2ちゃんねる ★スマホ版★ ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50  

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

邪馬台国畿内説を議論するスレ6

1 :日本@名無史さん:2006/10/14(土) 13:24:31
邪馬台国畿内説を議論するスレ5
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1159583462/

荒らし行為厳禁です。
南九州説・東遷説の主張も荒らし行為と見なし禁止します。
完全スルーよろしくお願いします。

2 :日本@名無史さん:2006/10/14(土) 13:32:33
ニートの遊び場
ニートの遊び場
ニートの遊び場
ニートの遊び場
ニートの遊び場
ニートの遊び場
ニートの遊び場
ニートの遊び場
ニートの遊び場
ニートの遊び場
ニートの遊び場
ニートの遊び場
ニートの遊び場
ニートの遊び場
ニートの遊び場
ニートの遊び場
ニートの遊び場
ニートの遊び場
ニートの遊び場
ニートの遊び場
ニートの遊び場
ニートの遊び場
ニートの遊び場
ニートの遊び場
ニートの遊び場
ニートの遊び場
ニートの遊び場
ニートの遊び場
ニートの遊び場


3 :日本@名無史さん:2006/10/14(土) 16:38:22
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!


4 :月光仮面:2006/10/14(土) 17:05:32
新曲キャンペーンです!
妄想大スキな皆さんには、
最高の歌が出来上がりました!
血管浮き出る渾身の新曲です。



「妄想四股四股宴歌?」


四股四股〜僕は妄想が大スキだ〜♪

四股四股〜妄想中の右手が恋人〜♪

四股四股〜逝っちまう気持ちい〜♪

四股四股〜証拠は古代に必要無し〜♪

四股四股四股四股宴歌〜♪

四股四股四股四股宴歌〜♪

四股四股四股四股宴歌〜♪

四股四股妄想〜逝っちゃった〜ドピュ!!!♪




5 :日本@名無史さん:2006/10/14(土) 18:07:31
中卒ヒッキーさん!悪いがこの自作スレで、君は何したいの?
ニート魂に火を付けて、皆さんから大絶賛でも受けたいのか?
無理だろうけど・・・・・・
これから馬鹿丸出しで何十年も過ごすなら、
3年間中学行きなおしても、遅くないと思うぜ!
まっ忠告だよ・・・・・

6 :転化の禿頭馬鹿将軍ニート:2006/10/14(土) 18:20:16
新曲キャンペーン中

こんにちは私は
転化の禿頭馬鹿将軍ニートと申します。
他でもバカレスってますが、
1人で雅子スレ自作しています。
それで新曲作りました。
必死に握っている所をよく聞いてください。


「雅子スレで、シコシコ」


シコシコシコシコ・・・・・♪

俺は本当は雅子がスキなんだ〜♪

皇太子にもったいない〜♪

太い眉毛にパッチリお目目〜♪

そんな雅子の笑顔に今日も握り快調〜♪





7 :日本@名無史さん:2006/10/14(土) 18:55:22
二上シンポジウムを見に行った人いる?
どんな感じだったんだろう?

8 :日本@名無史さん:2006/10/14(土) 19:10:27
とりあえず>>2-6は荒らし認定でいね。
削除依頼しましょうか。

9 :日本@名無史さん:2006/10/14(土) 19:57:25
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!



10 :日本@名無史さん:2006/10/14(土) 20:08:53
ニートの遊び場は酷いよ!
僕も一生懸命レスしているのに、

例えば読み違えて、
皆さんに良くこちらの意志が伝わらないにしても、
間違えてレスした事に対して、
そんなに怒らなくても。

僕は中学校もまともに行ってないから、
中卒○○○○とか呼ばれているけど、
好きで中卒になった訳じゃないんだ!
勉強が嫌いで社会的交流が苦手だから、
ニートになったんだ。
なにか文句がある?

それに僕が好きでレスしているのに、
他の人が僕のレスを止める権利なんてある?

僕は自由の国に生まれ、
自由にレスする事が出来るはずだ!

僕のレスを止める事等誰にも出来ない!

11 :日本@名無史さん:2006/10/14(土) 20:22:00
君?
本当にニートなのか?
だけどそれは君自身の責任だから、
君に降りかかる事は、
こちらの言動を制限する事は出来ません。
せいぜい知識や経験を増やし、
自己防衛に励む事ですね。
ただこのままでは、
ずっと相手が変れど、
同じ事が繰り返す事は確実ですね。
あとは至らない自分自身を、
どう見つめるかでしょうが・・・

12 :日本@名無史さん:2006/10/14(土) 20:29:39
>>10
太国泣くなよ!
普段お前がやっている事からすれば、
当然の仕打ちだせ!

ここではお前を守ってくれるのはルールだけで、
一時的にお前の意見に同意する人も、
何れお前の元を去っていく筈だ!

まー>>11みたいにやさしい奴は、
今までのお前に対して、
殆ど居ない事は断言できるよ!

13 :月光太国:2006/10/14(土) 20:33:48
>>12
お前、紀でも違ったのか?デムパになったのか?w

14 :2度目のニート:2006/10/14(土) 20:35:59
おひさしぶりです
転化の禿頭馬鹿将軍ニートと申します。
前スレの90%バカレスってますが、
おまけに1人で雅子スレ自作しています。
それで新曲の2度目のキャンペーンにやって参りました。
必死に握っている所をよく聞いてください。


「雅子スレで、シコシコ」


シコシコシコシコ・・・・・♪

俺は本当は雅子がスキなんだ〜♪

皇太子にもったいない〜♪

太い眉毛にパッチリお目目〜♪

そんな雅子の笑顔に今日も握り快調〜♪




15 :日本@名無史さん:2006/10/14(土) 20:39:37
>>13

ニートの方がいらっしゃいました。
何か御用ですか?


16 :太国:2006/10/14(土) 22:52:04
>>11
ぼくが自由に邪馬台国を、
レスする事もだめだと言うのですか?
それは酷いです!
僕の意見はどんなに稚拙で妄想であっても、
尊重されなければなりません。
僕の意見だからです。
他の人に犯されるモノではありません。

17 :日本@名無史さん:2006/10/14(土) 22:56:18
太国さん
君はそう言いつつ、
他の人の意見を尊重しているかい?
むしろ自説と違うからと、
直ぐに妨害工作をする、
バレバレの手立てを使って・・・

だから当然責められる、
それが一番問題なんだ、
君の起こした事が、
総て君に降り掛かっている、
早くそれに気付きたまえ!

18 :月光仮面:2006/10/14(土) 22:57:36
新曲キャンペーンです!
妄想大スキな皆さんには、
最高の歌が出来上がりました!
血管浮き出る渾身の新曲です。



「妄想四股四股宴歌?」


四股四股〜僕は妄想が大スキだ〜♪

四股四股〜妄想中の右手が恋人〜♪

四股四股〜逝っちまう気持ちい〜♪

四股四股〜証拠は古代に必要無し〜♪

四股四股四股四股宴歌〜♪

四股四股四股四股宴歌〜♪

四股四股四股四股宴歌〜♪

四股四股妄想〜逝っちゃった〜ドピュ!!!♪



19 :日本@名無史さん:2006/10/14(土) 23:00:07
>>16
馬鹿臭い!
お前はこの板の恥さらしだから、
余所の板へ行ってくれ!
荒らしはするは、まともにレスも出来ない!
あったまくる!!!!!

20 :日本@名無史さん:2006/10/14(土) 23:07:18
第2弾新曲キャンペーン中

こんにちは私は
転化の禿頭馬鹿将軍ニートと申します。
他でもバカレスってますが、
1人で雅子スレ自作しています。
それで新曲作りました。
必死に握っている所をよく聞いてください。


「雅子スレで、シコシコ」


シコシコシコシコ・・・・・♪

俺は本当は雅子がスキなんだ〜♪

皇太子にもったいない〜♪

太い眉毛にパッチリお目目〜♪

そんな雅子の笑顔に今日も握り快調〜♪




21 :日本@名無史さん:2006/10/14(土) 23:13:04

まーね このスレっていっつも妄想ばっかりでさ!
証拠の付き合わせなんて全く無いからね。
妄想ソングも出来るよなwwwwwwwwwwww


22 :日本@名無史さん:2006/10/14(土) 23:23:07
九州説の構ってちゃんたち、
自分達でスレ立てて勝利宣言しときなよ。

23 :日本@名無史さん:2006/10/14(土) 23:51:49
スレを分ければいいんじゃないの。
[邪馬台国を議論する。ソース出せばなんでもOK]
で別スレにすれば。


24 :日本@名無史さん:2006/10/14(土) 23:55:21
それじゃもう一個は
[邪馬台国を議論する。ソース無しの妄想OK]
だね!

俺は向こういくはwwwwwwww


25 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 00:09:25
とりあえずアンチ安本の素人考古ヲタはどっかに消えろよ。

26 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 00:26:30









妄想合戦! どうやって勝負決めるんだ?  まるで子供の喧嘩だよな











27 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 00:28:55
安本信者って高校生か?
ネットのみの情報で、専門書を読もうとしない。
そして安本の本ですら読んでいない。

なんなんだろう、この世代は。
日本の将来が思いやられる。

28 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 00:32:02
>27
とっくに破綻した三角縁神獣鏡魏説を擁護するような馬鹿専門書
読んでどういう意味あるのか論理的に説明してもらおうじゃないか。
安本の鉄器論に対しても反論してみろよ。

29 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 00:36:53
>>26
勝負って何?
別スレで並行して議論すればいいじゃないか。
未だ三角縁神獣鏡魏説が論点と思い込んでる安本信者の妄言に
付き合わなきゃいけない理由は他人には無い。

30 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 00:49:20
>>27 
団塊はそろそろ逝く準備かな?

しかし何処に安本信者がどこに居るんだ?

妄想専門書なら意味無いよなwww



31 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 01:39:02
>>30
団塊とか、相変わらず訳の分からん妄想してるなw

32 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 01:42:36
>>28
北九州は、鉄は入手しやすかったんだね。
そして、畿内王権も鉄の交易のため、
北九州を支配する必要があった。

33 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 08:37:06
邪馬台国東遷は無かったで、前スレにて決着がついたと思うのだが。
庄内甕が九州発とか、庄内併行が4世紀とか無理だよと。
ソース出せというから本まで提示して貰ってるのに、「読みません」ってなw
話にならない。一応学問板なんで、専門書くらい読んでから議論に参加して下さい。
ついていけない人はほっときますよ。義務教育と違いますからね。

34 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 09:06:29










>>33
お前が他にほっとかれてないか?











35 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 09:53:04
>>33
バレバレの自作自演で、決着付いたらしい。

ソースの本が暴走妄想本だってさwww

だから専門書自体が、妄想なんだよ!

証拠付きの専門書が稀だって分らないのか?

36 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/15(日) 10:50:13
>>28
>とっくに破綻した三角縁神獣鏡魏説を擁護するような馬鹿専門書

京都大学にはノーベル賞を貰った湯川秀樹氏を初め優秀な人材を輩出したけど、なんで
考古学関係では糞みたいな学者しかいないのだろう。

自然科学での教育法と、考古学の教育法と全く違うのだろうかね。
考古学では今の京大は逆立ちしても、貰えそうな人材はいない!

「邪馬台国おらが国」論でメクラになってしまったのかね。
スプリング8にしても、根源的思考法に問題があるし、何で新聞発表だけに止めて学術論文
として出さないのか、出せないのなら取り消し発表くらいしろ。

樋口隆康おまえは京大名誉教授でありながらせこ過ぎる。
”汝、間違いを正すに逡巡するなかれ!”

−−−−−(引用開始)−−−−−
新井氏によれば、銀(Ag)と錫(Sn)の比率を縦軸に、アンチモン(Sb)と錫(Sn)の比率を横軸にと
って描いたグラフをもとにして、「舶載鏡」と「製鏡」の間に、原料差があるとした推論方法
自体が誤りであるという。

金属考古学的に見ると、アンチモン(Sb)/錫(Sn)の比率を用いることはまったく意味がない。
アンチモンは錫原料からではなく、銅原料からもたらされたというのが金属考古学では常識で
あるという。

したがって、今回発表された分析結果は、三角縁神獣鏡の原料組成の差について何の情報も
もたらしておらず、三角縁神獣鏡がどこで造られたか議論するためにはまったく役立たないと結論できる
http://www.bell.jp/pancho/kasihara_diary/2005_08_28.htm

37 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 10:54:24









妄想合戦! また始めるのかwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww












38 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 10:54:26
>33
>邪馬台国東遷は無かったで、前スレにて決着がついたと思うのだが。
>庄内甕が九州発とか、庄内併行が4世紀とか無理だよと

三角縁神獣鏡は国産で決着がついたと思うのだが。
鉄器が溶けたとか、無理だよと。

39 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 10:56:01
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!



40 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 11:00:25
>29
>未だ三角縁神獣鏡魏説が論点と思い込んでる安本信者の妄言に
>付き合わなきゃいけない理由は他人には無い。

鉄器論もアンチの負け。  
集落も九州のほうが発達。省内式土器が九州発でなくても
安本説は十分なりたつ。
ほかに論点あるなら言ってみろ、考古オタ。


41 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 11:03:08
畿内説は、鏡は伝世したなどというちんせつを唱えるご都合主義者だからな。
 

42 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 11:05:27









妄想合戦! お前ら勝負決まるような議論してないじゃん












43 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 11:09:35


ここはとんちん合戦だな・・・・・方々向いてレスしてるwwwwwwwwwwwww




44 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 12:08:30
このスレの住人は口が悪いのが多いな。
三角縁については畿内説内でも議論が分かれるところ。
私は、少なくとも初期のものは、画文帯の流れを継いだ中国産だと考えている。
まあ、決定打がないのが現状。
伝世鏡は、まあそんな物もあったでしょうと。畿内説よりむしろ、庄内開始を300年に持っていきたい安本信者にとって都合がよいのだが。

45 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 12:17:17
安本信者は、何故>>1が読めないのか。
問題はそこからだな。

それと、玉石混合の畿内説を一緒くたにするなと、
何度言われれば気が済むのか。

三度言われてわからないのであれば、それを人は馬鹿と呼ぶ。

46 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 12:24:51









妄想合戦! あなたひとりで議論してないじゃん












47 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 12:36:31
いつ議論するんですか?

安本信者を叩くスレがお似合いwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

48 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/15(日) 12:36:36
藤村新一氏『旧石器発見』捏造事件の二の舞をやってる連中が沢山いるようだ。
懲りないバカタレというか、これで学者とは笑わせる!

−−−−−(引用開始)−−−−−
池上曽根遺跡の神殿は、三度四度と建て直されていることが調査の結果で明らかになっている。

伊勢神宮や藤原宮の例を挙げるまでもなく、再利用のない方が珍しい。
従って、神殿の芯柱(ヒノキ)の側に投棄されていた土器は、芯柱の伐採時期とは100〜
200年も狂う可能性がある。
http://cgi.din.or.jp/~washi/yamataikoku/paper/paper21.html


49 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 12:41:20



このレスはスルーで、好き好きにレスし続けるのが、ヒッキー流!




50 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 12:51:37
荒らしてるのは同一人物だろうが、暇だな。こんなに頭のおかしい人、そんなにいないだろうし。

51 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 12:53:54
新曲キャンペーン中

こんにちは私は
転化の禿頭馬鹿将軍ニートと申します。
他でもバカレスってますが、
1人で雅子スレ自作しています。
それで新曲作りました。
必死に握っている所をよく聞いてください。


「雅子スレで、シコシコ」


シコシコシコシコ・・・・・♪

俺は本当は雅子がスキなんだ〜♪

皇太子にもったいない〜♪

太い眉毛にパッチリお目目〜♪

そんな雅子の笑顔に今日も握り快調〜♪






52 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 12:59:53
ここは
ニートの遊び場
ニートの遊び場
ニートの遊び場
ニートの遊び場
ニートの遊び場
ニートの遊び場
ニートの遊び場
ニートの遊び場
ニートの遊び場
ニートの遊び場
ニートの遊び場
ニートの遊び場
ニートの遊び場
ニートの遊び場
ニートの遊び場
ニートの遊び場
ニートの遊び場
ニートの遊び場
ニートの遊び場
ニートの遊び場
ニートの遊び場
ニートの遊び場
ニートの遊び場
ニートの遊び場
ニートの遊び場
ニートの遊び場
ニートの遊び場
ニートの遊び場
ニートの遊び場

53 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/15(日) 13:31:42
−−−−−(引用開始)−−−−−
多くの学者が無批判に富岡・梅原(末治)説をうけうりしてきたのである。
私がここで示した晋代弩機の銘文は、別に新しく発掘された遺物ではなく、中国考古学
や金石文の専門分野の研究者の立場には、いわば入門書の程度のものに紹介されて
おり、別な意味では"常識"に類することである。

ところが三角縁神獣鏡の魏鏡説に関する限り、富岡・梅原説を継承し、戦後も多くの魏
についての論文を書いてきた学者、研究者のほとんどは、晋代も『尚方』の工人を『師』
と言っているという事実を無視し、戦前からの話をくり返している。
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku224.htm



54 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 13:34:08

貼り付け、引用、荒らしと同等だってさ・・・・・恵也は書くとバレル奴だな!


55 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/15(日) 13:57:36
>>54
>貼り付け、引用、荒らしと同等だってさ・・・・・恵也は書くとバレル奴だな!

俺はへそ曲がりでね。
人が右と言うと、左に行きたがる本能を持ってる。

56 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/15(日) 14:15:30
−−−−−(引用開始)−−−−−
1300年綺麗に現代にその姿を伝えた 『高松塚古墳』

考古学者が入って僅か 30年で壁画ボロボロ

肩書きばかり振りかざしてアホウばかり

シロウト以下

日本の考古学者という考古学者 高松塚古墳の呪いにあって市ねばイイ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1115818587/

57 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 14:19:48











有名人決定!






58 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 14:36:04
ここは脳無し以外、立入禁止ですか?

59 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 14:37:04
>>58 そうなのよ 禁止なのよ

60 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 14:45:22
なんでこのスレに来るのか?相手にされたいの?
考古学無視妄想爆発自称文献派とは、まともに議論出来ないので、出ていって下さい。

61 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 15:48:36
中卒ヒッキーさん!悪いがこの自作スレで、君は何したいの?
ニート魂に火を付けて、皆さんから大絶賛でも受けたいのか?
無理だろうけど・・・・・・
これから馬鹿丸出しで何十年も過ごすなら、
3年間中学行きなおしても、遅くないと思うぜ!
まっ忠告だよ・・・・・


62 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 16:24:27
考古学の無知を馬鹿にされたからといって、無視・誹謗中傷するなんて大人げない態度だぞ。
あと考古学に対する批判も、安本をそのまま書き写すだけとかさあ。情けなくない?
色々専門書とか読んで、自分で考えることも重要だよ。

63 :太国:2006/10/15(日) 16:29:44
新曲キャンペーンです!
妄想大スキな皆さんには、
最高の歌が出来上がりました!
血管浮き出る渾身の新曲です。



「妄想四股四股宴歌?」


四股四股〜僕は妄想が大スキだ〜♪

四股四股〜妄想中の右手が恋人〜♪

四股四股〜逝っちまう気持ちい〜♪

四股四股〜証拠は古代に必要無し〜♪

四股四股四股四股宴歌〜♪

四股四股四股四股宴歌〜♪

四股四股四股四股宴歌〜♪

四股四股妄想〜逝っちゃった〜ドピュ!!!♪




64 :月光仮面:2006/10/15(日) 16:32:06
同じ歌ですが同時リリースです

妄想大スキな皆さんには、
鼻血ものの歌が出来上がりました!
流血するほどの渾身の新曲です。



「妄想四股四股宴歌?」


四股四股〜僕は妄想が大スキだ〜♪

四股四股〜妄想中の右手が恋人〜♪

四股四股〜逝っちまう気持ちい〜♪

四股四股〜証拠は古代に必要無し〜♪

四股四股四股四股宴歌〜♪

四股四股四股四股宴歌〜♪

四股四股四股四股宴歌〜♪

四股四股妄想〜逝っちゃった〜ドピュ!!!♪




65 :恵也:2006/10/15(日) 16:33:57
先発2人には
絶対負けません!
私がこの歌を貰います。

妄想大スキな皆さんには、
先走るほどの歌が出来上がりました!
渾身の新曲です。



「妄想四股四股宴歌?」


四股四股〜僕は妄想が大スキだ〜♪

四股四股〜妄想中の右手が恋人〜♪

四股四股〜逝っちまう気持ちい〜♪

四股四股〜証拠は古代に必要無し〜♪

四股四股四股四股宴歌〜♪

四股四股四股四股宴歌〜♪

四股四股四股四股宴歌〜♪

四股四股妄想〜逝っちゃった〜ドピュ!!!♪




66 :転化の禿頭馬鹿将軍ニート:2006/10/15(日) 16:36:52
私が元祖の転化のはげ頭馬鹿将軍ニートです。

同じ歌ですが同時リリースです

妄想大スキな皆さんには、
逝きっぱなしの歌が出来上がりました!
絶頂観が抜群の新曲です。



「妄想四股四股宴歌?」


四股四股〜僕は妄想が大スキだ〜♪

四股四股〜妄想中の右手が恋人〜♪

四股四股〜逝っちまう気持ちい〜♪

四股四股〜証拠は古代に必要無し〜♪

四股四股四股四股宴歌〜♪

四股四股四股四股宴歌〜♪

四股四股四股四股宴歌〜♪

四股四股妄想〜逝っちゃった〜ドピュ!!!♪




67 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 16:50:14
おいおい馬鹿揃い踏みだな!迷惑だよな・・・・・・・・・・・・・・・・これ以上妄想は辞めて・・・・・・・・・・・

68 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 16:54:26
太国=月光仮面=恵也=転化の禿頭馬鹿将軍ニート

暑苦しい・・・文を書けない読めない繋がりだね。

69 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 16:54:48
リアクションが大きいからからかい甲斐があるな。

70 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 17:03:04
お前だよwww絶対・・・・・・・・直ぐに・・・・・・・返って・・・・・・・・・来るもんなwww

71 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 17:06:52
いや、本当に変な文章書くよな。
品が無いというか。
書いてて虚しくないんだろうか。

72 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 17:14:14
やっぱりヘソ曲がってるね

73 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 17:18:23
本当だヘソ曲がってる人だ

74 :太国:2006/10/15(日) 17:21:38
>>63
贋者王!

75 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 17:25:50
畿内説に反論があるなら、その都度書けばいいわけでね、レス番を指定して。
脳内で作り上げた仮想「畿内説」に対する反論を長々と書かれてもな。対応のしようがない。
それも内容が安本そのままというお粗末ぶり。同じこと何回も書くし。
「考古学を信じるな」「畿内説の捏造」って、オカルトですか?
考古学を知ってる、まともな九州説はいないのかよ?
畿内説の中にも、確定もしてない事項をさも確定してるかのように言う奴がいるから。
考古学を勉強しないと騙されてしまうかもな。

76 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 17:30:05
おい ヘソ曲がったのか? どうなんだ?

77 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 18:54:19
二上シンポを見に行ったが、石野が他のパネリストに実年代観や
邪馬台国絡みの話をさせようとして嫌がられてた。
考古学の進展で、倭人伝解釈なしで、倭王権成立時期の素描が出来るようになっている。
あえて実年代を語る必要を感じないのだろう、若い学者たちは。土器編年で十分という感じ。C14や年輪の成果を待っているところか。
石野とかの、倭人伝解釈が当たり前の世代からしてみれば、歯がゆいんだろうな。

78 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 19:44:33
曲がっているね

79 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 21:08:22

>>77
>石野とかの、倭人伝解釈が当たり前の世代からしてみれば、
凄い定義だらけで大変だね・・・
その定義の殆どが想像から始まっているよね。

想像から始まった説は証拠が無ければいつまでたっても想像!!!
あなたは証拠と想像の区別がついている?



80 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 21:21:40
>>77
なにはともあれ、レポ乙

81 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 21:24:58
>>79
スレ進行を邪魔するのが楽しみな、哀れな人ですか?


82 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 21:37:39
>>81
元々想像に想像を重ねただけの議論が多すぎる。
本当は証拠に証拠を重ねるのが議論のはずだけど・・・
しかもご機嫌取りまで学説に含むのは、下々から見ると憤りを感じるよ。

83 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 21:49:48
>>82
何言ってるのか分からんのだが。
石野とか一部の考古学者が言ってる実年代があやふや、
ってことに反論があるわけ?

84 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 22:49:23
>>83
いいえ
総ての古代に絡む、
考古学や史学者だちに対してですよ。

85 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 23:31:41
連投です。
まず前提からして議論に間違いがある。
総てを思い込みから始めている。
まずこれは学問ではありません。

総ての学問は、当然定義により、
条件を満たす物として議論される。
当初条件があり、その条件を満たす物に、
次の条件を重ね、それを繰り返す、
この間に議論が生じるのです。

古代日本史については、この条件立てた議論が無くても、
不思議に思わない論者が、当たり前に居る不思議な世界です。
これは周りから、学問と呼ぶべきか、疑問視される理由です。

この不思議な学問には、留め金が作用していることは、
殆どの人が知っています。
そしてその留め金も近い将来に、
留める必要性を感じる世代が、居なくなることにより、
古代日本史は正常な学問になると考えられています。
だから不自然な妄想の学問である、今の古代史は、必ず淘汰されるのです。
そしてそれは10年20年後と想像しています。

旧態依然の古い考えを、戦後60年過ぎた現在そして将来にわたり、
続ける道義があるか?皆さんも考えれば解る事です。

今後古代史も原論まで遡り議論されるべきです。
それが政治的に右に左に僅かに傾いても、
学問の名の下に上下問わず総ての研究者たちが、
一致協力すべき事だと考えます。

私は議論に敗れても、適正な議論を望むのです。

86 :太国:2006/10/15(日) 23:36:27
思いこみはこれ
   ↓
ヤマタイ→ヤマト→大和+考古学→畿内説

これが間違いの始まりで考古学を味方に引き入れ畿内説が正しいと信じてしまう。

87 :太国:2006/10/15(日) 23:46:25
まず ヤマタイ→ヤマト の先入観が研究家の頭に強く定着する。
そしてこれを強固に信じていて、ここに考古学を恣意的に味方につけて
客観的にはやってるものの、結局主観的想いに捉われて畿内説を正しいと
結論付けてしまう。これが大失敗の原因。
畿内にあれば、倭人伝よりも記紀に女王国の記事が載るよ。
朝廷と目と鼻の先にあるからな。

88 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 23:53:32
>>85-87 比較すると〜可哀想だけどね〜太国の○○○が引き立ってるよw

89 :日本@名無史さん:2006/10/16(月) 00:05:32
>>85
だから、考古学が重要なんだよ。
文献自体が少な過ぎて、よく分からないのが日本の古代。
ここまでは分かるな?

文献から分かることは少なく、文献だけではどうしても想像や解釈(あるいは妄想)で
補うしかない。で文献解釈が恣意的なものに陥り易いのは、現在の
「オラが村」的邪馬台国候補地の余りの多さでも分かるだろう。

だから考古学が重要になってくる。

90 :日本@名無史さん:2006/10/16(月) 00:05:51
考古学は素人にはわからない。実際に発掘調査をする機会もないし、
土器を並べて見ることもない。だから、土器を見てもそれが何かわからない。
結局、そういう機会のある学者の受け売りになってしまう。
自分にとって受け入れやすい説を信じてしまう。

ところが、文献は素人も目にすることが出来る。学者の説が正しいかどうかを
自分で判断することが出来る。

91 :日本@名無史さん:2006/10/16(月) 00:13:22
考古学は物証が基本だから、恣意的になりにくい。
少なくとも文献解釈よりはな。

若手の真面目な考古学者は、実年代とか邪馬台国は語りたがらない。
それは物証重視だからだよ。
かれらは主に土器編年を用いて研究してる。
石野とかは、その辺適当。館長として客を集めなけりゃならん、という現実的な部分も
あるのだろうが。

92 :日本@名無史さん:2006/10/16(月) 00:17:13
>>90
考古学から確実に言えることは、実は少ないんだよ。
しかし、ある程度確実に言えることも存在しているわけだ。
それを無視した議論に何の意味があると言うのか。

今や文献重視とか言っても、考古学でも最低限のことは押さえておく
必要がある。「全く知りません」では相手にされない。

93 :日本@名無史さん:2006/10/16(月) 00:19:14
>>90
安本受け売りのお前が言っても説得力がない。

94 :日本@名無史さん:2006/10/16(月) 00:21:26
以前の考古学の土器の編年は相対編年だった。
絶対編年を語るようになって、あるいはそういう人物が出てくるようになって
おかしなことになったというべきか。

95 :日本@名無史さん:2006/10/16(月) 00:24:25
太国の自作自演中だね

96 :日本@名無史さん:2006/10/16(月) 00:27:01
>>93
馬鹿の一つ覚えみたいに同じことばかり言うんじゃないよ。
畿内説を主張するのも同じく馬鹿の一つ覚えか。

まあ、安本説の受け売りというのなら、どこがそうなのかを言えばいい。
それも出来ないだろうが。

97 :日本@名無史さん:2006/10/16(月) 00:31:47
そもそも、ヤマト政権の成立プロセスの議論が最初にあって、
昔は文献に頼るしかなかったから、その結果として邪馬台国論争が起きた
んだよな。

実年代を確定出来ればそれに越したことはないが、
実際問題、畿内と九州の立場が逆転したのが、3世紀か4世紀かの問いは
それほど意味を持つとも思えない。

98 :日本@名無史さん:2006/10/16(月) 00:33:51
>>96
実際そうだから仕方ないじゃない。
悔しかったら、安本以外で反論してみて下さいな。

99 :日本@名無史さん:2006/10/16(月) 00:44:39
>>98
あまり虐めると、昼間みたいにアラシを始めるぞ。

100 :日本@名無史さん:2006/10/16(月) 00:50:23
日本史板だから考古学以外の話題も必要だが
シンポみたいに、「邪馬台国時代の畿内王権」とでもしとけば良かったかも。

101 :日本@名無史さん:2006/10/16(月) 00:51:30
東遷説の基本は、天照大神=卑弥呼(+壱与)と考えるところから来ている、
と思っている。天照大神は皇祖神。しかも、大和朝廷とのつながりとして
神武東征がある。
必然的に、邪馬台国東遷説が出てくる。
だから、安本説も東遷説の一つということになる。
しかし、東遷説=安本説というわけではない。
東遷説を有名にした(ここにいる誰でもが知っているらしい)安本氏の
功績は大きいが、東遷説=安本説と決め付けるのは、ちょっと違う。
たとえば、東遷説でも、邪馬台国の比定地は違う場合がある。
別に安本説が悪いわけではなく、むしろ十分に評価しているが、
自分の説と同じではない。というか、安本説で東遷がどのように
語られているかは知らない。

こういう風にまじめに答えてもわかってはくれないだろうな。

102 :日本@名無史さん:2006/10/16(月) 01:05:48
邪馬台国東遷説はないよ。
少なくとも邪馬台国の時代に、すでにマキムク王権が成立していたことが証明
されているから。
認めてないのは安本だけ。
いい加減に分かれ。

103 :日本@名無史さん:2006/10/16(月) 01:11:53
>>101
お前さあ。例えば、大林太良とか読んでる?
文献派とか言いながら、読んでる本が非常に偏ってる気がするんだよな。

どんな本を読んで勉強したの? インスパイアされた本でもいいからさあ。
ちょっと挙げてみてよ。

104 :日本@名無史さん:2006/10/16(月) 01:13:23
古墳時代を遡上させる今の畿内説の根拠としては、C14とか年輪とかが絶対年代を
直接証明する方法として言われているけど、両方とも今ひとつ確実性がない。

特にC14は、補正値をさらに補正してむりやり合わせたという感じがある。
「東アジアの古代文化」127号の新井論文を見ると、海水にC14が吸収されて
海岸近くの遺跡は古い年代が出ると詳論。C14説はこれで崩壊したと思う。

年輪年代も伐採年代と使用年代の隔たりの問題とか転用とか色々ある。

土器編年も本来は相対年代しか分からないはずなのに、とは思う。

あと、三角縁を魏鏡とする説も根強いけど、画文帯も三角縁も大多数は、4C以降の
古墳から出土するという難点もあり、逆に例外的に3Cと認定された古墳の年代に
疑問を感じる。時代による鏡の変遷からは、3Cにすることが不自然に見える。

結局、年代観が先にあって、それに合わせて根拠を作っている感じがする。

年代を確実に決められる根拠ってあるの?

105 :日本@名無史さん:2006/10/16(月) 01:18:51
>>104
お前、面白いやつだなあ。
逆にお前の実年代観にどんな根拠があるのか書いてみてくれよ。

あ、そうそう。「昔はそうだった」は無しでね。
それ、根拠とは言わないからw

106 :日本@名無史さん:2006/10/16(月) 01:46:47
>>105  現時点では、はっきりしていない。一応、出してみると。
(仮説1)安本説
鏡に含まれる鉛の同位体比により原料産出地を特定し、画文帯は280年以降、
三角縁は300年以降とする。根拠としては、
1、後漢鏡→画文帯→三角縁という時代の変遷にあっている。
2、画文帯、三角縁は4C以降と確定できるものが大多数という事実に符合する。
3、同位体比データーそのものは、確実性が極めて高い。
(難点)出土地が判明しても産出年代が特定できるかは、少し疑問。

(仮説2)柳田説を庄内遡上に用いる考え。
1、柳田に従い、西新を邪馬台国時代とする(ただ柳田は九州についての考え)。
2、西新=庄内と少し「飛躍」させて、さらに西新と庄内の年代をほぼ同じと「飛躍」させる。
(難点)西新=邪馬台国時代という前提と、西新=畿内庄内式という前提と、西新の時代=
畿内庄内式の時代という3つの前提があり、確実性がかなり低くなる。

(仮説3)魏志の風俗記事重視(とにかく魏と交渉した国は九州にあった)
1、魏志の風俗記事は、明らかに南方系。安本も述べているが、武光誠の「邪馬台国
と大和朝廷」でも同じことが書かれている。これを否定する者も、いないと思う。

(仮説4)平原遺跡重視
1、平原遺跡は、明らかに後の大和朝廷につながる鏡重視の祭祀と、神社信仰につながる
可能性のある掘立柱とかもある。女性と推定される被葬者は、卑弥呼と同様の巫女的存在
であり、太陽神信仰の象徴としての要素もある。
2、柳田は200年頃とするが、卑弥呼の前代の巫女女王とも述べ230年頃までの可能性は
否定しないニュアンス。鏡からは後漢末以降と確定できるのみ。

と、色々考えているが、畿内での庄内は、260〜300年の間くらいに開始したという感覚。
まあ、色々考えているうちに、また変わる可能性もある。

107 :日本@名無史さん:2006/10/16(月) 01:59:35
「感覚」って何だよW
西新式=庄内式の平行関係は、土器の共伴関係でおさえられています。
多くの事例がありますが。そのあたりは柳田や寺沢も書いているが、久住とかかなり詳しく論じているが。
お前、交差年代法って知ってっかW
あとな、同位体比そのものには年代を決める根拠がないだろ。おおまかな変遷はあっても、実際には同じ時代に複数の鉛同位体が有る。
ある時期にある同位体のものが多いというに過ぎない。
また確実な倣製鏡と確実な舶載鏡に同じ同位体の鉛が使われたりしている。
年代比定に鉛同位体比を使う安本商法はただの詐欺W
画文帯神獣鏡は年号鏡が多数有り、型式学的配列と矛盾せず、また中国の墓での出土と矛盾しない。
4世紀に下る画文帯神獣鏡はごく少数で、大半は2世紀末〜3世紀後半までである。
日本で出土する画文帯神獣鏡の多くは3世紀前半の型式だ。
あまりにいい加減だな、安本信者はW


108 :日本@名無史さん:2006/10/16(月) 02:03:23
>>104,>>106
画文帯神獣鏡や三角縁神獣鏡の年代は、『シンポジウム三角縁神獣鏡』学生社、福永伸哉『三角縁神獣鏡の研究』でも読んでからにして来いや。


109 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/16(月) 06:22:32
>>75
>脳内で作り上げた仮想「畿内説」に対する反論を長々と書かれてもな。対応のしようがない。

畿内説の根本は、魏志倭人伝の「方向」が間違ってるとする事。
それと三角縁神獣鏡を魏が邪馬台国に与えた「100枚の鏡」だとする事。

方向に関しては、邪馬台国に行く子孫に残す為に、作者が使節団の日記などを調べて書いたと
思われるので「方向」を間違えて書いたとは信じられん。
それも作者は一応は公的な晋のお役人だったんだぜ。

三角神獣鏡は近畿地方で沢山発見はされてるが、魏でも中国でも発見されず、むしろ呉の鏡の系統
だから呉の職人が日本にきて、日本人好みに大きな鏡として作ったものの可能性が大きい。

日本にはそれ以前から銅鐸を作る技術力はあったんだし、鉄砲の大量生産を行った例を見ても、
物まね技術力では日本人の右に出るような民族はあまり無いだろう。
よって畿内説は間違い!

−−−−−(引用開始)−−−−−
魏志倭人伝は魏の後継の晋の国の著作朗という官職にあった陳寿が、書いた書物で正史ですから、
信頼性が高いとされています
http://www.webtelevi.com/yamataigisi.htm

110 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/16(月) 07:10:10
>>77
>あえて実年代を語る必要を感じないのだろう、若い学者たちは。土器編年で十分という感じ。
>C14や年輪の成果を待っているところか。

土器編年やC14、年輪が完成されたものとみる時点からしてド素人。
土器も大切に使えば100年以上使えるものだろうし、流行の伝達も今と違い長い年数がかかるし、
C14や年輪は木を切り倒した年代が判るだけで古墳の遺体埋葬時期とは違う。

特に大木となると割れが出ないように、乾燥のため切り倒した後で寝かして使うものだし、おまけ
にリサイクルで使う木ほど割れが出ない。

将棋や碁盤の木は、ずいぶん寝かせてるよ。そうしないと簡単に割れが出てしまう。
榧の木は厚さ3cmで1年は乾燥に必要といわれてる。

−−−−−(引用開始)−−−−−
乾燥するまでの時間は日本産と同じで簡単にいえばい一寸一年位です。ただ、中国産の場合切旬
といわれる11月から2月ぐらいの時期以外に伐採(盗伐)された材料が一分有りこのような材料は
乾燥期間が5割位長くなります。
http://www.miwagobanten.com/zaishitu.html

しかし、土器編年からわかるのは、土器を古い順番に並べることであって、年表にして何年ごろか
という具体的な年代ではありません。つまり、相対的な年代であって、絶対年代ではないのです。

 たとえば、土器のタイプから紀元前35年とか、紀元後100年というような具体的な年代は絶
対に出てきません。ある土器が弥生中期後半のものであることはわかっても、いったい何年から何
年ごろまで使われたか、ということは厳密にはわかりません。
http://www2.odn.ne.jp/hideorospages/yamatai02.html

111 :日本@名無史さん:2006/10/16(月) 07:41:42
>>56

http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1115818587/

−−−−−
222 名前:出土地不明[] 投稿日:2006/10/14(土) 02:33:17 ID:1xnb3MCh
東文研って実態は東京国立博物館傘下で、博物館にある物=美術品がメインなんだよね。

ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E5%8C%96%E8%B2%A1%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80

それに対し奈良文化財研究所は考古遺跡遺物のエキスパート集団。
最初から奈文研に管理させとけばよかったのに・・・

225 名前:出土地不明[] 投稿日:2006/10/15(日) 03:47:28 ID:7j/GH+vF
なんでそんな美術館傘下の連中が遺跡をいじってんだ?
と思って調べたら文化庁の付属機関なのね(笑)
今、東文研のホームページ見てみたんだけど、確かに美術館での美術品の保存だね。
高松塚に今までやってきた処理とかから考えて「保存科学部」ってとこが諸悪の権化かしら?
今となっては「保存科学部の概要」の所が涙なくしては読む事ができない・・・

−−−−−


東京の文化庁と東文研のアホーー!

112 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/16(月) 08:01:03
>>102
>少なくとも邪馬台国の時代に、すでにマキムク王権が成立していたことが証明

どうしてそんなに簡単に断言できるのか不思議でしょうがない。
古墳の表面や池の中から土器の欠片が出てきたといって、それが古墳の築造年だと言うわけにはいかんよ

それこそ神の手を持ってた藤井氏の二の舞になる。
むしろ遺体を収めてある古墳の中からの発見じゃないと・・・・・

−−−−−(引用開始)−−−−−
さらに読むと、毎日新聞は「疑っていて」というより、「あとは証拠をつかむだけ」という
くらい確信があり、その遺跡だけでなく、藤井の立ち回りそうな他の遺跡にも、いつでも
対処できるように要員を準備してあったそうな。
http://www.asamiryo.jp/ftk15.html

113 :太国:2006/10/16(月) 08:15:59
女王国より景行の世が古いから、当然マキムクには朝廷があった。

114 :日本@名無史さん:2006/10/16(月) 08:17:47
>>112

藤井氏や文化庁のような馬鹿のせいで、
何十年も真面目にやってる多くの考古学者の業績が
否定的に語られるのは悲しい事だな。

115 :日本@名無史さん:2006/10/16(月) 08:34:30
画文帯は紀年鏡あるし、4世紀生産とか、何を根拠に言ってるのか?
たしか、呉が滅びたのが3世紀末だから…とかのアホな理由だったっけ?w
あと土器編年はある程度精度上がってるよ。胎土の分析やら
地域色のある製造法などで、ある程度併行関係を特定することも可能。

116 :日本@名無史さん:2006/10/16(月) 11:56:50
>>107,>>108  いい加減、自作自演の連続レスは止めたら?

