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【腰抜け】徳川慶喜【臆病者】

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/18(火) 22:29:36 ID:LYb83KLO0
忠義の士10万を見捨てて逃げた徳川慶喜ってどーよ?

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/18(火) 22:36:10 ID:btOL5ByZO
とりあえず、慶喜の出自を調べてみましょう。

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/19(水) 04:35:33 ID:y2rHRrHu0
>>1
司馬読者乙

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/19(水) 13:40:18 ID:48tiwMSS0
無学な>>1が恥を晒すスレですか?


5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/19(水) 16:33:50 ID:M4ahuikVO
慶喜の母は有栖川宮家の出身
水戸徳川家は尊王
幕府より朝廷を重んじた。

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/19(水) 18:10:00 ID:b7j5wLUt0
奥羽同盟から豚一と呼ばれ味噌糞に言われつづけます。

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/19(水) 18:17:11 ID:M4ahuikVO
公爵 徳川慶喜

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/19(水) 22:04:46 ID:Yt8Nwgzg0
トリビア



慶喜はマンチェスター・ユナイテッドに入りたかった

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/19(水) 22:39:10 ID:ypBKLYJU0
また会津かw
自分が負けた事を慶喜になすりつけて恥ずかしくないのかねぇ
そもそも鳥羽伏見の第一日目で会津が薩長に勝てば良かっただけの話し。
会津が買っていたら錦の御旗も出ず、慶喜も逃げなかった。
恨むなら会津の弱兵ぶりを恨めw。

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/24(月) 22:54:23 ID:7YExZAVW0
慶喜には側室が生んだ子供が数多くいるけど
家督をついだのは長男ではなくどうして七男の慶久だったのだ?


11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/25(火) 00:09:18 ID:efbYyH720
>>10
正しくは「側室」ではなく「側女中」だよ。
家庭内における地位は、あくまで使用人。
慶喜の子供達は、実母を「母」と呼ぶことは出来なかった。

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 17:08:41 ID:l07L0Iu+0
それでなぜ七男の慶久が継いだの
男が全員妾腹なら長序の順でいって長男が継ぐもんじゃないのか

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 02:53:15 ID:T0y9tl3s0
鶴田まんせい

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 22:30:33 ID:cozUXRfT0
日本の歴史上最低の恥ずべき人物

15 ::日本@名無史さん :2006/11/01(水) 23:20:51 ID:d2a9p82f0
このスレ立てた愚か者は会津や関東ではありません。なぜなら彼らは幕府に
恩義を感じていたから、間違っても徳川公に対してそんな酷いことは書きません。

このスレはいつも通り薩長の連中の捏造でつ。

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 00:46:04 ID:zKfEKs3X0
>>15
残念だがスレ立てたのは会津だよw。
会津研究家、特に星亮一の本を読めば、会津人がどれだけ徳川宗家を罵倒しているかわかる。
徳川に忠義を尽くした会津?
バカをいっちゃいけない。
徳川家は朝廷に恭順した。
徳川家の意に背いて勝手に戦ったのは会津だ。
慶喜は戦いを避ける為に大阪にさがった。戦争を起こしたくなかったからだ。
それなのに京都へ軍を送ったのは会津だ。しかも負けて朝敵の名を徳川家に与えた。
将軍の意に背き続ける会津のどこに忠義があり恩義があるのか。


17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 00:57:37 ID:U2VPJ1mf0
愚かな将軍ほど戦いを好むし、形勢が不利でも戦おうとする。
その点で先見性があった慶喜は有能な将軍である

18 ::日本@名無史さん :2006/11/03(金) 01:09:10 ID:+rbKyFEp0
>>16
と、15に釣られたスレ主がファビョってますが、17が言うように慶喜は有能
であってこんな糞スレ立てた基地外は放置の方向で。


                
                 終了




19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 12:56:11 ID:sjMxjvbM0
鳥羽伏見の敗戦に怖気を生して
大阪城に家康以来の馬印を忘れるほど慌てて
数万の家来を残して自分だけ江戸へ遁走した臆病者だろ

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 13:04:38 ID:KjGspCrAO
いい写真家だったんじゃん

21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 13:28:29 ID:2OueC9qw0
>>20その通りww
片方写真家&ハーレム持ち。会津の殿様日光の神官&賊軍の将。
家康以来の天才なら彰義隊の反乱や御家人の行く末に気使えよ。
 当時は久光が将軍になると流布されてた。本人もその気だったのにw

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 13:50:58 ID:/01Ovda00
>>12
慶喜の長男と次男は早世している。
華族令公布当時、最年長だった息子の厚は、宗家の分家として男爵になった。
この時点では、まだ慶喜は宗家家達の家族という扱いだったので。

そのあとも息子の博が、慶喜の兄の家である鳥取池田家を相続したりしたので、
慶喜が公爵として独立の一家を構えたとき、七男の久が跡取りになった。
これが2代目の慶久公爵。

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 15:03:51 ID:Cz4mt/aXO
なんか一人で逃げた事になってるが、会津候様も一緒だべ

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 15:27:46 ID:sjMxjvbM0
いかにも逃げ帰ったようで
面目が潰れるのを恐れて
一緒に帰ってもらったのかもね

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 15:28:30 ID:xNWxCC9b0
松平容保も会津藩兵置いて逃げるなよ。

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 15:48:58 ID:sjMxjvbM0
>鳥羽伏見の戦いが敗れた事を知った艦長榎本は、
>将軍徳川慶喜へ謁見するため開陽丸を降船、
>その間に大阪城を脱出した慶喜が入れ違いに開陽丸に乗船して、
>副艦長沢太郎左衛門に命じて1月8日に大阪を出航、
>11日に江戸へ帰還してしまった。
>置き去りにされた榎本は、
>富士山丸に大阪城内の書類、重要什器、刀剣類、城内に有った金18万両を積み込み、
>フランスの軍事顧問団のブリューネ、カズヌーフを乗せ、1月12日に大阪を出航。
>1月14日に江戸品川沖に入港した。

焦りすぎw部下のほうが落ち着いてるw
馬印を陸路運んだのも江戸の町火消しの新門辰五郎だしw

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 16:46:37 ID:Cz4mt/aXO
マジレスすれば勝ち負けの問題で逃走したのでは無く、水戸出身であるがゆえに錦の御旗にビビって逃走だろ


28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 18:12:43 ID:Vx9eJQ820
慶喜に臆病者じゃなくて頭が良過ぎて先が見えすぎたんだろう。尊王の家系でも
あり、しかも母親が宮家の出って事もあるが勝海舟と同じで今の幕府政治じゃと
ても開国しても日本をまとめる事は出来ないと途中で悟ったんじゃないのかな。

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 18:45:39 ID:Cz4mt/aXO
>>28 陳腐な仮説だな
>>28の理由で大政奉還して>>28の理由で敵前逃亡したとしても、徳川家が生き残る保証も無ければ慶喜が生き残る保証も無い
まさか海外逃亡を企ててたとでも?

