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【初心者】スレッド立てる前に質問をPart18【歓迎】

1 :日本@名無史さん:2006/11/01(水) 01:00:18
分からないことをスレッド建てて聞く前にこのスレで質問してください。
専門的な質問は各分野のスレでより詳しい説明がもらえるかもしれません。
回答に時間がかかったり、回答がもらえなくても怒らないでください。
質問が続くようでしたら、名前やトリップ付けることをお奨めします。
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人名・用語について調べたい時はここで聞くよりも検索したほうが速くて確実かと思われます。

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 ・回答に時間がかかることもあります。ご了承ください。
 ・既に専門スレがあったり、板違いの質問があったりすれば、速やかに誘導してください。
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日本史 ・ 世界史FAQ
http://www.geocities.jp/magurogyosenn2000/index.html

前スレ
【初心者】スレッド立てる前に質問をPart17【歓迎】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1151923443/

2 :日本@名無史さん:2006/11/01(水) 01:01:13
過去スレ
Part1 ttp://academy.2ch.net/history/kako/1026/10268/1026810759.html
Part2 ttp://academy2.2ch.net/history/kako/1041/10416/1041658641.html
Part3 ttp://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1052089841/
Part4 ttp://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1061721234/
Part5 ttp://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1069410597/
Part6 ttp://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1078388355/
Part7 ttp://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1088214802/
Part8 ttp://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1093006082/
Part9 ttp://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1098268474/
Part10 ttp://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1104767260/
Part11 ttp://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1112497759/
Part12 ttp://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1119780508/
Part13 ttp://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1123956642/
Part14 ttp://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1129025557/
Part15 ttp://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1133791631/
Part16 ttp://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1141491511/
Part17 ttp://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1151923443/


3 :日本@名無史さん:2006/11/01(水) 02:39:36
>>1
乙。

前スレで通史おさえるためには何使ったらいいかを質問したものですが
山川の「マンガ日本史教科書」を購入してみました。

4 :日本@名無史さん:2006/11/01(水) 13:22:43
テスト

5 :日本@名無史さん:2006/11/01(水) 13:27:03
進路相談をやっている者です。史学希望で帝京と駒澤で迷っている者がいるのですがアドバイスもらえませんでしょうか。
学芸員か公務員希望で、江戸時代に関心があるようです。

6 :日本@名無史さん:2006/11/01(水) 21:18:44
>>5
どっちもどっち

7 :日本@名無史さん:2006/11/02(木) 08:02:32
ふと思ったのですが、江戸時代借金で首が回らなくなっていた大名家もいっぱいあったようなんですが、そんなところに金を貸す商人側のメリットってなんだったのでしょうか?

あとやっぱり大名家相手の金貸しというのは戦国時代にはなかったのでしょうか?リスクでかすぎる気がしますし。


8 :日本@名無史さん:2006/11/02(木) 13:08:26
キミの中で金貸しとは、サラ金と都市銀行のようなものしか頭にないのかね。

大名に金を貸すからには、上方の屋敷にある備蓄米を担保にすることもあれば、
大名の領内で獲れる商品作物に関する独占的な利益を得たり、
または何らかの形での政治的な権益とバーターだったりもする。
逆に政治的な力で借金踏み倒されて、没落する大名貸しもあるわけで、
三井家なんかは家訓で大名貸しを禁止したわな。

確実に返してもらえるところだけに貸せばリスクもなく儲かる、なんて呑気な思想は、
戦後の銀行の護送船団方式による洗脳の賜物だわな。

9 :日本@名無史さん:2006/11/02(木) 14:30:10
僕らって、日本民族が正しいのですか? 大和民族が正しいのですか?

10 :日本@名無しさん:2006/11/02(木) 14:55:35
>>9
韓民族と朝鮮民族、どちらが正しいと思う?

11 :日本@名無史さん:2006/11/02(木) 14:56:54
最近日本の歴史に興味を持ちはじめ、一から学び直してみたいのですが
どこから手をつけどの本を読めばいいのか分かりません
当方社会人なのですが、学生時代歴史は大嫌いでまともに勉強していません
正直知識は小学生レベルです
何か良い歴史の学び方などありますでしょうか?
お勧めの本などありましたら教えてください

ついでに特に興味があるのは戦国、幕末あたりです

12 :日本@名無史さん:2006/11/02(木) 15:12:05
>>11
「学問に王道なし」

13 :日本@名無しさん:2006/11/02(木) 16:27:00
>>11
「小学生レベル」から歴史ネタ話についていける人間になりたいのなら、
よくコンビニで売っている本を買いコンビニ定食食いながら読むのが
いいかと。こういうときにMOOKは便利。


14 :日本@名無史さん:2006/11/02(木) 18:21:13
>>11
司馬遼太郎の本を読めや、あと海音寺の「天と地と」

15 :日本@名無史さん:2006/11/02(木) 18:28:13
あなたのレベルならマンガで読む日本史がおすすめ!さらに「信長の野望」
というゲーム知ってますか?俺はこのゲームで戦国大名やその家臣をカナリ
覚えた。マジでおすすめです。

16 :日本@名無史さん:2006/11/02(木) 18:31:37
>>9
中国民族、アメリカ民族、台湾民族、色々民族居るよ。

17 :日本@名無史さん:2006/11/02(木) 19:01:59
会津藩は戊辰戦争で敗北したあと、下北か猪苗代を選ぶように言われたのに、
なんで地元の猪苗代を選択しなかったの?

自ら望んで下北に行くなんて馬鹿?実際、猛反対した家臣もいたらしいし。

18 :日本@名無史さん:2006/11/02(木) 19:27:04
オレは9やけど、真面目に聞いたんぞ!
それなのに何か!?

19 :日本@名無史さん:2006/11/02(木) 20:54:43
大和民族って最近はあんまり使わないんじゃないの?
正式には日本民族だろうな。

20 :日本@名無史さん:2006/11/02(木) 21:37:47
>>19
日本民族と大和民族は、意味が違うんじゃないのか?

俺的には、

日本民族=大和民族+出雲+蝦夷+熊襲+隼人+琉球+etc

と、思ってるよ。

21 :日本@名無史さん:2006/11/02(木) 22:16:07
だいたいやね日本民族なんて言ってるやつは、歴史の基本から
勉強しましょう。

日本人=大和民族系、アイヌ民族系、朝鮮民族系、漢民族系、
モンゴル民族系、・・ヨーロッパ、アフリカ、中東、などなど

22 :日本@名無史さん:2006/11/02(木) 22:19:59
日本列島はユーラシア大陸人種群の坩堝だからなぁ……
遺伝子を信用するなら、中東辺りからも人種が流れ込んでるわけだし。

まぁだからこそ、他文化に順応しやすいんだろうけど。

23 :日本@名無史さん:2006/11/02(木) 22:51:39
>>21
日本人はモンゴロイドの一種ってのはあってる?
知識に自信がなくなってきた・・・

24 :日本@名無史さん:2006/11/02(木) 23:18:43
>>23
>日本人はモンゴロイドの一種ってのはあってる?

日本人の大半は、モンゴロイドです。
まあ、いろんな民族の遺伝子が流入してるのは事実だけどね。


25 :日本@名無史さん:2006/11/02(木) 23:30:10
NHK 「日本人」より

北方系  40%
中国南方系  40%
満州・朝鮮系 5%
南方島嶼系  5%

26 :11:2006/11/02(木) 23:45:13
質問に答えて下さった方々ありがとうございます!
これらを色々と参考にして日本の歴史を勉強していきたいと思います!

27 :日本@名無史さん:2006/11/03(金) 02:22:37
オレは9=18やけど、そしたら天皇陛下は歴史的には大和民族の長、
明治以降は日本国民の長なんか?

28 :日本@名無史さん:2006/11/03(金) 03:40:00
受験で世界史日本史を使う者です。

雄略天皇が実在した確認のとれる最古の天皇だと言われましたが、
武の存在が確認出来たなら同史料内の応神、反正天皇などの
倭の五王も存在したのではと考えています。

そこで質問なのですが、応神天皇以前の天皇や天皇制が始まるきっかけとなった出来事は
今のところどの程度までわかっているんでしょうか?
史料のない4世紀ということですが、いつの間にか天皇がいて、
そういえば日本国民なのに天皇制について全くの無知であることに悲しくなりました…

29 :日本@名無史さん:2006/11/03(金) 06:45:45
>>10
朝鮮民族が正しい。

30 :日本@名無史さん:2006/11/03(金) 11:26:36
>>28
wikipedia は間違いが多いという話もあるが、この当たりから辿って見たら
どうか。因みに「天皇制」は戦前は左翼用語だってのを自分も初めて知った。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%9A%87


31 :日本@名無史さん:2006/11/03(金) 14:00:38
新選組の誕生から解体までを18コマに分けるならどんな感じになるかな?
欄干彫刻の絵師を頼まれてやってるんだけど、定番が赤穂義士や東海道五十三次、花鳥風月などなんですよ。
それで構図パターンも限界なんで、新しい題材をと思い新選組はどうかなと。

32 :日本@名無史さん:2006/11/03(金) 15:32:24
クレヨンしんちゃんの映画が戦国時代の戦場をかなりリアルに再現してると聞いたのですが本当ですか?

33 :日本@名無史さん:2006/11/03(金) 15:54:09
なんでニートが住み着くのですか?

34 :日本@名無史さん:2006/11/03(金) 17:47:09
>31 一般受けする絵栄えしそうな内容だけ考えてみたけどどうかな。

壬生浪士組誕生
8.18政変
新撰組結成
大和屋焼き討ち
芹沢鴨暗殺
池田屋事件
禁門の変
三条制札事件
油小路事件
近藤狙撃
鳥羽伏見の戦い
勝沼の戦い
近藤勇斬首
宇都宮城の戦い
沖田総司死亡
会津戦争
宮古湾海戦
土方歳三戦死

35 :日本@名無史さん:2006/11/03(金) 17:49:58
>>33
馬鹿な工作員が2CHには多いからじゃないか。

36 :日本@名無史さん:2006/11/04(土) 00:58:19
>>32
ttp://mltr.e-city.tv/faq22.html#05612

37 :日本@名無史さん:2006/11/04(土) 09:56:45
>>34
ありがとう。
面白そうだから土日で仕上がるかはわからないけど、調べながら想絵を書いてみる。
彫刻師が気に入れば下絵を書きたいね。
ほんとありがとう。

38 :日本@名無史さん:2006/11/04(土) 10:43:51
>>30
ありがとうございます。
見てみます!

39 :日本@名無史さん:2006/11/04(土) 18:18:01
>>34
それってどんな黒鉄ヒロシ?

40 :日本@名無史さん:2006/11/04(土) 19:14:27
「戦後、靴下と女は強くなった」というのは日本だけで言われた標語でしょうか?
あと、これこの板であってますか?

41 :日本@名無史さん:2006/11/04(土) 20:51:11
幕末生まれの有名人で、もっともあとの方まで生存していた人って誰がいる?
泉重千代みたいな庶民とか、1860年代生まれの世代は除外して、少なくとも
何かの分野で活躍した人で、明治維新時点である程度の年齢だった人。

42 :日本@名無史さん:2006/11/04(土) 20:52:51
あと、維新当時、チョンマゲだった人で第二次大戦後まで生存してた人っている?

43 :日本@名無史さん:2006/11/05(日) 02:18:24
西園寺公望1849〜1940


44 :日本@名無史さん:2006/11/05(日) 04:10:21
質問、晴右公記と晴豊公記はどこかに活字本化されていないでしょうか?

45 :日本@名無史さん:2006/11/05(日) 09:50:55
>>44
『続史料大成』本しかないよ。
そんなに読みにくい字じゃなかった気がする
(専門外なのでうろ覚えだけど・・・)

46 :日本@名無史さん:2006/11/05(日) 13:16:07
>>41 
浅野長勲侯
1842〜1937

田中光顕伯
1843〜1939

清浦奎吾伯
1850〜1942

金子堅太郎伯
1853〜1942


47 :日本@名無史さん:2006/11/05(日) 13:56:43
織田信長が何の罪も無い人を虐殺していたのは本当ですか?

48 :日本@名無史さん:2006/11/05(日) 14:06:21
何を以って罪があると判断するかにもよるけどな。

はっきり言うと、何の罪も無い人間を虐殺するような人間が
戦国の覇者になれると思うかね?

49 :48:2006/11/05(日) 14:07:11
本願寺とかの宗教勢力の虐殺なら、史実だろうけど
酒を飲み、女を抱き、武装して無茶苦茶やってた坊主どもと
それを支持する民衆が立て籠もったから、
仕方なく数回予告した上で粛清したのでは?

50 :49 だった:2006/11/05(日) 14:21:19
ところで斉藤道三って、どうしてバカ息子に負けて死んだの?

大河ドラマで、徳川家の参謀がなぜか井伊直政になってるけど
本多正信や酒井忠次とか大久保忠佐とか居たはずなのに、
なんで直政だと思います? 土佐左遷の時の調停役だったっけ?

51 :日本@名無史さん:2006/11/05(日) 14:27:55
つまり織田信長が何の罪も無い人を虐殺したのは事実なんですね?

52 :日本@名無史さん:2006/11/05(日) 14:29:11
>>51
この流れからその結論を導き出せるとは、お主只者では無いな……!

53 :日本@名無史さん:2006/11/05(日) 14:34:17
私は織田信長が何の罪もない人を虐殺したのか否かが知りたいのです。
そのような曖昧な答え方をされてはちょっと解りかねます。
yesなのかnoなのか、二択で答えて頂けませんか?

お願いします。

54 :日本@名無史さん:2006/11/05(日) 14:53:40
現代的感覚の「罪」という意味でいえばyes
当時の感覚の「罪」という意味でいえばno

55 :日本@名無史さん:2006/11/05(日) 15:13:24
ありがとう御座います。

56 :日本@名無史さん:2006/11/05(日) 19:59:51
>>47のような頭の悪そうな質問を日本史掲示板でしてる時点で
47=51=53=55が小学生レベルだというのはわかった

57 :日本@名無史さん:2006/11/05(日) 20:03:03
明日から平日だよ

☆☆☆ニートウニョウニョ時間にレスしていると狙われるよ!☆☆☆


ニートウニョウニョ時間=ニートばかり活躍する時間(暫定)

毎日24:00〜日の出
平日9:00〜12:00
平日13:00〜17:00



58 :日本@名無史さん:2006/11/05(日) 20:15:09
>>41
戦前に有名だったのが林忠崇。
維新直前に請西藩主になったはいいが、若気の至りで殿様自ら脱藩して、
東北を旧幕府軍の一員として転戦。請西藩は新政府に改易された
唯一の藩という微妙な名誉まで得てしまった。
結局甥は男爵にしてもらってんだが、本人も1941年まで生き残って、
正式に大名だった人間の最後の生き残りになった。

本人は自分は明治元年に死んだ存在と言いつつ、
昔話をほのぼのと語ったので、戦前の新聞における暇ネタによくなってたとか。
領地の木更津では今でも人気者でつ。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4121015541

59 :日本@名無史さん:2006/11/05(日) 23:53:21
明治維新あたりで、とある旧幕府軍が以前天皇から「がんばってね」的な手紙をもらい、それを理由に新政府軍に対抗したって話があった記憶があるんですけど何の戦争でしたっけ?

60 :日本@名無史さん:2006/11/06(月) 12:57:14
源頼朝に守護地頭設置を献策したのは誰でしょう?

苦情かねざねであってますか?

61 :日本@名無史さん:2006/11/06(月) 14:29:10
>>59
多分、松平容保の話だと思うけど

62 :日本@名無史さん:2006/11/06(月) 19:09:51
>>60事故解決しました

63 :日本@名無史さん:2006/11/06(月) 22:15:03
誰か教えてください チエコショウを書いた人は誰ですか?

64 :日本@名無史さん:2006/11/06(月) 22:36:51
>>63
キングオブニート太国
略してキン太

65 :日本@名無史さん:2006/11/06(月) 23:03:25
詩集千恵子抄. 高村光太郎

66 :日本@名無史さん:2006/11/07(火) 00:01:50
>>50
それって、関ヶ原前夜の話だと思うけど、関ヶ原の戦いの頃は、井伊直政は
東軍の「軍監」でした(本多忠勝説もあり)。

酒井とか大久保とか本多正信とかは、本来の「徳川主力」を率いた徳川秀忠
に従って中山道を西へ向かっていたんです。ところが、信州上田城で真田に
絡まれ・・・で、後は何かを参照してね。

67 :日本@名無史さん:2006/11/07(火) 00:19:08
期待されて生まれて
ニートとして死ぬのか


社会にとって、ニートは要らない物なんだね。
掃いて捨てても、何も困らないんだね。




68 :50:2006/11/07(火) 00:41:11
>井伊直政は東軍の「軍監」でした
って事は、大河ではずっと直政が参謀なんですかね?

道三の件はどなたか分かりませんか?

69 :日本@名無史さん:2006/11/07(火) 01:10:53
ドラマの話は脚本書いた香具師に聞いてもらわなきゃここで聞いたって誰にもワカランよ

>斉藤道三って、どうしてバカ息子に負けて死んだの?

で、こっちね(´。`)はぁ・・・。
義龍がバカ息子という前提が間違っている


70 :日本@名無史さん:2006/11/07(火) 01:20:37
下の文の空欄 [ア] 、 [イ] に入る語句を記せ、という問題なのですが、
解答が付いていない為、正答の確認が出来ません。

『政府は、ドイツ人顧問 [ア] の助言により地方制度の改正を進め、市制・町村制
や府県制・郡制などが公布され、政府の強い統制の下ではあるが、一応の地方
自治制が制度的に整えられた。これがいわゆる [イ] である。』

[ア]はモッセだと思うのですが、[イ] に入る語句は何でしょうか?

71 :日本@名無史さん:2006/11/07(火) 01:48:49
>>61
ありがとうございました。

72 :日本@名無史さん:2006/11/07(火) 01:52:03
昨日の信長の遺骨を探すTV見てて思ったんだが、
心底信長を慕ってた家臣て本当に居たんでしょうか?
信長はかなりのかんしゃく持ちで強引。今で言うワンマン経営者みたいな者。
家臣も、迂闊に逆らえば打ち首にされる恐れも有り。裏切りの後の怖さも刷り込み済み。
また、信長の発想に家臣が追いつかない。
実際のところ、信長を慕った家臣てホントにいたんでしょうかね。

73 :日本@名無史さん:2006/11/07(火) 02:37:11
つ光秀
本能寺の変一年前の光秀の文書なんか本心だと思うがな・・・
まぁ慕っていたかどうかなんて内面まで知りようはないが、あくまで漏れの所感w




どうでもいい話だがワンマン経営者(が有能であれば)
犬ころの様にワンマン経営者を慕う社員なんて現代でも珍しくないのでは?
あと、最晩年の劣化した信長とそれ以前の信長は明確に区別すべきだと思うが初心者スレなので
その辺は割愛☆〜(^д゜)

74 :日本@名無史さん:2006/11/07(火) 02:57:04
劣化信長w
神様になってお賽銭頂いたってのは『下天は夢か』で読んだ記憶有る。
ありがとうございました。

75 :日本@名無史さん:2006/11/07(火) 12:42:59
>>65ありがとうございます

76 :日本@名無史さん:2006/11/07(火) 23:35:37
室町時代の安芸武田氏は安芸半国の守護であったという話を聞いたのですが、
これは事実なのでしょうか?

77 :日本@名無しさん:2006/11/08(水) 00:52:58
>>76
安芸守護になった甲斐武田の分家を安芸武田というのだが。

78 :日本@名無史さん:2006/11/08(水) 06:34:15
>>77
いえそれはわかっています。
ただ安芸武田氏が同国の守護だったのは南北朝の初期までで、それ以降は
守護ではなくなったはずと思っていた(私が以前に見た室町期守護に関する
辞典にはそう書いてあった)のですが、それ以降も戦国期まで安芸半国守護で
あったという話を聞いたので、どういうことなのかと思って質問させて
いただきました。

79 :日本@名無史さん:2006/11/08(水) 12:08:34
秀吉がなぜ将軍にならなかったのかについて質問ですが
↓↓この意見は正しいのでしょうか?

>181:このスレのまとめ 2006/11/08 11:11:10 iQcrmmZ8 [sage]
>Q1、秀吉は足利義昭に将軍を断られたんだよね?
>A1、秀吉が将軍を断念したソースは林羅山の「豐臣秀吉譜」のみなので今のところ否定も肯定も出来ない
>Q2、秀吉は農民だから将軍になれなかったんじゃないの?
>A2、秀吉は平姓として筑前守になり藤原姓として関白になり豊臣姓として太政大臣になってる
>     どれも立派な姓であり、秀吉の出自が官位就任に影響をおよぼしたことはない
>Q3、源氏しか政権担当者としての将軍にはなれないんだよ。おまえ馬鹿?
>A3、「天正十年夏記」によると勧修寺晴豊は信長が将軍になるだろうと感想を洩らし
>     誠仁親王も信長をどのような官にでも推挙すべしと言っている
>     そして信長は平姓。もうわかったね?
>Q4、はあ?意味不明
A4、だから信長が平姓で将軍になることに問題はないから
>     平姓秀吉も将軍になることに問題はないと考えられるの
>Q5、だったら将軍になればいいじゃん。ならなかったのはやっぱ秀吉じゃ無理なんだよ
>A5、小牧・長久手合戦の直後に権大納言や内大臣つまり将軍が兼任した官位を獲得したが
>     すぐに関白になっているため秀吉は将軍職を望んでなかったようだ
>     小牧・長久手の敗戦により将軍職を諦めたという論説もあるが
>     秀吉が将軍職獲得のために運動した形跡はないため憶測にすぎない。
>Q6、だから何?
>A6、つまりこのスレの結論は「将軍職に興味を示した資料は無いが、秀吉はなろうと思えば将軍にも関白にもなれた」
>     「むしろ朝廷をも支配出来る関白になるほうが都合が良かった」ということ
>Q7、秀吉厨キモすぎwwwww必死だなwwwwww
>A7、・・・反論に窮してその態度かよ

80 :日本@名無史さん:2006/11/08(水) 17:07:07
>>70
市町村制

81 :日本@名無史さん:2006/11/08(水) 17:23:24
>>79
QとAどっちについてですか?

ちなみに自分としては、秀吉は将軍になろうと思えばなれたが、
地位に意義を見出さなかったのでならなかった、と考えております。

82 :日本@名無しさん:2006/11/08(水) 22:04:28
>>81
足利義昭の猶子になろうとして断られ、関白の猶子になって太政大臣になった。

まあ、太政大臣>(越えられない壁)>征夷大将軍ですから将軍なんてどうでもいいし。
そもそも京の外にいないと将軍なんて価値無いし。

83 :日本@名無史さん:2006/11/08(水) 22:25:54
>>82
>足利義昭の猶子になろうとして断られ、
講談レベルの嘘つくなよ。史学レベルの回答しろよ蒙昧

84 :70:2006/11/08(水) 23:15:49
>>80
ありがとうございます。
府県制・郡制と市制・町村制を合わせて市町村制となるんですか?
なんか腑に落ちない…

85 :日本@名無史さん:2006/11/09(木) 00:48:21
>>83
漏れは>>82ではないけど
あんたが答えたら良いのでは?

86 :日本@名無史さん:2006/11/09(木) 02:12:14
>>83みたいな奴はリアルでも嫌われ者だろ
生まれて此の方建設的な意見なんぞ言ったことが一度も無いにイチウォン




87 :日本@名無史さん:2006/11/09(木) 09:36:18
昔帝国大学に行った人て素封家とか名士の子弟が多いんですか?
それとも勉強できれば誰でも入れたんでしょうか?

88 :日本@名無史さん:2006/11/09(木) 09:55:11
>>81
関白への任官経緯が早すぎるし、最初から将軍を狙ってなかったんだよ

>>87
教育には金がかかるのは現在でも同じ。自然、大学進学者は富裕層が多くなる

89 :日本@名無史さん:2006/11/09(木) 15:27:56
>>87
中学へ進学することすら、ある程度金に余裕のある家の子弟でなければできなかった。
況や高校、大学をや。

90 :日本@名無史さん:2006/11/09(木) 22:15:32
オレは義務教育の中学校を出たが、子供の頃ダレダレさんは小学校5年で中学校へ
行ったとか、あのオバサンは女学校で落第したとか聞いたもんだ。
落第すると恥ずかしいと思って勉強したよ。

皆があれはバカだという、頭が弱い人もいたが、おおむねオトナは立派に見えた。
街には、事故はあっても事件はなかった。夏など通りから家の裏まで見通せるので
人がいると思って声をかけても誰も出てこなかったりしたな。いなくても井戸端で
水を汲み上げて飲ませてもらったりした。

高校出るまで、全員卒業できるとは知らなかったよ。中退とかいたもんね。

91 :日本@名無史さん:2006/11/10(金) 09:04:32
>>84
そりゃ腑に落ちないでしょうよ。
80の答えは間違い、というより問題もよく読まずに適当に答えた乱暴なレス。

この問題の出典を知りたいところだけれども、とても難しい問題だと思う。
何が難しいかというのは、出題者の意図が分からない、という点において。
つまり一体何を聞きたいのか、答えさせたいのかが見えない。

明治初期の地方自治制に関して言えば、(ア)の一文だけで十分な説明だし、
そこに続いて、「これがいわゆる〜」と言われてもという印象だ。拙の勉強不足かもしれんが。

敢えて答えを導き出すとすれば、中央政府による統制の強い自治制度という意味で
「官治的地方自治制」という言葉がある。が、正解かどうかはわからん。何の問題?

92 :70:2006/11/11(土) 00:46:03
>>91
やはり、違いましたか。
出典は、國學院大學神道学専攻科(四年制大学既卒者対象の、
神職の資格を取る課程)の平成16年度の入試問題です。

試験範囲は「日本史」とは書いてあるけれど、「高校レベルの日本史」
とはどこにも書いていないので、ひょっとしたらそういう答えも
アリなのかもしれません…

93 :日本@名無史さん:2006/11/11(土) 02:05:08
>>73
光秀は昇進欝だった説を聞いたことがあるんですがここの住人的にはどうですか?