あと、交差年代法を盲信しすぎwww
同位体比についてのその意見の出典は、あるの。またいつものウソですね。
画文帯は4C以降が主流だよ。2C末と確定している画文帯を言ってみなww
シンポジウムとかも読んでるよ。私は妄信していないだけ。

あと、自分と違う意見だからといって、いちいち発狂するな。毎度、見苦しいぞ。
ウソも止めろ!

117 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/16(月) 11:58:07
>>114
>藤井氏や文化庁のような馬鹿のせいで、
>何十年も真面目にやってる多くの考古学者の業績

真面目に長い間やってれば良いという物じゃなかろうに!
藤井氏の旧石器も、出土品の確認方法が性善説に基づいて論理を組み立ててる学者バカが悪いの。
こんな考古学というものは、性悪説に基づいて出土品を調べるのが常識。

池や古墳の上から、入れ物に使って壊れた土器を捨てる人間なんてザラにいると思うぜ。
学者先生だけでなく、池のほとりに住んでた昔の方もいるだろうし、古墳の上に砦を築いた
山賊や侍も十分に考えれる。

熊本にはチョッと小高いとこには、簡単に山城を作ってたようだ。
馬鹿と侍は高いところに登りたがる。

−−−−−(引用開始)−−−−−
肥後 読み @所在地A別名B築城者C築城時期D遺構 形式 標高(比高) 文化財指定
http://www.geocities.jp/tomtohiro/KyushuKumamoto.htm

118 :日本@名無史さん:2006/10/16(月) 12:04:04
邪馬台国=村の一個にすぎない

何処だっていいと思う今日この頃

119 :日本@名無史さん:2006/10/16(月) 12:33:56
もしかして紀年鏡の意味分かってない?

120 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/16(月) 13:03:59
なぜ距離を里と日数で表現したのか

韓国から日本の吉野ヶ里(不弥国)までは里で表現してある。
船便では魏の勢力圏の船乗りで、言葉が使節団と良く通じてて、船乗りの感覚で表現したもの。
それに対して、吉野ヶ里(不弥国)以降は有明海だから、船乗りが日本人で日本の船、距離の
概念も異なり、まず言葉が不自由。

その為に使節団が必要とした日数でしか、距離を表現できなかったもの。

北九州での距離を里で表現してるのに、九州横断がなぜ里で表現できなかったのか。
測定法は数人の使節団員に歩幅を数えさせて、集計し里で表現していたと思える。
これだとそれなりに注意深く、一定の歩幅で歩く必要もあり比較的良い道でしか使えない。
唐津(末盧國)から吉野ヶ里(不弥国)までなら、ほとんど一直線で良い道だったと思える。

九州横断の道はあまりにも悪く、急峻な場所や方向感覚も狂うような道が多かったのでは・・
それか、吉野ヶ里(不弥国)から水行日数で出したので、ついでに簡単な陸行日数にしたのかも・・・
今の国道の九州横断道路でさえ、芦北から西都市(邪馬台国)までギザギザ状に曲がった道路だ。
1800年前じゃ推して知るべし。

121 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/16(月) 13:30:08
>>118
>邪馬台国=村の一個にすぎない

村というのは少し酷いでしょう。
7万戸の家があったから、6人家族と考えたら42万人の大都市だぜ。
今の日本でさえ岐阜市が40万人都市。
チョッと失礼だと思うね!

投馬国(宇戸)で5万戸:30万人都市。
現在の宇土市は4万人、熊本市まで加えたら70万人都市だ。

邪馬台国(西都市)の現在の人口は3万人、宮崎市まで入れたら40万人都市。
ぴったりの人口だよ。
それだけの人口を養う、肥えた土地と水があった証拠。

122 :日本@名無史さん:2006/10/16(月) 15:55:39
>>121
妄想爆裂だな

>7まんこに42まんにん
>>全部の建物に、人が住んでいたと、書いてあるか?

123 :日本@名無史さん:2006/10/16(月) 16:02:28
>>121
弥生後期の日本全体の人口は100万人だっけ。
九州と現代の人口比率を考えれば、それでは1000万人を越えてしまう。

それと、>>109で、「方向」を間違えて書いたとは信じられんと書いてるが、
やっぱり間違えるって事でいいのかな?

124 :日本@名無史さん:2006/10/16(月) 16:38:47
>>107
>おおまかな変遷はあっても、実際には同じ時代に複数の鉛同位体が有る。
>ある時期にある同位体のものが多いというに過ぎない。
同じ種類の鏡(三角縁)で複数の同位体があれば、製作時期や場所が異なるろするのが、普通。
この考えの下でスプリング8の捏造が行われた。君はスプリング8の批判は一切しないんだね。

>また確実な倣製鏡と確実な舶載鏡に同じ同位体の鉛が使われたりしている。
そんな事が言えるのなら、スプリング8での捏造をして別の同位体比を公表したりしない。
その「確実」が疑われているからだよ。

>年代比定に鉛同位体比を使う安本商法はただの詐欺W
金属考古学のデーターの作成は安本じゃないよ。畿内説に不利なデーターが無視されていたのを
安本が別ルートでも公表してコメントしているだけ。それでも無視する畿内説って、何なの?


125 :日本@名無史さん:2006/10/16(月) 17:28:09
>>124
三角縁神獣鏡は鉛同位体の測定により
ほとんどが国内産て事でいい?

それで不利なデータって何なの?

126 :日本@名無史さん:2006/10/16(月) 20:35:16
三角縁について言えば、私は魏の特鋳だと考えているけどね。

三角縁の議論は決定的な証拠がないので、どちらとも言えないが正しい捉え方。
国産だとしても、別に畿内説に支障があるわけじゃないし。

127 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/16(月) 20:45:24
>>123
>弥生後期の日本全体の人口は100万人だっけ。

どういう根拠でその数字が出たのか考えてごらん?
根拠らしい根拠、俺には思いつかないよ。
日本を統一してた政権も無いなら、人口の推定さえ不可能に思える。

旧石器を捏造した藤井氏並みの捏造記事じゃないかな・・・

江戸時代の人口なら、全国のお米の石高である程度の推測は着く。
1石あれば1人の人間が1年生活できるというからね。
弥生時代じゃ推測までも行かないだろう。

128 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/16(月) 20:51:00
>>124
>この考えの下でスプリング8の捏造が行われた。君はスプリング8の批判は一切しないんだね。

スプリング8は捏造じゃないだろ。
ただの基礎的思考力不足の連中がやった妄想からのデータ。
屁のツッパリにもならん試験データ。

−−−−−(引用開始)−−−−−
新井氏によれば、銀(Ag)と錫(Sn)の比率を縦軸に、アンチモン(Sb)と錫(Sn)の比率を横軸にと
って描いたグラフをもとにして、「舶載鏡」と「製鏡」の間に、原料差があるとした推論方法
自体が誤りであるという。

金属考古学的に見ると、アンチモン(Sb)/錫(Sn)の比率を用いることはまったく意味がない。
アンチモンは錫原料からではなく、銅原料からもたらされたというのが金属考古学では常識で
あるという。

したがって、今回発表された分析結果は、三角縁神獣鏡の原料組成の差について何の情報も
もたらしておらず、三角縁神獣鏡がどこで造られたか議論するためにはまったく役立たないと結論できる
http://www.bell.jp/pancho/kasihara_diary/2005_08_28.htm

129 :日本@名無史さん:2006/10/16(月) 21:02:18
>>109

> 畿内説の根本は、魏志倭人伝の「方向」が間違ってるとする事。
> それと三角縁神獣鏡を魏が邪馬台国に与えた「100枚の鏡」だとする事。

この考えだけは捨て去らないとここでは議論に参加できないよ。
相手方の主張も理解できない「馬鹿」は無視されるだけ。

130 :日本@名無史さん:2006/10/16(月) 21:02:58
>>128

恵也は、三角縁が、卑弥呼の鏡だと思ってるのか?

だとしたらバカすぎて話しにならん。
三角縁が大量出土した時点で、卑弥呼の鏡説は、誰も唱えなくなってる。
時代遅れの議論をふっかけるな。



131 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/16(月) 21:06:18
>>125
>三角縁の議論は決定的な証拠がないので、どちらとも言えないが正しい捉え方。

間違い!
三角縁神獣鏡が魏で全く出てこなければ、魏が邪馬台国に与えた鏡とは常識で考えられん。
むしろ別の鏡を与えたと見るのが常識というもの。

日本に来た後進国の賓客がいて、太陽電池を希望すれば、当然実績のあるシャープの
製品で安心できる信用のある品物を渡す。
それを特別サイズとか、特殊な使用法の太陽電池を新規に作るなんて事は考えられん。

信頼できる品物は新しい製品が出来た後には、時間という熟成期間が必要なもの。
熟成期間もなしに鏡を渡してては、魏という国家の信用に関わってくるよ。

132 :日本@名無史さん:2006/10/16(月) 21:13:13
三角縁を一緒くたに考えるから、話がややこしくなる。
最古式の三角縁に限っていえば、魏の鏡で構わないと思うが。
明らかに画文帯の影響が見られるしな。


133 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/16(月) 21:24:52
>>126
>三角縁について言えば、私は魏の特鋳だと考えているけどね。

特鋳の場合、大きく重い鏡にしてるわけだ。
技術的には大きな不安がある。

鏡は大きくしかも軽くしたいから、薄く作らなければならない。
鏡を冷やして常温にする時や、磨く時や、経年変化で割れが入る心配がある。

古墳に残ってる鏡にも、割ってしまった鏡も沢山あるという。
とてもじゃないけどそんな経験の無い品物を、製造者としては外国の賓客に与える事は出来ないよ。

下のHPは鋼の焼き割れだが、青銅の銅鏡でも同じような問題は有ると思われる。
熱応力の問題は簡単じゃない!

−−−−−(引用開始)−−−−−
焼割れを防ぐにはMs点をゆっくり冷やして無理なく膨張させてやることです。早く冷やして
はいけません。つまり、「始め早く、後ゆっくり」冷やすことが「割れず、硬く」焼きを入
れる「コツ」なのです。
http://www.bl-net.com/jinmetal/jin9.htm

134 :日本@名無史さん:2006/10/16(月) 21:27:16
ばんりゅうきょうもあるし

135 :日本@名無史さん:2006/10/16(月) 21:30:51
>>133
実際問題、大きい神獣鏡を倭人は好んだみたいだし、
その需要に魏が応じたってことでは?

景初4年鏡にしても、同時代に製作されたからこそ起こりえた誤謬だと。

どちらにしても決定打がないから議論は平行線になるから無駄かとも思う。

136 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/16(月) 21:45:10
>>130
>三角縁が大量出土した時点で、卑弥呼の鏡説は、誰も唱えなくなってる。

誰も唱えないとは、そこまであなたは調べたのかい?
あなた個人の考えだというだけじゃないのかな
他人の思考があなたに、わかるわけでもなかろうに。
−−−−−(引用開始)−−−−−
近畿地方を中心に全国から出土している三角縁神獣鏡は卑弥呼の鏡と言われ、長らく畿内大和説
の支柱をなしてきた。しかし、三角縁神獣鏡は日本国内で既に500枚以上も出土している。

卑弥呼が魏王朝よりもらった銅鏡100枚とは数が全く合わない。しかもこの三角縁鏡は日本
以外から全く出土せず肝心の中国本土での出土も無し、また鋳型も全く出土せず。三角縁鏡は
卑弥呼の鏡だと大合唱していた畿内派でも最近は国産説を取る人が多くなっている。
http://cgi.din.or.jp/~washi/yamataikoku/paper/paper12.html

 これまで挙げた論点は、主として九州説からの反論の一部にすぎない。だが、問題を一層やや
こしくしているのは、畿内説論者の間にも魏鏡であることを否定する論者が少なくないことだ。
さらに、魏鏡説論者の中にも、銅鏡百枚すべてが三角縁神獣鏡だとする研究者もいれば、他の鏡
も含まれていたとする論者もいる。

 つまり、三角縁神獣鏡を軸とした銅鏡百枚論争はまさに錯綜(さくそう)、百人百説の様相なのだ。
http://www.mainichi.co.jp/hanbai/nie/nazo_nihon1.html

137 :日本@名無史さん:2006/10/16(月) 21:46:17
>>127
>どういう根拠でその数字が出たのか考えてごらん?

考古学者が全国の遺跡を調べた上で出した数字じゃないの?
弥生時代は約60万人。
後期に増加があったとして100万人。

それ以上の数字は聞いた事がないが、
>>121では、九州だけでどれだけの人数になる?

138 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/16(月) 21:49:13
>>135
>その需要に魏が応じたってことでは?

需要を満たすために、経験も無い大きな鏡を作るような危険を
犯すメーカーがあるとは思えん。
実績が無いのに、大量に作り外国の賓客に出すわけには行かない。
メーカーの信用、国家の信用に関わる。

139 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/16(月) 21:51:20
>>137
>考古学者が全国の遺跡を調べた上で出した数字じゃないの?

遺跡の何を調べたら人口が推定できるんだい?
一番肝心なところを抜かすんじゃないよ!

140 :日本@名無史さん:2006/10/16(月) 22:01:28
>>137
遺跡の広さや密度で出るんじゃないの?
吉野ヶ里遺跡の住人の数は千人程度だよね。

九州説に100万人いるとしたら
吉野ヶ里はあと幾つある事になるの?

141 :日本@名無史さん:2006/10/16(月) 22:48:31
>>136
>誰も唱えないとは、そこまであなたは調べたのかい?

現時点で、誰が唱えてるんだ?


142 :日本@名無史さん:2006/10/16(月) 22:51:43
>>130  けど、畿内説で三角縁が日本製と認めている人はごく一部ですよ。
ここでの譲歩は畿内説にとっては、「地すべり」につながる危険性があるから。

一部が日本製とすると、同位体比データーと合わなくなる(全体として原料の同一性がある)。
そこで、スプリング8で原材料が「2種類の分布」になるという結果が無理やり作られた。
しかし、この結果は瞬時に破綻して、以後無視されている。

かといって、全部が日本製とすると、より深刻な問題がある。
まず、三角縁の一部のみを突出して早い時期(卑弥呼の時代)に製造したとする結論が苦しくなる。

そうすると、紀年の正確性が問題になる。製作年と紀年が異なるとすると、卑弥呼が「親魏倭王」と
されて後に日本を統一するきっかけとなる年として重視されたという結論になりやすい。
しかし、紀年鏡と他の鏡(特に、4C以降確定のもの)との原材料の違いは確認されていない。

さらに、画文帯の紀年の正確性にも問題が波及するおそれもある。画文帯は中国よりも日本で
多く出土する(6、7割くらいが日本)故、その一部は日本製の可能性が高い。そうすると紀年も
三角縁と同様にメモリアルイヤーであるとされるおそれがある。
しかも、三角縁へのつながりを認めると、年代が三角縁に近くされるおそれがある。

平原では、超巨大の日本製の鏡が発見され、柳田は後漢鏡とされていたものの一部は、日本製
と断定している。つまり、日本の製造技術の面での問題が全くないという前提もある。

三角縁での譲歩が、畿内説を崩壊させる「地すべり」になる可能性もあるので畿内説では一部が
日本製であることさえ明言する者が少ない。ましてや、全部日本製という畿内説論者は皆無。

143 :日本@名無史さん:2006/10/16(月) 23:14:55
>>142

考古学の比重は、土器編年に移ってると何度言っても理解できないんだな。

畿内説で鏡に拘ってる考古学者などおらん。よほどの年配の石頭くらいだろ。
若手はみんな土器を研究してるよ。



144 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 00:30:36
<畿内説の変遷>

1、記紀は捏造→文献は当てにならない。考古学とは別だよ。

2、鉄器の北部九州優位→鉄器は既に別問題。その変遷時期だよ。

3、三角縁は畿内中心に分布→既に、邪馬台国とは別問題だよ。

4、C14で庄内遡上→今はC14は根拠じゃないよ。

5、年輪年代で庄内遡上→年輪だけじゃないよ。

6、土器編年→         今ココ

145 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 01:52:09

7、邪馬台国論争など無意味。問題は「畿内王権の成立とその前後の過程」 だよ。

ねらーは、時代を先読みしている。


146 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 05:11:04
>>144-145
九州説は、トータルで見る視点が欠けてるようだな。
確かに個々の根拠に反論は可能だが、
いつの間にか根拠が詰み上がっている事に気付いてない訳だ。

147 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 05:18:57
>>142
メモリアルイヤーね。
安本説では画文帯は呉(222年-280年)が存在する間は
作れなかったと主張したいんだよね。

それを認めさせなければ、
ホケノ山古墳の木棺のC14で出た西暦80年〜137年の結果などにより、
「地すべり」につながる危険性があるから。

148 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 08:43:16
卑弥呼死亡後も邪馬台国は晋に遣使してるみたいだし、
銅鏡を最初の百枚だけに限定する必要はないのでは。
初期ヤマト政権は大きな神獣鏡を好み、さらにそれを各地に配布、政治利用した。
前方後円墳の祭りに神獣鏡は必須だし。
多くの神獣鏡が必要とされて、何度かに亘って中国から流入したと考えられる。

149 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/17(火) 14:44:18
>>140
>遺跡の広さや密度で出るんじゃないの?

全く現実的じゃない。
遺跡の広さは、どれほど正確にわかるんだろう。
吉野ヶ里遺跡だって、大正時代からその存在は判っていてもその実際の大きさ等は
判らなかったんじゃないの。

今の吉野ヶ里遺跡でさえ、昔の一部であってそれで全部だとは俺には信じれん。
人間の調査能力には限度があるんだから。

少し人口に関して読んでみたが、ずいぶんいい加減な推定値みたいだぜ。

−−−−−(引用開始)−−−−−
基本的には、お墓の数や住居の数などから推察していきますが、当時の燃料が薪だったことを
考えると、周辺の森林の伐採等による環境のことも考えなくてはいけません・・・・・・・・・

吉野ヶ里では、こうした様々なことについても調査研究を行い、現時点で最盛期には、外環壕
の内部におよそ1,200人、吉野ヶ里を中心とするクニ全体では、5,400人くらいの人々が住んで
いたのではないかと考えられています。
http://www.yoshinogari.jp/pages/info/info_5.html

150 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/17(火) 15:29:12
>>143
>考古学の比重は、土器編年に移ってると何度言っても理解できないんだな。

土器編年と邪馬台国とは、結びつかないだろう。

土器の形式が日本全部で、いっぺんに変わるわけでもないし、今でさえ昔の陶器を
味があるとかいって、珍重するお金持ちが居るくらいだぜ。
おまけに場所によって、流行の時期は異なってるし、これじゃ年代の確定は無理。

土器で遺跡の正確な年代を確定するなんて、考古学の迷路に嵌まり込むようなもの。

−−−−−(引用開始)−−−−−
縄文文化の名残り(なごり)をのこす東北地方の弥生土器は、ふつうの野焼きで焼い
たらしく、こんな所にも縄文土器の根強い伝統を見ることができます。
http://www.gunmaibun.org/guide/3/3-3-2-6.htm

151 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 15:46:43
>>150


>土器で遺跡の正確な年代を確定するなんて、考古学の迷路に嵌まり込むようなもの。


土器編年で、年代の確定はしない。
なんでもかんでも「実年代」に結び付けてしか考えられないのだな。

だから、おまえは、「バカ」だと言ってるのだ。


152 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 16:04:49
>>149

いい加減な数字である事は、数字を出した方もわかっているだろうけど、
5400人と42万人じゃ、開きがあリ過ぎるぞ。

153 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/17(火) 16:16:33
>>144
><畿内説の変遷>

それは逆に畿内説敗退の歴史といえる。
邪馬台国オラガ村説の連中が、逃げ回って自説に執着した証拠。
まあ、九州から来た神武天皇に近畿地方が占領された事を素直に認めなさい。
楽になるぜ!

−−−−−(引用開始)−−−−−
そのような外来土器を有し、編年の指標となっている資料(住居跡出土土器)そのもの
にも注意が必要である。

そのような住居跡は、集落の中でも他の住居跡とは違って外来土器を集中的に保有し、
しかも出土土器数が異常に多いという特徴がある。

さらにそのような住居跡は大形住居跡であったり、逆に小形住居跡であったりすること
が多い。つまり一般的な住居跡とは様相が異なるのである。

例えば仮にそのような住居跡(?)が倉庫のような機能を持っていたら、新旧土器の混在
は容易に想定され、素直に同時期ということは言えないだろう。
http://homepage2.nifty.com/shiwan/aruke/aruke.html/benkyou.htm

154 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 16:37:35
恵也 という方へ忠告。
他人のホームページの文章を、ぺたぺたコピペするなよ。
リンク先を示すだけでいい。(それなら著作権違反じゃないから)
お前は「引用だ」と言うかもしれないが、
>>153なんか、自分の文より引用の方が多いじゃないか。
無断で大量にコピペされる側の迷惑も、すこしは考えろ。

155 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 16:54:09
技師輪人殿に登場しない畿内説を信じてる人は、
やっぱアレですかね。
メルヘンな方が多いんですか?

156 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/17(火) 17:43:06
>>147
>安本説では画文帯は呉(222年-280年)が存在する間は
>作れなかったと主張したいんだよね。

チョッと違うようだけど・・・
確かに画文帯は300年〜350年ころの古墳から出土してるとは見てる様だが内容が違う。

それに魏製だとすると少し大きすぎる。
今の神社でもやってるけど木の柱の再使用はするから、木棺のC14は再使用品で使った
可能性もあるし年代の当てには出来ん。

−−−−−(引用開始)−−−−−
今回出た画文帯神獣鏡の直径は十九cmもあります。これはかなり大きな鏡です。国産鏡は祭祀用
で大きな鏡が多いのです。

これに対し、中国鏡は単なる日用品で掌に乗る大きさしかなく、奥野正男氏によると、二一六〜
三六六年の中国製年号鏡の対置式神獣鏡の平均直径は十二・七cmで最大十七・三cmです。

年代が分かってない画文帯神獣鏡で大きな鏡は朝鮮平壌出土の二一・五cmが1枚あるだけで、
それ以外はかなり小さく、十九cmの大きな鏡は国産の可能性が大きいのです。
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou38/kaihou38.html

157 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/17(火) 17:48:40
>>148
>初期ヤマト政権は大きな神獣鏡を好み、さらにそれを各地に配布、政治利用した。

政治利用としたら、お墓に運び込んだ理由にはならん。
政治利用するほど有り難い物なら、子孫の者が大切に保管して子々孫々に伝えるもの。

徳川家康から貰った刀だからと、貰った殿様がお墓に持っていくかい?
子孫が記録を残して、宝物として伝えるはずだがな。

むしろお墓に大量に持っていくのなら、魔除けに使ったと考えるべき。

158 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 17:54:43
若槻千夏の盗撮 おっぱい 動画(;´Д`*)

http://geinou.qmo.jp/wakatsukichinatsu/
動画はこのURLをコピペして検索してお!

159 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/17(火) 17:54:44
>>152
>5400人と42万人じゃ、開きがあリ過ぎるぞ。

間違い!
吉野ヶ里付近を俺は不弥国で港が側にあったと見てる。
戸数は1000戸で、人口は6000人くらいだ。
ピッタリじゃないかな?

韓国50km南→対馬50km南→壱岐(一大国)50km→唐津(末盧國)20km東南
→富士町(伊都国)5km東南→佐賀大和(奴国)5km東→吉野ヶ里(不弥国)80km南
→宇土(投馬国)40km南→芦北に上陸130km→西都市(宮崎県)・・「ここが邪馬台国」

160 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 20:51:15
>>147 確かに、画文帯280年以降というのは安本説の重要ポイントだけど、危うい点で
もあると思う。日本での需要があれば軍資金稼ぎに銅を採掘したとも言える。

しかし、一方畿内説も画文帯の年代を紀年に頼っているという弱みや、画文帯の一部が
突出して古い年代のものとされるアンバランスがある。
後漢鏡の出土分布と画文帯、三角縁の出土分布は明白に違うから、この間に時代的な
断層が存在するように見えるけど、画文帯の開始を古く見るとこの点が弱くなる。

あと、C14は今は根拠とならないと思う。C14の時代分布が一定ではないし、海岸近くでは
水に吸収されて古い年代が出ること、補正値が一定ではないことなど問題が多すぎる。
ホケノ山の年代もほかの根拠が必要であると思う。


161 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 20:51:30
>>157
畿内王権が友好の証として、各地の首長に配布したことを指して「政治的」と言ったのだが。
とりあえず書くとかじゃなく、もうちょっと考えてから書いてくれ。

162 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/17(火) 21:04:54
>>161
>畿内王権が友好の証として、各地の首長に配布したことを指して「政治的」と言ったのだが。

判らんかね?
何で友好のしるしを墓場まで持っていく必要があるんだよ。
そんな証は子孫に残すとか、周りに見せびらかすものだろ。全く内容が違う!

163 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 21:13:56
だから何が言いたいの?
畿内王権による三角縁の配布が無かった、って言いたいの?

164 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/17(火) 21:34:15
>>163
>畿内王権による三角縁の配布が無かった、って言いたいの?

死にそうな権力者が、魔除けに勝手に個人で三角縁を集めて病気快癒を願ったけどお陀仏!
冥途の世界で役立ってもらおうという信仰心。
神獣鏡に対する霊力を信仰していただけの話。

畿内王権による配布なんて、根拠も無い妄想だろう。

165 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 21:57:07
ただまあ、明らかに畿内中心に分布してるしな。
畿内王権が三角縁を一括入手したことも否定するの?

あと、古墳を造ること自体、政治的意味があったと俺は思うな。
古代では政治=祭祀。いわゆるマツリゴトだな。
王は死ぬことで神となり、王権の強大化が始まる。前方後円墳の祭り、首長霊祭祀ともいう。
神獣鏡はその祭りに欠かせない呪術具。
君の理解は余りに低レベルだよ。

166 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 22:16:28
ドラえも〜ん

167 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 23:07:30
古墳も鏡もあまり良くわからないなあ。
記紀を読むと何か参考になることが書いてあるかもしれない。

ところで、中国の大きな墳墓といえば、秦の始皇帝陵だが、
これは、始皇帝自らが生きているうちに作ったものらしい。
40年かかったとされる。
葬儀は大々的に行われた。葬儀を取り仕切る者が跡継ぎとして
認められるために、威信をかけてやったとされる。

このあたり日本の古墳にも何か影響するものがあるのかもしれない。

168 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 00:37:13
俺の素人的な考えですみません。俺はこう考えました。

卑弥呼は九州の出身は間違えないとして、海外に旅行して帰る。
日本に帰って着いた所が、実は京都の上辺り?で歩いて行く。
で、この辺で良いやと奈良県。そのまま居付き、第二次邪馬台国を開店→大和朝廷。
途中の水行?実は琵琶湖かも?

女心と秋の空で気分はもう近畿!九州?何処それ?此処が九州!!と言い張っていたかも。
金印は卑弥呼が久々に九州に遊びに行った時のお土産かも?弟さんに。

そうなると.....九州は弟の支配下、近畿は姉ちゃんの支配下。となって姉弟としては支配す
る土地が大いに増える。
結果、九州説は弟、近畿説は姉。で如何でしょうか。


169 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 02:08:01
今の畿内説は、C14と年輪年代を根拠に畿内の古墳の年代を遡上させたのに、
C14が根底から崩れて、年輪年代の問題が指摘されても、年代をリセットせずに、
土器編年とかの別の根拠で遡上年代を維持しているけど、これはいいの?

170 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 06:04:59
崩れてはいない。
崩れる可能性があると言ってる人物がいるだけだろう。
王クラスの人物の木棺に使いまわしの木を使うか?
巻向の周りに海があるか?

171 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 07:03:40
>>159
その行程も引っかかるけど、、
現代ですら100万人の宮崎県に、42万人も住んでいたのかな?

西都市は古墳群は有名だけど、どこの遺跡が邪馬台国の都になる?

172 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/18(水) 08:23:30
>>165
>王は死ぬことで神となり、王権の強大化が始まる。前方後円墳の祭り、首長霊祭祀ともいう。

どこからそんな迷信を信じるようになったのかね??
恨みを持って死んだら祟りとして、霊力が発揮される話しは聞いたことがあるが・・・・

大国主命にしても菅原道真公にしても、恨みをこの世に残し強大な祟りで霊力のある神様と
して扱われて神社を作り慰霊したもの。

あなたみたいなド素人宮司がA級戦犯を神様扱いにしてしまったんだろうな。

−−−−−(引用開始)−−−−−
そして菅原道真の遺体は牛車に乗せられて大宰府の北東の三笠郡の辺りに運ばれることとなり
ましたが、遺体を運んでいる牛が途中にあった「安楽寺」の前で突然動かなくなります。
http://www7.ocn.ne.jp/~step1/sugawarabangai.html

173 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 08:33:35
>>169
もともと貨泉や九州の土器との供伴や、形式ごとの土器の出土数などの事実から年代繰上が提唱されはじめたところに、
それを支持する方向のデンドロやラジオカーボンの結果が出てきたということで、
理化学年代がなくても、もともと年代繰上は必然だったのです。
一般向けに話をするときは、土器のややこしい話をするよりもデンドロやカーボンを引き合いに出す方が
楽なのでこちらを強調しすぎたのでしょうね。
しかも悪いことに、一般のみならず考古学業界のよくわかってない一部も
この一般向け解説を真に受けてるふしがある・・・・・

174 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 09:00:36
>>172
この認識は酷いな。
これこそド素人の発言だ。

175 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 09:29:34
>>172

おまえ、思春期まっさかりだな。
大人の言うことは全部、ウソに見えるんだろ。


176 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/18(水) 10:27:44
>>165
>ただまあ、明らかに畿内中心に分布してるしな。

これは単純な理由。
畿内で当時流行してた宗教的迷信で、三角縁神獣鏡がもてはやされてただけの話。
前方後円墳も宗教的迷信。
北九州でも少しは流行ってたようだけど・・・・

それに卑弥呼の古墳は直径100歩(50m〜150m)の円墳のはずだがね。
何でそれが前方後円墳に畿内で変化するんだろう、不思議な理論だ。

−−−−−(引用開始)−−−−−
この時、卑弥呼はすでに死んでいたので、大きな墳墓をつくらせた。直径は百歩余りで、
   男女の奴隷を百人以上殉死させた。あらためて男王を立てたが、
   国中は不服として、そのため殺し合いになった。当時千人余りを殺した。
http://www.webtelevi.com/yamataigisi.htm

177 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 16:03:24
>>169
何回も言ってるが、単純に遡上させた訳じゃない。
それまでは、実年代をこれといった根拠も無く、いい加減に決めていた。
弥生後期の始まりを二世紀末の倭国大乱の終結後とする、小林行雄の思い込みによる。
畿内は中国から舶載品の出土が少なく、なかなか実年代を特定
出来なかったという実際的な問題もあったのだが。

178 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 16:09:30
小林行雄の呪縛からいいかげん離れろよ。
鉄とか鏡とか。

179 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 16:13:00
小林の年代観は、当時より九州の学者から反論されていた。
土器と中国鏡などとの共伴状況を見て、弥生後期の始まりは一世紀頃だろうと。
それで小林が主張したのが、有名な伝世鏡仮説。
中国から貰ってすぐ埋めたんじゃなく、百年以上伝世してから副葬された、と。
近年、畿内での貨泉の出土などから、小林の年代観は否定された。

180 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 17:51:24
>>170 C14は、日本が海に囲まれている島国というレベルで中国や欧州奥地とは
比較対照にならない。あと、湖でも吸収されるので、纏向もアウト。
そもそも、補正値が確定していないというレベルで話にならない。
つまり、C14は根本的見直しが必要と言うこと。

年輪年代も伐採と使用との間の間隔が不明という欠点がある。これが50年以上では
ないとする根拠がない。むしろ、板の「そり」や「ゆがみ」を防ぐために一定期間の保存が
当然ではないかと思う。

>>179 「貨泉」が200年前後の年代確定に直結するの?それは無理があると思う。


181 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 18:27:20
弥生後期が異常に長くなってしまうということ。君達の嫌いな土器編年によればね。
ただ、安本が固執する年代観が何の根拠もないことは理解出来たかな?

182 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 18:34:27
>>180

>年輪年代も伐採と使用との間の間隔が不明という欠点がある。これが50年以上では
>ないとする根拠がない。むしろ、板の「そり」や「ゆがみ」を防ぐために一定期間の保存が
>当然ではないかと思う。

なるほど、弥生時代後期、「板材」の「そり」や「ゆがみ」が気になるほど、
緻密な木造建築が存在していたというわけか。

妄想もいいかげんにしろよな。

183 :サガミハラハラ:2006/10/18(水) 18:36:21
>>安本が固執する年代観が何の根拠もない。
そうですか、私、彼の年代観に沿って本をかきました。
そういわれると困ったな。

184 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 19:00:06
>>182
あったかもしれないよ。桜町遺跡でほぞ穴を持った建物の部材とか出てたじゃない。
一度、縄文と発表されてその後、古墳時代に下がっちゃったけどさ。
検索してみたら縄文のままになってるページばかりで古墳時代のどのあたりかわからないけど。

実際、勝山とか古すぎる年代が出てるから寝かされてる可能性も頭に入れといたほうがいいと思うけどね。

185 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 20:07:15
>>182 確かに、庶民の住んでいた竪穴式の板壁とかなら伐採と使用との間隔は
短いと思う。スギとかの木材なら10年寝かせれば十分。

一方、ヒノキやクスノキなどの高級材木がある程度以上の地位の者の居宅などに
使われていた場合は、30年以上は寝かされていたと思う。

この点、年輪年代の対象データーはヒノキ、クスノキがほとんどという難点ある。
より多くの種類の木を対象としたデーターができれば信用性が高まると思うけど、
逆に言うと、現時点でヒノキの年代をそのまま使用年代とするのは、無理だと思う。


186 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/18(水) 21:14:14
>>169
>王クラスの人物の木棺に使いまわしの木を使うか?

新しければ良いという物じゃない。
特に人間も木も古くなればなるほど、値打ちが出てくるものもある。

新しい木は乾燥させなければ、簡単に割れが出てせっかくの木棺が割れて中身が丸見えじゃ
遺体に対して失礼だろう。
3cmを乾燥させるのに1年かかるという。
1mの木棺なら33年は切り倒してから、乾燥させないといけない。

出雲大社は50mくらいの高さがあったという。
何度も倒れたようだけど、その廃材は逆にずいぶん値打ち物として取引されたと思うぜ。

新しい切り倒したばかりの木じゃ、割れが入って木棺には細工できない。
50年以上の使いまわしの古木で、細工しやすい割れがある物なら新木の倍以上の値段がついたろう
俺が職人なら3倍でも買ってしまうね。33年待ってたら俺が老人になって細工できん!

187 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 21:16:47
年輪年代でも、木材が寝かされていた可能性を考慮してるよ。
その上で、他の遺物との整合性を併せて、可能性の高さで考える。一応科学だからね。
ただ、貨泉など確実に実年代が分かる場合もあるから、ある程度は信用出来るだろう、と。
ただ年輪年代法が完全だなんて言うつもりは毛頭ない。大体完全なんてものは、
この世の中にそんなには存在しないしな。
完全でないと認めないと言う反対派の言い分は、稚拙で非科学的な難癖に過ぎない。もしくはオカルト。
君達のブンケンカイシャクなる代物は、それ程確実性を保証できるものなのですか?

188 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/18(水) 22:03:23
>>171
>現代ですら100万人の宮崎県に、42万人も住んでいたのかな?

現代ですら31万人の宮崎市にくらべ、宮崎県全体なら42万人なんて屁みたいなもんだろう。

189 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/18(水) 22:08:11
>>174
>これこそド素人の発言だ。

あなたは霊的なことにはプロなのかい?
俺はこれでも四国88ヶ所徒歩遍路を2回やり、断食や瞑想は10回以上はやり
滝行も真夏だけどやった経験がある。

プロではないけどそれなりにやったほうだと思うけど、あなたは何か実績を
積まれてからお書きになってるのかな???

とてもそんな雰囲気が感じられないけど・・・・

190 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 22:08:59
とりあえず、議論を邪魔する九州説派は、
シュリーマンを気取るなら、彼を見習って自分で掘ればいい。

常に自分が正しいと思うなら、まず畿内説に十分に検討させて、
その後で討論すればいい。

何故それができない?
そうしないから、畿内説の証拠が出て、九州説では食えなくなるが怖いから
妨害しているように見える。
それだから、いつまで立っても議論が終わらない。

191 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 22:18:22
>>189

>プロではないけどそれなりにやったほうだと思うけど、

霊能者気取りの電波さんですか?

192 :太国:2006/10/18(水) 22:27:39
>>190
地元の記紀に書かれてないんじゃ、畿内には女王国はありえない。
外様の倭人伝にうんと書かれている。この厳粛たる文証は決定的だ。

193 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/18(水) 22:34:36
>>182
>なるほど、弥生時代後期、「板材」の「そり」や「ゆがみ」が気になるほど、

もっと酷い割れがある。
今でも碁盤や将棋版は、寝かせて乾燥させてその後で加工してます。
乾燥も急激にさせないように、木口を塗料で塗って塞いで乾燥させてるよ。

−−−−−(引用開始)−−−−−
しかしある碁盤師の説によると、伐採後林内において半枯らしとし、なお2カ年間陰干しする
のが普通であるが、十分に乾燥するためには5カ年間陰干ししなければならない。

このようにして50枚の盤を乾燥しても、割れの生じない物は10枚に過ぎないという。
これらのことから盤の乾燥は2年以上はかかり、長ければ長いほど良さそうである
http://www.asahi-net.or.jp/~hf2t-nkn/wood-n/kaya.html

194 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 22:45:25
放射性炭素による年代測定法は誤差が大きい。外国では、年輪年代法で
検証するのが常。C14だけでは決め手にならないと思う。
一方で、日本の年輪年代法は、結果だけが報告されるブラックボックス。
誰でもが追試・検証できるようなものでなければ科学的とは言えない。

庄内式土器は、弥生式土器に比べると、まず底が丸い。これは物を煮るときに
都合が良いようにできている。同じく物を煮るために熱が伝わりやすいように、
内側を削って土器自体を薄くしている。

庄内式の次に来るのが布留式土器。これが典型的な土師器といわれる。
庄内式土器は、弥生式土器と布留式土器の過度的な土器といわれる。

庄内式土器を弥生時代にするか古墳時代にするかは議論の分かれるところといわれる。
これを古墳時代と決め付けるのが畿内説。
畿内説には、議論の分かれるところを決め付けてかかるところがある。


195 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 22:54:15
ある土器に実年代をつけるには、しっかりとした基準が必要になる。
しかし、この基準がほとんどない。貨泉の場合は、西暦14年から作られた
ことがわかっているので、これを伴う土器は、西暦14年より前ではない。
わかるのはこれだけである。

だから、放射性炭素とか年輪年代が出てくる。しかし、これはあまり
確実ではない。つまり、土器の編年に実年代は合わないわけで、
これを持ち出すのはどうかと思うわけである。

196 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/18(水) 22:59:21
>>187
>その上で、他の遺物との整合性を併せて、可能性の高さで考える。一応科学だからね。

この「遺物との整合性」という奴が曲者。
遺物とは持ち運びができ、しかも埋葬された遺骨が1人とは限らない。
合葬もあれば、追葬もあり遺物の埋葬時期も1回だけとは限らないのが苦しい。

むしろ一族のお墓として、作られた可能性が大きい。
俺が大成功して大金持ちになり、お墓を作るなら親父らの先祖を入れるりっぱなお墓を作り
そのお墓に俺が死んだら隅っこにでも追葬してもらうだろう。

埋葬品の時期とお墓を作った時期と同じというわけじゃないんだよね。

弘法大師の高野山でも、霊験のある弘法大師だからと後世の豊臣秀吉や、昭和のロッキード事件
で有名になったお金持ちのお墓まで高野山には現存する。
霊験があるとなったら、古墳の表面においてある埴輪や土器の年代なんて多勢にお参りにこられて
年代の推定なんてグチャグチャになるぜ。

−−−−−(引用開始)−−−−−
太刀類は追葬者の数に比例するのかは不明。耳環の14点は追葬を示す好資料。
7人の追葬が考えられている。
http://www.city.suzaka.nagano.jp/shougai/gakusyuka/bunka/shitei/gairyaku/zai36.php

197 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 23:07:21
>>196
お前の訳の分からん妄想の方が曲者だろw

198 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 23:08:32
アホプラムはいい加減自スレへ帰れ。

199 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 23:09:06
>>196

>埋葬品の時期とお墓を作った時期と同じというわけじゃないんだよね。

埋葬品より、墓が作られた年代が古いって認めてるのか。
おめでたいやつだな。
だったらホケノ山古墳築造は、2世紀でもOKだな。




200 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/18(水) 23:12:03
>>190
>そうしないから、畿内説の証拠が出て、九州説では食えなくなるが怖いから
>妨害しているように見える。

九州説で食えてる人間なんて極少数でしょう。
俺みたいな素人じゃ、だれも金を恵んでくれないぜ!