30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 18:56:19 ID:Cz4mt/aXO
てか>>28の仮説なら将軍になってないだろ

31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 19:19:34 ID:TN6vdfhE0
徳川慶喜ほど、後世で評価が両極端になる人も珍しいな。

方や、尻尾を巻いて逃げた臆病者。
方や、日本の将来を考えての行動。

まあ、心情を別にし、結果として考えれば良い行動だったのではないかと思う。


32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 19:38:11 ID:Cz4mt/aXO
>>31 確かに
但し、慶喜の評価は敵前逃亡だけで無くす第二次長州征伐の失敗も考慮されてるのが実情
結果としては将として下
将として下な事ガ結果として吉

33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 19:57:08 ID:MmqYPBcC0
近代化が早まった事実は否めまい
幕末時の幕府は家康でも立て直せなかったと思う

34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 19:59:41 ID:Cz4mt/aXO
参勤交代廃止が幕府衰退の肝


35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 20:29:34 ID:2OueC9qw0
>>34参勤交代廃止は外国船が頻繁に出現し、海岸防備のため
幕府が免除した。東北諸藩は蝦夷地警備のため出兵で借金地獄。
この影響は戊辰戦争に現れ、西軍との格差が響く〜

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 20:41:25 ID:Cz4mt/aXO
>>35 元々攘夷する気など更々ないのに「海岸防備」なんて建前は無用だった
参勤交代制度を軟化させても人質を江戸から返すべきではなかった

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 23:07:52 ID:N87qPUAH0
幕長戦争などにおける幕末の戦闘における幕府兵のへタレぶりを
誤魔化そうとして慶喜一人に「臆病者」の烙印を押し、
「勇敢なる幕府兵」という印象を捏造する早乙女・★の類の作家の受け売り。


38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 23:31:47 ID:J0p5RtYm0
慶喜のやっていた事に間違いはなかった
ただ慶喜を補佐すべき有能な者が一人もいなかっただけ
慶喜の両脇を固めたのが会津桑名じゃどーしよーもないw。
江戸の幕府閣僚にいたっては無能だったし。
長州征伐はこの幕府首脳の無能者が主導権を握ったが為に失敗した
慶喜は尻拭い役だったろw

39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 23:35:06 ID:J0p5RtYm0
>>29
あー、悪いんだけどさw

>海外逃亡を企ててたとでも

逃亡っていうか亡命計画はちゃんとあったぞ
勝がフランスを通じて徳川一族を逃がす手はずを整えているよ

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 23:41:26 ID:J0p5RtYm0
>>36
あーもーw

>攘夷する気など更々ないのに「海岸防備」なんて建前は無用だった

 蝦夷警備は必要だったの!樺太など日本人とロシア人が一触即発の状態だったし、
ロシアはさらに蝦夷に行こうとしていたの!。対馬だってロシアが不法占拠までしてたの!
アメリカも小笠原諸島を一番最初に見つけた米国領だと言い出していたの!
沿岸警備をしていなければ空白地としてどんどん奪われていく状態なの!
頼むからもちっと勉強してくれよ・・・

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 23:49:45 ID:EiddpaO00
余は逃げたのではない。
天保山の水族館に行ったら、船に乗りたくなっただけでR。

42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 04:02:21 ID:o0JKRIlS0
幕軍も会津など一部以外は烏合の衆であって
薩長の士気とは比べるべくもなかったし
武器の近代化も攘夷軍のほうが積極的だったし
幕府の衰退は数十年前から始まっていたことだし
慶喜はたしかに尻拭いさせられたともいえる
ただ慶喜が臆病者だっただろうというのも否定できない

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 09:53:50 ID:2wQFYcIOO
>>39 どの時点での話しだよ
>>40ロシアが攻めて来たとしても幕府は戦うつもりあったのですか?って事
更々ないっしょ?
だからそんな建前「海岸防備」なんかの為に参勤交代は廃止すべきではなかったって事
あくまでも幕府存続だけを考えた場合な

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 10:06:25 ID:DZejlEOh0
>>43
>どの時点での話しだよ
無知!アホ!バカ!その程度の事も知らないでほざいていたのか?
北海道の幕末史を調べてみろ

>ロシアが攻めて来たとしても幕府は戦うつもりあったのですか
無知!アホ!バカ!攻めてきたら戦うしかないだろ。
お前は殺されそうになったら無抵抗でそのまま殺されるのか?

>建前「海岸防備」
建前じゃねーんだよw参勤交代の廃止と沿岸警備は両輪なんだよ。
参勤交代に掛かる費用を沿岸警備にまわせって事だろ。
それとも何か?四面海の日本列島すべての沿岸を徳川家だけで守れるとでも?

>幕府存続だけを考えた場合
存続すらできないだろ。沿岸を侵略され次は内陸を侵略され、最後は諸外国の傀儡。
徳川幕府は存続できない。いや存続できても名だけの存在に成り果てる。

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 10:07:10 ID:GfYZqH1X0
有栖川の血を引く慶喜が朝廷側と本格的に戦えるわけがない。
あの時代に慶喜が将軍になり、大政奉還。これも運命やね。

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 12:28:02 ID:2wQFYcIOO
>>44 おいおいw
慶喜の評価の話ししてんのに、鳥羽・伏見の敗戦以降に亡命云々の話しをしても無意味って言いたいだけ
話しの流れよんでねw

47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 12:34:16 ID:2wQFYcIOO
>>44 それと、ロシアが攻めて来ても戦う訳無いじゃんw
フランスに助けを請うか、賠償金払うぐらい
現に四国艦隊に攻撃された際も幕府は何もしてませんよw

48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 12:40:10 ID:2wQFYcIOO
そもそも>>28の陳腐な仮説からの流れですから

49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 13:21:11 ID:DZejlEOh0
>>46
文句があるなら>>29に言えよ
>>29が突然国外逃亡がどうのこうのと言い出し無知っぽかったから教えてやっただけだよ
話しの流れをちゃんと理解してくれよなw

>>47
>フランスに助けを請うか、賠償金払うぐらい
苦笑するしかないなw
それは他人を頼むのは最後の手段
フランスとてタダでは助けないよ。幕府も無尽蔵に金を持っているわけではない。
賠償金とて限界がある。だから幕府は蝦夷警備に経費を出しているし幕府歩兵隊や幕府海軍を増強してたんだろ
それに征夷大将軍の意味を理解してくれよ。他国の武力に頼り武備を怠る征夷大将軍になんの意味があるんだw。

>現に四国艦隊に攻撃された際も幕府は何もしてませんよw
無知!バカ!アホ!
四カ国連合艦隊は幕府を攻撃したか?違うだろ。
幕府の敵だった長州を攻撃してたんだろ。そんな事も知らないのか?。
幕府閣僚の中には、四カ国連合艦隊に合わせて長州征伐を行おうという意見があったくらいだよw。
ちゃんと勉強してくれ。勉強してくれれば自分がどんなにトンチンカンな理屈を並べたか理解できるはずだからw。



50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 14:32:21 ID:2wQFYcIOO
>>46 やっぱり話しの流れが読めてないんだなw
>>28>>29の流れを声を出して10回読んでみなさい

51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 14:41:59 ID:2wQFYcIOO
>>49
アポだなw書いて気が付かないの?
君のえぞ地に関する見解と、長州が攻撃された四国艦隊との見解が矛盾してるってw
それとも何か?君が言う征夷大将軍とは、幕府を夷敵から守るのが征夷大将軍とでも言うのかねw
話しにならんw
征夷大将軍なら長州が敵か味方・幕府か否かでは無く、神国への侵略とみなして戦うのが征夷大将軍だろうがw

52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 14:54:46 ID:2wQFYcIOO
読解力の無い馬鹿の相手は疲れるから書いておいてやる
>>28は慶喜は頭が良すぎて先が見え過ぎた。だから幕府に見切りを付けたと書いてある
それに対するのが>>29
見切りを付けての大政奉還なら、すでに国外逃亡まで準備してたのですか?ってね
話しの流れとは、文の一部を見るのでは無く全体を見てね

53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 15:27:38 ID:DZejlEOh0
>>50-52
お前は真性のバカだろw
>>29がバカな事を言っていたから勉強させてやったまでの事だ。
それともお前が無知な>>29なのか?そうなんだろうな。
そんなに必死になっているところを見るとw

それとな
征夷大将軍の意味を完全に勘違いしているのがお前の方だよw
いやぁ、余りにもバカバカしい屁理屈だ。
お前のように無知な者に、ものを教えるにはどうしたらいいのだろうか?
困ったものだ。

いいかい?無知君
>えぞ地に関する見解と、長州が攻撃された四国艦隊との見解が矛盾してるってw
>征夷大将軍なら長州が敵か味方・幕府か否かでは無く、神国への侵略とみなして戦うのが征夷大将軍だろうがw
必死な屁理屈を作っているようだが、全然ちがうな。
神国だとwww大笑いだwww
いいかい。江戸時代の幕藩体制は封建制だよ。わかってる?中学校の歴史の教科書から勉強しなおしてくれ。
それと征夷大将軍は古来からの意味がそのまま受け継がれている。
江戸幕府は、律令体制初期の征夷大将軍の職務を利用して幕府を開いた。
それがどういう意味だか解っているか?解っていないだろうなwww
お前の場合、まず中学校の歴史の教科書を一通り嫁。
基礎知識がまったくないから説明しようがないぞw。
幼稚園児に日本史を教える事の難しさを今悟ったwwww


