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♪邪馬台国、ドンと来い♪ 9

1 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 16:44:28
                 くまー
                r -、,, - 、
            __    ヽ/    ヽ__
  くまー     ,"- `ヽ, / ●     l )
         /  ● \__ (● ● i"
        __/   ●)      ̄ )"__ "`;
      .(_i  ●    ' __, '"  ̄`'(___/.i⌒i
        丶_ ,i⌒i,,_(_/    ● i ̄ ̄ )_|__
      __, '"   ̄ ヽ! ● ●)  ミ~ ̄_● ヽ)
くまー   (_/     ● i    ∪  / ⊂{●  | くまー
       l ●( _●) (  ̄)-    /   -'  i
     /ヽ、   |∪l   T      i     ● '")

九州も畿内も四国も朝鮮もエジプトもコテハンもドンと来い!
  出来るだけソースを出して後はお好きに!


♪邪馬台国、ドンと来い♪ 8(どうでもいいが実は9)
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1164632540/

2 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 16:49:41
>>1
乙!  

3 :日本@名無史さん :2006/12/05(火) 17:09:38
伊都国と不弥国の場所を考えれば、邪馬台国がどこかは
簡単に推理できる。

4 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/05(火) 17:38:18
新スレ立つの早っ。「どうでもいいが実は」の書き込みは伝統のようですね。
妄想とか言わずにみんな気楽にかきこませてね。


5 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 17:56:42
>>1 乙。
すこしw気が早いが、次はこんなのはどう?

<<<邪馬台国は宇宙人が作った都市だった!!!>>>

      _人人人人人人人人人人人人人人人_
        >      な、なんだってー!!    <
        ̄^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^ ̄
   ∩___∩              ∩____∩
   | ノ     u ヽ            / u     u └|  ∩____∩
  / # ●   ● |           | ●   ● # .ヽ/  u    └|
  | u   ( _●_)  ミ          彡   (_●_ ) u  |●   ● # ヽ
 彡、   |∪|  、`\        /     |∪|    彡  (_●_) u   |
/ __  ヽノ /´>  )       (  く   ヽ ノ   / u   |∪|    ミ
(___)   / (_/        \_ )      (  く   ヽ ノ     ヽ


6 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 17:56:53
>>4
ここは2ちゃんねるではあるが、学問板 妄想ならお花畑でやってくれ

7 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/05(火) 17:57:14
>>3
おたくはどこに仮定してんの?

8 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/05(火) 18:14:14
>>6
僕の説のどこがどう妄想かも言えないくせに。
うまく仮面をかぶったつもりでもバレバレよん。僕に論破された畿内説の残党さん。
悔しかったら、稚拙な論で挑みかかって来てみたら?
紳士的な畿内説の皆さんにはごめんなさいってとこ。

9 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 18:27:19
2ちゃんなんてどっちにせよ日陰だぞ。

10 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 18:33:42
>>9
んだんだ、ゴミためだぁ

11 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 18:35:58
>>8
「思っている、考えている」だけなら、自分の胸に仕舞っておくもんだ

12 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/05(火) 18:52:12
>>考古学の年代測定など、判定基準があってないのと同じ。
前方後円墳の年代を遡らせ、卑弥呼の時代と重ねても徒労。
魏使は特に葬制には関心を寄せており、魏使韓伝なども墓の
形態をいちいち書き分けている。あのような特異な形をした
前方後円墳が魏使の目に留まらないわけが無い。
しかし、倭人伝になんの記述も無い、ということは、前方後円墳だらけの
畿内は邪馬台国ではない。さあまずこれに答えてみよ。

13 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 19:00:39
>>12
卑彌呼以死。大作冢。徑百餘歩、徇葬者奴婢百餘人。

14 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/05(火) 19:09:21
>>13
それは前方後円墳があったという証拠ではない。
それに、有棺無槨 棺あって槨無し これに該当するのは北部九州であり
木槨木棺墓の畿内は該当しない。というのは前も言った。
畿内は、墓室を木槨で囲む。畿内が一貫して倭人伝の葬制の記述と歴史上符号
しないのはなぜか。

15 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/05(火) 19:15:27
>>6
これらに明確に答えられなければ、少なくとも妄想という謗りは撤回してもらおうか。
なんにも答えられないくせにすぐ妄想呼ばわり。
角が立たないように柔らかに言ってやってるのに増長するも甚だしい。
答えられずに何スレ待たせるのだ。

16 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 19:22:27
だから魏志のあとでしょ。前方後円墳ができたのは。

17 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 19:23:50
15時36分に、「邪馬台国畿内説を議論するスレ10」というスレが立っていました。
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1165300615/l50

これが継承新スレかと思って、そっちへ一文をカキコしておきました。でも1時間後こっちにも立ったとは……。

 >今晩か明晩にでも、「邪馬台国」を入れない形で新スレを立てようと思っています。
 >興味がある方は覗いてみてください。

 >出先ですので、以上とりあえず。
 >私はもうここへは来ないと思います(苦笑)。Good Luck!

ま、よろしく。
あ、それと、北部九州にも槨の有る墓、見つかってるじゃん。

18 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/05(火) 19:27:35
それに三角縁鏡、画文帯鏡など呉の様式の鏡を、魏の皇帝が、
卑弥呼に贈ったと考えてるとしたら、なぜ、敵国の鏡を贈った、その理由はなんだ。
これらの質問の中のどこにどう妄想があるのか。

19 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 19:28:20
珍しい形のものが記述されてないから、それはそこになかったってのは
暴論だと思う。ましてや魏志倭人伝は極めて短い記述だしね。
それと、倭人伝編者は孫の又聞きみたいだし。

20 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/05(火) 19:34:55
>>17
古代から渡来人の子孫の住む北部九州は朝鮮半島の文化をそのまま受け継いだんでしょう。
例外があるが、全体としては倭人伝の記述に符号している。
それなそうとこのスレ、ニセモノだったのね。おかしいと思った
本物ドン来いスレに移動しましょ。

21 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 20:29:39
えっ? 何故偽物なの? 

22 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/05(火) 20:49:07
>>21
それはね、 あっ答えちゃった。
こっちは畿内説の道理が通じない人向けの隔離スレみたいよ。
レベルの高い九州説は、ドン来い10スレってのが、この並びにあるから、
そっちねー。

23 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 21:02:28
う〜ん、素朴な疑問ですが、「九州ですが ◆cdEg7T5ias」さんて、本物??

24 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/05(火) 21:18:47
>>23
え、なんで?

25 :古代史大好き:2006/12/05(火) 21:23:44
>>15 >>6だけど、めんどいからコテ付けたけど>>15の意味が理解できないし
、畿内にある古墳云々の話など俺は一度も口にしたことはない
俺はどちらかというと、文献派 おい頭の整理出来ているのか?
誰のレスか判断つかないくらい、テンパッているのか?だからお花畑進めたんだ


26 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 21:25:17
お〜い! 太国! 寝てるのかあ〜?

27 :太国:2006/12/05(火) 21:26:05
>>26
何か用か?

28 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 21:35:50
なんか書けよ。

29 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 21:37:21
墓制の件は、古くから九州説論者から言われていたこと。
今更、鬼の首を取ったみたいに言われても。

30 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/05(火) 21:42:52
>>11「思っている、考えている」だけなら、自分の胸に仕舞っておくもんだ

この物言いが一番カチンとくる。

31 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 21:49:24
>>30
>この物言いが一番カチンとくる。

その気持ちこそ自分の胸にしまっておけ。

32 :古代史大好き:2006/12/05(火) 21:50:41
>>27

>うむ、そうだ。倭王卑弥呼とは言ってるけど、文章を厳密に追うと
卑弥呼が邪馬台国の王とは書いていない。

後漢書よく嫁  
倭在韓東南大海中依山嶋爲居凡百餘國自武帝滅朝鮮使驛通於漢者三十許國
國皆稱王世世傳統其大倭王居邪馬臺國 

33 :太国:2006/12/05(火) 21:53:23
書いてないとかなら、倭人伝では「邪馬台国」とは書いてないことを
思い知れ。 「邪馬壹國」だ。

34 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 21:53:42
読んでいて思ったが、九州説は庄内開始を三世紀末〜四世紀初めと考えているようだ。

で、都合の悪い画文帯は国産だと。

しかしそうなると、卑弥呼の時代は、銅矛文化圏の頃か平原王墓の頃の話になり、
その頃はまさに、玄海灘グループが絶頂だった頃になる。

それを無視して宇佐やら西都原とか言うのはどうだろう。


宇佐や日向が筑紫を支配下に置いていたような考古学的根拠はあるのだろうか?

35 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 21:53:57
>>30

>この物言いが一番カチンとくる

カチンと来るのはいいけど(チカン)はするな

36 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 21:56:38
>>34

>玄海灘グループが絶頂だった頃になる

勝手にネーミングまでして妄想に走るなよ

37 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 21:59:45
>>34
で、先に答えるけどw、そんなものは無い。皆無と言っていいだろう。

日向や宇佐が力をつけ始めるのは、庄内布留以降と言っていい。

庄内開始が卑弥呼と時代が離れているという主張は、とりもなおさず、
宇佐や日向に、邪馬台国のような強国が無かったという主張になる。

自身が物凄く矛盾したことを言っていることに、おそらくは気付いていないんだろうが。

38 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/05(火) 22:08:20
あのね、倭人伝のメインは女王卑弥呼が、魏王に、銅鏡100枚など貢物を貰った、
というところなの。魏王がこれほど邪馬台国を大事に思ってるから、
良い物を汝に与える、と言ってるように、恩着せがましく明王が特筆させてる
わけだから、女王は卑弥呼に決まってんの。


39 :古代史大好き:2006/12/05(火) 22:22:00
>>38

マルチはやめろ

40 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/05(火) 22:24:51
>>39
しょうがないだろう。あちこちでおんなじ様な質問して。

41 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 22:32:39
【コテハントリオ】

恵也  西都原説らしい。
    一日中、PCの前に座っているようである、余計なお世話であるが。
    やたらと他人の文章を貼り付ける問題児。
    ホームページの作者に、ちゃんと了解を得てるのか?

太国  九州王朝説。
    何故か二倍暦に拘り、記紀の内容全てを、史実として復元できると主張。
    正直、かなりヤバそうな人なので、私は完全に読み飛ばしてます。
    皆さんはご自由に。

九州ですが  気持ちの悪い、馴れ馴れしい文章を書く。
       プの別人格の可能性が高いと思われる。
       宇佐説らしい。
       NHKを、唯一の主張の根拠にしている困ったちゃん。
       人間的には悪い人ではなさそうではある。

42 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 22:34:51
なお、邪馬台国スレの人気者?・プラムの主張について知りたい方は、
言語虫のホームページをご参照下さい。

常識に慣らされてしまった我々の眼を、思いっ切り醒ましてくれるような、
奇想天外な新説(珍説?)の数々を読むことができます。

なかなか大変な人だよ、プラムは。

43 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/05(火) 22:35:12
>>41
何度もおんなじの出してこないのっ。

44 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/05(火) 22:38:26
>>42
みんなそろそろ出るんじゃない?でもこのプラムって人は細かいね。
ちょっとした違いにこだわって。

45 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 22:41:28
>>40
>しょうがないだろう。あちこちでおんなじ様な質問して。

自業自得
複数スレに同時回答なんて10年早い


46 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 22:42:55
>>44
お前の気持ち悪い粘着性に比べれば、プラムなんて可愛いものさ。


47 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/05(火) 22:45:12
太国 さんは>>41のようなこんなの気にしないでいいよ。
僕は結構おたくの文は興味持って読んでるし。結構文面好きよん。


48 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 22:45:14
きょうはプラムさんも恵也さんも、お見えにならないですね。
体調悪いのかな? 心配だな。

49 :太国:2006/12/05(火) 22:48:36
九州ですがさん
ご忠言、有難うぞんじます。〜貴殿は2倍暦等はいかがですか?
関心あるんではないか? と思ってますが・・・?
まもなく寝ます。

50 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/05(火) 22:49:08
>>48
そうそうアノ恵也節を聞くと、内容はともかくスカーッとするのは
僕だけでしょうか。

51 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/05(火) 22:52:44
>>49太国さんへ
ありますよ。でも詳しくないです。また勉強させてください。
僕も明日早いのでまもなく寝ます。また明日。

52 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 23:00:45
>>50
恵也さんのレス、使ってらっしゃる言葉はキツイですが、割りときっちりとしたスタイルで一貫してますもんね。
まずレス番号、そして批判の対象とするレスをコピペ。そして「あんたは子供!」とかキツイお達しがあって、それから(引用開始)……
あんがい真面目な性格なのかも。

53 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 23:05:18
だけん、ゆっとろもんじゃん。
邪馬台国は宇佐たい、宇佐、USA!
宇佐だけ九州弁とちごとろーもんじゃん。
宇佐を中心とした豊前豊後だけ関西弁日本語チックに
なっとろーがじゃん。
わからんつか?!
九州弁のききゃわかろーもんじゃん。
日本語じゃなかつたい!
九州弁は日本語じゃなかと!
ちゃんと九州弁ばきかんの!


54 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/05(火) 23:05:23
>>52
それにこの人が盾になってる間、攻撃から逃れて、色々調べモンが
出来るし。ありがたい存在ですよ。

55 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 23:07:24
>>53
>邪馬台国は宇佐たい、宇佐、USA!

邪馬台国はウソたい、ウソ、USO!

って聞こえる。

56 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 23:09:38
だけんっさっ
九州人と関西人の一緒っちゅーこつは全くなかと!
関西人と豊前豊後人は同族ばってん。
四国と大分人は「わややわ〜〜〜〜」
とかいいよっとバイ!
どげんみちゃった関西弁やろもんじゃん!
イントネーションも大分弁だけ九州弁じゃ全然なかとぞ。

57 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 23:11:08
で、君の使ってる言葉は何弁になるん?

58 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 23:11:48
>>54
そうか。われわれにとって、恵也さんとは、かけがえのない方なんだ…

59 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 23:12:03
>>57
筑肥弁の代表的、標準的言葉バイ。


60 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 23:13:10
筑肥弁?北西九州ですか?

61 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 23:13:27
>>48
貴様は自分の明日の献立でも心配してろ、低能め!!


62 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 23:15:34
全く宇佐方言と関係ないし笑

63 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 23:15:36
>>60
西九州一帯の標準言よ。
熊本南部までひろがっとろー


64 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 23:17:32
ついでだから教えてもらいたいんだが、じゃあ九州弁ってのは
筑肥、鹿児島+宮崎、大分の三つに分かれるって感じでいいのん?


65 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/12/05(火) 23:17:51
一と通り眺めてみて、一番いいレスが>>56でやっと出た

>だけんっさっ
九州人と関西人の一緒っちゅーこつは全くなかと!
関西人と豊前豊後人は同族ばってん。
四国と大分人は「わややわ〜〜〜〜」
とかいいよっとバイ!
どげんみちゃった関西弁やろもんじゃん!
イントネーションも大分弁だけ九州弁じゃ全然なかとぞ。

なかなかいい読みしてるよ
久しぶりに見た一級品の書き込みだ。 覗いたかいがあった

66 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 23:19:55
あ、プラムさんだ。病気じゃなかたんだ。良かった〜。

67 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/12/05(火) 23:22:17
>>56さん
しばらく九州弁の講義頼みますよ

関東の人間にしてみたら未知の世界  黙ってROMしたいから頼みます。

68 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 23:23:07
>>64
そがんともわからんでから邪馬台国ばかたりよっとか?!
筑肥弁を西九州語彙、無アクセントとするなら
宮崎弁は東九州語彙、無アクセント
薩摩大隅は西九州語彙から派生した薩摩語彙に2型と言われるアクセント
豊前豊後は東九州語彙に関西瀬戸内の語彙が混じって、東京アクセント

豊前豊後だけかなり九州弁では異質とされる。
でも一番標準的日本語に近かとよ。


69 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 23:24:31
まちごーた。
筑肥でも長崎中南部だけ2型の薩摩大隅アクセントばもっとっとバィ。


70 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 23:28:58
>>68
ありがとう。かなり勉強になった、ちゅうか面白い。
でも、俺は関西だけど、まわりの九州の人たち見てても九州に行ったときのこと
思い直しても確かに大分がなんか一番違和感ないなあ。
やっぱり瀬戸内文化圏で同じなのか?

71 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 23:33:36
逆に九州人が大分にいくと関西に行った錯覚に陥る。


72 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/05(火) 23:36:43
>>48の人罵倒を気にしないでね。僕も同意見ですから。
ではお休み。

73 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 23:39:16
>>71

2ちゃんやから慎重にしゃべることもないやろが(ってこっちもお国言葉)
じゃあ、やっぱり宇佐が伊勢という移行があって、それは同民族的、同文化的なものなんか?
だいいち地勢が似てるのもあるが、usa iseも似てないともいえないし……。

74 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 23:41:10
俺は博多に行った時、駅やら公共施設やらにやたらハングルがあふれているのに
びっくりしたが、あれはいったい?

75 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 23:43:08
>>74
邪馬台国と関係ねーよ、禿 死ね低能!


76 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 23:43:36
九州にいたことのあるっちいいよらす
九州ですがさんと恵田さんも九州弁ばしゃべってんね。

77 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 23:45:28
>>76
バーカ


78 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 23:46:31
博多にハングル表記が増えたのはここ最近
本来の在日は小倉に多い。
博多のは近年の観光目的だよ。

79 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 23:47:47
邪馬台国=宇佐(大分)で大分が関西につながるなら邪馬台国人が
大和に進出したってことか?じゃあ筑肥弁しゃべるのはあとから半島から
渡来してきたのか?

80 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 23:48:44
>>78 貴様も在日なんだろ?半島へ帰れ。クズ野郎め


81 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 23:49:48
>>79
出たな。みえみえの誘導尋問
これだからチョンに隙を見せるなって言うんだよ。


82 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 23:53:30
>>81
いや、そういうけどのう、よそ者的要素持つ者こそ、その国の帝国主義に
加担するときが多いんやで。
ギリシアの辺境ペラに生れたアレクサンドロスしかり
フランスの辺境コルシカ島に生れたナポレオンしかり
オーストリアに生れたヒットラーしかりや。
この国の右翼にも……やめとこ

83 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 23:58:01
大分弁は関西語彙で東京アクセントになっとらす けんでっさ。。

84 :日本@名無史さん :2006/12/06(水) 00:01:11
宇佐神宮のある亀山は、明らかに人造の丘で
航空写真では前方後円墳の形状です。
規模から言って、最大級の王家の墳墓であることは
分かっています。
主神はヒメ大神で、応仁天皇と神功皇后が両脇に配され
ております。
このヒメ大神が何者か諸説紛々ですが、天照との説も
あります。

85 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 00:01:12
俺も九州説を支持するんだが東夷についてはなんかしっくりこねえ。
ここの九州説のみなさんは東夷についてはどう思ってるの?

86 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 00:03:24
>>84
応仁 → 応神でがす。


87 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 00:04:37
九州説云々より魏志倭人伝の描写は
伊都国を中心とした描写だから
邪馬台国自体について描写したものは殆どないんだよ。
伊都国の描写なら遺跡とピッタリだ寸分違わないといっても
過言じゃないでしょう。


88 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 00:04:58
>>82 >大分弁は関西語彙で東京アクセントになっとらす

ほんなこつですか。 
そりゃあ、邪馬台国宇佐説にとっちゃ、えらいまた痛かデータですばい。

89 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 00:05:13
>>85
突っ込んで悪いが、あなたの言いたいのは、
「東遷」じゃないの?

90 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 00:07:14
伊都国の描写は事細かに書かれているのに対し邪馬台国の描写は殆どない
邪馬台国は伊都国を支配している国です。
邪馬台国の過去は伊都国に支配されていたか
全く別の国だったと考えてもいいんです。

91 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 00:07:49
ちなみに現在の関西弁の語尾の「や」とか「ねん」は
江戸中期以降が発生。だから戦国時代劇で「や」とか「ねん」とか
言ってるのはウソ。空海が関西弁しゃべるなんてもってのほか。

92 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 00:12:12
室町時代に
「京へ筑紫に板東さ」というのがあるけど
「筑紫に」は今でも残ってるよ。
「に」が「ん」に変化して沖縄にまでひろがってるし

93 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 00:12:59
大分が関西風味なのは平氏の残党が来たからじゃないのー。

94 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 00:14:13
では以下の文、当時の形へ翻訳キボンヌ。
 「まいどおおきに。わて弘法大師空海ですねん。唐に留学してましたんや」

95 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 00:18:58
ついでにこれも、当時の現地語へお願いします。
 「あたし卑弥呼よ。今夜はきれいなお月様ね〜♪ あなた、きっといいことあるわよ」

96 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 00:21:24
平氏は朱いよ。イト国人は朱を体中に塗ってる。

97 :日本@名無史さん :2006/12/06(水) 00:23:17
今日は関西弁バカの集まりになってるのか・・・

寝よ。

98 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 00:23:44
??? ポカン。(??)

99 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 00:25:46
そりけんでっさ

100 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 00:28:59
>>94
弘法大師は諡号だから「わて弘法大師」なんて言いマセン。

101 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 00:33:07
言葉遊びしてる人は、月日の流れが全く理解できてない
一千とウン百年の歳月を落ちついて感じてみようね

102 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 00:33:32
>>95
卑弥呼は独身だから「あなた」なんて言いマセン。

103 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 00:35:04
>>101
などと言う香具師に限ってコンクリートジャングルの中にいて
せいぜい50年ぐらいしか感じられなかったりする。

104 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 03:11:55
文献史学的に、方言の最初期の史料って?

105 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 03:29:01
どっちにいったらええんや?

106 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 03:32:56
>>104
万葉集
>>105
お好きなほう

107 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 03:43:00
大分県ってのは意識的に瀬戸内海に向いているよね。
周りは山に囲まれていているので福岡・宮崎・熊本人との
同国意識 ゼ ロ 九州は日本のイタリアw

日田に出ている遺跡は邪馬台国時代のものだけれど防御用だったそうだ。

108 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 03:48:56
>>106
向こうもいいけどさ、倭人伝の話が嫌いな人がいるんじゃないかな?
で、引っ張ってきたんだけど、以下の見解は正しいと思う!

22 :日本@名無史さん :2006/12/05(火) 21:21:24
前スレで問題提起のあった「邪馬台国の女王」の問題、おもしろい。続けようじゃないか。

 >南至邪馬台国、女王之所都、水行十日、陸行一月。
http://www.geocities.jp/thirdcenturyjapan/wajin.html#top

いままで何となくこの一節の「女王」=卑弥呼と思ってたが、俺にも先入観があったようだ。
ここの「女王」は、台与と考えるべきだろう。
だって卑弥呼はもうとっくに死んでるんだぜ。新女王は台与、それを中国側は知っている。

それに、「邪馬台国」は、魏志倭人伝でここだけしか出てこない。
卑弥呼が女王とは書いているが、卑弥呼が「邪馬台国の女王だ」とは書いていない。

卑弥呼が住んでいた所にそのまま新女王・台与も住んだ、とも書いてない。
「宗女」とは書いていて、親戚だとは思うが、同じ住所だっただろうか。
居場所が移動したのかもしれない。




109 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 03:54:34
台与の女王国。
ここで原文の貢物に注目したんだが、最後の最後にトヨが貢いだものが
事細かに書かれてるだろ?ここは倭人伝の性質からいって正確なものだと思う。

そこに白珠5千個ってある。真珠のことか? これで宮崎はないと 確 信 した。
太平洋側に向いている南の宮崎で真珠は採れないぞ。湾に挟まれてなきゃ駄目だ。


110 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 04:17:17
>>108
@東南陸行五百里、到伊都國。官曰爾支、副曰泄謨觚、柄渠觚。有千餘戸。世有王、皆統屬女王國。
A南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日、陸行一月。
B自女王國以北、其戸數道里可得略載、其餘旁國遠絶、不可得詳。
C次有奴國、此女王境界所盡。
D其南有狗奴國。男子爲王。其官有狗古智卑狗。不屬女王。
E自郡至女王國萬二千餘里。
F女王國東渡海千餘里、復有國。皆倭種。
G倭女王卑彌呼與狗奴國男王卑彌弓呼素不和。

Gだけは、「倭女王卑彌呼」だから、卑弥呼で間違いない。
あとは俺には分からん。それぞれ議論が必要だろう。

111 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 04:18:49
真珠といえば長崎や玄海灘があると思うが、他に大量に採れるのが大分・愛媛間。

5000個は膨大だぞ・・。古代から近代まで中国・欧州では真珠は何よりも珍重された。
中国じゃかなり質の悪い淡水しかとれないんだ。
ひょっとして邪馬台国が中国に気に入られたのは真珠の量では?

112 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 04:27:48
>>109
女王国に30国が「統属」されているのだから、べつに真珠の産地はどの国であってもよい。
 「魏帝におみやげをお贈りしましょ。良い品を集めなさいね」
と台与が諸国に命じればよい。

113 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/06(水) 06:16:07
確かに四国、大分は、言葉とかに多少関西の影響があるが、
それは日本各地の文化の交流が盛んになった、室町以降の事じゃないの?
少なくとも古代からつながりがあったとは思えない。

114 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 07:44:56
大分弁に関西訛りは全くないよ。
アクセントは完全に標準で直す必要がない。


115 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 08:02:57
>>113
比売大神は航海神じゃん、何見てんだよw
例えば比売大神=豊玉姫説もあるが両方海の神様に関係ある。
宇佐は応神と神功天皇祭ってるんだよ。
もろに朝廷=関西じゃん
日本書紀に宇佐の名がでていることからもなんらか交流あったはず。

宇佐の宗女が奈良の都入りしたのが神輿の始まりだろ。
なんかあるぜよ


116 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 08:08:50
>>110
そうだな。
前半は卑弥呼の頃で、後半でトヨについても述べてある。
何十年分のいろんな書類をまとめたんだろうか。
謎だ
例えば後半でいきなり朝鮮から邪馬台国への距離がでてるし。




117 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 08:17:30
畿内説スレがあるからさぁ、ここは自然に九州スレっぽくなると
思うんだが(もちろん他説歓迎)、九州・筑紫王朝とか吉備関係の
秦氏スレの九州の部分と重ねた視点でさ、その歴史なんかの
関連を探したり、
前で誰かが頼朝が石清水神宮を建てた脳内や日本書紀なんかの
視点でもっと話合ったら幅が広がっておもしろいなと思うんだが。

倭人伝だけじゃ堂堂巡りで飽きてきたよ

118 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 09:48:06
脳内とか言うんじゃなくて
実際に伊勢神宮なら伊勢神宮のHPに行って
由緒書を自分の目で見てごらんよ。石清水なら石清水の。
自分で調べられることは調べなきゃ。全く進歩しないよ
頼朝が石清水神宮を建てたなんて前スレでも誰も言ってないし。。

119 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 10:02:07
倭人伝だけじゃ堂々巡り、飽きる、同意。
全ての資料完全に齟齬なくとはゆわずとも
それぞれの資料との整合性を調整していく方が
得策だと思う。

120 :太国:2006/12/06(水) 10:03:30
抽象的策法だな。

121 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 10:52:02
>倭人伝だけじゃ堂々巡り、飽きる。

俺もそれに同意なんだが、なぜか、日本書紀は神功皇后を卑弥呼と
後世のもの、あるいは中国人でもいいや、そう思わせようと少なくとも
なんらかの関連があるように見せかけようとしているって話が出たところで
九州説派に「語尾が明らかであるになっているが、そういうのは明らかとは云わない」とか
末梢的な言葉の使い方をネチネチと突っ込まれて立ち消えになったんだよ。
これじゃスレの楽しさもなくなる。2ちゃんなんだからもっと伸び伸び言っても
いいんではないかと思うんだが。

122 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 10:58:09
邪馬台国は大分県から関西地方に広がっていたという風に
考えるといろんなことが説明できる。

123 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 11:00:00
>>115
面白い。何かピンとくる。ちなみに庶民レベルでいえば、
関西人は伊勢やお稲荷さん(京都伏見稲荷本社)えべっさん(西宮戎神社本社)
は知ってても、宇佐神宮(八幡本社)なんて存在そのものほとんど知らない。

124 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 11:02:03
宗像、企救、大分に広がる地域に
西九州の主流とは違う一派が
あったのはたしかでしょう。
これは関西や出雲と繋がってる。


125 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 11:07:15
倭人伝の描写はそのまんま九州!これは間違いない。
しかし、邪馬台国の総本部が九州にあったとまでは
言えない!ここ大変重要!


126 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 11:08:29
だから、「明らか」とか「間違いない」って言葉は使っちゃダメなんだってよ

127 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 11:11:16
でも俺は畿内人だが、伊勢って何か違和感あるんだよな。
ちょっと親しめない。

128 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 11:14:39
ま、伊勢は神社の中でも特に特殊なわけだが

129 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 11:14:47
>だから、「明らか」とか「間違いない」って言葉は使っちゃダメなんだってよ

有る程度9割方正しいというものはいいんじゃないか?
棺や風習あれはまさに九州の旧甕棺地域の描写だろ。
異論あるなら説明してくれない?



130 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 11:16:32
>>129
>>126は「明らか」って言葉を批判した人への皮肉です。許せ。許せ。

131 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 11:18:26
伊勢が特殊な理由を教えてくれない?
九州人からみると宗像から東、企救や大分が
九州ではないというのはハッキリと理由があるよ。
方言やイントネーションが関西や瀬戸内のものだからです。

そしてちょと主観はいるけど顔つきも微妙に西九州人とは違うと思う。

132 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 11:25:30
倭人伝解釈留意点

・倭人伝はトヨの時代に書かれた。
・魏の使節は倭内部の事情を全てを知っているわけではない。
・邪馬台国は卑弥呼の時代に伊都国まで勢力を伸ばした
 (それ以前は邪馬台国と伊都国や奴国は別の権力に属していた可能性大)

133 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 11:30:27
>>131
伊勢の場合はまず現実として宮内庁が管轄していてものものしい感じがあって、
肩凝るんだよね。大宮院からは写真撮影不可で間違えて撮ったら怒鳴られるしさw
それと、あの式年遷宮って言う口伝の建築版みたいなことやってるでしょう。
あれもなんとも特殊だよ。ご存知のとおり、敷地がふたつあってまるで鏡に映すように
立て替えていくんだから。
それと関西じゃ伊勢は小学校の修学旅行の定番でね。そんで何がメインかというと
朝早く起こされて二見が浦で日の出遥拝させられるのよ。
こんなことばかりするので、とてもじゃないがあすこは「特殊じゃない」なんて言えないww

134 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/12/06(水) 11:31:47
>>132

倭人伝を語っているのに「トヨ」はなかんべ
カキコされている文字は『壹與』と、外国語で書かれている。「トヨ」は日本語

それに、「壹與」が(トヨ)って、なんじゃらほい?どのように思考すれば(トヨ)と読めるの?

135 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 11:40:11
確かに倭人伝で真珠が倭の名産みたいになってるのは引っかかるなあ。


136 :日本@名無史さん :2006/12/06(水) 12:04:47
邪馬台国が勢力を伸ばして、伊都国まで力が及ぶとは
どこにも書いてない。
卑弥呼は、30の国の女王として担がれたのであって、
伊都国はその国の1つ。

137 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 12:11:05
>>136
たしかにそうはかいてませんでした、すんまっしぇん。
30の国と考えると伊都国程度の小さい国と考えるのが自然か
するとやっぱ邪馬台国も小国と考えるのが自然か・・・
魏の使節がどこまで把握してるかという問題もあるけど

138 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 12:17:43
邪馬台国は熊本じゃねえの?肥後は卑弥呼だよ。今も知事は女だし。

139 :469 :2006/12/06(水) 12:44:14
大和だろう?
畿内だと三輪山の肉便器である蛇女が倭人伝に描写された
ペテンチックな妖女である卑弥呼描と見事に合致する。

140 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 12:51:36
でも邪馬台国なんてしょせん親魏、パックス魏で中国の子分んだよな。
のち、日本は日本と独自性を強く主張する大和朝廷と同系とは思えない。

141 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/06(水) 13:59:00
>>34
>都合の悪い画文帯は国産だと。

高価な値段がすれば、俺だって自分で作ろうとするぞ。
今は中国は中進国になってるけど、卑弥呼の時代は最先端の科学力・軍事力を持ってた国。
輸入しようとすればベラボウに高い値段になってたんだろう。

今の中国じゃ、値段の高い日本製の車と外見がソックリな車を生産してる自動車メーカーも
あるというけど、技術力さえあれば俺だってやりかねん。

画文帯だって日本製が混ざってて当然の事なんだよ。
三角縁神獣鏡は完全に全部が日本製なんだろう、ということは日本に作る製造技術は存在したわけだ。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
「似てる」なんて生易しいものじゃ・・・
http://minkara.carview.co.jp/userid/180050/blog/3271337/

142 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 14:22:01
>>140
そこで空白の4世紀ですよ、大陸情勢が不安定期に入った頃
倭国では大乱が勃発、いわば戦国時代の様相をていし
西から順を追って平定していった日向の子祟神が
大和を制圧した時点で戦国の世はほぼ終結。
その後間もなく、祟神は世を豹変させり、当然反発勢力が必然的に
うようよと生れ、従わぬ輩は徹底討伐ですよ。

相当時代は下がって
もしも、あの時信長が天皇をヌっ殺して
自分が日本国王であると宣言していたら?
・・・その反発たるや想像を絶するだろう。

だから祟神ヤマトは、国譲り同様、妥協した点もそうとうあったと思うな。

因みに邪馬台国が崩壊して
そこから生れた天孫とするなら、広義の倭としては間違いなく同系だろう。

143 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 14:32:19
>>142
それで大和朝廷は同系にしても邪馬台国が魏傘下ってのが気にいらなかったんじゃないかなあ。
だからもみ消してしまったのだと思う。もう卑弥呼の墓は見つかってるが隠蔽されてるんだろう。

144 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 14:42:41
>>141
画文帯神獣鏡は、中国製としても呉の鏡。
卑弥呼の鏡にはなり得ない。
バリバリ畿内説の河上邦彦氏も、三角縁神獣鏡はないと断言し、卑弥呼の
鏡は、内行花文鏡が方格規矩鏡だろうと言っている。

平原遺跡の方格規矩四神鏡は、中国製か国産かどちらなのだろう?
どっちにしろ、内行花文鏡はすごい。皇室に伝わる神器の鏡と同じ大きさ
らしい。

145 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 14:48:53
>>143
記紀が出来たころの中国は、輝ける唐の時代。
当時の日本はまだ一目も二目も置いていたと思う。

146 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/06(水) 14:51:40
>>34
>読んでいて思ったが、九州説は庄内開始を三世紀末〜四世紀初めと考えているようだ。

庄内土器の実年代は人によっていろいろだろう。
しかしこの土器が、北九州から奈良に伝わったのは確からしいぜ。

宮崎の檍(あおき)古墳からは、弥生時代の土器まで見つかってるよ。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
北九州ではかなり広い地域に分布しているのに対し、近畿地方では大阪と奈良のかぎ
られた地域にしか分布しない。
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku238.htm

どうして弥生時代と分かったか?
檍古墳で発見された 土器が、板付式という弥生時代の土器に似ていたからです。
http://www.mcnet.ed.jp/aoki-c/kofun/yayoijidai.htm

147 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 14:59:32
平原から出たデッカイ「内行花紋鏡」も、国産の可能性大だな

148 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 15:04:02
>>147
もちろん、平原遺跡の大型の内行花文鏡は国産だとされているが、
問題は、34面の方格規矩四神鏡。
中国製という説もあるし、国産という人もいるらしい。

149 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/06(水) 15:20:41
>>34
>宇佐や日向が筑紫を支配下に置いていたような考古学的根拠はあるのだろうか?

1700年前で今まだ残る、どんな根拠を想定してるのか判らないけど、畿内と宮崎にはずいぶん
似たものが出土してる。
西都原の子持家型埴輪なんて、今城塚古墳(大阪府高槻市)の家型埴輪に似てないかね。
品格としては、西都原が上だけど・・・・

ーーーーー(引用開始)−−−−−
今城塚古墳(大阪府高槻市)
http://www.museum.or.jp/kouko2004/kids/paper/paper_index.html

上記は“本物”の写真です。現在 西都原考古博物館に常時展示してあるものは残念
ながらレプリカです。
http://www.pmiyazaki.com/saitobaru_169/

150 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/06(水) 15:23:46
>>50
>そうそうアノ恵也節を聞くと、内容はともかくスカーッとするのは

悪かったな、内容が悪くて!

むしろ言葉は悪いが、内容は高級と言い直すべきじゃないか?

151 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 15:31:51
>>145
分かってるよ。蒙古系の元をのぞけば、唐ほど巨大な王朝は中国にはない。
でも唐と日本の関係って、幕末の欧米と日本の関係に似てるんだよね。
確かに一目置いて街づくりや文化や政治形態を真似たのも同じ。
そして、その反面、国粋主義に傾いていったのも同じだと思うんだよな。

152 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/06(水) 15:35:46
>>56
>イントネーションも大分弁だけ九州弁じゃ全然なかとぞ。

俺の田舎は九州の福岡県大牟田だが「正座しろ」の事を「おっちんしろ」と覚えてる。
方言は場所によってずいぶん違うようだ。
まあ大牟田は炭鉱町で全国から集まってたからな・・・

ーーーーー(引用開始)−−−−−
正座というのは、きちんと座ること。日本の場合は膝をそろえて曲げて、お尻をかかとの
上に置く座り方です。
http://matumap.s35.xrea.com/toi1.html

153 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/12/06(水) 15:40:23
>>148

オリジナルなんて一枚か二枚あれば事足りる
特に目立つ存在や、デザイン的に優れたモノは真似したくなるし、今も昔も見た目の価値観は変わらないだろうよ
逆に言えば、神獣鏡みたいに多数出回っているモノほど輸入品の可能性大だな


これはあくまで胸の内の話しだが

154 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 15:49:00
>>153
つか、君の商売の話じゃないのか?

155 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/12/06(水) 15:51:50
>>154

>商売


儲かりゃなんでもあり
今も昔も変わらない

156 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 16:00:37
>>155
そうかなあ。昔は宗教的、支配的規制が強かったと思う。
それが今は儲けること自体が宗教になってるだけだろう。

157 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/06(水) 16:01:10
>>82
>この国の右翼にも……やめとこ

俺はフジモリ元大統領は好きだけど、奥さんになった片岡都美氏は在日の方で右翼だという。
差別を身体で、子供の時に受けると反対側に、暴走する傾向があるんかね。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
片岡さん、ただ単なる実業家ではない。いろいろ調べてみると、右翼の世界では有名人なのだ。
それは、「さくらサクラー愛と革命」と題する彼女のHPを見てもよく分かる。

・骨抜きになった日本の精神を今すぐ叩き直せ!
・力による武力行使で浄化作用を!
http://blog.goo.ne.jp/asaikuniomi_graffiti/e/ee9a42f9703f270fff472723fa0e41bb

158 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 16:04:05
>>152
>俺の田舎は九州の福岡県大牟田だが「正座しろ」の事を「おっちんしろ」と覚えてる。
ハズレ〜〜〜!
大牟田含め西九州は「しろ」とはいません!