安本美典氏でさえ、本職は統計学者だろう。
今は本が売れて、どちらが本職か判らんけど・・・・

201 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 23:28:48
>>200

口だけならなんとでも言える。
お遍路を2回やり、断食や瞑想を10回やり、
滝行もやったとかな。

そのわりに、言われた事の全てに反論をしなければ不安になる
その忍耐力の無さで、嘘だと丸分りだがな!

202 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/18(水) 23:29:15
>>199
>埋葬品より、墓が作られた年代が古いって認めてるのか。

逆もあるということ。
親父が入ってた木棺を、別の場所から新しい墓にそのまま運んできた可能性さえある。
先祖が残してた伝世品を、本人が大切にしてたからと一緒に埋葬してあの世に持って
行ってもらう可能性さえ存在する。

霊験があると聞いた古い三角縁神獣鏡が、ロクに霊験がなくて本人が死んでしまったら
捨てるのも気が引けるからと、遺体と一緒に埋葬もするだろう。
埋葬品はあまり当てにはならないという事だ。

203 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 23:29:17
おい、恵也、>>199に何かコメントしてみたら?

それとも顔真っ赤にして泣いてるのかな?

204 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/18(水) 23:31:09
>>201
>そのわりに、言われた事の全てに反論をしなければ不安になる

邪馬台国では素人だから、糞真面目に反論する気になる。
慣れてきたら又かと、無視する様になるかもWwwwwwwwwwwwww

205 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 23:32:02
おい、恵也。

出土品の年代に信憑性が無いというなら、
文献の信憑性は、どういう基準で確かめてるんだ?

魏志倭人伝は、全部、空想物語だってこともありえるよな?


206 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 23:41:50
>庄内式土器を弥生時代にするか古墳時代にするかは議論の分かれるところといわれる。
>これを古墳時代と決め付けるのが畿内説。

まったく意味不明なんだが。
君の言う「古墳時代」って、いったいどういう概念なの?
考古学について殆ど知らないんですか?

207 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 23:45:59
>>205
畿内説の場合は、畿内説に合うか合わないかで文献の信憑性を
決めているのだろうけどね。
文献が信頼できないなら、邪馬台国は存在しない。卑弥呼もいない。


208 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 23:46:03
>>195
>貨泉の場合は、西暦14年から作られた
>ことがわかっているので、これを伴う土器は、西暦14年より前ではない。
>わかるのはこれだけである。

じゃあ、九州で出土する中国鏡との整合性も無視するわけね。
きちんと説明してやったつもりだが、まだ分かっていないとは。
君が生理的に(非科学的に)毛嫌いする畿内説ドン・小林行雄の
伝世鏡説を支持するんですか?

209 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 23:48:03
>>207
わけのわからん被害妄想があほの安本派の特徴。
感覚的にじゃなく、きちんと反論してみな。

210 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 23:49:11
>>208
言っている意味がわからない。
鏡ではなく、土器のことを言っているのだが。

211 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 23:54:49
>>207

>文献が信頼できないなら、邪馬台国は存在しない。卑弥呼もいない。

邪馬台国も卑弥呼も居なくても困らない。それが考古学。



212 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 23:55:00
>>209

邪馬台国も卑弥呼も文献に書かれていることで、考古学的には登場しない。
これはわかるでしょう?
考古学的に邪馬台国の条件とはなんだろう?

213 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 23:56:26
>>211
つまり、邪馬台国問題に考古学を持ち込むのが間違いということ?

214 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 23:56:27
>>212

>考古学的に邪馬台国の条件とはなんだろう?


考古学は、邪馬台国に関知しません。

215 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 23:57:11
>>213

考古学に邪馬台国問題を持ち込むのが間違いなの!

216 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 23:59:23
>>215
それはそれでいいけど、考古学的には邪馬台国畿内説という言葉を
いやというほど聞いたけど。

217 :日本@名無史さん:2006/10/19(木) 00:00:45
>>208

小林行雄なんて、いまどき誰も信奉してないよ。


218 :日本@名無史さん:2006/10/19(木) 00:03:25
>>216

それは、小林行雄の過去の時代。

昔は、考古資料が少なかったから、文献にも頼ってたが、
今は、考古資料が揃ってきたから、文献を読む以上に古代の様相が見えてきたわけ。
ぶっちゃけ、今の考古学に文献なんて不要なのさ。


219 :日本@名無史さん:2006/10/19(木) 00:18:03
考古学に歴史はわからないと思う。
たとえば、西暦1600年前後、本州には大きな城が前後して3つ出来た。
大阪城、名古屋城、江戸城。
考古学的に発掘調査したら、大きさはわかる。しかし、出来た順番を推定
するのも難しい。仮にわかったとしても、それらの関係はわからない。
解釈しだいでいろんな説が出てくる。いろんな説が可能である。

しかし、文献によれば歴史がすぐにわかる。豊臣秀吉が天下を取り大阪城を作る。
秀吉が死んで徳川家康が覇者になり江戸城を作る。
家康の息子の尾張家が名古屋城を作る。

考古学には限界がある。

220 :日本@名無史さん:2006/10/19(木) 00:18:40
米倉涼子さんが生放送中に放屁、脱糞の可能性も
http://news20.2ch.net/test/read.cgi/news/1160977310/

221 :日本@名無史さん:2006/10/19(木) 00:32:38
>>217
要は、弥生後期開始が1世紀、ってのは確定と見ていいわけ?

安本信者は自説に都合が悪いから、
「実年代は全く分からない」「考古学はまったく信用できない」
と主張したい訳ね。

222 :日本@名無史さん:2006/10/19(木) 00:38:38
>>219
まあ限界はあるだろうね。
しかし、だからといって考古学的に排除できる説っていうのはある。

文献がなかったとしても、徳川の大阪城、名古屋城、江戸城がつくられた時代、
当時の日本の最高権力者が九州にいたという説は排除できる。間違いなく。

223 :日本@名無史さん:2006/10/19(木) 00:53:38
>>188
>現代ですら31万人の宮崎市にくらべ、宮崎県全体なら42万人なんて屁みたいなもんだろう。


文に脈絡がないが、仮に邪馬台国の時代の倭國全体に1300万人住んでたとしたら、
宮崎全体で4万2千人だな。
そして、殆どのプロは、倭國全体で130万人以下と推定している。

まあ、現在で100万人の宮崎県に42万人も住んでいたとしたら、
掘るたびに遺跡が出てなきゃおかしいだろうな。

224 :日本@名無史さん:2006/10/19(木) 01:15:05
古代の宮崎平野はかなり人口が多かったと推定される。
どこを掘っても遺跡が出てくるとも言われる。
宮崎平野の主な古墳群と古墳の数は次のとおり。

宮崎市 生目古墳群  43
宮崎市 下北方古墳群   6
国富町 本庄古墳群   57
西都市 西都原古墳群  311
新富町 新田原古墳群  207
西都市 百塚原古墳群  22
西都市 三納古墳群  46
西都市 三財古墳群  44
西都市 茶臼原古墳群 55
高鍋町 持田古墳群  87
川南町 川南古墳群  55

もちろん、倭人伝の7万戸は当時の日本のどこを探してもないと思うが。

225 :日本@名無史さん:2006/10/19(木) 01:54:50
>邪馬台国も卑弥呼も居なくても困らない。それが考古学。

身もふたもないが、結局そうなんだろうなあ。
倭の五王もまた関知せず、なんだろうか?

226 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/19(木) 05:48:31
>>201
>口だけならなんとでも言える。

それを判断できるのが1人前の大人。
話してる間に偽物はダイタイばれるぜ。

小泉総理みたいなワンフレーズの言葉しか喋れない奴じゃ、ナカナカばれんけど
お喋りにはまず、不可能だろう。

227 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/19(木) 06:15:48
>>205
>出土品の年代に信憑性が無いというなら、

俺がいつ信憑性が無いといった?
俺が言ってるのは、濠や古墳の表面、古墳の中から出てきたごく一部の欠片を針小棒大に
信用する危険性を指摘してるだけの話。

当然逆に、どう見ても否定できない年代の膨大な研究は沢山あると思うぜ。
しかし邪馬台国の位置は、魏志倭人伝を離れては成立しない。
その後の記録(後漢書、晋書など)は150年〜300年後とあまりに時期が遅すぎるから、参考
程度とすべき。
ダイタイ日本には文字の記録が残ってない時期なんだからな。

228 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/19(木) 06:34:58
>>223
>そして、殆どのプロは、倭國全体で130万人以下と推定している。

プロって誰のことだい?
倭国全体の人口なんて、どうやって推定できると思ってるのかね。
手段がないような推定を、プロと言われる方がやるだろうか?

それに遺跡というのは、運良く条件が重なったときに始めて発見できるもの。
遺跡自体を確実に残ると信じてる時点から、根源的思考力不足!

特に日本の土は酸性が強く、よっぽど条件が良くなければ遺骨は残らない。
西都市の古墳みたいに作って残すなら、残りはするがほとんど発掘調査はしてないと聞く。
特に俺が注目したいのは西都原古墳の8平方kmに300近くの古墳が集まってる所。

卑弥呼に霊力があり、皆既日食の日に非業の死を遂げたとするとそのネームバリューで
弘法大師の高野山並みの、大金持ちによるお墓ラッシュがあった可能性がある。

229 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/19(木) 06:45:39
>>224
>倭人伝の7万戸は当時の日本のどこを探してもないと思うが。

俺はそうは思わん。
人間は意外と少食で生きていけるもの。

沖ヨガの道場で1週間ほど生活をした事があるが、1日1000kカロリーも取って
なかったんじゃないかな。それでも体重はほとんど減らずかえって体調は良くなった。

道場で泊り込んでる人は、ソレでずっと生活してるんだからね。
ただし栄養バランスには気をつけてたぜ。

230 :日本@名無史さん:2006/10/19(木) 07:08:12
>>227

>しかし邪馬台国の位置は、魏志倭人伝を離れては成立しない。

だから、どうしてそこまで魏志倭人伝を信用できるのか、その根拠は何だ?

記事がデタラメでないとどうして言える?
方位や距離がデタラメなのは、お前も認めるよな?

231 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/19(木) 08:13:03
>>230
>方位や距離がデタラメなのは、お前も認めるよな?

俺の今まで書いた記事をマトモに読んでないでしょう。
リニューアルして再度 魏志倭人伝の前提
●韓国→対馬間の距離50kmが1000里となってるので20里=1kmとする

●山道を超える場合、実測距離を書いてあるとし、地図上の直線距離を勘案し30里=1kmとす

●水行する距離に関して、数百人の人間が移動するには、漁師や運搬船を総動員しないと無理。
 本隊が着く前に先遣隊が大金を使って段取りしても、4日間くらいのタイムラグがあるとする。
 風を待つという待機もあるし、船もピストン輸送とし段取りでマイナス4日もしくは2日とし
 1日平均5km

●陸行する距離は、段取りでマイナス4日とし1日4kmとする。

●船を乗り換えてるので、漁業者のテリトリーが変化したものとし宇土を投馬国とす(宇土は当時島?)

韓国50km南→対馬50km南→壱岐(一大国)50km→唐津(末盧國)20km東南
→富士町(伊都国)5km東南→佐賀大和(奴国)5km東→吉野ヶ里(不弥国)80km南
→宇土(投馬国)40km南→芦北に上陸130km→西都市(宮崎県)・・「ここが邪馬台国」

−−−−−(引用開始)−−−−−
魏志倭人伝に出来るだけ忠実に、原文どおり和訳してみました
http://www.webtelevi.com/yamataigisi.htm

232 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/19(木) 08:16:23
なぜ距離を里と日数で表現したのか

韓国から日本の吉野ヶ里(不弥国)までは里で表現してある。
船便では魏の勢力圏の船乗りで、言葉が使節団と良く通じてて、船乗りの感覚で表現したもの。
それに対して、吉野ヶ里(不弥国)以降は有明海だから、船乗りが日本人で日本の船、距離の
概念も異なり、まず言葉が不自由。

その為に使節団が必要とした日数でしか、距離を表現できなかったもの。

北九州での距離を里で表現してるのに、九州横断がなぜ里で表現できなかったのか。
測定法は数人の使節団員に歩幅を数えさせて、集計し里で表現していたと思える。
これだとそれなりに注意深く、一定の歩幅で歩く必要もあり比較的良い道でしか使えない。
唐津(末盧國)から吉野ヶ里(不弥国)までなら、ほとんど一直線で良い道だったと思える。

九州横断の道はあまりにも悪く、急峻な場所や方向感覚も狂うような道が多かったのでは・・
それか、吉野ヶ里(不弥国)から水行日数で出したので、ついでに簡単な陸行日数にしたのかも・・・
今の国道の九州横断道路でさえ、芦北から西都市(邪馬台国)までギザギザ状に曲がった道路だ。
1800年前じゃ推して知るべし。

233 :日本@名無史さん:2006/10/19(木) 08:31:42
>>231

>●韓国→対馬間の距離50kmが1000里となってるので20里=1kmとする
>●山道を超える場合、実測距離を書いてあるとし、地図上の直線距離を勘案し30里=1kmとす


魏志倭人伝以外の文献で、「20里=1km」「30里=1km」とか表現してる奇術があるのか?
無ければ、「デタラメな記述を、自分勝手に解釈してるだけ」ということだ。

反論があれば、
魏志倭人伝以外の文献で、「20里=1km」「30里=1km」とか表現してる記述を探して来い。


234 :日本@名無史さん:2006/10/19(木) 08:33:22
だからそのお前の妄想解釈じゃ、誰も納得しないってw
何度も言うように、同時代に書かれた文献が、それも外国で書かれた倭人伝
ひとつなんだから、おのずとその限界が分かりそうなもんだが。
倭人伝原理主義者が巣食うスレが他にあるんだから、そっちへ行けば?
考古学を無視したいなら、オカルト板に行った方がいい。

235 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/19(木) 08:52:19
卑弥呼の墓は歩いて100歩と考え、1歩40cm〜60cmとし直径40m〜60mと思う。
魏の時代の尺度でと文句を言う方がいるけど、その時代の尺度の根拠がどこに残ってるのか
判らんのじゃ、信用するわけにはいかない。

それに卑弥呼の古墳は、古墳時代の始まりなったもので魏の張政という役人が指導して作らせた
というから仁徳天皇の時代のような大規模な古墳とは考えられぬ。

せいぜい天然の小山を利用して、頂上に少し土盛を行ない突貫工事で急にやって安い工事費しか
かけてないはずだ。よって直径50mくらいが関の山。
西都市の円墳で直径50mくらいならたくさんありそうだしね。

しかし卑弥呼の墓には金印はないでしょう。
有るとしたら後継者の台与の墓なら、魏が滅んだ後だから金印の必要もなくなるから可能性はある
鏡も小さな中国の鏡なら出てくると思うけど、死んだ後に戦争や内乱があったようだから盗掘され
たかもしれん。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
この時、卑弥呼はすでに死んでいたので、大きな墳墓をつくらせた。直径は百歩余りで、
   男女の奴隷を百人以上殉死させた。あらためて男王を立てたが、
   国中は不服として、そのため殺し合いになった。当時千人余りを殺した。

236 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/19(木) 09:09:32
>>233
>魏志倭人伝以外の文献で、「20里=1km」「30里=1km」とか表現してる記述を探して来い。

20里=1kmとは 1里=50m
距離の表記は、時代によって人によって場所によって常に変化してるもの。
同じ文書の中で確実にわかる距離を基準にするのが、一番科学的方法といえる。
それに、書いてあるのは使節団が歩いた実測距離であり、俺が地図上で使ったのは直線距離。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
中国最古の天文算術書といわれている『周髀算経』にのっている「里」の一里が、約76〜77
メートルになることについて谷本茂氏の論文がある。(季刊邪馬台国35号)
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku232.htm

237 :サガミハラハラ:2006/10/19(木) 09:11:39
歩百歩は、中国の歩幅です。一歩150センチぐらいです。
よって160m以上となります。
佐賀県小城市の桜ヶ岡がそれに該当します。

238 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/19(木) 09:16:46
>>234
>同時代に書かれた文献が、それも外国で書かれた倭人伝
>ひとつなんだから、おのずとその限界が分かりそうなもんだが。

あなたは「何のために書かれた公文書」なのかを無視してるんじゃないかい?
晋の時代の人が、邪馬台国にすんなり行けるように書かれたもの。

侵略するにしても援軍を送るにしても、貿易をするにしても目安になる公文書が
なくては行くにいけないだろう。
その為に、役人として作者が使節団の日記などを調べ書かれたもの。
ムチャクチャを書いてては、侵略する軍隊が迷子になってしまうよ。

239 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/19(木) 09:28:17
>>237
>歩百歩は、中国の歩幅です。一歩150センチぐらいです。

俺にはその根拠が分からん。
根拠のわからん数字は使いたくないし、初めて作る古墳でそれだけの大きな古墳を作れるものだろうか

ほとんどの作業員も、指導した張政にしても大金をかけて巨大な古墳を作る必要も考えられん。
魏の役人の張政は、軍事や外交の専門家ではあっても、お墓を作る経験者だとは思えない。
150mの直径といったら、建造するだけでも大変な労力、食料、宿舎、経験などが必要。

そんなものが全くない初めての古墳で、しかも外国に行ってそんな冒険をするだろうかね???

240 :日本@名無史さん:2006/10/19(木) 09:42:17
>>235
20里=1km。これにはそれなりの根拠があったけど、1歩40cm〜60cmには
根拠がない。

>張政という役人が指導して作らせた
倭人伝の記述からはそのようには読み取れない。

>239
自分で勝手に卑弥呼の墓の大きさを決めてしまい、一歩の距離を
それにあわせようとするのは良くない。
魏の時代の一歩は約145cmと考えるのが普通。

張政が古墳を造らせたというのも勝手な解釈。
それから古墳の場合はやはり作られた年代も無視できない。

241 :サガミハラハラ:2006/10/19(木) 09:47:10
中国の歩幅は両足を動かして1歩となります。日本は片足だけで1歩となります。
片足の歩幅は75cmぐらいですので、中国の歩幅は150cmとなります。
時代により細かい違いはありますが、大勢そのくらいです。
桜ヶ岡は自然丘(もともと卵型)を利用しており短期間で完成したと思われます。

242 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/19(木) 11:37:53
>>241
>中国の歩幅はほ2歩両足を動かして1歩

>>(キ歩と歩)の違いだな
しかし、単に「歩く」行為とモノサシとしての「歩」の概念は違う
その辺りを混同し、現在の混乱要素になっている
辞書をストレートに読んではいかんよ
【モノサシの基点は動かない】
動くのは、「測る」という行為が伴った時だけ
「測る」と「モノサシ」は別物だよ。

243 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/19(木) 11:51:23
始皇帝の治世(度:歩=六尺が統一され)
詰まり、それまではバラバラだったと言うこと
ここで動いたのは「尺」ではなく「歩」
「歩」の基準を六進法と、統一した。「尺」のモノサシの基準概念(時代により長さの変動は有るが)は動いていない

詰まり、
「歩」が
二足分の長さと、未来永劫とする解釈は間違った考えだと、言う事

244 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/19(木) 11:57:37
始皇帝の治世、統一されたのは
「歩=六尺」であり
決して
「歩=二足分」では無い

後世のこじつけかな?

245 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/19(木) 12:10:18
おっと
漢書 律歴志 二十一上…

辺りでも確認出来ると思うから。 疑わしいと思った方は、そちらで確認してね。

246 :サガミハラハラ:2006/10/19(木) 12:22:44
歩が二足分といったのは、中国と日本では歩の測定の仕方が違うということと、
中国の文書を日本流に解釈してはいけないということです。

247 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/19(木) 12:26:13
>>246
>歩が二足分

>>使い分けられる人はいいけれど
ストレートに
歩=二足 だけが勝手に一人歩きすることを懸念しているのです。

248 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/19(木) 12:29:45
>>236恵也さん

>谷本説

>>谷本説支持も結構だが、周の時代に「里」の概念が存在していたかどうか、調べた後の発言ですか?

片手落ちになりますので

249 :サガミハラハラ:2006/10/19(木) 12:33:47
そうはいってもそうなんだから。

250 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/19(木) 12:35:36
>>246

>中国と日本では


>>測定基準がどうちがうのですか?
長さこそ違えるが、基準となるモノサシは変わらないのでは?

251 :サガミハラハラ:2006/10/19(木) 12:37:01
周代の1里は福永晋三氏が算出した67.5mで決着をみるとおもわれます。


252 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/19(木) 12:42:12
>>251

周には周のモノサシが存在している
福永氏がつべこべ言おうが、モノサシを無視した発言なら ×
騙されてはいけません。
「現物に勝るものなし」

253 :サガミハラハラ:2006/10/19(木) 12:45:25
そうです。尺貫法は人体にあわせてつくられたものです。ただ国や地方により、変化しており、
日本では1歩は片足で1歩とかぞえます。

254 :日本@名無史さん:2006/10/19(木) 12:45:36
>>226

>話してる間に偽物はダイタイばれるぜ。

だからバレてるだろ。
素人で忍耐力もない偽修行者だとな!
それとも金欠の下宿暮らしで食費も無かった時を
修行したとでも言い張ってるのか?!

255 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/19(木) 12:46:39
サガミさんも
周時

一里=67.5bを推奨するなら、周時に「里」の概念が存在していたことを先に
証明しなければなりませんね。

証明出来ずに「周里」とはなんぞや? ハァ?
に、なってしまいます

256 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/19(木) 12:51:42
>>253

それで 中国では二歩なの?

257 :サガミハラハラ:2006/10/19(木) 12:55:22
里の概念は周どころか殷の時代(ひょっとしたら夏の時代から)にはすでに存在したと思いますよ。
そうです、中国では日本での2歩分です。

258 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/19(木) 12:57:19
>殷の時代

>>それは殷の文献で?

259 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/19(木) 13:02:23
サガミさん

サガミさんが思うのは自由ですが、それを文字としてwebで流すのは 如何かと?

260 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/19(木) 13:49:24
確か
殷の文字(甲骨文字)の中には(里)の文字はなかったような…
それに、殷の時代背景をよく表していると言われる(誰が言ったか知らない)『山海経』も、後世に追記された形跡が(オリジナルとは若干変化するのでは)


まさか、こんなところが根拠ではないですよね〜?
サガミさん

261 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/19(木) 16:21:37
>「南へ水行十日、陸行一月程行くと、邪馬壹国に着く」について

この言葉を水行なら10日だが、陸行なら1ヶ月と理解してる方がいる。
これは根源的理解を持たない方の誤解に過ぎん。

魏の正当な後継者である晋の役人が、魏の使節団の日記を調べる事によって晋が将来、邪馬台国と
貿易するにしても、侵略するにしても、役人を派遣するにしても役に立つように書き残したものが
魏志倭人伝であるという前提条件を無視してる。

魏から邪馬台国に行く使節団は、安全で、速くて、楽なコースを生口に案内させたはず。
また生口もそれ以外の、自分で魏に行くときに通っていない道を外国の賓客に案内はできない。
だから使節団の日記に水行なら10日とか陸行なら1ヶ月なんて書ける筈がない。

地図で見ると鹿児島周りで宮崎:西都市に行けば楽な感じだが鹿児島は敵対勢力の狗奴国の
勢力圏で通行できなかったと思われる。
その為に1ヶ月もかけて難行する九州横断の陸行をせざるを得なかったもの。

奈良を邪馬台国と考えたら、ほとんど水行で大阪か和歌山に上陸するのが安全で早い。
甘木を邪馬台国と考えたら、末盧國に上陸後に再び水行する必然性がない。
よって安全で、最短距離で、楽なコースを使節団が取ったとすると、西都市しか考えられぬ。

262 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/19(木) 16:30:22
>>240
>>張政という役人が指導して作らせた
>倭人伝の記述からはそのようには読み取れない。

俺には読み取れる。
それに卑弥呼が死んだ西暦240年頃には日本には古墳がなかったはず。
古墳の流行はこの時期からだ。

−−−−−(引用開始)−−−−−
和訳:この時、卑弥呼はすでに死んでいたので、大きな墳墓をつくらせた。直径は百歩余りで、
   男女の奴隷を百人以上殉死させた。あらためて男王を立てたが、
   国中は不服として、そのため殺し合いになった。当時千人余りを殺した。
彌呼以死大作冢徑百餘歩徇葬者奴婢百餘人更立男王國中不服更相誅殺當時殺千餘人

263 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/19(木) 17:15:49
>>240
>魏の時代の一歩は約145cmと考えるのが普通。

里の問題でも、歩の問題でも尺度の単位が現代中国と同じとは思えない。
日本の尺貫法も時代によって、ずいぶん変化してるしね。

−−−−−(引用開始)−−−−−
@魏朝の時代の尺度(一里=三百歩で、一歩が約1.45M)に基づき、約一五〇Mとみる、
A倭人伝に通じる「短里」で表現されたものとみて、三〇Mほどとみる(なお、「短里」
 についても、朝鮮半島・倭地に限定の短里とみる説と魏晋朝一般の短里とみる説がある)、
B「歩」を人間の実際の歩幅(一歩=約60cmないしは70cm)とみて、約六〇Mないしは七、
 八〇Mとみる(「百余歩」を慣用句とみて、結論的にこの長さをとる説もある)、
http://www.kyoto.zaq.ne.jp/dkanp700/koten/gishi3.htm

古墳がつくられた時代
 西暦3世紀の半ば過ぎから約400年間にわたり、日本列島の広い範囲で「古墳」とよばれ
る大規模な墓がつくられる時代が続きました。
http://www.pst.ne.jp/~ichimiya/his/11.htm

264 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/19(木) 17:27:39
中国では細かな変化はあったとしても、おおむね、周(短里)→秦・漢(長里)→魏・
晋(短里)→東晋以降(長里)という変遷をたどったと考えられますが、それぞれの時
代にどのような長さの単位が使われていたかを正確に知ることが出来る資料は極め
て少なく、また、現在残っている史料等は何回かの書写を経てきたものですので、後
代の解釈による修正等の影響があったり、古い時代からの史料等を寄せ集めたた
めに同じ資料の中でも異なった長さの単位が使われている形跡が見られる等、一見
分かりにくいものとなっております
http://home.b06.itscom.net/kodaishi/page003.html

265 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/19(木) 17:41:00
−−−−−(引用開始)−−−−−
〜中略〜その天柱山の高さが「二十余里」だというのである。

と述べられる。この「天柱山」というのは、海抜1860メートル。「魏晋朝の短里」なら
ピッタリ一致するというのである。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/5739/furutasetsu.htm

266 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/19(木) 18:14:52
>魏晋朝の短里>>265


>>なんだそれは?
当時の度量衡(一尺=約24p)から
どうやれば
その数値が導き出されるの?

答えがあっていれば全てOKじゃないんだよ
この世界

267 :日本@名無史さん:2006/10/19(木) 18:20:56
>>262
>>240
>>>張政という役人が指導して作らせた
>>倭人伝の記述からはそのようには読み取れない。

>俺には読み取れる。

「彌呼以死大作冢」が、どう読めば、
「張政という役人が指導して作らせた」になるのか?

解説してくれ。



268 :日本@名無史さん:2006/10/19(木) 18:31:15
畿内説の最大の弱点は、弥生時代の遺跡から
銅鏡が出ない事だわな。

269 :日本@名無史さん:2006/10/19(木) 18:44:47
>>268

それは、鏡と王権を結びつけるバカがいるからだ。

270 :日本@名無史さん:2006/10/19(木) 19:26:19
鏡祭祀は筑紫発。大量の破鏡が出土した平原王墓を見る限り、
鏡は単純な宝物ではなく、王権と切り離せない呪術具だったことが伺える。
筑紫で生まれた鏡信仰は、吉備を素通り。阿波・播磨を経て大和に到達する。
鏡は前方後円墳祭祀の一要素として、畿内王権に採用された。
破鏡はされなくなる。

271 :日本@名無史さん:2006/10/19(木) 19:29:41
>>263

>>261で言ってる魏志倭人伝の前提条件を考えれば、
@しか有りえないな。

272 :日本@名無史さん:2006/10/19(木) 19:45:00
>>270

「破鏡する祭祀」と、「破鏡しない祭祀」とは雲泥の差があるだろ。

バカか?


273 :日本@名無史さん:2006/10/19(木) 19:55:35
>>272
破鏡するかしないかの過渡期がホケノとかなんだろう。
前方後円墳祭祀の様式が確立したのは、箸墓以降であって、庄内の
期間はもっと混沌としていたと思われる。

274 :日本@名無史さん:2006/10/19(木) 20:00:36
ミンカって、韓国系だよね。
アメリカのサイトでは、なぜか東京出身の日本人、みたいな紹介されてる。
ミンカ、元・在日なのかな?

日の丸マークのMinka Linksをクリックしてみなさいよ。 

【ミンカ−フリーワン】
http://www.freeones.com/html/m_links/Minka/

【ミンカ-HP】
http://www.minkaxxx.com/

【ミンカの巨乳画像】
http://www6.kinghost.com/hardcore/pfijo/Minka/


275 :日本@名無史さん:2006/10/19(木) 20:03:42
鏡を割ったのは征服者側の盗掘行為というのは無いのかな。

276 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/19(木) 22:52:51
恵也説邪馬台国

卑弥呼の死亡後の邪馬台国の変化。
男の王様になって国がまとまらず、台与が13歳小学校6年か中学校1年で卑弥呼の跡継ぎになった
これはいくら、台与に霊力があるにしても不自然。

卑弥呼には国の利害の調整を神の意思として行ってたはず。公孫氏の血縁として修羅場をくぐって
邪馬台国にきた老人霊能者卑弥呼と違ってあまりに子供過ぎて人生経験不足。
よってここで30カ国から成り立つ邪馬台国で西都市一族から宇佐一族への政権移動が生じたと見る。

日本の幕末に薩摩藩が、大きな借金を利子をゼロにし100年払いの1%年賦で大阪の金貸しに恨まれ
ながらも明治維新を起こしたように、宇佐一族も台与を霊能者として国家指導者にし革命をおこし
て卑弥呼の権限をすべて手に入れたと見る。

宇佐一族は卑弥呼時代には警戒をされ冷遇されてた、薩摩藩みたいなもの。
西都市一族が卑弥呼死亡後の内乱で、衰退したから漁夫の利を得た宇佐一族。
だからこそ今でも日本有数の広い品格の高い神社を持つ。

−−−−−(引用開始)−−−−−
社伝では、天照大御神(あまてらすおおみかみ)と素戔嗚尊(すさのうのみこと)のウケヒによって
あらわれ、素戔嗚尊の劔を物実(ものざね)とした、三柱の比売大神で、筑紫の宇佐島に天降った
神とされている。宇佐の国造らが、奥宮の御許山を中心として祭つたものと伝えられている。
http://www.usajinguu.com/Frame.html


277 :日本@名無史さん:2006/10/19(木) 23:15:25
よく分からないんだけど安本厨ってなんで安本と180度違うこと言ってた
小林や佐原の編年を信じているわけ?
そんなの信じているやつは今の埋文業界では0なんだが。

そもそも年代の繰上げってのは、年輪年代法とか言う前に安本と同じく東遷論で
記紀の記述を重視してる柳田らが言い出して佐原の引退後に近畿の学者もやむな
く認めだした話。

ついでに言うと△鏡がどうのこうのも邪馬台国畿内説とは関係ないのだが
何を勘違いしているのか。△魏鏡説はどちらかといえば、主に京大の連中
が強く唱えていた特殊な学説であって、この業界の普遍的な学説とは到底
言いかねるのだが(可能性は否定しないけどね)。




278 :日本@名無史さん:2006/10/19(木) 23:23:56
>>277
業界の普遍的というか主流な学説って
今のところ、各論それぞれに、どんなあたりですか?
このスレとかロムしてる限りじゃ、もう訳分からなくなってくるのですが

279 :日本@名無史さん:2006/10/19(木) 23:51:45
>>278
邪馬台国(倭人伝)の話? 畿内王権(考古学)の話?

倭人伝解釈だけなら、未来永劫結論が出ないという結論が主流。

280 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 00:06:16
考古学は科学。倭人伝至上主義はオカルト。
この違いをよく理解した上で、文献派の人たちはもっと考古学を勉強して、
科学的に反論して下さい。
ちゃんと勉強しないと騙されてしまうかもよ。

281 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 00:09:56
文献も一つの考古学だよ
地中に埋もれているかいないかの、違いだけ

282 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 00:16:59
とにかく、鏡マニアの卑弥呼が畿内に居たと主張するには、
無理があるね。

283 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 00:17:57
>>279
たとえば△鏡。
考古学(文献でもいいですが)の現場に居る人たちの
多数意見は、ほんとのところどうなのかなあ? などと
初心者素人的には気になります。

284 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 00:25:35
>>277 柳田は基本的に九州のことしか述べない。畿内年代の遡上は畿内独自。

特に、畿内の古墳で年輪年代を直接の根拠に年代遡上しているものはどうなるの?

勝山古墳出土木材年輪年代測定結果について(ヒノキで測定)
http://www2.begin.or.jp/sakura/maka02.htm
「・・・具体的な年代を一年刻みで確定できる年話年代測定が今回、「布留0式」の
上限を西暦200年近くにまでさかのぼらせることになった。」
--------------------------------------------------------------------
いくらなんでも、布留0式を200年からというのは無理と思うけど、畿内説の一部が
こんな感じで年代遡上を強引に進めていった、という事実が現にある。


285 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 00:33:26
>>283
考古学というのは、ありえない畿内説でもあるかもしれないと思わすことが
出来る摩訶不思議な世界なのです。

286 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 00:38:26
布留0を200年というのは、流石に遡らせ過ぎだと思うな。
初期形式で景初の紀年鏡がある三角縁の出土状況から考えて、
250年頃と考えるのが正しい気がするが。

287 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 00:46:54
>>284 に続いてカキコ。
勝山古墳は、古墳の形式からホケノ山より古いとされているけど、布留0式は、
年代を古く見る畿内説でも270年以降となる。

そうすると、勝山→ホケノ山→箸墓の順序で古墳の形態変化があったとする
見方からは、箸墓は300年以降になる可能性のほうが高いと思う。

穏健に遡上の意向を度外視すると、勝山310、ホケノ330、箸墓350くらいに
見た方が良いような感じがする。

288 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 01:09:58
箸墓350って…、穏健なんですかね?

289 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 01:13:01
>年代を古く見る畿内説でも270年以降となる

安本ホームページ丸写し乙

290 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 01:29:02
安本が大和と甘木・朝倉地方との地名一致を発見し、脚光を浴びた頃は、
小林の実年代観が主流とされていたんだよね。
現在は誰も見向きもしないが。

安本は昔の栄光が忘れられず、旧い実年代観を引き摺ってしまっている、
哀れな老人の一人に過ぎない。

291 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 01:33:19
ホケノとか勝山を古く見る考えは、王族の墓とバランスを欠くのでは。

「王族(皇族)」と認定できる墓は、300年以降のみ。それ以前の墓で平原とかみたいに
他のと別格で「王」の墓と認定できるものはない。

にもかかわらず、王の支配下にいた豪族の大型古墳が230年とか250年に作られて、
王族の巨大古墳が300年以降というのは、無理がある。

そういう点から見れば、豪族が先に大型古墳を始めたとしても、せいぜい300年ころから
と見た方が穏当と思う。というのは、普通の考えじゃないの?

292 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 01:40:31
>>291
>王族(皇族)」と認定できる墓は、300年以降のみ。

いやさあ。君の古墳の実年代観はどうやって割り出したのかな?
いい加減に認めて、楽になれよ。
安本の実年代観は過去の遺物に過ぎないことをさ。

あと、楯築とかはどう考えるの? 300年以降なの?w

293 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 01:47:28
柳田は、平原を200年頃と見ているけど、少し疑問がある。

柳田によれば、従来、後漢鏡とされていた鏡を日本製とするけど、後漢が滅亡する
前は輸入品が入ってくるから、わざわざ模倣する必要がない。

むしろ、後漢の滅亡→模倣後漢鏡→日本製超大型鏡、との流れを考えたら、平原の
年代は230年以降になると思う。この考えだと原田みたいに、「卑弥呼の墓」という
可能性もあり得ることになるけど、その「可能性」は認めてもよいと思う。

あと、畿内で230年〜260年に大型古墳が作られたとする説は、その時期に邪馬台国
は他国と戦争中であり、大型古墳をいくつも作る余裕があったのか?と疑問に思う。

294 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 01:52:50
>>292  楯築とかの地方ならありうると思うけど、畿内でまさに王の支配下にあった
者が多数の人間を使役して大型古墳を幾つも作ったけど、肝心の王の大型古墳が
ないというアンバランスは、おかしいと思う。


295 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 02:03:37
>>293
平原の実年代は議論の分かれるところ。
卑弥呼と同時代という可能性もあると思う。
ただ、平原が新しくなったからと言って、安本実年代観は復活する訳
じゃない。残念ながら。

296 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 02:05:14
>>294
楯築も、それまでの弥生の墓とは隔絶して、突如築造されたのだが。
余り良く分かってないみたいだね。

297 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 02:15:25
>>296 近藤の著書とかは読んでるよ。
楯築が別格としても、楯築を頂点とした権力の広がりはないと思う。
その意味では地方の首長というレベルを出ないのでは?

あと、規模は大きいけど、自然の地形を利用してる。

298 :東四国:2006/10/20(金) 05:59:44
文献解釈だけでは邪馬台国論争が終わらない
というのは、事実だな。
なぜなら、その方法自体をみとめないという
認識を作り上げてしまったから。
自分たちが恣意的な解釈を繰り返して、
結局その方法は認められないというわけの
分からないことになった。

しかし、文献だけでも位置を割り出せた、
ということは記しておく。
ジャンケンでも後出しはいやだからな。
あとは2つの墳丘を掘ればわかる。
反証は可能。

299 :東四国:2006/10/20(金) 06:00:27
東四国が邪馬台国、西四国が投馬国
徳島南東部が狗奴国、四国の残りの
部分が順序良く並び旁国21国。
そして、女王国は四国全体を意味する。

邪馬台国四国東部説
http://www.geocities.jp/yamatai4/
大麻山とその周辺
http://www.geocities.jp/yamatai4/oasa/index.html

300 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 07:33:57
>>280
まあこういう奴は王(天皇紀)より飛車(考古学)を可愛がる頭だな。古史に
於いてこんな指し方では、いつになっても真のプロ級の腕前にはなれまい。w
>>298
心配はない。文献だけでもう明白な矛盾があるから結論は出ている。
だいたい女王国が畿内にありゃぁ、当然記紀にその記事が載る。
畿内の朝廷と畿内の女王国とはどこかに交流があって然るべきだから、倭人伝
以上にその記事が詳細に載り女王国の実相を知悉できるはずだがそれがまるで
無いと言ってよい。地理的に、双方は目と鼻の先だぞ。
無いんじゃぁ、女王国は九州であることはよく考えれば自明だ。終わり。

301 ::2006/10/20(金) 07:34:33
太国

302 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 08:45:05
物証(考古学)を見ずに自供(天皇記)を当てにしているようでは
プロの調査員にはなれまい。

303 :太国:2006/10/20(金) 10:09:54
文証で矛盾は明白だよ。飛車落ちで指せる。
ははっ、畿内に二つの王権が両立して、しかも記紀に相手側の記述がないなら
どこにあるかは考古学を出さなくても充分だ。笑わせるな。w
外様の倭人伝に詳細の記述があり、かたや自分の所の文献に猫の額ほどの記述
がないとすれば、外様に近い所に女王国があったのは明確に分かる。当然中国は
畿内より九州のが近い。つまりだ、考古学がどうのではなく九州説が正解。
女王国は九州にあったのだ。

304 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 10:20:08
>>303

で、九州の邪馬台国はそれからどうなった?

大和に東遷したなんて妄想はしてないよな?

305 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 10:20:43
とりあえず佐賀。

306 :太国:2006/10/20(金) 10:22:05
>>304
東遷はないです。

307 :サガミハラハラ:2006/10/20(金) 12:20:03
九州の邪馬台国は290年代にほかの九州諸国とともに大和朝廷(垂仁天皇代)と連衡したようです。

308 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 12:49:36
太国とサガミハラハラは、
九州・邪馬台国と畿内・大和王権の並立、
その後、東遷は無く、九州・邪馬台国の消滅という意見でいいわけだな?

とりあえず、安本よりは頭が良いことは認めてやる。

309 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/20(金) 12:57:15
東征も東遷も史実だよ
古代、二つの社会が存在していた事も裏付けられるし、現に
帝国に両方の社会が朝見した事も史料事実だ

310 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 13:00:19
>>309

プラムが安本並なのはわかった。
自分のスレへ帰れ。

311 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/20(金) 13:10:46
>>310

流石に危機感感じた様だな
ま、もう少し高見の見物と洒落込みますか

312 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 13:30:51
>>311

>ま、もう少し高見の見物と洒落込みますか

遠慮せずに、ずっと高見の見物しててくれ。

313 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/20(金) 13:42:45
>>312

>ずっと高見の見物しててくれ


>>いや〜
出来る事ならそうしたい所なんだが
先日みたいに、メチャクチャナ度量衡認識が蔓延しているのを見ると なぁ〜
判るだろ?