94 :日本@名無史さん:2006/11/11(土) 08:44:12
>>82
摂政・関白も征夷大将軍も官位相当制の対象外の令外官だから、太政大臣との
間に優劣はない。
摂政・関白や征夷大将軍は、普通は原則的には他の官との兼任が前提だが、
当然太政大臣を兼任しているケースもあり得る。
但し太政大臣自体が常置の官ではないので空席のことも多く、摂関や将軍も
普通は左右大臣や内大臣くらいを兼ねていることが多いのは事実だが。

95 :日本@名無史さん:2006/11/11(土) 13:17:37
いえが庄屋だったんですが図書館で調べたら先祖が1690年ごろ
年貢150石を納めたとあるんですが・・・どんなもんですか?150石って?

96 :日本@名無史さん:2006/11/11(土) 13:21:28
江戸時代において武家よりも上の身分といったら何になるの?お公家さん?

それから平安〜江戸時代の間で近親婚がなされていたのは、
位の高い人たちだけですか?
庶民の間でも近親婚が普通になされていたのでしょうか?

97 :日本@名無史さん:2006/11/11(土) 15:43:43
>>95
その倍くらいの収入があったということでしょ。
結構すごいじゃないか。どこの庄屋だい?

98 :日本@名無史さん:2006/11/11(土) 15:48:10
検索の仕方が悪かったのか質問させて下さい。
戦中?戦後?日露戦争に関係していたと思うのですが、
ロシアから異国の子供達が大勢日本に来て、
着物や食料を与え送り返した。
成長した子供達が日本にお礼を言うために来日した。
って話があったと思うのですが、
どこの国でどんな話だったか、
具体的に分かる方がいらっしゃいましたらぜひ教えて下さい。

99 :日本@名無史さん:2006/11/11(土) 15:48:42
あぁ・・・これ板違いなのかな・・・
近代史ですかね・・・il||li _| ̄|○ il||li

100 :日本@名無史さん:2006/11/11(土) 16:45:39
>>98
シベリア出兵の時のポーランド孤児のことかな?

101 :日本@名無史さん:2006/11/11(土) 17:29:59
>>100
それです!早速検索して色々な情報を集める事が出来ました。
板違いにも関わらず、丁寧にお答えして頂きありがとうございました。

102 :日本@名無史さん:2006/11/11(土) 18:13:08
近代史と日本史って限りなく同じだと思うのは俺だけかな?

そもそも日本が島国だから日本史って分野が作れるだけで、
ドイツやフランスなんて自国史≒欧州史だもんな。

103 :96:2006/11/11(土) 18:39:07
すみません・・どなたか>>96もお願いしますだ。

104 :日本@名無史さん:2006/11/11(土) 19:42:38
琉球藩が設置されるまでの琉球は日本の一地方ではなくて
日本とは異なる国だったのですか?
あと琉球人の国王って尚とか言う名前の人ですよね?
琉球人と日本人の名前って同じではないのでしょうか?


105 :日本@名無史さん:2006/11/11(土) 20:38:21
>>104
江戸時代初期に薩摩藩に編入されてから日本になった!って聞いた事がある

琉球って、本土の土豪程度の力を持った偉いさんが何人かいて、それを纏めてたのが首里城の王様だった!って聞いたけどどうなのかな?

106 :日本@名無史さん:2006/11/11(土) 21:05:59
1609年に軍事侵攻されて、政治的には完全に薩摩藩の支配下にはいるが、
明との冊封関係がなくなると明との朝貢貿易がやりにくくなるので傀儡国家として残した。

そのやり口の徹底ぶりと陰湿さは小説のネタによくなるわな。
日本人っぽい苗字の家をわざわざ琉球風に強制したりとか。

107 :日本@名無史さん:2006/11/11(土) 21:27:19
昔は外交上手かったんだな、日本も

108 :日本@名無史さん:2006/11/11(土) 21:39:30
17世紀以降の琉球王国は薩摩の間接支配を受ける半独立国。それ以前ならちゃんとした独立国。

109 :日本@名無史さん:2006/11/11(土) 22:10:46
>>106
>日本人っぽい苗字の家をわざわざ琉球風に強制したりとか
なんか、創氏改名の逆ヴァージョンだなw

110 :日本@名無史さん:2006/11/12(日) 09:35:03
>>103
平安から江戸まで位の高い人達には近親婚があったというのなら、それが
レアケースでないことを証明するために、各時代から十例くらいずつ
身分の高い人の近親婚の例を出してくれ。
話はそれからだ。

111 :日本@名無史さん:2006/11/12(日) 09:37:57
>>97信州です。今一良く分からないのですが150石あるとどの程度の庄屋ですか?

112 :日本@名無史さん:2006/11/12(日) 10:22:02
>>110
こういうのうざいな。
普通にさくっと教えてくれる人いないの?

113 :日本@名無史さん:2006/11/12(日) 11:11:21
>>112
くぐれば?w

114 :日本@名無史さん:2006/11/12(日) 11:15:44
くぐるwwwwwwwww

115 :日本@名無史さん:2006/11/12(日) 14:41:12
くくれば?

116 :日本@名無史さん:2006/11/12(日) 14:45:05
おいみんな、くぐろうぜ!w

117 :日本@名無史さん:2006/11/12(日) 15:21:56
氏ねよ

118 :日本@名無史さん:2006/11/12(日) 15:28:40
くぐるwwwwwwwwwwwww

119 :日本@名無史さん:2006/11/12(日) 16:00:05
>>111
1石=1両として、1690年頃の貨幣価値を1両=10万円とすれば、1,500万円の納税。
五公五民として収入は、3,000万円。
貨幣価値は江戸中期で1両=4万円とかは相場みたいだが、初期はいろいろの算定
がある。1両=10万円は少なめな感触もある。
庄屋1軒での年貢なら、ま、豪農ではないか。村の年貢をまとめてとなるとまた
多少話は違うが。具体的な土地が分かれば、市町村史などに土地の面積や米の
取れ高、農家の数、誰の知行地だったかとかの記録があったりする。
調べるのも面白い。

120 :日本@名無史さん:2006/11/12(日) 16:41:28
バーか

121 :日本@名無史さん:2006/11/12(日) 17:53:59
荒らしさん、もう終わり?

122 :日本@名無史さん:2006/11/12(日) 17:56:15
荒らしも荒らしにバカにされて粘着してるやつもうざい。消えろ。

123 :日本@名無史さん:2006/11/12(日) 18:54:17
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1163324881/l50

124 :日本@名無史さん:2006/11/12(日) 19:05:53
>>122
ヒント:自作自演

125 :日本@名無史さん:2006/11/12(日) 19:35:15
ワシントン会議頃の日本の情勢について質問させてください
あの頃、内閣は列強に足並みを揃える政策をとっていましたよね?
軍部は反対したっぽいですけど、日本の世論はどうだったんでしょうか?
また、その後関東軍はいろいろな事件を起こしますけど、
内閣・議会は軍部を押さえ込むことが出来なかったのでしょうか?
犬養首相は殺されましたけど、斎藤、岡田、広田各首相にはそのチャンスがあったように思うんですが
手元の本だと妨害されたとかあるだけで、具体的な話がなく

126 :日本@名無史さん:2006/11/12(日) 20:02:34
豊臣秀吉が↓の事をしていたのは事実なのですか?

彼らの女房や子供約200人を、
三箇所の国境に引き出して
全員を磔串刺し刑に処しているのだ。
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1143105636/519

127 :日本@名無史さん:2006/11/12(日) 21:47:41
どなたか>>76をお願いします。

128 :中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y :2006/11/12(日) 22:55:42
>>76>>127
明確に半国守護であった史料はない。ただ当時守護に擬せられた人物が発給した文書の
様式から類推して「守護だったのではないか」という研究があったはず
河村だったかな?

129 :日本@名無史さん:2006/11/12(日) 23:32:27
>>128
そうなんですか。明確な根拠があるわけではないんですね。どうもです。

130 :日本@名無史さん:2006/11/13(月) 00:35:25
徳川家康像と言うと以下2つが有名だと思います。
ttp://image.blog.livedoor.jp/zuihitu/imgs/6/f/6fbf71cd.jpg
ttp://www.tokugawa-art-museum.jp/special/2002/sengoku/obj03.html

下は本人だけど上は別人という説を聞いた覚えがあるのですがどうでしたっけ?
もし(上でも下でも)別人説の場合本当は誰かも合わせてどなたか教えてください。

131 :日本@名無史さん:2006/11/13(月) 00:37:12
>129

明徳三年(1392)の相国寺供養に際して足利義満に供奉したことが知られる。
しかし、安芸国守護には、細川頼元、渋川満頼らが補任され、信在は本拠の佐東郡守護に任じられた。
これは郡守護というべき存在で、以後、武田氏は安芸一国守護職に補任されることはなかった。
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/a_take_k.html

分郡守護(ぶんぐんしゅご)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
室町幕府の地方機関である守護制度の特殊形態。分郡とは守護大名が幕府から配分された
支配地域をさす分国に対応する語で、一般には国単位に付与される行政範囲(管轄地域)が
特殊な事情により郡単位に付与された場合、その郡を分郡と呼び、分郡の支配者を分郡守護と呼ぶ。
http://66.102.7.104/search?q=cache:3ckRVf3mohMJ:renkei.lit.kobe-u.ac.jp/amagasaki/apedia/index.php%3Fkey%3D%25CA%25AC%25B7%25B4%25BC%25E9%25B8%25EE+%E5%88%86%E9%83%A1%E5%AE%88%E8%AD%B7&hl=ja&gl=jp&ct=clnk&cd=3

応永の頃には佐東・山県・安南の三郡を支配していた模様
後は詳しい人にまかせます


132 :日本@名無しさん:2006/11/13(月) 00:53:39
>>131
郡代とどう違うのかよくわからん…

要するに「代理」でないだけなんか?

133 :日本@名無史さん:2006/11/13(月) 01:21:26
見返り美人図とかって当時は、今で言う、萌える二次元の絵と同じような認識ですか?

134 :日本@名無史さん:2006/11/13(月) 02:15:32
質問ですが白川旧時記は飛鳥に書かれたとする説はなぜですか?


135 :日本@名無史さん:2006/11/13(月) 05:04:51
秀吉はあれだけ女作ってやりまくっててずっと子供ができなかったのに、
晩年に茶々が秀吉の子を生んだというのがどうも不思議なのですが。
ドラマとかではこのあたりまったく謎扱いされてないみたいなのですが、
鶴松はほんとに秀吉の子供の可能性が高いのですか?
当時の姫はほんとにほかの男と浮気できなかったの?

136 :日本@名無史さん:2006/11/13(月) 08:25:17
>>131
じゃあ少なくとも「半国」ではないんですね。

137 :日本@名無史さん:2006/11/13(月) 17:22:13
一騎討ちに慣れた武士は、元軍の集団戦闘に驚いた、とよく習いますよね?
これがいまいち腑に落ちません。
武士も集団戦闘やってたような気がするし、そこまで一騎討ちだけにこだわるもんなの?
仮に一騎討ちに慣れてたとしても、空気読んで集団で戦う事ぐらいできた気がします。
お願いします。よろ

138 :日本@名無史さん:2006/11/13(月) 18:41:57
>>137
空気読んだから、二回目では野戦築城・夜襲奇襲・射程外攻撃のオンパレードだったんじゃない?

139 :家出猫:2006/11/13(月) 19:28:13
戦国時代ってライターなかったのにどうやっつ火を付けてたの

140 :日本@名無史さん:2006/11/13(月) 19:30:15
燧石を使うか、火種を持ち運ぶか

141 :137:2006/11/13(月) 23:30:58
そっかありがとう。若干質問変わるけど、
集団の戦闘が無かった訳ではないよね?
政争とか、一騎打ちだけで話が済みそうに無いし。
一騎討ちしか知らない、というのはどれぐらいの程度での意味合いなんでしょうか?

142 :日本@名無史さん:2006/11/14(火) 00:51:25
元々三国志が好きで、その延長で戦国時代も好きになり
現在、源平時代に興味がわいて
平家物語や頼朝周辺から小説、資料などを読んでいるのですが
…正直、名前が覚えられず、混乱するばかりです…orz。
藤原氏が大杉、親兄弟名前似すぎ、官職大杉
古代中国と違って、まだ近い我が国の歴史だから資料細かく残りすぎ…。

日本史板に居る方は、どうしてそんなにお詳しいんでしょうか。
鎌倉時代の歴史を覚えるコツなどはありますか?
初心者はまずこれを読め的な代表本がありましたら教えて下さい。

143 :日本@名無史さん:2006/11/14(火) 01:09:01
鎌倉ならそろそろ家号が成立してるから、藤原氏大杉で混乱ってこともないと思うが。

144 :日本@名無史さん:2006/11/14(火) 02:10:43
官職大杉と中国史の人間に言われたくは無いなw

145 :日本@名無史さん:2006/11/14(火) 02:35:24
日本には職人集団というものが結構いたようですが、
古代から近世にいたるまで、どのように存在していたのか、
良い資料(一般向けの啓蒙書の類でも)はあるでしょうか?

土師部とか、鉄砲鍛冶とか、金物の鋳造を行った集団とか、
色々なものがあったようですが・・・。

以前紀伊半島を旅行した時には、熊野本宮と新宮の間には
紙を作る集団がいて、結婚を含む出入りが厳しかったとかで、
今でも姓が2種類しかない、なんて集落の話を地元のタクシーの
運転手に聞きました。

146 :日本@名無史さん:2006/11/14(火) 02:46:18
なぜ覚えられないのかよく考えたら、
名前に使われる漢字のバリエーションが
中国史に比べて少ない気がします。
頼とか長とか朝とかそれの組み合わせ逆にしただけとか…。
当時の人は親戚やご先祖の名前区別して
ちゃんと全部覚えられたんでしょうか

147 :日本@名無史さん:2006/11/15(水) 00:44:28
>>146
実際は余り源義経、なんて言わなかったのでは。
九郎判官、とか。三国志もアザナが沢山出てきますね。

まずはストーリーからの方が分かり易いでしょうから小説とかが
良いような気がしますが、それでも・・・なら、大河ドラマの
DVDとかなどを観ても良いのでは。
正確な知識、という訳にはいきませんが、キャスティングと登場
人物をダブらせてイメージを持っても良いかもしれません。少な
くとも人物名の混乱は避けられると存じます。

現実に接していた人は、名前だけがその人の属性ではありません
から覚えられたと思いますよ。

148 :日本@名無史さん:2006/11/15(水) 12:02:49
>>146
大日本史料の第4編を頭から読むことをお勧めします。

149 :日本@名無史さん:2006/11/15(水) 15:17:59
黒川道祐の『雍州府志』に、
「成人男子が白粉や鉄漿などの化粧をするようになったのは
院政期からのことである」

といったことが書かれているのですが、
これを裏付けるような院政期の史料があれば教えてください。

また、成人男子の鉄漿(おはぐろ)は院政期の太政大臣
源有仁が始めたものという説があるようですが
これも根拠となる史料があれば教えてください。


なおどこで質問して良いかわからなかったので
この板の質問スレを探して来ましたが、
他にこのような内容の質問をするのにふさわしい
スレッドや板があれば教えてください。

150 :日本@名無史さん:2006/11/15(水) 20:55:43
沖縄本島ってなんであんなに小さいのに三つも国があったんですか?

151 :日本@名無史さん:2006/11/15(水) 23:50:16
質問です。

よく、2chでは色んなスレで、日本はずっと日本なんだ! スゴイネーって言うけど、
それって、ただ単に島だから面積が変わりようがないから、「ずっと日本」なんじゃないんですか?
天皇さんがずっと続いてるから、「ずっと日本」なのでっですか?

152 :日本@名無史さん:2006/11/16(木) 02:53:11
言いたいことが漠然としているけど、
言語や民族の連続性を言っているんだと思われます。

国家という連続性でいえば王朝(中国で言う殷とか周とか漢のことね)は
大和朝廷(一般に朝廷)が
1500年から1800年くらいの歴史で続き、
日本国の政体として滅ばずに現在進行中なので現在も昔も大和(日本)のままだよ
ぐらいのニュアンスで使っている人がいるかもしれません。

ちなみに島国から大陸に版図を広げても日本は日本だったので
(朝鮮や台湾などの外地も日本になった)面積は関係ないと思います。
逆に島国のままでも元寇なんかで朝廷が滅びて、モンゴル人国家ができていれば
ずーと日本(日本人国家)ではないといっていいと思います。

153 :日本@名無史さん:2006/11/16(木) 06:01:50
1.豊臣秀吉の「女好きについて、病気ではないかと評された」史料の出典って何ですか?
  『あの方はあんなに女好きなのに男には興味をお示しにならない』ということで
  病気ではないかと言われたとどこかで聞いたのですが確認したいので。


2.手塚治虫「陽だまりの樹」にて
  主人公が江戸城に登城した時の描写で、山岡鉄舟(?)だったかが
  「あいつには二朱ほど渡せ」等々、賄賂を渡すアドバイスをする描写がありましたが、
  その手の江戸城中における賄賂の実態についての本、史料などありますでしょうか?

154 :日本@名無史さん:2006/11/16(木) 16:33:56
>>150
あんなに小さいとはこれいかに。
小さい、大きいとは多分に比較によるものであって、
他者から見て小さかろうが、大きかろうがその地域にしたらそれはひとつの世界なんだ。

日本だって明治維新までは300近くの藩に分立してたろ?
それから見たら3つなんて小さいほうじゃないのか?

155 :154:2006/11/16(木) 16:35:06
× 3つなんて小さいほう → ○ 3つなんて少ないほう

156 :日本@名無史さん:2006/11/16(木) 22:10:32
誰か教えてください!門前町と寺内町ってどう違うんですか?
違いがよくわかりません。

157 :日本@名無史さん:2006/11/17(金) 01:01:18
>>156
基本的に同じ。
ただ、寺内町が主に寺を中心に発達した町を指すのに対し、
門前町は寺や神社、つまり宗教機関全般を中心に発達した町を指す。


…のだけれど、最近は混同されてるなぁ

158 :日本@名無史さん:2006/11/17(金) 14:57:48
信じられない回答だな。

>>156
両者は違う。

寺内町は、信仰心や団結心の強い宗派(浄土真宗である場合が多い)を信仰する住民が、
為政者からの干渉を防ぐために寺院、道場を中心に形成した自治集落のことだ。
自治的な性格が強いために、防御的な目的で周囲を堀や土塀で囲っているケースが多い。

代表例は奈良橿原の今井町、大阪富田林。これらは歴史的な背景から集落がそのまま
保存されているため、重要伝統建造物群保存地域に指定されている。
あとは真宗の影響力が強かった畿内や北陸に多い。

門前町とは寺院や神社への参詣客を対象にした商工業者が文字通り寺の門前に、
(神社の場合は鳥居前町と言うこともある)形成した商業集落。
代表的な例は挙げればキリが無いが、有名寺社の周辺は大概形成される。
寺や神社に参ったときに参道や周辺に商業集落があるのを見たことがあるはず。
それが門前町だから、両者は決定的に違う。

159 :158:2006/11/17(金) 15:01:01
補足だが、寺内町は浄土真宗がその自治性を政治権力から守るために形成された
ケースがほとんどだから、その成立は室町時代〜戦国時代が多い。
織田信長の事例なんかは有名でしょ。

160 :日本@名無史さん:2006/11/17(金) 17:06:32
>>158
む…いい加減なこと書いてすまん。

でも俺が高校生の時、地理の教師からはこう覚えとけって習ったんだよ

161 :日本@名無史さん:2006/11/17(金) 17:52:29
高校の授業なんて
学問としての日本史から見ればオママゴトだからなw

162 :日本@名無史さん:2006/11/17(金) 17:53:46
てか、地理かよwww

163 :日本@名無史さん:2006/11/17(金) 19:22:58
>>160
158だが、それって「門前町」と「鳥居前町」の関係と混同してない?
そうじゃなきゃそんな地理教師がいる君の高校は残念ながら終わってる。

ちなみに友人の高校の世界史教師は「カエサル」をずっと「カサエル」と教えてたそうだ。
体育会系部活顧問担当で採用された免許だけ地歴教員ってのは正直やばい。

>>161
「学問として」というのが何を指しているのかよく分からないが、
通史を学ぶ機会は高校くらいしかないわけだからそれはそれで重要。
それを運用する人間次第。高校にもいい人材はいるし、
大学の人間にもオママゴトにもならない屑はいる。


164 :日本@名無史さん:2006/11/18(土) 09:50:48
兵糧の輸送する人間は優秀で信用できる人間が用いられたとか聞いたのですが本当ですか?
本当ならなぜ優秀な人材を兵糧の輸送なんかに回したのでしょうか?
確かに大切な部分ではありますが運ぶだけなら持ち逃げしない人材なら誰でもいいような気がするのですが。

165 :日本@名無史さん:2006/11/18(土) 10:04:26
君、戦国の時代に何よりも大事な兵糧(ケータリングの弁当じゃないぞ)の輸送を
取り仕切る人間を、ただ荷物運びのような感覚で捉えてない?

166 :日本@名無史さん:2006/11/18(土) 10:15:08
>>164
まず兵糧の輸送がおぼつかない軍が敗北する確率はほぼ100%と言っていい。
そして持ち逃げする可能性があるのはその責任を持たされた人間だけじゃなくて部下も含む。
となると部下に裏切られないような人材でなくてはいけない。
さらに敵からしてみれば奪っても良し焼いても良しな部分、狙われる危険は非常に高い。
あと敵だけではなく山賊なども狙ってくる可能性はある。

これほど大事で危険な兵糧の輸送というポジションに優秀でない人間を使える物なら使ってみろという話ですね。

167 :日本@名無史さん:2006/11/18(土) 11:05:32
ナポレオン軍では兵糧運びは専門業者の仕事だったわけで
優秀でなければならないというのは
必ずしも当てはまらないんじゃないか?

168 :日本@名無史さん:2006/11/18(土) 16:50:12
>>167
>専門業者
つまりプロフェッショナルってことだろ?

あと、日本の軍隊の場合欧州以上に兵站に気を使ってた。
基本的に糧秣の補給を掠奪で行う欧州に対して、百姓一揆とかで武装農民の
恐ろしさを知ってた日本の武士は金を払って買い上げたり、戦場に近い武将に
送ってもらってた。

169 :日本@名無史さん:2006/11/18(土) 17:12:46
>日本の軍隊の場合欧州以上に兵站に気を使ってた。

例えば伊達政宗の戦いの記録を見ると
しばしば糧秣が不足する記述があるように記憶しているけど
オレの記憶違い?

170 :日本@名無史さん:2006/11/18(土) 17:18:36
気を使っている=絶対に不足しない
とでも?

171 :日本@名無史さん:2006/11/18(土) 17:47:41
多少不味くても、戦場じゃ腹いっぱい食いたいよな。

172 :日本@名無史さん:2006/11/18(土) 17:51:18
美味ければなお良い

そしてそれを追求したのがイタリア軍です

173 :日本@名無史さん:2006/11/18(土) 20:12:26
戦の勝ち負け以前に人間の生死にかかわる兵糧を
「兵糧の輸送なんか」と捉えている時点で164の考えは重大な誤りなんだよ。
食料が無くなることがどういうことかの想像力の欠如だな。

174 :日本@名無史さん:2006/11/18(土) 20:37:57
>>172
それ、ガセピア

175 :日本@名無史さん:2006/11/18(土) 23:46:59
帝国陸海軍の徹底した兵站無視の思想が現代に至るまで生きていることに感嘆

176 :日本@名無しさん:2006/11/19(日) 00:23:05
無視だ何てとんでもない。
戦争中盤以降は特に、兵站システムが物凄くハイレベルに構築されたの。
只でさえ貧乏百姓の帝國軍、しかも「持たざるもの」が戦うのだから
こういう考えに至るのは当たり前のこと。米軍の評価も高かった。
だからこそ、後半の米軍は兵站潰しに全力を挙げたの。



177 :日本@名無史さん:2006/11/19(日) 00:23:14
娼婦にまで気を使った帝国陸海軍が兵站無視してるわけ無いだろ……

参謀個人の問題だ。つ(ryとかむ(ryとか

178 :日本@名無史さん:2006/11/19(日) 01:02:22
高校の日本史で731部隊を習うときに悪魔の飽食という本の話が出てきたんですが、
これって偽写真だらけと検索すると出てきます。どうなんでしょうか?
対米開戦決定の御前会議で「天皇が体を張って止めれば当座はしのげたかも。決定した責任はある。」
と先生が言っていたのですが、天皇にそこまでの権限はあったのですか?確か和歌を読んで
東條首相に訴えたと思うのですが。


179 :日本@名無史さん:2006/11/19(日) 01:06:21
>>178
参考までに言っておくと、明治天皇は日露戦争だけじゃなく日清戦争にすら
反対してた。別に国際感覚が豊かだったわけじゃなく、ただ単に戦争で国力
が疲弊するのを心配しただけだけど。

南北朝以降、天皇が政治的実権を握ったことなんて一度も無いよ。
詔は臣下が必要としたものしか伝えられないし。

180 :日本@名無史さん:2006/11/19(日) 01:10:48
>>179
ありがとうございます。日露戦争のときも御前会議ですよね。終戦のご聖断と
二二六事件鎮圧のときしか天皇自ら意見を言ったことがないとか聞いていたんで。
???となったわけです。

181 :日本@名無史さん:2006/11/19(日) 01:48:17
こんばんは。
私は学生なのですが、課題で『明治日本人論』についての小論を書かなければなりません。
どんなことをとっかかりにしたらいいのか、
また参考になりそうな資料がございましたら教えていただけないでしょうか。


182 :日本@名無史さん:2006/11/19(日) 10:44:01
>>181
この時代の偉人が頑張ったから今日の日本がある、って書いとけ。

183 :日本@名無史さん:2006/11/19(日) 12:37:22
レスありがとうございます。
偉人ではなく、大衆についてを主に明治のひとの実態を独自の論で書けといわれました。
難しくてとても困っています。

頭のいい方、お力添えお願いします!

184 :日本@名無史さん:2006/11/19(日) 13:04:24
>>178
そういうのは軍事板で聞いたら?