159 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 16:04:24
ではなんと?

160 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 16:06:40
西九州と薩摩大隅の命令形は「しろ」じゃなかよ。
たしか、沖縄もそげん。

161 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 16:28:46
さ し す せ
ろ!

は一つの言語グループ。

九州人は自意識過剰杉w
恥ずかしいから止めてくれよ。
九州弁でもの筑後一帯のイントネーションと玄海灘沿岸のイントネーション
とでは全く違う。

豊前や豊後弁が少々瀬戸内なまりだからって気に留めるレベルではないよ。

162 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/06(水) 16:32:21
>>84
>宇佐神宮のある亀山は、明らかに人造の丘で
>航空写真では前方後円墳の形状です。

今は便利な世の中になって、パソコンであなたがいう前方後円墳を確認が出来る。
明らかに人造の丘なんて、ソラいい過ぎだよ。
見て判るわけじゃないし、Googleで500m単位で見てもただ丸い森みたいなのが見えるだけだ。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
目的場所の地図やその付近の様子を確認することができます
http://local.google.co.jp/

163 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 16:34:40
>>161
自意識?意味わかりません。
方言は文化と密接に繋がってますからね。
邪馬台国がどこにあったかを考えるにあたって
もその点は大変重要ですよ。
東征って関西人=九州人といわんばかりの
デタラメな説だからね、そこはちゃんと指摘しておかないと。
そもそも倭人伝は九州を舞台にしてるわけです、
九州弁や文化をしらないド素人が語る資格はないんです。


164 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 16:35:35
>>161
>九州人は自意識過剰杉w

でも、それはそれで何か理由があるからそうなってるんじゃないの?

165 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 16:37:41
もしかして邪馬台国は福岡弁の「山たい!」か?だとしたら邪馬台国は大宰府だな。

166 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 16:41:10
>>163九州弁も知らないって九州人の視点からものをいってるんだけど?
ちっと方言が違うくらいで、無理やり関連性を求めることこそアレみたいで
正直見てられんのよ。だから止めてくれ、恥ずかしいから。


167 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 16:45:31
台が言葉の最後の「たい」だとするなら、他の国に台がつかないのはどうして?

168 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 16:48:55
古事記だったか、「糞をマル」という記述があった、と憶えています。
「マル」は、「排便する」、「排尿する」の意味ですね。

いまでも筑後川流域の筑後・肥前地方では、「マル」を使っているのではありませんか?
私は関西ですが、こちらで「マル」は、もうとっくに死語だと思います。周囲は誰も使いませんし、高齢者からも、一度も聞いたことがありません。

169 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 16:49:18
>>167
ここは本当にマジメな人が多いなw

170 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/06(水) 16:51:53
>>87
>伊都国を中心とした描写だから
>邪馬台国自体について描写したものは殆どないんだよ。

どこにも伊都を中心になんて、明記されてないじゃないの。
卑しくとも公文書とあろうものが、はっきりと中心を明記しないで方向や距離を書くものかね。

常識では目的地邪馬台国までの道のりを、ヅラヅラと描写して順番に書くものだ。

あなたの理論はタダの中国語の素人が、漢字を我流で解釈しただけのものだろう。
中国語専門家というくらい自信のある方の解釈じゃない。

それに唐津市から前原市まで方向が変!

ーーーーー(引用開始)−−−−−
原文を読まずに偏った解説本を読んで誤った解釈を
する人が多いようです まず原文を全文通読してから議論を始めるべきでしょう
http://www.webtelevi.com/yamataigisi.htm

171 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 16:52:09
>>166
んだ、アレみたいだ、方言なんてクダラナイいよw

172 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 16:52:40
方言については、例の全国アホバカ分布図があるべ。
それによれば、アホバカタワケの発信源は京都で、それが各地で残ったと。
広島なんか東京と同じバカだからな。(広島はバカタレというのが多いが)
方言は流動的すぎて、方言から帰納する方法論は当てにならないと思う。

173 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 16:55:42
>>166
九州人の視点?あなたがどの程度知っているのかわかりませんが
2chにたむろしてる連中に限らず下手くそな説を垂れ流してる
連中も地元のじいさんばあさんさえ知っているような常識さえ
全くしらずに大ボラ吹いてるんだよ。
恥ずかしいとは何が恥ずかしいんだ?
文化、方言さえ全くしらない連中にどこに邪馬台国があったか
比定されてカチンとくるのは当然だろうが。

174 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 17:01:38
はいはい
少しは黙ってろバカタレw

175 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 17:03:37
>>173
2ちゃんなんて身分の上下ないの。
通りすがりのニーちゃんの何気ないセリフも大研究の成果も同等なのが2ちゃん。
そんな中、そんなことぐらいでカチンとくるぐらいなら、あなた自身がHPを作って自説を公表すれば
いいではないか。

176 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/06(水) 17:05:11
>>108
>卑弥呼が女王とは書いているが、卑弥呼が「邪馬台国の女王だ」とは書いていない。

書いてあるよ!

ーーーーー(引用開始)−−−−−
そこで、国々は協議して一人の女子を王にした。
名前を卑弥呼という。
共立一女子爲王名曰彌呼

177 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 17:07:43
なんか邪馬台国論争をしてるのを横目で見て笑っている香具師がこの国に
いると思わないか?

178 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 17:08:14
でも、関西と九州でよく似た方言に、「付近」を意味する言葉があります。

関西: 大和川の堤防のネキに、花、咲いてましたで。
九州: 筑後川の堤防んニキに、花ン咲いとったばい。

関西の「ネキ」は、大阪府の南部(泉州)から和歌山辺りが、今でも使うみたいです。この泉州〜和歌山地域の高齢者は、セ音が訛る傾向があります。
 (例)先生;「しぇんしぇ」
九州の佐賀方言と似ている感じがします。

179 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 17:14:30
>>178
よくしってますね。
漏れも気になってた。

180 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 17:15:31
>>176
えっ、引用のどこに「邪馬台国」の4字が?

181 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/06(水) 17:18:37
>>109
>太平洋側に向いている南の宮崎で真珠は採れないぞ。湾に挟まれてなきゃ駄目だ。

あんたね、いい加減な事は言わないように!

それは養殖をするのに便利なだけだろう。
天然真珠が湾の中だけだなんて聞いた事がない。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
それら(真珠)は主としてインド洋から送られてくるのだが、(略)この炎熱の
地方から多くの海をわたり、広大な陸地を越えて送られてくる。
http://www.nicc.co.jp/KODAI/

182 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 17:20:36
>>180
うん、その文章では、最初に「其国」としか言われていない。これは
邪馬台国でなくて倭のことだろう。

183 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 17:21:12
筑後川の旧名をご存じの方いますか?

184 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 17:25:30
>>183
たしか宝満川

185 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 17:29:26
>>183
さあ? なんと言ったのかなあ??
下流に「大川」という家具の町があることは知ってるけど…

186 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 17:30:06
夜須の旧名はソソキノ

187 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 17:35:46
奴国だけど、那珂川町始め博多区に那珂の地名は残るが
筑後一帯には那珂の地名は見あたらない(中というのはあるが)
奴国はおそらく邪馬台国より前の
九州の中心だったと思うけど
博多区から那珂川町一帯に広がっていたんじゃないだろうか

188 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 17:38:12
姫路の旧名は蚕子(ひめこ)→日女道丘(ひめじおか:播磨風土記)
→姫山→姫路

189 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/12/06(水) 17:43:16
>>165

>もしかして邪馬台国は福岡弁の「山たい!」か?だとしたら邪馬台国は大宰府だな。

の書き込みフレーズはもしや・・・・・・・・・か?
まさかここまでは・・・・・?

190 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 17:48:37
ヒメコが訛ってオメコに?

191 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/12/06(水) 17:51:06
>>187

那珂も中も、日本語は「ナカ」だろう。

192 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 17:52:30
黙れザコ

193 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 17:54:18
「糞をマル」については東北地方でも使われるらしい。
マルについていうと畿内方言の伝播(蝸牛説)かそれとも
全国的な古語だったのかわからない。
古代から方言はあったハズだからそこから探りを入れるのは
一つのやり方。流動的ではあるけど驚く程古い言葉も残ってる。
それに九州についていうと西九州一帯は
ほとんど一つの方言でまとまっていると言っても
そうおかしくはない。
関西の関西弁と同じ。なにかある、なにかある。
なにか一つの権力の下にあった名残と考えてしまう。

194 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 17:56:19
福岡弁の〜たい は 〜た 変化系

し・やっ・み・きい 〜た → たっ → たい

これだけのこと。


195 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 17:56:23
>>183
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AD%91%E5%BE%8C%E5%B7%9D

>>192
誰に言ってるの?
それとも独り言?

196 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 17:56:57
>>193
飛び地じゃないところが、まとまってるのは何もおかしくないのでわ?

197 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 17:58:56
芥川の小説「好色」には平安貴族のクソを「鞠(マリ)」って呼んでるな。

198 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 18:00:41
那珂は
例の元明天皇の二文字の勅令の前は
那だったんじゃないかと思うわけ。
これってそのまま奴だもんね。
中だとそういうわけには

199 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 18:11:18
>飛び地じゃないところが、まとまってるのは何もおかしくないのでわ?

そこだよ、逆いうと飛び地に文化や方言はそう簡単に広がらない。
古代においても西九州の甕棺地域、銅剣銅矛文化圏、
畿内の銅鐸文化圏と完全に分かれているわけ。
それぞれに文化的にも成熟しているし人口も拮抗してる。
これらの離れた地域間で大規模な東征があって
征服(民族の総入れ替え)があったなんてのは
とてもじゃないけど考えられない。
要するに漏れとしては東征の完全否定をしたいわけね。

200 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 18:15:45
>>115
一番おもしろかった

201 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 18:18:55
卑弥呼の墓が、径百余歩、150mの塚なんだから。
普通に考えれば、これは古墳。
弥生時代にこんな大規模な墓があったかと言えば、無かったわけで。

卑弥呼は庄内以降、墳丘墓が巨大化して以降の時代の人だよ。
画文帯を後世の捏造とか無茶な理屈をつける必要もなくなる。

202 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 18:22:00
今の春日市が旧奴国の中心と地元の研究者の間では
考えられているようです。(春日市須玖岡本博物館の資料ですが)
春日市は那珂川町と博多区の那珂との中間的な位置にあります。
奈良の春日大社をこの地で祀る前の
春日の地名はわからないがおそらく奴国に近い地名だったと考えます。

203 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 18:24:53
>>199

東征はあったけど、民族の総入れ替えはないよ。支配層が変わっただけ。
大体、そんな大量の人を運ぶ輸送技術もないだろうし。つまり、明治維新
のような感じ。

そして、マキムクを征服した神武は、故郷の西都原を厚遇し、西都原の
古墳群が膨張したわけ。

ナガスネヒコが邪馬台国なのかはわからないけれど。

204 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 18:29:22
このスレ、完全な雑談すれになってるな。
誰でも書き込みが出来る位、敷居が低くなってる。

コテハンの三馬鹿のお陰なんだろうが、もう少し、
ちゃんと知ってる人に、最新の情報を聞いてみたい。

埋文とか大学の専門の人とかはいないの?

205 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 18:35:20
>>204
そんな人は2ちゃんに書かないよ。正規ルートで発表するっしょ。

206 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 18:37:11
それに大学なんてあてにならない。
自分で埋めたもん見つけたアなんて言う人もいるし、
最初から現在のお上の息がかかってるわけだし。

207 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 18:42:54
アンポン氏なんてみてみ、
四国と紀伊と鹿児島と沖縄は
インドネシア文化圏と言い張ってるんだぜ。
古代の貝の道ルートからすると四国紀伊は
貝の道から完全に外れてるのによー
貝の道は沖縄→長崎ルートというのが常識。
所詮、連中は希望に後付けのデータ乗せてるだけ
大嘘付きだよ!ペテン師、ペテン師w

208 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 18:42:54
>>203
俺も同感
日本で政変が起こるたびに
その時々の天下人のお国の民が
都に入ったと思う方がかえって不自然。

政権運営は上層部の移動だけでことたりる。

209 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 18:44:38
>>207
四国と紀伊と鹿児島と沖縄は
春の甲子園優位圏

210 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 18:48:44
>>204
こんな言いたい放題の匿名掲示板だけに
ず〜っと張り付いてばかりじゃ進歩しないよ。
自分自身でいろんなとこ旅して情報をかき集めて
最後は自分で判断しないと。ネット上だけでも
勉強になるホームページはいろいろあるよ今の時代

211 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 18:56:55
>>210
いやさ、適当に書き込む連中が多すぎるから、釘を刺したつもりなんだが。
三馬鹿も含めて。

212 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 19:00:56
>>211
元々ペテンのような説が蔓延してるから
素人でも口だししてくるのさ。


213 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 19:01:22
>>204

2ちゃんに居ること自体が変 さっさと移動が良

214 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 19:03:01
でも大衆影響力はそれなりにあるよ2ch。
ペテン師の大嘘さえここじゃないと暴けないし

215 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 19:04:45
まあ三馬鹿というよりコテハン連中は皆〜んなバカばっかだけどね
しかも自覚なしときた、自分の論を完全無欠だと思い込んでるし。
身の程知らずとは、コイツラの為にあるような言葉だろうね。

216 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 19:05:10
権威に弱い脳弱日本人は学説、定説というだけで
鵜呑みにしちゃうんだから2chも必要さ。


217 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 19:07:51
まあ其の実態はバカチョンなんだろうけどね。
ペテン師家業はお家芸なんだろうね。

218 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 19:11:49
ゴッドハンドは高卒だろ。

219 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 19:50:30
ツゥ事で話が纏まった様だからソロソロVIPから客迎えるか?

220 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/06(水) 20:15:31
>>204 以下は雑談ばかりでなく、何か邪馬台国関連のことは言えないのかな?
三馬鹿かどうか、僕がこのスレの>>12>>14 でしている質問に答えてから、
言ってもらおうか。あんたがどこまで利巧か、教えてもらおう。
この答えはこのスレではまだ誰も出してないぞ。


221 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/06(水) 20:40:16
>>158
>大牟田含め西九州は「しろ」とはいません!

断言するところがアンタはニート。
本物の地元の人間なら、いろんな人間が居るのを知ってるから断言は出来ない。

俺は自分の体験を言ってるだけなんだよ。
アンタも自分の体験を言えばいいのに、脳内妄想に逃げ込んじゃって、アンタはニート。

222 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 20:42:59
>>220
まあ先に、>>201を読んで下さい。
その上で、弥生後期の宇佐にそのような大きな墳丘墓があるのかどうか。
よく考えれば分かると思うけど。

223 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/12/06(水) 20:47:05
>>201

>卑弥呼の墓が、径百余歩、150mの塚なんだから

150mとする根拠はなに?

224 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 20:53:24
その前に150メートルでない根拠を聞きたい。有名な短里説か。

225 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/06(水) 20:54:41
>>163
>方言は文化と密接に繋がってますからね。

方言も文化も、常に時代によって、世代によってさえ急激に変化して行くもんだ。
諸行無常がこの世のコトワリ。
そこを無視しては迷路にハマるぜ。

今はアメリカ文化が急激に入ってきて、中国文化やイスラム文化、南米文化などは全く
入って来てないがタダの流行に過ぎん。
流行を無視しちゃ幼稚園児並みの知能。

226 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 20:56:47
>>225
>幼稚園児並みの知能

いちいちそういう形容するからカドが立つんだ。少しは控えたまえ。

227 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 21:03:54
しかし邪馬台国が九州でも、風俗的に大和朝廷ではないだろう。
ほなら、大和朝廷は何者だ?邪馬台国はどこ行ったってことになると思うが、
大和朝廷=渡来人、邪馬台国=下々として消滅でええんかいな?

228 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 21:04:53
もちろん渡来人が軍団で攻めて寄せてきて大和朝廷樹立ってわけじゃなくてだよ。

229 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/12/06(水) 21:04:48
>>224

いいや 度量衡の問題だよ
それに、150mの数値を提示したのはそっちだし、提示された数値の出所
を聞くのは当然のことだよ

230 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/06(水) 21:05:45
>>222私は宇佐説ではない。
それに前方後円墳は吉備や出雲の古墳造築の土木技術が結集したもの。
倭人伝にこの古墳の記述が無い。ことから、卑弥呼より後の時代のもの。
画文帯鏡は、呉の様式つまり魏王が敵国様式の鏡を、親魏倭王の卑弥呼に
贈るわけが無い。と言う事。

231 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/06(水) 21:07:48
>>178
>関西と九州でよく似た方言に、「付近」を意味する言葉があります。

「ネキ」でも「ニキ」「ソバ」「付近」すべて俺には同じにイメージで理解してしまう。
俺は日本語の国際人と言うべきだろう、英語は苦手だが・・・・

232 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 21:10:25
邪馬台国は畿内説は崩れると思う。

しかし、同時に邪馬台国は大和王権には
継承されなかったということだろう。
つまり、九州から畿内へ朝廷が移行したわけではない。

日本書紀の神武東征とは、朝廷や軍隊が東征したというような大規模なものではなく、
あくまでも、九州南部の日向の神武天皇が僅かな家来を引き連れて
畿内の王家に婿養子に行った話しだということ。
目的は畿内と日向の同盟で、その間にあった
筑紫・出雲などの勢力を打倒することだ。
しかし、畿内では、婿養子をとるのに反対する勢力が多くあり
一悶着があったんだろうね...だから、神武の兄も死んでいる。

とにかく、日本書紀を正しく読むことだな。
皇国史観の原因は古事記のほうであって、
日本書紀は当時の官僚たちが、日本を律令国家として
中国に宣伝することを目指した公正さを努力した歴史書物。
古事記のほうは、神道の祭祀者が神話的に書いた書物。

233 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/06(水) 21:11:19
>>180
>えっ、引用のどこに「邪馬台国」の4字が?

魏志倭人伝は邪馬台国の解説書。
全部読めばおのずと、判るだろうに・・・

幼稚園児並みの理解力じゃ無理かい


234 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/12/06(水) 21:14:48
>>230 九州さんよ
この問題貴方に振られた問題、どうだい貴方が徹底的に解決してみるかい?
九州説には避けては通れない問題の一つだよ

俺も九州説の一人として後押しするけど

235 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 21:14:51
大宰府から真東に80キロで宇佐。
明日香から真東に80キロで伊勢。
もうこれは偶然ではないだろう。
宇佐と伊勢はともに日向かし遥拝の聖地。
大宰府と明日香はそれぞれ都。
さあ、問題はどっちが先かだが……。

236 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 21:27:54
中国の考古学者は、どう考えても北九州だろうって言っていたけどな。
ちょっとソースは見つからないけど...
魏志倭人伝の距離の問題は、何かの理由で解決したはず。

あと、宮崎で近畿地方と同じくらいの古さ(3世紀)の前方後円墳が発掘されたらしい。
ちなみに、3世紀の前方後円墳は北九州〜中国地方では発掘されていなかったはず。
だから、2世紀後期の神武東征(というか、神武婿養子?)は事実の可能性が強い。
当時の日向と畿内の深い関係を示す。

237 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 21:30:58
魏または帯方郡の使者は、不弥国までしか行っていない。
帯方郡から狗邪韓国までというとんでもない距離までも、里で表示して
いるのに、不弥国から投馬国まで水行二十日など日数で書くことはありえない。
「夷人は里数を知らない」という表現からも、これは倭人から伝え聞いたもの。

つまり、魏または帯方郡からの使者は、邪馬台国に行っていない。
だから、卑弥呼の墓も見ていない。径百余歩も怪しい。

径百余歩は、畿内説の根拠の一つの柱だが、かなり無理がある。
箸墓にしても前方後円墳。前方部はあとからつけたなどというのは、
卑弥呼の墓にするために強引につけた屁理屈だと思う。

ちなみに、倭人伝を読む限りは、卑弥呼の墓は卑弥呼が死んですぐに
作られたと考えるのが普通だと思う。

238 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 21:32:48
>>236実際の場所はどこだと思う。

239 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 21:33:33
魏志倭人伝には、卑弥呼は女王とは書いてないんだろうね。
ということは、卑弥呼は国王だったのか?
当時の日本は、律令体制前で神権政治を行っており、
巫女が占いをして、それで国王が政治を行っていた。
よって、卑弥呼は国王ではなく、巫女だったのでは?
卑弥呼の弟と書かれる人物こそ国王であった。
つまり、当時の邪馬台国では、巫女に頼った神権政治か
巫女に頼らない反神権政治で摩擦があったんだろう?

240 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 21:34:34
>>237
>魏または帯方郡からの使者は、邪馬台国に行っていない。
>だから、卑弥呼の墓も見ていない。径百余歩も怪しい。

なんじゃそりゃ。
倭人伝の記事が、畿内とは思えない。墓制も違う。
ってのが、九州説の根拠だろ。


241 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 21:36:10
>>239
原文見てないの?

242 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/06(水) 21:36:18
>>182
>その文章では、最初に「其国」としか言われていない。これは邪馬台国でなくて倭のことだろう。

これは邪馬台国USAだよ。
国々が相談して、卑弥呼を女王にした倭の最大勢力が邪馬台国USA。

この相談に入らなかった倭国の仲間はずれが、狗奴国であり邪馬台国から東に1000里の国々。
相談した国々は邪馬台国連合国USAなんだよ。

倭の中で、魏に認められた親魏の国家連合の中心国が邪馬台国。

倭>>>邪馬台国USA>>>邪馬台国


243 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/06(水) 21:37:12
>>234
ではまず、どのような切り口で?

244 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 21:39:16
>>238
案外、北九州といっても、筑紫ではなく、
大分県ありじゃないのか?もちろん、これは推測だけど...
戦国時代も大友家が権力を握っていたし。
とにかく、畿内説VS九州説というふうに
九州を一くくりにするのは止めたほうが良いね。
地政学的に見て、中世以降も、九州が一つに統合したことは無い。
だきたい、三つくらいに分かれて、特に福岡のあたりは
鹿児島とは勢力が分かれて、むしろ関門海峡を隔てて
山口と一体化する傾向にある。

245 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 21:40:04
>>243
「大いに塚を作る」を、塚をいっぱい作ったと読むんだよ。

あと、一人二役乙

246 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 21:40:15
鹿児島人は顔が全然違う。あれはなんでだ?

247 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 21:41:58
神武の母であり隼人の娘でもある
宝満の神(玉依里姫)を祀る
宝満山、太宰府、都府楼近郊は
たしかに神武東征時代から何か需要な拠点であった可能性は高い。

248 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 21:43:18
>>244
実際問題、宇佐とか西都原は九州でも最初に前方後円墳を受け入れた場所。
奴国もそうだけど。

宇佐と西都原は、畿内王権との繋がりで、強国になったと見るべき。

249 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/12/06(水) 21:46:30
>>237

>魏または帯方郡の使者は、不弥国までしか行っていない。
→なぜそんなことがいえるの?

>帯方郡から狗邪韓国までというとんでもない距離までも、里で表示して
いるのに、不弥国から投馬国まで水行二十日など日数で書くことはありえない
→ありえないとする理由は?

>「夷人は里数を知らない」という表現からも、これは倭人から伝え聞いたもの
→「倭人日」の表記がないのに?

>つまり、魏または帯方郡からの使者は、邪馬台国に行っていない。
→妄想の上に立てた理論をおし通すの?

>だから、卑弥呼の墓も見ていない。径百余歩も怪しい。
→貴方の考えの方が怪しい

>径百余歩は、畿内説の根拠の一つの柱だが、かなり無理がある。
箸墓にしても前方後円墳。前方部はあとからつけたなどというのは、
卑弥呼の墓にするために強引につけた屁理屈だと思う。
→どのように屁理屈であるかを説明しなければ、畿内説諸氏は納得しないよ。

>ちなみに、倭人伝を読む限りは、卑弥呼の墓は卑弥呼が死んですぐに
作られたと考えるのが普通だと思う。
→原文読んだのなら、そんな妄想いらないだろう


250 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 21:48:46
>>239
卑弥呼は女王だと書いてあるよ。
ただ、たしかに、魏の人が国王だと思っただけで
もしかしたら、政治を行っている弟のほうが国王か
あるいは、後にその弟を国王ということで歴史をしるしているために
卑弥呼の形跡が無いのかもね。
とにかく、この時代、神権政治派と反神権政治派との間で
闘争があったんだろうね。普通に考えて。

自分の考えだけど、これまでの弥生時代、古墳時代という歴史区分は
もう古臭くて過去のもんだと思う。
もっと、神権政治→反神権政治→律令体制という政治の流れについて
強調していくべきだと思う。

251 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 21:48:52
中世から近世まで
九州は一貫して3つくらいに分かれてるのはたしか。
古代だって宇佐近辺から神功がソソキノ(後の夜須)に
熊鷹征伐に出向いてるし、この時クマソは四肢を切断され
東野に逃亡したと万葉集に書いてある。
九州は古代から現代まで一貫して分裂してる。
中世は南北朝時代、少弐と菊池が宝満川一帯で覇権を争ってる。
これも神功が戦った地域と一致してる。
近世では秋月の乱から田原坂の戦い。これも
筑後地域周辺の戦い。


252 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/12/06(水) 21:48:53
>>245

>「大いに塚を作る」を、塚をいっぱい作ったと読むんだよ

貴方は(えら〜い)  パチパチパチパチ

253 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 21:50:12
奴国(春日市周辺)の前方後円墳はかなりおそくて
6世紀とかが中心らしいよ、規模も小さいし

254 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 21:51:26
前方後円墳は西進伝播したの?

255 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 21:54:27
>>247
中国の学者は日本書紀を評価しているよ。
当時の編纂者たちが、日本古来の神権政治を脱して、
中国的価値観である律令体制下の歴史書を編纂しようと
様々な人たちを動員して、
なるべく客観的に公正に歴史をしるそうとしていると。
今度、日本と中国の歴史家や考古学者の共同研究があるらしから
もっと日本と中国の学者が協力したら良いのに...
近代史は仲が悪くても、古代史の研究ではしょく協力し合うんだよ、日中は。

古事記は、神権政治的。
日本書紀は、律令体制的。

256 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 21:57:02
>>249
あのね。子供じゃないんだから、もう少し要点を絞って質問すること。
言っていることにいちいちどうして?どうして?どうして?
もないでょう。

とりあえず、最初のどうして?については書いてあるでしょう。
不弥国までは里数で表示してあるが、その先は日数になっている。
魏または帯方郡の使者は、里数を知っていたから、里数で表現した。
しかし、投馬国や邪馬台国については、日数で表現してある。
これは、使者が行っていないからである、と。
日数で距離を表現することしか知らない倭人から伝え聞いたものであると。

257 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 21:58:26
>>254
前方後円墳は畿内が発祥なのは確か。
中国地方や北九州は新しい。

しかし、南九州から近畿地方と同じくらい古いものが
発掘されたって、報道があった。まだ、分からないけどね。

いずれにせよ、日本書紀の神武東征の東征という記述を
大袈裟に考えてしまうことから大きな誤解が始まっていると思う。
普通に日本書紀を素直に読んだら、これって
日向の王子が、畿内の王女と結婚した話だよ。

258 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/12/06(水) 21:59:40
>>243 九州さん   どおやら>>224 逃げたみたいだよ

まずは、当時の度量衡を徹底的に学ぶ事だよ
せめて、(漢書律暦志)や(大唐六典)それに(春秋左伝)ぐらいは目を通しておくことだよ
ただし、「周(骨卑)算経」だけは時代の錯覚だけには十分注意すること。あと、
机上の空論にならないこと(谷本氏)の様に、現実と机上の区別が出来なくなるから

259 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 22:00:55
久留米の高良山(玉垂命)、神代(クマシロと読む)は
島津、大友、菊池、少弐が代わる代わる支配した。
久留米近辺は九州でいえばヘソになるんだろうか。
この近くの久留米市大善寺に鬼火という有名な祭りがあり
火を祀る風習が二千年前から伝えられているとある。
これは阿蘇山にある拝火教に繋がるだけどね、
阿蘇山近郊にも玉垂命は祭られていて地名にも残ってる。
隼人娘(玉依里姫)と併せて
久留米近郊はすでに南九州の流れがあるようだ。

260 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/06(水) 22:04:01
>>237うーん。スルドイ。

261 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 22:07:19
日中が共同で解明するって、素晴らしいな。
北九州のどこかで間違いないと思ってるおいらにとっては大歓迎。
もう畿内論者と不毛な言い争いをするのはまっぴらだからな。
内側の人はどうしても願望や思い入れも入るのに対して
外側の人は冷徹に客観視するだけ。
とりあえず行き詰まってどうにもこうにも行かない時は、
外側の人の意見を聞いてみるべきだな

262 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/12/06(水) 22:08:28
>>256

>日数で距離を表現することしか知らない倭人から伝え聞いたものであると。

倭人伝をリアルタイムで語っているのに、梁書持ち出してどうするの
それに夷人の里数不知は、東西五月行南北三月行にかかる文、それ以前の
書にその様なカキコはみられない
これが史料事実

263 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 22:08:29
邪馬台国論争は、日本書紀の話と並立させて考えないといけない。
日本書紀の暦も、二倍年暦説は非常に有力なわけで。
それを計算して、だいたい、卑弥呼の時代は、日本書紀のどのあたりにあたるのか?
そういうふうに考えると、わかりやすい。
また、同時に、歴史の明白な中世以降の地政学的な傾向も有力な判断材料だ。

264 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/06(水) 22:08:51
>>258
うーむ。難しそう。読んでないのばっかり。
読む猶予を与えてもらっていいですか。

265 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/12/06(水) 22:10:06
>>260

>>237うーん。スルドイ

なに妄想に関心してるの?

266 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 22:11:06
>>261
俺も九州説だが

>外側の人は冷徹に客観視するだけ

これには無邪気に同意できねえなww

267 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 22:12:12
>>261
あんた邪馬台国は何処だと思うわけ?
逆に中国人が畿内だといえば逆の事をいうんだろうwww
権威に寄りかかる脳弱者がwww


268 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 22:12:37
>>261
畿内説と九州説の対立の最大の要因は思想の問題。
右翼と左翼、反日朝鮮系の学者らが
邪馬台国に限らず、この古代の歴史研究を悪い方向にかき回す
要因になっている。

よって、中国の考古学者・歴史家と日本の学者が共同研究するのは
大きな成果が見込まれる。
また、戦後、禁止された地政学の切り口も重要だ。
その場合、かならず、近代地政学ではなく、
前近代地政学の見方が重要になってくる。
基本的に前近代は、数千年、人間は同じことを繰り返していると思うよ。


269 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/06(水) 22:12:48
>>265 えー、どこが?

270 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 22:16:00
>>262
では、どうして投馬国や邪馬台国までの距離を里数でなく、突然
日数で表したのかな。
倭人から伝え聞いたものであるというのが妄想だとしたら、
日数で表現されるようになった誰でもが納得できる理由を
示すことが出来るかな?
帯方郡から狗邪韓国までの長い距離でさえ、里数で示しているのに。

271 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/12/06(水) 22:17:52
>>264

>うーむ。難しそう。読んでないのばっかり。
読む猶予を与えてもらっていいですか


無理していきなり全部読まなくても・・・・・・
ただし、和訳本は絶対に見ないこと
原文読む癖つければ半年もすれば慣れてくるし、漢字だから大雑把にでも意味は判るよ
未だに、漢文苦手な俺が挑戦中なんだから、君なら俺の半分以下の期間で大丈夫

慣れてくれば倭人伝ぐらいソラで暗記できる。

272 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 22:18:15
普通に考えて、邪馬台国は畿内には存在しない。
また、それと同時に、邪馬台国は
大和王権に敗れ、日本全国政権にはならなかったということ。

九州から畿内へ朝廷が移行したという説の最大の要因は
神武東征なんだけど、これは
ただ単に、九州南部(北九州ではない)の王子が
畿内に婿養子に入って同盟を結んだに過ぎない。

自分は、狗奴国は、日向の熊襲だと思うけどね。

言い換えれば、その後、日本を統一したのは
邪馬台国でも狗奴国でもなく
狗奴国から婿養子を向かえた畿内の王権だったということ。

273 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 22:18:32
その説(里数、日数のヤシ)は鋭いが
蟻の人がしょっちゅういって測量してる地域と
そうではない地域という違いもあるかも
しょっちゅういってないから大雑把かもよ。


274 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/06(水) 22:18:47
ところで、「マルチはやめろー」と言う粗野な言葉遣いの割りに、コテ名のかわいい、
;古代史大好き さんはどこいったのでしょう。

275 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 22:20:51
自分は、邪馬台国の北九州説以外では
中国地方説にも注目しているんだどね。
とにかく、邪馬台国は畿内王権にならなかったことだけは確実。

276 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 22:21:20
>>274
すみません、お願いしていいですか?
試しに九州弁しゃべってくださいませんか?

277 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 22:22:31
>>275
確実って東北人の脳弱でどれだけの意味があるのかwww

278 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 22:26:46
九州最古の神社はほぼ間違いなく
宝満神社(竈神社)か玉垂宮なのです。
筑紫神社、春日神社なんかはかなーり後のものですね。
天満宮なんて話にならんほど新しい。

279 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 22:28:35
三角縁神獣鏡って、当時
魏の国と対立していた呉の国のもんだろう?

それが畿内から出るということは
親魏倭王の国である邪馬台国とは明らかに違うだろう?

普通に考えて、邪馬台国は、魏と親交。
畿内は、呉と親交。

呉と親しかった国が日本を統一したから
中国との国交が断絶した大きな要因なのでは?

280 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 22:29:55
>>262
うっかり見逃しそうになったけど、梁書?
おいおい、梁書ではなくて、隋書だろう。

281 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/06(水) 22:32:59
>>276
喋ったらどこの県の人間かすぐ判かるもん。

282 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 22:34:26
>>281
なんでそれがいけないのですか?
わかっていいじゃないですか。
九州出身といいつつ県名は教えない、その意図がわからない。
なぜですか?



283 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 22:36:53
古代史って、謎だらけと言いますが、自分はそうは思わない。
狗奴国は、どう考えても
熊本・熊襲・日向と関係があるように思います。
どうよ?

また、和歌山の熊野って、神武天皇が
日向の熊襲系の人間だったから
そこから来てないか?と思う。
あと、琉球って、なぜ、熊野信仰が厚いんですか?

284 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/12/06(水) 22:37:02
>>270

>では、どうして投馬国や邪馬台国までの距離を里数でなく、突然
日数で表したのかな。
倭人から伝え聞いたものであるというのが妄想だとしたら、
日数で表現されるようになった誰でもが納得できる理由を
示すことが出来るかな?
帯方郡から狗邪韓国までの長い距離でさえ、里数で示しているのに

倭人伝の最初の記事は地理記事だよ
地理記事に必要なものは、目的の位置と規模それに距離
里数表記は不彌国までではないだろう 伊都までだよ
奴国と不彌国に(百里)と書かれているのは、その都市の規模だろう(行政区画)
これは漢書からの漢籍常識だよ
距離(一百里)と書かずに(百里)とカキコしたあたり、当時の国学者のセンスなんだろうね

めんどくせいから結論だけ
日数表記は、里数表記「直線」測量が困難なための表記 あれは九州島の規模だよ
ぐるり一周(水行三十日陸行一月)(里数千五百里を加える)

対馬の規模(方可四百余里)・壱岐の規模(方可三百里)・九州島の規模(水・陸行六十日)+
(千五百里)

285 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/06(水) 22:37:07
>>182
>その文章では、最初に「其国」としか言われていない。これは邪馬台国でなくて倭のことだろう。

これは邪馬台国USAだよ。
国々が相談して、卑弥呼を女王にした倭の最大勢力が邪馬台国USA。

この相談に入らなかった倭国の仲間はずれが、狗奴国であり邪馬台国から東に1000里の国々。
相談した国々は邪馬台国連合国USAなんだよ。

倭の中で、魏に認められた親魏の国家連合の中心国が邪馬台国。

倭>>>邪馬台国USA>>>邪馬台国


286 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 22:39:26
宇佐神宮は古いが、大和朝廷が新しく祀ったもので
何時作られたかさえわからない
宝満神社(竈神社)、玉垂宮よりは新しい
ここには辛国神を祭る香春岳神社を西(田川)に望み
宇佐の氏姓の9割が渡来系だったとある。
辛島姓は宇佐が発祥でやはり渡来系。


287 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/06(水) 22:39:59
>>282
だって気がついたら同じ町内だった、なんてやだもん。

{言葉遣いは子供じゃないんだから}

288 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 22:40:53
>>283惚けたこと抜かすね〜
即消えろ!

289 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 22:41:10
てか日本人何もしてないし。
教科書だって教科書だよ
幕末のフランス人の日本人に対する虐殺という事実はふれないくせに
日本人が韓国人を虐殺したなんていう嘘が書かれるなんて・・・

あと日本兵の南京大虐殺
一日3000万人殺したという話、当時の中国なら一ヶ月で滅びるんですけど・・・?
中国人の改竄には呆れるね。
逆算もできないのかな?


290 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 22:42:15
>>273
その辺はなかなか難しいが、対馬国、一支国、末盧国、伊都国あたりまでは
国の様子がけっこう詳しく書かれているのに、そのあとはそっけないという
部分はあるねえ。

ただ、もし、一度でも女王の都する邪馬台国に行っていたとすれば、
相当に詳しくその様子が書かれていても良いような気がするのだが。

291 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 22:42:53
>>287
わかるわけないだろ?
九州弁だけで町名わかるわけない。
言い訳とみなすよ。

292 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 22:43:43
>>286
普通に考えて、宇佐は、応神天皇のお母さんに滅ぼされて
その後、半島出兵して捕虜にした人間たちを
定住させた地なのでは?

とにかく、宇佐は、畿内から来た大和王権に
征服され、それを境に変わってしまったのでは?