54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 15:28:42 ID:Stv/2VyM0
傍観者だけど、>>28がファンタジーということには同意。
このスレ的には、>>31-32が結論だろう。

徳川慶喜に関して評価を下すには、まだまだ時間が必要。
現時点での幕末期徳川家に関する研究は不十分だからね。

55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 15:32:51 ID:2wQFYcIOO
>>53 結局今だに話しの流れが解らない馬鹿ってことか
了解w

56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 15:35:07 ID:2wQFYcIOO
>>53 んで、確信は誤魔化して「勉強しろ」で逃げる訳ねw
お疲れ様ですm(__)m

57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 15:35:21 ID:DZejlEOh0
>>50-52
さしあたって、中学校の教科書を読んで「律令」と「封建」の違いをここに書いてくれ。
しかるのちに「征夷大将軍」という職が誕生した経緯と「鎌倉幕府」つまり武家政治の成立の過程を調べて書いてくれ。
最後に「明治維新」とはどういったものであったのか書け。
そこまで調べてくれたら、ようやく漏れの説明が理解できるレベルになる。
そうなったら教えてやるよw

あと、自作自演やるならID変えろw
自作自演やる気がないなら三連続書き込みなんぞするなw

58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 15:36:46 ID:DZejlEOh0
>>56
逃げる気は無いよ
基礎知識が無い者には説明のしようがないのw


59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 15:39:08 ID:2wQFYcIOO
>>57 何を能書き書いてるのw
幕末に徳川家が征夷大将軍として機能していなかった事実を述べてるのだからねw
教科書丸暗記の応用力0って感じだなw

60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 15:44:03 ID:2wQFYcIOO
だいたい支離滅裂してんだよ
参勤交代は海岸防備で必要と吠えながら、四国艦隊との戦に関しては長州は敵だからw
だったら参勤交代廃止の意味がね〜じゃんw

61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 15:46:42 ID:2wQFYcIOO
>>54は俺らしいw
自演ノイローゼ末期だな

62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 15:50:44 ID:DB4ShAIj0
わかってないなぁ・・・・
どうやって説明したお前の脳みそが理解しやすいんだろうな?
つか、漏れを論破する事だけが目的で屁理屈作ってんのか?お前はw。

幕府は反幕府運動をしていた長州勤皇派勢力は追い落としたいが、諸外国が日本の国土を侵す事は阻止したかったんだろ。
だから四国艦隊の長州攻撃には目を瞑るものの、参勤交代を緩和廃止して諸藩に沿岸警備をさせていた。
幕府に全日本の沿岸を警備するだけの戦力を持ってないんだからあたりまえのことだ。
なんでこんな簡単な事を理解できないの?

63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 15:55:07 ID:DB4ShAIj0
>>61
必死に漏れを自作自演厨に仕立て上げる工作をしているのだとは思うが
漏れは>>54をおまえだなんて言ってないぞw
リンク先をちゃんと見てね

64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 16:11:14 ID:2wQFYcIOO
>>62 論外だよ
四国艦隊に関しては幕府は夷敵船の味方になってたがな
何が目を瞑るだよw
んで海岸防備なんてのは建前。朝廷に攘夷慣行を約束したのと同じ
てか論破云々以前にオマイの主張がコロコロ変わって首尾一貫しとらんよw

反論の為の反論は君なんだからね

65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 16:12:16 ID:2wQFYcIOO
>>63 能書きばかりw
結局自演ノイローゼに何ら変わりね〜がなw

66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 16:21:15 ID:2wQFYcIOO
解りやすく書いてやる
武力で勝目が無い事を悟り、朝廷をないがしろにし独断で開国したんだろ?
しかしながら当時の社会通念は「尊王攘夷」
これを幕府が無視出来ない為に外交では開国路線であたりながら、朝廷には攘夷を約束した訳だ
それにともなって海岸防備の名目で参勤交代を廃止した訳
つまり建前なのよ。外交は開国路線一本なのよ
解りますか?

67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 16:26:25 ID:2wQFYcIOO
あっ、夷敵が攻めて来たらどうすんだ?なんてくだらない反論は辞めてね
んなもん降参するしか無いから
参勤交代を廃止して、その費用を海岸防備に充てた所で夷敵との戦力差は何ら変わらないからw
まさか参勤交代を廃止して海岸防備に費用を充てたから夷敵は攻めて来なかったとは言わないよな?

68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 17:18:08 ID:Stv/2VyM0
>>54の傍観者だけど、おまいら、もう一回、旗色を明らかにしてくれよ。
話の内容が元の話題からズレてしまったので、どっちがどっちだか
わからなくなって来たぞ。

ID:2wQFYcIOOがアンチ>>28、ID:DZejlEOh=ID:DB4ShAIj00がアンチ>>29でおK?

69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 17:48:40 ID:2wQFYcIOO
なんだアンチってw

70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 18:25:34 ID:sn4h1bSNO
>>1

ヒント 水戸学


71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 20:11:02 ID:yJAkcFq60
関連すれ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history2/1163300094

72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 20:53:49 ID:YirAuk8fO
腰抜け言うなよ

73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 21:27:52 ID:OK0ehN1MO
>1黄門様の遺訓により、及び水戸学の影響により官軍とは戦えなかったとか?

74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 19:54:17 ID:lU2WPql+0
孝明天皇は上洛してくる武田伊賀守を公正に取り扱うよう慶喜に命じたが、
この段階で勅命に従えば幕府と敵対する事になり慶喜自らの身を危うくする。
慶喜は天皇の意に沿うことで幕府の猜疑を受けることを恐れ、
二つ返事で武田を幕府側の田沼に引き渡した。幕府は慶喜の人望と人材を奪う為に
武田らを問答無用で大量処刑を強行し、このことで慶喜は朝廷から叱責されている。

75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 00:25:27 ID:NQdQ1pgu0
安易に情に流されないのは統治者としていいことだな

76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 05:27:51 ID:5BDu4JbP0
単に自分の身が可愛いだけだと思うが。


77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 15:11:59 ID:AxE2Tt+ZO
水戸徳川家は尊王
母上の吉子は有栖川宮家の出身

将軍家より朝廷を重んじた水戸徳川家

78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 18:36:51 ID:uYE3O15EO
諸藩の反対を押し切り第二次長州征伐を強行
幕軍兵力10万。長州2千5百。
結果幕軍惨敗・・・

すべては総大将慶喜の責任です

79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 02:48:48 ID:CWTAYbLdO
慶喜か‥加藤の乱とカブるよね。あんたらは自分の地位よりも部下のことを考えた。ホンマに、男やで、感心するわ

80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 02:58:41 ID:CWTAYbLdO
国を牛耳れる権力を天皇に返上したり、首相になれるかもしれない選挙を直前で放棄したりすることは一見バカにさえうつる。だが、彼らは木を見つつも森を見ている

81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 10:55:53 ID:jSr/zQiCO
木を見て森を見れないから第二次長州征伐を強行した訳だが

82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 11:47:56 ID:mlVdM6Or0
第1次長州征伐の段階で潰してればよかったのに

83 :_:2006/11/29(水) 16:51:23 ID:J2z5PFZp0
慶喜の夜逃げは、どれだけ徳川が腐っていたかの象徴だよな。武士の恥。
言い訳のしようがない。

84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 19:30:31 ID:lxnSKDqH0
しゃあないよ尊王なんだから


85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 22:41:36 ID:qTnOZog80
慶喜=尊王の塊っつーのは、一種のドリームだなw

86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 00:33:09 ID:kl344y/H0
>>83
慶喜の夜逃げのおかげで大阪も江戸も戦火を逃れることができた。
大阪市民も江戸市民も苦しまずにすんだ。良いことだった。
それにくらべて会津藩は「武士の意地」やらで、戦争を始め
会津庶民を苦しめた。会津の人口の内少数派である武士の為に、
圧倒的多数の会津人を戦火に苦しめた。
そして武士の自己満足の為の犠牲となった。

