

Googleは、この情報間の情報をストックし、検索することでその
関係を高次に構築します。すなわち、未開の自然の人間化です。

185 :Tar ◆SQIDAUQYpc :2006/09/15(金) 02:18:29
          ____   
       / \  /\ キリッ
.     / (ー)  (ー)\      
    /   ⌒(__人__)⌒ \   
    |      |r┬-|    |   熱狂の系譜学   
     \     `ー'´   /   ネットではなぜ熱狂が日常化するのか
    ノ            \
  /´               ヽ              
 |    l              \
 ヽ    -一''''''"~~``'ー--、   -一'''''''ー-、.    
  ヽ ____(⌒)(⌒)⌒) )  (⌒_(⌒)⌒)⌒))


          ____
        /_ノ  ヽ、_\
 ミ ミ ミ  o゚((●)) ((●))゚o      ミ ミ ミ
/⌒)⌒)⌒. ::::::⌒(__人__)⌒:::\   /⌒)⌒)⌒)
| / / /     |r┬-|    | (⌒)/ / / //  だっておwwwwwwwwwwwwwwwwwww
| :::::::::::(⌒)    | |  |   /  ゝ  :::::::::::/
|     ノ     | |  |   \  /  )  /
ヽ    /     `ー'´      ヽ /    /     バ
 |    |   l||l 从人 l||l      l||l 从人 l||l  バ   ン
 ヽ    -一''''''"~~``'ー--、   -一'''''''ー-、    ン
  ヽ ____(⌒)(⌒)⌒) )  (⌒_(⌒)⌒)⌒))

186 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/15(金) 09:55:30
>>184
データーベース化みたいなことですかね

187 :考える名無しさん:2006/09/15(金) 12:20:42
私は昔からどちらかというと『M』だと思います。
『もっといじめられたい・・・』『もっとめちゃくちゃにして欲しい・・・』いつもそう思っていました。
縛られてもみたいし、目隠しもされてみたい。
こんな事思う私はおかしいのかな><?でもされてみたいんです。
今まで何人かの男性とSEXしてきましたが、なぜか『M』な男性ばかりで、私がいろいろしてあげるって事が多かったんです。
おかげで一時期かなりのH嫌いになってました^^;(今は違うけど^^)でも最近またH心に火がついて1人エッチまでするようになっちゃいました☆
そして昨日メールエッチの良さに気づいてしまったんです*^v^*

昨日ウラチャットにいたら私のログを見て下さった方がきてくれて*^^*その方とチャットでHしちゃったんです☆
チャットしながら色んな命令をうけて、乳首触ったり、クリちゃん触ったり・・・いつもの1人エッチの何倍も感じたし、濡れたし、興奮しちゃいました>
<顔も知らないどんな人かもわからない人に犯されてるんだと思うと・・・ヤバイ☆また濡れてきちゃった>
<もっともっといろんな人とメールエッチしたいな*^-^*誰か私とメールエッチしましょ☆☆

リーマンさんへ早速角オナニー検索しましたよ^ー^今度試してみます☆

188 :考える名無しさん:2006/09/15(金) 12:56:22
名前:考える名無しさん :

189 :考える名無しさん:2006/09/15(金) 14:06:10
しかしなんだね。
SMの出会い系ってのは、サクラばっかりなんだね。

190 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/15(金) 14:51:43
<還元主義的情報処理機械>
 ノイズ、不確実性の排除
 反証可能性による予測技術

 収集→カテゴライズ→データーベース化→
 法則化→シミュレート→収集・・・

これは生存の確実性のためであるが、また開拓自体が不確実性を呼び込む。
未知に対する強迫的な恐怖と解体(破壊)への暴力的快楽である。
すなわち近代的な自然主義的闘争様式である。

191 :考える名無しさん:2006/09/15(金) 15:08:09
無職

192 :Tar ◆SQIDAUQYpc :2006/09/15(金) 16:38:44
>>189
SMに限ったことではありませんよ。
出会い系なんてただのゲームだと考えるべきです。

193 :リーマン ◆N.J4yHzilE :2006/09/16(土) 00:02:46
>>186
>>データーベース化みたいなことですかね

はい、そのとおりですね。ひと言で済むことでした。
わたし、噛み合った発言が出来ていないようですね。
出直してきます。

194 :考える名無しさん:2006/09/16(土) 00:11:24
もうこなくていいよ

195 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/16(土) 00:16:19
「グーグル・アマゾン化する社会」が発売されました。
立ち読みしましたが、雑誌感覚でさらっと読めそうで
おもしろそうでした。

196 :考える名無しさん:2006/09/16(土) 00:35:14
じゃ買えよケチ。

197 :考える名無しさん:2006/09/16(土) 00:38:32
ぴかぁさんは無職だから買えないんだよ

198 :考える名無しさん:2006/09/16(土) 00:39:41
あぁそうだった。

199 :考える名無しさん:2006/09/17(日) 18:16:17
ぴかぁ〜、どしたの〜?

200 :考える名無しさん:2006/09/19(火) 07:15:25
ぴかぁ〜は他のスレでの自演に多忙の模様。
だから、このスレのカキコまで手が回っていない。


201 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/19(火) 09:20:05
>>
外部(環境)/グレイゾーン(情報処理機械)/内部(正義×公平)
<<

<情報処理機械>

収集→カテゴライズ→数量化→データーベース化→法則化→シミュレート→収集・・・

ノイズ、不確実性の排除、反証可能性による予測技術
近代的な自然主義的闘争様式である。

外部(環境)の開拓であり、生存の確実性を高めるが、開拓自体が不確実性を呼び込む。
たとえば典型的なものが環境問題である。また開拓の終わらなさは、未知に対する
強迫的な恐怖と解体(破壊)への暴力的快楽でもある。




202 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/19(火) 09:37:47
フーコーはグレイゾーン回りの権力を考察した。
性をカテゴライズ、データベース化することで新たな正常像を浮き彫りにする。
科学の名のもとに正当性をもち、優生学のように外部を排除する。
しかし科学的権力の深度は言語よりさらに深く潜行し生を管理するシステムとなる。

203 :考える名無しさん:2006/09/19(火) 09:41:14
ラカンスレで追いつめられてこんなとこでご活躍か、ぴか。

204 :考える名無しさん:2006/09/19(火) 09:48:21
ぴかぁさん、いつも乙です!
ぴかぁさんのレスをカテコライズ、データベース化することで、
ダメ人間像を浮き彫りにすることができます!
本当にありがとう!

205 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/19(火) 10:14:47
規律=訓練的な権力と生-権力の対比でなく、相補的なシステムとしての生権力としか、以下が
良くまとまっている。

>>
ttp://www.copula.net/mag/vol_1/report01.html

・規律=訓練的な権力(「人間の身体の解剖−政治(学)」)

法律的権利によってではなくテクノロジーによって、法によってではなくノルム化(normalization)に
よって、刑罰によってではなく統制によって作動し、国家とその機関を越えてしまうレベルと形態にお
いて行使されるような権力の新しい仕組み

「ノルム(norm)」・・・・人々を判定し配分するための「規格」であり、「逸脱」「異常」に対する「正常」と
いう価値をもつとともに、「統計的事実」や「平均」と結びついて、人々の個別的な特徴を規定し、さら
に「規範」として個々人のアイデンティティを自己監視させるものであるということができる。

・「人口(集団)の生-政治(学)(la bio-politique de la population)」

個々人の身体にではなく、集合体としての人間(population)を対象として、出生率や死亡率、寿命と
いった主として人口政策や社会政策に関わるものである

・「生-権力(bio-pouvoir)」 二つの総括

生−権力は、生かすべき者とそうでない者を選別し、誰の生を保護し発展させていくことが、社会全
体の発展につながるか、にたえず配慮し、個人の身体の規律=訓練とともに、社会全体、あるいは
「種」のレベルでの「正常さ(normalite)」を保ちながら発展・繁栄を確保して、「退廃(degeneration)」を
防止することを目標とする。
<<

206 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/19(火) 10:36:08
ここには二つの面が見いだせるだろう。
一つは排他の原理である。
内部と外部の境界を科学的言説で補強する。
この境界の補強は以前なら神話であり、法で行われてきた。
神話としての科学である。

この外部は排除され、見えない外部、純粋な外部でなく、
カテゴライズされた外部であり、グレイゾーン化、アガンベンのいう「例外状態」となる。
内部であり外部、外部であり内部。

単に排除するのでなく、グレイゾーン化するために科学技術が重要である。
内外の二項対立を越えて、カテゴライズ、データベース化されることで、
境界は厚みを持つことが可能になる。

さらにカテゴライズ、データーベースの複雑化、専門化、情報処理技術の向上とともに
人々に見えないものとなる。

207 :考える名無しさん:2006/09/19(火) 10:37:09
負けず嫌いの悔しがりやさんw
その情熱を他にむければ、ひきこもり脱出できるぞ。

208 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/19(火) 10:40:18
剥き出しの生とは、グレイゾーン化され、排除されるが外部に排他され切らない
管理され、「宙づりにされた身体」である。

209 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/19(火) 10:53:49
たとえばリベラルの基準、人間/動物の境界の基準は、遺伝子によって補強されている。
人間種は、他の動物種と明確な差異があるのだ。
最大に拡大された「人間」と言えるだろう。

これは逆説的に生まれか、育ちかの議論において、育ちに優位に働いている。
育ち的な差別化が進む。

210 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/19(火) 11:40:25
■フーコーと科学技術

>>
「生−権力」と植民地主義
ttp://www.copula.net/mag/vol_1/report01.html

・規律=訓練的な権力(「人間の身体の解剖−政治(学)」)
法律的権利によってではなくテクノロジーによって、法によってではなくノルム化(normalization)に
よって、刑罰によってではなく統制によって作動し、国家とその機関を越えてしまうレベルと形態にお
いて行使されるような権力の新しい仕組み

「ノルム(norm)」・・・・人々を判定し配分するための「規格」であり、「逸脱」「異常」に対する「正常」と
いう価値をもつとともに、「統計的事実」や「平均」と結びついて、人々の個別的な特徴を規定し、さら
に「規範」として個々人のアイデンティティを自己監視させるものであるということができる。

・「人口(集団)の生-政治(学)(la bio-politique de la population)」
個々人の身体にではなく、集合体としての人間(population)を対象として、出生率や死亡率、寿命と
いった主として人口政策や社会政策に関わるものである

・「生-権力(bio-pouvoir)」 二つの総括
生−権力は、生かすべき者とそうでない者を選別し、誰の生を保護し発展させていくことが、社会全
体の発展につながるか、にたえず配慮し、個人の身体の規律=訓練とともに、社会全体、あるいは
「種」のレベルでの「正常さ(normalite)」を保ちながら発展・繁栄を確保して、「退廃(degeneration)」を
防止することを目標とする。
<<

211 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/19(火) 11:41:15
ここにあるのは、外部/内部の排他の原理である。たとえばパノプティコンのような「まなざしの内面
化」は本質的に神性の構造である。ある正しさがあり、それを内面化するためには、超越的な他者
(神)による保障(まなざし)が必要となる。現代は、内部と外部の境界を科学的言説で補強する。こ
こでは科学は神話化されている。科学の正しさはなにによって保障されるのか。内部に帰属するこ
と、そしてそこには内部を内部として支える超越的他者がいる。

このように神話によって作動した外部/内部の排他の原理における境界がカテゴライズされた外
部、グレイゾーンであり、アガンベンのいう「例外状態」となる。内部であり外部、外部であり内部。 こ
こでさらに、科学技術の力が重要視される。科学技術のカテゴライズ、データーベース化、情報処理
技術の向上は、グレイゾーンを複雑化、専門化して開拓し、厚みを持たせる。そしてさらに、人々に
見えないものとなる。

すなわちフーコーの本質的な「疎外」の原理は、従来からのものであるが、近代における科学技術と
いう「知への意志」、「真理への快楽」が、グレイゾーンの拡大、そして不可視化へ向かっているとい
うことではないだろうか。

212 :考える名無しさん:2006/09/19(火) 11:43:41
これ全部、パクリじゃん。

213 :考える名無しさん:2006/09/19(火) 11:46:54
そんなの昔から。こいつはパクリとコピペ専門。

214 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/19(火) 13:23:03
精神分析とフーコーの対立があって、フーコーは精神分析の人間の絶対化に対して歴史相対化します。
たとえば人間の根源的なエティプスコンプレックスを近代的な家庭主義へと相対化する。
これはまたフーコーへの批判として近代へ還元しすぎる。
パノプティコンの構造は宗教がもち、また精神分析の大文字の他者である
あるいはアガンベンは生権力をギリシャ時代まで射程を広げるように。

215 :考える名無しさん :2006/09/19(火) 22:49:11
262 :純一 :2006/09/19(火) 20:58:05
ぴかぁ〜は資産家の息子ですよ。

263 :純一 :2006/09/19(火) 20:59:34
月5万ぐらいは貰ってるみたいですね。

264 :純一 :2006/09/19(火) 21:01:48
ぴかぁ〜の両親とは基本的に不仲ですね。
彼は大学には行っていましたが、最近は大学時代の友達の影も見えません。
友人もおそらく結婚したか、ぴかぁ〜と親交をとらなくなったのでしょう。

265 :純一 :2006/09/19(火) 21:04:00
近頃ぴかぁ〜はネット依存による誤字・脱字も増えました。
年齢も今年で28歳、あと二年もすればバイトもできないでしょう。
しかし、彼はこのまま進むことでしょうがね。

216 :考える名無しさん:2006/09/19(火) 23:02:06
妻は大きなペニスが彼の腹の上でピクン、ピクンと跳ねているのに気がついた。
だが、まだ完全には固くなっていない。
両手の親指をパンティーのバンドに引っかけた。そして、パンティーの生地をぐっと前に引き伸ばし、股間の恥丘から離すようにした。
彼女の柔らかい巻き毛が見えた。それからくるりと背を向け、ゆっくりと背をかがめ、小さな柔らかい布切れを足首まで降ろした。


217 :考える名無しさん :2006/09/19(火) 23:25:37
>>215
はあ〜、ぴかぁの真実か・・・・・。
こいつ犯罪者になる確率大だな。
両親も大変だ。


218 :考える名無しさん:2006/09/19(火) 23:47:42
まんのすごい発散傾向な思考をする人は誰ですくぁ。


219 :考える名無しさん:2006/09/19(火) 23:56:12
ぴかぁ〜さんの話は根拠が極めて希薄ですね。残念でなりません。


220 :短パン:2006/09/19(火) 23:58:57
>>217
ぴか、とかいう書き手に、真実なんて無いが?
あやつは、単に、何処かの評価にいい気になって、みずらの言葉失った、
「唯の、ロボット」なので、相手にしてもロクな事ないぜ?

ま、関係ないけどな。
んじゃノシ

221 :考える名無しさん :2006/09/20(水) 00:05:07
■ 発狂の系譜学 ニートと犯罪 ■

↑こいつにスレタイ変えた方がいいみたいねw

222 :考える名無しさん:2006/09/20(水) 00:05:08
何故時宗の子を見捨てた。何故何度も同じ過ちを繰り返す

223 :短パン:2006/09/20(水) 00:17:02
あやまちならば、いっそのこと、そのまま繰り返せ。>>222

嘲りは、とりあえず、捨てろ!
そして、いつかは、哂い返せ。

答えなど、求めている方が間違っているのだ!
さぁ。おまえの道を歩けよ・・・・。

などと言って置く・・・・

224 :短パン:2006/09/20(水) 00:37:45
ちょっと、神様っぽくなったので、このノリで、なにかスレッド立てたいのだが、
どんなタイトルがいいのか解らないので、募集するぞオラ。

どんなのがいいかなぁ〜・・・・。んじゃ、よろしくぅ。

225 :短パン:2006/09/20(水) 00:54:18
貴様らの、膿んだ脳みそフル稼働して、この俺様に、付くさんかい!
バカタレがっ!!!!!

226 :短パン:2006/09/20(水) 00:57:11
もっと、イジメテほしい人は、ワッフルワッフルwww

(なんじゃ、こりゃwwww)

227 :考える名無しさん:2006/09/20(水) 01:32:52
【神様】イジメテほしい人はワッフルワッフルwww【短パン様】

でいいだろ。w


228 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/20(水) 09:06:41
■フーコーの権力論とグレイゾーン

歴史家としてのフーコー

精神分析へのフーコーの批判がある。フーコーは精神分析的な人間構造の絶対化に対して、歴史
相対化する。たとえばエティプスコンプレックスは人間そのものに根源的なものでなく、近代的な家
庭主義であると。(ラカンなどの精神分析において、エティプスコンプレックスは絶対化されているわ
けではなく、たとえばラカンは去勢の不完全さ、父の不在をエディプスの近代的な問題と見る)

そして逆にフーコーへの批判として、様々なものを近代へ還元しすぎるというものがある。たとえば
パノプティコンの構造は、宗教がもともともつ構造、また精神分析の「大文字の他者」の構造であり、
近代のみで語ることはできない。あるいはアガンベンは生権力をギリシャ時代まで射程を広げるなど。

フーコーを読んだときの圧倒とともに、なにかぬぐいきれない違和感の一つがこのような近代的なあ
る装置への強く還元させることである。その意味で、以下の「歴史家としてのフーコー」ウィンドシャト
ルは、かなり手厳しいいフーコー批判になっていておもしろい。

229 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/20(水) 09:07:28
>>
<b>歴史家としてのフーコー</b> キース・ウィンドシャトル
http://cruel.org/other/foucault.html

>>
全体としてのフーコーのねらいは、自分が調査した施設――精神病院、病院、監獄――の歴史が、
現代社会を支配する当局の持つ権力の一般形態のモデルとなっていることを示すことだった。こうし
た施設をコントロールする科学/学問――精神医療、臨床医学、犯罪学――は人を客体化する「視
線」を確立した。それはすべてを見通す眼であり、人々を研究対象にしてしまう。

これによって、当局は法を制定することから、規範の動因、あるいは道徳の押しつけへと移行するよ
うになった。フーコーのねらいは、現代生活のほとんどの側面も、社会科学とそこから導かれる専門
実務の圧政下にある、というものだった。学校の内部でも家庭の内部でも、工場でも第三世界の植
民地でも、人々は自分が想像しているほど自由ではない。その人生は、二百年以上前に現代が誕
生したときの概念によって支配されているのだ。

だが他の歴史家がフーコーの説明を細かく検討してみると、歴史的な記録はこの主張にしても、他
の哲学的な論点にしても、フーコーの主張を裏付けるものはほとんどないという結論に達している。
<<

230 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/20(水) 09:08:01
>>
「神様が見てるから悪いことをしないようにしよう」「閻魔さまが見てるから、地獄にいかないようによ
いことをしよう」という発想はまさに、「監視の可能性」→「規範の内面化」→「個人の規制」という社
会統治の方法であって、これははるか昔から存在していたし、時の権力が昔から使ってきたものだ。
結局、それの有無だけでは何も言っていないに等しい。あとはそれをどう使ったか――テクノロジー
との関連で話をするのかな。(山形)
<<
<<

このような歴史的な証拠との齟齬がフーコーの理論そのものの価値をおとしめるとは思わないが、
山形がいうように、<b>より大きな射程でとらえる必要があるのではないだろうか。

231 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/20(水) 09:09:19
「排他の原理」とグレイゾーン化

>>
生権力・・・生に対する権力の組織化が展開する二つの極

@規律訓練権力、人間の身体の解剖−政治学・・・規律を特徴づけている権力の手続き
 機械としての身体、効果的で経済的な管理システムへの身体の組み込み

A人口の生−政治学・・・調整する管理
 種である身体、生物学的プロセスの支えとなる身体
 繁殖や誕生、死亡率、健康の水準、寿命、長寿

「性の歴史T 知への意志」 ミッシェル・フーコー P176
<<

フーコーの権力論のベースにあるのは、外部/内部の「排他の原理」である。たとえば「規律訓練権
力」の例としてあげられるパノプティコンのような「まなざしの内面化」は本質的に神の構造である。
ある正しさがあり、それを内面化するためには、大文字の他者(神)による保障(まなざし)が必要となる。

これが内部への帰属の意味である。たとえば「ヴィトゲンシュタインのパラドクス」のように科学、数
学でも同じである。科学の正しさはなにによって保障されるのか。内部に帰属すること、そして内部
とは大文字の他者(神)によって支えられる構造をもつ。そして内部への帰属ということは、必然的に
外部への排他が作動している。そしてフーコーが言及する近代としての「規律訓練型権力」は、内部
と外部の境界を科学的方法論によって補強されている。

232 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/20(水) 09:10:20
>>
外部(環境)/グレイゾーン(科学技術)/内部(正義×公平)

科学技術・・・収集→カテゴライズ→数量化→データーベース化→法則化→シミュレート→収集・・・
<<

科学技術のカテゴライズ、データーベース化等のサイクルは、外部を開拓し、開拓された外部=グ
レイゾーンを広げ、複雑化、専門化して、厚みを持たせる。ノイズ、不確実性の排除であり、反証可
能性による予測技術である。

このような科学技術の発展は、外部/内部の「排他の原理」を変容する。外部と内部は溶解し、グ
レイゾーンが「連鎖的なメカニズムの網の目」として、拡大する。種としての身体、人口調整におい
て、人の個性、内面化された内部の論理は消失する。そしてアガンベンのいう「例外状態」に近づく。

233 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/20(水) 09:13:41
権力と快楽の螺旋運動

そしてこのような「連鎖的なメカニズムの網の目」としてのグレイゾーンの発達は、「知への意志」とい
う熱狂とともに人々自ら生みだしているのだ。

>>
事実は、それが、快楽と権力という二重の推力=衝動をもつメカニズムとして機能しているというこ
となのだ。質問し、監視し、様子を窺い、観察し、下までまさぐり、明るみに出す、そういう働きをする
一つの権力を行使する快楽がある。そして他方には、このような権力をくぐり抜け、その手を逃れ、
それをたぶらかし、あるいはそれを変装させてなければならない故に興奮するという快楽がある。

自らが追い回している快楽によって侵入されることを諾(うべな)う権力と、そしてそれに対峙するよ
うにして、自らを誇示し、相手の眉をひそめさせ、あるいは抵抗するという快楽の中に自らを主張す
る権利がある。籠絡(ろうらく)と誘惑であり、対決と相互的補強である。

親たちと子供、大人と少年、教育者と生徒、医師と病人、精神病医師とそのヒステリー患者ならびに
性倒錯者たち、彼らはすべて、十九世紀以来、このゲームを演じ続けているのだ。これらの呼びか
け、これらの逃げ、これらの循環的煽動は性器と身体のまわりに、越えるべからざる境界をではな
く、権力を快楽の無限に繰り返される螺旋を張りめぐらしたのである。

法とは非常に異なる装置が、連鎖的なメカニズムの網の目によって、特殊な快楽の増殖と変種的な
性的欲望(セクシャリティ)の多様化を保障しているのだ。

「性の歴史T 知への意志」 ミッシェル・フーコー P58-63
<<

234 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/20(水) 09:52:44
科学により新たな内外の境界づけが強化するなかで内部価値、規律訓練の意味付けの次元が希薄化する。
情報処理技術の発達によりカテゴライズ、データーベース化が進む中で、個体は均質化した個体群の集合、純粋な身体群として処理される。それが生政治である。
科学から意味の次元が消失することはない。その意味で規律訓練と生政治はソウホ的であるが、
網の目としての広がりの中で、誰かの意図のみでコントロールすることは不可能であり、意図は氾濫し拡散する。そしてこれがグレイゾーンである。
だからグレイゾーンはアガンベンも指摘するように近代特有ではない。しかし近代のテクノロジーが純粋な身体としての処理を全面化している。
奴隷の身体が純粋な身体として処理されたときそこには権力者の意図が存在したが、
近代のグレイゾーンの全面化は、知への意志という熱狂として、社会の中で進むのだ。

235 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/20(水) 12:47:40
反証可能性が科学の力であるといった。反復可能な範囲で体系化することで誰にでも開かれる。
さらには数量化など論理性によって伝達を容易にする。
発見され公開された科学の知は多くの人に反復され、さらに改良される。
いまでいうオープンソース、創発の知である。
そして創発の力動は知への意志という熱狂である。
ベーコン主義がみうしなっているものがまさに熱狂である。
だからパラダイムシフトをある偉人に帰属させ、その才能、境遇をさぐり、還元するのは歴史主義的誤謬である。
さまざまな試み、多くにおいてトンデモと熱狂がパラダイムシフトを生む。
科学というあいまいなダイナミズムが熱狂の一つであり、特に近代以降に流行った方法論である。

236 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/20(水) 13:28:18
■反復可能性という「科学技術」の力

「反復可能性」が科学の力であるといった。反復可能な範囲で体系化することで誰にでも開かれる。
さらには数量化など論理性によって伝達を容易にする。発見され公開された「科学の知」は多くの人
に反復され、さらに改良される。これは反証可能性として期待されるが、より重要なことは反復可能
性である。たとえば進化論は反証されなくても、進化論に関して反復されればよい。

これは、いまでいうオープンソース、創発の知である。そしてこのような創発の力動は「知への意志」
という熱狂であり、反復できることの楽しさが熱狂を生むのである。ベーコン主義が見失しなってい
るものがまさにこの「熱狂」である。

だからパラダイムシフトをある偉人に帰属させ、その才能、境遇をさぐり、還元するのは歴史主義的
誤謬である。さまざまな試み、多くにおいてトンデモと熱狂がパラダイムシフトを生む。そしてこの「科
学技術」は、近代以降に流行った方法論であり、自然主義的闘争様式の一つである。

237 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/20(水) 13:48:46
なぜ近代に科学技術は成功したのか

238 :考える名無しさん:2006/09/20(水) 13:56:56
ぴかぁさんはどうしてだと思います?

239 :考える名無しさん:2006/09/20(水) 13:57:28
いつも、ぴかぁさんの文章を楽しみに読んでます。

240 :考える名無しさん:2006/09/20(水) 13:57:59
ところで、ぴかぁさんは働いていないんですか?

241 :考える名無しさん:2006/09/20(水) 14:13:40
哲学の名を借りてこういう連想ゲームみたいな言葉遊びやりだしたのは誰?

242 :ぴか〜スレ向上委員会:2006/09/20(水) 23:37:37
>>237
それは「熱狂」に対してシラケたからだ
神学にシラケなければ科学もデカルト(=近代哲学)も生まれない

243 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/20(水) 23:45:23
>>242
ニュートンがなにものか知らないのですか?
キリスト教と科学技術の連続性は、様々に語られますね。
簡単にいえば、科学は神のために探求されたのです。

244 :ぴか〜スレ向上委員会:2006/09/20(水) 23:57:14
「神学の熱狂」にシラケなければニュートンはありえないよ
まあ、ニュートンは新たな神学=プリンピキア(熱狂)の創始者だけども

ぴか〜氏の「自然主義的闘争史観」だってシラケと熱狂の往復運動の所産だろ

このニ項対立は解けないんだよ、脱構築的にならざるを得ないと思うよ

245 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/21(木) 00:33:45
>>
やがて一二五〇年から一三五〇年の間に、理論面はともかく実際の応用面で、著しい変化が現れ
た。この一〇〇年はたぶん、一二七五年から一三二五年までの五〇年に絞り込めるだろう。この時
期に、ヨーロッパで最初に機械時計と大砲がつくられたのだ。これらの装置の出現によって、ヨー
ロッパ人は数量的に把握できる時間と空間という概念を直視せざるを得なくなった。ポルトラノ海
図、遠近法、複式簿記・・・三種類の技法の現存する最古の例が、いずれも前述した五〇年間ない
しその直後に作られたことは確実である。・・・ものごとを数量的に考える兆しが現れたのは、西ヨー
ロッパの人口と経済成長が最初のピークに達した一三〇〇年前後の事だった。

数量化革命 アルフレッド・W・クロスピー
<<

246 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/21(木) 00:34:32
>>
十九世紀末において、偉大なイギリスの歴史をふり返ってみると、一七六〇年から一八二○年にい
たる時期、・・・イギリスは大規模な「産業革命」を経験した。いま流行の「経済成長」ということをあて
はめてみると、一七六〇年までのイギリスの経済の進歩や成長はまことに遅かった。つまり折れ線
グラフにすると、折れ線は一七〇〇年から一七六〇年までは低く、そしてほとんど平らなのである。
むろん、一七六〇年以前にも工業はあった。簡単な機械や道具をつかい、分業で能率をあげるとい
う方法は、一五世紀なかばの印刷術の発明でわかるように、ルネサンス時代にもさかのぼることが
できる。

折れ線グラフは、じつはイングランド銀行の手形割引収入をあらわしている。一七六〇年ころから折
れ線は急上昇し、たちまち十万ポンドに達し、・・・十九世紀にはいると、この数字はとてつもなく上昇
をとげる。この原因は新しい機械の採用が連鎖反応的に行われ、短期間に背さんが急増したことに
さしあたり求められる。・・・こんなことは人類がはじめて経験することであった。産業革命の開始とは
さしあたりこういうことであり、一般的に「資本主義経済」が、はじめて本格的な姿をあらわしたことを
意味する。

世界の歴史10 市民革命の時代
<<

247 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/21(木) 00:39:11
>>
キリスト教では、神の理性が自然界を支配し、統括している、という信念がある。他方、人間は、神
の似像として神に造られた存在であり、それゆえまた、人間の備える理性もまた、不完全ながら、神
の理性の擬似的コピーである。すると人間の理性は、神の理性による自然界の支配把握に重なる
ことはできなくても、少なくともある程度それに近いことはできる、と考えられる。・・・こうした楽観主
義は、自然科学発展のための最も重大な契機であろう。

西欧近代科学が、自らに課した絶対的なテーゼは、ものごとを、時間、空間の枠組みのなかに、で
きる限り詳しく記述し、描写することであった。・・・西欧近代科学の知識体系が、現実の問題解決に
「有効」である理由が、このような「時間と空間内での事象の記述」に、ほとんど間然するところにな
いほどに見事に成功しところにあることは明かであろう。それは、要素主義的記述であり、還元主義
的発想である。

近代科学を超えて 村上陽一郎
<<

248 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/21(木) 00:55:22
技術的な革命は短期間で起こるようである。そこにあるのは「熱狂」だろう。
しかし過去の熱狂の内実はなかなかわからない。
だから振り返るときに、そのときになにが起こったのかと疑問がおこる。
多くにおいて、偉人のマジックへと還元してしまう。
コペルニクスであり、ニュートンであり、アインシュタインであり、ビートルズであり、
マルクスであり、ビンラディンであり・・・
そこにはムーブメントとしての熱狂が起こっている。

たとえばボクたちの卑近な熱狂は、インターネットである。
Windows95をきっかけに、人々が、そして技術開発がネットという新大陸へと
熱狂し、短期間で世界を変えてしまった。
このダイナミズムはいままさに続いている。ブログであり、mixiなどと

mixiはメール、ケータイの延長線と考えるのが良いのだろう。
ケータイを楽しんでいた人々が次に、mixiに向かう。
とても日常的な井戸端会議の延長線上にある。
ケータイを手にれても、連絡する相手がいないと始まらないことが、
mixiでも見られる。むしろ相手が先行する。

2ちゃんねるは野蛮さが注目されるが、構造からわかるように基本はデータベース型
興味をたどりスレに、他者にたどりつくことが基本である。
相手、向かう先は容易に見いだせる。
これは、いままでにないネットによって現れた集団知という現象である。
mixiはより広く日常に浸透していることを表している。

249 :考える名無しさん:2006/09/21(木) 00:58:50
お前2ちゃんがなかったら、どうやって生きるのかね。

250 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/21(木) 01:02:28
科学技術の熱狂、数量化革命であり、産業革命であり、マルクスのいうように、
経済活動との影響が大きいようである。
それは単に、資本へ向かっているということでなく、豊かさに自由と平等という
精神的、思想的な面も大きいだろう。

251 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/21(木) 01:08:28
熱狂自体は近代の発明だろうか。
否、地域と時代という局所において、短期間に熱狂は起こっているだろう。
たとえば農業の発展など、歴史は緩やかに進むと言うよりも、
ある短期間に爆発する傾向があるように思う。

たとえば、これは技術開発であり、生物進化であり、言われている
現象である。(当然、生物進化の短期は長期であるが)
あるブレイクをもとに、短期で社会を変えていく。
これらは、認識論的切断、あるいはパラダイムシフトと
呼ばれているものだろうか。

252 :考える名無しさん:2006/09/21(木) 01:09:44
現実逃避もここまでくるとグロだね。

253 :考える名無しさん:2006/09/21(木) 01:14:03
まず自分のネット依存ありきで、その言い訳を書いているようにしか見えないね。
だんだんぴかが可哀想になってきた。

254 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/21(木) 01:14:39
ボクが考えるのは、これは「自然」の産出であると考えている。

>>
技術(テクネー)とは利便性を目指すのでなく、「自然」の開拓であり、開拓される「自然」
=無垢の制作=グレイゾーン化である。

グレイゾーン化は熱狂を生む。グレイゾーン化は、「自然」の開拓するのではなく、
開拓される「自然」(無垢)そのものを創造する。ここに開拓されるべき新たな自然が
あるという発見へ人々が向かう熱狂である。そして熱狂と共に新たな人間像を提示する。
たとえばケータイが開発者の意図に反し、あたらなコミュニケーション場という「空間」の
創造に人々が群がり(熱狂し)、急速に広まったのだ。
<<

あるブレイクがそこに「自然(無垢)」を創造する。これは、方法論の開発である。
日常が、新たな「自然(無垢)」への変容する切り口である。
それはある天才によって起こると言うよりも、大きな流れの中起こるのだ。

255 :考える名無しさん:2006/09/21(木) 01:26:25
なーるほど。だから君のようにくそくだらない文章を書いているだけでせんずり的
熱狂ができるわけか、新しいメディアであるインターネットでは。
いやー、私ももう老人ですな。まったくついていけなかった。すまんすまん。

256 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/21(木) 08:55:21
宗教は熱狂だ

257 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/21(木) 10:32:39
■なぜ熱狂は語られないのか

近代自然科学と経済

>>
近代科学を超えて 村上陽一郎より

・自然科学の特徴は、要素還元主義にある。(空間(時間)的、偶然性の排除、非擬人主義)
・自然の構造は簡単な形に定式化できる、という信念が隠されている。
・ヘブライズムからキリスト教における、主客分離(観察する主体(人間)と観察される客体(自然)の
影響がある。
・「普遍」的で絶対的な意味をもつかのように、地球上に拡大した最大の理由は、現実への「有効
性」にある。その「有効性」を支えているのは、時間、空間の枠組みのなかに、できる限り詳しく記述
し、描写するという人間の認識活動と密接に結びついているからである。
<<

近代科学の成功が、現実への「有効性」にあることには同意である。それを「人間の認識活動との密
接な結びつき」に求めるのは、なぜ長い人類史において近代なのか、という問題が起こる。

仮に科学の持つ時間、空間の枠組みにより要素還元主義が人間の認識能力と結びつくとしても、そ
れは人間は道具をもつというレベルでの話ではないだろうか。この意味で近代に科学が成功したの
は、マルクスのいうように、経済活動と関係を抜きには語れないだろう。

258 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/21(木) 10:33:14
>>
やがて一二五〇年から一三五〇年の間に、理論面はともかく実際の応用面で、著しい変化が現れ
た。この一〇〇年はたぶん、一二七五年から一三二五年までの五〇年に絞り込めるだろう。この時
期に、ヨーロッパで最初に機械時計と大砲がつくられたのだ。これらの装置の出現によって、ヨー
ロッパ人は数量的に把握できる時間と空間という概念を直視せざるを得なくなった。ポルトラノ海
図、遠近法、複式簿記・・・三種類の技法の現存する最古の例が、いずれも前述した五〇年間ない
しその直後に作られたことは確実である。・・・ものごとを数量的に考える兆しが現れたのは、西ヨー
ロッパの人口と経済成長が最初のピークに達した一三〇〇年前後の事だった。

数量化革命アルフレッド・W・クロスピー
<<

>>
十九世紀末において、偉大なイギリスの歴史をふり返ってみると、一七六〇年から一八二○年にい
たる時期、・・・イギリスは大規模な「産業革命」を経験した。いま流行の「経済成長」ということをあて
はめてみると、一七六〇年までのイギリスの経済の進歩や成長はまことに遅かった。つまり折れ線
グラフにすると、折れ線は一七〇〇年から一七六〇年までは低く、そしてほとんど平らなのである。
むろん、一七六〇年以前にも工業はあった。簡単な機械や道具をつかい、分業で能率をあげるとい
う方法は、一五世紀なかばの印刷術の発明でわかるように、ルネサンス時代にもさかのぼることが
できる。

折れ線グラフは、じつはイングランド銀行の手形割引収入をあらわしている。一七六〇年ころから折
れ線は急上昇し、たちまち十万ポンドに達し、・・・十九世紀にはいると、この数字はとてつもなく上昇
をとげる。この原因は新しい機械の採用が連鎖反応的に行われ、短期間に背さんが急増したことに
さしあたり求められる。・・・こんなことは人類がはじめて経験することであった。産業革命の開始とは
さしあたりこういうことであり、一般的に「資本主義経済」が、はじめて本格的な姿をあらわしたこと
を意味する。

世界の歴史10市民革命の時代
<<

259 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/21(木) 10:33:53
技術革命と熱狂

技術的な革命は短期間で起こるようである。そこにあるのは「熱狂」だろう。しかし過去の熱狂の内
実は構成にはわからない。だから振り返るときに、そのときになにが起こったのかと疑問がおこる。
多くにおいて、偉人のマジックへと還元してしまう。コペルニクスであり、ニュートンであり、アインシュ
タインであり、ビートルズであり、マルクスであり、ビンラディンであり・・・そこにはムーブメントとして
の熱狂が起こっている。

たとえばボクたちの卑近な熱狂は、インターネットである。Windows95をきっかけに、人々が、そして
技術開発がネットという新大陸へと熱狂し、短期間で世界を変えてしまった。このダイナミズムはい
ままさに続いている。ブログであり、mixiなどと。

260 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/21(木) 10:34:28
「自然」産出としてのパラダイムシフト

ボクが考えるのは、パラダイムシフトは「自然」の産出であると考えている。あるブパラダイムシフト
がそこに「自然(無垢)」を創造する。これは、方法論の開発である。日常が、新たな「自然(無垢)」へ
の変容する切り口である。それはある天才によって起こると言うよりも、大きな流れの中起こるのだ。

>>
技術(テクネー)とは利便性を目指すのでなく、「自然」の開拓であり、開拓される「自然」=無垢の制
作=グレイゾーン化である。

グレイゾーン化は熱狂を生む。グレイゾーン化は、「自然」の開拓するのではなく、開拓される「自然」
(無垢)そのものを創造する。ここに開拓されるべき新たな自然があるという発見へ人々が向かう熱
狂である。そして熱狂と共に新たな人間像を提示する。たとえばケータイが開発者の意図に反し、あ
たらなコミュニケーション場という「空間」の創造に人々が群がり(熱狂し)、急速に広まったのだ。
<<

261 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/21(木) 10:37:40
「熱狂」はあるのか?

ボクはビートルズが好きで、フィルムなどでその人々の熱狂を見ることができるが、それでもこのよう
な熱狂(時代の空気)をとらえることは困難であり、またそれを後世に伝達することは不可能に近
い。後世にはビルゲイツなどの人物をキーにした物語として語れるのではないだろうか。

さらに問題は、同じ時代を生きていても、熱狂とはなにかという問題がある。共時性を考えるときに、
マスメディアによってつくられることが多々ある。しかしそれも含めての共時性であり、「内部」といえ
る。だから熱狂はとらえられないかなり曖昧なものでであるとしかいえない。あるいは事後的なもの
でしかない。

これは人工知能や「クオリア」論につながる、意味論に似ている。「あなたの見ている赤は私の見ている
赤と同じか」、コンテクストの共有は可能か。「あなたが感じている熱狂は私の感じている熱狂と同じか」

262 :考える名無しさん:2006/09/21(木) 12:16:42
まあ よくもこれだけダラダラと中身のない悪文を綴れるものだと、その一点だけは素直に感心しよう。

がしかし、肝心の内容についてはその量に比して読むべきところは少ない。
一見難解な文体は、伝えるべき内容の故ではなく、ぴか一の文章力がないためなのは、今更いうまでもない。
何かを考えたい、伝えたい情熱だけは買うが、それが稚拙さと欺瞞で為されているので何も伝えられないもどかしさをこちらがわのレベルが低いと転化させる。
それでも、やはり共感を得られないもどかしさは払拭できずにまた書き連ねる。
まさに猿のセンズリスパイラルですね。
果たして、この展開も転調もない愚考はいつまで続くのか
どういった形で閉塞した論に終止符が打たれるのか
見ている者の関心は、もはやこのあたりにしかないことを

気付くわけないやね。

263 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/21(木) 12:25:38
たとえば東海村で放射能漏れの事件があった。一人か二人被爆したように覚えている。
このときある九州あたりの大学にかようオーストラリア人留学生の母親が息子を帰国させたというニュースをみた。
報道とはそのようなものである。あるフレームを切り取られそれがすべてのように語られる。

264 :考える名無しさん:2006/09/21(木) 12:33:00
ビートルズが好きなら、どこがいいか語ってみな。
なんにも知らんのだろ?
君がよくやる手法でね。
標題だけ明示して、知識が多岐に渡っていると暗示する。
だろ?

265 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/21(木) 12:34:34
これは単にマスメディアの弊害ということでなく、フレーム問題そのものである。
コンテクストとはなにか、いかに共有されるのか

266 :考える名無しさん:2006/09/21(木) 12:38:47
ほら、もう煙にまいてる。
本性は何もわからんのだろ?


267 :考える名無しさん:2006/09/21(木) 12:41:14
コンテクスト云々は散々騙ってきたろ?
バリエーションのないやつだな。

268 :考える名無しさん:2006/09/21(木) 13:09:01
判る人には解るという事だろう、多分。


269 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/21(木) 15:18:39
■なぜ「熱狂」は語れないのか

近代自然科学と経済

>>
近代自然科学の特徴は、要素還元主義にある。(空間(時間)的、偶然性の排除、非擬人主義)ここ
には、自然の構造は簡単な形に定式化できる、という信念が隠されている。またヘブライズムからキ
リスト教における、主客分離(観察する主体(人間)と観察される客体(自然)の影響がある。

このような「局地」的な近代西欧の科学技術が、「普遍」的で絶対的な意味をもつかのように、地球
上に拡大した最大の理由は、現実への「有効性」にある。その「有効性」を支えているのは、時間、
空間の枠組みのなかに、できる限り詳しく記述し、描写するという人間の認識活動と密接に結びつ
いているからである。

「近代科学を超えて」 村上陽一郎より http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20060921
<<

近代科学の成功が、現実への「有効性」にあることには同意であるが、それを「人間の認識活動との
密接な結びつき」に求めるのは、なぜ長い人類史において近代なのか、という問題がうまれる。

仮に科学の持つ「時間、空間の枠組みにより要素還元主義」が人間の認識能力と結びつくとしても、
それは人間は道具をもつというレベルでの話ではないだろうか。近代に科学が成功した要因として
は、マルクスのいうように、経済活動と関係を抜きには語れないだろう。

270 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/21(木) 15:19:15
熱狂という「大きな時代の空気(コンテクスト)」

技術的なパラダイムシフトは短期間で起こるようである。このような短期間に変容するダイナミズム
こそが「熱狂」だろう。

ボクはビートルズが好きで、フィルムなどでその人々の熱狂を見ることができるが、これは「熱狂」と
は違う。「熱狂」はビートルズに還元できない。名もない者達も集うイギリスに起こったロックミュー
ジックのムーブメントとであり、さらにそのようなムーブメントを支える技術革新であり、これらを含め
て「大きな時代の空気(コンテクスト)」である。

だからパラダイムシフトを振り返るときに、その短期間になにが起こったのかと疑問がおこる。そして
多くにおいて、「天才のマジック」へと還元されてしまう。コペルニクスであり、ニュートンであり、アイ
ンシュタインであり、ビートルズであり、マルクスであり・・・これらは、人物名というよりもムーブメント
としての熱狂の名である。

271 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/21(木) 15:19:48
「自然」産出としてのパラダイムシフト

ボクは、このような「熱狂」は「自然」の産出であるといった。あるパラダイムシフトがそこに「自然(無
垢)」を創造する。これは、方法論の開発である。日常が、新たな「自然(無垢)」への変容する切り口
である。そしてこの開かれつつある「自然(無垢)」の前で人々の欲望が想起され、殺到するのである。

>>
技術(テクネー)とは利便性を目指すのでなく、「自然」の開拓であり、開拓される「自然」=無垢の制
作=グレイゾーン化である。

グレイゾーン化は熱狂を生む。グレイゾーン化は、「自然」の開拓するのではなく、開拓される「自然」
(無垢)そのものを創造する。ここに開拓されるべき新たな自然があるという発見へ人々が向かう熱
狂である。そして熱狂と共に新たな人間像を提示する。たとえばケータイが開発者の意図に反し、あ
たらなコミュニケーション場という「空間」の創造に人々が群がり(熱狂し)、急速に広まったのだ。

なぜグレイゾーン化は熱狂を生むのか http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20060912
<<

272 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/21(木) 15:20:29
「熱狂」は語れない

ボクたちの卑近な熱狂は、インターネットである。Windows95をきっかけに、人々が、そして技術開発
者がネットという「新大陸」(という無垢な自然)へと乗り出し、短期間で世界を変えてしまった。この
ダイナミズムはブログであり、mixiとまさに続いており、ボクたちはそのただ中にいる。

ボクたちはこの熱狂を語ることができるだろうか。たとえば東海村で放射能漏れの事件があったと
き、ある九州あたりの大学に通うオーストラリア人留学生の母親が、放射能漏れのニュースを見て、
息子を帰国させたというニュースをみた。報道とはそのようなものである。あるフレームを切り取ら
れ、それがすべてのように語られる。

これは単にマスメディアの弊害ということでなく、「フレーム問題」そのものである。コンテクストとはな
にか、いかに共有されるのか。それは、そのようなマスメディアの切り取りも内包したところにコンテ
クストである。

「いまはいつか時代が評価してくれるだろう」という言葉があるが、熱狂を語ることは、後世に事後的
にしか客観的に語れない。そしてその客観はその時代の価値による一つの物語として語られるが、
そこには「熱狂」そのものは失われている。だからといって熱狂が幻想ということではなく、人は「熱
狂」にただ巻き込まれることで生きるしかない。

273 :考える名無しさん:2006/09/21(木) 15:27:09
ネットぼけの決め付けもいい加減にしやがれ。

274 :考える名無しさん:2006/09/21(木) 15:37:10
マラチオーン凝縮説は理解しているつもりだが、分離狭窄と併存できるのか
という問題がある。おそらく承知の上だろうがそれならば「金属探知機に於
けるホイップクリームの汎用性エラー」についての見解を伺いたい。

275 :考える名無しさん:2006/09/21(木) 15:44:24
ま、いちおう統語中枢ということになっとるブローカ及びその周縁部が、
まあ、ブローカ野の隣に運動野が走っているから、いわゆるアクションと
ランゲージつーか言語産出はフィジカルなレベルではリンクしている罠。で、
わしは本で書いたかもしれないしどこかで発言したかもしれないが、わしら人
の脳にはもともとブローカ野なんてなかったのだよ。あったのは運動野だけ。
で、突然変異でもって運動野の一部がブローカ野に変異し、そして何かの拍子
にそれが言語産出に転用されたのにすぎないと思っている。

>つーか、こういう系統発生と個体発生の混同は認知ブンポーの専売特許
>であるにゃ
まあ、あれだなー、認知ぶんぽーは何から何まで混同している気
がせんでもない罠。で、どーでもええことだが、顔餅の近くに人のハナシを聞
かない(ワラ)寒いおやじギャグを連発する香具師がいると思うが、そのシトの
hpを見るとなんか派手に勉強会みたいのやっているようだが、顔餅はそーゆー
やってねぇのか?てか、学生指導とかしてねぇのか?ま、どー
でもええことだがな。



276 :考える名無しさん:2006/09/21(木) 15:53:32
>>272
そうですか…









ぢや黙れボケ

277 :考える名無しさん:2006/09/22(金) 01:18:52
いったい何事ですか?