293 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 22:46:04
>>252

>>「大いに塚を作る」を、塚をいっぱい作ったと読むんだよ

>貴方は(えら〜い)  パチパチパチパチ


えらいも何も、皮肉で書いたのだが…

卑弥呼が死んで、なんでいっぱい墓を造るのか。
普通は、大きい墓を造ったと読むだろ。

294 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 22:47:18
>>290
それは同意。魏志は適当すぎるよ。別に間違えても添削できない部分だしね。

295 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 22:47:28
とにかく、日本書紀をもっと素直に読もう。
特に、神武天皇以降の話は、神話とは
切り離されている事実を着目しよう。
中国の学者も日本書紀に着目せよといっている。


296 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/06(水) 22:48:22
>>199
>征服(民族の総入れ替え)があったなんてのは

そんな事を言ってる人はいないよ。
ごく一部の支配者層の入れ替わり。

農耕文明では1人の人間の生産能力が上がって、50%近くの税金をとっても生活
できるようになったの
だから農民の存在はそれだけで、国力の増大になる。

トップの人間の上に、支配者がもう一層出来ただけの話。
もちろん、トップの人間の中に農民に転落した連中もたくさんいるよ。

297 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/12/06(水) 22:48:38
>>280

ごめんごめん   指摘ありがとう

倭國在百濟新羅東南水陸三千里於大海之中依山島而居魏時訳通中國三十餘國皆自稱王
夷人不知里數但計以日其國境東西五月行南北三月行各至於海其地勢東高西下都於邪靡堆
則魏志所謂邪馬臺者也古云去樂浪郡境及帯方郡並一萬二千里在會稽之東與tan[扁人旁右澹]耳相近
漢光武時遣使入朝自稱大夫安帝時又遣使朝貢謂之倭奴國桓霊之間其國大亂遞相攻伐歴年無主
有女子名卑彌呼能以鬼道惑衆於是國人共立爲王有男弟佐卑彌理國其王有侍婢千人罕有見其面者唯有男子二人給王飲食
通傳言語其王有宮室樓觀城柵皆持兵守衛爲法甚嚴自魏至于齊梁代與中國相通

・・・隋書倭國伝・・・

298 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 22:49:58
>>294
魏志にかぎらず、中世に来た中国の使節も
日本のこと間違って認識していることが多い。
これは初期のポルトガル人にも言えることだが
彼らは総じて、九州(あるいは中国地方西部)の権力を
日本政権だと勘違いする傾向にある。

299 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/06(水) 22:50:42
>>201
>卑弥呼の墓が、径百余歩、150mの塚なんだから。

間違い!
魏志倭人伝では、短里を採用してるので5分の1の30mです。

これだと無数に日本には存在する。

300 :太国:2006/12/06(水) 22:51:21
>>263
だいたい神功皇后の時代のあたりですよ。だが卑弥呼は神功皇后ではないです。

301 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/12/06(水) 22:52:11
>>293

>普通は、大きい墓を造ったと読むだろ。

絶対に読まない     

302 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 22:52:28
それは近世においてもそうで
ロシア皇帝ニコライが始めに
来日したのも長崎、それに逆上したのが津田三造。

303 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 22:53:00
>>295
んで、素直に読むとだな。
日本書紀はどう考えても、ずっと天皇家がこの国を司ってきたって言いたいんだよな。
いろんな矛盾点はあるにしろ。そしてそれが捏造であるにせよ。
これって要は統一宣言書だよな。
この中に卑弥呼伝説(魏志)は神功皇后に組み入れられた。もちろん婉曲にね。
こういうトリックを設けたのは、大和朝廷が邪馬台国と別であることを
裏付けていると思う。

304 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 22:54:46
>>296
日本書紀をもっと素直に読もうと言っている。
普通に解釈して、神武東征って
そのお供の数から、航路、出身地から考察して
九州南部(熊襲)の神武が近畿地方の王家に養子に行った話だろう。

フランス人の誰か素直に読んで
九州南部の神武さんが、近畿地方の王女と結婚したと
解釈したところなんて、全くそうだ。


305 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 22:55:35
>>298
それは当時の日本が戦国時代で中央集権的な律令制が崩壊していて
地方自治つか、それこそ各大名が国王的だったからっしょ。

306 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/06(水) 22:57:13
>>291
そぎゃんいじめんでも、よかでごわす。許してみんしゃい。

{さて私はどこのうまれでしょう}

307 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 22:57:45
>>306
病院

308 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 22:58:19
>>303
だから、素直に読めよ。
素直に読むとか言っていながら、おまえ素直に読んでない。
自分は、神功皇后と卑弥呼は全く関連性ないと思う。
何故なら、神功皇后のやっていることと、卑弥呼は全然違うから。
卑弥呼は三韓征伐なんかしていない。
神功皇后否定説というのは、任那日本説否定派の連中の手前
なかなか研究が進まないんだよ。

309 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 22:59:09
>>258
いやさ。魏晋朝で短里使ってた、って、日本人の一部の人間が言ってるだけだろ。
古くは白鳥、今は古田か。古田も古くなったけど。
余りにも恣意的な解釈で、笑った記憶がある。

君の言ってる度量衡は、どうやら通説とは違うようだから、
まず君が「魏晋で短里が使用されていた」根拠を挙げるべきだと思うが。

310 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 23:03:48
>>301
>絶対に読まない

はいはい。アンタはいつでも、論理性より感情優先だからな。
まともな議論が出来ないよ。

そもそも文脈としておかしいだろ。
卑弥呼一人が死んで、なぜ多数の墓を造る必要があるのか?  

311 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/06(水) 23:04:45
>>204
>ちゃんと知ってる人に、最新の情報を聞いてみたい。

そのチャンと知ってる人が、偏見から馬鹿になったので俺みたいな素人が発言できるの。
大学の専門といっても、偏見にハマりこんだらナカナカ抜け出せんよ。
「オラガ村の邪馬台国」という妄想から抜けられん馬鹿連中。
大学の教授制度が動脈硬化を起こしてるのかも知れん。

南京大虐殺で発言してる、東中野修道教授は亜細亜大学のれっきとした文学博士だけど
偏見の中にはまって見とれないような発言を繰り返してる。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
「明らかになった」という断定の材料は、誰が切り抜いたのかも、いつのものなのかも、
何新聞なのかもわからない、一片の新聞記事の切り抜き、ということであるようです。

どうも氏は自分の「発見」に舞い上がってしまったようで、他の史料に全く登場しない
「中華民国政府顧問の・・・ベイツ博士」という表現に対して、いろいろな史料から
多面的にその正当性を検討する、という当然の手続きを、すっかり失念しています。
http://www.geocities.jp/yu77799/bates1.html

312 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 23:04:45
>>306
九州人の知り合いが何処かしこに居る漏れからすると
「でも」なんてまず方言でつかわんし。
「ごわす」も鹿児島では使わない。
「みん」も博多でも佐賀でもそういう場所では使わない。
全て聞きかじりの九州弁にしかみえない。


313 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 23:06:04
>>303
>この中に卑弥呼伝説(魏志)は神功皇后に組み入れられた。もちろん婉曲にね

おまえが、歪曲。
卑弥呼伝説が神功皇后に組み入れられたのなら
三韓征伐の話なんか存在しない。
卑弥呼の生涯に三韓征伐なんて全く出てこないのだから。

314 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 23:07:20
>>237 ほとんど同意です。
九州説では、本州に行っていないのは当然なので、九州のどこに行って、どこには
行っていないのか?が問題。以下、九州説を前提に・・・

(まず、滞在期間からの逆算)
1、日本〜朝鮮の渡航は3〜10月ころ。その時期の渡航の記録が古代には多い。
2、魏志には冬の描写が存在しないので、暖かい季節しか滞在していないと思われる。
そこで、滞在期間は、初夏から秋までのなかで2〜4か月程度ではないかと思う。

そうなると、九州に約30か国を考える九州説でも、この期間に全部を見て回ったとは
考えられない。多くて10か国程度。伊都国で収集可能な情報しか魏志には書かれて
いないので、伊都国のみもありうる。

可能性の高いのは、@伊都国に定宿を定めて近隣の国を見て回る、A伊都国から出発して
近場の国を回る、というようなルート。期間限定の上に、狗奴国との対立もあるから、南部九州
との境界の国には行っていないだろう。

卑弥呼の居所については、その描写があるし、卑弥呼の年代も書いているが、卑弥呼は
1名の男以外に人とは会わないとも書いているので、@行ったが会ってない、A無駄だから
行かなかった、の2通りが考えられる。召使1000人とかの描写が信じられないのでAだと
考えている。行かなかった言い訳が書いてあると考えると納得できる。

315 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/12/06(水) 23:09:26
>>309

>君の言ってる度量衡は、どうやら通説とは違うようだから、
まず君が「魏晋で短里が使用されていた」根拠を挙げるべきだと思うが。


めんどくさいから、詳しいカキコは後で時間があったらしておくよ

根底の考え (一尺=一歩   六尺=一歩は、秦時制定の機械里)
卑弥呼の墓で、ガラガラ記里鼓車転がして「チ〜ン」となる前に測量終わりか?




316 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/06(水) 23:10:23
>>218
>ゴッドハンドは高卒だろ。

それに丸め込まれて信じ込んだのが、世間知らずの大学教授。
自分らで専門家として暴く事も出来ず、毎日新聞社という外部の
ド素人連中に、学説全体をひっくり返してもらったお粗末、見とれんよ!

317 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 23:11:05
ところで、北九州市付近の言葉と福岡市あたりの言葉はかなり違うような
気もするのだが、実際はどうなんだろう。

318 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 23:11:56
中国の使者はイト国止まりだよ。イト国で見聞した事を書いている。
朝鮮の帯方郡のようなもの。

319 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/06(水) 23:14:07
>>224
>その前に150メートルでない根拠を聞きたい。有名な短里説か。

これで何回目か、この話をするのは。
マトモナ反論がないのだけど・・・・

●1里は何kmと計算すべきか?
 倭人伝では韓国から壱岐まで2000里となってる。
 釜山から壱岐まで160kmとして、1里=0.08km

●水行する距離に関して、数百人の人間が移動するには、漁師や運搬船を総動員しないと無理。
 本隊が着く前に先遣隊が大金を使って段取りしても、4日間くらいのタイムラグがあるとする。
 風を待つという待機もあるし、酒宴もあるし、船もピストン輸送とし段取りでマイナス4日も
 しくは2日とし 1日平均5km進むとする。

●陸行する距離は、段取りでマイナス4日とし1日4kmとする。
 江戸時代の朝鮮通信使は12回も、江戸まで往復6ヶ月もかけて旅行してたという。
 下関から東京まで900kmを90日間かけたとしたら、1日に10km。
 日本との親善が目的なんだから魏志倭人伝とよく似てる。交通網の発達や初めての見せびらかし
 旅行と、地元との宴会・意見交換を考えると1日4kmでも良いだろ

●船を乗り換えてるので、漁業者のテリトリーが変化したものとし三角港を投馬国とす(熊本平野
 八代平野も領土とする)

韓国80km南→対馬80km南→壱岐(一大国)80?km→唐津(末盧國)40km東南
→小城町(伊都国)8km東南→佐賀市(奴国)8km東→千代田町(不弥国)80km南→
三角港(投馬国)40km南→芦北に上陸100km→宮崎市・・「ここが邪馬台国」

320 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 23:15:59
>>317
全然ちがうよ。常識だよ。
北九州市と大分県は瀬戸内方言になる畿内語彙が多く、アクセントは東京に近い。
福岡市周辺は本来無アクセント崩壊アクセントで筑肥語彙。
熊本とほぼ変わらない方言。
だが近年福岡市周辺は標準語や北九州市の瀬戸内言葉が氾濫し
徐々に変わりつつある。

321 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 23:18:22
あと、中国の使者は伊都国どまりだったが
なぜ、中国(魏)と邪馬台国との友好が進んだかというと
邪馬台国が事実上、伊都国を支配下に置いていたから。
○○国、○○国と別々に書いているが、
感覚的に、戦国時代の毛利家が、十カ国の国主になったみたいな感覚か?


322 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 23:19:27
まあ、ちなみに箸墓は漢代の尺で設計されてるけどね。

プも、明日は古田を本読んで反撃してくるだろうけどさ。

できればでいいけど、古田本からの孫引きじゃなく、
(漢書律暦志)や(大唐六典)それに(春秋左伝)から引用してくれよな。

君が、最低限読んでおくべきと言ったんだから。

323 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 23:22:27
>>313
えらそうにほざくブタ野郎ばかりだな。ここは。

324 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/12/06(水) 23:23:02
>>310

>はいはい。アンタはいつでも、論理性より感情優先だからな。
まともな議論が出来ないよ。

そもそも文脈としておかしいだろ。
卑弥呼一人が死んで、なぜ多数の墓を造る必要があるのか?


オイオイ 冷静になれよ 

>大きな墓を作る

『作大塚』であって『大作塚』じゃないだろう

それに、(大きい)とカキコするにはそれを判断する基準の『塚』をカキコし
ないと、比べることが出来ない
基準があるから(大きい)(小さい)  (高い)(低い) (長い)(短い)
ここには基準の記載がないよだから(おおきい)とは読めない
文章表現には欠かすことの出来ないものだろう?

325 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 23:23:46
>>313
初対面でいきなりおまえ呼ばわりするんじゃねえよ。このクソハゲ野郎。

326 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 23:24:23
>>319
恵也 ◆o4NEPA8feA に聞く。

あなたは邪馬台国は九州説だが
あなたは、卑弥呼の死後、邪馬台国は九州へ移転した思うのか?
それとも、移転せずに、畿内の勢力に滅ぼされたと思うのか?

ちなみに、二倍年暦で日本書紀を見たら、
神武天皇は、卑弥呼よりも前の時代を生きた人間。

よって、邪馬台国は近畿へは移転していない。


327 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 23:24:34
>>320
なるほど。実は北九州に親戚が住んでいて、言葉をずっと聴いてきたのだけど、
どうも福岡の言葉とは違う。親戚だけ特別なのかなと思っていたので。
北九州ってひょっとして中国地方の言葉に近いのかな。

328 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 23:24:47
東京女がヒステリー起こした時、文の最初にアクセントを置くのにみられるよう
これは山口とか大分、北九州市周辺にみられるアクセントと同じだよ。
福岡市や熊本に至る一帯はほぼ無アクセント。
他所の人間が聞いて違いはわからないだろう。
福岡市と熊本はほぼ同族。
北九州市と大分や山口は同族。


329 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 23:25:41
>>328なるほど九州は縦に割ればいいのでつね?

330 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 23:26:52
でも論争つうより確かに感情――憎しみが混じってるよな、此のスレ。

331 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 23:28:34
>>330
日本の古代史論争がうまくいかないわけですね。
こんな状態だから、みんな嫌になる。
なぜ、うまくいかないかというと、
戦前の皇国史観と、戦後の反皇国史観が
両方が極端すぎて、うまくいかない。

332 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 23:30:43
そうっちゃ!(HHLLLの発音)=北九州市方言
四国西部、大分、島根と同じアクセント
は極端な話、東京の女がヒス起こした時の感じとそっくりになる。
うねりがあるような感じです。
福岡熊本中心の九州方言とは聞いた感じが全く違います。

333 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 23:30:55
>>331
確かにイヤになるものがある。
閉ざされた世界でのじめじめした抗争。
さわやかさゼロ。犬神家の一族かっての。

334 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 23:32:44
>>314
たしかに、婢千人というのはおかしいと思う。
それから、正治元年に梯儁がやってきたときも「倭王因使上表答謝恩詔」
となっていて、使いを経由していて、実際には卑弥呼に会っていない。
邪馬台国まで行ったけど、会わなかったと考えるよりも、
邪馬台国には行っていないと考えたほうが良いような気もしますね。
邪馬台国まで梯儁がわざわざ来ていたのにそれでも会わないということは
相当に失礼なことのような気がするから。

335 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 23:34:22
>>334
だから倭人伝は適当だって言ってまっしゃん。

336 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 23:34:38
>>333
中国の考古学者や歴史学者と協力しあうべきというのは
そういうことだ。
中国の歴史学者に言わせたら、日本書紀って
中国の歴史書と比べても、非常に公平に編纂しようとしているらしい。
何故なら、その後、革命が起こらなかったから。
古事記と日本書紀の違いは
古事記は、神権政治の影響が強くて、守旧派による神話的要素が強いのが
日本書紀は、律令体制下の官僚が神話的要素を事実上、排除しているらしい。


337 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 23:36:23
>>336
じゃあ、ちょっと話が邪馬台国からそれるが、
その客観的記述が多いはずの日本書紀に半島の、それも百済の記述が
多いのはなんで?

338 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/06(水) 23:37:15
>>227
>しかし邪馬台国が九州でも、風俗的に大和朝廷ではないだろう。

風俗的には九州だろう。
ストーブもなしにあんな薄い着物を着て、冬は寒くてたまらなかったろうね。
寒いところの出身なら、毛皮のコートが定番だろう。

大和朝廷は九州王朝の分家に過ぎん。
分家が経済力と軍事力を持ったので、本家が飲み込まれたもの。
邪馬台国は九州王朝のご先祖。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
天岩戸前で踊る天宇受売命
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/4115/page4.htm

339 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 23:37:40
福岡熊本と北九州市大分(豊前豊後)では地名だって違う。
福岡熊本佐賀には隈府、七隈、雑餉隈、大隈
とか隈の地名が点在してるのに
大分北九州市周辺には一切ない。

340 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 23:39:30
>>336
日本書記のほうが確かにことは詳しいが、だからといって古事記より、より事実をそのまま
書いているとは思えないがなー

341 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 23:43:21
魏志倭人伝を入手しているのに、日本書記の中に卑弥呼も邪馬台国もない以上、日本書記編纂者が
大和朝廷は、卑弥呼を故意に無視してるのは明らかだ。
ある一点をのぞいて……

342 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/06(水) 23:44:29
>>236
>2世紀後期の神武東征(というか、神武婿養子?)は事実の可能性が強い。

神武天皇は3世紀末の人間。
記紀の変な年号のおかげで、100年勘違いしてるよ。

世界一のお墓を持ってる第16代仁徳天皇の死亡期日西暦427年を、事実だとしたら神武天皇
や天照大神はいつ頃死んだのか。

天皇の平均在位期間を10年としたら第X代天皇の死亡年月日は次の式で得られる。

427−(16−X)*10=西暦死亡年

427−(16−1)*10=277年・・・第1代 神武天皇
427−(16+3)*10=237年・・・皇祖  天照大神
             247年・・・    卑弥呼死す

まあ、10年の差くらいなら十分に同一人物だった可能性はある。
それに当時の天皇は先頭に立って、反対派を征伐していた天皇としては危険な任務の時代。
19人の天皇で10年間の在位期間が短縮したのなら、むしろピッタリと言うべき。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
第31代の用明天皇は、2年ほど在位し、586年には活躍していたことが確実な天皇である。

用明天皇の活躍年代586年を起点として、一代10年づつ古代にさかのぼれば、各天皇の
大略の活躍年代がえられる。
http://yamatai.cside.com/tousennsetu/nendai.htm

343 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 23:47:20
下手くそな数式作ってバカじゃねーの?
そういう数式は全てデータ整ってからつくるもんだよ。バカだな、本当にバカだ。。

344 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/06(水) 23:48:13
>>333
「犬神家の一族」が、爽やかな内容だったら、もっと怖いんじゃない。

345 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 23:48:24
>>337
それは、

古事記の場合は、神権政治の影響が強くて守旧派の影響が強く
これは、あくまでも日本人向けだけを意識して書いています。
書いてある内容も非常に薄く、神話と正史との境界が無い。

しかし、日本書紀の場合は、日本を律令体制国家にすることを目指しており、
国際化(というか、中華世界に受け入れられるために)を意識し
外国(特に中国)に自分たちを宣伝するために書いてある。
よって、日本国内の歴史的事実と、外国の歴史的事実との
整合性を凄く気にして、時間かけて編纂しています。
その過程で、日本が支援した百済系貴族たちからの史書を参考にしている。

百済という国は、中国東北部にいた扶余人が、半島南部の原住民・韓人を支配した
征服王朝で、扶余人は早い段階から漢人化していたと見られている。
よって、中国のことには当然、詳しい。

逆に、新羅は原住民の韓人が主導した独立政権で
百済や高句麗とは違って、半島南部の地方豪族を積極的に採用している。
百済は基本的に中国・扶余人の征服王朝だから
半島原住民(韓人)を全く信頼していない。


346 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 23:48:35
バカつかはなからどうでもよさそうなので読んでない……

347 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 23:49:03
四道将軍(崇神天皇)の問題を解決してないカスが
なんで数式作れるんだよ。

348 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 23:49:27
>>324
そもそも、アンタの読み方がおかしいという話の筈だが。

なぜ、卑弥呼が死んで、墓を沢山造るのか答えてくれ。

349 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/06(水) 23:50:37
>>237
>不弥国から投馬国まで水行二十日など日数で書くことはありえない。

ありえるよ。
天気が悪くなれば星が見えず、船が何里走ったのか全く判らなくなる。
それじゃ日数でしかかけないだろうに。
邪馬台国についてから、改めて帯方郡からの直線距離を測ったもの。
だからこそ、上海の東が邪馬台国とわかったんだよ。

帯方郡から狗邪韓国の7000里というのも、星を基準に測定して出したんだぜ。
それも短里の1里=0.08kmでね。

350 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 23:51:10
北九州、大分は本州人と血縁を持つ人間が多い。


351 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 23:51:40
>>342
3世紀の天皇は崇神天皇。
神武天皇は2席後半から3世紀にかけての人物と思えばよい。
よって、神武東征(神武婿養子)は卑弥呼よりも前に行われている。

352 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 23:53:20
>それに丸め込まれて信じ込んだのが、世間知らずの大学教授。

まったくその通りなのだが、考古学に携わる者に、
あそこまで品性下劣な人間がいるとは思わなかったのだろう。

353 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 23:55:08
弥生時代の九州地方の墓制である甕棺。
福岡市では数多く見られるが、北九州市では全く見られない。
かなり近いのに、昔から文化も言葉も違う。
一体どうなっているんだろうね。

354 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 23:55:15
>>342
あなたは邪馬台国が九州だというところまでは良い線だ。
しかし、日本書紀の二倍年暦の計算は間違っているね、悪いけど。
また、邪馬台国は宮崎ではなくて、九州北部だと思うよ。
古墳の形態から考えて。

実は同じ九州説でも考えが全く違うということだな。

邪馬台国論争は、魏志倭人伝、日本書紀、考古学、地政学の
両方から考察するべきだね。

355 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/06(水) 23:57:24
>>237
>魏または帯方郡からの使者は、邪馬台国に行っていない。

邪馬台国までの長い道程を歩いてるからこそ、いろんな人に出会い話を聞き目で見た記事が
書いてあるので、又聞きではこれだけの文章はかけない。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
倭国では真珠や青玉がとれる。山には赤土がでます。木では、クス、トチ、
クスノキ、ボケ、クヌギ、スギ、カシ、ヤマグワ、カエデなどがある。
竹では、シノダケ、ヤダケ、カヅラダケがあります。
   
また、ショウガ、タチバナ、サンショウ、ミョウガなどもある。しかし、
賞味することをしらない。
オオザルやクロキジもいます。

倭人の会合、席次には、父子、男女の区別がない。人は酒をたしなむ。
大人に敬意をあらわすときは、手を打ってから、ひざまずきます。
http://www.webtelevi.com/yamataigisi.htm

356 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 23:58:09
>>354
>実は同じ九州説でも考えが全く違うということだな。

はっきり言って邪馬台国がどこだかという問題そのものはそれがゴールという意味では
重要ではないと思う。

357 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/12/06(水) 23:59:17
>>422

半島陸行するような本は読まん


既に、大唐六典からの引用は、今日やった

358 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/12/07(木) 00:02:18
おっと

誤爆だ。 >>322に、訂正

359 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 00:02:47
>>345
では、
>日本国内の歴史的事実と、外国の歴史的事実との
>整合性を凄く気にして
いるはずの日本書記で邪馬台国が完全無視されてるのはなんで?

360 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 00:02:58
>>356
確かにそうだと思うよ。
この問題が何故、複雑になるのかというと
決して、邪馬台国が九州か畿内かという二択選択ではないし、
また、邪馬台国と後の大和王権との関連性とか
他の様々な疑問が噴出することからおこる。

ただ、考古学的には、天皇家になった大和王権は
ほぼ近畿地方から誕生したことは確定だから、
問題は、神武東征だけが問題なのだが、宮崎県で3世紀の前方後円墳が
発見されたかもしれんので、その場合
2世紀後半に、九州南部から畿内へ同盟を締結するために
婿養子に入ったとなれば説明がつくんだよ。

361 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 00:06:00
最近では弥生時代と弥生土器は
北九州市文化圏にある遠賀式が始まりと考えられてる。
福岡文化圏にある春日市須玖土器は縄文時代同様の装飾が見られ
沖縄に広がり反対に沖縄の貝が須玖遺跡で見られるのに対して
遠賀、北九州市、大分ではみられない。
弥生時代から完全な棲み分けがあったようだ、
実はすでに縄文時代から北九州市大分と
福岡熊本には棲み分けがあり土器の形状がすでに違う。
物部の勢力圏も北九州市(企救)、遠賀川流域に広がる。
そして今でも北九州市、大分は本州と血縁を持つものが
多いのに対し、福岡熊本(筑肥)では本州人と血縁を持つものは
少ないとされる。


362 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 00:06:37
相変らず恵也ってどうしようもないアホだね。

363 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 00:06:53
>>360
>九州南部から畿内へ同盟を締結するために
>婿養子に入ったとなれば説明がつくんだよ

でも、そこから初代天皇が始まるのはなんでって問題が起こりませんか?

364 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/12/07(木) 00:07:30
>>348

死んだのは卑弥呼一人か?

後は陳壽に聞いてけれ
俺には書いてあることしか判らない。
なるべく主観を入れたくないので

365 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 00:08:36
>>359
日本書紀の編纂者も邪馬台国の卑弥呼の存在が分からなかったので
天照という女神に投影させたんじゃ?
ただし、日本書紀は古事記と違って
神武から天孫降臨の間を天文学的な年数の期間にして
事実上、神話世界として切り捨てている。
よって、その話は最後まで信じられなかったんだろう?

366 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 00:09:11
>>363
そこは記紀の神話の部分や出雲神話と整合性を考えないと

367 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/07(木) 00:09:33
>>256
>魏または帯方郡の使者は、里数を知っていたから、里数で表現した。

里数を知っていても、陸上ならともかく海上じゃ測れません。
風にも流されるし、海流にも流されるし、船のスピードは風任せだろうし
スピード計が付いてるわけじゃないし、判りはしない。

368 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 00:12:33
>>365
でも卑弥呼は人間だから女神に投影するのは、無理があるんじゃないっすか?
特に日本書紀が対外的なものならなおさらだと思う。
日本書紀は結局、「卑弥呼はどっかのローカルクイーンでっしゃろ」
と言ってるとしか思えませんが。

369 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 00:14:05
>>363
それは、畿内王権の王統の最初の人物が
神武天皇だからこそ、最初の天皇なんでしょう?
万世一系(男系一系)というぐらいだから。
それよりも前の畿内王権の国王は、神武天皇の妃の父親なんだから。
そこで、畿内王権は、王朝交代が起こったと思われ。
実際、皇室の宮中祭祀でも、神武天皇の妃の父親の鎮魂際って
やっているでしょう?
神武天皇が、それまでの畿内王権の王統は剥奪した形になったから。

370 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 00:14:57
天照大神と須佐之男命。
天の安河の誓約で、生まれた宗像の三女神は、須佐之男命のものだと
いうことになった。これは宗像が須佐之男命の領土ということを意味して
いるのでないだろうか。宗像の三女神は、宇佐にも降臨している。

高天原勢力と出雲勢力。そんな構図を思い浮かべるのか妄想かな?

371 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 00:15:48
倭人伝含め不確定部分が多すぎるね。
希望的観測は排除しどこまでが真実でどこまでが嘘か見極めないと。


372 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 00:15:59
>>369
じゃあ、神武は婿ではないということになりません?

373 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 00:16:43
>>368
中国の学者の意見だと
とにっかう、日本書紀というのは、超国家的事業で
大量の人間が動員されて、長時間かけて編纂されたもので、
わりと分からない事情については、断定せずに、
推量やこういう説があるが分からんと正直に書いているらしい。

374 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 00:17:23
>実際、皇室の宮中祭祀でも、神武天皇の妃の父親の鎮魂際って
>やっているでしょう?

五十鈴ですね、物部ですか

375 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 00:19:12
>>372
神武は一応、前の畿内の国王の王女を妃にしている。
よって、入り婿なんだけど、
当然、畿内政権では反対があったんだと思われ。
だからこそ、神武の兄貴とか死んだんでしょう?

376 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 00:19:29
なんで『記紀』に神武が登場するんだよ?

377 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 00:20:53
>>374
物部氏が前の畿内王権の王統だったという説はよく聞くね。



378 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 00:21:15
>>373
どっちかというと
>断定せずに、推量やこういう説があるが分からんと正直に書いている
印象は受けないんですが、むしろ確信犯的な印象が……

379 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 00:24:22
物部は五十鈴と系統は同じでしょ、
出雲の尼子亀井は物部系
出雲の支配者の流れを組むのが物部。
九州では遠賀川、企救(北九州市)、宗像、大分杵築に
痕跡残してるし、この地域は物部熊野の信仰も厚い。

380 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 00:26:08
に対して、西九州一帯の筑肥圏内は
玉垂宮、宝満神社など本州には一切無い!
神様を祀ってる。
どうみても民族的に違ってるでしょ。

381 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 00:27:25
>>379
中世の尼子は宇多源氏。
尼子という苗字は、近江国の尼子から来ている。

382 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 00:30:15
古い家系は藤原→源氏(天皇家)と姻族関係もってるケースが殆どで
物部もほぼ藤原であり源氏(天皇家)


383 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 00:33:03
五十鈴って、大和三輪三山の出身だけど、
彼女の住んでいた屋敷って出雲屋敷というらしいけど、
彼女は出雲の人とも関係があったの?

ちなみに、古代の遺跡から考古学上は
大和王権は三輪周辺から起こっているのはたしか。



384 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 00:33:37
>>379
物部氏は、饒速日命を祖先とするから、出雲系ではなく、
高天原系でしょう。

385 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 00:36:33
>>355  逆の証拠になる部分もあるよ。
牛馬なしとあるけど、実は野生馬はいた。飼っていなかっただけ。
活動範囲が狭かったから、誤解したという例。

あと、国ごとの風習、しきたり、地勢の違いへの言及が全くない。
これも、活動範囲が狭かった証拠になる。

戸数の記事は邪馬台国の租税単位を聞いたまま書いたとも考えられる。
30か国は聞いたまま羅列したという感じの記載である。
暖かい季節だけ滞在して、沖縄あたりの気候、風俗と誤解しているし。

ある程度(20〜50人位)の人数で機動性に乏しい集団が想定できる。

386 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 00:39:40
福岡熊本の筑肥人が隣にある豊前豊後人の言葉、埋葬、宗教され
感化できないのに畿内まで勢力広げられるハズがない。
現代に生きる筑肥人みてもそうだが、ローカル思考で娯楽好きで
底辺労働者ばかりでとてもじゃないが全国支配ができる器じゃない。
連中(筑肥人)が畿内を征服できるハズはまずなかろうというのが
漏れの率直は感想。
テレビみると言えば娯楽番組ばかりやるのはパチンコ、女
怠惰でその日暮らしの底辺労働者ばかり、とても全国支配をできる
器じゃない。頭も固く、押しつけがましく、最後は喧嘩にしかならない。
そういう連中が多いのが筑肥地域。

387 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/07(木) 00:40:19
>>272
>自分は、狗奴国は、日向の熊襲だと思うけどね

狗奴国は、鹿児島の熊襲。
鹿児島県霧島市には熊襲の穴も存在します。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
ヤマト王権への臣従後は、「隼人」として仕えたと言うのが現在の通説である
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%86%8A%E8%A5%B2

388 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 00:46:34
>>387
古代は、日向国(宮崎・鹿児島)。

それが後に、日向+薩摩+大隈 に分国した。

389 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/07(木) 00:46:53
>>280
>畿内は、呉と親交。

むしろ魏の禅譲国、晋が呉を占領(西暦280年)後に畿内は中国と国交を持ったというべき。
それかその時の戦禍を逃れて、呉の難民として鏡職人が日本に移住したともいえる。

390 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 00:47:05
>>364
卑弥呼以て死す 大いに塚を作る 
径百余歩 徇葬する者奴婢百余人

これを読んで、卑弥呼以外の人間が死んで、その死んだ人たちの
墓を造ったとは普通読めないよな。


>俺には書いてあることしか判らない。
>なるべく主観を入れたくないので

いやいや。無茶苦茶特殊な読み方してるよ、あなたは。

391 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 00:47:18
>>342 安本のその部分は基本的に正しいと思う。
けど、誤差±30年というのは、前スレにも書いたので省略。

その1代10年は、卑弥呼にも当てはめないと不合理だよね。王は10年だけど、
卑弥呼は30年以上というのは整合しない。
魏に使者を送ったのが239年、死亡したのが247年頃。ちょうど10年位。
その後、次世代卑弥呼(トヨ)が共立されている。

中国の史書によると、女王は180年頃からいたことになっている。
そうすると、魏志の卑弥呼は6,7代目になる。
平原王墓は、3〜5代目あたりか。巨大鏡は太陽神信仰の象徴。

392 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 00:49:08
神武天皇の前の話では
鹿児島県の話が出てくる。
古代初期は、薩摩・大隈というのは無くて
宮崎・鹿児島全部で日向だった。

393 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 00:50:38
安本の話はよして
四国がインドネシア文化圏だと言い張った奴だろ・・・

394 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 00:50:52
日本書紀を読んで古事記神話を笑う
http://www3.point.ne.jp/~ama/index.html



395 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 00:51:35
クレージーはデンパボン乱発してるエセ学者を出すんじゃない!

396 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 00:51:59
>>387
熊襲は都城だろう。古代人にとって最も住みやすい場所は、都城盆地。
ここには大きな勢力の育つ素地がある。
隼人の本拠地も都城盆地といわれている。
島津家も、鎌倉時代だったか室町時代だったかに、南九州を治めるように
なったとき、最初は都城が本拠地だった。


397 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 00:54:03
>396
島津が鎌倉か室町かハッキリしないカスが出しゃばるんじゃないって・・

398 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 00:55:28
日本書紀を読んで古事記神話を笑う
http://www3.point.ne.jp/~ama/index.html

これ読んだら、日本には神話論はあっても、神話学はないらしい。
というのは、第二次世界大戦の影響で、神話を学習しなくなったから。
皇国史観で政治家が悪用したのは、古事記のほうで、
日本書紀は内容が難しすぎて、政治家も悪用しようにも
お手上げだったとか...
よって、皇国史観の原因は、古事記と本居宣長。

399 :きのうのジョー:2006/12/07(木) 00:55:46
日本書紀が魏志倭人伝を引用しておきながら邪馬台国にまったく言及してないのは
確かにポイントだね。

400 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 00:56:52
>>397
腹の立つやつだな。ではきちんと書いてやる。

島津氏は、秦の始皇帝の末裔と称する渡来人の秦氏の子孫の惟宗氏の流れを
汲み、惟宗基言の子の惟宗広言が主筋である藤原摂関家筆頭の近衛家の
日向国島津庄(現宮崎県都城市)の荘官(下司)として九州に下り、
その子の惟宗忠久が、源頼朝から同地の地頭に任じられ島津を称したのが
はじまりとされ、都城市が島津家発祥の地と言われている。



401 :きのうのジョー:2006/12/07(木) 00:58:05
確かに関西人にとっては魏より呉のほうがなじみがあるな。漢字一文字的に。


402 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 00:59:46
畿内説スレがあるからもちょっとユックリ進むと思ったんだが
意外に早いなぁ・・・ついていけんかも。

>>115
同意、同意。なんせすでに千年以上も余裕で歴史があるんだし宇佐なんかどうでもいいでしょ。
それでも古くから地元に家系がある人間は自然にどこの神社や寺が
本物の歴史で、どこが観光客ばかり惹きつけられるハリボテ的歴史か自然に区別ついてるよね。

ところで、>>127のいうように京都や奈良で伊勢に意識向いてないだろ。
なんか、どっか違うんだな。別に遠くもないのにね。あそこは東海用という感じがする。


403 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 01:02:14
九州は中世から一貫して
島津(秦氏=朝鮮人)、大蔵党(畿内の中国人)と
一貫して畿内人や朝鮮出身の本州人に支配されてるのに
九州人が畿内を支配したと本気に考えてるの?

404 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/07(木) 01:02:43
>>314
>召使1000人とかの描写が信じられないので

今の日本の天皇家を世話する宮内庁でも1000人くらい職員はいるよ。
男性がほとんどだがね。

卑弥呼の場合、政治的権力があり、神意まで聞いてたようだからその位は自然だろう。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
終戦当時は約6200人の職員がいた。戦後縮小されて「宮内府」、49年に「宮内庁」
となった。現在の職員数は約1080人。
http://www.mainichi.co.jp/hanbai/nie/news_manabu27.html

405 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 01:02:50
>>393 >四国がインドネシア文化圏
それは初耳。というか、そんなこと言ってない。

安本の良い点は、戦後の反皇国史観のなかで、平安時代から戦前まで続いてきた
記紀の研究が途絶えたのを復活させようとしている点。
数理文献学とかの新しい方法で古くからの研究を肉付けしている。

安本の著書を読んでいると、戦後の反皇国史観による「空白の60年」の大きさを
本当に実感する。引用文献がそこで激減する。
マルクス主義史観に脳を汚染されて研究者としての人生を浪費した学者達には
哀れみを感じるけど、そろそろそこから脱却してもいい頃だと思う。


406 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 01:05:44
>>403
皇室の歴史書といわれる記紀にそう書いてあるからそうなんだろう。
7世紀から8世紀にかけて書かれた本に、自分たちの祖先は日向から
やってきたと書いたのは、天皇家なのだから。

407 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 01:05:47
数理ってもんは確かなデータがあって成立するものです。
そうじゃないなら単なる辻褄合わせ。
都合良くなんだってできちゃう。

408 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 01:07:37
>>396
自分もそう思う、なんか確信的にそう思うね。都城は熊襲だよ。
つーか・・・・九州の人間ならわかるだろ、普通・・・・

鹿児島は北九州とは別に中国ルートがあるだろ。独自でしかも滅茶強いよ。
パワーバランス的にも戦略的にも、この熊襲に向かって前線に女王国は
ないよ。海から陸からとっくにやられてる。

409 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 01:09:32
伊勢と出雲は建築が南方系なんだよね。
マレー、雲南方面の建築にそっくり。
職工技術屋集団と政治司祭集団とが同族とは限らないんだけど、
邪馬台国はなんか南方系っぽいからこれらとつながらないかね。

410 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 01:09:44
>>408
九州人で北九州なんて言う人いないんだけどw

411 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 01:10:54
>>406
日向ではなく、より正確な皇室の故郷は高天原だ。

412 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/07(木) 01:12:36
>>326
>卑弥呼の死後、邪馬台国は九州へ移転した思うのか?