87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 00:35:14 ID:kl344y/H0
>>78
長州征伐始めたのは徳川家茂だよw
慶喜じゃねーし。慶喜が総指揮権握った時にはもう負けて幕府軍撤退常態だしw

88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 12:38:22 ID:PAbUpZOlO
>>87 釣りかw

89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 20:48:54 ID:WOMltcypO
普通に、慶喜は長州征伐に関わってねーだろ。新政府の末裔が考えた教科書をよんで育った子がこういう考え方になるなんて、正直こわい。善玉と悪玉に別けすぎ。根本的に慶喜は尻拭いショウグンであって、彼はある意味で時代の被害者

90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 21:36:50 ID:gWvoG1JQO
公爵を賜った慶喜公

91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 22:19:24 ID:NEXEqEREO
>>89
慶喜を悪者にしてんのは、忠義とか武士道とかが好きなそっちの人間だよ。
薩長からすれば慶喜は話の分かる人間だし、
明治の世になってもそれなりの扱いを受けている。
だいたい教科書は、動員数が史上最大規模の
第二次征長自体をほとんどシカトしている。

92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 23:45:09 ID:SLvtL5ck0
史実かどうか知らないが司馬遼太郎の小説の中で寛政三奇人の一人高山彦九郎が足利尊氏
の墓を鞭打った事を「わしも死んでからも鞭打たれるのか」と呟く場面があるが慶喜の心情
をよく表わしている。

93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/01(金) 01:14:55 ID:zMbmZlvZ0
現実には現在、足利尊氏は鞭打たれてない。

94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/01(金) 04:25:04 ID:EO1kXBWn0
>>93
中世の古人と比べられても。

95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/01(金) 11:47:54 ID:BF7o1d2wO
>>89 どんな勉強してんだよ
禁門の変も長州征伐も慶喜が関わってるからw
第二次長州征伐を強行したのは慶喜。出陣を取り止めて勝を使者に送ったのも慶喜
将軍じゃないから関係ないなんて理屈が通るかよw

96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/01(金) 11:55:04 ID:BF7o1d2wO
>>91 悪者なんかにしてないぞ。二択で物事考えるなよ


97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/01(金) 19:30:46 ID:A3CS1Uq7O
二心殿

98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/01(金) 21:37:43 ID:a9ArfN190
膝元の水戸藩が尊攘の同志である長州への征長戦への出兵を公然と拒否したように慶喜は幕府側にも評判は良くなかったが、
この段階では水戸の尊攘派の人望も失っていた。

99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/02(土) 03:59:32 ID:381I+morO
慶喜の本心は「尊皇開国」

100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/02(土) 04:00:37 ID:381I+morO
100ゲト

101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/02(土) 13:26:48 ID:eh7ueTsAO
尊皇開国で良かったよ

幕府はロシアを排除できず、
英国にお願いする位
国家として主権が無いのだから
いいんじゃない

102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/02(土) 14:16:54 ID:pKhBQ/ZhO
まぁ〜慶喜が表舞台に出てきたころは皆さん尊王開国だったがな

103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 01:17:23 ID:8of95fDuO
慶喜スレ、斜陽化

104 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 21:47:09 ID:bOHRqGY70
信と幸、子供7人ずつ

105 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 10:25:51 ID:c0wo7Vis0
慶喜が腰抜けだったお陰で結果としてはいい結果となった

106 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 10:55:12 ID:rrqIX6YuO
慶喜が腰抜けだったせいで、全責任を会津と桑名と新撰組が負う羽目に成った訳だ。

107 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 12:02:49 ID:oEywNAHn0
主が平穏に生き延びたんだから、本望だったろ。

108 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 12:25:22 ID:meyaGnUkO
慶喜の偉大さは、歴史が証明してくれるよ。あと補足だけど、ここの流れでは、長州征伐2が愚行という感じ仕上がってるけど、あれこそ英断だった。タチ悪いのは倒幕派なんだから、実際

109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 12:52:27 ID:meyaGnUkO
あ、あと、慶喜がここぞというときに内戦を拒んだのは、国がバラバラになることとによって、外国に国政を支配されることを懸念したから。彼は弱かったんじゃない、むしろ強かったんだ

110 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 13:48:23 ID:fYVsnjo1O
酒井忠惇、板倉勝静、松平容保、松平定敬、

111 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/10(日) 03:01:03 ID:t718CwIo0
それほど大局を見通した才人がみっともなく大坂城から大慌てで逃げ出したりするかなあ
ただ単に、良くいえば平和主義のことなかれ主義、悪くいえば自己保身の腰抜けだっただけで
諸外国に漁夫の利を決め込まれないようにというのは慶喜自身のあとづけの自己弁護じゃない?
そうでもしないと自分に忠義を尽くして死んだ人間と生き残った人間とその関係者に面目が立たないから

112 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/10(日) 08:42:56 ID:forrqnYA0
逃げ出したのは、慶喜が幕府の力を見限ったという方が正しいのではないか?
征長・鳥羽伏見といい、圧倒的優勢に見える状況においても連戦連敗のボロ負けを露呈してしまう程に幕府指揮官が低レベルでは
慶喜がどう前線で指揮をとろうにもフォロー出来ないのでは?

一方で慶喜が敵前逃亡したから幕府は負けたなんてのも、幕府側の自己弁護にも聞こえるが。

113 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/11(月) 05:13:08 ID:aeehTvjF0
腰抜けのイメージを慶喜一人に負わせる事で「幕府軍は勇敢だったが慶喜の腰抜けのせいで敗れた」
と幕府自体のへタレぶりを隠微することができる。


114 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/12(火) 01:08:45 ID:QZUQeLVX0
幕軍が弱かったから慶喜は怖気づいたし
慶喜が怖気づいたから幕軍はさらに士気が下がった

115 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/13(水) 00:34:55 ID:kRnZwNX60
つか鳥羽伏見の第一日目に勝ってりゃ慶喜だって逃げなかっただろう
三倍の兵力で負けた幕府軍
その最先頭にいたのが会津
一番最初に逃げ出したもの会津

116 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/13(水) 02:31:12 ID:ZFNmowMl0
大阪城でこもてったら勝てたね。
援軍が来ただろうし。


117 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/13(水) 02:34:26 ID:ZFNmowMl0
大阪65万石に紀州から移しとけばよかったじゃん。

118 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/13(水) 02:37:06 ID:ZFNmowMl0
大奥を廃止すればよかった。

119 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/13(水) 02:43:10 ID:ZFNmowMl0
20〜30万石以上を大名とすればよかったじゃん。
藩が多過ぎ。

120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/13(水) 02:50:38 ID:/g8/CReD0
ttp://d.hatena.ne.jp/Dryad/20061210
とりあえず、全ての要素(アクション(殺陣)シーン、ドラマ性、歴史への大局的な視点、etc。)において邦画界が完全に敗北しているのを目撃したわけだが(´・ω・`)
細かい時代考証の齟齬は突っ込むところではないですな

121 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/13(水) 13:54:32 ID:Pnm/ZPyF0
ID:ZFNmowMl0 ← 真性のようです

122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/13(水) 17:40:19 ID:G7DpukSo0
元服直後は松平昭致だったの?
一橋家に入ってから徳川慶喜?

