2ちゃんねる ★スマホ版★ ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50  

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

ルサンチマンから解放されたい

1 :考える名無しさん:2006/07/25(火) 23:17:47
いつまでもいつまでも、
こんなもんに縛られているのはご免だ。
どうにかしようじゃないか。

2 :tar:2006/07/25(火) 23:23:29
ルサマンチン

3 :tar:2006/07/25(火) 23:25:49
あ、やべ。
下ネタだから名前消そうかと思ったのに。

4 :考える名無しさん:2006/07/25(火) 23:37:58
2chはルサンチマンの巣窟だからなあ。



5 :考える名無しさん:2006/07/25(火) 23:42:27
空想上の復讐でもなく、追い立てられるままに力を欲するでもなく、
欲求不満を無視した正当化でもない、真の解放を生み出す素晴らしい理論はないものだろうか…。

6 :考える名無しさん:2006/07/25(火) 23:47:29
キリスト教は「右の頬を打たれたら左の頬をさしだせ」と、復讐の禁止と無償の愛を説く。
ニーチェの思想はこれと反対なわけだから、復讐しろ、敵は憎めと説いているのだろう。
つまり、人に危害を与えれても自分が悪いと思ってしまうことがルサンチマンだ。

7 :考える名無しさん:2006/07/25(火) 23:55:39
そもそも他人の痛みなんてものは錯覚でしかないのにな。
厳密にいえば。

8 :大人の知恵:2006/07/25(火) 23:58:41
どんな輝かしいものも結局滅ぶのさ、と悟ればよい。
どんなにたまらない快楽・すばらしい満足を味わっている人も、最高潮の時が過ぎれば単なる欲求不満に戻るのだ、と知れ。
欲望は絶対に完全に満たされることはない。
欲を捨てると、平穏、なんかいい感じ、が訪れる、と知れ。
コダワリ捨てた俺は気楽でいいな、と言えるくらい脱力せよ。

これらが信じられないのなら、欲望に翻弄され、嫉妬と戦っていくしかない。



9 :考える名無しさん:2006/07/26(水) 00:03:11
>>6
ルサンチマンってこういうことじゃないの?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%9E%E3%83%B3


10 :考える名無しさん:2006/07/26(水) 00:11:26
安定剤を飲もう

11 :考える名無しさん:2006/07/26(水) 00:13:00
なんか6の解釈も8の大人の知恵とかいうのも
ちょっと違う気が、、、

12 :考える名無しさん:2006/07/26(水) 00:14:36
6の解釈はナチスっぽいし
8は禅宗っぽい。

13 :考える名無しさん:2006/07/26(水) 00:17:35
 ルサンチマンは「怨恨」ではない。
「右の頬を打たれたら左の頬を打たれろ」とキリスト教は怨恨を否定し無償の愛を説く。
しかし、理不尽な暴力を受ければ怒るのが当り前だ。キリスト教徒はこの場合、怒りを
抱いてしまった自分の方が悪いと内攻してしまう。
 そしてこの内心の葛藤を、「自分は正しいことをしているから天国へ行ける。相手は
悪いことをしているから地獄に落ちる」と合理化している。
 このような「内攻的復讐感情」がルサンチマンだ。人に恨みをもつことは悪いことだ
と考えるのは、キリスト教の道徳だ。
 ニーチェは幼子のようになれと説いている。幼子のように自分を偽るなと
いうことだ。あるいは蛮族のように。と、思う。

14 :考える名無しさん:2006/07/26(水) 00:23:49
>>8
それこそルサンチマン。
弱者の生きる知恵。すばらしいもの、美しいものを地に落とし
正反対のものを崇拝する。自分にも手に入れられるから。

自分自身で満ち足りる。その先にしかルサンチマンを越える道はない。

15 :考える名無しさん:2006/07/26(水) 00:26:25
>>8
それらをよく理解した上でもなお、陥ってしまうのが
ルサンチマンのやっかいなところでは…?
欲望を満たすための行動は制限できても、
欲望そのものは、一切抑えることはできないというのは大前提では…?

16 :大人の知恵:2006/07/26(水) 00:35:44
>14
それは浅薄な誤解だ。
実は、このような悟りを開いた人(釈迦など)は、恵まれすぎていたくらいの強者だった、という歴史的事実を強調しておきたい。
欲は完全に満たされることはないということを、教えられずに自力だけで悟ることができるのは、むしろ強者でなければならないはずだ。論理的に。

17 :考える名無しさん:2006/07/26(水) 00:37:43
他人に評価されるとかそういうのから遠く、遠く離れること。
そして自分自身で満ち足りること。

満ち足りたものは慈善事業に募金したりしない。
人の役に立っていい気持ちになったりしないことが、自分自身で満ち足りることだから。

子どもってのはそういうことだと思う。
ある意味で大人になるなってことだと思う。

18 :考える名無しさん:2006/07/26(水) 00:46:06
同情とは錯覚でしかないのだろうかねえ。


19 :考える名無しさん:2006/07/26(水) 00:46:29
>>14のコメントそのものが、
>>14のコメントの内容を納得させる好例になっている。
何回読んでも実に味わい深い。

20 :考える名無しさん:2006/07/26(水) 00:47:35
>大人の知恵さん
欲は満たされることはないというけれど、欲は満たされなければならないの?

21 :考える名無しさん:2006/07/26(水) 00:50:10
思い込みと思い遣りの狭間で人間はよく苦しむよね。

22 :考える名無しさん:2006/07/26(水) 00:53:23
>>13
ルサンチマンの構成要素は主に「嫉妬」で「怨恨」とはあまり関係ないのでは…?

23 :考える名無しさん:2006/07/26(水) 00:54:34
釈迦は本当に欲を捨てろなんて言ったのだろうか?

ほんと疑わしい。

24 :考える名無しさん:2006/07/26(水) 00:55:49
るさうんちまん

が正しい発音。

25 :考える名無しさん:2006/07/26(水) 00:56:36
虚無主義に目覚めた後、相対主義者として世界を斬り裂いていく

26 :考える名無しさん:2006/07/26(水) 01:02:33
>>19
まあ待て。>>14の書き込みに不備があるのは認めるけど>>8を美しいものとするあなたは
すでにルサンチマンに取り込まれているよ。

ルサンチマンを乗り越えるには自分自身で満ち足りるしかない。それはこの世界を肯定することでもある。
でもこの世界を肯定するなんてのは実にルサンチマンくさい行為なわけで。
だから結局、この世界を肯定することなく肯定するなんて芸当が求められちゃう。
そこで登場するのが遊ぶ子どものイメージ。
子どもは世界を肯定したり、否定したりしないでただただ飽くことなくこの世界で遊ぶ。
そこに肯定することなく肯定するという無理難題のヒントをニーチェは見たんだろう。

27 :考える名無しさん:2006/07/26(水) 01:03:01
世を捨てる

28 :考える名無しさん:2006/07/26(水) 01:05:59
芥川龍之介の蜘蛛の糸ってあるじゃない。
あの話、俺はどうも気に食わないんだよねえ。
蜘蛛を救った地獄の罪人を天国の仏が蜘蛛の糸たらして救おうとして
最後はぶっつり切りやがった話。
持ち上げといて突き落とす。
サドの極みだな。
哀れみや憐憫の蜘蛛の糸なんかいらねえっていうの。
蜘蛛の巣なんかズタズタにしちまえってえの。




29 :考える名無しさん:2006/07/26(水) 01:09:00
>>5
その素晴らしい理論ができたときは2chは終わってる。

30 :考える名無しさん:2006/07/26(水) 01:25:35
るさうんちまん

が正しい発音。

31 :考える名無しさん:2006/07/26(水) 01:33:49
>>22
 『道徳の系譜』を読むと、ニーチェは、ユダヤ人が戦争でローマに負けて征服され支配されているのに、
「右の頬を打たれたら左の頬をさしだせ」と説くことによって、実力による敗北を道徳上の勝利に
価値転倒していると指摘しているように思われる。 これによってユダヤ人はローマ人より
すぐれているのだと空想上の復讐を行うのである。このような屈折して自己欺瞞的な復讐が
ルサンチマンである、と私は思う。ルサンチマンを抱いている人間は少なくとも表面上は、
自分が復讐感情を抱いていること、嫉妬を抱いていることすら認めようとしないだろう。
 ニーチェは嫉妬することを悪としていると読むと、蛮族の残忍さを高貴である論じている
部分とつながらないなのではないだろうか。ルサンチマンの核心は「嫉妬」や「怨恨」ではなく、
「自己欺瞞」にあると考えなければ、たとえばチェーザレ・ボルジアのような猛禽的人間を
賞賛している部分と矛盾するように思われる。

32 :考える名無しさん:2006/07/26(水) 01:43:12
>>30
tar

33 :考える名無しさん:2006/07/26(水) 01:47:10
自己欺瞞や自己正当化によって振りかざされる道徳ほど
吐き気を催させるものはないな
道徳なんてのは人が協力して生きていく上での只のルールだ
そこに美しさを見いだそうが何を見いだそうが知ったことではない(^O^)/

34 :考える名無しさん:2006/07/26(水) 02:01:45
俺には1のタイトルが「2chから解放されたい」に見えるのだが
まあ、そうであれば矛盾してるわけなんだが。
実際にルサンチマンを克服できれば2chなんかつまらないものに
思えると思うなあ。
ここに来て語ってる人間は多かれ少なかれ心に隙間抱えてる人
ばかりだから。
俺もそう、そもそも社会で
本音で語れる強さがあればこんなとこに書き込まない。

35 :考える名無しさん:2006/07/26(水) 02:06:00
ルサンチマンコ

36 :考える名無しさん:2006/07/26(水) 02:10:12
ルサンチマンのその状態に陥ったとき、そこから解放されるには
その状態に陥ってしまった過程を考えるべきだろね
その時点で思いは確かに自分自身として存在してしまってるから。
゛何故?゛と常に自分とその他に問いかけるべきだろう
その末に見えてくる世界像を磨き上げて、その中で生きていければ

37 :考える名無しさん:2006/07/26(水) 02:12:34
2chはもう終わりの時代を迎えつつある。

38 :考える名無しさん:2006/07/26(水) 02:15:35
裕福な人は考え方や雰囲気が違うだろ。その違いだよ。
ほとんどの貧乏人はルサンチマンに侵されているんだよ。

39 :考える名無しさん:2006/07/26(水) 02:16:52
自分で満足っつうけど、他人と関わることでみたされるもんはないのん?

40 :考える名無しさん:2006/07/26(水) 02:18:07
そうかなあ?
>>38
そりゃちよっと違うぞ。

41 :考える名無しさん:2006/07/26(水) 02:21:21
そもそもニーチェはあまり他人に誇れる生き方はしてないし。
ニーチェそのものがルサンチマンだから。

42 :考える名無しさん:2006/07/26(水) 02:23:35
>>39

俺はそれはあると思うね。
ただみんなでわいわいやる偽善的な馴れ合いは
心に膿をつくるだけだと思う。


43 ::2006/07/26(水) 02:33:03
ルサンチマンは、自己欺瞞の状態にある人間もそうでない人間でも、
同じように持ち合わせてしまうものなのでは…?
こと個人レベルでは、単純な欲求不満に起因している場合がほとんどであるように思われるので、
それを自覚している人間も少なくはないのでは…?

嫉妬を悪とするなら、外側に発散するという相反する蛮族の残忍さを高貴とするのは特に矛盾はないのでは…?

チェーザレ・ボルジアのような猛禽的人間を賞賛するというのは、
歴史上の人物に対してなので、リアリティを持つことができず、
物語の登場人物に憧れる感情に近い意味での賞賛なのでは…?
もちろん、それに自己欺瞞が含まれている可能性も充分に考えられる。

44 :考える名無しさん:2006/07/26(水) 02:37:06
自己満足ではただの独りよがりにすぎない。
他人と心が通じ合うこと、理解しあえるということ。
それが友達、恋人、家族。
人間は群れをなす生き物だから、他者とのつながり、またはある特定の物とのつながりによって
満たされる生き物である。

自分だけで満足である世界なら、この世には自分以外に存在しないか、
すべてが自分か、であるかだ。
しかし現実はそうではない。自分と他者がいる。有機物があり無機物がある。
光りがあり、闇がある。実は、自分という概念は存在しない。



45 :考える名無しさん:2006/07/26(水) 02:40:29
>道徳なんてのは人が協力して生きていく上での只のルールだ
>そこに美しさを見いだそうが何を見いだそうが知ったことではない(^O^)/

道徳はなぜ「美しい」と感ずるのか?



46 :考える名無しさん:2006/07/26(水) 02:42:13
>自分という概念は存在しない。

そりゃ飛躍しすぎ。
なんでも自分が基本。
そのなかでの他人の繋がりが大事と
俺は言いたいね。



47 ::2006/07/26(水) 02:43:11
>>34
2chに関しては全てにおいて真偽が確かではないので、
自分にとってはルサンチマンの温床にはなっていません。
ただ、自分も弱者であることは確か。

48 :考える名無しさん:2006/07/26(水) 02:52:03
他人に対して自分を失くせ仲良くしろというのが
そもそも思い遣りや他人に対する理解に欠けてるから。

49 ::2006/07/26(水) 02:55:10
自分の求めるものは5に書いた通り。
ルサンチマンから解放される理論構築…可能なような気はするんだが…。


50 :考える名無しさん:2006/07/26(水) 02:59:43
>>46

この体は、自分で作り上げたのでしょうか?
こういう遺伝子にして、こういう目鼻立ちにして、
骨格から筋肉や細胞まで、自分で創造したのですか?
あくまでも創造されたのです。大自然の法則によって。
自分の乗っている車は、本当に自分の物でしょうか?
ある地位や名誉は、本当に自分自身なのでしょうか?
考えてください。

自分の物と言えるのは、自分で生み出したモノという定義です。
ある出来事によって他人の物へとなるものは、本当の自分のものではありません。

人は意識です。思想体です。
思い込みの生き物です。
世界のすべてが自分だと思い込めば、本当にそう思えてくるでしょう。
では、本当の実在、本当の価値観とはなんでしょう。

偏見も、執着も、固定概念も、信念も、洗脳も、知識も、
すべて捨てて、

目の前にある世界を見つめることができるでしょうか?

あらゆる概念から自由になってください。
それこそが「幼児になる」という事なのです。

51 :考える名無しさん:2006/07/26(水) 03:01:14
自分のために戦えるなら
結果や経歴や地位がどうであれ
他人にどう言われたって弱者じゃないと俺は思う。
弱者だと思うなら自分を弱者に思わせるものなんか無視すればいい。
そんな道徳や奇麗事はどうでもいい。
まずは自分を大切にと俺は言いたい。
心を濁して苦しむことはないのだ。

52 :考える名無しさん:2006/07/26(水) 03:04:19
>1
あなただけの大切な人を見つけることだよ。
それを見つけられる理論があればいいということだ。
それは2chではないね。SNSでもない。宗教でもない。ニーチェでもない。



53 :考える名無しさん:2006/07/26(水) 03:06:10
屡沙運知鰻

54 :考える名無しさん:2006/07/26(水) 03:13:14
人間発電機

55 :考える名無しさん:2006/07/26(水) 03:14:08
新興宗教の洗脳はこういう文句の件から始まるのかと
ふと思う。>>50


56 :考える名無しさん:2006/07/26(水) 03:17:02
>>54
ブルーノサンマルチノ?

たしかにパット見似てるw

57 :考える名無しさん:2006/07/26(水) 03:18:29
世間一般の統計から比較して、
強弱が分けられるのなら、
その「世間一般」が何を指すかによって、自分が強者か弱者かというものも変わってくる。
日本国の社会では、エリート=強者、ニート=弱者となるだろう。
またある面では容姿的に勝ち負け、財産の優劣、精神的な強弱・・・、
と様々な事柄の対象によって自分が強いか弱いかも変わってくる。
でもそれが本当に真実の強者弱者の判断基準だとは思わない。
すべて偽りだと確信している。

すべての判断基準は、あらゆる生命の観点から考察せねばならない。
人類の法則は、地球上のあらゆる民族に共通する真理でなければならない。
一日本国の狭義の価値判断で、一揆一優している事こそ、
無知の証ぞ。


58 :考える名無しさん:2006/07/26(水) 03:19:27
宗教家というのはまずは人間の脳味噌のファーマットから
始める。それから教義のインストールだ。


59 :考える名無しさん:2006/07/26(水) 03:19:39
>>56
すばらしい!
スタンハンセンのラリアットで首がいかれてしまったことがある

60 :考える名無しさん:2006/07/26(水) 03:25:08
まずは2chの破壊
しいてはインターネットの破壊が
望まれる。
それこそ真のルサンチマンの解放へと繋がるのであった。

61 ::2006/07/26(水) 03:27:08
>>26
あなたの言う、自分自身で満ち足りるというキーワードは、
あまりにも抽象的な気がするのですが…。
それと、子供というのは自己欺瞞の塊のような気が自分はします。
もっと幼い子供のことを指しているなら、確かに純粋にこの世界を肯定しているかもしれませんが、
欲求の事情が大人とはあまりにも違うのでお手本にしようがないように思えるのですが…。

62 :59:2006/07/26(水) 03:28:59
でもサンマルチノはハンセンにルサンチマンは持たなかったってお話さ。プロに徹しているからね。

>>45
むしろ逆の希ガス。美意識から道徳が生まれるのかもね。


63 :考える名無しさん:2006/07/26(水) 03:40:19
幾何学紋様ってあるじゃない。
美しさって均整が取れてるものにあるというところがあるじゃない。
誰の脳内にもあれってあるんじゃないかなあ。
それが理論を紡ぎだすうえで人間関係の調和に照らす人は少なくない。
むしろ多い。
それが道徳なのかもしれない。
軍隊の整列とか行進とかあんなのと大して変わんないんじゃないの。

64 :考える名無しさん:2006/07/26(水) 03:50:08
簡単。いい奴とだけ付き合ってムカつく奴とは礼儀だけ守って
適当に話してればいい。嫌味な奴と付き合ってるからいけない。

65 ::2006/07/26(水) 06:06:03
皆にとってルサンチマンとはなんだろう…?
自分のルサンチマンの原因の大半は、所詮女にモテないということだ。
塾へ行けば生徒と講師が、バイト先へ行けば上司と若い女が、
スポーツジムへ行けば金持ってそうなオッサンと若いインストラクターが…
雰囲気を見ていれば嫌でもわかるってものだ…直接目撃したこともある。
力のあるオッサンが若い女をモノにする、それを黙視し、嫉妬することしかできない力のない自分…
あきれるほどに低レベルな話だと思う人もいるかもしれないが、
これこそ典形的なルサンチマンではないだろうか…?
そして、こんなことは誰にでもないだろうか…?