死後に宮崎から宇佐に政治権力、祭りごとの中心が移動したと見てる。
その後、九州王朝として続いたが第15代応神天皇の頃に大和朝廷に全面降伏したようだ。

日本書紀の年代は全く信用できない。
無理やり天皇の寿命を伸ばした架空の年代。

2倍暦も入ってるかもしれないけどそれ以前の問題だよ。

邪馬台国では2倍暦を使ってた可能性はある。
倭人伝に異常に「長生き」だとの記述があるからね。

413 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 01:14:11
>>403
九州が畿内を支配? そういう見方でしか見れないわけ?

当時は皆意識が中国なんだよ。畿内からみりゃ魏や漢に近く最先端の鉄やら
鏡がそろってる九州が強いにきまってるだろ。大和は海がなく船造る技術もない。
状況みたら大和はまだ山の中のそれなりの国でしかないのは想像つくだろ。
大和朝廷より太宰府のほうが大きいんだよ。

日本が、中国と関係なく支配権をめぐれば、当然九州より畿内にパワーの中枢があつまるよ。
日本が徐々に統一されて北方が開発されるにつれ、鎌倉、東京と移っていく。
現在の首都が東京の平野にあるのは、偶然じゃないよ。歴史的にみろ。

414 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 01:14:47
神武自身は高天原人の血は1/4しか流れていない。
他は地元の海人、隼人の血筋だよ。
高天原人は日向薩摩には元々住んでいないと読める。

出雲神話に
高天原の総司令官種馬タカムスビノカミが降臨してるがな。

415 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 01:14:56
>>410
普通に居ますが?

416 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 01:15:44
>>411
いや、皇室の正確な故郷は日向。
日本書紀の編纂は、天孫降臨は嘘、
あるいは信じられないと思っていたらしい。
ただし、高天原神話を日向神話、出雲神話の上に持ってきたには
大きな意味があるらしい。

日本書紀を読んで古事記神話を笑う
http://www3.point.ne.jp/~ama/index.html

417 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 01:16:37
>>413
そう。中国に近いほうが軍事的にも先進国に決まってる。
だから百済が日本の属国だなんてありえない。

418 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 01:17:08
>>413
本州は中国の産物は殆ど入ってないが高句麗系のものは
沢山入ってるにょ。
高句麗を通じ中国の技術は入ってるにょ。

419 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 01:17:25
つーか、北九州市のことさすけどね。
自分は九州の南じゃないんで、南の視点でみて北九州って言ってみた。
が、自分の苗字は鹿児島の地名だから祖先は恐らく・・・熊襲?

420 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 01:19:04
関西人はなんとなく半島系でなく広東系のような気がするんだな。

421 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 01:19:07
>>418
本州はさ、日本海側から朝鮮半島の文化が入ってくるルートがありそうだね。
当然ありそうだ。

422 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 01:19:09
>>415
ありえない、北九州というと何を指してるかわからないからね。
それか君が凄い世間知らずのバカかどっちかだ

423 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/07(木) 01:20:00
>>343
>そういう数式は全てデータ整ってからつくるもんだよ。バカだな、本当にバカだ。。

人を馬鹿にするのは俺の得意手だが、それじゃあなたは自分で
「全てデータ整ってからつくった」事があるのかい?

そんな人間には思えないけど、脳内妄想が得意なだけの人間かな。
俺はこれでも実用新案は自分で取ったぞ。
特許の方は申請して撥ねられた経験がある。

424 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 01:20:32
>>416
いいや、いいや、高天原は神話に見せかけてるだけに、本当の元凶、いや原郷と考える。

425 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 01:21:41
>>422 あ、世間知らずはあるかもな・・・。バカではないよ。
  ところで自分は北部九州人だが?

426 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/07(木) 01:22:12
>>351
>神武天皇は2席後半から3世紀にかけての人物と思えばよい。

その根拠は記紀かい?
それじゃ、落第だよアンタ!

427 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 01:22:42
>>423
前提が間違ってるものに
数式なんて使ってもなんの意味ももたない。

428 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 01:23:53
>>426
俺は神武さんは天武さんだと思ってますが、何か?

429 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 01:24:09
>>421
ルートはありえない。
対馬、壱岐の島伝いでも命がけなのに、直接のコースは自殺ルート。
あるとすれば、漂着だと思う。

430 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 01:24:54
ところで秦氏のスレみたかい?
吉備は九州に影響を与えたみたいだね。
少し間違えたらトンデモ論にいくかもしれんが興味深い。
大体、九州の北西部に秦って苗字は凄く多いぞ。


431 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 01:24:55
>>404  その考えを推し進めると、こうなる。1つの考えとして。

1、卑弥呼は巫女(神官)であり、女王であり、王族の一員でもある。
2、そこには他の王族も相当数居たから、1000人の召使が必要だった。
3、王族のいる「都」に、卑弥呼や他の王族の居所が存在した。

と考えていくと、首都的機能のある伊都国の近くに王族が居住し、卑弥呼もその
すぐ近くに居所(神殿?)を構えていたとするのが、自然ということになる。
現に、伊都国には平原遺跡がある。

しかし、魏からの使者に、すぐ近くにある卑弥呼の居所を教えず、会わせなかった。
つまり、その時点で卑弥呼が死んでいたという推測も成り立つ。
次に行ったとき、「以って死す。」と言われたのは、実はこの時点で死んでいたからと
いうことになる。これだと墓ができていたのも当然と言える。

432 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 01:26:23
新羅あたりから漂流すると鳥取、島根につくんだにょ。
鎌倉時代もナンパした白装束の朝鮮人が鳥取に
何度か漂着してるにょ。

433 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 01:26:58
>>432
やめとけ。北朝鮮が言い訳に使うから。

434 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 01:32:36
邪馬台国に話戻そうぜ

435 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 01:33:36
戻してもいいけど、あんまりとんちんかんで
世間知らずなこと言わないでくれる。
じゃないと直ぐ脱線しちゃうからね。

436 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 01:37:38
>>426

>>428に同意。大体、中国からの移民で技術をすでにもっている
ものでもないかぎり、残念ながら当時倭人は原住民レベル。

2,3世紀だと思うね。ムラとかクニとかが統一されて後に天皇の
子孫といわれるほどのパワフルな人間がでて口伝なんかに残されるのは。
上記と同じ理由で、日本の半分を支配していた3世紀の畿内説に反対。

437 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 01:43:22
漏れは倭人伝並に崇神と四道将軍の存在は信憑性あるとみてる。
崇神と倭人伝は時代がかぶってるからここのとこはなんとかしたい。

438 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/07(木) 01:47:21
>>352
>考古学に携わる者に、あそこまで品性下劣な人間がいるとは思わなかったのだろう。

世界の考古学界ではよくあること。
だから現場保存が世界では非常に厳格だと聞く。

日本の大学教授らが、世知辛い世間という外の世界を知らなかっただけの話。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
化石に含有されるフッ素に基づく年代測定によると、その骨が1500年以内のもので、
人類の祖先の化石とはいいがたいといった結果が明らかになった。

次いで、1953年にオックスフォード大学による、より詳細な年代測定や調査によって、
人骨にオランウータンの加工された下顎が組み合わされたものと判明した。

類人猿の下顎骨は人骨とは接合できないが、偽造者はその接合部分を巧妙に除去した上、
さらに薬品と思われるもので骨を着色していた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%80%E3%82%A6%E3%83%B3%E4%BA%BA

439 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/07(木) 01:50:39
>>354
>邪馬台国は宮崎ではなくて、九州北部だと思うよ。

九州北部では、魏志倭人伝の方向や距離、上海の東という邪馬台国の表現が全部おかしくなってしまう。

440 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/07(木) 02:02:24
>>385
>牛馬なしとあるけど、実は野生馬はいた。

断定だけして、根拠を出さないのが詐欺師の特徴。
アンタ詐欺しかい?

弥生末期に、馬の骨というものが出たという話もあったがどうも怪しい。
鹿の骨を間違えたという話もある。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
馬を巡る論議は昔からさまざまな憶測をうんできた。だが最近の科学
的な調査(フッ素分析法)によると、どうも馬ではない可能性が高いようである。

続く弥生時代の馬に関しても否定的な結果が得られている。となると魏志倭人
伝は正しかったかもしれないのだ。
http://inoues.net/study/kofunuma.html


441 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/07(木) 02:11:04
>>385
>あと、国ごとの風習、しきたり、地勢の違いへの言及が全くない。

そこまで書くのは、倭人伝の目的からしておかしい。
俺にはこれだけ詳しく、不弥国まで書いたのさえ公文書としては、サービスのやり
過ぎみたいな感じを受ける。

魏の使節団の日記にはあなたの言うような記事は載ってたと思うが、魏の時代の
未開の東の国への話なら、邪馬台国本国だけの記事でもいいはず。

それが延々と途中の国の指導者の名前と、副指導者の名前、そして同じような記事
を連ねては公文書としては落第だよ。

442 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/07(木) 02:22:10
>>385
>30か国は聞いたまま羅列したという感じの記載である。

これは当然のこと。
邪馬台国以降は聞き書きなのは明らか。

邪馬台国本国への使節団なのだからね、
北に国が延々と並べられ、南には狗奴国、東1000里は同じ倭人の国
南4000里には小人などは完全に又聞き。

人数は200人以上でしょう。
邪馬台国への贈り物の反物だけでも、1トン以上はある。
布の1反で5kgくらいはあり、1匹=2反

ーーーーー(引用開始)−−−−−
茜色のつむぎを五十匹、紺青の織物を五十匹などを与えて、汝がもたら
した貢ぎ物に報いるとしよう。
http://www.webtelevi.com/yamataigisi.htm

443 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/07(木) 02:50:03
>>391
>魏志の卑弥呼は6,7代目になる。

俺もそれには賛成してる。
あまりに卑弥呼の在位期間が長すぎる。

444 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/07(木) 03:03:18
>>429
>対馬、壱岐の島伝いでも命がけなのに、直接のコースは自殺ルート。

いや有り得る。
青森の縄文遺跡三内丸山遺跡から出土した、黒曜石は北海道から長野県産の物まで
集まってる。
縄文時代でさえ、陸だけのルートとは思えない。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
黒曜石は、産地分析の結果、北海道から長野県までの広い地域のものが含まれている
ことがわかりました。
http://sannaimaruyama.pref.aomori.jp/pace/old_event/h14/jouhouten-kokuyouseki_h14.html

445 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 03:12:56
>>440  リンク先は参考になったが、君の話し方は相変わらずだね。
ネットばかりせず、仕事に行って話し方から勉強した方がいい。
「1を見て確信」で自分の意見に固執し続けると発展性がなくなる。
私は、リンク先を見て「牛馬なし」が正しい「可能性」を認めるという考えに変わったけど、
君は下のリンク先を見て考えが変わるかな?

リンク先の上の方の記述は、騎馬民族説的な考えから、在来馬の否定を述べている。
下の方は在来馬は認めるが、小型種との強調で乗馬用を輸入したとの意見。
しかし、輸入した馬が在来種より大きいとは書かず、江戸末期まで小型馬が主流とある。

普通に読めば、この記事だけを信用できないことは、理解できるはず。
だいたいそのリンク先も魏志は「正しかったかもしれない。」という控えめな表現。

>全国の繩文時代の貝塚(銚子市余山貝塚など)から馬や牛の骨が出土している事から
間違いではあるが、繩文時代や弥生時代にはその数は少なかったのかもしれない。
http://www.haniwakan.com/kenkyu/kanpou/006.html

>壱岐原の辻遺跡、五島大浜貝塚・・・で牛骨が発見されており・・・
http://www2.odn.ne.jp/yumat/oisi_zai_beef.html

446 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 03:23:03
>>442  貢物の重さから人数を推定するというのは方法として正しい。
これは納得。

ただ、奴隷が一人50キロの荷物を運んだと考えたり、船中心の移動を想定したり、
現地の労務者を使役した可能性とかを考えると、少し違うかもしれない。


447 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 03:42:26
>>443
昭和天皇在位64年中に首相は何十人もいるだろ。
卑弥呼は今の天皇やエリザベス女王のような存在。
大王は首相のような存在

448 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 04:56:57
>>443
それはどうかな。そもそも卑弥呼には夫がいないと書かれて、いないというより女王は結婚しないと考える。さらに台与は13歳で後を継いでいる。貴方の言うように二倍暦を採用するなら6,7歳となる。

このあたりから女王は結婚する前の年齢を選び、死ぬまでその在についてたんじゃないかな?これなら在位がかなり長くてもおかしくない。

449 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/12/07(木) 07:18:15
>>390

読める読めないは読み手の器量次第、『歴韓国』をもって『陸行』する輩もいるくらいだから
事実は
『大作冢』と、書かれていて(大いに墓を作る)と、和訳することには変わりない。
『作大冢』(大きな墓を作るでないことは確かな事実だ。

後は読み手がそこに主観を加えるか、加えないかの差
そこまでしらんよ


古代史に様々な主観を入れるから何時まで経っても【便所の落書き】なのさ

450 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 07:22:53
倭人伝で年をいうのにも2倍暦なのかい?
しかも倭人伝では後半だから前半とは資料が違うだろ。

ところで、>>445禿同。恵也 ◆o4NEPA8feA はさ、自分の意見を正当化するために
妄想と理論的に考えての一論、という区別がついてないね。
どうやってそんなに連続投稿できるの?

反論するのは別にいいけど、まとめて書きなよ。一人で何十もあるいは数百か?
一日中書きつづけてさぁ本当に迷惑だよ。

451 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 07:38:37
邪馬台国問題の正しい手順は、まずいろんな資料を分析して、その中から
邪馬台国の所在地を推考していく。
しかし、往々にして結果が先にあるという人が多い。
結果が先にあると、都合の良い資料ばかりを集めがちになるし、
都合の悪い資料を排除しようとする傾向がある。
その典型が畿内説。

452 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 08:29:16
>>449
いやだから、「主観」を加えてるの、君だって。
普通の読み方をすれば、卑弥呼の墓を「大いに」作ったとしか読めないよ。

その他大勢の墓を多数作ったと「主観的に」読むのなら、それなりの根拠を示しなさい。

453 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 08:41:00
>>385 >>440

自分は馬が居ない、という記述がとてもに気になっていたんだな・・・。
野生馬というのが元々九州島にいたとは思えないんだが(だって小さな島だぜ?)
熊本に馬を軍事用・交通用に調教したり、繁殖させて食用にしたり油をとったり、などなど
馬の扱いに非常〜に卓越した中国人の集団が移住してきて、阿蘇辺りに
馬と一緒に住み着いたという話は九州なら誰でも聞いたことがあるはず。

入植と同時に馬を連れてきたんだと思う。が、いつか知らん。
紀元前や邪馬台国時代だってありえるかもしれん。が、後なら倭人伝のころには居なかっただろ。
ひょっとしたら居たけど野生馬がいるような山の麓の平野部分が少ないので
魏の遣いが見なかっただけだと思う。

454 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 08:41:36
>>451
いやむしろ、結果が最初にありきは、宇佐とか西都原だろ。
そもそもの根拠が、宇佐神宮と神武東征伝承だけなんだから。

都合の悪い考古学を排除しようとする。典型は、画文帯を後世の贋作とする。
しかしその贋作の根拠も実は曖昧、というか殆んど無い。
自説に都合が悪い年号があるから、というだけのこと。

要は、九州東遷の根拠に画文帯贋作を言い、画文帯贋作の根拠は九州東遷と言うわけだ。
中国の鏡の専門家も、画文帯を中国鏡と認めており、何をか言わんや、だな。

455 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/07(木) 08:59:17
魏志倭人伝には、邪馬台国から海を渡った東南方向には「裸で歯の黒い人間の国」
があるという噂を書いてるけど、たしかにフィジーなら裸の国で日本人にも似た方がいる。

今クーデターを起こして、大騒ぎしてる3500人の軍隊の司令官の顔には見覚えがある。
この方は多数派の原住民系で、インド系の人を差別したがってる方のようだ。
日本でも起こりかねんけど・・・・・

ーーーーー(引用開始)−−−−−
前首相に法案の撤回と首相退陣を求めていた。しかし首相は要求を拒否したため、
軍は5日、首相の自宅を包囲し自宅軟禁にしたうえで、全権の掌握を発表した。
http://www.asahi.com/international/update/1205/014.html

456 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 09:02:07
>>454も結果ありきの論理と、都合の悪い部分排除・よい資料だけを根拠に
自説の展開・・をまさに今、ご自身で展開中のようですが。

他説者に対する煽りはやめましょう。「死ね」とか「糞豚」とか
幼稚なやり取りが前スレまで当たり前でしたね。

なので最初に言った>>451が悪い。
せっかく邪馬台国畿内説スレと棲み分けでき、平和になったんだから少しは考えよう。

457 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 09:04:51
資料というか・・(略

458 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 09:04:55
日本全国の弥生末〜古墳前期の遺跡から、さまざまな遺構と遺物が発掘され、膨大な数の報告書が出されている。
こうしたものも、>>451氏の言う「いろんな資料」の中に含められるべきものだろう。

>>451氏にお訊ねしたい。あなたは、「いろんな資料」の何パーセントほどに実際、目を通されたか。

459 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 09:12:28
畿内説関連スレはすべて閑古鳥です。>>458はさみしくて
>>451に仕掛けているんだろ。畿内説をおびき寄せてしまった>>451 重罪。

しかし、ここで売り言葉・買い言葉に喧嘩にもっていくより
畿内説スレで自説を展開して畿内説同士で語りあってはいかがかな?そのほうが
発展性があると思うね。ここでは双方都合の良い引用をもってくるだけ。

「考古学による畿内説」あっちにもっていって!

460 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 09:17:21


ここで畿内説を悪くいわないでください。根拠があって言いたいときは、

「邪馬台国畿内説を議論スレ10」にいって、実りのある議論にもっていきましょう。

http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1165300615/l50



461 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 09:22:19
考古学は大切だよ。
考古学に教えられたからこそ、ぼくたちは、「旧石器時代」「縄文時代」「弥生時代」「古墳時代」と時代区分できるようになったんじゃないかな。

462 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/07(木) 09:55:10
>>445
>君は下のリンク先を見て考えが変わるかな?

長崎の五島列島の縄文時代の牛の骨は事実のようだ。
壱岐の方は、どうもHPで検索したがよく判らん。

壱岐には倭人伝の使節団も立ち寄った場所だし、いたら見てると思うけど・・・
今のところの結論は、西暦250年頃の日本には牛馬は非常に少なかったらしいという事かな。

463 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/07(木) 10:04:06
>>448
>貴方の言うように二倍暦を採用するなら6,7歳となる。

台与が相続したときは、魏の軍事顧問張政の時期で、最初の使節団の時期じゃない。
だからこれは2倍暦を適用してない可能性がある。

それにいくらなんでも7歳くらいの子供の霊感じゃ、激動の時期の諸国の国王が納得はしないよ。

464 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/12/07(木) 10:11:26
>>452


今、仕事中だから詳しい説明している時間がない。
夜にでも時間が出来たらカキコしておくから

(^-^)/


解明の手掛かりは『徑』の文字にある

465 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/07(木) 10:11:32
>>454
>そもそもの根拠が、宇佐神宮と神武東征伝承だけなんだから。

間違い!
宮崎を邪馬台国とするのは、魏志倭人伝を距離、方向を忠実に守っての事。
上海(会稽)とも緯度的にはダイタイ同じ。

韓国80km南→対馬80km南→壱岐(一大国)80?km→唐津(末盧國)40km東南
→小城町(伊都国)8km東南→佐賀市(奴国)8km東→千代田町(不弥国)80km南→
三角港(投馬国)40km南→芦北に上陸100km→宮崎市・・「ここが邪馬台国」

ーーーーー(引用開始)−−−−−
この国はどのあたりにあるかというと、まさに、会稽の東治の東にあたる。
http://www.webtelevi.com/yamataigisi.htm


466 :日本@名無史さん :2006/12/07(木) 10:25:50
>>465
船で唐津に上陸して、陸上を重たい荷物を持って、伊都国、奴国、
不弥国に行く理由は何故?
邪馬台国が目的地で邪馬台国に荷物を献上するのであれば、直接
葦北に上陸するか、鹿児島の南を通って、直接宮崎でも良いと
思うがいかがでしょうか?
また、唐津まで行ったのなら、関門海峡を通って、宮崎に南下した
したほうが良い。
距離に忠実なのはよくわかりますが、冷静に考えれば、何故?の
方が先にきます。

467 :太国:2006/12/07(木) 10:56:44
>>412
>日本書紀の年代は全く信用できない。
>無理やり天皇の寿命を伸ばした架空の年代。
>2倍暦も入っているかも知れないけれどそれ以前の問題だよ。

まことにこの文句を聴いていると矛盾している個所がある。2倍暦の可能性を
肯定してるんだから、無理やり引き伸ばしたんではない可能性を自認したこと
になる。従って自語相違的であり、可能性においてその矛盾を露呈している。

つまり、この者の言う言葉こそ全く信用できないデマなのである。


468 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 11:00:09
中国人は東方に不老長寿のユートピアがあると思っていた。

469 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/07(木) 11:04:43
>>466
>邪馬台国が目的地で邪馬台国に荷物を献上するのであれば、直接
>葦北に上陸するか、鹿児島の南を通って、直接宮崎でも良いと
>思うがいかがでしょうか?

邪馬台国の制海権が存在せず、貿易航路として完成してなかったから。
それと正確な地図も存在してなかったせいもある。

五島列島付近や、鹿児島沿岸、山口県や四国は邪馬台国連合国に入ってなかったんだろう。
あくまでも使節団を案内したのは、貿易ルートとして完成してた安全な道で、しかも
邪馬台国から魏に朝貢したルートを、逆行したのじゃないかね。

邪馬台国連合国同士は頻繁に物資の移動もあったけど、それ以外にはあまり危険なため
移動がなかったんだよ。
南の狗奴国とは、以前から仲が悪いと倭人伝には明記されてます。

470 :太国:2006/12/07(木) 11:06:24
>>341
明らかではい。明らかというのは、証明などしなくとも気違い等とかは除いて
一般人、通常人がストレートで認容するくらい確かなことを意味する。

たとえば 平成天皇は平城天皇ではない。←これに証明はいらない。

ある一点を除いてとはどういうことだか分からないから、なおさら明らかで
はない。

だから君の言う明らかというのは全く認められない。

471 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/07(木) 11:25:31
>>467
>2倍暦の可能性を肯定してるんだから、無理やり引き伸ばしたんではない可能性を自認したこと

間違い!
記紀には2倍暦でも追いつかない程度の、異常なムチャクチャな寿命の引き延ばしが見られる。
それなら、全く信用しないのが大人の対応。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
百歳以上生きた天皇も、右表に挙げたようにゾロゾロいる。
http://www.geocities.jp/rekishi_chips/sihei2.htm

472 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 11:30:40
>>471
>記紀には2倍暦でも追いつかない程度の、異常なムチャクチャな寿命の引き延ばしが見られる。

例を挙げよ。

473 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/12/07(木) 11:38:35
>>466

>陸上を重たい荷物を持って伊都国、奴国、不彌国に行く理由は何故


末盧(マツロア→マツラ)(着く可きところ)と、書かれてあるので
それを無視する訳にはいかんだろう。

474 :太国:2006/12/07(木) 11:41:37
>>471
だから3倍暦を使っていたのだ。「邪馬台国畿内説」のほうのスレに書きこみ
のとおりだ。無理やり天皇の在位を10年などと押し詰めているのがお前の
あさはかな計算論ではないか?ww
これから昼飯を食い行くから、たっぷり書きこんでおけ。

475 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/12/07(木) 11:43:50
>>341

>日本書紀の中に、卑弥呼も邪馬台国もない以上…


無いのは当たり前
卑弥呼も邪馬台国も、外国語 日本語をベースに書かれた和漢籍にその名称を見付ける行為は
物凄い矛盾行為。

その事を指摘出来ない今の現状も『変』

476 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 11:51:43
>>475
>卑弥呼も邪馬台国も、外国語 日本語をベースに書かれた和漢籍にその名称を見付ける行為は
物凄い矛盾行為

全然説明になってないと思うが

477 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 11:56:08
>>475
「卑弥呼」も「邪馬台国」も中国人の聴いた音表記という意味でなら外国語だが
音は日本語(倭語と呼んだようがいいか?)だったはず、だったら日本書紀に
その音に近いものが存在していていいはず。
もう一度言うが、日本書紀は倭人伝を引用しているんだぜ。故意に無視しているとしか
思えない。

478 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/07(木) 11:56:26
>>474
>無理やり天皇の在位を10年などと押し詰めているの

間違い!
史料の確実な当時の天皇の平均在位期間が10年なら、そこからハシゴを書けるのが
科学的思考というもの。
アンタのは宗教的信念というべき思考。

479 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 11:58:11
>>474
三倍暦……なんか苦しい言い訳って気しかしないんだが。

480 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/07(木) 11:58:20
>>477
>日本書紀は倭人伝を引用しているんだぜ。

どこになんという文字で引用してるんだい?

481 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 11:58:50
>>480
あんた、日本書記読んだことないの?

482 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 12:03:12
自分が以前から、非常〜に気になっていた部分(畿内説にも朗報♪?)
倭人伝の「帯方郡から女王国まで一万2千里」「会稽東治」部分。

上記の2つは書き方の箇所と性格から倭国の見聞ではなく当時の技術を使って測定したものだと思う。
そして書かれたころの4世紀前後の中国の天文学・方眼の技術での方位・距離測定はピンポイント的には
技術的にかなり正確なものだとされる。ただし遠くなるにつれて歪みはさけられない。

以前にも書いたように当時は地球が丸いということを知らなかった落とし穴があるんだな。
それで急に気になってズレを単純に計算してみた。
つまり、ほぼ正確に算出したものだとして緯度と経度のズレを、それぞれ上海とソウルでだいたい計算。
上海からは経度135°線まで12〜4°弱のズレ。 ソウルからは列島中心まで緯度が約5°しかずれてない。

当時の技術で上海真東が正しいとして実際は九州中部・四国北部(広島とか岡山も?)・関西!(和歌山除く)・名古屋
距離は緯度約5°ズレなので、単純に約5%の600里増えます。で、約一万2千6百里(この里が何かは知らん)

はっきり言って、貴方たちには気休めぐらいでしょうが私には自信がありますので、いつか証明されると思いますね。
急に気が付いたのは・・・もしや八幡さま?(^−^)


483 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/12/07(木) 12:17:20
>>480


マジレスか?
それとも ウケ狙い?

484 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 12:18:12
>>481
正確には引用部分は奈良時代の注釈なんだが、
まあオリジナル日本書記を敷衍した注釈だし、編纂者自身が
まだ生きていてもおかしくない時代の注釈だから、
書記に引用されているというのとほぼ同じことだな。
つか注釈にすることによって演出したって感があるな。

485 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 12:26:44
>>466
別に不思議でもなんでもない
上陸それ自体が目的でもあるんだから
朝鮮通信使だって直接船で江戸には行ってないだろう?
理由は同じさ

486 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/12/07(木) 12:36:41
>>477


当時の時代背景と、『紀』の漢文記載を考えれば
自ずと答えが導かれると?


則天武后には笑われたくない。

487 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/12/07(木) 12:41:32
自身の親を鎌で殺してまで責任をとった 戦後処理
国史まで馬鹿にされてはたまったものじゃないよ。

488 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 12:41:55
>>477
そこ、そこなのです!!
「卑弥」とか「耶馬」など使うわけがなく、当然、「比売」とか「山」。
あるいは本名と地名。例えば「豊」・「宇佐」
ほら、見えてきましたけど?

(あくまで例えば、なので怒らないでください。
反論するくらいなら自説のキーワードも探してみては?)

489 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 12:43:51
「ひめこ」 が 日巫女 なら 天照 とか?

490 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 12:48:51
不毛の言い争いばっかw
社会の塵だから仕方ないかぁ、諦めるわwww

491 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 13:02:27
>>490
自分の痛いところにきたら、こういう捨てセリフww

492 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 13:07:25
このスレの初め>>84にある、宇佐神宮のある亀山の話ですが
大昔からの伝承で、地元では人工の山じゃないか、巨大な墓じゃないかと
ずっといわれてきたんです。

つまり航空写真によって更に確信されたわけで・・・間違いないと思います
しかも名前からして。(卑弥呼がト占につかったのは亀の甲羅でした)

恐らく、古代から知るべき人達・権力のある立場にある人達は知っていたのでは。


493 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 13:09:12
必死に煽ってくる人たちは、理由があって必死なんです

華麗にスルーしましょう

494 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 13:11:02
なんなんだろうね〜このスレの雰囲気は?
粘着っつうか、九官鳥のように同じことのくり返し。
目的は何なんだろうね? 正直キモイ。



495 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/07(木) 13:18:19
>>481
>あんた、日本書記読んだことないの?

日本書紀の気に入ったところは読んだ事はあるが、読破した事はない。
日本国憲法は2回読破したけどね。
大学での試験で、試験の前日読破して寝過ごし半年後にもう一回読破して
単位だけは取ったぜ。

496 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 13:18:28
まあ、魏志だけじゃ分からんよ。適当に書いているし。
魏志のこの部分はこういうことだった、と延々と理由つけてるレスのほうが
うざい。

497 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 13:19:55
>>495
共通点は頭の日本の二文字だけ。いったいどういう関係!?

498 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 13:21:24
「日本権力構造の謎」なら俺も2回読んだ。

499 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 13:24:55
>>494
俺もこのスレは間違った方向に進んでいるとも思うよ
しかも一方通行なんだよね、狭いあぜ道を汚れながら歩いている感じでさ

純粋に古代史に興味があって来ている人間だけじゃなく
別に何かしらの目的があって来ているヤシも結構いるんじゃないか?

500 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 13:27:02
「旧唐書」で、日本の使節が唐の役人に「我々は倭国ではない。
もともと小国だった日本国が倭国を併合する形になった。
だから、我々の名称を倭国から日本国に改めろ」とか言っているだろう。

これって、神武天皇〜崇神天皇までの間
天皇家の所領が、大和盆地周辺に限られていたということ。
日本書紀を見れば分かる。その狭い範囲の話しか出てこないから。
しかも、この間の天皇の妃は、出雲国関係の人だ。
つまり、倭国は出雲王家が主導し、天皇家は出雲王家の女性を妻に向かえ
政略結婚で親戚関係になることで、出雲に従属していた。

それが崇神天皇の代になって、河内(現在の大坂)に拠点を移し
出雲・吉備を制圧し(出雲から倭国指導者の座を剥奪・国譲りの話として後に神話化)、
関東も制圧し、四道将軍を配置し
筑紫も制圧しその直後、半島の任那に朝貢を強要している。
日本書紀では崇神天皇は初めての天皇らしい天皇だといっている。

つまり、神武天皇と崇神天皇は同一人物ではない。
神武天皇は天皇家の最初の確認できる男系の先祖で畿内王権の最初の国王だった。
それ以前の畿内王権の国王は、天皇家の男系の先祖ではない。
そして、崇神天皇の代になって、倭国指導者の出雲国を倒し、
更に、九州北部から関東まで勢力を拡大、任那にも朝貢を迫るようになった。
まさに、崇神天皇は始めての日本国皇帝らしい人物だ。

501 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 13:27:39
>>499
それはある程度しかたないと思う。歴史の真贋証明ってのは、
現実から遊離したお遊びじゃない側面持ってるから。

502 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/07(木) 13:29:32
>>482
>天文学・方眼の技術での方位・距離測定はピンポイント的には
>技術的にかなり正確なものだとされる。

どうも意味が分からん。
ピンポイントが正しくてなんで、そんなにズレルのだい?
なんか日本語になってない感じだけど・・・・

それにあなた自身でその計算をやったというなら、その原理を
書いてくれなければ屁みたいな文章だよ。

緯度を測るには北極星の角度で、簡単に出てくる。
赤道直下なら0度の位置だし、北極なら真上の90度だ。
天文学を研究してるにしては、あんたの文章は格好だけの上げ
底にしか思えない!

中国の天文学とやらを、ブラックボックスの中にしまいこんで
あんたは詐欺師の仲間かな???

503 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/07(木) 13:41:01
>>492
>つまり航空写真によって更に確信されたわけで・・・間違いないと思います

それをあなたは見たのかね。
デマを飛ばさないで>>162に返答をしてから、カキコしなさい!

504 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 13:53:07
>>503

高木ファンはそっとしておこう。

505 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 14:10:43
日本書紀は、このスレに参加して自説を述べる人であれば、必読文献でしょう。
こちら(↓)のサイトで電子テキスト化してくれています。記紀だけじゃなく、いろいろあります。
ちょっとマニアックなサイトのようですが、大感謝ですよね。
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/furu_index.htm

国立国会図書館サイトでは、明治期に出版されたいくつかの日本書紀刊本が、デジタル画像として読めます。
「日本書紀」と入力して、検索をクリックしてください。
http://kindai.ndl.go.jp/index.html

こうした電子化されたテキストについては、yahooカテゴリの「オンライン図書館」から、いろいろ調べていけます。
http://dir.yahoo.co.jp/Reference/Libraries/On_Line_Libraries/

みんなもっと地道な勉強をしたうえで、考えをまとめていったらいいのにな、と思います。

506 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 14:45:42
わたしが若いころは、日本書紀の安価な文庫本はなく、書店に申し込んで「国史大系」本を購入せざるを得ませんでした。
続日本紀以下の六国史などもそうで、ずいぶんお金をはたいたものです。

今はインターネットのおかげで、本当に便利になったと思います。
ネット上でタダで読める古典籍や考古学文献がこれほどにまで増え、今の若い人は恵まれています。
もっとインターネットをフル活用して、しっかり勉強してほしいと、切に念願いたします。

忌憚無く言わせていただくなら、みなさんはネットの利用の仕方が、ずいぶんとヘタなように思えます。
向学心がおありなら、一日何時間も2ちゃんねるにばかりへばりついてはいけませんよ。

507 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 15:00:30
>>503
デマ?地元の人間なら誰でも何度も昔から聞いていることでたいして新しいことでもないし。
大分や北九州の人間なら一度は亀山が人工だという話を聞いたことあると思いますが。
何、高木って?プ

これまで黙殺してたけど...ww 熊襲のシラス台地を邪馬台国だと言い張ってここで
毎日書き荒らしている上に、社会に出てまともに大人と話をしたこともない(=無職)
このキチガイは親もまともじゃないんでしょうねぇ。
失礼な言葉遣いにも怒る気失せて、哀れにしか思えんわ。

508 :日本@名無史さん :2006/12/07(木) 15:25:21
昔、天武朝廷の末期に道教なる、得たいの知れない僧侶が
権力を掌握し、天皇に上り詰めようと画策し、天皇家は
それに対抗して、宇佐神宮のご神託を盾に頑として、拒否
したとの説話があります。
宇佐神宮には、天皇家との深い絆があることは容易に想像
できます。

509 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 15:35:41
>>506

2ちゃんしながらネット検索+文献読んでるヤシも居ることを、オ忘れなく。

510 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 15:35:49
>>502
その緯度と経度は地球が球状だとわかったうえでの話。
中国の地図測定は地球が平面だったと想定した上での話。
その論理でごく単純に地図上の平面だと想定されたときにでる
緯度経度のズレを出して見てみただけ。(Orthographic Projectionで検索してみろ。わかりやすい)
計算ともいえんごく単純な原理なんだけど。少しは自分で調べろ、と。

中国の2千年近くにわたる地図の歴史は・・・特に一世紀からね、その歪みからくる計算の
矛盾との戦いの歴史でもあったようだ、自分が調べた範囲・・・ってこの失礼極まりない基地害に
まともにレスして説明しようとしている自分って本当の御めでたいな。
どうせまた似たような失礼な罵倒レスしか返ってこないんだろうし、あーアホらし。
これからは言葉遣いが悪いとスルーさせてもらうから。

511 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 15:52:05
>>505 
凄いっすね。ありがとうございます。

512 :太国:2006/12/07(木) 16:19:43
>>478
誤魔化したって駄目だよ。その10年計算は 卑弥呼→アマテラス
と寄り添わすための恣意的プログラムで、ひとつも科学的思考にはなってない。

神仏習合の語があるが、まるでマリアさまを観音菩薩に習合させるため目論ん
だ恣意的計算であり、非科学的そのものの幼稚園的稚拙な思考である。


513 :太国:2006/12/07(木) 16:26:37
>>479
別に苦しくもない。畿内説のスレの>86 >113〜115 のとおり。

514 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/07(木) 20:37:50
>>353
奴国は邪馬台国に属しており、北九州は違ったんじゃ。
「奴国が境」になってると思う。宗像と言うのは古来から、独立していたのでは。

515 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 20:46:58
>>500
おお、激しくまともなカキコ。概ね同意です。

かろうじて九州から畿内にたどりついた神武は大物主の娘を奥さんにしています。
こんな神武が四道将軍など派遣できるとはとても思えません。どうみても神武と崇神は別人です。
ところが、奇妙な事に、畿内を掌握したと思われる崇神・垂仁の時代になると、神武を暖かく迎えた
はずの大物主が祟っています。なぜでしょうか?おそらく、やましいやり方で出雲系の勢力を
淘汰したからでしょう。私は記紀はそれをそのまま書くにしのびず(欠史八代)、国譲り神話
という形で残したのではないかと思っています。

516 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 20:51:40
>>515
マルチ&自演乙

517 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/07(木) 21:04:22
>>492。(卑弥呼がト占につかったのは亀の甲羅でした)
って、倭人伝にこんな記述あったっけか?


518 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 21:15:08
>>516

>>500 >>515)って、マルチなの?

519 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 21:21:23
以下2get禁止↓

520 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 21:23:46
>>518

畿内説の NO92 と>>500 を比べてみ。

http://c-docomo.2ch.net/test/-/history/1165300615/i#b

521 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/07(木) 21:34:01
>>520
この乙さんはスレの主のようなひとなの。不可侵なの。
マルチでも何でも許されるの。

522 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/07(木) 21:35:19
>>507
>大分や北九州の人間なら一度は亀山が人工だという話を聞いたことあると思いますが。

人工だと聞いたらただしいのかい?
自分の目や手や鼻はもってないのかね。
単純な脳みそだ

523 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 21:42:15
考古学重視で博識な九州説、って人はいないのでしょうか。九州だけでなく、吉備東海でも可。

結局のところ、考古学の権威に寄り添う畿内説。
宇佐とか西都原の電波な人々しか、このスレにはいないわけで。

吉備とか筑紫(ヒラバル)、出雲や東海など、弥生終末期に勢威のあった勢力は、
結構多いのだが、それらを邪馬台国に押す人はいないのか?