一応
ttp://mltr.e-city.tv/faq08d04.html#01281

185 :日本@名無史さん:2006/11/19(日) 13:07:04
>>183
独自の論、って御無体な……

てか、明治も長いと思うんだが?
明治初期は江戸時代と大して変わらないだろうし、明治後期はかなり
西洋化してるはず。

明治の何時頃について書くの?

186 :日本@名無史さん:2006/11/19(日) 13:56:14
>>185
明治後期を中心にだと思われます…
資料としてジョルジュ・ビゴーの風刺画作品集を示されました。
読みましたが………これで明治日本人論を書けとはほんと無謀な課題でして…。
お助けください。

187 :日本@名無史さん:2006/11/19(日) 14:34:45
>>186
適当にパクったら?
独自の視点で〜とか言ってもたかが大学生に過去に無い独特の鋭い視点を期待してるような奴はいないだろうし。

188 :日本@名無史さん:2006/11/19(日) 14:55:37
>>187 適当にパクりやすい資料を教えてください。
お願いします!

189 :日本@名無史さん:2006/11/19(日) 18:03:05
とりあえず、脱亜論復興って書けば。

190 :日本@名無史さん:2006/11/19(日) 18:14:19
>>188
大学生なんだったらそれくらい自分で探せよ

191 :日本@名無史さん:2006/11/19(日) 20:41:19
>高校の日本史で731部隊を習うときに悪魔の飽食という本の話が出てきたんですが、
>これって偽写真だらけと検索すると出てきます。どうなんでしょうか?

この話を引っ張ると中国人が荒らしにくるから確定している事実だけ。
著者とされている森村誠一は赤旗の記者に名を貸したと認めています。
事実関係の間違いや資料の捏造を指摘されて『悪魔の飽食』は改定を続けたが
費用にひきあわないので出版元は絶版にしました。
現在は別の出版社が版権をひき継ぎました。
森村誠一は赤旗の記者に、証言者の名前や資料を提出した人物の所在を質したのだが答えは得られなかったそうです。

192 :日本@名無史さん:2006/11/19(日) 21:24:08
日本共産党合法化(1945年)から日本赤軍解散(2001年)までの左翼系政治団体の変遷表を作りたいのですが、何かいいサイトはないでしょうか?
「それならこの本がいい」とかって言うのは、海外にいるのでナシにしてください。すいません。
よろしくお願いいたします。

193 :日本@名無史さん:2006/11/19(日) 22:14:35
日本の左翼の変遷を辿るのに、スタート地点が1945年というのにそもそも無理があるのだが、
>>192がどういう目的でそれを作ろうというのに興味があるな。
ちなみにWeb上でもちょっと検索すればいくらでもある。

194 :日本@名無史さん:2006/11/19(日) 22:34:58
>>193
>日本の左翼の変遷を辿るのに、スタート地点が1945年というのにそもそも無理があるのだが
そうなんですか? でもまぁ、戦後史というか戦後左翼史をやりたいので、1945年スタートにしたんですが、ダメでしょうか?

>>192がどういう目的でそれを作ろうというのに興味があるな
いま好きな子がいて、その子が高校か大学で一度勉強したけど、忘れちゃったんでもう一度勉強したいって言われたんですよ。
で、わかりやすいのを作ってあげようという下心と、自分もしっかりと勉強したいっていうふたつの気持ちからです。

>ちなみにWeb上でもちょっと検索すればいくらでもある
そうなんですか? 自分の検索が下手なため、上手く出てきませんでした。一応いまは、ウィキペディアとかを見ながら作ってますが、なかなか大変です。

ちなみに、もしいいのが完成したかなと思ったら、自分やその子だけでなく、WEB上に出したいと思ってます。

195 :日本@名無史さん:2006/11/19(日) 22:54:00
左翼の歴史忘れたから教えてー♪ってか?
デンジャラススメルだな・・・

196 :日本@名無史さん:2006/11/20(月) 00:29:06
日本の左翼はソ連共産党日本支部として始まりました。だからロシア史から学ぶべきだな。


197 :日本@名無史さん:2006/11/20(月) 01:02:29
日本共産党=コミンテルン日本支部だっけ?

198 :日本@名無史さん :2006/11/20(月) 01:05:45
お市の方と柴田勝家との間に子供がいると聞きましたが事実ですか?

199 :194:2006/11/20(月) 01:20:31
>>195
そうですかねぇ? 危ないですか?
でも、彼女なら大丈夫と思いますが。

>>196>>197
そこまで深くなくていいんです。あくまでも戦後史の範疇でやるもんですから。

200 :日本@名無史さん:2006/11/20(月) 13:55:02
史学部に行きたい東京の大学受験生です。
特に近代史が好きなので、近代史を学ぶのにイイ大学を
教えてください(東京の大学で、レベルはマーチ以上でお願いします。)

201 :日本@名無史さん:2006/11/20(月) 15:16:40
>>192
「宮地健一」でぐぐれ。
以上。

202 :日本@名無史さん:2006/11/20(月) 23:41:41
どなたか>>153をお願いします。

203 :日本@名無史さん:2006/11/21(火) 00:29:26
すごい基本的なことで申し訳ないけど、
例えば伊達正宗と徳川家康が会話して本当に話が通じたのだろうか?
伊達正宗は仙台弁、徳川家康が三河弁では理解するのは不可能ではないにしても難しそう。
通訳のようなことをしていた人間がいたのだろうか?
それとも、ヨーロッパのラテン語のような支配者階級が使う特別な共通語があったのだろうか?


204 :178:2006/11/21(火) 00:44:54
>>184
ありがとうございます。軍事板でも聞いてみます。
>>191
うーん。史料としては微妙ですね。先生は何を思ってこの本を提示されたのか・・・。
席が後のやつは小林よしのりに影響されてというか彼の主張まんまで、鬱陶しいし・・・。

205 :日本@名無史さん:2006/11/21(火) 00:48:56
とりあえず米沢生まれ米沢育ちの伊達政宗が仙台弁を話せたとは思えない。
また家康はある程度は三河弁を操れたかも知れないが、少年時代の大半を駿府で
過ごしていることから、ネイティブスピーカーのレベルに達していたかどうかは
怪しい。

206 :203:2006/11/21(火) 01:24:09
>>205
ちょっと質問の仕方がまずかったですね。
例えば、豊富秀吉が天下を統一した後、
各地方というより各国から色々な大名が駆けつけたと思うのだけど、
はたしてこの人たちは通訳無しで意思の疎通が出来たのだろうか?って話です。
TVだとみんな標準語でしゃべるわけですが、そんなわけがありません。



207 :日本@名無しさん:2006/11/21(火) 01:59:05
>>206
当時の大名なら、高位とのつきあいがあるのだから都言葉をある程度知っているし、
合戦や交渉やらで大名同士の付き合いもある。儀礼的な言葉は決まっている。
お互いの国言葉をネイティブにはしゃべれないにしても、何を言っているか程度の
ことは普通に判ったんじゃねぇの?

208 :日本@名無史さん:2006/11/21(火) 03:30:29
大抵の戦国大名は糞田舎の無教養人では決してないし、
また戦国時代は中央との人的交流が無かった時代でもない。

それどころか、糞田舎の豪族の元にすら京から公家さんが飯たかりに来た記録が残っている。
つまり逆に中央の文化が地方に広まった時代なの。

209 :日本@名無史さん:2006/11/21(火) 03:41:40
伊達政宗は虎哉宗乙という禅僧を師として持ってたのは有名だけど、
この坊さんは妙心寺出身で当時最新の京都の文化を政宗に伝えたはず。
東北弁しか喋れないそこいらの田舎侍なワケがない。

210 :日本@名無史さん:2006/11/21(火) 04:58:58
中国って漢書や宋書のようによく史書を編纂しますよね?
日本も漢書に倣って日本書紀を著した訳ですが、
日本書紀だけしか著さなかったのですか?
中国は漢書の他にも元史や明史を編纂させている訳ですが、
中世や近世の日本は中世日本紀みたいなものは著さなかったのですか?

211 :日本@名無史さん:2006/11/21(火) 05:03:43
戸籍って国籍みたいなものなんですか?
戸籍と国籍は別物なんですか?

212 :日本@名無史さん:2006/11/21(火) 05:44:54
カタカナとひらがなができたのは西暦で何年ごろなんでしょうか?

213 :日本@名無史さん:2006/11/21(火) 05:48:12
日本の書物で最も古くに著された書物って何なんでしょうか?
天皇記?帝記?

現存していない書物でも構いません。

214 :日本@名無史さん:2006/11/21(火) 07:23:41
>>211-213
お前の目の前にある機械はなんのためにあるんだ?
人に聞く前に自分で調べられることは自分で調べろよ。
そういうのは単なる甘えに過ぎない。

215 :203:2006/11/21(火) 12:39:18
なるほど、都言葉が共通語になったのですね。
考えてみれば首都の言葉が共通語ってのは当然でした。
皆様ありがとうございました。


216 :日本@名無史さん:2006/11/21(火) 12:58:13
都言葉っつーか文書にする言葉は共通なんだし、教養人なら書き言葉に準じた共通語を
使用することはできるだろう。

217 :日本@名無しさん:2006/11/21(火) 13:33:17
>>213
佚書の成立時期を問うのはアレだと思うけれど、
それら「日本書紀」の一次文献らは敏達〜推古朝の頃あったと思われる。

この時期の話には改竄されている形跡がある。
ということは、逆に考えれば、改竄の意志を抱かせる資料が既にあった
ことになるから。

218 :日本@名無しさん:2006/11/21(火) 13:34:04
>>216
あと「和歌」というのもあったしね。

219 :日本@名無史さん:2006/11/21(火) 13:45:42
>>210
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E5%9B%BD%E5%8F%B2
日本三大実録以降はずっと編纂されていない。
明治になって、それ以降ずっとを「大日本史料」と言う形で編纂を始めたが、
終わるまで1000年かかると言われている。

220 :日本@名無史さん:2006/11/21(火) 14:13:37
曽祖父が明治時代に郡長というのをしていたそうなんですが
郡長というのは、今で言う何に当たるのか教えてください
というかそもそも郡長というものが何なのかよく分かってないんですが

221 :日本@名無史さん:2006/11/21(火) 14:30:52
明治時代には府県と市町村の中間に郡という地方公共団体が存在(厳密には復活)
したんだよ。現在もその名残で郡が残ってるでしょ?単なる地理的名称になってしまったけど。

郡長ってのはその地方公共団体たる郡の長で、府県知事同様、中央の官僚が任命された。
すなわち、君の曽祖父は官僚だったわけでさらに紐解けば江戸時代どこぞの藩士だったのだろう。
調べてみると面白いかもよ。

ちなみに今で言うと…というのは難しい。
なぜなら、郡という行政区画が存在しないし、都道府県知事の任命方法も現在は選挙だし、
あえて言うなら中央官僚経験者で、政党の意向なんかで擁立されて当選した小県の知事、
あるいは大都市の市長といったところか。

222 :220:2006/11/21(火) 15:04:04
ありがとうございました。
村長みたいなものかと思ったんですが、そんなすごいものだったんですね
今年祖父が死んでしまったので、詳しく知ってる人がいるか分からないですが、
親戚にちょっと聞いてみようと思います。

223 :日本@名無史さん:2006/11/21(火) 15:23:36
>>222
こちらもどうぞ

先祖探しのテクニック、エピソードを語るスレF
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1161613945/l50

224 :日本@名無史さん:2006/11/21(火) 15:50:43
>>222
すごいかどうかというのは多分に個人差あると思うので…。ケースによるというか。
君の曽祖父がすごくないという意味じゃなくてね。

ちなみにその曽祖父さんのが郡長をされたというのはどこらへんの地方なの?
またその曽祖父さんはもともとどの藩出身の方なのかな

225 :220:2006/11/21(火) 20:44:33
>>224
両方とも広島です。
恥ずかしいことに、祖父の死後にいろいろ分かるまで
自分自身の先祖に関して無関心だったので、詳しくは分かりません。
あともうひとつお聞きしたいのですが、曽祖父の代まで
代々同じ名前を襲名していたそうなんですが、それは当時は普通のことだったんでしょうか?

226 :日本@名無しさん:2006/11/21(火) 21:15:39
>>225
家康の「三郎四郎」、蜷川の「新右衛門」。
当時としては普通のことです。
またそういう通名があるということは、惣領だったことを意味します。
江戸時代に武士だったら藩の家老以上、帰農していれば大庄屋以上
でしょう。

227 :日本@名無しさん:2006/11/21(火) 21:18:57
おっと、誤解を招きますね。

「郡長」をやれていたくらいですから、江戸時代に武士だったら藩の家老、
帰農していれば大庄屋くらいの有力な家だったのでしょう。

228 :220:2006/11/21(火) 21:50:38
いろいろ教えていただいて、どうもありがとうございました

229 :日本@名無史さん:2006/11/22(水) 06:28:03
日本史に限ったことではないのですが、金科玉条のように歴史はIFをタブー視してます。
その理由が知りたいです。

230 :日本@名無史さん:2006/11/22(水) 06:48:37
220さん
>代々同じ名前を襲名していたそうなんですが!!!
当時の名前について、まず幼名、襲名、忌み名、諱、があったでしょう、
無論 侍の場合はです、少なくも3個の名があったようです。

231 :日本@名無史さん:2006/11/22(水) 10:41:40
>>141 をお願いします。
そもそも一騎打ちが重要だなんて思ってたのか?見たいな話です。

232 :日本@名無史さん:2006/11/22(水) 10:55:55
郡会議長の家柄は?

233 :日本@名無しさん:2006/11/22(水) 12:41:41
>>144
遅レスだが、覚えられなかったぽい。
榊原喜佐子の「徳川慶喜家の子ども部屋」だったか、
似たような名ばかりで覚えられないので、「サンズイの誰それ」とか
いう感じで言い合っていたと書かれていたはず。
子ども時代の話だから何だけれど。

234 :日本@名無史さん:2006/11/22(水) 12:57:50
>231
ttp://mltr.e-city.tv/faq11.html#01786b
ここに源平合戦の項目あるから参考にするよろし。

>229
無意味だから。平行世界を論じるのと同義語だと思うぞ。
雑談としてなら楽しいけど、ヒートアップするDQNがいるんで、
その時はすぐに避難or放置推奨。

235 :日本@名無しさん:2006/11/22(水) 12:58:14
>>220
二代目広島市長伴資健(ばん・すけゆき)は広島藩士の家に生まれ、
維新時には藩の勘定奉行。赦免ののちは広島県第八大区長、
広島県賀茂郡長を歴任して広島市長になっています。
もし士分だったら、このクラスということでしょう。

http://yutaka901.fc2web.com/page9zz26c.html

236 :日本@名無史さん:2006/11/22(水) 16:18:28
>>220は結構いい家の出なのか?
ここで分かるなんてすげーな

237 :日本@名無史さん:2006/11/22(水) 17:16:05
>>225
>代々同じ名前を襲名していたそうなんですが、それは当時は普通のことだったんでしょうか?
その名残が、歌舞伎に残ってるだろ。

>>229
誰もタブーにしてないよ。
ただ、歴史IFはあくまでも創作であって、学問ではないってだけ。
本当にタブーなんだったら、こんなにも歴史IF物語は誕生していない。

俺も>>233に乗っかって。
以前、とんねるずの番組に出てた市川染五郎が、石橋から
「ちゃんと他の役者の名前(襲名とかあるから)とか間違えないですか?」
って聞かれて、
「その為かどうかはわかりませんが、屋号で呼んだり、あとは○○町のおじさんとか言ったりしてます」
って言ってた。
そんな感じで、名前を忘れても職名だったり、住所だったりで呼んだりしてたんじゃないかな?

238 :日本@名無史さん:2006/11/22(水) 19:18:59
>>229
ほらよ。
ジョセフ・F・ナイ教授(ハーバート大の人だっけ?)の意見。

【質問】 歴史のIFを考察することは無意味なのか?
ttp://mltr.e-city.tv/faq13.html#if

とこんで質問だけど、
>>1のFAQ、もう更新せんの?
頻繁に更新している軍板のFAQに比べて寂しすぎるんだけど。

239 :日本@名無史さん:2006/11/22(水) 19:58:41
>>237
古くからの集落で同じ苗字が多いところなんかも屋号で呼ぶのが普通だったりするね。

240 :日本@名無史さん:2006/11/22(水) 20:03:13
>>239
うちの親戚なんてほとんど屋号で名乗ってますぜ。
祝い金が届いた時も、自分の名前屋号で書いてたし……。

俺もなんか屋号作るべきかな…屋号作るときのポイントみたいなの、
詳しい人いたら教えてくれません?

241 :日本@名無史さん:2006/11/22(水) 20:18:05
屋号はその必要があって初めて意味があるから、自分で作っても誰も使ってくれなきゃなあ。
農家の屋号なんていつの間にか呼び始めたものが慣習的に継続してるケースが多いんじゃない?

242 :日本@名無史さん:2006/11/22(水) 23:59:40
>>240
どうせ公式なものじゃないんでしょ?
だったら適当に作っちまえばいいじゃん。

243 :日本@名無史さん:2006/11/23(木) 09:15:30
>>234
ありがとう。

244 :名無し募集中。。。:2006/11/23(木) 10:32:19
井伊直弼ってちょっと大人気なくないすか?
いくら相手が天才青年だからってたった25歳の兄ちゃんの橋本左内を殺すなんて

245 :日本@名無史さん:2006/11/23(木) 10:37:30
それだけ焦ってたんだよ

246 :日本@名無史さん:2006/11/23(木) 18:28:26
額田王だと伝えられている(いた)絵ってありませんでしたか? 

ググったんですがノーヒットなんです。

よろしくお願いいたします。

247 :日本@名無史さん:2006/11/23(木) 20:27:56
>>244
殺すのに、年齢なぞ関係あるものか

248 :日本@名無史さん:2006/11/23(木) 20:29:18
>>244
殺すのに、年齢なぞ関係あるものか

249 :日本@名無史さん:2006/11/23(木) 20:45:16
当時の25歳って一人前もいいところだろ?
今だって25歳は一応一人前。


250 :日本@名無史さん:2006/11/23(木) 21:26:01
ここのスレの人が自分は平氏、源氏の末裔なんて言ってるんだけど、どう思いますか?

*゜・*:..。.:*スピリチュアル奥様partW*゜・*:..。.:*
http://human5.2ch.net/test/read.cgi/ms/1162527025/

251 :日本@名無史さん:2006/11/24(金) 09:43:16
左内は春獄への当てこすりの犠牲だろ

252 :日本@名無史さん:2006/11/24(金) 12:54:57
古墳から出土した石棺はよく博物館で見にしますが
中の遺体はもう無くなってしまっているのですか?
それとも皇族の遺体だから公開はできないのでしょうか?

253 :日本@名無史さん:2006/11/24(金) 17:08:56
八切史観ってここの板の住人的にはどうなんですか?

日本刀は、先っぽの3寸にしか刃が付いてなかったとか、
日本の原住民は貝のカタナで戦ってた(その名残が貝印カミソリ)とか
伊勢神宮は侵略者である大陸や百済の支配者が、日本原住民の
神の祟りを恐れて祀ったものだとか、

どうなんでしょうか。信憑性は・・・。

254 :日本@名無史さん:2006/11/24(金) 19:42:24
>>253
>侵略者である大陸や百済の支配者が、日本原住民の
>神の祟りを恐れて祀ったもの

そりゃ出雲だ

大陸か百済かはしらんが、渡来人がいたんだから支配者が渡来人である可能性はあるわな。
というか、今の日本人の祖先はほとんど渡来系だとおもうぞ

255 :日本@名無史さん:2006/11/24(金) 21:48:10
(´-`).。oO(254って原住民と渡来人をどう定義しているのだろう







面倒だから祖先はアフリカ人でいいんじゃないのw

256 :日本@名無史さん:2006/11/24(金) 21:52:07
>>255
そんなこといったら人間でひとくくりできちまうよwww

原住民と渡来人の定義は、縄文文化と弥生文化が混ざり合い始めた辺りで分けさせてもらってる。
まぁ、元は同じ様なもんだし。

しかし、海で隔てられてるからといってたかが数千年でこれだけ国民性が違うもんかね…。

257 :日本@名無史さん:2006/11/24(金) 23:50:43
>>256
> しかし、海で隔てられてるからといってたかが数千年でこれだけ国民性が違うもんかね…。

アングロ・サクソンがイギリスに渡ったのは5世紀。
それでもイギリス人とドイツ人ではかなり国民性が違う。
似てるって言えば似てるけど。


258 :日本@名無史さん:2006/11/24(金) 23:56:31
日本史板関係ないが、ドイツってアングロサクソン人なのか?
北欧から下ってきたゲルマン人だと思ってたが…。


ついでに言うと、イギリスも元々住んでたケルト人を征服して国を作ったわけだから、
日本と似ているといえば似ているかもな。
まぁ、ノルマン・コンクエストとか英仏戦争とかあって、日本以上に大陸に関わってるけど。

259 :日本@名無史さん:2006/11/25(土) 00:16:29
比較のために持ち出したのであまり深く言及することもないだろうけど・・・・
ゲルマン部族の一派がアングロ・サクソン人ということでOK?


260 :252:2006/11/25(土) 00:24:07
教えてほしい。
ググっても分からない。

261 :日本@名無史さん:2006/11/25(土) 00:25:20
>>256
遙か遠い外国の人間から見れば「どっちも似たような民族じゃん」という風に感じても、
当の本人達からすれば類似性より差異性のほうが何万倍も気になる。
というのは、世界中の近隣の異民族間に発生するごく標準的な当たり前の感情。
この感情のある程度発露させることは、無理に仲良くしようとするよりはよほど健全。

ルワンダのフツ族とツチ族のように大量虐殺しあうというのは大変よろしくないですがね。
(もちろん日本人と朝鮮人とではルワンダのそれよりはずっと遠いのは念のため)

>>258
新手のボケなのだろうか。アングロサクソンのサクソン→ドイツ語のザクセン

262 :日本@名無史さん:2006/11/25(土) 00:35:09
>>261
正直すまんかった。

そうか。そういやドイツ語ではsの音は濁るんだったな……。

263 :日本@名無しさん:2006/11/25(土) 01:41:17
>>252
再現セットなら人形を入れておきますが、遺体を公開すること自体、稀でしょ。
それに中の遺体は大抵マトモに残っていませんし。
古墳は大抵盗掘されて、中の遺体は身包み剥がされ、骨はどこかへ
放り捨てられているものですから。

264 :日本@名無史さん:2006/11/25(土) 04:33:34
バチカンは天草四郎を殉教者と認めていないってホント?


265 :日本@名無史さん:2006/11/25(土) 11:11:41
地租改正反対一揆で地租が2.5%にsageられたことについて

「竹槍でドンと突き出す2分5厘」

と言われたみたいですが、これどういう意味ですか?

266 :日本@名無史さん:2006/11/25(土) 13:08:44
>>264
豊臣家の再興を夢見て反乱を起こした秀頼の倅に、バチカンが何で殉教者にする必要性があるのかね?

267 :日本@名無史さん:2006/11/25(土) 14:15:25
>>260
仮に残ってても公開はされないじゃないの?
宮内庁が出さないでしょ。
私の想像ですけど。

268 :玲奈:2006/11/25(土) 14:41:37
遺体はないのと土になっているのと見つかったのがあるですが古墳の遺体は皇族だけではないでしていろいろでしょう。

269 :日本@名無史さん:2006/11/25(土) 15:32:05
>>264
司教−司祭−信徒というローマカトリックの枠外で起きたことだから、
バチカンも判断しようがないんじゃないかと思ってるが。
今のバチカンなら改めて判断してくれなくもないだろうが、日本から正しい史料を持って行くと、
基本は農民一揆に、反乱された側のさまざまな言い訳や
後付けのストーリー添付で宗教戦争化されてたり、
反乱に参加することを武力で強要していたことなど、単純な話でないのも見えてくるし。

270 :日本@名無史さん:2006/11/25(土) 17:08:21
長崎に原爆が落とされたのに、大浦天主堂とかグラバー邸、崇福寺などの唐寺が
破壊されずに現存しているのが不思議だ。

放射能でバッチリ汚染されていると考えていいのだろうか?

271 :日本@名無史さん:2006/11/25(土) 18:34:46
>>270
> 大浦天主堂
完全に破壊されているはず

> グラバー邸
> 崇福寺
小高いところにあったから被害を免れた?

それから放射性物質に汚染されたままになっているわけがないと思う。
あと放射能の意味わかっている?一度調べといたほうがいいよ。


272 :日本@名無史さん:2006/11/25(土) 20:14:06
ぶっ壊れたのは浦上天主堂だってばさ。
爆心地の浦上から大浦天主堂だと多分5km以上ある。しかも長崎は平らな街じゃないし。

273 :日本@名無史さん:2006/11/25(土) 20:36:28
>>271
スカした挙句に知ったかww

274 :日本@名無史さん:2006/11/25(土) 21:25:21
>一度調べといたほうがいいよ。

wwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

275 :日本@名無史さん:2006/11/25(土) 22:49:00
爆心地から2km以内は全焼したらしい。
3km以上離れた県庁も、市街地に延焼した火災のため焼失している。
県庁の向かいの出島にある明治時代の洋館には現存している。

大浦天主堂は爆風でステンドグラスが割れた。
活水女学院や山手地区の洋館は現存しているが、この辺の住民に放射能被害は
あったのだろうか?