278 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/22(金) 01:22:35
熱狂とは、パラダイムシフトという開かれつつある「自然(無垢)」の前で、人々の欲望が想起され、
殺到するような「大きな時代の空気(コンテクスト)」である。
熱狂のただ中にいるとき、決して語れないし、後世に事後的に語るときには、一つの物語として語ら
れ、「熱狂」そのものは失われている。だから人は「熱狂」にただ巻き込まれしかできない。

279 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/22(金) 10:09:17
熱狂は近代の発明品だろうか。
市民、大衆、若者、子供、人間などさまざまな様態が近代発明されてきたが、
熱狂もまたそのひとつだろうか。
たしかに熱狂はまなざしを必要とする。まなざしの内部により作り出される。
あるいは熱狂が内部をより強固なものにする。想像の共同体である。
しかし熱狂は規模に規定されない。小さなものコミュニティにおいてもおこる。
熱狂の本質は個体の欲動であり、他者の欲望を欲望することによるからだ。
一人でも熱狂はうまれる。想像の他者への欲望によって。というか熱狂はいつも一人なのである。想像の他者、すなわち欲望は大文字の他者への欲望だから
だから未開社会であっても熱狂は駆動する。でなければ未開社会に象徴的秩序は必要とされないだろう。
そして未開社会において熱狂は祝祭という時間的な制約をうけていた。

280 :Tar ◆SQIDAUQYpc :2006/09/22(金) 10:12:58
あーなんかだるい。

281 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/22(金) 10:18:03
あるいは他部族との闘争にである。
その意味では近代から現代へは、熱狂の日常化がおこり、さらに熱狂の純化、目的化がおこっているといえる。
ネットはなぜ一極集中がおこるのか、と言われるが、まさに熱狂の純化が働いていることがひとつのよういんだろう。
物理的制約を超越し出会える場において熱狂は加速し、純化されるのである。
ネットとはそのような装置である。そしてネット住人は熱狂機械と化す。

282 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/22(金) 10:30:28
このようなドゥルーズ、フーコーらの「機械」論は疎外論である。
機械のパーツとして接合され熱狂させられる。
現代の熱狂の純化は人間のもつ熱狂性の解放だけでなく、テクノロジーによる増幅面が多々あるだろう。
ある意味で現代人は熱狂への中毒性にさらされ、だれもが、仕事やネットなどさまざまな依存症をもっている。
特に大きな要因だアメリカでうまれた消費文化であり、マスメディアによるマーケティングだ。
これらはボードリヤールがシュミラークル、ハイパーリアルと呼んだものに対応する。これらは現代的熱狂の純化の別名である。

283 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/22(金) 10:36:14
このような熱狂機械は、ネットへ接合されたときには、
もはやマスメディアによる先導を必要としないほどに自立的し、さらにネットにより加速されたのである。

284 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/22(金) 10:49:12
疎外され装置に接合される器官機械群と、開かれつつある無垢への欲望が
コントロールを越えていく器官なき身体群という二面性により、
熱狂は駆動し、パラダイムという時代のコンテクストをつくっていく。

285 :考える名無しさん:2006/09/22(金) 11:00:25
熱狂してるのはお前だけだよ。
ブログでやれ。
目障りだよ、キチガイ

286 :考える名無しさん:2006/09/22(金) 11:05:27
認知はあんまり関係ないかも知らんけど
最近、暇つぶしに本棚で眠ってた
『20世紀言語学入門』(加賀野井秀一, 講談社現代新書1248)
読んだら、結構面白かったよ

1. ソシュール
2. 構造言語学(クルトネ、プラーグ学派、ヤコブソン、コペンハーゲン学派、マルティネetc.)
3. アメリカ構造言語学(ボアズ、サピア、ブルームフィールド、ハリス、パイクetc.)
4. 構造主義一般(レヴィストロース、フーコー、アルチュセール、ラカン、バルト、...etc.)
5. 記号論
6. 生成言語学
7. いろいろ(意味論、語用論、言語行為論、社会言語学、コンピュータ言語処理)

こんな感じだった
認知で、日本語でさくっと読めて、「うほっ面白っ」って感じの入門書ってある?

287 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/22(金) 11:08:25
オタクという熱狂機械群は、セクシュアリティを増幅する二次元装置により接合され駆動する。
この二次元装置は増幅された卑近な想像世界に閉じており、ただヒステリーな美少女という収束点により解放される構造をもつ。
この二次元装置に接合されたオタク機械群がその収束点から垣間見える無垢へ暴力的な欲動を射精することで熱狂は駆動している。

288 :考える名無しさん:2006/09/22(金) 11:11:13
皆様方のレスに感謝致します。

私のような投稿に対して意見評価を書いてくださるだけである意味励みともなります。


またこうして夫婦のことを見知らぬ方に読まれることは独特な感じです。私の心具合を書いてみます。妻を愛してるからこそ他人へという思いはお分かりになると思います。
ただ3pでは思うような妻の姿を見ることができませんでした。もし3pで妻が男にすがりすすり泣き腰を嫌らしく振っていたなら3pで満足したかと思います。
そして3pの現場に私がいなかったら(3pで居なかったらはおかしい言い方)妻は違った感じで抱かれると感じたのです。
そして男に口説いて貰い、男と妻の間から私存在を消したわけです。正確には妻だけの前からです。


289 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/22(金) 11:11:59
二十世紀言語学はボクも楽しく読みました。よくまとまった本ですね。
認知はかなり多岐にわたり、全体をみるのはむずかしいですね。まずぐぐってみるとよいのでは

290 :考える名無しさん:2006/09/22(金) 11:13:42
バッカじゃね
コピペにレスしてやがる

291 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/22(金) 11:19:51
このような二次元装置の発明は日本文化に根ざすといわれるが
そのはじめは安価で視覚的装置であることをもとにしているだろう。
三次元でなく二次元であるのはとくに運動性を排除することで、聴覚より視覚に特化しすることでナルシズムを増幅させる効果といわれる。


292 :考える名無しさん:2006/09/22(金) 11:20:09
ゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラ

293 :考える名無しさん:2006/09/22(金) 11:24:34
57:名無し象は鼻がウナギだ! :04/10/28 14:01:56 [sage]
>>48
認知はあんまり関係ないかも知らんけど
最近、暇つぶしに本棚で眠ってた
『20世紀言語学入門』(加賀野井秀一, 講談社現代新書1248)
読んだら、結構面白かったよ

1. ソシュール
2. 構造言語学(クルトネ、プラーグ学派、ヤコブソン、コペンハーゲン学派、マルティネetc.)
3. アメリカ構造言語学(ボアズ、サピア、ブルームフィールド、ハリス、パイクetc.)
4. 構造主義一般(レヴィストロース、フーコー、アルチュセール、ラカン、バルト、...etc.)
5. 記号論
6. 生成言語学
7. いろいろ(意味論、語用論、言語行為論、社会言語学、コンピュータ言語処理)

こんな感じだった
認知で、日本語でさくっと読めて、「うほっ面白っ」って感じの入門書ってある?

294 :考える名無しさん:2006/09/22(金) 11:28:30
58:名無し象は鼻がウナギだ! :04/10/28 14:46:33
>>57
ウンゲラー&シュミット著 池上訳の「認知言語学入門」はどうか?
原著はノンネイティブが書いていることもあり英語が平易なので、
原著で読んだ方がいいと思うが。訳の方は中を見てないので、
なんとも。


295 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/22(金) 13:23:18
■なぜ「天然」は恐ろしいのか

天然とは場の空気が読めないものである。
場の空気とは贈与互酬の力学である。あるもの起こした負債をだれかが補うこと場は保たれる。
笑いのボケはあえて負債をうみ、あえて回収する遊びである。
天然は意図ぜず場の空気を乱してしまう。
ボケが意図的である自制のなかで、回収可能な範囲で場をみだすのに対して、
天然はコントロール外に場をみだしてしまうことがおこる。
回収されない負債に人々はイライラし、いじめ、バッシングがおこる。

しかしここに転倒がおこることがある。負債そのものが場に受け入れられるということだ。
世の優秀な指導者は夢想家であり、場になじめない奇人変人であることが多い。
そして「あるタイミング」で負債が受け入れられたとき、あらたな空気を生成する力になる。
このような破壊的な行為は場を読めるものにはできず、天然の無謀さによることがおおい。
このとき天然は天才を呼ばれる。そして新たな空気は納得によってでなく、「感染」するのだ。

たとえばヒットラー、ナポレオンなど、最近では小泉首相など
精神科医の斎藤環によると、このような天然性は精神分析でヒステリー性と呼ばれ、
オタクのアニメの美少女はヒステリー性の特性をもつという。たとえば最近ではハルヒのように。
これは、処女信仰につながり、古くは卑弥呼などの呪術でも作動していたのだろう。

296 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/22(金) 13:36:57
■熱狂生成装置

熱狂という「時代の空気(コンテクスト)」

熱狂とは、パラダイムシフトという開かれつつある「自然(無垢)」の前で、人々の欲望が想起され、
殺到するような「時代の空気(コンテクスト)」である。熱狂のただ中にいるとき、決して語れないし、
後世に事後的に語るときには、一つの物語として語られ、「熱狂」そのものは失われている。だから
人は「熱狂」にただ巻き込まれしかできない。

297 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/22(金) 13:37:41
近代における熱狂の純化

熱狂は近代の発明品だろうか。市民、大衆、若者、子供、人間などさまざまな様態が近代発明され
てきたが、熱狂もまたそのひとつだろうか。たしかに熱狂はまなざしを必要とする。まなざしの内部に
より作り出される。あるいは熱狂が内部をより強固なものにする。想像の共同体である。しかし熱狂
は規模に規定されない。小さなものコミュニティにおいてもおこる。熱狂の本質は個体の欲動であ
り、他者の欲望を欲望することによるからだ。一人でも熱狂はうまれる。想像の他者への欲望によっ
て。というか熱狂はいつも一人なのである。想像の他者、すなわち欲望は大文字の他者への欲望だから。

だから未開社会であっても熱狂は駆動する。でなければ未開社会に象徴的秩序は必要とされない
だろう。そして未開社会において熱狂は祝祭という時間的な制約をうけていた。あるいは他部族との
闘争にである。

その意味では近代から現代へは、熱狂の日常化がおこり、さらに熱狂の純化、目的化がおこってい
るといえる。ネットはなぜ一極集中がおこるのか、と言われるが、まさに熱狂の純化が働いているこ
とがひとつの要因だろう。物理的制約を超越し出会える場において熱狂は加速し、純化されるのである。

298 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/22(金) 13:38:36
「機械」疎外論

現代の熱狂の純化は人間のもつ熱狂性の解放だけでなく、テクノロジーによる増幅面が多々あるだ
ろう。ある意味で現代人は熱狂への中毒性にさらされ、だれもが、仕事やネットなどさまざまな依存
症をもっている。特に大きな要因だアメリカでうまれた消費文化であり、マスメディアによるマーケティ
ングだ。これらはボードリヤールがシュミラークル、ハイパーリアルと呼んだものに対応する。これら
は現代的熱狂の純化の別名である。

たとえばネットは熱狂を生む装置である。そしてネット住人は熱狂機械と化す。このような熱狂機械
は、ネットへ接合されたときには、もはやマスメディアによる先導を必要としないほどに自立し、さら
にネットにより加速されたのである。

このようなドゥルーズ、フーコーらの「機械」論は疎外論である。機械のパーツとして接合され熱狂さ
せられる。疎外され装置に接合される器官機械群と、開かれつつある無垢への欲望がコントロール
を越えていく器官なき身体群という二面性により、熱狂は駆動し、パラダイムという時代のコンテクス
トをつくっていく。

299 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/22(金) 13:42:27
熱狂生成装置の収束点としての「天然」

天然とは場の空気が読めないものである。場の空気とは贈与互酬の力学である。あるもの起こした
負債をだれかが補うこと場は保たれる。笑いのボケはあえて負債をうみ、あえて回収する遊びであ
る。天然は意図ぜず場の空気を乱してしまう。ボケが意図的である自制のなかで、回収可能な範囲
で場をみだすのに対して、天然はコントロール外に場をみだしてしまうことがおこる。回収されない負
債に人々はイライラし、いじめ、バッシングがおこる。

しかしここに転倒がおこることがある。負債そのものが場に受け入れられるということだ。世の優秀
な指導者は夢想家であり、場になじめない奇人変人であることが多い。そして「あるタイミング」で負
債が受け入れられたとき、あらたな空気を生成する力になる。このような破壊的な行為は場を読め
るものにはできず、天然の無謀さによることがおおい。このとき天然は天才を呼ばれ、熱狂生成装
置の収束点として作動する。そして新たな空気は納得によってでなく、熱狂生成装置による熱狂と
して「感染」していくのだ。

たとえばヒットラー、ナポレオンなど、最近では小泉首相など。精神科医の斎藤環によると、このよう
な天然性は精神分析でヒステリー性と呼ばれ、オタクのアニメの美少女はヒステリー性の特性をも
つという。たとえば最近ではハルヒのように。これは、処女信仰につながり、古くは卑弥呼などの呪
術でも作動していたのだろう。

300 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/22(金) 13:44:50
オタクという熱狂機械群

オタクという熱狂機械群は、セクシュアリティを増幅する二次元装置により接合され駆動する。この
二次元装置は増幅された卑近な想像世界に閉じており、ただヒステリーな美少女という収束点によ
り解放される構造をもつ。この二次元装置に接合されたオタク機械群がその収束点から垣間見える
無垢へ暴力的な欲動を射精することで熱狂は駆動している。

このような二次元装置の発明は日本文化に根ざすといわれるが、そのはじめは安価で視覚的装置
であることをもとにしているだろう。三次元でなく二次元であるのはとくに運動性を排除することで、
聴覚より視覚に特化しすることでナルシズムを増幅させる効果といわれる。

オタクの二次元装置のように熱狂生成装置は閉じた内部と外部としての無垢への収束点で構成さ
れる。たとえばこれは進行への熱狂において同様であるし、ネットにおいても視られたい人に視られ
ているというまなざしの快楽として作動している。

301 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/22(金) 14:03:15
このような意味で、ネットでは日々多様な収束点が生まれ、消えることが、
熱狂が多発的に無数発生している。そしてネットそのものは大きな漠然として装置であり、
共同体として作動しているといえる。
その中で下部構造として装置も、web2.0などと呼ばれ、日々更新、生成されることを
求められている。

熱い熱狂と冷たいシステムの対立は存在しない。一つの大きな熱狂生成装置として
作動し、生成しているのだ。

302 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/22(金) 18:57:19
負債の力学は死によって絶頂に達する。そこに完全な終わりがあらわれるからである。
そしてそこにしか死は存在しない。だから現存在はそこにのみ実存しえる。すなわち世界が開示されるのだ。
負債の力学の場、それは熱狂により世界は可能になる。
熱狂のないところに死は存在しない。

303 :考える名無しさん:2006/09/22(金) 20:26:27
自分に酔ってるな。
見苦しい。

304 :考える名無しさん:2006/09/22(金) 20:36:58
誰も頼んでもいなければ、また聞きたくもないこと書き連ねるより、自分の異常な執着心は何故持続するのか
考えてみな。

305 :考える名無しさん :2006/09/23(土) 05:23:06
ぴか虫よ
28才ニートのオマエに
いまさら働けとは言わん
せめて自死せよ。


306 :考える名無しさん :2006/09/23(土) 05:39:50
惨めなニートの
惨めなブログ
http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/


307 :考える名無しさん:2006/09/23(土) 11:15:48
時がたてば
今はどんな指摘をしても気がつかない分
その分、時に復讐される
今が絶頂
酔っている時が長いほど、否応なく醒めたときのダメージは大きい
先に言っておく
ぴかぁ〜ご愁傷様
自業自得だな

308 :考える名無しさん:2006/09/23(土) 15:04:29
そろそろくるころJARO
我慢できないでW

309 :ぴか〜スレ向上委員会:2006/09/23(土) 19:52:06
とにかく、自分の理論体系をネットに晒したコテハンは初めて、これは評価したい
ただ2ちゃんってメディア自体「理論体系」をアップする場所にむいてないのがネックかな

ぴか〜氏を叩きたければ「自然主義的闘争論」の理論的な穴を見つけることだ
「純粋略奪」とか「熱狂」といったキー概念を、いかに「脱構築」するかだ

310 :考える名無しさん:2006/09/23(土) 23:10:28
アレ理論体系って呼べるの?
独りよがりじゃないかな?

311 :ぴか〜スレ向上委員会:2006/09/23(土) 23:27:32
>>310
まあ、今後に期待しよう、ぴか〜氏も戦略立て直してると思うよ?
コピペまわし続けるか、対話の方向へシフトするか?

とにかく、2ちゃんで困難な立場を、あえて選んだ意志は評価したい

312 :考える名無しさん:2006/09/23(土) 23:59:19
対話の方向にシフト
することだけはないと思うよ。
それをしないことで成り立っているわけだし。
どうも彼は部分的にも共感を持つ、という回路を持ち合わせていないらしい。

313 :ぴか〜スレ向上委員会:2006/09/24(日) 00:08:27
>>312
たしかにw
ぴか〜氏も東と同じアスペルガーっぽいとこはあるわな

まあ、今後の展開次第だな

314 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/24(日) 14:09:03
まなざしと視覚化の関係は重要である。

>>
たとえば、イタリアの一五世紀を代表する耽美的な新プラトン主義者マルシリオ・フィチーノは、「善き
もの(神)の本性を、太陽の光以上に余すことなく示しているものはない」と述べ、光は天の視覚行
動であると主張している。彼はまた、光を「神の影」と称しているが、これはルネサンスにおける最も
衝撃的なメタファーの一つである。

フィチーノの言葉の背景には、宗教哲学や美意識の変化があった。だが、こうした変化は、高尚な文
化を支え、その絶頂期をもたらした社会の基盤の大きな変動を示す徴候の一つに過ぎない。社会の
基盤を構成する一般大衆にとって、変化は無限で神聖な存在を思索する新たな方法という形ではな
く、有限で身近な現実世界を観察し、それに対処する新たな方法という形で現われた。P177

数量化革命 第七章 視覚化すると言うこと  アルフレッド・W・クロスビー
<<

315 :考える名無しさん:2006/09/24(日) 14:26:54
相変わらずパクリと思い付きの寄せ集め。
少しは腹据えて深く考えててみろよ。
表層的で外面的効果ばかり狙った文章では、誰も読まないよ。
お前カブレテるよ。

316 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/24(日) 17:02:41
真実とは明るみに出すことである。ハイデガーはこのテーゼをデカルトのコギトを
使い説明した。我ありとは、光の中に、現前化することである。そのときに確信が現れる。
そして、なぜデカルトなのかがまさに重要である。

以前の真実は神であり、決して現前化しないが、あるものであった。
神の闇から現前化する、光を当てるところに真実は現れるのだ。
近代的であるということは、光を当てるという方法論をもつということ、
まさに科学技術的な意味をもつ。

しかし現在も、ボクたちは形而上学的に真実があるように振る舞うことでしか、
コミュニケーションすることができない。大文字の他者の「まなざし」によって、
真実は保障される。これはなにも変わらない。
ここに二面性がある。形而上学的な真実と、科学という「明るみ」という真実である。

そして相補的な真実感となる。ハイデガーの「明るみに出す」ことは一つのメタファーである。
真実は明るみに出すことである。なぜなら真実は決して明るみに出せないからだ。
これをラカンは欲望論につなげる。決して、現前化する対象を欲望するが、
それは真実の欲望でない故に、欲望は満たされることがない。

再度言えば、重要なことは、近代において、欲望と対象(真実)は、光の中で、
視覚的に現前化し、それは決して満たされることがなく、幻影されつづけるということ。

これが消費社会にそのまま対応することができるだろう。よりリアルになる
映像メディアによって、欲望は掻き立てられる。

317 :考える名無しさん:2006/09/24(日) 17:08:54
そういう受け売り解説はいらんから、お前の哲学をかたってみな、
一度でいいから、身のうちから出た真実の言葉を聞かせろよ。

318 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/24(日) 17:13:06
マスメディアはそれを目指してきた。いかに、視覚的にリアルに現前化させることで、
真実を伝えるか。あるいは真実のように伝えるか。それは今もかわらない。
リアリティというのは一つの重要な一次元軸である。

このように考えると、ネットの登場はパラダイムシフトであることがわかる。
音楽であり、ゲームであり、様々なメディアを悩ませる対抗相手としてのネットは、
掲示板であり、メールであり、ブログであり、古いメディアであるテクストである。
視覚化にとってこれは退化でしかない。

しかし人々はネットへ向かうのである。そして重要なことは、人々は本当は視覚化された
リアルなコミュニケーションを望んでいるが、ネットという技術が未熟であるために、
テクストに甘んじているわけでは必ずしもないということだ。

テクストベースのコミュニケーションそのものを望んでいるのです。
問題は、匿名の群衆が集うこの暗闇で、真実はいかに担保されているのかということだ。

319 :考える名無しさん:2006/09/24(日) 17:18:47
そんなこと言われて久しい。
おまえごときが偉そうに宣うことか?
あまり笑わせるなよ。

320 :考える名無しさん:2006/09/24(日) 17:25:17
こちらの板はすごいので、つまらない投稿で恥ずかしいですが、ごめんなさい。


愛妻のあっちゃんは私と結婚する前、前彼とお別れデートで浮気してしまいました。もちろん、私にうそをついて親戚の家に泊まりに行くと、言いましたが、何かおかしいなと思いました。
うそつくのがうまくないあっちゃんは、後でぼくに矛盾を指摘されて突っ込まれると、黙ってしまいました。それ以上攻めると、すべてが壊れちゃうような気がして、だまってあっちゃんを抱きました。
あっちゃんはセックスの最中、ずっと泣きながら「ごめんね、ごめんね」と何回も言ったので、結婚してからも、あっちゃんに「ごめんね」と言われると勃起してしまうクセがついっちゃったみたいです。
普通の男だったら浮気した女となんか結婚しないと思いますが、ぼくは大好きなあっちゃんと別れるなんて考えられなかったです。
ぼくとつき合う前にあっちゃんは前彼と数え切れないくらいセックスしてたし、今更一回くらいしても、と思うようにしました。
実際に浮気したあっちゃんのあそこを見ても何も変わってませんでした。

321 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/24(日) 17:34:34
「ウェブ進化論」で梅田はウェブ進化の方向の図式として、発想のあり方→ネットのこちら側/あちら側、
不特定多数無限大への信頼→信頼あり/信頼なし、という分類をおこなっい、以下のように言った。

>>
「コンピューターの私有に感動した」世代と「パソコンの向こうの無限性に感動した」世代の
決定的違いはなにか。一つはネットの「こちら側」と「あちら側」の違いだ。これは主に技術と
事業構造の違いだから、比較的わかりやすい。

もう一つが「「不特定多数無限大を信頼できるか否か」の違いである。これは心根の問題で
あるからわかりにくい。・・・ネット上での新事象群を理解するカギが「不特定多数無限大への信頼」
である。この「信頼」の気持ちが著しく薄い人は、新事象に生理的に嫌悪感を抱くことすらある。

ウェブ進化論 第六章 ウェブ進化は世代交代によって P223  梅田望夫
<<

この「信頼あり/なし」とは、真実への断絶(パラダイムシフト)と考えることができるだろう。
この「心根」の断絶は、光の中で育った人々の、匿名の群衆が集うこの暗闇への恐怖である。

たとえばmixiの紹介制度という顕名性は名ばかりであることは誰でも知っている。
匿名でいくらでもmixiに入会できるし、ネットになれた人は容易に個人情報を公開したりしない。
紹介制度というものが、意味をもつのは、暗闇を照らすように見せている構造にあり、
真実へのパラダイムシフトへの移行をやわらかく誘導する効果があると言えるだろう。



322 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/24(日) 17:38:46
さらに、「「コンピューターの私有に感動した」世代と「パソコンの向こうの無限性に感動した」世代の
決定的違いはなにか。」とは感動そのものである。感動とは熱狂であり、熱狂が真実のパラダイムシフトを
起こすのだ。

では、明るみから暗闇へ向かう熱狂とはなんだろうか。

323 :考える名無しさん:2006/09/24(日) 17:41:09
なんだ今度は本の感想文か。何がいいたいのだね、お前は黙ることをしらんのか。

324 :考える名無しさん:2006/09/24(日) 18:23:28
>感動とは熱狂であり、熱狂が真実のパラダイムシフトを 起こすのだ。


なんだこれ。陳腐窮まりないな。
浮かれるのもいい加減にしろや。
引用から無理矢理自分の都合のいい結論に直結させる。
それも合理的説明など皆無で理想的帰結もない。
ただ言葉の持つイメージに浮かされているだけ。
お前ネット中毒が昂じてほんとにオカシクなってんじゃないのか。

325 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/24(日) 23:11:37
>>
僕が原案と企画に関わったNHKスペシャルが本日オンエアされます。
本日[9月24日(日曜日)]の午後9時から、僕が原案を持ち込み、かつ企画に関わった
NHKスペシャル『東京“カワイイ”戦争』がオンエアとなります。

企画内容をビジネス寄りに修正せざるを得なかったなどの紆余曲折がありましたが、
最近の若者シーンとりわけファンション業界周辺を取り上げたドキュメンタリーが皆無
だったことを思えば、一応の成果だと思います。 (宮台)
<<

NHKスペシャル『東京“カワイイ”戦争』おもしろかったですが、宮台の企画だったんですね。
オタク似た熱狂がありました。

326 :考える名無しさん:2006/09/24(日) 23:27:50
オタク似た熱狂がありました。

オタクニタ

327 :考える名無しさん:2006/09/24(日) 23:34:27
ぴかぁさんの分析が正しいなら、それでマーケティングして儲けてみてください。

328 :考える名無しさん:2006/09/24(日) 23:38:17
ぴかが一体何を分析したの。
ジャーゴンパズルやってるだけだよ〜。

329 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/25(月) 00:21:26
熱狂の象徴が109なわけです。109での商売の仕方というのが、
経歴にあるデザイナーはいらない。いわゆるギャルが中心になって、
「かわいい」をサーチし、次々商品を投入していく。
この流行は2週間で古くなる、というスピード。

なにか学校みたいな感じもします。クラスって、流行りが次々
かわりますね。それは仕掛けがいるわけでなく、若さゆえに、
流動性が早い。創発性が高いコミュニティということでしょうか。

これはポップカルチャーの特徴でもあります。
オタクの熱狂は有名ですが、女子の熱狂はあんなところにあったのですね。
あのような消費漬けの女子を相手にする男は大変です。

330 :考える名無しさん:2006/09/25(月) 00:36:07
な?この程度なんだって。
所詮。

331 :考える名無しさん :2006/09/25(月) 01:09:53
このスレ削除依頼出すぞ。
なんせオマエの自演専用スレだからな。


332 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/25(月) 16:23:42
マルクスが自然というときそれは実在の自然であり、唯物論てある。ここにあるのは類的存在への回帰である。
だから資本はうそごとである。自然でないところにある。
しかし認識論的には資本も自然である。認識論的自然は無垢として現前化する。
人は自然そのものを認識できずすでに疎外することで認識する。
言語化であり、神性化であり、すなわち他者化によって、そして数量化によって
マルクスが自然について言及するときな労働である。労働は認識をこえて実在を改善する、手触りである。
資本操作を労働というときの反発はなんだろう。最近もライブドアで問題になった虚構である。
しかし労働が認識論から逃れられない保障はない。たとえばピラミッドは実在的な労働だろうか
汗にまみれた肉体は自然の開拓は実在であるがそれはまさに神的虚構であり、
それはいかなる労働にも内在する。なぜなら労働とは熱狂だからだ。
しかし問題は近代において虚構性が過剰することにある。数量化された実際はシミュレートされる。
実在は数値に置換されより近似的に再現される。資本とはシミュレートされた自然であり、グレイゾーンである。
だからマルクス的自然はロマン主義的にしか意味はない。

333 :考える名無しさん:2006/09/25(月) 16:49:37
やれやれ、馬鹿馬鹿しい。

ぴかぁよ、お前にもソーカル事件が起こらないとわからないようだな。
欺瞞野郎が

334 :考える名無しさん:2006/09/25(月) 17:18:12
戦後は、物が無い時代になって、エタノールを飲ませようとして事故起してた。
異常者なんだろうなって思う。

335 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/25(月) 17:21:02
すなわち神性化による虚構これは象徴界、無意識であり、言語に対応する
シミュレートによる虚構、これはグレイゾーン、生理に対応し、数量化である。
マルクスは商品の物神性をいうとき、神性化による虚構を指摘しつつ、それが貨幣へつなかる数量化の虚構も示している。


336 :考える名無しさん:2006/09/25(月) 17:48:56
マルクスのことなんかイラネ

337 :考える名無しさん:2006/09/25(月) 18:08:46
ぴかぁがまっとうなことを言っている ように読めてしまったら、それは巧妙な素人騙しのテクニックにひっかかって いる。
あるいは、本人自身もひっかかっているかもしれない。
ポストモダン系哲学がこのような認識論的錯誤を繰り返し、
20世紀末はこの分野はおおいに荒廃した。こんなものが真の学問的議論だなどと今では誰も思わないのです。

338 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/25(月) 18:40:10
下部構造としての資本主義と、リベラリズム。
貨幣、資本、自由、平等

339 :ぴか〜スレ向上委員会:2006/09/25(月) 19:56:14
ぴか〜氏もマルクス主義者なんだね

解ったよ

340 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/25(月) 21:15:43
マルクス主義?

341 :ぴか〜スレ向上委員会:2006/09/25(月) 21:20:35
>>340
いいよ、俺に関わらず続けてくれw

342 :考える名無しさん:2006/09/25(月) 21:57:05
下部構造としての資本主義とかっている時点で
史的唯物論だもんなぁ

いいよなぁ

343 :考える名無しさん:2006/09/25(月) 22:12:37
要するに、いつまで経っても〜がこう言ってたと引かなければなにも語れないのさ。
そのくせ、自分では人が及ばない凄いことを言ってると悦にいってる。
端からみたらお笑い草だが、本人は至って幸福感でいっぱい と。

344 :考える名無しさん:2006/09/25(月) 22:18:51
つまり、マルクス主義とか唯物史観などという気のきいた?ものでもなんでもなく、
その浅薄さゆえの自分の発言に権威づけするためのものなのです。

345 :考える名無しさん :2006/09/26(火) 00:48:15
よう、ぴかぁ
相変わらずバカか。

346 :CONTEXTSURFER:2006/09/26(火) 01:09:24
まあそうみたいですよ。

347 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/26(火) 11:28:19
マルクスの自然な労働ははじめから量化され人口論的である。
人は質を疎外され還元された生産機械でしかない。
だから人間の質は使用価値より交換価値により量としてあらわれる。
「魅力的」労働の生産物は交換価値でのみ表現されるのだ。
これはマルクス主義のすべての原点である類的本質に関係する。
それは群れ的集団である。人間の社会、共同体の個性の集団でなく、動物の群れという個体の集合である。
個性という意味は差異の体系としての交換価値によってのみ表現される。それが共同体である。


348 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/26(火) 11:33:04
そしてここに社会内部の無垢としての自然があらわれる。
外的自然から内的自然、個体から個性、群れから共同体へ、動物から人間へ



349 :ぴかぁ〜のファン:2006/09/26(火) 11:51:22
ぴかぁ〜さんにお聞きしたい。

今の日本の一部の中高年や若者はなぜ愛国に熱狂するのか?

90年代にはポストモダン思想の実践者だった宮台は、なぜ右傾化し天皇に熱狂しつつあるのか?
本人はベタではなくてメタだと言うけれども、やはりベタに見えるような・・・


350 :考える名無しさん:2006/09/26(火) 11:59:35
ぴかぁよ ここはおまえのお勉強ノートかよ。
露出狂だな。

351 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/26(火) 12:04:56
だから資本主義の問題は交換価値を使用価値へと抑圧するところにある。
人を均質な労働力として抑圧することに。
交換価値に労働による使用価値を導入するときに剰余価値はうまれのであり、逆ではない。
たとえば資本家が市場のなかでより高い交換価値をうみだすときそれは資本家の個性の表現である。
しかしそれとは別に使用価値として労働者を抑圧した剰余価値が問題になる。
すなわち労働それぞれを差異の体系のなかで評価さられることから排除している。
それを妨げるのが大量生産であり、分業である。動物個体化、機械化された
労働は使用価値として抑圧され、労働力の質の交換価値は隠蔽される。
だから労働を安易に交換価値という解放された差異の体系にさらさすことで個性が試される実力社会であるが、
分業化された労働の中では労働そのものが代替容易になっていおり、実力社会に耐えられない。
たとえば年功序列はそれを保管するシステムあった。労働時間以外に均質的な熟練価値をいれることで安心をあたえる。


352 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/26(火) 12:07:18
だから人々の熱狂は消費にむかう。商品という差異の体系で、労働で疎外された人間性の取り戻しが行われる。


353 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/26(火) 12:19:52
たとえばかつては小さなコミュニティにおいて差異の体系が作動し、個性という価値は規定されていた。
簡単には村一番の力持ちということだ。
資本主義は代替性、そして流動性を向上し、個性を個体へ還元する。交換価値を使用価値へと還元する。
たとえば最近の自分さがしとは差異の体系からはなれたみずからの使用価値の探求であるが、価値は交換価値にしかない。

354 :考える名無しさん:2006/09/26(火) 12:32:50
はいはいバクリバクリ。
目新しさはなく、既成事実ばかり。
言っていることも、見掛けのタイトルを変えているだけでルーティン。
いい加減に気がつけ。ぼんくら。

355 :考える名無しさん:2006/09/26(火) 12:46:51
その妙な文体が作為なのかどうかはしらんが、それに惑わされずに何を言っているか取り出してみるばチラウラだな。

356 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/26(火) 14:15:48
一日中暇なんだからも少し学あるつっこみできないのかね

357 :考える名無しさん:2006/09/26(火) 14:23:43
おまえに相応しいと思うけどな。
おまえは学があるのかね。
おまえの糞駄文に学のあるツッコミとやらは必要なのかね。
大体、学のある云々をしゃあしゃあと人に要求すること自体が思い上がりなんだよ、ぼんくら。
どうした?スルーできなくなったか。
一貫性のない淋しがりやだなWWW

358 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/26(火) 15:34:47
リリースしてもすぐ釣れるな

359 :考える名無しさん:2006/09/26(火) 16:34:32
おまえが釣られてんだろ

360 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/26(火) 17:01:02
いちいち食い付くな。ちょっと学習しろ。

361 :考える名無しさん:2006/09/26(火) 17:11:38
そのままお前に返してやるよ。
お得意のスルーはどうした?
よほど悔しいとみえるな。
甘えん坊さんよケケケ

362 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/26(火) 17:20:51
だから…w

363 :考える名無しさん:2006/09/26(火) 17:25:45
だからもなにもないよ。
いくらぼんくらでも、釣られているのが自分だって気がつけボケ。
早く学のあるとこ見せてくーだーさーいーなー
ってか

364 :考える名無しさん:2006/09/26(火) 17:27:16
そーれーとーもー
俺と絡んでいたいのかーなー?

365 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/26(火) 17:35:03
ちょっとスキみせるともう必死のパッチやな。
たくわん一切れでご飯二十杯食べる勢いやん。おまえはコッチェビか

また放置するわ、じゃあ一年後な。ラカンスレ荒らすのほどほどにな

366 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/26(火) 17:44:09
純一は人間のクズやな

367 :考える名無しさん:2006/09/26(火) 17:49:20
とんでもない思い違いだ。
お前を批判するのが純一だけだと思い込んでいるのがイタイ。

368 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/26(火) 17:56:37
違うならだまって純一になすりつけとけ。純一かばうおまえはだれやねん。
ほんとおまえはいつまでたっても頭の回転わるのー。

369 :考える名無しさん:2006/09/26(火) 18:02:21
それはお前の理屈だろぼんくら
相変わらず言ったこと守れないヘタレだな。
ほ う ち じゃなかったんかい

370 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/26(火) 18:13:29
すなわち商品の価値は労働時間に還元されない。そこには数量に還元するようななにものもない。
使用価値とは労働時間という誰でもよい時間という数量による抑圧である。
使用価値化により還元し、交換の数量世界に流し込む。
たとえば貴重で市場で使用価値以上の高値がつくことこそが商品のより根源的な価値である。
交換価値は他者との関係で決定し人それぞれでかわる。他者とのその場の関係で決まる。それこそが価値の本質である。
たとえば村一番の力持ちの価値は数量に還元されない。むらの中での尊敬である。
これを背筋力など計測し、世界中に広がる数量世界に流通させても、それはもともとの価値をしめさない。

371 :考える名無しさん:2006/09/26(火) 18:33:22
どんなゴタクを並べても現実をしらん奴のいうことなどだ〜れもキカンヨ。

372 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/26(火) 18:49:47
近代の資本主義社会とは、生産を分業化、マニュアル化、機械化することで
人を代替可能な機械とし、価値を労働時間として還元できるようにした。
そして数量化ネットワークへすべてのものが流し込めるようになったのである。
市場が交換価値体系であるとしても、労働時間による規定を使用価値というなら市場は使用価値を前提に組み立てられていることで作動している。

たとえばある商品の価値はその場のコンテクストのなかで交換する他者との関係で決まる。
それに高い価値を点ける人もいれば一円も払わない人もいる。高い価値をつけるコンテクストも逆もある。
これを労働時間という還元することで交換とは異なる商品価値が決まり、利益率の想定とともに市場に流通する。
市場価格とは誰でもよい人の労働時間を基本に誰でもよい人の欲求を加味し決定される。
誰でもよい人とは人口論的個体である。この誰でもよい人の出現なく資本主義社会はなりたたなかっただろう。
そして誰でもよい人は労働時間による使用価値の発明により、つくられた。
現代においてもボクたちは誰でもよい人にならなければ生きていけない。
マックはメニューから選択しなければならない。自分だけの四角いパンのマックがほしいなどといってはいけない。
それが誰でもよい人のルールである。

373 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/26(火) 19:22:18
まさに誰でもよい人になることが物質的に豊かになる条件である。
ではなぜ共産主義社会は失敗したのか。
誰でもよい人になるだけではダメで、反動として誰でもない自分になることを欲望することを望まなければならない。
それは消費にもとめられる。

たとえば現代は付加価値の高い商品、使用価値、労働時間とかけ離れた商品はブランド品などいくらでもある。
しかしこれらの高級品を支えるのは誰でもよい人が購入する使用価値に近い一般品である。
すなわち高級品の価値は一般品との相対化によって決定され、市場に流通する。
そして高級品の存在が誰でもない自分になりたいという欲望を総記する。しかしあくまで使用価値の概念こそが市場の作動要因である。

374 :考える名無しさん:2006/09/26(火) 19:35:51
 そこで気になったのがスカートです。 考えたら、私も妻のスカート姿を見るのは、2・3年振りくらいだと思います(実際の所、ハッキリとは、思い出せません)。
 肝心なのは、その中です!「…もしかしたら!?」。 しかし、残念ながら、そこまで手を入れて、確認する事は、出来ませんでした。
 さすがに、布団を捲り、スカートの中に手を入れれば、目を覚ますと思った私は、シャツの隙間から指を入れて、乳首の先を、触れるか、触れないかの感じで、2・3回転がしてみたのです!…。
『アッ!…ダメェ〜、オジサ〜ン!』『もう、イッイヤァ〜ン!』『アア〜ン!…今日は、はぁん、もうダメェ〜…ゥゥ』
 その時、寝返りを打つ様にして、妻の片ヒザが、起き上がったのです。そうです。布団の中どころか、スカートの中、奥の奥まで、昼の明るい、陽射しに晒される形になったのです。
すかさず妻の足元の周りました。 予想はして居ましたが、そこには有る筈のパンティーは無く、妻の女性自身が、何物にも、邪魔される事無く晒されていたのです。



375 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/26(火) 20:23:00
すなわち労働者の賃金が時間によって支払われることは労働者を均質化する。
それは人の質を量に抑圧する。優秀な人が損をすることでなく、
労働形体そのものが誰でも行えるようにマニュアル化し、分業化するという資本主義がめざす条件である。
時間と生産性を均質化しろ、特異な才能は分析し、マニュアル化することが求められる。
価値が多様化し、大量生産品から付加価値品が求められる現代でかわっただろうか。
知的生産が尊ばれ、実力主義が求められている。
このような中であらわれるのがオタク化である。一分野への過剰な没入、全体との差異化である。
すかわち資本主義の中で均質化、機械化するとともに、一点において差異化する。
これが価値の多様化を支え、よりニッチなマーケティングが行われる。
機械化する身体と優越する心の二元論はまさにデカルトにそのまま対応する。
それは現代でなくまさに近代的な主体像であるか、ということだ。
ボクたちがマックでビットインするような機械的に食事をすませるのは身体への補給であるからだ。


376 :ぴか〜スレ向上委員会:2006/09/26(火) 20:30:39
ぴか〜氏はマルクスにこだわらない方が良い

マルクスの価値形態論の意味が解らないと容易に「疎外論」に逆戻りだ
構造主義以前だよ

377 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/26(火) 20:32:11
機械化すること、部品化することはそう悪くはない。安心であり、安定がえらる。
なにからの安心か。自然の不確実性である。資本主義は自然への闘争に対する新たな群れの編隊系である。


378 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/26(火) 20:39:48
>>376
マジになるなよ。チビw

379 :ぴか〜スレ向上委員会:2006/09/26(火) 20:43:28
イジメられて、やさぐれちゃったかw

380 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/26(火) 20:48:48
>>379
いつまでもそやってスレを徘徊するつもりだ。
そやってどこからも距離をとれば傷つかないわな。w

381 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/26(火) 20:53:16
いいよ、俺に関わらず続けてくれw
今日は釣りデーだから。

382 :純一:2006/09/26(火) 20:55:13
じゃあ、元の名前に戻りますね。

383 :ぴか〜スレ向上委員会:2006/09/26(火) 20:57:05
2ちゃんねらーの「熱狂」は「シラケる熱狂」だ
誰からも距離をおきつつ、自分からも距離をおいて書き込む、見る

だから傷つく、名無しやROM達が一番傷ついてる、サバルタンだな

俺や貴方は、神経キレてるだけなんだよw

384 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/26(火) 21:02:10
>>383
一緒にするなよ。だいたいオマエそもそも誰だよ?

385 :純一:2006/09/26(火) 21:06:49
純一ですよ。

386 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/26(火) 21:08:45
>>383
ブログぐらいあんのか?ごらぁ!
あるなら晒してみろ。チマチマやってんじゃねえよ!


387 :純一:2006/09/26(火) 21:10:50
まあ、ありますけど、
散々晒したと思うんですがね。

388 :純一:2006/09/26(火) 21:12:03
はいよ。

ピエール・リヴィエールの犯罪
http://d.hatena.ne.jp/hirask/

389 :考える名無しさん :2006/09/26(火) 21:14:12
よう、ぴかぁ〜
相変わらず馬鹿全開だなきょうも。

390 :考える名無しさん:2006/09/26(火) 21:14:48
>今日は釣りデーだから。

ここにぴかぁの典型的特質が明らかだ。

スルーを旨としているにも関わらず、図らずも釣られてしまった悔しさを
自分が釣っていると転化する精神構造。
数々書き散らかしているレスの殆どは、この構造による都合のいい転化が行われている。
なかに、本気なのかと疑わしいが賛意を示す者がいるが、この点を見抜けないのだろう。
この手法では、充足感は刹那的にならざるを得ず、自他共に真の共感を得られず次の瞬間にはフラストレーションが貯まる。
これがまた書き散らかすエネルギーになるわけだ。
同時に、その内容に発展があればそれで良いのだが
悲しいかな、そこが見事に欠落しているのが致命的だ。


391 :考える名無しさん :2006/09/26(火) 21:17:05
ぴかぁ〜よ
とにかく働け
28才で何やってるだ、おめえさんは?