123 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/13(水) 18:06:00 ID:ZEm803NKO
>>108>>109の矛盾が笑えるw
第二次長州征伐を肯定しときながら内乱阻止だとよw

124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/13(水) 22:46:35 ID:n7/9EZsg0
つーか、慶喜を必要以上に持ち上げるのも、
必要以上に叩くのも、どっちも変だろ。
慶喜たった一人に幻想を持ちすぎ。

125 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/14(木) 08:24:46 ID:kZFE9ZAt0
32才で歴史の表舞台を去った。
将軍位に就いていたのは1年未満。

126 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/14(木) 21:59:59 ID:qqW3GqA5O
結果論を語ってもどうしようないけど、慶喜が初代大統領、或いは総理大臣になっていたら‥て考えると、なんか残念だよな

127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 00:28:17 ID:Rs9NBnld0
ぜ〜んぜん

128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 00:47:09 ID:XVxkdk7D0
少なくとも会津藩主松平容保よりマシw
会津藩みたいに徹底抗戦して農民など領民たちを戦争に巻き込んで苦しめたり、
国力を消耗し諸外国に漬け込まれるより、
さっさと負けを認めて侵略の口実を与えなかった
日本史上彼ほど上手い負け方をした人物はいないっしょ


129 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 08:12:30 ID:nl8VlXor0
確かに負けが確定したようなもんなのに
その後の会津の抗戦は国際情勢を考えるとよくなかったな

130 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 10:28:31 ID:c7YbgZojO
>>126 歴史上の人物の評価を結果論以外の何で語れと・・・
第二次長州征伐失敗・鳥羽・伏見敗退・敵前逃亡
将としてみれば下。
また慶喜の戦意喪失が無駄な戦をしない為なら潔く腹を斬れば良かった。
それをしなかったのは自らのほしんの為なのは明白



131 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 10:35:06 ID:JKvEx8D90
あの時代の大名で将として上ってだれだよ?
島津も毛利もその他自ら従軍した殿様はいない。
藩士に命令または許可しただけだ。

132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 10:47:34 ID:c7YbgZojO
島津も毛利も陣頭指揮をとってないから比べるのは無意味
それと将とは殿様の事では無いから


133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 11:28:31 ID:Vh12VRPxO
勝てば官軍

負ければ賊軍

134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 11:59:54 ID:zLWAlA+p0
あの当時、陣頭指揮した大名っていったけ?

135 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 12:07:01 ID:11u6BP6jO
>>130誰もが私利私欲丸出しで、無駄な争いばかりが氾濫しているこの世の中だからこそ、慶喜の平和精神が重要なんだよ

136 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 13:02:54 ID:c7YbgZojO
>>135 どこが平和精神なんだよw
単なる後付けじゃんw


137 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 13:23:09 ID:fg68Cdrf0
江戸城に籠城しなかったのだからある種の平和精神だよ。
慶喜が最後までやる気マンマンだったら内乱勃発で、
欧米諸国にチャンス到来。

138 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 13:30:00 ID:c7YbgZojO
>>137 逆賊の汚名を恐れて降伏してただけ
平和精神なんか後付けですよ

139 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 15:28:36 ID:11u6BP6jO
当時の幕府軍には小栗上野介という才人がいて、彼が考えた策略を使えば、倒幕派を根絶することができた。では、なぜそうしなかったのか?既出だけど、内戦中に、外国に日本を支配される恐れがあったからなんだ

140 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 15:32:11 ID:11u6BP6jO
彼は名誉よりも国を守った。よって、維新後も、彼が国政の中心でしきをとるべきだった

141 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 16:02:28 ID:c7YbgZojO
>>139 ソース出してみろよw

142 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 17:21:29 ID:IIyiN8kW0
ID:c7YbgZojO ← なぜか必死な凡人

143 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 17:45:33 ID:c7YbgZojO
それがソースかw

144 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 17:55:48 ID:IIyiN8kW0
>>139は別人だもん。

145 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 18:06:04 ID:nl8VlXor0
>>139じゃないけどそういう作戦があったらしいというのは本当だよ
wikipediaで調べてみればたぶん書いてあるよ

146 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 18:14:07 ID:c7YbgZojO
小栗案ぐらい知ってるからw

147 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 23:06:05 ID:nKAwdjgW0
>>139
その計画はあったが、対する政府軍の大村益二郎も小栗の計画ぐらい想定済み
(つかそんな策略、ある程度学のある奴なら誰でも考えられた)
現に実行できたとしても、中山道に主力軍を配している上に
東海道の政府軍に幕府海軍から与えることの出来る損害なんてたかが知れてる。

148 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 00:00:03 ID:11u6BP6jO
>>147 君のいってることは創作だよ。第一、大村益次郎がその計画を知って青ざめたのは、コトが終了したあとなんだから。前もって予測していたはずがない

149 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 02:02:24 ID:Vn5OKrNq0
>>148
実際に中仙道に主力がいたw
甲州で新撰組を破り、北関東で幕府伝習歩兵を追撃し、
そのまま会津に転進して母成峠の戦いに勝利し、
会津白虎隊を潰して会津城下一番乗りしたのは中山道を進んだ薩摩土佐の主力軍連中。
奇兵隊など長州軍主力は越後方面から江戸を目指している。

150 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 02:10:03 ID:Vn5OKrNq0
>>130の理屈だとこんな解釈も出来ますねw

歴史上の人物の評価を結果論以外の何で語れと・・・
孝明天皇の命令を受け幕府に攘夷や将軍上洛を要求し、
幕府を窮地に追い込む。鳥羽・伏見第一日目の会津兵敗北・慶喜を諫止せずいっしょに敵前逃亡、
自らの意地の為に勝算の無い会津戦争を始め奥羽諸藩を混乱に巻き込んだ。
会津藩主松平容保は将としてみれば下。
また会津戦争での会津降伏が無駄な戦をしない為なら潔く腹を斬れば良かった。
それをしなかったのは自らのほしんの為なのは明白


151 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 02:12:41 ID:Vn5OKrNq0
ちなみに・・・

>大村益次郎がその計画を知って青ざめた

それ・・・創作だからw

152 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 03:34:36 ID:KrFXNnCx0
小栗は実際に陣頭指揮には立とうとしなかったし、口先だけではないのか。


153 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 08:35:05 ID:a+DAJDVg0
というより、小栗案を実行するとフランスが幕府を支援して戦争へ介入。
利権を奪われまいとイギリスも介入を始め、中国やアフリカ諸国を植民地化した時の常套手段が使えるようになる。
慶喜も幕府閣僚もよく知っていたので、小栗案は危険極まりないとして不採用。
小栗は戊辰以前にも第二次長州征伐でも諸外国の協力を得て長州攻撃を行おうとして、
やはり幕府内部で阻止された。

154 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 11:47:23 ID:5qEihMMQ0
それで海外から小栗がべた褒めされていたのか
「この時期に日本にこのような人材がいることは奇跡だ」とかなんとか・・・

155 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 12:59:03 ID:+GT9N2AA0
>>154
つまり幕臣のレベルがそれだけ低かったんだろ。
外国人とまともに交渉が出来る役人が全くいなかった。
小栗は海外経験が豊富で、外国人の前でも物怖じしなかった。

今、某県庁に仕事の打合せで行く機会が多いが、
役人なんて江戸時代も現代も全く変っていない、馬鹿のハキダメ。
外国人が呆れるのも無理はない。

156 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 13:06:28 ID:7GRUFWxPO
小栗がいなかったら、日清日露戦争にはかてなかったというのに‥日本海軍の地盤をつくったのは幕府時代の小栗なんだぞ

157 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 13:26:31 ID:5o2R4PtN0
だが、明治維新が
日中戦争、半島汚鮮、太平洋戦争を招いたことにはなるな。
これで分割統治されてたら、明治維新の評価は下がったろう。
戦後70年経っても、ぼろくそに言われる原因を作った。

158 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 13:39:28 ID:7GRUFWxPO
要するに、明治維新の功罪は、単純な刷新作業をしたことだろ。つまり、「幕府は悪」という地点から出発してるから、幕府側の良い所も良い人材も、中央からほぼ絶滅させてしまった。これは、現代にも言えることだけど

159 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 14:48:46 ID:06J6FiFZ0
幕府を過小評価してるのは日本史しか勉強してこなかった連中。

当時の日本がおかれた国際状況を考えれば、
衝突が起きる前に条約を結んでおくというのは最善の選択をしている。
少ない情報の中でよくやったと考えるべき。

160 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 16:48:18 ID:NIcYE67y0
でも最善の選択をしたのは慶喜じゃなくて勝海舟と大久保一翁だよな
慶喜はそれを彼らに任せただけで、不安を小言でこぼして
勝海舟と陰口言い合ってたわけだし

161 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 19:45:25 ID:dAMX47P4O
>>158
明治政府は幕府の体制は木っ端微塵に破壊したけど
幕府の人材は有効活用してたたろ。
それに日中・太平洋戦争は、
明治体制を破壊して乗っ取りをかけた昭和軍閥の仕業だよ。

162 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 20:36:30 ID:PYG2fPrL0
昭和にゃあもう軍閥っつうほど立派なモンねーだろ。