66 :考える名無しさん:2006/07/26(水) 07:06:35
 ニーチェのいうルサンチマンとは、たとえばオールド・ミスのおばさんが性道徳の乱れについて声高に
批判しているが、実は本当の動機は自分が男にモテないことの腹いせであるような場合のことで、
自分が嫉妬していることを自認しているような嫉妬は厳密にはルサンチマンにならないんじゃないだろうか。
 嫉妬には、自分を高めて相手を追い越そうとする方向に向かう場合と、相手をおとしめて引き落とそうと
する場合があると思う。前者の嫉妬は、人間を向上させる有益なものだ。
 と考えると、ルサンチマンからの解放は、第一に自分が嫉妬し憎悪していることを素直に認めて、
第二にその悔しさを自分を向上させる方向に向けることだと思う。
 だが、本当に弱い人間はルサンチマンに逃げるしかないかもしれない。女にモテなかったら、
女なんてちょっと見た目がキレイなだけで、中身はワガママで自分勝手で最悪だとか言ったりして
自分をごまかし慰めて泣き寝入りするしかない。

67 ::2006/07/26(水) 07:23:33
−ルサンチマンに関して思うこと−
ルサンチマンの状態に陥る、ルサンチマンに取りつかれた状態などと言うが、
じつは、男性の場合、多くが慢性的に65に記したようなルサンチマンを抱えてはいないだろうか…?
そしてそれは通常、精神的な衛生を求める場合、
自己欺瞞によってのみ覆い隠されているのではないだろうか。
ルサンチマンには「程度」があり、
少ないルサンチマンは少ない自己欺瞞(主に道徳など)で隠せるが、
ルサンチマンが多大であれば、実生活に悪影響を及ぼす程の
自己欺瞞(現実的ではない屁理屈など)が必要になってくるといった按配だ。
自分が今抱えている問題は、
自己欺瞞というものを完全に払拭できたと思えるような精神状態の時に、
ルサンチマンは剥き出しの状態であり、それをどうにかしたいということのように思う。

68 ::2006/07/26(水) 08:41:26
>>66
解決策の提言ありがとうございます。
すいません、今日はもう寝ます。

69 :考える名無しさん:2006/07/26(水) 09:20:20
今から寝るのかよ!俺もあるよ。
電車で大声で携帯してるやつとか、コンビニの前にあぐらかいてる
女とか、日の丸は国旗じゃないと言う奴、A級戦犯が悪人だと信じてる奴、
靖国参拝は許されないと言う馬鹿、東京裁判が正しいと信じてる奴、
たらたら歩いてるカップル、映画館でキスしてる奴、地下鉄のエスカレーター
でキスしてる奴(これが多い)。中学生のくせに制服でイチャイチャしてる
カップル。作り話の従軍慰安婦話を信じてるアホ、中共発表の南京大虐殺
の数字を鵜呑みにしてる奴、竹島や尖閣諸島問題の危機を知らない奴、
円山町のホテル街を歩いてるカップル、ムカついてしょうがない。
こういう非国民は日本から出て行くか奴隷になれと思う。

70 :考える名無しさん:2006/07/26(水) 15:01:01
敗戦国の日本が、あらゆる戦争は悪であり勝者もまた悪だと説いても何の説得力もない。

71 :考える名無しさん:2006/07/26(水) 17:05:53
>>61
もてるとか、力のあるおっさんが若いお姉さんを・・・とか
そんなのは自分自身で満ち足りるというのと正反対。
大事なのは自分自身で満ち足りるということが「語りえない」ということ。
たとえば「悔しくなんてないもん」というやつが「悔しがってる」のは直感的にわかる。
同じように「自分自身で満ち足りている」と語るものは満ち足りてなんかない。
自分自身で満ち足りるものはそれを語りえない。
さらにいえば、それを意識することすらできない(!)。

子どもの話は、その前段階で獅子とラクダという比ゆを経て、ついに到達する境地なので
あなたのその理解は少し浅はかだと思うな。

72 :考える名無しさん:2006/07/26(水) 18:03:06
ニーチェは「超人」を必ずしも肯定的な言葉では語っていない。
「没落するもの」「破滅するもの」「深淵を見つめるもの」など、否定的なイメージで
語っている場合も少なくはない。

73 :考える名無しさん:2006/07/26(水) 21:07:20
比喩や意味深な言い方ばかりで、ニーチェってモジモジして何で
ハッキリ言わないんだ。何か性的な癖やコンプレックスを隠してるだろ。
こういう気取ったタイプの奴で性的に問題ある奴は遠回しの表現をしたがる。

74 ::2006/07/26(水) 21:57:27
自分は特に学術的に哲学を勉強してきたわけではないので、
浅はかな部分も多々あるかと思いますがご容赦下さい。
素人に向けたような、わかり易い言葉で指摘して頂けると有り難いです。
ルサンチマンという言葉も、じつはウィキペディアを見て少し前に知ったばかりなのです。

75 ::2006/07/26(水) 21:58:48
>>66
向上心を否定する気はもちろんありませんが、
嫉妬という忌むべき感情に対してほとんど選択肢がないというのは、面白くないと思いませんか?
自分がルサンチマンからの解放を目指したきっかけも多分ここにあります。
もっと精神的に自由になりたいのです。
自分が5で言った、追い立てられるままに力を欲するということには、そういった意味も含まれているのです。
一見、自分の意思で向上を志しているように見えるその実は、
強迫観念にも似た嫉妬に、否応なく駆り立てられているだけなのではないのか…?と。

ニーチェは力とはルサンチマンを克服する事から構成されていると結論付けているようですが、
自分はそこで終わりではないように思うのです。
その辺りに突破口があるようなないような…
やっぱり脱ルサンチマンは無理なのかと、頭をよぎることもありながらの模索なのです。

嫉妬を自認していればルサンチマンではないのでは、という意見は、
その定義があるかちょっとわからないのですが、
自分は、自認によって嫉妬を抑制できたりするわけではないので、
やはりルサンチマンになりえると思います。

76 ::2006/07/26(水) 22:16:20
>>71
純粋に夢中になれるものを見つけるべきだということなのでしょうか…?
すいません…「獅子とラクダ」でググってみたのですがそれらしいものが見つかりませんでした…。
獅子とラクダの比ゆというのはどういうことなんでしょうか…?

77 :考える名無しさん:2006/07/26(水) 22:29:51
駱駝とか獅子とかいうのは『ツァラトゥストラはこう言った』の「三段の変化」という章。
上巻の初めの方にある。超人の精神は「駱駝→獅子→幼子」と変化するという。
しかし、ツァラトゥストラ後半ではかなり考えが変わってきているように思われる。

78 :大人の知恵:2006/07/26(水) 22:55:56
弱者のニーチェがルサンチマンと戦う思想をつくり、
強者の釈迦がルサンチマンを解消しようとする思想をつくったことは注目に値する。

79 :考える名無しさん:2006/07/26(水) 23:25:44
>>71
あなたのそういう態度好きだなぁ。
>>76
ニーチェにはさまざまな解釈があるから、解答を求めても無駄じゃないかな。
それと哲学以外の勉強では知らないことをググルのはいいことだけど、
哲学は自分で考えなきゃだめだよ。

80 :大人の知恵:2006/07/26(水) 23:29:55
>>20>>23
釈迦などは、欲望をすてろ、と道徳的に命じてはいない。極端に言えば、苦悩の原因解明と処方箋を教えてくれているだけ。
欲があるから苦悩することや、欲が完全に満たされることはないということは、たんなる経験的事実。
彼らはただ、欲望がすべての苦悩の原因であり、多くの人がとらわれている現実(感)は欲望がうみだす幻想だから、それを捨てれば、すべてがある意味で幻想だと分かり、かといって無意味と言うわけでもなく、平然と豊かに生きられる、と言っただけだ。

誤解が多いが、原始仏教では、死後の世界や永遠の真理について語らない。あるともないとも言わない。
むしろ、この世を越えた真理を語る理形而上学も、あらゆることを否定するニヒリズムや懐疑主義も、どちらも誤りだとする。
だから、ニーチェの言うニヒリズムやルサンチマンとは無縁だ。
ある意味では、宗教というよりもむしろ科学的だとさえいえる面がある。
もちろん仏教でも、全然違う思想をもつ宗派もある。

81 :考える名無しさん:2006/07/26(水) 23:33:50
>>70
戦勝国が戦争を否定するのはもっと説得力ない

82 :四式:2006/07/26(水) 23:45:33
ルサンチマンって意味は迫害される迫害者って意味だと思ってたんだがな。
そのルサンチマンが結集して権力を握る歴史的課程から言って
力への意志にはルサンチマンを利用しなければならない逆説があると思う。
そこで超人への三段の変化とは
駱駝=ルサンチマンを抱えて動く兵隊
獅子=兵隊を統括するルサンチマンの管理職
聖者=ルサンチマンの根源となる迫害されてやまない純粋無垢
これですよ。変なこと言ってると思ったら無視して結構

83 :考える名無しさん:2006/07/26(水) 23:47:45
 ナンパの得意な男がいて毎晩違った女と寝ていたとして、彼をインモラルであると
批判しても、自分がモテるようになるわけではない。また、彼を叩くために厳格な
性道徳を主張すれば、かえって自分自身を恋愛から遠ざける結果にもなりかねない。
 彼以上にモテるようになるためには、彼以上にインモラルにならなければならない。
だが、それは自分のモラルが邪魔をする。善良な人ほど、他人に出し抜かれ、
嫉妬に苦しみつつ、さらに嫉妬を抱くのは悪いことだと自分を責めたてて自己嫌悪に
おちいってしまう。

84 :大人の知恵:2006/07/26(水) 23:59:24
過剰に「強者/弱者」にこだわる者は、ある意味で立派な弱者でもある。
ニーチェにもそう言えるところがあると思う。
ちなみに、永井均は「これがニーチェだ」で、ニーチェの思想自体にも弱者的歪さがある、というようなことを書いている。

85 :考える名無しさん:2006/07/27(木) 00:04:42
Level1: 苦悩のもととなる欲を絶てば、苦悩から解放されます。
Level2: 何も考えなければ苦悩から解放されます。
Level3: 苦悩を感じるのは、私の脳であるから、脳死によってのみ救われます。
Level4: すべての苦悩は死によってのみ救われます。

86 :考える名無しさん:2006/07/27(木) 00:12:56
死んでも俺の恨みは永遠に残る気がする

87 :考える名無しさん:2006/07/27(木) 00:47:37
喧嘩を売られたり殴られたら恨みを持つけど、女にモテてるやつに何で恨み
を持つんだ。モテてるやつが友達にいると、おこぼれもらえて得するぞ。
ブッダが生き物全体の幸せを願ったのは自分も幸せになれるからじゃないの。
合気道みたいに相手の力を利用して自分を有利にもっていく。

88 :考える名無しさん:2006/07/27(木) 00:53:55
>>87
善良な男は、そのように女性をモノのように扱うことに嫌悪感を持つ。
にもかかわらず、女性をモノのように扱う奴ほど女性にモテてしまう。
あってはならない。あり得ない。しかし現実は現実だ。
こうなるとルサンチマンへ一直線。

89 :考える名無しさん:2006/07/27(木) 10:50:16
ここ哲学板全体に気になる事なのだが(ニーチェ系スレッド?)強者/弱者の
図式が表面的で浅薄なのである。富と才能に恵まれた強者であるブッダは
苦悩から修行生活に入り、事実を見つめるようになる。生老病死、無常。
欧米の富裕層はかなりの割合で精神科を受診したりカウンセリングを受けている。
家族の悩み、肉体の病の影響、人間関係の悩み、深く傷ついた経験、
人生の浮き沈み、心の病。社会的に強者だったブッダもこれらの苦を味わった。
生活が豊かになっても、悩んでいれば人生は苦である。ブッダは苦悩
から解放されるために、自分の悩み事を直視しながらそれに執着しない
生き方を実践した。執着しないと性格が明るくなり人望が高まって自然と
人生全体が良い方向に行くという法則。キリスト教文化圏でも敵を愛する、
個人の利益獲得にガツガツしないという道徳観がある(あるが実践はしない)
が、これを奴隷道徳的な側面のみでとらえるのではなく、貪りの心を沈める
知恵ととらえるべきである。
カトリックが過剰に抑圧的になった歴史から、これらの道徳に対し反発があった
のだが、寛容になり利他的になれば嫉妬や意地悪になる自分の心に苦しまず、
気分良く生きられ、さらに自然と人望が集まって人生うまく行くのだと
いう知恵は、どこの社会にも普遍的に見られるものである。哲学板では、
どうもこういう知恵を軽んじて、奴隷道徳などと烙印を押して排除する
傾向が少しあるように見えるが、表面的図式思考にとらわれた考えだと思う。
このスレッドの流れを見ると場違いなレスみたいだけど、ここは哲学思想を
語る場所で、ルサンチマンについて話し合うのが趣旨だと思い、俺が
その事について最近考えた事を書いてみました。
個人的な事を言うと俺はイケメンとは言わないが、どちらかというと見た目は
普通以上のようで中学時代から女子に人気があり、親が優しくて小遣いも少なく
ない方で恵まれているとは思うが、それでも悩み事が多い。
内面的な成長が無ければ、今後も悩みは増えていくと思うから、ここに
集まる人はそちらを重要視して考えていったらどうだろうか?もちろん外見を
よくする努力は必要ですが。

90 :考える名無しさん:2006/07/27(木) 11:07:08
外見が悪くなくても、合コンのノリについていけない。合わないという人もいるでしょう。
より根本的には、生きる目的は欲望の充足しかないのか?と。

91 :考える名無しさん:2006/07/27(木) 23:12:34
>>84
その本を読んでいるなら>>71に書いてあることの意味がわかるはずだけどなぁ。

>>89
個人の利益追求に否定的な意見を持つあなたは、その意見を貫くことで
個人の利益を追求しているわけで。そういう転倒をニーチェは憎むし、われわれは軽蔑するんだよ。

>>1
自分自身で満ち足りるというのは一生懸命がんばったりすることじゃない。
向上心なんて微塵もない状態。どちらかといえば、かなりまったりしてる感じじゃない。

まぁ、どうも書き込みしている内容から見て若い人が多いみたいだから
温かい目で見守ることにするよ。
ただし、世間的によいとされるような行為をして(成長するとか)
ルサンチマンを克服できるという考えはよくよく吟味する必要があると思うなぁ。

92 :考える名無しさん:2006/07/27(木) 23:17:31
>>91
>かなりまったりしてる感じじゃない。

かなりまったりしてる感じじゃない?

93 :考える名無しさん:2006/07/28(金) 02:21:47
「あなたは奪ってはならない! あなたは殺してはならない!」――そのような言葉を、人びとは
かつて神聖と考えた。そのまえに、膝まずき、頭を垂れ、靴を脱いだ。
 しかし、わたしはあなたがたにたずねる。そうした神聖な言葉以上の略奪者や殺害者が、
かつてこの世にあったろうか?
 およそ生きること自体が――略奪と殺害を含んでいるのではないだろうか? そして、あのような
言葉が神聖とされたとき、そのことによって、真理そのものが――打ち倒されたのではなかろうか?
 あなたは生きることそのものにさからい、そむくことを神聖と呼んだのは、死の説教ではなかったの
だろうか?
『ツァラトゥストラはこう言った』

ニーチェはこのように生きることは略奪だとしている。

94 :考える名無しさん:2006/07/28(金) 02:25:10
>>93間違いがあった。ごめんなさい。
 あなたは生きることそのものにさからい、そむくことを神聖と呼んだのは、死の説教ではなかったの
だろうか?

 あるいは、生きることそのものにさからい、そむくことを神聖と呼んだのは、死の説教ではなかったの
だろうか?


95 :考える名無しさん:2006/08/07(月) 07:00:35
 わたしが愛するのは、没落する者として以外には生きるすべを知らない者たちである。
かれらはかなたへ移りゆく者たちであるからだ。

 わたしが愛するのは、おのれの徳を愛する者である。なぜなら徳は、没落への意志であり、
あこがれの矢であるからだ。


96 :考える名無しさん:2006/08/21(月) 19:07:51
>>1 宗教と哲学の境界上ですからね〜 特にニーチェはね〜

97 :考える名無しさん:2006/08/22(火) 06:43:34
イソップ物語のイソップってどんな人か知ってる?

98 :考える名無しさん:2006/08/23(水) 07:34:25
 キリスト教は神が人を作ったのだと考える。神が人を作ったとすれば、そこにな何らかの
意義、目的があったはずである。たとえ人にそれを知る術がなかったとしても。
 しかし、神は死んだ。人間はその存在意義と目的を喪失した。
 としても、人間にはまだ「人間をできるだけ長く保存すること」という目的があるのではないか
と考えられる。これはおそらく功利主義の思想を指すものである。
 ニーチェはそのような考え方の人々を「おしまいの人」と呼ぶ。なぜなら、ニーチェは
人間は人間を超えた高み、すなわち超人を目指さなければならないからである。
 しかしながら、超人を目指すことは功利主義の立場にたつ人から見れば、まったく
滑稽な愚行にすぎない。彼らにはニーチェの生き方は自滅としか思えないだろう。

99 :考える名無しさん:2006/09/01(金) 16:56:41
ルサンチマンってすごく気持ちいいよ

100 :考える名無しさん:2006/09/01(金) 22:50:55
このスレで何度も出てくる、女にモテルとかモテナイとか、自分には何を言っているのかよくわからない。
モテナイ人はモテル人に対してすごく偏見があるんじゃないかな。
だけど今までの経験で言えることは、モテナイ男は嫉妬深い、これはかなり当たっていると思う。
あと、育ちの悪い人(経済的な意味ではなく)はどうしても嫉妬深くなるような気がする。
そういう人がどんどん悪循環に陥っているように見える。
これは当人にとって深刻な問題なんだろうな・・・安易な解決策なんて言えないよ。
とりあえず、昼寝でもして嫌なことは忘れよう・・・これくらいしか言えないなあ。

101 :考える名無しさん:2006/09/01(金) 22:52:31

ウルトラマン > ルサンチマン


102 :考える名無しさん:2006/09/02(土) 00:47:40
>>100 ウサンチマンがどういうのか知らないでしょ。調べてみたの?

103 :100:2006/09/02(土) 01:28:59
ルサンチマンについては語っていません。(スレ違いですね、すみません。)
嫉妬深さについて語っていました。
あとここで語られているモテル男像みたいなものが、どうも歪められているように思ったので書き込みました。

104 :名無しさん@←ブラックホール:2006/09/02(土) 02:15:47
http://travel2.2ch.net/kyoto/
神社bukkakいけば開放されるんに

105 :考える名無しさん:2006/09/02(土) 02:39:13
>>103 その嫉妬の概念をつかったは考察はおおむねあってるけど、言うだけいって何かアドバイスないの?