392 :考える名無しさん:2006/09/26(火) 21:19:27
どこをどう通ってこようと本当に自然を理解してきたのか問いたいのだ

393 :考える名無しさん:2006/09/26(火) 21:19:49
blogがあることが、さもなんか特別の地位にあるような言い草ですな。
予想以上の幼稚ぶり。
小学生が与えられたジャーゴンを振り回している
と解せばよいか。

394 :考える名無しさん:2006/09/26(火) 21:25:51
ちびだのブログぐらいあんのかだの
は〜やれやれ
虚勢はってもただのスポイルドチャイルドだなW

395 :考える名無しさん:2006/09/26(火) 21:38:45
>そやってどこからも距離をとれば傷つかないわな。w


これすらも一種のバクリ。
従来自分が指摘されてきたこと。
と共に、潜在的コンプレックスの顕れ。
因みにこの際、向上委員会氏には該当する要因が見当たらない。

396 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/26(火) 21:40:36
■労働時間という「誰でも良い人」が資本主義を作動する。

使用価値が市場を作動する

商品の価値は労働時間に還元されない。そこには数量に還元するようななにものもない。使用価値
とは労働時間という「誰でもよい」時間という数量による抑圧である。使用価値化により還元し、交換
の数量世界に流し込む。たとえば貴重で市場で使用価値以上の高値がつくことこそが商品のより根
源的な価値である。交換価値は他者との関係で決定し人それぞれでかわる。他者とのその場の関
係で決まる。それこそが価値の本質である。たとえば村一番の力持ちの価値は数量に還元されな
い。むらの中での尊敬である。これを背筋力など計測し、世界中に広がる数量世界に流通させて
も、それはもともとの価値をしめさない。

近代の資本主義社会とは、生産を分業化、マニュアル化、機械化することで、人を代替可能な機械
とし、価値を労働時間として還元できるようにした。そして数量化ネットワークへすべてのものが流し
込めるようになったのである。市場が交換価値体系であるとしても、労働時間による規定を使用価
値というなら市場は使用価値を前提に組み立てられていることで作動している。

397 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/26(火) 21:41:08
「誰でもよい人」の出現と資本主義社会

たとえばある商品の価値はその場のコンテクストのなかで交換する他者との関係で決まる。それに
高い価値を点ける人もいれば一円も払わない人もいる。高い価値をつけるコンテクストも逆もある。
これを労働時間という還元することで交換とは異なる商品価値が決まり、利益率の想定とともに市
場に流通する。市場価格とは「誰でもよい人」の労働時間を基本に誰でもよい人の欲求を加味し決
定される。

「誰でもよい人」とは人口論的個体である。この「誰でもよい人」の出現なく資本主義社会はなりたた
なかっただろう。そして「誰でもよい人」は労働時間による使用価値の発明により、つくられた。現代
においてもボクたちは「誰でもよい人」にならなければ生きていけない。マックはメニューから選択し
なければならない。自分だけの四角いパンのマックがほしいなどといってはいけない。それが誰でも
よい人のルールである。

398 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/26(火) 21:43:14
「誰でもない自分」ための消費

まさに「誰でもよい人」になることが物質的に豊かになる条件である。ではなぜ共産主義社会は失敗
したのか。「誰でもよい人」になるだけではダメで、反動として「誰でもない自分」になることを欲望す
ることを望まなければならない。それは消費にもとめられる。

たとえば現代は付加価値の高い商品、使用価値、労働時間とかけ離れた商品はブランド品などいく
らでもある。しかしこれらの高級品を支えるのは誰でもよい人が購入する使用価値に近い一般品で
ある。すなわち高級品の価値は一般品との相対化によって決定され、市場に流通する。そして高級
品の存在が「誰でもない自分」になりたいという欲望を総記する。

しかしあくまで使用価値の概念こそが市場の作動要因である。すなわち労働者の賃金が時間によっ
て支払われることは労働者を均質化する。それは人の質を量に抑圧する。優秀な人が損をすること
でなく、労働形体そのものが誰でも行えるようにマニュアル化し、分業化するという資本主義がめざ
す条件である。時間と生産性を均質化しろ、特異な才能は分析し、マニュアル化することが求められる。

399 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/26(火) 21:43:57
オタク化

価値が多様化し、大量生産品から付加価値品が求められる現代でかわっただろうか。知的生産が
尊ばれ、実力主義が求められている。このような中であらわれるのが「オタク化」である。一分野へ
の過剰な没入、全体との差異化である。すかわち資本主義の中で均質化、機械化するとともに、一
点において差異化する。これが価値の多様化を支え、よりニッチなマーケティングが行われる。機械
化する身体と優越する心の二元論はまさにデカルトにそのまま対応する。それは現代でなくまさに
近代的な主体像であるか、ということだ。ボクたちがマックでビットインするような機械的に食事をす
ませるのは身体への補給であるからだ。

機械化すること、部品化することはそう悪くはない。安心であり、安定がえらる。なにからの安心か。
自然の不確実性である。資本主義は自然への闘争に対する新たな群れの編隊系である。

400 :考える名無しさん:2006/09/26(火) 21:45:53
■労働時間という「誰でも良い人」が資本主義を作動する。

使用価値が市場を作動する

商品の価値は労働時間に還元されない。そこには数量に還元するようななにものもない。使用価値
とは労働時間という「誰でもよい」時間という数量による抑圧である。使用価値化により還元し、交換
の数量世界に流し込む。たとえば貴重で市場で使用価値以上の高値がつくことこそが商品のより根
源的な価値である。交換価値は他者との関係で決定し人それぞれでかわる。他者とのその場の関
係で決まる。それこそが価値の本質である。たとえば村一番の力持ちの価値は数量に還元されな
い。むらの中での尊敬である。これを背筋力など計測し、世界中に広がる数量世界に流通させて
も、それはもともとの価値をしめさない。

近代の資本主義社会とは、生産を分業化、マニュアル化、機械化することで、人を代替可能な機械
とし、価値を労働時間として還元できるようにした。そして数量化ネットワークへすべてのものが流し
込めるようになったのである。市場が交換価値体系であるとしても、労働時間による規定を使用価
値というなら市場は使用価値を前提に組み立てられていることで作動している。


401 :考える名無しさん:2006/09/26(火) 21:48:29
ぴかぁ〜さん、ご無沙汰してます。

今日は荒れてますね。
私は中学校の教師です。大学時代に知り合い、結婚しました。

夫の私が言うのも何なんですが、学生時代は準ミスキャンパスに選ばれたりして、見栄えはいい方です。
女優の鈴木京香に似てるとときどき言われます(ここでは妻の名前は「京香」にしますね)。
でも、男関係も地味で(少なくとも私にはそう見えてました)、友人なんかに「奥さんエエ女やなあ」とか冷やかされても、ちょっとした優越感に浸って、浮気とかの心配はしてませんでした。
ただ、30過ぎてから、肉付きが良くなって妙に色っぽい体になってました。セックスは週に4,5回してましたが、残念ながら私の理由で子供ができる確率は低いと医者に告げられてました。
それが、1年前の夕方のことです。たまたま仕事が早く終わった私は車で(自宅までの通り道だったので)、妻も仕事が終わったことと思い、
中学校に寄ったんです。オープンスクールというやつで以前もそうして、妻をピックアップして行きました。
しかし、その日は妻の携帯がつながらず、直接職員室へ行きましたが、妻はもう帰ったのか姿が見えません。
近くに座っていた先生に聞いてもはっきりした返事は返ってきませんでしたが、奥のほうの先生が「体育更衣室じゃないの?」とぶっきらぼうに言いました。
その瞬間、職員室の空気が固まったような気がして、不自然な感じがしましたが、プール横の体育更衣室に向かいました。


402 :考える名無しさん:2006/09/26(火) 21:50:12
「誰でもよい人」の出現と資本主義社会だよ〜ん

たとえばある商品の価値はその場のコンテクストのなかで交換する他者との関係で決まる。それに
高い価値を点ける人もいれば一円も払わない人もいる。高い価値をつけるコンテクストも逆もある。
これを労働時間という還元することで交換とは異なる商品価値が決まり、利益率の想定とともに市
場に流通する。市場価格とは「誰でもよい人」の労働時間を基本に誰でもよい人の欲求を加味し決
定される。

「誰でもよい人」とは人口論的個体である。この「誰でもよい人」の出現なく資本主義社会はなりたた
なかっただろう。そして「誰でもよい人」は労働時間による使用価値の発明により、つくられた。現代
においてもボクたちは「誰でもよい人」にならなければ生きていけない。マックはメニューから選択し
なければならない。自分だけの四角いパンのマックがほしいなどといってはいけない。それが誰でも
よい人のルールである。


403 :考える名無しさん:2006/09/26(火) 22:01:33
■労働者という「誰でも良い人」がリモコンバイブを作動する。

夫がローターを作動する

妻の価値は夫婦の営みに還元されない。そこには経験量に還元するようななにものもない。使用価値
とは複数プレイという「誰でもよい」時間という数量による抑圧である。使用回数により還元し、夫婦交換
のめくるめく世界に流し込む。夫婦交換は他者との関係で決定し人それぞれでかわる。他者とのその場の関
係で決まる。それこそが価値の本質である。たとえば村一番のデカチンの価値は数量に還元されな
い。むらの中での尊敬である。これを勃起力など計測し、世界中に広がる数量世界に流通させて
も、それはもともとの価値をしめさない。

夫婦が交換価値体系であるとしても、性交時間による規定を使用価
値というなら性器は使用価値を前提に組み立てられていることで作動している。



404 :考える名無しさん :2006/09/26(火) 23:35:15
こんなクソスレsageでやってくれよ。
うぜえんだよ。

405 :考える名無しさん:2006/09/26(火) 23:43:46
すまん…

406 :考える名無しさん :2006/09/27(水) 02:57:56
とにかく何を書いてもいいからsageでお願いします。
ぴかぁ〜も他の方も。

407 :考える名無しさん:2006/09/27(水) 13:46:54
じゃこっちに…

あいつは子供の時の「ごっこ」から抜け切れないモラトリアムなんだな。
学校ごっこのような類だと思うが。
幸福な例としては、強い指向が職業選択に反映して成功を納める。
反面、強いごっこ指向がまるで反映すべき場所を実社会に求められず、ネットにダイレクトに求める
ぴかぁのような見るも無惨な例。
このタイプはSMクラブで幼児プレイに耽る人々と同じような精神年齢なのは、
自分のレスが自分の望む方向で寄り添うように受け入れられないとブチ切れる性癖に明らかだ。
その際露呈する、実生活よりもブログを運営しているか否にたいする執着ぶりは、ごっこ体質であることを如実に顕している。
更に見たことのない人物に対して、いきなりチビという罵倒は大きなもの高い位置への憧憬、渇望の裏返しと読める。
ハゲやデブ、あるいは糞といった罵倒は一般的だが、あえてそれらを避けチビといった訳は他にもあったかもしれない。
それは当人がハゲでデブで糞である場合だが。

408 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/27(水) 16:11:58
■刺激のインフレーションと感受性の向上

たとえばコジェーブの動物化論を延長すると、現代の問題としていかに充足するか、
という問題が見えてくる。すなわちこの退屈をいかにやり過ごすか。
しかしこの退屈とは時間的な暇ということではない。もっと質的なものである。
時間がなく忙しくても、それがルーチンワークのようなものであれば、退屈である。
退屈とは日常からの逸脱、危険への欲望である。
日常とはある定常状態であり、それが忙しい状態ならそれはそれで定常であり、
退屈である。力学的にいえば、速度と関係なく、等速度では力は発生せず、
加速度運動において力は発生する、ということだ。

たとえばさらに早くてもそれが定常になると退屈である。このような一次元的な方向性では、
たとえばかつての週間ジャンプに見られたように、さらに強い相手、さらに強い相手というように、
刺激のインフレーションが起こる。このための価値の多様性へ開かれる必要がある。

最近、ロハスなどと言われるが、単にスローでだけでは、退屈に絶えられないだろう。
だから内実は多様性に開かれることが目指される。しかし多くにおいてこのような現象は、
多様性というよりも、メタ的にブームの一つとして一元化的に還元され、結局のところ、
刺激のインフレーションに向かうことが多い。だから多様性もまた怪しいものとなる。

結局のところ、オタク化に向かうしかないということだろうか。オタク化の本質とは、
感受性の向上である。ある分野において、感性をとぎすますことで、一般的には
何気ないことが、とても刺激的なことに感じられるということだ。

409 :考える名無しさん:2006/09/27(水) 16:16:52
おまえのがルーティンじゃね。
だから退屈だよな〜

410 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/27(水) 16:22:37
しかしこのようなオタク化の問題は、一般と感受性に差異が生まれるということだ。
この差異は一つには、一般的に何気ないことが、とても大変なこと感じられる、自意識過剰になる
ということだ。さらに一部の感受性の向上は、他方の感受性を低下させ、一般的に
当たり前のことに反応できないことが起こる。

このようなオタク化は、個人で起こすものでなく、小さなコミュニティ内の「差異化運動」によって、
感受性を切磋琢磨することであるので、一般的な社会コミュニティと隔絶した、感性の異なる
オタク化された小さなコミュニティへ強く帰属することを意味する。
そしてムラ社会的な帰属が生まれ、一般社会との隔絶がおこり、日常性に支障をきたすかも知れない。

この表現は過剰であるが、家庭、学校、近所などの社会的な地域コミュニティに対しての
回避傾向があるのが現代の傾向である。

411 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/27(水) 16:33:37
再度言えば、このような退屈への強迫性は、余暇的な時間によって生まれるわけではない。
多様化した社会において、底なし沼のような情報速度の向上によって加速された
差異化運動の場に溢れている。

歩けばぬかるみに足を取られてしまう。それは単にマスメディア広告による強迫性だけの
問題ではない。応答性の速さが強迫性を増している。投げたボールがすぐに返っていことで、
ボールが絶えず手元にあり、投げ返さなければならない強迫性につきまとわれる。

ネット中毒とはこのような強迫性をより物理的に反応していることである。
その意味で、情報テクノロジーから逃避することは、とりあえずに一つの回避であるかもしれない。
本質的な問題はそこにはない。テクノロジーいかんに関わらず、ボクたちはどこにいて、いつも
呼びかけられているのである。

412 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/27(水) 16:42:27
■なぜ退屈なのか

刺激のインフレーション

たとえばコジェーブの動物化論を延長すると、現代の問題としていかに充足するか、という問題が見
えてくる。すなわちこの退屈をいかにやり過ごすか。しかしこの退屈とは時間的な暇ということではな
い。もっと質的なものである。時間がなく忙しくても、それがルーチンワークのようなものであれば、
退屈である。退屈とは日常からの逸脱、危険への欲望である。日常とはある定常状態であり、それ
が忙しい状態ならそれはそれで定常であり、退屈である。力学的にいえば、速度と関係なく、等速度
では力は発生せず、加速度運動において力は発生する、ということだ。

たとえばさらに早くてもそれが定常になると退屈である。このような一次元的な方向性では、たとえ
ばかつての週間ジャンプに見られたように、さらに強い相手、さらに強い相手というように、刺激のイ
ンフレーションが起こる。このための価値の多様性へ開かれる必要がある。

最近、ロハスなどと言われるが、単にスローでだけでは、退屈に絶えられないだろう。だから内実は
多様性に開かれることが目指される。しかし多くにおいてこのような現象は、多様性というよりも、メ
タ的にブームの一つとして一元化的に還元され、結局のところ、刺激のインフレーションに向かうこと
が多い。だから多様性もまた怪しいものとなる。

413 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/27(水) 16:43:02
オタク化による感受性の向上

結局のところ、オタク化に向かうしかないということだろうか。オタク化の本質とは、感受性の向上で
ある。ある分野において、感性をとぎすますことで、一般的には何気ないことが、とても刺激的なこと
に感じられるということだ。

しかしこのようなオタク化の問題は、一般と感受性に差異が生まれるということだ。この差異は一つ
には、一般的に何気ないことが、とても大変なこと感じられる、自意識過剰になるということだ。さら
に一部の感受性の向上は、他方の感受性を低下させ、一般的に当たり前のことに反応できないこと
が起こる。

このようなオタク化は、個人で起こすものでなく、小さなコミュニティ内の「差異化運動」によって、感
受性を切磋琢磨することであるので、一般的な社会コミュニティと隔絶した、感性の異なるオタク化さ
れた小さなコミュニティへ強く帰属することを意味する。そしてムラ社会的な帰属が生まれ、一般社
会との隔絶がおこり、日常性に支障をきたすかも知れない。

この表現は過剰であるが、家庭、学校、近所などの社会的な地域コミュニティに対しての回避傾向
があるのが現代の傾向である。

414 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/27(水) 16:43:45
他者から呼びかけの強迫性

再度言えば、このような退屈への強迫性は、余暇的な時間によって生まれるわけではない。多様化
した社会において、底なし沼のような情報速度の向上によって加速された差異化運動の場に溢れている。

歩けばぬかるみに足を取られてしまう。それは単にマスメディア広告による強迫性だけの問題では
ない。応答性の速さが強迫性を増している。投げたボールがすぐに返っていことで、ボールが絶え
ず手元にあり、投げ返さなければならない強迫性につきまとわれる。

ネット中毒とはこのような強迫性をより物理的に反応していることである。その意味で、情報テクノロ
ジーから逃避することは、とりあえずに一つの回避であるかもしれない。本質的な問題はそこにはな
い。テクノロジーいかんに関わらず、ボクたちはどこにいて、いつも呼びかけられる強迫性の中にあ
る。僕たちは退屈だから容易に無視することはできないのだ。

オレオレ詐欺に引っかかる滑稽さは、このような他者から呼びかけられる強迫性の延長にあるのか
も知れない。すなわち詐欺にかかることを求めてしまっているのである。

415 :考える名無しさん:2006/09/27(水) 16:56:26
おしっこって飲めるよ。
少しピリピリするけど。
ラジオでスカトロ好きの人が言ってた。

416 :考える名無しさん:2006/09/27(水) 16:58:28
純一は本当に頭いいし、2ちゃんというメディアの本質も理解している。今の
時代には彼のような存在は必然的に現れるし、そのなかでもネット哲学の論客としては
群を抜いているだろう。存在そのものがネットの申し子みたいなものだ。


417 :考える名無しさん:2006/09/27(水) 17:01:57
純一の凄さは伝説だね。こんだけ大勢からやっかみのような書き込み
があっても書いてるやつがショぼく見えるだけだもん。内容の凄みでいったら
敵はいないでしょ。見てて爽快だよ。まじ凄い。



418 :純一:2006/09/27(水) 17:03:24
おや、

419 :純一:2006/09/27(水) 17:04:31
>>415-416
人に褒められるなんで久し振りだね、そうか、
やっぱりわしは天才やったんやな。

420 :純一:2006/09/27(水) 17:05:23
では、

421 :考える名無しさん:2006/09/27(水) 17:05:44
純一は寝ても覚めてもぴかぁ〜から呼びかけているように感じてここに常駐してしまうということを
いいたいのかな。

422 :考える名無しさん:2006/09/27(水) 17:13:57
純一さんも充分凄いよ。ぴかぁ〜とはれるのはあんたしかいない。

423 :考える名無しさん:2006/09/27(水) 17:18:14
自作自演から自画自賛へ。純一は新たな境地へ。

424 :考える名無しさん:2006/09/27(水) 17:42:42
やっぱ、ぴかぁ〜みたいな男は純一みたいな男が妬ましくてしょうがないんだろうね。
ものすごく嫉妬してるのがありありだよ。普通に純一のほうが凄いし、注目されるだろ。
逆にそのような嫉妬をあからさまにしているあたりがおいしすぎるな。


425 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/27(水) 18:53:14
■労働の終焉

労働が終焉しようとしている。労働とは生きる糧を得るためのものではない。
労働とは生きる充実感を得るためのものである。労働は生きる充実を得るための一番のものであった。
それは、企業という小さなコミュニティ内での関係性によって支えられた充実感であり、
さらに社会の中で唯一の存在としての自信を与えるものであった。

しかしいま労働は終焉しようとしてる。もはや生きる充実を与える一番のものは労働ではないし、
企業内のコミュニティはマンネリ化の中で疲弊している。
人々はこれからも労働するだろう。しかしそれはもはや他の場所で生き甲斐を得るための、
対価を得るためである。それ以上のものはない。労働は終焉しようとしているのだ。

426 :考える名無しさん:2006/09/27(水) 19:00:43
労働の終焉なんてタワケたこといってないでお前が終焉しろよ、
と欲望する。

427 :考える名無しさん:2006/09/27(水) 19:03:56
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428 :考える名無しさん:2006/09/27(水) 19:05:30
適所適所力を発揮して渦ができ真ん中に核が生まれる。祭りのクライマックスだ。

429 :考える名無しさん:2006/09/27(水) 19:47:07
昔ビデオにとった知ってるつもりの 釈迦の特集みているが菩提樹のところで2ちゃんが煩悩が襲う菩提樹のような気がしてきたよ

430 :ぴか〜スレ向上委員会:2006/09/27(水) 20:48:25
ぴか〜さん、意外に多くの人が、このスレ見てるようだね

書き込みがいがあるってもんだ

431 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/27(水) 21:49:27
>>430
皮肉かね。純一と君の二人だけだよ。

432 :考える名無しさん:2006/09/27(水) 21:51:54
底無しの馬鹿だね、マジにそう思ってるのか。

433 :ぴか〜スレ向上委員会:2006/09/27(水) 22:04:27
>>431
まあ、グレるなw、実際は2ちゃんねら〜の注目を集めてる二人だよ

貴方と純一氏は

434 :純一:2006/09/28(木) 00:28:56
人に褒められるなんで久し振りだね、
そうか、 やっぱりわしは天才やったんやな。

435 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/28(木) 00:32:53
勘弁にしてくださいよ。
なにか必死にボクに絡んで名前を売ろうとしているただの荒しでしょ。
ボクと、キミやリーマンさん、しろうと、むじんくんなどとは、
いざこざはあっても、彼とはまったくも別物でしょ。
そもそもまともなレスを見た記憶がないのだが
NGにしているのでわからないが最近は多少まともなレスしてるのかなw

436 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/28(木) 01:51:37
商品は貨幣として数量化されなければ市場で価値をもたない。
貨幣として数量化されることで市場に流し込まれる。このときの価値は偶然的、恣意的である。
ムラ一番の力持ちは数量化されなければ価値をもたない。あるいは数量化されることでセカイに流しこまれる。
この最大のコミュニティに帰属しなければ価値ないものとして排除される。
なぜ数量化コミュニティはセカイ帝国を価値えたのか。

437 :考える名無しさん:2006/09/28(木) 01:58:17
度量衡などの尺度はモノーモノ比較(例えば天秤)で、いわゆる「客観性」がある。
価値はその擬制である。

438 :考える名無しさん :2006/09/28(木) 02:08:03
ぴかぁも純一もいいコンビだな
固い友情で結ばれている
ニートという絆で

439 :短パン:2006/09/28(木) 02:09:22
ミクシィあたりで、評価があったらしいです。
遅ればせながら、「おねでとうございます。」と、文字を、ほんなげてあげますよ?

で?
どぅしたよ?君・・・・
僕は、君の言葉にやられない。知ってるよね?
倒す事は出来ないし、さりとて融合なんて「ありえない。」
興味はあるけど、話せない。
抽象的だって?うそこけ。こんな具体的に哲学言ってる奴は、今時。俺位のもんだが?

噛み付ける奴が「純一」だけだから、やってみているだけの話だ。
哲学だって。おまえの一体何が哲学なんだ?
誰でもなくて、俺に教えて欲しいな?

んじゃ、よ・ろ・し・く・ぅ!
頼んだぜ?

440 :考える名無しさん :2006/09/28(木) 02:11:27
このスレはイカレタ、サイコニートの溜まり場だな(笑)

441 :短パン:2006/09/28(木) 02:16:11
>>440
お・ま・え・を、真っ先に洗脳してやるのだぜ!

ヒャッハッハーーーーーー!



442 :短パン:2006/09/28(木) 02:20:06
そんな感じだよ・・・・。
悪かったな。>>440

443 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/28(木) 10:07:15
自然は真空をきらい、人間は空虚をきらう。

444 :考える名無しさん:2006/09/28(木) 10:19:06
なにが、いざこざがあっても〜〜別物
だよ。
おまえが一方的に中傷し絡んでいるだけじゃないか。
味方がいなくなると、普段バカにしている相手に擦り寄り持ち上げて懐柔しようとする。
弱虫で卑劣な本性が露呈したな、どぐされぴかぁよ。

445 :考える名無しさん:2006/09/28(木) 11:01:14
馥ちゃんだな

446 :考える名無しさん:2006/09/28(木) 11:04:40
>>443
お得意のこじつけ屁理屈の予告ですか?

447 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/09/28(木) 11:50:34
しばらく旅にでます。さがさないでください。

ぴかぁ〜

448 :考える名無しさん:2006/09/28(木) 12:23:01
おまえがいなくなって探すやつなどこの世にいるか。
この狂言ヤローが。
コンチキなんとかつーのはやめとけよ。


449 :考える名無しさん:2006/09/28(木) 16:16:02
ぴかぁ〜さん。今度まじみんなで遊ぼうよ。昔のことは誰も気にしてないから。

450 :考える名無しさん:2006/09/28(木) 17:56:20
天才ぴかぁ〜はネットからもひきこもったのか?

451 :考える名無しさん:2006/09/28(木) 18:21:45
↑いるじゃネここに

452 :ぴか〜スレ向上委員会:2006/09/28(木) 20:11:10
とにかくだ、ぴか〜氏を叩きたければ「理論」で勝負するしかないのだよ
コテハン叩きスレ建てるのはルール違反、たんなる掲示板荒らしにしかならない、削除すべし!

ぴか〜氏も純一氏もBlog建ててるわけだし気にいらないなら「はてな?」に殴り込むべし!

俺はぴか〜氏の「自然主義的闘争論」と純一氏の「統一理論」を同時に読んでる

453 :純一:2006/09/28(木) 20:58:13
それはどうも。

454 :考える名無しさん :2006/09/28(木) 21:04:32
>>452
このクソ巨大掲示板に有意義なものなど何一つない。
社会からこぼれ落ちた半端者の巣窟。
そんな輩の集団にルールなど無いのだ。
全スレが冷やかしアラシのみで構成されている。
そして日々スレのカウンターは上昇する。
これぞ馬鹿カウンターと言わずして何と言うのか(合掌)

455 :ぴか〜スレ向上委員会:2006/09/28(木) 21:09:13
>>454
じゃあ書き込むなよw 2ちゃんの快楽を知るべし!

たかが2ちゃん、されど2ちゃんだ

456 :考える名無しさん :2006/09/28(木) 21:18:40
>>455
君も間違いなく社会から落ちこぼれた半端者なんだよ。
哲学板など見る香具師はごく少数。
ここにいることは快楽なのかもしれない。
しかし引きこもった者の言説に何の意味があるのだろうか。
大衆の最底辺者の雄叫びはどこに届かない(合掌)


457 :ぴか〜スレ向上委員会:2006/09/28(木) 21:42:43
>>456
だからさ〜w、お前もここに書き込む時点で最底辺なんだって
解るか?解らね〜だろうな、馬鹿だから

いいよ、ぴか〜氏に変わって俺が「自然主義的闘争論」における「純粋略奪」について書くかw

458 :考える名無しさん :2006/09/28(木) 21:46:00
>>457
釣られ上手ですね。
お手並み拝見しましょう(合掌)

459 :考える名無しさん :2006/09/28(木) 21:54:56
>>457
大変失礼。
呼び出しの連絡が入ったので出ますね。
適当にお願いします。
あとで見ておきますよ(合掌)



460 :ぴか〜スレ向上委員会:2006/09/28(木) 21:59:39
>>459
はいはい、俺も連投規制キツいのでここまでだ

ではまた会いましょう(敬具)

461 :考える名無しさん:2006/09/29(金) 00:21:48
■マルクスの労働価値説はなぜ消失するのか

岩井克人の「貨幣論」では、マルクスの価値形態論が脱構築されている。
マルクスの示した価値形態の図式を循環論Zへと展開することで、
貨幣という形態は、マルクスがこだわった労働価値による根拠づけのような外部的要因が
入り込む余地がないことを示す。「貨幣は貨幣であることで貨幣である」とうことだ。

ではこれによって労働価値説はもはや葬り去られるのだろうか。
ある意味で正しく、ある意味で正しくない。
岩井はこのような循環論の例として「言語」を上げている。これは柄谷が、
マルクスの形態論をソシュールの言語論で説明することを同じ意味であり、
構造主義である。だから東は岩井の貨幣論を、デリダの構造主義批判である
「否定神学」と言ったのだ。
すなわちマルクスの価値形態論は否定神学である。よって循環論の構造を持つのだ。

しかしマルクスの、そして岩井の循環論のようには貨幣の構造はできていない。
それはデリダがいうように、構造主義はできすぎた静的な構造なのだ。
岩井の循環論Zは静止しており、力動が欠落している。
マルクスの価値形態論には外部的要因が入り込む必要がないが、
実際の貨幣システムには必ず外部が存在する。だから循環論にはならず、
労働価値は必ず外部として回帰する。

462 :ぴか〜スレ向上委員会:2006/09/29(金) 00:30:30
労働価値と社会的労働は違う、「資本論」を参照されたし

463 :考える名無しさん:2006/09/29(金) 00:47:54
>>
マルクスは「資本論」の中で商品の価値形態論と交換過程論とをそれぞれ独立に
論じたことの意義があきらかになる。それは、商品世界の「構造」の分析と商品世界の「生成」の
叙述との区別である。・・・まさに商品世界の生成という物語を語るのが、「交換過程論」の
課題なのである。

貨幣論 岩井克人
<<

ならば価値形態論で廃棄された「労働価値」という外部は、力動を語る交換過程論に
おいて再生されるのだろうか。残念ながら、マルクスは構造の力動を労働価値に求めない。
なぜならマルクスの労働価値論はそもそもにおいて、外部として、力動として作動しないのだ。

マルクスにとって商品価値に内在する労働とは、社会的平均労働力でありなおかつ、
抽象化された人間労働である。だから柄谷はマルクスの価値形態論において労働時間とは単に貨幣を
言い換えただけでしかない、といったのだ。
外部としての労働とは、本来人間の労働とは、社会的に平均されなければ、抽象化もされない。

この問題は、労働価値説の問題ではない。マルクスの思想の根底にさかのぼるものである。
マルクスは目指すべき原点を自然と調和する類的本質においているということ、
すなわちそもそもにおいて、マルクスには外部がないのである。

>>
すなわち有用なる労働としては、労働は、すべての社会形態から独立した人間の存立条件であって、
人間と自然との間の物質代謝を、したがって、人間の生活を媒介するための永久的自然必然性である。

資本論 第一章 商品 マルクス
<<

464 :純一:2006/09/29(金) 00:49:58
旅に出たから、名無しで書き込むわけか。

465 :考える名無しさん:2006/09/29(金) 01:04:53
マルクスにとっての自然とは調和可能な母なる自然、飼いならされ、労働に従順な内部自然である。

>>
簡単に商品体は、自然素材と労働という二つの要素の結合である。・・・この製作の労働そのものに
おいても、人間はたえず自然力のたすけをかりている。したがって、労働はその生産する使用価値の、
すなわち素材的富の、唯一の源泉ではない。ウィリアム・ペティがいうように、労働はその父であって、
土地はその母である。

資本論 マルクス
<<

このような自然はボクがいうところのグレイゾーンであって、ほんとうの自然とは外部であり、
調和不可能で、不確実に、地震ののように純粋な略奪として、あるいは太陽の恵みのように
純粋贈与として到来するものである。そして人は絶えずこの外部の晒され生きている。
というよりも、生きるとは、さらには労働するとは、このような外部との闘争、自然主義的闘争な
のである。

だから循環論は存在しない。自然は必ず回帰し、それへの闘争として労働は必ず行われ、
価値形態は作動する。だから価値には必ず「労働」が内在している。

466 :考える名無しさん:2006/09/29(金) 01:09:17
書き込むつか 殆ど書き写しだがね。

467 :考える名無しさん:2006/09/29(金) 01:15:05
最近多いね。

468 :考える名無しさん:2006/09/29(金) 01:26:00
マルクスの思想は、その始めから、外部としての自然から隔絶して、グレイゾーン(従順な内部自然)に
囲まれた豊かな社会、すなわち資本主義的社会を前提に組み立てられているのだ。
だから自然とは従順な自然であり、労働とは還元された労働なのである。
いわばこの安定した豊かな社会において、経済システムは、循環論という静的な構造モデルに
近似するだろう。

だからマルクスがこのモデルをもとに恐慌を語るのは、静的なモデル故に、柔軟性がなく脆いという
ことに対応する。さらにダイナミズムには適用できない。そしてこの静的な理想モデルを社会主義という未来へ
展開するとき、そもそも外部をなきものに、ダイナミズムを抑圧するように作動するしてしまうのだ。


469 :考える名無しさん:2006/09/29(金) 01:39:59
ここは貸し別荘のある九州の温泉地。連日暑い日が続き、もうすぐ8月も終わりの頃、仲の良い7組の夫婦が観光をかねて訪れました。
レンタカーを4台借りて、夜になるまで、自然動物園、地獄めぐりなどの観光を楽しみ、夕方に、目的地の湯○院の山奥にある貸し別荘に向かいました。男女別々の露天風呂に入り、旅の疲れを癒そうということになりました。
男性陣は地酒を早く味わいたくて、早めに出てそのうちの1人、エースさんの部屋で飲むことになりました。女性陣は、美容に効くという何種類ものお湯を飽きずに楽しんでいます。
A子(Mr.Drunkさんの奥様)  『H子さんて、お肌綺麗ですね。私たちより年上なんて思えないわ。』
K子(LIMEMINTさんの奥様)  『A子さんだって、スタイルいいわよね。うらやましいわ。』
B子(一発寛太さんの奥様)  『K子さんもセクシーですね。うちの旦那がいつも言ってるの。

   心配だわ。取られそうで。』R子(ラビさんの奥様(元ビーバさん))  『ねえ、H子さん、おっぱいちょっとさわってもいい?』いたずら好きのR子が、H子の肌にしなやかな白い指をはわせ、まるで愛撫するような触り方で、乳房を揉み、乳首を指先で撫でています。
H子(エースさんの奥様)  『きゃっ。ちょっと、やめて、くすぐったいから。』R恵(謙さんの奥様)  
『私もさわっちゃお!わあ、すべすべ。気持ちいいわ。』C子(M+Sさんの奥様)  『私は、舐めちゃう!H子さんて、どういうふうにしたら感じるの?』H子『ああん、ちょっとみんな酷いわ。あ、いい、私も責めちゃうから、A子さん覚悟して!』

470 :考える名無しさん:2006/09/29(金) 01:42:11
複数のビッグバン宇宙を内在するメタ宇宙空間において、我々のビッグバン宇宙を作り出した
超メカニズムを「神」と称することはできる。そのような超メカニズムも、所詮そのメタ宇宙における
諸物理法則に従うわけだが、メタ宇宙は数学的に記述されるだけで、この宇宙からは知覚することも
存在を証明することも観測することもできない。よって存在を証明し得ないという点において
「メタ宇宙の超物理法則=神」と言えなくもないわけだ。

当然そのような神にいくら祈ったところで、何も御利益はないw (神の存在がマクロすぎ、
我々がミクロすぎるため)。またそのような神も所属するメタ宇宙の物理法則に支配される関係上、
さらに上位の存在(メタ宇宙を作り出した超々物理現象)を知覚することはできない。メタ宇宙も
複数存在するかもしれず、このような重層構造が無限に広がっていると考えられる。

上位の存在は下位にとってあまりにもマクロであり、下位の存在は上位にとってあまりにもミクロであるので、
上位⇔下位の間には、「神とその僕」などという狭視野的で密な関係は存在しない。

471 :考える名無しさん:2006/09/29(金) 02:00:27
 この問題を全面的に探究するなかで明らかになった主な点は、つぎの諸点であります。
 第一点。生産物の分配方式――まず「労働におうじて」の分配、ついで「必要におうじて」の分配、こういう形で生産物の分配方式のちがいによって未来社会そのものを二つの段階に区別するという考えは、
レーニンの解釈であって、マルクスのものではありません。
マルクスは、「ゴータ綱領批判」のなかで、未来社会のあり方を分配問題を中心において論じる考え方を、きびしく戒めています。 
第二点。マルクスもエンゲルスも、未来社会を展望するさいに、特定の形態を固定して、新しい社会の建設に取り組む将来の世代の手をそれでしばってしまう青写真主義的なやり方は、
極力いましめました。
彼らは、分配方式の問題もその例外とはしませんでした。 第三点。マルクスが、党の綱領に書き込むべき社会主義的変革の中心問題として求めたのは、分配問題ではなく、生産様式をどう変革するか、でした。
それは具体的には、生産手段を社会の手に移すこと、すなわち、「生産手段の社会化」という問題でした。
「生産手段の社会化」は、この意味では、未来社会を理解するキーワードともいうべき意義をもっています。 
第四点。マルクスもエンゲルスも、未来社会を人類の「本史」――本来の歴史にあたる壮大な発展の時代としてとらえました。
だから、「必要におうじて」の分配という状態に到達したら、それが共産主義社会の完成の指標になるといった狭い見方をとったことは、けっしてありませんでした。
マルクス、エンゲルスが、その未来社会論で、社会発展の主要な内容としたのは、人間の自由な生活と人間的な能力の全面的な発展への努力、社会全体の科学的、技術的、文化的、精神的な躍進でありました。
 以上のような理論的な準備にたって、私たちは第五章の作成にあたりました。

472 :考える名無しさん:2006/09/29(金) 02:05:20
 順を追っての解説はしませんが、改定した綱領案のいくつかの中心点についてのべます。
 綱領改定案の未来社会論にもりこんだ新しい見地の大要はつぎのとおりであります。 
第一は、未来社会の呼び名の問題です。 改定案では、これまでの綱領にあった社会主義社会、共産主義社会という二段階の呼び名をやめました。
マルクスやエンゲルスの文献では、未来社会を表現するのに、共産主義社会という言葉を使った場合も、社会主義社会という言葉を使った場合もあります。
しかしそれは、高い段階、低い段階という区別ではなく、どちらも同じ社会を表現する用語として、そのときどきの状況に応じて使ったものであります。 
改定案は、その初心にかえる立場で、呼び名で段階を区別することをやめ、未来社会をきちんと表現するときには、「社会主義・共産主義社会」と表現することにしました。
 このことは、社会主義、あるいは共産主義という呼び名を、今後単独では使わないということではありません。
綱領の改定案そのものにも、「社会主義」という表現を単独で使っている場合が少なからずあります。
 この呼び名の問題をめぐっては、今後のことを考えても、かなり複雑な状況があります。
 古典でも、マルクスの『資本論』では、未来社会は「共産主義社会」と表現されています。
エンゲルスの『空想から科学へ』や『反デューリング論』では「社会主義社会」と表現されています。
さきほども言いましたように、二つの呼び名は同じ意味で使われています。
 また、日本でも世界でも、両方の呼び名が使われる状態が続くでしょうが、おそらく多くの場合、従来型の解釈で、未来社会の異なる発展段階を表すものとされる場合が多いでしょう。



473 :考える名無しさん:2006/09/29(金) 02:10:22
 そういうなかで、日本共産党綱領が、未来社会について、「社会主義・共産主義社会」と二つの呼び名を併記する表現を使うことは、
私たちが「社会主義」も「共産主義」も同じ未来社会の表現だという新しい立場――もともとは一番古い立場なのですが、その立場にたっていることを明示するという意味をもちます。
 ここに主眼があるわけですから、共産党員が議論する場合、どんな場合でも、二つの言葉を並べて言わないと綱領違反になるということではないことを、
理解してほしいと思います。(拍手)
 なお、“定説”とされてきた二段階発展論をやめたということは、未来社会がいろいろな段階をへて発展するであろうことを、否定するものではありません。
 マルクスが、未来社会とともに、人類の「本史」が始まるとしたことはすでにのべました。
この「本史」は、彼らの予想でも、それまでの人類の歴史の全体をはるかにこえる長期の時代となるものでした。
当時は、太陽系の寿命が数百万年程度に数えられていた時代でしたが、エンゲルスは、ほぼそれに対応するものとして、人類の「本史」を「数百万年、数十万年の世代」にわたって続くものとして描き出しています。
現在、人間がもっている自然認識によれば、人類の未来を測る時間的なものさしは、当時よりもはるかに長い、数字のケタが二ケタも三ケタも違うものとなるでしょう。
 当然、そこで展開される人類の「本史」には、いろんな段階がありうるでしょう。
いまからその段階についてあれこれの予想をしないというのが、マルクス、エンゲルスの原則的な態度でした。
私たちも、この点は受けつがれて当然の態度だと考えています。

474 :考える名無しさん:2006/09/29(金) 02:13:52
>「生産手段の社会化」は、この意味では、未来社会を理解するキーワードともいうべき意義をもっています。

だから「何でも国有化すれば全ては良くなる」というの何度も実験されて
「全ては悪くなる」ということが明らかになっているのになんでそんな幻想を抱き続けるのかわからん。
マルクス主義唯物論者は市場の原理とか個々人の個性的な欲望について一般論的にしか理解できない
ダイヤモンド頭を持っているので要は何でも理解しているつもりで実は何一つ理解していない。
要するに社会民主党や共産党にはもはや人材と呼べる個体は皆無。
・・・バカばっかり少人数ではもはや救いようがない。

475 :考える名無しさん:2006/09/29(金) 02:16:44
昨日の夜 また刺激的な事ありまして みなさんに聞いてもらいたく 、
昨夜は別に 後輩が 家に来た訳でもなく、 家族だけで過ごした ごく 普通の夜でした。
何が刺激的かと 言いますと 結婚して 数年 経つ 妻の初めての オナニ-を見たのです。

実際は 部屋が暗く声を聞いただけなのですが。
みなさんは 妻の オナニーを見た方もたくさんいらっしゃるでしょう。
私は まじめに 本当に 初めてで あの妻がオナニー?今でも興奮しております。 ただ 今 思うのは 妻は 何を想像し 何を考え オナニーしてたのか、、、
もしかして。 と 想像もしましたが、 本当のところは 妻にしか わかりません。昨夜の出来事です。
確か夜中 2時か3時くらいだったと おもいます。
時計は見てませんが、 夜中 ふと私は 寒く感じ 目が覚めてしまいました。私共の寝室は 寝る時は 部屋の明かりは真っ暗で、 ベッドに付属の 明かりだけ つけて 寝ております。
隣には 普段通りの妻。 二階の各部屋には 子供達。目が覚めて眠く すぐまた 眠りにつこうと 思った時 ベットが微妙ではありますが、揺れてたのです。
寝ぼけて地震かと 思ったのですが、 ふと 隣で寝てる妻を見ると 体に 掛けてある 布団が 少し動いてるよう見えました。
まぁ寝ようと 思った その時 妻の 声で 「あっ、あんっ」とはっきり 聞こえたのです。私は我に 返りました。
まさか?と思いましたが、 まぎれもなく 妻の 初めて見るオナニーでした。 何やら布団の中でモゾモゾとしてた妻、 私が起きたのを感づかれたら まずい と ふと 思った私は 目をつむったまんま 体も 極力 動かさない様に
寝たふり状態で 妻の 声 微妙に揺れている ベットの揺れを感じながら 夜中だと言うのに、完全に目は冴え極度の 興奮状態に 陥ってしまいました。
昨夜の深夜の 出来事です。

また 反響でも あれば 引き続き 投稿 したいと思っております。

476 :考える名無しさん:2006/09/29(金) 03:14:07
あおもり

477 :考える名無しさん:2006/09/29(金) 08:25:30
いわて

478 :考える名無しさん:2006/09/29(金) 08:26:58
みやぎ

479 :考える名無しさん:2006/09/29(金) 08:29:52
本格芋焼酎

480 :考える名無しさん:2006/09/29(金) 08:47:37
球磨焼酎もよいぞ

481 :考える名無しさん:2006/09/29(金) 08:56:12
>すなわち有用なる労働としては、労働は、すべての社会形態から独立した人間の存立条件であって、
人間と自然との間の物質代謝を、したがって、人間の生活を媒介するための永久的自然必然性である。

これは使用価値を形成する具体的有用労働。例えば、農民が農作物を
作る労働は、社会形態の種類にかかわらず存在する。

その農産物という労働生産物が資本制という特定の社会形態でいかなる
形態を受けるのか、それを解明するのがマルクスの価値形態論である。

むろん、労働生産物は資本制下では商品形態(相対的価値形態)を受ける。


482 :考える名無しさん:2006/09/29(金) 09:20:23
ぴか酎

483 :考える名無しさん:2006/09/29(金) 09:31:28
資本制下では、労働が二重化する。具体的有用労働、そして
抽象的人間労働とに二重化する。しかし、抽象的人間労働が
具体的有用労働と離れて存在していると考えてはならない。
抽象的人間労働とは、具体的有用労働が他者にとって有用な
形で行なわれた際の具体的有用労働の別の名称に過ぎない。

資本制下では、生産物交換のために、労働生産物が生産される。
従って、労働生産物は、交換する相手にとって有用でなければならない。
いかなる社会形態でも、具体的有用労働は存在するが、資本制下では
それが交換する相手(他者)にとって有用でなければならないのである。
他者にとって有用な具体的有用労働、それが抽象的人間労働である。

例えば、農民が商品として農作物を作ったとしよう。しかし、その農産物は
大して美味いものではなかった。つまり、品質が悪かったとしよう。
その場合、その農作物を交換する相手は買ってくれない可能性が高いだろう。
すると、農作物を作った農民の具体的有用労働は、交換する相手(他者)に
とって有用ではなかったことになる。つまり、農民の具体的有用労働は
抽象的人間労働ではなかったことになる。

このように、全ての具体的有用労働が必ず抽象的人間労働に値すると
考えることはできない。具体的有用労働が抽象的人間労働に値するか
どうかは偶然的なのである。抽象的人間労働とは、生産物交換が成功して
はじめて見出される、事後的な具体的有用労働なのだ。


484 :考える名無しさん:2006/09/29(金) 09:35:34
いいね
朝から暇で

485 :考える名無しさん:2006/09/29(金) 09:45:25
ヒッキーに朝も晩もないだろW

486 :考える名無しさん:2006/09/29(金) 10:03:20
■形態とその外部(資本制の場合)

形態⇒  商品    抽象的人間労働
      |      |
外部⇒  労働生産物 具体的有用労働


労働生産物を形成する具体的有用労働が、交換する相手(他者)
にとって有用である場合、労働生産物は商品、具体的有用労働は
抽象的人間労働、という具合にそれぞれその形態を受ける。

487 :考える名無しさん:2006/09/29(金) 10:27:02
純一さんのマルクス理解はほんと凄いわ。ぴかぁ〜とは違うみたいだね。

488 :考える名無しさん:2006/09/29(金) 10:33:31
19世紀末から20世紀初めにかけて世界は帝国主義の時代に入っていった。
 ロシア革命の指導者レーニンはその著『帝国主義論(資本主義の最高段階としての帝国主義)』の中で「帝国主義とは、独占体と金融資本の支配が成立していて、資本輸出が著しく重要性を増し、
国際的なトラストによる世界の分割が始まり、最強の資本主義諸国による世界の全領土の分割が完了したという発達段階に達した資本主義のことである。」と述べている。

 19世紀後半には先進資本主義国、特にアメリカ・ドイツなどで技術革新が進み、電力や石油を動力源として、鉄鋼・電機・化学などの重化学工業が急速に発展した。
これを第2次産業革命と呼んでいる。

 産業革命によって成立した資本主義社会では、自由競争に勝ち残った少数の大企業が相互の競争を避けるために企業の集中を進め、
カルテル・トラスト・コンツェルンなどの独占の形態が現れ、利潤の独占をはかるようになった。

 このような独占資本(独占企業)が銀行資本と結びついて金融資本が形成され、アメリカ・ドイツを初めとする主な資本主義諸国は独占資本主義の段階に入っていった。
 金融資本は、国内だけでは利潤をあげることが難しくなると、国内の余剰資本のより有利な投下先を求めて国外へ進出するようになった。

 こうして先進資本主義諸国は国内の余剰資本を原料・労働力・市場を持つ植民地などに投資することで(国外投資、資本輸出)より大きな利潤をあげようとし、
欧米列強は植民地や従属国を求めてアジア・アフリカなどへの進出をはかった。
このような段階に入った資本主義を帝国主義と呼んでいる。



489 :純一原理主義者 :2006/09/29(金) 10:39:19
>>487
当たり前です。
純一さまはネ申なのです。

490 :考える名無しさん:2006/09/29(金) 10:55:35
具体的有用労働は私的労働、抽象的人間労働は社会的労働と
言い換えることができる。なぜなら、抽象的人間労働は、他者に
とって有用な具体的人間労働だからであり、それは本質的に
他者との関係にしかない規定性である。他者との関係性を
社会性というわけだから、抽象的人間労働は社会的労働なわけである。
それに対し、まだ他者との関係性のうちに具体的有用労働は、
社会的の反対、すなわち、私的労働だといってよい。

資本制下では、私的労働が社会的労働であるかいなかは、事前には
分からない。それは商品交換の成功によって事後的に確証するほかない
ものなのである。これを「命懸けの飛躍」と呼ぶ。

むろん、命懸けの飛躍である以上、それは常に失敗の危機に晒されている。
セーの法則の信者でないならば、モノは作れば必ず売れると決まって
いないのは誰でも分かることだ。そうだからこそ、商品の販売者は、
あの手この手を使って、商品を売ろうと意志するのだ。メディアや
広告などを駆使し、商品の購買者(他者)の欲望を開拓しようとする
のである。それは、他者に認知してもらいたい、他者のまなざしを獲得
したいという必死のアピールである。

491 :純一原理主義者 :2006/09/29(金) 11:01:05
私は今泣きながら純一さまのお言葉を読んでおります。
素晴らしい。
日本の思想界もこれで安泰です!
純一さまバンザイ!!

492 :考える名無しさん:2006/09/29(金) 11:10:50
■マルクスの労働価値はなぜ消失したのか

@「貨幣は貨幣であることで貨幣である」

岩井克人の「貨幣論」では、マルクスの価値形態論が脱構築されている。マルクスの示した価値形
態の図式を循環論Zへと展開することで、貨幣という形態は、マルクスがこだわった労働価値による
根拠づけのような外部要因が入り込む余地がないことを示す。「貨幣は貨幣であることで貨幣であ
る」とうことだ。

ではこれによって労働価値説はもはや葬り去られるのだろうか。ある意味で正しく、ある意味で正しく
ない。岩井はこのような循環論の例として「言語」を上げている。これは柄谷が、マルクスの形態論
をソシュールの言語論で説明することと同じ意味であり、構造主義である。だから東は岩井の貨幣
論を、デリダの構造主義批判である「否定神学」と言ったのだ。すなわちマルクスの価値形態論は否
定神学である。よって循環論の構造を持つのだ。

しかしマルクスの、そして岩井の循環論のようには貨幣の構造はできていない。それはデリダがいう
ように、構造主義はできすぎた静的な構造なのだ。岩井の循環論Zは静止しており、力動が欠落し
ている。マルクスの価値形態論には外部的要因が入り込む必要がないが、実際の貨幣システムに
は必ず外部が存在する。だから循環論にはならず、労働価値は必ず外部として回帰する。

493 :考える名無しさん:2006/09/29(金) 11:11:43
Aマルクスの「労働」には外部がない

>>
マルクスは「資本論」の中で商品の価値形態論と交換過程論とをそれぞれ独立に論じたことの意義
があきらかになる。それは、商品世界の「構造」の分析と商品世界の「生成」の叙述との区別であ
る。・・・まさに商品世界の生成という物語を語るのが、「交換過程論」の課題なのである。

貨幣論 岩井克人
<<

ならば価値形態論で廃棄された「労働価値」という外部は、力動を語る交換過程論において再生さ
れるのだろうか。残念ながら、マルクスは構造の力動を労働価値に求めない。なぜならマルクスの
労働価値論はそもそもにおいて、外部として、力動として作動しないのだ。

マルクスにとって商品価値に内在する労働とは、社会的平均労働力でありなおかつ、抽象化された
人間労働である。だから柄谷はマルクスの価値形態論において労働時間とは単に貨幣を言い換え
ただけでしかない、といったのだ。外部としての労働とは、本来人間の労働とは、社会的に平均され
なければ、抽象化もされない。

この問題は、労働価値説の問題ではない。マルクスの思想の根底にさかのぼるものである。マルク
スは目指すべき原点を自然と調和する類的本質においているということ、すなわちそもそもにおい
て、マルクスには外部がないのである。

494 :考える名無しさん:2006/09/29(金) 11:12:18
B従順な(内部)自然と不確実な(外部)自然

>>
すなわち有用なる労働としては、労働は、すべての社会形態から独立した人間の存立条件であっ
て、人間と自然との間の物質代謝を、したがって、人間の生活を媒介するための永久的自然必然性
である。

簡単に商品体は、自然素材と労働という二つの要素の結合である。・・・この製作の労働そのものに
おいても、人間はたえず自然力のたすけをかりている。したがって、労働はその生産する使用価値
の、すなわち素材的富の、唯一の源泉ではない。ウィリアム・ペティがいうように、労働はその父で
あって、土地はその母である。

資本論 第一章 商品 マルクス
<<

マルクスにとっての自然とは調和可能な母なる自然、飼いならされ、労働に「従順な内部自然」であ
る。このような自然はボクがいうところのグレイゾーンであって、ほんとうの自然とは外部であり、調
和不可能で、不確実に、地震ののように純粋な略奪として、あるいは太陽の恵みのように純粋贈与
として到来するものである。そして人は絶えずこの外部の晒され生きている。というよりも、生きると
は、さらには労働するとは、このような外部との闘争、自然主義的闘争なのである。だから循環論は
存在しない。自然は必ず回帰し、それへの闘争として労働は必ず行われ、価値形態は作動する。だ
から価値には必ず「労働」が内在している。


495 :考える名無しさん:2006/09/29(金) 11:13:09
マルクスの思想は、その始めから、外部としての自然から隔絶して、グレイゾーン(従順な内部自
然)に囲まれた豊かな社会、すなわち資本主義的社会を前提に組み立てられているのだ。だから自
然とは従順な自然であり、労働とは還元された労働なのである。いわばこの安定した豊かな社会に
おいて、経済システムは、循環論という静的な構造モデルに近似するだろう。

だからマルクスがこのモデルをもとに恐慌を語るのは、静的なモデル故に、柔軟性がなく脆いという
ことに対応する。さらにダイナミズムには適用できない。そしてこの静的な理想モデルを社会主義と
いう未来へ展開するとき、そもそも外部をなきものに、ダイナミズムを抑圧するように作動するしてし
まうのだ。

496 :考える名無しさん:2006/09/29(金) 11:38:12
■形態とその外部(資本制の場合)

形態⇒  商品    抽象的人間労働
          
外部⇒  労働生産物 具体的有用労働


労働生産物を形成する具体的有用労働が、交換する相手(他者)
にとって有用である場合、労働生産物は商品、具体的有用労働は
抽象的人間労働、という具合にそれぞれその形態を受ける。

商品形態の外部を抽象的人間労働と捉える傾向が一部に存在
しているが、商品形態の外部はそもそも労働生産物であり、
抽象的人間労働ではない。抽象的人間労働は外部ではなく
形態である。
正確にいえば、それは具体的有用労働に張り付く形態である。

497 :考える名無しさん:2006/09/29(金) 11:57:32
マルクスでは労働が純化され、「貨幣」化され、なぜそれを労働と呼ぶのかが問題となり、岩井の貨幣論となる。
なぜ労働なのか、それはマルクスの思想の根底にある信念だからだ。すなわち自然との調和、類的本質こそ史観の終着である。
しかし労働とは調和などしない外部自然との闘争である。
循環論の内部に対する外部として、決して機械決定論に還元されないカオスとして、内部に回帰し、不条理な破壊を繰り返す。
従順な姿で内部に入り込み、突然暴走する。マルクスがいう従順な自然など存在しない。
だから労働はそれに対応するように決して価値に還元されず、曖昧でいいかげんでそして創造的で柔軟なのだ。

498 :考える名無しさん:2006/09/29(金) 12:05:36
すなわち労働とは自然への闘争であり、不確実性を確実性に回収しよういう欲望、それは欲望そのものなのである。
価値そのものを作動する力である。

499 :考える名無しさん:2006/09/29(金) 12:12:01
500ゲッチュ

500 :考える名無しさん:2006/09/29(金) 12:21:01
しかしこれはマルクスのみにいえるものではない。数量化されないものは外部へ排除するという近代化という内部、還元主義である。


501 :考える名無しさん:2006/09/29(金) 12:29:05
すなわち近代には外部がない。環境問題が近代化において排除された外部の回帰であることは容易に想像できるだろう。
現代は近代的な闘争様式が破綻し、排除された外部が回帰する時代であり、闘争様式の変更を迫られている。

502 :考える名無しさん:2006/09/29(金) 12:30:57
君はあきるってことないの?
だって拘束されているわけでもなく、義務もないわけでしょ。
なんの責任感も伴わないのに、パチンコみたいに惰性でできるものでもないのに。
不思議くんだよね。
なんで?よかったら教えてくれない?