524 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 21:53:56
考古学を認めちゃったら、宇佐も西都原も候補地から消えるからw
全力で考古学を否定するだろう、そりゃ。

考古学をちゃんと勉強すれば、弥生終末期に力を持った勢力は、
以下の地域に絞られることが分かるだろう。
畿内、東海、筑紫、出雲、吉備。

少なくとも、これらの中から邪馬台国は選ばれるべきだろう。

525 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 22:06:13
>>524
そうですよね。
その中から「ヤマト」の地名を持つ、
筑紫&畿内に絞っていいかとおもいますが。

526 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/07(木) 22:14:24
>>523
あのね、弥生時代末期に当てはまりさえすれば、どこだってOKってわけじゃないんだから。
それなりに何らかの現実味が無いと無理。例えば、吉備、出雲にでも似た
発音の土地名が記載されていたり、その土地ならではの風習が倭人伝の記述と合致したり。
それぞれの説は思い思いのポイントを掲げてやりあってるんだから。


527 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 22:22:59
>>524
中国のど真ん中を行く学者なら
畿内と東海など眼中にないんですが

528 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 22:30:59
弥生末期の畿内が勢力を持っていたというのは、どういう理由からなのだろう?

529 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 22:34:20
>>526
倭人伝の行程記事で、合致するような場所は日本に無いだろ。

君の主張する宇佐説(豊前説でもどっちでもいいが)も、倭人伝には
合致しない。

いい加減、倭人伝<考古学を認めた方がいいよ。

あと、3世紀の地名がいつまでも残ってると考えるのもどうか、と。
豊前にヤマトの地名、あったっけ?

530 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 22:35:53
>>528
弥生終末期とは、いわゆる庄内併行期のことなんだよ。

531 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 22:41:03
畿内論者と論争しても
東アジア一帯の流れを無視した自分らに都合のいい考古学だけを持ち出して
結論ありきの答えばかりだから不毛だって。
中韓の学者の意見が聞きたいな
 

532 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/12/07(木) 22:43:17
>>529

>いい加減、倭人伝<考古学を認めた方がいいよ。

倭人伝も一種の考古学ですよ
土の中から出たものだけが考古遺物ではないでしょう。
土に埋もれず現存した古い記録文献と、土の中から出てきて鏡では意味合いがちがうのかな?

533 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 22:45:42
>>531
>東アジア一帯の流れを無視した自分らに都合のいい考古学だけを持ち出して
>結論ありきの答えばかりだから不毛だって。

なぜあなたは、中韓の学者の意見を知らないのに、
日本の考古学者が、東アジア一帯の流れを無視してると分かるの?

自分で矛盾したことを書いてることに、まるで気づいてないようで。


考古学アレルギーがここまで来れば大したもの。
とりあえず、考古学は否定しておきたいと。

534 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 22:50:36
>>532
じゃあ、考古遺物>倭人伝でもいいよ。

ただ勘違いしないで欲しいのは、一般的に考古学>文献じゃないということ。
日本の4世紀以前は、余りにも文献が少ないから(ていうか倭人伝だけ)、
そうなってしまうということ。
文献も多数あれば、色々考査もできるけど、外国人の書いた倭人伝ひとつだけじゃ
どうしようもないだろ?

535 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 22:52:33
>>533
なんでおいらが中韓の学者の意見、
大体の流れを全く知らないと言い切れるの?
相変わらず、そんな文章の矛盾点を付くようなせこいことするからなぁ〜
全く不毛たる所以

536 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 22:55:44
>>530
庄内式併行期というのは、弥生式土器が主体だけども時期的には庄内式と
同じというわけでしょう。つまり、庄内式が出ている地域は、庄内式。
出ていない地域は庄内式併行期。
庄内式は弥生時代終末期?

537 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 22:58:41
>末盧(マツロア→マツラ)(着く可きところ)と、書かれてあるので
>それを無視する訳にはいかんだろう。


でたなw プラム(言語虫)のキ○ガイ論法。
詳しくは言語虫のHPまで。

九州説はこんな奴しかいないのか?

538 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 22:59:02
>>528
畿内周辺の勢力の集約が見られるから。

539 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 23:00:12
>>536
言ってる意味が分からない。
庄内期と庄内併行期をわざわざ分ける必要があるの?

540 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/12/07(木) 23:00:20
>>534

土の中から出てくる遺物には、後世に伝えようとする伝承意思はないよ
そこに言葉を吹き込むのは、遥か後世の意思
しかし、文章には後世に伝えようとする意思がある。
文字は意思を形に変えたものだからね

541 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 23:02:12
ここの畿内論者の人で、
こっちが言ってもない事まで付け加えて
全然本質とは関係ないことで反論してくる手法の人がいて、
正直、言い争うのが恐ろしいんだよねぇ。。

542 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 23:02:59
>>539
わざわざ分ける必要がないなら、庄内期といえばいいのに、庄内併行期と
書くから、意味があるのかと思った。
では庄内期は弥生時代終末期?

543 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/12/07(木) 23:03:28
>>537

言葉は自分の意志を相手に伝えるためのもの
その意思を形にし、保存出来るのが文字だ

544 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 23:10:18
>>534
文献は魏志倭人伝一つだけじゃないと思うけど。
中国の文献では、後漢書、晋書、宋書、梁書、隋書などが利用されるし、
日本にも古事記、日本書紀がある。

ちなみに、考古学にもいろいろあって、鉄なんかが重要だと思う。
弥生時代後期の鉄は九州が一番進んでいる。
量も多いし、利用技術も進んでいる。近畿地方で進んでいるのは、北部の
方で、畿内は悲しいくらいに遅れている。

545 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/12/07(木) 23:10:43
>>537

>でたなw プラム(言語虫)のキ○ガイ論法。

自分の価値観が全てではないんだよ
自分の範囲を超えたものは皆キ○ガイか?  都合のいい自分勝手な言い分だな

546 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 23:42:02
>庄内併行期と書くから、意味があるのかと思った。

広範囲の話をしてるからね。別に引っ掛かるところでもないと思うけど。
余り、考古学、詳しくない人かな。


>では庄内期は弥生時代終末期?

そのとおりです。

547 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 23:47:53
>>545

「あお」という言葉は、唇が上を向き、青空を指し示しているとか何とか。

これをまとまな神経の人が聞いたらどう思うだろう?
君は君の考えを、周囲の人たちに話したことがあるのだろうか?
その時の相手のリアクションはどうだっただろう?
君のことを可哀想な人を見るような目で、見てたんじゃないだろうか?

548 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 23:53:46
>>540
だからさ、良く読んでよ。
倭人伝しかないから、4世紀以前の日本をする時は、考古学重視にならざるを
得ない、と書いてるんであって。


>>534
文献は魏志倭人伝一つだけじゃないと思うけど。
中国の文献では、後漢書、晋書、宋書、梁書、隋書などが利用されるし、
日本にも古事記、日本書紀がある。

だから、それがいつの時代に書かれたかが問題。
同時代に書かれた文献なら、かなり信用出来るということ。

ただ惜しむらくは、倭人伝は外国人が書いたもので、
他に同時代の文献が無いので検証のしようがないということ。


549 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/07(木) 23:57:08
>>500
>つまり、倭国は出雲王家が主導し、天皇家は出雲王家の女性を妻に向かえ
>政略結婚で親戚関係になることで、出雲に従属していた。

アンタにはイメージ力はあるけど、基礎がなってない。
たとえたら砂上の楼閣。

イメージを膨らますにしても、基礎を踏み越えたら幼稚園児の童話になる。
アンタのイメージは残念ながら童話に過ぎん。
少なくとも基礎だけは磐石にしないと、まともなイメージは無理。

俺の基礎は
●記紀の内容は70%は正しいが、日にちは全く嘘。
●原住民の出雲の宗教は銅鐸信仰、大和朝廷は鏡信仰。

550 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 23:57:40
>>500
お見事!
漏れの考えとピッタリだ!
それアタリ!

551 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 23:58:31
このスレ見てて確かに分かることは、九州と畿内でかつて戦争が
あったってことだけでつ。(多分九州が負けた)

552 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/12/08(金) 00:06:31
>>547

言葉には、五つの方向(母音)と、時間が存在する
これが全てを把握する世界。

判らなくてもいいけど

今自分の話している言葉に不思議さぐらい感じてくれよ
音を出す前に
どおして準備してから発声するのか?
人は何故 指で方向を示した後の発声と、なるのか?

何故 山を見て「ヤマ」と、発声するのか?

553 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 00:07:30
>>551
九州が負けたとしよう、
西郷が山県を育てて、
最後はその中央の山県に自らが破れる形で幕を閉じる、
美しい話だよ

554 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 00:07:33
>>548
倭人伝や中国の書物を信用できないのではどうしようもない。
邪馬台国など存在しないし、卑弥呼もいない。
考古学でどうやって邪馬台国や卑弥呼を知ることが出来るんだろう。

畿内説の考古学も倭人伝を聖書のごとく信奉している。
『銅鏡百枚』これは倭人伝に書いてあること。
土器の編年も倭人伝の年号の記述があってこそ、意味を持ってくる。

倭人伝の記述を全部否定したら、畿内説の考古学など吹っ飛んでしまう。


555 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/08(金) 00:08:47
>>510
>中国の地図測定は地球が平面だったと想定した上での話。

全く回答にはなってない。
あなたの論理を認めたとしても、その中国の地図測定法を聞いてるんだよ。
地球が平面だとして中国の地図測定法は現在地の緯度を、どうやって出したのか?

その単純な原理とやらが判らなければ、あんたの話は中身なし。

556 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 00:17:56
>>553
それは東京と鹿児島でしょう。山縣は山口だけど。

557 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 00:43:32
邪馬台国論争で問題なのは
無理やり、天照と卑弥呼を同一人物に合わせようとしていることだ。
もしかしたら、卑弥呼は神話のモデルになったのかもしれないが
でも、年代を調べるに置いて、むりやり、
神武天皇を卑弥呼の子孫として計算しようとすると、難しくなる。
日本書紀を正確に読めという話だ。
なぜ、第一章、第二章を神代として、神武からは正史としたか?
天孫降臨から神武までは、数百万年という期間にし、事実、因果関係ないと宣言している。
また、天照が卑弥呼なら、天照までの記述を神代とはしなかったはずだ、
日本書紀の編纂者は...


558 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 00:58:19
>>557
違う。
神代部分が隠された部分。つまり、高天原→日向→大和の過程の
前半部分、高天原→日向部分が神話とカムフラージュして隠さなければ
いけなかった部分なのだ。
最近、日本書記を正しく読め、とわけの分からない主張をしている奴がいるが、
その日本書記を正しく読めというのは「日本書記に騙されよう」と言ってるだけにしかすぎぬ。

559 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/08(金) 00:59:12
>>515
>神武を暖かく迎えたはずの大物主が祟っています。

神武は戦争で迎えられて、勝ったからこそ有力者の娘を嫁さんに出来たの。
戦争の世の中の冷たい現実に過ぎん。

560 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 01:00:16
邪馬台国とは「ヤマタイコク」つまり「山田・偉国」のことで
意味は山田・偉い国です。もともと山田さんという貴族が支配していた地域なので
いつのまにか「山田さんが偉い国」が変化して邪馬台国になったのですよ。

561 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 01:01:46
>>549
出雲は早くから銅鐸を使用するのをやめてるよ
そもそも信仰といっていいもんかどうか

562 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 01:02:21
>>560
その説はとっても古い説のひとつなんですが……

563 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 01:05:45
>>558
神代部分が隠された部分だというのには同意だが
無理やり系図で神武の上につけようとするのは
非常に問題が多いように思う。

564 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 01:17:29
>>558
同意
リテラシーが欠けてたら意味がない
注意深く嫁なら分かるけどね

565 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 01:54:20
邪馬台国論争は不毛だから止めれ。時間の無駄です。

566 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 01:55:08
畿内説に分があると思うのは邪馬台国がヤマト国と読めること
そして鏡女王や額田女王のように女王と呼ばれる巫女がいること

567 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 02:01:58
>>565
俺も実はそう思ってる。
むしろ邪馬台国所在地は他の謎を研究している流れから到達しそうな気がする。

568 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 02:47:33
>>565
なにをバカなことを
ここの住人はそんなことは分かっている

じゃ、なんのためにやってるのかって?
楽しいからに決まってんだろこの低脳!

569 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 03:46:56
>>500
これ、これこういう視点がほしかった。禿道、自分が思っていたことを
さらに理論的に説明できている。

>>549
 >イメージ力はあるけど、基礎がなってない。
 >砂上の楼閣。
 >イメージを膨らますにしても、基礎を踏み越えたら幼稚園児の童話になる。
 >アンタのイメージは残念ながら童話に過ぎん。
 >少なくとも基礎だけは磐石にしないと、まともなイメージは無理。

 お前の過去スレと妄想ルート読んでていつも思っていたこと
 せっかくこんなスレにまともに見解かいている人に対して無礼な口しか聞けないのか。
 基地外口調で話せば自分の説が通るとでも思ってんのか?いい加減にしろ

570 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 03:54:52
>>566
豊前説に分があるのはヤマト(山門)と発音する地名があること
そして比売大神の存在

だが日本中にヤマトと発音する地名があることを忘れちゃいかんよ。検索してみろ。
数県にひとつくらいの割合である。奈良の山の盆地が山都とか山戸だったとしてもおかしくないね。

ちなみに鏡女王や額田女王の素性は何もわかっちゃいないよ。天皇の妻ぐらいの
地位だとそれなりの地位、つまり政略結婚の可能性が大きいので近畿以外の
地からきた可能性も十分考えられるから、名前をだすのは諸刃の剣w

571 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 04:25:57
鏡王女も額田王も7世紀後半の人間だろ
大丈夫か、おい


572 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 04:32:20
>>529
宇佐説になぜか必死w
宇佐の名前を聞くのも嫌らしい。
だから畿内説スレ逝けってw 
こんなところで書いている暇はないはず

573 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 05:21:13
熊がが人を襲う報道等は、熊襲へ対する嫌がらせと言われている。

574 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 05:29:05
基本大和として登録されていて、熊襲と蝦夷とアイヌぜーんぶ血縁関係です。
何故か、熊襲と呼ばれていますw

575 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 05:31:32
意味不明な書込みがありますが、気にしないほうがいいです。

576 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 05:42:10
>>557
>無理やり、天照と卑弥呼を同一人物に合わせようとしていることだ。

卑弥呼という実在する人物がいて、それにふさわしい人物を記紀の中から
探すとすれば、天照大神に行き着くというのが適当だと思う。

卑弥呼+壱与とすれば、その状況と天照大神の高天原の状況がよく似て
いる。倭迹迹日百襲姫も倭姫も倭人伝の卑弥呼とは全く似ていないから、
こちらに比定するほうが無理やりだと思う。

神功皇后の場合は、どうやりくりしても年代的に合わないし。

577 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 06:46:00
中国の書物によると、いわゆる「倭国の大乱」の起きた年代は、
「桓、霊間」と「光和年中」の二つがある。
桓、霊間は、桓帝と霊帝の時代だから、西暦147年から188年までとなり、
光和年中は、西暦178年から183年。

このあとで、卑弥呼が女王になる。亡くなるのは、西暦248年頃。
つまり、最低でも60年間女王にあった。普通に考えれば70年間位が考えられる。
女王になった時の年齢が、壱与と同じ13才だとしても、80才を超える。

現代では珍しくない年齢だと思うが、寿命に関しては現代は特異である。
日本人の平均寿命は、昭和の初めでも40才代である。
縄文時代から古墳時代にかけては、30才と推定されている。
人骨から割り出した統計によると、縄文時代は20才、弥生時代は25才とも
言われる。乳児死亡率を考えるともっと低いと思われる。

ちなみに、12代将軍の徳川家慶は、27人の子供が出来たが、成人したのは
家定一人だけだった。

卑弥呼複数説も考えて良いような気がする。

また、初期天皇(大王)の在位期間平均が10年くらいというのも、根拠の
妥当性についての是非はあると思うが、妥当な数字ではないかと思う。
むしろ、もっと短いような気さえする。

このように考えると、卑弥呼と天照大神が年代的に重なっても不思議ではない。

578 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 07:04:37
平均寿命って乳幼児死亡率が高いと半分近くになるよ
古代であっても健康な人間なら80くらいまで生きても不思議ではない

579 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 08:15:49
ここで無知な俺が一言。









 四 国 だ な 。

580 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 08:23:20
以下古代邪馬台国は剣山で復活する禁止↓

581 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 08:26:24
>>554
だから何度も書いてる通り、倭人伝を全否定してるわけじゃない。
あくまで考古学>倭人伝だと。相対的な意味合いで書いてるの理解出来ない?

倭人伝原理主義者は、考古学を否定する人が多いけど。

582 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 08:37:32
宇佐説を必死で否定するというか、
余りにも根拠薄弱、議論の俎上に載せるのも馬鹿らしい。

583 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 09:35:46
>>581
邪馬台国問題は、魏志倭人伝が基本中の基本。
畿内考古学は、倭人伝に書いてあることを証明するためのもの。
銅鏡百枚、卑弥呼の生きた時代、径百歩余りの冢。
全部、魏志倭人伝に書いてあること。

584 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 09:55:05
卑弥呼が魏に送った布についても検証すべき。

585 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 10:00:51
何もそこまで宇佐説憎しで、徹底否定する必要ないのにな。
宇佐説で考えると、その後の権力者の行いや史実と重ね合わせると
いろいろ筋道が通ってエキサイティングな事になるのに。
そこまで目の仇にするのは、
畿内論者にとって一瞬たりとも考えたくないことなんだな。よっぽどだ
むしろやっぱりって感じ

586 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 10:15:12
>>584
これも、魏志倭人伝に書かれている「班布二匹二丈」でしょう。
班布というのがどんな布かわからないが、恐らく、畿内の古墳から
出た布がそれだということになるのでしょうね。

587 :太国:2006/12/08(金) 10:18:35
>>549
もともと基礎とやらが間違っているから、以後のことが全部狂ってくるわけだ。

>記紀の内容は70%正しいが、日にちは全く嘘。

お前の10年計算こそ全くの嘘。さらに99%は正しくない。

588 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 11:10:30
安本氏の説って、古事記は年代は書かれてないけど
日本書紀は年代が書かれているので
もともと年代なんて分からなくて
日本書紀側が適当に年代つけたみたいな説だけど
これって無理がありませんか?
なぜ、日本書紀はあういう具体的な年代をつけたんでしょうか?
だいたい、古事記って少数の人間のつけた書物でしょう?
大規模な国家事業だった日本書紀と比べたらいけない。


589 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 11:27:54
東京大学の井上光貞氏は、その著『神話から歴史へ』
(中央公論杜刊「日本の歴史1」)のなかで、
崇神天皇の実在の可能性をとかれたのち、
崇神天皇を、270年-290年ごろの人と考えておられる

安本美典は、崇神天皇を、360年前後の人と考える。

590 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 11:36:02
今後の歴史学会では
神武天皇は一応、実在しただろうという説が有力になるかもね。
神武・崇神同一人物説も消し飛ぶだろう。

今後の焦点は、古代の天皇の生きた時代が焦点。
東京大学の井上光貞氏は、崇神天皇を270年-290年ごろの人
安本美典は、崇神天皇を360年前後の人

この両者の意見によって、邪馬台国論争にも大きく影響すると思う。

自分は井上氏の意見を尊重したい。
安本氏は古事記のほうを重視しているように見られ
古事記というのは皇国史観の原因になった書物だと思うから
あまり尊重できない。

591 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/12/08(金) 11:39:33
>>588

帝国側に笑われない為

592 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 11:50:11
日本書記より古事記のほうが皇国史観のもとというのは賛成できない。
どちらが恣意的神話でどちらが事実という類のものではないと思うが。

593 :日本@名無史さん :2006/12/08(金) 11:58:57
>大規模な国家事業だった日本書紀と比べたらいけない。
大規模な国家事業が、過去の隠蔽だとしたら、日本書記が
正確な風に年代まで入れて、隠蔽に成功した。
と解釈できないか。
当時の政治は天武が天智の子(天皇)を殺害して即位した
時代だったと記憶しています。
天皇殺害の後に、日本書紀編纂を支持することが異常です。

594 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 12:09:14
>>593
だからさ、その発想が皇国史観の原因になっている。
日本書紀を編纂したのは
天智の子の持統天皇だったことも忘れるな。
戦前の右翼はやたらと古事記を持ち上げて日本書紀をけなすが
これの現況を創作したのは、本居宣長である。
古事記も日本書紀もほぼ同時期に作られたと見ろ。
古事記というのは少数の人間が神話と現実社会の境界線を作らずに
作り上げた書物で、神権政治の影響が強い守旧派の書物。
内容も薄っぺらくて読みやすいが、独自解釈もしやすい。
日本書紀は、日本を律令国家に変えようとした人間たちによる書物。
よって、わざわざ神代という項目を作って、ばっさり切り捨てている。
内容が膨大で難解のために、皇国史観には利用できない。


595 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 12:16:15
まあ、タネ本は古事記だわな。

596 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 12:26:18
15代応神天皇の390年はOKだと思う。
すると、10代崇神天皇の270年〜290年説は少し怪しい。



597 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 12:38:10
>>585
そうやね 
宇佐やろ、やっぱ。往生際悪いで、畿内説。
それともなんや、金でも関係あるんかいな?

2chのここで宣伝せな畿内掘りまわる金もらえへんのか?
だとしたら必死なのわかるわなあw
もう少しうまいことやりーや。

598 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 12:43:29
>>596
270年って邪馬台国と重なるやん。

599 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 12:54:36
考古学的には、大和三輪山の勢力が
日本を統一したことは明らかなんだよな。



600 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 12:56:10
古事記=旧約聖書
日本書紀=新約聖書

で、ガチ?

ただし、古事記と日本書紀は殆ど同時期に書かれている。


601 :日本@名無史さん :2006/12/08(金) 12:58:05
確か、天智の子の持統天皇は孫を天皇の即位させる
まで、自らが天皇に即位しており、その後孫に即位
させている。
当時天武の子供がいたのもかかわらず。
天孫降臨の記述も天の孫(まご)が降臨するのだから
念を入れて、日本書記の記述を意図して改ざんしてる。
天皇降臨か大王降臨が普通ですよ。

602 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 12:58:45
>>598
古事記の崩年干支では、崇神天皇は戊寅(258年、318年、378年)
に死んだことになってる。個人的には378年かなと思う。

603 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 12:59:11
>>600
それはない。日本書記の編纂者は聖書の存在を知っていたとは思うし、
二重トリックはそこから思いついたのかもしれないが、

604 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 13:00:32
>>596 応神天皇を390年頃からとするのは、私も同意。
崇神天皇は350年頃だと思う。
井上説的な考えは昔は主流で根拠は以下のとおりと思われる。

1、応神天皇(神功皇后)の時代に朝鮮出兵があったという記事と、三国史記、
広開土王碑との整合(出兵と人質の記事等)から応神を390年ころとする。

2、天皇を1代20〜30年として、そこから遡ると、崇神天皇は260〜300年頃になる。

3、記紀にはそれ以前の女性天皇の記載がないから、卑弥呼時代以降に大和朝廷が
はじまったとし、崇神=神武として、押し出し式に2〜8代天皇の実在を否定する。

安本は(2)を1代10年とし、その結果(3)で2〜8代の実在を認める。
アマテラス=卑弥呼とし、神武東遷も史実の反映とする。
記紀について、捏造史観に立たないなら、安本説の方が整合的な考えになる。

605 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 13:01:49
>>599
それはその通り。
その大和三輪山の勢力の出自が九州で良いのかな?

606 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 13:03:22
中国の学者は、日本書紀のほうを支持しているな。
だいたい、古事記って一人の人間が書いた書物じゃないか?
そんなもんに、頼ってどうするの?って感じ。
稗田阿礼がいったのを太安万侶が記述したんだろう?
逆に、日本書紀のほうが時間をかけて、
いろんな人を動員して編纂している。
ほぼ同時期に書かれた書物なのは間違いない。

古事記は稗田阿礼から分かるように神道系の書物。
逆に、日本書紀は律令体制の官僚が書いた書物。

607 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 13:06:48
古事記は日本書記のあらすじだろ。それを稗田か本当の名前は知らないが、
創作した小説。それに史実を肉付けしてできたのが日本書記だ。

608 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 13:07:12
>>604
同意。
15代の応神天皇を390年
10代の崇神天皇を350年頃
初代の神武天皇を280年頃と推定すると
卑弥呼の死の248年から整合性があるね。

609 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 13:07:29
もちろん肉付けするという前提のあらすじね。

610 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 13:13:18
>>607
まったく逆だと思う。
古事記は伝承を口述したものを筆記した。内容は怪しいがそこに意図はない。
日本書記は官撰であるから、意図や作為を入れやすい。

611 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 13:15:49
>>610
日本書記が意図的恣意的な作為の書であることには同意だが、
古事記に関しては自分は反対意見。
日本書記を意図的であるように見せかけないため、前代からあらすじは
口伝や紛失した書(帝記、旧記など)にあったんだよと思わせるために
先行成立させたのだと思う。

612 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 13:30:26
>>554
正論ですね。

ちなみに筑紫と宇佐は地理的にも、奈良から伊勢より近いぐらいですが。
脳みそあるのかな、筑紫はいいけど宇佐は駄目だといっているバカは。

大宰府と宇佐は歴史的にも関係が深いので、宇佐で祭られている応神天皇や神功皇后は
筑紫王朝に関係があったのでは、といういろいろな見方がでてきますね。

何よりも、宇佐は日本書紀の天孫降臨の章にいきなり登場しているわけで。
初めから古代史で無視できる存在ではないのです。

あと、古代3世紀からの地名が残っているわけがない、という説。
普通に考えればそうですよ。誰も本来期待していない。
それが宇佐から筑紫の周辺には邪馬台国に関係した漢字・地名・発音がたくさん
点在しているので、これも偶然にしてはできすぎなのですよ。

613 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 13:32:55
個人的には吉備と宇佐の関係が気になりますね。


614 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 13:41:17
安本って、邪馬台国は大和王権に移行したと解釈しているが
それで本当に良いのか?
というのは、中世から、中国の書物で、九州の大名や勢力を
日本国王と勘違いする記事が頻発するんだな。、
日本国王・良懐(九州にいた南朝方の懐良親王)とか...

615 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 13:46:18
安本美典の即位10年というのは
あまりにも数学的暴論だといわれている。

彼の意見こそ、憶測に基づくもので
じゃ、卑弥呼=天照大神なら、台与は誰に相当するのだ?とか

また、彼の法則は、歴史的に正確な後の天皇には
その方程式が必ずしも合わないとか...

安本氏の意見というのは、無理に女王・卑弥呼を
天照大神に合わせようとするから
無茶な解釈になるんだよ。

安本美典氏の年代論に関する模擬実験
http://www.geocities.jp/yasuko8787/0b-02.htm

616 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 13:59:37
>>615
だから、卑弥呼プラス壱与が天照大神。
岩戸に隠れるまでが卑弥呼で、岩戸を出てからが壱与。

>>608
壱与は、西暦266年に晋に使いを送っている。
だから、記紀になるべく忠実にということになれば、そのあとに日向三代を
もって来るべきではないかと思う。
したがって、神武天皇の東征は4世紀に入ってからではないかな?


617 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 14:04:41
大和政権と邪馬台国に関連があるのは間違いないと思う。
もし、畿内で発生したのなら九州の地名が頻出するのは不自然じゃないか。

618 :太国:2006/12/08(金) 14:08:08
>>611
古事記制作は天武が命じて、本人が崩御してから約30年後の元明によって献上を
求められたとあるから
稗田には帝記や旧辞に書き加えられた虚偽を調べなおし
再編集する時間が30年もあったってことになるんじゃないか?
太安麻呂に筆記させ元明に古事記を献上する時間が数ヶ月ってだけで。
正記でなくとも、重要資料であることは間違いないだろう。

619 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 14:09:31
3−3 安本氏の「数理歴史学」の誤り

この安本説は、次のような誤りの塊で、数理統計学とは無縁のものです。

(イ) 奈良7代70年と吹聴する誤り
(ロ) 天皇1代の平均在位年数が約10年とする誤り
(ハ) 天照大神を用明天皇より35代前とする誤り
(ニ) 35代前が推測できるとする誤り

http://www.geocities.jp/yasuko8787/1-3-3.htm


620 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 14:39:31
初期の天皇の寿命は相当拡張されている。

たとえば、崇神天皇の年齢は、古事記で168才。日本書紀で120才。在位期間は68年。
垂仁天皇はそれぞれ、153才。140才。99年。
景行天皇は、137才。106才。60年。

このような絶対にありえないようなことがどうして書かれているのか。
恐らく、記紀は中国の歴史書を手本として書かれたものと思う。
そこで、日本の歴史を中国と比較しても恥ずかしくないものにしたかったのでは
ないだろうか。
欠史八代もそのための挿入とも考えられる。

その理由として、神武天皇の記紀での記述は橿原の地で即位した時点で
終わっていること。その後、神武天皇を含め、9代にわたり、畿内から
動かず、10代・崇神天皇になってはじめて、近隣諸国に兵を派遣して
いること。

つまり、神武天皇と崇神天皇を同一視すればこれらの矛盾は解消すると思う。

621 :太国:2006/12/08(金) 14:41:24
>>618
この者はそれがしのニセ者です。

622 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/08(金) 14:45:10
>>557
>無理やり、天照と卑弥呼を同一人物に合わせようとしていることだ。

間違い!
資料的にはっきりしてる時期の天皇の平均在位期間を求めて、過去にハシゴをかけて
調べたら同じ頃に合致しただけの話。

第50代桓武天皇の死亡期日西暦806年を、事実だとしたら神武天皇
や天照大神はいつ頃死んだのか。
第31代用明天皇は西暦585年に即位してる。その間221年を20人の天皇が即位した。

1人当たりの平均即位年数は
221/20=11年

第50代桓武天皇を基準にして、過去にハシゴをかけると第X代の天皇の死亡年は
806ー(50−X)*11=第X代天皇死亡年

初代の神武天皇は
806−(50−1)*11=317

天照大神は
806−(50+3)*11=223

卑弥呼の死亡年は西暦248年

神武天皇を見ても判るように、その当時は天皇が先頭に立って戦争した時代
暗殺も多かったろうし危険性を考えれば54代前の(25年の差)は誤差範囲だ。
結論:::卑弥呼は天照大神

ーーーーー(引用開始)−−−−−
歴代天皇一覧  下段は即位年月日
http://www.sakai11.jp/rr_rekidaitennou.htm

623 :太国:2006/12/08(金) 14:52:07
>>620
神仏習合ではないが、まぁ平成天皇が平城天皇だと言っているようなもので、
おかしくて聴いていられないくらいだ。w
こういうのは、神神習合っていうべきか? 大国主神を大黒天などと
主張しているのと同類のようで、これではダメ。

どうせイカサマをやりたいのならば100代でも800代でも増加しなくては〜
8代の1桁ではお寂しく、どうみても八百長的数字にしては極めて少な過ぎ
であり、挿入の効果が殆ど見られない。従って故意による挿入なのではない。

天皇の超長寿は2倍暦等で合理的に説明できうる。

624 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/08(金) 14:52:41
>>561
>出雲は早くから銅鐸を使用するのをやめてるよ

それを西暦何年と判断するかが問題なの。

625 :太国:2006/12/08(金) 14:55:23
>>622
卑弥呼は日神にあらず。お前はデタラメ王としか言わ猿を得ない。
まるで観音がマリアさまのようなことを平気で主張している。w
あまりデタラメを垂れ流すな。

626 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 15:01:18
安本氏って、考古学者でも
日本史学者でも無いんだな。

こいつ、心理学者じゃん。


627 :日本@名無史さん :2006/12/08(金) 15:09:43
>>626
そんなに考古学者や日本史学者がすきなの?
別に、心理学者でもいいじゃん。
何か、人間的に問題があるなら別だけど
書いてある内は、鋭い考察も含め、すごいと思いますが。

628 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/08(金) 15:13:49
>>569
>せっかくこんなスレにまともに見解かいている人に対して無礼な口しか聞けないのか。

まともな見解とは、宗教対立や現実の戦争を理解してはじめて本物になる。
この程度じゃまだ童話クラスだ。

マトモナ見解というには、ノンフィクションクラスまで行かないとね。
今じゃイラクは内戦状態になってしまったけど、宗教対立は残酷な結末まで行ってしまうよ。
少しでも現実社会を知ってれば、俺が童話だといった意味も判ると思うけどね。

宗教対立を利用し、治安の維持や混乱に利用するのは権力者や、権力者を目指すもの。
その位の目配りが出来ない作家じゃ、まだ童話クラスとしかいえない。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
爆破は、モスクの礼拝大ホールの屋根(ドーム)を支える4本のコンクリートの大黒柱に穴
を開け、中に爆弾を埋め込み、加えてホールの地下にも爆弾を仕掛けた上で、それらの爆弾
を導線でむすんで起爆装置とつなぐ仕掛けを作って行われた。

 爆破後、現場を視察したイラクの建設大臣(Jassem Mohammed Jaafar)は「大黒柱に爆
弾用の穴を開ける作業には、1本あたり4時間はかかる」「作業には全部で12時間はかか
るはず」

「爆破によってドームが確実に崩れ落ちるよう、爆弾を仕掛ける方向を工夫してあり、軍事
のプロの仕業である」と述べている。(関連記事)
http://tanakanews.com/g0303iraq.htm

629 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/08(金) 15:26:14
>>578
>古代であっても健康な人間なら80くらいまで生きても不思議ではない

無理!
科学的な衛生観念が、古代には発達してなかったと思う。

俺のいる四万十市でも80歳くらいのお婆さんに、若い頃には茶碗を洗わないで食べたとか
いう話を聞いたことがあるし、食べ物の熱湯消毒や食事前の手洗い、毎朝の洗顔、怪我を
したときの消毒など大病にならないための衛生観念が古代にはなかったと思う。

邪馬台国では手で直に、食べていたという倭人伝の記録もあるしな。
80歳くらいまで生きれるのは極少数だろう。

630 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/08(金) 15:40:24
>>586
>班布というのがどんな布かわからないが

縞模様の布の意味だろう。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
班布(縞模様の綿布) 2匹2丈(5反) 1匹=4丈=2反
http://www.cac-net.ne.jp/~inohanda/tourei01.html

631 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/08(金) 15:54:59
>>588
>なぜ、日本書紀はあういう具体的な年代をつけたんでしょうか?

国家の歴史として、中国の歴史書並みに年代を入れる欲望に取りつかれたんだろう。
対等の国家として体裁を整えようと無理をしたもの。

口伝で伝わっていたんだから、年代まで伝わっているとは思えない。
どんなに記憶力のいい子供を使ったとしても、面白くもない年代なんて口伝じゃ
子供も覚えないし、覚えてもいい加減になってしまうよ。

だから記紀が作られた720年以前の年代は、当てにならない!

632 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/08(金) 16:02:12
>>599
>考古学的には、大和三輪山の勢力が

大和三輪山の勢力が大きくなる前の時代が、卑弥呼の時代。
だから時間設定がアンタと俺の違いなんだよ。
出来るだけ西暦でいつ頃の事かを考えな!

633 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 16:15:51
なんか安本先生の個人攻撃をしてる人がいるな。
こういう匿名の言いたい放題掲示板だからといって、
自由をはき違えた馬鹿な畿内論者が目立つから
まともに相手する価値もないんだよな。いい年した大人だろうに恥ずかしい

634 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/08(金) 16:19:25
>>604
>広開土王碑との整合(出兵と人質の記事等)から応神を390年ころとする。

応神天皇の母、神功皇后の新羅征伐は西暦400年頃の事だろう。
神功皇后は第14代仲哀天皇の奥さんだから、同世代として

806ー(50−14)*11=西暦413年
まあ、10年の差なら正解とすべきだろう。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
倭が新羅の王都を攻めたので、庚子年(400年)、歩騎五万を新羅に派遣して倭軍を撃破し、
任那加羅まで追撃した。甲辰年(404年)には倭軍の水軍が帯方界に侵入したが、これも
撃退した。
丁未年(407年)には百済を攻撃して6城を討ち鎧一万領を得た。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E9%96%8B%E5%9C%9F%E7%8E%8B

635 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/08(金) 16:23:07
>>606
>中国の学者は、日本書紀のほうを支持しているな。

中国の学者なんて書くのは、卑怯者のやり口。
中国13億人いて学者だけでも、数百万人いるだろう。
それが全部同意見なはずがない!

中国の学者の名前を出して書きなさい!!!

636 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/08(金) 16:38:45
>>611
>日本書記を意図的であるように見せかけないため、前代からあらすじは
>口伝や紛失した書(帝記、旧記など)にあったんだよと思わせるために
>先行成立させたのだと思う。

お役人が公文書を書くのに、そこまで先の先まで考えて書けはしないよ。
セイゼイ自分の受け持ち範囲の公文書の中で、ツジツマを合わせ操作するのが限界。

それにいろんな書物が当時はあったはずだから、古事記だけを意識的に先出し
なんて常識では考えられん!

ーーーーー(引用開始)−−−−−
なお、『日本書紀』本文中に書名をあげて引用されている文献として次のようなものがあるが、いずれも現存していない。

『日本旧記』
『日本世記』
『伊吉連博徳書』
『難波吉士男人書』
『百済記』
『百済新撰』
『百済本記』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%9B%B8%E7%B4%80

637 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/08(金) 16:46:49
>>615
>彼の法則は、歴史的に正確な後の天皇には
>その方程式が必ずしも合わないとか...

アンタ安本氏の説を真面目に読んでないでしょう。

この説では時代によって、即位平均年数が多く変化してるから後の天皇に合わないのは当然のこと。
アンタは落第、もう一度読み直して試験を受けなさい!

