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戦国大名の失策を語るスレ3

1 :日本@名無史さん:2006/11/13(月) 14:06:40
スレタイの通りです。

001〜100・・・竜造寺家
101〜200・・・大友家
201〜300・・・大内家
301〜400・・・尼子家
401〜500・・・関東公方+両上杉家
501〜600・・・里見家
601〜700・・・最上家
701〜800・・・南部家
801〜950・・・徳川家

951以降のレスは次スレの戦国大名を選出ということで。


前スレ

戦国大名の失策を語るスレ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1124340863/

戦国大名の失策を語るスレ2
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1140275025/

竜造寺家からよろしくお願いします。


2 :日本@名無史さん:2006/11/13(月) 14:19:56
2着

3 :日本@名無史さん:2006/11/13(月) 17:42:50
この面子じゃすぐ落ちるな

4 :日本@名無史さん:2006/11/13(月) 19:56:18
>>1

>>3
とはいえ、メジャーどころは出尽くしたしな
それ以外だと、芦名、石山本願寺、室町幕府ぐらいで
知名度的にはドッコイだろ




5 :日本@名無史さん:2006/11/13(月) 23:11:52
龍造寺の失策は…隆信が馬にも乗れないくらい太りすぎてしまった事

6 :日本@名無史さん:2006/11/14(火) 02:42:13
蒲池氏謀殺も失策だったような

7 :日本@名無史さん:2006/11/14(火) 11:12:10
沖田畷は長篠以上の惨敗
隆信と四天王全滅って何じゃそりゃ

8 :日本@名無史さん:2006/11/14(火) 11:42:37
赤星離反はまあ当時としてはよくある話だし
離反や下克上に過敏になる背景も分かるけど
なんとかならんかったかな

9 :独身ホモ貴族:2006/11/14(火) 12:37:46
衆道が主従の結束を固める。

10 :日本@名無史さん:2006/11/14(火) 17:34:01
戦国時代
http://hobby8.2ch.net/sengoku/

11 :日本@名無史さん:2006/11/17(金) 11:27:47
さすがに龍造寺だとネタないな。
隆信戦死がすべての没落の元なのは議論の余地ないからね。

大体、島津の釣り野伏せなんて上方の戦慣れした武将なら引っかからないような
単純な戦法でしょ?仙石秀久は引っかかったけどさ。

12 :日本@名無史さん:2006/11/17(金) 17:46:10
明の大軍も引っ掛かったのでは?

13 :日本@名無史さん:2006/11/17(金) 18:31:33
単純な戦法とは言っても、
クマ様じゃ家久に勝てるイメージがまったくないのは俺だけ?

確か島津は海路から援軍に来たんだよね。
海上封鎖とか出来なかったんだろうか。

14 :日本@名無史さん:2006/11/17(金) 19:16:18
単純=効果が薄いって訳でもないと思うが
伏兵戦術自体はよく聞くし

>>13
海上封鎖できるほど
領国が固まってなかったのではないだろうか
筑後でも離反勢力が出ていたみたいだし


15 :日本@名無史さん:2006/11/17(金) 19:39:57
【肥前】龍造寺氏を語るスレ【佐賀】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1153105213/

16 :日本@名無史さん:2006/11/17(金) 21:24:23
>>13
> クマ様じゃ家久に勝てるイメージがまったくないのは俺だけ?
それは「信長の野望」のやりすぎでは?

それはともかく海上封鎖と言っても当時は沿岸航法だから、
島原半島を勢力圏に入れておかないといけない。
その島原半島に勢力を持ってた有馬が島津に寝返ったのだからどうしようもないよ。

17 :日本@名無史さん:2006/11/17(金) 21:31:20
>>14
村上水軍も同じような「釣り+待ち伏せ」をやってたし、
真田昌幸が城まで釣ったあと篭城戦で撃破するのも原理は同じだから、
ありがちな戦法だったのだろう。

ただ物見を怠って地理不案内だったり地形みてもピンとこない人は(つまり戦慣れしてないということだが)
引っかかったのだと思う。

18 :日本@名無史さん:2006/11/17(金) 21:49:22
どっかの国の話だが城壁から戦を見ていた民衆が敵の逃走振りを見て伏兵がいる
のを感じ取っていたが実際戦っていた将軍は気づかずまんまと引っかかったという