106 :考える名無しさん:2006/09/02(土) 03:00:38
遺伝も大きいのでは?生まれつきノルアドレナリンが出やすい人って
いるらしい。2ちゃんねるにコテハンで常駐してて夜中から昼間まで
ハイテンションで書き込んでる人とか。ルサンチマンの塊みたいな・・・
そういう人はジョギングするのがいいんだとか。

107 :考える名無しさん:2006/09/02(土) 03:15:41


  コ  ン  マ  チ  ン  サ  ル




108 :考える名無しさん:2006/09/02(土) 08:01:05
>>100
よく解らないのに偏見とか言うのはやめましょう
モテナイ男がモテル男を嫉むのは生理現象です

109 :100:2006/09/02(土) 16:01:29
>>105
アドバイスは「忘れる」ことだと思う。
「解放されたい」とか「乗り越えたい」とか思っているうちは、それに囚われてるってことだから・・ってそれが難しいのか。
ある意味、子供がお手本だと思う。しかも最近の日本だと幼稚園児くらいまでかな。
何かに夢中になって遊ぶことだと思う。目的も無く、命がけで。
体を動かす人もいるだろうし、黙々と絵を描く人もいるし、方法は人によって様々だけど。
そういう時って生き生きしていて、他人がどうとか考えないと思うんだけどなあ。
とにかく充実した時間だけがあるっていうか、生まれてきてよかったとかそんなことも考えない。
言葉にするとそういう感じかなあ。

110 :考える名無しさん:2006/09/02(土) 16:04:23
ルサンチマンとルサマンチンの違いを教えてください

111 :考える名無しさん:2006/09/02(土) 23:04:36
>>90
より根本的には、生きる目的は欲望の充足しかないのか

正解

生きる目的さえ求めてしまうのは、それが理性の欲求だからです
理性とは常に正当性を求めるという、判断欲で、はっきり判断できれば、
ベータエンドルフィンが分泌されて精神が安定します
はっきりしなければ、分泌はとまり不安になります

理性だけ特別視されがちですが、人間は欲求にしたがって生きているに過ぎません

112 :考える名無しさん:2006/09/02(土) 23:46:20
>>109
なかなか分かってるようですが、どうしてウサンチマンが気になるんでしょうか。
嫌なことは浸ってないで忘れるとしても、心地よい事は浸っていてもよいという意見のようですね。
その良い悪いの判断は自分のどこから来るのでしょうか?

113 :境域の突破者:2006/09/03(日) 00:32:09
ルサンチンマンを(マジで)克服した者だけど、何か質問ある?
胡散臭いと思われるかもしれないけど、真剣な質問にはマジレスしますよ

114 :境域の突破者:2006/09/03(日) 00:36:11
あ、ルサンチンマンじゃなくてルサンチマンね

115 :考える名無しさん:2006/09/03(日) 00:43:33
この題名の漫画読んだ?

116 :考える名無しさん:2006/09/03(日) 00:46:13
>>113
男と女の違いで、感じ方、態度として現れるのか、克服の方法の違いはあるのでしょうか?


117 :境域の突破者:2006/09/03(日) 01:13:46
>>115
スピリッツのやつね。流し読みはしていました。
あんまり面白くなかったなぁ〜。内容がタイトルとあまり関係なかったし

>>116
ごめんなさい、自分は男なので、女の場合にルサンチマンがどのような表れ方するか
については言及できません。
ただ男の権勢欲や男女関係にまつわる劣等感についてはある程度見知ったつもりです
あと、克服の仕方については自分の行った方法に関してしか知りません。
事後的に知り、「こうしていれば良かったのか」と思った別の方法も一応知ってはいますが。

自分はネガティブな感情の巣窟になってる状態から、精神が高揚し一気に至福の世界に至るような
体験をしたわけなのですが
その時に自分が学んだことは、ただ闇雲にルサンチマンを解消すればいいというわけではな
いということです。
このスレにはルサンチマンに苦しみ、それを克服したいと思っている人が多くいると見受け
られます
私はそういう人たちにこそ、ルサンチマンを突き抜けた先に待っているもの、そして、現に
ルサンチマンで苦しんでいることの意義、それについて考えていて欲しいと思います。


118 :考える名無しさん:2006/09/03(日) 01:17:17
>>117
>自分はネガティブな感情の巣窟になってる状態から、精神が高揚し一気に至福の世界に至るような
体験をしたわけなのですが

宗教板へ逝ったほうが良いかも・・

119 :考える名無しさん:2006/09/03(日) 01:34:04
ルサンチマンが他者の存在によって初めて認識されるように、その解消も個人レベルではありえない気がします。
愛され、認められ、受け入れられれば大抵のことはどうでも良くなってしまうのではないでしょうか。
精神的なエネルギーのベクトル変換が最良の道かと思います。
言うなれば深淵を覗き込むことからの逃避です。

120 :境域の突破者:2006/09/03(日) 01:38:48
>>118
その指摘は正しい。
ルサンチマンを克服した先に待つのは神秘の世界なんですね、実は。
純粋無垢で力に満ち溢れた新しい自分が生まれます。
そして、それまで意識していなかったものが自分の心に流れこみます。
普通の人にはにわかに信じがたいことだと思います。
確かにこれではもはや宗教の領域です。
だけど、自分は現代思想などを取り入れながら純粋に哲学的思索を重ねることによって、この領域に足を踏み入れました。
だから、哲学板で語るのもありかなと思ってます。
何より哲学板の住人が自分が通った誤った道に迷いこまないようにするという積極な意義もあります。

121 :考える名無しさん:2006/09/03(日) 01:53:45
ニーチェが「湖畔で永劫回帰の霊感を受けた」とか書いてるけど、これは決してオーバーな表現ではないよ。
ニーチェは明らかに神秘の世界に片足を突っ込んでました。

そして、ニーチェの発狂死の原因。
これは決して梅毒なんかではありません。
私は自分の体験を通してニーチェ発狂の原因をほぼ理解しています。

122 :境域の突破者:2006/09/03(日) 01:55:50
何か色々と書きすぎたので今日はもう落ちます。


質問、悩み相談などがあれば随時お答えします。

123 :考える名無しさん:2006/09/03(日) 02:07:09



早く働いた方がいいと思うよ

大変だよ 年食ってからじゃ




2ちゃんぐらいしか
やることなくなるよ


124 :考える名無しさん:2006/09/03(日) 02:55:19
>>102,>>105,>>112,>>116は同一です。
>>112についてどう考察があるのかを聞きたかったのですが・・
>>117を見るとなかなかいいところまで来ているのですが、まだ突破まではしてないようです。
>私はそういう人たちにこそ、ルサンチマンを突き抜けた先に待っているもの、
このへんが厚かましいというか、まだ自分はこれによって他人から認められたいのが見え隠れしています。
2ちゃんねるで能力を披露しないで、ブログとか始めて、始めは日記風に自分の到達の気持ちをつづってみてはどうですか?
あなたの人柄であれば、なかなか人が集まると思いますよ。




125 :考える名無しさん:2006/09/03(日) 03:02:43
>>118が宗教板に行った方がいいです。>>117の指摘はコンサートやカラオケの時の高揚感と似てるんですよ。
>>119他力本願が染み込んでませんか?自分以外を心底に、愛した事や、認めたことや、受け入れたことあるのでしょうか。何かのために自分の納涼を使ったことがありますか?例えば、>>113のように・・
>>120自分の思いをもう少し伝わるように表現出来ないと、単なる宗教の教義と同じように受けとらるでしょう。
>>122先も書いたけど、ブログで日記を書くのがいいよ。コメント欄を禁止してね。それからまだ学生ぐらいかな?文章というか人柄がまだ若くて、今度は表現方法を得るともっと伸びると思う。

126 :考える名無しさん:2006/09/03(日) 03:20:31
>>120自分は現代思想などを取り入れながら純粋に哲学的思索
ということなので、どの哲学者と本が良かったのか、
現代思想ということなので、その(哲学や概念など)思想から、
どののような悟りが自分の中で生まれたのかをつづってみてくれますか。

どうしてルサンチマンで悩んでいるのか何でか分からない人にとって、
とても参考になると思います。

127 :考える名無しさん:2006/09/03(日) 03:23:10
>自分が通った誤った道に迷いこまないようにする

自分が宗教指導者を目指すならその意気込みは大事ですが、
そうでもないなら、まだ自分がルサンチマンに
陥った大元の原因がわかってないように感じました。

128 :考える名無しさん:2006/09/03(日) 03:25:44
>1
かなたへ向かって憧れの矢を放て


129 :119:2006/09/03(日) 04:17:41
背景から語らないとわかりづらいみたいなので概略をここに。
あまり個人に終始すると要らぬ感情を招くので、映画の話だとでも思って欲しい。

まず自分は攻撃される側の人間であったということ。(発揮されている時点でルサンチマンと少し異なるが)
人より上手に出来る、人気があるということが反感を招くのだと気付いたのは中学生のとき。
才色生まれもったのは自分のせいではないのに、何故こうも敵意を向けられるのかわからなかった。
それからは目立たぬようにすることが処世術となった。
成人して仕事を持つようになってから、更に負の力(下段の括弧内)を敏感に感じるようになった。
わけのわからない「僻み」「妬み」という感情を理解して、未知の恐怖を克服しようと試みようとした。
攻撃的感情に理由を求め、自分の精神の安定としたい。
精神分析学から入り、30代でルサンチマンの概念に辿り着いた。
これが半生。

得体の知れない迫害を受けながらも、優生学や選民思想に傾倒しなかったのはひとえに周囲の人間の影響が大きい。
こんな繊細な自分に、才や美で人の優劣は決まらないという価値観を持たせてくれた。
(具体的には、外見や社会的立場や収入ではなくそれ以外の弱い面を愛してくれた女性たち)
これが抜けているから>>119は片手落ちになっているかもしれない。
私は自分を愛すること、そしてそれと同じように人を愛することで他者を許します。
ですからあからさまに敵意を向ける人に対しても、怒りが湧くことはそうそうありません。
自分の話が>>1の参考になるかわかりませんが、私はあなたを理解したいと思う。
ちなみに無神論者かつ無宗教です。

130 :考える名無しさん:2006/09/03(日) 04:52:03
>>129 3度ほど読んでみましたが未だにルサンチマンの典型例です。
自分内部にある葛藤や矛盾との戦いに終止符を打ってみてはいかがですか?

相手から見ると、笑ってない人・笑えない人は、攻撃・排除したくなるものです。
いくら目立たぬように隠れていても、やっぱり笑えない人には敵意をもたれま
す。「なんだあいつ?」というふうに。

全部が相手のせいでなくて、自分にも少しは原因があると自覚できたとき
ルサンチマンの意味が分かるんじゃないでしょうか?

>私は自分を愛すること、そしてそれと同じように人を愛することで他者を許します。

残念ですがあなたの恨みがこもった文章からは、まったくの冗談にしか聞こえません。
魂を感じません。ここまで親切に指摘しても、それでも原因は自分にないといえますか?



131 :119:2006/09/03(日) 04:52:16
長文書くと疲れる・・・レスもらってましたね。

>>125
129の後半を読んで頂くとわかる通り、私は他人のチカラによって歪まずに済みました。
そのまま育てば、社会的弱者を嘲り、持たざる者へ侮蔑の言葉を投げ掛ける傲慢な人間になっていたでしょう。
だからといって>>113がどういう意味を持つか私にはわかりませんが・・・。
人のために何か特別なことが出来るなどとは思っていません。
己を、そして他人をより良く理解して生きやすくしたいだけです。

132 :考える名無しさん:2006/09/03(日) 05:18:44
>>131
>そのまま育てば、社会的弱者を嘲り、持たざる者へ侮蔑の言葉を投げ掛ける傲慢な人間になっていたでしょう。

そのような人間になりたくないという欲をいつまでも持っているから、
ルサンチマンの人間になってしまっているんですけど?

ただ、宗教に逃げたり、右・左の政治思想・主義主張に逃げたりし
てないのは評価できます。たいていは、自分の意地を張るのは疲
れてそのようなところに逃げるものですけど・・
最後は超自然現象、つまり神に全部の責任をなすりつけるように・・


133 :119:2006/09/03(日) 05:20:54
>>130
そう見えるのであれば、出来の良い演出だったのだと誇らしい気分です。
あなたの言葉は少年期の私への鎮魂歌としてありがたく頂戴します。

物語は、人は何故異質を排除したがるのか、から入り――自分に弱さがあるように人にも弱さがあるのだ、と気付くところが最高潮でしょうか。
終劇までのみどころは、主人公が許しを実践してゆけるのかですね。

134 :119:2006/09/03(日) 05:41:39
>>132
長文を書いたりしたのは、>>1と話す下地作りです。
ここで人生相談をするつもりはありませんし、評価など不要です。
これ以上スレッドを流すのは本意ではありませんので、ここらでその話は〆ましょう。

135 :考える名無しさん:2006/09/03(日) 06:55:11
>>133少年期でなくて、今のあなたの現状へ向けた言葉なんですけど?つまらない言い訳や自分だけの言葉に逃げているようでセンスを感じません。
>>134ここも言い訳のようですけど?そんなに自分の図星を直視するのは辛いんでしょうか?
それと、スレ汚しは、あなたがくだらない長文を書いたのが原因ですけど、これも自分のせいでないとまた言い訳が始まるんですか?ルサンチマンの典型のように感じますが、こういうのはここで書くよりも、プライベートな日記に書いておくと反省できると思いますが?

136 :考える名無しさん:2006/09/03(日) 06:57:34
>>119,133,134で、結局長く自己紹介したわりに、どんなあなたの悟りが聞けるんですか?主観や抽象論ばかりで、まだないようですけど?例えば、哲学者や本の紹介とか無いんですか?結局は、本も読まない自分哲学だったりして・・

137 :名無しさん@←ブラックホール:2006/09/03(日) 08:16:30
ルサンチマンもやっぱ五戦隊?

138 :考える名無しさん:2006/09/03(日) 08:29:30
真理への葛藤は、言葉が原因です
言葉によって、物事は、定義(限定化)され、シンボル化されます
「点」や「線」という言葉によって、単純化され、頭で理解できるようになります
しかし、実在として「点」「線」は存在しません

言葉によって単純化された理性のよる理解は、結局対象そのものではなくなってしまうので
単純化された言葉を鵜呑みにしてしまうと、整合性が取れなくて矛盾に苦しむことになります

139 :考える名無しさん:2006/09/03(日) 08:49:09
ここはルサンチマンの巣窟といわれる2ちゃんだからな。
135とか自分がそうだと気付いてない典型でワロシュww

140 :考える名無しさん:2006/09/03(日) 09:28:29
ルサンチマンに留まることが上等である。


141 :一言居士:2006/09/03(日) 09:36:39
>>129
ルサンチマンかどうかはわからないけど、正直言って暗いよ。
許し?私その言葉嫌いです。無理に許すくらいなら、無視すべきです。これはニーチェも言っております。

142 :考える名無しさん:2006/09/03(日) 09:56:13
幼虫であり続ければいいのだ。
大地を離れた死の乱舞などいつでもできるんだから。
天狗になればもはやそこまでかもしれない。

143 :考える名無しさん:2006/09/03(日) 11:10:42
>>138あなたは自分で書いた言葉に酔っているだけに見えます。簡単な事でも、ずいぶん抽象化しないと書けないのは、頭で考えすぎているからじゃないでしょうか?

144 :考える名無しさん:2006/09/03(日) 11:11:15
>>139分からなくも無いけど、ここはルサンチマンのスレだからね・・

145 :考える名無しさん:2006/09/03(日) 13:18:24
自分だけが真理を認識しているという歪んだ優越感こそがルサンチマン。
ありのままの現実を受け入れ、かつ人間的な弱さを克服しようとするのが超人。

146 :考える名無しさん:2006/09/03(日) 14:14:01
>1
自分の無能さを認めて、前向きに努力すりゃいいんじゃないだろうか。


147 :考える名無しさん:2006/09/03(日) 14:26:03
結局、人はルサンチマンなのだよ。
ルサンチマンからは誰も逃げられないのだよ。


148 :考える名無しさん:2006/09/03(日) 17:18:31
そう言わずに太らせておけばいいの。


149 :考える名無しさん:2006/09/03(日) 22:44:26
>>143
自分の言葉に酔うことは駄目なんですか?
ルサンチマンから少しでも開放されるための提案として、
言葉のあやに絡められたて苦しんでいる人に自己満足で、アドバイスすることが、
自分の言葉に酔っているように見えるから気に入らないんですか?
そのことで私が恥じるべきだと思っているんですか?

私にはあなたこそがルサンチマンに人を引きずり込もうとしているように見えます
奇麗事に縛られないで、自らに感情や欲望が生じ、それを感じることを、素直に認識することで、
ルサンチマンは癒されると思っています
と同時に、思い込もうとして、他人にまで、ルサンチマンを促す奇麗事を押し付けることも減ると思っています

150 :考える名無しさん:2006/09/03(日) 23:07:55
>>149お前はもう見苦しいからうせろ!

151 :考える名無しさん:2006/09/04(月) 10:42:11
これは釣りなのか??
あとニーチェ(の和訳)を読んで、尊敬する人:ニーチェとかいってるやつ、君はニーチェから何を学んだんだ?w

152 :考える名無しさん:2006/09/04(月) 15:29:12



  オ  チ  ン  チ  マ  ン 






 

153 :考える名無しさん:2006/09/04(月) 15:58:14
境域の突破者
はどこいったの?
大きなことを言ってる割には
いなかったようだけど
あわられたの?

154 :境域の突破者:2006/09/04(月) 17:02:51
いるよー

世の中にはルサンチマンの言葉と思想が溢れていますのでねー
うっかり本音を漏らすと十字架にかけられかねんのですよ
そういうわけでこれからはもう少し立ち回りに気を付けようと思うわけです

155 :境域の突破者 ◆b45h8kER4c :2006/09/04(月) 17:12:22
あと、トリップを付けることにします
皆さんがたくさん本質を突いた書き込みをしてくれたので、私もこれから時間が
空いた時に本格的にレスしていこうと思います
決して逃げることはしませんよ、誠実なレスには誠実をもって返答したいと思います

156 :考える名無しさん:2006/09/04(月) 21:15:48
自分自身が内包する劣等感を捌け口としている。
そういう不の感情を活力源にして生きていると意識してしまう。
社会的にも、人間的にもそんな立場にいて不甲斐ない、弱弱しい、それでも自分ひとりでは生きていく自信も無い
だからといって死にたくも無い(諦めるほどプライドを落とせない)といった感覚でしょうか?