ーーーーー(引用開始)−−−−−
時代を5〜8世紀、9〜12世紀、13〜16世紀、17〜20世紀の四つにわけ、
おのおのの時代に即位した天皇の平均在位年数を求めた。
http://yamatai.cside.com/tousennsetu/10nen.htm

638 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 16:47:02
学者の名前なんて
2chでいちいち出さない方がいいんじゃないの。
非常識な人から叩かれるもとになる
なんとなくの雰囲気でいいよ。ここでは。
自分で世界中のHPを検索して
見つけ出すのがいい

639 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/08(金) 16:52:11
>>615
>じゃ、卑弥呼=天照大神なら、台与は誰に相当するのだ?とか

天照大神の後継者、ニニギの命の奥さん:木花之咲夜姫だろう。
だからこそ政治権力の中心が、宮崎市から宇佐市に移動したんだよ。

640 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 16:58:35
古代史の研究は、いろいろな切り口があるんだよ。

考古学者、日本史学者、それぞれで違う。

安本氏らは、天照と卑弥呼と神武東征に物凄く拘る。
何かノイローゼにかかったように拘る。

でもな、日本史学者で漢文や神話学とかの観点だと
日本の天皇家は、当初は天照大神を殆ど拘ってない感じらしい。
そもそも、天照大神って女なのか?という話らしい。

とにかく、安本氏や考古学者らは、九州説だろうが畿内説だろうが
邪馬台国=大和王権という決め付けを止めるべきだ。

安本氏がいうように邪馬台国が東征したら
なぜ、わざわざ、その後、崇神は四道将軍を配置したか...
崇神の話とか見たら、まだ北九州すら満足に抑えられて無いじゃん。
神武の時だって、畿内にうっつたのはよいけど、なんか狭い範囲の領主って感じ。


641 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/08(金) 17:14:40
>>619
>35代前が推測できるとする誤り

このHPを作った方は、数学の基本がなってない。
在位年数を1年から19年まで乱数表を使って、どれが出るかの可能性が全部等しいとしてる。
これが等しく出る可能性はない。

社会情勢によって殺されたり、衛生観念も、医療水準も常に変化してるという前提を無視してる。
根源的な数学の使用法を理解してない低脳児のHPで、準文盲という部類の人間。

642 :日本@名無史さん :2006/12/08(金) 17:15:41
四道将軍の配置と邪馬台国の東征を比して、安本説を
否定するのは、どうだろうか?
安本氏は甘木地方と大和の三輪地方(物部氏か?)の類似点
(山の名称とか)を力説してるのは、誤解だとすれば、その
誤解とする論拠を述べれば良いわけで、安本氏の説はおかしい
だけでは、私も納得しない。
安本氏個人の人格の尊厳を否定するのも、おかしい。
また、心理学者だからという否定の仕方は、子供と同じで
大学率の学歴厨と似たような心理(ブランド志向?)と思われる。
私個人としては、北九州から三輪地方に移動した部族がいたとしても、
特に問題はないと思っている。
その原因が南方系の蛮族からであれば、その後に将軍を配置すること
も特に違和感はないと思われます。。




643 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 17:20:24
つーか、邪馬台国と大和王権に連続性があるかどうか
そこから考えないとな。

というのは、神武東征で見逃しているのは
神武のいたところは
九州は九州でも、九州南部なんだわな。
北九州ではないわけで。
そこんとこ考えないと駄目だわな。

まあ、いずれにせよ、教科書では決定的なことは永遠に書かれないわな。

ただ、唯一、前向きなことがあるとすれば
中国が東北工程という事業で、朝鮮半島の歴史を切り込んでくれるおかげで
任那日本府の問題での雑音が無くなることぐらいか?


644 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 17:38:16
>>642
>私個人としては、北九州から三輪地方に移動した部族がいたとしても、
>特に問題はないと思っている。

あの〜神武東征の話を読み直してください。
あれには北九州は殆ど出てきません。
あの話は南九州の話です。

645 :日本@名無史さん :2006/12/08(金) 17:48:20
仮に神武東征でも、三輪地方への部族の移動はいいんじゃないですか?
天孫族が神武東征したと解釈すれば言い訳ですから。
九州にいろんな部族(30カ国以上)あっても問題はない。

646 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 18:06:46
>>643
>邪馬台国と大和王権に連続性があるかどうか
>そこから考えないとな。

俺も邪馬台国についてはそこが最重要と考える。邪馬台国がどこにあったかは
全体論の踏み台にしかすぎない 。

647 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 18:10:03
>>636
>お役人が公文書を書くのに、そこまで先の先まで考えて書けはしないよ。

あなたが日ごろ相手にしている市民課の窓口のめがねのおじさんを
記紀編纂者と同じと見てはいけない。
古事記にしても日本書記にしてもロボットのような役人が書いた
スケールの小さいレベルのものではない。(内容が本当かウソかはおいておくにして)

648 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 18:10:30
普通に考えて人や物、軍事の流れが一回こっきりの限定ではないはず。
隼人討伐も一度だけではなく何度も行われたし、そのつど指導民を注入している。
鉄量で勝る筑紫辺りの連中が、出雲に対しのほほんと指加えて眺めていただけだろうか?
到底考えられんよ。
アングロサクソンはアメリカ大陸と何回戦争やった?
ネイティブどもを一掃し、独立の旗揚げも阻止しようと攻め続けたじゃないか?
という表現もアリでしょう?
同じようなことが倭国でも起こったと考えたらいいんじゃないか?
どうよ?

649 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 18:37:15
日本書紀では、天照大神の話を
神武天皇の先祖にして前の話にしているけど
本当に神武天皇の前の時代の話なのか?

日本書紀の編纂者が、わざわざ神代の話に分けた理由を知りたい。
あの神代の話って、実は神武天皇や崇神天皇の時代と同時進行した話を
彼らの先祖であり神であることにして正当化した話じゃないのか?


650 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 18:50:12
先に出雲(銅鐸からニギハヤヒが降臨してるから
これが大和における神武なんんじゃないの?
あとに続く連中が何処から来たか?
たぶん筑紫(鏡や日向(隼人、ってだけの事じゃ?

651 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 19:19:07
なんか勝手に当時の平均寿命から個人を短命にしたがってるけど、人間の寿命は過去と現在では何十年も違うのは確かだし江戸時代でも40台とかだったでしょう。
でもそれはあくまで平均であって最大値と最小値は現在と過去ではそう違わない。
安本氏の在位10年説は、ある程度平均から割り出してるので平均寿命を引用するのは正しいが個人の在位を平均寿命から否定するのはかなり主観入ってるだろう。

652 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 19:20:38
>>624
知らなかったくせにw


653 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 19:26:29
>>649
天照≒太陽神は恐らくサルタヒコ、これは多分ヤマトの土着神(縄文人っぽい)

土着のユートピアに

ニギハヤヒ侵入(銅鐸圏の拡大・兄)

邪馬台侵入(銅鐸消えて、鏡広まる)

イワレビコ侵入(日向からの東征)

これだと説明がつく。

654 :サガミハラハラ:2006/12/08(金) 19:29:26
出雲加茂岩倉の銅鐸の埋納の時期はたしかAD120年代だったと思いますよ。

655 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 19:33:35
>>649
それを言っても通用しない人がいるのよ。

656 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 19:46:30
それ自体思い込だから

657 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 19:56:36
>>651 :日本@名無史さん :2006/12/08(金) 19:19:07
>安本氏の在位10年説は、ある程度平均から割り出してるので
>平均寿命を引用するのは正しいが個人の在位を平均寿命から
>否定するのはかなり主観入ってるだろう。

安本氏の問題には、それを感じる。
平均寿命なら割り出せるが、平均在位はちょっと無理がある説だ。

658 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 20:01:40
>>649
鋭いですねー。禿げしく同意です。
天孫降臨の物語のモデルはひょっとするとトヨ&神武で、国譲り神話は欠史八代の間の出来事
ではないかと私も思っています。
あ、断っておくけど、自作自演じゃないよ〜。

659 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/08(金) 20:27:22
>>529
言ってる意味は簡単。壱岐国、対馬国、まつら国、伊都国、奴国のような地名は
出雲地方のどこが当てはまるのか、また、葬制の合致や、祭祀こ一致などを
言ってるわけよ。

660 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 20:38:05
大分県は豊後とか呼ばれるけど、
住民は、豊の国(トヨのくに)と昔から言うもんな〜

661 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/08(金) 20:45:13
>>547
仕事が忙しかった為、ちょっと参加できなかったら、えらく人のこと悪口してるじゃない。
あんたの論には人のことを悪く言うだけの価値が無い。
 
しかし凄いレスの進み方・・・。

662 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 20:52:36
>>660
「豊」はもう普通名詞化してね?
ちなみに伊勢神宮だって内宮の祭神は天照大神だが、外宮は豊受大神(女神)だし。

663 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 21:04:40
記紀の記述に何故、九州が出てくるのか。
神武東征が何故でてくるのか。
この2点だけでも、九州に勢力があった部族の大移動といえると思う。
個人的には神武は東征ではなく、敗走だと思うが。

664 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 21:08:02
>>662
>外宮の豊受大神
正に伊勢神宮の祖である宇佐のある地、
豊の国の「豊」を受け継いだ感じでいいね〜

665 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 21:10:58
>>644
たしかに、神武東遷の物語には不思議な程北部九州(筑後川流域)が登場しません。しかし、同時に安本美典先生がご指摘なさっているように
筑後川流域と畿内には有意な地名の一致がみられます。なぜでしょうか?
例えば、魏志倭人伝の記載は韓国の南部から始まりますが、だからといって、魏が韓国南部にあったと考える方はいないでしょう。
魏の役人にしても、わざわざ魏の首都からの行程を書く必要も無いと考えたでしょうし。
同様に、神武東遷の物語に筑後川流域の記載が無いからといって、神武が筑後川流域の出身でないとの決め手にはならないのでは
ないでしょうか?むしろ、筑後川流域は神武の出身国であったため、あえてふれる必要を感じなかったのではないか?というと言い過ぎでしょうか?
なんとか九州から畿内にたどり着いた神武やその子孫は自らの故郷から仲間を呼び寄せた事でしょう。
呼び寄せられた仲間達は懐かしい故郷の名前を植民地につけた事でしょう。(ニューイングランド、のように。)
彼らが呼び寄せた仲間はこの地名の一致を見る限り、筑後川流域から来たと考えるのが自然だと思います。
と言う事は神武の出身地はやっぱり筑後川流域だとおもいます。

666 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/08(金) 21:20:35
>>630>班布というのがどんな布かわからないが [ 縞模様の布の意味だろう]

縞模様の布で思い出したけど、それって本当に倭からの朝貢品?
大体縞模様と言うのは、呉で発明された織物じゃなかった?
それが日本に入ってきて、呉服と呼ばれるようになった。
織物がタテ、ヨコ自在になってあらゆる模様が可能になったのは、
唐代に、ダマスカス織が入ってくるまで待たねばならなかった。


667 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/08(金) 21:31:27
>>649
僕はわかりますよ。世界史でもよくあることだし。
神代と言わなければならなかった理由があるはず。

668 :太国:2006/12/08(金) 21:39:25
>>649
前段 そのとおりだ。神武の後ではない。皇祖皇宗の順は崩れない。

後段 時系列に則って行くためだ。神武以前が神代だよ。
   悠遠の太古の神世七代はもっともっともっと以前だ。

669 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 21:46:42
>>665
>魏志倭人伝の記載は韓国の南部から始まりますが

倭人伝の記述は、帯方郡から始まる。帯方郡は当時、魏の直轄地で太守と
呼ばれる人物が統治していた。現在のソウル付近といわれている。

地名の類似性を説くのは安本説だが、古墳という観点からすると、日向と
近畿地方はよく似ている。西都原の最古級の古墳は、纏向型といわれるし、
生目古墳群の古墳は箸墓と相似形といわれる。

なかなか難しいところだが、記紀が日向をかなり重視しているので、
日向も無視できないと思う。
高天原からの邇邇芸命の降臨も考えるべきではないかと思う。

670 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/08(金) 21:55:04
>>649
神武の東征と同時に各地の伝説や、各国のご先祖を、わが祭神として祀った
と言う意味で、同意と言う事。その結果、八百万の神と言う膨大な量の
神々になってしまった。それを神武古来の祭神などとリンクさせ、大系譜を作り上げ、
天皇家の神王、人王の歴史とし、自らの権威付けをした。

671 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 21:59:42
>>666
>大体縞模様と言うのは、呉で発明された織物じゃなかった?

違います

672 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/08(金) 22:02:30
>>671違います

だけでは解らない。詳しい説明をどうぞ。


673 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/08(金) 22:04:33
>>622の追加計算

神武天皇を、第50代桓武天皇(781年〜806年)を基準にしてハシゴをかけてみる。
第31代用明天皇は西暦585年に即位してる。その間221年を20人の天皇が即位した。

1人当たりの平均即位年数は
221/20=11.05年

傾向として安本氏の天皇の平均在位年数グラフを見ると5世紀から9世紀にかけて
1.36年延びている。100年間に0.34年だ。
用明天皇と桓武天皇の中間地点は696年

神武天皇が300年頃の即位だとすると、中間地点は553年
中間地点の差が143年ある。
143/100*0.34=0.486
11.05−0.49=10.56
これを平均在位年数として計算すると

初代の神武天皇の死亡年は
806−(50−1)*10.56=289

天照大神の死亡年は
806−(50+3)*10.56=246

卑弥呼の死亡年は西暦248年

2年の差とは驚くべき一致度ピッタリ。

674 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 22:05:22
>>672
ぐぐれ


675 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/08(金) 22:14:02
>>640
>安本氏がいうように邪馬台国が東征したら
>なぜ、わざわざ、その後、崇神は四道将軍を配置したか...

神武天皇は邪馬台国が派遣した遠征軍の最高責任者に過ぎない。
たとえて言えば、植民地の総督程度の存在。

第10代崇神天皇は、邪馬台国からの独立を成し遂げた、独立の功労者。
第15代応神天皇は、邪馬台国まで飲み込んで占領し、日本を統一した功労者。
だからこれらの天皇は、戦争ばかりしてたのだろうね。

676 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 22:15:18
邪馬台国人は入れ墨をしてた。だからアイヌ系ではなかろうか。
アイヌの入れ墨技術はスゴイぞ。
つまりかの金印の委奴国もアイヌの意味だ。

677 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/08(金) 22:17:49
>>674
あのね、今、呉服の話をしてるんであって、ヨーロッパの織物の話はしてないでしょう。
呉で発明された呉の織物は、縞模様しか出来なかった。
江戸時代も安価な為、一般の人が着ている着物は殆どが縞模様。時代劇でもおなじみ。

678 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 22:24:40
>>677
ちゃんとぐぐれや
何逆切れしてんのこの厨房
あふぉかこいつw

679 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/08(金) 22:32:01
>>643
>つーか、邪馬台国と大和王権に連続性があるかどうか

連続性はあるでしょう。
大和朝廷が大切にしてる三種の神器「鏡、剣、勾玉」
邪馬台国が欲しくて、魏からおねだりした贈り物「銅鏡、剣」

中国の道教の影響が見られる。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
金八両、五尺刀を二口、銅鏡を百枚、真珠と鉛丹それぞれ五十斤を与えるとしよう。
http://www.webtelevi.com/yamataigisi.htm

道教の神学において,最高神である天皇(天皇大帝)は,その宗教的神聖性の象徴と
して二種の神器を持つとされます。鏡と剣とがそれであり,「神器」という言葉も道教
の教典である「道徳真教(『老子』第29章)」などにその用例が観えています。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~gln/77/7725/772503.htm

680 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 22:34:43
纏向遺跡(3世紀中頃・卑弥呼の時代)をどう考えるかだ。
日本書紀にも崇神天皇が纏向に都市を作ったという記述が出てくるが
二倍年暦で計算した崇神天皇の年齢(3世紀中頃)と
纏向遺跡の時代がぴったと合う。

もし、安本が言うように、纏向の三角縁神獣鏡が邪馬台国のものと違うのなら
邪馬台国は北九州か出雲にあり、東から攻めてきた
大和王権(崇神天皇)に滅ぼされたと考えるしかない。

安本の10年平均在位説は、あまりにも暴論だ。
人間の寿命を平均で推測する話なら、生物学的にまだ信頼できるが
在位期間を平均で推測する話など、生物学的ではないので信頼できない。

纏向遺跡の発見で、大和王権の発祥地が蹴りがつきそうになっているが
現在は、邪馬台国畿内説が有力になっているが、
最終的には、畿内王権による邪馬台国滅亡説が有力になると思う。

681 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 22:35:42
>>679
いや、それはまだ仮説にとどまるな。

682 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/08(金) 22:38:32
>>649
>日本書紀の編纂者が、わざわざ神代の話に分けた理由を知りたい。

神武天皇の前ははるか離れた宗主国である、九州でのお話だから神代にしたの。
事実かどうか判らない遠い昔のあったという言い伝え。

神武天皇以降は畿内の出来事で、いわば目の前の出来事。
だから分けたんだよ。

683 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 22:41:27
>>680
なんかね。普通に考えて、軍事的にも大陸に近くて関係のあった西側のほうが
有利な気がするのよね。
とにかく最終的に日本を統一したのは大和王権なんだけど、それは大陸からきた
連中じゃね?
邪馬台国が、滅ぼされたのは、彼らの東進の途中か、一度大和に入ってからの
リターンバックかは分からないけど。

684 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 22:43:55
>>682
>ははるか離れた宗主国である、九州でのお話だから神代にしたの

理由としては弱い。それなら、神代は外国での話だったからというほうが
筋が通る。

685 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 22:44:28
>>679
自分が考えるのは全く違う。

おそらく、畿内王権は、邪馬台国を滅ぼして
邪馬台国の外交権を奪ったんじゃないのか?

だからこそ、旧唐書に「もともと小国だった日本国が
倭国を滅ぼして吸収した」みたいなことが書かれていたのでは?

卑弥呼と崇神天皇は同時代の人物。
神武天皇は、卑弥呼よりも前の時代の人物。
でも、卑弥呼は天照大神のモデル。
なぜか、記紀には、神武は天照(卑弥呼がモデル?)の子孫っと記述。
ただし、神武より前は、神代ということにして天照も神ということにしている。

つまり、畿内王権(神武王朝)が、
前に中国との国交を持っていた邪馬台国を滅ぼし、
新たな日本全土の代表権を奪ったので、神武朝は自分を正当化する必要があった。
だからこそ、自らを天照(卑弥呼がモデル?)の子孫と
いうふうに偽証する必要があった。
でも、日本書紀の編纂者は、それが間違いだと知っているので
神武以前は、神代ということにして、現実世界と切り離した。

686 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 22:44:43
>>683
フツーに考えると、お前がどうしようもないバカだということが良く分かる



687 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 22:45:21
>>685
低レベルの妄想はやめろよ


688 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 22:46:33
>>686
バカは認めてもいいが、反論は理論的にたのむ。
バカだからといわれたら、自分の説をより信じそうになるから。

689 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 22:48:33
>>687
低レベルではない。
じゃ、日本書紀の崇神天皇の記述をどう考えるかだ。
安本にしろ本居宣長にしろ、読むのが簡単な古事記ばかりに目を向ける。
崇神天皇の二倍暦の年齢と、纏向遺跡の時代の一致をどう説明するんだよ。


690 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/08(金) 22:50:17
>>678
この説明が逆切れに見えるとは。
あのね、これは>>630 から繋がってるんであって、途中から入ってきて、
紋切り型によんだって分かんないの。とにかくはっきりしてるのは
おたくに話しかけてるんじゃないと言う事。
どんな事が言いたいのか知らないが、人を罵倒するのなら
おたくにもっとふさわしいスレを探されたら?

691 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 22:55:27
倭国が献上した織物は、魏志にある絹とか麻だろう。

特に、絹は「倭絹」という中国とは違うタイプのもので、繊維が太くて中国より繊細さに
欠けるが、赤、青、黄の染料のほか、貝紫染という高度な染付けがされていた。

吉野ヶ里でも、貝紫染が発見されている。貴族の染料であり、ギリシア時代では同量の
金と同じ価値とされた貴重なものである。

あと、絹の出土は北部九州と畿内で30〜50対1くらいの大差で九州説有利。
九州での出土は甕管に多いので、畿内より出土しやすいが、木棺でも繊維の保存が
可能なので、畿内説に圧倒的に不利な事実の一つではある。


692 :太国:2006/12/08(金) 22:56:56
まぁとにかく観音とマリアさまを習合させる論が多くて痛快だ。www
卑弥呼はアマテラスに習合させるのは間違い。

>>680
崇神は、余の計算だと3世紀半ばに活躍した天皇だ。年代は合っている。

恵也の説は大笑いすべき暴論であり、関連スレではデタラメ王であると言える。
女王国は畿内にはない。九州だ。

693 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 22:58:52
>>691
だからさ、邪馬台国は九州かもしれないが
大和王権は同時期に畿内で並立していたんだろう?

纏向遺跡は、日本書紀にある崇神と纏向の記述と
ぴったり合うんだよ。しかも、卑弥呼の時期と同時期だ。

694 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 23:02:43
纏向遺跡の出土は決定的だった。

つまり、

卑弥呼の国は北九州にあったが、同時期に畿内に崇神の国があった。
で、畿内の崇神の国が、北九州の卑弥呼の国を滅ぼした。

そのあと、卑弥呼は天照として神格化され、
滅ぼした側の神武朝の神となった。
ただし、天皇家が当初は天照を重要視してなかった。

695 :太国:2006/12/08(金) 23:03:19
>>693
卑弥呼は崇神の世の人物ではない。神功の世の姫だ。
あたかもエリザベスとサッチャーの共在だった頃のようにだ。
マキムクはオシロワケ様の活躍の場だ。

696 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 23:04:47
>>693  まず、纏向の年代を邪馬台国と同時代とすることは賛成しかねる。
纏向はせいぜい280年くらいまでしか遡らない。

纏向は近隣地域との同質性が全くない地域。畿内で自然発生したものとは
考えにくい。移住者が作った都市と考えるのが自然。


697 :太国:2006/12/08(金) 23:04:52
>>694
滅ぼした記述なぞないだろうが?

698 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 23:05:12
>>694
その説なら邪馬壹と大和はどう説明するの?

699 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/08(金) 23:06:19
>>691倭国が献上した織物は、魏志にある絹とか麻だろう。

誰も絹や麻の話はしていない。>>630 に引用されたものが、
「班布(縞模様の綿布)」としているのを受けて、当人に聞き返した部分。
綿織物と言う事で、呉服と結びつけたもの。

700 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 23:06:25
安本らアマチュアの考古学ファンには悪いが
正統な考古学では、纏向遺跡の発掘で
崇神天皇と卑弥呼は同時代の人物であることは確実になっている。

あと、二人の因果関係について分かるからだ。

701 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 23:10:30
>>698
そこが問題なわけで。
一般的に、日本全体の総称がヤマト(山門)と言われていたのでは?
という説もある。
畿内王権が邪馬台国(北九州)の日本主導権・外交権を引き継いだのなら
そのままヤマトを名乗ったのかもしれない。


702 :太国:2006/12/08(金) 23:11:12
>>700
残念だがそれは間違いだ。卑弥呼はマキムクにはいない。
そんな所に居れば、紀の景行天皇の条に卑弥呼がミマキイリヒコの治世に
日代宮付近で活躍していたとの文が残る。それがない。
当たり前だよ。卑弥呼の国が九州にあったんだから、景行紀に書くわけがない。

703 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 23:12:52
>>696
纏向は日本全国からの土器が多く出没している。
なかでも、東海地方のものが断トツに多い。
日本書紀では、崇神天皇が始めて全国規模の政権をつくったわけで、
十分に一致すると思う。

704 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 23:13:07
崇神天皇を248年頃とすると、応神天皇の390年との差は
5代で142年となるが、そこはどうだろう。
纏向遺跡の年代測定に問題があると思う。

705 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 23:13:38
神武から崇神までは巫女さまの御神託で大王を選出していたのだろう。
筑後のアマテラスの神託を受けた豊前のスサノオウが元帥となり各方面の大佐を
を出雲へ派遣。ビビリ大将はあっけなく降参し、身の補償と神殿を賜り、即隠れ。
それにより投降する輩が続出したが、徹底抗戦してくる者もいるにはいた。
んで、軽く争うがあっけなく征圧・平定。

次に出雲の衛星国である大和へと軍を進める、アマテラス隊はナガスネヒコに
行く手を阻まれるが、既に宗主国の陥落を知って怖気ついていたニギハヤヒに戦意はなく
ナガスネヒコを宥めようと押さえ込むが言うことを聞かず止む無く殺害。
んであっけなく神武に下る。大和・平定。

つまり国譲りと東征が同時に行われたんだな。
ヤマトに入ったアマテラス隊は、本国の巫女さま丁重に輿入れし。
崇神の御世まで大王選出御神託占いを行ったとさ。

706 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 23:14:12
俺は邪馬壹國の風俗描写と原始性から考えて九州説をとりたいんだが、
「邪馬壹」と「大和」の音の一致が説明できねえんだよな。
誰かバカ呼ばわしていいから説明してください。

707 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 23:14:24
>>702
そう。つまり、卑弥呼の国は北九州にあったが
同時代にマキムクには、神武王朝も同時進行していた。


708 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 23:16:12
アンポンの話はやめよう、どう見てもペテンだよ。
顔もやばめだし、、チョン並の高顔。

709 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 23:16:55
>>707
でも、にもかかわらず、日本書記に邪馬台国の記述がないのはなぜ?

710 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 23:17:44
>>630  その引用先に絹が献上されたという魏志の記述がないことに
疑問を感じなかったの?

箸墓を卑弥呼の墓と考える畿内説の人間が、わざと絹という決定的に
畿内説に不利なものを無視した不自然さに疑問を持ってしかるべき。

申し訳ないが、この視点から議論自体がものすごく無駄に見えた。
畿内説の騙し論法の土俵に乗って議論することもなかろう。


711 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 23:18:21
あと、天皇家って、当初は全く天照大神のことを
重要視してなかった。
もし、天照大神が卑弥呼のモデルなら
天皇家が、当初は卑弥呼のことなんて...と
軽視していたはず。

712 :太国:2006/12/08(金) 23:19:28
>>706
京都と東京都は違うだろうが。宮崎県と宮城県は違うんだよ。

713 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/08(金) 23:20:05
>>654
>出雲加茂岩倉の銅鐸の埋納の時期はたしかAD120年代だったと思いますよ。

いろいろ教えてくれるのには感謝するが、何から年代を測定したくらいは書いてくれ。
俺が調べたところによると、銅鐸制作年代からの推定のようだ。ずいぶん怪しげ・・・

俺は神武天皇の東征後と考えてる。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
加茂岩倉銅鐸群における最新型式の製作年代に比較的近い時期に埋められたものとみられる。
その時期は遅くとも弥生4期末か5期初頭頃ではないかと推測される。
http://www.highlight.jp/kougindani/16.html

加茂岩倉遺跡のばあいも、弥生土器は、かけらも出土しなかった。そのため、一般の人には
ちょっと信じられないことであるが、銅鐸の推定年代が、学者や学説により、ときとして
数百年もちがうのである。
http://yamatai.cside.com/yasumoto/tyosyo77.htm

714 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 23:20:22
>>709
日本書紀の記述と二倍年暦の年齢が正しいのなら
崇神天皇と卑弥呼が同時代の人なわけだから
崇神天皇の支配領域を考えるしかないわな。

715 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 23:20:34
>>700
では、魏志倭人伝で崇神天皇はどのように書かれている。
崇神天皇と卑弥呼が同時代なら、表に出るのは、崇神天皇のはず。
卑弥呼は倭王と呼ばれることはない。
女王国と呼ばれることもない。

716 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 23:21:35
アンポンの説はやめてくれ!
あいつはペテン

717 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 23:22:09
>>712
東京は、京都をもじって作ったんでしょ?関係あるじゃない。
宮崎と宮城は論外だよ。

718 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 23:23:29
>>690
訳の分からん事言ってんな
大丈夫か?

719 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 23:24:55
日向から宇佐、崗へといくのが東征のルートだ。
これに代表されるよう東征の出発地は宮崎だよ。
ペテンのチョンに騙された
脳弱日本人。
九州説でもペテンの言うことだけは聞いてはならない。、

720 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 23:25:27
>>706
1、偶然の一致
2、邪馬壹國が東進して大和王朝になった
3、大和王朝が邪馬壹國という名を拝借した。
4、やっぱり畿内説が正しくて邪馬壹國=大和国

のどれかだ!俺は3を支持。

721 :太国:2006/12/08(金) 23:26:45
>>716
まったく懲りない奴だなぁ〜。

鹿児島神宮と鹿島神宮は違うんだよ。祭神も違うだろうが。
愛媛県と愛知県は違うんだ。愛媛に草薙剣は祭ってないだろう?

722 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 23:27:04
>>715
日本の南北朝時代に、中国に出てくる
「日本国王良懐」は、九州で覇権を握っていた懐良親王。
また、戦国時代、日本国王の勘合府を独占していたのは
大内家とか毛利家のような中国地方・北九州の大名。
また、ポルトガルが最初に日本全体の国王だと思ったのは、島津貴久。


723 :太国:2006/12/08(金) 23:28:15
>>721 訂正

× >>716      ○ >>717

724 :日本書紀を読め:2006/12/08(金) 23:30:11
武光誠氏の「日本の神々の謎」

六世紀初頭に皇位をついだ継体天皇が、応神天皇の五世の孫に相当することと関わる。継体天皇
の直前の武烈天皇が亡くなったときに、応神天皇の次に仁徳天皇の系譜を引く皇族が全く
いなくなった。その為、仁徳天皇の弟の若野毛二俣王(わかのげふたまたのみこ)の子孫で
越前、近江に勢力を張っていた継体天皇が迎えられたのだ。そのことによって、継体天皇の
系譜を引く諸天皇が「五世の孫」という立場に特別の意味を付するようになった。その為、
神武天皇が天照大神の五代目とされたのだ。その影響は八世紀初頭の「大宝律令」の天皇の
五世の孫までの者は皇族として扱われ皇位をつぐ権利をもつとする規定にまでつながっている。

前記の引用の中で私が特に注目するのは、五世の孫までを天皇位を継ぐ権利があると明文化
されていることである。つまるところ日本神話の成立は比較的新しいものであるといえる。

725 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 23:30:25
>>717
要は太国氏は>>720の1だと言ってるわけです。

726 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 23:32:35
>>724
やはり、日本書紀の神話の部分は
比較的に新しく作られた話。
だからこそ、日本書紀では、神代と正史を
明確に分けている。

727 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 23:35:03
アンポンの説を信じてるような
脳弱は
懐良親王なんてしらんてwww

728 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 23:35:44
>>722
つまり、邪馬台国は九州にあったというわけだ。
畿内説の王道としては、卑弥呼の冢が古墳時代の始まりとなるはず
なんだけどね。
しかし、卑弥呼を天照大神とみなすその考えでは、記紀で重要視されている
日向の記述が説明できない。
九州の邪馬台国が滅ぼされたというのも、文献の記述が全くなく、根拠が
ない。想像の産物に過ぎないと思う。

729 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 23:36:26
記紀を素直に読めば、邪馬台国=九州、神武東進=大和でいいじゃない。
何故、九州の記述が多く、東進の記述があるのか、説明してくれ。

730 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 23:36:52
>>728
滅ぼされたんじゃなくて同化して自然消滅でしょう。

731 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 23:37:39
>>729
つまり>>720の2か?

732 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 23:38:47
崇神は選出されたのだよ。神のお導きだ。バカどもめ。

733 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 23:41:01
>>730
なんか、いろんな説が入り乱れて混乱してしまう。

734 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 23:41:09
○ポンの説は
都合のいい話は大声、都合の悪い話は一切無視、スルーという
手法をとってる、この時点でペテン決定してるわけで。
鼻から相手にしな方がいいんじゃないかと。。

735 :太国:2006/12/08(金) 23:42:32
>>728

正解

736 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 23:46:41
九州の甘木朝倉三輪周辺と畿内の大和地方の地名など不可思議な一致。。。
説明できる人います?

737 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 23:47:17
>>720
分かった!サンキュー!

738 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 23:47:59
>>729
神武が東征したかどうかは分からんが
日本書紀を読んだら、
神武は大軍で攻めたというよりも
なんか少数のお供で、うまいこと日向から陸地を殆ど通過せずに
畿内へ上陸して、しかも、最終的にはお供が20人しか残らず
その上、畿内にいた出雲系の王女と結婚・婿養子になっている。
しかも、神武の畿内での話は、三輪山周辺の狭い話しか出てこない。

よって考えられるのは

神武が本当に東征した場合は、卑弥呼よりも前の時代で
九州南部と畿内が同盟を結ぶために婿養子に行った話。

あるいは、

神武は東征していない。中国王朝と国交の合った九州勢力への
権威を示すために、自らの出自を九州人ということにした。

このどちらかだと思う。

739 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 23:49:03
>>736
そこに太宰府があり奈良人が移住したから
実際、藤原が移住して太宰大弐、少弐になってる。
その前は栗隈王とか関西人と全く無関係な人みたいな
名前だけど。
彼ポンの説は所詮無知の産物、脳弱ウケはよい。

740 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/08(金) 23:51:18
>>665
>神武の出身地はやっぱり筑後川流域だとおもいます。

出身地というより、東征の為の軍隊を集めた邪馬台国の同盟国というべき。
北九州の岡田宮で1年過ごしておられるのは、兵隊や船、資金を集めて出発した為だよ。

この後の広島や岡山は、占領後の治安維持し完全な植民地化の為に長居をしたもの。
今のイラク状態みたいな最悪なやり方じゃ、奈良を征服どころじゃなかったでしょう。
ブッシュ大統領よりははるかに、頭が良かったというべき。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
さらに筑紫の岡田宮(福岡芦屋)にお着きになりそこに一年お住まいになった。
そこからまた、阿岐の国多祁理(広島安芸)に七年お住まいになり、次いで吉備国高嶋宮
(岡山)に八年お住まいになった。
http://shrine.s25.xrea.com/jinmu.html

741 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/08(金) 23:51:28
>>710
何の話じゃ。綿織物のことだと言ってるだろうが。
絹なんて今の話で関係あるか。

>>677
ちゃんとぐぐれや
何逆切れしてんのこの厨房
あふぉかこいつw 」これは誰の文じゃ。そっくりおのれにかえしてくれるわ。


742 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 23:52:40
日向、宇佐、崗(岡田)が東征のルート。
どうみても筑後平野からは遠回り。
詭弁つかってペテンに掛けてるだけ。

743 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 23:52:42
前に、フランス人かなんかが、日本の歴史を書いたのを見たが
そいつは、西欧人が聖書を研究するのと同じように研究したみたいだが、

はっきりと、九州出身の神武天皇が、
畿内の王家の婿養子に入りましたって書いていたぞw

そりゃ、神武東征を正確に読めば、どう考えても婿養子だろう?
あんな少数で、どうやって東征なんだw
最終的には20人しかお供がいなかったんだぞw


744 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 23:54:32
卑弥呼はモモソヒメで決まりだな。弟のような男はズバリ崇神。

745 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 23:54:38
嘘、嘘、嘘の上塗りで大嘘ついてるのが
○ポンの説。全てにおいて大嘘の塊であると言える。


746 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 23:55:27
おまえら、日本書紀を正確に読め。

神武東征は、最終的には、お供は20人くらいしか
生き残らなかった、これって、完全に敗北だろう?
こんな20数人で、どうやて畿内を制圧できるんだよ?

そのあと、三輪山にいた出雲系の嫁を貰ったわけだから
普通に考えて、婿養子にいった話だ。

747 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 23:56:29
>>733
同感。
もし次に新スレ立てるなら、
 @畿内説、A筑後説、B筑前説、C肥後説、
 D肥前説、E宇佐説、F日向説、G吉備or出雲説
ぐらいにスレを分けないと…

さらにそれぞれ、  A東遷あり  B東遷なし   と細分化したらいい。

748 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 23:57:31
>>746
おまえこそちゃんと読めよボケw

749 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 23:58:21
神武東征の話で、一番大きな誤解の元になっているのは
東征って大袈裟な話に展開してしまっているのだ。

日本書紀を正確に読めば、神武東征ってのは
少ないお供を引き連れて、大和三輪山へ
畿内の王家の婿養子に行った話しだ。

750 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 23:58:19
>>747
邪馬台国が東征したかどうかと東征があったかどうかはまた別問題。

751 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 23:58:51
>>747
つか、いっぺんそれで各主張点と問題点を列記したのが見たいところ。
もうほとんど感情論になっとるけん。

752 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 23:59:31
>>706
大倭 は、近畿の大和政権が置いた。で説明つきます。読みも同じ。
これが語源とすれば。

753 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 00:00:04
今の考古学では、
神武東征も、畿内の勢力が東征するのも
殆ど無理という結論が出ている。

754 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 00:00:07
>>749
じゃ、なんで太陽に向かって戦わないで熊野から上陸したりする戦記があるの?

755 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 00:01:53
神武東征を九州からの撤退と考えたら、説明がつくね。
神武の東征は敗走。だから、大和にたどり着くまで、各地の
豪族と戦いながら、長い年月を過ごした。
婿入りだったら、一ヶ月ぐらいで行くと思うが。

756 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 00:02:27
>>752
いや、邪馬壹國が九州でも、大和は間違いなく奈良でしょう。
なんでこの二つの読みが同じなのってことです。大倭って何指してるんス?

757 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 00:03:55
漏れも大倭は大和だと考えてる。
九州の大和は大倭の名残でここに畿内から
派遣された四道将軍などの拠点があった。
九州に派遣されたのは大屋田彦
彼は松浦の見借を征伐してる。


758 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 00:06:10
>>754
だから、神武東征は、婿養子にいったか
あるいは、そんなことは全く無かったかの どちらか?だろう。

神武の東征ルートって、おかしいほど
畿内以外の有力豪族のいる陸地を避けるようにして旅をしている。
瀬戸内海の孤島を渡海して、しかも、最終的には
山奥の熊野ほうから、こっそりと進入している。

不自然だ。

そりゃ、大規模に遠征した話(北九州・中国地方を制圧)だったら
嘘だということがバレルからな。

759 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 00:07:27
考えてみてよ。なぜヤマトが大和(倭)ですか?
最初にヤマトがあり大和(倭)?
大和(倭)がありヤマト?
不思議なことに気づかないか??!!


760 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 00:09:08
畿内は大和(ダイワ)なんだよ。
九州はヤマトだったんじゃないのか?
そして偽装したのが大和(倭)=ダイワ・・・
そういう感じがする。


761 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 00:09:32
>>759
続けたまえ

762 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 00:11:57
>>747>>751
そうだね。
「ドンと来い♪」──なんてスレタイにしちゃったから、各説入り乱れて、ちょっと見ただけではワケ分からない雰囲気になってしまうのでは…
ときおり注目に値する鋭いレスがあっても、かくもゴチャゴチャしていては…

763 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 00:12:21
後二日程でスレ終了しますが、次スレどおします?