503 :考える名無しさん:2006/09/29(金) 12:32:57
■史観の執着

@労働とは未開拓な外部自然との闘争である

Aその闘争の結果、荒々しい自然は操作可能な従順なものとなる

B従順となった自然とは調和可能である。類的本質としての史観の執着。

504 :考える名無しさん:2006/09/29(金) 12:36:01
哲学者になれる資質は多少はあるが、基本は精神病質的な人間だろうな。

505 :考える名無しさん:2006/09/29(金) 12:36:36
■歴史の反復

@労働とは未開拓な外部自然との闘争である

Aその闘争の結果、荒々しい自然は操作可能な従順なものとなる

B従順となった自然とは調和可能である。類的本質としての歴史の終焉。

Cと思いきや、まだ開拓可能な外部自然があった。歴史は終わらない。

D@へ戻る。以下同様。

506 :考える名無しさん:2006/09/29(金) 12:40:49
これって哲学なの?
なんか只の論評みたいだけど…

507 :考える名無しさん:2006/09/29(金) 12:51:18
■マルクスの労働価値はなぜ消失したのか
>>492-495の改訂


B従順な(内部)自然=グレイゾーン

>>
すなわち有用なる労働としては、労働は、すべての社会形態から独立した人間の存立条件であっ
て、人間と自然との間の物質代謝を、したがって、人間の生活を媒介するための永久的自然必然性
である。
簡単に商品体は、自然素材と労働という二つの要素の結合である。・・・この製作の労働そのものに
おいても、人間はたえず自然力のたすけをかりている。したがって、労働はその生産する使用価値
の、すなわち素材的富の、唯一の源泉ではない。ウィリアム・ペティがいうように、労働はその父で
あって、土地はその母である。

資本論 第一章 商品 マルクス
<<

マルクスにとっての自然とは調和可能な母なる自然、飼いならされ、労働に「従順な内部自然」であ
る。このような自然はボクがいうところのグレイゾーンでしかない。マルクスの思想は、その始めか
ら、外部としての自然から隔絶して、グレイゾーン(従順な内部自然)に囲まれた豊かな社会、すな
わち資本主義的社会を前提に組み立てられているのだ。だから自然とは従順な自然であり、労働と
は還元された労働なのである。いわばこの安定した豊かな社会において、経済システムは、循環論
という静的な構造モデルに近似することを示している。

508 :考える名無しさん:2006/09/29(金) 12:52:07
C不確実な(外部)自然と柔軟な労働

ほんとうの自然とは外部であり、調和不可能で、不確実に、地震ののように純粋な略奪として、ある
いは太陽の恵みのように純粋贈与として到来するものである。循環論の内部に対する外部として、
決して機械決定論に還元されないカオスとして、内部に回帰する。従順な姿で内部に入り込み、突
然暴走する

そして人は絶えずこの外部の晒され生きている。だから労働はそれに対応するように、曖昧でいい
かげんでそして創造的で柔軟であり、決して価値に還元さない。生きるとは、労働するとは、このよう
な外部との闘争、自然主義的闘争なのである。不確実性を確実性に回収しよういう欲望、それは欲
望そのものであり、価値そのものを作動する力である。だから価値には必ず「労働」が内在している。


D近代化において排除された外部の回帰

だからマルクスがこのモデルをもとに恐慌を語るのは、静的なモデル故に、柔軟性がなく脆いという
ことに対応する。そしてこの静的なモデルを社会主義という未来へ展開するとき、ダイナミズムを抑
圧するように作動してしまう。

しかしこれはマルクス主義のみにいえるものではない。数量化、還元されないものは外部へ排除す
るという「近代化」である。そしてマルクス主義と差異は、資本主義は近代的な還元とともに、グレイ
ゾーンという柔軟でいい加減な緩衝域を保持し生き延びてきた。それも限界が見えている。環境問
題が近代化において排除された外部の回帰であることは容易に想像できるだろう。現代は近代的な
還元的数量化という自然主義闘争様式のシフトを迫られているのである。

509 :考える名無しさん:2006/09/29(金) 12:52:27
哲学を評論してるのかもしれない。それなら独りよがりでも問題ない。
ただ読者がいればいいだけだ。評論とはその程度。

510 :考える名無しさん:2006/09/29(金) 12:56:57
でもなんのために?

511 :考える名無しさん:2006/09/29(金) 13:06:40
>>510
ネットで神経症の治療をしてるのかもしれない。あきらかに強迫反復だから。

512 :考える名無しさん:2006/09/29(金) 14:53:18
天才と狂人は紙一重であるが、狂人と病人はイコールではない。

513 :考える名無しさん:2006/09/29(金) 16:17:13
天才なら天才でも一向に構わないんだけどさ、おれが損するわけじゃないんだから。
でもなんの天才なの?何がどうすごいの?
それに天才と呼ばれる人たちは自分ではそういわないし、つか自覚すらないみたいだけどこの人はなんか自分は凄いと思ってるようだよね。
なんか変なの。

514 :考える名無しさん:2006/09/29(金) 16:39:15
■資本制における根源的な不確実性

資本制社会は決して静的で安定した構造を持つものではない。
例えば、セーのような古典派経済学者は、ものを作れば必ず
売れるという「セーの法則」を主張した。この法則が真実ならば、
確かに資本制社会は静的で安定した構造のものだといえよう。
実際、セーは恐慌の可能性を断定的に否定した。

しかし、現実の資本制社会はそうではない。現実の資本制社会は、
セーの頭脳に宿るような静的で安定した構造を持っていない。
それを強調したのが、ケインズに先立ちセーの法則を否定した
マルクスである。モノを作れば必ず売れるとは限らない。
従って、モノが売れないという可能性はいくらでもあるのだ。
商品は交換に先立ち売れるかどうかは決定不能でなのである。
ここに資本制の根源的不確実性がある。

もし、商品が全般的に売れない状況が現われれば、それは不況
であるし、逆なら、好況である。このような景気循環は、
商品が売れるかどうかはさしあたり決定不能であるという不確実性
のゆえに現象する。そもそも、循環自体が、不確実性の所産なのだ。
循環は静的であるどころか、上下の変動に富む動態そのものである。

515 :考える名無しさん:2006/09/29(金) 18:06:51
いくら岩井の貨幣論を否定しようが実際貨幣は循環論として作動しているではないかと、いうだろうか。
しかし果たしてほんとうにそうだろうか。布の価格がいかに静的なのか考えてみよう。
需要と供給の影響はいうまでもなく、さまざまな外的要因により決して固定されない。そこにあるのは価格の不確実性である。

516 :考える名無しさん:2006/09/29(金) 18:08:15
ボクはいった てのいわなくなったね。

517 :考える名無しさん:2006/09/29(金) 18:23:42
■価格の不確実性と売りの不確実性

価格の不確実性は均衡価格へとやがて収斂するだろう。
しかし、その均衡価格どおりに売ったとしても、
売れるかどうかはさしあたり(事前的には)決定不能である。
それは実際に交換して、事後的に確証されるほかない。
これが売りの不確実性であり、資本制の根源的不確実性である。
例えば、均衡価格で売っても売れないとわかれば、その商品の
価格はさらに下落するだろう。つまり、価格の不確実性も
売りの不確実性に左右されている。

518 :純一:2006/09/29(金) 18:25:04
探究のパクリかね?

519 :考える名無しさん :2006/09/29(金) 18:44:06
>>518
おもいっきり元ネタばれですな。
パクリのP助。

520 :考える名無しさん:2006/09/29(金) 18:48:59
柄谷にすがるとは・・・

521 :考える名無しさん:2006/09/29(金) 18:53:46
ギクゥ〜

522 :考える名無しさん:2006/09/29(金) 18:54:51
純一が探求読んでいるとは思えないが・・・

523 :純一:2006/09/29(金) 18:56:59
実は読んでました。

524 :考える名無しさん:2006/09/29(金) 18:58:19
理解できた?

525 :純一:2006/09/29(金) 18:59:16
うーん、半々ぐらいかな。
言ってることはわかるけど…という感じ。

526 :考える名無しさん:2006/09/29(金) 19:00:09
あやしい

527 :純一:2006/09/29(金) 19:01:20
ぴかぁ〜には理解できたのかい?

528 :考える名無しさん:2006/09/29(金) 19:02:43
どうだろう

529 :純一:2006/09/29(金) 19:04:09
今回は探究をパクったのですか?

530 :考える名無しさん:2006/09/29(金) 19:04:55
そうだよ

531 :考える名無しさん :2006/09/29(金) 19:05:42
探求は少し荒いんだよな細部が。

532 :考える名無しさん:2006/09/29(金) 19:06:01
あんなもん、誰でも理解できるだろ。

533 :考える名無しさん:2006/09/29(金) 19:11:24
ぴかぁ〜「柄谷は外部がない」だろ

534 :考える名無しさん:2006/09/29(金) 19:17:12
パクるのに理解する必要ないだろが

と御本人になりかわって、一言申し上げます。

535 :考える名無しさん:2006/09/29(金) 19:25:38
ひどい会話。あとは向上委員会待ちか

536 :考える名無しさん:2006/09/29(金) 20:35:57
熱狂は終わらない。きれいごとをいうのはよそう。哲学は疎外されるものの
悲鳴であり、その存在を認知させるための叫びである。哲学はその魂から生まれる。

537 :考える名無しさん:2006/09/29(金) 21:11:28
■マルクスの「労働価値」はなぜ消えたのか

「貨幣は貨幣であることで貨幣である」

岩井克人の「貨幣論」(ASIN:4480084118)では、マルクスの「資本論」(ASIN:4003412516)で展開され
た価値形態論が脱構築されている。マルクスの示した価値形態の図式を循環論Zへと展開すること
で、貨幣という形態には、マルクスがこだわった「価値に表されている労働」による根拠づけのような
外部要因が入り込む必要がないことを示す。「貨幣は貨幣であることで貨幣である」とうことだ。

ではこれによって労働価値説はもはや葬り去られるのだろうか。ある意味で正しく、ある意味で正しく
ない。岩井はこのような循環論の他の例として「言語」を上げている。これは柄谷が、マルクスの価
値形態論をソシュールの言語論で説明することと同じ意味であり、貨幣が構造主義的構造を持つこ
とをしめす。

だから東は岩井の貨幣論をデリダの構造主義批判である「否定神学」と言った。すなわちマルクス
の価値形態論は否定神学である。よって循環論の構造を持つのだ。

しかし実際の価値は、マルクスの、そして岩井の循環論のような構造では説明できない。構造主義
はできすぎた静的な構造なのだ。岩井の循環論Zは静止しており、力動が欠落している。デリダが
「差延」などによって示したのが、静的な構造から動的構造へのモデル変更である。そして実際の貨
幣システムには必ず外部が存在する。そしてそこに「労働」を導入する契機がある。

538 :考える名無しさん:2006/09/29(金) 21:12:08
マルクスの「労働」には外部がない

このような力動の導入、すなわち「生成」の導入はマルクスの資本論にもある。

>>
マルクスは「資本論」の中で商品の価値形態論と交換過程論とをそれぞれ独立に論じたことの意義
があきらかになる。それは、商品世界の「構造」の分析と商品世界の「生成」の叙述との区別であ
る。・・・まさに商品世界の生成という物語を語るのが、「交換過程論」の課題なのである。

「貨幣論」 岩井克人 (ASIN:4480084118)
<<

ならば価値形態論で廃棄された「価値に表されている労働」という外部は、力動を語る交換過程論
において再生されるのだろうか。残念ながら、マルクスは構造の力動を「労働」に求めない。なぜな
らマルクスの労働価値論はそもそもにおいて、外部として、力動として作動しないのだ。

マルクスにとって商品価値に内在する「労働」とは、社会的平均労働力でありなおかつ、「抽象化さ
れた人間労働」である。だから柄谷はマルクスの価値形態論において労働時間とは単に貨幣を言
い換えたものにすぎない、といったのだ。外部としての「労働」とは、社会的に平均されなければ、抽
象化もされない。

539 :考える名無しさん:2006/09/29(金) 21:13:08
従順な(内部)自然=グレイゾーン

この外部の問題は、労働価値説だけのことではなく、マルクスの思想の根底にさかのぼるものであ
る。マルクスは目指すべき原点を自然と調和する類的本質においているということ、すなわちそもそ
もにおいて、マルクスの思想には外部がないのである。

>>
すなわち有用なる労働としては、労働は、すべての社会形態から独立した人間の存立条件であっ
て、人間と自然との間の物質代謝を、したがって、人間の生活を媒介するための永久的自然必然性である。

簡単に商品体は、自然素材と労働という二つの要素の結合である。・・・この製作の労働そのものに
おいても、人間はたえず自然力のたすけをかりている。したがって、労働はその生産する使用価値
の、すなわち素材的富の、唯一の源泉ではない。ウィリアム・ペティがいうように、労働はその父で
あって、土地はその母である。

「資本論」 第一章 商品 マルクス (ASIN:4003412516)
<<

マルクスにとっての自然とは調和可能な母なる自然、飼いならされ「従順な(内部)自然」である。こ
のような自然はボクがいうところの内部と外部の境界=グレイゾーンでしかない。マルクスは、その
始めから、外部としての自然から隔絶して、グレイゾーン(従順な内部自然)に囲まれた豊かな社
会、すなわち資本主義的社会を前提に組み立てられているのだ。だから自然とは従順な自然であ
り、有用な労働とは自然と調和した還元可能な労働なのである。そしてマルクスの価値形態論が示
すのは、安定し豊かな社会において、経済システムは循環論という静的な構造モデルに近似するこ
とを示しているのだ。

540 :考える名無しさん:2006/09/29(金) 21:13:55
不確実な(外部)自然と柔軟な労働

ほんとうの自然とは外部であり、不確実で、調和不可能であり、地震、天災のように純粋な略奪とし
て、あるいは太陽の恵みのように純粋な贈与として到来する。そして決して機械決定論に還元され
ないカオスとして、循環論という内部に回帰する。一見、従順な姿で内部に入り込み、突然暴走する。

人は絶えずこの不確実な外部に晒され生きている。生きるとは、労働するとは、このような外部との
闘争、「自然主義的闘争」なのである。だから労働はこのような外部に対応するように、いいかげん
で、柔軟で、多様で、そして創造的であり、決して一元的に「価値」に還元することはできない。労働
とは欲望であり、価値そのものを作動する力である。だから価値には必ず「労働」が内在している。


近代化において排除された外部の回帰

マルクスがこのモデルをもとに恐慌を語るのは、静的なモデル故に、柔軟性がなく脆いということに
対応する。そしてこの静的なモデルを社会主義という未来へ展開するとき、ダイナミズムを抑圧する
ように作動してしまう。

しかしこれはマルクスのみの問題ではない。数量へ還元されないものは外部へ排除するという「近
代化」のもつ問題である。資本主義はこのような近代的な還元とともに、グレイゾーンという柔軟でい
い加減な緩衝域を保持し生き延びてきた。それも限界が見えている。環境問題が近代化において
排除された外部の回帰であることは容易に想像できるだろう。現代は近代的な還元的数量化という
自然主義闘争様式のシフトを迫られているのである。

541 :ぴか〜スレ向上委員会:2006/09/29(金) 21:17:42
疎外論的マルクス解釈だね

外部/内部の循環論法に陥ってる、否定神学だ

542 :考える名無しさん:2006/09/29(金) 21:20:15
どこが?

543 :考える名無しさん:2006/09/29(金) 22:17:07
得意のマルクスなのに向上委員会逃げたな

544 :ぴか〜スレ向上委員会:2006/09/29(金) 22:26:40
ぴか〜氏よ、自分探しの旅はどうだった?

戻ってきたら、また

545 :考える名無しさん:2006/09/29(金) 22:36:10
向上委員会、むかつくから>>537-540をぶった切れ!

546 :ぴか〜スレ向上委員会:2006/09/29(金) 22:47:37
>>545
だから疎外論的マルクス解釈でしかないんだよ
2時代前のマルクス批判だ、なにを今更って感じだ

ぴか〜氏はマルクスに関わらない方がパワーを感じる
もっと現代の消費社会分析をやった方が良い

547 :考える名無しさん:2006/09/29(金) 22:52:10
OFWじゃあるまいし、向上委員会にそんな実力はない。

548 :考える名無しさん:2006/09/29(金) 22:57:45
批判することはないだろう。ようはアンチオイディプスだろ。

549 :考える名無しさん:2006/09/30(土) 07:07:44
■外部としての「労働」とニート革命

外部としての「労働」とは、例えば、ボクがブログを書いたり、
2chに書き込みをしたりする作業を指す。もし、ボクが出版社の
依頼で、つまり貨幣(原稿料)を対価にして、文章を書くなら、僕の労働は
社会的労働だ。マルクスがいう労働とはほとんどこのような貨幣を対価と
する社会的労働を意味している。
この意味で、マルクスのいう労働には外部はない。マルクスはお金にならない
労働は労働だとみなさないのだ。

しかし、ボクがいいたいのは、社会的労働だけが全ての労働ではないと
いうことである。それをボクは外部としての「労働」と呼んでいる。
それは社会的労働とは見なされず、そのため、対価として貨幣を受け取る
こともない。しかし、社会的労働だけを労働だと見なすのは、きわめて
近代的な見方にすぎない。ボクはニートやひきこもりも労働していると
いいたいのだ。それは社会的労働ではないし、そのため価値をもたない。
つまり、価値に還元されない。しかし、それは価値体系の外部としての「労働」
なのだ。ボクがブログで書いている文章は価値がないので、貨幣をもらえない。
その意味で、ボクは社会的労働はしていない。しかし、価値に還元されない
外部としての「労働」はしているのだ。

そして、ボクは暴走する。社会的労働だけが労働だとみなし、外部としての
「労働」を認めない者をたたきのめすために、暴走するのだ。ボクはニート革命を起こすのだ。

550 :考える名無しさん:2006/09/30(土) 07:51:08
そ ご苦労だね、ボク
ま頑張りなさいよ

551 :考える名無しさん:2006/09/30(土) 08:15:33
■等価交換と純粋略奪

マルクスがいう労働は、社会的労働であり、貨幣を対価として
なされる労働である。例えば、農民が社会的労働として農作物
を作り、それを市場で売り、貨幣を受け取るという過程がある。
大根一本200円なら、農民は200円をもらう。
それは等価交換である。

しかし、ボクのいう外部としての「労働」は、そのような
社会的労働ではない。なので、ボクがいかに外部としての「労働」を
しても、お金をもらうことはない。つまり、そこには不等価交換
しかない。例えば、ボクは無償でブログを書き、無償で読者に
提供している。ボクと読者の間には、プロの作家と読者の間のような関係
はない。プロの作家は読者からお金をとって、自分の文章を提供
するが、ボクはそういうことはしていない。ボクはブログの文章を無償で
提供するが、裏を返せば、読者から対価なしに略奪されているのである。
そのような不等価交換をボクは純粋略奪とよぶ。

そして、ボクは暴走する。ボクは無償でボクの文章を読者に贈与
しているのに、つまり、読者はボクから純粋略奪を行なっているのに、
お褒めの言葉もないどころか、逆にボクを非難しているからである。
ボクは褒められたい、認められたい、他者のまなざしを得たい。目立ちたい。
しかし、そういうボクの欲望は満たされない。ボクはまた暴走する。

552 :考える名無しさん:2006/09/30(土) 09:07:03
当たり前だ。
褒める要素がないから褒めない。
褒める要素がないのに褒めなければならない関係にない
だから褒めることはない。
褒めるべき要素がないのに褒められてしかるべきと暗示と明示を交互に繰り出す。
だから批判する。
至極当然。
それで 暴走 すると喚く。
どうぞおやりなさい。
お前ごときが 暴走 したとて晩秋の蚊すら殺せない。

553 :考える名無しさん:2006/09/30(土) 09:18:23
>ボクは無償でボクの文章を読者に贈与 しているのに、つまり、読者はボクから純粋略奪を行なっているのに、

有償の価値が認められるものを無償で提供したときのみ通用する。よって基本的論理矛盾。
きみの致命的欠陥。
小学校からやり直せ。

554 :考える名無しさん:2006/09/30(土) 10:08:46
■排除としての近代化

近代化とは数量に還元されないものを外部として排除することである。
それを資本主義的に言い換えれば、貨幣を対価として支払うに値する
社会的労働のみを労働だと認め、それ以外の労働を排除することである。

例えば、ニートやひきこもりは、就職活動しても、採用されない。
それは彼らの労働力が商品価値を持っていないからである。
特に技能の要らない単純労働でも、体力や持続力を要する。ニートや
ひきこもりにはそれもないのであり、だから、単純労働力としても
認められない。そのため、彼らは、職を得ることはできず、資本主義社会
から排除されるしかない。

こうして、ニートやひきこもりは、資本主義経済の外部へ排除される。
彼らの労働力は外部の労働力なのである。それは商品価値を持たないため、
貨幣(労賃)に値しない。だから、数量化もされない。価値に還元されない。
そして、認められない口惜しさから、彼らは突然暴走する。
ある者は家庭内暴力をし、ある者はネット荒らしをするだろう。
そして、ボクも暴走するのだ。

555 :考える名無しさん:2006/09/30(土) 10:25:49
するするって言ってないでとっととしろよ。
どんな房総かしらんけど。

556 :考える名無しさん:2006/09/30(土) 10:42:23
近代化とは数量に還元されないものを外部として排除することである。
逆にいえば、数量化可能なものは「誰であろうが」内部へ回収する。
そこにあるのは、自由と平等である。

557 :考える名無しさん:2006/09/30(土) 10:48:30
『死刑執行拒否』が残す波紋
http://www.tokyo-np.co.jp/00/sya/20060929/eve_____sya_____002.shtml

杉浦正健前法相が死刑執行命令書の署名を拒んだまま退任したことが、“波紋”を残している。本
人が退任後も沈黙を守る中、歴代法相では異例の「在任中の執行ゼロ」がもたらす影響について関
係者がさまざまな思いをめぐらせる状態だ。
小泉内閣が総辞職した九月二十六日。任期中最後の記者会見で死刑執行について問われた杉浦
氏は「自由の身になったら、感慨を言うこともあるだろうが、(コメントは)控えさせていただくのが適
当だろう」と語るだけだった。
昨年十月末の就任会見では「私は(執行命令書に)サインしない」と発言。その時は「私の心の問
題、宗教観、哲学の問題だ」と補足して説明したが、今回は退任後も「しばらくは、そのことについて
話すつもりはないようだ」(杉浦事務所)という。
『死刑執行拒否』が残す波紋
http://www.tokyo-np.co.jp/00/sya/20060929/eve_____sya_____002.shtml

杉浦正健前法相が死刑執行命令書の署名を拒んだまま退任したことが、“波紋”を残している。本
人が退任後も沈黙を守る中、歴代法相では異例の「在任中の執行ゼロ」がもたらす影響について関
係者がさまざまな思いをめぐらせる状態だ。
小泉内閣が総辞職した九月二十六日。任期中最後の記者会見で死刑執行について問われた杉浦
氏は「自由の身になったら、感慨を言うこともあるだろうが、(コメントは)控えさせていただくのが適
当だろう」と語るだけだった。
昨年十月末の就任会見では「私は(執行命令書に)サインしない」と発言。その時は「私の心の問
題、宗教観、哲学の問題だ」と補足して説明したが、今回は退任後も「しばらくは、そのことについて
話すつもりはないようだ」(杉浦事務所)という。

558 :考える名無しさん:2006/09/30(土) 10:49:15
杉浦氏は弁護士出身で、真宗大谷派の門徒。同派内では、僧侶の有志が「署名拒否発言」支持の
署名運動を展開。内閣総辞職が迫った八月下旬には、本山の幹部が愛知県岡崎市の同氏宅を訪
ね、本人に「信念を貫いてほしい」と訴えた。
今回の「署名拒否」について、署名運動に参加した僧侶は「法務省などからの圧力もあっただろう
に、よくぞ決断してくれた」と話した。
日本弁護士連合会で死刑執行停止実現委員会副委員長を務める柳重雄弁護士も「死刑制度への
問題提起だ。先進国で制度を残すのは日本と米国の一部の州だけ。冷静な存廃議論につながって
ほしい」と期待している。
一方、地下鉄サリン事件で夫を亡くした高橋シズヱさんは「死刑判決が確定しても、執行されないの
なら、裁判をした意味がなくなる。法相個人の感情で執行する、しないを決めるのは、制度の私物化
だ」と反発する。

559 :考える名無しさん:2006/09/30(土) 10:50:03
杉浦氏の最後の記者会見から約十四時間たった二十六日深夜。後任の長勢甚遠法相は就任記者
会見で、死刑執行について「法治国家にあって、確定した裁判の執行は冷静に行われなければい
けない」と述べた。
死刑確定者数は、今年八月末現在で八十八人に上る。

560 :考える名無しさん:2006/09/30(土) 10:56:30
死刑やめたほうがいい。凶悪犯がいなくなるわけでもないし事後時間が経過してから人は変わる。そうでなくても因果関係としては死刑は世の中からの追放を意味する。追放は孤独であり孤独に死ぬということは凶悪な罪と因果関係を異にする。

561 :考える名無しさん:2006/09/30(土) 21:00:26
>>
人は絶えずこの不確実な外部に晒され生きている。生きるとは、労働するとは、このような外部との
闘争、「自然主義的闘争」なのである。だから労働はこのような外部に対応するように、いいかげん
で、柔軟で、多様で、そして創造的であり、決して一元的に「価値」に還元することはできない。労働
とは欲望であり、価値そのものを作動する力である。だから価値には必ず「労働」が内在している

「マルクスの「労働価値」はなぜ消えたのか」
<<


562 :考える名無しさん:2006/09/30(土) 21:13:42
同じことばかり、しつっこい奴だな。
それしかないのか、ばかのひとつおぼえ。
うぜーうぜー

563 :考える名無しさん:2006/09/30(土) 21:23:59
マルクスのいう類的本質とは、自然との調和であり、動物としての人間である。
動物の本質とは、生きることにある。だから虚像的な交換価値とは区別された
使用価値とは、生きることに有用な価値である。

マルクスには「生存」こそが真実であり、「動物」としての人間といえる。
それに対してボクが考える本質は、フロイト的「人間」としての人間である。
ここでの対比は、デカルトの心身二元論、心/体=人間/動物に対応する。

フロイト的「人間」とは自然との調和からズレてしまった存在である。
だからフロイト的には、労働は自然との調和ではなく、欲望である。

マルクスもフロイトも構造主義へ繋がる前段をつくったと言われる。
すなわち下部構造としての経済活動と、無意識の発見である。
マルクスはこれが資本主義的な悪と見いだし、動物への回帰を求めたが、
フロイトは人間のあり方とみて、オイディプス的な正しさを見いだした。

ドゥルーズがマルクスとフロイトをつなぐとき、フロイトのオイディプスを批判した
と言う意味で、マルクス的である。

564 :考える名無しさん:2006/09/30(土) 21:37:05
ほい元ネタ


◆フロイトは、「無意識」という、エネルギー概念、リビドー概念を説いた。目に見えない・意識できないものによって、人間は規定されている、これがフロイトの考えだ。
マルクスは、政治や文化といった「上部構造」は、「下部構造」生産的関係によって規定されている、と考えた。 
ともに、潜在的なものが一つの装置として働いている、としている。
自分で意識できない、主題化できない装置が、自分を規定している、という考えだ。フロイトの伝統の流れには、ラカン派がある。

565 :ぴか〜スレ向上委員会:2006/09/30(土) 21:44:15
「類的本質」なんて用語使ってマルクスを語るな、フォイエルバッハ以前だよ

だから疎外論的だって繰り返し言ってる、全然変わってないな

566 :考える名無しさん:2006/09/30(土) 22:35:32
向上委員会と純一の違いがなくなってきてる

567 :考える名無しさん:2006/09/30(土) 22:55:10
>>563
これ書いたの誰? 相当の阿呆でしょ。

568 :ぴか〜スレ向上委員会:2006/09/30(土) 23:04:48
ぴか〜氏は消費社会の分析をボードリヤールのように続けたほうが良いんだよ
下手にマルクスに関わるとこんなことになる

マルクスって「迷宮入り」の「犯罪」だからさってw、純一氏が言いそうなことだ

569 :純一:2006/09/30(土) 23:06:58
そうですか?

570 :考える名無しさん:2006/09/30(土) 23:07:25
>>565
もう少し詳しく

571 :考える名無しさん:2006/09/30(土) 23:22:43
向上委員会悲惨だな

572 :考える名無しさん:2006/09/30(土) 23:24:25
たんに貨幣論も柄谷も読んだことないのでは?

573 :ぴか〜スレ向上委員会:2006/09/30(土) 23:32:36
なるほど、こっちに来たかw
まあ、ここはぴか〜氏スレなので

続けたければ柄谷スレでやろうよ、ちなみに青木スレでもいいよ諸君!

574 :考える名無しさん:2006/09/30(土) 23:44:17
向上委員会さん、いいかげん逃げ回るのは止めてご教授願います。

575 :ぴか〜スレ向上委員会:2006/09/30(土) 23:49:03
柄谷スレで待機中だよ、そこでやろう、スレ違いだもん

576 :考える名無しさん:2006/09/30(土) 23:51:48
>「類的本質」なんて用語使ってマルクスを語るな、フォイエルバッハ以前だよ
>だから疎外論的だって繰り返し言ってる、全然変わってないな

向上委員会からの解説待ちです・・・

577 :ぴか〜スレ向上委員会:2006/09/30(土) 23:58:57
>>576
柄谷スレで「向上委員会」でやってるから、そこでやろう
まあ、連投規制キツいので今日はここまでだ、お楽しみに

書き込めたらやるよ、今日でも、もうすぐ日付け変わるもんなw

578 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 00:13:32
また逃げたか

579 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 02:41:10
自然は不確実であるから、労働は多様である。という意味はまさに、フロイト的に取らなければならない。
マルクスの類的本質=本能に対するフロイトの欲動である。それは死への欲動である。
人は不確実性を求める。労働とは不確実性を確実性へ回収するとともに、不確実性そのものを求める、
という意味での多様性である。

>>
人は絶えずこの不確実な外部に晒され生きている。生きるとは、労働するとは、このような外部との
闘争、「自然主義的闘争」なのである。だから労働はこのような外部に対応するように、いいかげん
で、柔軟で、多様で、そして創造的であり、決して一元的に「価値」に還元することはできない。労働
とは欲望であり、価値そのものを作動する力である。だから価値には必ず「労働」が内在している

「マルクスの「労働価値」はなぜ消えたのか」
<<

580 :フィロソファー:2006/10/01(日) 04:00:47
 マルクスの労働価値説に効力がなくなったのは、生産と消費についての彼の間抜けな考察のためだよ。

 バタイユという人がエロス(死への欲動)と消費論を関係付けて論じているのだけれど、

 元来、生産と消費は真っ二つにぶった切れるものじゃないのさ。

 マルクスは、消費と生産という行為をON/OFFみたいに一元論的に考えていたからね。

 つまり、故郷を離れてみなければ故郷がないみたいな…。
 労働とはそもそも自然のリメイキングでしょう。
 
 なんのためって、SOCIETYを作るためですよ。

581 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 08:20:05
■自然対象と労働

例えば、ある自然対象、木について考えてみよう。木とは労働に
とって対象であり、労働するための材料である。

しかし、木が何のために利用されるかは前もって決まっていない。
木を使い椅子を作れるし、タンスやテーブルも作れる。つまり、
木という自然対象の用途は多様である。
そこで、椅子を作ると決めたならば、ボクたちは椅子のイメージをまず
浮かべるだろう。そして、そのイメージに沿って、木を加工し、
椅子に仕上げる。

木を使い椅子を作ると決めたならば、木はもはやテーブルではありえないし、
タンスであることもできない。この意味で、労働とは、材料(自然対象)の用途
の多様性を一様化することである。

自然対象の不確実性とはこの意味で解されなければならない。つまり、
その用途が多様であるという意味で。それに対し、自然対象の用途の多様性
を一様化すること、 例えば、木をテーブルではなく椅子にすること、
それが労働という行為である。

そして、その椅子が社会的労働として制作されたのならば、それは商品として
店頭にならぶことになる。むろん、椅子を作る労働が社会的か否かは、
その椅子が売れて初めて確証されるほかないのはいうまでもない。もし、
椅子に対する需要がないと判明したら、今度は木をテーブルに加工して売る
かもしれない。ここで、木の用途の多様性が効いて来るわけである。
木は必ず椅子に加工される必要はどこにもはない。

582 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 08:42:23
つまんないこといってるな
パクリ癖がついちまってるから、凡庸な考察しかできないんだな。
すごかねぇょ。。。
キエロょ

583 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 08:51:22
労働しらんやつが労働を語る。
観念論なら有り得るが、その観念がこうまで貧相ではなんともならんわな。
いつ終わるのこれ?

584 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 09:15:01
■排除された外部の回帰

人間もまた木と同様自然のものだとするなら、人間の労働力の
用途もまた多様である。例えば、人は営業マンになれるだろうし、
工場作業員にもなれるであろう。あるいは、作家や官僚にもなれる
であろう。とはいえ、定職に就くとは、そのような多様性を一様化
することである。営業マンになれなかった人は、しかし、工場作業員
にはなっていたであろう。

しかし、そのいずれにもなれなかった存在がいる。それがニートや
ひきこもりである。彼らの労働力はいかなる職業にも適していないのだ。
使い物にならない材料は使われる以前に棄て去られるほかない。
それと同様、彼らの労働力は使い物にならない不良品として、
資本主義社会の外部へ排除されたのである。

そして、ボクは暴走する。ボクは不良品、人間廃棄物なのだ。
廃物の山が環境問題として資本主義社会に仕返しをするよう、
人間廃物であるボクたちも暴走し、仕返しをするのだ。
それが排除された外部の回帰(revolution)、ニート革命である。

585 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 09:22:35
そうだ、お前が先陣をきって花とちり消え失せろぴかぁ。

586 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 09:24:26
だからいつやるんだよ。口先野郎

587 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 09:49:01
>>584
なるほど、よくわかりました。
つまりエビちゃんを欲するということは、それ自体が犯罪であるということですね。
さすがです。
そこで、質問なのですがぴかぁ〜さんはタマブクロは痒いですか。

588 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 09:53:29
ん?

589 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 10:09:19
「マルクスの「労働価値」はなぜ消えたのか >>537-540」つづき

自然は不確実であるから、労働は多様である。という意味はまさに、フロイト的に取らなければならない。
マルクスの類的本質=本能に対するフロイトの欲動である。それは死への欲動である。
人は不確実性を求める。労働とは不確実性を確実性へ回収するとともに、不確実性そのものを求める、
という意味での多様性である。

>>
人は絶えずこの不確実な外部に晒され生きている。生きるとは、労働するとは、このような外部との
闘争、「自然主義的闘争」なのである。だから労働はこのような外部に対応するように、いいかげん
で、柔軟で、多様で、そして創造的であり、決して一元的に「価値」に還元することはできない。労働
とは欲望であり、価値そのものを作動する力である。だから価値には必ず「労働」が内在している

「マルクスの「労働価値」はなぜ消えたのか」
<<

だから労働は自然主義的闘争であり、社会的労働を逸脱する。純粋略奪を志向する。

590 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 10:52:38
わっかりましたー。
すごいです。自分なりの理解を付け加えますと立ち位置は加齢とともに角度が減少する。しかしタマの裏には顔がありポトラッチの様相をていする、とボクはいった。
ということで良いのですね。

591 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 11:43:38
アルカイダは組織から運動へ変化しているという。果たしてこの運動の力動とはなにか

592 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 11:52:28
ニートの「労働価値」はなぜ消えたか

593 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 12:23:22
ぴか、公園でキャッチボールして遊ぼ

594 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 12:26:41
そうですか、そうきましたか。
エビちゃんに唾をはきかけられるということは、自然主義逃走論的には純粋略奪になるってことは理解できるのですが…

595 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 14:57:09
人はなぜ宗教なく生きることができるのか。

596 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 15:12:27
問題はこの血のしたたり落ちる致命的な患部をなにによって塞ぐか、ということだ。
神か、金か、愛か、女か、憎しみか


597 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 15:20:17
>596
チンコちゃうの

598 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 21:03:08
人はなぜ宗教なく生きることができるのか。
問題はこの血のしたたり落ちる致命的な患部をなにによって塞ぐか、ということだ。
神か、金か、愛か、女か、憎しみか
なにが「リアル」か、ということだ。

その一つが、「なんのためなら死ねるかの。」ということがあるだろう。
現存在にとって死が根元であったように、人間のリアルを語るには死がひとつの基準に
なるだろう。そして死を賭けることがある。

逆にいえば、人は死のための生きることはできない。
すなわち生存のための生きることはできない。
これは、人間は動物ではないということの意味である。

だからこう問うことができる。「あなたはなんのためならば死ねるか」と。

599 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 21:05:27
>598
<だからこう問うことができる。「あなたはなんのためならば死ねるか」と。>

こういうの、ほぼ全部、嘘っぱちだよ。


600 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 21:12:00
「あなたはなんのためならば死ねるか」
しかしこういうの、ほぼ全部、嘘っぱちである。
なぜなら死は存在しないからだ。

だから問題はこのように問わなければならない。
「人はなぜ「なんのためならば死ねるか」と問うのか」と。

601 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 21:15:32
すなわちここに現代思想の臨界がある。

「あなたはなんのためならば死ねるか」 という形而上学と
「人はなぜ「なんのためならば死ねるか」と問うのか」という相対主義。
これは、リアルな核の存在とその希薄化である。

だからこそ、「あなたはなんのためならば死ねるか」へと回帰するだろう。


602 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 21:17:53
>すなわち生存のための生きることはできない。 これは、人間は動物ではないということの意味である。


なるほど。すなわちそれは、生存の為ではなくラカンのいう大磨羅の他者に後から純粋略奪されたときに欲望されるとボクはいった。
何故熟女はバックを求めるのか。

603 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 21:19:51
>600
「そのために死ぬ価値があるものがある」というScheinを求めることにより、多くの問題を不在にしたい、ということかな。

604 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 21:22:52
■「あなたはなんのためならば死ねるか」

人はなぜ宗教なく生きることができるようになったのか。この血のしたたり落ちる致命的な患部をな
にによって塞ぐか、ということだ。神か、金か、愛か、女か、憎しみか。

それは、なにが「リアル」か、ということだ。その一つが、「なんのためなら死ねるかの。」ということが
あるだろう。現存在にとって死が根元であったように、人間のリアルを語るには死がひとつの基準に
なるだろう。そして死を賭けることがある。

逆にいえば、人は死のための生きることはできない。すなわち生存のための生きることはできない。
これは、人間は動物ではないということの意味である。だからこう問うことができる。「あなたはなん
のためならば死ねるか」と。

「あなたはなんのためならば死ねるか」しかしこういうの、ほぼ全部、嘘っぱちである。なぜなら死は
存在しないからだ。だから問題はこのように問わなければならない。「人はなぜ「なんのためならば
死ねるか」と問うのか」と。

すなわちここに現代思想の臨界がある。「あなたはなんのためならば死ねるか」という形而上学と
「人はなぜ「なんのためならば死ねるか」と問うのか」という相対主義。これは、リアルな核の存在と
その希薄化である。

だからこそ、「あなたはなんのためならば死ねるか」へと回帰するだろう。

605 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 21:25:31
>>603
「あなたはなんのためならば死ねるか」

606 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 21:25:35
オメはブログのために死ねるのか W

607 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 21:27:51
い〜〜っ気持ちいいの〜だめだめしぬ〜〜〜〜
ってのはなによ。

608 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 21:29:53
>604
<人間のリアルを語るには死がひとつの基準になるだろう。>
<「あなたはなんのためならば死ねるか」へと回帰するだろう。>

兵舎の窓から見える、井戸から水を汲み洗濯をする女性の姿、その日常生活に対し、初めてリアリティを見出したとき、
それは既にファシズムの世界に組み入れられたとき。



609 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 21:30:46
>この血のしたたり落ちる致命的な患部

古文書かなんかのばくりかよ。
それよかテメェの致命傷なんとかしろ。

610 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 21:32:08
>>608
なぜ「あなたはなんのためならば死ねるか」 に答えられないのか。


611 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 21:34:57
>>605 :考える名無しさん :2006/10/01(日) 21:25:31
>>603
「あなたはなんのためならば死ねるか」

いたずらに、このような問いを発するとき、いくばくかの原理主義に絡めとられたい、という自己のすべてを否定する熱望が垣間見える。


612 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 21:35:28
「あなたはなんのためならば死ねるか」にも答えられないなら哲学などやめちまえよ

613 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 21:37:11
>612
その問いを発する、という行為の「社会的」あぶなさに鈍感すぎますよ。

614 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 21:40:58
>>611
ブラボー

615 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 21:41:22
「あなたはなんのためならば死ねるか」に答えることに口をつぐまされ、疎外された人々

616 :ぴか〜スレ向上委員会:2006/10/01(日) 21:43:19
新宿フリーライダーズについて

最近、柄谷及び関係者のスレを荒らしてる集団について「向上委員会」は彼らの正体を捉えた
彼らを今後「新宿フリーライダーズ」と命名する

その特徴、見分け方

1、新宿の飲み屋(特にゴールデン街など)が根城、ただ最近、金がないみたいなので漫喫がメイン
2、本人達はアナーキスト系左翼と思い込んでるらしいが、ネット右翼みたいなもの
3、独自の思想がない、昔、柄谷を「盟主」に祭り上げようとしたが柄谷自身に拒絶され、今はゴリゴリのアンチ
  最近ではアンチ柄谷という理由だけで青木=コミュニタにも接近してるようだが、まあ、拒絶されるだろう
4、特技は学歴、職業の差別ネタの書き込みのオンパレード、及び、下らんAA
  暴走族やストリートギャングが「自己主張」と称して公共物に落書きするのと同じ
5、夫馬の名前を聞くと異常に興奮する、何故なら同じフリーライダーだから
6、元同志のスガヒデミが裏切って近畿大学に就職したのが許せないらしい

617 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 21:44:01
「あなたはなんのためならば死ねるか」という問いを発することの危うさにも気付かず、
自己疎外にも気付かぬ人々
それを自己意識化できないままの、最悪の意味での「大衆」という


618 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 21:44:15
「あなたはなんのためならば死ねるか」に答えることに口をつぐまし、
疎外し、宙づりにする現代の権力とはなにか。

619 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 21:46:49
【話題】モテない「オタク」、モテる「ちょいオタ」

オタク、Aボーイ、アキバ系・・・。『電車男』などの影響もあり、世の中に認知されつつある言葉だけ
れど、「モテる」というイメージはないですよね?
しかし、とある男性ファッション誌において「ちょいオタ」がモテのキーワードと明言されたのです。そ
の「ちょいオタ」は、いまでもモテの重要要素として健在らしい。掲載されていた記事によると「ちょい
オタ」がモテにつながるためには、以下の条件が必要だという。

(1)ちょいオタはAボーイであることを明るくカミングアウト
(2)ちょいオタは少女マンガ通、部屋がプチマンガ喫茶になることも
(3)ちょいオタは新しいもの好き、最新電化アイテムは見逃さない
(4)ちょいオタは情報通、いつもノートパソコンを持ち歩く

この4つの条件に関して、不特定多数の女子の意見を聞いてみました。「オタクってことをカミングア
ウトしてくれるのはいいかも。なにも知らないで付き合って彼の部屋に行ったら美少女アニメのポス
ターがあったりしたらひくから。もしかしたら理解できるかも知れないし」(23歳会社員)
「少女マンガを読んでるのは好感持てるな〜。話も合うし、読んでない人よりも女心わかってそうだ
し」(21歳大学生)
「DSとかPSPとかやってみたいから最新アイテムを持ってる人はいい!情報通っていうのもポイント
高いかも!でもこれってオタクなんですかね?(笑)」(19歳短大生)
というわけで、4つの条件は女子には好感触。でも、気になることが。明るくカミングアウトして少女マ
ンガを読み、かつ新しいもの好きで情報通な本気のオタクはモテないのだろうか?

620 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 21:47:56
>>618
「あなたはなんのためならば死ねるか」と安直に問いかけ、その自己疎外にも気付かせず、あなたを宙づりにする現代の権力とはなにか?

現代の時代そのものである。


621 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 21:52:56
「あなたはなんのためならば死ねるか」に答えることに口をつぐまし、
疎外し、宙づりにする現代の権力とはなにか。

原理主義に絡めとられるということ、自己疎外にも気付かぬ人々ということ・・・
これらを否定神学と呼ぶ。すなわち「「あなたはなんのためならば死ねるか」に
答えるならば死んだ方がましだ。」というパロディがここにある。
これが現代の病であり、疎外である。

622 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 22:03:13
現代において没入することは禁止されている。
宗教は当然として、オタクであるとか、小さなコミュニティであるとか、熱くなりすぎることに
嫌悪を感じるとともに排他する。いつもアイロニカルであること、クールであることが求められる。

623 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 22:17:09
とすると、今後どこに向かうのだろうか?

624 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 22:17:19
■「あなたはなんのためならば死ねるか」

「あなたはなんのためならば死ねるか」

人はなぜ宗教なく生きることができるようになったのか。この血のしたたり落ちる致命的な患部をな
にによって塞ぐか、ということだ。神か、金か、愛か、女か、憎しみか。

それは、なにが「リアル」か、ということだ。その一つが、「なんのためなら死ねるかの。」ということが
あるだろう。現存在にとって死が根元であったように、人間のリアルを語るには死がひとつの基準に
なるだろう。そして死を賭けることがある。

逆にいえば、人は死のための生きることはできない。すなわち生存のための生きることはできない。
これは、人間は動物ではないということの意味である。だからこう問うことができる。「あなたはなん
のためならば死ねるか」と。

625 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 22:19:11
「「あなたはなんのためならば死ねるか」に答えるならば死んだ方がましだ。」

「あなたはなんのためならば死ねるか」しかしこういうの、ほぼ全部、嘘っぱちである。なぜなら死は
存在しないからだ。だから問題はこのように問わなければならない。「人はなぜ「なんのためならば
死ねるか」と問うのか」と。

すなわちここに現代思想の臨界がある。「あなたはなんのためならば死ねるか」という形而上学と
「人はなぜ「なんのためならば死ねるか」と問うのか」という相対主義。これは、リアルな核の存在と
その希薄化である。だからこそ、「あなたはなんのためならば死ねるか」へと回帰するだろう。

「あなたはなんのためならば死ねるか」に答えることに口をつぐまし、疎外し、宙づりにする現代の
権力とはなにか。原理主義に絡めとられるということ、自己疎外にも気付かぬ人々ということ・・・
これらを否定神学と呼ぶ。すなわち「「あなたはなんのためならば死ねるか」に答えるならば死んだ
方がましだ。」というパロディがここにある。これが現代の病であり、疎外である。

だからこう問うことができる。「あなたはなんのためならば死ねるか」と。


626 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 22:23:23
答え

オメコ

627 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 22:25:16
現代において没入することは禁止されている。宗教は当然として、オタクであるとか、小さなコミュニティで
あるとか、熱くなりすぎることに嫌悪を感じるとともに排他する。いつもアイロニカルであること、クールで
あることが求められる。

たとえば、>>619「モテない「オタク」、モテる「ちょいオタ」」とは、ベタな「オタク」はもてない。アイロニカルで、
クールな「オタク」になれ。という疎外がある。

とすると、今後どこに向かうのだろうか?一つの答えは「ネッ」トである。


628 :ぴか〜スレ向上委員会:2006/10/01(日) 22:33:09
生/死といった対立から降りてみればいいんだよ、言葉遊びは止めだ
ただ単に自分の書き込みたい事を書くべし!ここは2ちゃんだ

2ちゃん自体アイロニカルな場所だけど、アイロニーの現場でアイロニーやったってしかたがない
まあ、これが歴史か?純一氏よ

629 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 22:33:35
たとえば団塊の世代の定年が話題になっているが、これらのリアリティは「仕事だから仕方
がない」ということだ。熟年離婚は流行っているらしいが、もはや仕事はリアルな核、
すなわち「仕事のためなら死ねる」ということがリアルでなくなっている。「仕事は終焉したのだ」
僕たちは生きるために働き続けるだろうが、もはや「仕事のための死ぬことはできない」

下流が起こらないのは、リアルの核はそこにないから、重要なことはそこにはないからだ。
確かにわりのより仕事はしたいし、おいしいものを食べたい。しかしマックを食べながら、
問題は「なんのためならば死ねるか」ということだ。


630 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 22:34:43
>>628
「あなたはなんのためならば死ねるか」

631 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 22:38:04
向上委員会の相手はするな。こいつは逃げてばかりのヘタレだから。

632 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 22:42:30
あほが。ついに馬脚を著したな。
団塊だってそんなものにリアリティなんかなかったさ。お前がいかに机上の空論にはまっている動かぬ証拠だな。

633 :ぴか〜スレ向上委員会:2006/10/01(日) 22:44:50
>>630
なんのためにも生きてない、因って、なんのためにも死なない

死は現実界に属する問題だからだ

634 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 22:46:51
向上委員会ってほんとスカスカなレスしかできないな。おまえ20代前半?