一つ解決策としては見るものの視点を広げてみることが上げられます。
人対人的な視野に縛られていると何時までも不純な意識(ストレス)から逃れられない。
世の中に見えるものは人に限らず沢山あるから、石ころでも、蟻でも、木でも、大空でも、うちゅーでも、好きなもの見て好きなことできればなんでもいい。
そういう唯一の価値観とか、優劣にこだわる事に価値すら見出せないものに取り入れられ魅了されると、不思議な魅力がもてます。いわゆる変人的な
ただ、そんな思考は人の規格枠内では価値↓、弱いものという各印を押されますが、人間としての格差に興味が熱意が見出せないのだから何時までも執着しても仕方が無い。
今の社会は強大かつ巧妙なので、それでも支配しようとする側の人間からの圧力は避けれません、ただひとついえる真実は、所有権の有無、何かしら多くを搾取される側にいるものは必ず淘汰される側にいる、ということがこの世界の摂理。
そんなものに無理に抗わなくてもいいと開き直るのが、唯一の解決策。ただ念を押すと生き残ることは出来ませんが。



157 :考える名無しさん:2006/09/04(月) 21:28:50
思うに、深くものを考えるより、多少図太くないと世の中生きていけないみたいで・・
葛藤するものほど余裕が無く、言い換えれば追い詰められすぎているとも言えますが、多少というか大いに他者に強いる、支えられるものほど根強く生きづいていけますね。
それ自体受け入れられない、理解しがたいと思ってる生物も世の中にはいます、誰にも受け入れられないし排除される運命にありますが、それは常識です。
やっぱり人として生まれた以上人で上を目指すのが当然だろうと思う方は、本当に当たり前のことですが人との繋がりや経済力、何かを所有することを重要視すべきです。
その他の要素は生き残る上での一つのポテンシャルでしかないですから、足りないものは他から補いましょう。自分の行動に批判の余地を挟ませない位の強い支配、指導力が必要です。追い立てられればそれだけ、力を手放す気にもなれないでしょう、上を目指す一方ですから。
私にはそういう生き方で競うに無いなぁという方は、別の道を目指すか、努力惜しまず今は支配される側に甘んじて生きるだけです。格差、優劣、上下、そういったもの抜きには人間社会は成り立ちませんから。

要約すると、深淵にはまって帰ってこれずそのまま精神崩壊させるより、目的意識くらいははっきりさせておいて行動するか、そのまま逝くか踏ん切りつけようって事です。
いずれはそうしなければならないので・・・このスレの趣旨とはあんまり関係気がしてきましたが半分投稿してますので失礼ながら。



158 :境域の突破者 ◆b45h8kER4c :2006/09/04(月) 22:40:43
深淵は覗いていいんですよ。むしろそこに真実があるなら覗くべきなんです。
真実を見て見ぬふりをして通り過ぎるのは人間の使命に反していると思います。
ただ深淵を覗くにも正しい方法をとらなきゃいけないということです。
過去に多くの人々がその道を示そうとしてきました。
高みを知るにはそれ相応の修行と周到な準備が必要であるということです。
まぁ、我流でやるとまず間違いなく気がおかしくなるでしょうね。
私は自分の経験から人の精神を破壊に導くような思想、哲学は誤った道であることを
知りました。
そのような思想の中には巧妙に決定的な誤謬が紛れ込んでいるからです。
それが人を苦しめ、精神崩壊に追い込むんです。
そして、人がそれに陥ってしまうと脱出する術がありません。

159 :ヤハウェ:2006/09/04(月) 22:43:50
>>151
お前は神かタコ。


160 :考える名無しさん:2006/09/04(月) 22:58:35
>>158 その抽象的な文章から、あなたのその悟りとやらが、精神破壊に追い込む思想・哲学を提示する人たちと、あまりかわらないと思うのですけど?


161 :境域の突破者 ◆b45h8kER4c :2006/09/04(月) 23:07:10
>>160
そうかもしれませんね
私は別に聖者でも賢人でもなく、ただ単に境域を踏み越えただけの凡人ですから

162 :境域の突破者 ◆b45h8kER4c :2006/09/04(月) 23:49:50
>>158のつづき

要するに闇雲に自分の弱さを克服しようとして、高みを目指そうとするのは危険なのです。
私が>>117で、ただ単にルサンチマンを無くそうとするのは良くないと書いたのはそういう意味です。
ルサンチマンも自分の感情です。必要があって生まれてきたものです。
ルサンチマンを殺そうとしても無意味だし、逆に自分を損なうことになります。
むしろルサンチマンは社会的な必然性から、人間同士の関係性の中から理不尽に背負わされる
性質の強いものなんじゃないかと思います。
だから、ルサンチマンを抱えているからといってあまり気に病む必要は無いと思います。
少なくともルサンチマンを抱えていることに関して、過度に自分だけを責める態度は絶対に間違っています。
例えば、上の方で「オッサンが金にモノを言わせて若いお姉さんを手篭めにしてる、それに嫉妬を感じる、
そんな自分が情けない」というレスがあります。
確かにこの感情はその人の生存を不利な方向に導くものです。
ですが、その感情を安易に否定すべきではないと思います。
私が見たところその感情の中には明らかに正しい内容が含まれています。
だから、そういう感情を抱いたとしても、自分を卑下する必要は全くありません。
むしろ自己本位な態度を崩さずに、そういう感情を抱いた原因に思いを巡らすべきであると思います。

163 :ヤハウェ:2006/09/05(火) 00:12:16
>そのような思想の中には巧妙に決定的な誤謬が紛れ込んでいるからです。
>それが人を苦しめ、精神崩壊に追い込むんです。
>そして、人がそれに陥ってしまうと脱出する術がありません。
似非だね。闇に飛び込まずにその闇を知っていなさるのか?。

>要するに闇雲に自分の弱さを克服しようとして、高みを目指そうとするのは危険なのです。
共感はする。ユングは教える、「お前等逆」。人は自分の無価値さをかみ締めることによって
成長するのです。確かに、努力し他人と差別化し己を高みに持っていくのは、現代の常套手段
ではありますが、寧ろ、己の無価値さを腹に据えろ、ということですね。恐らく。

所詮神にはなれません、煩悩あっての人間ですね。

164 :考える名無しさん:2006/09/05(火) 00:20:51
くそー、俺のものにならんのなら、せめて苦労しろ
チクショー

165 :考える名無しさん:2006/09/05(火) 00:34:30
金を積めば
素直なそぶりで恥じらいをみせる淫売め
そんなことをどこで習ったんだ
それならけちけちしないでいいじゃないか
チクショー

166 :境域の突破者 ◆b45h8kER4c :2006/09/05(火) 00:59:01
>>163
>似非だね。闇に飛び込まずにその闇を知っていなさるのか?。

だから、言ってるでしょう。私は「境域の突破者」なんですよw
まぁ、信じられないかもしれないけど・・・

>共感はする。ユングは教える、「お前等逆」。人は自分の無価値さをかみ締めることによって
>成長するのです。確かに、努力し他人と差別化し己を高みに持っていくのは、現代の常套手段
>ではありますが、寧ろ、己の無価値さを腹に据えろ、ということですね。恐らく。

むしろ逆なんですが・・・。自分が言いたいのはあまり世俗的な価値観に振り回されず、自分を卑下しないで、
強い誇りと自信を持って生きていくべきだということなんですが。
と言っても、世間から遊離した変人になれと言っているわけではありません。
あと、努力をするなと言っているわけでもありません。無理のない努力をしようということです。
世間で行われている「努力し他人と差別化し己を高みに持っていく」競争はかなり神経症的な色合いを持ったものです。
こういう競争は人間を消耗させ駄目にします。
そうではなく自分の内的衝動から自分を高めていくような努力がベストだと思われます。
例えば、楽器の好きな子供が、純粋に楽器の演奏を楽しんで上達していくみたいなのが理想です。
あと、個人的に精神分析やユングはあまり良いと思えません・・・





167 :境域の突破者 ◆b45h8kER4c :2006/09/05(火) 01:03:00
そいじゃ、そろそろ寝落ちします

私の書き込みに何かを感じた方、異論、反論、質問何でもお待ちしております

168 :考える名無しさん:2006/09/05(火) 01:06:19
境域の突破者 ◆b45h8kER4c は、たいした事無いじゃん。
もう少し知能が高いのかと思ったけど、なんか自分だけの言葉で難しく言ってみせて
「俺の言っている事がわないのは、俺を理解しないからだ」というパターンじゃん。

もう分かったから失せろ!
つまらんから消えろ!!
お前じゃごときじゃ魚のえさにもならんのだよ。

169 :考える名無しさん:2006/09/05(火) 05:41:32
>>167自分だけが境域の突破したと思って、図に乗ってるんでしょ?宗教指導者の本でも読んでみた?一応怪しいのであっても、あなたよりは人を引き付けてるんだけど、もしかしてあなたの妬みでしょ?

170 :境域の突破者 ◆b45h8kER4c :2006/09/05(火) 22:56:06
>>168
私の書き込みがそんなに不快ですか?
何故、あなたは私の書き込みに対してそんなに過剰に拒絶反応を示すのですか?
まぁ、原因は大体、見当がついているんですが・・・。
いつものことながら悲しいですね。

あと、難しく書いているつもりはありません。
紛らわしい表現や誤解を防ぐために、かなり慎重に言葉を選んでいるつもりです。
だけど、そのせいで文章の一部が舌足らずになっている可能性は否めないです。
そういう時は遠慮しないで不明瞭な部分を指摘してください。
ちゃんと理解されるような表現の仕方を考えますから。

171 :考える名無しさん:2006/09/05(火) 22:57:56
ルサンチマン、死の欲動。超人、生の欲動。ニーチェとフロイトの思想は対のものである。
ともに人類の世界戦争の結果の人間の理性に対する決定的な懐疑からその思想は生まれたのだ。
キリスト教の否定によってニーチェが夢想したものとは何なのだろうか。フロイトが人間理性の懐疑
から得た認識とは何なのだろうか。ともに追い詰めれた人間の生きるための負の力と人間に対する底知れない
可能性ではないだろうか。そして人間の可能性は資本制社会の全面的発展によって開花した。その一方で
人間の疎外もまた深刻になりつつある。その点でもニーチェ、フロイト、マルクスは無視できない思想家なのだ。

172 :ヤハウェ:2006/09/05(火) 23:05:56
>>166
キミが越えた境域は偽物です。君の言葉には何か偏りを感じます。
ちょっと残念でなりません。

丁寧さ慎重さは伝わってきますが、まだまだ未開な部分が依存で
いるように感じます。特に
>>似非だね。闇に飛び込まずにその闇を知っていなさるのか?。

>だから、言ってるでしょう。私は「境域の突破者」なんですよw
>まぁ、信じられないかもしれないけど・・・

>あと、個人的に精神分析やユングはあまり良いと思えません・・・

卑下しているようで卑下していないのが、自尊心を備えた突破者です。

高みから愚民を見るのは楽しいですよね。?


173 :境域の突破者 ◆b45h8kER4c :2006/09/05(火) 23:36:22
>>169
>自分だけが境域の突破したと思って、図に乗ってるんでしょ?

体験すれば分かりますが、別に図に乗るとかそういう性質のものではありませんよ。
誰にでも体験できるというか、誰にでも備わっているものですから
それにあまり人にオススメできるようなものでもないですし

>宗教指導者の本でも読んでみた?一応怪しいのであっても、
あなたよりは人を引き付けてるんだけど、もしかしてあなたの妬みでしょ?

新興宗教の指導者なんて憐れみこそすれ、妬みなんかしませんよ。
あんな風に歪に成長するくらいなら、未熟なままの方が遥かにマシですから。
多くの新興宗教の指導者や一部の政治家、ああいう人たちは本当にヤバい人たちです。
本人たちは気付いていないでしょうが、実はかなり瀬戸際なんです。
確かに多くの信者や支持者、金なんかが集まってくるんでしょうが、それまでのことです。
だから、そういう連中を羨む必要はないし、羨ましいと思う時点である種の罠にかかっています。
まぁ、私も彼らのことを笑えるような身分ではないんですがね・・・。

174 :考える名無しさん:2006/09/05(火) 23:56:44
>>170
> まぁ、原因は大体、見当がついているんですが・・・。
> いつものことながら悲しいですね。

このあたりをもっと詳しく!

175 :考える名無しさん:2006/09/06(水) 00:06:47
>>173を読んでみて、この人がどういう人格者なのか知れたように思うのは、私だけでしょうか?

176 :境域の突破者 ◆b45h8kER4c :2006/09/06(水) 01:39:39
>>172
>キミが越えた境域は偽物です。
信じられないのも無理ないです。
てか、そっちの側から判断しようとしても、原理的にこっちのことはまず分かりません。
私は言わばプロテウスみたいなもので、私の人格についてあれこれ詮索するのはあまり実りのあることではありません。
とりあえず、私がそっち側のことについて語っている内容だけで判断して下さい。

>君の言葉には何か偏りを感じます。
否定しません。それというのも自分が今、あまり良い状態じゃないからです。
自分が2ちゃんねるで遊んでいるのも、そういうのが実は原因だったりします。
こう見えても自分にもかなり良い感じの状態だった頃がありました。
だけど、今は色々と事情があってこういう風になっています。

>ちょっと残念でなりません。
そう言われるのが一番堪えますね。

177 :境域の突破者 ◆b45h8kER4c :2006/09/06(水) 01:40:54
>卑下しているようで卑下していないのが、自尊心を備えた突破者です。
>高みから愚民を見るのは楽しいですよね。?
下世話な話ですが、人間が何か行動を起こそうとする時には、それなりのエネルギーと動機が必要なんです。
2chに何かを書き込もうにもあれこれと思い巡らしたり、自分の場合は結構大変なのです。
そして、エネルギーは有限です。
一時期、自分は無限かと思われるほどエネルギーに満ち溢れた純粋状態を体験したのですが、
現実社会で通常じゃ考えられないような馬鹿な状況に見舞われ、そこで力を使い切ってしまいました。
高みにいた状態から見事に墜落させられたわけです。
そして、それ以降はガス欠状態で、ずっと低空飛行が続いています。
そういうわけで2ちゃんに書き込むにも、あまり見栄えの良くない感情をテコにして、それを
エネルギーにしてやっとこさ書き込んでいます。
特にこの掲示板のように逆風の強いところでは、そうでもしないとモチベーションが維持できません。
それじゃあルサンチマンを克服していることにならないだろうという批判が出ると思いますが、
自分はそういう感情をあくまでも戦略的に利用しているだけなので、それそのものになりきることはありません。
だから、自分はすぐその感情を手放すことができるので、その感情が逆手に働く場合、自分が賞賛を得られず、
周りから糞のような扱いをされた場合でも苦しむことはありません。
この状況は楽といえば楽なのですが、感動とか精神の高揚とかとは全く無縁の世界です。
ちなみにニーチェの『ツァラトゥストラ』の中にも力に溢れた純粋状態からの墜落とその心情について書かれている
と明らかに思われる文章が何篇が見受けられます。
自分は自分の個人的な体験を通して『ツァラトゥストラ』の何篇かの文章が自分の体験と照応していることを見出しました。
自慢しているわけではありませんが、私はニーチェと同じ体験をしたのだと確信しています。
特に「墓の歌」の中で語られている言葉は、私の中にあった悲しみを余すところなく代弁してくれるものでした。

178 :考える名無しさん:2006/09/06(水) 01:55:17
ところで、境域の突破者さん、ホームページとか作るの進んでるんですか?
楽しみにしてま〜す♪

179 :考える名無しさん:2006/09/06(水) 02:02:01
個人的にですが、>>177を読んでみても、ルサンチマンの人が抱いている視点と大して変わり無いような・・
単純に言えば「自分がルサンチマンかもしれない」と気がついた程度でしょうか?
大きく出ているわりには、そんなところでもがいているんでしょうね。

なぜなら、あなたの言ってることは自分の言葉じゃないので生気を感じませんから。


180 :境域の突破者 ◆b45h8kER4c :2006/09/07(木) 00:46:49
なんか私のHNが色々と問題の種になってるみたいです
「境域の突破者=此岸からの逃亡者」とでも読み替えて下さい


181 :考える名無しさん:2006/09/07(木) 01:08:28
>>180
同じと思うのですけど。いつまでも、そんなふうに特別扱いして欲しいのですね。

182 :考える名無しさん:2006/09/07(木) 19:53:10
なんだ境域の突破者叩かれまくりだな
いろいろあるが俺は賛同する

彼はここにいる人に極力汚い言葉を使わないように気をつけてる
結果として逆に鼻につくかもしれないけど、2chの中で自分の意見をいう為の精一杯の表現だろう
話している相手に出て行けとも言って、個人が自由に話す機会をつぶそうともしない
たとえ、自己陶酔に見えても、それ自体に罪はない
むしろ提案があり、真摯に答えている

俺もここでは見苦しいだけといわれる存在だろう
でも言わずにはおれん
批判するだけの馬鹿女がいるみたいでそちらのほうが虫唾が走る

183 :考える名無しさん:2006/09/08(金) 20:15:25

>批判するだけの馬鹿女がいるみたいでそちらのほうが虫唾が走る

初めからそうやって書けばいいのに・・

本心を隠して生きていくのって辛いよね・・

だから、おまえは、いつまでも、ルサンチマン、なんだってぞ!


184 :考える名無しさん:2006/09/08(金) 21:26:39

よわい。
よわすぎる。

やっぱり。
雑魚すぎる。

おまえ。
ザコ!


185 :考える名無しさん:2006/09/10(日) 02:11:00
初めて書き込みます。長文になります、すみません。
どうもこのスレ見てると、単なる嫉妬とかをそのままルサンチマンと言い換えているような発言が見受けられます。
ルサンチマンっていうものは、嫉妬の感情からもう一歩進んじゃって、
対象より劣っている自分を、劣っていることこそ価値がある、というように価値転換をしてしまう感情のことを言いますよね。
だから >>1 さんが >>65 で書いているような感情は確かに誰にでもあることだけど、
その感情は「嫉妬」であり「ルサンチマン」ではありません。
その嫉妬の感情がバネになって、自分が理想とする「嫉妬の対象」と同様になろうと頑張れば良いのです。
そのようにできるのであれば、その嫉妬の感情は、うまい言葉が思いつきませんが、私には「健全」に思えます。
「ルサンチマン」に陥る、というのは、例えば >>65 の例で言えば、
「もてない自分」こそ正しい、とか、「もてない自分」こそ清い、みたいに価値の転倒をしてしまって、
自分自身をもごまかしてしまった時、それに陥ったと言うのです。
だからとても気づきにくいものです。
キリストの言葉でいうところの「貧しきものこそ幸いなれ」というやつです。

そこで疑問ですが、>>1 さんは本当にルサンチマンに陥ってますか?
そこまでの状況ではないのではないでしょうか。
(続く)

186 :考える名無しさん:2006/09/10(日) 02:11:29
(続き)
そこで気になるのは「境域の突破者」さんです。
これはどんなに質問しても確かめようのないことなので、単なるコメントとして聞いて頂いて結構ですが、
ルサンチマンに陥っている典型と見られてもしょうがない発言が見受けられます。
一番近い発言で言うと >>177 ですが、「エネルギーに満ち溢れた純粋状態」は抽象的ですが何か魅力的な状態のようです。
それは今考えても魅力的な状態ではないのですか?
そこから「見事に墜落させられ」て、今の状態を獲得したようですが、
そこにはもう一度「エネルギーに満ち溢れた純粋状態」を得たいけど得るのが困難、という自分をごまかす感情はありませんか?
あなたの言葉には、ここに価値の転倒があるように見えてしまうのです。
何しろあなたの状態は「ルサンチマン」の典型なのです。余計なことでしょうが、気をつけてください。
確かめようもないので「違う」と言われればそれまでです。
できれば参考までに「それは違うよ」という意見をお聞かせ頂ければありがたいです。

187 :考える名無しさん:2006/09/10(日) 04:39:19
学歴コンプが根の深いルサンチマンなのはなぜか

188 :考える名無しさん:2006/09/10(日) 04:47:04
かわいい彼女を作れば解決

189 :考える名無しさん:2006/09/10(日) 05:20:30
一生解決できんだろwwwww

190 :考える名無しさん:2006/09/10(日) 05:51:52
勝手に解釈してるだけで、自分の意見を言いたいだけなんだよな。
つまらんのだよ、こういう一般人がアレコレ言うのはさぁ。

思うに、風俗嬢が生意気に人生相談を受けて答えて意見しているのを見ると、
知識や体験の程度差はあるけれど、一般人があたかも哲学っぽくアレコレ主
観を押し付けるのと同じようなんだろう。

センスが無いゴミは一生地面に這ってろ!

汚いから出てくるな!

191 :考える名無しさん:2006/09/10(日) 10:08:54
風俗行って人生相談してんじゃねぇよ

192 :考える名無しさん:2006/09/10(日) 19:14:05
不如帰


193 :考える名無しさん:2006/09/10(日) 23:31:05
>>185 です。
2ch慣れてません。すみません。
>>190 さんは私に言ってるのでしょうか。
>>190 さん=境域の突破者さん ではないですよね?