276 :日本@名無史さん:2006/11/26(日) 00:22:48
>>275
> 放射能被害
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BE%E5%B0%84%E8%83%BD
放射線を出す能力を放射能というのだから、
放射能被害は放射線を出す能力による被害ってことになって意味がわからん。
放射線が直接当たっての被害か?放射性物質(死の灰など)による被害か?
一緒にしたらなにがなんだかわからない。


277 :日本@名無史さん:2006/11/26(日) 00:38:16
要するに大浦・山手地区の住人は被爆者なのかってことだろ。
原爆の影響で死んだりした人はいるのかってこと。

278 :日本@名無史さん:2006/11/26(日) 03:46:58
被爆には放射線をあびることも含まれるので、爆風が及ばなくても、死の灰等の放射線物質による被害はあったでしょう。

建物にしても人体に影響がでるほどの放射線は検知されてないと思いますよ。

279 :日本@名無史さん:2006/11/26(日) 11:07:44
以前、「徹子の部屋」で美輪明宏が語っていたが、丸山遊郭のあたりは全然被害がなくて、
美輪の実家にも大けがをした被災者が逃げ込んできたそうな。

でも、ウィキで検索したら、無傷でピンピンしてた美輪が被爆者一覧に名前がのってた。

280 :日本@名無史さん:2006/11/26(日) 13:03:00
>>276 他
よくWikiに書いてあるような「誤解」に、自然科学者以外の人は陥るので、質疑の主旨とは別
なのですが、書かせてもらいます。

一般に、例えばマスコミも含めて、何故「放射線」ではなく「放射能」という「表現」を使うかな
んです。
放射線は、電球から発生するような光とか電磁波のような「波」であるものもあります。γ(ガ
ンマ)線がそうです。しかし、α線のように実際はヘリウム原子のような粒子線(ビーム)である
ものもあり、実は放射線といった場合、その物性は様々です。物性上異なるものを同じ「放射
線」と言ってしまっているのが、実際には概念的におかしいのです。ただ、伝統的にそのように
言ってしまっています※。

それで、我々が普通そういったものの「被害」とか「効用」を考える際、実は「物性」を考えている
のではなく、「能力」を問題にしているのです。ですから、その能力的な概念で「放射能」と言い
ます。これは決して誤用ではありません。また日常的な比喩としても問題はないでしょう。例え
ば「ノウハウを身につける」と言いますが、ノウハウとは何等かの「物」を表すのではなく、考え方
や能力という抽象的な概念を指します。

報道などで「放射能を浴びた人が病院へ搬送された」という表現がありますが、そういう表現を
聞いて「バカだなあ。放射能は『能力』だよ。放射線と言わなきゃおかしいだろ」とツッコミを入れる
人がいますが、それは妥当な表現なのです。報道分野でもそれくらいの考慮はした上で使用し
ているのです。誤解だというのが実は誤解です。

※・・・このような例は、他にもあります。例えば「電流」。実際は電子が陰極(−)から陽極(+)
へと流れるのですが、電流は陽極から陰極へ流れるものとされます。これも慣用的にそう使わ
れているだけの概念です。

281 :日本@名無史さん:2006/11/26(日) 14:14:08
そういう本筋からズレた、派生的周辺的な議論はよそでやれよ。

282 :日本@名無史さん:2006/11/27(月) 00:37:17
そもそもそんな事を知っているのならウィキを直してやれ

283 :日本@名無史さん:2006/11/27(月) 01:04:16
>>282
> そもそもそんな事を知っているのならウィキを直してやれ
っていうかなんか話をすりかえてないか?って気もする。まあ、それはともかく。

今日、NHKの「功名が辻」で家康に土佐の土地を与えられた山内一豊が
土着の武士を徹底的に弾圧するって話をやってた。
これ自体は史実らしいのだけど、これが家康に促されてしたかなくってのは
どの程度事実なんだろう?あくまで大石静の創作?
これが後々にまで問題になって坂本竜馬を生む原動力になるってのが面白いけど。


284 :日本@名無史さん:2006/11/27(月) 09:05:58
>>281
もとよりこの「論議」をするつもりはなく、ただ放射線と放射能の誤解を
抱えたまま論議が進むのは、本旨の論議も歪んでしまうのではないかと
思ったので、敢えて指摘させて頂きました。
>>282
wikiは放射線に限らず、認識についてずれている箇所は厖大です。時間と
労力にゆとりがあれば考えないでもないですが、どうしたものやら。専門
家の見識でなければ認めないのであれば、wikiの存立にも関わるでしょう。
利用する側もそんなものなんだと考えた方が良いです。

285 :日本@名無史さん:2006/11/27(月) 10:29:01
>>279
> 以前、「徹子の部屋」で美輪明宏が語っていたが、丸山遊郭のあたりは全然被害がなくて、
> 美輪の実家にも大けがをした被災者が逃げ込んできたそうな。
> でも、ウィキで検索したら、無傷でピンピンしてた美輪が被爆者一覧に名前がのってた。

例えば、こんな話の場合、放射線なら爆心地に近ければ避けることが出来ないだろうから、
丸山遊郭は爆心地からある程度離れていたのだろう?と想像がつく。
放射性物質の影響も受けなかったのなら、死の灰は降らなかったのか?などと考えられる。
じゃあ、その時の風向きは?雨は降らなかったのか?などと考えを巡らせることができる。
そこからなぜ美輪明宏が無傷でピンピンしてたのかもわかるかもしれない。

それを「ホウシャノー」という得体の知れないもので、一括りにすると考えがストップする。
マスコミが無責任に使っているからといって、議論するときにもそれでいいなんて馬鹿なことにはならない。
学問版である以上、きちんと言葉を厳密に使うのが当たり前だ。

ところでここでこういう話をするなというのはわかるが、どこですればいいのかわからない。誰か教えてくれ。


286 :日本@名無史さん:2006/11/27(月) 13:11:32
wiki見ると家康は1603年2月12日に就任していますが、建国記念の日が11日ですよね。
何か家康は神武天皇即位の日を意識してこの日に就任したんでしょうか

287 :日本@名無史さん:2006/11/27(月) 13:36:17
>>286
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%80%E5%85%83%E7%AF%80
紀元節が明治に決まったものなのにそれを徳川家康が意識したはずがありません。



288 :日本@名無史さん:2006/11/27(月) 14:03:58
>>287
プッ

289 :日本@名無史さん:2006/11/27(月) 14:21:43
>>288
駄レスしてる暇があったら反証出せよ低脳

290 :日本@名無史さん:2006/11/27(月) 14:23:27
日本書紀から系図が失われている理由は天皇が朝鮮発祥を隠蔽しなければならなく
なったからでしょうか。

291 :日本@名無史さん:2006/11/27(月) 16:02:18
質問です。
信長が美濃進出した当時、飛騨って誰が支配してたんですか?
周辺国は越前・近江・信濃についてはよく知られてますが飛騨については浅学なものでわかりません。
お願いします。

292 :日本@名無史さん:2006/11/27(月) 16:14:23
姉小路 良頼
先代の直頼から、親子で愉快なことしてます。

293 :日本@名無史さん:2006/11/27(月) 16:44:43
>>292
ありがとうございます。
今、ざっと調べてみましたが、なかなか波乱万丈っぽいですね。

294 :日本@名無史さん:2006/11/27(月) 17:09:14
>>290
> 天皇が朝鮮発祥を隠蔽しなければならなくなったからでしょうか。
違うと思われます。
朝鮮に対して差別的な態度を日本人がとるようになったのは、
少なくとも明治以降のことです。
それ以前はむしろ尊敬の対象であったわけですから、
天皇が朝鮮発祥であることを隠蔽する必要はなかったはずです。


295 :日本@名無史さん:2006/11/27(月) 20:59:23
>>287
ウィキペディアなんて、いくらでも改竄できるサイトなんかをソースとして出していることに笑ったんだよw
もっとまともなソースを出せよ、低脳w

296 :日本@名無史さん:2006/11/27(月) 21:19:12
>>295
プッ

297 :日本@名無史さん:2006/11/27(月) 23:08:48
言うまでもないことではあるが
290=294はスルーしろよおまいら

荒氏を相手にする香具師も荒氏だぞ

298 :日本@名無史さん:2006/11/27(月) 23:28:42
学生時代に江戸時代には桜が咲いたら花見税をとられてたって
先生が言ってた記憶があるんですけど花実税って本当にあったんですか?
ぐぐったけど出てこないです。

299 :日本@名無史さん:2006/11/28(火) 00:21:11
室町時代であれば将軍が花見のために諸国へ段銭を課したことがあります。

>江戸時代には桜が咲いたら花見税をとられてた
誰が何のために誰から税を徴収するのでしょうか?
ちょっと名目が思い浮かびません。


300 :日本@名無史さん:2006/11/28(火) 00:57:12
>>299
大名か国がうちの領土の桜を見るんだから見物料として庶民から
徴収していたと習ったような・・・
上記のことを勘違いして覚えてるかも知れません

301 :日本@名無史さん:2006/11/28(火) 01:47:38
古典落語の話で恐縮なのですが
貧乏長屋の大家が住人の花見費用(飲食費)を
捻出するのに四苦八苦するというのがあります

桜の見物料として何らかの資金を徴収せねばならないとしても
花火の費用のように商人が負担するのではないでしょうか?

302 :日本@名無史さん:2006/11/28(火) 13:11:45
すいません、質問です
上杉謙信て確か女性説がありましたよね?

上杉謙信の血液型はAB型って書いてあるサイトを多数見かけたのですが
血液型がわかっていても性別ってのは判別不可なんですか?

303 :日本@名無史さん:2006/11/28(火) 13:25:12
>>301
創作に史実性を求めてどうすんだよ

304 :日本@名無史さん:2006/11/28(火) 14:09:42
>>302
> 上杉謙信の血液型はAB型って書いてあるサイトを多数見かけたのですが
性格から考えてAB型ではないかってだけだと思う。
二重人格だからAB型っていうやつかな?
多少の傾向はあるにしても、あんまりというかかなり当てにならない。


305 :日本@名無史さん:2006/11/28(火) 16:19:46
長崎原爆について質問。
焼失した県庁より爆心地寄りの位置にある諏訪神社や聖福寺が健在なのはなぜ?
しかも、聖福寺の二三軒横の福済寺は全焼してるのに。

306 :日本@名無史さん:2006/11/28(火) 17:06:54
試験で、中世と近世の大きな違いを3つ挙げろと言われたら何と答えますか?

土地制度と兵農未分離・分離はともかく、もう1個何にするかで悩んだ…

307 :日本@名無史さん:2006/11/28(火) 17:32:14
>>306
質問(問題)が曖昧すぎるよ。
中世と近世の違いって、戦国時代と江戸時代の違いと考えていいの?

308 :日本@名無史さん:2006/11/28(火) 17:54:01
>>307
それは試験受けてて(上は最近受けたとある試験の問題・想定レベルは大学入試〜ちょっと上くらい)
私も思いましたが、さりとて試験でその点にけちを付けるわけにも行かず。

大雑把に言うなら、鎌倉〜室町〜戦国くらいまでを中世、
安土桃山〜江戸幕府あたりを近世とする時、
(平氏政権は中世かとか近世の始まりは信長なのかとかその辺の異論はさておいて)
ここで区切りを入れる理由を3つ書けという問題だと私は解釈しました。

309 :日本@名無史さん:2006/11/28(火) 18:10:28
>>305
地図で見ればわかるが、聖福寺と焼失した福済寺・本蓮寺はほんの目と鼻の先だ。
聖福寺が焼失せず、丸々現存しているのは実に不思議。

310 :日本@名無史さん:2006/11/28(火) 18:31:42
平安京の六条大路が、今や車も通れないくらいの生活道路になってしまっています。
その他の〜条大路は健在なのに、六条大路だけなんで衰退してしまったんですか?

311 :日本@名無史さん:2006/11/28(火) 19:00:26
>>310
分からん。が、推測してみる。

六条は江戸時代くらいには本願寺門前ということもあって仏具、法衣店がすでに
軒を連ねていたということだ。これらの店は本願寺とともに存在してきたわけだから、
他の通りが現代に要請されたような拡幅がしにくかったのかもしれない。

それに加えて現在の五条通(五条大路が由来ではないが)がすぐ北にあって、
これが秀吉の時代から東西交通のメインとなり、さらに現代に至って大規模道路と
なっていることも踏まえて、生活道路であり続けることができたんではないか?

まあ一条、二条、三条もまちなかでは一方通行の狭い通りだし、
そのへんも考え合わせると、かつての大路がそのまま大路として機能していたわけもないし、
衰退した通りがあってもおかしくないんではないかな?

平安京のまちわりはベースになってても、建都時代の通り幅なんて平安末期にはもはた
崩れ始めてたわけだし、秀吉は大改造したしってことで。

312 :日本@名無史さん:2006/11/28(火) 19:02:59
付け加えるとあのどでかい朱雀大路も今は地域密着型の千本通だしね。

313 :311:2006/11/28(火) 19:11:50
つまるところ、本願寺の門前を中心に発展したということは
寺内町としての要素も含んでいたということで、それに加えて仏教関係の店舗という
門前町的要素とも絡まってあの密集した状況が形成され、それが上のような事情で
継続されたということかなと。

314 :日本@名無史さん:2006/11/28(火) 19:52:03
>>306
> 試験で、中世と近世の大きな違いを3つ挙げろと言われたら何と答えますか?

うーーーーん、絶対的権力の成立かなあ?
もともと、この分け方ってヨーロッパにしか通用しないし、
日本に適用するほうがむりなんだけど、ヨーロッパでは絶対王政以降が近世となるから。
戦国時代に比べれば安土桃山〜江戸幕府は中央権力が強かったって・・・・
やっぱり無理があるなあ?



315 :日本@名無史さん:2006/11/28(火) 20:19:22
>>308
石高制・兵農分離・「鎖国」

316 :日本@名無史さん:2006/11/28(火) 20:20:27
>>311-313
ありがとう。
ちょっと京都の都市計画を調べてみようかと思います。

317 :日本@名無史さん:2006/11/28(火) 20:55:31
質問なのですが、
幕末期の日本において、雄藩といわれた諸藩が攘夷から開国に方針変更したのは何故なのでしょうか?

318 :日本@名無史さん:2006/11/28(火) 21:10:36
>>317
なんで聞いたのか忘れたけど、攘夷を捨てたわけではなくいったん開国して
国力をつけてから攘夷するということだったらしい。


319 :317:2006/11/28(火) 21:17:09
できれば、その「いったん開国して」と転向した理由も教えてもらえますか?

320 :日本@名無史さん:2006/11/28(火) 21:20:19
薩摩藩に限って言えば、「薩英戦争で現実が見えたから」が大きいと思う。

321 :317:2006/11/28(火) 21:29:31
薩英戦争でボロ負けして、薩摩藩は西洋の強さを目の当たりにしたって事ですか……

他の雄藩、
例えば、薩摩藩とともに薩長土肥とよばれた土佐藩、長州藩や肥前藩はどうだったのでしょう?

322 :日本@名無史さん:2006/11/28(火) 21:31:06
薩英戦争って薩摩のぼろ負けだったか?
むしろ判定勝ちってイメージが強かったと思うが……。

まぁ、勝とうが負けようが相手の強さを思い知ることは出来るよな。

323 :302:2006/11/28(火) 23:15:32
>>304
いえ、なんか血判書から判断したそうですよ
血痕から性別判断は無理なんですかね・・・

324 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 00:00:53
>>321
長州藩は欧米4カ国と戦争してる。
肥前藩は出島の警備をしていく中で、海外の情勢に通じていた。
土佐藩は、郷士による下からの突き上げってのが大きいのではないのかな?

325 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 02:47:56
>302
歴史の話題からそれてないか?w
医療関係の板に行ってみるがよろしかろ。

>321
理由は色々考えられますが、開国したほうが強くなれるから、というのが方針転換した一番の理由かと。
ただそこまでの過程が薩長では大違いなわけでして。

元々薩摩は斉彬の頃から開明的素地があったので、開国の利益に対する理解が早く、
藩の統制力が強かったこともあり、攘夷の思想面にはあまり拘らずに済みました。
結果、薩英戦争での少ない被害だけで、政治的判による開国への方針転換ができたようです。

逆に思想的な面が強く出たのが長州で、薩摩のようには方針転換ができず、
一部の過激な意見に引っ張られて攘夷で暴走。
そのあげく、国内外の戦い両方で、かなりやばい状況になります。
切迫した政治(軍事)的必要性が思想としての攘夷論を横へ追いやり、
富国強兵の為、開国への方針転換を、やらざるを得なくなったわけです

土、肥に関してですが、この両藩に限らず、当時多少でも知識のある人物なら、
攘夷など無理なことを、早くから承知してました。
なので、国内政治の様相が開国の風潮に向かえば、それに追随するのに躊躇などなかったわけです。

かなり大雑把ですが、こんなでどうでしょう。

326 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 13:20:47
どうせ受験以外で日本史が役に立つことなんてないんだから
つまんねーこと気にすんな。

327 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 14:23:06
>>326
それを言ったら学問版の意味がないだろう?
ちなみにDNA鑑定では親子鑑定はできても男女の区別はできないらしい。


328 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 18:45:27
>>309
聖福寺は御仏の加護によって守られたのじゃ。

329 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 19:49:11
スケートの織田信成って信長の子孫なの?

330 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 22:26:45
>>329
やっぱり呆れて誰もレスしないな。ググレカスと言われてもしょうがない。


331 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 23:37:03
>>325
>>321に対する答が、量が多い割りに内容が薄いな
特に土佐藩と肥前藩に対しての説明に対しては薄いとしか言いようが無いw
そういう解釈で土肥が雄藩に上げられるのならば、宇和島藩だってあげられるし、
多少なりとも知識があって攘夷が無理で、海外の軍事的知識を導入したという面ならば、
負けたとはいえ、幕府だってやってたし、長岡藩もかなり強かった。
説明不足の割りに量が多い。30点。




332 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 00:52:58
>331
煽りにしろ釣りにしろ並以下 0点

次回はもちっと頑張れ(苦笑

333 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 02:56:44
なぜ三種の神器は国宝になっていないのですか?

334 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 03:11:23
本物偽物、いつの時代に入れ替わったか、というような議論以前に
そもそも現在存在するかどうかさえ、一般の学者などには確認できない。

335 :日本@名無しさん:2006/11/30(木) 03:21:06
>>333
国宝にするということは、文化財保護法の適用を受けるということ。
つまり文科省の管轄になっちまう。神器は宮内庁が管理するべき
ものなのに、それじゃ不味いだろ。いくら文化的価値があるといっても。



336 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 03:42:27
いや、国宝第一だと思ってたばっかりにショックだったので・・

337 :日本@名無しさん:2006/11/30(木) 05:59:48
>>336
元々国宝というのは、伝統美術品の損失・流失を防ぐための「制度」であり、
その制度の適応を受ける「指定名称」に過ぎない。
単純に、国家レベルで文化的伝統的価値を認められたものという訳ではない。

神器だが、あれは天皇のレガリア(王権を示すアイテム)に過ぎない。
だから天皇が所有・管理して当たり前のもの。
政府がそんな制度を適応して保護する必要など、初めからないってことさ。

ちなみに、神器は国有財産でもない。
皇居や正倉院御物ら多くの施設や美術品は、初めは御物(天皇の私物)だったが
政府に「下賜される」形で国有財産になった。維持管理を政府に任せたほうがいいからね。
でも、なぜ神器は・・・?と思うかもしれないが、まあここまで話せば見当がつくと思う。


338 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 06:16:46
天皇が国家に三種の神器を渡せば「国家が天皇位を継いだ」ということになってしまうから?

339 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 08:13:27
今は「皇室典範」があるから、皇位はそれによる世襲となっているよ。

340 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 09:44:11
つうか皇室典範ってたかだか60年の歴史しかないのな。しかもGHQ作w
旧皇室典範も明治政府の作で120年くらいの歴史しかない。

341 :日本@名無しさん:2006/11/30(木) 10:59:13
>>338
そう。
それと同時に、政府に渡したら天皇は天皇ではなくなってしまう。
>>337で「下賜された」といったが、そもそも君主国にとって、政府は
君主の経営する会社に過ぎない。政府が上じゃあないんだよ。
憲法や典範にしたって、所詮は政府や天皇家の「自分ルール」に過ぎない。
政府や天皇家のほうが上なんだ。不都合が出れば「じゃあ代えましょうか」
でいい。誰に認めさせればいいのか、そんな必要は無いのかで話が
変わるだけ。


342 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 15:12:40
なんで日本史板で文化財論争やってんの? 政治の範疇じゃね?

343 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 15:45:19
三種の神器って実物みたひとは生きてる人では3人くらい?2人?

344 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 16:54:48
三種の神器の実物見た人なんて今生きてるのか?

天皇でも見れないんだろ?

345 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 22:25:06
自作自演で荒らしてるっぽいな。

346 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 22:39:55
>>341
君主国にとって、ではないな。
イギリスの場合は、国王といえどもマグナ・カルタの下にある。
東洋の場合は、法というのは君主が世を統治するための「手段」であって
そのような傾向があるのは確かだが。法治主義になったの「なら」もう
そうではない。何年経過しているとか、そういう問題ではないんだ。
で、初心者の質問が途絶えているから、どこかで落ち着こうか・・・。

347 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 10:55:23
即位するときくらい見れるんじゃねーの?=三種の神器
それとアメリカの占領軍のお偉いさんも見たんじゃね?
後は宮内庁長官や皇太子くらいなもんか。

348 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 10:56:46
>>346イギリスの例は反則じゃね?

349 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 16:49:20
>>347
見られない。

350 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 20:41:00
そもそも実際の儀式に使われるのは三種の神器の形代(レプリカ)であり、
実物については天皇自身でさえ実見を許されていないという。
このことからも、実物が現存しているかどうかは確かめようもない

とWikiには書いてあった。

351 :日本@名無史さん:2006/12/02(土) 01:24:15
>>348
だって法治主義のルーツみたいなもんだし。
それでいて、大統領制の国じゃないよ。

352 :日本@名無しさん:2006/12/02(土) 02:11:15
>>351
「禁中並公家諸法度」というのもあるんだが…
それに君主がいる/推戴しているのなら、大統領なんか別に用意しなくていいし。




353 :日本@名無史さん:2006/12/02(土) 04:43:45
>>350じゃあ神器を管理してるのはだれなんさ?

354 :日本@名無史さん:2006/12/02(土) 11:22:08
>>352
段々話がずれてきている。所謂「屁理屈」の領域へ。

355 :日本@名無史さん:2006/12/02(土) 12:15:36
>>353
天皇家なんだろ、たぶん。
天皇家のしきたりで中見ちゃダメとかになってるんじゃねーの?
本当に直系男子しか入れない部屋とかあるらしいし。

356 :日本@名無史さん:2006/12/02(土) 12:29:42
>>300
そういや花火税ってのも聞いたことがある

357 :日本@名無史さん:2006/12/02(土) 12:35:08
昔都道府県の出先機関で「地方事務所」というのがあったらしいんですが、
これは今の「支庁」かあるいは「合同庁舎」に相当するのでしょうか?

358 :日本@名無しさん:2006/12/02(土) 13:36:59
>>357
一応そのとおりだが、「支庁」「地方振興局」など
名称や管轄が各都道府県によって異なる。

県の下位区分
ttp://homepage1.nifty.com/ishato/tiri/kubun/kubun.htm

359 :日本@名無史さん:2006/12/02(土) 14:26:22
>355宮内庁が管理しているとしたら、国民の「知る権利」を果たす必要があるから、やっぱり
皇族が私人の立場で管理しているのだろうね

360 :日本@名無史さん:2006/12/02(土) 19:13:33
すっごいくだらない質問なんだけど
100年後の歴史の教科書には2000年代前半の文化としてアキバ系とかって載るの?

361 :日本@名無史さん:2006/12/02(土) 20:14:09
>>360
可能性はあるな。つーか春画描きが教科書に載ってる国で何を今更。
(葛飾北斎ほか、有名な浮世絵師でも春画描いてた人は多い)

362 :日本@名無史さん:2006/12/02(土) 21:51:47
載るか、ばーか

363 :日本@名無史さん:2006/12/02(土) 22:50:43
>>361-362
thx

364 :日本@名無史さん:2006/12/03(日) 02:24:51
>>360
それは分からない。100年後の人に聞けとしか言えない。
釣りならやめておこう。

365 :日本@名無史さん:2006/12/03(日) 02:28:48
>>360
アキバ系の人間が日本史に残るようなものを作り出せば載るんじゃないか?
そうじゃなければ時代のアダ花として好事家の記憶に残る程度じゃ・・・・・


366 :日本@名無史さん:2006/12/03(日) 02:34:25
じゃあ、あと100年生きれ。

367 :日本@名無史さん:2006/12/03(日) 05:53:29
中高の教科書に載るのは余程の何かないと難しいかもね。
「国民生活の価値観が多様化した時代」とか書かれるんでないかなぁ。

てか、北斎とかが教科書に載るようになったのって戦後から?
戦前はどうだったんだろう。


368 :日本@名無史さん:2006/12/03(日) 11:48:48
>>359
所有は天皇、管理は宮内庁(委託)。

>>360
教科書もしくは、資料集に載るだろうな。というより、百年も必要ない。
今だって、すでにみゆき族やたけのこ族が掲載されている。

369 :日本@名無史さん:2006/12/03(日) 13:34:43
100年後なら必ずアメリカ帝国の領土として日本がアメリカと同じ配色をされてる

370 :日本@名無史さん:2006/12/03(日) 15:03:45
摂津の渡辺党について質問です
綱や競など、一字の名前が多いのは何故でしょうか?

371 :日本@名無史さん:2006/12/03(日) 16:39:23
嵯峨源氏の伝統だから

372 :日本@名無史さん:2006/12/03(日) 17:28:47
>>371
レスありがとうございます

本流に一文字名をつけたのだろうと推測するのは簡単ですが、
伝統であると断言はできませんでした

もしよろしければ文献など教えてください

373 :日本@名無史さん:2006/12/03(日) 20:51:06
嵯峨天皇在位当時は唐風文化の全盛期で、本人も大の漢詩好き。
ついでに子供も大量に作ったために臣籍降下させる必要があったのだが、
自分の趣味プラスそこいらの貴族とは格が違うことを示すために唐風の名前を付けた。

そんなわけで一字の名前を持つ嵯峨源氏が大量に発生するのだが、
その後にやってきたのは藤原北家の時代。
下級貴族に落ちぶれた嵯峨源氏の多くは地方に土着化して武士になった。その1人が渡辺綱。

374 :日本@名無史さん:2006/12/03(日) 21:08:08
質問です。
江戸時代の農民に対する田畑勝手作りの禁令と分地制限令、慶安の御触書が発令された年号をどなたか教えていただけないでしょうか。当方、携帯の為、検索したんですがでなくて…

375 :日本@名無史さん:2006/12/03(日) 21:21:37
今時の携帯ならwikipedia見れるだろ

376 :日本@名無史さん:2006/12/03(日) 21:46:12
>>373
ありがとうございます

377 :日本@名無史さん:2006/12/03(日) 21:47:05
今、Wikiで検索して調べました!田畑勝手作りの禁令と慶安の御触れ書については分かったんですが、分地制限令はわかりませんでした…。どなたかお願いします。

378 :日本@名無史さん:2006/12/03(日) 22:08:00
江戸時代の、各国・各藩・各村の石高が出ているサイトがあったのですが、なんというサイトかわかる方はいないでしょうか?