635 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 22:47:54
向上委員会は中身のなさで純一を超えたかもしれないぞ。

636 :純一:2006/10/01(日) 22:47:58
>>628
呼んだ?

637 :純一:2006/10/01(日) 22:49:27
ところで、さっきスカイプやったんだが、
皆さん、生声で勝負したらいかがかな?

638 :純一:2006/10/01(日) 22:50:34
やっぱり、ぴかぁ〜が逃げるから無駄かな。

639 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 22:55:07
■「あなたはなんのためならば死ねるか」 >>624-625のつづき

「モテない「仕事人間」、モテる「ちょい仕事人間」」

現代において没入することは禁止されている。宗教は当然として、オタクであるとか、小さなコミュニ
ティであるとか、熱くなりすぎることに嫌悪を感じるとともに排他する。いつもアイロニカルであるこ
と、クールであることが求められる。たとえば、>>619「モテない「オタク」、モテる「ちょいオタ」」とは、
ベタな「オタク」はもてない。アイロニカルで、クールな「オタク」になれ。という疎外がある。

下流が怒らないのは、リアルの核はそこにないから、重要なことはそこにはないからだ。確かにわり
のより仕事はしたいし、おいしいものを食べたい。しかしマックを食べながら、問題は「なんのためな
らば死ねるか」ということだ。

たとえば団塊の世代の定年が話題になっているが、これらのリアリティは「仕事だから仕方がない」
ということだ。熟年離婚は流行っているらしいが、もはや仕事はリアルな核、すなわち「仕事のためな
ら死ねる」ということがリアルでなくなっている。「仕事は終焉したのだ」僕たちは生きるために働き続
けるだろうが、もはや「仕事のための死ぬことはできない」 「モテない「仕事人間」、モテる「ちょい仕
事人間」」ということだ。

とすると、今後どこに向かうのだろうか?一つの答えは「ネッ」トである。

640 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 22:55:10
おれは向上委員会に共感を覚える。
年齢などどうでも良い。
共鳴するが、おれより知識が豊富なので、おれは陰よりエールを送る。

641 :ぴか〜スレ向上委員会:2006/10/01(日) 22:56:15
>>634
中身がないのが中身があるってアイロニーがある、2ちゃん=リアルタイムの歴史だからさ

642 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 22:58:56
>>641
やっぱりスカスカ。ガキのうちは理屈こねる前に一生懸命だぞ。

643 :純一:2006/10/01(日) 23:00:41
一応言っとくと、>>642はぴかぁ〜です。

644 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 23:04:11
向上委員会って、さんまのからくりTVにでてくるませたちびっ子みたいだなw

645 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 23:08:11
>>644はぴかぁ以外の何者でもない


ヒント;チビ、ちびっこ

646 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 23:11:32
因みに、スカスカは自分に対する潜在的コンプレックス。

647 :ぴか〜スレ向上委員会:2006/10/01(日) 23:11:49
そうだよ、「からくりTV」の出演者も俺も台本に従ってるんだよ

この問いかけが解るか〜w

648 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 23:12:01
だから向上委員会は放置しろ。単にかまってほしいガキなんだから。思う壷だぞ。
もうここでしか相手していないぞ。

649 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 23:13:19
>>647
寒い。ガクブル

650 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 23:14:29
向上委員会ナイスノリツッコミ。死んでくれ。

651 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 23:19:54
純一と向上委員会の2大馬鹿対決でつか

652 :純一:2006/10/01(日) 23:20:44
私はここに居ますがね。

653 :ぴか〜スレ向上委員会:2006/10/01(日) 23:23:06
ただ単に「向上委員会」はスル〜すれば良いしNG指定してるスレもいっぱいある
よそのスレではそうだよ?ここは違うみたいだねw

654 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 23:39:57
誰にも相手にされなくなるとぴかぁにたどり着くということか。

655 :ぴか〜スレ向上委員会:2006/10/01(日) 23:49:56
>>654
まあw 

ぴか〜氏と純一氏は哲板の双璧だからな

656 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 23:53:25
いまの哲板の2トップは向上委員会と純一だな

657 :考える名無しさん:2006/10/02(月) 00:15:08
■「あなたはなんのためならば死ねるか」

@「ちょいオタ」がモテのキーワード!

現代において没入することは禁止されている。宗教は当然として、オタクであるとか、小さなコミュニ
ティであるとか、熱くなりすぎることに嫌悪を感じるとともに排他する。いつもアイロニカルであるこ
と、クールであることが求められる。たとえば、「モテない「オタク」、モテる「ちょいオタ」」とは、ベタな
「オタク」はもてない。アイロニカルで、クールな「オタク」になれ。という疎外がある。

>>
「ちょいオタ」がモテのキーワード! http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2513537/detail

オタク、Aボーイ、アキバ系・・・。『電車男』などの影響もあり、世の中に認知されつつある言葉だけ
れど、「モテる」というイメージはないですよね?しかし、とある男性ファッション誌において「ちょいオ
タ」がモテのキーワードと明言されたのです。その「ちょいオタ」は、いまでもモテの重要要素として健
在らしい。

「美少女のフィギュアを集めてたり、声優のイベント行っていたりとか・・・そんなディープなオタクは厳
しいかな・・・」(25歳 公務員他多数同意見)とのこと。
<<

658 :考える名無しさん:2006/10/02(月) 00:15:49
A「モテない「仕事人間」、モテる「ちょい仕事人間」」

下流が怒らないのは、リアルの核はそこにないから、重要なことはそこにはないからだ。確かにわり
のより仕事はしたいし、おいしいものを食べたい。しかしマックを食べながら、問題は「なんのためな
らば死ねるか」ということだ。

たとえば団塊の世代の定年が話題になっているが、これらのリアリティは「仕事だから仕方がない」
ということだ。熟年離婚は流行っているらしいが、もはや仕事はリアルな核、すなわち「仕事のためな
ら死ねる」ということがリアルでなくなっている。「仕事は終焉したのだ」僕たちは生きるために働き続
けるだろうが、もはや「仕事のための死ぬことはできない」 「モテない「仕事人間」、モテる「ちょい仕
事人間」」ということだ。

659 :考える名無しさん:2006/10/02(月) 00:16:35
B「あなたはなんのためならば死ねるか」

人はなぜ宗教なく生きることができるようになったのか。この血のしたたり落ちる致命的な患部をな
にによって塞ぐか、ということだ。神か、金か、愛か、女か、憎しみか。

それは、なにが「リアル」か、ということだ。その一つが、「なんのためなら死ねるかの。」ということが
あるだろう。現存在にとって死が根元であったように、人間のリアルを語るには死がひとつの基準に
なるだろう。そして死を賭けることがある。

逆にいえば、人は死のための生きることはできない。すなわち生存のための生きることはできない。
これは、人間は動物ではないということの意味である。だからこう問うことができる。「あなたはなん
のためならば死ねるか」と。

660 :考える名無しさん:2006/10/02(月) 00:18:16
C「「あなたはなんのためならば死ねるか」に答えるならば死んだ方がましだ。」

「あなたはなんのためならば死ねるか」しかしこういうの、ほぼ全部、嘘っぱちである。なぜなら死は
存在しないからだ。だから問題はこのように問わなければならない。「人はなぜ「なんのためならば
死ねるか」と問うのか」と。

すなわちここに現代思想の臨界がある。「あなたはなんのためならば死ねるか」という形而上学と
「人はなぜ「なんのためならば死ねるか」と問うのか」という相対主義。これは、リアルな核の存在と
その希薄化である。だからこそ、「あなたはなんのためならば死ねるか」へと回帰するだろう。

「あなたはなんのためならば死ねるか」に答えることに口をつぐまし、疎外し、宙づりにする現代の
権力とはなにか。原理主義に絡めとられるということ、自己疎外にも気付かぬ人々ということ・・・
これらを否定神学と呼ぶ。すなわち「「あなたはなんのためならば死ねるか」に答えるならば死んだ
方がましだ。」というパロディがここにある。これが現代の病であり、疎外である。

だからこう問うことができる。「あなたはなんのためならば死ねるか」と。

661 :考える名無しさん:2006/10/02(月) 02:54:18
モテない「なんのためならば死ねるか」と、モテる「なぜ「なんのためならば死ねるか」と問うのか」

662 :wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/10/02(月) 11:52:42
>>621
<あなたはなんのためならば死ねるか」に答えるならば死んだ方がましだ、
と書いているのではなく、そのように第三者に安直に問うことの、無意識下の自発的な「自己疎外」への熱望の露呈、
安直に「超越的なもの」を求めることの危うさの発露。

現在における熱狂の対象の不在に安直に対峙しようとしている基本姿勢を否定しているだけですよ。


663 :考える名無しさん:2006/10/02(月) 12:12:59
「あなたはなんのためならば死ねるか」に答えるならば死んだ方がましだ」というパロディは、
現在における熱狂の対象の不在に安直に対峙しようとしている基本姿勢を否定していることに内在する
無意識下の「超越的なもの」を求めることの危うさの発露に対するものです。
すなわち再度言えば、否定神学です。



664 :考える名無しさん:2006/10/02(月) 12:21:22
「あなたはなんのためならば死ねるか」の深度を知らずに、
アイロニー、脱構築などの思弁で回避するゲームこそが、
安直に「超越的なもの」を求めることの危うさの発露であり、否定神学です。
ほんとうに脱構築したいなら死ぬ気でかかってきなさい。

665 :考える名無しさん:2006/10/02(月) 12:43:51
ボクが思うのは脱構築を自己完結しようとしてはいけない。
宙ずりに過剰であってはいけない。自分を脱構築するものは外部から到来するものである。
心配せずとも外部から脱構築されずに生きることは不可能だ。
小さくまとまんな。ザコごときが。

666 :wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/10/02(月) 13:46:17
「〜ではない」という、のそのつどの否定の述語を、いくつ束ねようと、「否定神学」等にはならないですよ。

667 :考える名無しさん:2006/10/02(月) 14:27:54
「あなたはなんのためならば死ねるか」に答えるならば死んだ方がましだ」というパロディは、現在に
おける熱狂の対象の不在に安直に対峙しようとしている基本姿勢を否定していることに内在する無
意識下の「超越的なもの」を求めることの危うさの発露に対するものです。すなわち「あなたはなん
のためならば死ねるか」の深度を知らずに、アイロニー、脱構築などの思弁で回避するゲームこそ
が、安直に「超越的なもの」を求めることの危うさの発露であり、否定神学です。

ボクが思うのは脱構築を自己完結しようとしてはいけない。宙ずりに過剰であってはいけない。自分
を脱構築するものは外部から到来するものである。心配せずとも外部から脱構築されずに生きるこ
とは不可能だ。

口先だけの相対主義者のそぶりを「ヘタレ」を呼びます。ほんとうに脱構築したいなら、死と覚悟する
決意が必要です。それは、自己を解体することなのですから。

だからこう問うことができる。「あなたはなんのためならば死ねるか」と。

668 :考える名無しさん:2006/10/02(月) 14:38:52
そもそも「あなたはなんのためならば死ねるか」はアイロニーとして、パフォーマティブにしか、
届かない。コンスタティブには届かない。

使えようとする「リアルの核」は言葉では伝わらないからだ。
たとえば最愛の人が、家族であれ、子供であれ、恋人があれが、死へ直面することに
直面したとき、口を開けるかも知れない。
あるいは目の前に現金を積まれたときに、口を開けるかも知れない。
あるいは到達し得ない美しい人の裸体を目の前にしたときに、口を開けるかも知れない。
あるいは死ぬほどの屈辱を味あわされたときに、口を開けるかもしれない。

この緊張、そして熱狂にあるとき、言葉は失われていることは確かである。
体が震え、頭が真っ白になり、コントロールを失うだろう。
そのとき、言葉でなく、「死ねる」が口を上げるだろう。

そしてこの裂け目は、いつもボクたちの背に張り付いているのだ。
口先だけの相対主義者の「ヘタレ」の背中で、いつも自らを嗤っているのだ。
ほんとうにそいつと対決するなら、死を覚悟する決意が必要だ。
いや決意など生やさしいものではだめだ。血が必要なのだ。

だからこう問うことができる。「あなたはなんのためならば死ねるか」と。

669 :考える名無しさん:2006/10/02(月) 15:08:11
そしてボクたちの「正気」といわれるものが、この「あなたはなんのためならば死ねるか」という
「リアルの核」によって支えられているのだ。
背中に裂け目が欲望を想起し、この世界にリアリティを与えているのだ。
この世界を見たいように見せているのだ。

だから「あなたはなんのためならば死ねるか」を避けるのはとても正常な反応である。
それはあまりにトラウマ的なのだ。「〜のための死ねる」など狂気でしかない。

だからこう問うことができる。「あなたはなんのためならば死ねるか」と。

670 :wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/10/02(月) 15:28:02
「〜のために死ねる」など狂気でしかない。

だから、「あなたはなんのためならば死ねるか」等と、「安直」に、「他者」に対し、「問う」ことなどできない。


671 :考える名無しさん:2006/10/02(月) 15:35:56
だからこそ正気で問うことができるのでしょ


672 :wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/10/02(月) 15:51:42
>671
「正気で」、「他者」に対し、「あなたはなんのためならば死ねるか」等、問えませんよ。
それこそ、「狂気」、「暴力」、等の、意図、手段、目的等が無ければ、問えません。

673 :考える名無しさん:2006/10/02(月) 15:56:25
「あなたはなんのためならば死ねるか」に真実などない。
あるいは沈黙こそが真実である、と言えるだろう。

真実=「リアルの核」の回りを言葉がまわる。決して到達しないままに。
そしてボクたちの「正気」は保たれる。目覚めても、目覚めても、そこに「現実」がありつづける。

だからこう問うことができる。「あなたはなんのためならば死ねるか」と。
そろそろ答えたらどうかね。

674 :考える名無しさん:2006/10/02(月) 16:08:40
>それこそ、「狂気」、「暴力」、等の、意図、手段、目的等が無ければ、問えません。

これをコミュニケーションと言わずになんだろうか。
「あなたはなんのためならば死ねるか」に真実などない。
あるいは沈黙こそが真実である、と言えるだろう。

真実=「リアルの核」の回りをコミュニケーションはまわる。言葉は踊る。決して到達しないままに。
そしてボクたちの「正気」は保たれる。目覚めても、目覚めても、そこに「現実」がありつづける。

だからこう問うことができる。「あなたはなんのためならば死ねるか」と。
そろそろ答えたらどうかね。 思弁の時間は終わりです。

675 :wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/10/02(月) 17:42:48
言葉のあげつらいではありませんので誤解なきよう。

「あなたはなんのためならば死ねるか」と。
そろそろ答えたらどうかね。
そう問うたときには、至福の思弁の時間は終わり、執行猶予の時間が既に尽きていることを。


676 :考える名無しさん:2006/10/02(月) 17:47:41
■「あなたはなんのためならば死ねるか」

「あなたはなんのためならば死ねるか」に答えるならば死んだ方がましだ」というパロディは、現在に
おける熱狂の対象の不在に安直に対峙しようとしている基本姿勢を否定していることに内在する無
意識下の「超越的なもの」を求めることの危うさの発露に対するものです。すなわち「あなたはなん
のためならば死ねるか」の深度を知らずに、アイロニー、脱構築などの思弁で回避するゲームこそ
が、安直に「超越的なもの」を求めることの危うさの発露であり、否定神学です。

ボクが思うのは脱構築を自己完結しようとしてはいけない。宙ずりに過剰であってはいけない。自分
を脱構築するものは外部から到来するものである。心配せずとも外部から脱構築されずに生きるこ
とは不可能だ。

口先だけの相対主義者のそぶりを「ヘタレ」を呼びます。ほんとうに脱構築したいなら、死と覚悟する
決意が必要です。それは、自己を解体することなのですから。

677 :考える名無しさん:2006/10/02(月) 17:48:24
そもそも「あなたはなんのためならば死ねるか」はアイロニーとして、パフォーマティブにしか、届かな
い。コンスタティブには届かない。使えようとする「リアルの核」は言葉では伝わらないからだ。たとえ
ば最愛の人が、家族であれ、子供であれ、恋人があれが、死へ直面することに直面したとき、口を
開けるかも知れない。あるいは目の前に現金を積まれたときに、口を開けるかも知れない。あるい
は到達し得ない美しい人の裸体を目の前にしたときに、口を開けるかも知れない。あるいは死ぬほ
どの屈辱を味あわされたときに、口を開けるかもしれない。

この緊張、そして熱狂にあるとき、言葉は失われていることは確かである。体が震え、頭が真っ白に
なり、コントロールを失うだろう。そのとき、言葉でなく、「死ねる」が口を上げるだろう。そしてこの裂
け目は、いつもボクたちの背に張り付いているのだ。口先だけの相対主義者の「ヘタレ」の背中で、
いつも自らを嗤っているのだ。ほんとうにそいつと対決するなら、死を覚悟する決意が必要だ。いや
決意など生やさしいものではだめだ。血が必要なのだ。

678 :考える名無しさん:2006/10/02(月) 17:49:05
そしてボクたちの「正気」といわれるものが、この「あなたはなんのためならば死ねるか」という「リア
ルの核」によって支えられているのだ。背中に裂け目が欲望を想起し、この世界にリアリティを与え
ているのだ。この世界を見たいように見せているのだ。

だから「あなたはなんのためならば死ねるか」を避けるのはとても正常な反応である。それはあまり
にトラウマ的なのだ。「〜のための死ねる」など狂気でしかない。だからこう問うことができる。「あな
たはなんのためならば死ねるか」と。「あなたはなんのためならば死ねるか」に真実などない。あるい
は沈黙こそが真実である、と言えるだろう。

真実=「リアルの核」の回りを言葉がまわる。決して到達しないままに。そしてボクたちの「正気」は
保たれる。目覚めても、目覚めても、そこに「現実」がありつづける。

これをコミュニケーションと言わずになんだろうか。「あなたはなんのためならば死ねるか」に真実な
どない。あるいは沈黙こそが真実である、と言えるだろう。真実=「リアルの核」の回りをコミュニケー
ションはまわる。言葉は踊る。決して到達しないままに。そしてボクたちの「正気」は保たれる。目覚
めても、目覚めても、そこに「現実」がありつづける。

だからこう問うことができる。「あなたはなんのためならば死ねるか」と。

679 :考える名無しさん:2006/10/02(月) 18:06:37
劇画調になりましたが、力動を語るのは難しいですね。語れないことを語る試み、これがポストモダンの言説への批判ですが
力動をいかに語るかの実験があったと思います。

680 :考える名無しさん:2006/10/02(月) 18:12:25
しかし語りえないというのは正確ではないかもしれません。まだ言葉を、語り方をもたないことを語りたいということでしょう。
そのうち言葉に回収されるのだと思います。たとえば現代のシステム論の中にドゥルーズの言葉がとりこまれ、位置どりされるように。


681 :考える名無しさん:2006/10/02(月) 18:22:50
ボクたちに求められているのは満員電車でつぷされる自我が消失したひとつの物体になることと
自室にこもり、あるいはネットにむかい神のように自意識を拡大させること、公私のオンオフの振幅だ。


682 :ぴか〜スレ向上委員会:2006/10/02(月) 20:55:21
カーニヴァルの輪舞を終わらせるのが哲学だ

生/死という物自体ー現実界は認識不可能

683 :考える名無しさん:2006/10/02(月) 22:13:59
キミは詩人だね。

(古代ギリシャの哲学者プラトンの言葉)

684 :考える名無しさん:2006/10/02(月) 22:26:57
推奨NGワード=向上委員会

685 :考える名無しさん:2006/10/03(火) 15:38:45
カーニヴァルの輪舞を止めるのが哲学

「ヘタレの相対主義」と蔑称されようが、いかにそれが良質なものであっても、すべての絶対主義の輪舞を止めるのが哲学

686 :考える名無しさん:2006/10/03(火) 16:52:55
終わりなき懐疑が哲学として、だからなに?
こちとら生きるか死ぬかの話をしているんだよ。
チビっこは大人の話に首をつっこむな。すっこんでろ。殺すぞ。

687 :考える名無しさん:2006/10/03(火) 17:02:06
>686
子供も生きるか死ぬか、だよ。
児童、生徒の自殺率の急増の統計でもみてみ。

688 :考える名無しさん:2006/10/03(火) 17:11:00
だからチビっこは大人の話に首をつっこむなってんだろが。殺すぞ。


689 :考える名無しさん:2006/10/03(火) 17:15:56
>688
子供の自殺率を下げられるのは、哲学くらいしかないのさ

690 :考える名無しさん:2006/10/03(火) 17:18:43
オトナモナー

691 :考える名無しさん:2006/10/03(火) 17:18:45
>>689
はいはい。ぼくちゃん、そこにいると通行のジャマだからよそいってね。

692 :考える名無しさん:2006/10/03(火) 17:19:27
>691
やだよ

693 :考える名無しさん:2006/10/03(火) 17:56:02
テキスト相手の脱構築の所産って、評論等でけっこう読めるが、現実経済、社会構造変革等で、それが見えないのは、俺の目が腐っているからか・・・

694 :考える名無しさん:2006/10/03(火) 17:58:47
上部、下部構造を「脱構築」し、国家、資本、ネーションの三位一体にしてみてくれるかんね。

695 :考える名無しさん:2006/10/03(火) 18:51:43
共産主義と言うのは、マルクスという教祖が創った世界一の虐殺宗
教です。規模の面で、オウムの何百万倍も悪だと言うことができる
でしょう。
全世界で何千万人も殺しまくっているにもかかわらず、相変わらず
日本で存続しているのはどういうことなのでしょうか?

共産党の党員でも、マルクス主義をよく知らない末端の人(信者)
は、善良であることを信じます。
彼等は、人権、平和、環境という言葉にまどわされているのでしょ
う。それは、オウムの末端の信者が「悟り」を目指して黙々と修行
に励んでいるのと同じです。

しかし日本共産党の不破さんなどは、マルクス・レーニン主義を隅
から隅まで暗記している確信犯であるに違いありません。
もし彼が真剣に平和や人権保護を望むのなら、まず共産党という
名前を変えているはずです。



696 :考える名無しさん:2006/10/03(火) 18:55:31
http://www2.odn.ne.jp/~caq10260/cmo.htm

共産主義のもたらしたもの

697 :考える名無しさん:2006/10/03(火) 19:32:45
>696
それはスターリニズムだよ

698 :考える名無しさん:2006/10/04(水) 18:25:51
ボクは労働とは欲望であり力動だといったか、それでも働かなければならない。
なぜなら収入をえなければいきていけないからである。
だから収入をえられるものが労働であり、他者にとって有用であると見られる労働が労働である。
他社にとって有用なものが商品があり、その商品を作り出すことが労働である、というマルクスに回帰する。
問題は有用という確かなものがあるように転倒されているということだ。


699 :ぴか〜スレ向上委員会:2006/10/04(水) 19:23:41
商品の生産には有用/無用は関係ない、売れる/売れないだけが問題
資本の増殖に有用/無用は関係ない、増殖するか/しないかだけが問題

マルクスが注目した現実ってこのこと

700 :考える名無しさん:2006/10/04(水) 20:19:20
商品がいかに過酷な労働の産物であっても、商品自体には、何の価値も内在しない。
「必死の跳躍」によって、「運良く」交換された段階ではじめて価値が現出する。
即ち、売れない商品には使用価値も無い。


701 :考える名無しさん:2006/10/04(水) 20:20:36
だから、ぴかぁ〜さんは、前レスで、マーケティングの重要さを指摘してたんですよね。

702 :考える名無しさん:2006/10/04(水) 20:22:28
「売れない商品-財/サービスとも-は生産しない」というのがマーケティングの重要な目的ですね。

703 :考える名無しさん:2006/10/04(水) 20:23:29
これが哲学かよ

704 :考える名無しさん:2006/10/04(水) 20:26:13
例えば、他スレでも書きましたが、コンビニに行って陳列棚を眺めていると、
死に筋商品や粗利の薄い商品は、数日後には陳列から外される。
この商品を、自分の労働の交換価値としてみると、コンビニの陳列棚を1分以上、見続けると卒倒しますね。


705 :考える名無しさん:2006/10/04(水) 20:31:15
確かに、「定番」、という特権も、もう無いですね。
今、CVSの陳列棚で大きな顔をしている商品も、明日も、その陳列棚が保証されているわけではない。


706 :考える名無しさん:2006/10/04(水) 20:32:50
>>703
哲学ではないと主張したあなたに質問します。

これが哲学ではないとすれば、あなたにとって、これは何なのですか?

707 :考える名無しさん:2006/10/04(水) 21:07:45
CVSの棚割りは、市場経済の縮図ですね。
これを毎日、見て、震撼しない人間は、哲学する前提が欠如している。


708 :考える名無しさん:2006/10/04(水) 21:07:54
ボクは労働とは欲望であり力動だといったか、それでも働かなければならない。なぜなら収入をえな
ければいきていけないからである。だから収入をえられるものが労働であり、他者にとって有用であ
ると見られる労働が労働である。他者にとって有用なものが商品があり、その商品を作り出すことが
労働である、というマルクスに回帰する。

問題は有用という確かなものがあるように転倒されているということだ。 そしてなにか転倒する基底が
必要とされる。マルクスはそれを類的本質に求めた。この基底は現在においても有用なものである。
いまでもボクたちが「自然な」という言葉を用いるときに、無意識に基づくものだ。

だから現在ににおいても、マルクスのいう「有用な労働」はリアルであり、マルクスのリアリティは
保たれている

709 :考える名無しさん:2006/10/04(水) 21:09:25
>708
誰か、それを否定しているの?

710 :ぴか〜スレ向上委員会:2006/10/04(水) 21:26:35
だから売れたから「有用」になるのであり、「有用な労働」が始めからあるんじゃない

「有用な労働」にリアリティーはない

711 :考える名無しさん:2006/10/04(水) 22:23:11
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E5%9B%BD

共産主義の基本的革命理論を構築したマルクスとその友であるエンゲルスは、
その著書『共産党宣言』に於いて、「共産主義者は、彼らの目的は、既存の
全社会組織を暴力的に転覆する事によってのみ達成出来る事を、公然と宣言
する。」として、暴力によってのみ社会主義革命が達成できると主張した
(暴力革命必然論)。
ソ連のスターリン執政期や中国の毛沢東執政期に至っては、自分の政策に反
対する勢力や同僚を、政治的にまたは物理的に抹殺するに止まらず、政策に
反発する市民や全く無関係・無関心な人民までをも大量に虐殺、餓死させる
等、歴史的に新奇な全体主義体制を創り出した。
20世紀の共産主義を標榜した国家の多くは、「共産主義によって、皆が等し
く自由に、豊かになる」と唱えながら「全体主義によって、皆が等しく束縛、
貧しくなる」という最悪の結果をもたらした。


712 :ぴか〜スレ向上委員会:2006/10/04(水) 22:55:50
いや〜このスレも「向上」したね、ネット右翼が殴り込んで来るとは

想定外だw

713 :考える名無しさん:2006/10/05(木) 00:37:40
無用な労働もある。予算消化のため道路をほじくり返すなどだ。


714 :考える名無しさん:2006/10/05(木) 09:24:02
>ボクは労働とは欲望であり力動だといったか、


おまえがいったからなんだというのだ。

715 :考える名無しさん:2006/10/05(木) 09:36:42
■「有用な労働」という血と肉(リアリティ)

ボクは労働とは欲望であり力動だといったか、それでも働かなければならない。なぜなら収入をえな
ければいきていけないからである。だから収入をえられるものが労働であり、他者にとって有用であ
ると見られる労働が労働である。他者にとって有用なものが商品があり、その商品を作り出すことが
労働である、というマルクスに回帰する。

問題は有用という確かなものがあるように転倒されているということだ。 そしてなにか転倒する基底が
必要とされる。マルクスはそれを類的本質に求めた。この基底は現在においても有用なものである。
いまでもボクたちが「自然な」という言葉を用いるときに、無意識に基づくものだ。だから現在ににおいても、
マルクスのいう「有用な労働」はリアルであり、マルクスのリアリティは保たれている

すなわち「有用な労働」とは時代的、社会的幻想であるが、それがその時代における血と肉(リアリティ)
である、ということだ。


716 :考える名無しさん:2006/10/05(木) 09:48:21
ぴかぁさんにお願いがあります。




頼む死んでくれ。

717 :考える名無しさん:2006/10/05(木) 10:26:37
http://snsi-j.jp/boards/bbs.cgi?room=sample1

やはり、あの1991年8月の「八月クーデター」失敗によるソビエト・ロシア(ソビエト共産主義)の崩壊という
ことがなければ、この仕事は完成させることはできなかったと思う。ソビエトの崩壊と冷戦構造の終焉によって、
それまで曇っていた自分の頭がすっきりした。「やっと分かったゾ」という気になったのはこの時期である。
自分もまた、ほとんどの日本知識人たちと同じく、頭の幾分かを、ずっと引きずるようにして、ソビエト型とは
違うのだが別種の社会主義=政治的理想主義に長く囚われていて、この呪縛から開放されなかった。
一九九四年から一九九五年にかけてやっと、この本を書きあげ完成させたときに、私は世界を一極的に
支配する世界覇権国となったアメリカ合衆国の諸思想がどうのようになってできているのかを知ったのである。
(中略)
このとき私は、アメリカの現代アメリカ政治思想の各派を、日本語でコンパクトにまとめて、全体的に
性格描写することで、自分が悩み苦しんできた二十年来の政治イデオロギー遍歴からも開放されたのである。
私は、今や、右(保守)でもなければ、左(リベラル)でもない。
私は、ただ、それらの全体像を大きく眺めつくすものである、ということになった。
私は左右の大きな価値対立に於いて、どちらにも組するものでは自分を発見した。
私は、ただそれらの思想の諸価値の対立点を記述する者である。
(中略)
私は日本知識人層の貧弱な土俵の上に「現代アメリカ政治政治思想の全体像」を植えつけるという大きな
仕事を先駆者としてなしとげた。今や日本知識人全てを足元に見下すほどの地位を、私は自力で
築いたのである。しかし、このことは、私が大秀才である、と自惚れているのではない。
私程度は、アメリカでは頭のいい大学院生程度だということである。ということは、日本の知識人の
大半の文科系の知識人の知能水準は、アメリカに持ち出せば、頭のいい高校生程度だ、ということである。
副島隆彦「日本の秘密」


718 :考える名無しさん:2006/10/05(木) 12:47:13
>>716
苛烈に同意。本当にお願いします。


いなくなってください。

719 :考える名無しさん:2006/10/05(木) 19:56:02
<ボクは労働とは欲望であり力動だといった>

では、現代の労働には自己疎外はない、ということでOK?


720 :考える名無しさん:2006/10/05(木) 20:25:19
>>1
熱を発することで生存する
生存は肉体に刻まれた本能
なんらかの生存が困難なストレス状況において生存に直結する方法とは発熱
発熱にもっとも効率のよい方法は精神の高揚
以下略

721 :考える名無しさん:2006/10/05(木) 21:17:18
>>1には生存が困難じゃない場合の方が多そうに見えるけど。

722 :考える名無しさん:2006/10/06(金) 12:34:22
>713
穴を掘って埋めなおす
それを繰り返す労働と、売れない商品をつくる労働の間に、価値の相違点があると思うものは、それを述べよ。

723 :考える名無しさん:2006/10/06(金) 13:01:35
>722
前者が労賃を受け取れるのであれば、その何割かを消費に回せるし、残りの貯蓄は売れる商品をつくる企業の投資資金に回る。
だから、前者には資本/所得を増大させる価値があり、後者には価値は無い。


724 :考える名無しさん:2006/10/06(金) 19:38:34
売れないとつくるの時差が消失している。売れないという自信のもとつくるのか


725 :考える名無しさん:2006/10/06(金) 19:54:55
売れるものをつくる確率を上げるのがマーケティング
時差のリスクを最小化するのが経営戦略

726 :wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/10/06(金) 19:56:05
この時差は大方は情報の非対称に基づく

727 :ぴか〜スレ向上委員会:2006/10/06(金) 21:20:49
繰り返すけど、ぴか〜氏はマルクスに関わらないほうがいい

むしろ対極にあるボードリアール的な消費社会論をやったほうが刺激的で面白い

728 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/06(金) 21:47:02
巷は三洋電機社員エロ画像流出事件でお祭りですね。
mixiを甘く見るとヤバイとあれほど言ったのに。

729 :ぴか〜スレ向上委員会:2006/10/06(金) 22:06:21
>>728
自分探しの旅から帰って来たようだね、オメデトウ

ところでmixiってそんなヤバいの?いい子ちゃんサイトって印象なんだけれども

730 :考える名無しさん:2006/10/07(土) 00:06:36
>>719 http://rikunabi2008.yahoo.co.jp/08/LIVE/

人と会って話す、聞く、見る、製品に触れる、感じる。たくさんの企業を直に感じる
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731 :考える名無しさん:2006/10/07(土) 00:07:22
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E5%9B%BD#.E7.A4.BE.E4.BC.9A.E4.B8.BB.E7.BE.A9.E5.9B.BD.E3.81.AE.E4.BD.8E.E7.94.9F.E7.94.A3.E6.80.A7

社会主義国の低生産性
計画経済の下では資本主義諸国に比べ生産性の向上が遅い。
これには、市場での競争原理が働かないため、各事業体がノルマの達成だけを考え、
商品や生産技術を進歩させようと考えない
厳しいノルマの生産計画により、生産設備も労働者も疲弊してしまう
労働者がいくら働いたところで同じ給与しか貰えないからと仕事をあまりしない
需要を考えずに計画を立ててしまい、製造しても売れない
無能な経営者の淘汰が構造的に起きにくい(資本主義では株主などの直接的な利害
関係者がチェックし経営者を変えられる)
などの理由が挙げられている。また、冷戦による軍事費の増大は、経済基盤が元々
弱い環境にあった社会主義国にとっては大きな負担となった。

このため経済的に困窮した社会主義諸国では、麻薬栽培、兵器輸出等を主産業とし
て外貨を稼いでいる場合がしばしばある。東アジアでは、朝鮮民主主義人民共和国
によるミサイル技術や核兵器の拡散、日本人や韓国人の拉致、工作船等の不法侵入、
麻薬の密輸が深刻な問題になっている。

732 :考える名無しさん:2006/10/07(土) 00:08:07
ガンガレ

733 :考える名無しさん:2006/10/07(土) 00:11:26
幸せにな。

ヤバい熱狂に気を付けろよw

734 :考える名無しさん:2006/10/07(土) 00:13:32
http://3.csx.jp/peachy/data/korea/
韓国は“なぜ”反日か? 「日本は、韓国に嫌われている」

735 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/07(土) 00:34:58
■マルクスの「労働価値」はなぜ消えたのか

「貨幣は貨幣であることで貨幣である」

岩井克人の「貨幣論」(ASIN:4480084118)では、マルクスの「資本論」(ASIN:4003412516)で展開され
た価値形態論が脱構築されている。マルクスの示した価値形態の図式を循環論Zへと展開すること
で、貨幣という形態には、マルクスがこだわった「価値に表されている労働」による根拠づけのような
外部要因が入り込む必要がないことを示す。「貨幣は貨幣であることで貨幣である」とうことだ。

ではこれによって労働価値説はもはや葬り去られるのだろうか。ある意味で正しく、ある意味で正しく
ない。岩井はこのような循環論の他の例として「言語」を上げている。これは柄谷が、マルクスの価
値形態論をソシュールの言語論で説明することと同じ意味であり、貨幣が構造主義的構造を持つこ
とをしめす。

だから東は岩井の貨幣論をデリダの構造主義批判である「否定神学」と言った。すなわちマルクス
の価値形態論は否定神学である。よって循環論の構造を持つのだ。

しかし実際の価値は、マルクスの、そして岩井の循環論のような構造では説明できない。構造主義
はできすぎた静的な構造なのだ。岩井の循環論Zは静止しており、力動が欠落している。デリダが
「差延」などによって示したのが、静的な構造から動的構造へのモデル変更である。そして実際の貨
幣システムには必ず外部が存在する。そしてそこに「労働」を導入する契機がある。

736 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/07(土) 00:35:45
マルクスの「労働」には外部がない

このような力動の導入、すなわち「生成」の導入はマルクスの資本論にもある。

>>
マルクスは「資本論」の中で商品の価値形態論と交換過程論とをそれぞれ独立に論じたことの意義
があきらかになる。それは、商品世界の「構造」の分析と商品世界の「生成」の叙述との区別であ
る。・・・まさに商品世界の生成という物語を語るのが、「交換過程論」の課題なのである。

「貨幣論」 岩井克人 (ASIN:4480084118)
<<

ならば価値形態論で廃棄された「価値に表されている労働」という外部は、力動を語る交換過程論
において再生されるのだろうか。残念ながら、マルクスは構造の力動を「労働」に求めない。なぜな
らマルクスの労働価値論はそもそもにおいて、外部として、力動として作動しないのだ。

マルクスにとって商品価値に内在する「労働」とは、社会的平均労働力でありなおかつ、「抽象化さ
れた人間労働」である。だから柄谷はマルクスの価値形態論において労働時間とは単に貨幣を言
い換えたものにすぎない、といったのだ。外部としての「労働」とは、社会的に平均されなければ、抽
象化もされない。

737 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/07(土) 00:36:39
従順な(内部)自然=グレイゾーン

この外部の問題は、労働価値説だけのことではなく、マルクスの思想の根底にさかのぼるものであ
る。マルクスは目指すべき原点を自然と調和する類的本質においているということ、すなわちそもそ
もにおいて、マルクスの思想には外部がないのである。

>>
すなわち有用なる労働としては、労働は、すべての社会形態から独立した人間の存立条件であっ
て、人間と自然との間の物質代謝を、したがって、人間の生活を媒介するための永久的自然必然性
である。

簡単に商品体は、自然素材と労働という二つの要素の結合である。・・・この製作の労働そのものに
おいても、人間はたえず自然力のたすけをかりている。したがって、労働はその生産する使用価値
の、すなわち素材的富の、唯一の源泉ではない。ウィリアム・ペティがいうように、労働はその父で
あって、土地はその母である。

「資本論」 第一章 商品 マルクス (ASIN:4003412516)
<<

マルクスにとっての自然とは調和可能な母なる自然、飼いならされ「従順な(内部)自然」である。こ
のような自然はボクがいうところの内部と外部の境界=グレイゾーンでしかない。マルクスは、その
始めから、外部としての自然から隔絶して、グレイゾーン(従順な内部自然)に囲まれた豊かな社
会、すなわち資本主義的社会を前提に組み立てられているのだ。だから自然とは従順な自然であ
り、有用な労働とは自然と調和した還元可能な労働なのである。そしてマルクスの価値形態論が示
すのは、安定し豊かな社会において、経済システムは循環論という静的な構造モデルに近似するこ
とを示しているのだ。

738 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/07(土) 00:37:13
不確実な(外部)自然と柔軟な労働

ほんとうの自然とは外部であり、不確実で、調和不可能であり、地震、天災のように純粋な略奪とし
て、あるいは太陽の恵みのように純粋な贈与として到来する。そして決して機械決定論に還元され
ないカオスとして、循環論という内部に回帰する。一見、従順な姿で内部に入り込み、突然暴走する。

人は絶えずこの不確実な外部に晒され生きている。生きるとは、労働するとは、このような外部との
闘争、「自然主義的闘争」なのである。だから労働はこのような外部に対応するように、いいかげん
で、柔軟で、多様で、そして創造的であり、決して一元的に「価値」に還元することはできない。労働
とは欲望であり、価値そのものを作動する力である。だから価値には必ず「労働」が内在している。

739 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/07(土) 00:37:44
近代化において排除された外部の回帰

マルクスがこのモデルをもとに恐慌を語るのは、静的なモデル故に、柔軟性がなく脆いということに
対応する。そしてこの静的なモデルを社会主義という未来へ展開するとき、ダイナミズムを抑圧する
ように作動してしまう。

しかしこれはマルクスのみの問題ではない。数量へ還元されないものは外部へ排除するという「近
代化」のもつ問題である。資本主義はこのような近代的な還元とともに、グレイゾーンという柔軟でい
い加減な緩衝域を保持し生き延びてきた。それも限界が見えている。環境問題が近代化において
排除された外部の回帰であることは容易に想像できるだろう。現代は近代的な還元的数量化という
自然主義闘争様式のシフトを迫られているのである。

740 :考える名無しさん:2006/10/07(土) 02:23:23
>>736
>マルクスの「労働」には外部がない

外部があるから交換を介して商品たりえるのでしょう?

>>730
>人と会って話す、聞く、見る、製品に触れる、感じる。たくさんの企業を直に感じる
ことができる。

で、そこでの労働には自己疎外は無いのでしょうか?


741 :考える名無しさん:2006/10/07(土) 17:25:01
>>740
http://rikunabi2008.yahoo.co.jp/RN/cgi-bin/KDBG16200.cgi?SEDAI_CD=08&MAGIC=&SUMMARY_KOKYAKU_ID=0613734002

[この会社を選んだ理由] 人事の方に熱意があった。店舗スタッフが楽しそうに働いていた

堅苦しいのが、僕はすごく嫌なんです。店舗見学をして、仕事している時はきっちり上下関
係は成り立っているけれど、仕事を離れると和気あいあいとしている。そんなインフォーマ
ルな感じがすごく良くて、福太郎に決めました。調剤採用とOTC採用を分けて採っていた
ことも魅力でした。調剤のスキルをあげるのなら、どちらも網羅できないと考えていたので、
将来的にどちらも経験できることもポイントでした。最初は調剤をやろうと思っていました
が、福太郎のセミナーなど受けるうちに経営も楽しいかなとOTCの途を選び、入社1年3
ヶ月目に店長になりました。僕は仕事は楽しくやらないと!がポリシー。だから、今すごく
充実してます。

社会主義国の抑圧体制

暴力革命によってプロレタリア独裁を実行したことから、結果的に社会のあらゆる組織を国
が管理・支配する社会が生まれた。言論の自由がなく、秘密警察が市民を監視する社会である
体制の最高指導者の政策に異議を唱えるものは、「人民の敵」「反革命分子」等の烙印を押され、
まともな裁判も受けられずに処刑され、あるいは収容所や精神病院に押し込まれた。
このような弾圧は言論のみならず芸術や宗教、数々の演劇関係者、演奏者、作曲家、文学者が
「反革命的」であるとして断罪され、ある者は銃殺されある者は公表の機会を奪われある者は
作風を変えられある者は家族を捨てて亡命した。

742 :ぴか〜スレ向上委員会:2006/10/07(土) 23:17:46
あくまでも消費者の立場から「マルクス主義」を捉えると

貴方の「立場」は理解するよ

743 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/08(日) 00:55:36
ダリ展みてきましたが、シュールレアリズムはフロイトから大きく影響を受けたように、無意識的ですね。
ダリの絵は一見、抽象的な絵なのですが、感性的というよりも思考的です。隠し絵や暗示絵など
考え抜かれてつくられています。 ラカン風にいえば、シュールレアリズムは言語のように構造化された
芸術表現と言えるかもしれません。

精神分析的ということで、心身二元論的でもあるのかもしれません。身体は物体化されて、
ものの中にはめ込まれる感じで描かれます。すなわちその全体からの映し出される心に対して、
器質として疎外されています。

744 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/08(日) 01:04:39
この身体の疎外、デカルトの機械論が、近代の象徴として語られますが、
産業革命以後、現代においてより顕著に現れているのかもしれません。
たとえばボードリヤールの消費論のシミュレーションとして社会が描かれる
心の虚像化は、身体からの解離であり、身体の疎外、機械論を根底に持ちます。

ボードリヤールがマルクスの生産論から消費論へと展開したのに対して、
この身体の疎外の次元、マルクスの下部構造による疎外論はなんら変わっていません。
ボードリヤールの消費論の下部構造として、経済という機械は身体を組み込み作動する
ということです。これが、ボードリヤールと同時期にマルクスを展開したドゥルーズの
意味でしょう。

745 :ぴか〜スレ向上委員会:2006/10/08(日) 01:06:16
ところがフロイトはシュールレアリズムを認めてないんだな

かつてルネサンス時代の芸術家の無意識に興味があったけど
今は現代の芸術家の意識に興味があるって皮肉っぽく言ってる

746 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/08(日) 01:07:45
その意味で心を解体したフロイトと、身体を解体してマルクスは、相補的に機能すると
言えるのかもしれません。

747 :ぴか〜スレ向上委員会:2006/10/08(日) 01:17:14
なるほど、消費社会においては逆説的に繋がるってわけだ、ドゥルーズ的だね

748 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/08(日) 01:20:13
すなわちシュールレアリズムはフロイト的であるとともにマルクス的である。そして現代において、
マルクス的である意味で、疎外される身体においてリアルであるように、ボクは感じました。
すなわち象徴的な絵の構図よりも、そこで疎外される身体描写に、リアリティを感じました。

たとえばダリの「家具栄養物の離乳」という絵では、ダリの乳母だったといわれる女性が、
背中を四角にくりぬかれ、杖で倒れないように、人形のようにうなだれて座っています。
その横にはくりぬかれた形を同じ四角のテーブルが書かれています。
これはこの乳母の本質が家庭にあった四角のテーブルであるという、機械としての
乳母を描いています。これは無意識の次元ではなく、疎外された身体の次元、
すなわち「欲望する機械群」として描かれているのです。


749 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/08(日) 01:29:43
「ダリは我々の存在を最も意識させるものは精神でも生命力でもなく、皮膚そのものであると
主張していた。」ということです。

750 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/08(日) 01:41:09
■ダリとフロイトとマルクスと

ダリ展みてきましたが、シュールレアリズムはフロイトから大きく影響を受けたように、無意識的で
す。ダリの絵は一見、抽象的な絵なのですが、感性的というよりも思考的です。隠し絵や暗示絵など
考え抜かれてつくられています。ラカン風にいえば、シュールレアリズムは言語のように構造化され
た芸術表現と言えるかもしれません。

精神分析的ということで、心身二元論的でもあるのかもしれません。身体は物体化されて、ものの中
にはめ込まれる感じで描かれます。すなわちその全体からの映し出される心に対して、器質として
疎外されています。

たとえばダリの「家具栄養物の離乳」という絵では、ダリの乳母だったといわれる女性が、背中を四
角にくりぬかれ、杖で倒れないように、人形のようにうなだれて座っています。その横にはくりぬかれ
た形を同じ四角のテーブルが書かれています。これはこの乳母の本質が家庭にあった四角のテー
ブルであるという、機械としての乳母を描いています。これは無意識の次元ではなく、疎外された身
体の次元、すなわち「欲望する機械群」として描かれているのです。

751 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/08(日) 01:42:03
この身体の疎外、デカルトの機械論は、近代の象徴として語られますが、産業革命以後、現代にお
いてより顕著に現れているます。ボードリヤールがマルクスの生産論を葬り去り、消費論を展開しよ
うと試みました。それはボードリヤールのシミュレーションやハイパーリアルという言葉に特徴的である。

しかし心の虚像化は、身体からの解離であり、身体の疎外、機械論を根底に持ちます。だから身体
の疎外の次元、マルクスの下部構造による疎外論はなんら変わっていません。ボードリヤールの消
費論の下部構造として、経済という機械は身体を組み込み作動するということです。これが、ボード
リヤールと同時期にマルクスを展開したドゥルーズ的なものでしょう。そしてダリの絵はとてもドゥ
ルーズ的なのです。年代的にはドゥルーズはダリ的ということですが。

すなわち心を解体したフロイトと、身体を解体してマルクスは、相補的に機能しています。だから
シュールレアリズムはフロイト的であるとともにマルクス的である。そして現代において、マルクス的
である意味で、疎外される身体においてリアルであるように、ボクは感じました。すなわち象徴的な
絵の構図よりも、そこで疎外される身体描写に、リアリティを感じました。

752 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/08(日) 01:53:02
>>
ダリが心理学者フロイトと1938年7月に一度だけ会見した際、自分が優秀な門下生であることを
証明するためフロイトに見せた作品としても有名な、この『ナルシスの変貌』。水面に映った自分
の姿に恋焦がれ、やがて花へと姿を変えたされるナルキッソスの物語が書かれた≪転身物語≫
を典拠とし、ダブルイメージなど画家の最も大きな特徴的手法を用い制作された本作を見たフロイトは、
それまで自分を守護聖人のように扱うシュルレアリスト達を「完全なる愚か者」と述べていが、
自分のシュルレアリストに対する評価は変わったと友人へ手紙を送っている。

http://www.salvastyle.com/menu_20th/dali_narcisse.html
<<

753 :考える名無しさん:2006/10/08(日) 02:08:30
ぴかさん文章うまくなった。読みやすい。

754 :考える名無しさん:2006/10/08(日) 19:53:56
だって丸写しだもん。

755 :考える名無しさん :2006/10/09(月) 00:08:58
>>743
>>748-752

可能世界論スレ
105 :考える名無しさん :2006/10/04(水) 04:06:59
デリダほどアーティストに対して影響を与えた思想家を考えるとあとは
フロイトくらいでしょう、ダダ、シュールレアリズムですよね。

ぴか様、既出でございますw

756 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/09(月) 00:18:01
ニーチェの「永久回帰」とは「無垢の消失」である。

757 :考える名無しさん:2006/10/09(月) 00:33:37
前にも聞いた

758 :考える名無しさん:2006/10/09(月) 00:34:41
永久回帰の実演なんじゃない?