せめて
基礎的な度量衡ぐらい統一しなよ 君が頑張るのなら俺は口だしせんけど

どおだね?

314 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 14:04:36
>>313

>判るだろ?

ああ、危機感感じて必死なのは、プラムだってことがな。


315 :サガミハラハラ:2006/10/20(金) 14:06:04
角川漢和中辞典(貝塚茂樹・藤野岩友・小野忍編)の付録p1311に周・春秋・戦国・前漢は歩1.35m
と記述があります。
里の記述もあることから、周の時代に里があったようです。

316 :太国:2006/10/20(金) 14:26:02
>>307
毎回だが(今後も言い出しますが)、神武即位が紀元元年の余の算出が正ならば、
実年代で290年代は貴殿のお言葉どおり垂仁天皇の即位のころになります。

>>308
だいたいそのとおりですが、女王国の後に(倭の五王朝とはまた他の)別王朝が
九州に存続していたということになります。その国名が何というかは余にも
把握はできておりませんが、これがあったわけです。その別王朝は文武天皇の
前後の時代までいろいろ変化しながら九州にあったんですな。

317 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/20(金) 14:39:15
>>316サガミさん

裏付け取れてるんですか?
周髀算経ですら
8尺縦棒基準の三角測量
到底『里』の影はむりな算段 後世『里』の概念が出来上がってからの応用問題と判るのですよ


それに、
周のモノサシから
どのように『里』を導き出すのですか?

318 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/20(金) 14:40:36
>>314

君も参加し、どんどん反論カキコしなよ

319 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/20(金) 14:49:12
誤爆失礼

316 ではなく>>315でした

320 :太国:2006/10/20(金) 14:51:47
>>316 訂正 290年代(>>307の件)
× 垂仁天皇の即位のころ
○ 垂仁天皇の崩御のころ

従って、景行天皇の時代に入りこみますので、いささかズレがありました。
垂仁天皇即位は実年代で260年を算出しました。

321 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 16:11:05
太国としては、箸墓古墳=モモソヒメの墓=3世紀中頃築造ということでいいのかな?

意外に話の通じるやつみたいだから、参加を許可する。



322 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 16:19:13
邪馬台国が、九州か畿内かなんてことは、正直どうでもいい。
魏の当時、九州か畿内にあったクニを、邪馬台国と表記しただけのこと。

考古学が示した「東遷は無い」という事実だけ、きちんと理解されればいい。
頭の悪い発言で議論をぶち壊す安本とプラムは詞ね。


323 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/20(金) 16:44:19
>>322
頑なに何かを保守したいのか?
たかだか東遷云々で
平気で人を殺せる、お前の神経疑うぞ。
余りにも憐れだ
悲しくなるぞ。
悪いが 泣かせてもらうよ

324 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 17:14:04
>>322 お前なかなか威勢がよくて、頼もしい厨だな。
今しっかりIP抜かせてもらったので、これからしっかり弄らせてもらうぜ。


325 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 17:26:32
いわゆる九州王朝説と畿内説は妙に似ている所がある。

九州王朝説の元祖は、本居宣長と思う。本居宣長は、皇紀の年代観に縛られた。
倭人伝を読んで、邪馬台国を九州に比定したものの、その時期皇紀ではすでに
大和朝廷は存在していた。だから、九州の女酋が神功皇后の名をかたり、
魏と通行したと考えた。

しかし、明治になると、神武天皇の即位が紀元前660年などというのは
ありえないと考えられるようになった。邪馬台国論争で有名な白鳥庫吉も
天照大神=卑弥呼と言っており、東遷(東征)説を示唆している。

以来、九州説と言えば、東遷説となった。

ところが、第二次世界大戦後、皇国史観に対するアレルギーみたいなものが
生まれる。記紀を元に歴史を語るのが悪いことのように思われたのである。
そのように状況で九州王朝説のようなものが復活した。

九州王朝説にとっても畿内説にとっても、東遷説が当面の敵となったわけである。
年代観も似てきたような気がする。

しかし、史実は東征だろう。

326 :月光仮面:2006/10/20(金) 18:09:42
日向方面にいた天孫系が、唐津博多に向こうを張って、楽浪方面の鏡、古墳技術
集団を取り込みながら近畿に向かうと言うことであり、唐津・博多文化はこの結果
東方から拡大する広域文化の支配下に入っていったという両方向の動きで把握
しないと捉えきれないのではないかと思う。

327 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 18:25:29
>>326

何の証拠も無い。


328 :太国:2006/10/20(金) 18:44:51
>>321
さぁ? その点は文献主体と、古神道の見地で学的に耐えられる研究から
やってますので、これに関しては研究の範囲外です。しかし卑弥呼の墓では
ないことは確かですよ。
3世紀半ばころとなりますと、さっきの算出結果では実年代は崇神垂仁の時代
ですな。252年が垂仁の立太子の年になりました。それは崇神16年に相当します。

329 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 20:33:09

ここは、  昼はニートが書き、夜はカルトが書く、社会の端墓スレ


330 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 20:37:41
>>329


うまいなあ。

331 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 20:42:01
太国さんが得意の古神道の事教えて欲しいってレス入ってるよ!
885のレス答えてやって
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1043927485/l50


332 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 21:19:21
>>324

既に荒らしまくってる人間が今更。w
失せろ。この世から。

333 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 22:00:26
卑弥呼をモモソに当てていたのは『日本紀』(600年頃編集)干支周期繰上げが無かったので
調度あっている。しかし2倍暦を使っているので実際よりもまだ古く設定されている。
卑弥呼に重なるのは天照大神

334 :サガミハラハラ:2006/10/20(金) 22:09:32
卑弥呼と天照大神はどうやってもかさなりません。
重なるようにみえるには、計算がずさんだからです。

335 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 22:21:20
いやいや重なるのだよ。計算式は今は教えられないけど、その内公表するよ。
ヒント:皇紀元年289年

336 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 22:22:21
>>332 よう、あんちゃん威勢がいいね。>この世から って
安本、プラムを殺しといて、まだ殺し足りないのか? w この外道が

足りないのか外道 足りないのか外道 足りないのか外道 足りないのか外道
>>332yo

337 :月光仮面:2006/10/20(金) 22:49:22
>>326
証拠と言えば記紀の海幸・山幸だが、海幸と言うのが先進の倭奴国と言われた
唐津・博多方面で既に戦国末ころから倭国の中原的な繁栄をしていた。この間南、
東九州は山戎・戎、日本語で言えば熊襲のごとき存在でひがんでいたんだなー。
これが海彦と戦ううちに近畿方面とも仲良くなり、近畿で天孫と名乗りはじめたと
言うことだろう。出雲は海彦と古代から関係がある。

338 :太国:2006/10/20(金) 22:51:32
卑弥呼はアマテラスではありません。

339 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 22:53:27
アマテラスは神武より遥か以前ですが、卑弥呼は神武以後の姫です。

340 ::2006/10/20(金) 22:54:24
太国です。すみません。

341 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 23:25:23
>>339
卑弥呼が神武以降の姫であってはつじつまが合わない。
仮にも魏は卑弥呼のことを「倭王」と言っている。
女王国という言い方もしている。
倭迹迹日百襲姫は、皇女であって卑弥呼とは格が違う。

神功皇后なら、卑弥呼に匹敵する身分だが、神功皇后は4世紀後半の
人物であり、卑弥呼とは年代的に合わない。

つまり、神武以降に卑弥呼に比定できる人物は見当たらない。

342 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 23:32:25
>今しっかりIP抜かせてもらったので、これからしっかり弄らせてもらうぜ。

無理無理。
相変わらず、プラムは人格破綻者だなあ。

343 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 23:33:20
>278
>業界の普遍的というか主流な学説って
>今のところ、各論それぞれに、どんなあたりですか?
>このスレとかロムしてる限りじゃ、もう訳分からなくなってくるのですが

△については、いまだに結論が出てないが、小林が自分の理論の中核とした
ことから、京大系の学者には未だに魏鏡説が多い。最近は京大でも国産説の人
もいるとか。逆に自治体の埋文は国産説が主流だと思う。かといって大学にも
国産説の人がいないわけではない。

>倭人伝解釈だけなら、未来永劫結論が出ないという結論が主流。
ウソ付け。いまどき、九州説の考古学者は皆無。

>>279
>たとえば△鏡。
>考古学(文献でもいいですが)の現場に居る人たちの
>多数意見は、ほんとのところどうなのかなあ? などと
>初心者素人的には気になります。

△掘っている奈良の埋文の連中には、基本的に国産説(埋葬方法から軽視されていること、
枚数が多すぎること、中国から出ないことなどから)。ちなみに魏鏡説の樋口所長は、
大学からの天下りでプロパーではない。副所長以下とは考えが全く違う。

>284 :日本@名無史さん
>>277 柳田は基本的に九州のことしか述べない。畿内年代の遡上は畿内独自。
これもウソ。柳田は、80年代初めくらいに庄内=3世紀初めと主張している。
当初は反響がなかったそうだが、今は定説になっている。


344 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 23:36:44
336 :日本@名無史さん :2006/10/20(金) 22:22:21
>>332 よう、あんちゃん威勢がいいね。>この世から って
安本、プラムを殺しといて、まだ殺し足りないのか? w この外道が

足りないのか外道 足りないのか外道 足りないのか外道 足りないのか外道
>>332yo

うわあ。プラムって只のあほじゃなくて、ヤバイ人だったんだねw
目を付けられない様、気をつけようっと。

345 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 23:41:00
三角縁って、文様で見ると、殆ど画文帯と同じなんだよね。
畿内王権が画文帯に憧れて真似たのか。

しかしまあ、画文帯を真似られるくらい技術が畿内にあれば、
逆に画文帯を尊ぶこともなかっただろうけど。

346 :太国:2006/10/20(金) 23:42:41
>>341
神功皇后も卑弥呼も多少ズレはあるが、双方おおむね同時代の人物だ。
ただ同一人物ではない。別人だぞ。神武以前の人物ではない。
当然日神でもない。眠いからまた明日な・・・。zzzzz

347 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 23:49:20
>>346
なるほど、九州王朝説ではそうなるなあ。

348 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/21(土) 06:27:21
>>267
>「彌呼以死大作冢」が、どう読めば、
>「張政という役人が指導して作らせた」になるのか?

俺は漢文の専門家じゃないが、普通に大きな墓を作ったというなら「彌呼以死作大冢」と思う
けど、この文章を命令形だとしてHPの漢文の得意な著者は読んだんじゃないかね。

それに当時の日本では、甕棺墓や支石墓、箱式石棺など1世紀から2世紀にかけてのお墓では
円墳を作った記録はないのじゃないの?
それが三世紀の西暦240年ころの卑弥呼の死で権力者の間で古墳時代が始まり、4世紀5世紀に
盛んになったと俺は解釈してる。

−−−−−(引用開始)−−−−−
和訳:この時、卑弥呼はすでに死んでいたので、大きな墳墓をつくらせた。直径は百歩余りで、
   男女の奴隷を百人以上殉死させた。あらためて男王を立てたが、
   国中は不服として、そのため殺し合いになった。当時千人余りを殺した。
彌呼以死大作冢徑百餘歩徇葬者奴婢百餘人更立男王國中不服更相誅殺當時殺千餘人

349 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 06:29:40
どうして画文帯の面白い図柄を
捨てたのだろう。
技術的な問題があったのだろうか?

350 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/21(土) 06:37:44
>>282
>とにかく、鏡マニアの卑弥呼が畿内に居たと主張するには、
>無理があるね。

俺もそう思う。
わざわざ100枚も鏡をお土産に貰うくらいだから、相当の中毒症状だ。
絹などの実用品ならともかく、鏡なんて顔を見るくらいしか役に立たん。

それだけ珍重されてたということは、銅鐸文明であった畿内とは思えん。
当時に既に、銅鏡文明であった九州と見るのが常識。

351 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/21(土) 07:13:23
どこの遺跡も、前原市教育委員会くらいの組織がこのくらい公表してくれたら良いのだが・・

−−−−−(引用開始)−−−−−
2号墓が造られた年代が推定されたことから、1号墓が造られた年代をある程度絞り
こむことが可能となりました。

1号墓が造られた年代については確実にそれを示す土器が発見されていないため、
銅鏡を始めとする副葬品などの検討からその年代が推定されていました。

それには弥生時代後期の中頃(西暦100年前後)とする説と弥生時代後期後半から
終末(西暦200年前後〜250年前後)とする説がありましたが、今回の調査結果から
考えると後者の可能性が高くなったといえるでしょう。
http://www.ss.iij4u.or.jp/~hsumi/docs/tusin/honbun/tusin3.html

352 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/21(土) 07:18:19
>>348
おいおい大丈夫かよ〜
『大作冢』の和訳が
(大きな墳墓をつくった)だって?

しっかりしてくれよ

353 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/21(土) 07:20:24
俺に濡れ衣着せて
また荒そうと いう魂胆か?

354 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/21(土) 07:37:52
>>298
>しかし、文献だけでも位置を割り出せた、
>ということは記しておく。

魏志倭人伝からは、全く割り出してないじゃないか!
あなたが書いてるのは、ただの卑弥呼時代に鏡などから四国が同程度の文明国だったというだけの話。

355 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/21(土) 07:51:02
>>300
>だいたい女王国が畿内にありゃぁ、当然記紀にその記事が載る。

それは無理!
魏志倭人伝は卑弥呼の時代西暦240年頃に、生きてた方が残した文章。

記紀は西暦720年頃で、500年も後に書いた文章。
あなたに日本の今から500年ほど昔の戦国時代、記録もなしに武田信玄などのことを書けるはずがない。
だいたい日本に文字は、卑弥呼の時代にはなかったんだからな。

356 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 08:00:27
>>348
「大作冢」は、「大いに冢を作る」かな?
恐らく、「立男王」の主語もそのHPの漢文の得意な著者は、張政と言って
いるのだろうが、それではお互いに殺しあっても意味がない。
張政を殺せばいいことになってしまう。

邪馬台国北九州説の人は、一大率の扱いに困るところがある。
邪馬台国が北九州にあるならば、諸国が恐れはばかるような一大率を
邪馬台国の近くの伊都国におく意味がなくなるからである。

だから、一大率は、魏または帯方郡が派遣したのだということになる。
男王を立てるなど何でも出来る権力が張政にはあったのだというわけである。

邪馬台国が南九州にあったとすれば、一大率は邪馬台国が派遣した高官で
十分に成立すると思う。

357 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 08:01:39
>>337

海幸・山幸は、南方神話のコピペだろう。
邪馬台国はインドネシアにでもあったのか?

358 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 08:03:03
>>348

>けど、この文章を命令形だとしてHPの漢文の得意な著者は読んだんじゃないかね。

得意とは思えんが。
いろんな訳を読んで適当に訳したようにしか読めんが。

359 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 08:10:22
>>355
>だいたい日本に文字は、卑弥呼の時代にはなかったんだからな。

魏からの使いは、詔書を持ってきているから、文字は知っていたはず。
また、張政も『檄を為し』とある。檄とはふれぶみ。文字で書いてある。


360 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/21(土) 08:12:54
>>304
>大和に東遷したなんて妄想はしてないよな?

東遷してるよ。
その証拠に、孝謙天皇が坊主の道鏡に狂って天皇の地位を渡そうとした騒動で、天皇家の祖先
天照大神を祭ってある伊勢神宮じゃなく、九州の宇佐神宮に和気清磨を送って神意を聞いてます。

−−−−−(引用開始)−−−−−
女帝の心と体をしっかりつかんだ道鏡の独壇場である。孝謙女帝の寵愛はいやが上にも厚く、
堂上公家たちも道鏡の巨根の前にはカタなしである。
http://www8.ocn.ne.jp/~giyoh/senryu-6.htm

361 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 08:16:18
>>360

ばか?

どうして、「ばか」なのか、日本史を小学生から勉強しなおせ。

362 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/21(土) 08:28:21
>>356
>恐らく、「立男王」の主語もそのHPの漢文の得意な著者は、張政と言って

いや著者は張政とは言ってない。
ただ大きな墓を作らせたと翻訳してるだけだ。

俺はこの指導をしたのを魏の役人である張政と見てる。

−−−−−(引用開始)−−−−−
魏志倭人伝にはいろんな和訳がありますが、誤訳の解説も多いようです
このあたりに邪馬台国論争の混乱の原因があるように思えます
http://www.webtelevi.com/yamataigisi.htm

363 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 08:34:47
>>360

ついでに、日本書紀もよく読むんだな。
神武が即位して祀った神は「高皇産霊尊」。
次に「イザナギ」「オオナムチ」が日本を讃えている。
神武は、「天照大神」を祀っていない。
「日神」の子孫と言ってるだけ。

そして、宇佐神宮が「日神」という伝承は無い。

364 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/21(土) 08:34:59
>>357
>海幸・山幸は、南方神話のコピペだろう。

いや、むしろ天照大神の孫の時代の政権抗争を皇室の悪口にならないように
伝説として残したもの。

山彦が大和朝廷として、海の部族を仲間にする事ができて後継者の地位を
内乱の上で確保したんだろう。

365 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 08:37:57
南人、山人じゃないか?

ハヤト、ヤマト

366 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/21(土) 08:45:20
>>359
>魏からの使いは、詔書を持ってきているから、文字は知っていたはず。

むしろ中国語を知ってる人間が、政権内部で重宝されていたというべき。
威張っていたからこそ「その書類を残す」という技術までには全く気を使わなかったわけ。
卑弥呼も朝鮮の公孫氏の血族で九州に逃げ出してきたという話もある。

卑弥呼の200年くらい前にも、生口として160人ほど後漢に送られてるので
これらの人が帰国後に語学力をいかして政権内部で重宝されたんじゃないかな。
いまでも語学留学した連中は就職には困らんだろう?

367 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/21(土) 08:56:11
>>363
>神武が即位して祀った神は「高皇産霊尊」。

その神さんが天照大神じゃないという根拠はあるのかい?
神さんは意外と沢山いろんなお名前を持っておられる。
おまけに代える事まであるからな!

神武天皇だって名前を変えたんじゃないの?

−−−−−(引用開始)−−−−−
古事記と日本書紀では名前も少し違うし、物語の筋も若干違うが、大筋としては、同じである。
http://www7.ocn.ne.jp/~sui-yama/jinmu.htm

368 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 08:57:44
>>366
古代の人が文字を知っていたのではないかと推定されるものに、
鏡文字というのがある。銅鏡には文字の書いてあるものがあるが、
日本製の銅鏡に、文字が鏡でうつしたように逆になっているものがある
のである。

鋳型に文字を書くときに、鏡で写したように書けば、
鏡が出来たときに、普通の文字になる。
ところが、鋳型に普通の文字を書いてしまったわけである。

文字を認識していたからこそそうなったのだといわれる。

>>362
それはちょっと早とちりだった。

369 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 09:00:20
鏡は実はモールス信号として使った。

370 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/21(土) 09:04:03
>>363
>宇佐神宮が「日神」という伝承は無い。

宇佐神宮の真ん中に祭られてる神様、ヒメ大神を日の神とする考えもあります。
その陪神として応神天皇と神功皇后が祭られてます。

−−−−−(引用開始)−−−−−
卑弥呼と宇佐神宮三祭神の応神天皇・比売(ヒメ)大神・神功皇后との関連を解明
http://cgi.din.or.jp/~washi/yamataikoku/paper/paper23.html

371 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 09:06:25
>>367
天照大神が岩戸を出てから登場するのが高皇産霊尊。
日本書紀には皇祖神と書いてある。
どちらも同格というか、むしろ高皇産霊尊のほうが命令を出すことが多い。

いわゆる出雲の国譲り、邇邇芸命の日向への降臨も高皇産霊尊の影響が
大きいと思われる。重要人物だと思う。


372 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/21(土) 09:11:04
>>368
>古代の人が文字を知っていたのではないかと推定されるものに、

当時の先端技術、銅鏡を作るほどのエリートの中には中国語を知ってる人は沢山いただろう。
今のコンピューター関係で活躍してる連中と同じ進取の精神の持ち主というべき。

しかし日本語を文字で残すというところまでは行っていない。
だから古代の人は文字を知らなかったといっても、間違いではない。

あなたの言ってるのは中国語を知ってた人間が少数だが居たと言うだけの事。

373 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 09:14:49
>>372
いつの時代でも、文字を知っているのは少数だよ。
現代が特異と言ったほうがいい。
記紀が書かれた時代も文字を知っていたのは少数だと思う。

そういえば、稲荷山鉄剣と江田船山古墳の鉄剣にも文字が書かれていたなあ。

374 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 09:16:31
鉄剣の場合は時代が違ったかな?

375 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/21(土) 09:24:31
日本の壁画古墳はお役人さんたちがグチャグチャにしたけど
朝鮮の壁画古墳は大切に保管されてるのかね?

本当に日本のお役人を総入れ替えして欲しい!

−−−−−(引用開始)−−−−−
この古墳には華麗な壁画があり、 前室に鼓笛男子像・舞踊女子像・角抵(相撲)をする
人物像が、 東側室には車・小屋・厨房・井戸・召使達の調理風景が描かれている。
http://homepage1.nifty.com/uraisan/yakata2/j0403.html

376 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/21(土) 09:33:46
>>373
>いつの時代でも、文字を知っているのは少数だよ。

江戸時代には寺子屋とかがあったというし、町人など必要な人間はいたはず。
どれだけの割合を少数とするのかが問題になるけど、政治権力者に連なる人間
くらいは全員が知ってる社会を文字を知ってる社会とすべきだろう。

豊臣秀吉は百姓の出身なのに平仮名を知ってて、現代にも残されてます。
それと坊主がお経の関係からか知ってたようだ、

377 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/21(土) 09:42:01
>>369
>鏡は実はモールス信号として使った。

これは十分ありうる。
時間を決めて、見晴らしのいい山ノ上から瞬時に国家危急の事態になりそうな事柄を
連絡するというのは十分にありえる。

江戸時代にも大阪・東京の米相場を鏡や狼煙で連絡しあい大儲けしてた町人もいたという
記録を読んだ事がある。

ジンギスハンが世界を征服したときにも、こんな連絡手段がなければあれだけの征服は出来ん。

378 :東四国:2006/10/21(土) 09:48:26
>>354
倭人伝の国名から邪馬台国の位置は
決まるという話。
3大国および順番に並ぶ21国と同じような
地名をもつ地域など、他にはないよ。
あると思うなら、実際に見つけて反証すべき。
(統計上の有意性ってことだけど、
どうもこの論争にかかわってる人たち
その意味が分からないみたいなんだよ。
情けない。)

あとは、他の倭人伝の記述や考古学上の
遺跡や遺物とのすりあわせをすすめるだけ。
さいごには、卑弥呼の墓まで特定すべき。

そういうふうに、反証可能なところまで
話をもっていかないとダメ。

379 :太国:2006/10/21(土) 10:05:28
>>355
文字がなけりゃぁどうして記紀の記録があるのか?太安万侶か稗田阿礼の脳みそ
の発露か?それにしては随分頭に叩きこんであるな?wこんだけ記紀に記述が
あるっていうのは当時神代文字か漢字という文字があったということだ。
無理っていう自体がおかしな話だろうが、そんならば神武から仲哀、應神まで
のほうは記述が無くなっていなけりゃぁなるまい。大和朝廷の方は記録があるの
だから当然卑弥呼も記紀に記録があらねばならない。それがないのは神武以前に
卑弥呼がいたのではなく、畿内から遠方に女王国があったからであり自国の
記紀に載せられないほど九州から記録の伝達が行われにくかったからだ。
九州ならば自国になくて他国に自国の女王国の記録があっても矛盾は少ない。
魏から九州は交易か貢献があったのだから、九州の情報は中国側に漏れても
おかしくはない。畿内から魏じゃぁあまりにも遠い。

380 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/21(土) 10:11:48
>>371
>むしろ高皇産霊尊のほうが命令を出すことが多い。

すこし調べたけど、日本書紀では天照大神もずいぶん苦労しておられるようだ!

−−−−−(引用開始)−−−−−
素戔鳴尊は,国譲りという名の侵略を正統化する種として使われたにすぎないからです。

外戚にすぎない高皇産霊尊が皇孫を奪って育てて自ら皇祖となり国譲りという名の侵略や
天孫降臨を自ら決定し命令する異常さ

そのくせ,高皇産霊尊が,主役として突然登場するのです。
http://www3.point.ne.jp/~ama/26.html

381 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/21(土) 10:14:38
>>379太国さん

こんな爆裂妄想連中に付き合っていて、楽しいですか?
折角の知識がだいなしかと……ではまた。

382 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/21(土) 10:28:13
太国さんなら判ると思いますが、

先日「私とサガミさん」が度量衡について少し触れましたが
今は誰も食いつこうとしません。
以前なら、相手が誰で有ろうとも食いついて、よく凹まされたものです。
詰まり、もう此処には学問を本気でやろうとする椰子が居ないことをよく、表しているのではないでしょうか?
毎日
お祭り期待に集まる連中ばかりです。


情けない。

383 :太国:2006/10/21(土) 10:35:44
プラムさん
今後の研究の進展をお祈りします。著作でもなさるとよろしいでしょう?

384 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/21(土) 10:39:47
太国さん
ありがとうございます。


時折覗き、今後は基礎的に誤りを見つけた時にでも顔を出します。

385 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/21(土) 10:46:09
>>378
>3大国および順番に並ぶ21国と同じような
>地名をもつ地域など、他にはないよ。

あなたに中国読みの、しかも古語の発音ができるだけの知識があるのかい?
斯馬 を(しま)と読ませ 児島 だと断定できるだけの中国古語に対する知識はない。
巳百支 を(じぱき)と読ませ 塩飽 だと断定できるなんて普通の人間にはできないこと。

特に発音は時代により、場所により常に変化していくもの。
中国みたいに大きな国では、同じ文字でも北京と広東では発音が違うという。
それを自己流の中国語発音をしてコジツケてもね????

−−−−−(引用開始)−−−−−
発音辞典です。漢字毎に北京語(ローマピンイン)と広東語(シンディ・ラウ)の発音が
対比して見られますので、北京語を学習された方が広東語を習得する際には、大変便利です
http://page8.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/h41341493

386 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/21(土) 11:00:48
>>379
>文字がなけりゃぁどうして記紀の記録があるのか?太安万侶か稗田阿礼の脳みそ
>の発露か?それにしては随分頭に叩きこんであるな?

お経では記憶のいい人たちによる丸暗記をしてます。
お釈迦さんの話されたという阿含経も口伝が長く続き、後に文字で記録されてます。
親から子へ、昔の童話を伝えるようなものだろう。

それらを記紀の記録する気になった方たちが、それらの話を大量に集めて書いたもの。

−−−−−(引用開始)−−−−−
 この口伝を疑って、科学的文献学のみによって、仏説か否かを解明しようとする者には、
大乗経典は仏説とは認め難いかもしれません。
しかし、当時のインドにおいては、暗誦や口伝による伝承が一般的な方法でした。
http://homepage3.nifty.com/y-maki/daibyakuhou/387-8.htm

387 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/21(土) 11:04:45
>>385

君には基礎的な認識が、どおやら欠落しているようだ。

漢語は、漢字そのものに意味が有り、音はそれほど重要視されない。
だから、当時どのような発音をされようとも、さして影響があるわけでない。

一方倭語は、自国の文字を持ち得ない為に
音を重要視しなければならい


それが基礎的な常識です。

388 :太国:2006/10/21(土) 11:12:22
>>386
女王国はその丸暗記から倭スレ去られたのか?w
大乗経典は仏説にあらず、はそうだと思考します。

389 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/21(土) 11:19:33
>>382
>先日「私とサガミさん」が度量衡について少し触れましたが
>今は誰も食いつこうとしません。

度量衡なんて時代とともに、場所とともに常に変化していくもの。
それをいい加減な根拠で信用する時点で、あんたは失格!
秦の時代に強力な強制力で一度は統制したらしいけど、この統制がなくなれば又変化していくもの

それを糞真面目に、メートル原器が存在してるかのように政権がころころ変わってるのに度量衡
の原器が大切に保存されてるかのように言うのは根源的思考力がない証拠だ。

畑や田んぼの大きさを決定するのに、長さの少し変えるだけで莫大な税金が入ってくるんだぜ。
この誘惑には、政権者にとってナカナカ勝てるものじゃない。
金が絡むからね。

−−−−−(引用開始)−−−−−
12年の法改正で、計量関係者は、長年の地道な努力の積み重ねで築かれてきた計量のシステム
も一旦縛りが解けると揺らぎかねないことを経験した。
適正な計量は「神の見えざる手」で導かれるものでないということであろう。
http://www.keiryou-keisoku.co.jp/hou-kaisei2005/hou-kaisei-iken.htm

390 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/21(土) 11:22:55
>>388
>女王国はその丸暗記から倭スレ去られたのか?w

そうだよ。
卑弥呼が死んで500年も経った時点の記録じゃ、記憶が変化するのは仕方がない。
20年で1世代変わるとしても25世代も上の先祖の話なんだから・・・・・

391 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 11:25:27
実は
熊襲のホホデミと熊野のイワレヒコは別人
神武伝説は義経伝説を思い起こさせる。

392 :太国:2006/10/21(土) 11:25:33
>>386
僧らは如来と数十年の間お近ずきがあったからそんな暗記の真似ができようが、
記紀の神代はもっともっと途方もない年月が経過している。そういう数十年の間
ではない。超古代にずっと万年と継続して丸暗記の相続が行われていたとは考え
にくい。つまり僧侶らよりも時間のケタが大違いだから同一視で肯定するのは
うまくない。万年以上ともなればた易くは丸暗記だけで超太古の記録の保持には
無理がある。つまり何らかの文字がありその記録で記紀の内容が保全できたと
考えるのが無理のない論であろう。

393 :太国:2006/10/21(土) 11:27:50
>>390
じゃぁ、ついでに神武から應神も忘れ去られてもいいようだが、なぜ
こっちはちゃんと残っているのかい?w

394 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/21(土) 11:36:03
>>389

>度量衡なんて時代とともに変化


>>だから魏時には魏時の度量衡があるのだよ
『一尺=24p』という
モノサシ(現物もあるよ)がね。

国の統一=度量衡の統一。これは常識以前の話だけどな
これを否定することは、魏朝そのものを否定する行為。
長レス乙だけど
君の意見は 妄想領域範疇だよ

395 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/21(土) 11:41:01
>>387
>一方倭語は、自国の文字を持ち得ない為に
>音を重要視しなければならい

確実に正しい音というものは残す方法がない。
その基礎的な常識があなたには無い!

清音と濁音の違いさえムチャクチャにあるのに西暦240年のころの
本当の昔の音なんてどれだけ残せるものかね。

−−−−−(引用開始)−−−−−
片仮名も平仮名も、平安初期(9世紀)に成立したもののようです。では、
その当時の日本語には濁音がなかったのでしょうか?。

答えは「否」です。

日本書紀(8世紀?)の音訳漢字を見ると、ちゃんと濁音用の漢字と清音
用の漢字とが使い分けられています。
http://homepage3.nifty.com/take_tk/gokon/kana_dak.htm

 話す言葉は、親から子に受け継がれるもので、 長い年月をかけてゆっくり
と連続的に変化する。

 しかし、書く言葉は、正式な文書や教育の「規範」とされるので、いったん「正しい」
と定められた語法が長い間保たれる保守性を示す反面、 政治的な権威や社会的
な運動によってごく短時間で急激に変えられることがある。
変化が不連続なのである。
http://www.pacific-en.co.jp/x260-1-1.html

396 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/21(土) 11:50:54
>>394
>モノサシ(現物もあるよ)がね。

へー、それじゃ魏の1尺原器があるのかい?
どこに保存されてるのか見せて欲しいね。

メートル原器はフランスで残されてたぞ。
日本でもわざわざフランスから日本メートル原器を送ってもらったんだよ。
それくらい厳しくしないとアヤフヤになってしまうもの。

−−−−−(引用開始)−−−−−
1890年(明治23)フランスから「日本国メートル原器」および
「日本国キログラム原器」が到着し、これが日本中の計量器の大本となった。
http://kjs.nagaokaut.ac.jp/HistGallery/html/p1875.html

397 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/21(土) 12:04:55
>>394
>ついでに神武から應神も忘れ去られてもいいようだが

小泉八雲が書くことで、松江の神話や童話を残してくれたのと同じ事。
口伝を集めただけだから、どこまで信用できるかは判らん。

−−−−−(引用開始)−−−−−
昔、姑にいびられた哀れな嫁が、里帰りをしようとしました。近道をしようと氷の張った
宍道湖を渡ったとき、氷が割れて宍道湖の中に落ちて死んでしまいました。神様は余りにも
かいそうなので、嫁のなきがらを乗せて一夜の内に島をお造りになり浮かび上がらせました。
http://homepage2.nifty.com/matsue-jo/contents5.htm

398 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/21(土) 12:20:28
>>392
>僧らは如来と数十年の間お近ずきがあったからそんな暗記の真似ができようが、

お釈迦さまが2500年前に喋られた事を、死なれた1年後に弟子100人ほどが集り口伝で残したのが阿含経

卑弥呼の場合は1800年ほど前に激動の邪馬台国で、指導者として活躍されてたのを魏志倭人伝で
同時代の作者の手で、中国で記録されただけの違い。

399 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/21(土) 12:28:52
確かに 音は時代とともに転訛する
(壱岐/イキ)は(ヒキ)から転訛したように
しかし、言意を無視した転訛はしない


>魏度量衡の原器?

>>モノサシだろう
当時の律歴志に記載されているから

モノサシの現物は 故宮博物館にて確認されたし
ネットでも見られるかも

400 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 12:51:33
>以前なら、相手が誰で有ろうとも食いついて、よく凹まされたものです。
>詰まり、もう此処には学問を本気でやろうとする椰子が居ないことをよく、
>表しているのではないでしょうか

自分がこのスレでアラシ扱いされていることが、全く認識できてないんだな。

こういう自己認識能力が決定的に欠落している奴が、被害妄想に陥り易い。

401 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/21(土) 13:51:28
>>400
>こういう自己認識能力が決定的に欠落している奴が、被害妄想に陥り易い。

本当だ!
確かに自己認識能力が決定的に欠落してるから、家の大家さんみたいに泥棒妄想に駆られて
エライ目にあっておられる。

3ヶ月ほど前にはお巡りさんまで聞き込みに来られてたよ。
これで3回目くらいかな、お巡りさんが来たのは。
しかし大家のお婆さんの大変さは良く分かる。どうにもならんけど・・・・・

402 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/21(土) 14:05:54
ま、太国さん
これが現状ですは。

以降よろしく。

403 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/21(土) 14:08:54
>>399
>モノサシの現物は 故宮博物館にて確認されたし

見つけようとしたが諦めた、俺には無理。
ダイタイ魏の時代と特定できるようなモノサシとどうやって証明できるんだい?
そんな記述を見たとあなたが言っても、誤解の可能性は十分ある。


404 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 14:11:51
>>402
よく言うよ…

405 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 14:23:47
このスレは、倭人伝原理主義者に乗っ取られましたので、以降、
考古学重視派の書き込みは禁止します。

考古学は信用出来ない、畿内説の捏造と日頃不満をお持ちの方々、
どしどし書きこんで下さいね。

406 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/21(土) 14:25:52
誤解の可能性をとことん追究したら 古代史なんて全て闇の中

UFO説が飛び出しても否定出来なくなるよ
ま、がんばって〜な


後で、出土したモノサシ写真掲載しておくから 見てチョ

407 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/21(土) 14:28:30
>>399
>しかし、言意を無視した転訛はしない

あんたね、そんな事を言い出したら言葉の迷路に嵌まり込んじゃうぞ。
例えばミイラという言葉にしてもどこまでが事実で、どこからが想像で書いてるのかさえ
確かめるのにはエライ苦労をする。

それこそ作者を信じるかどうかまでになり、宗教みたいなもんだ。
言葉の変化なんて研究するのは、迷路にはまるだけで素人には無理。

−−−−−(引用開始)−−−−−
未確認情報なのだが、この人の書物によれば、日本語のミイラとはオランダ語の「モミイ」が語源
であるという。モミイとは、乾燥遺体、ミイラという意味の単語である。

つまり、新井という人は、ミイラが樹脂(ミルラ)ではなく、「乾燥した人の死体」であることを
知っていたことになる。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~moonover/bekkan/mummy/1.htm

408 :太国:2006/10/21(土) 14:41:35
>>397>>398
自国の太安万侶、稗田阿礼が忘れており、遠い他国の中国人が卑弥呼の国を覚え
ていてこれを倭人伝という記録に残してたとなるのは、どう考えても貴殿の言う、
記憶一点張りに終始して覚えてたのが古代日本人だと観るのは、どうやら
貴殿の考えが破綻してると考えるのが至当という他はない。喩えで失礼だが、
だいたい恵也氏の家のどこかにご本人とその家族あたりしか分かるはずのない
ヘソクリを、恵也方からかなり遠い家の人間が詳細に自家のヘソクリの置き場所
と金額を知悉していて、恵也氏やその家族に知らされたとしたら、貴殿らは
驚いて「どうしてウチのヘソクリの在り場所と金の数字を知っているのか?」
と遠方のその知らされた家の者にしつこく尋ねるはずだ? そういうことが
現実に文献の中に起こっており、自宅の記紀に忘れたとして記載もなく、かたや
赤の他人宅の魏史倭人伝に自宅の女のヘソクリの内容が詳しく記載されている
皮肉が、古代史の文献の世界なのだ。だから単に太安万侶らが忘れてた、中国人
は記憶がいいなどという考察は完全に間違いなのである。

409 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/21(土) 14:59:12
>>407

その辺は十分理解し、今取り組んでいるので

ア(a)の音には ア(a)としての基本言意が存在するんだよ。 言葉はその基本言意の応用(組合せ)にすぎない
言葉は、音として意思伝承アイテム
文字は、目で確認出来る意思伝承アイテムだから

どっちが古いかな?
判るよね………。

410 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 15:23:29
>>409

おまえは「日本」という漢字をどう発音するのだ?




411 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/21(土) 15:32:07
>>410

此処で言語学はやらないよ。

取り敢えず
『日本』
これは漢語としての『日本』かな?
それとも
nippon として? nihon? それとも
hinomoto

漢字が伝わってからの言葉はムズイヨ

412 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 15:40:19
>>411

「日本」という表記がどうして生まれて、どう読まれたか、
それすら語れないやつが古代史を語るなど片腹痛いわ。

言語学以前の問題だ。

413 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/21(土) 15:43:28
>>412

じゃあ語って。
結構ムズイから

414 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 15:44:42
ttp://www.k4.dion.ne.jp/~isshun_y/page5.html

  信頼できる記録として「日本」という国名が初めて現われるのは、中国正史『旧唐書』の日本国伝である。
○日本國者倭國之別種也。

がそれである。ここにはっきりと「倭國之別種」と書かれている。
『旧唐書』は倭国伝と日本国伝をきちんと分けて書いている。
中国正史の書き方からいうと、これは明らかに日本は倭国ではないことを意味している。
また、日本が倭国と別国であることは次の記事からも確認できる。

○俀国・・・其國境東西五月行、南北三月行、各至於海。・・・自魏至于齊梁、代與中國相通。(『隋書』俀国伝)
○倭國・・・東西五月行、南北三月行。世與中國通。・・・四面小島五十餘國皆附屬焉。(『旧唐書』倭国伝)
○日本國・・・其國界東西南北各數千里、西界南界咸至大海、東界北界有大山爲限、山外即毛人之國。(『旧唐書』日本国伝)


------------------------------------------

日本(古墳時代)が倭国(邪馬台国時代)と別種だということについて、
何か論評してみなよ。
>プラム

415 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/21(土) 16:15:07
>>414

だから最初に『漢語』か?って聞いたじゃない。

416 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 16:22:06
>>415

おまえは、中国人が「日本」という造語を作ったと思ってたのか?

そうではないだろ。
日本人が自分のクニを「*****」と呼び、それに「日本」と漢字を当てた。
そうだろ?

417 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 16:35:15
プラムよ、おまえは、「日本」を「ひのもと」と読んでいたんだろ?

>>411を読めばわかる。

まだまだ甘いな。



418 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/21(土) 16:59:00
>>416

旧唐書にしろ何にしろ、漢人が漢人の為に書いた書は、全て漢人が理解出来る様に書いてあるモノだろう。
違うか?

『阿蘇山』がいい例だよ
あれの何処が、九州の阿蘇なんだ? 漢人には
『判らないあるよ〜』

それとも君は、『日本』を列島の者が付けたと証明できるか?
音を利用し、漢字を当て嵌めたことについては、俺も否定しないけど

419 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/21(土) 17:14:07
>>417

正直なところ
漢語という認識があったので、正式な名称を知らないんだよ 勿論現代の読み方じゃないよ

もし、確実な列島古来の呼称を知ってるのなら
伝授してくれ 頼みます。
文献で確認出来るモノはかなりやったのだが
判らなかった。
事実だよ。

420 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 17:20:55
>>419

「ひのもとのくさか」って知ってるか?