163 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 21:09:43 ID:5o2R4PtN0
朝鮮を脅迫するのはどうかと、きちんと使節を送って、
緩やかな交流でよかったのに。
日韓併合は大失敗。

164 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 22:39:26 ID:rSbk3QEG0
西郷みたいに倒幕そのものが最終目標だった低レベルなヤツもいるしな。


165 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 23:02:36 ID:jAfL1+LN0
幕臣や譜代大名自体が、もう武士ではなく役人になりきってたのだし、
誰が指揮しても鳥羽伏見には勝てなかったと思う。
戦いたくない慶喜を戦争に引きずり込んで、しかも負けた譜代の連中が
責任回避のために慶喜に責任を押し付けてる面が強い。

166 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 23:28:02 ID:5o2R4PtN0
勝は日韓併合は反対だった。

167 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/17(日) 00:04:37 ID:HdARsRj60
>>162

>昭和にゃあもう軍閥っつうほど立派なモンねーだろ

知識無さ杉w
東北人が統率した関東軍が日本政府や中国を罠にはめ、
謀略で日中戦争を起こした事を知らないのか?。
さらにその日中戦争を非難したのがアメリカで、
その交渉が決裂して太平洋戦争が始まったんだよw。

168 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/17(日) 00:45:47 ID:3v4pHDSU0
すまねえ 軍閥を勘違いしてたみたいです。

でも満州事変を起こしたのは関東軍だけど日中戦争の発端の上海事変は
関東軍が起こしたんじゃあないよ。

169 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/17(日) 01:00:31 ID:HdARsRj60
すまねえ 事変を勘違いしていたみたいです。

170 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/17(日) 01:11:23 ID:7LI7A6QJ0
上海と南仏領はまずかったね。白人の植民地に手を出したのは。
北樺太に逝ってくれ。

171 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/17(日) 04:36:12 ID:d1s62PnTO
>>137
亀ですまんが自分も平和精神は自らを正当化する為の後付けだと思う。
江戸に帰った後、周囲に朝敵になってしまった、と恐れるように漏らしている。
彼は朝廷に対しては薩長と抗する為、利用していた形だが、
水戸学の幕府が朝廷に矢を向けるようなことはあってはならない
という教えは頭に強くあったと推測される。
明治期に至っては天皇の祭祀が行われる日は必ず趣味である狩猟に行っていない。
これは立場上やむを得ずとも考えられるが、(明治期に政治に対する考えを漏らすことはしなかった)
朝廷を重んじる姿勢が生涯一貫して見受けられる。
政争時の朝廷に対する姿勢と天皇に対する姿勢は別。

172 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/17(日) 04:54:35 ID:d1s62PnTO
あと権力への執着心が薄かったんだろう。
継嗣問題の時の書簡はどれも迷惑と言わんばかりなもの。
あと、12月5日に松平春嶽から事前にクーデターの情報を得るも、
新政府創設は必要だと返すのみだったし。



173 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/17(日) 15:51:18 ID:0Ls8xMs20
有栖川宮を祖父に持つ慶喜。


174 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/22(金) 00:41:22 ID:yRltxZvqO
このスレには独特のバイオリズムがある件

175 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/23(土) 15:34:09 ID:lqgUHVIaO
>>174 僕なんかは、マニアックな事柄過ぎて、途中からついていけなくなるんだよね。

176 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/25(月) 20:35:28 ID:05Iuz2Pz0
学問・日本史板なのだからマニアックでも問題ない。


177 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/25(月) 23:59:44 ID:KxgmwWLY0
A:無理矢理な開国要求→逆ギレで外国に攻撃→反撃、敗戦→賠償に領地
B:政権分断→内戦→外国の支援で休戦→支援の借金のカタに領地

どっちも植民地化の黄金パターン

いろいろ言われるが幕府は賢明。薩長の逆ギレテロ集団のほうが数段DQN。


178 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/26(火) 00:46:41 ID:IkZ7rzC40
>>177
は??
幕府はペリー以前に「外国船打ち払い令」を出してますよw
それに幕府はフランスの力を借りて長州征伐や戊辰戦争に勝とうしましたが?
頭大丈夫?

179 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/26(火) 02:05:26 ID:n7UaVk9J0
>>178
打ち払い令が出た頃とペリーの頃とじゃ状況が違う



180 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/26(火) 05:16:32 ID:97QJYYYJO
ヽ(*`Д´)ノ会津や桑名や新撰組に罪を擦り付けた腰抜け公方
って恨まれたんだろーな、慶喜。

181 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/26(火) 13:07:20 ID:wG7fGVbH0
一番の阿呆は勝てない戦争に将軍を引きずりこんだ会津と桑名だ。

182 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/26(火) 13:28:27 ID:5cKAZjzI0
新撰組信者ってどこまで勘違いを続けるんだろうなあ。
大した働きしてない。

183 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/26(火) 16:59:42 ID:Olo7Rx+U0
大阪城に籠城すれば勝てた。

184 :◇6HuvTKXmag:2006/12/26(火) 17:32:18 ID:pGxQrwPc0
>>1
屑、最低、最悪の男
自分だけ大阪城から逃げるのならともかく
純情で人を疑う事を知らない松平容保を
騙して、一緒に連れていった事が一番許せない
容保なら大阪城で篭城して、逆賊薩摩と長州を討ち果たしたよ
幕府海軍が大阪湾に停泊して制海権を握っていたから
補給の心配が無く篭城戦が遂行出来た!

185 :◇6HuvTKXmag:2006/12/26(火) 17:34:59 ID:pGxQrwPc0
つーかこんな屑を15代将軍にせずに
松平容保を征夷大将軍にしてれば
逆賊薩摩や長州に天下を取られなかった

186 :◇6HuvTKXmag:2006/12/26(火) 17:48:36 ID:pGxQrwPc0
司馬史観を叩く自由主義史観の連中こそ、日本にとって最大の害虫
司馬史観VS自由主義史観なら、俺は断固として司馬史観を擁護する

自由主義史観を狂信する基地害は、日本から出ていけ
自由主義史観=戦前の基地害ウヨク、代表者は菊池武夫と上杉慎吉
この二人と、それに不破雷同した基地害どもが日本を亡国のふちまで
追い込んだ

187 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/26(火) 18:10:08 ID:Olo7Rx+U0
加賀藩と江戸からの援軍も来ただろうね。

188 :日本@名無史さん :2006/12/26(火) 18:47:57 ID:tNFIgVf90
>pGxQrwPc0
たかだか将軍一人の逃亡が大局に影響を与えるなんて
それだけ幕府軍はもろかったということだな。

つか錦旗の挙がる前日に小勢の薩長に勝っとけよ。
初日目即行緒戦で負けるから慶喜も「味方不甲斐なし」と見て見限った可能性高いぞ。

189 :◇6HuvTKXmag:2006/12/26(火) 20:56:47 ID:pGxQrwPc0
>>188
アホか
司馬も言ってるけどたかが3千人の相手に2方面から
ぶつかる馬鹿がいるかよ

確かに火器は薩長軍の方が多いけど、たかが3千人
攻撃を多方面から行えば、防御網が薄くなって、突破可能
そして幼帝を押されば、その時点で薩・長は朝敵
孝明天皇と違って明治天皇は年少なんだから、全ては
岩倉や三条と言った君側の干の陰謀なんだよ

190 :◇6HuvTKXmag:2006/12/26(火) 21:01:14 ID:pGxQrwPc0
全ては臆病者で戦術の才能は一欠けらも無い
豚一の無能のせいで、負けるはずのない戦で
幕府軍は負けた

しかも井伊の赤備えは、当主直弼を水戸の糞どもに殺されてるから
水戸出身の慶喜の為に出兵する訳ないわな

徳川家最強の彦根藩が幕府軍に味方しなかったのも
全て水戸藩と豚一のせいだ

191 :◇6HuvTKXmag:2006/12/26(火) 21:05:07 ID:pGxQrwPc0
司馬史観>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>自由主義史観
司馬史観の敵は、今や自由主義史観!戦前を全肯定する基地害
集団=自由主義史観の連中を徹底的に叩く