759 :考える名無しさん :2006/10/09(月) 00:39:33
>>756
永劫回帰ね
そこんとこヨロシク。

760 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/09(月) 03:07:21
■ダリというフロイトとマルクスの交錯点

「私はダリでしょう?」

ダリ展にいってきました。シュルレアリスムはフロイトから大きく影響を受けたと言われるように無意
識的です。ダリの絵は一見、抽象的な絵なのですが、感性的というよりも思考的です。隠し絵や暗示
絵など考え抜かれてつくられています。ラカン風にいえば、シュルレアリスムは言語のように構造化
された芸術表現と言えるかもしれません。

さらにダリの絵は、心身二元論的であるのかもしれません。その特徴は、身体は物体化されて、も
のの中にはめ込まれる感じで描かれることが特徴的です。すなわちその全体からの映し出される心
に対して、器質身体は疎外されています。

たとえばダリの「家具栄養物の離乳」(ttp://www.fujitv.co.jp/events/art-net/go/315_large05.html)
という絵では、ダリの乳母だったといわれる女性が、背中を四角にくりぬかれ、杖で倒れないように
支えられ、人形のようにうなだれて座っています。その横にはくりぬかれた形と同じ四角のテーブル
が書かれています。これはこの乳母の本質が家庭にあった四角のテーブルであるという、機械とし
ての乳母を描いています。

761 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/09(月) 03:08:01
心の虚像化と身体の疎外

この身体の疎外(デカルトの機械論)は、近代化の特徴として語られますが、産業革命以後、現代に
おいてより顕著に現れています。ボードリヤールがマルクスの生産論を葬り去り、消費論を展開しよ
うと試みました。それはボードリヤールのシミュレーションやハイパーリアルという言葉に特徴的です。

しかし「心の虚像化」は、身体からの解離であり、「身体の疎外」、機械論を根底に持ちます。だから
身体の疎外の次元、マルクスの下部構造による疎外論はなんら変わっていません。ボードリヤール
の消費論の下部構造として、経済という機械は身体を組み込み作動するということです。これが、
ボードリヤールと同時期にマルクスを展開したドゥルーズ的なものでしょう。そしてダリの絵はとても
ドゥルーズ的なのです。年代順としてはドゥルーズはダリ的ということですが。

すなわち心を解体したフロイトと、身体を解体してマルクスは、相補的に機能しています。だからシュ
ルレアリスムはフロイト的であるとともにマルクス的である。そして現代において、マルクス的である
という意味、疎外される身体において、ダリの絵は、リアルであるように、ボクは感じました。象徴的
な絵の構図よりも、そこで疎外される身体描写にこそ、リアリティを感じました。

762 :考える名無しさん:2006/10/09(月) 05:02:33
↑はたまた杜玖椀も知らないソカ厨が発狂wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww


763 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/09(月) 12:04:10
最近、ビデオカメラを手に入れました。良く言われることですが、ビデオで撮影された自分を
見ることは不快です。この不快とはなんでしょうか。

回りの人はいつもどおりに映っているよ、といいますが、そこに映っているのは、明らかに
自分とは異なる自分です。そしてとても気持ちが悪い自分です。

764 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/09(月) 12:17:00
いつも他者を見ているまなざしを、自らに向けることによって、現れていく「他者の自分」。
他者として突き放せずに、「これがおまえだ」として回帰する。

765 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/09(月) 12:40:14
ここに起こるのは、自分が他者になるということ。ある種の完全が欠落していくことだろう。
他者は特別な存在ではあるが、不完全な存在である。それは、彼が彼であることに
偶然な存在であるからだ。自分が他者になるとき、多くの中の一人であることを
突きつけられること。

神聖なもの(神)が対象化され暴露される瞬間である。これは真実が暴露されるという
ことではなく、まさに真実が汚され、欠落するのである。
そしてこの対象化し、物質へと疎外すること、それがまさに「技術」の力である。

766 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/09(月) 12:48:44
■ビデオカメラに写った自分はなぜ気持ち悪いのか

最近、ビデオカメラを手に入れました。良く言われることですが、ビデオで撮影された自分を見ること
は不快です。この不快とはなんでしょうか。回りの人はいつもどおりに映っているよ、といいますが、
そこに映っているのは、明らかに自分とは異なる自分です。そしてとても気持ちが悪い自分です。い
つも他者を見ているまなざしを、自らに向けることによって、現れていく「他者の自分」。他者として突
き放せずに、「これがおまえだ」として回帰する。

ここに起こるのは、自分が他者になるということ。ある種の完全が欠落していくことだろう。他者は特
別な存在ではあるが、不完全な存在である。自分が自分であることは必然であるのに対して、彼が
彼であることは偶然であるからだ。

だから自分が他者になるとき、多くの中の一人であることを突きつけられること。神聖なもの(神)が
対象化され暴露される瞬間である。これは真実が暴露されるということではなく、まさに真実が汚さ
れ、欠落するのである。そしてこの対象化し、物質へと疎外すること、それがまさに「技術」の力である。
自分とは心であり、他者とは身体であり、技術は自分を身体として外部へ疎外する。

767 :考える名無しさん:2006/10/09(月) 12:52:32
それ以前に先ずキミがキモ男だから、という前提を忘れてはいまい?

768 :考える名無しさん:2006/10/09(月) 13:01:42
俺はビデオに映った自分を見ると勃起する。もうカチンコチンに。

769 :考える名無しさん:2006/10/09(月) 13:14:38
http://www.njh.co.jp/njs/keikai.htm
実践から経営の“真理”を探る
経営は理論ではなく、いかに実践するかが問われます。本誌は学者や評論家の机上論ではなく、
中小企業のオーナー経営者の考え方を中心に経営の真理を探り、“生きた経営ノウハウ”を提
供します。
オーナー社長の不安や悩みに本音で応える
中小企業経営の本質は人間的なドロくささにあります。それだけにオーナー経営者は公私両面に
わたってさまざまな問題に直面しますが、本誌はそうした悩みや問題に“本音”で迫りストレー
トにお応えします。
不透明な時代を生き抜く知恵と元気が湧いてくる
中小企業を取り巻く環境は日々激変しています。こうした変化に、どのような戦略で対応すれば
いいのか。また、中小企業特有の事業継承や相続の問題にどう取り組むべきか。“読者参加型”
の構成で迫ります。

マルクスは、労働者階級をプロレタリアート、資本家階級をブルジョアジーと呼び、労働者が資
本家から剰余価値を搾取され、支配されていると規定した。
資本主義の本質はブルジョアジーによる搾取であるから、プロレタリアートによる革命によって
共産主義に取って代わりさえすれば、社会問題は完全に解決されると考えたマルクス主義者が多
かった。
暴力革命によってプロレタリア独裁を実行したことから、結果的に社会のあらゆる組織を国
が管理・支配する社会が生まれた。言論の自由がなく、秘密警察が市民を監視する社会である
体制の最高指導者の政策に異議を唱えるものは、「人民の敵」「反革命分子」等の烙印を押され、
まともな裁判も受けられずに処刑され、あるいは収容所や精神病院に押し込まれた。

770 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/09(月) 13:31:37
しかしそれに反して、ビデオカメラに移されることに快感がある。たとえば子供は移されることに
素直に興奮する。

771 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/09(月) 13:48:34
彼らはまだ主他が未分化な状態であり、自分という完全性を持ち合わせていない。このような
無邪気さにおいて、「技術」における対象への疎外は快楽である。

772 :考える名無しさん:2006/10/09(月) 19:18:50
ハイハイ

773 :考える名無しさん:2006/10/09(月) 19:22:02
ちゅごいでつね

774 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/09(月) 22:43:28
生物的なリアル・・・生命の生死のさし迫り
去勢的なリアリティ・・・社会的立場=主体の生死のさし迫り

生物的なリアルを取り戻すことは難しい。
現代のリアリティとは、去勢的なリアリティである。
故に、生きるためには社会的な立場を獲得しなければならない。
他者との位置の奪い合いの中に、リアリティがある。

しかしこれとは異なる次元で、身体の疎外を考えなければならない。
身体が疎外されることで、生物的なリアルから去勢的なリアリティは可能になっている。
すなわち去勢的なリアリティとは異なる次元に、身体のリアリティはある。
豊かさは身体の安全を保障するとともに機械としてシステムに組み込む。




775 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/09(月) 23:43:36
「男気」というリアリティがある。コミュニティの絆を重視する立場である。



776 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/10(火) 00:17:18
例えばマトリクスでいえば、世界はプログラムというインフラでつくられている。
作動するプログラムと直結された身体。

たとえばこのネットにおいても同様な構造がある。しかし身体へ直結されているわけではない。
ボクたちはネットの世界に対するアイロニーをもって対峙している。これがネット上であることを
知っている。しかしまたプログラムがどのように作動しているのかは知らない。知らないところで
身体へ直結している。

しかしそれがプログラムという人間の創作物である以上、知っている人と知らない人がいるという
ことだ。たとえばGoogleには様々な判断が加えられていることは有名であるが、そのプログラムを
知っている人といない人がいる、ということだ。

またこのようなプログラム操作は現代において一つの大きな楽しみの次元である。誰もが
プログラムを扱い操作することを楽しむ。


777 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/10(火) 12:03:24
北朝鮮は拍子抜けするぐらいあっけなく核実験しましたね。
マスコミの核実験したら終わりだという論調はなんだったのでしょうか
最近ニュースでは懸命に北の悲惨さということでコッチェビドキュメントがながされます。
あれをみてやっぱり北はダメだ。もうすぐつぶれると満足します。
しかし現実はしたたかで着実です。
あれをみてマスコミ批判もできますが政府の対応をみてもわかるように、他国への圧力というのは本当にむずかしい。
こちらに守るべきものがあるとなおさらです。
ヒトラーに対する初期の林国の弱腰姿勢が増長させたとよくいわれますが


778 :考える名無しさん:2006/10/10(火) 12:16:56
ハイハイ


779 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/10(火) 12:38:54
ぶったゃけると近代とは部品化ということでしょ
部品化されシステムに流し込まれることの二面性
一つは安定、安心、豊かさ二つは疎外、誰でもよい私
そしてこの状況に対するジレンマ
安定に安住したいが疎外されていることのいらだち

これに集約されるのではないでしょうか


780 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/10(火) 12:47:31
部品化されていないとはどういうことか。マルクスは類的存在、自然と調和することにみたわけです。
それに対してフロイトは人間存在の根源的な自然からの疎外を考えます。
もうひとつの考え方として動物さえ疎外されていると考えられるかもしれません。

781 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/10(火) 12:59:07
人間はその始めから自然から疎外されています。社会性を保つために、
動物的な欲動(本能)は去勢され、禁止された存在です。
だから終わりなき欲望をもつ、すなわち死の欲動を持ちます。
集団の一部によって、主体を見いださざるおえない存在です。

しかしこの集団の一部と近代の部品化は同じではありません。

782 :考える名無しさん:2006/10/10(火) 13:08:55
ちゅごいでつね

783 :考える名無しさん:2006/10/10(火) 16:50:33
>>470
反響ありだよ、おいらには

784 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/10(火) 17:03:44
■集団の一部と、近代の部品化

近代とは「部品化」ということでしょ。部品化されシステムに流し込まれることの二面性として、一つ
は安定、安心、豊かさ、二つは疎外、誰でもよい私になることです。そしてこのような二面性の状況
に対するジレンマが生まれます。安定に安住したいが疎外されていることのいらだち。近代の問題と
は、これに集約されるのではないでしょうか。

部品化されていないとはどういうことでしょうか。マルクスは類的存在、自然と調和することにみたわ
けです。それに対してフロイトは人間存在は根源的に自然から疎外されていると考えます。人間は
その始めから自然から疎外されている。社会性を保つために、動物的な欲動(本能)は去勢され、禁
止された存在である。だから終わりなき欲望をもつ、すなわち死の欲動を持つということです。

マルクスが類的存在、自然との調和に原点を見たとすれば、フロイトも同様に類的存在を原点として
しているともいえます。しかし人間はもはや類的存在からは疎外され、社会的存在、集団内の調和
によってしかか満たされない。そして人は決して満たされない存在だということです。人間は集団と
の関係、その一部によってしか、主体を見いださざるおえない存在です。

785 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/10(火) 17:05:09
ここで3つの次元を考えるました。自然との調和である類的存在、集団の一部としての欠落、近代の
部品化による疎外。物語としては、類的存在の動物が自然から疎外され、集団の一部としての欠落
した存在という人間となり、近代の部品化により、身体を疎外されるということです。

「近代の部品化」の二面性について、部品化されシステムに流し込まれることによって、安定、安
心、豊かさ、と誰でもよい私になる疎外と言いましたが、これは、「集団の一部としての欠落」とも関
係します。

「集団の一部としての欠落」は、「近代の部品化」による安定に充足する面があります。このための、
集団の一部としての帰属が低下します。人はシステムに流されることに安住します。逆に、「集団の
一部としての欠落」は「近代の部品化」の「誰でもよい私になる疎外」によって、二重に集団への帰属
を欲望します。ここに生まれる集団と個人の力学は、誰でである私と規定する集団への没入と、そ
の他の集団的後続からの離脱という現象を生んでいます。

786 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/10(火) 17:33:23
YouTubeがGoogleに買収されました。すでにあちこちで書かれていますが、
YouTubeは著作権に対する違法性を知った上で商売を進めていると言う意味で、危うい会社です。
Googleは果たしてこの違法性をどのように扱うことを前提にしているのでしょうか。
厳しくするとユーザーが離れていく、このままずるずると違法性を放置したまま進めるのか。

高額で買うからにはそれなりのストーリーがあるとは思いますが、
Googleがずるずると違法性を放置したまま進めるのは難しいように思います。
これをもとに、法的な正義までかえるとは思えません。
どのように向かうのか興味がありますね。

787 :考える名無しさん:2006/10/10(火) 18:24:31
そうだね

788 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/10(火) 22:43:44
なぜ北朝鮮は核兵器を持ってはいけないのか。
これに答えることはなかなか難しいのではないだろうか。

789 :考える名無しさん :2006/10/10(火) 22:52:15
>>788
しかしこれだけ一生懸命パソコンに向かってレスしてても
オマエの将来には何の利益をもたらさないところが憐れだなあ
涙をそそるよ。
CX「僕の歩く道」でもみて自分のこれからの人生を考えろよ。
いつまでも無職ってわけにはいかんのだからな。

790 :考える名無しさん :2006/10/11(水) 00:48:02
親が可哀想というか、たぶん親もダメなんだろうな、
普通は三十路の男に小遣いやって甘やかすなんてしないだろ。
社会に出ずして社会を天下国家を語る、
笑かしてくれるよ。
自己分析しろっちゅうの…。

791 :考える名無しさん:2006/10/11(水) 16:40:04
時が経って赤面するか、一生気がつかないでお馬鹿な人生を送るか、どっちかなー。

792 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/11(水) 19:32:22
YouTubeがGoogleに買収され、記事が飛び交っています。やはり問題は著作権問題。
確信犯的なグレイゾーンそこがYouTubeの魅力であって、Googleが運営すると、
そうは行かないだろうというものが、多いですね。
そこから、そこからYouTubeの暴走をGoogleは止めたのではないか、という話に繋がります。

著作権問題をどのように扱おうとしているのか。やはり「こちら側」に従わざる終えないでしょう。
そうすると、いわばネットに「こちら側」の著作権の論理を明確に持ち込もうということでしょう。
その上で、「正当な」ビジネスとして、ネットを構築する。

積極的な、ネット上を監視する組織として力を行使しようということです。




793 :考える名無しさん :2006/10/11(水) 19:44:18
なんか緒原っていう外人女性を殺して洞窟に遺棄した香具師がいたじゃん
逮捕後のついこの間遺族に1億円のお見舞金払ったっていうヤロウ。
もしぴかぁ〜も親の資産が潤沢なら今後ああいうケースも考えられるよな。
アイツのプライドは高いんだよ、でもここまでニートしてると半端な仕事なんか
プライドが許さないだろ
結果、どう考えてもまともな方向の人生にはいかないだろうなあ。
プライドと現実のギャップがこれから年月が経てば経つほど、大きく開いていくだろ
その状況は当然イライラするし、拡大するばかり
自爆するだけならかまわんよ、でも他人を巻き添えにする可能性は大きいじゃない
だから本当にぴかぁ〜の今後って深刻だと思うよ。

794 :考える名無しさん :2006/10/11(水) 19:57:23
>>792
ぴかぁ〜よここで図書館司書でもなんで資格取れ
学費は安いしオマエんとこから近いだろ

八洲学園大学
http://acnw.jp/s5XJ/HngU/1/univ/yashima/index.asp


795 :考える名無しさん:2006/10/11(水) 20:19:02
mixiのここが、荒れててめちゃくちゃ面白い件

ttp://mixi.jp/view_bbs.pl?id=11066220&comment_count=174&comm_id=89931
[背理・逆説・パラドックス] トピック

2006年10月05日
01:09 一票の差!?
れいや

最近まで悩んでいたものです


選挙に投票へ行くと行かないとでは、一票の差しかできません。これで、結果が左右されることはまず無いと言っても過言ではありません。

よく「100人の人がそう考えて行かなければ、100票の差にもなる。だから行くべき」などと言う人がいますが、この考えは明らかに間違いです。
なぜなら、自分が選挙へ参加するかどうかと、他の99人が選挙に参加するかどうかには、なんの関連性もないからです。

ですから、投票に行くコスト(時間的・物理的)を考えれば、行かない方がよい。と結論づけれそうです。

しかし、候補者の立場に立ってみましょう。連日「アナタの一票がぁ〜〜〜」と言いながら選挙カーを走らせてます。
そこで、目の前に、誰に投票するか迷っている人がいるとしたらどうでしょう。きっとあなたは必死になって「是非私に入れてください!」と頼むでしょう。

自分が投票するときはたかが一票、しかし自分が候補者の時は一票でもっ
パラドックスと言えないでしょうか?

796 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/11(水) 21:32:45
■なぜ人々は「マクドナル」へ行くのか

なぜ人々は「マクドナル」へ行くのか

最近、コンビニ、ファーストフード、ファミレスなどチェーン店が爆発的に増加し、いわゆる「下町のお
店」は廃れる傾向があります。このような傾向は「マクドナルド化(McDonaldization)」と言われ、効率
最優先による人間性喪失ととらえられるますが、むしろ人々が望んで「下町のお店」よりも「マクドナ
ルド」へ行くのではないでしょうか。

たとえばある商品を購入するときにたまたま持ち金が5円足りなかったとき、「下町のお店」では事情
を説明して、5円ぐらいおまけしてもらえないかと交渉できます。すなわちお店は客に5円を贈与する
のです。しかしコンビニでは5円だろうが、おまけすることはできません。これは金額の問題ではな
く、「贈与関係の排除」がコンビニの存在価値の大きな部分を占めているからです。

コンビニでは、商品を購入する客がどのような人物かに関係なく、どの客にも同じマニュアル化され
た対応を行います。そして店内では必要以上にお客に干渉しない。「贈与関係の引力」が排除され、
徹底的に(等価)交換関係が追求されます。これによって「他者回避」された場が実現しています。

797 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/11(水) 21:34:15
流動性に対応する「マクドナルド化」

現代の消費型資本主義社会では物質的な豊かさを手に入れました。このような豊かさは人を「助け
合い」から解放します。「他者回避」し、「一人でも生きていける」社会と作り上げる。この「一人でも」
とは無人島のようなことではなく、強いコミュニティによる「助け合い」、すなわち贈与/返礼の関係
から抜け出て、「一人でも」生きていける「自由」な社会ということです。

さらに豊かさは爆発的に人口を増加をさせ、社会の流動性を急激に高めました。このような贈与関
係の引力はむしろ社会の流動性へ順応するには、拘束的、排他的なものとなります。流動性の向上
の中で、「マクドナルド化」のようなマニュアル化された「システム」は流動性に対応した「満足」をあた
えます。

798 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/11(水) 21:34:53
満足と気付かないほどの満足を与える「システム」

たとえば自動車は現代の科学の推移をつまっており、数百万円で手に入るのは画期的なことだとい
われます。自動車には様々な機種そしてオプションがあり、どれを買うか迷います。しかし仮に「自
分だけのオリジナルの自動車がほしい」とするとする、普通の自動車でも億単位のコストがかかりま
す。それがこんなに安価に手にはいるのは、高度にマニュアル化された品質管理技術の賜物です。

現代ではさらに、「システム」が複雑、多様化しすぎるために、宙吊りが起こってます。たとえばグー
グルが行おうとしていることは、このような複雑化しすぎたシステムを、データーベース化し、ユー
ザーかほしいものを提供するマニュアル化です。

このように高度に発達したシステムでは、ユーザーはグーグルなどの内部で行われていることをし
ることなく、気が付かないように「満足」を提供します。これは「環境管理権力」などと呼ばれます。

このように多様な価値とそれをマニュアル化する便利な「システム」は、ボクたちに満足と気付かな
いほどの満足を与え、もはやボクたちのセカイそのものになっています。

799 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/11(水) 21:35:32
多様な選択の自由と「ないもの」を求める自由

しかしどこにもない自分だけの自動車がほしいと、マニュアルから逸脱しようとしたとき、「車は数百
万円である」という常識が限られた内部の秩序であったことを知り、「自分だけの自動車を作るには
数十億円かかる」という事実に、「後ずさり」します。

自分だけの自動車をめざしてはいけないという拘束はありません。ボクたちの社会は「自由」です。
それでも満足の地を離れ、苦難な荒野に向かうでしょうか。「自由なんだから、もっと頑張れば。」、
「あきらめたのは個人の責任である」と言うことでしょうか。そこには普段気が付かない高い壁が存
在するのです。現実的にそこに「不自由」が存在するのです。しかし「不自由」は透明化されているのです。

システムが与える多様な選択の自由は、「内部の自由」でしかないありません。「内部の自由」が多
様化するほどに、内部は閉じ、「不自由」は隠され、そして閉塞します。そしてボクたちがほんとうに
もとめる自由とは、「内部の自由」の外=不自由であり、「外部への自由」です。

だから「自分だけの自動車がほしい」という意味は、ほしいものあり、それが内部にないのではあり
ません。そうではなくて、ボクたちは「内部にないもの」を求めるのです。それがボクたちの自由なのです。

800 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/11(水) 21:36:09
なにが「重要なこと」を示すためにマクドナルドへいく

だから「大きなシステム」が知らないうちに僕たちを取り囲んでいると単純に考えてはいけません。僕
たちが「マクドナルド」へいくのは、決められたマニュアルにしたがい選択し、回りに人間関係を気に
することなく、「食事をするという行為」全体の「負荷」が大きく低下することにあります。それによっ
て、「重要なこと(外部への自由)」による多くの労力を割くことができるようになるからです。

重要でない「不自由」はシステムに従うことで見えないこととしているのです。たとえばかつてハッ
カーは汚い服装で、粗末な食事で、パソコンに向かい続けたのは、服装や食事よりも「重要なこと」
をしているというアピールであったという話があります。

801 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/11(水) 21:36:44
僕の「重要なこと」とはなんだろうか

しかしこれはパラドキシカルな状態ともいえます。「重要なこと(不自由)」を目指すために、「不自由」
を透明化するシステムを積極的に受け入れる。たとえば最近のフリーター、引きこもりなどの人々は
このようなパラドキシカルな状態にはまりこんでいるのではないでしょうか。

すなわち「重要なこと(不自由)」を目指すために「不自由」を透明化するシステムを積極的に受け入
れる。それによって「重要なこと(不自由)」を見いだすことがより強迫的になる。

現代では目指すべき「重要なもの(不自由)」が明確化されなければ、システム内部に閉じこめられ、
「満足」によって閉塞してしまいます。「僕の「重要なこと(不自由)」とはなんだろうか」。それは「夢を
持て」と同じ意味です。「システム」が満足を与えるほどに僕たちは閉塞する状況におかれます。

802 :考える名無しさん:2006/10/11(水) 21:38:16
今こそ核兵器廃絶を

党は労働者、農民、知識人の前衛組織であり、社会・政治組織の最高の形態であると規定され
ていた。政府との事実上の一体化、「下部組織は上部組織に従う」(民主集中制)、「鉄の規
律」、社会のあらゆる部門に党委員会や細胞を張り巡らせて統制するといったソ連における共
産党のあり方は、他の社会主義国の執権政党に受け継がれていった。

http://www.r-agent.co.jp/knowhow/manual/hajime/before.html
転職活動を始める前に
これから、転職に関するさまざまなノウハウをみなさんにお伝えしていきます。まず、転職に
あたって考えておくべきポイントからお話ししていきましょう。
「転職」とは何か
そもそも、転職とは一体何なのでしょう? それを一言で表すなら、働く環境を変えること」
勤務する企業を変えることはもちろん、一緒に働くメンバーや、仕事の中身、ポジション、収
入、雇用形態、勤務地……。そうした、いろいろな要素から成り立つ環境を変えることが転職
の本質です。
環境を変える手段は、転職だけではない
転職を考えているということは、上に挙げたような何らかの要素に不満を感じているという
ことですよね。そこで明確にしておきたいのが、どの要素をどのように変えたいのか、何のた
めに変えたいのかということ。冷静に考えると、現職でそれを変えることができるかもしれま
せんし、別の手段で納得がいくような変更ができるかもしれません。
「転職そのもの」を目的にしない
次に、何のために転職するのか、目的をはっきりさせましょう。「自分の夢を実現したい」
「新しい仕事や業界に挑戦したい」「自分の力をもっと発揮したい」など、いろいろな目的が
あると思います。
転職は、その目的を達成するための手段にすぎません。転職自体を目的とするのではなく、本
来の「目指すべき目的」を見失わないように気を付けましょう。転職自体には成功したものの、
肝心の目的は達せず「こんなはずでは」とさらなる転職に走る──。そんな悪循環は避けたい
ものです。

803 :ぴか〜スレ向上委員会:2006/10/11(水) 22:11:26
「夢をもて」って、なんか絶望的な響きを感じる

こんな状況でもマッタリやってる奴は多いと思うけど?

804 :考える名無しさん:2006/10/12(木) 23:11:31
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E9%80%A3%E5%9E%8B%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E4%B8%BB%E7%BE%A9
生活水準の低さや公害の拡大を政府の失政として批判する事は社会主義体制への反革命行為と見なされ、
危険な行為であったため、国民の不満は社会の奥深くに、急速に蓄積された。また、共産党幹部の出世
は担当部門におけるノルマの達成に左右されたため、立身出世や保身のための超過数値や虚偽報告が横
行し、的確な経済政策を作成するための前提が崩れた。

http://rikunabi-next.yahoo.co.jp/rebuke/s_sakurapapa_3.html
恋愛が一番で仕事は二番。仕事をするためには充実した私生活が大事
 あなたもあちこちに気を使うことに果たして意味があるのかを考えなきゃ。気を使ったって疲れた割
には、たいしたことではなかったりするはずだよ。一番簡単な方法はね、今、気を使っていることのす
べてを「もう気にしない」と自分で決めて、それを自分に言い聞かせることです。そして、もっと楽し
いことに目を向けるよう、切り替えなさい。
 例えば、恋人ができるとするでしょ。そうすると早く仕事を終えて会いたくなるから、集中して仕事
をするようになるでしょ?周囲からうるさく言われようが、気を使うことなんかどうでもよくなって、
10分でも20分でも早くやるべき仕事を終わらせて、デートに行こうとするはずだよ。そういうものなんです。
 俺なんかは小さい頃からそういう癖がついてる。早く遊びに行きたいのに、学校から帰ったら毎日手
伝いをさせられたのよ。家で牛や豚を飼っていたから、餌をやって小屋を掃除しなきゃならないし、
薪で風呂を焚いていたから、薪も割らなきゃならなくてさ。いかにその手伝いを早く終わらせて遊びに
行くかの工夫をこらすわけよ。仕事も同じ。しかも 20代のうちなんてね、恋愛が一番で仕事は二番。
仕事をするためには充実した私生活が大事なの。いい恋人とつき合っていれば、集中できていい仕事が
できるんだよ。


805 :考える名無しさん:2006/10/13(金) 23:46:30
他のスレでの自演に忙しいぴかぁ
このスレに手が回らない模様

806 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/14(土) 12:35:06
やはり仕事はおもしろいですね。仕事のおもしろさは強制力にあるのではないでしょうか。

決して分かり合えない他者とのコミュニケーションにおいて、働く強制力。
分かりあったフリをしなければ、プラグマティックな成果としての
仕事は成立しません。大きな一つの目的を共有するように振るまう関係の集団。
帰属意識。充実感。強い関係性の強制と責任感。

このような関係は、年功序列によって保障されていたといえるでしょう。
リストラなど将来の保障の消失から、ただ帰属意識に浸ることはできません。
また、労働費削減から、その場限りの労働力として、集団から疎外されています。
関係から疎外されています。

消失した関係性をいかに補完するのか。

807 :ぴかぁ〜 ◇q5y3ccmqnw :2006/10/14(土) 13:01:40
やはりソープランドはおもしろいですね。ソープのおもしろさは強制力にあるのではないでしょうか。

決して分かり合えない風俗嬢とのコミュニケーションにおいて、働く強制力。
分かりあったフリをしなければ、プラグマティックな成果としての
本番行為は成立しません。

808 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/14(土) 13:07:47
大災害のときなど、人は他者の強い助けを必要とします。
このような純粋な略奪としての大きな負債の発生は、コミュニティという
負債の分担としての贈与の連鎖を生みます。

このような意味で、阪神大震災のとき、安否を確認する、助け合うなどの
コミュニティが必要とされますが、企業というコミュニティが中心に
回りました。隣に誰が住んでいるかもわからない時代、企業が
人間の関係を支えています。

しかし先のように、企業というコミュニティが崩壊する中で、
「純粋な略奪としての大きな負債」はいかように対応するのか。
そもそも科学技術の発展は、このような「大きな負債」を軽減して
きました。様々な天災、飢饉、疫病など人類に未曾有の破壊を
もたらすものに対して、防衛力を発達させてきたのです。

それが、贈与の連鎖としてのコミュニティの絆を弱めてきました。
自分の好きなように生きるということを可能にしています。

809 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/14(土) 13:08:30
貨幣による資本主義社会そのものが、このような贈与関係の
希薄によって可能になっているといえるでしょう。
貨幣交換によって支えられるコミュニティ、紙幣という紙きれに
ある価値があると認めるコミュニティという繋がりは、
贈与によって支えられるコミュニティに比べれば、大きな集団に
展開可能であるが、繋がりとしては希薄です。
たとえば貨幣交換では、交換法則を認めるならば、相手が誰であろうが
お金さえ持っていれば成り立ちますが、贈与関係は、相手が誰かが、
まさに重要になるという小さいなコミュニティですが、強い繋がりによって
作動します。

そして純粋略奪は、「例外状態」を生みます。大災害時という極限状態
においてお金はどれほどの力になるでしょうか。そこでは、貨幣交換を
求め合うコミュニティの外部(例外状態)が生まれるのです。
貨幣交換の繋がりが脆いものであることが暴露されるのです。

810 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/14(土) 13:16:34
資本主義社会、特に日本における年功状列は、コミュニティを企業によって
支える社会形態と作りあげましたが、それが崩壊する中に、
重要なものが国家による保障です。

たとえば大災害ときには、政府による支援が重要になります。
「小さな政府」へと、言われる中で、より政府の支援が問題になることが
増えています。たとえばマンション擬装設計など、どこまで自己責任で、
どこまで政府の支援すべきかが、問題になります。

年金の問題もそうでしょう。企業コミュニティが消失する定年後において、
もはや政府による保証のみが頼りになる、ということです。



811 :ぴかぁ〜 ◇q5y3ccmqnw :2006/10/14(土) 13:19:18
やはりソープランドはおもしろいですね。ソープのおもしろさは強制力にあるのではないでしょうか。

決して分かり合えない風俗嬢とのコミュニケーションにおいて、働く強制力。
分かりあったフリをしなければ、プラグマティックな成果としての
本番行為は成立しません。


ソープランドでは、交換法則を認めるならば、相手が誰であろうが
お金さえ持っていれば本番行為は成り立ちますが、ただの恋愛は、相手が誰かが、
まさに重要になるという小さいなコミュニティですが、強い繋がりによって
作動します。

そして純粋略奪は、「強姦」を生みます。強姦という極限状態
においてお金はどれほどの力になるでしょうか。そこでは、貨幣交換で
本番行為を求め合うコミュニティの外部(強姦)が生まれるのです。
ソープ嬢との繋がりが脆いものであることが暴露されるのです。

812 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/14(土) 13:47:59
「小さな政府」というのは、企業の実力主義とにています。最近、企業は実力主義として
年功序列でなく、能力似合わせて報酬を払うということですが、実際には全体賃金量の
低減が目標とされています。頑張れば金を払うの意味は、だめなやつには金を払わない。
ということであり、それによって総人件費は低減されています。

小さな政府も、自由競争を促します。ここにあるのは、年金などの総経費の削減を
目指します。高齢化社会などによって、従来のような保障を続けることができません。
あとは自分で何とかするしかない、という意味が含まれています。

なんにしろ競争社会に向かっているということです。しかし先も言ったように、科学技術
の発展は、このような「大きな負債」を軽減してきました。かつての社会よりもずっと豊かに
なっています。人々はいまよりもずっと貧しい生活をしてきたのであり、世界のほとんどは
いまも貧しい生活をしています。

不安は相対的なものであり、回りが豊かで、自分のみがそれより劣るのはつらいものです。
しかしこれは、生存に関わると言うよりも、他者とのバランス、コミュニティの価値に関するものです。

だから問題は、コミュニティの希薄さにあるのではないでしょうか。貨幣交換のような
希薄で大きなコミュニティに帰属していますが、年功序列的な企業コミュニティの消失のあとを、
支えるような実働的な小さなコミュニティがありません。
だから一人で生きて行かなければならない。そのためのは「お金」だけが頼りなのです。
そしてなんでもお金で買えるように社会システムの構築が進んでいます。
お金がなればなんでもできる。お金がなければなにもできない。

813 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/14(土) 14:16:04
豊かであっても、一人で生きていくのは不安である。それほど豊かでなくても、
助け合う繋がりがあれば、なんとかなる。ある意味で、人生訓的な当たり前なことです。

自然との闘いは決して終わりません。天からの純粋略奪は到来しつづけます。
産業革命以来の急激な成長は、ある種の高揚感とともにがむしゃらに進みました。
たとえば年功序列というのは、資本主義に適した強力なシステムのために
組織されたコミュニティといえます。

高揚感から冷めてくると、様々な問題が見えてきたのが現代ではないでしょうか。
たとえば環境問題は、人はなにも自然を乗り越えていなかった。自然と利用し、
豊かになることは悪いことではありません。「自然にやさしく」などウソです。
自然を乗り越えたつもりが、なにも乗り越えていなかったという、無力を
隠すためのものです。環境問題として回帰する天からの純粋略奪です。
自然は逆襲などしません。人類などとるに足らないからです。ただ回帰するだけです。

科学技術をもってしても、自然との闘いには勝利できなかった。それだけです。
だからいま求められているのは、新たな助けあいのコミュニティです。
貧しくても助け合い生きていけるコミュニティです。

814 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/14(土) 14:22:46
その大きな候補が、ネットです。人々がネットにつどい、目的なくただたむろするのは、
コミュニティを求めているからです。

ネットコミュニティは、ハリネズミのジレンマの状態に似ています。
寂しくて触れあいたいが、近づきすぎると怪我をする。
それはネットには悪い人がいて騙されるということではなく、
豊かさの中で、せっかく手に入れた「好きなように生きる」という自由が
他者と近づきすぎると拘束されるということです。

ネットは、自由を拘束せずに近づく方法です。祭りなどの高揚感によって
強い共有意識を持つことができますが、匿名性によって距離が保たれます。
それでもmixiなどのようって、より近づく試みが行われいます。


815 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/14(土) 14:47:37
しかしネットはさらに大きな意味があると言えます。仮に自然からの
純粋略奪に対抗することが大きな目的であるなら、迅速なで的確な
情報収集が、対抗策たりえます。迅速で的確な情報収集によって、
資本運営によいても、窮地においても、コミュニティの活用においても、
特に予期という意味で、他者よりも優位な位置に立つことができます。

816 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/14(土) 15:01:20
これはまさに資本主義的な競争社会を生き抜くという実働的なものです。
ただそれでも、自然との闘争は予期を超えた不確実性であり、
社会を超えた例外状態という「外部」にあります。
たとえば最近ではバブルの崩壊がありました。これは資本主義に内在して、
不確実に到来し続けるものです。このような状態においては、予期は無力です。
予期とは本質的な過去の経験則、延長線上によってしか得られません。
また経済の破綻は貨幣価値などの社会的なルールさえも崩壊させます。

だからコミュニティの再生は重要な問題だと思います。
いかにハリネズミのジレンマを乗り越えるのか。

やがて悲しきハリネズミ哉・・・

817 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/14(土) 15:18:23
マルクスは、コミュニティの再生の基本には、労働があると考えたということでしょう。
ハリネズミのジレンマを乗り越えるというのはそもそも愚問です。人は決して分かり合えない。
ただ生きると言うこと、自然との闘争、すなわち労働において、他者を必要とし、始めて一つになれる。

その意味で、現代は外部を見失った時代といえるかもしれません。それは科学技術によって、
念願の外部の征服を達成できると高揚した時代です。
外部の征服によって、もはや人々には分かりあう必然性がない、ということです。

しかしそれは錯覚だった。ただ静かに外部は回帰する。






818 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/14(土) 15:30:41
外部が回帰すると言うことは、人は助け合う、贈与関係を構築することであり、
そして外部を内部へ回収し、贈与しあうための価値を生産する労働しなければ
ならないということです。
外部との闘争において、労働と贈与関係が重要になります。それがコミュニティです。



819 :ぴかぁ〜 ◇q5y3ccmqnw.:2006/10/14(土) 16:08:02
やはりソープランドはおもしろいですね。ソープのおもしろさは強制力にあるのではないでしょうか。

決して分かり合えない風俗嬢とのコミュニケーションにおいて、働く強制力。
分かりあったフリをしなければ、プラグマティックな成果としての
本番行為は成立しません。


ソープランドでは、交換法則を認めるならば、相手が誰であろうが
お金さえ持っていれば本番行為は成り立ちますが、ただの恋愛は、相手が誰かが、
まさに重要になるという小さいなコミュニティですが、強い繋がりによって
作動します。

そして純粋略奪は、「強姦」を生みます。強姦という極限状態
においてお金はどれほどの力になるでしょうか。そこでは、貨幣交換で
本番行為を求め合うコミュニティの外部(強姦)が生まれるのです。
ソープ嬢との繋がりが脆いものであることが暴露されるのです。

もてない男のジレンマを乗り越えるというのはそもそも愚問です。
人は決して分かり合えない。 本番行為において、ソープ嬢を必要とし、
始めて一つになれる。

その意味で、現代は恋愛を見失った時代といえるかもしれません。
それはソープランドによって、 念願の女の征服を達成できると高揚した時代です。

しかしそれは錯覚だった。ただ静かに強姦は回帰する。

820 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/14(土) 16:33:09
再度いえば、いつか必ず大災害が起こるから、今の内に知り合いを増やしておけばよい、
というレベルのことではなく、ボクたちはたえず不確実性の中に晒されている。
それは絶えず漠然として不安の中にいることである。たとえばお金をためるのも
そのためである。ある程度の貯蓄があることで不安を緩和することができる。
しかしそれで不安がなくなるわけではない。そのためにコミュニティへの帰属が
重要になる。

外部が回帰すると言うことは、人は助け合う、贈与関係を構築することであり、
そして外部を内部へ回収し、贈与しあうための価値を生産する労働しなければ
ならないということです。
外部との闘争において、労働と贈与関係が重要になります。それがコミュニティです。

マルクスは、コミュニティの再生の基本には、労働があると考えました。
ただ生きると言うこと、自然との闘争、すなわち労働において、他者を必要とし、
コミュニティは再生される。



821 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/14(土) 16:38:15
■なぜコミュニティは必要なのか その1

年功序列が支えた仕事のおもしろさ

やはり仕事はおもしろいですね。仕事のおもしろさは強制力にあるのではないでしょうか。決して分
かり合えない他者とのコミュニケーションにおいて、働く強制力。分かりあったフリをしなければ、プラ
グマティックな成果としての仕事は成立しません。大きな一つの目的を共有するように振るまう関係
の集団。帰属意識。充実感。強い関係性の強制と責任感。

このような関係は、年功序列によって保障されていたといえるでしょう。リストラなど将来の保障の消
失から、ただ帰属意識に浸ることはできません。また、労働費削減から、その場限りの労働力とし
て、集団から疎外されています。関係から疎外されています。消失した関係性をいかに補完するのか。


好きなように生きるということ

大災害のときなど、人は他者の強い助けを必要とします。このような純粋な略奪としての大きな負債
の発生は、コミュニティという負債の分担としての贈与の連鎖を生みます。このような意味で、阪神
大震災のとき、安否を確認する、助け合うなどのコミュニティが必要とされますが、企業というコミュ
ニティが中心に回りました。隣に誰が住んでいるかもわからない時代、企業が人間の関係を支えて
います。

しかし先のように、企業というコミュニティが崩壊する中で、「純粋な略奪としての大きな負債」はいか
ように対応するのか。そもそも科学技術の発展は、このような「大きな負債」を軽減してきました。
様々な天災、飢饉、疫病など人類に未曾有の破壊をもたらすものに対して、防衛力を発達させてき
たのです。

それが、贈与の連鎖としてのコミュニティの絆を弱めてきました。自分の好きなように生きるというこ
とを可能にしています。

822 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/14(土) 16:38:51
貨幣交換の例外状態

貨幣による資本主義社会そのものが、このような贈与関係の希薄によって可能になっているといえ
るでしょう。貨幣交換によって支えられるコミュニティ、紙幣という紙きれにある価値があると認める
コミュニティという繋がりは、贈与によって支えられるコミュニティに比べれば、大きな集団に展開可
能であるが、繋がりとしては希薄です。

たとえば貨幣交換では、交換法則を認めるならば、相手が誰であろうが、お金さえ持っていれば成り
立ちますが、贈与関係は、相手が誰かが、まさに重要になるという小さいなコミュニティですが、強い
繋がりによって作動します。

そして純粋略奪は、「例外状態」を生みます。大災害時という極限状態においてお金はどれほどの
力になるでしょうか。そこでは、貨幣交換を求め合うコミュニティの外部(例外状態)が生まれるので
す。貨幣交換の繋がりが脆いものであることが暴露されるのです。

823 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/14(土) 16:39:43
「小さな政府」という放置

資本主義社会、特に日本における年功状列は、コミュニティを企業によって支える社会形態と作りあ
げましたが、それが崩壊する中に、重要なものが国家による保障です。たとえば大災害ときには、
政府による支援が重要になります。「小さな政府」へと、言われる中で、より政府の支援が問題にな
ることが増えています。たとえばマンション擬装設計など、どこまで自己責任で、どこまで政府の支
援すべきかが、問題になります。年金の問題もそうでしょう。企業コミュニティが消失する定年後にお
いて、もはや政府による保証のみが頼りになる、ということです。

「小さな政府」というのは、企業の実力主義とにています。最近、企業は実力主義として年功序列で
なく、能力似合わせて報酬を払うということですが、実際には全体賃金量の低減が目標とされてい
ます。頑張れば金を払うの意味は、だめなやつには金を払わない。ということであり、それによって
総人件費は低減されています。

小さな政府も、自由競争を促します。ここにあるのは、年金などの総経費の削減を目指します。高齢
化社会などによって、従来のような保障を続けることができません。あとは自分で何とかするしかな
い、という意味が含まれています。

824 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/14(土) 16:40:16
豊かさでは埋まらない不安としてのコミュニティの希薄さ

なんにしろ競争社会に向かっているということです。しかし先も言ったように、科学技術の発展は、こ
のような「大きな負債」を軽減してきました。かつての社会よりもずっと豊かになっています。人々は
いまよりもずっと貧しい生活をしてきたのであり、世界のほとんどはいまも貧しい生活をしています。

不安は相対的なものであり、回りが豊かで、自分のみがそれより劣るのはつらいものです。しかしこ
れは、生存に関わると言うよりも、他者とのバランス、コミュニティの価値に関するものです。

だから問題は、コミュニティの希薄さにあるのではないでしょうか。貨幣交換のような希薄で大きなコ
ミュニティに帰属していますが、年功序列的な企業コミュニティの消失のあとを、支えるような実働的
な小さなコミュニティがありません。だから一人で生きて行かなければならない。そのためのは「お
金」だけが頼りなのです。そしてなんでもお金で買えるように社会システムの構築が進んでいます。
お金がなればなんでもできる。お金がなければなにもできない。

豊かであっても、一人で生きていくのは不安である。それほど豊かでなくても、助け合う繋がりがあ
れば、なんとかなる。ある意味で、人生訓的な当たり前なことです。

825 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/14(土) 16:43:06
回帰し続ける純粋略奪

自然との闘いは決して終わりません。天からの純粋略奪は到来しつづけます。産業革命以来の急
激な成長は、ある種の高揚感とともにがむしゃらに進みました。たとえば年功序列というのは、資本
主義に適した強力なシステムのために組織されたコミュニティといえます。

高揚感から冷めてくると、様々な問題が見えてきたのが現代ではないでしょうか。たとえば環境問題
は、人はなにも自然を乗り越えていなかった。自然と利用し、豊かになることは悪いことではありま
せん。「自然にやさしく」などウソです。自然を乗り越えたつもりが、なにも乗り越えていなかったとい
う、無力を隠すためのものです。環境問題として回帰する天からの純粋略奪です。自然は逆襲など
しません。人類などとるに足らないからです。ただ回帰するだけです。

科学技術をもってしても、自然との闘いには勝利できなかった。それだけです。だからいま求められ
ているのは、新たな助けあいのコミュニティです。貧しくても助け合い生きていけるコミュニティです。

826 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/14(土) 16:43:50
コミュニティにおける労働の意味

再度いえば、いつか必ず大災害が起こるから、今の内に知り合いを増やしておけばよい、というレベ
ルのことではなく、ボクたちはたえず不確実性の中に晒されている。それは絶えず漠然として不安の
中にいることである。たとえばお金をためるのもそのためである。ある程度の貯蓄があることで不安
を緩和することができる。しかしそれで不安がなくなるわけではない。そのためにコミュニティへの帰
属が重要になる。

外部が回帰すると言うことは、人は助け合う、贈与関係を構築することであり、そして外部を内部へ
回収し、贈与しあうための価値を生産する労働しなければならないということです。外部との闘争に
おいて、労働と贈与関係が重要になります。それがコミュニティです。

マルクスは、コミュニティの再生の基本には、労働があると考えました。ただ生きると言うこと、自然と
の闘争、すなわち労働において、他者を必要とし、コミュニティは再生される。

827 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/14(土) 17:02:42
お金があればなんでもできる。というのは、システム化された社会です。
「お金で買えるものはお金で買えるが、お金で買えないものはなもの買えない。」
この当たり前の意味は、お金で買えるものはシステムとして世界を網羅している。
この交換関係の内部においては、すべてはお金でかえる。愛でも、生でも。
しかしそれは線でめぐらされたネットワーク的世界であって、そのちょっと脇は、
お金で買えないもので溢れている。
ただ交換関係内部に生きるには、豊かさを享受する十分なものがある、ということです。

柄谷は、ボロメオの輪から、資本−国家−ネーションの相補的な関係を考えました。
ネーションはコミュニティに近いものを表している。
そしてボクはここに外部を取り入れて、

自然(外部)−(資本)−国家−コミュニティを考えることができるでしょう。



828 :考える名無しさん:2006/10/14(土) 17:18:54
すいません
主張を箇条書きにして一度まとめてくれませんか?