「日本」は、もともと「日下」と表記するのが正しい。
「とぶとりのあすか」の「あすか」を「飛鳥」と表記するようにな。
つまり、「くさか」という言葉が本来の「日本」の呼び名なんだよ。

「草香山」は、神武が最初に畿内に上陸して敗退した山だ。
太陽が昇る山だ。

さあ、君にこの後、論評できるかな?


421 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 17:25:04
ttp://www14.big.or.jp/~midoriko/kusakabe/hinomoto/1.html

>「古事記」序の第3段
>亦た姓に於いて日下を玖沙訶と謂ひ、

422 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/21(土) 17:37:25
>>408
>自国の太安万侶、稗田阿礼が忘れており、遠い他国の中国人が卑弥呼の国を覚え
>ていてこれを倭人伝という記録に残してたとなるのは

理解力不足!

稗田阿礼は忘れたわけじゃなく、覚えた覚えがないの。
口伝による暗誦は、時代とともに内容も名前も変化をするもの。

阿含経も同じお経が口伝の為、内容や名前が少し違う5種類くらいあるお経も沢山ある。

それに対して魏志倭人伝を書いた陳寿は、先人の書いた書物や邪馬台国への使節団の日記
などを調べて書いたのであり、それを覚えて書いたとは日本語では言いません。

稗田阿礼は卑弥呼が死んで500年後に、覚えていた皇室の記録や神話をお喋りしたの。
陳寿は卑弥呼が死んで45年くらい後に、三国志の魏志倭人伝を完成させてます。
時間の桁と、内容の正確さが全く違う!

−−−−−(引用開始)−−−−−
「三国志」全65巻は280年〜289年に完成しています 
http://www.webtelevi.com/yamataigisi.htm

423 :太国:2006/10/21(土) 18:19:01
>>422
阿含経と一緒の水準にするのはおかしい。w
だいたい忘れたでも覚えがないと言っても、女王国は日本にあったんだから
外国よりも日本のどれかの書に記述がないのはおかしい。
一国のような大きいことが忘れたり覚えがないわけはない。それがないのは
畿内から遠方に女王国があり魏に近い日本の場所に女王国があったんだよ。
神武以前に卑弥呼があるというのは君の夢また夢で、大間違い。

424 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/21(土) 18:45:28
>>420
論点が違うだろう

>>410は『日本』の発音を聞いているんだよ


ま、ついでだから
『日本』も『日下』も
(記・紀)の中に書かれるもの、即ち同時系列上に存在するモノではないかな

記紀の中味の年代云々を持ち出すのであれば 論点がズレてしまうので遠慮する。

425 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 18:48:27
>>424

>記紀の中味の年代云々を持ち出すのであれば 論点がズレてしまうので遠慮する。

では、おまえは、神武東征の年代をどうやって算出したのだ?


426 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/21(土) 19:13:27
>>425

中国二十五史の倭伝だけでもかなり辿れる

427 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/21(土) 19:19:27
よく
神武の東征と言われるけど、殆どの足固めは『五瀬命』
これは記紀からだけどね


余り記紀に関しては、多くを語りたくない。
現在進行系状態だから

428 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 19:24:53
>>426
中国二十五史の倭伝に、神武東征が出てくるのかね?

>>427
>余り記紀に関しては、多くを語りたくない。

魏志倭人伝が真実で、記紀は捏造ばかりだと言いたいわけだな。


429 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/21(土) 19:31:53
>>428

それはとんでもない誤解だよ
記紀が捏造なんて…
ほぼ真実だと認識しているよ ただ
ちょっとした仕掛があるからムズイんだよ

俺が記紀を信じていることは、たぶん 太国さんなんかも知ってる筈

430 :プラム:2006/10/21(土) 19:36:17
恵也君


昼間約束した『魏尺』の写真の出ているブログ

http://blogs.yahoo.co.jp/tenchuukun

ブログの掲載者には、承諾得ているので心配なく

431 :太国:2006/10/21(土) 19:37:10
ww プラムさん
恵也という方は主張が極端であり、まるで今、1円で百万円のものが買
えるとかいう論理強行のようで、このスレではこのごろ見られない滅茶苦茶
人物ですよ。困ったさんです。

432 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 19:52:49
太国に言われちゃおしまいだ。

433 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/21(土) 20:10:14
>一円が百万円


>>凄いデノミですね
でも、この2ちゃんで生き残るには、そのくらいの大風呂敷が必要かと

434 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 20:50:37
>>432
ハゲワラ

435 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/21(土) 21:40:49
>>423
>神武以前に卑弥呼があるというのは君の夢また夢で、大間違い。

逆だよ。
卑弥呼が天照大神だとしたら、正確な記述は古事記や日本書紀には残らない。
政治権力者に影響がないような、皇位の正当性に疑問を与えないような話しか残せないよ。

今から30年位前のベトナム戦争なら、日本では正確に記述されて残るでしょう。
直接の利害関係がないからね。
魏が邪馬台国の実情を知り記録をしても直接の利害関係は魏に生じない。

でも今から140年位前の、明治天皇のお父さん孝明天皇がヒ素で毒殺された事なんて正確に
公表されはしないよ。政治権力者である明治天皇の相続での正当性に影響するからな。

でも確かに孝明天皇が死なれたおかげで、日本の革命は極端に薩長側が有利になった。
それと同様に魏の方が立場上大和政権より、邪馬台国関係では正確な記録を残せる。

−−−−−(引用開始)−−−−−
孝明天皇は、薩摩長州等の倒幕派とは組みせず、あくまでも幕府による攘夷を望んだため、
薩摩長州の倒幕派からは危険視されていた。

異母妹の和宮(かずのみや)を徳川家に降嫁させたのも、あくまでも徳川家を中心に国体
の維持を図ろうとするものであった。
http://inoues.net/tenno/koumei_ryo.html

436 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/21(土) 21:53:17
>>430
>昼間約束した『魏尺』の写真の出ているブログ

あんたね、こんなの何の根拠にもならん!
ただ訳のわからん写真で魏尺と書いてあるだけじゃ、屁のツッパリにもならん。

どこに置いてあり、誰が保管し、誰がどんな形でいつ頃作ったのかくらい書いたHPじゃ
なけりゃ失格写真。
幼稚園の子供の使いみたいな知能の写真だ!

437 :太国:2006/10/21(土) 22:13:50
天照大御神は八角形の鏡が正面についた鏡の冠をかぶっていた超美姫で、
神武以前の太古にこの地球上に生きていた方ですよ。顔はちょっとうりざね顔
に近くマリー・アントワネットの着ているような西洋のドレス姿でいるのが常
でしたが、白鳥の湖のバレエで着るような超ミニスカをはかれていることも
ありましたが、日本神話で登場するような古代の衣装を身にまとうことは、まぁ
少なかったはずです。だから映画の「日本誕生」の日神の服装でいることは
あまり無かったということです。両眼は細目で真横にまっすぐ、つりぎみでも
垂れ目でもありません。鼻は細長くスーッと通っていて、やせた柳腰の小柄な
神々しい美女です。畏れながら、そのお姿を拝すれば自然にこうべが垂れ、
感激に心が晴れます。超ミス・ユニバースを思えばよろしいんですよ。

卑弥呼は時代では仲哀〜神功のあたりの九州の女王で、日像の鏡が表にある冠
をかぶっており、冠の頂部にはアンテナ様の針形が一本ついています。その
ころ日神を見本として特殊神道の鬼道をなさっていた姫様で、ふっくらと
した顔立ちは神功皇后とある面で似ている感じがしますね。

438 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/21(土) 22:29:11
>>436

>そうとうラリッテるみたいだな

だったら明日 故宮博物館へ飛べ そして自分の眼に焼き付けてこい
掲載者の話だと、書籍に掲載されてる写真からの転用だそうだ
俺も、書籍で拝見したことあるが、魏時遺跡からの出土品
遺跡名、調べてやろうか?

クスリだけには手をだすなよ

439 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/21(土) 22:40:49
>>436


魏代 遼陽三道号墓出土


さあ 明日北京が無理なら図書館へGO しっかり写真拝んでこいよ。

440 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/21(土) 22:53:04
>>410

『日本』nippon
(ニホム)(ニッホム)から転訛
言意は 「火と同じ」
解釈は 「太陽」

「日/ヒ」

地面にあった「火ヒ=↓」と同じ様に(熱と光を放す)ものが 天上界にもあった だから太陽を「日=ヒ」と名づけた



今日は特別サービスです。

441 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 23:25:01
 卑弥呼は”公孫氏”の係累である「晋書」 巻九十七 四夷伝倭人条

唐の太宗の勅撰、房玄齢らの「晋書」130巻(百納本)「晋書」帝紀 正始元年
(240年)泰始2年(266年)義キ9年(413年)の3箇所が記述されている

倭人乱攻伐不定乃女子為王名曰卑弥呼宣帝之平公孫氏也其女王遣使至帯方朝見

倭人があい攻伐したため女王を立てる 名を卑弥呼という 宣帝(晋の初代の司馬イ)
の平らげし、公孫の一族なり その女王の使いが、帯方郡に朝見する

 *プラムさん この説どう思います?通説とはだいぶ違いますが。

442 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/21(土) 23:33:32
>>441

はっきり言って ペケ
意訳がご都合主義だね

443 :プラム:2006/10/22(日) 00:09:26
>>441

宣帝之平公孫氏也、其女王遣使至帶方朝見、其後貢聘不絶。及文帝作相、又數至。泰始初、遣使重譯入貢。 」

こうして後の文まで見てみると、良くわかります

宣帝之平公孫氏也、其女王遣使至帶方朝見
(宣帝が公孫氏を平らげると、その女王は帯方郡に使を遣し、朝貢した。)

文をむりやり切り離しても(宣帝之平)を(公孫氏)に係る連体修飾語とみるのは文法的にどうでしょう?

ここはやはり『・・宣帝之平公孫氏也』『其女王遣使至帶方朝見』と、切るのではなく
『宣帝之平公孫氏也、其女王遣使至帶方朝見、其後貢聘不絶。及文帝作相、又數至。泰始初、遣使重譯入貢。 」
』と、一気に読み通すべきでしょう。  何時という時間的なことも判らなくなりますので









444 :日本@名無史さん:2006/10/22(日) 01:01:11
>>380
あのね恵也くん。
日本書紀に書かれていることを調べるときは、日本書紀を読まなくてはならない。
インターネットで調べても、それは個人の意見だからかなり癖がある。

君の意見が支離滅裂なのは、インターネットで調べたことをそのまま信じて
しまうからだよ。情報源に統一性がないから、意見にも統一性がない。

考古学を勉強する場合は、考古学の教科書を読む。
文献を研究する場合は、文献そのものを読む。

市販されている本もかなり偏っている。ましてインターネットの場合はひどい。
まずそこに気がつかないとだめだ。

445 :日本@名無史さん:2006/10/22(日) 02:56:13
>>291 とか>>293にも書いて、ほとんど無視されたんだけど、再度まとめます。
なんかもう別スレの方がいいのかな?

1、畿内王権が200年ころから存在したとするのであれば、その頃の王の古墳はどこにあるの?

2、王(天皇)の古墳と認定できるのは、崇神天皇以降のみだけど、勝山とかホケノ山とかの
前方後円墳が230〜260年の間にできたとすると王の古墳が作られる時期と差が開きすぎる。
勝山を300年頃にしたほうがいいのでは?

3、邪馬台国が他国と戦争中で魏から檄文をもらって戦っていた時期に、支配下の豪族が多数の
人間を長期間使役して勝山とかホケノ山とかの大型古墳を幾つも作ったとするのは、無理がある。
これらの大型古墳は戦争後(260年以降)の時期と見た方がいいのでは?

4、初代から9代までの天皇陵は、前方後円墳ではないとの伝承はどう見るの?

5、畿内王権が200年ころから存在したとすれば、平原はどこに位置づけるの?平原は200〜
250年の王墓とする公式見解 http://www.ss.iij4u.or.jp/~hsumi/docs/tusin/honbun/tusin3.html
はどう見るの?

・・・・・畿内説って、支離滅裂。「とにかく年代遡上」という情熱だけでは無理。


446 :日本@名無史さん:2006/10/22(日) 05:09:27
必要があって、自分が書く文章の中に、他者が先に書いた事柄を紹介する場合がある。
その際に大事なことは、他者が書いた内容を正確に引くことである。他者の意見に賛成でも、あるいは反対の立場であるとしても、だ。
他者が書いてもいないようなことを、「あの方はこう書いてます」と紹介するのは、嘘をついたことになる。人間としてルールに違反する行いである。

>>445 >平原は200〜250年の王墓とする公式見解
と、きみは紹介した。「平原遺跡発掘調査中間報告」へのリンクをつけて。

しかし、当の「平原遺跡発掘調査中間報告」は、そのようには言っていない。私なら次のように要約する。

 ・(存在が確認された)2号墓の築造年代は、200年〜250年前後にかけて、と考えられる。
 ・(王墓である)1号墓の築造年代は、200年前後〜250年前後の可能性が高くなった。

君は、1号墓についての前原市教育委員会の中間報告から、勝手に二つの「前後」の字句を省いて、つまり改竄し、それがあたかも市教委の「公式見解」であるような紹介をした。
ネジマゲもいいところである。唾棄に値する恥ずかしい行為だと私は思う。市教委へ詫びの手紙を書くべきだろう。

447 :日本@名無史さん:2006/10/22(日) 05:42:25
>>446 要するに、どこが違うの?
200年前後〜250年前後を、180〜270年頃としたら、畿内説にさらに不利な面もあるね。

あと、平原を管理して、発掘している地元の見解は、発掘と広報の中心でもある柳田の見解も
尊重しているから、公式見解と言って差し支えないんじゃない。
毎度のことだけど、いちいち発狂しないでよww

あと、反論するなら、ほかの点にも反論してねwwwwwwww


448 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/22(日) 07:26:29
>>446
>前原市教育委員会の中間報告から、勝手に二つの「前後」の字句を省いて

あなたは重箱の隅を突くのが好きな人間だ。
公式見解といっても「絶対的な真実」とは異なってるのは当たり前のこと。

中間報告書を判りやすく噛み砕いて書けば、>>445の表現で十分だろう。
しかもHPを紹介してて確かめれるようにしてあるのなら、前後の字句なんて屁みたいな文章。
あなたの論理は、役人の業としてこんなボカシタ表現をせざるを得ないのを知らぬ子供の論理だ。

449 :太国:2006/10/22(日) 07:50:46
>>435
毒殺された? フーン? トンデモ説じゃぁないのかな?
そういうのをストレートに頭に承認しちゃうのかいな?
公表しないって? そういうときもあろうが、安康天皇や崇峻天皇が殺され
たって記紀にちゃんと公表されている。隠さなくたって皇統は継続できる。
紀には武烈天皇に関して、悪業を隠さず記述している。現天皇だっておちんちん
のガンをちゃんと公表して隠し立てはやってない。w

450 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/22(日) 07:53:11
>>445
>邪馬台国が他国と戦争中で魏から檄文をもらって戦っていた時期に、支配下の豪族が多数の人間を長期間使役

これを考えると卑弥呼の墓は、大規模な墓とは思えない。
卑弥呼が死ぬ前(?)に狗奴国と戦争をし、魏に檄文を貰い100歩あまりの円墳を使って埋葬をし
死んだ後で男王が邪馬台国を治めたのに内乱状態になってる。

円墳の大きさは長里でいう150m近くというより、短里でいう30m〜普通の歩幅60mと考えられる
地山の上に少し土を盛って作ったとしても、地山自体をある程度整形して見栄えを良くする作業もある

西暦240年ころの葬儀として、平原遺跡が参考になるとしても2号墳、3号墳で直径10mの円墳
大きな1号墳でも20mくらいの大きさ。
どう考えても150mの大きさの円墳とは思えない。

451 :太国:2006/10/22(日) 07:59:46
西暦240年? 卑弥呼が神武以前の女だとすると長寿すぎておかしくないか?
それともずっとずっと後に葬儀したのか? 死の直後に葬儀をしたのなら
倍暦なら120歳は少なくても生存していた計算になるし、3倍暦ならなんとか
許容範囲、80歳以上になるが、しかと左様か?w

452 :サガミハラハラ:2006/10/22(日) 08:02:44
卑弥呼の墓は、150m以上の長円形もしくは卵型の円丘です。
地山(風化堆積岩)を整形してつくったようです。
北部九州としては特殊なものです。


453 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/22(日) 08:04:14
>>449
>公表しないって? そういうときもあろうが、安康天皇や崇峻天皇が殺され
>たって記紀にちゃんと公表されている。

もう少し考えれないかね!
現天皇の都合で、良ければ公表できるが悪ければゴマカスという意味。

孝明天皇の下手人は、どう考えても明治の元勲らに連なる連中の仕業。
それが大々的にマスコミに載り公表されては、明治の元勲らにとっての正当性に疑問が出る。
今生天皇にとられてもあまり都合のいい事ではない。

−−−−−(引用開始)−−−−−
孝明天皇の突然死については、早くから毒殺だと語られてきた。
しかしこれに関して、明治政府側から書かれた研究書や小説は一切触れることはない。
「毒殺説もある」と記してあるものは、むしろ良心的な部類である。

孝明天皇の毒殺については、医学的には決着がついたことである。

孝明天皇の主治医、伊良子織部正光順(おりべのかみみつおき)の当時の日記とメモが
光順の曾孫にあたる医師、伊良子光孝氏によって発見され、その中身が
昭和50年から52年にかけ、「滋賀県医師会報」に発表された。
http://www.sasakijo.com/buyoden5.htm

454 :太国:2006/10/22(日) 08:07:49
もともと、卑弥呼が神武以前の人物などとはトンデモだからな。w
卑弥呼の時代はそんなに古くはない。そういうことをた易く、平気の平で
そうだと主張するようじゃぁ、メッチャクチャであり精神科へ行ってスーグ
診療を受けたほうがいい。〜まぁ隠さなくても大丈夫だ。w

455 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/22(日) 08:41:16
>>452
>卑弥呼の墓は150b以上

>>またそんな勝手な数値出して〜 そんなこと何処にも書いてないでしょうに
『大作冢徑百餘歩』

456 :プラム:2006/10/22(日) 09:08:39
それに、サガミさんの度は確か 一里=76.5m 百余歩は、約30m弱
150mの1/5ですよ



457 :サガミハラハラ:2006/10/22(日) 09:45:13
一里は67.5mです。一歩は日本の倍の140cm前後です。

458 :プラム:2006/10/22(日) 10:00:43
>一里は67.5mです。一歩は日本の倍の140cm前後です。

>>これはとんだ失態を  失礼しました
一歩は日本の倍  そこに至る経緯的根拠がまるで示されていませんが?

459 :プラム:2006/10/22(日) 10:07:25
>>450
>狗奴国と戦争し

>>其八年、太守王kui[扁斤旁頁]到官。倭女王卑彌呼與狗奴國男王卑彌弓呼素不和、遣倭載斯、烏越等詣郡説相攻撃状。遣塞曹掾史張政等因齎詔書、黄幢、拜假難升米爲檄告喩之。
たぶんこの文章からの解釈と思われますが
ここから 狗奴国との戦争状態は、読めません。
何処からの引用にて、そのような解釈が?

460 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/22(日) 10:09:32
>>451
>倍暦なら120歳は少なくても生存していた計算になるし、3倍暦ならなんとか

何の話をしてるのか、理解不能。
かすかに判るのが倍暦という言葉だが、初めて聞く言葉で調べてみた。

これは単に暖かい鹿児島や沖縄で行われてる、お米の2期作から1年を2年に勘違いして
独自の暦を邪馬台国が使ってたらしいという「魏略」という無くなった本に書いてあったという話。

その為に、邪馬台国の人間が異常に長生きで80〜90歳がウジャウジャいるという話も納得できる。
これを利用して、天皇の年齢も倍暦を使っていたのではという勘繰りを行ったわけだ。

しかしあなたの文章は何を言ってるのか、理解に苦労する。
もう少し判りやすく書いてくれ!

ーーーーー(引用開始)−−−−−
二期作というのは、同じ田んぼに1年に2回米を作ることで、沖縄県(おきなわけん)や、
鹿児島県(かごしまけん)などのよほどあたたかいところでないとできません。
http://www.maff.go.jp/soshiki/syokuhin/heya/qa/kid/kidqa000627.htm

461 :太国:2006/10/22(日) 10:23:48
>>453
そこには痘瘡だといってるが、天皇の取り巻きは痘瘡にならなかったのか?
こんな危険なものをだ、やるからには、自分らには感染しないという手段が
あってでないと連中もやられてしまうぞ?
取り巻きが感染してなければ、その線は薄いようにしか思えない。

砒素は当時何かのやり方で検出されたのか? それとも現代で、当時孝明天皇の
住んでいた跡あたりで検出するか実験して砒素が見つかったのか? してなけ
れば、説として終わりだ。反論資料には現実を踏まない空中飛行的ドリーム論
に終始するだけで、君は納得しても部外者は聴くだけで効く耳は少ない。
要するに、その説は推理的にありうるが、いま一歩、否数歩ブツ不足だ。
そうでないと、説としてはありうるが、君がここで反論に出すのは時期尚早の
資料でありメチャクチャ論を醸成するだけだ。

462 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/22(日) 10:29:01
>>454
>卑弥呼が神武以前の人物などとはトンデモだからな

神武天皇の記録が日本の政府の記録だけということが大欠点。
それも口伝で伝えたものを、西暦700年ころに古事記や日本書紀に記録したという。
その記録を調べると、計算上異常に長生きの天皇が多すぎる。

安本説の確実にわかってる天皇の平均寿命から過去に伸ばして、計算すると天照大神と
卑弥呼が一致したというのは傾聴に値する。
神武天皇は卑弥呼より後の人間で、あなたの話がトンデモ話。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
第31代の用明天皇あたりになりますと、586年頃活躍した人という年代がわかりますから、
用明天皇からさかのぼる。一代10年、一代10年とさかのぼりましたならば、何天皇の時代
が邪馬台国の時代と重なるのかということが分かるはずだと考えたわけです。

つまり古代に向かって年代の梯子をかけていったわけです。「ジャックと豆の木」のジャック
のようにそれを登っていきますと、結論はどうなるか。

結論だけをいいますと、神武天皇以後、全ての天皇が実在すると考えましても、神武天皇の
活躍した時代は280年から290年くらいにしかなりません。
つまり大和朝廷の一番初めは、邪馬台国の時代に届かないことになります。
http://yamatai.cside.com/tousennsetu/yasumotosetu1.htm

463 :太国:2006/10/22(日) 10:31:11
>>460
どうして仁徳以前の天皇は長寿なのか? 研究まで至っていないのか?
まさかそんなに長生きだとは君でも言わないと思うが、如何?
それも調べておいたほうが孝明天皇がどうのこうのより、君の論の役に立つぜ。
讖緯説を支持してるでもなさそうだし・・・?

464 :サガミハラハラ:2006/10/22(日) 10:34:34
現代の中国でもそうだと思いますけど。

465 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/22(日) 10:36:24
>>457サガミさん

何故日本は、魏と異なり度の値がそうなるのか、
基準は?(尺?寸?里?)モノサシが有りませんね〜
何度も書き込みますが
魏の度量衡は
(一尺=約24p)を基準に
一里=300歩=1800尺 なのです
詰まり、(歩=六尺)

これは『魏書』です
列島の度量衡にあわせるなら、それなりの整合をしてください。

周里でも同じ事です。

466 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/22(日) 10:44:32
>>459
>たぶんこの文章からの解釈と思われますが

漢文は俺には良く理解できない。
中途半端な素人理解では、誤解の上に誤解を重ね迷路の道に迷い込むのが落ち。
だから漢文の得意な方に任せて、日本語で思考するのを俺のマニュアルにしてる。

特に文章の表面じゃなく、文章のイメージを重要視してる。

ここを見ると、卑弥呼は魏に逐一戦況を報告してる。
もちろん戦争前からと思うけど、とうとう魏の役人張政まで引っ張り出してる。
戦争状態にならなければ、魏という大国が遠距離に人を派遣して調停をするはずがない。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
倭の女王卑弥呼と、狗奴国の男王は卑弥弓呼とは前から仲が悪かった。
和国では、載斬(きし)、鳥越(うえつ)などを郡に派遣して、戦況を説明させた。

郡は、塞の曹幢史(そうえんし・国境警備の属官)の張政らを倭へ派遣して皇帝の詔書と
黄幢を難升米に与え、中国が仲介にのりだしたことを、回状をつくらせて触れまわらせた
http://www.webtelevi.com/yamataigisi.htm

467 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/22(日) 10:45:45
サガミさん

二足一歩は後世の解釈で有り、当時そのような認識はありません。

ためしに、各時代の律暦志をご覧下さいな
私は遂に見つける事は出来ませんでした。

基点の動くモノサシなんてこの世に存在しませんから。

468 :サガミハラハラ:2006/10/22(日) 10:48:04
魏志倭人伝の記述は中国人であり、彼らは実際に卑弥呼の死に遭遇し、大きな墓がつくられ葬儀がおこなわれたのをる目の当たりにしたのです。
ですから、百余歩は中国の単位でしるされているとされているのです。
つぎにの理由であるが、魏志倭人伝の記述道理に進み邪馬台国に到達して、そこに独立した丘があり、それが中国の歩数で百余歩あったのだから、これは卑弥呼の墓であり中国の歩数であるという結論に達するのはごく自然で当然ではないだろうか。

469 :太国:2006/10/22(日) 10:48:28
>>462
安易な恣意的計算で一致したと勝手に思っているだけだ。
魏は神武以前の国だというのか?

470 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/22(日) 10:52:26
>>466
それは困りましたね


一度各時代の律歴志でもざ〜っと眺めてみては?


…卑彌呼與狗奴國…
これが戦争状態かどうかは、漢文が判らなくとも判断出来るでしょう

471 :サガミハラハラ:2006/10/22(日) 10:58:08
それでは、私の論より、専門家の記述した角川漢和中辞典を参考にしてください。


472 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/22(日) 11:03:56
>>468
物凄いご都合主義ととらえられてしまいますよ

道里と墓の度が 説明無しにバラバラな値では
せめて、倭人伝中だけでも統一する可きでしょう

473 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/22(日) 11:10:45
>>461
>こんな危険なものをだ、やるからには、自分らには感染しないという手段が
>あってでないと連中もやられてしまうぞ?

ここにあなたの人間的冷たさ、臆病さ、知識のなさがモロに出てる。
今もエイズが感染症として有名になってるけど、あなたの親族がエイズやエボラ出血熱にな
ったら山にでも家財道具から全部一緒に捨てて、見はなすような人間なんだろうね。

もちろん孝明天皇は、マスクをはめたりした医師団や付き添いに最後まで面倒見てもらってるよ
側にいる人間は命がけにはなっても、困ってる上司を見放すような冷たい人間じゃない。
それなりの対策をとっても伝染したら、それも運命として逍遥と従うのが本物の日本人。

あんたはまだ偽物に過ぎん。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
アフリカ地域では致死率90%におよぶ恐怖のエボラ出血熱が再び猛威を振るっている。
人類史上最も致命的な伝染病であるエボラ熱は1976年、アフリカのスーダン、ザイール
(現コンゴ民主共和国)の田舎村の住民と医療陣397人を襲ったが、嘘のように歴史の
舞台から消え去った。
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/05/10/20040510000068.html

孝明天皇の崩御は、時期が時期だけに、暗殺されたという説が当時から囁かれていた。
イギリス外交官のアーネスト・サトウはその著書「一外交官の見た明治維新」の中で
「噂によれば、天皇は天然痘にかかって死んだということだが、ある日本人が私に確言
したところによると、毒殺されたという。

天皇は保守的で、外国に対していかなる譲歩も認めなかったため、朝廷が諸外国との関係に
直面しなければならなくなることを予見した一部の人々に殺された、という。」
http://y-hyouma.hp.infoseek.co.jp/history/koumei-death.html

474 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/22(日) 11:11:26
サガミさん
専門家とて人間、ましてや現代に住み、私達と同条件にある人々ですよ

全く史料が無いワケではなく、古代から各時代毎に『律』『歴』が書かれた書が存在しているのです。

専門家の意見よりも、先ずは史料優先でしょう
それを無視し、専門家に走るのはどおかと思いますよ

475 :日本@名無史さん:2006/10/22(日) 11:17:15
>>470
説相攻撃状
これはどういう意味なんでしょうね。

476 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/22(日) 11:21:12
ネットの急速な普及により、現在は以前とは違い
史料の取得がかなり安易になった
以前は、専門家達だけが共有出来る特権的なモノであった史料も、現在一般の人にも自宅にて簡単お手軽に

以前より専門家に依存する頻度は、かなり低下してるとかんがえます。

477 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/22(日) 11:28:48
>>472
>せめて、倭人伝中だけでも統一する可きでしょう

確かにそうだ。
魏全体で距離単位が統一していたという証明は無理だけど、同じ作者の本の中では最低限統一すべき

中国短里でいえば、短里だけでおこない1歩=30cm
中国長里でいえば、長里だけでおこない1歩=140cm

ーーーーー(引用開始)−−−−−
中国では細かな変化はあったとしても、おおむね、周(短里)→秦・漢(長里)→魏・
晋(短里)→東晋以降(長里)という変遷をたどったと考えられます
http://home.b06.itscom.net/kodaishi/page003.html

478 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/22(日) 11:29:02
>>475

【お家内紛】かと
●『相攻伐』と『相攻撃』では多少意味合いがちがうと考えるが、

大まかに(お家内紛)
もう少し細かに正確に解釈したいのなら、全体を見渡し『伐と撃』の違いを把握し、解釈すべきでしょう。
まだ初心者ならば
(お家内紛)と大まか解釈でいいと思います。

479 :太国:2006/10/22(日) 11:37:13
>>473
大したもんだな?君は。上司を見放す人間じゃないのが集まってたんなら冷酷な
殺人鬼での孝明天皇の暗殺など、なおさらありえないということになろうが?w
そんないい人物が取り巻きにうんといるなら、なおさら暗殺できない警護は
万全にしてるではないのか? 金正日も取り巻きは万全だろう? ww
まさか〜怪人二十面相ならそれでも誘拐くらいはやるだろうがね?
血を見るのが好きな二十面相だったなら、暗殺は可能だがねぇ〜?ww

君のは自後相違的反論だな。まったくおかしいよ。pp

480 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/22(日) 11:40:17
>>477

>周(短里 ・長里)

>>その辺をうかつに掲載すると、畿内説側に餌を与えたのと同様行為
恰好のネタにされる

先日にもカキコしたけど
未だ、『周里』の概念は確定していない。 里の概念は、どう遡っても まだ『始皇帝』時が限界か……


※余談だが
『里』を適当な時代に設定するよりは、三世紀の産物とする方がまだまだ体裁がいい
(理由は言えないけど)

481 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/22(日) 11:41:15
>>465
>これは『魏書』です

間違い!
魏志倭人伝は晋の役人である陳寿が、政府の命令で書いたものだから「晋書」と言うべき。
もちろん、魏の役人が書いた日記などを参考にしたと思うけどね。

482 :日本@名無史さん:2006/10/22(日) 11:44:09
>>478
しかし、倭人伝には狗奴国は女王に属していないとあります。
黄幢も気になります。黄幢は魏の軍旗です。
どうしてそのようなものが必要だったのか。
むしろ、卑弥呼の魏への朝貢そのものが狗奴国への危機感に端を発して
いるようにも思えるのです。


483 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/22(日) 11:50:43
>>482

>不属女王

>>果たして狗奴國かな?もう一度、原文見直してみて下さい。
あと、東夷伝にはいくつかの『屬』と『與』の文字が使われているので
違いを確認されたし。

484 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/22(日) 11:59:49
>>481

何故、現王朝が前王朝の歴史書を作るか?
考えた事ありますか?

485 :日本@名無史さん:2006/10/22(日) 12:14:08
>>483
次有奴國此女王境界所盡其南有狗奴國男子爲王其官有狗古智卑狗不屬女王
この部分は国について書かれている部分なので、不屬女王は狗奴国だと
思います。
男子の王であっても、狗古智卑であっても実質的には同じです。

486 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/22(日) 12:15:17
>>479
>孝明天皇の暗殺など、なおさらありえないということになろうが?

暗殺は何十人もいる側近の中の1人で十分なの。
たとえ残りの人間が、孝明天皇を守ろうとしても無理だろう。
元勲の岩倉具視が親族を使って行った可能性は十分にある。
国家の為とか言う屁理屈でね。

孝明天皇は身体も丈夫な36歳の働き盛りだぜ。
痘瘡になられたのも、暗殺者のせいとする考えもある。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
その間にも密かに政治活動をし、倒幕急進派と接している。薩摩の大久保利通、
土佐の坂本龍馬、中岡慎太郎らがこの宅を出入りし王政復古の密議を行った。
孝明天皇が没し、明治天皇が即位すると復職。
http://www.eva.hi-ho.ne.jp/iwaemon/iwakura.htm

先に掲げた孝明天皇の后妃のなかに岩倉具視の異母妹・堀河紀子がいる。
・・・・・・・学習よりも学友との象棋を好んだというから勝負師の素質、
ゲーム理論への傾倒がその頃から備わっていたのだろう。
http://www.geocities.jp/darabojp/yonkan2.html

487 :日本@名無史さん:2006/10/22(日) 12:24:09
>>478
それから、相攻伐と相攻撃の場合、むしろ相攻伐の方が内紛の意味で使われて
いるのじゃないかと思いますが。

488 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/22(日) 12:33:30
>>482
>むしろ、卑弥呼の魏への朝貢そのものが狗奴国への危機感に端を発して
>いるようにも思えるのです。

それも十分にあると思う。
日本の統一の為には、軍事力もだがその前提に科学技術、生産技術の発展が必要。
朝貢する事により、魏のいろんな技術を持ち込み軍事バランスが崩れて、逆に狗奴国
が危機感から攻撃した可能性が大きい。

現在の北朝鮮が核を保持して、軍事バランスが壊れようとするのと同じ事だろう。
当時だったら牛や馬の農耕利用や、騎馬兵の採用などかな。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
牛、馬、虎、豹、羊、鵲などはいない。武器には、矛、楯、木弓などをもちいる。
http://www.webtelevi.com/yamataigisi.htm

489 :太国:2006/10/22(日) 12:34:05
>>486
ははっ、毒味はやんなかんたんかい?
せいだって言ったって、まだまだ説の段階でおしまい。
そういうのをあんたは堂々と大風呂敷をひろげて拡大してるだけ。
そういうのは、何かで補強できてこそ、もしや?となってくる。

490 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/22(日) 12:38:31
>>483プラム ◆TOfHBAKZgM
>東夷伝にはいくつかの『屬』と『與』の文字が使われているので
>違いを確認されたし

あんたね、言葉の解釈も自分で出来ないくらいの理解力で他人に指図するんじゃない!
もっと自分で自信があるくらいに知識を蓄えてから指図しな。

臆病と言うか、恥をかくのが怖いと言うか、あんたはヘタレ!

491 :プラム:2006/10/22(日) 12:45:50
>>490
>>だまってROMしてな  君にレスしたわけではない

492 :プラム:2006/10/22(日) 12:49:46
>>487
確かに、正確には違い『相攻伐』のほうが、お家内紛にはふさわしいでしょう。

493 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/22(日) 12:53:52
>>489
>ははっ、毒味はやんなかんたんかい?

孝明天皇の場合、字を書くときに筆の先を舐める癖がおありになったと言う。
全面的に信頼してる側近が、イデオロギー的信念から暗殺を決意してたら逃げられんよ。
どれだけでもいろんなチャンスはあるだろう。

それに明治天皇になり勤皇派が佐幕派を圧倒して、宮中を掌握したから誰も騒げない。
騒いだらそれこそ殺される可能性だって出るし、皇室の益にもならん。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
佐幕論者の天皇を消すために、天皇が筆をなめる癖があることを利用して、筆に毒を
しみ込ませた、というものらしい。
http://y-hyouma.hp.infoseek.co.jp/history/koumei-death.html

494 :プラム:2006/10/22(日) 12:54:04
>>485
其南有狗奴國、男子爲王、其官有狗古智卑狗、不屬女王

>男子の王であっても、狗古智卑であっても実質的には同じです。

>>どのように同じなのかな?

495 :日本@名無史さん:2006/10/22(日) 13:13:47
>>494
狗奴国が邪馬台国に属してはいないということです。
読めばわかるように、奴国が女王の境界の尽きるところ。
その南に狗奴国があるわけですから。

ちなみに、後漢書には、
自女王國東度海千餘里至拘奴國雖皆倭種而不屬女王

女王国の東に海を渡ること千里で拘奴国に至る。倭種といえども女王に属さず

魏志と同じく女王に属さずと書かれています。

面白いのは、狗奴国の位置ですね。魏志では南。後漢書では東。

496 :太国:2006/10/22(日) 13:18:35
>>493
な〜んだ、今度は指舐めか? 〜らしいじゃぁ、まだ確定ではないだろうが?
それを何でまた簡単に信じるのか? まさか君が砒素の検出をしたんじゃなか
ろうが? 違うか?

497 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/22(日) 13:25:37
>>495
では、
『…倭女王卑弥呼與狗奴国…』の文章はどおなるの?
狗奴國は卑弥呼に『與』と、書いてあるんだが

それに、不屬は女王であって国ではないよ
詰まり、決して(国と国)の関係ではなく (個人と個人)の関係と、解釈すべきだろう
それに、『不屬』=不仲ではなく、その辺りが混同しているようだ

498 :日本@名無史さん:2006/10/22(日) 13:43:31
>>497
倭女王卑彌呼與狗奴國男王卑彌弓呼素不和

この場合は、「素不和」…「もとより不和」を考えると、
倭女王卑弥呼と狗奴国男王・卑弥弓呼は素から不和だった、でいいんじゃないかな。
與=与の意味からすると若干問題はあるけれども、文章としてはそれでいいと思う。
それとも、他に適当な訳があるかな?

不属は狗奴国が女王に属さずで、不和は卑弥呼と卑弥弓呼の不仲だと思う。


499 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/22(日) 13:44:14
>>496
>な〜んだ、今度は指舐めか? 〜らしいじゃぁ、まだ確定ではないだろうが?

140年も前の政権激変の大事件が、隠し通してきて今更確定なんて出来るはずないだろ。
らしいと言う以上には、永遠に行かない種類の話。

権力者の恥部は、よっぽどの事がないと表沙汰にはならん。
満州事変も日本が中国に負けたから、全部表沙汰になり実行者の名前も判ったの。

国際連盟の調査団だけじゃ、とてもじゃないけど実行者の名前はつかめん。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
危機感を感じた関東軍は再三に渡り抗議するが聞き入れられず、石原莞爾(いしわら かんじ)、
板垣征四郎の指導のもと、満州事変を決意する。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%80%E5%B7%9E%E4%BA%8B%E5%A4%89#_note-2

500 :太国:2006/10/22(日) 14:31:22
>>499
太平洋戦争はそれ以上の規模だろうが? これも隠したのか?
みんな負けたのを知ってるではないか? 武烈などは悪業の王者ではないか?
それでも記載が紀に載っているぞ。だから隠すこともあるが、そうでないこと
だってあるから、やたらに隠したで結論に行くのは失敗の元だ。
そんな孝明が毒殺だとかいい加減な資料を持ってきて、論を正当化するのは
おかしいぞ。〜話がそれてきたので軌道を戻し
>>451 >>460
勘ぐりもあったかも知れないが農作の他、神道だって半年で大祓いの行事をやっ
て期間の区切りをつけている。神道は天皇の信仰様のものだから2倍暦等は
充分行っていたことは考えられるし、仁徳以前の天皇の長寿が現代人と比べ
おかしくない通常の寿命に収まってくる。つまり合理性もちゃんと片付いて
しまう。2倍暦だと240年分は半分の120年だし、3倍暦だったら三分の80年
になることは、もう今度は分かっただろう?
卑弥呼が神武以前などとは、計算間違いがその者(安本さんか?)はして
いたということさ。神武以前じゃぁ神話の世界だから、そんな計算は他に
何らかの文献資料等が無い限り、計算が合ったなどとは軽率すぎる。呆れて
しまうよ。ウチラは、年代数字確定は神武以降しか殆ど出来ない。分からないの
が現今では本音であり、他の研究者だって大同小異そう言うはずだ。それとも
何かい? 竹内文献でも持ってくるのか?ww 史学において
臥海の連中とここの研究家には、この文献はいまのところうまくない。

501 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/22(日) 14:36:35
>>496
>面白いのは、狗奴国の位置ですね。魏志では南。後漢書では東。

これは仕方ないでしょう。
魏志倭人伝は卑弥呼が死んで45年後くらい完成、魏から晋に代わった直後で作者もはっきりしてる本。

それに対して後漢書は卑弥呼が死んで、190年後に書いたが未完成、250年後に完成、750年後の出版物
作者も注を書いた人間も出版した人間もバラバラで、その間には戦争で資料も散逸してる。
これじゃマトモナ校正なんてできる筈がない。

まず190年前の出来事を書くとなったら、オオゴトでしょう。
日本の間宮林蔵が樺太探検した記事を、どうやって書くかなんて気が遠くなるよ。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
現在伝わるのは後述の李賢注に『続漢書』の志を合刻した北宋代の版本が元である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E6%BC%A2%E6%9B%B8

502 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/22(日) 14:48:44
>>500
>2倍暦だと240年分は半分の120年だし、3倍暦だったら三分の80年
>になることは、もう今度は分かっただろう?