194 :考える名無しさん:2006/09/10(日) 23:44:37
人に何かを求めるのはルサンチマンの典型なのか?
もしくは腐った服を着て異臭を放っている物乞いなのかな?

195 :考える名無しさん:2006/09/11(月) 00:22:28
一言言わせてくれ、君達はコスモを感じたことはあるか?

196 :考える名無しさん:2006/09/11(月) 00:28:19
>>195
お前まだセブンセンシズ目覚めてないの?

197 :考える名無しさん:2006/09/11(月) 00:38:56
せいんとせいや?

198 :考える名無しさん:2006/09/11(月) 01:10:22
びしっとせいや

199 :境域の突破者 ◆b45h8kER4c :2006/09/11(月) 01:17:27
>>174
そのことをみんなに理解してもらえるように説明するためには、その前にまだ
色々と書かなきゃいけないことがあります。もう少しお待ち下さい
とりあえず、そこに行く前に、「悪、闇(病み)とは何か?」「人間社会で行
われている神経症的競争の正体」「ニーチェとは何者だったか?」といったこ
とについて書かなければならないと思っています。それを経由してからでない
と私の言うことはおそらく誰にも理解されないし、嘲笑されるだけでしょう。
私はそれらについて書くことを通して、自分自身が何者であるかについてを皆
さんに明かしていきたいと思っています。

自分が「境域の突破者」を自称するのは、私が皆さんにとって有益なものを提
供できる自信があるからです。単に変わった経験をしたことがあるということ
をアピールしたいわけではないです。私は自身の経験を通して、独自の認識を
手に入れました。これはアカデミックな哲学研究を幾らしても通常では手に入
るものではありません。正直、名のある哲学者、ニーチェ研究家よりも遥かに
面白い話をする自信があります。私は現実生活ではうだつのあがらない男です
が、ルサンチマンに苦悩する人間や人生について何か深く考えようとする人間
にとっては福音をもたらす者になりうる人間であると自任しています。
私がこのスレに執着し、ずっと貼りついているのも私の行ってきたことが真価
を発揮することができる活躍の場になりうるという可能性をここに感じるから
です。

200 :境域の突破者 ◆b45h8kER4c :2006/09/11(月) 01:39:23
>>185
>その嫉妬の感情がバネになって、自分が理想とする「嫉妬の対象」と同様になろうと頑張れば良いのです。

良くないです。
色々なケースがあって一概には言えないのですが、一般的に自分の欲しない努力や無理な
努力はすべきではないということが言えると思います。
他人のようになろうとは思うべきではないし、人は自分自身であらねばならないというのが基本です。
それでも、もし、その人が羨望に苦しめられるのならば・・・
そう思う自分自身の感情の中に、そういう感情が生まれた人間と人間の関係性の中に毒が含まれているのです。
この毒は人を神経症的な競争に駆り立てるものです。
こういうものによって駆り立てられ、突き動かされている時点で人は一種の罠にかかっています。
我々がすべきなのはこの毒をいかに取り除くかということです。

201 :境域の突破者 ◆b45h8kER4c :2006/09/11(月) 01:56:33
>>186
>そこにはもう一度「エネルギーに満ち溢れた純粋状態」を得たいけど得るのが困難、という自分をごまかす感情はありませんか?

ありません。
というより、それがもはや不可能であるということをきちんと認識しています。
これは自分にとって本当に耐え難いほどに残酷な事実です。

>何しろあなたの状態は「ルサンチマン」の典型なのです。

違うと思います。

202 :考える名無しさん:2006/09/11(月) 01:58:45
>>199のような人が一番怪しいんですけど・・
それもこういう話し方は、人を惑わす元凶に感じるのは私ではないと思います。

宗教板でスレ立ててやったらいかがですか?

それと、どんな本読んでるのか題名教えてください。

203 :考える名無しさん:2006/09/11(月) 02:11:26
>>201
がんばれ〜
なれの果ては、哲板によくいる個性が強いコテの一人になるんだろうなぁ・・

204 :考える名無しさん:2006/09/11(月) 02:13:14
>>185 です。
境域の突破者さん。
>>200 は論理が破綻しています。
>一般的に自分の欲しない努力や無理な努力はすべきではないということが言えると思います
これのどこが「一般的」なのですか?いきなり前提の捻じ曲げはやめた方がいいです。
私は「理想に向かって」という前提を書いておきました。
理想に向かって努力するのは当たり前でしょう。
もちろん「努力する」のは、それがつらいから「努力」になるわけですから、
そのつらさによって怠けてしまう場合も多々あるわけです。
でもそれを「欲しない努力」として「すべきではない」と言うのは、
それこそルサンチマンの罠にはまっていると言わざるを得ません。
「努力できていない自分」こそ正しい、という論理につながります。
まぁ、罠にはまっていようがいなかろうが、それを「一般的」と言うのは通用しません。

205 :考える名無しさん:2006/09/11(月) 02:41:54
>>185 です。
境域の突破者さん。
>>200 についての続きですが、あなたの文脈に則って書いたために誤解された部分があるようです。
私が書いた
>自分が理想とする「嫉妬の対象」と同様
は、あなたが書いた
>他人のように
とはイコールではありません。私が言いたいのは「理想像」ということです。
理想に向かって頑張れば良いでしょ、ということです。
それが自分自身ではなくなる、なんてことにはなりません。
あなたが言っていることは、
「理想を持つと努力しなきゃいけなくなっちゃうから、理想なんか持たないほうが良いよ」
と言っているようにしか見えません。

人間は関係性の生き物です。これは原理的なものです。
自分を取り巻く環境や社会から理想像を構築していき、それを目指して生きるものです。
それが「自分自身でなくなる」、ということではもちろんありません。

206 :考える名無しさん:2006/09/11(月) 02:43:23
日曜の真夜中に書き込みしてるんだから相当な引きこもりなんじゃねーの?
もしかして精神分裂者とか重度の精神異常かもな。
ルサンチマンの典型じゃなくて異常者の典型で仮面かぶってるだけだったりして。
あぶねーから、俺は寝るわ

207 :考える名無しさん:2006/09/11(月) 03:14:30
>>206
オモエモナー

208 :考える名無しさん:2006/09/11(月) 16:58:28
もはやニーチェの解釈とは何の関係もないね。

209 :境域の突破者 ◆b45h8kER4c :2006/09/11(月) 21:29:27
個別の書き込みにレスをする前に、一つ決定的なことを・・・

185さん
私はかなりディープなニーチェ愛読者ですが、「貧しきものこそ幸いなれ」という
キリスト教の言葉は正しいと思っています。
果たしてこれは価値の転倒なのでしょうか?
それとも弱者のルサンチマンが生み出した妄想なのでしょうか?

これこそが貴方と私との決定的な違いです。
「理想像」だの「努力する」だの、曖昧で些末な問題に入っていってエネルギーを
浪費するよりも、このことについて徹底的に論議しませんか?
そっちの方が傍から見ても中身があって面白い議論ができそうです。

210 :境域の突破者 ◆b45h8kER4c :2006/09/11(月) 22:19:56
>>202
>>199のような人が一番怪しいんですけど・・
>それもこういう話し方は、人を惑わす元凶に感じるのは私ではないと思います。
>宗教板でスレ立ててやったらいかがですか?

私がここに書き込むことで不利益を被る人がいるのならば、遠慮なさらずにそう仰って下さい。
素直に立ち去ります。

>それと、どんな本読んでるのか題名教えてください。

最近よく読むのは聖書です。本当です。
特に「箴言」などは私の思想と照らし合わせてみても、確実に正しいことが
書かれていると確認することができます。すごくためになります。

哲学者なら竹田青嗣さんの著作とか。基本はまさにアレです。
あの路線の延長線上に私の到達したものがあります。
現代思想関連では色々と難解な本が沢山ありますが、そういうものには
あまり手を出さない方が良いような気がします。竹田青嗣で十分。
あと、自分の思想を形成する上で、意外にも経済学が役に立った気がします。
ミクロ経済学やゲーム理論などから得たものは少なくなかった気がします。
古典ですが、スミスの『道徳感情論』などは人間や社会を考える上で出発点を
与えてくれる本だと思っています。

211 :考える名無しさん:2006/09/11(月) 22:25:52
ニート、引きこもりに説教されてもね・・

212 :境域の突破者 ◆b45h8kER4c :2006/09/11(月) 22:36:27
>>211
ニート、引き篭りにも真実がありますよ。
彼らを一方的に切り捨てるのも、社会を運営している側の恣意的な価値観でしかない。
私はニートや引き篭りではないんですがね。

ある段階から、書物があまり意味を持たなくなる境地があるんです。
人間や外界の事物が、本を読む以上に強烈に自身の持つ意味合いを伝えてくるからです。
でも、そこから変な人間や本との出会いが自分にとっての大きな危険になってくるわけですが。

213 :考える名無しさん:2006/09/12(火) 00:39:22
独自の認識とやらに興味あるが何をどう質問していいかわからん。

214 :考える名無しさん:2006/09/12(火) 01:18:53
>>185 です。
境域の突破者さん。
>>209 読みました。支離滅裂でびっくりです。
ニーチェはそのキリスト教のあり方を「弱者のルサンチマン」として批判し、新たな価値創造が必要であると説いたのではないですか?
ニーチェを読む上で基本の中の基本の出発点ですが、あなたの立ち位置が全く分かりません。
別にあなたがキリスト者の視点を肯定するのはもちろん何の問題もありません。
長く書くと間違って解釈されちゃいそうですね。
単純に言うと「ニーチェ=キリスト教の批判者」「あなた=ニーチェ愛読者」。で、あなたの立場は?ということです。
ちなみに私はニーチェは読みますが、「愛」読してはいません。

>>204 で書いたことから感じて頂きたかったのですが、あなたは論理的に語ることが苦手なようです。
そこがあなたと私の決定的な違いです。
「曖昧で瑣末」とおっしゃいますが、その通り、難しいことは何一つ書いていません。
徹底的に論議しよう、というのであれば、>>204 に対して回答して下さい。
それができないというなら、少なくともこの書き込みに書いた立ち位置くらいは明確にして下さい。

ちなみに私も竹田さんの著作はほぼ読んでいます。
殊更竹田さんを持ち上げるつもりはありませんが、
彼の著作を読んだ上であなたがそのような認識を得たと言うのであれば、
あなた自身は悉く竹田さんに対して批判の立場にいるか、あるいは完全に読解力が足りないか、どちらかですね。

215 :考える名無しさん:2006/09/13(水) 23:17:13
天国や地獄の存在は虚構である。
大金持ちの家に生まれ面白おかしく暮らしても地獄に落ちることはなく、
貧しい家庭に生まれ、家畜のように搾取されたところで天国に行けるわけではない。
死んだら終わり。

216 :考える名無しさん:2006/09/13(水) 23:20:20
「貧しきものこそ幸いなれ」という言葉は偽りである。
しかしそれは心からの同情から出た言葉であった。
イエスは優しさゆえに嘘をつかなければなかった。
これが神が堕ちる地獄である。

217 :考える名無しさん:2006/09/14(木) 20:20:21
うらめしい解釈しますね

218 :考える名無しさん:2006/09/15(金) 00:09:27
>>185 です。
境域の突破者さんへ。
>>209にあなたが書いた
>「貧しきものこそ幸いなれ」というキリスト教の言葉は正しいと思っています。
にとても興味があります。
是非、その真意をお聞かせください。楽しみにしています。
もちろん分かりにくい話になるでしょうから、私が >>214 に書いたことは明確にして頂いてからの話ですが。
よろしくお願いします。

219 :考える名無しさん:2006/09/15(金) 02:45:14
カスはしかと邪魔をくりかえすなら潰す超人同士でつながれでいいじゃん
カスに武器や力や甘え与えたってなんにもならん。カスがカス同士足引っ張り合って超人ははるか上トンでりゃいいんだよ

220 :考える名無しさん:2006/09/15(金) 03:25:55
弱者、強者、価値の転倒という単純なフィクションと図式に全てを
はめこもうとしているから無理が出てきて、ニーチェ厨は頭の中が
混乱してしまうのだろう。現実は複雑だ。複雑な現実に対して一貫した目的や
努力目標や弱者/強者という単純なフィクションを求めるニーチェ厨こそ
ルサンチマンの呪縛に捕らわれている。その点、仏教はシンプルだ。
ただ現実をみつめろとしか言わない。

221 :考える名無しさん:2006/09/15(金) 04:11:25
やはり、あの1991年8月の「八月クーデター」失敗によるソビエト・ロシア(ソビエト共産主義)の崩壊という
ことがなければ、この仕事は完成させることはできなかったと思う。ソビエトの崩壊と冷戦構造の終焉によって、
それまで曇っていた自分の頭がすっきりした。「やっと分かったゾ」という気になったのはこの時期である。
自分もまた、ほとんどの日本知識人たちと同じく、頭の幾分かを、ずっと引きずるようにして、ソビエト型とは
違うのだが別種の社会主義=政治的理想主義に長く囚われていて、この呪縛から開放されなかった。
一九九四年から一九九五年にかけてやっと、この本を書きあげ完成させたときに、私は世界を一極的に
支配する世界覇権国となったアメリカ合衆国の諸思想がどうのようになってできているのかを知ったのである。
(中略)
このとき私は、アメリカの現代アメリカ政治思想の各派を、日本語でコンパクトにまとめて、全体的に
性格描写することで、自分が悩み苦しんできた二十年来の政治イデオロギー遍歴からも開放されたのである。
私は、今や、右(保守)でもなければ、左(リベラル)でもない。
私は、ただ、それらの全体像を大きく眺めつくすものである、ということになった。
私は左右の大きな価値対立に於いて、どちらにも組するものでは自分を発見した。
私は、ただそれらの思想の諸価値の対立点を記述する者である。

副島隆彦「日本の秘密」


222 :考える名無しさん:2006/09/15(金) 04:19:27
やはり、あの1991年8月の「八月クーデター」失敗によるソビエト・ロシア(ソビエト共産主義)の崩壊という
ことがなければ、この仕事は完成させることはできなかったと思う。ソビエトの崩壊と冷戦構造の終焉によって、
それまで曇っていた自分の頭がすっきりした。「やっと分かったゾ」という気になったのはこの時期である。
自分もまた、ほとんどの日本知識人たちと同じく、頭の幾分かを、ずっと引きずるようにして、ソビエト型とは
違うのだが別種の社会主義=政治的理想主義に長く囚われていて、この呪縛から開放されなかった。
一九九四年から一九九五年にかけてやっと、この本を書きあげ完成させたときに、私は世界を一極的に
支配する世界覇権国となったアメリカ合衆国の諸思想がどうのようになってできているのかを知ったのである。
(中略)
このとき私は、アメリカの現代アメリカ政治思想の各派を、日本語でコンパクトにまとめて、全体的に
性格描写することで、自分が悩み苦しんできた二十年来の政治イデオロギー遍歴からも開放されたのである。
私は、今や、右(保守)でもなければ、左(リベラル)でもない。
私は、ただ、それらの全体像を大きく眺めつくすものである、ということになった。
私は左右の大きな価値対立に於いて、どちらにも組するものでは自分を発見した。
私は、ただそれらの思想の諸価値の対立点を記述する者である。
(中略)
私は日本知識人層の貧弱な土俵の上に「現代アメリカ政治政治思想の全体像」を
植えつけるという大きな仕事を先駆者としてなしとげた。
今や日本知識人全てを足元に見下すほどの地位を、私は自力で築いたのである。
しかし、このことは、私が大秀才である、と自惚れているのではない。
私程度は、アメリカでは頭のいい大学院生程度だということである。
ということは、日本の知識人の大半の文科系の知識人の知能水準は、
アメリカに持ち出せば、頭のいい高校生程度だ、ということである。
副島隆彦「日本の秘密」


223 :考える名無しさん:2006/09/15(金) 06:52:13
 貧しき者病める者に対して虚飾なき現実、すなわち意味も価値もない生の人生を
直視しろと言うことは、相当に酷薄なことであり、いわば深遠を覗き込めと言っている
ようなものだ。これはよほど強い精神の持ち主でなければ耐えらない。
 そこで宗教という虚構が必要とされる。現在の苦痛が天国においてその何倍もの
幸福によって報われるとするなら、現在の苦しい生活にも耐えられる。生きる希望が
沸いてくるというものだ。

224 :考える名無しさん:2006/09/15(金) 13:02:01
竹田読んだくらいで聖書だニーチェだと語る輩がいることだけはわかった。
このスレのレベルの低さに安心した。さて、古巣へ戻るか。竹田なんて
入門書レベルだろが。ルサンチマンから解放されたければ、ハイデガー、ヘーゲル、
フッサールをまず読むことだ。

225 :考える名無しさん:2006/09/15(金) 19:03:18
この数十年間で日本の政治思想・評論業界は孤絶し、かなり立ち遅れてしまった。ドイツとフランスの
古色蒼然たる百年前、二百年前の政治思想の本を。訳も分からないまま読み続けてるのが現状だ。
全くヒドいものだの一語につきる。
日本の八十年代の言論を圧倒したフランスの構造主義の大家ミシェル・フーコのような、現代もの
でも、かなり癖のある思想・哲学なのであって、本当はフーコや、ジル・ドゥールズらの思想は
「人文」である。文学あるいは文化研究なのだ。政治権力なるものを生まで扱う学問ではない。
現在のフランスやドイツの本当の最高の知識人たちとは「どうやったら、自分たちが、アメリカ
の支配から脱却できる」を本気で考えている人々だ。日本知識人は文化研究しかできない人々だ。
副島隆彦「日本の秘密」

前ページに神学対近代学問(サイエンス)の壮大な対立図式を示した。これ以外に下等学問としての
「人文」というのがある。この人文というのはヒューマニティーズの日本語訳である。
ヒューマニティーズとは「人間、および記録された文学に関わること」という意味である。
だから人文は、簡単に言えば現在で言う文学(部)のことである。他には歴史学があり、その内容は
古文書や石碑の文の解説などを行うことだ。これらは、学問としては下等学問である。
副島隆彦「ハリウッド映画で読む世界覇権国アメリカ」


226 :考える名無しさん:2006/09/15(金) 21:30:03
貧しき者が幸いであるのは、彼が天国において報われるからである。
富める者がわざわいであるのは、彼が地獄に落ちるからである。
しかし、天国も地獄もないとしたら、貧しき者はただ貧しいだけであり、不幸なだけだ。
いや、貧しき者は不幸であるという認識こそむしろ正しいはずなのに、天国というフィクションを
設けることによって逆に幸福な者になってしまう、こちらの方が価値転倒なのだ。

227 :境域の監視者 ◆b45h8kER4c :2006/09/15(金) 21:57:38
185さん、私の書き込みに興味を持っていただいてありがとうございます。
これから自分の考えを皆さんに分かりやすく伝えていきたいと思います。

>>214
>ニーチェはそのキリスト教のあり方を「弱者のルサンチマン」として批判し、新たな価値創造が必要であると説いたのではないですか?