敗走してる(と思われる)敵を勢いづいて追撃してるときに止めようとしてもなかなか
止められるものでもないのでは

19 :日本@名無史さん:2006/11/18(土) 11:22:19
>>18
それも含めて武将の技量なんだろうね。
特に九州あたりだと鎌倉時代の個人戦の伝統が色濃く残ってただろうから、
誰かが追撃すると我も我もで収拾不能になりかねない。

20 :日本@名無史さん:2006/11/18(土) 11:27:38
あー、でも龍造寺隆信が戦死したということは軍の先頭部にいたということで、
統御不能というか、結局本人も引っかかったのだと思う。

21 :日本@名無史さん:2006/11/18(土) 11:57:39
>>20
沖田畷の場合は弓鉄砲による混乱を収める為
陣頭指揮を執っていたら討たれたっぽいので
追撃戦で制御不能って訳ではない気がす

まぁ、大軍の展開できない湿地帯に誘い込まれて
伏兵にやられてるのだからその時点でアウトな訳だが



22 :日本@名無史さん:2006/11/18(土) 22:24:09
>>21
混乱の収拾なんて部下にやらせればいいのにね。
長宗我部元親が若い頃「将たるものの心得は何か?」と家来に聞いたら、
「将は先を駈けぬもの、退かぬもの、と聞いております」と答えたそうだが、
この場合まさにその通りだ。



23 :日本@名無史さん:2006/11/19(日) 19:55:46
>>22
そこが急ごしらえ勢力の悲しいところかと
一族(鍋島含む)以外でこれといった
譜代の家臣がいなかったのでは
四天王もどちらかというと現場指揮官といった感じだし



24 :日本@名無史さん:2006/11/19(日) 22:10:11
ちょっとスレからずれるが、なんでフロイスはこいつのことを日本のカエサル
なんて評したのかが不思議。

25 :日本@名無史さん:2006/11/19(日) 22:17:43
隆信、佐賀に残って鍋島直茂を総大将に据えて出陣させれば良かったんだよ

26 :日本@名無史さん:2006/11/20(月) 21:28:44
>>25
それで直茂戦死で龍造寺家安泰か。なかなかヤルなw
意外と遠征軍使ってそのままクーデター起こしたりして。

27 :日本@名無史さん:2006/11/21(火) 00:38:55
むしろ直茂に責任押し付けた隆信死後の竜造寺一門は
それなりの領地貰ってぬる〜く過ごしてたと思うけどな。
直茂は厄介事押し付けられて乗っ取りの汚名まで着せられた
被害者とみることもできなくない?

28 :日本@名無史さん:2006/11/21(火) 01:32:03
>>27
化け猫騒動のネタにもされたんだっけ?

そういえば、隆信の曾孫が幕府に竜造寺氏の復権を訴えた際
鍋島の正当性を支持したのが竜造寺氏の分家だったって話があったっけ

今更余計なトラブル持ち込むなってところだったのかも


29 :日本@名無史さん:2006/11/21(火) 02:01:27
>>26は冗談として鍋島直茂は結構誠実だったと思うな。
こういう場合って主家は放逐になる場合が多いし。
旧主家が捨て扶持もらって家臣になった大名って他にあるかな。



30 :日本@名無史さん:2006/11/21(火) 10:24:50
織田は?

31 :日本@名無史さん:2006/11/21(火) 14:59:54
まぁ隆信の息子自体が鍋島政権をヨイショしてんだから、
どーしょーもないワナ

32 :日本@名無史さん:2006/11/21(火) 15:55:35
>>29

織田家での斯波守護家とか黒田家での小寺家とかすぐに思いついたが

33 :日本@名無史さん:2006/11/21(火) 21:08:25
主家がNo1の家臣に禅譲しちゃうケースってなさそうで結構あるんだね
豊臣→徳川みたいに主家を根こそぎ滅ぼしちゃう方がむしろ例外なのか?