192 :◇6HuvTKXmag:2006/12/26(火) 21:06:38 ID:pGxQrwPc0
自由主義史観の連中は薩・長と、昭和の陸軍を賛美する基地害

193 ::2006/12/26(火) 21:39:39 ID:E87CfjIW0
バカコテ、痛すぎ。


194 :◇6HuvTKXmag:2006/12/26(火) 23:49:48 ID:pGxQrwPc0
>>193
自由主義史観を信奉するNETウヨク乙
俺は司馬史観を信じる

195 :◇6HuvTKXmag:2006/12/26(火) 23:51:27 ID:pGxQrwPc0
自由主義史観:NETウヨクや基地害だけが信奉する歴史観
司馬史観:真のインテリが好む歴史観

196 :◇6HuvTKXmag:2006/12/27(水) 00:00:39 ID:pGxQrwPc0
だいたい歴史学は自然科学と違って完全な客観性を持つ事は出来ない
だから史観という表現が用いられる

だから、皇国史観、マルクス主義史観、実証主義史観、自由主義史観
司馬史観とも、それを選択する人間の価値観が反映されるのさ

俺は近代史では司馬史観が一番しっくりいく

197 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/27(水) 00:19:46 ID:JayMLHns0
井伊の赤揃えって第二次長州征伐で何もできず惨敗したんじゃなかったっけ?

198 :◇6HuvTKXmag:2006/12/27(水) 00:28:03 ID:4NC77/pU0
>>197
それでも使えるぜ
薩・長軍はたった3千だったからな
しかし慶喜では旗頭にはならない
頭はやたらに切れるけど誠実さの一欠けらも無い男の為に
死ねる親藩や譜代大名は居ないからな

徳川家茂や松平容保の為になら死ねるけど、徳川慶喜の為に
死ぬ事は俺には出来ない

199 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/27(水) 04:07:11 ID:aj5yWXmjO
岩倉って直前まで慶喜を新政府のメンバーに入れようとしてたんだよな。
それを幕臣が暴動を起こしたせいでオジャンに。
1月1日に岩倉に中根雪江が、慶喜が辞官納地を奏上する為京都へ軽装で出かける用意をしていると伝えてる。
それに対して岩倉は辞官納地をするなら、新政府に加えると返答。
しかし翌日2日、旧幕府軍が京都へ向かうという事態に。
大久保は岩倉を説得、錦の御旗。慶喜新政府入り台無し。
そして夜逃げ。
「昔夢会筆記」で後年の慶喜が抗戦を主張する者たちを抑えきれなかった、と言ってる。
やっぱり考えの浅はかだった旧幕府軍がいけない。
王政復古を事前に知りつつ、新政府は必要だと容認した慶喜の頭の良さが幕臣には伝わらなかったんだな。

200 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/27(水) 04:25:03 ID:aj5yWXmjO
連投すまんが>>198
誠実のかけらもないに同意。
大久保にも偽り、欺く人と言われてるし。兵庫開港問題の時にも八幡宮の攘夷祈願の時も騙してる。
誰か忘れたけど確か別の薩摩藩士からは慶喜を将軍にしたら、
一匹の虎を千里の野に放つようなものだとも言われてたけど。
感情よりも理性でものを考える人なんだろうな。
大阪城で幕臣に一時情に流されてしまったのかも。

201 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/27(水) 04:55:45 ID:aj5yWXmjO
でも所謂忠義の士の一人榎本武揚からは戊辰以前だけど好感触の評価がされてたな。
幕府の改革の急務さを訴える為、慶喜に謁見することになった武揚。
礼儀やら口調やらに気をつけようと心づもりしていたが、いざ会うと
かなりの至近距離で、思ったより親しげに話してくれたと語ってた。
身分や形にとらわれない印象だ。
戊辰で彼の慶喜に対する評価は変わっただろうが…それまではきっと信頼してたんだろうなあ。

202 :◇6HuvTKXmag:2006/12/27(水) 05:00:51 ID:F24UaEdW0
>>200
徳川慶喜は中途半端な男だよ
もし本当に胆力があるなら大阪から京都へ攻撃を仕掛けるな
そして仕掛けたのなら、大阪城に篭城して徹底交戦しろ
幕府軍の方が薩摩と長州軍より、海軍力は上だから
大阪湾の制海権を奪われない限り、篭城戦でも補給路は
確保出来たからな

そこで篭城戦を展開しながら、徳川家一門と譜代大名を
総結集出来たら、薩摩・長州軍を人海戦術で圧倒出来た

203 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/27(水) 07:01:07 ID:DfdsB37V0
>>202
は?
>大阪から京都へ攻撃を仕掛けるな
>そして仕掛けたのなら、大阪城に篭城して徹底交戦しろ

 鳥羽伏見の戦いを知らないらしいw
しかも仕掛けた後で篭城とはwww最初から負ける予定?
だったら最初から戦争しかけない方が利口だよwww。

そもそも何のために大阪にいたのか解ってなさそうw慶喜は最初から戦争を回避する為に大阪に退いた。
土佐越前の工作で政治的に逆転できたからだ。戦争さえ回避できれば薩長に肩を並べることができた。
それを会津と桑名が、戦えば勝てるといって慶喜を説得し京都へ軍を送った。
第一日目から大敗北。ここで勝っていれば錦の御旗も出なかったはず。
負けっぷりの酷さに慶喜は呆れ果てただけだろうな。
長州征伐で人海戦術して負けてんだからどうしようもないよね。

204 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/27(水) 07:05:12 ID:DfdsB37V0
>篭城戦を展開しながら、徳川家一門と譜代大名を総結集出来たら

無理です。篭城しているという事は野戦で敗北したって事だろ。
それだと間違いなく錦の御旗が薩長側に立ちます。
賊軍の名を自ら着る譜代新藩がいかに少なかったか、戊辰戦争を見れば解ること。

205 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/27(水) 08:35:51 ID:f1v4xxqi0
クソソコテ市ねよ。


206 :◇6HuvTKXmag:2006/12/27(水) 08:44:03 ID:F24UaEdW0
>>204
それは慶喜が誠実の欠片も持ってなったからです
板倉や小笠原と行った老中や奥羽越列藩同盟は
輪王寺宮を立てて君側の奸である薩摩と長州を叩こうとした
これには仙台藩、米沢藩、南部藩と言った外様大名も
加盟してるし、天才河井継之助の長岡藩(これは譜代)も
参加している

将軍が豚一でなくて、家茂か容保なら、輪王寺宮を立てて
徳川一門、徳川譜代、旗本、奥羽越列藩同盟を結集させた上で
逆賊薩摩と長州を撃破できました

207 :◇6HuvTKXmag:2006/12/27(水) 08:45:24 ID:F24UaEdW0
自由主義史観の基地害NETウヨクこそ死ね

208 :◇6HuvTKXmag:2006/12/27(水) 10:14:38 ID:F24UaEdW0
だいたい有栖川宮は輪王寺宮を馬鹿にした屑だし
そんな屑だから、偽有栖川宮が現れた
あれで世間では有栖川宮は詐欺師と言う印象を持たれた
輪王寺宮をコケにしたから仏罰が当ったんだろうw

209 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/27(水) 11:15:05 ID:7V7z7Bwv0
宮に仏罰とは...
やっぱりクソコテはバカだなw

210 :◇6HuvTKXmag:2006/12/27(水) 11:32:32 ID:F24UaEdW0
>>209
ばーか、薩・長が政権を握る前の日本は神仏混合だよ!
皇族で出家した人の数は膨大だぞ

廃仏毀釈なんてモノは低脳薩・長が天下を取ったからさ

それと仏教を否定するなら、聖徳太子は反日サヨクだなw
これがNETウヨクで構成されている自由主義史観の連中の正体だ
もう少し、日本の歴史を勉強しやがれ、この屑ども!

211 :◇6HuvTKXmag:2006/12/27(水) 12:10:24 ID:F24UaEdW0
聖徳太子が隋と対等外交が出来たのは
仏教というアイデンティティが聖徳太子に合ったからだよ

自由主義史観の連中は、聖徳太子の外交は評価するのに
厚く仏教を信仰していた事は隠す

それに騙されるのは、正体がニートで学がないNETウヨクだけw

212 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/27(水) 12:39:54 ID:dbsQY7yG0
このクソコテは失業者かな。
なんでこのスレに張り付いて駄レス連発してるの?