それくらいの倫理の教科書に載っているぐらいの知識なら当然知っています。
ニーチェ読みのはしくれですから。知った上で発言しています。

>ニーチェを読む上で基本の中の基本の出発点ですが、あなたの立ち位置が全く分かりません。

そう思うのも当然です。
ですから、>>209で「私はディープなニーチェ愛読者ですが」と前置きしたのです。
「貧しきものこそ幸いなれ」という言葉をただ無邪気に支持するだけなら、ニーチェを読んだことの
ない人間だと思われて仕方ありません。
ですが、私はニーチェの思想に心の底から共感し、理解したうえで上記のような認識に至りました。
むしろニーチェ哲学を経由しなかったならば、「貧しきものこそ幸いなれ」という言葉の真の意味
について知り得なかったでしょう。
おそらく僧侶的価値規範や奴隷道徳の持ち主のように浅薄で誤った理解に留まっていたことだろうと思います。

>単純に言うと「ニーチェ=キリスト教の批判者」「あなた=ニーチェ愛読者」。で、あなたの立場は?ということです。

ニーチェは確かに19世紀のキリスト教的ドイツ精神文化の攻撃者でした。
そして、私はニーチェ思想の最も良き理解者であることを自負しています。
その私がキリストの「貧しきものこそ幸いなれ」という言葉を正しいと発言するのは
大きな矛盾を孕んでいると思われるかもしれません。
しかし、私の心の中ではこれらのことは全て相矛盾せず、キチンと統合されています。
如何にしてそのような発想が可能になるのかということをこれから説明していきたいと思います。


228 :境域の突破者 ◆1Mow3V2aHI :2006/09/15(金) 22:08:30
あ、HN間違えました・・・w
「境域の監視者」じゃなくて「境域の突破者」です
これだと別の意味になってしまうw

あと、良い機会なので、これを機会にトリップを変更しようと思います。
ググってみたら、自分と同じトリップの人間が何人か見受けられるからです。
これ以降は↑のトリップが本物の境域の突破者だと思ってください。
ちなみに◆b45h8kER4cのトリップのキーは#jesusです。


229 :考える名無しさん:2006/09/15(金) 22:32:48
境域の突破者ってなんにも突破してねーだろ理屈なんていくらでも超えれんだよどうやって実行するか
実行すんのがむずいねん

230 :考える名無しさん:2006/09/15(金) 23:25:30
さっさと貧しき者が幸いである理由を説明してください。

231 :境域の突破者 ◆1Mow3V2aHI :2006/09/16(土) 00:46:04
>>230
もうちょいお待ちください

>>214
>彼の著作を読んだ上であなたがそのような認識を得たと言うのであれば、
>あなた自身は悉く竹田さんに対して批判の立場にいるか、あるいは完全に読解力が足りないか、どちらかですね。

そのようなことはないです。
私は竹田さんの著作を読んで理解し、その思想を自分なりに消化しています。
それらは確実に自分の血肉となり、自分が物事を哲学的に考える際の材料になっています。
そして、自分が見出した認識はその思考の延長線上にあるものです。
竹田さんの著作はここ哲学板でも入門書として評価が高く、多くの人に読まれています。
ですから、自分の得た認識もここでなら共有できる可能性が強いと踏んでいます。
そういう自信の裏打ちがあってこそ、自分はこのスレで自分の考えを披瀝する決心がついたのです。

>>224
別に竹田さんの本しか読んでないとは言っていません。
竹田さんの本を読めば、「主観−客観」「認識−現実」「一元論−二元論」などといった哲学の基本問題を把握することができる
ということを言いたいだけです。
哲学史上の多くのビッグネームたちもこの基本問題の一つのパターンをなぞっているに過ぎませんから。
竹田さんの著作を理解できれば、その他の哲学者の思想も基本的に理解可能であると思います。

自分もここに至るまで様々な分野の書物を読んできました。
しかし、それらの読書が必ずしも実りの多いものであったかと言われると、そうではなかったと言わざるを得ません。
正直、時間と労力の無駄だったと思わざるを得ない本の方が多かったと思っています。
中には難解なことを語っており、理解が容易じゃないのに、その考えに触れることで思考が錯綜し、
精神が不健康になる類の思想もあります。
精神分析やポストモダンの多くの哲学はそういう傾向を持った思想だと思っています。
正直、ニーチェの哲学やルサンチマンという概念自体が不健康なものじゃないかという懸念すら持ってます。
まぁ、そういうことにはここでは余り立ち入らず、懸念を表明するということだけに留めておきます。

232 :考える名無しさん:2006/09/16(土) 01:12:10
人と比較している時点で負け組だろ。どんな世界にも、上には上がいる。
世界的なレベルで比較すれば常に負ける事は必定。

233 :日本人:2006/09/16(土) 04:41:31
>>185 です。面倒になってきたので名乗ります。日本人です。
境域の突破者さん。>>230 は私ではありません、念のため。
ただ、同じ感想です。とっとと説明して下さい。

ちなみに一点注意。
以前にも指摘したことですが、あなたは論理的に語るのが苦手なのですから、
うまく語られることを期待します。

>>231 を読んでも、やはり読解力がないことは明らかなので、この件についてあなたの言葉は必要ありません。
もちろん「自分なりに消化」するのは勝手です。誰だってそうしてるのですから。
「自分の血肉」となるのも当たり前です。誰だってそうなのです。
それと読解力があるか否か、は全く別の問題です。なのでもうこの件は良いでしょう。

で、戻って >>227 ですが、あなたがとっとと説明すれば良いだけの話なので、
余分で稚拙な文を長々と書くのは罪ですよ。
>>204 で書いたことについての見解もちゃんと示してください。
私はあなたについて >>204>>205 で書いたことが、ほぼあなたの本質を描いていると考えています。
逃げないで下さいね。期待しているのですよ。
私を納得させて頂けたら、それは私にとって新たな見解になるのです。

234 :考える名無しさん:2006/09/16(土) 05:48:48
ルサンチマンの典型が、たくさん集まってるな。
やっぱり。

>>233
ところで、あんた風俗嬢でしょ?
キモイから消えてくれる?
既婚女性板いくとすごい刺激あるよ。

235 :日本人:2006/09/16(土) 06:19:30
>>234 さん。
>>233 の日本人ですが、キモくてすみません。しかも男です。
2ch初心者で、文脈無視で叩かれるのが怖いので、控えめな言葉遣いで書いていたのですが、
それが女性が書いているように見えるのでしょうか。不思議だ。
私について「ルサンチマンの典型」との指摘でしょうか?
説明頂けると助かります。

236 :考える名無しさん:2006/09/16(土) 06:39:19
 哲学というのは相手を言い負かすためではなく、弁証法によってより高い認識に
至るためにするものだというのが、ソクラテスの無知の知という思想でしょう。
 勝ち負けのために議論するのは今日の弁護士のはしりである弁論術家。
彼らは法廷で相手を論破し、依頼人を勝たせるのが飯の種なわけですから。

237 :考える名無しさん:2006/09/16(土) 07:38:26
>>235
君はあんまり能力無いから教えてあげない。
境域の突破者の方が君より見込みあるからさ。
境域の突破者はちょっと見えただけで天狗になっているから
あんまり評価されないんじゃないか。

「女性が書いているように見えるのでしょうか」だけど、
思ってたとおりに知能が低そうだから、一つ教えてあげると、
「君は女々しい」ということ。

238 ::2006/09/16(土) 07:57:07
この人・・・目くそ鼻くそを笑うどころではなく、顔を引きつらせ
ながら必死に目くそ鼻糞を笑おうと頑張る、だね。ヒステリーなのかな。

239 :考える名無しさん:2006/09/16(土) 08:00:38
>>235
全てに無理にレスすることはない。
蔑視する輩の程度なんて高が知れている。
君のプラスにはならないよ。

240 :考える名無しさん:2006/09/16(土) 08:53:43
この過疎スレをここまで盛り上げたという点では敬意に値する。

241 :考える名無しさん:2006/09/16(土) 08:59:20
>>238 近くにゴキブリがガサガサしていても動じないタイプの人でしょ?

242 :考える名無しさん:2006/09/16(土) 09:47:00
嫉妬はなぜ苦しいのか?

 たとえば、ナンパの得意な男がいて毎晩違った女と寝ているとする。それに対して自分は女にモテない。
自分はナンパ男に嫉妬を感じるが、嫉妬している自分に罪悪感を感じる。なぜなら不特定多数の
女性と付き合うことは不道徳な行為であり、そのような不道徳な行為に嫉妬するということは、
自分もまたそのような不道徳な行為を欲しているということになるからである。
 と考えれば、嫉妬それ自体よりも、嫉妬するのは悪いことだとする我々の良心こそが我々に
より大きな苦痛を与えているのではないだろうか? 
 とすれば、我々はなぜ良心によってかくも苦しめられなければならいのか?

243 :考える名無しさん:2006/09/16(土) 10:25:31
モテないやつの心理なんかわかんねーよ。
男の能力なら単純に学業や仕事を引き合いに出してくれた方がわかりやすい。

>不特定多数の女性と付き合うことは不道徳な行為
こんなこと考えてるとは・・・

244 :日本人:2006/09/16(土) 10:31:30
>>239 さん。了解しました。
>>237 さんの書き込みは何も言ってないに等しいので無視します。
でも一応言っておくと、>>237 さんからの説明は期待していませんでした。
どうせできないことが分かっていたからです。
説明してくれたとしても、的外れになることは想像に難くなかったのですが、ちょっと試してみたかっただけです。
失礼しました。
今後もこのような意味のない書き込みは無視するようにします。

245 :考える名無しさん:2006/09/16(土) 10:36:12
女はパーチクリンがいい!

246 :考える名無しさん:2006/09/16(土) 10:38:10
>>242
よくキモイと呼ばれないか?

247 :考える名無しさん:2006/09/16(土) 10:54:11
>>246
気持ちイーとよく呼ばれます。

>>244
生きていても楽しいことないでしょ。
恋人もいなくて自然界になんの貢献もしてないんじゃないか?

248 :考える名無しさん:2006/09/16(土) 11:16:47
>>243,>>245
不倫とか浮気をしようと思っちゃダメよ!
損するのはいつも女なんだから・・

249 :日本人:2006/09/16(土) 11:25:50
>>242
たとえば、って書いているから、君自身が実際にモテないわけではないのでしょうが、文が支離滅裂です。
>>243 が言うように、その行為を「不道徳」と感じる君の中の道徳観念からまず疑ってみなさい。
「良心」を問題にする前に考えるべきことです。
でも普通はみんなそこには簡単に気付けるものです。
悩まなくて良いことに悩んでいると、生きていても楽しくないぞ。頑張れ。

250 :考える名無しさん:2006/09/16(土) 12:08:26
お前にだけは言われたくねーんだよ

早く消えろ

251 :242:2006/09/16(土) 12:23:45
嫉妬だけならそれほど苦しくないと思うんですよ。嫉妬することが悪いと思うから苦しくなる。
それがルサンチマンの苦しみなのではないかと。

252 :日本人:2006/09/16(土) 13:36:11
>>250 あはは、頑張れよ。

>>251 それもルサンチマンではないです。
>>185 に書きましたが、ルサンチマンは「マイナスの状況こそプラスだ」という価値の転倒をして自分を正当化することで、
自分をもごまかしてしまう状況を言います。
「嫉妬だけならそれほど苦しくない」というのは、そういうわけで同じ意見です。
>>242 は嫉妬から進んで、見当違いな悩みに入ってしまっているだけなので、
問題は非常に分かりやすい。
しかし、ルサンチマンは価値の転倒が為されるので非常に分かりにくい。
ルサンチマンに陥っているのかどうかを判断するのがとても難しいという意味で非常にやっかいなのです。
なにしろ自分自身もごまかされちゃっているのですから。
たとえばモテない男が、「それが男らしさというものだ」とか言い出した場合とか、
出世できない教師が「私は現場主義だ」とか「私は生涯一教師だ」と言い出した場合、
本当にそれを理想としているのか、それともルサンチマンに陥っているのか、
非常に分かりにくくなるのです。
ルサンチマンの克服を考える場合、「価値の転倒」であることをしっかりと認識した上で、
個々の問題について問い直しが必要になるのです。

253 :考える名無しさん:2006/09/16(土) 14:07:56
>「マイナスの状況こそプラスだ」という価値の転倒をして自分を正当化すること
これって生きる力だと思うんだけど、そうするとルサンチマンを克服することに意味などないのでは?


254 :日本人:2006/09/16(土) 15:11:51
>>253
「生きる力」とはどういう意味で言ってますか?
>>185 にも書きましたが、マイナスの状況(コンプレックスなど)をバネにして良く生きることができれば、
それで良いと思います。そういう意味で「生きる力」と言っているなら、同意します。
それはマイナスの状況からプラスに向かってより進歩していく、ということだからです。
ルサンチマンとは、マイナスの状況を、そのまま概念的にプラスと捉えるように、概念操作を自分の中で行ってしまうことです。
キリストの「貧しきものこそ幸いなれ」は、
「貧しさ」から「豊かさ」を目指して努力するという生きる力を奪い、
「貧しさ」の状況のままで「幸い」なのだ、と概念操作してしまっている。ここにニーチェは価値の転倒を見出したのです。
私は別にニーチェを信奉する者ではないですが、この考え方には同調できると考えています。

255 :考える名無しさん:2006/09/16(土) 18:23:01
ここまで落ちちゃうとさ、みんな電磁波になっちゃうんだよね。

256 :考える名無しさん:2006/09/17(日) 01:00:36
>>254
 ニーチェのキリスト教批判についてはそういう解釈が妥当だと思う。
 しかし、キリスト教の価値観を否定した後で、ニーチェがいかなる価値観を創造しようと
したのか? ディオニュソスとか笑う獅子とかいったシンボルは何を意味するのか?
その理解は非常に難しいように思われます。

257 :考える名無しさん:2006/09/17(日) 02:49:37
>>232
何が上かって事わかってる?

258 :考える名無しさん:2006/09/17(日) 03:30:37
マイナス体験や劣等感をバネに頑張ると言ってる奴はルサンチマンから
解放されることは一生ない。

259 :考える名無しさん:2006/09/17(日) 04:04:16
解放される意義が見出せない。
それが生きる力になるのならむしろ喜んで受け入れるべきじゃないのか?

自覚してしまったら苦しいというだけだろう。

260 :考える名無しさん:2006/09/17(日) 05:09:21
もう家畜化されているからな、日本、開放されないよ

261 :考える名無しさん:2006/09/17(日) 06:04:17
1.価値の転倒」これは転倒前の価値の存在を前提としている。

 価値の転倒を行うには、転倒前の価値だけでは不足で、それを転倒させる土俵がいる。
 その土俵は、転倒者自身が作ることになる。

 当然、転倒者は、転倒前は転倒前の価値にとらわれていた。
 そこから価値の転倒を行うことは、転倒作業自体が一つの矜持となり得る。 

 しかし、結局自ら行ったのは、土俵の作成と転倒作業だけだ。
 これだけで満足する輩も多いが、虚無感からの脱却には何か足りない。
 
2.虚無感からの脱却のためには、積極的な価値観の肯定が不可欠だ。
 それも、否定の否定としての肯定ではなく、実際の肯定だ。

 しかし、その積極的な価値観は自然発生的に湧き出るものではない。
 既存の価値観を解体し、自ら組み立てることが必要。
 普通、これは狂気の沙汰だ。

 既存の価値観の転倒ではなく、自ら組み立てた実際の肯定しえる価値観。
 悟りの定義に似ているが、これが虚無感からの唯一の脱却で、
 通常の生活で得ることはは不可能と思える。

262 :考える名無しさん:2006/09/17(日) 07:27:07
>>261
なかなか読みやすい。
君もコテつけて、境界氏や日本人氏と議論交わさないか?

263 :考える名無しさん:2006/09/17(日) 07:48:50
君達のような憎しみの感情を持つ人格的に未熟な智慧の無い
人が、あれこれと言葉で表面を取り繕っても何の意味もですよ。
自分の汚い心を言葉で美しく飾っただけの誤魔化しです。

264 :考える名無しさん:2006/09/17(日) 08:52:27
こんな読みにくいの読むよりも、「智慧」の教義を読んだほうが、
はるかに高次元にいけると思います。
>>263 と同じように感じました。
>>261-262 読みにくすぎます。きっと面接でも落とされまくってるんでしょう。

265 :考える名無しさん:2006/09/17(日) 11:08:42
 ニーチェにとってルサンチマンとはキリスト教たたきの道具立ての一つでしかなかった
と思うんだけどね。ニーチェ自身にとってルサンチマンとは主要なテーマだったんだろうか?
どうもニーチェの用法から離れて一人歩きしすぎている気がする。
 竹田のいう「ルサンチマン人間」なんてものは、本来ニーチェが言おうとしていた
ルサンチマンとは大きく異なる気がする。

266 :考える名無しさん:2006/09/17(日) 11:24:10
 ニーチェは「右の頬を打たれれば左の頬を差し出せ」というキリスト教の愛の精神を
弱者の自己欺瞞として批判する。
 憎悪や復讐に関しては、これを肯定するのが「悲劇の精神」である。

267 :境域の突破者 ◆1Mow3V2aHI :2006/09/17(日) 16:14:11
「右の頬を打たれれば左の頬を差し出せ」というのは中庸の精神のことを言っているんです、実は。
これは秘教学的な知識なので、ここで語るのはふさわしくないかもしれませんが。
右の頬を打たれることによって崩れたバランスを、左の頬も打たれるという試練を受け入れることによって回復するんです。
もっとも恐ろしいことは魂が偏向することです。精神が奇形になることです。
左右の頬の例えはその魂の偏向を修正する機会が試練として与えられるわけなのだから、
それを喜んで受け入れろという意味の言葉であるらしいです。
人間の頬が左右についているように、魂の偏向にもちゃんとそれを補償する反対側の経験があるんです。
これは恵みにほかなりません。
より高い視野から見た精神衛生について語られた言葉なのです。

皮相的に見れば、この言葉はニーチェが解釈したようにマゾヒスティックな弱者の自己欺瞞と受け取られるかもしれません。
しかし、実際にはもっと奥深い叡智が隠された言葉なのです。
キリスト教はニーチェが思う以上にしたたかです。

268 :考える名無しさん:2006/09/17(日) 18:12:26
右の頬をなぐられたら左の頬を差し出す 左の頬もなぐってきやがったらなんとかしなきゃいかん

269 :考える名無しさん:2006/09/18(月) 06:28:38
 ニーチェは叩く者はローマ人、叩かれる者はユダヤ人であると解釈している。
イエスの時代パレスティナはローマ人の支配下にあり、ユダヤ人の反乱が頻発していた。
そういう歴史的背景のもとに解釈している。このような解釈はニーチェだけのものではない。
そのような状況でもローマ人との和平を訴えたからこそイエスはすばらしいという人もいる。
 キリスト教徒は、初めはローマ帝国から迫害を受けたが、「皇帝のものは皇帝へ、
神のものは神へ」と政教分離を訴えることにより、次第にローマ帝国と宥和していった。
 だが、ニーチェはこのような妥協を嫌うようである。

270 :境域の突破者 ◆1Mow3V2aHI :2006/09/18(月) 19:50:27
>>268
現実的な状況として殴られても反撃するなってことではないと思います。
普通の人であれば、意味もなく右の頬を殴られたら、相手を殴り返すと思います。
それは正当防衛だし、健全な反応だと思います。
常人であるなら、左の頬まで差し出すなんてことはまずできません。
まぁ、我々のような哲学徒なら、殴り返さずにまず逃げるでしょうがw
「愛せないなら通り過ぎよ」の実践です。

そういうことじゃなくて、精神のバランスを重んじて、中道を歩めということだと思います。
魂が変な方向に傾いて、誤った状態にある時、魂のバランスを回復するための作用を苦悩や試練として経験する。
それは悪いものではないから甘受せよ、ということだと思います。
まぁ、スレの趣旨から離れるのでこの話はここでやめます。
この問題を突き詰めようと思ったら、カルマとか業とかそういう話になってきます。
もはや仏教やニューエイジ思想の領域です。このスレで扱える話題ではないですね。
そういう話題は宗教板や哲学板のシュタイナースレに譲るとして、このスレではあくまでも現代思想の
ジャーゴンで語れる問題だけについて言及していきたいと思います。

271 :考える名無しさん:2006/09/18(月) 20:20:19
境域の監視者さんの言葉がよく分からない件について

272 :境域の突破者 ◆1Mow3V2aHI :2006/09/18(月) 21:36:06
みんなに伝わるような書き方を心がけてるつもりなんだけど・・・

273 :考える名無しさん:2006/09/18(月) 21:39:25
書き方じゃなくて単語じゃーないの

274 :境域の突破者 ◆1Mow3V2aHI :2006/09/18(月) 22:08:14
了解しました

275 :考える名無しさん:2006/09/19(火) 06:40:40
「ここに<<反感>>(ルサンティマン)というのは、本来の<<反動>>(レアクション)、すなわち行動上の
それが禁じられているので、単に想像上の復讐によってのみその埋め合わせをつける
ような徒輩の<<反感>>である。」
                                 ニーチェ著 『道徳の系譜』 木場深定訳より

ルサンティマンの典型例は『ヨハネ黙示録』である。『ヨハネ黙示録』とは『新約聖書』の中で「最後の審判」
について語る部分だが、この物語の中では「最後の審判」の日に天界から天使の軍団が降りてきて
異教徒たちを皆殺しにする様子が語られている。そしてこの異教徒たちのリーダー各である666の獣とは
ローマ皇帝ネロを指すものだとされる。ローマ帝国圧政下のユダヤ人はこのような物語を書きかつ読む
ことによって現実ではなしえない想像上の復讐を行っていたのである。

276 :考える名無しさん:2006/09/20(水) 11:28:02
>>270
「右の頬を打たれれば左の頬を差し出せ」というキリストの説教を仏教とかニューエイジとか
ごたまぜで解釈するのはどうかと思う。

277 :考える名無しさん:2006/09/20(水) 18:55:31
魔太郎が来る!スレから誘導されてきました
ここで恨みは晴らせますか?