このスレの最後のほうでいいので

829 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/14(土) 17:22:50
>>828
なぜ?

830 :ぴかぁ〜 ◇q5y3ccmqnw.:2006/10/14(土) 17:26:04
風俗店は、もてない男−風俗店−風俗嬢の相補的な関係を考えました。
この交換関係の内部においては、すべてはお金でかえる。本番行為でも。

しかしそれは赤線でめぐらされたネットワーク的世界であって、
そのちょっと脇は、お金で買えないもので溢れている。

ある程度の貯蓄があることで風俗店にいけない不安を
緩和することができる。しかしそれで不安がなくなるわけではない。
そのために強姦が重要になる。

そしてボクはここに強姦を取り入れて、

強姦(外部)−もてない男−風俗店−風俗嬢を考えることができるでしょう。




831 :ぴかぁ〜 ◇q5y3ccmqnw.:2006/10/14(土) 17:53:19
■なぜ強姦は必要なのか

やはりソープランドはおもしろいですね。
ソープのおもしろさは強制力にあるのではないでしょうか。

決して分かり合えない風俗嬢とのコミュニケーションにおいて、働く強制力。
分かりあったフリをしなければ、プラグマティックな成果としての
本番行為は成立しません。

ソープランドでは、交換法則を認めるならば、相手が誰であろうが
お金さえ持っていれば本番行為は成り立ちますが、ただの恋愛は、相手が誰かが、
まさに重要になるという小さいなコミュニティですが、強い繋がりによって
作動します。

そして純粋略奪は、「強姦」を生みます。強姦という極限状態
においてお金はどれほどの力になるでしょうか。そこでは、貨幣交換で
本番行為を求め合うコミュニティの外部(強姦)が生まれるのです。
ソープ嬢との繋がりが脆いものであることが暴露されるのです。

もてない男のジレンマを乗り越えるというのはそもそも愚問です。
人は決して分かり合えない。 本番行為において、ソープ嬢を必要とし、
始めて一つになれる。

その意味で、現代は恋愛を見失った時代といえるかもしれません。
それはソープランドによって、 念願の女の征服を達成できると高揚した時代です。

しかしそれは錯覚だった。ただ静かに強姦は回帰する。

832 :ぴかぁ〜 ◇q5y3ccmqnw.:2006/10/14(土) 18:08:45
風俗店は、もてない男−風俗店−風俗嬢の相補的な関係を考えました。
この交換関係の内部においては、すべてはお金でかえる。本番行為でも。
お金があれば本番行為でもできるというのは、システム化された
ソープランドです。

しかしそれは赤線でめぐらされたネットワーク的世界であって、
そのちょっと脇は、お金で買えない女で溢れている。

ある程度の貯蓄があることで風俗店にいけない不安を
緩和することができる。たとえばお金をためるのもそのためである。
しかしそれで不安がなくなるわけではない。
お金がなれば本番行為でもできる。お金がなければ本番行為もできない。
そのために強姦が重要になる。
それほどお金がなくても、強姦があれば、なんとかなる。
ある意味で、人生訓的な当たり前なことです。

そしてボクはここに強姦を取り入れて、

強姦(外部)−もてない男−風俗店−風俗嬢を考えることができるでしょう。


833 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/14(土) 19:33:02
ちまたは、新書ブームですね。朝日新書が創刊されました。中でも「新書365冊」宮崎哲弥は
象徴的な感じがします。メタ新書とでもいうのでしょうか。

ボクはこの新書ブームが、ブログブームと連動しているように感じるのですが、どうでしょう。
ブログブームによって、ネット上に文章が溢れました。ちょっとしたコメントから、
プロ並みのものなど多岐にわたります。

今まで、プロとしてちょっとした記事を書いてきた人が、底上げされたところに、
新書があるように思います。プログよりも少しまともったものという位置があるのでは
ないでしょうか。

834 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/14(土) 19:45:17
最近、コント番組というものがなくなりましたね。バラエティー番組というハプニングを
売り物にする、ライブ感を大切にする。それが、「あいのり」のようなライブバラエティーに
繋がっています。

多くの視聴者は軽い感じで、テレビを流れ見をしています。コントなどは、それを読み込むために、
シチュエーションを読み込む必要があります。同じタレントがでていたも、このコントでは
彼はどのような役を演じて、どのような状況にあるのか。
バラエティーではそのような読みは必要とされません。出川はいつも出川という役です。
バラエティーは同じようなタレントが入れ替わり立ち替わりでますが、これはいわば、
継続された物語であり、タレントはある役を担わされたキャラクターなのですね。
お嬢様役、いじられ役、ボケ役などなど。

バラエティ劇場という中で、限られた役を手に入れることが、タレントの目指すところです。
何らかの得意な才能はきっかけであって、役をつかむことが継続するコツです。
たとえば最近CSなどで、韓国のバラエティーを見ることができますが、
多くの笑いをとるタレントは不思議な感じがします。特におもしろくもない、どこにでも
いそうなおにいちゃんが爆笑を取るのは不思議な感じがします。

彼は、韓国のバラエティ劇場のなんらかの役を担ったものなのでしょうが、
外部にいるボクたちにそれはわかりません。
だからバラエティタレントになるには、とにかく回数テレビにでて、馴染まれることです。


835 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/14(土) 19:49:40
それに比べて、ドラマは出ている人物が始めてでも、その背景自体を一緒に読み込むので、
問題がありません。
しかしドラマの視聴率は、内容よりも出てくる俳優に大きく依存すると言われています。
高視聴率をとるキムタクドラマは、内容がおもしろいよりも、キムタクがでることで
数字がとれるということです。
これは、バラエティをおなじ構造があります。そのドラマ単体だけでなく、
テレビドラマ劇場という継続したものがあり、キムタクはどのドラマでもキムタクは、
キムタクを演じている。視聴者はドラマを深く読み込むよりも、ながら身で、
内容を理解するのです。

836 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/14(土) 19:54:00
このような状態は、社会の中の情報過多があると思います。
一つのバラエティ、ドラマを集中するほど、情報処理能力を避けない。
短時間で、さっとみて、さっと楽しむ。

実は新書ブームのもう一つの側面として、情報過多社会に対応しているのでは
ないでしょうか。
小説のように背景を読み込む労力は必要がなく、
さっと読んで、さっと楽しむ。どこからでも興味のあるところを読める。
雑誌に近いが、もう少し情報がまとまっている。

837 :考える名無しさん:2006/10/14(土) 20:03:19
きもい

838 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/14(土) 20:03:58
■認知限界社会

新書ブームとブログブーム

ちまたは、新書ブームですね。朝日新書が創刊されました。中でも「新書365冊」宮崎哲弥は象徴的
な感じがします。メタ新書とでもいうのでしょうか。ボクはこの新書ブームが、ブログブームと連動して
いるように感じるのですが、どうでしょう。ブログブームによって、ネット上に文章が溢れました。
ちょっとしたコメントから、プロ並みのものなど多岐にわたります。

今まで、プロとしてちょっとした記事を書いてきた人が、底上げされたところに、新書があるように思
います。プログよりも少しまともったものという位置があるのではないでしょうか。

839 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/14(土) 20:04:28
バラエティー劇場

最近、コント番組というものがなくなりましたね。バラエティー番組というハプニングを売り物にする、
ライブ感を大切にする。それが、「あいのり」のようなライブバラエティーに繋がっています。

多くの視聴者は軽い感じで、テレビを流れ見をしています。コントなどは、それを読み込むために、シ
チュエーションを読み込む必要があります。同じタレントがでていたも、このコントでは彼はどのよう
な役を演じて、どのような状況にあるのか。バラエティーではそのような読みは必要とされません。
出川はいつも出川という役です。バラエティーは同じようなタレントが入れ替わり立ち替わりでます
が、これはいわば、継続された物語であり、タレントはある役を担わされたキャラクターなのですね。
お嬢様役、いじられ役、ボケ役などなど。

バラエティ劇場という中で、限られた役を手に入れることが、タレントの目指すところです。何らかの
得意な才能はきっかけであって、役をつかむことが継続するコツです。たとえば最近CSなどで、韓
国のバラエティーを見ることができますが、多くの笑いをとるタレントは不思議な感じがします。特に
おもしろくもない、どこにでもいそうなおにいちゃんが爆笑を取るのは不思議な感じがします。

彼は、韓国のバラエティ劇場のなんらかの役を担ったものなのでしょうが、外部にいるボクたちにそ
れはわかりません。だからバラエティタレントになるには、とにかく回数テレビにでて、馴染まれることです。

840 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/14(土) 20:05:03
認知限界社会

それに比べて、ドラマは出ている人物が始めてでも、その背景自体を一緒に読み込むので、問題が
ありません。しかしドラマの視聴率は、内容よりも出てくる俳優に大きく依存すると言われています。
高視聴率をとるキムタクドラマは、内容がおもしろいよりも、キムタクがでることで数字がとれるという
ことです。これは、バラエティをおなじ構造があります。そのドラマ単体だけでなく、テレビドラマ劇場
という継続したものがあり、キムタクはどのドラマでもキムタクは、キムタクを演じている。視聴者はド
ラマを深く読み込むよりも、ながら身で、内容を理解するのです。

このような状態は、社会の中の情報過多があると思います。一つのバラエティ、ドラマを集中するほ
ど、情報処理能力を避けない。短時間で、さっとみて、さっと楽しむ。すなわち認知限界です。

実は新書ブームのもう一つの側面として、情報過多社会に対応しているのではないでしょうか。小説
のように背景を読み込む労力は必要がなく、さっと読んで、さっと楽しむ。どこからでも興味のあると
ころを読める。雑誌に近いが、もう少し情報がまとまっている。

841 :考える名無しさん:2006/10/14(土) 20:48:51
きもい

842 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/14(土) 23:28:57
■なぜ新書ブームなのか 認知限界社会

マスメディアの中で継続的に続く「大きな物語」

最近、コント番組というものがなくなりましたね。バラエティー番組というハプニングを売り物にする、
ライブ感を大切にする番組花盛りです。それは、「あいのり」のようなライブバラエティーに繋がって
います。

多くの視聴者は軽い感じで、テレビを「ながら見」しています。コントでは、内容を「読み込む」ため
に、その場面の状況(コンテクスト)を読み込む必要があります。同じタレントがでていたも、このコン
トでは彼はどのような役を演じて、どのような状況(コンテクスト)におかれているのか。

バラエティーではそのような読み込みは必要とされません。出川はいつも出川という役です。バラエ
ティーは同じタレントが入れ替わり立ち替わりでますが、出川ならいじめられ役のように、お嬢様役、
キレ役などなど、タレントはすでにある役を担わされたキャラクターです。それは、いわば、マスメディ
アの中で継続的に続く「大きな物語」です。

だからこの「バラエティ劇場」という中で、役を手に入れることが、タレントの目指すところです。何ら
かの得意な才能はきっかけであって、役をつかむことが継続してテレビに出続けるコツです。バラエ
ティタレントになるには、とにかく回数テレビにでて、馴染まれることです。

843 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/14(土) 23:29:44
「キムタク」という役

たとえば最近CSなどで、韓国のバラエティー番組を見ることができますが、特別おもしろくもない、ど
こにでもいそうなおにいちゃんが爆笑を取るのは不思議な感じがします。彼は、韓国の「バラエティ
劇場」の中でなんらかの役を担っているのでしょう。外部にいるボクたちは韓国で進行する「大きな
物語」に参加していないのでわかりません。

それに比べて、ドラマは出ている人物が始めて見る人でも、その背景(コンテクスト)自体から読み込
むので、違和感がありません。むしろ知らない人の方が、物語に集中できるくらいです。たとえば悲
劇の役を演じる沢尻エリカは、タレントとして知っている沢尻エリカでであるとともに、このドラマの中
では、悲劇の少女であるという二重を分けてドラマを見る必要がありますが、始めて見る人物なら、
それがドラマとわかっていても、その少女がドラマの少女であると思いこむことが容易になります。

しかし実際は、ドラマの視聴率は、内容よりも出てくる俳優に大きく依存すると言われています。高
視聴率をとるキムタクドラマは、内容がおもしろいよりも、キムタクがでることで数字がとれるという

ことです。これは、視聴者がそのドラマ単体だけでなく、バラエティを同じように、「大きな物語」として
もドラマを楽しんでいることを意味します。キムタクはどのドラマでも、あるいはバラエティでも、「大き
な物語」で与えられたキムタクという役なのです。

844 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/14(土) 23:30:40
認知限界社会とデーターベース化

このような傾向は、テレビを「ながら見」しやすくします。ドラマでも、バラエティでも、あるタレントを
キーにすることで、途中からでも、その場面だけでも、視聴者は状況(コンテクスト)を理解し、内容を
楽しむことができます。

このようなことが起こるのは、情報化社会における社会の中の情報過多にあると思います。一つの
バラエティ、ドラマを毎回、全体を集中するほど、時間を割けないだけでなく、人間には認知限界が
あり、情報処理能力を避けない。人はもっと様々な情報を処理しなければなりません。

このような傾向を東浩紀 「動物化するポストモダン」では、「物語消費」とデータベース化として示し
ています。視聴者は、「日本バラエティー劇場」という状況(コンテクスト)の「大きな物語」を共有しな
がら、それぞれのバラエティ、ドラマを楽しむ。そしてこの大きな物語は、キムタク、沢尻エリカ、出川
などなどのデーターベースによって支えられているということになるのでしょうか。

>>
大塚によれば、オタク系文化においては、ここの作品はもはやその「大きな物語」の入口の機能を果
たしているにすぎない。消費者が真に評価し、買うのはいまや設定や世界観なのだ。とはいえ実際
には、設定や世界観をそのまま作品として売ることは難しい。したがって現実には、実際の商品は
「大きな物語」でるにもかかわらず、その断片である「小さな物語」が見せかけの作品として売られ
る、という二重戦略が有効になる。大塚はこの状況を「物語消費」と名付けた。

物語消費の構造が、まさにこのデータベース・モデルの構造を反映していることが理解できるだろ
う。「小さな物語」と「設定」の二層構造とは、見せかけと情報の二層構造のことである。物語消費に
支配されたオタク系文化においては、作品はもはや単独で評価されることがなく、その背後にある
データベースの優劣で測られる。

「動物化するポストモダン」 東浩紀 P50-53 (ASIN:4061495755)
<<

845 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/14(土) 23:31:35
新書ブーム

最近、新書ブームですね。朝日新書も創刊されました。その中でも「新書365冊」宮崎哲弥
(ASIN:4022731060) は象徴的な感じがします。大量の新書を紹介するというメタ新書とでもいうので
しょうか。

この新書ブームも「認知限界社会」に対応しているのではないでしょうか。小説のように背景(コンテ
クスト)を読み込む労力の必要がなく、小難しい単行本のように深い読み込みも必要もなく、しかし雑
誌の特集のような浅いものでなく、興味あるものを、興味のあるところだけ、「ちょい」深く読み込む。

846 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/14(土) 23:32:06
データーベース消費するブログ群

さらにボクはこの新書ブームが、ブログブームと連動しているように感じています。かつてのホーム
ページとブログの違いは、ホームページがそれぞれが個別であったものが、ブログでは様々な仕掛
けによって連動していることです。

あるブログを単独で読み込むというよりも、いまブログ界隈で話題になっているテーマについて、
様々なブログを「ちょい」読み、そしてブログを「ちょい」書く。これによって、話題は「データベース化」
されていきます。だからかつてのホームページのように単独で読み込ませ、認知負荷が高いサイト
よりも、ブログ界隈で流行りの「大きな物語」に関しての簡潔にコメントを発するものが好まれます。

そして、このような作動はブログ群に閉じたものでなく、マスメディアと連動し、そして社会と連動して
います。ブロガーはこのような社会的な「大きな物語」の端部として「ちょい」参加しています。

しかし社会に対して影響を与えると言う意味では、ブログよりも2ちゃんねるの方が大きいでしょ
う。2ちゃんねるでは一つ一つはさらに小さなコメントですが、それが「祭り」という盛り上がりとして影
響を与えます。そして「祭り」はこのような影響に確信犯的に行われます。そして次々と話題(データ
ベース)を消費しています。

日本ではまだブログはそこまで社会に影響力を持っていませんが、データーベース化された各話題
についてのブログ上の様々な単発の発言が行われています。そして膨大な発言でインフレーション
気味であるブログに対して、ちょっとしたプロがわかりやすい解説を書く、データベース化された話題
の解説書というような位置を新書ブームは担っているのではないでしょうか。

847 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/15(日) 01:00:05
■なぜコミュニティは必要なのか

仕事のおもしろさと企業コミュニティ

やはり仕事はおもしろいですね。仕事のおもしろさは強制力にあるのではないでしょうか。決して分
かり合えない他者とのコミュニケーションにおいて、仕事という目的において働く強制力であり、分か
りあったフリをしなければ、プラグマティックな成果としての仕事は成立しません。大きな一つの目的
を共有するように振るまうことでコミュニティが形成され、そこに帰属意識、責任感、充実感が生まれ
ます。大変だからやりがいがある。

日本において、このような幸福な関係は、年功序列制度によって保障されていたといえるでしょう。
現代は、人件費の削減から、リストラなど将来の保障の消失、あるいはその場限りの労働力のフ
リーターなどによって、もはやコミュニティとしての力は薄れつつあります。

大災害のときなど、人は他者の強い助けを必要とします。このような外部自然からの「純粋な略奪」
としての大きな負債の発生は、負債の分担としての贈与の連鎖によってコミュニティを生みます。た
とえば阪神大震災のとき、安否を確認する、助け合うなどのコミュニティの機能は、隣に誰が住んで
いるかもわからない時代、地域コミュニティよりも、企業というコミュニティが力を発揮したと言われて
います。企業の連絡網が安否を確認し、社員同士が助け合った。

しかし先のように、企業というコミュニティが崩壊する中で、今後「純粋な略奪としての大きな負債」に
はいかように対応するのでしょうか。

848 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/15(日) 01:01:11
資本主義社会とコミュニティの希薄化

科学技術の発展は、このような「大きな負債」を軽減してきました。様々な天災、飢饉、疫病など人類
に未曾有の破壊をもたらすものに対して、防衛力を発達させてきたのです。それが、贈与の連鎖とし
ての地域コミュニティの絆を弱めました。そして他者への依存を弱め、「自分の好きなように生きる」
ということを可能にしました。

また貨幣交換による資本主義社会そのものが、このような贈与関係の希薄によって可能になって
いるといえるでしょう。貨幣交換においても、紙幣という紙きれに価値があるというルールを共有す
る内部が必要とされますが、このような内部は贈与によって支えられるコミュニティに比べれば、繋
がりとしては希薄です。

たとえば貨幣交換では、交換法則を認めるならば、相手が誰であろうが、お金さえ持っていれば成り
立ちますが、贈与関係は、相手が誰かが、まさに重要になるという小さいなコミュニティですが、強い
繋がりによって作動します。だからこそ、貨幣交換は贈与関係よりも、大きな集団に展開可能である
といえます。

849 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/15(日) 01:02:02
資本=ネイション=国家

たとえば、柄谷は国民国家を資本=ネイション=国家をボロメオの環として示しました。ここでの
ネーションは、ボクの言う「コミュニティ」に近いでしょう。

>>
ネーションもそのような意味で「想像的」な共同体なのです。ネーションにおいては、現実の資本主
義経済がもたらす格差、自由と平等の欠如が、想像的に補充され解消されています。また、ネーショ
ンにおいては、支配の装置である国家とは異なる、互酬的な共同体が想像されています。こうして、
ネーオションは国家と資本主義経済という異なる交換原理に立つものを想像的に総合するわけで
す。私は最初に、いわゆるネーション=ステート(国民国家)とは、資本=ネーション=国家であると
のべました。それは、いわば、市民社会=市場経済(感性)と国家(悟性)がネーション(想像力)に
よって結ばれているということです。これはいわば、ボロメオの環をなします。つまり、どれか一つを
とると、壊れてしまうような環です。

「世界共和国へ」 柄谷行人 P175
<<

日本における年功序列制は、資本主義社会によって地域コミュニティを補完する形で、企業への忠
誠心を養うというように、企業コミュニティを形成しました。本来、格差をうむ、繋がりを希薄化する資
本主義において、企業コミュニティが繋がりを支えました。そしてこのような年功序列制を取り入れた
日本企業は、西欧からの遅れを取り戻す高度成長期において、強い組織作りによって、競争力を持
ち得ました。

850 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/15(日) 01:03:08
「小さな政府」という放置

しかし成熟期をむかえた今、年功状列制は崩壊し、企業コミュニティへの帰属は希薄化しています。
その中で重要視されるのが、国家による保障です。たとえばコミュニティという絆が希薄化する中
で、大災害が起これば、さらに政府による支援が重要になります。

たとえば最近ならばマンション擬装設計など、どこまで自己責任で、どこまで政府の支援すべきか
が、問題になります。年金の問題もそうでしょう。企業コミュニティが消失する定年後において、もは
や政府による保証のみが頼りになる、ということです。

しかし「小さな政府」というのは、企業の実力主義とにています。最近、企業は実力主義として年功
序列でなく、能力似合わせて報酬を払うということですが、実際には全体賃金量の低減が目標とさ
れています。頑張れば金を払うの意味は、だめなやつには金を払わない。ということであり、それに
よって総人件費は低減されています。

小さな政府も、自由競争を促します。ここにあるのは、年金などの総経費の削減を目指します。高齢
化社会などによって、従来のような保障を続けることができません。あとは自分で何とかするしかな
い、という意味が含まれています。

851 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/15(日) 01:11:30
お金への過剰な依存とコミュニティの希薄さ

だから一人で生きて行かなければならない。そのためのは「お金」だけが頼りなのです。そしてなん
でもお金で買えるように社会システムの構築が進んでいます。お金があればなんでもできる、という
のは、システム化された社会です。お金で買えるものによって、システムとして世界を網羅している。

この交換関係の内部においては、すべてはお金でかえる。愛でも、生でも。しかしそれは線でめぐら
されたネットワーク的世界であって、そのちょっと脇は、お金で買えないもので溢れている。ただ交換
関係内部に生きるには、豊かさを享受する十分なものがある、ということです。

先も言ったように、科学技術の発展は、このような「大きな負債」を軽減してきました。かつての社会
よりもずっと豊かになっています。人々はいまよりもずっと貧しい生活をしてきたのであり、世界のほ
とんどはいまも貧しい生活をしています。

それでも現代人々は大きな不安をだいています。お金への過剰な期待もその裏返しです。豊かで
あっても、一人で生きていくのは不安である。問題は、コミュニティの希薄さにあるのではないでしょ
うか。年功序列的な企業コミュニティの消失のあとを、支えるような実働的な小さなコミュニティがあ
りません。それほど豊かでなくても、助け合う繋がりがあれば、なんとかなる。

852 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/15(日) 13:22:15
日記は読まれるために書かれる。写真は見られるために取られる。
ウィルスによるプライベート写真の流出が止まりませんが、
撮った時点で見られることの覚悟は必要なのかもしれません。
ボクも気をつけないと。

853 :考える名無しさん:2006/10/15(日) 13:58:03
WなんだそれW
釣ってるつもりか?
ホント、センスの悪さはいかんともしがたいなW

854 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/15(日) 14:22:15
資本主義の快楽とはなにかといえば、自由ということでしょう。

>>
科学技術の発展は、このような「大きな負債」を軽減してきました。様々な天災、飢饉、疫病など
人類に未曾有の破壊をもたらすものに対して、防衛力を発達させてきたのです。それが、贈与の
連鎖としての地域コミュニティの絆を弱めました。そして他者への依存を弱め、「自分の好きなよう
に生きる」ということを可能にしました。

また貨幣交換による資本主義社会そのものが、このような贈与関係の希薄によって可能になって
いるといえるでしょう。貨幣交換においても、紙幣という紙きれに価値があるというルールを共有す
る内部が必要とされますが、このような内部は贈与によって支えられるコミュニティに比べれば、
繋がりとしては希薄です。
<<

科学技術、そして資本主義社会の発展において、他者への依存が
低減され、個人の自立と自由が可能になってきました。

855 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/15(日) 14:30:39
宗教革命、市民革命、共産主義革命の本質は、従来の他者との拘束関係から
個人の自由度を高める震動であると言えます。そして貨幣交換による市場経済は
それら補完し続けてきました。

>>
だから一人で生きて行かなければならない。そのためのは「お金」だけが
頼りになるのです。そしてなんでもお金で買えるように社会システムの構築
が進んでいます。お金があればなんでもできる、というのは、システム化
された社会です。お金で買えるものによって、システムとして世界を網羅している。
<<

自由な社会とはお金ですべてが買える社会です。

856 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/15(日) 14:41:53
回帰し続ける純粋略奪

自然との闘いは決して終わりません。天からの純粋略奪は到来しつづけます。産業革命以来の急
激な成長は、ある種の高揚感とともにがむしゃらに進みました。たとえば年功序列というのは、資本
主義に適した強力なシステムのために組織されたコミュニティといえます。

高揚感から冷めてくると、様々な問題が見えてきたのが現代ではないでしょうか。たとえば環境問題
は、人はなにも自然を乗り越えていなかった。自然と利用し、豊かになることは悪いことではありま
せん。「自然にやさしく」などウソです。自然を乗り越えたつもりが、なにも乗り越えていなかったとい
う、無力を隠すためのものです。環境問題として回帰する天からの純粋略奪です。自然は逆襲など
しません。人類などとるに足らないからです。ただ回帰するだけです。

そして天からの「純粋略奪」は、「例外状態」を生みます。大災害時という極限状態においてお金は
どれほどの力になるでしょうか。そこでは、貨幣交換を求め合うコミュニティの外部(例外状態)が生
まれるのです。貨幣交換の繋がりが脆いものであることが暴露されるのです。

857 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/15(日) 15:00:37
科学技術をもってしても、自然との闘いには勝利できなかった。だからやはり他者との協力関係は
必要とされます。しかし一つの考え方として、他者は時間的、空間的に卑近な者である必要はない
ということがいえます。

時間的には離れている他者、過去の他者、あるいは、空間的に離れた他者は様々な情報、知識と
して到来します。仮に自然からの純粋略奪に対抗することが大きな目的であるなら、迅速なで的確
な情報収集が、対抗策たりえます。

そして科学技術、資本主義の発展には、情報化という側面が大きくあります。現在の情報化社会と
は、ある意味で近代化の帰結とも言えます。そして情報化社会におけるコミュニティとは、時間、空
間を超越しています。

人間関係は、ハリネズミのジレンマに例えられます。寂しくて触れあいたいが、近づきすぎると怪我を
する。近代化において、個人の自由が達成されるほどに、針が自由にとがり、のびるために、ジレンマ
が増す。

それを回避するのが、情報化です。個人の自由と、他者との協力というジレンマを、他者を時間、空間
的に遠くに置くことで解決します。最近ならGoogleでしょうが、ネット技術において、究極の目標は、
このジレンマ、自由と繋がりの共存を解決することにあるのでないでしょうか。それを技術でクリアーする
ということが、資本主義を推進するための情報化技術の使命です。

858 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/15(日) 15:13:26
■コミュニティはなぜ必要なのか その2 知識としての他者

自由な社会とはお金ですべてが買える社会

資本主義の快楽とはなにかといえば、自由ということでしょう。

>>
科学技術の発展は、このような「大きな負債」を軽減してきました。様々な天災、飢饉、疫病など人類
に未曾有の破壊をもたらすものに対して、防衛力を発達させてきたのです。それが、贈与の連鎖とし
ての地域コミュニティの絆を弱めました。そして他者への依存を弱め、「自分の好きなように生きる」
ということを可能にしました。

また貨幣交換による資本主義社会そのものが、このような贈与関係の希薄によって可能になってい
るといえるでしょう。貨幣交換においても、紙幣という紙きれに価値があるというルールを共有する
内部が必要とされますが、このような内部は贈与によって支えられるコミュニティに比べれば、繋が
りとしては希薄です。
<<

科学技術、そして資本主義社会の発展において、他者への依存が低減され、個人の自立と自由が
可能になってきました。宗教革命、市民革命、共産主義革命の本質は、従来の他者との拘束関係
から個人の自由度を高める震動であると言えます。そして貨幣交換による市場経済はそれら補完し
続けてきました。自由な社会とはお金ですべてが買える社会です。

>>
だから一人で生きて行かなければならない。そのためのは「お金」だけが頼りになるのです。そして
なんでもお金で買えるように社会システムの構築が進んでいます。お金があればなんでもできる、と
いうのは、システム化された社会です。お金で買えるものによって、システムとして世界を網羅している。
<<

859 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/15(日) 15:19:27
回帰し続ける純粋略奪と闘争としての労働

自然との闘いは決して終わりません。天からの純粋略奪は到来しつづけます。産業革命以来の急
激な成長は、ある種の高揚感とともにがむしゃらに進みました。しかし高揚感から冷めてくると、様々
な問題が見えてきたのが現代ではないでしょうか。たとえば環境問題は、人はなにも自然を乗り越
えていなかった。自然と利用し、豊かになることは悪いことではありません。

「自然にやさしく」などウソです。自然を乗り越えたつもりが、なにも乗り越えていなかったという、無
力を隠すためのものです。環境問題として回帰する天からの純粋略奪です。自然は逆襲などしませ
ん。人類などとるに足らないからです。ただ回帰するだけです。

そして天からの「純粋略奪」は、「例外状態」を生みます。大災害時という極限状態においてお金は
どれほどの力になるでしょうか。そこでは、貨幣交換を求め合うコミュニティの外部(例外状態)が生
まれるのです。貨幣交換の繋がりが脆いものであることが暴露されるのです。

マルクスは、コミュニティの再生の基本には、労働があると考えました。ただ生きると言うこと、自然
との闘争、すなわち労働において、他者を必要とし、始めて一つになれる。外部が回帰すると言うこ
とは、人は助け合う、贈与関係を構築することであり、そして外部を内部へ回収し、贈与しあうため
の価値を生産する労働しなければならないということです。外部との闘争において、労働と贈与関
係が重要になります。それがコミュニティです。

860 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/15(日) 15:20:30
卑近な他者から知識としての他者へ

科学技術をもってしても、自然との闘いには勝利できなかった。だからやはり他者との協力関係は
必要とされます。しかし一つの考え方として、他者は時間的、空間的に卑近な者である必要はない
ということがいえます。

時間的には離れている他者、過去の他者、あるいは、空間的に離れた他者は様々な情報、知識と
して到来します。仮に自然からの純粋略奪に対抗することが大きな目的であるなら、迅速なで的確
な情報収集が、対抗策たりえます。

そして科学技術、資本主義の発展には、情報化という側面が大きくあります。現在の情報化社会と
は、ある意味で近代化の帰結とも言えます。そして情報化社会におけるコミュニティとは、時間、空
間を超越しています。

人間関係は、ハリネズミのジレンマに例えられます。寂しくて触れあいたいが、近づきすぎると怪我
をする。近代化において、個人の自由が達成されるほどに、針が自由にとがり、のびるために、ジレ
ンマが増す。

それを回避するのが、情報化です。個人の自由と、他者との協力というジレンマを、他者を時間、空
間的に遠くに置くことで解決します。最近ならGoogleでしょうが、ネット技術において、究極の目標
は、このジレンマ、自由と繋がりの共存を解決することにあるのでないでしょうか。それを技術でクリ
アーするということが、資本主義を推進するための情報化技術の使命です。

861 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/15(日) 15:22:45
自由な社会とは情報で生きていける社会

862 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/15(日) 15:56:28
卑近な他者と知識の他者

情報の力とはより多くの他者の反証可能性をくぐり淘汰されることにある。より有用性をます。
情報を自然への実働へ転換するときにお金は必要とされる。
情報とお金があれば卑近な他者は必要とされない。
ネットがめざすのは情報活用が大金を生むシステムである。しかし著作権など資本主義のルールに反する面がある。
これはお金への拒絶ではなく、コピーが基本のネットの当然である。

863 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/16(月) 11:38:43
たとえばロックミュージックにおいて叙情とテクニックのジレンマがある。
ビートルズ以来、テクノロジーは飛躍的に向上し、ミュージシャンのテクニックも向上した。
このような技術の面でいえばビートルズはいまのアマチアレベルにも劣る。
しかしビートルズはいまも新たなファンを獲得しつづけているし、多くのミュージシャンがめざす。
すなわちここに技術に還元されないものがある。

864 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/16(月) 11:50:21
たとえば好まれるメロディは技術に還元されるだろうか。
そこにパターンを見いだしコンピュータでつくりだそうという試みもあるが、うまくいっていない。
ここには意味論、クオリア論と同じ問題があるように思う。
そしてこれは心身二元論である。デカルトが身体を機械に例えたとき、すなわち要素に還元できると考えたとき、
それはまさに科学技術が力を持ち、世界を征服しはじめたときであり、それでも還元できないソウル(魂)残り続ける。
科学が発達するほど核として残り続ける。なぜなら世界を還元したいという欲望そのものが還元されないソウル(魂)だからだ。

865 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/16(月) 12:05:04
たとえば消費社会においてターゲットはきまぐれなソウルである。いかにソウルに気に入られるか。
マーケティングはこのきまぐれをなんとか還元しようすと試みであり、ある部分で成功し、ある部分で失敗である。
そしてこの失敗が資本主義社会のダイナミズムになっている。市場経済は冷たい機械システムではなく、ソウルを動力とする熱いシステムである。

866 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/16(月) 12:21:24
資本主義で問題にされるのは格差である。しかし格差そのものが悪いわけではなく、格差の固定化である。
親の年収と子供の成績の高い相関が問題になっているが、冷たいシステムとして機能することが警戒される。
しかし反面、過剰なダイナミズムも問題とされる。あまりに流動性が高いと努力そのものが実らない。


867 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/16(月) 12:33:24
しばらく旅にでます。

ぴかぁ〜

868 :ぴかぁ〜 ◇q5y3ccmqnw:2006/10/16(月) 16:09:58
体の不自由な子がおってな。小1で、ガンになって、
いま小3なんやねん。
もう無理と言われてるのに、ワシのカキコを見るために、
がんばって生きてるんや。
その子との約束を守りたいねん。

ガン、治らんかな、奇跡起きへんかなと思ってカキコしてきたけど、
こんなことになって。ホンマ情けないわ。

でも、ワシ、かならず旅から帰ってくるで。待っててや。

ぴかぁ〜


869 :wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/10/16(月) 17:59:01
>868
それは事実なのか?

870 :考える名無しさん:2006/10/16(月) 18:00:59
ヒント:亀田

871 :wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/10/16(月) 18:03:58
>>868
もし、ネタでそういうカキコをするなら、本気でぴかぁ〜さんを撃つ。

872 :考える名無しさん:2006/10/16(月) 18:08:41
小3が哲学板を見るわけないじゃん

ネタなのはバレバレ

873 :wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/10/16(月) 18:18:17
>872
だね。
ぴかぁ〜さんを射つのも馬鹿馬鹿しくなった。

874 :ぴか〜スレ向上委員会:2006/10/16(月) 20:33:44
ん〜ん、ぴか〜氏、戦略が読めん

物語の創作に走るか?

875 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/16(月) 21:20:38
■ソウル(魂)とシステム

たとえばロックミュージックにおいて叙情とテクニックのジレンマがある。ビートルズ以来、テクノロ
ジーは飛躍的に向上し、ミュージシャンのテクニックも向上した。このような技術の面でいえばビート
ルズはいまのアマチアレベルにも劣る。しかしビートルズはいまも新たなファンを獲得しつづけてい
るし、多くのミュージシャンがめざす。すなわちここに技術に還元されないものがある。

たとえば好まれるメロディは技術に還元されるだろうか。そこにパターンを見いだしコンピュータでつ
くりだそうという試みもあるが、うまくいっていない。ここには意味論、クオリア論と同じ問題があるよ
うに思う。

そしてこれは心身二元論である。デカルトが身体を機械に例えたとき、すなわち要素に還元できると
考えたとき、それはまさに科学技術が力を持ち、世界を征服しはじめたときであり、それでも還元で
きないソウル(魂)残り続ける。科学が発達するほど核として残り続ける。なぜなら世界を還元したい
という欲望そのものが還元されないソウル(魂)だからだ。

たとえば消費社会においてターゲットはきまぐれなソウル(魂)である。いかにソウルに気に入られる
か。マーケティングはこのきまぐれをなんとか還元しようすと試みであり、ある部分で成功し、ある部
分で失敗である。そしてこの失敗が資本主義社会のダイナミズムになっている。市場経済は冷たい
機械システムではなく、ソウルを動力とする熱いシステムである。

資本主義で問題にされるのは格差である。しかし格差そのものが悪いわけではなく、格差の固定化
である。親の年収と子供の成績の高い相関が問題になっているが、冷たいシステムとして機能する
ことが警戒される。しかし反面、過剰なダイナミズムも問題とされる。あまりに流動性が高いと努力そ
のものが実らない。

876 :ぴか〜スレ向上委員会:2006/10/16(月) 21:42:37
なんだ、また自分探しの旅に出たのかと思ってたけどw
で今度は「自然」じゃなくて「魂=ソウル」ときたか

高い流動性化における自然=魂の純粋略奪が現在困難な状況だという認識で良いか?

877 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/16(月) 22:26:26
ネット上は高い成長性の世界である。次々と展開され、日々めまぐるしい変化がある。
ボクにとってはYouTubeの登場は予想外であった。
ネット上でこれほどはやく、動画が受け入れられるとは思っていなかった。
テキスト→画像→動画と情報量が大きくなる。そしてデータベース、検索として
扱いにくい。いまだに、画像、動画の検索は困難な領域である。
(画像につけられたテキストでなく、画像そのものを検索すること。)

だから、動画はエロを中心に楽しまれはするが、メジャーなものになるとは
思っていなかった。Winnyのように、テレビ、映画をソフトとして交換するということでなく、
動画そのものを楽しむということである。

しかし動画は本当にメジャーになったのだろうか。
その多くが、テレビからの切り取りではないだろうか。
動画そのものを創作することをまだまだマイナーなものではないだろうか。

すなわち悪名高きYouTubeの著作権の問題である。
YouTubeは確信犯である。著作権侵害は削除するといいながら、
対応できないこと知っていた。グレイゾーンにおいて、成長した。
Googleに回収され、YouTubeをつくった人々は多額の金額を手に入れた。
うまいぐわいに逃げ切った。たえず破綻すると言われ続けてきた。

動画ブームは、動画のメジャー化は幻ではないのか。
Googleは幻を捕まえたのではないのか。
本当の動画のメジャー化など、ないのではないか。
著作権を侵し続けることでしか、そしてグレイゾーン、アンダーグラウンドでしか、
継続されないのではないか。
Googleに管理されることで、虚像は消え去るのではないだろうか。




878 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/17(火) 13:56:16
ほんとうの自然とは外部であり、不確実で、調和不可能であり、地震、天災のように純粋な略奪とし
て、あるいは太陽の恵みのように純粋な贈与として到来する。そして決して機械決定論に還元され
ないカオスとして、循環論という内部に回帰する。一見、従順な姿で内部に入り込み、突然暴走する。

人は絶えずこの不確実な外部に晒され生きている。生きるとは、労働するとは、このような外部との
闘争、「自然主義的闘争」なのである。だから労働はこのような外部に対応するように、いいかげん
で、柔軟で、多様で、そして創造的であり、決して一元的に「価値」に還元することはできない。労働
とは欲望であり、価値そのものを作動する力である。だから価値には必ず「労働」が内在している。

879 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/17(火) 14:01:29
労働の本質とは純粋略奪の快楽です。労働とは欲望であり、誰もがみな労働を求めずにはおれない。

たとえばネット上でなぜにこれほど多くの無償の「労働」が行われるのでしょうか。
労働は対価よりも根源的であり、欲動(本能)的です。

880 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/17(火) 14:30:46
たとえば動物も労働する。なんのためにか、生きるためである。
生きるために、食料と安全を確保する。これが類的本質である。

しかしならば、動物に食料と安全を与えれば、充足するだろうか。
そう単純ではないだろう。それでも彼らは食料と安全を求め続けるだろう。
なぜなら彼らは、労働する機械だからだ。

881 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/17(火) 18:18:43
■本当にネット上で動画は受け入れられたのか

ネット上は高い成長性の世界である。次々と展開され、日々めまぐるしい変化がある。ボクにとって
はYouTubeの登場は予想外であった。ネット上でこれほどはやく、動画が受け入れられるとは思って
いなかった。テキスト→画像→動画と情報量が大きくなる。そしてデータベース、検索として扱いにく
い。いまだに、画像、動画の検索は困難な領域である。(画像につけられたテキストでなく、画像その
ものを検索すること。)

だから、動画はエロを中心に楽しまれはするが、メジャーなものになるとは思っていなかった。Winny
のように、テレビ、映画をソフトとして交換するということでなく、動画そのものを楽しむということである。

しかし動画は本当にメジャーになったのだろうか。その多くが、テレビからの切り取りではないだろう
か。動画そのものを創作することをまだまだマイナーなものではないだろうか。

すなわち悪名高きYouTubeの著作権の問題である。YouTubeは確信犯である。著作権侵害は削除
するといいながら、対応できないこと知っていた。グレイゾーンにおいて、成長した。Googleに回収さ
れ、YouTubeをつくった人々は多額の金額を手に入れた。うまいぐわいに逃げ切った。たえず破綻す
ると言われ続けてきた。

動画ブームは、動画のメジャー化は幻ではないのか。Googleは幻を捕まえたのではないのか。本当
の動画のメジャー化など、ないのではないか。著作権を侵し続けることでしか、そしてグレイゾーン、
アンダーグラウンドでしか、継続されないのではないか。Googleに管理されることで、虚像は消え去
るのではないだろうか。

882 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/17(火) 18:21:28
■労働する機械群

>>
ほんとうの自然とは外部であり、不確実で、調和不可能であり、地震、天災のように純粋な略奪とし
て、あるいは太陽の恵みのように純粋な贈与として到来する。そして決して機械決定論に還元され
ないカオスとして、循環論という内部に回帰する。一見、従順な姿で内部に入り込み、突然暴走する。

人は絶えずこの不確実な外部に晒され生きている。生きるとは、労働するとは、このような外部との
闘争、「自然主義的闘争」なのである。だから労働はこのような外部に対応するように、いいかげん
で、柔軟で、多様で、そして創造的であり、決して一元的に「価値」に還元することはできない。労働
とは欲望であり、価値そのものを作動する力である。だから価値には必ず「労働」が内在している。
<<

たとえばネット上でなぜにこれほど多くの無償の「労働」が行われるのでしょうか。労働は対価よりも
根源的であり、欲動(本能)的です。たとえば動物も労働する。なんのためにか、生きるためである。
生きるために、食料と安全を確保する。これが類的本質である。

しかしならば、動物に食料と安全を与えれば、充足するだろうか。そう単純ではないだろう。それでも
彼らは食料と安全を求め続けるだろう。なぜなら彼らは、労働する機械だからだ。すなわち労働の本
質とは純粋略奪の快楽である。労働とは欲動であり、誰もがみな労働を求めずにはおれない。

883 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/17(火) 18:44:44
>>2-   ■なぜ神話への熱狂は必ず回帰するのか
>>6-   ■熱い熱狂/冷たいアーキテクチャの二重構造
>>57-  ■「歴史の終わり」と回帰する熱狂
>>74-  ■「動物化」と「野蛮化」するポストモダン
>>92-  ■なぜグレイゾーンの全面は「動物化」し「野蛮化」するのか
>>134- ■「熱狂」に対抗することは可能か。
>>161- ■技術(テクネー)による熱狂と疎外
>>167- ■技術(テクネー)による熱狂とグレイゾーン化
>>216- ■フーコーと科学技術
>>228- ■フーコーの権力論とグレイゾーン

884 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/17(火) 18:46:14
>>236- ■反復可能性という「科学技術」の力
>>269- ■なぜ「熱狂」は語れないのか
>>295- ■なぜ「天然」は恐ろしいのか
>>296- ■熱狂生成装置
>>400- ■労働時間という「誰でも良い人」が資本主義を作動する。
>>408- ■刺激のインフレーションと感受性の向上
>>412- ■なぜ退屈なのか
>>425- ■労働の終焉
>>507- ■マルクスの労働価値はなぜ消失したのか
>>657- ■「あなたはなんのためならば死ねるか」

885 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/17(火) 18:46:57
>>715- ■「有用な労働」という血と肉(リアリティ)
>>760- ■ダリというフロイトとマルクスの交錯点
>>766- ■ビデオカメラに写った自分はなぜ気持ち悪いのか
>>784- ■集団の一部と、近代の部品化
>>796- ■なぜ人々は「マクドナル」へ行くのか
>>842- ■なぜ新書ブームなのか 認知限界社会

886 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/17(火) 18:47:29
>>847- ■なぜコミュニティは必要なのか
>>858- ■コミュニティはなぜ必要なのか その2 知識としての他者
>>875- ■ソウル(魂)とシステム
>>881- ■本当にネット上で動画は受け入れられたのか
>>882- ■労働する機械群

887 :考える名無しさん:2006/10/17(火) 19:30:00
kimoiキモイkimoi

888 :ぴか〜スレ向上委員会:2006/10/17(火) 21:17:46
何か書き込むかw
俺たちも純粋略奪のネタにすぎないってことだ

ネタ提供ってゆーか、ナルシズムってネットにおける「純粋略奪」だわな

889 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/18(水) 11:24:29
ではこのスレも残りわずかになりましたのでまとめに入りたいと思います。
このスレの中心のテーマはスレ題にもあるように「熱狂」です。
「熱狂」はほんらい語ることができません。それをいかに浮き彫りにするかということです。
そして二元論です。わたしはいつも二元論です。人間と動物、心と身体、そして熱狂と冷たいシステム。
何ヶ所かでフロイトとマルクスの対比を語りました。本来、簡単な二元論的対比にできない二人ですが、あえて二元論におとしこみました。
そのためもあり、各所でドゥルーズに近接しているのをみることができます。

890 :ぴかぁ〜 ◆.XMmzFBDM6 :2006/10/18(水) 12:42:54
このスレの山場は、最初にありました。
>>57 ■「歴史の終わり」と回帰する熱狂
ここで重要な構図を示しました。
「外部(環境)/グレイゾーン(技術)/内部(正義×公平)」です。
これも二元論(外部/内部)です。
近代を語るときに重要なのが、境界であるグレイゾーンです。
そしてまさに暖流と寒流が衝突するごとく、冷たいシステムが生成する熱狂の場です。

>>
グレイゾーン化とは、世界の不確実性を予測可能性へ転換すること、リスク管理することである。
特に近代以降、この還元性は「数量化」の徹底によって行われる。
グレイゾーン化は熱狂を生む。グレイゾーン化は、「自然」の開拓するのではなく、開拓される
「自然」(無垢)そのものを創造する。ここに開拓されるべき新たな自然があるという発見へ人々が向かう
熱狂である。そして熱狂と共に新たな人間像を提示する。
これは、グレイゾーン化される身体と、グレイゾーン化する心として示される。

>>167- ■技術(テクネー)による熱狂とグレイゾーン化
<<

そしてグレイゾーンを如何に語るかの思考が後半の課題になりました。

891 :wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/10/18(水) 15:10:35
糧を得る、にんげんの♂が♀に(またはその逆)LOVEを伝えたい、等々の衝動、目的意識等が生起するごとに、そのつど、はじめて、内部と外部、そしてその境界としてのグレイゾーンというものが意識されるのでしょうね。


892 :wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/10/18(水) 15:14:06
そういう境界は、ごくそく私的で個別的なものではあるが、人間一般に共通する構造として取り出そうとすると、いわゆる内部と外部、非対称性等という概念にくくられていくのでしょうね。

893 :wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/10/18(水) 15:16:10
その境界を乗り越えようとする衝動一般を、ぴかぁ〜さんは「熱狂」である、と書いておられるように読みましたが、誤読でしょうか?