根源的思考が全くなってない。
なんで2倍暦になったのかという思考が、あなたには存在してないのじゃないかね。

卑弥呼時代のお米の作付け時期等には、現在もそうだが暦を非常に重視する。
旧暦の何とかだからもう、作付けするとかしないとか、目安にするんだよ。

だからこそ2期作をしてるところでは、年齢が2倍になる可能性はある。
日本ではお米を3期作に出来るような土地はないだろう。

何で2倍暦が作られたのかくらい考えな!

503 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/22(日) 14:54:07
>>498

ここは大変重要な所で、例え一字であろうとも疎かに出来ない所なんだ
『與』は、女王と狗奴国
『不和』は、女王と男王卑彌弓呼
不和であって不属ではない。
それに、狗奴国の文章には『男子為王』と 書かれていたが、後の文には『男王卑弥弓呼』と、 全く別人と、いうことだよ

不属=不仲 ではないよ
たんに、女王に属していないだけ

504 :日本@名無史さん:2006/10/22(日) 15:38:11
例え一字であろうとも疎かに出来ない

505 :太国:2006/10/22(日) 15:45:51
>>502
そんなはぐらかしはもういいよ。だから2倍暦等を否定してるのか否か?だ。
否定するなら、他で合理的に240年以上生きた理由を言え。まさか卑弥呼は
サンジェルマン伯爵ではないだろう?ww
それとも240年以上生きたというのか?讖緯説でもないようだな?というのは
倍暦を聞いたことがあるとか言うくらいだから、安本氏の説をストレートに
信じてるだけで、検討なんかやってないんだろうと思ってしまう。


506 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/22(日) 16:12:40
>>504 気がついてくれてありがとう

507 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/22(日) 16:17:30
>>505 太国 sage
>他で合理的に240年以上生きた理由を言え。

あなたの文章はマトモナ日本語になってない。
なんで卑弥呼の年が240歳なのか、俺には理解できん!
また俺は卑弥呼の年は、非常に年寄りとは思っても計算した事はない。

あなたが計算したのなら、その根拠をあなたが出して、あなた自身に文句を言うべきだろう。
何で俺に文句を言うのか理解不能!

508 :太国:2006/10/22(日) 17:22:48
>>507
お前さんは大滅茶苦茶王だな。ww もともとお前さんが240年を書きこんだん
ではないか。神武以前に卑弥呼が生きていたとあんたは主張してるから、そう
だと卑弥呼は240年は生きたことを君は自分で認容してることになるだろうが。
だから、そんなに長く生きてたと信じているのか?と言ってるんだよ。

509 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/22(日) 17:51:52
>>508
>神武以前に卑弥呼が生きていたとあんたは主張してるから、そう
>だと卑弥呼は240年は生きた

理解不能!
もう一度中学校に行って、国語の単位を取り直しなさい!

510 :太国:2006/10/22(日) 19:16:49
>>509
ハハァ〜、答えられないわけだ。矛盾がしっかり露呈したからな。w
そうだろう、「神武より以前に卑弥呼がいた」はいい加減な論理だということが
ハッキリしたのだ。あまりこんなデムパを流すなよ。ww
真面目な研究家が迷ってしまうわ。

511 :日本@名無史さん:2006/10/22(日) 20:02:46
狗「奴国」を「奴国」の支配地域とする武光誠説はどうでしょうか? 以下、古代妄想・・・

1、北部九州の環濠集落のなかから、交易により奴国が発展し、紀元0年ころには、近隣の環濠集落
(クニ)を配下に治める王が生まれた。奴国王は、漢に朝貢して金印を受け(57年)、これを錦の御旗
として、さらに勢力を拡大させた。

2、奴国王は、配下のクニに王族を派遣し、配下のクニの多くには国名に「奴国」が付けられ、弥奴国、
姐奴国、蘇奴国、華奴蘇奴国、鬼奴国、烏奴国、狗奴国などの国名が付けられた。倭人伝で後世の
地名に比して「奴(な)」の文字が多いのは、この一時的な理由による。

3、伊都国にも王族が派遣されていたが、交易拠点として伊都が発展し、紀元100年頃には伊都に
王府が移され、支配地域を広げた奴国王は倭族を支配する「倭国王」として漢に朝貢し、正当性を
付与された倭国王は、王権の拡張を続け、紀元180年頃までは王権の安定が続いた。

4、だが、各地に派遣された王族が土豪と化し、争いも起きたため、王族の争いを収めるべく、太陽神
信仰の元で神託を受ける女性神官を(名目的な)女王として共立した。しかし、紀元230年頃からは、
南部九州に派遣されていた王族が勢力を強め、抗争が頻発するようになった。そこで、239年には
女王として卑弥呼を共立していた支配王族側は、魏に使者を送り、魏からの冊封を受け、王権を
正当化し、支配下地域への引き締めを図った。

5、しかし、南部九州の狗奴国の王族は神武の代になり支配王族に反旗を翻した。卑弥呼は魏から
檄文を受けて、魏の後ろ盾のもとに反撃したが、一部の王族やこれに従う家臣(物部)が神武の側に
付き、支配王族は屈服し、神武への王権の委譲がなされ、卑弥呼の次の女王(トヨ)もこれを認めて
自らは名目的存在となった。

6、九州を支配下に置いた神武は、本州全体の支配も企図し、畿内の支配拠点として他の王族が
派遣され、成長が著しい纏向を王府にしようと考え、纏向の王族を取り込もうとしたが、土豪化した
王族はこれを受け入れなかったため、征討すべく軍を纏向(のちのヤマト)に向けた。

・・・・・と古代妄想は果てしなく続きますww


512 :日本@名無史さん:2006/10/22(日) 20:22:43
エナリのソースって怪しげなブログやwikiばかりだな。
こんなの見て勉強してんだww

513 :日本@名無史さん:2006/10/22(日) 20:24:28
だってニートの有名人だもん

514 :プラム:2006/10/22(日) 21:16:13
>>511
>狗「奴国」を「奴国」の支配地域とする武光誠説はどうでしょうか?

>>使い物にならない  そもそも狗奴国の意味を理解していない。
どおして陳壽が(狗奴) とカキコし ハンヨウが(拘奴)と カキコしたかの明確な解説がない

515 :サガミハラハラ:2006/10/22(日) 21:19:00
専門家の方々は多くの資料に目を通し熟考したうえで結論をだしていると思います。
ですから専門家によるとという引用が非常に信用がおけるわけです。

516 :プラム:2006/10/22(日) 21:31:22
>>515
>専門家の方々は多くの資料に目を通し熟考したうえで結論をだしていると思います。
ですから専門家によるとという引用が非常に信用がおけるわけです。

>>ケース バイ ケースでは

確実に素人と玄人の距離が、以前より確実に縮まっているのも事実

517 :日本@名無史さん:2006/10/22(日) 21:35:52
>>514 長文読んで、レスありがd。

「奴国」については、「九州の小国の一つが朝貢したに過ぎない。」と過小に見る論調が
強いけど、金印を受けたクニは、少数(朝鮮は歴史上一度も金印を受けていない)という
事実からは、ある程度の支配地域を持った勢力と見た方がいいと考えています。

倭人伝の国名の中で多用されている文字を検討した武光説には説得力を感じましたが、
古代言語の復元に力点を置いた安本の言語学解説は評価できるけど、細部の当てはめに
こじ付け感があります。

あと、「王」を称した国には、「王統」という考えが当然にあったはずで、王族の派遣による
支配は天孫族の天下りという概念で記紀にも残っています。

まあ、畿内説は前提からして絶対に認めない考えだとは思いますが。

518 :日本@名無史さん:2006/10/22(日) 21:59:15
古代史はプロと素人が対等な学問。
学術的証拠が少なすぎて如何様でも解釈できる。
代表的素人 古田、安本、松本清張その他推理作家

519 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/22(日) 23:26:45
>>517

安本氏が古代言語(中味は別として)に着目した点には 評価したいと考えます。

文字の存在しない時代に於いて、言葉(音)は自分の意思を相手に伝達する重要なアイテムだからです。
詰まり、伝承するアイテムが(音/言葉)だからです。

520 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/22(日) 23:32:46
>>515 サガミさん

色々な論点を取り上げるのはかまいませんが、せめて度量衡の下地を固めておかないと
『小城説』は
いつまで経っても 妄想説のまま、闇に消え去ってしまいますよ

521 :日本@名無史さん:2006/10/22(日) 23:39:44
541 名前: 恵也 ◆o4NEPA8feA 投稿日: 2006/10/22(日) 01:57:59 ID:bsKZF7HL
>>536
>名無しに転向。わかりやすい馬鹿だな。

俺が名無しに転向なんてするか、妄想野郎!

544 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2006/10/22(日) 15:54:02 ID:aRkMscUs
>>541
ヘボ恵也 ◆o4NEPA8feA もうそこらへんにしとけよ。

545 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 [age] 投稿日: 2006/10/22(日) 22:39:05 ID:???
恵也 ◆o4NEPA8feAでググッてみました
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E6%81%B5%E4%B9%9F+%E2%97%86o4NEPA8feA&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2

522 :日本@名無史さん:2006/10/22(日) 23:55:25
348 名前: 恵也 ◆o4NEPA8feA 投稿日: 2006/10/21(土) 06:27:21
350 名前: 恵也 ◆o4NEPA8feA 投稿日: 2006/10/21(土) 06:37:44
351 名前: 恵也 ◆o4NEPA8feA 投稿日: 2006/10/21(土) 07:13:23
354 名前: 恵也 ◆o4NEPA8feA 投稿日: 2006/10/21(土) 07:37:52
355 名前: 恵也 ◆o4NEPA8feA 投稿日: 2006/10/21(土) 07:51:02
360 名前: 恵也 ◆o4NEPA8feA 投稿日: 2006/10/21(土) 08:12:54
362 名前: 恵也 ◆o4NEPA8feA 投稿日: 2006/10/21(土) 08:28:21
364 名前: 恵也 ◆o4NEPA8feA 投稿日: 2006/10/21(土) 08:34:59
366 名前: 恵也 ◆o4NEPA8feA 投稿日: 2006/10/21(土) 08:45:20
370 名前: 恵也 ◆o4NEPA8feA 投稿日: 2006/10/21(土) 09:04:03
375 名前: 恵也 ◆o4NEPA8feA 投稿日: 2006/10/21(土) 09:24:31
376 名前: 恵也 ◆o4NEPA8feA 投稿日: 2006/10/21(土) 09:33:46
377 名前: 恵也 ◆o4NEPA8feA 投稿日: 2006/10/21(土) 09:42:01
380 名前: 恵也 ◆o4NEPA8feA 投稿日: 2006/10/21(土) 10:11:48
385 名前: 恵也 ◆o4NEPA8feA 投稿日: 2006/10/21(土) 10:46:09
386 名前: 恵也 ◆o4NEPA8feA 投稿日: 2006/10/21(土) 11:00:48
389 名前: 恵也 ◆o4NEPA8feA 投稿日: 2006/10/21(土) 11:19:33
390 名前: 恵也 ◆o4NEPA8feA 投稿日: 2006/10/21(土) 11:22:55
395 名前: 恵也 ◆o4NEPA8feA 投稿日: 2006/10/21(土) 11:41:01
396 名前: 恵也 ◆o4NEPA8feA 投稿日: 2006/10/21(土) 11:50:54
397 名前: 恵也 ◆o4NEPA8feA 投稿日: 2006/10/21(土) 12:04:55
398 名前: 恵也 ◆o4NEPA8feA 投稿日: 2006/10/21(土) 12:20:28
401 名前: 恵也 ◆o4NEPA8feA 投稿日: 2006/10/21(土) 13:51:28
407 名前: 恵也 ◆o4NEPA8feA 投稿日: 2006/10/21(土) 14:28:30
422 名前: 恵也 ◆o4NEPA8feA 投稿日: 2006/10/21(土) 17:37:25
435 名前: 恵也 ◆o4NEPA8feA 投稿日: 2006/10/21(土) 21:40:49
436 名前: 恵也 ◆o4NEPA8feA 投稿日: 2006/10/21(土) 21:53:17

523 :日本@名無史さん:2006/10/22(日) 23:56:06
448 名前: 恵也 ◆o4NEPA8feA 投稿日: 2006/10/22(日) 07:26:29
450 名前: 恵也 ◆o4NEPA8feA 投稿日: 2006/10/22(日) 07:53:11
453 名前: 恵也 ◆o4NEPA8feA 投稿日: 2006/10/22(日) 08:04:14
460 名前: 恵也 ◆o4NEPA8feA 投稿日: 2006/10/22(日) 10:09:32
462 名前: 恵也 ◆o4NEPA8feA 投稿日: 2006/10/22(日) 10:29:01
466 名前: 恵也 ◆o4NEPA8feA 投稿日: 2006/10/22(日) 10:44:32
473 名前: 恵也 ◆o4NEPA8feA 投稿日: 2006/10/22(日) 11:10:45
477 名前: 恵也 ◆o4NEPA8feA 投稿日: 2006/10/22(日) 11:28:48
481 名前: 恵也 ◆o4NEPA8feA 投稿日: 2006/10/22(日) 11:41:15
488 名前: 恵也 ◆o4NEPA8feA 投稿日: 2006/10/22(日) 12:33:30
493 名前: 恵也 ◆o4NEPA8feA 投稿日: 2006/10/22(日) 12:53:52
499 名前: 恵也 ◆o4NEPA8feA 投稿日: 2006/10/22(日) 13:44:14
501 名前: 恵也 ◆o4NEPA8feA 投稿日: 2006/10/22(日) 14:36:35
502 名前: 恵也 ◆o4NEPA8feA 投稿日: 2006/10/22(日) 14:48:44
507 名前: 恵也 ◆o4NEPA8feA 投稿日: 2006/10/22(日) 16:17:30

524 :日本@名無史さん:2006/10/23(月) 00:02:13
>>503
漢和辞典を引くと、「與」には、「及び」という意味もあります。
つまり、「卑弥呼と卑弥弓呼」でもいいわけです。
森博達氏も「倭の女王卑弥呼は狗奴国の男王卑弥弓呼ともとから不和で
あったので…」と訳しています。

魏志倭人伝の全体を読んで、狗奴国は邪馬台国の勢力圏にはなく、
しかも不和だったので、戦争をしていた。卑弥呼は帯方郡に使いを送り、
その状況を説明した。郡は、張政を派遣し、調停した。

そのような内容と思うわけです。

あなたは全体的にどのような内容と思いますか。

>>511
これは狗奴国東遷説になるのかな。津田左右吉だったか同じ説の人が
いました。

奴国の金印については、どうして志賀島の畑の中から出土したかに興味があります。


525 :日本@名無史さん:2006/10/23(月) 00:31:25
>>524 >> 奴国の金印については、どうして志賀島の畑の中から出土したかに興味があります。

たしか、志賀島は昔は独立した島で金印出土後に地続きになったんでしたね。私も金印出土地に
行きましたが、田畑もなく、金印発見当時の面影は全くない風景になっていました。
島への道で最近、悲惨な事故もありましたね。

・・で、どうしてここから出土したのかについてですが・・・
1、外敵に奪われないようにするために、「隠した」。
2、役割を終えたので「埋納した」。
3、奪った勢力、又は、盗んだ盗賊が隠した。     ・・・・その他、色々。

1、だと、奴国は戦争に負けて、伊都国あたりに征服されたことになりそうですが、考古学的には、
どうも奴国が戦争で荒らされたとも思えないので、政権の禅譲のときに隠したということか。
ただ、「隠した」にしては、埋め方が丁寧過ぎの感じ。あと、禅譲なら隠さないかな。

2、だと、奴国連合が倭国に変わったときに、役割を終えて埋納したということになりそう。銅鐸とか、
銅剣とかの埋納も同時代に確認されているので、埋納もありうるかな、と考えています。
埋納場所が離れ小島という点が難点だけど、掘り起こさない意図で埋めたなら、それもアリか?

3、だと、丁寧に埋めたことの説明が付かないですね。


526 :日本@名無史さん:2006/10/23(月) 02:04:36
>>524 狗奴国東遷説、調べました。
http://inoues.net/mystery/kunakoku_nazo.html  とか。
http://www2.wbs.ne.jp/~jrjr/nihonsi-1-4-1.htm  とか。
http://www.hi-net.zaq.ne.jp/buakf907/bun070.htm  とか。

・・・・・〜〇о( ̄O  ̄)y―~~ ・・・・・・こんな 「 チ ン ケ 」 な考えじゃぁありません。

私の考えは、要するに、日本にクニと呼べる権力ができた当初の王族がその後も続き、
現在の皇室に至るという 「 万 世 一 系 説 」 ですwwwwwww
安本説など、「全然ぬるい」wwwという説ですw

狗奴国の「卑弥弓呼」は「卑呼弥弓」(ヒコミコ、彦御子)の誤記であるという説
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%97%E5%A5%B4%E5%9B%BD  に従い、邪馬台国と
狗奴国は、同じ言語、類似の支配組織を持っていたクニと考えています(今のところ)。

つまり、旧奴国連合の一部に派遣された王族が、曹操が辺境で力を蓄えたように力を持ち、
支配王族を打ち破ったと考えています(今のところ)。

南部九州の熊襲や隼人など、鉄器も持たぬ蛮族に過ぎず、これが新王朝の源になったとは
考えていません。


527 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/23(月) 07:23:05
>>524

>「及び」あるいは「〜と」


>>詰まり、接続詞として使われている わけでしょうか?

「A與B」
語の並列関係をあらわし
「と」と訓読するわけですね?
「Aト B」 と の形でしようし、
「A及びB」と訳すわけですか?

528 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/23(月) 07:50:07
>>524

そうなると
チョットつじつまがあいません。
「及び」を用いるとき(AとB)の関係は「並列」
素から不和であった お互いが並列では

この場合の「與」は(組する)と、普通に訳してもよいのではないでしょうか?
卑弥呼と狗奴の関係は(組する)関係であり
卑弥弓呼との関係が、素不和だった 元々仲がよろしくなかったワケです。

同じ自民党のなかでも、田中派と福田派は素不和でしょ

529 :サガミハラハラ:2006/10/23(月) 08:24:27
>>520
下地はかなり固めてあるつもりですが?
小城説は妄想だとおもっておられるのですか?
もっとも合理的で倭人伝の記述にも地理的実態にもあっているのですが。

530 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/23(月) 08:39:43
サガミさん

思うとか思わないの問題ではなく、そう判断せざるおえないと、申し上げてる次第です。
本人では気がつかないモノを、他者故に気がつく部分が存在すると、言うことです。
詰まり、まだヤリが入る段階だというワケです。

531 :サガミハラハラ:2006/10/23(月) 08:50:42
あ、そうですね。「倭国歴訪」の段階は確かにそうでした。
こんど、「(仮題)神功皇后の実在を証明する」という本を出版いたします。
その本の付録として邪馬台国論をのべており、前著の弱点をおぎなっております。ご期待ください。

532 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/23(月) 09:02:09
なるほど


それでもまだ、サガミさんは(古田氏)と同じ様に
韓国陸行をとなえていらっしゃるのですよね



サガミさん
何故当時の史料には「經韓国」と書かず「歴韓国」としたのでしょう
如何です?
「經」も「歴」もどちらも「へる」ですね

533 :サガミハラハラ:2006/10/23(月) 12:37:26
韓国の中を単なる通過ではなく、歴訪したからです。

534 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/23(月) 12:40:20
サガミさん

歴韓国と歴訪韓国では意味がちがうでしょう

もし、歴韓国=歴訪韓国なら「訪」の存在意義が無くなりませんか?

535 :サガミハラハラ:2006/10/23(月) 12:52:23
そうですか。ふむ。

536 :日本@名無史さん:2006/10/23(月) 13:48:18
>>528
結局、邪馬台国と狗奴国は不仲でいいの?

537 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/23(月) 14:11:32
>>536

いいえ

「與」=組する ですよ

538 :日本@名無史さん:2006/10/23(月) 14:25:34
>>537

酷い解釈だな。

539 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/23(月) 15:42:19
>>538


何処が

540 :日本@名無史さん:2006/10/23(月) 15:45:51
漢文勉強しろ

541 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/23(月) 16:26:39
>>540

一行否定なら誰でもできる

542 :日本@名無史さん:2006/10/23(月) 16:33:24
プラムさん。自説をもったいぶって書きすぎです。まとめて書いた方がいい。

亀田の世界戦がなかなか始まらなかったのを思い出しちゃった。

543 :日本@名無史さん:2006/10/23(月) 16:43:43
俺がスパっと答えを出してやるよ。

邪馬台国は、佐賀県大和町。
近くに吉野ヶ里もあるし、間違いない。
みんなもそう思うだろ?

プラムも同意見だと思う。もったいぶりすぎだよ。

544 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/23(月) 17:09:05
>>542
申し訳ありません。

スパッと 書きたいのは山々なんですが………
ここにきて 有る単純な問題を抱えてしまい、その事が決まらないと 一歩も先に進めない状態なのです。
それが
何故始皇帝は、歩=六尺と統一したのか? 五尺でも七尺でもない六尺と……
どなたか判る方いらっしゃらないでしょうか?

この答えが出ない限り、倭人伝にカキコされてる一里=〇〇mなんて 口が裂けても言えませんから
そんな理由から サガミさんに連日ヤリを入れているのです。

545 :日本@名無史さん:2006/10/23(月) 17:23:37
>>544

それは、始皇帝自身が今まで使ってた単位が、歩=六尺だったからだろ。
それとも、誰かが納得いく説明をしたら、それを真に受けるのか?


546 :日本@名無史さん:2006/10/23(月) 17:27:10
畿内だろうが九州だろうが、結局は現代日本人には無関係だし
韓半島からの渡来人の打ち立てた国家ってのは既に明白なわけだしさ
韓半島史ではあっても日本史の範疇に含めるのは捏造みたいなものだね

547 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/23(月) 17:53:41
>>545

いや〜
何かのヒントにはなるかもと……。

548 :サガミハラハラ:2006/10/23(月) 18:46:34
尺と歩では尺の法が先にきまったのです。
その尺で歩幅をはかったら六つ分あったにです。
それで一歩は六尺となったのです。

549 :プラム:2006/10/23(月) 19:58:39
>>548
だから それをどお証明するのですか?
それに、歩幅は片足を前に一歩踏み出した幅でしょ
サガミさんが言ってるのは、キ歩ではない(歩/あゆみ) 歩幅ではありません

550 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/23(月) 20:40:01
>>549訂正します。

誤) それに、歩幅は片足 を前に


正) それに、歩の幅は片 足を前に

551 :日本@名無史さん:2006/10/23(月) 21:05:03
尺と歩が、どっちが先かなんてのはバカげた議論。

歩いた歩幅が「歩」であり、尺はおそらく「手の長さ」



552 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/23(月) 21:17:22
それに、サガミさんがおっしゃってる歩幅(右→左二足分)は
正確には、「歩の軌跡幅」では有りませんか?

A→→B→→A

B→→Aとなった時点で、最初にあったA→→BのAは、B→→AのAに
移動しており、実質的に
A→→→→A間の幅を
計測することは不可能なのです。

553 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/23(月) 21:22:41
>>551

馬鹿げていない

こんな基本的な部分を曖昧にしてきたため、何時まで経っても 進展しない議論が続いているんだよ
百人いたら百人が違う度をウタウように、
特に酷いのが「九州説者」だ

554 :サガミハラハラ:2006/10/23(月) 21:33:17
なぜ不可能なのかさっぱりわからないです。はい。

555 :プラム:2006/10/23(月) 21:36:43
サガミさん
不可能でしょう  計測しようとする足が後ろから前に移動していて、
在るべき足がないのですから

556 :サガミハラハラ:2006/10/23(月) 21:43:49
足跡が残っているでしょう。

557 :プラム:2006/10/23(月) 21:48:25
足跡は足ではないし、足跡の付く地面は、その地面の条件に左右されます

558 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/23(月) 21:58:37
いいですか サガミさん


サガミさんがおっしゃっている歩幅とは、
左足A から 移動した左足迄の歩幅ではなく
『左足の移動距離』です。決して『歩の幅』ではありません。
『幅』の二点は、決して動きません。

559 :サガミハラハラ:2006/10/23(月) 22:01:34
ですからその動かない幅を計るのですよ。

560 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/23(月) 22:03:34
>>558 訂正


誤) 歩幅ではなく


正) 長さであって

561 :日本@名無史さん:2006/10/23(月) 22:04:33
恵也 ◆o4NEPA8feA 撃退記念パピコ

562 :太国:2006/10/23(月) 22:17:11
>>561
恵也氏の説明だと神武以前に生きていた卑弥呼の葬儀が240年だそうだから、
没年は同年か238、239年位のはずだ。だから卑弥呼は神武以前が活躍期だと
なるわけだから、この者は卑弥呼が260年ばかり以上の長寿だったことを
認容していることになり、まったくすごく滅茶苦茶だと言いたい。
それでこの者に、2倍暦か3倍暦等または讖緯説での240年以上の寿命なのか、
そうなると120歳余か80歳余になるからどうなんだ?と問うたが、鼻の先で
笑って軽んじているようだし、あまり知らないようだし、とにかくいい加減
出鱈目と観られる論の垂れ流しと答えをやって、のらくらしている。

563 :プラム:2006/10/23(月) 22:25:16
だから
それは、幅ではなく移動距離でしょうよ

564 :日本@名無史さん:2006/10/23(月) 22:26:23
酒田

565 :日本@名無史さん:2006/10/23(月) 22:42:29
>>537
−−−−
其八年太守王到官倭女王彌呼與狗奴國男王彌弓呼素不和
遣倭載斬鳥越等詣郡説相攻撃遣塞曹幢史張政等因齎詔書
黄幢拜假難升米爲檄告喩之
−−−−

結局、プラムさんの説では、これはどう訳されるの?
スパッと答えを出して欲しい。

566 :プラム:2006/10/23(月) 23:35:09
>>565
遣塞曹幢史張政等因齎詔書
黄幢拜假難升米爲檄告喩之

この部分はまだ(黄幢)の文字がいまいち把握できないため パス
原文に変化が見えるため(調査中)

其八年太守王到官倭女王彌呼與狗奴國男王彌弓呼素不和
遣倭載斬鳥越等詣郡説相攻撃

>>正始八年郡の太守王キ倭の調査
∇何故か? ⇒ 遣倭載斬鳥越等詣郡説相攻撃と訴えてきたので
∇で、調査結果 ⇒ 女王彌呼與狗奴國男王彌弓呼素不和 と判明した

倭の内情は、狗奴国は女王側に位置していたが、男王卑弥弓呼(弟)とは女王擁立の頃から
仲が宜しくなかった

∇何故内紛となったか? ⇒ ここは、正始四年記事との絡みますので
詰まり利権絡みの姉弟喧嘩







567 :511:2006/10/23(月) 23:54:46
狗奴国の官名にある「狗古智卑狗」の末尾の「ヒコ」からは、狗奴国も邪馬台国諸国と
同じ「ヒコ」という官を置いているから、一定の関係がある。
その視点から、>>526 みたく「ヒコミコ」と読む考えも成り立つと思う。

あと、「狗古智卑狗」の「狗」は「狗の奴国」の官という意味の「狗」とも考えられる。

「和せず」というのは、「仲が悪い」の延長と考えれば、同じ王族内の争い(後の時代でも
さんざん繰り返されている)とする考えも成り立つ。

神武東遷の出発地からは、狗奴国が「ヤマト」を継いで東遷したすれば史実と附合する。

邪馬台国の官名の「ミミ」とかは後の天皇の名にもあるし、「ヤマト」という名前も継がれ
ていることからは、「邪馬台」は畿内の「ヤマト」と繋がっていることは、明白。

神武は反朝貢派、反主流派であったと見れば、その後の経過とも合う。

・・・・・まあ、後付けの理由は無限ですねww

568 :日本@名無史さん:2006/10/24(火) 00:08:12
神武紀など、
「古い伝承がまがりなりにも伝わった」などとはどうしても思えない。
説話の断片すら信用できない。
総じて骨子は天武持統朝のイデオロギーに貫き通されているし、
細部の描写もきわめて8世紀臭に満ちている。

569 :日本@名無史さん:2006/10/24(火) 01:41:54
>>568  出雲の繁栄の記述も、捏造といっていた時代もあったね。

そんな時代でも、たいていの学者は神武の実在性は認めていた。
けど、神武東遷だけは認めなかった。直木は今でも反皇国史観を叫んでいる。

皇国史観に対する反発が強すぎて、「失われた60年」を費やしたというのが
戦後の古代史学界の一面でもある。

「失われた100年」に向けて爆走中の人達もまだ居るけど・・・

570 :日本@名無史さん:2006/10/24(火) 02:07:33
>>568  >>569に続いてレスですが、
古い伝承であっても、ユダヤの延々と続く系図(初期は口伝)を史実と見る人が多い。
そのほかにも、口伝で民族の歴史が伝えられた事実は、多くの民族に見られる。
アイヌも詠み終わるのに2週間委譲を要する口伝による民族の歴史があった。
・・・つまり、口伝であっても、「言い伝え」として、その信用性を検討できる。

古事記は、口伝を生業としていたと考えられる稗田阿礼の言葉を太安万侶が書き記した
とされている。異伝についても書いている。

おそらくは、その時代に伝わっていた伝承を稗田阿礼の口伝を中心にまとめたもの。
安易に「天皇の権威付けのための脚色」という考えるのではなく、「口伝の中核は何か」
という考えで見た方が良いと思います。


571 :日本@名無史さん:2006/10/24(火) 02:37:30
>>570
>「口伝の中核は何か」

創作した家系図の肉付けじゃない?

572 :日本@名無史さん:2006/10/24(火) 04:32:23
>566
黄幢は魏の軍旗ですよ。
難升米が欲しいと言ったからくれたのでしょう。
そうじゃなかったら、あまり人にやるものじゃないと思うから。

邪馬台国にしたら、黄幢を持っていることが狗奴国に対するけん制に
なったと思います。狗奴国もまさか魏の軍隊に対して弓を射るわけには
いかないわけだから。

このように考えると、狗奴国の勢力がいかに強かったかが伺えます。
卑弥呼は、魏に助けを求めているようにも見えるわけですから。

>>568
>総じて骨子は天武持統朝のイデオロギーに貫き通されているし…。
そのイデオロギーで神武東征が生まれたってこと?
関係が良くわからない。


573 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/24(火) 07:57:17
>>572

>黄幢は魏の軍旗

>>そうなんだけど
確か 正始六年の文字と
正始八年の黄幢の文字が、違っていた様な………?
今、原文検索中なもので

どちらかが旧文字だった様な

574 :日本@名無史さん:2006/10/24(火) 08:46:29
公金の乱はだれがおこしましたか

575 :日本@名無史さん:2006/10/24(火) 08:59:14
>>574
黄巾の乱だったら農民

576 :日本@名無史さん:2006/10/24(火) 10:40:41
>>572 >>このように考えると、狗奴国の勢力がいかに強かったかが伺えます。
>>卑弥呼は、魏に助けを求めているようにも見えるわけですから。

ナルホド、その考えでは、220年に後漢が滅んで、邪馬台国の威信が低下したため、
狗奴国とかが、従わなくなった。そこで、239年に魏に朝貢可能となると、すぐに派遣して
冊封を受けて支援を要請した。

ちゃんと目的があって朝貢したという流れになるね。

577 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/24(火) 10:42:33
>>547

公金の乱だったら

岐阜県職員

578 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/24(火) 21:39:00
>>544
>何故始皇帝は、歩=六尺と統一したのか? 五尺でも七尺でもない六尺と……

半径が1尺である車輪は、1回転すると約6尺進む。これが1歩。
半径3尺である記里鼓車は約18尺を1回転で進む。車が3歩進むわけだ。
100回転ごとに鼓を鳴らして1里を知らせたという。
1里=300歩
車の計算の都合がいいように1歩=6尺にしたの

ーーーーー(引用開始)−−−−−
記里鼓車は、1里(約400〜500m)毎に鼓を鳴らす車。しくみは自動車のトリップメーターと同じ。
http://homepage1.nifty.com/RINZO/MUSEUM/KARAKU01.HTM

四川省の戦国墓(戦国の七雄の一つである秦の時代)から出土した木牘(も
くとく=木簡)によれば、阡陌(せんぱく=あぜみち)の幅が3歩と記され
ております。これを上記の歩(長歩)で考えると4メートル以上の幅となり
畦道としては広すぎると思われます。  通常あぜ道は人が一人通れる程度
と考えれば80センチメートル弱で十分と思われます。このことは、1歩が
25センチメートル程度の短歩の存在を示唆していると考えられます。
http://www.melma.com/backnumber_113764_1105921/

579 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/24(火) 21:42:48
卑弥呼と台与の権限委譲について
死んでから男王が権限を持ち、狗奴国と戦い、また内乱状態になった後で鬼道を行う
13歳の台与が権限委譲をされたけど、諸豪族を納得させるセレモニーがあったと思う。
さもなければ優秀な霊能者というだけでは、利害でグチャグチャの大人を納得させれない。

天皇家には先代が死なれると、もがりという特殊な行事がある。
先代の遺体に一晩、添い寝を皇位後継者が1人で行われるという。
最初にその伝統をつくったのは台与ではないのかな。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
先帝の崩御が伝えられると皇太子は精進潔斎してみそぎを済ませた後、賢所で拝礼をすませ
即位殿の廊下を伝わって小さな扉から御仮屋の中に入る。

身につけているものは即位の大礼に着るものものしい衣冠束帯ではない。白絹の衣一枚である。

御生誕の折りに赤子の皇太子が着せられていた白絹の産着と同じ白装束である。おつきの侍従、
女官どもは仮屋の入り口までお見送りをすると、中へ入ることも、のぞくことも許されぬまま、
翌朝の即位の儀式まで控えの間に詰めて待機する。
http://www.geocities.jp/minase_bungei/a30.html

580 :日本@名無史さん:2006/10/24(火) 21:44:14
・・・引用場辛子・・・
>釈迦はキノコを食べて死んで有名な坊さんからも「知恵がないやつだ。」と言われた。が太国さんはもっと知恵があるよ。



581 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/24(火) 21:47:13
世界一のお墓を持ってる第16代仁徳天皇の死亡期日西暦427年を、事実だとしたら神武天皇
や天照大神はいつ頃死んだのか。

天皇の平均在位期間を10年としたら第X代天皇の死亡年月日は次の式で得られる。

427−(16−X)*10=西暦死亡年

427−(16−1)*10=277年・・・第1代 神武天皇
427−(16+3)*10=237年・・・皇祖  天照大神
             247年・・・    卑弥呼死す

まあ、10年の差くらいなら十分に同一人物だった可能性はある。
それに当時の天皇は先頭に立って、反対派を征伐していた天皇としては危険な任務の時代。
19人の天皇で10年間の在位期間が短縮したのなら、むしろピッタリと言うべき。
ーーーーー(引用開始)−−−−−
第31代の用明天皇は、2年ほど在位し、586年には活躍していたことが確実な天皇である。

用明天皇の活躍年代586年を起点として、一代10年づつ古代にさかのぼれば、各天皇の
大略の活躍年代がえられる。
http://yamatai.cside.com/tousennsetu/nendai.htm

582 :日本@名無史さん:2006/10/24(火) 21:53:34
和名抄地理志   讃岐国 難波  
東大寺所傳天平17年官奴司解、亦用全讃史云、仁徳天皇陵在、富田東村稱茶臼山
傳謂、州民欽慕帝徳而築之、取其宮號、邑名難波、 (富田茶臼山古墳・四国最大)

だれが世界一のお墓なんだ?ちゃんと嫁!



583 :プラム:2006/10/24(火) 21:59:18
>>578

>半径が1尺である車輪は、1回転すると約6尺進む。これが1歩。
半径3尺である記里鼓車は約18尺を1回転で進む。車が3歩進むわけだ。
100回転ごとに鼓を鳴らして1里を知らせたという。
1里=300歩
車の計算の都合がいいように1歩=6尺にしたの


>>あのね
記里鼓車に合わせて 歩=六尺に統一したわけではないの

歩=六尺に合わせて、記里鼓車が作られたの  もう少し詳しく調べた方がいいよ。
それに、里の単位よりも尺や歩の単位の方が古い

さぁ〜 記里鼓車が作られたのは何時かな?

584 :プラム:2006/10/24(火) 22:03:23
>>578
ほらよ

■『新校本宋史/志/卷一百四十九 志第一百二/輿服一/記里鼓車』

【足輪各徑六尺圍一丈八尺足輪一周而行地三歩以古法六尺為歩三百歩為里】


585 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/24(火) 22:04:48
>>580
>釈迦はキノコを食べて死んで有名な坊さんからも「知恵がないやつだ。」と言われた

お釈迦さん当時に、有名な坊さんてジャイナさんかい?
人間いつか死なないといけない業を持ってる。
信者さんが供養としてくれた、旨いキノコ料理で80歳で死ぬのなら本望だろう。
その当時80歳といったら、大変な長生きじゃないかな?

ーーーーー(引用開始)−−−−−
釈尊は、いとこのア−ナンダを供として遍歴の旅を続ける途上、クシナガラの地で入滅した。
享年80歳とされている。
http://www.geocities.jp/kihaty/indobutukyou.html

586 :日本@名無史さん:2006/10/24(火) 22:05:37


    %%%%%%%%% 
    6| -σ-σ | 
     |   ゝ  |  <チョンコまるだしっすよー
     \ ∀ / 
    │|  │ 
     U ♂ )
     │|│|
     ⊂つつ
この絵を良く見かけますが、いったい誰なのですか?


マジレス求む!





587 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/24(火) 22:06:30
>>571
>創作した家系図の肉付けじゃない?

まったくの創作というのは難しい。
無理やり作るとしてもその、材料がないとナカナカ出来ないもの。
赤の他人の口伝でも何でもいいからないと、普通の人間に作るのはまず無理だろう。

588 :プラム:2006/10/24(火) 22:06:51
>>578
もう一つ ほれ

http://www.cnet-ta.ne.jp/p/pddlib/photo/stamp/kirikosha.htm

589 :太国:2006/10/24(火) 22:10:08
>>581
427年っていうのはどうして決まったんだ?
第三式の括弧内の3は何か?

590 :日本@名無史さん:2006/10/24(火) 22:13:04


    %%%%%%%%% 
    6| -σ-σ | 
     |   ゝ  |  <チョンコまるだしっすよー
     \ ∀ / 
    │|  │ 
     U ♂ )
     │|│|
     ⊂つつ
この絵を良く見かけますが、いったい誰なのですか?


マジレス求む!



これはプラムだよwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

591 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/24(火) 22:23:04
>>583
>歩=六尺に合わせて、記里鼓車が作られたの  もう少し詳しく調べた方がいいよ。

面白いことを言うね。
直径の3.14倍が円周になるんだけど、それ以外の円周率が存在するなんて聴いた事がないのだけどね

それともあなたの貧弱な脳みそでは、それ以外の円周率で記里鼓車が出来るとでも妄想してるのかな
凄い脳みそだ!

ーーーーー(引用開始)−−−−−
長里」は秦の始皇帝が中国全土の地理測量を合理化スル為に制定シタ単位でアリ、“六尺一歩”
の“蓋”を開ければ、コノ六尺の正体は「記里鼓車」の“車輪の直径六尺”に対する三倍という“
円周率”にアル。

詰まり、一里=300歩は円周率と100回転区切りという“10進”によって生まれた数値だ
ったのでアル。「六尺一歩」は人の歩幅ではナイ。“機械の歩幅”なのでアル。
http://www1.ocn.ne.jp/~gengoman/MyPage/menu1.html

592 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/24(火) 22:24:46
>>572
>そのイデオロギーで神武東征が生まれたってこと?

神武東征の思想と、聖徳太子の和の精神や、卑弥呼を諸国が共立して女王にする思想とは
まったく逆の思想。
しかし大和と書いてヤマトと読ませるのは強引な読ませ方だ!
邪馬台と書いてヤマトなら判るけど・・・・

むしろ和の精神で、魏の科学技術を用い国力が強大になり、仲間はずれになった皇族の
何人かが勝手に、邪馬台国の血の気の多い連中を集めて、軍産複合体から金を集め、弱
そうな銅鐸文明を持つ異教徒を中国地方や近畿地方に新天地を作りに行ったと見る。

今のアメリカが、合衆国という共立の精神で強大になり変質したのと同じ理由。
軍産複合体と正義の戦いというものの怖さというべき。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
人はとかく仲間や連れを作り、その中で申し合わせてから議論に参加するので、君主や父親の
意向に逆らったり、公共の利益と矛盾することが起きてしまう。

だから統治者は人民全体の幸福を考え、人民もみんなの幸福のために胸を開いて話し合うなら、
事の道理は自然に通じて、何事もうまくゆくものだ
http://www7a.biglobe.ne.jp/~yasui_yutaka/umeharabungaku2/shoutokunoyume.htm

593 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/24(火) 22:29:52
>>589
>427年っていうのはどうして決まったんだ?
>第三式の括弧内の3は何か?