278 :考える名無しさん:2006/09/20(水) 21:01:15
禍害(わざわひ)なるかな、禍害なるかな、大なる都、堅固なる都バビロンよ、汝の審きは
時の間に来たれり。……天よ、聖徒・使徒・預言者よ、この都につきて喜べ、神なんぢらの
為に之を審き給ひたればなり。……おほいなる都バビロンは斯のごとく烈しく撃ち倒されて、
今より後、見えざるべし。今よりのち竪琴を弾くもの、楽を奏するもの、笛を吹く者、ラッパを
鳴らす者の声なんぢの中に聞こえず、今より後さまざまの細工なす細工人なんぢの中に
見えず、碾臼(ひきうす)の音なんぢの中に聞こえず、今よりのち燈火の光なんぢの中に
輝かず、今よりのち新郎・新婦の声なんぢの中に聞こえざるべし。そは汝の商人は
地の大臣となり、諸種の国人は、なんじの呪術に惑され、また預言者・聖徒および凡ての
地の上に殺されし者の血は、この都の中に見出されたればなり。

279 :考える名無しさん:2006/09/21(木) 02:18:44
ルサンチマンから開放される方法を教えてください。
市ねとかはなしで。


280 :考える名無しさん:2006/09/21(木) 06:23:34
 ルサンチマンから解放される方法とかいう以前に、ルサンチマンとは何なのかという点で
まるで意見が一致しないんだよね。
 いったんニーチェから離れて、世間一般でルサンチマンという言葉がどのような意味で
使われているかという方向で考えた方がいいかもしれないな。

281 :考える名無しさん:2006/09/21(木) 10:31:45
>>279
この際、対象に一気に近づくことじゃないか。
中途半端に距離を置くから、相対化されてしまい、いつでも睨まれている気になってしまう。
ならば、その対象に接近し、“遊び”、ギリギリのところで突き放す。


282 :考える名無しさん:2006/09/21(木) 10:48:42
>>281
抽象的でわけわかんないよ。
例えば、のび太がジャイアンに殴られてルサンチマンを抱いたとして、
「その対象に接近し、“遊び”、ギリギリのところで突き放す」とは具体的に
のび太はジャイアンをどうすればいいの?

283 :考える名無しさん:2006/09/21(木) 10:55:48
さらに殴られて「自分は愚かである」ことを悟ると良い。

284 :考える名無しさん:2006/09/21(木) 11:27:06
>>282
そんなのは普通に訴えればいいじゃん。ただし、あくまで事務的に訴えること。
そこで「これは殴れないな」と認めさせたところで、初めてお互い土俵に上がったといえるんじゃないか。
ルサンチマンってのは、そこから発生することをいうんじゃないの?殴られた=むかつくはルサンチマン以前の問題だよ。
それで、のび太とジャイアンは話し合いをする。ここで我々はのび太の立場をとろう。
のび太は完全にジャイアンと和解してしまう。和解したと同時に突き放す。そこで完全に背を向けて別の方向に歩き出す。
そして、ある日、殴られた日のあののび太として表れる。結局変わったのはジャイアンだけであったと。


285 :考える名無しさん:2006/09/21(木) 11:30:34
>>284
まったくその通りだな。
みんなそうすれば、イジメなんてすぐにこの世からなくなるのにね。

286 :考える名無しさん:2006/09/21(木) 14:10:25
>>280
ルサンチマンを自覚して苦しんでいる奴って極少数だと思うんだよな。
無自覚で苦痛も伴っていない潜在的ルサンチマンであれば、解放される必要性などないのだし。
嫉妬や復讐心で何となく辛くて苦しいよ、って奴がルサンチマンを理解していなければ単なるお悩み相談になってしまうw
スレタイが元々そんな感じか・・・。

287 :考える名無しさん:2006/09/21(木) 15:32:54
ルサンチマンに対抗するには、ルサンチウーマンとセックスしなさい。

288 :考える名無しさん:2006/09/21(木) 19:00:10
 ルサンチマンとはつまり、自分がこうしか生きられないという事実に対する心理的な反
動形成にほかならない。「凡庸な人間」は、自分の存在の見すぼらしさの「原因」を過去
(=「そうであった」)にたずね、それが「動かしえない」ものであることに怨恨をもち、復讐
しようとする。ここに、苦悩それ自体が人間存在への「罰」であったという教説が人々を
支配しつづけてきた秘密があった。
 世界とその時間の存在を、「罪」あるいは「罰」として、「仮象」にすぎぬものとして、
また壮大な「過誤」として見ること。これが弱者、凡庸な人間がルサンチマンを世界に
置き入れたことの結果である。そして最悪の場合、ルサンチマンは世界にこう言うだろう。
「もしも私の生がこうでしかありえないなら、世界よ滅びてしまえ」と。
                                   竹田青嗣著 『ニーチェ入門』

竹田によると、ルサンチマンとは自分の思い通りにならない世の中に対する
怨恨であるようだが。

289 :考える名無しさん:2006/09/21(木) 19:19:23
>>288
ニーチェがキリスト教社会に復讐するための皮肉と自己嘲笑と思っているのだがw
キルケゴールもそんな感じすんだよね。

290 :考える名無しさん:2006/09/21(木) 22:50:25
ルサンチマン自体が苦痛なんだとおもう。

逃げようの無い逃げられない罠だ。俺は自分の苦痛の全てを知っている。
それでも苦痛なんだよ。逃げようが無い。何度も逃げようとして努力もしたが、
やはり逃げることは出来ないんだよ。

>>288
>自分がこうしか生きられないという事実に対する心理的な反
>動形成にほかならない
そこには青さと片手落ちの理論が潜んでいる。

>自分がこうしか生きられないという事実
ここがもっとも重要な問題だよ。それを個性を受け入れるのか、
それとも資本主義社会に対する悪とみて不要なものとして排斥する
のか。分裂病の発端がここにあるのだよ。




291 :考える名無しさん:2006/09/21(木) 22:54:44
ニーチェの言うルサンチマンとはテロに似てるのかな。

292 :考える名無しさん:2006/09/21(木) 23:21:14
自分宛ての封筒開けたら、人間の小指が入っていたということじゃないのかな?

293 :考える名無しさん:2006/09/22(金) 01:23:09
ルサンチマンを快感にすることはできないの?

294 :考える名無しさん:2006/09/22(金) 05:58:09
気持ちい所を、小指でこすりつけるといいよ!

295 :考える名無しさん:2006/09/22(金) 07:57:22
――ニーチェ曰く――
 あなたがたは言う、よい目的は戦争をさえ神聖にする、と。わたしはあなたがたに言う。
よい戦争はあらゆる目的を神聖にする、と。
 戦いと勇気は、隣人愛よりももっと多くの大きなことをなしとげた。あなたがたの同情では
なくて、あなたがたの勇敢さこそこれまで不幸な目にあった人たちを救った。
 「善いとは何か?」とあなたがたはたずねる。勇敢であることが善いことである。小娘たちに
言わせておくがいい、「善いこととは優しい感動にみちたこと」と。

296 :考える名無しさん:2006/09/22(金) 21:50:49
年功序列の糞な常識がある限り超人は潰されていく

297 :考える名無しさん:2006/09/22(金) 22:10:49
そんな人は普通の人。

298 :考える名無しさん:2006/09/22(金) 22:21:32
諦めるより絶望せよ!

299 :考える名無しさん:2006/09/22(金) 23:10:50
お前ら本当にバカだな。
怒り・恥・屈辱・憎悪の感情など人間から無くなる事はない。
仏陀、それと感情機能に異常がある脳障害者以外に、マイナス感情が
起こらない人などいない。仏教から見れば、哲学をやってる奴の考えは
幼稚だ。心の理について何も分かっていない。笑ってしまうほど幼稚。
ゴチャゴチャ頭の中で考える事でルサンチマンを乗り越えられると
思ってるんだから笑っちゃうよお前ら。

300 :考える名無しさん :2006/09/23(土) 05:55:34
ルサンチマンね
これでも見れば
そんなもの乗り越えられるよ。
http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/
こうなったら人間もおしまい
どうだ、乗り越えられそうだろ。

301 :考える名無しさん:2006/09/24(日) 21:12:03
ルサンチマンも含めて人生を楽しめ。
すべてはE&Eの精神で乗り切れる。哲学なんていらない。

302 :考える名無しさん:2006/09/25(月) 16:52:42
人の脳みそ食べちゃえ!

303 :境域の突破者 ◆1Mow3V2aHI :2006/09/30(土) 13:31:30
>>279
瞑想、座禅、精神統一なんかがおすすめですよ
適切な指導の下で行うという条件付きですけど
それらを実践するとちょっとずつだけど、心の中から毒が抜けていきます
時間はかかりますが、確実な方法です
あと、精神状態は思った以上に肉体の影響を受けるものなので、食事、運動、睡眠、入浴法など
生活習慣を見直してみるのもいいかもしれません

自分の経験則だと、哲学や思索などをやって言葉や論理でルサンチマンを追い詰めていこうとすると、
まず間違いなく精神がおかしくなると思っています
別に哲学することが悪いことだとは思いませんが、自分を追い詰めすぎるような思考は有害です
ニーチェなんかは自分を追い詰めすぎて精神破綻した最たる例だと思います

304 :考える名無しさん:2006/09/30(土) 20:53:24
>>303
ウンコって、食っても苦いだけだよな?

305 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 15:57:52
武士道も浸透しつつある貨幣経済、力をつけつつある商人階級への
ルサンチマンの要素もあると思うんだが、どうかな?
「武士は食わねど高楊枝」とか。

だいたい俸禄貰った役人、現代でいうサラリーマンと変わらん江戸の武士と
鎌倉時代の一所懸命のリアリズムに満ちた武士を一緒にすんのが問題だよな。

306 :名無しさん@←ブラックホール:2006/10/01(日) 23:07:45
宇宙戦隊ルサンチマン

307 :名無しさん@←ブラックホール:2006/10/01(日) 23:08:07
~(゚゚∀゚゚)~ニャプー

308 :考える名無しさん:2006/10/02(月) 09:57:24
ルサンチマンから解放されるためにはルサンチマンをつらぬいて成功すればいい。
ルサンチマンは反動なんかじゃなく動機に基づいた倫理だ。
ルサンチマンは正しい。

309 :考える名無しさん:2006/10/02(月) 20:10:59
なるほど
ニヒリズムの克服=ニヒリズムの徹底
というニーチェの論理をルサンチマンにも適用するわけか
ル☆サンチマンの克服=ル☆サンチマンの徹底


310 :考える名無しさん:2006/10/02(月) 21:57:19
>>308
その考えは危険だ。
社会的な成功者はごく一握りにすぎない。
ルサンチマンを徹底したところで、必ずしも成功者になれるという保障は無い。
才能、運、事故、他者の悪意などの不確定要素が多すぎる。
それにも関わらずみんなでルサンチマンを貫こうとすれば、待っているのはさらなる国民総鬱社会だけだ。
ルサンチマンの克服は本来、競争以外の方法で成し遂げられるものであるべきだ。

311 :考える名無しさん:2006/10/02(月) 23:27:13
だから大多数の凡人や弱者のルサンチマンを社会や集団の中で中和したり無害化するために宗教や道徳があるわけで
それを「キリスト教はルサンチマンの宗教だ」って批判しても仕方ないんでね? ニーチェ先生よ

312 :考える名無しさん:2006/10/02(月) 23:53:51
>>311
それがつまり「人間的」であるということで、それを超越したら「超人」だと言ってるじゃないかな。

313 :考える名無しさん:2006/10/03(火) 01:48:27
ルサンチマンから解放されるにはここでいう「成功者」にならなければならない。しかし確かにそのためには競争という面倒なものを乗りこえなければならない。


314 :考える名無しさん:2006/10/03(火) 01:54:30
ここで話を展開します。
競争の対象とは一つでは無い。資本、権力、知、愛情、経験‥etc、さらにはキリスト的な無欲さ、慈愛さ、これらも競争の対象になりうる。
しかしこれらは人間の恣意により発生する性質を持つ。ルサンチマンという言葉には「競争の対象を恣意的に創る」という意味を含む。つまり競争に勝とうという意志と共に、競争から逃げようという意志を含む。
この問題に社会的な秩序を考えるのは難しいけど‥「全ての人間が違う競争対象を持つ」なんてことは有り得ないんだろうね。


315 :考える名無しさん:2006/10/03(火) 02:28:16
しかし競争による客観的な評価は、一部の成功者を除いて残りの全ての人間を敗北者としてしまう。
これは勝利者個人がルサンチマンから解放されることには繋がるが、社会全体がルサンチマンから解放される結果にはならない。
結果として成功者は多くの人間から嫉まれ、恨まれ、精神的・主観的な成功からは遠のいて行く。
それは新たなルサンチマンを生む。
競争に勝っただけで人生の成功者になれると思っていると、待っているのは精神的な敗北だけだ。

316 :考える名無しさん:2006/10/03(火) 02:42:23
長文ご苦労。
読む気がしないから3行でまとめてくれるかな?

317 :考える名無しさん:2006/10/03(火) 10:31:42
めし
ふろ
ねる

318 :考える名無しさん:2006/10/03(火) 16:12:58
一言で言えば、ニーチェはエリート主義者。

319 :考える名無しさん:2006/10/03(火) 16:17:26
ニーチェはエリート主義者で、大衆のルサンチマンが天才の足を引っ張っていることを
非難しているのだ。天才はルサンチマンを何らかの事業に昇華できる。
大衆はそれができない。しかし、大衆の救済はニーチェの論じるところではない。

320 :考える名無しさん:2006/10/03(火) 16:36:47
そんなんだからニーチェは気が来るって死んだんじゃね?
社会を無視して一部の人間だけで幸せになろうとした報いだ

321 :考える名無しさん:2006/10/03(火) 18:58:27
>報いだ!

出たぁ、ルサンチマン的発言!

322 :考える名無しさん:2006/10/03(火) 19:27:16
ルサンチマン的発言って悪いことだっけ?
内に押し込めてルサンチマンがバレないように隠すか、
大っぴらにルサンチマンをぶち撒けるかの違いじゃね?

323 :考える名無しさん:2006/10/03(火) 19:35:36
報いだって時点でルサンチマンを道徳に転倒した発言じゃん

324 :考える名無しさん:2006/10/03(火) 19:38:59
う、屁が出そう

325 :考える名無しさん:2006/10/03(火) 19:51:16
なにやらニーチェ信者が必死な件

326 :考える名無しさん:2006/10/03(火) 20:08:07
ニーチェ本人も狂い死ぬほどのルサンチマンに苛まれてたんだよな。
ニーチェの思想じゃルサンチマンを克服できないってことだ。

327 :考える名無しさん:2006/10/03(火) 20:43:38
ニーチェはエリート主義者ではあったが、ファシストではなかった。
ニーチェの理想は、自分で価値を創造しそれにしたがって生きることだ。
だから、他人に価値を押し付けるファシストはニーチェの敵だ。
ニーチェはビスマルクと同じ時代の人だったが、ビスマルクの政策については、
人間から主体性を奪い、畜群化するものだと嫌悪感をあらわにしていた。
ニーチェの国家に対する憎悪はツァラトゥストラの中での何度も述べられている。
ニーチェのルサンチマンはそれほど卑小なものではない。

328 :考える名無しさん:2006/10/04(水) 00:46:42
じゃあビスマルクはファシストなのか?W

329 :考える名無しさん:2006/10/04(水) 01:02:33
ルサンチマンに卑小も壮大も無いと思うぞ。

330 :考える名無しさん:2006/10/04(水) 03:33:28
長文を書くとソレっぽく見える
こっちの知らないであろう事を書くとソレっぽく見える

331 :考える名無しさん:2006/10/04(水) 23:14:58

  / ̄ ̄ ̄ ̄\
  ( 人____)  ニーチェの悪口を言う奴はぼくが許さないぞお
  |ミ/ ー◎-◎-)  ニーチェのルサンチマンは壮大で高度なんだよ!
  (6   (_ _)  ;
  | ∴  ノ 3 ノ )
  /\____ノ

332 ::2006/10/06(金) 00:25:48
すいません、2ヶ月程インターネットのできない所にいました。
色々と意見をレスしてくれた皆さんありがとうございます。
大まかにこれまでのレスを読みましたが、まだ自分の望む答えは出ていないようです。
というか、やっぱりそんなものはないのでしょうか…?