379 :日本@名無史さん:2006/12/03(日) 22:28:04
関ヶ原の戦いの後、帰郷した長政が「家康殿は私の手をとって功労を褒めてくれた」と自慢するのに対し、
如水は、「その時お前のもう片方の手は何をしていた」と言ったとされる。

という逸話ですが、なぜ如水はこのようなことを言ったんですか?
そこで家康を殺せば天下を取れただろ、という解釈でいいのでしょうか?

380 :日本@名無史さん:2006/12/03(日) 23:12:44
>>379
そのエピソードの主旨なら、その通りの解釈で良いと思う。事実かどうかは
別にして。
その出典を以前探したことがあるのだが、分からなかった。誰か知りません
か(って回答者が質問してしまうが)?
こういったエピソードって、作り話であることが多いが、その作られた背景
を考えると面白そうだけど。黒田サイドが天下を目指せたんだ、ホントは!
という主旨なのか、徳川サイドが、こんなきわどい経緯もあったけど、天下
取ったんだから、その恩恵に感謝しろと(譜代の家臣に)恩を着せる為だっ
たのか・・・・など。

381 :日本@名無史さん:2006/12/03(日) 23:16:40
あっそ

382 :日本@名無史さん:2006/12/03(日) 23:37:52
>>381なんだてめぇ

383 :日本@名無史さん:2006/12/03(日) 23:40:01
あそ……つまり朝臣

そういえば平安時代に三位以上の人は名字の後ろに、四位の人は名前の後ろに
朝臣をつけていますが、これは八色の姓の朝臣と関係あるのですか?

調べた限り姓からただの称号に変わってるような気がするんですが…。

384 :日本@名無史さん:2006/12/04(月) 01:16:21
朝臣は八色の姓の生き残り。

最初は臣籍降下した有力氏族に与えられたが、平安時代以降は皇子や皇孫にも与えられるようになり、姓の第一位となった。

まぁ、最後にゃインフレになって単なる敬称になったみたい。

385 :日本@名無史さん:2006/12/04(月) 06:45:57
中原氏なんてわざわざ真人から朝臣に改姓しているくらいだしな・・・。

>>383
特殊な例かも知れないが、小槻氏なんかは近世になっても宿禰姓のまま。
ただ確かに平安期以降の場合、名前のあとに朝臣をつけるのは単に四位の人を
示すための敬称みたいになっているのは事実だね。

386 :日本@名無しさん:2006/12/04(月) 08:39:15
アソンって朝の臣って意味だろ? 字面だけ追えば。
それが一人歩きしただけなんじゃないかと
個人的には思ってたりする。

387 :日本@名無史さん:2006/12/04(月) 10:51:12
江戸幕府滅亡後の大奥ってどうなったんですか?

388 :日本@名無史さん:2006/12/04(月) 14:22:38
江戸時代の参勤交代って、各藩の財政を圧迫させてて、
各藩にとっては大迷惑だったようですが、
一般の藩士は、花のお江戸に行けるって事で、内心ホクホクだった
ってことはないのでしょうか?

389 :日本@名無史さん:2006/12/04(月) 17:27:20
>>388
ttp://www.um.u-tokyo.ac.jp/publish_db/2000Kaga/04/040200.html


390 :日本@名無史さん:2006/12/04(月) 18:24:12
>>387
大奥の人員の大半を占める下働きの子は、別に良家の娘さんでも何でもなく、
江戸の町屋や武家屋敷の娘が花嫁修業代わりに短期間働いていただけ。
だから、給料貰ってさようならなのは通常と同じ。また、大半の側室も将軍の代が変わると、
いくらかお金貰ってションボリ余生を過ごすのが普通なので、これも同じく。
もちろん、それでも残った人間は宗家と一緒に静岡に下っている。

>>388
書籍名は忘れたが、紀伊藩の下級藩士が残した日記によれば、
いくらか手当が出たところで、物価が高いから慣れない自炊はせにゃならんは、
狭い江戸屋敷で同僚と同居は息苦しいわ、もちろん家族とは離れているわで、
まあそんなに好きこのんでというわけではなかった模様。
ただ、江戸ではたくさん仕事があるわけでもなく、名所見物に行ったりして、
それなりに江戸生活を楽しんでたようだが。

391 :日本@名無史さん:2006/12/04(月) 21:38:04
>>389>>390
どうもありがとうござりました。

392 :日本@名無史さん:2006/12/04(月) 22:54:33
>>387
騙されて追い出された。

393 :378:2006/12/05(火) 00:30:18
自己解決しました。ありがとうございました。

394 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 02:49:11
徳川家斉の子、徳川斉順が清水徳川家を相続した時期はいつ頃?
ググってもサイトによってまちまちで…

幕府から「清水家に移ること」を命じられた時点か、賄料を賜った時点か、実際に引き移った時点か、元服した時点か。

395 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 15:06:43
日本型華夷意識と4つの口(長崎・薩摩・松前・対馬)
についての論述をしたいのですが、ググってもよくわかりません(汗
教えてくださる方いらっしゃったらお願いします。

396 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 15:48:37
質問よろ。

関が原での島津の敵中突破は有名だが
あれははたして本当にそうする必要があったのだろうか?
いくら戦場で孤立していたとはいえ
各隊同士の間がそれほど密集していたわけではない。
実際に関が原へ行って各大名の陣屋跡に行ってみれば分かるが
他の大名の陣が見えそうにはないほど離れている。
敵中突破せずとも、
陣と陣との間をすり抜けて退却すればよかったのではないか?

397 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 16:19:31
>>396
それができたらやっていたと思うよ。

398 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 18:54:23
>>396
各大名の布陣跡にいたのが大名一人だけだったら退却できるだろうけどね。
あの場に数千、数万の敵兵がいたということまでは想像できなかったの?

399 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 20:39:01
逃げてる敵がいたら包囲して殲滅しようとすんだろ。
ドッチボールの球を避けるのと違うんだから。

400 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 22:09:18
>>396
ええと、鹿児島にいたことがあって、そのテーマは昔先生と一緒に研究した
事があります。
あの時点では、既に東軍が西軍を追撃・掃討する局面に入っていて、西軍の
陣地は東西入り乱れた状況になっていたと考えられます。島津の陣からすれ
ば、背後は乱戦、はるか前方は徳川の本陣(家康はもう桃配山から降りてい
た)。敢えていうなら、島津−徳川の間が最も戦闘が少ないところなんです。
(ない訳ではないが)
かと言って、徳川の陣の間を抜けて行く訳には行かない。ご存知のように
徳川主力(秀忠率いる)はこの時関ヶ原にもいないのですが、それでも数は
3万近くいて、島津はわずか1600です。
従って、島津の選択した方法は、徳川方面に突撃体形で進み、攻撃もあり得
る風を装って、撤退を模索するという事でした。松平忠吉・井伊直政の隊と
は実際に接触したようです。敵中突破ではなく、敵を掠めて奈良方面から
堺を目指す進路を取ったのでしょう。威力偵察という言葉がありますが、
これは威力撤退? 1600ですから、全軍=殿(しんがり)軍と考えれば良い
のではないでしょうか。

401 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 23:42:16
敵中突破は作り話なの?

402 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 00:03:44
>>401
というか、徳川に突っ込む前からもう「敵中」なんだよ。
ただ、島津は合戦の最中終始どことも戦っていないから、両軍とも何を
考えてるんだか分からなくて、東軍としても攻めようがないというか。
吉川みたいに動かなかった軍勢は他にもいる。小早川やその他大勢で、
動かなかったけど、途中で裏切ったものいる。相手が襲って来ない限り、
東軍としては、自分から攻めないという考えだろう。福島正則みたいな
のは、目前の宇喜多・石田と乱戦で、島津を気にしている余裕はない。

403 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 09:15:39
石高一覧で、
「○○村之内××村  △△△石」
とか書いてあることがあるんですが、なぜそのような表記になるんでしょうか?
××村が独立した村なら、○○村之内なんて書かないですよね?
よろしくお願いいたします。

404 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 10:50:59
>>403
単純に○○村の規模が大きくなって枝分かれした××村ということで良いんじゃない?
○○村之内って書かれているのは、形としては村としてわかれたんだけど、人口がま
だ少ないとか、しっかり独立した状態ではないとか、そんなところだと思いますが・・・

405 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 15:40:59
質問

室町幕府って、義満〜義教の間に有力大名(山名、大内、土岐、赤松、北畠、鎌倉公方)
を滅ぼしてるのに、なんで応仁の乱のあたりで全部の大名が超有力大名として復活してるんですか?
特に山名なんかは西軍のドンと言うべき存在だし、大内も陶晴堅に反乱されるまでは
西国の大大名でいられたし…
家名を惜しんで一族を拾って、名前だけの再興を許すならわかるんですが
なんでせっかく滅ぼした大名をまた元の地位に戻すんですか?

406 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 16:39:41
>>405
よく考えてみて。
例えば、山名を明徳の乱(1391)で完膚なきまでに叩き潰している。
でも赤松満祐の嘉吉の乱(1441)で、播磨を平定したのは山名持豊
(後の宗全)。
つまり、反抗する勢力を討伐するのに、それ以外の勢力を常に必要と
する。
足利党も尊氏の頃は、まだそれなりの軍勢だったと思うが、将軍家に
なってしまうと、配下の細川とかも大名とかに独立してしまい、自前
の軍勢は減ってしまう。特に、尊氏は一旦九州に落ち延びて再興する
のにかなり西国の武士たちの後押しを受けた経緯があり、他の勢力に
依存する体質が出来ていってしまったんだと思われる。

だから、一旦反抗した勢力を幕府の権威で討伐しても、それは他の勢
力に常に頼っている。頼られた勢力の当事者も、反抗する勢力は「明
日は我が身」かも知れない同じ立場だから、適当に降参したら妥協す
るところもある。「もう勘弁してやったら」というのは、自分に対す
る保険でもあるんだ。ま、室町幕府の将軍家も、そういった意味では
足元を見られているっていうか、所詮は有力守護大名の連合政権だっ
たんだね。だから、応仁の乱(1467)みたいに真っ二つに分かれてしま
うと収拾がつかなくなる。

407 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 16:44:18
>>406
俺が質問したわけじゃないが、非常に分かりやすい。

408 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 17:53:44
徳川家の直轄領は400万石、旗本を合わせると700万石との事ですが、
織田信長・豊臣秀吉は、それぞれ何万石くらい所領してたのですか?

409 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 17:59:24
よく徳川天領400万石、旗本300万石って聞きますが、
大名や親藩や譜代は入れないのですか?

410 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 18:08:48
関ヶ原以前は家康の石高に入ってたが、関ヶ原以後は独立の大名になったから。

411 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 18:37:51
室町幕府にも奉公衆とかいたけど、徳川の旗本・御家人に比べたら脆弱なイメージだな。

412 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 19:01:14
>>410
どうもありがとう。

413 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 19:11:42
>>406
なるほど…
最後の息の根を止めるところで許してやり、徐々に元の地位に戻すことで
幕府の目をそらし、元の有力大名連合に戻してるってことですね。

414 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 19:32:14
質問。
小早川秀秋が石田光成を裏切った理由がよく分からないんだけど。
まさか漫画やテレビで言っているように
「関白になりそこなってものすげーいっぱい不満を抱えたオコチャマ」
だったなんて真に受けていいとも思えないし。

415 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 19:54:05
大内にしても山名や土岐にしても、一族がいっぱいいるからな。
本家が滅ぼされても変わりはいくらでもいるし、一族が一枚岩とは限らない。

416 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 20:38:00
その他の大名はいいとして
鎌倉公方と北畠が再興してるのはおかしい。
鎌倉公方は幕府にどんな事情があろうと完全に根絶やしにするのが
普通じゃないか?
北畠は百年以上まえの事を持ち出してしょっちゅう謀反起こすし…
そのたび寛大な処分で済むのはどーもねぇ…

417 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 20:59:35
鎌倉公方と北畠が出てきたのは、象徴的ですね。というより、いい視点
だと思います。これこそが「妥協の産物」なんですよ。
幕府政権の本質は、本来「鎌倉」に本拠があるものなんですね。意識と
して。それが京にあるのは、西国の武士たちの意向や南北朝へと連なる
諸事情が絡んでいましたが、京に幕府があるのは、東国の武士たちに取
っては「不満」なんです。また一方「北畠」も南朝支持者にとっては、
一種の象徴。時代が進むにつれ、この両者は事あるごとに幕府に楯突く
目障りな存在となったのですが、これを排除してしまうと、東国武士の
不満とか、南朝支持だった勢力の不満が一気に表面化してしまう。そ
れは室町幕府の存立自体に関わる根幹問題になってしまうんです。
室町幕府は「妥協政権」なので、こういう火薬庫を一気に爆破してし
まう方針は取れないんです。むしろ度々反抗させながらも、適度に妥協
することで、そういう本質的な不満へ向かわせない「バッファ」として
の位置づけを持っていた訳で、それが「政治」なんでしょうね。
日本人の考え方、の象徴だと思います。欧米人なら一気に決戦、なんで
しょうが。

418 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 21:08:14
>>417
なるほどねぇ
こりゃ分かりやすい
ただ改行がちょっときっちりしすぎてるかな

419 :イアン:2006/12/06(水) 21:27:49
@今までの100年間の歩からみた今後の日本の100年はどうなるか述べよ。
A国を愛するということはどういうことか。(歴史or伝統と国家の秩序or政治からみた)国家の二側面を考え述べよ
B日本の近代化の特色と現代日本の課題について述べよ。
日本史の課題です。解答例を教えて下さい。

420 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 21:39:45
「竹石圭佑」って何?知ってる人いる?
っていうかコイツ、名古屋の成人式に出るの?


421 :イアン:2006/12/06(水) 22:20:19
419ですが教えて下さい

422 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 22:57:56
>>421
死ね。
世の中舐めるな。

423 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 23:06:05
>>421
誰がお前なんかのためにそんな課題をやらなきゃいけないんだよ。
せめて自分なりの解答例を作って、それを添削してもらうというくらいが筋だろうが。

お前みたいな腐った人間を相手にするのも憚られたが、どうせ高校生だろう?
だとしたらこれからの人生のための訓戒を与える価値はありそうだから、こうして相手にした。

422のように死ねとまでは言わないが、二度とこのスレに出入りするな。

424 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 23:07:07
課題の解答は、最終的に自分で考えてくださいね。それがあなたに求められてい
ることですから、怠ってはいけません。ヒントだけ。

@B日本社会は、「均衡型社会」と「発展型社会」のいずれかを常に模索してきました。
均衡型社会の典型は江戸時代です。そして明治から以降は、日本は発展型社会
へと変遷していった訳です。その動機は、国際社会が発展をしていて、かつそれに
乗り遅れた国家や地域が「植民地化」という発展型国家の犠牲となっていたからで
した。
日本は、今までの100年間は、その方法論を何度か変えながらも、常に発展型社会
をいかに継続するかということに傾注していたといえます。しかし、その中では結果
として多くの犠牲や負の成果を生んでしまったことも事実で、現在の日本は、その
岐路に立っているとも考えられます。
今後の日本は、発展型社会の見直しを迫られることになるでしょう。均衡型なのか、
別の形なのかは、現在の日本が持つ問題点を考慮しながら決定すべき課題です。

A人間は、社会を築き、社会の中で生きていくものです。そして社会を維持発展さ
せたり、時としてそれを守ることから、社会で生きていく人間の幸せを模索すること
ができます。そして、社会がなぜあるのかは、我々の祖先の数々の努力や実績に
よるところです。
その結果、社会はそれを維持発展させるためのシステムを作り上げました。
この社会の枠組みのひとつが「国家」と言えます。ですから国家には、今までの
連綿とした「流れ」と、今ある「システム」のふたつが考えられます。
国を愛するということは、今ある社会を尊重し、敬意を払うことで、そこにいる人間の
存立と幸福を肯定しようという考え方です。具体的な方法としてあるのが、今までの
歴史や伝統を尊重し、敬意を払うこと、および国家システムの存在を尊重し、敬意を
払うことです。尊重し、敬意を払うことは、反対を否定するものではなく、また盲従す
ることでもありません。

425 :イアン:2006/12/06(水) 23:28:47
批判もアドバイスもありがと
これから頑張ってつくりまーす

426 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 23:40:57
こんなところで高校生相手に「訓戒」とか言っちゃうお前が哀れだよ 出入りするなって何様だよ まだ死ねっていってるやつのがマシだな まぁどいつもこいつもカスだが

427 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 00:04:42
近頃の若い者はって言葉はいつくらいからできたものなのですか?


428 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 01:06:02
聖徳太子は何時代でしたっけ?

429 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 01:08:13
>>427
それ世界史

>>428
平安だよ

430 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 01:10:16
429
ありがとう!
ちなみにザビエルが鹿児島に来たのは何年かわる方いますか?これ世界史かな?

431 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 01:17:13
 1549
以後良く広まるキリスト教くらい覚えとけ

432 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 01:18:26
431
ありがとうございます!覚えときます!

433 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 01:25:43
>>428
つ「飛鳥時代」

434 :日本@名無しさん:2006/12/07(木) 15:33:16
>>414
逆に、当初東軍に加わらなかった理由がわかりません…

435 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 18:45:27
>>427
古代エジプトの石版を解読したら
「今の若い者は・・」とあったそうだよ。

436 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 19:06:14
有名な話だよな、それ。

本当に最近の若者がダメな奴ばっかりなら、人類はとうに絶滅してるだろうにな。

437 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 21:50:48
>>434
つ・・・だって西軍総大将の毛利の一味だし、一応。
まぁ、吉川広家もだが、毛利はみんなバラバラだが・・・。

438 :アホアホマン ◆WBRXcNtpf. :2006/12/07(木) 21:54:13
test

439 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 21:54:47
>>436
そう言われ続けた方が、結果的に成長するのかも。
「最近の若い者」は、そうも言ってもらえず、ホントにダメになるかも
知れない・・・って、言っちゃってるか・・・

440 :アホアホマン ◇WBRXcNtpf.:2006/12/07(木) 21:54:55
test

441 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 21:55:40
>>438->>440

442 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 21:55:56
>>438>>440

443 :アホアホマン ◇WBRXcNtpf.:2006/12/07(木) 21:57:56
test

444 :アホアホマン ◆WBRXcNtpf. :2006/12/07(木) 22:04:29
test

445 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 22:21:26
>>427
メソポタミアの碑文かなにかにも書かれてあるって聞いたことがある・・・

446 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 23:22:05
>>437
結果的に勝ち組に乗れて、しかも加増までされて、
たとえば彼の部下だったとしたら文句無しジャマイカ。
早死にしちゃったのは計算外だが。

447 :日本@名無しさん:2006/12/07(木) 23:48:20
>>437
そりゃわかるよ。ましてや秀吉/秀頼の縁者なんだし。
でも豊家には冷遇され三成にはコケにされ、関が原前には
西軍参戦工作までされている立場の人間がだよ?ヘンだよ。
他家にいかされたんだから別に気にしなくてもいいじゃない。
それに毛利一族がバラバラだったんなら、逆に保険として東軍に
入って/入らされたっておかしくないんだし。
ティーンで政治なんてわからなくっても、家臣が勧めていたんじゃない?

>>446
でも家臣の多くは再仕官を断られていたってのはねぇ…
「裏切り」っていったって脇坂がよくて秀秋がダメっていうのかしら。
清正正則とまではいかなくても、ティーンなのに戦にはメチャクチャ
強くって家臣たちも評価されていたろうに…


448 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 03:00:29
>>447
まぁ、秀秋に関してはそんなところだろうね、結局、小早川家
没落後に家老だった稲葉家から家光の乳母が出てくるところを
考えると、重臣から進められたというのが大きいんじゃないかと
思うよ。
あと、小早川家はあの当時は毛利家からはかなり分離してた訳だ
し、あまり毛利家の意向っていうのは考えてなかったと思う。

449 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 08:51:19
じゃあ、早く、憲法改正して、天皇と、総理大臣と、大統領が統治する
国にしましょう。もちろん、全日本国民による直接選挙でね。


450 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 08:57:37
>>448
小早川隆景が秀秋を迎え入れた経緯をご存知ですか?
秀秋は毛利家(本家)に押し付けられようとしていたんです。
輝元の養子として。いわば豊臣家による毛利家乗っ取り。
それを隆景がいわば犠牲になる形で受け入れたわけです。
吉川にしても、関ヶ原の戦いの後、周防・長門35万石を与えられようと
したのを辞退している。毛利本家が取り潰されようとしたのを
身を挺して弁護し、自分に与えるくらいなら毛利本家に賜りたい
と言っている。こういった要素を考えると、「毛利の両川」は
一応機能していたといえると思う(吉川は代が変わっているが)。

ただ、小早川・吉川の家臣団の思惑は別、というのは考えられる。
そもそもこの両家も、毛利元就の頃に、その次男・三男を養子に
押し付けられた訳ですからね。だから、殿様の思惑は毛利家大事
の気風を残しているのに、家臣たちはそれほど気にしていない、
という「お家が一枚岩になっていなかった」ことが、関ヶ原前後
の毛利全体の方針不統一という形になって現れたと考えられます。
ましてや、小早川秀秋は自身が豊臣の縁者。先代が毛利家大事で
家臣の多くははそうは思っていないというかなり複雑な事情の中
で当主を務めていた経緯があります。優柔不断になってもおかし
くない状況でしょうね。

451 :448:2006/12/08(金) 18:19:09
>>450
分かってるよ?
って自分でもいってるじゃないw

>秀秋は毛利家(本家)に押し付けられようとしていたんです。
>輝元の養子として。いわば豊臣家による毛利家乗っ取り。
>それを隆景がいわば犠牲になる形で受け入れたわけです

秀秋が当主になった時点で小早川家は毛利と分離してしまったと見て間違いないだろ。
だからこそ、隆景は小早川家を犠牲にして小早川家の養子にしてしまったのだから。
それに小早川家に元々から仕えてた家臣の多くは小早川秀包の方にいってしまったらしいし。


452 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 20:17:06
>>450
関が原合戦当時には隆景も無く、秀吉が秀秋に付けた家老である、平岡頼勝や稲葉正成
が小早川家を支えていたわけだし、毛利色は皆無とはいえないまでも、小早川家の方針に
干渉するほどの力は無かった。

453 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 21:35:28
>>451
あんた、武家社会における「恩義」というのを知らないなw
現代人がやってるんじゃないんだよwww

454 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 21:54:26
>>453
あんたの言う恩義というのが何を指すのか分からないが、
恩義というかそういう美徳が武士の中で定着したのは
江戸時代になってからのこと。
そもそも、小早川家自体が毛利元就の計略によって、
隆景を養子として送り込んで毛利家がのっとった家。
あんたのいう恩義とやらが存在するのならば、小早川
隆景が養子となったところで、毛利の味方になるはず
が無い。ましてや、養子になった頃の小早川当主であ
った小早川繁平を引退に追い込むなどできるはずがない。
当時の武士に恩義というのがあればねw
毛利家が小早川家を勢力下にいれるときに、あんたのいう
恩義なんて無縁な政争が行われていたのに、
秀吉の意向で秀秋を入れた時には、その恩義があるという
あんたの考え方はおかしいよ。



455 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 22:52:37
>>454
粘着乙
自分の為のスレにするな。
ここは初心者が質問するところ。いい加減に引け。

456 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 23:01:35
恩義も知らない人間が解答者を装っているのでw、教えてください。
武士の世界で御恩と奉公の関係ってありますよね。
元々土地を仲立ちとした主従関係のひとつだと考えられますが、
その応用系のような形も武士の正義とか、価値観の中にあったと
思います。小早川隆景の場合も見ていてそんな形だと思えました。
御恩とか恩義とか忠義とか、武士の価値観ってどのように生まれ、
どのように変わって行ったのでしょうか。
>>454の考え方とは違うと思いますので、分かる方、教えてください。

ちなみに、私は>>450でも>>455でもありません。

457 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 01:04:11
>>456
明らかに>>450>>455と同じ人間のように思うがwwww
戦国時代なんて下克上なんだから、力が弱いと思えば
下が上を倒すなんて当たり前の時代。
小早川隆景を評価するのも結構だが、本家小早川乗っ取りは
隆景ではなく元就の策略かもしれんが、かなり悪辣。
それに、小早川隆景の秀秋が養子になる前の本来の嫡子である
小早川秀包は、廃嫡された後も、別家として、九州に所領をもらっ
てるわけだし。仮に恩義があって、毛利家とのかかわりを大切にし
てる小早川家としては秀包がたてた別家の小早川家の方じゃない?