427年の仁徳天皇の死亡年は、ネットの検索で出てきた数字。
第3式の3は神武天皇を1代としたら、天照大神はー3になるからーとーで
+3になったもの。

594 :プラム:2006/10/24(火) 22:32:52
>>578

今日はサービスだ。 度量衡の参考に

新校本漢書/志/卷二十一上/律暦志第一上/段 966

度者,分﹑寸﹑尺﹑丈﹑引也,所以度長短也。
【 師古曰:「度音大各反。下皆類此。」】
本起黃鐘之長。以子穀秬黍中者, 【 孟康曰:「子北方,北方K,
謂K黍也。」師古曰:「此說非也。子穀猶言穀子耳,秬卽K黍,
無取北方為號。中者,不大不小也。言取K黍穀子大小中者,
率為分寸也。秬音鉅。」】
一黍之廣,度之九十分,黃鐘之長。一為一分,十分為寸,十寸為尺,
十尺為丈,十丈為引,而五度審矣。
其法用銅,高一寸,廣二寸,長一丈,而分寸尺丈存焉。
用竹為引,高一分,廣六分,長十丈,其方法矩,高廣之數,陰陽之象也。
【 孟康曰:「高一分,廣六分。一為陽,六為陰也。」】
分者,自三微而成著,可分別也。寸者,忖也。


595 :太国:2006/10/24(火) 22:37:27
>>593
検索じゃぁ、答えが抽象的であり ×、そんなんじゃ、何でも検索して
勝手気ままに決めているということであり、これではどんなことでも
大略成立してしまう。女王国畿内説を検索すればそれが成立したと言え
るし、九州説を検索して九州説だと言っても成立してしまい、結局夜に
月も太陽も見えると言っているのと同じでダメ。

596 :プラム:2006/10/24(火) 22:54:34
>>591

面白いことを言うね。
直径の3.14倍が円周になるんだけど、それ以外の円周率が存在するなんて聴いた事がないのだけどね

それともあなたの貧弱な脳みそでは、それ以外の円周率で記里鼓車が出来るとでも妄想してるのかな
凄い脳みそだ!

ーーーーー(引用開始)−−−−−
長里」は秦の始皇帝が中国全土の地理測量を合理化スル為に制定シタ単位でアリ、“六尺一歩”
の“蓋”を開ければ、コノ六尺の正体は「記里鼓車」の“車輪の直径六尺”に対する三倍という“
円周率”にアル。

詰まり、一里=300歩は円周率と100回転区切りという“10進”によって生まれた数値だ
ったのでアル。「六尺一歩」は人の歩幅ではナイ。“機械の歩幅”なのでアル。
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)


>>あのね
そんなことは、判ってるの

もう一度言うけど、 歩=六尺というのは始皇帝の時代の話 その後に、記里鼓車の車輪の大きさを決めたの
  そう、貴方の言うように円周率と10進法を利用して

(時間経過)は

歩=六尺の統一 ⇒⇒⇒ 車輪の大きさの決定 

貴方の言っている事は、記里鼓車が始皇帝時代(歩=六尺)統一より前に出来たと言っているのですよ?

597 :プラム:2006/10/24(火) 23:02:49
>>595 太国さん

これから先『恵也君』のお守りは、太国さんにお任せします。
             もう ダメ              

598 :日本@名無史さん:2006/10/24(火) 23:07:09
マジレスするから調子に乗るんじゃないの、馬鹿はスルーで行きましょうよ。

599 :日本@名無史さん:2006/10/25(水) 00:19:28
いやバカレスの間違いだよ

600 :日本@名無史さん:2006/10/25(水) 00:32:02
neetはひっこんでろ。

601 :日本@名無史さん:2006/10/25(水) 16:19:56
畿内説が正しいと本気で心から信じている学者っているのかな。
不利な証拠や意見を無視する時点でまったく信用できない。

602 :日本@名無史さん:2006/10/25(水) 22:30:58
>>600
あの・・・
599の私を、
どうやって、
neetと、
判断するのですか?
本当は貴方が・・・

603 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/25(水) 23:18:49
>>584
>【足輪各徑六尺圍一丈八尺足輪一周而行地三歩以古法六尺為歩三百歩為里】

あんたね、ロクに日本語さえ出来ないのに、大昔の漢文を出して粋がるんじゃないの!
日本の200年前:明治時代の日本語さえ、あなたの語学力じゃマトモに読めないだろうに。

それを現代中国語さえ出来ないのに、1800年前の漢文を出し素人読みをして粋がるバカタレ。
中国語と日本語の違いさえマトモに理解できない程度の知識なんだろうな!

「迷惑」という言葉一つをとっても、国で中身がゼンゼン違うのがあなたに理解できるだろうか。
そんな微妙で同じ感じで、それで中身が全く違う言葉は、沢山存在してると思うぜ。
もっと言葉に関しては謙虚になって、外国語に対するド素人解釈はやめときなさい!

ーーーーー(引用開始)−−−−−
<田中首相のあいさつの途中、一区切りごとに拍手を送っていた中国側が、拍手をすっぽかす
くだりがいくつかあった。中国国民に「迷惑」をかけたといったときがそうだった。

同じことを周首相のあいさつは「災難」と表現した。それを、軽々しく「迷惑」くらいのこと
ではすまされない、という不満の意思表示ではなかったろうか>

----これは同行した西村秀俊社会部員の観察だ。演説の途中でこの微妙な雰囲気をとらえた
記者感覚は鋭い。
http://www.21ccs.jp/china_quarterly/China_Quarterly_01.html

604 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/25(水) 23:20:18
>>595
>検索じゃぁ、答えが抽象的であり ×、そんなんじゃ、何でも検索して

あんたは自分でロクに調べる事もしないナマケモノ!
むしろ無能者というべきかな。
仁徳天皇の死亡年は、その前後で日本では一応の合意が出来てるのじゃないかね。
俺の検索したウィニペグでは、死亡年を1種類しか書いてなかった。

いろんな専門家の間での合意がなってるような死亡年にイチャモンつけても時間の無駄
というものだろう。
そこからいろんなハシゴをかけて歴史を見てみるのも面白いものだけど、ハシゴもかけ
ずに貧弱な脳みそで他人にイチャモン付けても、どうも俺の好みじゃない。

605 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/25(水) 23:22:17
>>596
>里鼓車が始皇帝時代(歩=六尺)統一より前に出来たと言っているのですよ?

「その後に、記里鼓車の車輪の大きさを決めた」という根拠はあるのかい?
あなたも根源的思考力不足。

これは始皇帝の時代に作られた記里鼓車の記録が残ってるという意味で、その前にそれは
完成してたもの。むしろ記里鼓車の前の時代に、もっと単純な記里鼓車の原型の道具:半径
1尺の丸い物が中国には存在し、その道具によって1歩=6尺の数字が決められたというべき。

記里鼓車は無数の歴史的事実の中から、僅かに後世に残された記録の一つに過ぎん。
あなたは歴史に対するイメージ力が不足してる。

・・・・・・・・・・・・・・
秦の始皇帝陵には「兵馬俑」(へいばよう)と呼ばれる7000体にものぼる等身大の人形が
付属していることだ。これは墳墓の外にあり、それを加えると始皇帝陵は広さで大仙古墳の5
倍以上にもなってしまう。

これでは仁徳天皇陵を「世界一」と自慢できなくなる。そこで、「始皇帝陵」は「始皇帝の墳墓」
へと変えられなくてはならなかったようだ。これは「インチキ」と呼ぶのではないだろうか?
http://www.h2.dion.ne.jp/~kyokasho/moshi2.html

明治45年(1912)の発掘で木棺とみられる埋葬施設が発見され、銅鏡2面と鉄剣をはじめ
硬玉や碧玉製などの勾玉や管玉、棗玉などの玉類が多量に出土しています。
http://www.city.sakai.osaka.jp/hakubutu/ninhya.html

606 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/25(水) 23:31:02
>>603-605

悪いけど
貴方とこれ以上議論する意思はありません。

607 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/25(水) 23:32:05
ここには100mくらいの円墳がどのくらいの大きさの物なのかさえイメージ出来ずにカキコ
してる方がいる。
急に死なれ、狗奴国と戦争し、内紛で混乱してる中で直径100m以上の円墳を作る人手が
簡単に集めれるとは思えない。
下の写真は86mの円墳だけど、それでも大変大きい。労働力だけでも凄いものだろう。

卑弥呼の円墳が直径100歩あまりというけど、長里100歩なら150m、短里で100歩なら30m
この時期が、古墳を作り始めた創成期だと考えたら直径30m程度と考えるのが順当!
それに古墳の90%は円墳なんだから、大きな前方後円墳を卑弥呼の古墳なんて考えられん。。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
この古墳は北近畿豊岡自動車道建設に伴って偶然発見された古墳で、直径約      
86m、高さ18m、墳丘は2段築製となっている。
http://kyoto.cool.ne.jp/kanta727/haniwa4.htm

608 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/25(水) 23:50:53
>>606
>貴方とこれ以上議論する意思はありません。

ダイタイあなたとは議論にもなってないはずだけど・・・・
あなたは漢文知ったか振りだけの、風船みたいな中身なし!

609 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/26(木) 00:23:28
魏志倭人伝からの卑弥呼の墓とは

直径30m程度、高さ6m以下の円墳で、墓室のない木棺もしくは甕棺を直に埋めてある。
卑弥呼の遺骨であれば50歳以上100歳までの女性。

墓に魏の金印はなく、出るとしたら魏が滅んだ後で死んだ台与の墓の可能性がある。
奴隷を100人殉死させているので、近くから遺骨が出る可能性もある。

−−−−−(引用開始)−−−−−
死ぬと棺に入れるが墓室のようなものは無い。土をもって塚をつくる。
http://www.webtelevi.com/yamataigisi.htm

610 :日本@名無史さん:2006/10/26(木) 00:25:58





















1人でシコシコ頑張るプラム=恵也




611 :日本@名無史さん:2006/10/26(木) 01:20:55
>>602
その必死さがあきらかにニート。

612 :日本@名無史さん:2006/10/26(木) 01:23:36
>>606
ナマケモノ 恵也 ◆o4NEPA8feA は、2chのいろいろなスレに出没しているのです。
しかしながら、あまりにも馬鹿なので秒殺されては次のスレへと流れていくのです。
無知って本当に怖いですね。
イラク板、イスラムなどではコテンパンにやられて今ではROM厨房です。

完全スルーが良いのではないでしょうか?

613 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/26(木) 06:13:19
>>612
>イラク板、イスラムなどではコテンパンにやられて今ではROM厨房です。

少しは知ってるジャン。
経歴は、環境板の原発→極東板の南京大虐殺→イラク板→邪馬台国
まあ、どこでも論破してきたけどね!
でも飽きやすいからそれこそ「一期一会」の縁しかないけど・・・

614 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/26(木) 07:13:02
>>612

了解しました。

サンクスです。

615 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/26(木) 07:35:43
卑弥呼の墓は永遠に判らず、出てこない可能性も50%くらいはある。
たとえ発掘されても、木棺が壊れてて酸性の土に触れ遺体が土に吸収されてるかもな。

100人の奴隷を殉死させてるのを見ると、あの世で使うとして銅鏡、ネックレス、ブレスレッド
などはお棺に入れられてたと思うが、ワザワザ魏から送ってもらうほどの鏡収集家だったのを
考えると、数種類の鏡はあるようだ。

年代の確定が、土器や木棺、C14というそれぞれ欠陥のある測定法しかないのが苦しい所
C14がもっと正確に出ればいいのだが・・・・

616 :太国:2006/10/26(木) 07:50:13
>>604
そんなあてにもならない年数を疑いもなく採用するようじゃぁ、お前の脳みそ
も大したことはないな?じゃぁおれが書けがそのまま引用開始か〜?ww

617 :日本@名無史さん:2006/10/26(木) 08:27:40
プラムさんは、記紀を信じてる>>429とか
太国さんにお任せ>>597する所が終わってるな。

618 :日本@名無史さん:2006/10/26(木) 09:18:59
古事記の天照大神の部分をごく簡単にわかりやすく書くと次のようになります。
これが日本の3世紀頃の様子を言っているのではないかと思っているわけですが。

イザナギはいろんな神様を生みますが、最後に生まれたのが天照大神と
月読尊それに須佐之男命です。
イザナギは、天照大神は高天原を治めよ、月読尊は夜の国を治めよ、
須佐之男命は海原を治めよと命令します。

しかし、須佐之男命は反発して泣き叫びます。自分は母の国に行きたいのだと。
イザナギは怒って、お前はこの国にいてはならない、出て行けと言って
隠れてしまわれます。

須佐之男命は、じゃあ、天照大神に事情を説明しようと高天原に上ります。
天照大神は、驚いて、スサノオは高天原を乗っ取ろうとしている違いないと
考え、戦いの準備をします。

須佐之男命は、事情を説明しようと思っただけで、高天原を乗っとるつもりは
ありませんと言い、一度和解をします。しかし、調子に乗った須佐之男命は、
高天原で大暴れします。それに怒った天照大神は、岩戸に隠れてしまいます。

高天原は真っ暗になりますが、多くの神が協力して天照大神を岩戸から出すと、
高天原は元のように明るくなります。そして須佐之男命は出雲に追放されます。

619 :日本@名無史さん:2006/10/26(木) 09:21:07
続き

これからは出雲の話になります。須佐之男命のヤマタノオロチ退治。
大国主命の登場などの話です。

また、高天原に戻ります。

天照大神と高皇産霊尊(高木神)は、自分の子供に日本を治めさせようとします。
しかし、下界は騒々しい。そこで、ある神様を出雲に派遣し、国を譲るように
説得します。しかし、派遣された神様は戻ってきません。別の神様を派遣しても
やはり戻ってきません。三番目に派遣された神様がついに、出雲の神様を説得し、
国を譲ることを約束します。

そこで、天照大神と高木神は、自分たちの孫である邇邇芸命を日向に降臨させます。
邇邇芸命とその子、孫が日向で暮らし、ひ孫に当たる神武天皇が東征するわけです。


620 :日本@名無史さん:2006/10/26(木) 10:54:15
>>613
ものも言いようだな。

× まあ、どこでも論破してきたけどね! でも飽きやすいからそれこそ「一期一会」の縁しかないけど・・・
○ 論破されたからしかたなく撤退せざるを得なかった。

そのポジティブさだけはホメテやろう。

621 :日本@名無史さん:2006/10/26(木) 16:34:11
あのー、一つお聞きしていいでしょうか?
私も良くは存じ上げませんが邪馬台国の埋葬の仕方についてなんですが。
魏志倭人伝の記述に「棺あってかくなし」とありますが、近畿は木かく木棺墓、
北九州は甕棺。後者が一致していると思うのですがいかがですか?

622 :日本@名無史さん:2006/10/26(木) 23:28:22
倭族はいつから「ヤマト」という言葉を使ったのだろうか。

1、奴国の時代に「倭の奴国」を「ヤマトの奴国」と言っていた可能性もある。
2、倭国王帥升は、倭国をヤマト国といっていた可能性もある。
3、確認できるのは「邪馬台国」以降のみである。
4、紀元前3C以前から自分達をヤマトと呼び、渡来人と区別していた可能性もある。

私は、4が一番可能性が高いと考えている。
紀元前3C頃の九州の遺跡では青銅器と朝鮮系の土器が共伴することが多いが、
日本人が自分達を呼ぶ言葉は必ず存在したはずであり、そのような種類の言葉は、
時代の変化を受けにくい。

倭族=ヤマト、の成立時期はかなり早い時期であったと考えている。

この点も、邪馬台国論争を左右する視点の一つだと思う。

623 :日本@名無史さん:2006/10/26(木) 23:42:47
>>622 を読んで、意味が分かった人は読む必要はないが、

奈良時代の畿内では、「ヤマト」とは纏向(特にオオヤマト古墳群)近辺を指す言葉
として使われていた。

つまり、ヤマト=倭族というのは、九州限定の考えであり、古代から朝鮮などとの
交流があり、他民族との対比で「ヤマト」という言葉を使っていた人達が、畿内に
大挙して移住してきた地域が「ヤマト」と呼ばれたという考えにつながり易い。

ただ、>>622で、3、を選択しても畿内説には不利な事実ではある。


624 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/10/27(金) 00:00:27
ヤマトは『ヤマタホ』が転訛

625 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 00:04:16
>>621
当時の中国人にとっての「棺」がどんなものであったかを考えてみそ


626 :九州ですが:2006/10/27(金) 00:47:09
以前、邪馬台国を当時の中国の発音で、やまどぅ といってたからヤマトの語源だとは思う。
邪馬台国までの道のりで倭人伝に出てくる地名は九州に実在する。
博多=那国からあまり離れていないフミ国、その南の投馬国は場所は不明だが、九州以内と思われる。邪馬台国の南にあって
覇権を争った、クナ国の長官の名はコクチヒコ、熊本県菊池の古名はくくちと言い、年寄りはクコチと発音する。
熊本県城南町には火の君という人がいて今でも火の君祭りが行われている。クナ国の王の名をヒコミコといったが火の君その人でははいか。
彦みこ=男、とも考えられるが。熊本には球磨郡球磨村などクマとい地名が多い。これはクナがなまったものか。
そう考えると邪馬台国は熊本県以北、ということになる。
三種の神器は北部九州の風習。なぜこれが天皇家に引き継がれているのか。
近畿で魏志倭人伝に出てくる地名は聞いた事が無いんですがあれば教えて下さい。

627 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 01:21:29
>>623
箸が倒れても畿内説に不利な証拠に見える年ごろなんだね

628 :511:2006/10/27(金) 01:33:28
>>626 書いたの私じゃないよ。念のため。


629 :九州ですが:2006/10/27(金) 01:39:14
>>625
馬王堆1号漢墓など漢代の墓は木かく木棺墓のようですね。
棺に土が直に掛からないように周りを木かくで囲み石膏などで固めたとあります。
近畿地方の埋葬法に近いです。棺をそのまま埋める邪馬台国の埋葬のやり方は
当時の中国人には、原始的に映ったのではないですか?
抜歯の風習もまだ残ってたし、刺青をして海にもぐり、魚介類を採ったりする姿にしても。

630 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 06:35:53
>>626
>近畿で魏志倭人伝に出てくる地名は聞いた事が無いんですがあれば教えて下さい。

大和=邪馬台国

631 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 09:59:13
http://takeyabuyaketa.mine.nu/uploader/src/up0095.jpg
http://takeyabuyaketa.mine.nu/uploader/src/up0096.jpg

632 :九州ですが:2006/10/27(金) 13:19:58
>>631
は、一体何のつもりでしょう。ワンクリック詐欺?すぐ警察に通報しましたが。
初心者ですので削除依頼の方法が解りません。管理者の方見てたら教えてね。

633 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/27(金) 13:27:49
>>616
>そんなあてにもならない年数を疑いもなく採用するようじゃぁ

あてにならないというなら仁徳天皇の死亡された西暦を自分で調べたらどうなんだい?
調べもせずにあてにならないと言われても、反応のしようがない。
俺が調べた範囲では、仁徳天皇は427年と428年と2種類はあったけどね。

634 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 13:37:50
http://qb5.2ch.net/test/read.cgi/sakud/1047808482/403

403 :九州ですが :2006/10/27(金) 11:54:55 HOST:softbank220063099035.bbtec.net
邪馬台国畿内説議論板6で真面目な質問をしたのに、ホームページで送られてきたのは
詳しい資料かと思いきや9万いくら頂きますという悪質なワンクリック詐欺まがいのものです。
気が動転してすぐ警察に知らせました。皆が迷惑します。削除人さん助けて下さい。
初心者でどこにどうしていいか皆目見当がつきません。たった今のことです。

635 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 13:49:51
>>607
魏志倭人伝が作られた目的と
張政等の存在を考えれば
短里だけは無いな。
そして卑弥呼の墓は150m。

狗奴国との戦いは無かったか、
戦いながらも墓を作る国力があったか、
着工から時間をかけて作られた。

636 :九州ですが:2006/10/27(金) 14:10:13
いずれにしても仁徳天皇と邪馬台国とどういう関係が?
卑弥呼が死んだ年は248年くらいだったかな。{皆既日食のあった年といわれる}
卑弥呼が大和朝廷の直系の先祖なら、神格化されて系譜に残ってるだろうし
そうでないなら、どっかの地方にシンクレティズムされて祀られている可能性が高い。
戦前までは壬申の乱と邪馬台国は、万世一系を乱す危険思想として学校で教えていなかったから、
戦前の教育を受けた人は、戦後までその存在を知らなかった。
という事は少なくとも天皇家と、当時の軍部は邪馬台国、卑弥呼を、天皇家にゆかりのあるものとは考えていなかったと考えられる




637 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/27(金) 14:15:09
>>622
>紀元前3C頃の九州の遺跡では青銅器と朝鮮系の土器が共伴することが多いが、

朝鮮からの渡来人が、九州、中国、四国で巾を利かせていたと見るべき。
軍事力ではともかく、文字文化でも科学でも渡来人のほうが上なんだから、大切に扱われて
たんじゃないかな。
倭とは日本に生まれ育った人間らのことを指した言葉だろう。100余国あったというのだから。

特に中国や朝鮮の国内で難民となり、行くところがなくなった連中は大挙して日本に逃げ
込んで倭の100余国から大切にされた事だろう。
むしろヤマトは邪馬台国成立後の変化した名前だよ。
卑弥呼の後継者台与をトヨと読ませてるんだからな。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
紀元前2世紀-紀元前後ごろの時期には、倭人は定期的に前漢へ朝貢しており、また約100の政治
集団(国)を形成していた(『漢書地理志』)。

1世紀中葉になると北部九州(博多湾沿岸)にあったとされる倭奴国が後漢へ朝貢している(
『後漢書』)が、これは北部九州における倭人の政治集団の統合が進み、その代表として倭奴国
が後漢へ遣使したと考えられている。

その約50年後の2世紀初頭には、倭国王帥升が後漢へ遣使している。文献に名の残る日本史上最
古の人物である帥升は、史料上、倭国王を称した最初の人物でもある
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD

638 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/27(金) 14:46:53
>>626
>三種の神器は北部九州の風習。なぜこれが天皇家に引き継がれているのか。

間違い!
大分県南部の「岡」や山口県東部「周防国」でも3種の神器の記録がある。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
仲哀天皇の熊襲征伐の途次、岡県主の熊鰐、伊都県主の五十迹手らは、それぞれ白銅鏡、
八尺瓊、十握剣を差し出して恭順の意を表している。また景行天皇に服属した周防国娑麼
の神夏磯媛も、八握剣、八咫鏡、八尺瓊を差し出している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E7%A8%AE%E3%81%AE%E7%A5%9E%E5%99%A8

639 :九州ですが:2006/10/27(金) 15:07:33
漢代は中国で頻繁に黄巾の乱が起こり、多くの難民が海を渡ったと考えられる。
この初期道教の思想は当然のごとく倭の国にももたらされた。
卑弥呼が、よく人身を惑わす と記されている呪術・祈祷・占いの類「鬼道」も
強く道教の影響が見られる。女王になった後は民に姿を見せない、などである。
吉野ヶ里遺跡{かなそな国=かんさっくなク二=かんざき郡}
の墳丘墓も入り口がきちんと南西の方向を向いているのは道教の影響とされる。

640 :太国:2006/10/27(金) 15:08:06
>>633
そんなら検索したものと、なぜそれをどういう理由で引用するのに合理的、適当
だとかの説明が無いではないか? だから目ッ茶やたらに勝手に持ってきただけ
で、出鱈目極まりない方法だということよ。w 確信がないのなら、参考に引用
してるとか、ここんところは一部信憑性があるから引用したとか説明あるのなら、
ちっとは冷静でお脳の制御が出来ていると感じるのだが、どうもそうは見られん。
仁徳天皇がいつ崩御したかなどは、蜂の巣を突くくらいうんと説、主張がある
はずだ。なぜそれを引用したのか? 君は多数説をとればそれでいいわけか?
古代史は選挙じゃぁないぞ。w
余の倍暦研究だと、仁徳崩御の実年代は419年と出たがね。ただそれが合って
るとは、参考ということでまだ早計で言ってはいない。証拠が少ないからな。

641 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/27(金) 15:09:00
>>629
>馬王堆1号漢墓など漢代の墓は木かく木棺墓のようですね。

日本のお役人に、2100年前の漢の技術を教えてやってくれ。
高松塚古墳をグチャグチャにした馬鹿専門家に、爪の垢でも煎じて飲ませたい。
旧石器で簡単にダマクラカサレたような専門家じゃね!!!!!

ーーーーー(引用開始)−−−−−
死者は、全部で6重の木の箱を重ねた中に納められていた。つまり、木槨が2重、木棺が4重
で、棺は中の2つが漆塗り、もっと内側の棺が羅紗張りであった。棺のまわりには、1000
点余りの副葬品が積めこまれていた。

●まるで生きているかのような死体が……
http://www.actv.ne.jp/~yappi/tanosii-sekaisi/07_china/07-05_maoutai.html

642 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/27(金) 15:14:36
>>634
>9万いくら頂きますという悪質なワンクリック詐欺まがいのものです。

こんなのは払わなければいい。
払う連中がいるから、こんな奴がのさばる。
加害者責任じゃなく、被害者責任という物を考えるように。
確実に警察に届けるようにしな。

こんなのは、おとり捜査でもして、捕まえてくれたらいいのだけどね。
警察も腐ってるからな・・・・

643 :九州ですが:2006/10/27(金) 15:26:02
>>638
>三種の神器は北部九州の風習。なぜこれが天皇家に引き継がれているのか。
間違い!
大分県南部の「岡」や山口県東部「周防国」でも3種の神器の記録がある。

記憶では、埋葬の際、棺に三種の神器を入れる風習は北九州だけだ、と聞いたような。
三種の神器が祭祀に使われ出すのはそれが各地に広がっていった後ではないですか?
記憶違いだったらすみません。


644 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/27(金) 15:29:55
>>635
>魏志倭人伝が作られた目的と
>張政等の存在を考えれば
>短里だけは無いな。

目的は晋の役人が行くときの、目安というか、案内の為の書物。
あなたの文章は目的さえ書かないから、日本語になってないよ。

卑弥呼の生きてる西暦240年の時期は、まだ日本では古墳を大規模に作る時期じゃない。
セイゼイ平原遺跡くらいの規模だろう。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
この土器と2号墓付近から出土した土器を参考にすると、墓が作られた年代は弥生時代終末
から古墳時代初頭(西暦200年〜250年前後)
http://www.ss.iij4u.or.jp/~hsumi/docs/tusin/honbun/tusin3.html

645 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 15:35:30
三種の神器は、王家の風習ではありません。


古代において、鏡、玉、剣の三種の組み合わせは天皇家だけに特有のものではなく、一般に支配者の象徴。
神器という言い方が一般化したのは南北朝時代ごろからと言われている。
後鳥羽天皇など神器がない状態で即位したケースもあり必ずしも即位の絶対条件ではない。




646 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 15:37:50
天皇の即位儀礼の際に三種の神宝(神器)を奉る儀礼が行われていたのはいつ頃からか。
『古事記』には即位に際して神宝(神器)またはそれに類する品の宝剣に関する記事はない。
『日本書紀』では允恭天皇から。

允恭天皇元年十二月の条、「是に、群臣、大きに喜びて、即日に、天皇の璽付(みしるし)を捧げて、再拝みてうえる」。

封建の品を璽・璽符・璽印という漠然とし書き方をしており、鏡と剣との名をあげているのは、継体紀と宣化紀の二つのみである。


647 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 15:40:47
690年の持統天皇の即位の際に臣下の忌部氏が剣と鏡の2種を献上している。

『日本書紀』持統天皇四年(690)正月の条に、「物部麿朝臣大盾を樹て、神祇伯(じんぎのかみ)中臣大嶋朝臣天神の寿詞(よごと)を読み、
畢(おわ)りて忌部宿禰色夫知神璽の剣鏡を皇后に奉上り、皇后天皇の位に即く」とある。

後に中臣氏が3種説を主張して勾玉が加わった。

それから、「三種の神器」が正式な呼び名になったのだろう。

648 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 15:43:57
>>626
>三種の神器は北部九州の風習。なぜこれが天皇家に引き継がれているのか。

「海外の文物の伝播」と、「王家の風習の引継ぎ」をごっちゃに考えるなアホ!ということです。


649 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/27(金) 15:54:06
>>640
>余の倍暦研究だと、仁徳崩御の実年代は419年と出たがね。

あなたの場合は根拠を「余の倍暦研究」というだけでよくて、俺の場合は根拠を重箱の隅まで
晒さないといけないのかい?
気楽な立場だね、あんたは!

人に厳しく、自分に甘く じゃ人に嫌われるぜ・

650 :太国:2006/10/27(金) 16:21:05
>>649
余はもう「2倍年暦の真実」のスレに書きこんであ〜る。
今はお前が論じているから言ったまでよ。余の論じゃない。余の論説で引用すべ
きときは余はその旨を言う。機密だとかなってくると例外的にしないこともある。
スレは過去スレだから、とり出せれば余のその論を読むことができる。

651 :九州ですが:2006/10/27(金) 16:28:13
>>648
私の主張をよく読んでもらってますか? 私は643でこう述べてます。

「記憶では、埋葬の際、棺に三種の神器を入れる風習は北九州だけだ、と聞いたような。
三種の神器が祭祀に使われ出すのはそれが各地に広がっていった後ではないですか?
記憶違いだったらすみません」と、はっきりと祭祀に用いる場合と、副葬品として納める場合とに分けています。
例えば銅剣・銅鉾・ 銅戈 ・鏡、色々な副葬品が各地では埋納されていますが
それが北部九州では鏡、勾玉、銅剣だったのであり、北部九州の豪族の間でも、もちろん広く行われていたことでしょう。
それが各地へどう広がったのかは知りませんが、天皇家が今でもお持ちなのは興味深い事である。
というのが私の意見です。

652 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 16:36:59
九州で銅剣の鋳型は見つかってるの?

653 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/27(金) 16:38:40
>>643
>埋葬の際、棺に三種の神器を入れる風習は北九州だけだ、と聞いたような。

それは「三種の神器を入れた風習」という表現じゃなくてその他にも、矛や管玉など沢山
見つかった中に鏡や剣、勾玉もあったという意味じゃないの?

ーーーーー(引用開始)−−−−−
確認された出土品の内訳はつぎの通り。
銅鏡     30面以内
銅矛      5 (細形 4、中細形 1)
中細銅戈   1
銅剣      2以上 (多樋式 1、中細形 1)
ガラス璧片  2
ガラス勾玉  1
ガラス管玉 12
http://homepage1.nifty.com/o-mino/page145.html

654 :九州ですが:2006/10/27(金) 16:54:09
そうかもね。まあ副葬品はそれだけじゃ寂しいでしょうから。
NHKの番組で考古学の専門家が言ってたのをだいぶ前に聞いた記憶だから。
そらいっぱい入れるでしょうけども特に大事なものは頭部付近に置くみたいよ。
そういう意味で優先順的にTVでは言ったのかもいれないけどね。
とにかく他地域との何らかの差がないとそういう発言は出てこないでしょうから。
まあそのうち考古学資料館にでも行って調べてきますわ。

655 :九州ですが:2006/10/27(金) 16:58:32
>>652
見つかったのは最近じゃなかったかな。なんかニュースであってたような。
それも調べないと。

656 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 17:05:13
>>651

むしろ、九州特有文化の「矛」が、どうして神器に加わらなかったのか、
説明してみてください。

できないでしょ?バ〜カ!


657 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/27(金) 17:17:14
>>651
>三種の神器が祭祀に使われ出すのはそれが各地に広がっていった後ではないですか?

俺もそう思う。
九州では鏡に霊的力があると信仰してた方が多かった。近畿では銅鐸かな。
東征した為に、銅鐸信仰は滅びてしまった。

近畿で霊力のある鏡として信仰する、権力者が多くなった。
それも鏡が中国製みたいな小さいのじゃ、神棚において迫力がないから日本人用に大きくした。
その為に三角縁神獣鏡なんてバカデカイ日本製鏡が流行して、近畿で大量に使われたもの。

たしかに15cm以下くらいの小さな鏡じゃ霊力も小さい感じだよ。
25cmの三角縁神獣鏡なら、それなりの迫力だけはある。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
これが三角縁神獣鏡中国製説の正体である。鏡なんか、最初から見ていない。魏志
 倭人伝や日本書紀、古事記は読んだつもり、わかっているつもり。足し算ぐらいわかっ
 ているつもり。集合も、図形も、つもりである。

  つもりが積もっても、所詮ゴミの山。
http://www2.ttcn.ne.jp/~kobuta/bunnka2/b080.htm

658 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/27(金) 17:19:50
>>656
>九州特有文化の「矛」が、どうして神器に加わらなかったのか、

霊力のないと信じてる矛を、なんで神棚に祭る必要があるんだい・

659 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 17:27:24
>>658

おまえには聞いてない。詩ね。

660 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/27(金) 17:27:39
ーーーーー(引用開始)−−−−−
銅剣の鋳型は、約八a四方。中細型銅矛の鋳型は約四a四方。

銅剣鋳型は剣の中央部分、銅矛鋳型は別の根元部分。銅剣・矛の鋳型は十一例があり、
県内で五例、福岡で四例、熊本・岡山でそれぞれ一例。

唐津市での出土は、一九七八年に柏崎大深田遺跡から広型銅矛の鋳型に続いて二例目。
今回の鋳型はこれより二百年ほど古いと見られる。  
http://www.yoyokaku.com/sub7-40.htm

661 :九州ですが:2006/10/27(金) 17:48:27
>>657さすが博識。京都の広峯古墳出土の三角縁版ばん竜鏡は製造年が景初4年で、
除州産の銅製とあるが、景初は3年で終わっており、この年除州は魏ではなく呉の領土。
さらにこの年代は除州で銅はまだ産していなかったと中国の考古学の権威が。
故に、日本に渡来した呉の職人かなにかが作ったのではないか。という話だった。
三角縁神獣鏡は埋葬者の足元に30枚以上も並べる、いわゆる当時の倭国において
ポピュラーな鏡であり、ありふれていた。中国では一枚も、鋳型さえ出土していない。
光武帝から卑弥呼が貰った鏡は中国製の後漢鏡と思われる。

662 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 18:30:50
>>657

おまえは、「三角縁神獣鏡」が、どうして「三角縁」と呼ばれるか、理由を調べたか?

宿題だぞ。


663 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 21:00:16
三角縁では、今では(ほぼ)全部日本製とする見方が強くなってきたけど、
画文帯の一部を日本製と主張する学者っているの?

1、画文帯は、中国よりも日本で多く発見されている(日本が6〜7割)。
2、種類によっては日本と平壌(楽浪郡?)でしか発見されていないものも存在する。
3、魏と対立していた呉の鏡ではないかとされている。
4、九州での出土がほとんどなく、畿内中心の出土。
5、中国鏡(12cm〜15cm位)よりも明らかに大きく(20cm前後)、三角縁(30cm位)への移行期
的な要素がある。
6、大きさ以外にも「神獣鏡」という三角縁への移行的な要素もある。
7、三角縁と同様に「吾作」銘の鏡が多数存在する。
8、ほとんどは、前方後円墳など、古墳時代の遺跡から出土する。

という点からは、一部は日本製と見る意見があっても良さそうだけど・・・・・

664 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 21:08:22
馬鹿はしなないの? 

665 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 22:10:45
>>663

2と3が両立するなら、画文帯が卑弥呼の鏡ということで無問題。

666 :九州ですが:2006/10/27(金) 23:44:34
>>663
良い観点だと思います。黄巾の乱は、だんだん時代が下るとともに揚子江下流域など、中国大陸の南部で頻発するようになる。
日本人の武装集団も、中国大陸のあちらこちらで活躍していたようだ。勿論女性もいた。
故に、その女性達が鏡を日本から持参したとしても何ら不思議ではない。
80枚ほどの鏡など、当時雲南全体で8千万人の人口があったことから見れば微々たるもの。日本製と考えても差し支えない。
そもそも中国では鏡は実用的な日用品、だからコンパクトな小型。。 日本は祭礼的、霊的な要素が強いので大きい。
画文帯神獣鏡も、何年も住み着いていた呉の職人辺りが作ったのではないだろうか。次第に倭人も作り方などを学んで
自分達で作れるようになっていったのではないか。

667 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 00:05:31
ごめん。素人なんで確認。
福永先生の鈕穴&外周突線問題は
どのように否定されているのか、
ご教授乞う

668 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 00:18:11
>>665  
>>2と3が両立するなら無問題
2の日本と朝鮮で発見された画文帯同向式は、ほぼ全部が日本で発見されているので、
日本製のほんの一部が朝鮮にもたらされたと見る方が普通だと思う。

その考えを突き進めると、>>666さん、みたいに日本製が江南(呉)にもたらされたとも
考えられる。

ただ、私は、江南の画文帯は呉で作られ、呉の職人が日本で別の画文帯を作り、さらに
その職人もしくは直系の子孫が三角縁を作ったのではないかと考えています。

ただ、画文帯が中国鏡的でないのは、やはり気になる。江南での倭人の活動の証拠も
わずかに残っているし。

真相究明には、画文帯の分類だけではなく、鉛の同位体比も調べる必要がありますが、
非協力的な人達もいるみたい。同位体比の調査が下火なのはスプリング8の後遺症?


669 :635:2006/10/28(土) 00:27:31
>>644

>案内の為の書物。
>セイゼイ平原遺跡くらいの規模だろう。

これは両立しない。
卑弥呼の墓は150m。

670 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/28(土) 01:05:07
ーーーーー(引用開始)−−−−−
  問題は黄蓋が火を放った地点が、「北岸を去る二里余」とあることです。この二里
余が通説の通り(長里)なら約1キロメートルとなり、岸に近づく前に、追い風を計算し
ても船は流されてしまうと思われます。何よりも1キロメートルの彼方からでは「降伏」
の声も届くかどうか良く分かりません。

  これが短里であれば130〜180メートル程度ということになり、良く状況に合うと思
われます。さらには、赤壁付近の長江の幅自体が400〜500メートル程度ということで
すから、長里でははじめから話が成り立ちません。長里であれば、仮に中ほどで火
を放ったとしても、長江の幅が2キロメートル以上ないと辻褄(つじつま)が合いませ
ん。

  文献解読から見て三国志では、日本の「小里」よりもはるかに短い「短里」が使わ
れていたと考えなければ理解できない部分がある
http://home.b06.itscom.net/kodaishi/page009.html

671 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/28(土) 01:16:46
>>669
>卑弥呼の墓は150m。

卑弥呼の円墳は100歩余り。
短里の1歩は30cm程度だから、直径30mくらいのもの。

672 :635:2006/10/28(土) 01:27:48
>案内の為の書物。

長里と短里の併用はあり得ない。

673 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 01:29:22
>>671
嘘つき! 死ね!


674 :668:2006/10/28(土) 01:52:38
>>668  「スプリング8」は「樋口のスプリング8」と訂正します。
「スプリング8」自体は、世界最先端のまともな研究設備なので。

(スプリング8の発表)
映像はココで http://www.s-a-station.org/
朝日新聞の報道  http://www.mctv.ne.jp/~kawai/vtec/data/kagami.html
神戸新聞の報道  http://www.kobe-np.co.jp/rensai/cul/172.html

(反論で瞬殺されて、以後は畿内説からも無視された経緯はココ)
安本  http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku224.htm
三角縁のまとめも http://www.nagaitosiya.com/a/himiko_mirror.html 

しかし・・・「中国製の三角縁神獣鏡?」  真ん中下、<これは謎かもしれない> 
http://inoues.net/mystery/3kakubuchi.html
 
実は、魏時代の墳墓はまだ1基しか発見されていない。・・・・・結論は出せません。


675 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 01:55:39
馬鹿馬鹿しい議論に花を咲かせる 暇で低能な役立たずの禿が集まるスレはここですか?

676 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 02:09:54

糞スレ 乙



677 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 02:37:57
>>674  中国の博物館の鏡を借りての調査はまだ行われてないのか?