ルサンチマンの定義に関しては、自分は、
基本的にはネット上の辞書などにある「被支配者あるいは弱者が、
支配者や強者への憎悪やねたみを内心にため込んでいること」であると思います。
そして、わかりやすい支配者や奴隷などいない現代日本においては、
引き合いとなるべき支配者や奴隷は、より細分化され目には見えにくい形で、
その姿を変えていると考えるべきではないかと思います。
つまり、自分が65に書いたようなことも立派な(?)ルサンチマンではないのでしょうか…?

333 :考える名無しさん:2006/10/22(日) 23:13:44
 ニーチェはルサンチマンを克服しようとしていたというのは、どうも違うと思う。
 ルサンチマンを克服しようとしているのはむしろキリスト教の方で「右の頬を打たれれば
左の頬を差し出せ」と、絶対的な愛を説いている。
 キリスト教徒も十字軍とかやっているじゃないのと思う人もいるかもしれないけど、
元々ヤハウェはソドムとゴモラとかバベルとか逆らう者は容赦しない怒りの神だった。だが、
キリストの時代、ユダヤ人はローマ帝国の過酷な支配を受けて、もはや現世では何も期待せず、
ただ来世での救済だけを求めるようになったと思われる。というのは、現実ではローマ帝国に
勝ち目がないので、死後の世界で神がローマ人を地獄に堕としてくれることを期待するしか
なかったからだ。
 しかし、キリスト教に改宗せず、ユダヤ教徒を貫いた人々は1948年にイスラエル共和国を
建国した。

イスラエル史
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%82%A8%E3%83%AB

334 ::2006/10/23(月) 02:19:42
やはりスレ主が2ヶ月も放置してしまったことは大きいですね…
それとも、他に問題があるのだろうか…?
@もうルサンチマンからの解放というテーマに誰も興味がなくなってしまった
A色々な論点や、長文も多くなってしまってもう疲れた、内容も忘れた(笑)
考えられるのはこの2つくらいかな…
自分は一応スレ主なので、何度かレスを読み返したりして、
これまでの意見や流れなどは把握したつもりでいます。
個人的には、境域の突破者さんにはぜひまた参加してもらいたいです。
>>227の「貧しきものこそ幸いなれ」の真の意味や、
ニーチェ思想との矛盾のない統合など、ぜひ聞いてみたいと思っています。

>>199で仰っている福音にも、ぜひあずかりたいです。

335 :考える名無しさん:2006/10/23(月) 20:51:57
だれでも、情欲をいだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである。
もしあなたの右の目が罪を犯させるなら、それを抜き出して捨てなさい。
五体の一部を失っても、全身が地獄に投げ入れられない方が、あなたにとって
益である。
------------------------------------------マタイ福音書より------------
聖書ってどれくらい読まれているんだろう?
イエスはこれくらい厳しく肉欲を否定しているわけだが

336 :考える名無しさん:2006/10/24(火) 13:10:32
これは肉欲の否定じゃないけど、君は間違って覚えてしまったようだ。

337 :考える名無しさん:2006/10/24(火) 17:31:31
まるでロトの妻だな・・・・・・

338 :考える名無しさん:2006/10/25(水) 12:22:25
いくら哲学的にルサンチマンを考えたところで、それから開放されることはないのとちがうか。
もっと心理学的にいったほうが良くねぇか?


339 :考える名無しさん:2006/10/25(水) 14:33:39
違うな。

340 :考える名無しさん:2006/10/25(水) 16:25:28
そりゃそうだ。いくら哲学したところで開放されるわけがないw


341 :考える名無しさん:2006/10/27(金) 15:23:48
虫歯とはなにか。虫歯の痛みとはなにかを考えてても痛みはなくならないわな。w
ルサンチマンの苦しみも同じだろう。


342 :考える名無しさん:2006/10/27(金) 15:53:12
虫歯はなぜ痛いのかと考えることは治療の糸口になる。
宗教は鎮痛剤にすぎない。

343 :考える名無しさん:2006/10/27(金) 17:55:15
 『目には目を、歯には歯を』といわれていたことは、あなたがたの聞いているところで
ある。しかし、わたしはあなたがたに言う。悪人に手向かうな。もし、だれかがあなたの
右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい。あなたを訴えて、上着を取ろうと
する者には、下着も与えなさい。

 『隣り人を愛し、敵を憎め』といわれていたことは、あなたがたの聞いているところで
ある。しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。こう
して、天にいますあなたがたの父の子となるのである。天の父は、悪い者の上にも
良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らしてくだ
さるからである。
                         『マタイによる福音書』日本聖書協会訳

このようにキリストの思想は、徹底的にルサンチマンを克服しようとする。
心の中にルサンチマンを抱くことが、すでに罪なのである。

344 :考える名無しさん:2006/10/27(金) 23:01:17
ニーチェってルサンチマンだとか奴隷道徳だとか永遠回帰(世界にも人生にも行き着く意味などない)だとか
煽るだけ煽って、じゃあどうすりゃいいの?ってことには具体的に答えてないよな?
なんか宮台真司の本でも読んでるような気分になるよ。
あ、宮台がニーチェのスタイルをパクってるのかW

345 :考える名無しさん:2006/10/28(土) 17:18:54
>>342
どうして痛いか哲学的にかんがえたところ糸口にはならんだろう >>342


346 :考える名無しさん:2006/10/28(土) 17:23:53
>>343
ところでどうしてそのマゾヒスティックな方法でルサンチマンが克服できるんだ?
そんなことを学校でやったら、おもしろがられて、ますますいじめらそうじゃないか。
傷口に塩ぬるようなもんだ。
それともそうやってひどい目にあえば、天の父が救ってくれるはずというのが根拠か?


347 :考える名無しさん:2006/10/29(日) 03:03:14
それが、ニヒリズムだよ。何をやっても無意味。せいぜい信じられる価値は快楽くらいなものだ。

348 :考える名無しさん:2006/10/29(日) 03:06:20
快楽が唯一の価値だとすると、負け犬はまるで生きる価値がなくなってしまう。
だから、宗教という虚構が必要だ。しかし、現実は弱肉強食。負け犬は虚構に逃げこむしかない。

349 :考える名無しさん:2006/10/29(日) 03:57:54
ニーチェ先生が答えをくれないから結局ボク達は宗教か快楽に逃げ込むしかありましぇん。
超人のみなさんは頑張ってくだしゃい。

350 :考える名無しさん:2006/10/29(日) 04:04:58
お前らニーチェを読んだことがないだろw読んでもせいぜい1冊それも
ニーチェの言った事の意味が分かってない。このスレ悲惨だな。

351 :考える名無しさん:2006/10/29(日) 04:56:59
>>350
西洋の文化に嫌気がさしたんだろ。
神、神言ってないで自分でがんばれってな。

352 :考える名無しさん:2006/10/29(日) 13:13:58

オチンコマンスレはここでつか?

353 :考える名無しさん:2006/10/29(日) 13:50:52
>>349
 「快楽は悪いものだ」という考えが、キリスト教の毒なのだ。「快楽」という言葉がいやらなら、
「幸福」と呼んでもいい。
 快楽・幸福を求めることは決して逃避ではない。我々は何のために過酷な競争をしているのか?
金持ちになって、他人より楽しい生活を勝ち取るためではないのか? むしろ、清貧がいいという
人間こそ、弱肉強食の競争社会から逃避しているのだ。
 それから、「神が死んだ」現代に、「答え=正しい生き方」を求めることはナンセンスだ。
神もいないし、真理もない。答えはないというのが、答えだ。強いて言えば「己の欲望を
肯定して、生きたいように生きるべきだ」ということになるだろう。


354 :考える名無しさん:2006/10/29(日) 17:18:13
>>343
その発想は、ニーチェに言わせりゃルサンチマンの部類に入る。
ルサンチマンが外部から内部に向けられたに過ぎないからだ。
激昂でもなく忍従でもないのがニーチェの目指しているものだろう。

355 :考える名無しさん:2006/10/29(日) 17:20:36
てかキリスト道徳こそニーチェが奴隷道徳ルサンチマンとして弾劾したかった対象なわけで

356 :考える名無しさん:2006/10/29(日) 19:49:22
ルサンチマンを宗教や道徳に向けるのはご法度として
ニーチェ的にはルサンチマンを芸術へと向けるのもダメなの?
いわゆる昇華ってやつ

357 :考える名無しさん:2006/10/29(日) 20:50:00
>>356
昇華のしかたによるでしょう。
ルサンチマンを忘却していくのならいいが、ルサンチマンを満足させるのはダメですね。

358 :考える名無しさん:2006/10/30(月) 00:05:22
 キリスト教徒の人からすれば曲解と思うかもしれないけど、「右の頬を打たれれば
左の頬を差し出せ」というのは、「自分は争いを好まないから、わざと負けたのだ」
という自己欺瞞だというのがニーチェの解釈。そして、ニーチェの用法としては、
>>275のように、空想上の復讐がルサンチマンで、実際に復讐することはレアクションと
している。
 最初から欲望などなければ、勝とうとしなれば、ルサンチマンを溜め込むことも
ないわけだが、それは生の否定であるとニーチェは言う。
 ニーチェが「戦え」と言っても、それは実際の戦争のことを言っているわけではなく、
象徴的に言ってるわけで、芸術などに怨恨を昇華することを言ってるのではないかと思う。

359 :考える名無しさん:2006/10/30(月) 11:22:45

オチンコマン

360 :考える名無しさん:2006/10/30(月) 13:01:44
だからさぁニーチェがああだこうだと論じたとろこで意味ないんだよ。
ニーチェが書く前から、ルサンチマンという感情が心に生じて苦しむのはだれでも感じてたことだろ。
どうすればそのような感情を克服できるか考え、その実践が伴わないと対処は不可能じゃないか。

芸術へ昇華すればいいとうやつは、創作活動の一つくらいやってんの?
「右の頬を打たれたら左の頬をさしだせ」とキリストを引用するやつは、その通りキリストの教えを実践しているのか?
キリストの教えを受け入れ、戒律を守り隣人への愛をもった信仰生活を送っているのか?
己の欲望を肯定して生きたいように生きるべきだとかいうやつは、どんな生き方してるか見てみたいね。
ほんとうにそんなふうに自由奔放に生きているものかね。

机上の空論ふりまわしてもルサンチマンは消えないだろ。


361 :考える名無しさん:2006/10/30(月) 23:39:27
ニーチェ自身は「私はルサンチマンを克服している」と
考えてたのか?

362 :考える名無しさん:2006/10/31(火) 07:57:04
>>360
 キリスト教徒にとっては、ルサンチマン(ここでは単に怨恨の意味とする)を抱くこと自体が罪なので、
ルサンチマン自体の苦しみに加え、ルサンチマンにを抱いているということについての罪の意識にも
また苦しまなければならない。ニーチェはキリスト教を批判することによって、ルサンチマンを抱いている
ことの罪の意識を克服しようとした。キリスト教徒にとっては、これでいくらか苦悩は軽減されるはずなのである。
 だれかから危害を受けて、それに対して仕返しできないことは辛いことである。キリストはこのようなとき、
「争わないのはいいことだ。君は仕返ししないことはとてもいいことなんだ」と慰めてくれる。ニーチェだったら、
「争うのは悪いことではない。泣き寝入りするな」というだろう。しかし、勝ち目のない相手だったらどうすれば
いいのか? ニーチェはしばしば「没落」という言葉を使うが、勝敗は度外視して立ち向かえという意味なのだと
思われる。それでこそ超人的なのである。超人とは没落するものなのだ。
 で、結局ニーチェはどうなったかというと、己の思想に行き詰まって発狂せざるをえなかったように
思われる。


363 :考える名無しさん:2006/10/31(火) 08:12:02
結局ニーチェ信じたって強者や勝者以外はいきづまりまつ

364 :考える名無しさん:2006/10/31(火) 13:03:14
>>362
それであなたはどうするんだね?

365 :考える名無しさん:2006/10/31(火) 16:24:54

今日もオチンコマンスレでシュッシュッでつか?

366 :考える名無しさん:2006/11/01(水) 02:35:37
「これが人生か!もうたくさんだ」

367 :362:2006/11/01(水) 07:54:05
世間一般の価値観における成功した人生を求めることは、自分の価値観で生きていない、他人の価値観で
生きているということであり、ニーチェはそのような成功は求めていない。
『悲劇の誕生』では、英雄が燃え盛る怒りに身を任せて、怒りに我を忘れた忘我の恍惚の境地における
悲劇的な死を、ディオニュソスの名のもとに賞賛している。

368 :考える名無しさん:2006/11/01(水) 14:35:28
お話に夢中になってたのしそうね。

369 :362:2006/11/03(金) 07:03:33
 イエス・キリストの禁欲主義、平和主義は、現代人から見ると非常に極端に
思われるかもしれません。しかし、当時のイスラエルがローマ帝国の侵略を受け、
過酷な搾取を受けており、かつ反乱を起こしても勝ち目がなかったという状況に
あったことを考えれば、イエスの思想はその状況において実にやむを得ないもの
であったといえるでしょう。当時のユダヤ人はローマに対する反抗を諦め、貧困に
耐えてどうにか生き残るしかなかったのです。
 しかし、現代人がキリストと同じくらい禁欲的な生活をしようとすることは
無意味であり、当時のユダヤ人と比較して現代人が貪欲であると批判する
ことも無意味でしょう。
 つまり、何が正しい行いであるかは、時代や状況に応じて異なるのです。
 今日、一般にルサンチマンと呼ばれているものは「努力が正当に報われ
ていないという怨恨」だと思われます。努力しない人が怨恨を抱いても、
ただの甘えですから。ただ、これはニーチェの概念とか少しズレると思われ
ます。

370 :考える名無しさん:2006/11/03(金) 07:06:00
 それはともかくとして、努力がなぜ報われないのかと考えますと、正しさとは、
時代や状況によって異なるとすれば、自分の置かれた時代や状況に対して
何か間違った方向の努力をしているのではないかと思われます。竹田青嗣氏の
場合は60年代は圧倒的な支持を受けた社会主義が70年代になると急速に
支持を失ったことに悩み苦しみましたが、今日の我々から見れば、70年代には
ほとんど高度成長を終了させていたので、それが歴史の流れなわけです。
 ただ究極的には、報いを求めずに何かをなすべき場合もあります。歴史を
見れば、正しいことをしたために無残に殺されてしまった政治家や運動家は
大勢いるわけですから。ただ、このような場合に、天国において報われると
いうことは、今日ではもはや信じられません

371 :考える名無しさん:2006/11/03(金) 19:39:37

今日もオチンコマンスレでシュッシュッでつか?

372 :日本人:2006/11/04(土) 05:38:38
久しぶりに見にきたら、議論が全く進んでないですね。
境域の突破者さんも、いつの間にか姿を見なくなったようですね。
今さらですがレスします。

>>256
>ディオニュソスとか笑う獅子とかいったシンボルは何を意味するのか?
>その理解は非常に難しいように思われます。

私の理解では、キーワードは「欲望」ではないかと考えています。
読み込みが足りないかもしれませんが、「積極的に生きる力」とでも言うのかな。
神による「汝、為すべし」ではなく「我、欲す」の精神の象徴だと思います。
そしてそれが、より強者を目指す「超人」の思想につながるのではないでしょうか。

373 :考える名無しさん:2006/11/04(土) 23:02:13
全然違う。一回でいいから本当に死んだ方がいいよ
楽になるからさ

374 :考える名無しさん:2006/11/04(土) 23:16:36

明日もオチンコマンスレでシュッシュッでつか?

375 :362:2006/11/05(日) 14:52:20
駱駝とは他人に荷物を背負わされる存在です。親とか教師などに期待を背負わされる比喩かと思います。
駱駝は獅子となり、「汝ななすべし」という龍と戦います。「我、欲す」という自我に目覚め、自分らしい
人生を勝ち取るために、既存の価値観と戦うのです。
そして最後に、ありのままの自分、他人の価値観に染められる前の自分、つまり幼な子に帰るのです。

376 :日本人:2006/11/07(火) 01:06:50
>>373
はい、分かりました。ありがとう。

>>375
なるほど、分かりやすい内容なのですね。ありがとうございます。

377 :考える名無しさん:2006/11/07(火) 06:05:13

しばらくオチンコマンスレでシュッシュッでつか?

378 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 00:08:56
専門的なことは解りませんが、
ルサンチマンとは点火プラグのようなものだと思う。
嫉妬こそが、夢や望みをかなえる起点なわけです。

ルサンチマンが苦しいのはなぜか?
それは体に貯蔵されたエネルギーが活動に変換されたいがために
早く点火するよう心に働きかけているからだ。

つまりルサンチマンに囚われてるということは、心が肉体に
「そろそろ実行してくれよ」
と絶えず信号を送っているのである。

よって、エネルギーが空っぽになった時、
つまり実際に行動して性も根も尽きた時に
ルサンチマンから解放されるのではないか。
少なくとも次のエネルギーが充填されるまでは。




379 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 05:31:55
ニーチェ哲学からは離れるが・・・
怨恨感情を持ちやすい性格は生まれつきあるみたい。人を恨んで精神的に
おかしくなっている患者に薬を飲ませると症状が薄まり、薬の効果が切れると
また恨み出すという。そういう人が持つ恨みの理由は、他人から見ると大した
理由ではないようだ。境界例の患者も人を恨みやすいが、これは薬が効きに
くいらしい。遺伝的に怨恨感情に囚われやすい人は、ちょっとやそっとの
理屈では動かしがたい、物質的な要因がある。

380 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 21:57:02
うんこブリブリってことだよ

381 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 22:15:28
「最終学歴 東大法学部卒」・・・・・

382 :考える名無しさん:2007/01/09(火) 18:45:49
小学生の頃、「道徳」という授業時間があった。
授業内容は、何かの本を読んで、それをどう思ったか、というのを各々大切にするというもの。
それで先生が本を読んでどう思ったか?という読書感想会のような流れで生徒に感想を聞くのだけれど、
前もって「道徳の授業はなにを思ってもいい。自由なんだ」ということを言うわけ。
当時の俺には「自由なら、この物語のキャラを殺したい、と言ってもいいということか」という悪魔的な囁きがあった。
でも、実際そんなことばかりいっていたら職員会議で問題になるだろうし、こういったことは言い難いぞ、という抑制を当時の俺は感じたわけ。
だから結局それなりの範囲の感想しかいえなかったわけだ。俺だけじゃなく、みんなもね。
「道徳」というやつはよく分からないけど、「善いこと」で、こちらも善いことをいわないと「道徳」からはみ出る存在になる、という一種の恐怖がある。
「この物語のキャラを殺したい」と思ったのは本気じゃない。子供らしい悪戯心にすぎない。ただ、こういったことを言わせない力が道徳にはあるんだ。
つまり、道徳というものに自身が矯正されていくわけね。それに慣れると、自分を“取り違えて”しまう。
ここで急ぎ足でニーチェの言葉を挿入すれば、「弱さ」が悪を生み、悪を排除するために「道徳」が生まれ、その上に宗教が君臨したッてことになると思う。
そもそもルサンチマンっていうのは、「弱さ」から生じるもので、その上に築かれている「道徳」や「宗教」といった概念には当然ルサンチマンが下地にある。
そこに身を置いても、自分を取り違えることになるから、まず、自分自身に対して“清潔”にならないといけない。
(たぶん、つづく・・・)

148 KB
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

★スマホ版★ 掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50

read.cgi ver 05.02.02 2014/06/23 Mango Mangüé ★
FOX ★ DSO(Dynamic Shared Object)