764 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 00:13:38
>>758
婿養子に行くのに、7年か17年かけていくのか。
なかったら、何故、東征の説話があるのだ。
大和政権の正当性のためには神代も神武東征も必要だった。

765 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 00:14:19
安本氏の話を全部否定するわけではないが、
普通に考えて、政治的には
大和三輪山から全国を勢力を拡大したんだろう。
しかも、卑弥呼と同時代に、大和三輪山から全国へ拡大した。

魏志にある邪馬台国は北九州にあったかもしれないが
大和王権は卑弥呼と同時期には畿内から全国制覇に動いていた。

>>724にあることが事実なら、畿内の天皇家は
天照神話(卑弥呼がモデル?)は比較的に新しい時代に出来た話しで、
あんまり思いがなかった。

766 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 00:14:56
そもそも脳弱には畿内説、九州説くらいの区別しかわからないし
ポンの説信じてるようなのはチョンカスしかいないし

767 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 00:15:56
神武東征はね、アレクサンドロス大王の東征を下敷きにしたんだよ。
熊野に回るところは、ハンニバルのアルプス越えに似てるなあ。

768 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/09(土) 00:16:15
>>689
>崇神天皇の二倍暦の年齢と、纏向遺跡の時代の一致をどう説明するんだよ。

タダの偶然。
纏向遺跡って3世紀から6世紀にかけての遺跡。
恵也説での崇神天皇でも、十分に一致してる。

崇神天皇が死なれたのは
806−(50−10)*10.56=西暦384年

ーーーーー(引用開始)−−−−−
第145次調査では、3世紀代から6世紀頃にかけての遺構が複数確認されました。
http://www.keyton-co.jp/gensetu/060325makimuku145/doc1.htm

769 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 00:20:59
佐賀大和の近くにたしか田道ヶ里というのがあって
ここに田道命(後の但馬守)が降臨したと考えられている。
その田道ヶ里は吉野ヶ里の直ぐ近くで本当なら
田道ヶ里遺跡といった方が正しかったのかもしれない。


770 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/09(土) 00:21:47
>>700
>纏向遺跡の発掘で 崇神天皇と卑弥呼は同時代の人物であることは確実になっている。

確実なのなら、その根拠と西暦何年かくらい出しなさい。
出せもせずに断言するのは、詐欺師の証拠!

771 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 00:22:37
>>768
残念ながら、ただの偶然で
片付けられんだろう?

772 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 00:24:03
何にせよ「それは偶然」って口から出たらあなたの意見すべてが疑われるだろう。

773 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 00:25:43
>>768
>崇神天皇が死なれたのは
>806−(50−10)*10.56=西暦384年

それじゃ、応神天皇の年齢と全く合わない!!
応神はおよそ西暦390年くらい。

774 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/09(土) 00:26:33
>>703
>纏向は日本全国からの土器が多く出没している。
>なかでも、東海地方のものが断トツに多い。

纏向遺跡の権力者が、東海地方も勢力下に治めていたというだけの話。
税金として、東海地方の貢物がマキムクに流れ込んでいた証拠とはいえる。
しかしそれじゃ日本全国という訳にはいかないよ!

775 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 00:28:57
>747
基本的には、@畿内説、A九州説の東遷、B九州説の東遷なし
C九州王朝説かなあ。
しかし、それぞれが微妙に異なったりする。
九州説の場合は、比定地も様々だし。

まさに、西部劇の酒場の殴りあい状態。誰でもが参加している。
一対一というのが理想なのかも。

>763
コテハンに限るみたいな制限をしてみてはどうだろう。

776 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 00:30:22
神武東征って、河内に攻め込んで
結局、そこから、どんどん攻めあがるんじゃなくて
こっそり山奥の熊野のほうか、入っていったんだよね。
しかも、お供は20数人しか生き残っていた。
で、あっさりと地元の王女と結婚。婿養子に...
で、そんな大遠征したのに、畿内に入ってからの神武は
三輪山の狭い周辺の話しかなく、領土は狭いけど、のんびりしているって
感激にひたてっているんだよなw

本当に東征したのかよw
だいたい、昔は天照のこと大事にしてなかったんだろう。
しかも、なぜ、日本書紀の編纂者は、天照を人間にせず
神武以前を神代ということで区切ったんだw
嘘だろう?って思ってたんだろう。

777 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/09(土) 00:32:19
>>706
>「邪馬壹」と「大和」の音の一致が説明できねえんだよな。

「邪馬壹」は邪馬臺の書き間違い。
卑弥呼の後継者、13歳で指導者になった臺与はトヨと読む。
よって邪馬臺はヤマト。

778 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 00:33:22
今、一番有力なのは

「畿内王権が邪馬台国(北九州)を征服した」説が有力。

とにかく、ここにきて日本書紀の解読が盛んになってくると思う。
西欧でも旧約聖書の解読が盛んになっているように。
中国の学者の協力も必要になってくる。
あれは、古代中国語で書かれているわけだから。

779 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 00:35:11
>>777
そうそう。天照のモデルは卑弥呼。
自分もそう思う。

しかし、畿内の天皇家は天照とは関係が無かった。
その神話を後から略奪した。


780 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 00:35:38
大和はダイワが正解。
ヤマトじゃない、ダイワ(大和)人の偽装。
大嘘付き!

781 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 00:36:39
オオウソツキ!

782 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 00:41:39
>>741
ますます訳の分からん事を
脈絡が全然ついてないんだが
あんた分裂症か?

783 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 00:41:45
>>775
@の邪馬台国畿内説それ自身も、
  A自生・自立説  B外部勢力要因説(東遷・東征・連合etc)
と二つに分けたほうが…・
そうすれば>>750さんも>>778さんも、スムーズに議論に加わって来れるだろう。

784 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 00:42:54
日本書紀の研究で、神話の部分は
後からつけられたのでは?という説が有力になっている。
実際、天皇家はもともとは天照を軽視していた。
天皇家が重視していたのは熊野もうで。

>>724にあることが事実なら、畿内の天皇家は
天照神話(卑弥呼がモデル?)は比較的に新しい時代に出来た話で、
あんまり思いがなかった。

しかし、天照のモデルは、どう考えても卑弥呼である。
卑弥呼は中国との外交権を握っていた国の女王だった。

後に、旧唐書に「我々は倭国ではない。もともと小国だった日本国が
倭国を併合する形になった」みたいなことを言っているのは
そういうことだろうがと思う。

785 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 00:43:22
>777
倭人伝には、壹與と三回も書かれているが、太平御覧、梁書などには
臺與と書かれている。台与が正しいのかもしれない。
ということは、魏志倭人伝が最初に書かれたとはいえ、他の書物は、
倭人伝を参考にはしておらず、別の資料から書いたものと思われる。

それにしても、魏志倭人伝は誤字が多い。
狗奴国も後漢書にあるように、拘奴国が正しいのだろう。
ほかにも、一大国などは間違っている。

786 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/09(土) 00:47:39
>>736
>九州の甘木朝倉三輪周辺と畿内の大和地方の地名など不可思議な一致。。。

神武天皇がその近くで、大量の兵隊を集めて大和を征服したからだよ。
その兵隊が大和で偉いお役人様に、大量になったため。

787 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 00:49:39
>>777
違う。違う。俺の
>「邪馬壹」と「大和」の音の一致が説明できねえんだよな。
って疑問はですね。両方ともほぼ読み方は「ヤマト」でしょう。
それはいいんですよ。疑問なのは、俺は九州説なんだけど、
だったら、なんで「ヤマト」という土地が九州と近畿とにあるの?ってこってす。
そりゃ、同じ地名が日本中にあるなんて知ってますよ。住吉だって千石だって。
でも、両方ともほぼ首都名、あるいは連邦国名でしょう?
邪馬壹國は連邦国でなく、その首都のある国の名だんて微妙な定義はどうでもいいです。
これはとても偶然じゃない。九州説の俺ははそれにどう答えればいいか分からないってことです。

788 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/09(土) 00:52:53
>>738
>畿内へ上陸して、しかも、最終的にはお供が20人しか残らず

そんな話は始めて聞いた!
20人くらいのお供なら、敵対国は未来の禍根を立つために全部殲滅するよ。

なんだったら、二度と攻めてくる気持ちを持たせないために残酷な公開処刑まで
やるかも知れん。
神武天皇が大軍だったから仕方なしに、指導者の娘を差し出し、勘弁してもらったの!

789 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 00:54:40
>>784
耳にタコが出来るくらい聞いたし、いいかげん秋田。
ステレオタイプのツマランヤツ!


790 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 00:55:05
>>788
神武の話は無理だ。
彼は河内で戦闘をして、なぜか真正面から入らずに
山奥の熊野からこっそりと
わずか20数人のお供だけ連れて入っている。

大軍を引き連れてなんかいない。

791 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 00:59:12
恵也 ◆o4NEPA8feA
君には気の毒だが
崇神天皇の没年齢からして、何代か後の応神天皇の生まれた年と
変わらなくて、全く整合性がとれない。
二倍年暦で計算したら、崇神天皇は卑弥呼と同じ時代の人
しかも、マキムク遺跡(記紀に崇神がマキムクに都市を作った)の
年代が崇神天皇の年代とかち合う。

792 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 01:00:11
河内で待ち受けていた土人どもを回避したのだろう。
首都さえ制圧すれば終わりだ。

793 :787:2006/12/09(土) 01:00:38
もうちょと言わせて。この九州、近畿、ふたつの「ヤマト」という言葉に
関して、「偶然」って説明は同じ九州説者でも納得できません。
せめて、「やまと」は当時ポピュラーな地名だったとかぐらいは言うか
推理でもいいから証明してほしいほしいと思います。

794 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 01:02:55
788 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/09(土) 00:52:53
>>738
>>畿内へ上陸して、しかも、最終的にはお供が20人しか残らず
>そんな話は始めて聞いた!
>20人くらいのお供なら、敵対国は未来の禍根を立つために全部殲滅するよ。

だからこそ、神武東征を疑っているんだよ。
畿内の神武王朝は、何が何でも、天照(卑弥呼がモデル)との
関連性が欲しかった。
中国と交易していたのは、九州の勢力だったから。

>>724にあることが事実なら、畿内の天皇家は
天照神話(卑弥呼がモデル?)は比較的に新しい時代に出来た話しで、
あんまり思いがなかった。

795 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/09(土) 01:07:28
>>773
>応神はおよそ西暦390年くらい。

応神天皇も年代ははっきりしてない。
その子供の仁徳天皇を140年以上生きた事にして在位期間80年にしてるだろう、怪しいよ。

恵也説で第15代応神天皇の死なれた年を出すと、
806−(50−15)*10.56=西暦436年

まあ、この程度が常識というものだ。

796 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 01:07:51
まぁ九州は無いだろう
水行30日だと太平洋にでちゃうし。
漂流しちゃうよ?

冷静に考えてごらん。

797 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 01:08:03
>>792 :日本@名無史さん :2006/12/09(土) 01:00:11
>河内で待ち受けていた土人どもを回避したのだろう。
>首都さえ制圧すれば終わりだ。

無理だね。農耕社会の国力を分かっているのか?
そもそも、卑弥呼の同時期には、
すでにマキムク遺跡みたいな遺跡があったのだから
かなりの大きな国家がその周辺に存在していたはず。
で、神武は20数人のお供しか生き残らなかった。


798 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 01:09:44
恵也 ◆o4NEPA8feAって
なぜ、こんなに論破されているのに
むきになるの?
もう、完全に論破されているじゃん。

799 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 01:09:48
20人20人って土人の数か?w

800 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 01:11:57
北部九州はすでに、畿内(邪馬台国)の配下にあったから、記紀の東征に
出てこないのは当然。

801 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 01:13:07
>>795
応神天皇の390年はほぼ確定。崇神天皇は古事記の崩年干支から378と思う。

802 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 01:16:14
>>801
それ、あわないよ。
崇神天皇から数えて6代目だよ、応神天皇は!

応神天皇の390年がほぼ確定なら、崇神天皇は
西暦3世紀の人物だ!

803 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 01:16:43
>>793
まあ、それが畿内説のジョーカーだよな

804 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/09(土) 01:17:37
>>791
>崇神天皇の没年齢からして、何代か後の応神天皇の生まれた年と

第10代崇神天皇も第15代応神天皇も年代は、どちらとも信頼性がゼロ。
記紀を書いた連中が、勝手に引き伸ばして書いたものだろう。

確かな年代として当てになるのは、第31代用明天皇くらいからだ。

805 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 01:21:40
>>804
>第10代崇神天皇も第15代応神天皇も年代は、どちらとも信頼性がゼロ。
>記紀を書いた連中が、勝手に引き伸ばして書いたものだろう。

だからさ、記紀の書いて連中のこと全部信じなくてもよいけど、
じゃあ、おまえの言うことを信じなきゃいかんわけ?
それこそ、説得力ないわけじゃん!

で、なぜ、わざわざ引き伸ばさなければいけないのよ。



806 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 01:23:10
恵也 ◆o4NEPA8feA
君はむなしすぎるよ、
記紀に書いた連中が勝手に引き伸ばしたって
そんな幼稚な説しか出来ないのか?


807 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 01:23:54
>>801
崩年干支 戊寅(258年、318年、378年)のうち、378年としたのは、卑弥呼の没年
248年から推定してのこと。ちなみに応神天皇の崩年干支は甲午で405年。

808 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 01:24:17
俺は、記紀の書いてあること
全部、信じなくても良いけど

勝手に年齢を引き伸ばしたとか言うやつは
全く信用に値しないと思う。

809 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 01:25:39
大倭は畿内の四道将軍の軍隊だとおもうね。
問題は邪馬台国なんだよね。
邪馬台国は蟻の勘違いのような、なんか
又聞きで変な解釈してたんじゃないかな。

810 :807:2006/12/09(土) 01:26:39
>>802
アンカー間違えた。ごめん。

811 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 01:26:58
漏れもそういう荒唐無稽な勝手な解釈は許し難い。
ポンもそういう傾向がほとんど。

ところで景行天皇のことももう少し語ろう。

812 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 01:30:11
なんかどうとでも捏造できそうな年代の話なんてむなしー

813 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 01:32:03
古代インド史なんてもっとスゴイぞ。600年ぐらい平気で間違えちゃうぞ。

814 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/09(土) 01:32:34
>>794
>だからこそ、神武東征を疑っているんだよ。

記紀に大和占領時に20人くらいのお供しか生き残ってないと書いてあるのかい?
俺は見たことがないけど・・・
宮崎の日向から出発時点の話じゃないの?

軍隊や船、資金は北九州で集めてるはずだけど・・・・・

815 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 01:34:55
>>813
そんなこというなら、誰だってなんだっていえちゃう。
(ポンの説を信じるような脳弱はこれだから・・)

816 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 01:35:48
ポンなんて知らないヨ

817 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 01:35:54
安本氏は「天照は卑弥呼のモデルだ!」っていう理由から
天皇家の先祖を無理やり卑弥呼に当てはめるために
10年平均在位説という珍説を作り出したんだよね。
で、崇神天皇の生存時期を遅らそうとした。

でも、そもそも、神道や記紀の解読の専門家の話だと

天照は卑弥呼のモデルかもしれないけど

天皇家はもともとは天照を重要視してなくて、
日本書紀の神話の部分は後から出来た。
だから、神武より前は、人間世界ではなく
神代ということにしたとか言っているんだよね。
もし、本当に卑弥呼が天皇家の先祖なら、神話とせずに
人間として扱うだろうっと...

しかも、記紀に崇神天皇がマキムクに都市を作ったというのが出てくるけど
マキムクから二倍年暦で算出された崇神天皇の同時期の遺跡が出てきた。
それは、卑弥呼の生存時期でもある。

つまり、卑弥呼と崇神天皇は同時代の人物で、のちに
九州を制圧した天皇家が、中国との外交権があった卑弥呼を神格化し、
それを先祖に入れようとしたが、さすがに年数とか都合があわないw
で、日本書紀の編纂者が、仕方が無いので、神代ということにいして
人間の歴史じゃないようにしたということだろう?

818 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 01:36:12
バカに限って数字の語呂合わせが好きだからねー
脳弱はこれだから・・

819 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/09(土) 01:36:34
>>805
>で、なぜ、わざわざ引き伸ばさなければいけないのよ。

これまでの議論を読んでないようだね。
中国と対等になりたくて、伝統に箔をつけたかったから。
それだと歴史が古くなるだろ。

820 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 01:36:55
>>818
俺もそう思う。数字合わせと、言葉合わせは秋田

821 :807:2006/12/09(土) 01:41:42
何故普通に考えないのか不思議だよ。記紀を普通に解釈すれば
大和政権の初代神武天皇は東征して大和に入った。その前の邪馬台国時代は
神代としてあるわけだ。邪馬台国と大和政権の名前の一致も、古事記の九州
の地名もすべて解決できるよね。

822 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 01:43:28
>>821
なんで邪馬台国時代を神代にする必要があるわけ?

823 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 01:43:30
>>819 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/09(土) 01:36:34
>>805
>>で、なぜ、わざわざ引き伸ばさなければいけないのよ。

>これまでの議論を読んでないようだね。
>中国と対等になりたくて、伝統に箔をつけたかったから。
>それだと歴史が古くなるだろ。

ちょっと引き伸ばしたくらいで、中国と対等になれるかよw
そんなの説明になってないw 完全に説明が破綻している。
中国の歴史は、その当時の時点でも2千年以上だぜw
ほんの数代の天皇の時期を延ばしたぐらいでは
全く対等に離れないw しかも、その数代の天皇を伸ばしたぐらいでは
中国の長すぎる歴史から見たら、屁みたいなもんだ。


824 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 01:53:14
>>822
古事記の編纂者は、神武以前(邪馬台国?)と
神武以降の歴史を区別していない。
古事記は、稗田阿礼一人?が言ったことだから、
神道系の影響が強い。

でも、日本書紀は、律令体制の官僚が大勢で作成したもので、
中国系1世(ネイティブ中国語が分かる人たち)も
編纂に多く関わっている。
神武と邪馬台国の年代が合わない(10代目の崇神と卑弥呼が同時期)ので
こりゃ、おかしいだろう?って、ばっさりと切り捨てるために
神武以前は、神代ということにして、わざわざ章まで分けて区別している。
しかも、天孫降臨〜神武の間には、数百万年もの年月をもうけているw
数百万年って、現人類はまだ誕生していないじゃんw
要するに、神武とその前の神々は、何の因果関係もありませんよ
て宣言しているようなもの。

825 :807:2006/12/09(土) 01:53:38
>>822
初代はあくまでも神武天皇だからね。神代と厳密に書いているのは、日本書紀。
妄想的に言うと、神武東征はどうも邪馬台国滅亡後の九州からの敗走のような気
がする。古事記では東征に17年かかっている。苦難の旅だったと思う。
だからこそ、民族の記憶として残ったものだと思う。

826 :807:2006/12/09(土) 01:59:23
>>824
関係のない神代のことを書いて何の意味があるのかなあ。
関係が深く、大和政権の正当性に強い影響があるからこそ
書いたと思うよ。

827 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 01:59:57
>>824
なんかちょっとよく分からないな。
ここで何度も出たけど神功皇后の巻で「魏志云」って注釈が引用されているんだぜ?
なんで魏志倭人伝をここで引用するのさ?邪馬台国を神代として「ばっさり切り捨てた」んなら
魏志を神武以降になぜ引用する?

>>825
いや、神武が民族の記憶に残ったかどうかじゃなくて、なぜ邪馬台国が神代にされたかって
話してるんだけど……



828 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 02:06:13
>>827
そうだよね。神功皇后の巻で「魏志云」って注釈が引用されているんだよね。

ただ、最近、日本書紀の研究だと、複数の人間で書かれているから
つじつまが合わないこともあるんでは?う〜ん...

神功皇后は、昔の邪馬台国のあった?宇佐との
関連性が注目される。

彼女は卑弥呼を意識していたとか...う〜ん...

829 :807:2006/12/09(土) 02:08:02
>>827
邪馬台国と大和政権は時系列で連続してると思っているが、
先に書いたように妄想的に邪馬台国は滅亡したと思っている。
その意味では神武は初代天皇だから、神武天皇以前はつまり
九州時代は神代とされたと思う。

830 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 02:09:48
>>825
気がするって・・
妄想って・・・
知識も無い。
頭も悪い。
そういうおまえの妄想って、
気がするって・・・

そういうバカな説を聞かされる俺の見になれって・・・


831 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 02:12:27
>>826
そう。大和王権の正当性について、よく問われる。
卑弥呼の国と中国が交易していたが、その後、ばっさりと日中の外交関係が断絶する。
んで、100年後以上たって応神天皇の時に倭の五王の使者が久々に訪れる。
この間に何かがあったと見るべきだろう。
仮に、畿内政権が、北九州にあった?卑弥呼の国を滅ぼしたとして
結局、その後、中国との関係が断絶した状態になる。
中国でも王朝交代があって、日本でも勢力地図が変わったので
なんとも言えないが...

832 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 02:13:43
中国の王朝交代劇についても考えてみよう。
同時期のだ...

833 :807:2006/12/09(土) 02:14:58
>>825
推定や仮説に「思う」を使わない人間のほうがおかしいが。
妄想的と書いたのも上記の理由です。

834 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 02:25:23
>>832
邪馬台国と交易をもっていた魏王朝は
卑弥呼の死後、少したって、家来の司馬氏に
乗っ取られたけど、これは、あくまでも魏王朝のあとを
受け継いだと考えるべき(つまり、魏と敵対していた呉ではない)なので、
その後、日本と中国の国交が100年間断絶したのは、
どちらかというと、日本側に原因があったのでは?と思う。

つまり、魏(その後継者・晋)と仲が良かった(親魏倭王)
邪馬台国を畿内王権が滅ぼしたので、
日本と中国の間が断絶したのでは?と思う。


835 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 02:29:11
>>834
>その後、日本と中国の国交が100年間断絶したのは、
>どちらかというと、日本側に原因があったのでは?と思う。

ああ、これは鋭いねえ。

836 :834の続き:2006/12/09(土) 02:34:33
それゆえ、畿内王権は、邪馬台国の
継承者になるしかないわけだが...

後の旧唐書の「我々は倭国ではない。もともと小国だった
日本国が倭国を倒し吸収した」って発言の意味を理解するしかない。

マキムク遺跡で見られるように、前方後円墳の分布状況から考えて
崇神天皇(卑弥呼と同時期)の時に畿内王権が全国制覇に出た。

それと同じ時代に北九州には卑弥呼の国があった。
北九州のほうが、魏との交流の深さがうかがえるモノが発掘される。

しかし、前方後円墳の拡大状況をみると
卑弥呼の同時期のマキムクから全国統一が始まったことが分かる。
日本書紀にも、崇神天皇はマキムクに都市を作ったと書いてあり、
二倍年暦の崇神天皇の年代とマキムク遺跡の年代は整合性がとれる。


837 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 02:40:28
>>836
うーん、自分的にはかなり納得するのだが、質問させてください。
なんでその全国制覇した畿内政権の名が北九州の卑弥呼と同じなのか?
いや畿内政権というか列島全体の名ですよね。「やまと」は。


838 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 02:41:55
>>837
ちょっと文章変でしたが、要は卑弥呼の国と同じ「やまと」って国名なのってことです。
自分の国の名を使えばいいのにってことなんですが、同じヤマトだったんでしょうかね?

839 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 02:42:12
後の旧唐書の「我々は倭国ではない。もともと小国だった我々
日本国が倭国を倒し吸収した」って発言。

唐の時代の日本国自身の認識は
「むかし中国と交易していた列島の国は倭国(卑弥呼の国とか?)で
われわれ(日本国)は、もともとは倭国よりも小国だったけど
それを倒したのだ」
っていう認識があったんだよね。

つーことは、畿内王権は、
昔は、その倭国(卑弥呼?北九州?)の政権のほうが
自分たちのよりも中心で正当性がある
と考えていたのでは?

で、その倭国(卑弥呼の国?)の話を自らの正当性に入れるために
神話として吸収する必要があったのでは?と思う。
だいたい、日本書紀の神話の部分は、比較的
新しく作られた話みたいだし...


840 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 02:45:29
>>839
その旧唐書は原文で見ましたが、なんかしどろもどろなんですよね。日本側の
日本と倭の違いの説明が。
うーん、ご説に乗りたいんですが、どうも卑弥呼の国に正当性があったというのが
よく分かりませんなあ。

841 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 02:47:04
>>837-838
それは難しい。それは分からない。

日本を統一する全体の総称がヤマトだったのかもしれないし、
または、中国の交易するためにも
中国(魏)と交流のあった卑弥呼の国(邪馬台国)の名称を
名乗る必要があったとか...
なにせ、中国との交流がなかなか再開されないわけで。



842 :きのうのジョー:2006/12/09(土) 02:48:35
もしですね。畿内王権より、卑弥呼の国(北九州説に賛成)に正当性があった。
だから「やまと」の称号を使ったなら、卑弥呼の国に正当性があった理由はただひとつ。

卑弥呼の国は列島原住民の国だが、畿内王権はヨソから来た。

このヨソから来たのが記紀の天孫降臨なんじゃないでしょうか

843 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 02:53:28
>>842
魏志倭人伝には、邪馬台国の南側に
ライバル国の狗奴国があると言っている。
では、東側に何があるのか?っていうと
なにか野蛮な国が広がっているみたいな記述。

もし、邪馬台国が北九州にあったというのなら
その東側にあった野蛮な国が広がっているというのは、
本州とか四国のことじゃないだろうか?

ということは、畿内政権は、北九州(邪馬台国?)から見たら
野蛮な国扱いということになる。

844 :きのうのジョー:2006/12/09(土) 02:55:44
>>843
その「野蛮な国」は魏に貢いでないわけでしょう?
だから野蛮な国呼ばわりしたのでは?

845 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 02:58:10
>>842
違うと思う。
卑弥呼の国は北九州にあったけど
その卑弥呼の国は、野蛮な東の国に征服された。
その野蛮な東の国が畿内政権。

中国人から見たら、日本の中では、北九州が先進地域。中国に近いから。
でも、日本国内では、人口で勝る畿内政権が優位で
北九州は、畿内に征服される運命にあった。

中世以降も、大陸文化が真っ先に入って来るのは九州で
外国との関係が一番深いのは九州だったが、
日本列島の政治力学では、九州は常に辺境だった。

846 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 03:03:27
感覚で言うと、戦国時代にたとえるのなら

卑弥呼の国は、大友家とか大内家、

狗奴国は、島津家。

畿内王権は、織田家・豊臣家。

豊臣秀吉が、全国制覇に達成し半島へ出兵したときは
応神天皇と同じように、河内(大坂)に拠点を作った。

847 :きのうのジョー:2006/12/09(土) 03:04:12
>>845
それなら、なんでローカル卑弥呼の国の名である「やまと」が
日本全国を指す言葉になったんでしょうか?


848 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 03:14:30
>>847

>>834-836に書いてある。

849 :きのうのジョー:2006/12/09(土) 03:19:27
>>848
つまり>>706の3というわけですね?
でも邪馬台国が中国と交易していたからって、
新しい政権も「やまと」と名乗る義理はないと思いますが?


850 :きのうのジョー:2006/12/09(土) 03:20:13
ごめんなさい。つまり>>720の3というわけですね?の間違いでした。

851 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 03:29:08
>>849-850
おそらく、当時の日本列島の状況だと
九州の豪族は、畿内を馬鹿にしていたんじゃないのか?
まだまだ京都が首都という感覚は無かったし...

普通に見て、九州人にとったら
西の中国と東の日本本州だと、中国のほうが先進地域で
東の日本本州を馬鹿にしていたはず。

精神的に、九州人は畿内人を馬鹿にしていたし、
また、中国も九州人のほうが上だと思っていた。

しかし、戦争をしたら、人口で勝る畿内が圧倒的に優位。

そんな馬鹿にされていた畿内が日本を統一したんだけど
なかなか中国には認めてもらえなかった。
だいたい、親魏倭王の国を滅ぼしたんだからね。


852 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 03:46:36
馬鹿にしていたとか、そんな幼稚な考え方しかないのか
九州人とか畿内人の問題じゃないんだよ。

こういうアフォは歴史を客観的にみれないからどうしようもないな。
こいつは韓国と日本とアメリカの歴史も政治もすべて、どっちが馬鹿にしているとか
そういう目でしか見てないぞ

853 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 03:57:39
>>852
馬鹿にしていたという言い方は
まずいだろうが、だんだん
実態が見えてきたような気がする...


854 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 04:14:50
>>851の一番痛いところは本人が真面目な論議のつもりだということ。イタ・・

855 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 04:28:39
天照=卑弥呼ではなくて天照⊃卑弥呼なんじゃないかな。
弥生〜3、4世紀あたりまでシャーマン的な女性が神聖視される傾向は、邪馬台国だけじゃなくて日本各地で存在していて、その習慣を天照という架空の人物を作って描いてるだけ。
そもそも魏に朝貢してた卑弥呼をわざわざ歴史に組み込んで神として崇める必要があっただろうか。
邪馬台国とヤマト王権は邪馬台国が東征したか、まったく関係ないかのどちらかだな。
邪馬台国が東征したとは考えにくいので天照=卑弥呼では無い。


856 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 04:36:08
>>855
そういうふうにも考えられるな。

ただ、岩戸の話が皆既日食とかぶるから
北九州で、天照=卑弥呼って、安本氏とか拘るのでは?

伊勢神宮の神は、内宮と外宮とあって、内宮のほうが卑弥呼で
外宮のほうが、台与だと思われる。

よって、天照は卑弥呼の可能性が高いが
天皇家は卑弥呼(天照)の子孫ではない。

この問題が長年解決しないのは、天皇家の先祖を
天照(卑弥呼)としてきたから、解決できなかったのでは?

じゃあ、伊勢神宮は天皇家と全く関係ないじゃんということになる。
これは、天皇家にとっては大きな痛手だわなw



857 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 04:47:13
>弥生〜3、4世紀あたりまでシャーマン的な女性が神聖視される傾向

これってよく聞くけど
文献、民族はわからなくはないがが考古学的evidenceはあるのか?

858 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 04:57:51
>>856
内宮ー卑弥呼
外宮ー台与 は何段階もすっ飛ばしすぎだと思う

859 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 04:59:32
安本美典氏が、邪馬台国が北九州で卑弥呼が天照のモデルというのは
なかなか説得力があるけど、
唯一、大きな間違いを犯しているのが

天照(卑弥呼)が天皇家の先祖という決め付けだと思う。
そのために、平均在位説とかいう生物学的に証明できない
(平均年齢説なら、まだ生物学的に証明できるかもしれないが...)
無茶な数学的理論をぶちかましだした。

天皇家を卑弥呼(天照)の子孫にするために
無理やり、崇神天皇などの生存時期を遅らせようとした。


860 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 05:00:23
>>856
厳密に言えば天皇家が卑弥呼の子孫でなかったら天照=卑弥呼ではないわけで。
天照が卑弥呼を意識して描かれたとするなら神武天皇は邪馬台国もしくはその連合国出身となるね。

>>857
シャーマンと思わしき女性の人骨は発掘されてますね。

861 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 05:02:01
武光誠氏の「日本の神々の謎」
http://72.14.235.104/search?q=cache:zvfOKiy-TSkJ:www.kcc.zaq.ne.jp/pit/yobun4.html+%E6%AD%A6%E5%85%89%E8%AA%A0%E6%B0%8F%E3%81%AE%E3%80%8C%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E7%A5%9E%E3%80%85%E3%81%AE%E8%AC%8E%E3%80%8D&hl=ja&gl=jp&ct=clnk&cd=1

六世紀初頭に皇位をついだ継体天皇が、応神天皇の五世の孫に
相当することと関わる。継体天皇 の直前の武烈天皇が亡くなったときに、
応神天皇の次に仁徳天皇の系譜を引く皇族が全く
いなくなった。その為、仁徳天皇の弟の若野毛二俣王
(わかのげふたまたのみこ)の子孫で
越前、近江に勢力を張っていた継体天皇が迎えられたのだ。
そのことによって、継体天皇の系譜を引く諸天皇が「五世の孫」と
いう立場に特別の意味を付するようになった。その為、
神武天皇が天照大神の五代目とされたのだ。
その影響は八世紀初頭の「大宝律令」の天皇の
五世の孫までの者は皇族として扱われ皇位をつぐ権利を
もつとする規定にまでつながっている。

前記の引用の中で私が特に注目するのは、五世の孫までを
天皇位を継ぐ権利があると明文化 されていることである。
つまるところ日本神話の成立は
比較的新しいものであるといえる。

862 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 05:03:44
>>860

天皇家が天照(卑弥呼)を意識した理由?
対中国関係。


>>834-836

863 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 05:12:38
>>860
シャーマンと思わし「女性」の人骨は発掘されてましたっけ? 

864 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/09(土) 05:54:11
>>766
安本さんの悪口を散々言ってるのがいるが、通用しない。
なぜなら、僕が5スレ前から言っている、
「有棺無槨 棺あって槨無し これに該当するのは北部九州であり
木槨木棺墓の畿内は該当しない」と言うのも、元は西日本新聞に掲載された
安本さんの記事をそのまま引用してるに過ぎない。
しかし、その説一つとって畿内説の人間に問うても、すぐに蜘蛛の子を散らすように
霧散していなくなってしまう。今まで誰にも破られなかった、そして
明快な回答を畿内説から貰っていないものの一つ。
畿内説がいい加減なことを言って、彼を貶めるのこそ人権侵害と断ず。


865 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 06:10:45
木槨木棺墓の奈良県での検出例は、いまのところホケノ山ただ一つだけですよ。(まだまだ全国で10例ぐらいでしょう)
「木槨木棺墓の畿内は…」な〜んて、あたかも畿内に木槨木棺がワンサカあったかのようにおっしゃるのはどうかと…

柳田康雄先生は、福岡の伯玄社遺跡に、すでに弥生前期からの木槨の使用を認めておられますよね。(『春日市文化財調査報告書35』2003)

866 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 06:16:50
自分は、安本氏は心理学の先生で、本来は歴史学者や考古学者とは関係ないが
彼のこれまでの意見を聞いていたら必ずしも頑固に一つの意見を
通しているわけではないと思う。

彼の意見はこれまでも色々変わっている。
だから、今後、彼はまたまた認識を変えてくると思う。

安本氏は最初、邪馬台国東征は無かったと言っていた。
何故なら、古墳の分布状況とかそういうのを見たら
とてんもじゃないけど、そうは思えないから。

しかし、北九州のほうが魏の物が多く出土し、
天岩戸の話と皆既日食のあった話とかが卑弥呼と整合性がとれるものだから
邪馬台国は北九州、卑弥呼=天照、で、卑弥呼→天皇家というふうに意見が流れた。

しかし、この認識は今後、変化すると思う。
そもそも、天皇家は本当に天照(卑弥呼)の子孫だったのかって...

実は記紀をよく読んでいけば、それが疑わしいし、
前方後円墳の分布状況と記紀の記述から
卑弥呼のいた同時期に崇神天皇が畿内政権を全国に拡大させたんだと思う。

867 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/09(土) 06:23:04
>>865
ピントのずれた事言ってないで、倭人伝をよく読んだら?
墓室のない棺だけ埋める風習なのは北部九州。
畿内の葬制は墓室を作るものであって時代を下ろうと遡ろうと合致しない。
邪馬台国の可能性は多少の例外を除いては、おおよそ全体においてどうかである。



868 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/09(土) 06:31:25
北部九州は渡来人を先祖に持つものも多く朝鮮半島の影響を受けた
墓も時々見つかっている。が、墓室のしっかりした畿内の前方後円墳など卑弥呼の時代の、
邪馬台国の葬制でないことは明らか。では仕事なので九州説の人、後はよろしゅうに。

869 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 06:35:57
>>867
>畿内の葬制は墓室を作るものであって時代を下ろうと遡ろうと

「下ろうと遡ろうと」って、そんなあなた、おおざっぱなことでは…
弥生期にまで遡ったときが、問題なんでしょう?

古墳は、たしかに墓室(石槨)です。しかし、畿内の弥生墓で墓室をつくっている例は無いのでは?
あったら教えてください。

870 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 06:39:42
この問題を複雑にしているのは、

邪馬台国は本当に大和王権になったのか?

神武東征は本当に合ったのか?

天皇家は本当に昔から天照大神の子孫だというふうに評していたのか?


871 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 07:15:29
>>833
だから、妄想の上に、
知識も知能も無いおまえの妄想は
どうしようもないって。

872 :太国:2006/12/09(土) 09:57:37
>>558
みんながお前に騙されないように書きこむぞ。

873 :太国:2006/12/09(土) 10:00:11
>>823 正論だ。

874 :太国:2006/12/09(土) 10:07:39
>>824
神武以前の天孫降臨、悠久の太古では1年が1日の計上の可能性あり。
西遊記には天上の1日が地上の1年であるとあり。

>>836
紀のどこに崇神天皇がマキムクに都市ををこさえたと書いてあるんだ?

875 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 10:19:38
>>874
ヲレがちょっとグーグルで調べたら

日本書紀には、崇神の次の垂仁天皇の時に
「纏向(まきむく)に都し、珠城(たまき)の宮という」

まあ、いずれにせよ、その近辺。



876 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 10:33:38
>>874
日本書紀には
「神武東征」が「天孫降臨」の「179万2470年」後に行われたとされる。

あなたの言うとおりなら、悠久の太古では1年が1日の計上の可能性だとしたら

「天孫降臨」と「神武東征」の間が、1792470日ということになり、
1年を365日(一応、太陽暦で。ただし、この時代は太陰暦だと思うので
この時代の太陰暦が暦が詳しかったら、後で教えてくれ)
で計算するとしたら、4910、867・・・日となる。
で、おそらく、二倍年暦での計算だと思うので、2で割ると
2455、4383・・・日となる。
二倍年暦で計算した神武天皇の即位がおよそ西暦180年くらいなので
天孫降臨がいつぐらいになるかというと、
だいたい、中国の歴史の最初と同じぐらいになる。
つまり、日本書紀に関わった編纂者(中国系1世も多くいたか?)は
天孫降臨を中国の歴史の最初と同じぐらいのところに設定した模様だ。


877 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 10:39:12
>>863
熊本県で二つの100mクラスの前方後円墳が発掘されている。
宇土市と阿蘇。どちらも30歳代の女性の人骨が出土している。
大きな古墳に、女性が一人埋葬、これは王ですね。
シャーマンかどうかはわからないし、弥生時代でもないわけだが。


878 :太国:2006/12/09(土) 10:51:13
>>876
いやぁ〜すごい推理の進展ですなぁ。w
プラムさんがその179万余年のことをそれがしに言霊的に質問してきましので、
「日奴国支邦齢」とかが頭に浮かびましたが、そういう語の当ては疑問です。

>>874の西遊記の件は天孫降臨以前のある時期のことだと考えています。
天孫降臨〜神武あたりとなりますと、神武世直前に1年が現今での1日
だったことになるわけで、神武以後は2倍、3倍、等倍暦と観てますから
365倍暦からとたんに1桁倍暦へ以降するのはかなり極端であり、西遊記の話は
もっともっと悠遠の、天孫降臨より古い時代であろうと考察しています。

879 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 10:56:12
>>874-876
これは凄い大発見だと思う。
日本書紀の編纂者(中国系1世も多く協力した)は、
最初、神話の最初の天孫降臨のところを
中国の歴史の最初と同じぐらいのところに設定した。
その後、それを日本は昔、二倍年暦で計算していたからということで、
2倍の年数にしてみた。しかし、この時代は信用できないと思ったので、
全部、神代ということにし、事実上、切り捨てた。
その時、中国では「天上の1日が地上の1年」(西遊記などでも記述)という考えがあるので
そういうふうに計算したら、
「神武東征」と「天孫降臨」の間が「179万2470年」ということになった!