34 :日本@名無史さん:2006/11/21(火) 21:27:25
守護が下克上されてなし崩しに家臣になるってパターンは結構あるね

35 :日本@名無史さん:2006/11/21(火) 23:47:48
>>33
一族郎党皆殺しってのはあまり無いかも

前政権の支配基盤なんかもそれなりにあるだろうし
一族の中でも、従順な者をお飾りにして
それまでの体制を、ある程度引き継ぐって方が
全部打ち壊して最初からってよりやり易いのではないだろうか

36 :日本@名無史さん:2006/11/21(火) 23:51:23
在地勢力を弱めてその有力家臣を独立させ直臣下にするというのは秀吉はよく
やっているね。立花とか小早川とか
家臣側ももともとは独立した勢力だったのだから、たまたま竜造寺主家交代
だっただけなのでは
参勤交代に耐えかねて鍋島家臣になった諫早家の方が珍しいのでは

37 :日本@名無史さん:2006/11/22(水) 09:01:57
>>33
ねぇちゃんと嫁さんの姉と妹のオマンコで結局生き残った京極なんかも、
浅井に領土はとられたけど細々と生き残っていたかと

38 :日本@名無史さん:2006/11/22(水) 12:35:55
穴働きってわけか

39 :日本@名無史さん:2006/11/22(水) 21:41:40
>>32
家臣による御家乗っ取りで、主君と家臣が入れ替わるって話でしょ?
上杉家と長尾家なんかが近いのかもしれない。この場合、長尾家出身の謙信が「上杉」を名乗ってしまったが。
織田信長と斯波義銀は独立勢力だった信長が織田信友に追われて助けを求めてきた斯波義銀を政治的に上手く利用した感じだし、
黒田家での小寺家は織田・豊臣政権下で出世した黒田が没落した小寺を助けた感じだからどっちも微妙に違う。

家臣による御家乗っ取りとは例えば土岐家と斉藤家とか、浦上家と宇喜田家みたいなケースかな。


40 :日本@名無史さん:2006/11/23(木) 00:51:29
>>39
管領細川家と三好家も近いかね

41 :日本@名無史さん:2006/11/23(木) 17:23:07
>>39
考えてみりゃ織田と豊臣もそうかな。
柴田を潰したり、信孝自裁させたり、信雄や徳川と対立したり紆余曲折あったが、
三法師が織田家嫡流と見なせば三法師が豊臣に権力を譲り家臣の列に加わった、とも考えられる。

42 :日本@名無史さん:2006/11/23(木) 22:01:14
>>39
今川と徳川もな。品川なんて名乗っても今川の本家だろ。

43 :日本@名無史さん:2006/11/24(金) 16:57:13
今川徳川はちゃうだろ。
徳川は今川政権下で力を伸ばしたわけじゃない。
従属させられてたのが機を見て独立、打倒し、
のちに旗本として拾ってやったわけだから。

44 :日本@名無史さん:2006/11/25(土) 03:42:33
龍造寺の場合、そもそも一門がほぼ全滅してたからねぇ。
まぁ家兼が馬場の策謀を上手く封じていれば、
そもそも隆信が家を継ぐ事無く・・・。

その場合、龍造寺があそこまで勢力広げられたかどうか分からないけど。

45 :日本@名無史さん:2006/11/26(日) 20:25:43
鍋島ではなくても、隆信の弟が残ってるのにね。
家来に頭下げなくても・・・

46 :日本@名無史さん:2006/11/26(日) 22:06:19
政家が猿吉に嫌われていたみたいだし、気に入られていた直茂に
とりあえず任せた方がと考えたのじないか?
大友みたいに改易されるのはもった嫌だろう、でそのままなし崩し
で逆転してしまった

47 :日本@名無史さん:2006/11/26(日) 22:08:55
>>45
次男も三男も他家に養子に入ってるし、難しかったのではないかな
一応、家種自身も努力はしていたみたいだが
朝鮮の役で戦没しちゃったしな

政家に隠居を命じたのは(直茂の工作があったかもしれないが)秀吉だし
江戸初期には一門が、(本音はどうか分らんが)鍋島氏の相続を支持していたわけだし

と、鍋島をフォロー


48 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 23:51:57
もとは肥前の1国人領主
ゲームなんかじゃ天文年間から大名だったりするみたいだけど
実質は肥前の一部を支配するただの小領主だったのだから
成功した部類だとは思う

49 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 01:46:39
国人衆の謀殺は離反を招いたとは言え
その間は全体として竜造寺家は強大化しているから失策とは呼ぶべきじゃないかな?

50 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 15:25:51
沖田畷がすべてだな

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