213 :◇6HuvTKXmag:2006/12/27(水) 13:03:57 ID:F24UaEdW0
>>212
適応障害でニートな俺様は無敵だよ
だから雅子妃の適応障害には同情を禁じえない

214 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/27(水) 13:32:37 ID:dbsQY7yG0
正体がニートで学がないNETサヨクなわけねw
メンヘルスレから出てくるなよ。

215 :◇6HuvTKXmag:2006/12/27(水) 16:33:23 ID:aC+aAO+70
>>214
NETウヨクよりは上だよ
何故なら司馬史観>自由主義史観という
判断力があるからな

司馬>西尾
司馬>藤岡
司馬>小林
だろう、常識的に考えて

それがNETウヨクだと
西尾>司馬
藤岡>司馬
小林>司馬
になるから、NETウヨクは低脳なんだよ

216 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/27(水) 16:54:25 ID:0CXeAsjb0
太平洋戦争と汚鮮の原因とは、明治維新とも言えるがな。

217 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/29(金) 07:48:23 ID:ec7MOok/0
>>206
歴史を知らない香具師だなw

>板倉や小笠原と行った老中や奥羽越列藩同盟は
>輪王寺宮を立てて君側の奸である薩摩と長州を叩こうとした

板倉や小笠原は大政奉還や鳥羽伏見の戦い時の老中であり、その責任を免れる事はできない。
板倉など朝敵指定時に慶喜、会津桑名に続く四番手にランクイン。薩長と戦うしか選択肢がない。
輪王寺宮は、当初は恭順派の戦争回避派。和宮の依頼で徳川家の救済を行ったが、
新撰組残党が甲州で戦争した為、徳川に恭順姿勢無しとされ拒否される。
頭にきた輪王寺宮は、主戦論に転向。つまり原因は新撰組w

>これには仙台藩、米沢藩、南部藩と言った外様大名も
>加盟してるし、天才河井継之助の長岡藩(これは譜代)も
>参加している

 仙台、米沢、南部などの東北諸藩は徳川家が恭順し、会津攻めが深刻な問題になってから立ち上がった藩。
つまり彼らにとって徳川などどうでもよく、戦争に巻き込まれる事が迷惑だった。
そのための会津救済活動だったが、拒絶された為に逆ギレして主戦になっただけ。
仙台など徳川の為ではなく「仙台幕府を作る為」に戦ってたしなw。
長岡も同類。長岡もまた中立(つまり戦争に巻き込まれたくなかっただけ)を拒絶されたから逆ギレしただけw。

>家茂か容保なら、輪王寺宮を立てて
>徳川一門、徳川譜代、旗本、奥羽越列藩同盟を結集させた上で
>逆賊薩摩と長州を撃破できました

無理だっちゅうにw。
論より証拠。家茂が徳川一門、徳川譜代、旗本、外様大名を終結させて行った
第二次長州征伐でボロ負けw。
奥羽越列藩同盟各藩は、大政奉還の時、全大名に京都へ来いという命令を無視。
その程度の忠義心なので、家茂の呼びかけにも応じないだろう。

>容保なら
うははははwwww
話しにならんwwww
会津藩主など頭に据えてみろ。誰も来ないよwww
会津は京都警備で殺しすぎた。幕末諸藩一番の不人気男だぞw。
幕府や譜代大名から孝明天皇側に寝返って幕府を窮地に追い込んだ元凶と思われ、
親藩や譜代大名、外様大名からも「第二次長州征伐を起こしておいて自分は出ず、
他の大名に戦いを押し付けやがって!」と嫌われていた。
諸藩は長州処罰は第一次長州征伐で終わっていると思ってたしな。
第二次は長州と会津の私闘に利用されたとご立腹www。

218 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/29(金) 09:50:08 ID:8NIuKzcu0
バカにマジレス、ご苦労様

219 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/29(金) 10:05:29 ID:jyPWQnJA0
>>218
論破されて悔しそうな馬鹿本人w

220 ::2006/12/29(金) 20:58:25 ID:KfgezTHa0
久しぶりに見た本物のバカww

221 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/31(日) 00:48:18 ID:j8rRur3T0
>>217もクソコテは別種の馬鹿だろ

222 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/31(日) 23:52:46 ID:2BJQF+Zf0
w連発は荒らしですから。www

223 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/01(月) 12:29:09 ID:DzcXBEkRO
水戸徳川家最強

224 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/01(月) 20:17:04 ID:kAgWSzOf0
後年になって武田伊賀を幕府に引き渡したことは誤りだったと弁解している。
理由は自分の身が可愛かったと率直に認めてもいる。

225 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/03(水) 00:32:23 ID:RASlbRHw0
>>みんな

まああれだ。
お互いバカ言うのはやめようぜ。

日本人だし、義務教育も受けてるんだろうし。


226 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/03(水) 21:52:33 ID:u70iqzIy0
慶喜は日本近代史のひとなのか?
完全に江戸時代で役割を終了したひとだぞww

227 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/03(水) 22:29:58 ID:dtwVOtoV0
しかたないだろ
会津ヲタどもが薩長叩き専用スレ乱立させたため、
2ちゃんの方が「他の貴重なスレが消えてしまう」と言って、
幕末系は歴史板から近代史板に追放処分になったんだから。

228 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 22:38:56 ID:lp/Onxkz0
('∀`;)<アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \
(´・∀・)<どうかなされましたか!上様!
('∀`)<だってさ、すぐそこまで薩長の奴ら来てるじゃん、もう駄目だよ、あきらめようよ
( ´_ゝ`) .。oO(ったくこのボンボンは…)
ヽ(`Д´)ノ<戦いましょう戦いましょう戦いましょう
('∀`)<あー戦いたくねーな、朝廷に手紙送ってなんとかならねーかなー
( ´_ゝ`)<ではそのように計らいましょう
('∀`)<うんうん。そうして、めんどいから後は全部任せるわ
ヽ(`Д´;)ノ<ちょっ…上様!!!!!!!
( ´_ゝ`)<つきましては使者には高橋殿が適任と思いますがいかがでしょう?」
('∀´;)<だ、駄目駄目!そんなことしたら俺のボディーガードいなくなっちゃうだろ!」
( ´_ゝ`) .。oO(ったくこいつはどうしようもねぇな…)
(´・∀・)<では、私の義弟の山岡鉄太郎はいかがでしょう?
('∀`)<お前が言うならそいつでいいや(誰か知らないし、死んでも俺には関係ないしな)
(`・ω・´) <どうもこんにちわ、山岡です!このお役目必ずや成し遂げてみせます!
('∀`)<うんうん、じゃあ頼んだよ

〜数日後〜
('∀`)<最近治安悪いからな〜あいつ殺されたかもなぁ、薩長の奴らって乱暴だしね…ハハハ!
(`・ω・´) <ただいま戻りました
Σ('∀`;)<早っ!!!


【問題】『山岡鉄太郎以外のそれぞれのキャラが誰かをA〜Gから選んで埋めなさい』

・('∀`)
・(´・∀・)
・( ´_ゝ`)
・ヽ(`Д´)ノ

A小栗忠順 B徳川慶喜 C勝海舟 D曲亭馬琴 E高橋泥舟 F徳川斉昭 G西郷隆盛

229 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 23:13:51 ID:CwCI7/g90
・('∀`) =大石蔵の助
・(´・∀・)=佐々木介三郎
・( ´_ゝ`)= 風車の弥七
・ヽ(`Д´)ノ =片岡源右衛門







230 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 00:50:02 ID:3KkONYT3O
上杉家では、朝廷に奉仕することで藩を越後百二十万石のむかしに戻したいと望み、佐竹家では、島津将軍か毛利将軍ができるだろうという認識を持っていた

231 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/09(火) 00:47:26 ID:Hvsgz5Gc0
子孫の慶朝も、ろくでもない無責任野郎だぜ。

232 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/10(水) 10:18:10 ID:7w+lPBQ+0
子孫ネタを持ち出すバカって何者なのだろう?


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