458 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 02:24:49
>>457
あなたには聞いてないww

459 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 03:06:37
>>457
しかもそんな話を誰もしていないのでは。自分中心で段々スレの主旨からも、話の本旨からもズレて来ている。
お前のやっていることは、明らかにスレ枯らし。もう出て行けよ。誰もまともに書けないだろが。
このスレを潰す意図がないのなら、もう二度とその話題を蒸し返すな。迷惑千万。

460 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 03:09:40
武士の価値観〜いわゆる武士道というものは江戸時代の武家諸法度によって確立する。
それ以前ともなると毛利元就や宇喜田直家のように謀略・謀殺を繰り返しても
武士道なんてなかった時代だからそれほど家臣の心は離れなかったんじゃないかな。

461 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 03:48:55
・・・

462 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 03:49:27
うそばっかり・・・

463 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 04:43:29
江戸期以前の武士においても、恩義という徳目はもちろんあったでしょう。
ただ、それらは決して体系化された物ではなく、感情や利害に左右されやすい物でした。
体系としての主従道徳(宗教的な)が成り立つのは、江戸期に儒教が広まってからになります。

江戸期以前、特に戦国期は過酷な時代でした、
主家への恩義を守って共に没落、滅亡と言うのは、後生の美談にはなっても、
その時代に生きた当事者達にとっては悲惨な事なのを忘れないで下さい。
まず生き残ること、子孫を繁栄させること、それが武士の第一義でした。
また、武士が忠義を示し、勇敢な行為を為す場合、自らの命を的にして、
子孫の繁栄と安定を求める、打算的一面があったりもします。
よしんば、主家が滅亡、自身は討ち死にと言う事態になっても、世間に好意的な評判が残れば、
子孫が再び世に出やすくなるのです。
これらは、自家の存亡を賭けた行為であって、単純に善悪や美醜の問題として理解すると方手落ちになります。

主従関係の変遷ですが、まず御恩と奉公は、原則として主従がイーブンな関係です。
実際には鎌倉時代の頃から、主君側の立場が、やや強い傾向にあったのですが、
その後の歴史は、主君がさらに立場を強め、家臣を強力に統制していく方向で封建制が発展していきます。
特に戦国期にその傾向が強まり、江戸期に体制として完成します。

もう一つ、江戸期以前の主従関係は、主君の人格、才能、何より肉体の限界(寿命)に依存する面が強いのです。
その為、主君の代が変わると主従関係が不安定になってしまいます。
江戸期になり、儒教の採用などによって、主君個人の力量を超えた、
形而上的価値観に対する忠誠心が問われるようになりました。
こうして、戦国期までのような家臣の独立性はなくなり、儒教化された官僚としての武士が誕生したわけです。
この問題は、他の要素(兵農分離、知行化等)とも絡んできます。

464 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 04:44:02
>武士道なんてなかった時代だからそれほど家臣の心は離れなかった
わけわかめ・・・
武士道なんてないのなら、家臣の心は容易に離れる。
やっぱりこいつはうそつきだ。
でまかせのひとり演説はこのくらいにしてもらおう。
演説をしたいにならスレ立てろ。

465 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 04:47:04
>>463
下手な文章だね。説得力なさすぎ。
書けばいいってもんじゃないよ。

466 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 05:10:14
なんかおもろいの湧いてるwwwwwww
しばらく見物させてもらいますね^^

467 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 05:31:02
どっちもやめろ、クダランだけじゃなくて、このスレ使いたい人が
迷惑するって言っているんだ。

>>466基地外。自演するな。

468 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 12:50:00
>>460
腰に二本佩いただけでふらつくような連中が、何の武士道ぞ?

469 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 14:06:49
なんか、自演がたくさん沸いて気持ちの悪いスレになってるな。
話を変えて質問します。
室町時代の幕府の領土ってどの程度あったのですか?
江戸幕府のように全国各地に天領があったのでしょうか?それとも京都周辺のみ?
よろしくお願いします。

470 :日本@名無しさん:2006/12/09(土) 14:35:01
>>469
将軍家の直轄領を「御料所」といいますが、
これは全国200ヶ所くらい存在していたそうです。


471 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 14:56:15
室町幕府って、どちらかといえば今の国際連合みたいなものを考えた方が
近いと思います。近いというのは、鎌倉幕府や江戸幕府と比較して、とい
う意味で。
鎌倉幕府の場合、平安後期の「知行国制」の形が残っていて、関東御分国
みたいな「領土」と呼べるものがあった。また江戸幕府は、徳川王国が最
大最強の大名で、その「領地」を天領といっていた。
しかし、室町幕府の主たる収入源は、御料所という、天領に当たるような
全国に散在したところや都の町衆からの段銭とか棟別銭の臨時徴税が主な
もの(後にほぼ恒常化する)。でもそれはいくつかの荘園や、没収した領
地などで、常に広大なまとまった「幕府領」みたいなものはない。その総
量も不安定。
だから義満が始めた勘合貿易というのは、重要な収入源となった。それも
他の有力大名(大内・細川)に利権が移ってしまうと、関銭とか、ひどい
例は徳政分一銭(徳政令を出してやる代わりに、上納させる金銭)などを
取り立てた。まぁ、それだけ幕府自体の財政基盤が弱かったことも、室町
幕府が弱体だった理由だと考えられます。

472 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 17:13:01
>>471
そんな国連どこにもねーよ!という突っ込みは無粋ですか?

473 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 17:51:43
うーん。
きっと、鎌倉幕府や江戸幕府に比べて、室町幕府というのは最も
イメージがつかみくい幕府だと思ったんです。
もちろん室町幕府=国連であろうはずがない。
でもそれくらいのことは、誰でも分かるでしょう? ただ、室町
幕府は守護大名の連合政権みたいなものというのが、ただ権力
基盤だけでなく、財政基盤の面からもそれは言える。幕府の領土
といったものを考えるとき、それはかなりの程度「財政基盤」を
念頭においてのお伺いだと考えられるので、一応考えて言って
みたつもりです。

474 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 18:13:05
吉田松陰って養子で吉田家を継いだってのは本当ですか

本当なら松陰の生家について何かわかりませんかな?

475 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 19:22:26
杉家の出生、次男で幼名は虎次郎。父親の名前は杉百合之助。
杉家は長州藩の貧乏藩士で、家禄は26石。
百合之助の弟が吉田大助で、虎次郎は大助の養子になります。
大助の死後、虎次郎が吉田家の家督を継ぎました。
吉田家の家禄は57石、こちらも貧乏藩士です。

476 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 19:32:46
>>475
ありがとう、杉家の家紋とか役職を調べる方法は有りませんか?

477 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 20:52:58
>>464
>武士道なんてないのなら、家臣の心は容易に離れる。

戦国時代に寝返りがあった事を知らないだろ?

478 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 21:22:14
小早川家は
家名が大事か
血筋が大事か
ってことで紛糾していた
でFA

知らんけど

479 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 23:17:34
武士道を重んじるなら家名を大事にするわけで紛糾する必要もないだろ。ボケ

480 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 23:51:03
あのなあ、俺は武士道なんて一言も言ってねんだよ

小早川以外で一例出すとな、
葦名なんてのは佐竹から当主迎えて家臣団がまとまらずに伊達に潰されてんだよ
批判は結構だけどな、お前もなんか言えボケ

481 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 01:33:33
あの、これ以上話題を続けたければ、小早川か武士道か何かで別スレ
立ててください。
ここはQ&Aでお願いします。論議は別途で。

482 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 03:11:18
明治維新について勉強したいので、良い本を教えてください。

483 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 03:22:58
>476
吉田家は瓜に内卍でしたか。杉家のほうはなんだったか・・・。
杉毛の役職ですが、松蔭の幼少時は無職だったらしく、「倹政令」の為に、
家禄も実質6石程度の極貧で、半農の状況だったとか。
後年、松蔭が密出国しようとして捕らえられた頃、実父の百合之助は盗賊改方をしてました。
ただ、松蔭が捕まったことで、実父も連座して、お役御免になったんじゃなかったかな(うろ覚えです)
あと、百合之助は萩焼きの茶碗なども焼いていたそうです。

484 :483:2006/12/10(日) 03:36:07
追記失礼。
あまり杉家のことは出てませんが、一応こんなページがありました。
http://www9.ocn.ne.jp/~shohukai/4kaikensyujyuku/syouinntohagi.htm
あとは現地に行かないと、杉家に関する細かな資料は難しそうです。
詳しい方いましたらお願いします。
確か、戦国期の大内氏の家臣に杉家があるので、その流れではないかと思いますが、
ちょと自信ありません。

あと、松蔭の実母は長府毛利藩の児玉家の出でした。
児玉源太郎の縁者なのかな。

485 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 20:58:12
中国では改元が決まっても年が変わるまでは今までの年号を使い続けていたそうですが、
日本が元号を採用した時同様の制度にしなかったのはどうしてですか?

486 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 21:39:24
>>485
中国でもそう決まったのは明の頃からです。
日本が元号を採用した時点では、中国もまだそうと決まった訳ではなく、
また改元・改号などのタイミングは時代やその時の状況によって、いく
つかのパターンがあり、制度としてしっかり定まったものではなかった
ようです。日本でも、明治と大正・昭和、更に平成では、布告・制定・
試行のタイミングは少しずつですが違います。

487 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 01:26:56
東北地方って後進地域のイメージが強いんですけど、
東北が日本の発展に貢献したことってあるんでしょうか?

488 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 02:10:47
「ラストサムライ」題材は【西南戦争】

489 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 07:54:03
>>487
東北で栄えたといえば「奥州藤原氏」でしょう。
奥州藤原氏は、金を生産して都とも盛んに取引していましたし、
また宋とも貿易をしていました。平清盛の日宋貿易が有名ですが、奥州
藤原氏も同様の事を行っていて、朝貢貿易でない形態は日本でも魁の
部類に入ると思います。平泉は当時平安京に次ぐ大都市で、当時の関東
(坂東)や他の地域よりも経済的にはずっと発展していたと思われます。

東北が日本の他の地域に先駆けて、というのは個別にはいろいろあると
思いますよ。現在ほとんどの家庭がTV受信用に使用している八木アン
テナは、東北大学の八木博士の考案によるものです。

490 :日本@名無しさん:2006/12/11(月) 19:30:24
>>487
「東北地方が後進地域」という通念は、都が西日本にあったから
という一種の華夷思想と、江戸末期からの東北農村の窮乏、
さらには維新における明治政府への抵抗によるものと思われます。

491 :487:2006/12/12(火) 12:54:57
>>489
大局的に見れば東北はやはりしょぼいですね。

492 :日本@名無史さん:2006/12/12(火) 16:11:23
ラストサムライで甲冑の武者が銃撃で死んでいくんだけど
鉄板の鎧を銃弾は貫通するの?

493 :日本@名無史さん:2006/12/12(火) 17:30:23
米1石は何kgですか。
調べたんですけどわからなくて…。ご存知の方、是非教えてください。

494 :日本@名無史さん:2006/12/12(火) 18:18:50
一合=約180ミリリットル
精米一合=約150g
↓×10
一升=約1.8リットル
精米一升=約1.5kg
↓×10
一斗=約18リットル
精米一斗=約15kg
↓×10
一石=約180リットル
精米一石=約150kg

495 :世界@名無史さん:2006/12/12(火) 19:57:37
長篠の合戦で武田軍は正面には陣地を築いて待ち受ける織田徳川の大軍、
背面は長篠城を救援した酒井隊に包囲され、わずかばかりの平地に誘い出されてますが
軍を二手に分けて後方の敵を撃破して包囲を突破することは不可能だったのですか?

496 :日本@名無史さん:2006/12/12(火) 19:58:21
>>492
ラストサムライを見ていないので、出てきた銃が分からないのですが
火縄銃であれば貫通します

497 :日本@名無史さん:2006/12/12(火) 20:54:29
>>495
誰もがそれを考えると思います。今なら。
でも、それを思いつくのは、おそらく「俯瞰」、すなわち、上から見た
状況を考えるからだと思います。
当時でも図面はありましたから、それを想像するのは不可能ではないと
思いますが、頭に血が上っていたらそうした発想が出来なくなるでしょ
うね。実はそういう心理をついた工夫がなされていたと思います。
そうでなくても、あの作戦は、馬防柵なる備えのあるところまでまっすぐ
突入してもらわなければ効果は殆どない訳ですから、そうした意図を
覚られてはいけないのですね。

逆に信長の意図が分からなければ、武田軍は容易に突っ込んでくるのです。
その為におこなった策は・・・。
あとは調べてみてください。鳶の巣山、酒井忠次、辺りで調べれば分かる
のでは。

現在のスポーツでもそうですが、相手の心理を突いた形をうまく作れたら
勝負は大体勝ちます。勝負の後、引っかかった方は「何であんな策にかか
ったんだ! 馬鹿馬鹿しい・・・」と思うのです。回り込めばよい・・・
それは「後の祭り」というものですね。

498 :日本@名無史さん:2006/12/12(火) 21:01:46
あと、付け加えるとすれば、梅雨、遅延。そして長篠を攻めたのが
そもそもどちらだったのか、青田刈り・・・とか。
実は大きく俯瞰すれば、実に巧妙ですが。

499 :日本@名無史さん:2006/12/12(火) 23:31:25
>>496
銃の主な場面は2箇所。最初は射撃訓練でこのときは先込めだった。
名前は昔は覚えていたが忘れた、撃鉄は南北戦争などの映画で見た
右側の外側で起してたたく式。火打石をくわえてはいなかったと思う。
後半の戦闘場面では、元込めになっていた。撃剣が長かった。
銀色に光るガトリング銃も出ていた。アメリカの映画や河井継之助の
「峠」で触っていた色とは違っていた。

500 :493:2006/12/13(水) 07:46:24
>>494
ありがとうございます。
それだと加賀100万石は15万dということになりますね。
ところで、全農による来年のコメ生産目標は全国で851万d。
これを47で割ると一都道府県あたり約18万d…。
加賀藩の生産量とあまり変わりませんが、
江戸時代にほんとにそんなに生産できたんですかね…。

501 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 08:47:44
47で割ってしまうと、沖縄・東京・大阪・愛知なども入ってしまうが。
現在の石川県の生産目標と加賀百万石を比較してみたらどうでしょうか。
比較する指標が違うような気がしますが。

502 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 10:24:46
>>497
戦い慣れした老臣が大勢いたのに「頭に血が上る」?(ぷ
知ったかは回答するなよ。

503 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 11:46:45
>>502
山県昌景は突入に反対しているし、他の重臣も同様。大体長篠攻めから反対。
そこで、ミハタタテナシの登場となる。これは、和の精神では打開できない
究極の選択の際に、意思統一を図るのにある意味有効な手段なのだが、この
時はそれが裏目に出た形だ。

一応、書いておきます。初心者スレでもあるし。
回答するなというのは、ここでは書いても無駄。無意味。
異論があるなら、意見を書くべき。
現在のところ「負け惜しみ」と受け取っておく。

504 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 14:56:43
>>502
カワイソス
初心者スレで釣り人やっても仕方ないw
何か過去に辛い事でもあったのかな。

505 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 18:00:50
>>496さん>>499さん回答及び補足ありがとうございます。
492です。
鉄板を鉄の弾が貫通したり鎧や兜を鉄の剣で袈裟懸けに切るなどの描写があふれている為
本当にそんなことできるのだろうか?と前から疑問に思っていました。
速度が加われば鉄が鉄を突き破ることもできるのかもしれません。
ありがとうございました。

506 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 18:49:48
>>505
鉄の弾は使っていないと思うよ。

507 :日本@名無史さん:2006/12/15(金) 00:39:50
源平の頃の人達が名前を呼び合うときは、
近い家族やごく親しい間柄でも
下の名前は避け、通称や役職名を付けて呼んでいたのですか?
例えば、頼朝が政子と話している時にご先祖や親戚の話題が出たとして
「八幡太郎殿は」とか「鎮西八郎殿が」とかいうふうに呼ぶものですか?
例え父親だったとしても、義朝が頼朝を「おい、頼朝」なんて
呼んだら無礼者になってしまうのでしょうか。

それに関連して、頼朝はいつ頃から「佐殿」ではなくて「御所様」等の
他の呼ばれ方をしたのでしょうか。

また、これはあり得ないんですが
仮に我々がタイムスリップして戦国時代に飛ばされたら
上杉謙信や武田信玄みたいな偉い武将の事をなんていって呼べば
本人や部下に手討ちにされずに済むんでしょうか。
(敵か味方かわからない、仕えてる訳でもないという状況で)

508 :日本@名無史さん:2006/12/15(金) 01:55:26
>>507
頼朝とか、信長とか家康というのは忌み名(諱)といって、日常生活で
はそれを使わないのが通例です。
公式文書とか、目上の人間が呼ぶ場合に使用します。目上の人間は勿論、
「九郎」とか「太郎」とか通称を呼んでも構いません。また、相応の尊
称をつければ忌み名で呼ぶのも構わないようです(信長公とか)。

頼朝は、平治の乱で捕らえられて伊豆に流されるまで「右兵衛佐」でし
たから、流罪中でも身辺にいた人はそう呼んでいたようです。寿永宣旨
により、流罪人を説かれた後、次第に鎌倉で実力をつけてからは「鎌倉
殿」と呼ばれました。上洛して後白河法皇に謁見してからは、権大納言
権右近衛大将に任ぜられました(すぐに辞任)から、「右大将殿」とも
呼ばれています。「御所様」は聞きませんね。室町幕府の将軍は、義満
以降は花の御所にいたので「御所様」と呼ばれているようですが。

当たり障りのない偉い武将の呼称ならば「御館様」とか「お殿様」で良
いのでは。また、第三者に対しては「信玄公」とかで良いと思われます。

明治になって、すべての人に苗字がつくようになった頃くらいから、通
称ではなく、忌み名を正式な名とし、公私共にそうしようという動きが
明治政府筋から出てきました。欧米に合わせ、古い因習から脱却しよう
という方針だったようですが、必ずしも徹底した訳ではないようです。
西郷吉之助は西郷隆盛、大久保一蔵は大久保利通に、といった具合です。
それ以前に死んでしまった坂本龍馬は、忌み名は「直柔(なおなり)」
ですが、結局歴史上の「通り名」も坂本直柔ではなく、坂本龍馬になっ
ていますね。

それ以外には「号」があります。新井白石の白石は「号」で本名は新井
君美(きんみ)です。勝海舟は、通称麟太郎(りんたろう)、忌み名は
義邦→安芳(やすよし)ですね。


509 :日本@名無史さん:2006/12/15(金) 02:42:19
丁寧に御回答ありがとうございました。参考になりました!

目上の人間が下の者を呼ぶ時にはつまり何を使ってもいいのですね。
私は目下の人間から格上の人間への呼び方も気になるのですが
役職名か、忌み名+尊称か、通称+尊称か、
の三種類だけと考えていいのでしょうか。
それとよくテレビで出てくる尊称の「殿」は「公」と比べると尊敬の度合いは低いですか?
敵対関係でも「殿」は使用されるようなので…。

また、頼朝のような位の高い人間が
当時の風習として敬われるべき年長者である叔父や、
既に亡い偉大なご先祖を呼ぶ時にはどのように呼んでいたのでしょうか?
ご先祖はともかく、叔父が自分より位が下である場合は
優先するのは年の功か身分のけじめかどっちなのかなあと思いました。

「御所様」というのは、源平物の小説や、
ネットでの記事を読んだ時に
頼朝の呼称として使われているのを見たような記憶があったので
例にあげてみました。室町以降だったのですね。
失礼しました。以後気をつけます。

510 :日本@名無史さん:2006/12/15(金) 06:10:09
ちょっと探してみましたところ、
頼朝が「御所さま」と書かれていたのは
永井路子「闇の通い路」の中の「わが殿」という話でした。
鎌倉御所という場所の呼び方も出ていました。
小説なので創作なのかな?ちなみに呼んでいたのは
語り手と地の文が混ざっててわかりにくかったですが
頼朝より格下の地位の侍でした。

511 :日本@名無史さん:2006/12/15(金) 11:48:52
水茶屋と出茶屋の違いを教えてください。

512 :日本@名無史さん:2006/12/15(金) 11:58:42
水茶屋は茶屋一般を指す言葉として使うけど、
特に出茶屋は今でいうオープンカフェ的な店を指すんでない?
よしずで囲って机と床几を置いただけみたいな。

水茶屋はそういう出茶屋も含めた茶屋一般を指すんだと思う。
だけど水茶屋ってちゃんと店舗を構えて営業していることがあまり多くなかったから
結局、水茶屋=出茶屋ってなかんじになってるんだと思う。

513 :日本@名無史さん:2006/12/15(金) 13:39:59
>>512
なるほど、ありがとうございます。

514 :日本@名無史さん:2006/12/15(金) 23:18:56
質問です。
クラスに鴻池という珍しい苗字の人がいまして、ちょうど先週の日本史の授業で『鴻池』というのは江戸時代の豪商であるということを知りました。
なんでも、三井・住友をも凌ぐ程であったということです。
でもなんで、三井・住友は現在でも大財閥として残っているのに、そんなにも凄かった鴻池は落ちぶれてしまったのでしょうか?


515 :日本@名無史さん:2006/12/15(金) 23:25:26
旧三和銀行と日本生命は鴻池財閥。

516 :日本@名無史さん:2006/12/16(土) 03:03:20
>>509
「〜殿」は、同格の者を呼ぶ際に使われることが多いですね。
ただし、格下の者に気を遣ったり、配慮したりする場合にも一種の辞令として
使用します。
これは現在でもそうですから、ご参考までに。目上の者に使ってはいけません。
失礼に当たります。
「〜公」は目上の忌み名(諱)を使う際に使用します。本来通例として使えない
目上の諱を使う必要性なのですが、おそらく、人の上に立つような人間は出世
経歴が多い場合がザラで、役職や通称はよく変わるからではないでしょうか。
「上総介」「弾正忠」「右府」などはみんな信長ですが、時期によっても違い
ますし、間違いがあってはならない場合に間違えやすいのは困るでしょうから。
特に三人称として使う場合は「〜公」が多いようです。

故人を指す場合は、「諡(おくりな)」を使います。徳川吉宗なら「有徳院殿」
(うとくいんでん・・・「どの」ではない)。ただし諡がない場合や知られて
いない事も多いので、その場合はやはり「諱+公」です。
天皇の場合、「諡号(しごう)」「追号」といって、聖武天皇、後白河天皇な
どの「聖武」は「諡号」、「後白河」は「追号」で、共に「諡」の一種です。

生きている年上の親族で位が下なのは「目下」の扱いですが、儒教では目上に
なること、そして気遣いの観点で尊称(様)や同格(殿)を使う例も多いよう
です。

原則論はあるのですが、気遣いや勢力状況もあるので、人間関係が現れますね。
御所号については、wikiに掲載されているのが、特に問題なさそうなので「御所」
でググるとかしてみてください。

517 :日本@名無史さん:2006/12/16(土) 22:45:24
>>516
再度の質問にもお答えいただき、感謝いたします。
よくこのスレで御回答下さってる方でしょうか?
先生!とても勉強になります。ありがとうございます。
御所号について、自分でも調べてみます。

戦国時代の資料は本屋でもよくあるのですが、
源平になるとあまり見かけないのが
ちょっと寂しいです

518 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 11:18:03
>>514
そもそも鴻池一族は多業種にまたがるコングロマリットを作ってない。
つまり鴻池財閥なんてのはそもそも無いの。
実際三和銀行は財閥制限銀行の指定も回避している。

519 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 12:57:12
吉原で上級の遊女が、客に呼ばれて揚屋へ向かう花魁道中は、揚屋がなくなって引手茶屋になってからも行われたのですか?

520 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 15:26:27
>>515
>>518
回答、ありがとうございます。
確かに鴻池という名前が付く会社は鴻池建設ぐらいで、
船舶、重工までには広がっていませんでしたよね。



521 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 22:03:00
辞書ソフトを入れたいんですが何かいいのはありますか?

522 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 01:45:45
Wikipediaで天皇の系図を調べていたら、
ちょっと疑問に思った、というか混乱してきた事なのですが、
神武天皇の皇后である媛蹈鞴五十鈴媛命が、三輪大物主神(大国主神の別名?)の娘で、
綏靖天皇の皇后である五十鈴依媛命は、媛蹈鞴五十鈴媛命の妹で、事代主神の娘。
これだと、大国主と事代主は同一神ということになってしまうと思うのですが、
実際は、事代主は大国主の息子。
何が間違えで、正しい関係はどうなってるんでしょう?

523 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 07:32:01
大国主と事代主は確かに親子という設定にはなっているものの、
神格の一部交換が行われて、神社伝承、記紀においで混同がなされてるんだよ。
だから同一人物ではないんだけど、あたかも同一人物かのような間違い
(同じ人物を一方では大国主、一方では事代主というふうに)
であらわされていることが散見される。

この理由は上で述べたように、神格に同一性が見られることによる混同と、
そもそもが神であって実在の人物ではないから、伝承や信仰を主眼においたとき、
神社や伝記の中で正確な相関関係よりも神格が重視された結果、系図の解釈が
曖昧になったのだと思われる。

だから正しい関係とかは分からん。


524 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 07:35:00
言い忘れたが、だから間違いとか正しいとかを求めることがそもそも無理なのかもしれん。
古事記、日本書紀レベルでも混同されてたと思う。

あと、この件は別にして、ウィキは間違いも間々あるからよく調べた方がいい。
勝手に編集できるからそりゃそうだと言えばそうなんだが。
個人的な見解は別にしても、歴史系に関して言えば単純な年号違いとか数値違いなんかも多い。

525 :522:2006/12/19(火) 23:56:03
>>523-524
ありがとうございます。
となると、系図を作っていたんだがどうしたものか…。
とりあえず大国主と事代主を点線で繋いでおきます。
>言い忘れたが、だから間違いとか正しいとかを求めることがそもそも無理なのかもしれん。
まあ、その辺は古代(特に神話レベル)では厳密なものを求めてはいないので、
(古事記と日本書紀でも同じ人物でもかなり記述に差があるし)
ある程度は分かっているつもりです。
なるべく矛盾が起こらないように双方(或いは他の史書)を比較して、
無難な線を適用して作ってたんですが、
上記の大国主と事代主のところでつまずいてしまったもので。

526 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 05:08:08
質問させて下さい。
スレ違いかもしれないのですが…

京都にある龍谷大学の史学科国史学専攻の
坂元義種先生が今年度で退官するようなのですが、
空いたポストの後任はどのような人に決まったのでしょうか?
夏に古代史専門の人を対象に大学が公募していたのですが、
誰に決まったのか気になります。
坂元先生は古代史専門で、倭の五王についてなどの研究で有名みたいです。
どなたか後任の教授の噂などでも構いませんので、
ご存知の方いらっしゃいましたら教えて下さい。
長文、携帯から失礼しました…

527 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 12:26:13
世の中の「老舗」と言われる店の創始が江戸後期・幕末〜明治期に集中しているのはなぜでしょうか?維新によってより自由度が高まったからですか?
商人が力をつけてきたと言われる江戸中期からの開業でも数少なくなりますし、江戸初期以前から続く店などほとんど聞いたことがありません。
日本では老舗といってもせいぜい100〜150年くらいですが、ヨーロッパでは2〜300年続いている店も珍しくはありません。
商業文化、社会制度など何が違うのでしょうか?