894 :wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/10/18(水) 15:17:22
誤読ではない、とすると、あまりおもしろくないです。

895 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/18(水) 18:45:40
このような思考はわたしが見いだしものではありません。現代思想の臨界そのものです。
ポストモダンと言われるもの、あるいはシステム論と言われるものは、
この生成をいかにとらえるかの試行錯誤といえるでしょう。

たとえばフーコーの以下のよう文章を紹介しました。
>>228- ■フーコーの権力論とグレイゾーン

>>
事実は、それが、快楽と権力という二重の推力=衝動をもつメカニズムとして機能しているというこ
となのだ。質問し、監視し、様子を窺い、観察し、下までまさぐり、明るみに出す、そういう働きをする
一つの権力を行使する快楽がある。そして他方には、このような権力をくぐり抜け、その手を逃れ、
それをたぶらかし、あるいはそれを変装させてなければならない故に興奮するという快楽がある。
・・・権力を快楽の無限に繰り返される螺旋を張りめぐらしたのである。

法とは非常に異なる装置が、連鎖的なメカニズムの網の目によって、特殊な快楽の増殖と変種的な
性的欲望(セクシャリティ)の多様化を保障しているのだ。

「性の歴史T 知への意志」 ミッシェル・フーコー P58-63
<<

896 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/18(水) 18:46:23
ではグレイゾーンはいかようなものかが続く重要な点になります。
しかし容易にとらえられるようなものではないでしょう。
様々な記述の中で浮き彫りにするしかないでしょう。
その中でも、キーワードとして抽出されたのが「労働」です。

>>
ほんとうの自然とは外部であり、不確実で、調和不可能であり、地震、天災のように純粋な略奪とし
て、あるいは太陽の恵みのように純粋な贈与として到来する。そして決して機械決定論に還元され
ないカオスとして、循環論という内部に回帰する。一見、従順な姿で内部に入り込み、突然暴走する。

人は絶えずこの不確実な外部に晒され生きている。生きるとは、労働するとは、このような外部との
闘争、「自然主義的闘争」なのである。だから労働はこのような外部に対応するように、いいかげん
で、柔軟で、多様で、そして創造的であり、決して一元的に「価値」に還元することはできない。労働
とは欲望であり、価値そのものを作動する力である。だから価値には必ず「労働」が内在している。
>>537- ■マルクスの労働価値はなぜ消失したのか
<<

>>
たとえばネット上でなぜにこれほど多くの無償の「労働」が行われるのでしょうか。労働は対価よりも
根源的であり、欲動(本能)的です。たとえば動物も労働する。なんのためにか、生きるためである。
生きるために、食料と安全を確保する。これが類的本質である。

しかしならば、動物に食料と安全を与えれば、充足するだろうか。そう単純ではないだろう。それでも
彼らは食料と安全を求め続けるだろう。なぜなら彼らは、労働する機械だからだ。すなわち労働の本
質とは純粋略奪の快楽である。労働とは欲動であり、誰もがみな労働を求めずにはおれない。
>>882- ■労働する機械群
<<

897 :ぴか〜スレ向上委員会:2006/10/19(木) 21:03:17
「熱狂」ってのはフロイトで言えば感情転移の問題だけど
感情転移しない他者(統合失調)に対しては無力だよ

貴方自身そうだろ?「熱狂」してない、シラケてる

898 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/21(土) 17:38:12
>>
【福岡・中2自殺】 いじめ先生、精神的ショックで入院…厳しい抗議など3300件に

福岡のいじめ誘発した教諭が入院

・福岡県筑前町立三輪中学校2年の男子生徒(13)がいじめを苦に自殺した問題で、
 いじめを誘発する言動があった1年生時の担任で現在2年の学年主任を務める
 男性教諭(47)が、精神的ショックで入院したことが18日、分かった。
<<

社会的な教師イジメになってきましたね。
ヒステリックな状況においては、生け贄としての収束点が求められます。

899 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/21(土) 17:42:10
>>
【福岡・中2自殺】 「悪いことを言ってしまった」 複数の男子、遺族に謝罪…先生の言動がきっかけと話す生徒も
複数の男子生徒が謝罪 遺族に「悪いこと言った」

・福岡県筑前町でいじめを苦に自殺した中学2年の男子生徒(13)の父親(40)が21日
 未明に取材に応じ、遺族に謝罪に来た同級生らがいることを明らかにした。
<<

900 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/21(土) 20:44:12
>>
斉藤環

ユビキタス社会は無意識を二重化する。

無意識とは主体の代わりに判断をしたり欲望したり主体の気づかないところで主体の判断に影響を
与えたりするもの。ラカンは言語のシステム・象徴界が無意識であるとした。象徴界によって人間の
行動・欲望などは決定付けられるというのがラカンの理解。自分のコントロール下に置かれない何
かが作動し行動させられているという体験によって無意識は発見されてきた。

ユビキタス社会はこの無意識を別のロジックでシミュレートしてくれる面がある。自分にとって外在化
された主体らしきものが自分にいろんなことをしたりさせたりする。自分の代わりに判断してくれる主
体がでてくると、無意識と混同される形で二重化が起こる。


情報幻想:

すべての人間の行為・発言・思考・記憶は情報化可能という幻想(機械的因果律のみですべてが覆
えるという発想)。この幻想が広く共有されているのが現代社会。 この幻想に対抗できるものがある
とすればラカン的な倫理がある。

ラカンは「罪があると言い得る唯一のこととは、(中略)、自らの欲望に関して譲歩したことである」と
言っている。我々の欲望は最大公約数的な快感に代替されてしまっているところがある。我々はあ
るレベルの快適さを得ているが、本当にそれで満足していいのかという問い。そこで初めて平均化さ
れた快楽の中で自分の個別性が問われることになる。スマート化がもたらすものは「快楽(plasir)」。
緊張を解放する快感のレベルまではシステムが提供してくれる。ラカンはその先に「享楽
(juissance)」を見出す。それは苦痛も孕むが強烈な体験。そこにこそ個別性・固有性がある。「享
楽」は決してシステムは提供できないことを認識しておけば、自分の欲望が本当に満たされている
のかという懐疑は維持できる。

ttp://d.hatena.ne.jp/kwkt/20061017
<<

901 :考える名無しさん:2006/10/23(月) 12:07:06
>>898
生徒がひとり死んでるんだよ
「精神的ショックで入院」とあるが、これも嘘くさい

902 :考える名無しさん:2006/10/23(月) 12:28:05
>>898
>厳しい抗議など3300件に

抗議を受ける前にショックを受けろよな


903 :考える名無しさん:2006/10/23(月) 12:30:10
>>898
>社会的な教師イジメになってきましたね。
ヒステリックな状況においては、生け贄としての収束点が求められます。

生贄ではなく、氷山の一角
ぴかぁ〜の感性ってのはその程度のものかい?

904 :考える名無しさん:2006/10/23(月) 12:31:33
>903
その程度
だからぴかぁ〜の言葉は現実から乖離している

905 :考える名無しさん:2006/10/23(月) 13:22:14
哲学者たちのいかなる思考の軌跡も、ぴかぁ〜が媒体になると、マリオネットぴかぁ〜の言葉が踊り始める。

906 :考える名無しさん:2006/10/23(月) 13:25:08
>905
(文法直し)
哲学者たちのいかなる思考の軌跡も、ぴかぁ〜が媒体になると、マリオネットぴかぁ〜の言葉となって踊り始める。


907 :考える名無しさん:2006/10/23(月) 15:13:01
多かれ少なかれだけど、みんなマリオネットでいいんでねえの?


908 :wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/10/23(月) 15:23:59
ですね。

909 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/23(月) 22:51:56
「団塊の世代」の波

910 :考える名無しさん:2006/10/23(月) 23:08:39
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/psycho/1161504369/

911 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/24(火) 20:06:15
ボクが追い求めているものが「リアル」ということだと思う。
「リアル」とは「生きているという実感」ということだ。
こういってしまうととても浅い感じになってしまうが。

たとえば最近またイジメによる自殺が問題になっているが、
端から見ると、なにも死ななくても良いだろうと思ってしまう。
死ぬのならば、学校行かないとか、全然違う環境でやり直すとか、
いろいろやり方があるだろうにと。
でもその人にとってその状況はとても「リアル」なのだ。
他があるようには「疑い」えないほどに。

ボクがそれを「リアル」と呼ぶとき、そこには俯瞰するメタな視線がある。。
「リアル」とは、「これってリアルだなあ」という意味である。
すなわち「リアル」と呼ぶときにそこに「フェイク」が侵入する。

いわばこれは言葉そのものの力である。
そのことを口にするとき、すでに対象との距離がうまれている。
口にすると嘘になる。だから哲学とは嘘ごとである。
そして対象との距離が、治癒するのだ。
それを語れたとき、それは治癒され始めている時である。

しかしいくら語ろうが、「リアル」は回帰する。
そして「死」への入口を見せる。
決して「リアル」は語れないが、語りたいのだ。

912 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/24(火) 20:09:16
みんなにとって多くの中にただの一人が特別な人であるのはなぜか。
みんなにとってありふれたものが特別なものであるのはなぜか。
それが「リアル」である。

913 :考える名無しさん:2006/10/24(火) 20:11:55
◆リアル → 客観的世界観

◆アクチュアル → 個人的(主観的)世界観


914 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/24(火) 20:14:15
リアリティとリアルの違い(ラカン)

915 :カウンセラー:2006/10/24(火) 20:24:37
imaginary ⇔ real ≒ virtual ⇔ nominal ≒ supposed



916 :考える名無しさん:2006/10/24(火) 20:57:53
◆リアリティー → 客観的世界観

◆アクチュアリティー → 個人的(主観的)世界観



917 :◆m0yPyqc5MQ :2006/10/25(水) 01:47:13
 未だに頑張って居られますねwぴかーさん

僕は鍵という者です。

昔、哲学板で哲学していましたw

 大変博識なのは解るのですが、ぴかーさんの思想は一言でいえばどんなものなのでしょう。

今のところ僕のそれは『文明主義(civilizationism)』です。
人類が理想するのは文明化を施す為だ、という訳です。

918 :◆m0yPyqc5MQ :2006/10/25(水) 01:48:24
僕は『とある本棚』というblogを持ち始めました。

Googleで検索すれば出ます。
興味がある方は覗いてみても良いかもしれない。

919 :◆m0yPyqc5MQ :2006/10/25(水) 01:54:53
 僕が居た二三年前の昔から、
機械論者さんとぴかーさんとが、哲学板での最高峰の論客でした。

どうやら未だにその状況は変わっていないようですねw

 Sophiaさんという子が昔いたんです。
ぴかーばかとかいうスレッドに彼女も復活していましたw
 だから僕もちょっと帰ってきてみるか、という気になりました。

 ぴかーさんは憶えてないかもしれませんが、
以前、僕はあなたの造った雑誌的HPに芸術論を投稿したりしてましたよ。


 僕はあれからずっと文学板に居ついていました。
こちらよりは荒らしが優しく少なくて、居心地がよかったですのでw

920 :◆m0yPyqc5MQ :2006/10/25(水) 01:59:23
 何か機会があれば思索の成果を再び、
どこかこの板に書き込みするかもしれません。

そしたらよろしく。

ぴかーさんが頑張り続けていたことはやはり励みになりますよ。

僕も独学ですので。


 あとトリップはべつに、名前は時々変えると思うので、
カギじゃなくなっても怒らないでね。ばいばい

921 :◆m0yPyqc5MQ :2006/10/25(水) 16:40:32
 ぴかーさんは哲学徒というよりは批評家に近いのかもしれませんね。

己の思想を打ち立てるというよりかは、
たくさんの考えを消化・整理・最解釈するという作業がメインみたいだから。

922 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/25(水) 18:56:10
ボクが追い求めているものが「リアル」ということだと思う。
「リアル」とは「生きているという実感」ということだ。
こういってしまうととても浅い感じになってしまうが。

たとえば最近またイジメによる自殺が問題になっているが、
端から見ると、なにも死ななくても良いだろうと思ってしまう。
死ぬのならば、学校行かないとか、全然違う環境でやり直すとか、
いろいろやり方があるだろうにと。
でもその人にとってその状況はとても「リアル」なのだ。
他があるようには「疑い」えないほどに。

ボクがそれを「リアル」と呼ぶとき、そこには俯瞰するメタな視線がある。。
「リアル」とは、「これってリアルだなあ」という意味である。
すなわち「リアル」と呼ぶときにそこに「フェイク」が侵入する。

いわばこれは言葉そのものの力である。
そのことを口にするとき、すでに対象との距離がうまれている。
口にすると嘘になる。だから哲学とは嘘ごとである。
そして対象との距離が、治癒するのだ。
それを語れたとき、それは治癒され始めている時である。

しかしいくら語ろうが、「リアル」は回帰する。
そして「死」への入口を見せる。
決して「リアル」は語れないが、語りたいのだ。

923 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/25(水) 19:06:51
ここでいう「リアル」とは対象として現れるが、対象ではない。
決して埋まらない欠落である。

ボクはこのような「リアル」を記述したいという不可能性へ
投企している。

だから対象としての「リアル」は変化する。
そしてここ数年書いてきたテクストにリアルを感じなくなった
自分がいるのだ。



924 :考える名無しさん:2006/10/25(水) 23:12:12
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1161612166/l50
教育】 「ニートになるのは恐ろしいことだと思った」 女子中学生…カリスマ講師、「ニートの現実伝える」授業★3

925 :考える名無しさん:2006/10/25(水) 23:14:03
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E4%B8%BB%E7%BE%A9
ソ連型社会主義は、社会主義を無謬かつ絶対の真理として推戴し、
労働者を抑圧から解放するどころか、国民の人権・自由を抑圧し、
ここに「社会主義」・「共産主義」イコール「抑圧的な政治体制」
という現実ができてしまったのである。


926 :考える名無しさん:2006/10/25(水) 23:16:11
http://careermart-yamashita.at.webry.info/200605/article_4.html
仕事の理想と現実
<< 作成日時 : 2006/05/25 20:03 >>

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皆様こんばんわ。
株式会社キャリアマートの新人山下です。

私事ですが本日初売上!!
といきたかったところですが、あえなく失敗に終わりました・・。

売上を上げている同期もいます。
焦らないと言ったら嘘になります。
実際焦ります。
それ以上に悔しいです。へこみます。

それは同期に先を越されているからということではないです。
負け惜しみに聞こえるかもしれませんが・・。

何が悔しいかと申しますと、私担当の企業様にすごく行きたいと
強くおっしゃってくれている候補者の方が最終面接で落ちてしまった事。
最終判断は企業様にあるので仕方のないことですが・・。
自分は何も力になれなかった事が悔しいと感じました。
人の人生の転機に関わる仕事がしたいと思い飛び込んだこの業界。
今日、人の人生の転機に関わるということの重みに気づかされました。
今までは転機に関わることで、楽しいことばかり想像していました。
しかし、現実はつらいこともあります。
まだ、転職に関わることで楽しい・うれしいといった経験は数多くしていませんが
これからは数多くできるように頑張りたいと思いました。



927 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/25(水) 23:51:06
すなわち第二部の終焉ではないかと思います。
第一部 自然主義(生物論)→第二部 ポストモダン(欲望論)・・・
そしてあらたな「リアル」へ

928 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/25(水) 23:53:10
ではみなさんまたどこかでお会いしましょう・・・

929 :(o^-^o) ◆m0yPyqc5MQ :2006/10/26(木) 01:26:42
現象学初歩段階w

930 :第三の波平:2006/10/28(土) 12:08:28
■なぜ映画はおもしろくないのか

映画は「重い」

たとえば映画において、興行収入ラングは大きな意味を持ちます。多くの人は興行収入、あるいは
DVDランキングを重視しています。しかしたとえば書籍の場合はどうでしょうか。人々が本を買うとき
に、売上げランキングをそれほど重視するでしょうか。本の種類は多様です。小説でも、純文学、
SF、ミステリーなどなどこの差はメディアとしての「重さ」の違いにあります。

映画は「重い」のです。製作に大金がかかり、配給に大金がかかる。映画はマスメディアに大きく拘
束されてしまっています。だからボクたちに届く映画はとても限られています。ビデオを含めて様々な
映画が溢れていると考える人がいるかもしれません。しかしマスメディアが広告する数本の映画以
外の情報を入手するのはハードルが高い。

931 :第三の波平:2006/10/28(土) 12:09:06
「マクドナルド化」と「オタク化」の二極化

たとえばボクたちはマクドナルドへいくのはいつも安定したものを安定したサービスで得られるから
です。たとえば外国にいってマクドナルドへ行くとホッとする言われます。これは、「街のホッとステー
ション」というコンビニや、ファミレスも同じです。

情報化社会においては、ボクたちは様々な情報に溢れています。様々な選択を与えられ、自由度が
広がります。しかしこれは逆には、様々な選択を強いられる世界でもあります。だから自分に変わっ
てナビゲートしてもらえるサービスはとても有用です。社会の「マクドナルド化」はこのような意味があ
ります。そして映画ランキングも同様なナビゲート機能です。

情報化社会によって、選択の自由度が上がるとともに、選択のインフレーションが起こる。だから重
要なことは、まず何が「重要なこと」で、何が「重要でないこと」かの選択です。「重要なこと」は、自由
度活用し、情報を自ら探索し、楽しみます。すなわちオタク(マニア)化です。もう一方で、「重要でな
いこと」は、社会の「マクドナルド化」によってナビゲートされるままに、任せてしまいます。

932 :第三の波平:2006/10/28(土) 12:09:42
「マクドナルド化」された映画

映画で言えば、トップ10で映画を見るという「マクドナルド化」と、情報を収集し、トップ10に依存せ
ず映画を見るという「オタク化」の二極化が起こるのです。

映画は情報化社会において「重い」メディアなのです。映画「オタク」は一部であり、多くの人々は誰
にとっても安定しておもしろい「マクドナルド化」された映画を見るように操作され、疎外されてしまう。
そしてそれを喜んでいるのです。有名なスター、ジェットコースターのような刺激的な映像・・・さっと
いって、外れなくサクッと楽しめる映画。だからハリウッドは「マクドナルド化」されているのです。

933 :第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2006/10/28(土) 16:30:18
「マクドナルド化(マクドナリゼーション)」は、フォーディズムの延長上にあります。
フォーディズムによる大量生産は、製品、生産工程、そして労働力を規格化しました。
そしてさらには規格化された消費者を生みました。
規格化によって合理化し、低コスト化による豊かさを実現しました。

この延長上に、商品の規格化、サービスの規格に「マクドナルド化(マクドナリゼーション)」が
あります。すなわちソフトの規格化です。

たとえばマクドナルド化のひとつにディズニーランドがあります。規格化された娯楽です。
これらは、「テーマパーク化」です。マクドナルド、ファミレス、最近ではショッピングモールなど
単に食事、買い物するのでなく、買い物そのものを娯楽化(テーマパーク化)しています。

このようなソフトの規格化とは、コミュニケーションの規格化に繋がります。
マクドナルド化が動物化、他者回避と言われるのは、このためです。

このような規格化の潮流は、グローバル化に結びついています。
規格化された情報は、容易に伝達することができ、世界各地に広がって行きます。

934 :第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2006/10/28(土) 16:46:52
最近の格差社会もこの潮流の一部で考えることができます。
下層の大きな問題が、フリーターなどの非正社員による低賃金労働者の増加です。
彼らの多くが働いているのが、マクドナルド化された産業です。
マクドナルド化がより進んだ産業、ファーストフードなどでは、
労働が規格化され、労働者の代替が容易です。

かつてプロレタリアートの中心であった、工場労働者は、後進国で
まかなわれています。地球規模の「格差社会」が進んでいます。
それがマクドナルド化によるグローバル化の面の一つです。


935 :第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2006/10/28(土) 19:22:00
■なぜ映画はおもしろくないのか

映画は「重い」

たとえば映画において、興行収入ラングは大きな意味を持ちます。多くの人は映画を見るときに、興
行収入、あるいはDVDランキングを重視しています。たとえば書籍の場合はどうでしょうか。人々が
本を買うときに、売上げランキングをそれほど重視するでしょうか。

たかだがトップ10をもとに選ぶのでなく、近くの本屋に行って、純文学、SF、ミステリー、ノンフィク
ションなどなど自分の興味のある分野をみて回って探すのではないでしょうか。

この差はメディアとしての「重さ」の違いにあります。映画は、製作に大金がかかり、配給に大金がか
かります。テレビがただで見られる中で、お金を払って、映画館に人を集めるのは、大変なことです。

ビデオを含めて様々な映画が溢れていると考える人がいるかもしれません。しかし映画は広告に大
きく依存し、マスメディアが広告する数本の映画以外の情報を入手するのはハードルが高い。だか
らボクたちに届く映画はとても限られています。

936 :第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2006/10/28(土) 19:22:48
マクドナルド化という「低コスト化」

このような傾向は「マクドナルド化(マクドナルディゼーション)」と言われるものと関係しているでしょう。

「マクドナルド化」は、フォーディズムの延長上にあります。フォーディズムによる大量生産は、製品、
生産工程、労働力を規格化しました。規格化による合理化、低コスト化による豊かさを実現しまし
た。さらには規格化された消費者に繋がります。商品やサービスの規格化、すなわちソフトの規格
化によって「マクドナルド化」が進みます。

たとえばマクドナルド化のひとつの傾向として、ディズニーランドなどの規格化されたサービス商品
(娯楽)の提供が上げられます。マクドナルド、ファミレス、最近ではショッピングモールなど単に食
事、買い物するのでなく、買い物そのものが「テーマパーク化」しています。

すなわち規格化の一番のメリットは、様々な商品、サービスを、低コストで提供することにあります。
高級で庶民に手が入らない商品も、規格化し、大量生産することで、低コストで提供し、庶民も楽し
むことができるようになります。フォーディズムからマクドナルド化へは提供する商品をハードからソ
フトへの広げたと言えます。

937 :第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2006/10/28(土) 19:24:12
「マクドナルド化」という「とりあえず」

このような規格化の潮流は、グローバル化を支えています。規格化された情報は、容易に伝達する
ことができ、マクドナルドのように同じよう規格化されたサービス、商品が世界各地に広がって行きます。

ボクたちがマクドナルドへいくのはいつも安定したもの、サービスを得られるからです。たとえばなれ
ない外国にいってマクドナルドへ行くとホッとする言われます。これは、「街のホッとステーション」と
いうコンビニや、ファミレスも同じです。ここに「低コスト化」ともう一つのマクドナルド化が進む有効性
があります。

情報化社会においては、ボクたちは様々な情報に溢れています。様々な選択を与えられ、自由度が
広がります。しかしこれは逆には、様々な選択を強いられる「選択のインフレーション」が起こります。
ひとつひとつ、選択していくことは苦痛です。だから自分に変わってナビゲートしてもらえるサービス
はとても有用です。「マクドナルド化」はボクたちがなにをすべきかを提供してくれるのです。

「とりあえず」マクドナルドへ言っておけば、「とりあえず」ファミレスへいっておけば、「とりあえず」ディ
スニーランドへいっておけば、「とりあえず」トップ10の映画に言っておけば、ある程度の商品が提供
されるだろう、ということです。

マクドナルド化が動物化、他者回避と言われるのはこのためです。情報にナビゲートされることで、
他者とコミュニケーションは必要とされません。どこ店にいく、どこに遊びにいくことに悩み、他者に相
談する必要はありません。マクドナルドに行って、規格化されたサービスを提供する店員と、決まっ
たコミュニケーションを行うだけです。

938 :第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2006/10/28(土) 19:24:55
「マクドナルド化」と「オタク化」の二極化

ここで重要なことは、人は情報化社会の中で、ただマスメディアにナビゲートされる「とりあえず」な受
動的存在だけではないということです。そこに満足することはできないだけでなく、「とりあえず」を支
えるのは「ゆずれない」ことの存在です。

だから情報化社会の「選択のインフレーション」でまず重要な選択は、何が「重要なこと」で、何が「重
要でないこと」かの選択です。

情報化社会において、ほとんど多くのことは「重要でないこと」に分類され、社会の「マクドナルド化」
によって、ナビゲートされるままに任せて、「とりあえず」満足することを求めます。そして多くの選択
を「重要でないこと」とするのは、一部の「ゆずれない」「重要なこと」に労力を割くためです。たとえば
父親なら仕事であったり、母親なら家族であったり、子供ならばオタク的趣味であったり、自らのアイ
デンティティを支えるものです。

このような傾向は、映画で言えば、有名なスター、ジェットコースターのような刺激的な映像で、トップ
10に入るハリウッド的映画を、外れなくサクッと楽しむ「マクドナルド化」した映画の楽しみ方と、むし
ろトップ10に依存せず、積極的に様々な情報を収集し、映画を楽しむ映画マニア(オタク)の二極化
です。

そして映画は「重い」メディアである故に、マクドナルド化しやすいのです。俗に言う「ハリウッド映画」
は規格化、グローバル化されたまさにマクドナルド化そのものです。

939 :第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2006/10/28(土) 19:25:30
「夢さえあれば貧しさも苦でない」

最近の格差社会もマクドナルド化の流れで見ることができます。問題になっているのは、フリーター
などの非正社員による低賃金労働者という下層の増加です。そして彼らの多くが働いているのが、
ファミレス、コンビニなど、マクドナルド化が進んだ産業です。労働が規格化され、労働者の代替が
容易です。

そして彼ら「下層」がそのような状況に怒らないのは、自らそれが「重要でないこと」と分類しているか
らです。「重要でないこと」は「とりあえず」ナビゲートに従う。それは、「ゆずれない」「重要なこと」を
行うためです。「夢さえあれば貧しさも苦でない」ということです。ただこれは、彼らが明確な「夢」を
もって、目指しているということではありません。たとえば正社員になって生活が安定することは、
「「重要なこと」を選択すること」を捨てることです。

マクドナルド化された社会では、ほとんど多くのことは、誰もが「とりあえず」同じように楽しむことが
できるのですから、彼らにとって、重要なことは、「重要なこと」がなにかでなく、「重要なこと」を選択
しているという状況にいることなのです。

940 :第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2006/10/28(土) 20:23:44
「マクドナルド化」の主体とは、経済学的主体である。物質的な利益を目指し行為する功利主義的な
主体、より安定して生存し、子孫を増やすことを目的にする動物的な主体である。そしてマクロ的な
個体であり、統計学的に扱われる。

それに対して、「オタク化」の主体は、社会的的主体である。自己のアイデンティティ、生き甲斐を目
指して目指して行為する欲望論的主体である。そして統計的に扱われることを妨げるミクロ的な主
体である。

941 :第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2006/10/28(土) 22:01:12
アイデンティティの情報化

情報化社会では、多量の情報量から、選択のインフレーションが起こり、選択することが苦痛になり
ます。だからなにを選択するかの選択が行われ、「重要でないこと」は「とりあえず」マクドナルド化に
依存します。たとえば映画を見るとき、トップ10を重視する傾向にマクドナルド化が見られます。

そして人は「とりあえず」だけでは生きられず、オタク化という「ゆずれない」を担保にしています。そ
れは情報化されないような「私」に繋がっています。「とりあえず」のマクドナルド化と「ゆずれない」の
オタク化という二極化を示しました。

現代の情報化社会はさらに進んでいます。最近、「グーグル」や「アマゾン」などで行われているの
は、より高度なナビゲーションシステムです。アマゾンでは検索すると、「あわせて買いたい」、「この
商品を買った人はこんな商品も買っています」というようなナビゲーションを行います。 すなわちナビ
ゲーションは、「とりあえず」でなく、より「ゆずれない」部分に近接しています。

映画の例で言えば、トップ10から選ぶのでなく、「あなたが楽しめるのはこのような映画だ。」とナビ
ゲーションしてくれるということです。いわば、アイデンティティの情報化です。オタク化にかわり、高
度な情報のナビゲーションが、「私」を証明してくれる、ということです。

942 :第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2006/10/28(土) 22:21:58
「グーグル・アマゾン化する社会」

しかしたとえば「グーグル・アマゾン化する社会」森健で示されているのは、異なった様相だ。ネットに
は膨大かつ多様な情報があるにも関わらず、アクセス数の多いサイトや売れ筋の本は一極集中す
る傾向があるということである。ネットというより多くの自由な選択にかかわらず、結局、人々は同じ
ものを選択する。

さらに、グーグルの問題として言われているのが「グーグル八分」の問題である。意図的にグーグル
から排除されると、ネット上にないに等しい状況になることが問題なっています。それと同時に、グー
グルの検索において、上位にヒットされることが重要になる。なぜなら人々は上位のものしか、眼を
通さないからだ。

結局、ここで起こっていることは、マクドナルド化の時と変わらないのではないだろうか。グーグルな
どのナビケーション機能の高度化以前に、ネット社会はさらに情報量を増やし、「選択のインフレー
ション」をより増大させ、「とりあえず」することを望んでいる。

>>
情報化社会においては、ボクたちは様々な情報に溢れています。様々な選択を与えられ、自由度が
広がります。しかしこれは逆には、様々な選択を強いられる「選択のインフレーション」が起こります。
ひとつひとつ、選択していくことは苦痛です。だから自分に変わってナビゲートしてもらえるサービス
はとても有用です。「マクドナルド化」はボクたちがなにをすべきかを提供してくれるのです。

「とりあえず」マクドナルドへ言っておけば、「とりあえず」ファミレスへいっておけば、「とりあえず」ディ
スニーランドへいっておけば、「とりあえず」トップ10の映画に言っておけば、ある程度の商品が提供
されるだろう、ということです。
<<

943 :第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2006/10/28(土) 23:11:11
「Google教」という「ゆずれない」

「マクドナルド化」と「オタク化」の二極化は、「オタク化」は「グーグル化」の高度なナビゲーションに取
り込まれるのでなく、「グーグル化」と「オタク化」として二極化が継続されます。では「オタク化」という
「ゆずれない」はどこへ向かうのか。

「ウェブ進化論」は大きな反響を呼びました。ボクはここで語られる熱狂を「機械論の欲望」と呼びま
した。YouTube買収など、「グーグル神話」は、いまもネット上で熱く語られている。逆説的ですが、ま
さにこのネット上の熱狂が「ゆずれない」ということです。

「オタク化」は、ネット上で様々なコミュニケーションによって触発され、より熱狂的に、狂信的に、ムラ
社会的に加速されています。まさに「Google教」であり、「Googleマニア」もその一部なのです。

>>
ヤフーのように人間を介在させて判断を曖昧に、臨機応変に行うのに対して、グーグルが限りなく
「「人間の介在」なしに自動的に事を成していくという」ときに、プログラム化できない残余が残るとい
う。それは倫理的な、あるいは思想的な、政治的な問題、すなわち欲望の次元が残るでしょう。

たとえば、「テクノロジーで世界を語り尽くす」という欲望は、テクノロジーで語り尽くせないだろう。そ
れはプログラム化するにして、誰かが判断するにしろ、その純化された「欲望」こそが「グーグル」で
ある、ということです。グーグルのテクノロジー至上主義は逆説的に、いままでのIT企業の中でももっ
とも欲望的である、ということです。

Googleはなぜ「世界征服」をめざすのか ttp://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20060213
<<

944 :第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2006/10/28(土) 23:34:21
>>
合理化(計算可能性(数量化)、予測可能性、効率化、制御)

@フォーディズム→Aマクドナルド化→Bテーマパーク化→Cグーグル化→DWeb2.0

@ 製品−生産工程−技術−労働力
A 流通−商品−サービス
B 趣向(快感)
C 情報
D コミュニケーション
<<


945 :第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2006/10/29(日) 01:28:47
規格化と熱狂

これらに示した流れは、近代的な合理化の流れとして見ることができるのではないでしょうか。「規格
化」と「熱狂」の関係です。ここでいう「規格化」とは経済学的なものです。市場経済と結びつき、利益
追求を目的とします。「熱狂」は社会学的なものであり、コミュニティと結びつき、自己のアイデンティ
ティの獲得を目的とします。 

大まかにいえば、人々の「熱狂」を規格化することで安価に商品化し、市場経済へ流通させます。そ
して熱狂はたえず規格化から逃げ続け、規格化は追いかけるます。それが「快楽と権力の二重螺旋
構造」です。

946 :第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2006/10/29(日) 01:29:39
合理化の歴史

>>
合理化の歴史

フォーディズム・・・製品−生産工程−技術−労働力
マクドナルド化・・・流通−商品−サービス
テーマパーク化・・・快感
グーグル化・・・情報
Web2.0・・・コミュニケーション
<<

フォーディズムにおいては、物的商品を提供し、それに満たされると人々は付加価値、刺激(快感)
を求めます。マクドナルド化では、付加価値、サービス、そしてテーマパーク化では快感を商品として
安価に、大衆に提供します。グーグルではネットに無秩序に溢れる情報を整理して、商品化して提
供します。

そしてWeb2.0という新たな流れでは、コミュニケーションを商品化しようとしています。たとえば2ちゃ
んねるはコミュニケーションの巣窟ですが、商品としては、荒削りで粗雑です。だからmixiなどのSNS
やブログなどでは、安心、整理(検索)のサービスとともに商品化し提供しようということです。

947 :第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2006/10/29(日) 01:30:40
経済学的には、人は規格化され、全体の一部として扱われることで、安価に商品を共有されることを
望みます。しかし社会的には、人は規格化され、同質に扱われることを嫌い、他者との違う自分だけ
のものを求めます。

これは近代の合理化であり、資本主義社会を作動させている動力ということができるのではないで
しょうか。


948 :第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2006/10/29(日) 17:28:53
人が生存するために最小限必要なこと、衣食住のために行われる労働は、
効率化によってわずかな労力しか必要としなくなった。
この少ない労働であとはのんびり過ごすことはできないのか。

たとえばパソコンの能力は格段に進歩したが、むしろ以前よりも重い。
それにあわせてソフトが重くなっているからだ。
しかしソフトをバージョンアップしなければ企業は成長できない。
さらに人々は必要かどうかでなく、ただ新たなものを望んでいる。これは広告の効果だろうか。
企業が、マスコミが新製品への期待をあおり、人々の欲望を刺激しつづけているのだろうか。
この資本主義そのものが、立ち止まると死ぬシステムなのだろうか。

949 :第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2006/10/29(日) 17:39:59
経済学的主体を考える場合に、衣食住のような生存の安定性を
目的とするのは、必ずしも正しくない。
それは、近代以前の人々も、さらには動物でさえ同様である。

近代以降の経済学的主体とは、生存の安定からお金を増やすこと
そのものを目的化した主体であるとともに、さらに資本の自律的な
動き、システムに受動的なならざる終えない人たちである。

数量化された価値は、広域に、高速に伝達可能な情報として、
強力な力としてシステムを形成している。
そこではもはや生存の安定、お金を増やすことのような
主体性は必ずしも重要ではなくなっている。


950 :第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2006/10/30(月) 11:10:02
■人類がのんびり生きることは可能か

終わりなき欲望

人が生存するために最小限必要なこと、衣食住のために行われる労働は、効率化によってわずか
な労力しか必要としなくなったし、わずかな労働であとはのんびり過ごすことはできないのだろうか。

たしかにいまの科学技術なら、最小限必要なこと衣食住+医療+教育の確保は、それほど難しくな
いかもしれない。だから原理的には、経済の低成長によるのんびり世界は可能かもしれない。

ただ実際それを行うには、いかに経済活動を調整するかが問題になる。政治的な強制が必要にな
る。いまの自由主義から、共産主義などへのシフトのように。そして政治的なコントロールが難しい
のは、共産主義、保護主義で実証済み。「生き物のような」経済をコントロールするのは困難。また
政治家の力が強くなりすぎて、北朝鮮のような独裁に向かってしまう。

「生き物のような」とは、創発性ということができるだろう。この動力の一つが欲望である。人間は衣
食住だけでは満足できない。ヘーゲルがいったように、衣食住の充足は動物的な欲求であって、人
の欲望には終わりがない。現代では付加価値、さらには娯楽など無形財に多くのお金をかけている。

951 :第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2006/10/30(月) 11:11:35
回り始めた歯車は誰にも止められない

さらには、自由市場経済というのは、世界の金持ち500人の資産計が、残りの人類の資産計よりも
多いという超格差世界だが、一部の金持ちの陰謀というよりも、回り始めた歯車は、もはや誰にも止
められない、ってことではないだろうか。人の終わりなき欲望さえも、回り続ける歯車による受動的な
ものでしかないのかもしれない。

活発なコミュニケーションが行われる環境があり、貨幣という量的価値が高速で飛び交い、創発的
に活動、成長する。このシステムの中では、「これがほしい」という欲望さえ、受動的な疎外された存
在であり、あるのは欲動としての力動、ドゥルーズのいう「欲望する機械群」のみである。


歯車の限界

しかし回り続ける歯車にも様々な限界が見え始めているのも事実。環境問題、人口問題、高齢者問
題。あるいは最近のテロの問題も、世界的な格差を元にするという意味で関連するかも。世界人口
予測は様々にされているか、2050年当たりで、高齢化、出産率の低下などにより、減少に転じると
いう予測がある。

産業革命以後の、経済成長、人口増加の爆発的増加も一つの現象であり、長期的には穏やかなも
のになるのかもしれない。そのときには、格差社会が継続するのか、穏やかな自由主義になるの
か、管理社会になるのか、マルクス的なアソシエーション社会になるのか。

952 :第三の波平:2006/10/30(月) 12:13:30
なぜ少子化がおこるのかといえば出生をコントロールするからだ。経済的質を保つために。
明るい家族計画は、豊かさを享受しつづけるためには重要なファクターである。
さらには明るい人生設計には結婚さえ重要度が下がる。
たとえば老後において、子供、妻さえ保障にならない。お金の方が安心とさえいえるだろう。
たとえば格差調査において低所得ほど結婚していないというデータがあるが、
お金がないからもてない、結婚してもらえないといえるが、
結婚しないならお金はいらないともいえる。


953 :第三の波平:2006/10/30(月) 12:26:11
趣味にいきる、やりたいように生きる。結婚、家庭など社会制度に縛られたくない。価値の多様化である。
このような自由度を支えているのが、経済システムである。
社会的な秩序に依存しなくとも経済システムに従えばある程度のことは保障される。
そして経済システムの拘束はゆるく労働と消費という身体を提供するだけで、
誰であるか、なにを考えているかなど趣向には干渉しない。

954 :考える名無しさん:2006/10/30(月) 12:26:50
しかし、出生を調整するならば、経済的な効果が望めるのか。
子供の養育費はもちろんかかるだろうし、稼いだものは子供のものに
なる。子供は家庭における収入源にはならない。
むしろ、節制という考えから、出産の調節が起こると考える。収入の
全てを考えたら、なるべく減らさない道を考えるのであり、子供は大部分
を注がなければならなくなるので、生活が先細る道に進みたくない。
子供がいると、教育する楽しみがある。将来どのような道に進むのかはま
だ知る由もないけれども、私の教育から、子供が育つのである。
何故なら、親は子供の性格の形成に影響する躾をするからであり、将来に
多大に左右するのである。
だから、私の人格の写しを与えるということから、子供は増えると考える。

955 :第三の波平:2006/10/30(月) 12:34:10
現代の下流には、社会秩序への帰属を放棄した記憶がある。
たとえば学生時代に勉強しなかった、社会に反抗した、またひきこもりなど学校を放棄したなど
それらは拘束のゆるい経済性へ依存を意味する。
彼らが怒らないのは、いまさら所得が低いと文句をいう筋合いではない。
文句をいう関係を放棄したのだ。という考えがあるのかもしれない。

956 :考える名無しさん:2006/10/30(月) 12:59:06
何故なら、それは同時に社会的な要求の流れを拒否することになるからである。
帰属の放棄をしたとしてもしようがない考えるのである。
もし強引に社会に帰属させようとするなら、教育に資金をつぎ込もうという流れ
もせき止めなければならないのだ。別に、お金をもう出さないのは親が破滅させ
ようというのではないのである。
しかし、親が養育を考えて進学をさせたのである。確かにその成果は芳しくなか
ったかもしれないけど、人並みの生活はして欲しい。教育が必ずしも社会の帰属
が強固であって、生活をするという訳ではない。人並みの生活はして欲しいけれ
ど、帰属はしなかったということなのだ。社会に帰属しても、会社にも行かずに
自宅で暇を潰す社員もいますから、遠からず上手くいかない人もいるのです。
もし、子供に任せないなら、親の立場だけを考えてむなしくなるよりは、落ち度
はあったかもしれないけど、それなりの結果が出たと考えたいのである。

957 :第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2006/10/30(月) 13:02:22
>>954
子供は一つの「楽しみ」だ。ということでしょうか。しかし子供が「楽しみ」の
次元に落ちるとき、まさに少子化は起こるのでしょう。
人生の楽しみは「子供」だけではない。たとえば、ミームという考え方があります。
育て、育てられ、人格の写しとなるのは、子供である必要はない。
そして子供が、人生の「楽しみ」の次元になるときに、人生をいかに楽しむかの
調整が行われ、少子化が起こるわけです。

958 :第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2006/10/30(月) 13:10:52
経済システムの拡大と社会秩序の弱体

なぜ少子化がおこるのかといえば出生をコントロールするからだ。経済的質を保つために。「明るい
家族計画」は、豊かさを享受しつづけるためには重要なファクターである。さらには「明るい人生設
計」には結婚さえ重要度が下がる。たとえば老後において、子供、妻さえ保障にならない。お金の方
が安心とさえいえるだろう。たとえば格差調査において低所得ほど結婚していないというデータがあ
るが、お金がないからもてない、結婚してもらえないといえるが、結婚しないならお金はいらないとも
いえる。

趣味にいきる、やりたいように生きる。結婚、家庭など社会制度に縛られたくない。価値の多様化で
ある。このような自由度を支えているのが、経済システムである。社会的な秩序に依存しなくとも経
済システムに従えばある程度のことは保障される。そして経済システムの拘束はゆるく労働と消費
という身体を提供するだけで、誰であるか、なにを考えているかなど趣向には干渉しない。

959 :第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2006/10/30(月) 14:40:20
■人類はなぜのんびり生きることができないのだろうか

経済調整の難しさ

人が生存するために最小限必要なこと、衣食住のために行われる労働は、近年の効率化によって
わずかな労力しか必要としなくなったし、わずかな労働であとはのんびり過ごすことはできないのだ
ろうか。

たしかにいまの科学技術なら、最小限必要なこと衣食住+医療+教育の確保は、それほど難しくな
いかもしれない。だから原理的には、経済の低成長によるのんびり世界は可能かもしれない。

ただ実際それを行うには、いかに経済活動を調整するかが問題になるだろう。政治的な調整が必要
になるが、過去の共産主義、保護主義で実証さらているように「生命群のようにうごめく」経済をコン
トロールするのは困難である。多くにおいて、また政治家の権力が強くなりすぎて、たとえば北朝鮮
のように人民は疲弊し、独裁に向かってしまう。

960 :第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2006/10/30(月) 14:40:54
回り始めた歯車は誰にも止められない

「生命群のようにうごめく」とは、創発性ということだが、この動力の一つが欲望である。ヘーゲルが
いったように、衣食住の充足は動物的な欲求であって、人間は衣食住だけでは満足できない。人の
欲望には終わりがない。現代では付加価値、さらには娯楽など無形財に多くのお金をかけている。

自由市場経済というのは、世界の金持ち500人の資産計が、残りの人類の資産計よりも多いという
超格差世界だが、一部の金持ちの陰謀というよりも、人々の欲望が混沌とし、経済という「うごめき」
が生まれている。このように回り始めた歯車は、もはや誰にも止められない。

活発なコミュニケーションが行われる環境があり、貨幣価値化された数字が高速で飛び交い、創発
的に活動、成長する。「これがほしい」という欲望さえ、受動的な疎外された存在であり、あるのは、
ドゥルーズが「欲望する機械群」という欲動としての力動とシステムのみである。

961 :第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2006/10/30(月) 14:41:29
経済システムの拡大と社会秩序の弱体

なぜ少子化がおこるのかといえば出生をコントロールするからだ。経済的質を保つために。「明るい
家族計画」は、豊かさを享受しつづけるためには重要なファクターである。さらには「明るい人生設
計」には結婚さえ重要度が下がる。たとえば老後において、子供、妻さえ保障にならない。お金の方
が安心とさえいえるだろう。たとえば格差調査において低所得ほど結婚していないというデータがあ
るが、お金がないからもてない、結婚してもらえないといえるが、結婚しないならお金はいらないとも
いえる。

趣味にいきる、やりたいように生きる。結婚、家庭など社会制度に縛られたくない。価値の多様化で
ある。このような自由度を支えているのが、経済システムである。社会的な秩序に依存しなくとも経
済システムに従えばある程度のことは保障される。そして経済システムの拘束はゆるく労働と消費
という身体を提供するだけで、誰であるか、なにを考えているか、何がほしいかなど趣向には干渉し
ない。

そもそも明確にやりたいことがある必要などない。ただ「欲望する機械群」としての動力が想起され
ていることだけが重要なのであり、経済システムの歯車の中で、欲望の対象はいくらでも作り出され
続ける。

962 :第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2006/10/30(月) 14:42:34
人類の成熟期

しかし回り続ける歯車にも様々な限界が見え始めているのかもしれない。環境問題、人口問題、高
齢者問題。あるいは最近のテロの問題も、世界的な格差を元にするという意味で関連するかもしれ
ない。世界人口予測は様々にされているか、2050年当たりで、高齢化、出産率の低下などにより、
減少に転じるという予測がある。

産業革命以後の、経済成長、人口増加の爆発的増加は「人類の青年期」的な一つの現象であり、
長期的に人類は成熟期をむかえ、動力としての欲動は弱まる。そして自然にゆるやかな経済成長
の世界に向かう、のかもしれない。そのときには、さらに格差社会が継続される、管理社会になるの
か、マルクス的なアソシエーション社会になるのか。

おわり

963 :第三の波平:2006/10/30(月) 15:39:37
ハウマッチ?
これより的確で早いコミュニケーションはあるだろうか?

964 :考える名無しさん:2006/10/30(月) 20:09:56
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061030-00000005-yom-bus_all

先進国の「ニート率」13%…ILO調査

 【ジュネーブ=渡辺覚】国際労働機関(ILO)が30日公表した若年層(15〜24歳)の雇用情勢報告によると、日本、米国、欧州連合(EU)などの先進国では昨年、就職も進学もしない「ニート」の比率が13・4%に達したことが明らかになった。

 海外でも、ニートの増加が大きな社会問題となっている模様だ。

 ILOによると、世界の若年失業率は13・5%、実数で約8500万人に達する過去最悪の水準だ。若年失業者は10年前に比べて約15%増加しており、労働人口全体の失業率6・4%の2倍を超えている。

 ニート問題が最も深刻なのは旧ユーゴスラビアを含む中東欧地域で、若年層の33・6%が該当する。



965 :第三の波平:2006/10/31(火) 16:18:23
ラカンをもとにカラ谷が示した、資本−国家−ネーションの関係は、近代化において意味がある。
これは経済学−政治学−社会学という近代化の中で分離された学問分野にも対応する。

966 :第三の波平:2006/10/31(火) 16:26:44
たとえば経済学批判として主体は功利主義的な単位に還元される。そのために特に経済の動力であるはずの消費への欲望が欠落する。
人は使用価値の最適化をもとめて消費をしない。もっと心理的であるというわけだ。
このような大衆の心理的な欲望は社会学の分野となり、切り離される。
そして最近ならば格差問題の場で、衝突する。功利的主体による統計学により、切り捨てた人々を、心理的主体を分析する社会学が養護する。

967 :第三の波平:2006/10/31(火) 16:38:10
しかしこのような経済学批判はある意味、意味がない。世界は経済学的法則で扱うにはあまりに複雑だ、といってみたところでなんの意味があるだろう。
だから経済学と社会学は分離されているのである。

貨幣価値の差異の体系と言語の差異の体系である。


968 :考える名無しさん:2006/11/01(水) 08:17:29
崇高なるいじめられ死

969 :第三の波平:2006/11/01(水) 12:29:32
テクノロジーの発展をみるとたとえば古典物理学のように近似的な数学、方程式による基礎があり、
基礎の厳密化、たとえば統一理論の限界にむかう。ここで登場するのが言語である。
数式であらわせない、視覚的に理解できない複雑さをことばで説明する。
次にコンピューターによる繰り返し計算の高速化、低コスト化の中でより細部なシミュレーション化が起こる。
数式法則→言語→シミュレーション
この流れはさまざまな学問で対応される。

970 :第三の波平:2006/11/01(水) 12:38:51
現象を単純な法則に還元する。
言語であらわす。
シミュレーション

たとえば消費では貧しければまず明確にほしいものある。人間は功利的法則に近づく。
しかし豊かになると次第に欲望は発散し、抽象的、あいまいに記号化する。
つぎに計算により、自分ではわからないものがシミュレーションされ与えられる。


971 :第三の波平:2006/11/01(水) 12:45:49
はじめが功利主義
つぎがボードリヤールのいう記号消費であり、構造主義、規律訓練型
次がシステム論、生管理に対応する。
マクドナルド化ではあった記号消費、すなわちアメリカを消費するものは、最近のグーグル化ではない。
グーグルのブランドに関係なく、ただ適切なナビゲートを望んでいる。


972 :第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2006/11/01(水) 13:05:08
シミュレーションの問題はパラダイムシフトを扱えないこと、結局初期設定内にしか変化しないことだ。
変化のダイナミズムは生まれない。
グーグルなどが新たにめざすウエブ2の方向は自律的に構造化することだろう。
場と小さな管理で手の中でダイナミズムを起こすことだ。
たとえば2ちゃんねるはウェブ2か。まったくの無法地帯ではないが、管理度は低い。
サービスとしては質が悪いか、その自由度とダイナミズムが魅力である。
ミクシィは管理度が高く、サービスの質がよい。


973 :第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2006/11/01(水) 13:16:45
たとえば今知りたい情報を提供するとき、その道のプロの感、すなわち言葉でよいかもしれないが、
多くにおいて根拠なく記号的になる。
あるいはマーケティングによりシミュレーションすることも可能だろう
しかしネットで起こっているのはまさに自律的に知りたい情報が立ち上がる現場である。
2ちゃんねる、ブログ界隈で知りたい人々が集まり、話題が飛びかう。
これをサービスとして、商品化するのがウェブ2である。提供するのは適度に管理、整備された場である。


974 :第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2006/11/01(水) 13:20:22
ユーチューブ買収は場そのものの買い物である。管理が悪い場を管理し提供することになるだろう。

975 :第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2006/11/01(水) 13:33:27
最近、メーカーのSNSができたしているが、単なるマーケティンズ調査でなく、
場においてコミュニケーションを楽しむ中で次のブームを作っていくということだ。
現に2ちゃんねるのニュースサイトの反響は世論の一部としてマスメディアなどを経由し、社会に影響を与えている。


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