図星か!!

880 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 11:10:33
 57年、奴国が後漢光武帝に遣使。
107年、倭国王帥升が遣使。

帥升が北部九州のオウで、広形銅矛文化圏の盟主であったことは、
間違いないだろう。
帥升は、伊都国ヒラバルに繋がる人物ではないかと思うのだが。

次に中国史書に現れるのが邪馬台国女王・卑弥呼(239年)。

卑弥呼は弥生後期(銅矛時代)から、100年以上離れた人物である。

弥生後期開始は、貨泉の出土より1世紀であることは確定している
(奴国遣使の頃)。

卑弥呼は弥生後期というより、弥生終末期(庄内)以降の人物と見るべきと
いうのが結論。

卑弥呼の墓が径百余歩(150メートル)の大きさであったと記載されている
ことからも、古墳が築造される庄内以降であることが推測される。

881 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 11:27:40
>>880
> 57年、奴国が後漢光武帝に遣使。
>107年、倭国王帥升が遣使。

これらは、卑弥呼や崇神天皇(神武がいたら神武も)よりも前の時代の人だな。

>>874-876>>878-879
それにしても、日本書紀はしっかりと研究するもんだなw
本居宣長は古事記ばかりに目が言ってしまったけど
日本書紀こそ、内容が厚くて、重要な書物だよ。
しかも、中国系1世(ネイティブ中国語人)が多く参加し
日本書紀の中には中国系の知識人が多くいた。

それにしても、日本書紀に参加した中国人は
随分、日本人官僚に気を使ったんだなw
わざわざ、天孫降臨のところを、中国の歴史の最初と同じぐらいに設定してw
でも、日本人が嘘をついている(天皇家は天照・卑弥呼と関係ない)ないと気がついて
神武以前は、神話としてばっさり切った。
また、神武天皇と確実に信用できる崇神天皇の間は欠史八代となった。

882 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 11:43:54
>>880
>帥升が北部九州のオウで、広形銅矛文化圏の盟主であったことは、
間違いないだろう。

それはどうだろう。倭人伝には、卑弥呼が共立される7〜80年前に、
男子の王がいたとあるから、それが帥升である可能性は高い。

帥升は、後漢に160人もの生口を献上しているから、かなり大規模な
戦乱の勝者だったことがわかる。これほどの人間を無駄に出来るのは、
戦争に負けた国の人間を獲得できたからだと思うからである。

では、帥升はどうして後漢に朝貢したのだろう。当時の後漢は、かなり
衰弱していたと考えられる。そんな国に生口を160人も献上して朝貢する
理由はなんなのだろう。

建武中元二年に、奴国の王がもらったとされる金印は、奴国が後漢と
親しかったことを示している。ひょっとしたら、奴国は帥升に滅ぼされた
のではないか、帥升の朝貢は、そのお詫びのような意味があるのではないか。

さらに、帥升の国は邪馬台国なのではないかとも考える。
倭国の大乱は、跡継ぎがいなくなり、その跡継ぎをめぐる争いだったと思う。

883 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 11:54:23
他の類似スレに
邪馬台国論争、こちらでは
大分、けりがついた模様。

http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1165304668/l50

とあるから飛んできたけど、どこよ。けりがついたって?


884 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 11:58:42
>>882
つまり、
57年、漢倭奴国王
107年、倭国王帥升
239年、邪馬台国女王・卑弥呼

この時代までは、中国にとっての倭というのは
九州のことだったんだな。
当時は、日本列島の中では、九州が大陸の近さから
もっとも開けた地域だった。

しかし、卑弥呼がいた同時期に、
畿内では崇神天皇の覇権が固まりつつあった。

885 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 12:00:59
>>883
全くけりはついていない。それどころか百花繚乱。
しかし、純粋な畿内説はかなり少ない印象を受ける。

886 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 12:04:05
>>885
なんでい。おりゃあ花見に誘われたってわけかい。

887 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 12:05:18
>>833
要するに、日本書紀の編纂者(中国系1世が多かった)は、当初、
天孫降臨を、中国史の最初(黄帝)と同じくらいに設定していたということ。

邪馬台国は九州のどこかで、卑弥呼と同時期に
畿内では崇神天皇が覇権を強めていた。
で、最終的には、畿内が九州を制圧したということだろう?
しかし、それまで歴史的に中国(魏・晋)と仲が良かったのは北九州だった。
そこで、北九州の歴史を、畿内の天皇家の歴史に取り込む必要に迫られた。
それが、天照(卑弥呼がモデル)だったり、神武東征だったりする。
でも、その辺の歴史は天皇家とは関係が無かったので
日本書紀の編纂者(中国系)は、ばっさりと切り捨てた(神代ということにした)


888 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 12:09:29
>>884
>239年、邪馬台国女王・卑弥呼

これはどうかと思う。239年は景初三年だが、これは卑弥呼が魏に使いを
送った年。
しかし、卑弥呼が女王になったのは、中国の書物に書かれている倭国の大乱の
記録の最も新しい年代を取り入れても、霊帝の最後の年である西暦188年。
卑弥呼が女王になったのは、それよりも古いと考えられる。

889 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 12:10:58
>>887
>それまで歴史的に中国(魏・晋)と仲が良かったのは北九州だった。
>そこで、北九州の歴史を、畿内の天皇家の歴史に取り込む必要に迫られた

ここが飛躍してるな。中国は「一見さん、お断り」ってわけかい?
第一中国だって王朝交代してんだぜ?中国と仲良くするために、
「いやあ、先代の卑弥呼さんとも仲ようしてましてん。わてら」
て言わなきゃならない根拠がどこにあるんだい?

890 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 12:17:49
>>886
残念でした。またのお越しを!

891 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 12:29:50
>>888
もっと詳しく書くと、倭国の大乱は、後漢書と隋書には、「桓、霊間」と
書かれている。これは桓帝と霊帝の時代を表すから、西暦168年から188年。

梁書と北史には、「霊帝光和中」と書かれている。これは西暦178年から183年。

卑弥呼が女王になって大乱は終わったわけである。総合すると、
霊帝光和中が妥当で、少なくとも西暦183年には卑弥呼は女王になったと
思われる。

ちなみに、晋書には「漢末」と書かれ、倭人伝には、「男子の王がいて、
それから7,80年たって倭国乱れる」とある。

892 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/12/09(土) 12:37:14
>>891

>7・80年


7〜8年或は10年 だろう。

893 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 12:43:21
>>892
其國本亦以男子爲王 住七八十年 倭國亂 相攻伐歴年 乃共立一女子爲王
名曰卑彌呼

894 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 12:46:10
其國本亦以男子爲王住七八十年。
倭國亂相攻伐歴年。
乃共立一女子爲王名曰卑彌呼。

895 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/12/09(土) 12:48:57
7,8,10年で
あってるジャン

896 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/12/09(土) 12:52:53
きちんと文章解釈しようね
70〜80年だと意味解らん文になるよ

897 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 12:53:45
プラム氏は、漢文に手を出さないほうが身のためだと思う。

898 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 12:56:35
男子を王にして(107年から)70〜80年後

倭国大乱数年

一女子を共立した、名は卑弥呼

899 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 12:57:56
だれか一日の流れをまとめてくれよ。
平日昼間にずっと張りついて書きまくられたらやってられん。

900 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 12:59:29
>>889
中国の王朝が交代しているといってもだな、
魏から晋だよ、晋は魏の将軍だった司馬氏が取って代わった国。
よって、前の魏王朝を引き継いでいる。

魏の敵対国だった呉や蜀とは話が違う。

901 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 13:09:32
プラムの漢文の読みも適当だな

902 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/12/09(土) 13:41:04
漢文ペケは君らじゃないの?
これは受験用漢文じゃ無く、古代外国語だよ!


『其國本』ってなあに?
『亦』はなぜ『又』や『復』じゃないの?
学校じゃこんなの教えてくれないからね

903 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 14:09:10
なるほど、夜中に工作員活動で勝手に勝利宣言ってわけね。


904 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 14:20:16
>>900
どっちにせよ、大和王朝が邪馬台国を継いだ理由にはならないと思う。
中国へのパスポートには魏と仲のよかった「邪馬台国」の系統を引き継いでいることが必要条件だったという理由は
飛躍しすぎだ。


905 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 14:53:14
邪馬台国と大和王権に連続性があるかどうか

仮に連続性がないとすれば、
もっと今現在の全ての広がりが大和王権が栄えた
今の関西地域を祖にしたものでいいはず。
北は北海道から日本全国に八幡神社が広がっているけど、
全国四万社以上と言われる八幡神社の総本社が
大和王権が栄えた地域から遥か離れた九州北部の宇佐の地に突然あるのは
普通に考えて不自然というか神秘だね

906 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 15:00:08
>>902
その国、もとまた男子を持って王となす。住まうこと7,80年。
倭国乱れ、互いに攻伐すること歴年。
すなわち、一女子を共に立て王となす。名を卑弥呼という。

でいいんじゃない?

>『亦』はなぜ『又』や『復』じゃないの?

それは著者の好みというか勝手でしょう。
たとえば、「淋しい」と書いてあった文章に対して、どうして『寂しい』
じゃないの、というのと同じだと思うけど。

907 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 15:07:34
記紀をまともに読むと、男王スサノオウは神から海を支配するよう命じられている
恐らく、豊前辺りから瀬戸内の海を監視ししならが女神に付き従ったと言うことだろう。
以前に一度は女神に歯向かうも、天の岩戸でそっぽを向かれ、他の神々から爪弾きにあい
酷い目に遭わされた経験上、その失敗を教訓とし、以後従順となる。

巫女さんは淫乱で神に選ばれし者(好みの男)の子を身ごもり神子として
女子は後継ぎに、男子はその下部となる運命を背負わされる。

国譲りは交渉はスサノオウ総督に命じられ、同系である大国主が治める
出雲帝国の鏡による筑後併合の指揮の全権を任せられる。
実際に戦闘行為は行われたようで、どの程度の規模かは定かではないが。
恐らく倭国大乱のようなものだったのでしょう。

この時、出雲は陥落し、同時に大和も落ちたとこが読み取れる(東征)

姉妹の中で末っ子の妹が大和に入り、神と交信をしながら、下部の男王に政を行わせた。
時代は下り、隼人の色男が女神のお目がねにかない、神託による大王号を任されることとなる
女神は絶対であり世界そのものであるが、支配欲を抑えられなくなり秘密裏に女神を殺してしまう。
・・・マムコに箸刺って脂肪。
再び世は乱れ、その鎮圧を図るべく4道将軍が各地に派遣されるこことなるが
それでも旨くは治まらず、気休め程度に九州のトヨを建てると、あ〜らビックリ
大義名分に弱いヤシらから男王世界である崇神王朝に下っていったとさ。

908 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 15:13:05
>記紀をまともに読むと、

ってこういう言い方はずるいんじゃない?

909 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/12/09(土) 15:31:40
>>906


ためしに辞書でそれらの文字を調べてみ。
日本語では(また)の二文字で済ませているが、漢音はそれぞれ異なるし、勿論文字も違う。
違う文字ということは、それぞれ意味も異なるから、当然使用ポイントも変わってくる


異論があるなら受け付けるよ


それに、

>その国、もとまた…

違うよ
(その国本、また…)だよ

変な翻訳本見ないで、間違いながらも、自分で訳してみなよ!だんだん慣れてくるから

910 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/12/09(土) 15:41:19
それに、>>906


『寂しい』と『淋しい』は共に(さび‐しい)だけど、全く使用例や意味が違うよ。
これも辞書でチェック

911 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 16:35:41
九州政権の邪馬台(ヤマト)という名を勝者である畿内政権が受け継いだ。
もちろん中国を意識しての事。

東遷はなかったと見るべき。

912 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 16:44:07
>>911
しつこいね君、早くから倭国は西日本全域をカバーするくらい
巨大だったんだよ。

潔く諦めろ○鮮人。

913 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 17:06:10
>>912
倭国が西日本全域をカバーしてても、それが邪馬台(ヤマト)という名を受けついた証拠にならないと思ふが?

914 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 17:16:45
>>912
東遷はなかったと見るべき!

邪馬台国は宇佐から国東にかけての範囲!
北九州の一体が連合諸国の所在です。

海を臨むこと1000里先の倭人は未開なイズモ。
当時倭の最先端地域は筑紫一帯の限られた地域!

諦めなさい。

915 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/09(土) 17:18:52
>>823
>ちょっと引き伸ばしたくらいで、中国と対等になれるかよw

チョッとどころじゃないよ。
950年まあ、1000年近くだな。

中国の春秋時代の周に合わせたんだろう。

916 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 17:22:27
糸島郡出土の「漢倭奴国王」の金印でもわかるように、中国側の慣例
では「漢の倭奴(yito)の国王」であり、日本人が勝手に「漢の倭(wa)
の奴の国王」と読むような三段読みは存在しない。

倭はwaではなくyiである。
魏志倭人伝にある「邪馬壹国」(「邪馬台国」の表記は日本のみ)の「
邪馬」は他の国名にもみえる接頭辞であり、固有国名は「壹(yi)」で
ある。倭と同音を当てられているのがわかる。
中国では四界の果てにそれぞれ4つの蛮族が住むとしていた。北の「
北狄」、西方の「西戎」、南方の「南蛮」そして東の「東夷」である。
夷(yi)は「倭」に通じ、「壹」に通じる。

イ国をヤマト・ヤマタイと無理やり読む必要に迫られた者がいるのだろう。
邪馬壹国を邪馬台国に書き換え、邪馬台を無理やりヤマトと呼ぼうとする
アカデミックファシズムが存在する。その残滓がいまも学界を牛耳ってい
るのだ。

917 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 17:29:49
>>916
邪馬国ってのはあるから、邪馬が接頭辞という可能性は低い。
それにイ、一文字だと出雲だの、伊勢だのも出てきて収拾つかなくなるぞ。
自然推移にしろ、作為的にしろ邪馬壹國と大和の発音の一致は、偶然ではないと考える。

918 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 17:33:34
>>917
×偶然ではないと考える
○意味が存在すると考える

919 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 17:35:25
>>916
 >糸島郡出土の「漢倭奴国王」の金印

?????????

920 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 17:39:36
>>913
西日本の国家統合事業が2世紀中葉に西から行われたのか?
4世紀前後に東から、つまりは畿内から行われたのか?
と言う意味なんだけど?

俺は前者、君はru OK?


>>914
おまえが○鮮人に見える俺ってやっぱり正常だと思う。


921 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 17:49:14
この数年のうちに、古代史の全体がなんとなく見えてくるだろうよ。

邪馬台国は北九州にあった。しかし、卑弥呼と同等かそれ以前に
畿内で勢力を拡大させる権力があった。大和王権だ。

そして、卑弥呼の国は、その畿内の王権である大和王権によって
併合され、その伝承や文物の全てを奪われてしまった。


922 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 17:52:26
古史古伝と同じノリなんだなw

923 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 17:54:23
>>920
違う。もう答えは出掛かっているわけだ。

日本の国家統合事業は、2世紀〜3世紀の畿内から始まり
4世紀には既に、九州から関東まで広大な支配体制を確立していた。

北九州にあった邪馬台国は、畿内政権によって併合され
全てを奪われてしまったのだ。

924 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 18:01:16
恵也 ◆o4NEPA8feAはむなしい。


925 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 18:02:16
>>923
わりぃ、単細胞の思い描く古代史なんて興味ないからw

926 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 18:07:18
>北九州にあった邪馬台国は、畿内政権によって併合され
>全てを奪われてしまったのだ

そんなイメージで九州の勢力が滅ぼされてたら、
全国八幡神社の総本宮である宇佐神宮が
九州北部のこの地で今の今まで存続してないって笑
畿内の王権でもかなわない、
よっぽど神聖な何かがあったのは間違いない
 

927 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 18:09:48
915 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/09(土) 17:18:52
>>823
>>ちょっと引き伸ばしたくらいで、中国と対等になれるかよw

>チョッとどころじゃないよ。
>950年まあ、1000年近くだな。
>中国の春秋時代の周に合わせたんだろう。

なんじゃ、その理由はw あほかよwおまえ、破綻しかかっているぞw

928 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 18:11:57
>>926
宇佐八幡宮は、4世紀末の神功皇后が
三韓征伐の時のものだろう?
だからこそ、畿内王権の神聖な場所になった。
畿内王権が勢力を拡大させた記念になるところを
常に神聖な場所にしている。

929 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 18:13:42
>>925
いや、もう君らは論破されかかっているから
苦しいのは、よく分かるよ。
でもな...考古学的・記紀の分析から考察して
これは動かせない事実なんだわな。

930 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 18:14:17
何時も必死だな。。。人には言えない事情があるらしい。。。

931 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 18:21:42
>>929

これは動かせない事実なんだわな

これは動かせない事実なんだわな

これは動かせない事実なんだわな

これは動かせない事実なんだわな

君もしつこいな
単細胞の思い描く古代史なんて興味ないんだよボケが
頼むから俺の視界から消えてくれよw

932 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 18:22:47
>>930
考古学会は、畿内王権が全国制覇に乗り出したのを
2〜3世紀にかけてであり、4世紀には九州から関東まで制覇したと見ている。
これは、古墳の拡散状況からみて、動かない。
記紀の記述とぴったりいく。
また、邪馬台国の所在地は、おそらく北九州にあったのだろうが
畿内王権によって併合されたと見るべきである。

だからこそ、後の中国の旧唐書の日本の使節の証言になるのだ。


> 日本国は、倭国の別種なり。その国は日の出の場所に在るを以て、
>故に日本と名づけた。あるいは曰く、倭国は自らその名の雅ならざるを憎み、
>改めて日本と為した。あるいは日本は昔、小国だったが倭国の地を併せたという。
>そこの人が入朝したが、多くは自惚れが大にして不実な対応だったので、
>中国はこれを疑う。また、その国の界は東西南北に各数千里、
>西界と南界いずれも大海に至り、東界と北界は大山があり、限界となし、
>山の外は、すなわち毛人の国だという。

933 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 18:24:56
近々、日本と中国の考古学会が、協力し合うようになる。

>>932
最終的にそういう認識に落ち着くだろうね。

934 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 18:27:43
>>928
まともに反論する気にもならない笑
何がなんでも畿内説で考えればそういう解釈もできるんだろな。
少なくとも地元の郷土史や、地元に伝わる伝承には
そんなことは全く伝わってません

935 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 18:30:39
宇佐邪馬台国説かよ


ハッキリ言えよ面独裁

936 :サガミハラハラ:2006/12/09(土) 18:36:30
宇佐神宮については、わたしは、井沢氏の著作しかみていないのであるが、それから受けた印象では、あまり信頼の置けない神社(それを運営する人たちは)であったようですよ。

937 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 18:38:27
>>926
分かってないなw

938 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 18:40:34
サガミに同意するのも癪だがwそのとおりだな。
道教と清麻呂の話をよく読んでみればわかる。
道教失脚後に宇佐の神官たちがどうなったかとかな。
また全国の八幡関係の神社からも、宇佐がどう思われているかとかな。

939 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 18:44:46
今度はありもしない事まで言い始めて笑
恐ろしいな、畿内論者。
どうぞ好き放題言ってくださいな

940 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 18:53:41
今まで、日本の古代史研究が停滞していた最大の理由は
日本書紀の研究を軽視していたことだな。
古事記の先だったから古事記のほうが重要だとか
古事記のほうが量が少なくて分かりやすいから皇国史観に打って付けだった。

日本書紀は古事記と違って内容が膨大で
しかも、中国系1世(ネイティブ中国語者)と
日本人による共同作業だったことが分かっている。

普通、西欧でも旧約聖書の解読をする研究ってあるんだよ。
何年もかけて大規模な研究を今も続けている。

日本で日本書紀の研究が停滞していた最大の理由は
戦前は皇国史観で、天皇家のとってご法度名なことなので記紀の研究ができず、
戦後はマルクス史観で、記紀は軍国主義で嘘っぱちという
という両極端の理由で研究されなかった。

でも、日本書紀というのは、よんでいくと凄い秘密が隠されていり
また、最近の考古学の進歩で、その解読の手助けになっている。


941 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 18:55:03
>>934
事実上、君は負け宣言か?


942 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 18:57:02
畿内説を唱える奈良国立考古学研究所?など国の考古学の権威と
九州説を唱える安本氏のようなアマチュア研究家の言い分を聞いていたら
どちらにも言い分があり、ある実情が見えてくる。
ほとんど真相が出掛かっているのだ。

943 :942の続き:2006/12/09(土) 18:57:51
考古学研究所の場合、これは日本の公の認識になりつつあるが
3席中葉のマキムク周辺から、前方後円墳がはじまり、
やがて日本全国にその形式が拡大し、また、それがある時期に急に作られなくなり
畿内(記紀にある天皇家の中心)だけに前方後円墳が集約されていくような感じになる。
これは、つまりのところ、邪馬台国がどうかではなく、
日本書紀にある天皇家の大和朝廷の動向そのままなのである。
崇神のころマキムクに宮を作ったり、日本全国に領土が拡大させたことが分かり、
二倍年暦での計算だと、崇神前後の時期とマキムクの年代も一致する。
また、大和朝廷は当初は同じような古墳を作るのを全国に命令していくんだけど
ある程度、広がったら、急に天皇家の権威付けか、他の地域のやつに
作らせなくなるんだよな、その動向が前方後円墳の拡散状況にそっくりなのだ。
つまり、邪馬台国が畿内にあるということではなく、
日本書紀に書かれている崇神天皇の動向そのままなのである。

944 :943の続き:2006/12/09(土) 18:58:29
しかし、安本氏は違うことを言う。
魏志に出てくる邪馬台国のことの手がかかりになるのは
北九州にしか出てこなくて、畿内には殆ど出てこないし、
文物は九州から畿内へ流れているんだと。
だから北九州に邪馬台国があるんだと...

自分もそう思う。邪馬台国は北九州にあったのだ。しかし...

ここからが安本氏の間違いである。
安本氏は邪馬台国は畿内へ移り天皇家になったんだと思っている。
そのために、平均在位説という数学的な暴論を唱えて、
無理やり歴代の天皇の生存時期を遅らせたりする。

なぜ、安本氏が暴論を展開させたのか?
それは、卑弥呼・台与の即位時期は皆既日食の時期とかぶり、
天照大神神話の天岩戸神話そっくりだと...
だから、天皇家の公式神話であるとおり、卑弥呼が天照のモデルなら
天皇家は卑弥呼の子孫でなければいけない。そう考えたのだ。

しかし、そもそも、あの日本書紀の神話って、本当に
天皇家と因果関係があったのか?
なぜ、古事記には神話と正史に境界が無いのに
中国系1世の人を多く加えた日本書紀の編纂者たちは
神代という章を加えて、正史とばっさり分けて、
天孫降臨〜神武を数百万の時間というふうにしたのか?
これって、神代の部分は、天皇家とは実は直接の関係はありませんよって
宣言しているようなもんだw

945 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 19:01:46
もう次スレは必要ないだろう。
どおせ妄想厨の巣窟となるだけ




年末セールではしかたねぇか

946 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 19:02:28
>>940
日本書紀の詳細な研究なんて、それこそ佃煮にするくらいあるぞ。
皇国史観もマルクス史観もまったく無関係な奴がな。
そんな事言うと、佐伯さんが草葉の陰で泣くぞ。

947 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 19:04:42
>>946
つーか、世間的・マスゴミ的だろう?
やっている人は昔からずっとやっているけど
専門分野には公にはならない。


948 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 19:07:18
>>944
>神代の部分は、天皇家とは実は直接の関係はありませんよ

読む人はそう思わないよ。天皇は神の子孫なんだ。あるいは、
神の子孫ということにしときまひょかー、てなもんだ。
神話にしたのは、天皇家の出自の秘密と見たほうがいい。


949 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 19:11:09
>>948
というか、なぜ、天孫降臨から神武まで
数百万年という天文学的期間にしたんだ
日本書紀はよ...
古事記はそんなこと何にも書いてないのに...

950 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 19:13:22
「神武東征」が「天孫降臨」の「179万2470年」後に
行われることをどう考えるのか

http://www3.point.ne.jp/~ama/01.html

951 :サガミハラハラ:2006/12/09(土) 19:42:33
179万2470年については、原田実氏は、中国の唐代の宇宙が一巡する周期の都市だといっています。
よって中国から取り入れ挿入したものでしょう。

952 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 19:44:48
オイ原田、テメェー漢籍のソースもねぇーのに適当な事一点じゃねぇーよ

953 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 19:53:15
>>949
数百万年という天文学的数字になったら年数の具体性は意味ねえよ。
仏教の救いの弥勒が現れる日だって天文学的数字だ。これはもうすなわち
∞と解釈すべき。

954 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 19:58:45
神話ってのはどこの国でもそうで潜在意識や寓意、暗喩に彩られているもんだ。
その前提で読まないと、隠された真実を見落とすぞ。
天皇家に関係ないから神代の話にした、なんて言う奴はきっと騙されやすい人だろう。


955 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/12/09(土) 20:00:40
17924740餘歳であって、17924740餘年じゃあないんだよね


一生わかんねぇだろうな
でも、感のいい人は判る

太国さんは流石だね!

956 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 20:02:56
歳月

957 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 20:04:28
今日中にこのスレも終わりそうだな

958 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/09(土) 20:22:14
>>825
>古事記では東征に17年かかっている。苦難の旅だったと思う。

神武天皇は45歳で東征を始めたという。
17年もかかったら62歳。
もう無理は出来ないし、頭の回転も鈍くなる年頃。

年齢や東征に17年かかったとか言う話は怪しすぎるよ。
おまけに127歳まで生きたなんて、今の世界にいたら世界一だぜ。
少なくとも数字の信頼性はゼロ。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
橿原宮で即位したとされている。ちなみに神武天皇は、在位だけでも76年間
で127歳で亡くなっている。と、いうからにわかには信じがたい。
http://www.sakai11.jp/rj001_jinmutennou.htm

959 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 20:33:37
神話が、天皇家に関係あるか
関係ないかわは分からん。
関係ないとは言い切れないし、関係あるとも言い切れない。

だいたい、中世の徳川家康だって、新田神話という虚構を
作り出したんだから。

960 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 20:35:45
永遠に確実なことは分からないというのはそうだ。
この時代の書物はないわけだし...
でも、それを研究すること事態に意味がある。
このことは、何も古代史だけじゃなくて、中世史や近代史だって一緒。

961 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 20:42:56
結局、神武東征という少数の人数で長い時間かけて
日向から瀬戸内海の孤島を通って
畿内に上陸したら、なぜか、あっさりと熊の山奥の裏手に回って
畿内に住んでいた地元の豪族の娘と結婚して
畿内の狭い範囲での生活で終わるという

ありえないという話がすべての混乱の元だ。
しかも、その後、十代目の崇神天皇まで、欠史になっている。

>>959
そういえば、中世のような歴史資料の明確な時代の徳川家康ですら
関東の新田からやってきた新田源氏の僧が先祖という
冒険小説みたいな出自話を作り出したんだよな。


962 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 20:45:40
神話なんて今もまた作られてるさ。
「明日」だってひとつの神話だ。

963 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 20:47:26
イラク大量破壊兵器製造神話なんてのもあったな。

964 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 20:53:44
なんかまとめに入ってるね

965 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 21:21:50
>>944
神代で記紀が言わんとしてる事は2つだと思います。
1つめは、大国主が高天原を追われたスサノオの子孫である事。(だから、天つ神が国譲りを迫っても悪い事ではない。)
2つめは、神武は高天原の天照大神の子孫である事。(だから、その系統が正当な大国の後継者なのだ。)

それにしても、記紀の神代は出雲の扱いに本当に苦慮してますよね。^^;

966 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/09(土) 21:29:04
>>834
>その後、日本と中国の国交が100年間断絶したのは、
>どちらかというと、日本側に原因があったのでは?と思う。

マトモナ国交は100年どころじゃないでしょう。
中国自身、台与が送った朝貢を受けた晋は40年もしたら「5胡16国時代」ついで
「南北朝時代」→隋でやっと全土統一(西暦600年頃)し落ち着いた感じ。

台与の朝貢の後、330年くらい経ってんだよ。
中国にも原因はあったというべき!

967 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 21:41:49
中国とまともな国交なら今だってしてませんが、何か?

968 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 21:42:24
出雲風土記には、大国主の記載が無いと聞きます。
当たり前ですよね。「大国主」(なんと素敵な名前でしょうか。「大国」の「あるじ」ですよ!)は、
出雲が畿内、否、出雲から弥彦までの日本海及び、その沿岸に河口を持つ河川流域を支配するように
なってからの王に捧げられた名前なのですから。
ちなみに、出雲風土記時代の王に捧げられた名前は「須佐ノ王」だと思います。

969 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 21:52:08
巻向遺跡は神武を九州から迎え入れた頃の出雲大国主政権時代の遺構ではないでしょうか?

970 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/12/09(土) 21:59:49
>>836834の続き
>崇神天皇(卑弥呼と同時期)の時に畿内王権が全国制覇に出た。

アンタの時代考証は怪しすぎ!

ーーーーー(引用開始)−−−−−
時代の流れを追いかけていくと、崇神天皇・垂仁天皇の2代で福島県から広
島県付近まで勢力を拡大したあと、垂仁天皇の子供の景行天皇の時代に今度
はヤマトタケルが出て、九州・出雲・関東に遠征します。

そしてヤマトタケルの嫁にあたる神功皇后が朝鮮半島にまで兵を進め、その
神功皇后の子の応神天皇が畿内で安定政権の樹立に成功します。
http://www.ffortune.net/social/people/nihon-pre/suzin.htm

971 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 22:02:40
神武は大物主(大国主の別名、いや本名かも?)の庇護のもと、
かろうじて畿内に入り、その娘を奥さんにしてもらったにもかかわらず、
神武の子孫達は、遅くとも崇神までの間には、大恩ある出雲系の勢力を一掃してしまったのでしょう。
それが所謂「国譲り神話」として、記紀神代に記載され、恩人を抹殺した後ろめたさからか、
崇神、垂仁の時代大物主は祟り、出雲大社の創設になったと考えます。

972 :太国:2006/12/09(土) 22:11:10
>>958
2倍暦なら63歳余りでおかしくはない。お前はデタラメの天才。

973 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 22:13:39
つまり、後に大和朝廷として出現する王朝の母体は出雲が出身地である「大国主王朝」
(出雲〜弥彦の日本海沿岸、信濃川流域、畿内を支配下におく)であり、
神武ら九州の勢力を迎え入れたが為に、ある時期(欠史八代)からその王の座を彼らに
乗っ取られてしまったのでしょう。
会社にたとえれば、フジテレビは法人として存続しつずけているが、鹿内家は社長の地位を追われて、
日枝氏が社長になったというところでしょうか?

974 :九州ですが ◆cdEg7T5ias :2006/12/09(土) 22:15:11
>>869 「下ろうと遡ろうと」って、そんなあなた、おおざっぱなことでは…
弥生期にまで遡ったときが、問題なんでしょう?

畿内の場合、木槨木棺墓も、四世紀の古墳に見られる竪穴式石室墓も、さらには五世紀
以後の古墳に見られる横穴式石室墓も、一貫して「棺あって槨無し」に合わない。
それらは、時代の下った、「隋書倭国伝」の「死者を納めるに棺槨をもってする」
と言う誇示と合致する。
弥生時代後期、卑弥呼の時代の邪馬台国の葬制は、甕棺墓が最盛期を迎えていた
北部九州で見聞され、記されたのもと判ずるべき。

975 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 22:51:02
神武東征って九州からほとんど寄り道せず大和を目指してるけど、
普通、勢力を広げようとするなら、近いところからだんだん広げていくはず。
だから、九州と大和を強引に結びつけるための作り事としか思えない。




976 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 23:04:24
>>970
でも、崇神から数代で全国制覇に動き出したのは確かだよな。
今、見つかっている前方後円墳の拡散状況も
これらの天皇の二倍年暦の年代と凄くかち合う。

>>975
そうだよな。普通、九州から東征しようとしたら
近いところから順番に抑えていくはずなのに、
全く抑えてない。という、瀬戸内海の孤島を渡海して
中国地方や四国地方の陸地を上がらず、畿内に入っても
最初、河内で若干、戦闘して、お供が20人くらいなって
熊野の山奥の裏側から、こっそりと入って
こっそりと畿内にいた出雲系の豪族の娘を結婚して
大和三輪山の周辺の狭い領地で過ごして終わっている...

どう考えても、中世の徳川家康の松平親氏伝説のまんまだ。
天皇家は、古代版の徳川家みたいな感じか?

977 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 23:15:37
>>975
神武天皇が、寄り道をせずにまっすぐ大和を目指したとは書かれていない。
記紀のどちらも、宇佐、岡田宮(岡水門)、安芸、吉備と立ち寄っている。
しかも、かなり長期間にわたって滞在している部分もある。

また、岡田宮は、遠賀郡の芦屋とされるが、これは迂回しなければ立ち寄れない
土地なので、何か理由があったと思われる。
神武東征は、遠征の旅とも言える。


978 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 23:18:54
>>977
つづき。
もっと詳しく書くと、古事記では、岡田宮に一年。安芸に七年。吉備に八年。
日本書紀では、吉備に三年。

979 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 23:25:06
なんか神武東征って、大軍で攻め上った話じゃない。
いずれにせよ、仮に神武が実在したとしても
卑弥呼よりは前の時代になる。

980 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/12/09(土) 23:28:17
>>979

>いずれにせよ、仮に神武が実在したとしても
卑弥呼よりは前の時代になる。

そんな馬鹿な話はなかろうに


981 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 23:31:31
立ち寄ってるだけで、そこを征してから次に行くってわけじゃないよね。
単に長旅をしているというだけであって、征する目的地がいきなり大和というのは
どういうわけなのか?

982 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 23:35:51
>>975
つーか、岡山を出て速吸の瀬戸(鳴門海峡)を抜けるまで交戦の様子もまっ
たくない。
つまり大阪湾にはいるまで、神武隊は天毎氏の同胞か同盟氏族の勢力圏内
にあったという事だ。これは鉄器の分布ともほぼ一致する。
河内湖畔で大敗し、兄弟まで失いながら、紀伊半島を迂回した行程をみれ
ば、河内に強力な抵抗勢力が存在した事が見て取れる。これは同地の高地
性集落の存在を裏付けるものだ。大阪湾〜河内湖は当時の最前線だったの
だろう。

問題はそこまでして大和盆地に行こうとした動機だろう。
記紀では日向にいた時に、大和盆地が"山垣に囲まれたよい土地"だからだ
という事だけだ。彼にとって今いる日向を捨ててまで東の見も知らぬ土地
に行く動機には弱いとしかいいようがない。
しかし、それは彼がその必要に迫られていたとしたらどうだろう。
"山垣に囲まれた"=防衛に適した土地だと考えれば、彼は誰かに追われてい
たのではないかと思われる。九州に彼を訴追する動きがあり、その追捕の
手の及ばない大阪湾の東の処女地への「逃避行」が本当の事実ではなかった
のか。「八」の因縁のある"ヤタガラス"の導きとは大和盆地に定着していた
「ヤマタ」「ヤハタ」を奉じる出雲系豪族の手引きの事であったのではない
か。
つまり、九州王朝の勢力圏からのエクソダスが神武東征の本質であったのだ
ろう。そしてその逆襲は"磐井の乱"鎮圧であったのだろう。

983 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 23:53:22
>>982
近畿地方で神武天皇が戦ったのは、最初から長髄彦。
長髄彦は、饒速日命に仕えていたという。
饒速日命は、天磐船に乗って天下って来た天神の御子となっている。
つまり、神武天皇と饒速日命は高天原からやってきた同族という事になる。

最初に高天原から大和にやってきたのは、饒速日命。
神武天皇は後からやって来て、戦ったことになるわけだが、多分、
戦った長髄彦は、饒速日命の子孫ではないかと思う。

984 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 00:06:19
>>983
日本書紀には、長髄彦が神武天皇に負けた後、次のような会話がある。

「私が仕えている饒速日命は天神の御子です。いったい天神の御子は
二人おられるのですか。どうして天神の御子を名乗って人の土地を奪おうと
するのですか」
「天神の子は多くいる。お前が仕える人が天神の子であるなら、必ず
しるしがあるだろう。それを示せ。」
長髄彦が饒速日命の弓矢を差し出すと、まさにそれは天神の子のしるしであった。

天神の子と天孫では全く異なることを長髄彦に教えてもわかりそうも
ないので、これを殺された。饒速日命は忠誠を誓ったので寵愛された。
これが物部氏の先祖である。


985 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 00:06:20
神武天皇の話は新しい価値観があるから、後世の創作の可能性が高いが
仮に本当だったとしても、
政治組織が九州南部(日向)から大和三輪山まで攻めあがることは無理だな。
こういうのは文献史学の分野なんだけど、文献が残ってない時代なんだから
解明しようがない話。よって、実在性を探るのは永遠に無理。

よって、実在性があるのは、三輪山から起こった崇神天皇からで
これに関しては、考古学的にある程度、想像がつく話だろうと思う。

だからこそ、考古学の世界では、崇神天皇から実在性を限界線なわけで。

いずれにせよ、マキムク遺跡の更なる解明を待つ。楽しみだ。


986 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 00:07:05
>>983
日本書記は似たような話が多いんだよね。神代も天皇の巻も
これはひとつの話をいろいろと変奏してるのだと解する。

987 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 00:09:42
>>984
>天神の子と天孫では全く異なることを

どう違うの?

988 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 00:14:03
>>987
日本書紀にはそう書いてあるのだが、多分、神武天皇のほうは天照大神からの
直系で、饒速日命のほうは亜流ということだろうと思う。


989 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 00:17:50
>>988
サンクス
そこ何かしらの史実、それも日本書記が編まれた最近の史実を照合させてるんじゃないかしら。
なんか妙にリアリティを感じる。

990 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 00:27:12
990

991 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 00:28:05
991

992 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 00:28:56
992

993 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 00:29:42
993

994 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 00:30:48
994

995 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 00:37:57
スレ主でつ・・・立てときました

996 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 00:43:24
996


997 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 00:44:49
>>995
ありがとさん。

998 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 00:47:58
998

999 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 00:59:14
須礼主命

1000 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 01:00:02
<<<邪馬台国は宇宙人が作った都市だった!!!>>>

      _人人人人人人人人人人人人人人人_
        >      な、なんだってー!!    <
        ̄^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^ ̄
   ∩___∩              ∩____∩
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