528 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 12:36:58
江戸初期からの老舗はいろいろあると思うが。
日本最古のゼネコンは飛鳥時代

529 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 12:42:10
>>527
裏づけを問われると困るけど、天保期に各藩の財政行き詰まりで踏み倒された
商家が多かったんじゃあるまいか。後はまた別の商家が各藩の産業振興で
出て来た。明治に入って武士は自分で食うため商売を始めた。百姓も年貢が
金納になってやってられなくて都市へ出てボテ振り→店を始めた。

530 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 15:21:40
>>527
つ三越

日本は優秀な男を婿として跡継ぎにしたのでむしろ老舗が続きやすかったと
聞いたことがある。

531 :日本@名無しさん:2006/12/20(水) 15:37:32
都市国家だらけだった欧州と比べられても。
菓子や醸造の店などは江戸にはたいした店が無かったし・・・



532 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 19:41:04
初期の豪商は元禄期を境に大名貸で結構潰れているからね
地方の商人が江戸へ出店するのは、それ以降が多いし

>>531
それ30年前くらいの都市史研究

533 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 20:01:20
>>532
ということはやはり江戸中期以前の店は経済不況でほとんどアウト?
しかし豪商ならぬ零細商店なんかはどうだろう。
規模が小さいぶんだけ社会経済のあおりを受けにくいと思うのだが。
単に跡継ぎがいなくなってしまったからか。豪商のように養子を簡単にとれなかったのか。

地方の商人が江戸に出店するのが元禄以降というのは
それまではそれだけの基盤を作ることができなかったってことなのかな?

534 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 20:12:21
廃藩置県で大名貸しが全部チャラになったからそれまでの既得権益のほとんどがなくなったのかも。

535 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 20:44:42
んーでも文化文政年間の老舗って多くない?
てか京都でも老舗っていうと大体これくらいの時代からが多いと思うんだが…

536 :日本@名無しさん:2006/12/20(水) 20:50:01
つ 【寛政の改革】

537 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 21:22:02
「伍」の旗印は誰?

538 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 22:59:06
>>537
家康・秀忠などの使番

>>527
>ヨーロッパでは2〜300年続いている店も珍しくはありません。
念頭にある業種や店名を明示すべきでは?質問が漠然としていると回答も曖昧になります。

>江戸中期からの開業でも数少なくなりますし、江戸初期以前から続く店などほとんど聞いたことがありません。
三井・住友・鴻池などがメジャーどころでしょうか。

徳川政権初期に所謂豪商の断絶が顕著であったと言う事実はあります。
『朱印船貿易史の研究』で岩生氏は朱印船貿易の中止と幕府の統制で大多数の豪商の命脈が断たれたと指摘しております。


539 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 03:46:56
命脈を絶たれた豪商は
復讐を謀ったりしなかったのだろうか?
されるがまま?

540 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 12:45:25
豪商は命脈を絶たれたというのは分かるけど、
老舗によくある菓子司なんかは19世紀以降がほとんどかと思うが、
これなんかは規模が小さくて継続するのが難しかったということかしら。


541 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 13:09:46
カステラで有名なmサ屋の創業は寛永元年(1624)のようです

542 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 13:21:53
なるほど。しかしそれは南蛮菓子という特性だからかな。

543 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 13:26:26
では塩瀬総本家
創業が貞和5年(1349)とのこと

544 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 15:03:44
京都でも江戸時代以前から続いている和菓子屋が少ないのは確か。
塩瀬饅頭、虎屋饅頭が古典的な饅頭の二大潮流なので、
この後継だと主張している店は実は少なくない。今の虎屋もその1つだわな。

江戸時代以前から存在していることがほぼ確実で今でもそのまま続いている大規模なところとなると、
練羊羹を開発したとされる駿河屋が有名だわな。
http://www.souhonke-surugaya.co.jp/
練羊羹発明については異論もあるようだけど、前述の虎屋は駿河屋説(京都説)を取る立場。
虎屋は和菓子史の研究員まで抱えているそうだから、詳しく知りたければ当たってみれば。

545 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 20:30:11
ルイ・ヴィトンとかエルメスとかぐぐってみるとそんなに古くないね。
越後屋とか立派なもんだ。

546 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 20:34:08
時代劇のイメージの

お主も悪よのう、越後屋・・・
いやいや御代官様には負けまする・・・
ウワァ〜ッハッハッハ

の越後屋が三越なのかい?

547 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 21:50:36
越後屋呉服店が後の三井財閥なのはそうだけど、
そういえば時代劇の悪徳商人と言えば越後屋というイメージはどこから来てるのだろう。

548 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 21:51:32
越後屋が行った具体的な「悪」
・現金販売
・店頭販売
・反物の切り売り
この程度のことをしただけで、何百年も後まで
「お主も悪よのう」と言われ続けるのは切ない。

549 :国境なき回答団 ◆BoIu6Ei.Mg :2006/12/21(木) 22:32:30
>・現金販売  ・店頭販売

何が悪いの? (′・_・`)

550 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 23:30:05
>>549
だから>>548さんは、それを「この程度」と言っているようですよ。
ただし、当時の価値観からすれば、掛け値の駆け引きや情実を否定する
やり方は、ある種のネガティブなものと受け止められた可能性はあるね。

551 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 00:31:11
権力と結びついて悪いことをするとしたら材木問屋だろう?
呉服問屋が権力者に媚売るとしたら大奥ご用達くらい?


552 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 01:18:42
>>551
お上が関係すると、どんな業界も悪い事をするし、巨万の富を抱く事になる。
呉服問屋が権力者に媚をうるとしたら大奥御用達くらい?というが、
男だって着物を着るし、実際今の世の中で、材木と着物の利益率をちょっと
調べてみろ。あまりの違いにびっくりするぞ?w
しかも着物は日常的に着ている物だから、いくら火事が多くてしょっちゅう新築
がでてたらしい江戸での材木なんかより買われる頻度が高いわけだし、金額も
かなりのものだろう。
材木問屋だけを悪にするなと、家業が材木問屋の俺がいってみるw

553 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 07:02:42
中浦ジュリアンは、日本にもどってきてから厳しい取締の中で、どうして宣教したんですか?

554 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 08:40:03
>>552
いえね、おたくの家業がどうのこうのって気はあっしには金輪際ないんでさ。
当時の公共事業てのはコンクリートがあるでなし、重機があるでなし、
やっぱ、金の大半は材木問屋に行くようなってたんでさー。
どうしたって公共事業は業者と役人との癒着てのがあるんでさ、
今も昔も変わんないってだけですよ。
まあ、昔材木問屋、今は土木屋ってとこですかね。
昔は紀伊国屋文左衛門みたいな巨万の富を得た材木問屋もあったんですがね。
今じゃあ、おっしゃるとおり値切るに値切られてそりゃあ可哀想なもんです。
それじゃあ、あっしはすれ違いとか言われる前にドロンさせていただきやす。


555 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 11:26:48
>>551
あと廻船問屋な

556 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 17:00:36
>>昔は紀伊国屋文左衛門みたいな巨万の富を得た材木問屋もあったんですがね。

どっちかっていうと、紀伊国屋はみかん相場とかで儲けてたイメージがあるなぁ。

557 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 18:02:24
>>556
メインは材木

558 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 18:13:39
>>552
マジレスすると普段着=木綿・麻織物は呉服屋の仕事じゃないよ太物屋ね。

559 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 21:57:27
>>558
マジレスっていうか、いわゆる倹約令が出されないと幕府重臣くらいだと絹の着物きてたんじゃないのか?

560 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 22:13:10
>>559
>>552の文脈からすると幕府重臣が絹織物を着る着ないは関係ないと思うが。

561 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 22:53:33
歴代の彦根藩藩主は掃部頭を名乗ってますが、掃部っていうのは元々はどんな役職だったんですか?

562 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 22:53:52
>>560
>>551
呉服問屋がお上と結託することはせいぜい大奥だろうっ。

>>552
当時のお上とからむとどんな悪どいこともするだろうし、着るものは男だって必要なはずで、高い着物を売る特権と
いう意味では利権は絡むだろうといい。

>>558
木綿・麻織物は太物屋だろ?と男の着るものの素材限定。

>>559
男でも幕府重臣は絹の着物着てただろう。

別に流れは間違ってないだろ。

563 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 22:55:50
江戸はね、火事が多かったから材木屋ってのは買占めなんかで
相当な利益を上げられるような社会構造になってたわけだね。
だから政治権力とも密接になりやすかったと。
そこで不正をするかどうかは別問題として。

564 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 22:56:13
>>561
掃部頭・・・

その名の通り、掃除係です。


565 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 22:59:14
>>563
そりゃそうだけど、いわゆる木材問屋の代名詞として>>556の紀伊国屋なんて火事で破産してるしなぁ・・・。
どういう構造だったのか、いまいちピンとこないんだけど。
どなたか詳しい人教えてw


566 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 23:03:24
>>562

>>552は着物=呉服屋という勘違いから日常的に(みんなが)着る着物と材木とでは金がさが桁違いと言っているんでしょ。
だから極一部の人である幕府重臣が絹織物を着ても関係ないとレスした。

567 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 23:05:18
>>566
しかし、常識的に見て、流れを見れば、庶民が着る着物ととは言ってないとは分かるんじゃないの?
だって悪徳代官と組む悪徳商人って流れでそ?

568 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 23:12:31
>>567

>しかも着物は日常的に着ている物だから、いくら火事が多くてしょっちゅう新築
がでてたらしい江戸での材木なんかより買われる頻度が高いわけだし、金額も
かなりのものだろう。

ここの部分からそう判断したんだよ

569 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 23:31:12
>>564 彦根二十万石のお殿様が名前だけとはいえ、掃除係とはorz

570 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 23:33:26
>>568
だから、>>552>>551にレス番つけてレス書いてあるんだから、
前後の流れ見ないと意図が分かるはずがないじゃんと・・・・。
まぁ、早合点しちゃったわけだよね。スレとは関係ないからもうやめます。。。。

571 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 23:43:13
>>570
おまいの理解力のなさに失望した。俺もこれ以上話すつもりはない

572 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 00:22:00
>>569
縫殿頭=裁縫係
内膳正=給食係
采女正=メイド長

なんてのもあるから気にすんな。

573 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 00:29:13
日本史版住人から見てたそがれ清兵衛ってどうよ?

574 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 01:50:26
>>569
井伊家は、家康が遠江を支配した頃から徳川傘下に入った割と新参者。
所謂三河譜代ではないです。上司格の酒井が雅楽助(うたのすけ)を
名乗っていて、徳川の台頭に伴って雅楽頭になった(これはちゃんと
任官)関係で、それを超えるような役職にはなれないでしょう。
江戸幕府では、共に大老格ですが、酒井は雅楽頭、井伊は掃部頭。で
も、伊豆守とか相模守とか(老中格)と比較した場合、地方ではなく
中央の役職という事で格上だという認識だったようですよ。
まぁ、>>572さん風の解説では、おはやし係、そうじ係になってしまい
ますが。
でも、尊王思想が高まった幕末では、伊東甲子太郎などは御陵衛士に
なって大喜び、ですが、衛士は律令では最下位クラスでしょうね。

575 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 10:01:41
>>573
テレビドラマ板へ行け。そして帰ってくんな。

576 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 10:05:43
>>574
万葉集に出てくる防人と同レベルなの?>伊東甲子太郎
近藤勇は若年寄格まで出世したけど、律令には無い役なので、
どんな下っ端でも役をもらってるだけ尊皇思想的には伊東のほうが上、
ということでしょうか。

577 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 11:39:33
古神道その他いろいろ2 他山の石  より
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1160815450/
821 :太国 :2006/10/09(月) 07:59:17
余も「神道体系」が欲しかったが、あまりにも高額となるのであきらめていた。
最初から最後まで完読は容易ではないだろうから、図書館等で見つけて必要個所
を読めば足りると考えた。当然大学の神道関係の部署ではあるはずだな。w
無理はしないことですな。それは入手可能な財力あれば購入を否定しないけど。

822 :名無しさん@京都板じゃないよ :2006/10/09(月) 09:54:00
古神道の最高権威太国様は神道体系も持ってないの?
                 
「古事記・日本書紀」総合スレ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1150629621/
186 :太国 :2006/09/23(土) 22:14:36
精一杯だと?w 笑わせるな。 余が古神道の最高権威だぞ。
余が臥海に崩れたら、臥海に神社界は面子が丸つぶれになるのだ。
そうはならんぞ。
これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから
有り難く思え。
二朝並立は、おおむね祟神の時代から文武の時代までの間だ。その間は
畿内の朝廷と九州王朝は並立にあったのだ。

824 :太国 :2006/10/09(月) 14:35:09
>>822
神道と古神道は違うんだよ。古神道の最高権威とは、最高機密『卜』を確実に
知悉することなのだ。そんなの持ってたって学者にはなれようが、こいつは
分かりはしないと想うぞ。余は神道のほうは権威者ではない。

QQQQQQQQQQQQ この人明らかな馬鹿ですよね! QQQQQQQQQQQQQ


578 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 13:35:10
>>576
防人より衛士の方が、まだ上でしょうか。
衛士は末端とはいえ、正社員(公務員?)ですが、防人はパートかアルバイ
ト、または嘱託職員のような位置づけでしょうね。
江戸時代なら、幕府の組織内で考えるか、朝廷内で考えるかで価値観は別に
なってしまうでしょうね。当初はある程度リンクしていましたし、政権の
安定を図るなら、その間の整合性(大老格と老中格で、律令の官職も格差を
設ける等)も図られたと思いますが、それが乱れてくると、整合性が取れて
いなかったり、むやみに乱発したりということになってしまったんだと思い
ます。
伊東甲子太郎の御陵衛士と近藤勇の若年寄格は、言ってみれば朝廷・幕府そ
れぞれの乱発の果ての結果であり、格の上下は言うだけ野暮、みたいな感じ
なのかも知れませんね。

579 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 14:16:59
>>577
そういうのは、初心者の質問とはみなされないでしょう。
内容については、何もコメント致しません。

580 :576:2006/12/23(土) 14:31:55
>>578
さんくすです!勉強になりました。

581 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 15:05:42
古神道その他いろいろ2 他山の石  より
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1160815450/
821 :太国 :2006/10/09(月) 07:59:17
余も「神道体系」が欲しかったが、あまりにも高額となるのであきらめていた。
最初から最後まで完読は容易ではないだろうから、図書館等で見つけて必要個所
を読めば足りると考えた。当然大学の神道関係の部署ではあるはずだな。w
無理はしないことですな。それは入手可能な財力あれば購入を否定しないけど。

822 :名無しさん@京都板じゃないよ :2006/10/09(月) 09:54:00
古神道の最高権威太国様は神道体系も持ってないの?
                 
「古事記・日本書紀」総合スレ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1150629621/
186 :太国 :2006/09/23(土) 22:14:36
精一杯だと?w 笑わせるな。 余が古神道の最高権威だぞ。
余が臥海に崩れたら、臥海に神社界は面子が丸つぶれになるのだ。
そうはならんぞ。
これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから
有り難く思え。
二朝並立は、おおむね祟神の時代から文武の時代までの間だ。その間は
畿内の朝廷と九州王朝は並立にあったのだ。

824 :太国 :2006/10/09(月) 14:35:09
>>822
神道と古神道は違うんだよ。古神道の最高権威とは、最高機密『卜』を確実に
知悉することなのだ。そんなの持ってたって学者にはなれようが、こいつは
分かりはしないと想うぞ。余は神道のほうは権威者ではない。

QQQQQQQQQQQQ この人明らかな馬鹿ですよね! QQQQQQQQQQQQQ

582 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 16:18:58
初心者の質問に答えるべき者は誰か、という問題があります。

初心者の質問には単純な内容が多い為、深く理解していない中級者であっても、関連雑誌や
関連サイトで聞きかじった断片的な知識を適当に結びつけて想像を交えて語りさえすれば、
回答らしい文章を返すことができる、という事実があります。私は必ずしもそのことが悪いとは
思いません。なぜなら、分野に限らず、人に物事を教えることは回答者自身が自分の断片的
な知識を再整理し理解を深めるための貴重な機会になるからです。

しかしながら、中級者が向上心をどこかに置き忘れ、初心者相手に単に自分の知識をひけら
かしていい顔をしたい、偉そうに振舞いたい、自尊心を満たしていい気分になりたいという動機
だけに陥って不正確な知識を振り回すことに羞恥心を覚えないようであれば、それは本人に
とっても不幸であるばかりでなく、誤った回答を押し付けられる質問者に対しても大変失礼な
行為であると言わざるをえません。ましてや自説を通すために他の正しい回答を寄せた者を
批判中傷するに至っては、論外というほかありません。

単刀直入に申し上げて、このスレはそのような状態になっていると感じます。このスレの回答者
を見ると、二流大学に一浪して合格した大学生が、家庭教師のアルバイトで中学生を相手に
ピタゴラスの定理を偉そうに教えているような哀れな雰囲気を感じます。

むかし暗記した「a^2+b^2=c^2」という公式をもったいぶって披露し、「先生すげえ!」と呼ばれて
鼻を高くしたのもつかの間、「でも、どうしてそうなるの?」と証明を求められた瞬間、内容の理解
も背景の論理も身に着けていないので、「定理の証明は君には難しい」とか「定理はツールなん
だから問題を解くのに使いこなせるかどうかの方が重要」などと言い訳をして誤魔化すのです。

583 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 16:26:41
>>581
ここにすみついて馬鹿レスばかりしている人の、
一つのコテですね。
不思議な程不用意な発言が多いので、
実生活でも可哀相な事でしょう。
殆どのスレに彼がいると思って間違いありませんよ。
気を付けてください。

584 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 17:01:54
>>581
・・・・だから?
何か要望があれば、謙虚にお願いすれば良いだけの話。
べき論を振り回すな。しかも結論も書いていない長文は質問者にとっても
回答者にとっても何のメリットもない。

で、結論は出ている。答えるべき者は誰でも良い。質問する人はそれが
分かって書いている訳で、あとは答を見て考えればよい。
それでも情報として不十分だと考えれば「スレ」を立てれば良いだろう。
このスレの主旨を理解してから、使用していただけたらと思う。

585 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 17:10:35
>>581
ワロタ

もう一度、>>1から読んで、出直せ。

586 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 17:27:09
>これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから
>有り難く思え。
何もいえないよw

587 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 20:10:46
>>586
ばか

588 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 21:33:37
10 :日本@名無史さん :2006/12/23(土) 21:09:29
太国さんはどんな役職についてるの?
11 :日本@名無史さん :2006/12/23(土) 21:26:08
>>10
ニートだよw

     貴方のファンですこれは本当ですか?

589 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 00:31:34
>>567
なんかよく分からんが、余程下っ端でなければ武士の公務に用いる衣装は絹だろう。
幕府の倹約令において武士の場合は金銀などのオプション部分の禁止がメインで絹着用を禁じた法令など出たケースはない。
真綿から作った紬までを絹に加えた場合、絹が着れないのは本百姓の男性以下(名主や本百姓女性は紬までなら可能)。

590 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 00:36:30
古神道その他いろいろ2 他山の石  より
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1160815450/
821 :太国 :2006/10/09(月) 07:59:17
余も「神道体系」が欲しかったが、あまりにも高額となるのであきらめていた。
最初から最後まで完読は容易ではないだろうから、図書館等で見つけて必要個所
を読めば足りると考えた。当然大学の神道関係の部署ではあるはずだな。w
無理はしないことですな。それは入手可能な財力あれば購入を否定しないけど。

822 :名無しさん@京都板じゃないよ :2006/10/09(月) 09:54:00
古神道の最高権威太国様は神道体系も持ってないの?
                 
「古事記・日本書紀」総合スレ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1150629621/
186 :太国 :2006/09/23(土) 22:14:36
精一杯だと?w 笑わせるな。 余が古神道の最高権威だぞ。
余が臥海に崩れたら、臥海に神社界は面子が丸つぶれになるのだ。
そうはならんぞ。
これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから
有り難く思え。
二朝並立は、おおむね祟神の時代から文武の時代までの間だ。その間は
畿内の朝廷と九州王朝は並立にあったのだ。

824 :太国 :2006/10/09(月) 14:35:09
>>822
神道と古神道は違うんだよ。古神道の最高権威とは、最高機密『卜』を確実に
知悉することなのだ。そんなの持ってたって学者にはなれようが、こいつは
分かりはしないと想うぞ。余は神道のほうは権威者ではない。

QQQQQQQQQQQQ この人明らかな馬鹿ですよね! QQQQQQQQQQQQQ


591 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 00:44:53
>>582
俺もそう思う、思うんだが。
ここで長文書いている人だと思うだけど、
そうやって長文で書いてるお前がどれほどのことを書いているかと
自省したことは無いのか?
それこそお前の言ってる非難している奴と同一だとは思わないのか?


592 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 01:14:16
>>592

数ヶ月前から彼方此方で貼られているコピペ
某カテゴリーでは全ての板の質問スレに此処二日程のあいだに連鎖して貼られていたのは面白かったw
その板固有のネタがふられていたからね
ああいう専門性と書き手のセンスが感じられるコピペは良いと思う

593 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 01:18:04
なるほど。こういうコピペは書き手のセンスが感じられるね。

592 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2006/12/24(日) 01:14:16
>>592

594 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 12:31:39
>>591
私はしばしば回答が長文になってしまう者ですが、>>582は私が書いたもの
ではありません。ここは、スレ立てる前に質問をしてもらうことで、スレ
立て乱発を防止しようというのが主旨でしょうから、論議になる前に収束
するようなら、それでよし。論議が発生するなら、ここではなく、別スレ
立てて、そこでやる、というような流れが相応しいと思います。
私も、回答者は誰でも良いと思います。2ちゃんですから。

595 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 13:16:56
>>594
>>582と長文でよく書いてる奴って似てるんだよなぁ。
たとえ話を書き出すところとかw
まぁ本人が違うと言ってるんだから違うんだろうけどw

596 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 14:58:45
すいません。

日本は昔、夜這いが日常的に行われて、性に対しておおらかだったらしいですが、
結婚している女性を夜這いした場合、避妊はしてたんでしょうか?

それとも夜這いしてよその子を身ごもった場合、それはそれとして出産してたんですか?

また、避妊する場合も、コンドームとかはなかったんですよね?
避妊はどういうやり方が一般的だったんでしょうか?

597 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 17:12:20
ウィリアム・アダムスとヤン・ヨーステンって帰化しましたか?

598 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 17:23:32
何を持って帰化と呼ぶかにもよるけど、
三浦姓とか貰って日本に住んでるからそう言ってもいいんじゃないかと。

599 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 17:45:04
>余が古神道の最高権威だぞ。
>余が臥海に崩れたら、臥海に神社界は面子が丸つぶれになるのだ。
太国さんは何を言いたいのでしょうか?

600 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 18:22:35
>>597
>>598さんの言う通りなんですが、「帰化」という言葉の「帰」という
語に問題を感じる場合がありますね。

それは「帰順」という言葉があるように、屈するというニュアンス
をどう考えるか。
更には、「帰る」という意味の中に「本来的でないものから、本来
あるべきものの中に入る」という部分があること。
それにより、日本史の認識として、かつて「帰化人」と書いていた
ものを「渡来人」と改めた経緯があります。
現代の法的手続きとして「帰化」というものがありますが、その場
合は建前としてそのようなニュアンスは含まれていないとされてい
ます。
現代の「帰化手続き」に近い意味ならば、両名は帰化した、という
表現でも良いかも知れませんね。また「渡来人」という表現は、日
本史においては、古代の場合を指すことが多いようですから。

601 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 22:00:22
「荘園」とは一体何なのでしょう。
特に寄進地系荘園が盛んになる時代のころについて聞きたいのですが・・・・

開発領主が寺社に寄進したら荘園、寄進せずにいたら国衙領なのですか?

602 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 18:03:59
ようするに税金のかからない私有地。
建前は土地はすべて国家のものだったからね。
治外法権みたいなもんだ。

603 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 21:19:41
<お願い>
 ・常時age進行でお願いします。

604 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 04:32:51
「昭和天皇はマ元帥に命乞いをした」という書き込みを見かけるのですが、この情報の出所は何処なのでしょうか?

605 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 06:28:25
昭和天皇をどうしても戦争犯罪人にしたい人の脳内ソース

606 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 09:19:39
>>596
夜這いについては知らないが、コンドームは無かった。
当時は馬の腸とか豚の膀胱とかを代用してたみたい。
もともとコンドームは避妊をするために使ってたんではなく、上記のような分厚いものを装着し、性行為の時間を延ばすために付けていた。

607 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 10:04:40
昭和天皇は自分を処刑してくれ、だから他の人間は許してくれと言ったんだよ。

マッカーサーはそれで許したw
ユダヤ人だから天皇殺すの恐れていたという話もあるね。


608 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 11:00:51
それはねえべな。アメリカが対日戦した直後、天皇の戦後利用を立案してるやんけ。

609 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 11:05:44
>>601
こういうことではないか

奈良時代の口分田→課税対象→公領
その後、開墾した荘園→課税対象→公領

有力者に寄進して租税免除された荘園→私領

610 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 15:44:33
>>596 専用スレがある
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/min/1000638262/l50


611 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 15:50:22
>>601
ttp://www.tamagawa.ac.jp/sisetu/kyouken/kamakura/syouen/syou-el1.html
#荘園ってなあに?
用語が分かっていればぐぐった方が早い。

612 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 16:49:21
>>607
マッカーサーってユダヤ人だっけ?ソースキボン

613 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 18:57:42
>>604
米田建三という元衆議院議員が酔った勢いで言っちまったらしい。
タカ派でならしていたのになにを血迷ったのか?
http://www.yoneda.ne.jp/
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%B3%E7%94%B0%E5%BB%BA%E4%B8%89


614 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 09:02:00
木曜日のTVで、信長の本能寺の変についてやってたんだが、それについて、
どこかで議論してるスレを紹介してください。

615 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 17:02:26
質問です。
坂本龍馬の肖像(この板もモナーがやってくれてますがw)、これは羽織でも
裃でもないのに桔梗の紋所が打ってあります。
俗に「紋服」というように、それ以外の場合では紋所は打っていないのが普通
ではと思うのですが、どうなんでしょう?

坂本龍馬の場合、特別に紋服でないのに紋所を打ったものを特別に作っていた
のか、幕末ではありがちなことだったのか、紋服でなくても、割とザラにあっ
たことなのか、ご存知の方、いらっしゃいましたら、教えてください。


616 :ちょっと気になりました:2007/01/02(火) 18:06:40
初心者です。質問させてください。
時代劇などで、武士の剣道場のような場所に
神様の名前が書いてある掛け軸のようなものが3プクあるのをみます。

あれは
八幡大明神
八幡大菩薩
香取大明神(?)
と書いてあるのでしょうか?
たしか真ん中が八幡大明神のように見えたのですが
それで よろしいのでしょうか?



617 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 21:36:18
戦国時代の各地の大名の体制は大名領国制だと聞きますが
その後、戦国時代後半から安土桃山時代にかけて
織田信長や豊臣秀吉は、今までの政治体制を大きく変えたと聞くんですが
その二人の敷いた体制はどういう名前なんでしょうか?
お願いします。

618 :日本@名無しさん:2007/01/02(火) 21:46:47
>>616
普通は真ん中に「天照皇大神宮」じゃないですか?
次に「八幡大菩薩」。それから「香取(または鹿島)大明神」の順かと。

619 :ちょっと気になりました:2007/01/03(水) 04:53:05
>>618
回答ありがとうございます。
「天照皇大神宮」でしたか。
「八幡」が二つあるのはどうしてなんだろう、とか
その二つはどう違うんだろう、なども疑問だったのですが
そもそも私の見まちがいだったのですね。

教えて頂いた名前から、少し調べてみたいと思います。
ありがとうございました。

620 :ちょっと気になりました:2007/01/03(水) 04:55:16
>>618
回答ありがとうございます。
「天照皇大神宮」でしたか。
「八幡」が二つあるのはどうしてなんだろう、とか
その二つはどう違うんだろう、なども疑問だったのですが
そもそも私の見まちがいだったのですね。

教えて頂いた名前から、少し調べてみたいと思います。
ありがとうございました。

621 :日本@名無史さん:2007/01/03(水) 12:44:58
>>596
遊女は和紙とかを膣の奥につめて避妊してたって話は聞いた事があるよ

622 :日本@名無史さん:2007/01/03(水) 23:22:45
質問させてください。
秀吉軍が備中高松城を水攻めしていた時、城の西には毛利軍が既に到達していたと聞きました。
しかし、高松城を間に挟んで両群にらみ合っている間に高松城落城。

毛利軍が高松城が粘っているうちに秀吉軍に対して大規模な攻撃をしなかったのはなぜでしょうか?

623 :日本@名無史さん:2007/01/04(木) 00:02:30
豚ってだれよ?

624 :日本@名無史さん:2007/01/04(木) 02:31:45
邪馬台国すれの人達は程度が低くすぎませんか?
やっぱり自作なのでしょうか?

625 :日本@名無史さん:2007/01/04(木) 02:42:02
うちの弟が「秀吉の墨俣一夜城の話は嘘」と言い張っているのですが実際どうなんでしょう?

626 :日本@名無史さん:2007/01/04(木) 07:01:31
中津藩の小笠原長胤が元禄十一年に改易されたのは有名な話ですが、
その原因は寵臣を筆頭家老に任命したために家政が治まらなくなったせいだ
と言われて居ます。
この筆頭家老に任命された寵臣は、たしか秋元とかいう名字の人物だった
かと記憶して居りますが、うろ覚えで定かではありません。
この寵臣の正しい姓名などの情報に関して御教示下さい。
何とぞ宜しく御願い申し上げます。



627 :日本@名無史さん:2007/01/04(木) 07:13:44
実際はどうかと聞かれたらタイムマシンで見に行けという話になるけど、
「嘘か本当か」という二元論じゃなくて、史料にあたっていくしかないからな。

で、一夜で城を作ったという話は後世になって物語的に登場したのが初出で、
同時代の記録にそのような記述はない。これを以って嘘と断定することは不可能だが、
限られた史料と状況を考えて一夜で築城した、という事実はないとみえる。
短期間で築城した話が誇張されたのだろう。



628 :日本@名無史さん:2007/01/04(木) 10:49:51
>>622
司馬両太郎の新史太閤記の話でなんだけど
高松城の水攻めのための堀に櫓や柵を作って、前線陣地のようにしていたと書いてるから
秀吉本陣→高松城→堀と秀吉軍の前線陣地→毛利軍
の形だったと思う

629 :日本@名無史さん:2007/01/04(木) 11:35:42
>>623
太国

630 :日本@名無しさん:2007/01/04(木) 12:51:44
>>615
「紋服でなくてもよくやっていたこと。特に幕末は」が正解。

江戸時代も下がると、服に限らずそこいらの小物でも家紋は使われていました。
しかもおおよそ名族とは縁の無い遊女や噺家でも、平気で何でも使っていました。
要するに、この頃の家紋は特別なものでも何でもなく只のアートになっていたのです。
ちなみに、お墓に家紋を入れる習慣ができたのは明治の頃からです
古いお墓にはないでしょう?

あの服も、ちょっと寒いからとかちょっと格好をつけるかといった感じで人様のを
拝借したり、あるいは写真館(で撮ったのかどうか覚えていませんが)にあった
貸衣装の類だったのかもしれません。


631 :日本@名無しさん:2007/01/04(木) 13:12:02
>>619-620
武芸の道場がまつる神様は、基本的に鹿島さまか香取さまです。
一社だけまつるなら、どちらかです。武芸の道統がそうなっているからです。
三社なら、必ず天照皇大神宮(つまりアマテラスオオミカミ)が上になります。

なぜかというと、鹿島さま(タケミカヅチノカミ)と香取さま(フツヌシノオオカミ)は
出雲征伐の為にアマテラスオオミカミが任じた、神界の「征夷将軍」だからです。

ちなみに鹿島・香取神宮はいづれも関東にありますが、これは朝廷の
蝦夷征伐における最前線基地(に置くべき神様)という位置づけがあった
からだといわれています。

632 :日本@名無史さん:2007/01/04(木) 13:36:38
>>625
一夜城は誇張された、後の講談などの話だから、当時実際に一夜城ができたかは
Noという答えになる。
当時の資料を見ると、どうやら墨俣の敵方の砦を奪取して、それを補修して
再利用したというのが、一番有力らしい。
その指揮にあたったのは、秀吉ではなく、信長自身であったという事も分かってきている。

633 :日本@名無史さん:2007/01/04(木) 17:12:19
しかしずっと書き込めなかったけど何だったんだ?

634 :日本@名無史さん:2007/01/04(木) 17:20:01
信長の焼き討ちの際に女(遊女?)が比叡山にいたということなんですが
実際比叡山の僧達はどれくらい堕落して乱れてたんでしょうか?
当時の世相としてそんな比叡山でも尊敬を集めていたのでしょうか?

635 :622:2007/01/04(木) 21:08:57
>>628 レスありがとうございます。秀吉軍は本陣と毛利軍との間に陣地を構築していたとは。
うーん。陣地を構築されてしまっては、毛利軍も損害を恐れて攻撃しにくいですね。


636 :日本@名無史さん:2007/01/04(木) 21:57:59
いや、毛利と秀吉は足守川をはさんで直接対峙する形になっていた。
高松城は完全に水没していて戦える状態にはなく、城兵の支援は期待できない。
戦力的に、秀吉とのガチンコ勝負で勝てるかどうかも分からないかった上に、
秀吉の求めに応じて信長が直接援軍に来るという情報もあって動くに動けなかった。
というところらしい。

こんなかんじ
http://www2.sanmedia.or.jp/xplus/kensyou/bittyu.htm

637 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 10:38:16
>>623
正しくは
ニートの太国

638 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 15:32:30
古田さんの邪馬台国は福岡にあったの?

639 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 16:16:35
>>638
吉野ヶ里遺跡が発見された折に
「こここそ邪馬台国なんじゃあああああ!」
と断定口調のコメントしていたのを新聞で読んだ覚えがある。
うろ覚えだが。

640 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 17:27:18
太国さんは毎日正月なの?

641 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 18:07:50
そんな言い方しなくたっていいじゃん。

642 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 23:05:48
>>641
さてどういえばよろしいのでしょうか?
例えば
毎日暇なの?
毎日馬鹿なの?
とかご希望の言い方がありましたら、
ずずずいとお申し付け下さい。
どうぞ宜しくお願い致します。

643 :622:2007/01/06(土) 09:52:05
>>636 ありがとうございます。紹介していただいたサイト見てきました。すごく分かりやすかったです。


644 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 12:30:23

日本史板の常識

コテ=馬鹿

これは本当でつか?

645 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 14:40:06
>>644
残念ながら現在そのようですね。

646 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 16:46:30
>>644
にんにく臭気太国最高権威は、
別コテしててもにんにく臭、
バレバレバレバレバレバレ・・・・・です

647 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 17:55:15
学校の先生に質問してもよくわからなかったので、質問させてください。
「〇〇の変」や「〇〇の役」などの「変」「役」「乱」という言葉についてです。

出来事の内容によって使い分けていると思うのですが、それぞれどのような定義なのでしょうか?
教えていただけないでしょうか。
まとめてあるサイトなどあれば、教えていただきたいです。

私のイメージではこのように考えています。
 ●「〜の戦い」「〜の合戦」・・・ある場所で行われた戦い。「関ヶ原の戦い」など。
 ●「乱」・・・いくつかの戦いの総称。現在の「戦争」と同意。「壬申の乱」「応仁の乱」など。
 ●「変」・・・戦いまでには至らない、騒動、事件のたぐい。「正中の変」「本能寺の変」など。
 ●「役」・・・日本国外での戦い、日本人以外との戦い?。「文永・弘安の役」「文禄・慶長の役」など。

ですが、合点のいかない名前もあります。
出来事に正式名称がある訳でもないだろうし、歴史の解釈の仕方によって名前が違う場合もあると思うのですが、
そもそもの定義がわからないので混乱してしまうのです。
 ●「白村江の戦い」→「白村江の役」ではないのか。
 ●「前九年の合戦」→「前九年の乱」または「前九年の役」ではないのか。
 ●「観応の擾乱」→「観応の変」ではいけないのか。
 ●「嘉吉の乱」→将軍暗殺の「変」につづく、赤松氏討伐の「合戦」又は「乱」ではないのか。
         これはそれらをまとめて「乱」と名づけているのかもしれませんが・・・

お手数ですが教えていただきたいです。
よろしくお願いします。



648 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 18:38:19
相当前にヤフで見たな。この話題のトピック。

649 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 01:32:27
にんにく臭気太国最高権威は、
なぜあんなにえばっているの?


650 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 07:05:11
江戸時代の日本と李氏朝鮮は国交があったのに、どうして
江華島事件を起こさなければならなくなったのですか?

651 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 10:49:33
>>649
太国は馬鹿だからえばってるんだよ

652 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 13:40:54
平安遷都の詔の全文ってどこかで読めますか。

653 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 13:49:16
>>650
江戸時代の日本=平和国家
明治時代の日本=侵略国家
ということです。

654 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 15:50:18
>>650
「ヘイ!ジャップ、オセロやろうぜ!」とヤンキー野郎に言われて
盤を見たら、既にほとんど白で埋まってた。

「これはあんまりです。黄色が1個しかありません」と言うと隣の紳士が答えた。
「あそこの酔っ払いのコサック野郎と喧嘩して勝ったら3個をひっくり返して
黄色にしてやろう」ヤンキーと紳士はニヤニヤ笑った。

死ぬ気で喧嘩してようやく勝った。黄色は3個増えたが、ヤンキーとコサックは
滅茶苦茶こっちを睨んでた。ヤンキー野郎のニヤニヤ笑いは既に消えていた。
しかしゲルマン野郎が馬鹿みたいに暴れてくれたおかげでまた黄色が増えた。

調子にのって周りもひっくり返して黄色を増やそうとしたらヤンキー野郎に見つかった。
「ヘイ!ジャップ!てめー、それ戻せ。黄色1個に戻せ。戻さねえとこうだぞ。」
4人がかりで鼻と口を塞がれた。苦しかった。

もうさすがにヤバイと思ってヤンキーの顔面に痛烈な不意打ちパンチを喰らわした。
「ジャップめ!卑怯だぞ!」隙だらけだったくせにヤンキーが馬鹿みたいに叫んだ。
結局ボコボコにされたが、ヤンキーは妙に優しくなった。別人みたいだった。

ボロボロだったが、ヤンキーと酔っ払いが喧嘩してる隙に頑張って金を稼いだ。
気が付いたらヤンキーの次に金持ちになってた。
紳士は皮肉を言い、酔っ払いが愚痴をこぼしたがどうということはなかった。
ヤンキーは優しかったが他所では相変わらず威張り散らして喧嘩ばかりしていた。
ターバン野郎がヤンキーを強盗よばわりして滅茶苦茶怒ってた。

みんな大変だけど僕は金持ちだし喧嘩しなくていいから幸せだなあと思った。

655 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 16:59:33
>>650
日本の政治体制が変わったので天皇の名で国書を持っていったら、相手が
「”皇”とか”勅”の字は中国皇帝のみに使用が許された文字です。このような国書は受け取れません」
と断ってきたのが発端。

656 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 21:09:16
>>654
わかりにくい質問の仕方でした。ごめんなさい。明治時代に
入ったと思ったら、どうしていつの間にか朝鮮と断交しちゃってるのかが疑問でした。
しかし擬人化で説明されると当時の状況がとてもわかりやすかったです!ありがとうございました。

>>655
華夷秩序に起因したということですね。解決しました。ありがとうございました。

657 :日本@名無しさん:2007/01/07(日) 23:44:08
>>647
仰るように、任意の戦乱をこう呼ぶのは立場によって違うし時代によっても変わる。
「認識」の違いで適当に呼ばれているといっていいだろう。

「役」…これは民を肉体労働に使うという意味。「賦役」「使役」「戦役」など。
    民(兵)が動員されるということだから、大規模な戦闘行為である。
    体制(政府)とその外にある勢力とが民(兵)を動員して戦うという意味であって、
    必ずしも外国との戦いであるとは限らない。(例:前九年/後三年の役)

「変」…これは体制(政府)の権力者が殺害・追放・交替するか、しそうになるイベント
    一般と捉えるといい。「クーデター」「レジームチェンジ」という概念もこれに含まれる。
    突然のこと、不意のことという意味もある。「政変」「事変」など。
    いわゆる戦闘行為があるとは限らない。
    ごく小規模の戦闘(つまりテロ)であったり、あるいはないこともある。

「乱」…これは変と似ているが、争う当事者たちが共に相応の正統性や力を
    持っていることと、真の体制(政府)の権力者は第三者的立場なことも多い。
    勝手に争い「乱れている」のだという傍観的概念。

658 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 00:49:08
>>647
>>657さんの分類はとても的確だと思います。
ただ「乱」というものと、それ以外では「結果」が大きく作用していると
も考えられます。
例えば、「本能寺の変」は明智光秀が織田信長を討つのに「成功」しま
した。もし「失敗」していれば、これは「明智光秀の乱」だったでしょう。
冠につける名称は、人物名(または人物の呼称)の場合と、元号や干支の
場合がありますが、人物名の場合は、乱を起こした「主犯」が際立ってい
る場合(中先代の乱等)で、そうでない場合や、>>657さんのいうように
正当性や当事者が明瞭でない場合が多いかと存じます(壬申の乱、明徳の乱、
応仁の乱等)。それは当時の人の意識や、後の人の位置づけや評価によると
ころが大きいので、見解が分かれたり、複数の呼び方があるものもあります。
(平将門・藤原純友の乱=承平・天慶の乱等)
ただし、当事者として天皇(上皇)が主犯格で失敗した場合は「変」という
評価になるようです(承久の変・正中の変・元弘の変)。承久の変については、
規模感や皇国史観的な観点を排除する為にから、後に「乱」というように変わ
りました。規模感や主観排除の観点により呼び名が見直されるのは、現代に入
ってからで、客観的な評価で変更しようとする主旨でしょう
(西南の役→西南戦争、日華事変→日中戦争)。


659 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 00:53:40
>>657
【役】
[字義]
セいくさ。戦争。
[解字]
会意。彳+殳。彳は、道を行くの意味。殳は、武器をもってうつの意味。辺地を守りに行くの意味を表す。転じて、つとめの意味を表す。

【変】
[字義]
タ思いがけない出来事。内乱や戦争など。

【乱】
[字義]
セみだれ。(ア)秩序がない。(イ)戦争。騒乱。(ウ)不作法。(エ)反乱。むほん。

以上、『漢語林』より

【役】には、元々辺地での戦争を意味していたが、広く戦争一般を意味するようになったみたい。
【変】には、内乱や戦争の意味があるけど、規模や期間は【乱】より小さく短い感じかな。特に、突発的な面を強調してるのかも。
【乱】には、反乱やむほんの意味が含まれる為、使う人により価値判断が出やすいですね。

660 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 01:00:22
応天門の変

661 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 01:49:45
応天門の変は、内裏の門が放火されたわけで、最初はテロやクーデタ未遂だと思われて変と呼んだんじゃないのかな。
実際は偽装テロで、陰謀渦巻く政治事件だけどね。

662 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 13:04:50
あの思考能力の無い馬鹿から質問されても、
返事した方がいいんですか?

663 :647:2007/01/08(月) 14:57:54
>>657
>>658
ご丁寧に教えていただいてありがとうございます。
少し理解が進みました。
もっと自分でも勉強してみようと思います。
ありがとうございました。

664 :日本@名無しさん:2007/01/08(月) 15:11:29
>>658
「変」というのは、実権者やその支配体制がイベントの前後で全く「変わってしまった」、
あるいは「変えることが意図された」「もう少しで変わるところだった」という捉え方。

>ただし、当事者として天皇(上皇)が主犯格で失敗した場合は「変」という評価になるようです

上皇は重祚(復位)の有資格者ですから、事を起こせばこれはクーデターといえるでしょう。
また、上皇だからといって必ずしも実権を握っていたわけではありません。
もし、位や実権を求めた騒動ならばこれは「変」と言うべきであると思います。

例えば、「薬子の乱」だと、薬子兄妹が嵯峨天皇を追い落とす騒動だったと見るなら
「乱」になるでしょう。薬子兄妹自身は皇位につけないからです。
しかし近年は「平城上皇(政権)が嵯峨天皇(政権)の追い落としを図っていた」という
見方が出てきたので「平城太上天皇の変」という言い方のほうが理解できる云々…
こんな例もあります。

当事者が天皇の場合、例えば正中の変での後醍醐天皇ですが、直接の動機が
持明院統の皇位継承に反発してのものだったとみるならば、持明院統対大覚寺統
と見做して「変」の扱いをしていいかと思います。

>ただ「乱」というものと、それ以外では「結果」が大きく作用しているとも考えられます。 

結果で区別しているところはありますし、また>>659さんの仰るところから考えても、
騒ぎが大きくなり戦闘が大規模化・多元化すると「乱」とみなされることもあるようです
(例:元弘の変/元弘の乱)


665 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 15:33:19
みんなの、お薦めの人名辞典ってあります?

666 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 15:42:42
>>662
太国もどきでした辞めといてください。

667 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 00:52:30
日本史板全般にafoなレスが大杉なのは、冬休みだから?

668 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 00:54:14
web上で史料をデータベースにして公開してる所なんかで
「著作権は我々にあるから無断転載とかすんなよ」
みたいなことが書いてありますけれど、
本来の著者は何百年も前に死んでるような古い史料なのに
それをテキストデータとして持ってるだけで
法律的に言う著作権なんて発生するんですか?

仮にそのままコピペして無断転載したとしても
「元の史料から自分で翻刻したんです!」って言い張れば
無断転載だと証明するすべもないですよね?

そのへんどうなってるんでしょうか。誰か教えてください。

669 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 12:28:59
島流しって島流しされた先の島で町みたいのが形成されたり
そこで子供が出来たりしなかったんですか?

670 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 12:30:13


671 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 13:26:46
>>668
著作権法第2条第10項の3により、データベースは著作物として保護されます。
が、その中から抽出したテキストデータに著作権があるかどうかは分かりません。
(多分発生しないとは思うものの断言はできない)
たた、コピペを転載しても全く分からないだろうということと、
コピペしたならそのでどこを書いておくという仁義を切ることが
道義上必要であるとは言えると思います。

672 :日本@名無しさん:2007/01/09(火) 17:25:18
>>669
・・・島では流人は「流人小屋」と俗称される建物に住んでいたが、これもピンからキリまであり、
良いものは島民の住んでいた空き家や片隅の隠居所を借りて住んでいたが、悪いものだと
床と天井としかないような吹きっ晒しの小屋もあったという。流人たちは共同生活をすることは
禁じられ、原則的には一人暮らしだった。また、これらの流人小屋は主に内陸部にあったが、
これは海を見ていると流人が島抜けをたくらむのではないかという恐れだった。

 ちなみに、流人の妻帯は禁じられていた。
 余裕のある流人は「水汲女」という名目で実質的な妻を持つこともできたが、それにしても
流人小屋で起居することは最後まで禁じられており、また多くの流人はそんなことが出来る
ほどの余裕もなかった。そして、女流人もある程度はいるとは言え、流人の男女比は男性が
圧倒的に高い。このような状況下で、しかし男女の性問題を巡るトラブルというのはほとんど
伝わっていない。ここから先は正式の記録に残っていないので断片的な伝承を手がかりに
想像するしかないが、どうやら女流人が多くの男流人たちに共用されていたような状況で
あったらしい。
 そしてこの問題は、実際に子を孕んでしまった時に悲哀を呼ぶ。元々、前述の通り伊豆の
島々は貧しく、島民間でも間引きが儀式的に定式化されていたような状況である。誰の子
とも分からない嬰児は、母親自身の手によって沢に沈められるのが習慣化していた。(後略)

日本流刑史 京都大学歴史研究会 2003年発表
http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2003/030606.html

673 :668:2007/01/09(火) 18:00:01
>>671
ありがとうございます。
予想以上の詳しい回答に多謝です!

ってことはやっぱり、法律の上では
ビミョーな扱いなのですね。

検索できるデータベースじゃなければ
(テキストデータにしただけとか)
少なくとも「著作権」はないようだし、
利用者の良心まかせなのが現状かしら

674 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 21:50:48
>>668

668が“文献”所有者と交渉し、説得の末に668の責任で公開したとする。
668は“文献”所有者に対して幾許かの薄謝を進呈している。

そうした(交渉に要した)費用・労力を無視して、誰かが自己の管理下にあるべきデータベースを無秩序に
乱用しはじめたら、668はそういう行為をどう考えるのだろうか?

また、そうなったとき668の社会的評価が、“文献”所有者等から失墜することは想像に難くない。
どういったカタチで“文献”を公開するかは、“文献”所有者がその権利を所持していることをお忘れなく。





675 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 21:56:17
>>668
>>674
674さんとはちょっと違いますけど、テキスト化する行為も労力がありますね。
ただ、それが、例えば翻訳をしたというような場合ほど、それへの「著作権」
が認められるのは微妙に思えます。
これは、法律の専門家に聞いた方が確実だと思いますね。

676 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 23:27:37
昔の日本で時の権力者が政敵を隠岐や佐渡や東国に流す場合がありますよね。

質問1
なぜ遠方にやるのでしょうか?手元においておいた方が良さそうな気がします。権力者の屋敷に地下牢作って放り込んでおくとか。
遠方にやる→監視の目が行き届きにくい→流人が同志を集め反乱軍結成
手元にいる→監視の目が行き届きやすい→政敵は誰とも会えず一人ぼっちで飼い殺し

質問2 
反乱を起こす恐れのある政敵を処刑でなく流罪にするのはなぜですか?


677 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 05:32:54
>>676
質問1について
罪を犯した者=神の怒りに触れた忌まわしい者
と見なす信仰があったために身近に置くことはタブーだった。

質問2について
処刑したものから祟られる事を恐れていたため。
特に嵯峨天皇の時代から保元の乱まで死刑は廃されていた。

678 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 05:49:44
流刑で思い出したが、平清盛って結局源氏の子供誰も殺さなかったらしいな。
父親が死んだ後も刃を向けた長男次男以外は。

結局常磐御前の美貌と継母の嘆願が頼朝義経が殺されずに済んだ理由ではないんじゃないか?


679 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 09:19:40
>>676
>>677さんの言うとおりです。特に思想的には。
あと、付け加えるとすれば、当時の考え方として、武士の戦いの焦点が都に移ってきていたと
いう点があるでしょう。
承平・天慶の乱の頃や、前九年・後三年の役の頃は、地方武士の反乱という見方が出来ます。
かつ、それらの乱は、すべて平定されています。
保元の乱・平治の乱は、中央の権力と武士の軍事力が結びついて起きており、かつ、その結
果が政権の行方を左右するような展開になっています。
都は、様々な人間の思惑や陰謀が渦巻いており、誰と誰がいつ結びつくか分からない危うさが
ある訳です。死刑に出来ない事情があれば、僻地に流罪の方が無難です。最悪反乱が発生し
ても、平定できると考えられるだけの自信とノウハウがあったのでしょう(有効かどうかは別にして)。
結果的には、その見通しは甘かった、ということでしょう。

それと、源平という対立の構図は結果的に発生したものであり、平治の乱の頃の発想では、
そのような対立の構図は考えられていなかったのではないでしょうか。
平氏が何故勝てたか、という点では、おそらく、平氏は一枚岩だが、源氏は内部がまとまってお
らず、勝手に内部抗争して自滅してしまう存在だと認識されていたようです。保元の乱では、
親子兄弟(為義・為朝VS義朝)で属する陣営が違っていますし、平治の乱でも源頼政は平清盛
に与しています。
源氏がまとまるという可能性をまったく考えていなかったのでしょう。
源頼朝が流罪になった伊豆ですが、この地は源頼政の知行国になっています。源平の対立の
構図で考えるのであれば、こんな人事や流罪の措置は考えられないことになります。
これも見通しが甘いといえば甘いですが、本質的には当たっています。以仁王の令旨が出た後
も、源氏は決して一枚岩ではなく、やはり内部抗争を繰り返しています。

むしろ最大の失敗は、源頼朝は伊豆へ流罪としたが、それでも中央との結びつきが続いていた
こと(三善康信など)、それと、関東の武士たちの発想と、都との結びつきがある頼朝ガ結託した
時、それは今までの地方武士の反乱とは違った展開になるという可能性を見過ごしていたという
ことでしょうか。

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