678 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 03:28:26
>>677 やっていないと思う。てか、やる気もないと思う。

20年〜15年位前までは、各種古代金属の同位体比調査とかを幅広くやっていた
みたいだけど、その結果は、古代史学会の主流派(畿内説)からは黙殺されてきた。
安本とか奥野がそれを紹介して広めようとしているが、それも無視されている。

まあ、畿内説の実体というのは、こんなもんだと思っている。

20年位前までには、畿内説は自らの敗北を理解していたと思う。
その結果、庄内式の際限なき遡上に狂奔し、樋口のスプリング8がなされ、三角縁や
画文帯の議論は停滞し、平原遺跡は無視か「いいとこ取り」で済まされ、環濠のない
纏向の年代が遡上され、ヒノキ、コウヤマキは伐採と同時期に使用されるとかの暴論を
平気で言うとか、・・・・・今の北朝鮮のような状況に陥ったと考えている。

その原因は、戦後の学会主流派が反皇国史観(マルクス主義)を追求し続けてきたこと
にある。学会の会合の度に左翼スローガンで団結していた世代の影響は、まだ当分続く。
「神武東遷を認めることは皇国史観だ。」とか言う長老が現に存在する。
・・・・・「失われた100年」への旅。

679 :九州ですが:2006/10/28(土) 07:07:27
>>674
{三角縁のまとめ } は詳しくて筋が取っていると思います。
{これは謎かもしれない} については当時倭国は、銅を中国から一部輸入しており、
その銅を用いて、鏡作りの技術集団に作らせ、その幾つかが大陸と行き来をする人々の手により
例えば、倭人の持ち物として運ばれ、或いは、交易品の一部として逆輸出されたとしても何ら不思議ではない。
三角縁神獣鏡が呉の様式なのは呉の職人が作り、又は指導的立場にいたからで、景初4年と言う誤った年号は
渡来して幾年かが経過した為、大陸の情報がうまく伝わらず誤りが生じたものと思われる。
鏡に、徐州産の銅を使用、との銘文があるものがあるが、卑弥呼の時代の徐州は呉の領土であり、さらにこの時代の、
徐州は銅を産出していなかったことから、製造年代は卑弥呼の死後のことではないだろうかと思われる。


680 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 07:20:51
>>657

恵也 ◆o4NEPA8feA は、「三角縁神獣鏡」が、どうして「三角縁」と呼ばれるか、理由を調べたか?

宿題だぞ。


681 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 07:30:17
>>678

>安本とか奥野がそれを紹介して広めようとしているが、それも無視されている。

君ね、畿内説がおかしいという以前に、
畿内説を否定してる人が数人しかいないことや、
しかも自分で発掘調査などしたこともない素人の言ってること、という事実に対して、
自分が安本のペテンに引っかかってるという意識を持ったほうがいいよ。


682 :九州ですが:2006/10/28(土) 08:36:36
とにかく倭人伝を読み返すと、
從郡至倭循海岸水行歴韓國乍南乍東到其北岸狗邪韓國七千餘里始度一海千餘里至對馬國
...帯方郡から倭に行くには、海岸に沿って水行しながら韓国を通り、南に行ったり東に行ったりするうちに、
倭から見て北岸にある狗邪韓国に着く。ここまでで七千里余り。それから初めて海を渡り、一千里余りで対馬国に着く。
又南渡一海千餘里名曰瀚海至一大國
...さらに瀚海という名の海を南の方に千里余り程渡って行くと、一大国(一支国)に着く。・・・・・壱岐
又渡一海千餘里至末盧國有
...また、千余里程海を渡ると末盧國に着く・・・・・長崎県松浦郡
東南陸行五百里到伊都國
...陸に上がって東南の方に五百里ほど行くと伊都国に着く。・・・・・佐賀県糸島郡
東南至奴國百里
:東南の方に百里行くと奴国に着く・・・・・那の津・・博多
東行至不彌國百里
...東へ百里行くと不弥国に着く......女王自郡至女王國萬二千餘里
帯方郡から女王国にまで一万二千余里ある。・・・・・福岡県宇美町
女王自郡至女王國萬二千餘里
、、、帯方郡から女王国にまで一万二千余里ある。ので、ここまでで9割がた距離を消費し終えている。
どう考えても九州を出ない。


683 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/28(土) 09:20:55
>>674
>長里と短里の併用はあり得ない。

一応俺は魏志倭人伝では短里だけで計算したんだけどね。
短里といっても種類がありそうで、魏志倭人伝で確実な距離:対馬→壱岐(一大国)
を基準とすれば1000里=50kmだから1里=50mになるかな。

さっきの計算では30mと書いたけど、それで計算すると1里=300歩だから
直径100歩=直径17mになる。
平原遺跡の1号墳がちょうどその位の大きさではある。
しかし西都市には、その位の円墳なら30個くらいはあるだろう。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
さらに瀚海という名の海を南の方に千里余り程渡って行くと、一大国(一支国)に着く。
http://www.webtelevi.com/yamataigisi.htm

前方後円墳31基、円墳279基、方墳1基、地下式横穴墓、横穴墓など、311基のさまざまな
古墳で構成された全国有数の 大古墳群であある。古墳の大部分はいまだに発掘をされて
おらず,謎を残している。
http://miyazaki.daa.jp/saitobaru/

684 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 09:24:21
中国から輸入された銅というのは、青銅? 銅だけ?
錫はどうしていたんだろう?
但馬に大量に錫を産出していた明延鉱山があるが。

685 :太国:2006/10/28(土) 09:31:44
>>681
畿内説はおかしいし、安本氏の主張も九州説でもおかしいところがある。

686 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 10:34:51










          さすがにキノコ食ってるね!!!











687 :九州ですが:2006/10/28(土) 10:40:55
わらい茸だったんじゃ・・・。

688 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/28(土) 11:17:08
こんな連中が京都大学の教授とはな!
湯川秀樹や尊敬すべき人間もいるけど、考古学じゃ屁みたいな連中ばかり。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
真摯な畿内説論者たちのまじめな意見には傾注すべきであるが、昨今の一部の研究者
(特に畿内の考古学者たち)には、信じられないような頭の構造をした人たちがいる。

そして、それにマスコミが踊らされているのが現状である。あれだけの捏造事件を経験し
ながら、全く「懲りない面々」というほかない。
http://inoues.net/mystery/3kakubuchi.html

689 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 11:27:25
文献解釈では、九州説に近いんだよ。
一方、考古学では、畿内説に近い。
北九州が畿内王権の中心を担ったとは思えない。

じゃあ、中間ということで、東瀬戸内か吉備とか
出雲あたりの可能性を考えてみると、いいわけだ。

文献解釈というのは、正しい場所と時代で、
解釈しないと恣意的になってしまう。
自説に合わないから、信用ならないというのが、
もっともまずい対応。




690 :九州ですが:2006/10/28(土) 12:11:56
>>688 同感です。日本の学者は凄く程度が低いと九州でもよく聞きますよ。
ところでよければ私の話もどうぞ。
以前、NHKであってたが、大分の宇佐神宮に四拍手で祀られている比売大神という神が居て、{像は宇佐神宮にはない}
それこそが卑弥呼ではないかというもの。御参りする人が「卑弥呼ではないか」と今でも良く聞くんだそうな。
卑弥呼と書いて、古代の帯方郡あたりの言葉でで出来るだけ正確な発音を再現していたが、
それによると卑弥呼はペーメーハーというらしい。奈良以前は日本人は、はひふへほ を ぱぴぷぺぽ と発音してたから
ペーメー は へーメー 又は、ヒーメーとなる。そこで比売大神が注目されるわけであるが、この方は宇佐神宮あたりに降りてきた
神だという以外に詳しい事はよくわかっていない。NHKで見たのは比売大神の小さな神像があって
その出所は荒れ放題の潰れかけた神社である。しかもそこは宮内庁によって、今も封印されているという。
天孫降臨は高千穂、とは天皇家の御先祖は九州出身という謂いになろうか。大分に耶馬渓というところがあるが
耶馬という名がなんとなく気になる。そしてヒメオオカミと・・・謎は尽きない。





691 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/28(土) 14:09:20
>>681
>しかも自分で発掘調査などしたこともない素人の言ってること、

そういえば神の手を持っておられた捏造男は、毎回発掘調査に出かけて大発見をされたけど
この素人に引っかかったのは玄人の大先生たちじゃなかったかね?

それも捏造を解明したのは、発掘調査なんてしたことのない素人の毎日新聞記者だったのじゃない。
最近の玄人は非常にだらしない、だから税金で養う値打ちなし!
京都大学の考古学科教授なんて税金泥棒に過ぎん。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
遺跡から出土する石器は全て単品であり,石器を作った形跡が認められず,剥片,砕片,
そして接合資料も無い事実である.

どんな使われ方をした遺跡でも,製品,剥片,砕片という組合わせは少なからず認めら
れている.偶然としてもこの地域の前期旧石器人は居住地内で石器を製作または加工せず
に暮していたとは考えられない
http://www.ao.jpn.org/kuroshio/86critical.htm

捏造石器からナウマン象の脂肪酸を検出したという研究結果が、帯広畜産大学から報告され
、捏造石器の信憑性の補強に使われた。

国立歴史民俗博物館館長の佐原眞は、この情報によって、反対意見を発表した小田静夫氏を
名指しで批判し、旧石器発掘に対する反対意見を封じ込めた。

捏造石器にナウマン象の脂肪酸が付くわけがない。捏造を補強する共犯者といわれても仕方
がない学者たちがいたことになる。
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku223.htm

692 :635:2006/10/28(土) 14:14:11
>>674

だから帯方郡から倭国までの距離や方向の記述はかなりずれている。
しかし卑弥呼の墓は長里を基準とした150m。

693 :太国:2006/10/28(土) 14:16:10
>>691
引用開始の手前までは同感だな。たまには適切な批評も言うようだな?w
ただ、税金泥棒はうまくはない。

694 :九州ですが:2006/10/28(土) 14:34:58
あ 文だけ作ってそのままにしていた。タイミングがずれていますがどうぞっ。
そもそも邪馬台国の位置関係について畿内説は甚だしい我田引水論を展開する。
倭人伝には、東へ五百里、など、九州に上陸してからも、方角や距離が具体的かつ、ほぼ正確に記されている。
にもかかわらず畿内説は、投馬国への道を、南から東へと読み替えて解釈する。
例えそうにしろ、帯方郡から女王国まで、萬二千余里と記されている為、九州にたどり着くまでで道程のほぼ9割を消費する
従って、畿内には行き着かない。 水行十日陸行一月は全体に掛かった道程を繰り返した部分である。
今まで述べた九州のこれらのクニは、邪馬台国の属国であると明確に記されているが、仮に畿内説をとったにせよ、
陸行一月も通った国々に宿泊したであろうにもかかわらず、そこの風俗、習慣、長官の名から国名に至るまで何一つ
記述がないのはおかしいではないか。

695 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 14:49:58
九州説は全くまとまりが無いのがおかしいではないか。
それはそれぞれが根拠を欠いているという証拠である
九州説をまとめてから畿内説との議論をすればいい。

696 :太国:2006/10/28(土) 15:02:06
>>695
まとめなくても議論はできる。

>>694
>陸行一月も通った国々に宿泊したであろうにもかかわらず、そこの風俗、習慣、
 長官の名から国名に至るまで何一つ記述がないのはおかしいではないか?

 そのとおりだ、いずれ言おうと考えていたことを、貴殿は先に代弁してくれ
 たのだと、そのように感じ、ありがたく思ってしまう。
 それが畿内説の破綻の急所の一つだよ。

697 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/28(土) 15:15:11
>>684
>中国から輸入された銅というのは、青銅? 銅だけ?

長距離を人力で運んでいた昔なら、銅やスズ、鉛の合金状になった青銅として輸送するのが自然。
青銅の性質を少し変える調整用のスズや鉛は持ってたかもな。
銅鏡を作る職人と、銅を採掘、精製する職人は知識分野がずいぶん違う。

しかし伝統のある日本の神岡鉱山の鉛を、同位体分析に使ってないというけど本当なのかね??
日本の鉛か中国の鉛か、区別する検査なら一番最初に使うのが当たり前と思うけど・・・・

ーーーーー(引用開始)−−−−−
従来の鉛同位体比による産地同定が、日本最大の鉛の産出量をもつ神岡鉱山を除外しておこ
なわれていることに対し、「富士山を除外して、日本の山を語っているようなもの」と、おお
いに疑問を投げかけられました。

そして、久野先生の分析された四枚の三角縁神獣鏡の鉛の同位体比は、みな神岡鉱山に該当
するのです。
http://www.lares.dti.ne.jp/~sako/hida1.html

神獣鏡作りの工人たちが、慣れない方格規矩鏡を作ろうと、手本の鏡を見ながら鋳型に文様を
彫ったから、鋳あがった製品のL字や四神の位置が、手本の鏡の逆になったのだろうと私は思う。
http://www.lares.dti.ne.jp/~sako/kagami.html

698 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/28(土) 15:32:31
>>690
>天孫降臨は高千穂、とは天皇家の御先祖は九州出身という謂いになろうか。

高千穂という地名が、宮崎県には2ヶ所もある。
片方は高千穂峰、もう一方は高千穂渓谷。
多ければ良いという物じゃないけど・・・・

ーーーーー(引用開始)−−−−−
霧島神宮は創建が6世紀という古い歴史を誇る神社です。
最初は高千穂峰山頂にありましたが、霧島山の噴火によりたびたび火災にあい、
次にその西の中腹、そして高千穂河原へ移り、1484年に今の場所へ移って来た。
http://www.pmiyazaki.com/kirishimajingu/

699 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 15:37:12
銅に関する質問に返答してくれてありがとう。
でも、神岡鉱山の開山は奈良時代からだね。

700 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 15:45:42
>>694
魏志倭人伝の方位と距離が正確だという根拠はない。
その他は必要最低限の事だけ書かれたのだろう。

>>696
ゴミの分別は家庭の責任。
分別せず出されても回収する必要はない。

701 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/28(土) 16:02:03
>>694
>帯方郡から女王国まで、萬二千余里と記されている為、九州にたどり着くまでで道程のほぼ9割を消費する

確かにそうだけど作者の陳寿は、帯方郡→狗邪韓国→対馬→一大国→末盧國→邪馬台国のコース
じゃなく帯方郡→末盧國→邪馬台国の直行コースで1万2000里と概算したのじゃないか。

帯方郡という魏の領土から、外国である狗邪韓国を経由して遠回りするのはどうも不自然。
邪馬台国の案内人:生口の来たのと同じコースをたどったから遠回りしたが、帯方郡から
末盧國への直行コースを子孫がたどった場合と結論のところに書いたんじゃ・・・・・

その証拠に、邪馬台国が今の上海の東と結論的に、魏志倭人伝に書いてある。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
帯方郡から女王国にまで一万二千余里ある

男は、大人も子供も、みんな顔にいれずみをして体に文字を書いている。
昔よりこの国の使いは中国へやってくると皆自分のことを太夫という。
昔 夏王朝の少康王の子は、会稽の領主にされたとき、髪を切って、体に刺青をして、
蛟龍の害を避けた。今の倭人は、魚やはまぐりを捕るために好んで潜ったりするが、
体にいれずみをするのは大魚や水鳥を追い払うためのまじないとしている。
後にこのいれずみは、飾りとなる。国によって体のいれずみの模様が違う。
身分によっても左に右に、あるいは大きく、小さくと差がある。

この国はどのあたりにあるかというと、まさに、会稽の東治の東にあたる。
http://www.webtelevi.com/yamataigisi.htm

702 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 16:24:44
>>691

「神の手」でしか考古学を批判できないとは可哀相だな。

それで、「神の手」事件以降、九州説の学者は増えたのかい?
新聞は、九州説を取り上げてるかい?

畿内説は捏造ばかりだって、毎日新聞に投書してみればどうだい?
どうなんだ?

所詮、権威を批判したいだけの、学歴コンプレックスの負け犬なんだよ。


703 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/28(土) 16:53:44
>>694
>水行十日陸行一月は全体に掛かった道程を繰り返した部分である。

風を待ったり、帯方郡→韓国→対馬→壱岐→末盧國では1万里の水行が少し短すぎる。
朝鮮通信使が江戸まで往復するのに半年、片道3ヶ月かかってる。
同じような国威掲揚と、見せびらかししながらの行列じゃ片道2ヶ月はかかる。
まあ、俺は邪馬台国を西都市と考えてるせいもあるけど・・・・

ーーーーー(引用開始)−−−−−
中山道を経由して東海道に戻り,江戸へと向かいます。復路はこの行程を逆にたどって
朝鮮に帰国しており,往復で半年にも及ぶ長旅でした。
http://www.city.kyoto.jp/html/somu/rekishi/fm/nenpyou/htmlsheet/bunka17.html

704 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/28(土) 17:08:52
>>699
>でも、神岡鉱山の開山は奈良時代からだね。

仏像を作る為の大々的な開山が、奈良時代というのじゃないかね。
銅鏡みたいな量的にも少ない採掘じゃ、文字もない時期に大袈裟な記憶としては残らん。

開山と言うより、単に文字が出来、歴史の記録として登場したのが奈良時代というべき。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
 奈良時代の養老年間(720年頃)に、既に鉱山として歴史に登場し、室町・安土桃山・
江戸とその時代毎に統治者を替えながら、営々と鉱物資源の採掘が行われてきました。
http://www.mitsui-kinzoku.co.jp/more/kouzan02.html

705 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/28(土) 17:16:40
>>700
>魏志倭人伝の方位と距離が正確だという根拠はない。

暴論!
方位と距離は、魏の時代に行った使節団の日記などを調べて公的に記録し、次に行く
使節団や軍事的侵攻のための役人として残しておいたものが魏志倭人伝。

ごく一部の書き間違いくらいならともかく、全部の方位や距離が怪しいなんていったら
我田引水もいいところだ。
歴史を調べる知能というか能力が全くない、根源的思考能力のない「妄想野郎」というべき。

706 :太国:2006/10/28(土) 18:06:18
>>702
記紀には女王国の記述は0に近い。
当然だ。九州に女王国があったから情報があまりの遠方で殆ど来ないから
記述までに至らなかったわけだ。畿内説は破綻を来たした負け犬王なり。

707 :太国:2006/10/28(土) 18:24:39
>>700
九州説はゴミではない。日本国中の古代史に関心あるものが多数いれば、
現今では九州説でも種々出てくるのは当然の成り行きである。畿内説でも種々
あるだろうしね?w しかし畿内説は大きな矛盾が露呈してるから、
畿内のどこを指定しようがあるわけはない。ありゃあ女王なんだから卑弥呼と畿内
の天皇との交易等、付き合いの状況なんかが記紀に書かれるのは当然である。
記紀に卑弥呼の勢力、風習、鬼道の内容、人民の態様などが倭人伝以上に記述
がなされるはずだ。しかしそれが無〜い。当たり前だよ女王国が遠方の九州に
あったから、詳細が取れなかったわけだし、九州ならそれだけ大陸に近いから
他国の書に詳細に女王国の状況が書かれて然りなわけだ。

708 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 18:29:14
>>705

魏志倭人伝の「ごく一部の書き間違い」ってどこの箇所だ?

我田引水でないなら、教えてくれ。


709 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 18:58:37
いつまで続くんだ、このスレは。



710 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 19:52:07










pppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppp      低脳ニートをアク禁にするまで・・・・・








711 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/28(土) 20:35:55
>>708
>魏志倭人伝の「ごく一部の書き間違い」ってどこの箇所だ?

邪馬臺国→邪馬壹国
臺与  →壹与

712 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/28(土) 20:51:29
>>707
>詳細が取れなかったわけだし、九州ならそれだけ大陸に近いから

詳細が口伝で伝えられ、経済力に任せて分家が本家をナイガシロニして歴史を改ざん。
正直に歴史を残さず、権力者に都合よく残したら卑弥呼が消えてしまっただけ。

まあ、卑弥呼が地位の名前という影響もあるけどね。
今生天皇の名前を個人名で呼ばないのと一緒だけど・・・・。
卑弥呼が死なれてから、戒名として天照大神なんてつけられたと思うが。

713 :太国:2006/10/28(土) 21:30:12
>>712
もしそうならば、武烈天皇の非業も都合よくないので紀から消し去ることを
やるはずだが、実際ははっきり書いてある。つまり君のいう非業とやらが多少
はある可能性は否定はしないが、卑弥呼を消す理由はな〜い。
つまり君自体が皮肉にも歴史を改ざんの張本人となっているのだ。
卑弥呼は天照大御神ではな〜い。

714 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 21:42:23
>>711

おまえは、古田信者だったのか。
こりゃ救われないな。

715 :太国:2006/10/28(土) 21:48:34
>>714
当然これは「邪馬壹国」のほうが正解。
かなりの連中が

ヤマタイ→ヤマト→大和→畿内説

で間違えるわけだ。これが迷探偵の推理。w

716 :九州ですが:2006/10/28(土) 21:54:21

>>700[女王国が遠方の九州に あったから、詳細が取れなかったわけだし]全く同感です。
狗奴国との争いに付近の国に救いを求めず、冊封関係を結んだ遠くの魏に仲介をを要請している。
仮に、邪馬台国が近畿にあったのなら、九州から近畿という広範囲にかけて30カ国以上もの邪馬台国連合を築き上げていながら、
南方の狗奴国に苛まれていたことになる。邪馬台国より寧ろ、狗奴国が覇権を握ってもおかしくない。
邪馬台国が近畿にあって、初期の大和政権と並立、もしくは大和政権の全身だったとして、
それほど強大な狗奴国は近畿のどこにあったのか、その後どうなったのか。
暫く後に大和政権の華やかな古代文化が開花する近畿地方に勝者の歴史として人々の心に伝説として刻まれ、
伝記として遺されするはずなのに、何の痕跡すら無いのはおかしい。



717 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 21:58:32
>>716

狗奴国は尾張だよ。



718 :九州ですが:2006/10/28(土) 22:17:55
自分としては狗奴国は、菊池を含む地域だったと思う。
倭人伝に、長官の名をコクチヒクという、とある、菊池の古名はククチ。ククチ彦、菊池彦。
菊池には大和朝廷の山城、くくち城が復元されつつある。この辺りから
山鹿にかけては日本有数の古墳密集地帯でもある。
クナというのは、後のクマ[球磨・隈本]の原型ではないか。

719 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 22:25:01
狗奴国(クナ国)とは「木の国(紀伊国)」であり、
「狗古智卑狗(ククチ・ヒコ)」とは「木の神」である「クク(ノ)チの神」のこと。

ちゃんと記紀に書いてあるよ。

720 :太国:2006/10/28(土) 22:41:38
>>719
読みが似ているが別人でしょう。

721 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 22:44:46






>>720
いえ確実にニートです。

722 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 22:46:31
魏志倭人伝・・・狗古智卑狗
古事記・・・・・久久能智
日本書紀・・・・句句廼馳

似てるねえ。


723 :太国:2006/10/28(土) 22:52:23
>>722
別人だよ。w 似てるの発想からアマテラスが卑弥呼だとか、
音韻が似てるから ヤマタイ→ヤマト→大和→畿内説 とかいう間違いを
しでかすんだよ。そのうちまた 神武=崇神=應神などと言い出すなよ。

倭の五王も各天皇にあらず。

724 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 22:59:43
>>723
そうかな別人かな?
音韻が似てるから ヤマタイ→ヤマト→大和→畿内説 
とかいう間違いはどうでもいいよ。

そのうちまた 太国=ニート=プラムなどと言い出すよ。


725 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 23:00:30
ククノチを祭神とする公智神社は、兵庫県だから、
クナ国が畿内王権だとすれば、九州説にとっても都合がいいんじゃないの?

なんでもかんでも九州の中で収めたいのかな?



726 :太国:2006/10/28(土) 23:10:37
>>725
九州説にとって都合がいいったって、それとこれとはまた別だよ。
とにかく別人さ。

727 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 23:17:04
>>726

そこまで別人だと断言できる根拠は?

728 :太国:2006/10/28(土) 23:23:55
>>727
ま〜ずイコールは外れるよ。いいかい〜

平成天皇=平城天皇なのか?ww 名が似てるからといって等号にするのは
失敗の始まりだよ。

武烈天皇 オハセノワカサザキノミコト

崇峻天皇 オトハセノワカサザキノミコト

仁徳天皇 オオサザキノミコト

この三者はえらく似てるが別人なのが君でもわかるだろう? こういうのは
言うまでもないことなんだよ。

729 :一応九州王朝説:2006/10/28(土) 23:28:53
今より遙かに厳粛に先祖の霊が祀られ、またそれを語り伝える事が重要な
一族や部族の家長の仕事でもあった時代、その頂点に君臨する王家にとっ
て先祖の王の名称を適当に捏造など出来るわけがない。

現代のなんちゃって科学者たる日本古代史の先生が適当な事を言っても首
が飛ばないのは誠に結構な話だが、古代にそのようなことはあり得ない。

730 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 23:33:43
わかってるって。

邪馬台国時代に、畿内勢力の存在自体を認めたくない、考えたことも無いんだろ。
畿内以東の人間はみんな倭種という扱いでしか文献にも残らない原始人という認識しか無いんだろ。
文献しか信用しないわけだから、畿内にどんな人間が住んでたか想像もできないのは仕方ないな。





731 :太国:2006/10/28(土) 23:37:23
>>730
文献は古代人の声
考古学は現代人の声

また明日zzzzz・・・・・・・・・・・

732 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 23:44:06
そのうち、倭迹迹日百襲姫と、夜麻登登母母曾比売は別人だとでも言い出しそうだな。

733 :700:2006/10/28(土) 23:49:15
>>705
暴論と決め付ける証拠は?

734 :700:2006/10/28(土) 23:53:04
>>732
確かに太国氏が言ってるのはそのレベルのイチャモンだな。

735 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 23:53:14
ヘボ恵の一日。

起床:ママに起こされる。もしくは、本当はニートかもしれない。
出社:遅刻し上司に叱られる。
昼:あまりのアフォにOLにドンビキされる。取引先から叱られる。
夕方:今日も仕事がはかどらず残業。
夜:居酒屋に行く金もなく愚痴ることもできず。
帰宅後:1日の全ての鬱憤も晴らすべく2chに。しかし、あまりの馬鹿さ加減に秒殺され、撤退を余儀なくされる。
また、次のスレにいくも堂々巡り。論破できず血圧があがりっぱなり。

★周りからは、理屈っぽくて付き合いにくい人ねえ、と言われている。30歳超えでも、もちろん童貞。

736 :九州ですが:2006/10/29(日) 00:17:46
そもそも畿内説の根拠は三角縁神獣鏡が卑弥呼が魏王から貰った100枚の鏡だとする主張だったが、今は否定論者が強い。
九州には倭人伝と一致する証拠となるものが多い。吉野ヶ里遺跡は環濠、楼観、墳丘墓など完全に記述と合致しているという。
決定的なのは埋葬の方法。棺あって槨無し、の記述は北部九州の風習に合致している。
そして次の文
  和訳:女王国より北には、一大率という指令官を置いて、諸国を監視させている。
   諸国は指令館を大変恐れけむたがっている。一大率は伊都国にいるが、
   国中に監視員を派遣していろいろ報告させている。
・女王国より北には、一大率という指令官を置いて、 一大率は伊都国にいる、と。
 伊都国が佐賀県糸島郡であるのはほぼ間違いない。そこに一大率がいると言う事は
女王国はその南にあるという何よりの証拠になりはしないか。


737 :日本@名無史さん:2006/10/29(日) 00:50:48
>そもそも畿内説の根拠は三角縁神獣鏡が卑弥呼が魏王から貰った100枚の鏡だとする主張だったが、
今は否定論者が強い。

100枚に△が「含まれる」って説は、もはや非主流派なの?

738 :日本@名無史さん:2006/10/29(日) 00:59:50
戦後の学会主流派は、記紀は「天皇のために捏造された歴史」としていたけれど、

1、稲荷山の鉄剣で「ワカタケル」の実在性が証明された。
2、大量の銅鐸発見、ヒスイの研究等で、古代における出雲の興隆が裏付けられた。

3、鉄器の東遷が確定。神武東遷の時期と同じか近いことが確実。
4、朝鮮征伐関連は、三国史記、広開土王碑文、聖明王の墓碑で証拠十分。

5、壬申の乱のときに神武廟が存在して、神武神話が信じられ参拝されていた。
6、ホケノ山古墳の「追葬」は、ホケノ山築造の時代からの伝承が6世紀まで残っていた
証拠となる。ましてや天皇家の歴史の伝承はそれ以上に正確に残っていたと言える。
畿内説は、この事実を無視するか、追葬とは認めないとする不可解な対応。

要するに記紀の記述は、「それが書かれた時代に正しいと思われていた伝承を書いた。」
という極めて単純な見方で十分。伝承はかなり正確に史実を反映している。
捏造とかの謀略史観なら『ムー』に投稿した方がいい。


739 :日本@名無史さん:2006/10/29(日) 01:09:40
>>738
8世紀代の記紀の作者は
8世紀代に膾炙していた伝承を正直に書いた、
ということで、とくに1〜3は、全然確定してないのではないでしょうか

740 :日本@名無史さん:2006/10/29(日) 01:19:47
>>739 ? クワスクカイテ。


741 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/29(日) 02:13:46
>>713
>武烈天皇の非業も都合よくないので紀から消し去ることを
>やるはずだが、実際ははっきり書いてある。

逆に武烈天皇の悪行が、嘘だった可能性もある。
悪行があったことにしたほうが後継者の継体天皇に都合がよかったのじゃないかね。

北九州の「磐井の反乱」も継体天皇に時代だし、なんか怪しいよ。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
中国などでは、王朝交替は天命であり、前王朝の腐敗を新王朝が正す、という発想があり、
それをはっきりと歴史に残すのが普通です。
王朝交替は王家の姓が変わるので、これを「易姓革命」などとも呼んでいます。
http://www.geocities.jp/tbpnj392/nihon12.html

磐井は新羅と組み高句麗と戦う戦略を描いていたとみられ、外交バランスは間違っては
いなかったのである。
 磐井の死後、ヤマト王権は磐井の子の葛子から粕屋の割譲を受け屯倉を設置し、筑紫
に楔を打ち込むことに成功している
http://www.k2.dion.ne.jp/~kisa/fukuoka_k14.htm

742 :日本@名無史さん:2006/10/29(日) 02:14:01
>>738
記紀は史実も反映しているが正確なものではないというのが考古学の成果。

743 :日本@名無史さん:2006/10/29(日) 02:44:38
>>742 不正確という点は同意できる。それより、不正確と決める根拠が何かが問題。

昔の学者は、「天皇制を潤色するため」とかの理由をすぐに持ち出すけど、全然納得できない。

むしろ、2人の人物で似た事件が起きたときに、伝承過程で1人に簡略化されたとかの理由の方が
分かりやすいけど、謀略史観の視点で、記紀の誤りを決め付けることが多かったのは事実。

天照伝承は、北部九州での平原王墓にあるような数名の太陽信仰的女王が一つになった
可能性や卑弥呼と台与の伝承が一つに簡略化された可能性が高いと考えている。

神功皇后の三韓征伐はモモソヒメの時代の征伐伝承との混同があるように思うし、それに伴い
モモソヒメの巫女的行動の伝承の一部が神功皇后の伝承に移った可能性もあると考えている。


744 :日本@名無史さん:2006/10/29(日) 03:14:52
>>704  亀レスで申し訳ないが、神岡鉱山の同位体比データーってどこにあるの?

銅の日本での産出が古くなる可能性は認めるけど、南部九州での赤銅とかが鏡に使われた
という話も聞かない。ただ、岐阜には各務ヶ原(鏡が原)という鏡製作地があるので、神岡鉱山で
原料が採掘されていたというのはありうる話。

あと、柳田は後漢鏡の一部を日本製とするし、模倣鏡自体はほとんどの学者が認めている。
とすると、その原料が日本製というのは、ありうる話。

安本が画文帯を280年以降とする根拠も、画文帯の多くに当てはまるが中国出土については、不明。
日本の鉱山を10箇所以上調べるとかの比較もやっていない。あと、破砕鏡として輸入された銅原料を
使った可能性を考えると、安本説の年代は確実性が低くなる。


745 :日本@名無史さん:2006/10/29(日) 04:03:29
>>743
欠落や謀略で不正確なものになったと考えられるのも成果。

746 :日本@名無史さん:2006/10/29(日) 04:28:11
記紀の編纂時期を仮に西暦710年とし、それまでの歴史的事件との時間的な隔たりを
現代の年代感覚に置き換えれば、概ね次のようになる。

・箸墓の築造 → 信長・秀吉の全国統一期
・朝鮮出兵(好太王碑に拠る) → 徳川綱吉の元禄時代
・稲荷山鉄剣、倭王武の時代 → 田沼意次の時代
・推古朝はじまる → 内閣・議会制導入、明治憲法発布
・乙巳の変(大化改新) → 太平洋戦争に突入
・壬申の乱 → 昭和40年代

前半なんかは特に、暦も無く、歴史が説話化されて口承で伝えられていた時代なんだし、
そんな昔の不完全な情報をネタ元とする記紀に、実証的・考古学的正確さを要求するのは無茶であり、酷だわな。

747 :太国:2006/10/29(日) 06:13:55
>>741
天下をあなたにあげますとオホドに以依頼が来てるわけだから、少なくとも
相手方の、つまり前王の武烈の悪業を故意にさらけ出すはずはない。
お前にだ、大金をやるぞと来てる人間にお前が悪口を言うはずがない。むしろ
ちょっとでも弁護側に回るのが筋だ。だからオホドが武烈の悪口を書くように
計らったのではない。隠匿すべきなのに、ウソを言わずに素直に掲載したのだ。
オホドにとっては、武烈をのっとって革命的にやるというのならば、オホドは
武烈に闘いを挑んで殺害し革命の王となるのだから、ウソ的なことをするなら
武烈をよく言って殺害のほうを隠匿するほうが可能性に於いてはまだ言えること
になる。まだ武烈を美辞麗句し殺害隠匿の操作をやるほうが都合がいいはずだ。
だから武烈の悪口なんかオホドから仕掛けたのでなく、事実をありのままに
記述したものだ。武烈の殺害はあくまで悪口を消去して可能性の問題を言っ
たまでで、現実にそういうことが起きたと言ってるのでもない。

748 :九州ですが:2006/10/29(日) 06:42:53
>>719
だいぶ飛んで悪いけど、倭人伝には、
  其南有狗奴國男子爲王其官有狗古智卑狗
和訳:その南に狗奴国がある。男子を王としていて、狗古智卑狗(くこちひく)という官がいる。
コクチでなくクコチでした。きくち{菊池}の古名はククチ。お年寄りはクコチと発音していました。
クコチヒコは官であり神として祀られるような存在ではありません。
王の名がヒミココと言い、熊本県城南町に火の君という方がおられ、まさに火の皇子だったのでは?
熊本を火の国と言うが、肥前、肥後の肥も、元は火の国を指す火からきているといいます。

詳しくはこのホームページへ
http://homepage3.nifty.com/~bbf/040902.html {狗奴国と鞠智(くくち)城}。



749 :日本@名無史さん:2006/10/29(日) 08:19:54


もしもし?

此処に来る人は、普通の文章かける人は、いないんですか?

コテが変っても、可笑しな文章の オンパレードですね。

非証拠主義も徹底されていて、

自作自演だとしか考えられませんね。



750 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/29(日) 09:27:08
>>747
>大金をやるぞと来てる人間にお前が悪口を言うはずがない

これは信用できん。
武烈暗殺かなんかで、継体天皇はそれなりの働きを行った人間だと見てる。
あの悪行自身もどれだけ信用できるものか疑問。

南京大虐殺みたいに、武烈天皇を裁判にかけたわけじゃないんだからいくらでも
利害を考えて、この当時なら簡単に捏造できるよ。
書いたのが事件の200年後だぜ。

日本で言えば江戸時代の話を、口伝を元に政府が書き残したんだから。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
継体の妥当性を示すために、その非道ぶりを必要以上に記しているとの見解である。
とりわけ、ほぼ同時代である、百済末多王との類似性が目立つのである。
http://www.interq.or.jp/www-user/fuushi/5-anc/kodaisi/ka-d25-buretu.htm

ーーーーー(引用開始)−−−−−

751 :日本@名無史さん:2006/10/29(日) 09:31:54
>>748
東の海は?

752 :太国:2006/10/29(日) 09:45:28
>>742
お前の恣意的考察の→∞となったもので、お前のも信用できんという事になる。

欽明2年の帝王本記云々の語を考えれば、信用できないのはお前の勝手な言葉。

753 :日本@名無史さん:2006/10/29(日) 09:47:34


もしもし?

ここに来る人はひとりなの?

ピントがズレテてズッコけちゃうな!

あるコテ見て、片向いた頭が、

次のコテ見ると、さらに傾いて、

その次のコテ見ると、もっと傾いて、

何時になっても頭の傾きが直らないんだよ。

大きな疑問を総ての人が一緒に忘れてしまうなんてねw




754 :太国:2006/10/29(日) 09:47:52
>>752 訂正

× >>742
○ >>750

755 :太国:2006/10/29(日) 09:53:48
>>750
お前のいうことが真なら、オホドが武烈を暗殺したとかの記述が記紀等に
記述されている。それがないのはお前の得意の捏造論だ。w

756 :日本@名無史さん:2006/10/29(日) 10:09:25
ある時は古神道の最高顧問
又ある時はキングオブニート 
太国大先生におかれましては、
ご機嫌麗しゅうございます。

>>554
いつにもまして下手な文章ですが、
もしかしてラリキノコをお召し上がりになったのでは?
処方はかなりの困難を極めますが・・・




757 :太国:2006/10/29(日) 10:14:27
太国はゴミではない。日本国中の古代史に関心あるものが多数いれば、
現今では太国でも種々出てくるのは当然の成り行きである。似非太国でも種々
あるだろうしね?w しかし似非太国は大きな矛盾が露呈してるから、
似非太国のどこを指定しようがあるわけはない。ありゃあ女王なんだから太国と似非太国
の天皇との交易等、付き合いの状況なんかが記紀に書かれるのは当然である。
記紀に太国の勢力、風習、鬼道の内容、人民の態様などが倭人伝以上に記述
がなされるはずだ。しかしそれが無〜い。当たり前だよ女王国が遠方の九州に
あったから、詳細が取れなかったわけだし、九州ならそれだけ大陸に近いから
他国の書に詳細に太国の状況が書かれて然りなわけだ。




758 :太国 ↑:2006/10/29(日) 10:15:33
余のニセ者

759 :太国 ↑ :2006/10/29(日) 10:17:02
余のニセ者

760 :太国 ↑ :2006/10/29(日) 10:17:52
余のニセ者


761 :太国:2006/10/29(日) 10:19:03
オレは43歳でニートだよ。
意欲がないってより、もう諦めてるんだけど。
記憶力も体力も睡眠も小便の切れも20年前とは
比較にならないくらい悪くなって、意欲も本当になくなる。


762 :太国 ↑:2006/10/29(日) 10:19:51
にせ

763 :太国 ↑ :2006/10/29(日) 10:20:10
余のニセ者

764 :太国:2006/10/29(日) 10:22:18
>>761
そうだろう? お前は人生の負け大王→負け犬王だからな?
他人のコテを使う暇があったら、記紀の研究でもしろ。

765 :太国:2006/10/29(日) 10:26:05
>>764
お前余に何か恨みでもあるのか?
お前こそ負け犬王だwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

766 :日本@名無史さん:2006/10/29(日) 10:26:25
上の方で、東遷とか東征とかで盛り上がっていたけど、
ある、ないと言う時に想定している東遷や東征ってどんなものなの?

東遷は遷都のことですか?

東征は武力征服ですか?
当然遷都も伴ったものを想定しているんでしょうね。
九州勢が大和朝廷の元になったという説だから。

考古学的にどうやらないようだというのは、東征の武力征服のことですよね?

東遷(遷都)ってのはちょっと考古学的にないというのは難しいのではないでしょうか?
まず、都がどこかというのは、考古学的に言えることではないですから。
古文書に残ってない以上、栄えているかどうか、交流があったかどうかしか分からない。

遺物から交流が少ないことが分かれば、
遷都はないと言えるという主張もあるようですがそれは違うと思います。

というのも、倭人伝の記述から、連合国による王の擁立を想定しなければいけない。
こういう状況では簡単に遷都が起こり得ると思います。人の移動も多くないでしょう。
発言権の強くなった王国から共立王を出せば遷都になりえるからです。

また、欧州のハプスブルグ家やブルボン家のように、
国家に跨った王家が存在するかもしれません。
記紀の記述から考えると(真に受けるわけではありません)、
それを想定しないわけにはいかないと思います。
こういう場合も遷都は容易に起こり得るでしょう。

ちなみにあったという主張をしたいわけではありません。
遷都がないと言い切るのは、あったというのと同じくらい不用意だと思うだけです。

767 :太国 ↑ :2006/10/29(日) 10:28:30
>>765
お前の得意の捏造はそこまでかwwwwwwwwww

768 :日本@名無史さん:2006/10/29(日) 10:30:21
釈迦はキノコを食べて死んで有名な坊さんからも「知恵がないやつだ。」と言われた。が太国さんはもっと知恵があるよ。


769 :日本@名無史さん:2006/10/29(日) 10:34:58
太国マジック
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1158393228/32-33
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1158393228/39-41

770 :太国:2006/10/29(日) 10:44:00
お前は例の負け犬王のコテ無パンだろう。w
妨害ばかりやる余裕があるなら、真摯に研究して自分の論述でもしてみろ。
何も持ってないんだろう? 〜だな。ww 能無し〜?ww

771 :太国:2006/10/29(日) 10:48:20
お前が負け犬王のコテ無パンだろう。w
sage進行がそれをものがたるわなww


772 :太国:2006/10/29(日) 10:52:05
余に勝てるわけがない。いくら妨害したところで、物まねくらいしか能がないん
だろう。余に追いつくには、まぁ〜500年でやっとだな?ww

773 :日本@名無史さん:2006/10/29(日) 10:52:57











キングオブニートの太国さん
バレバレの自作自演で遊んでないで下さい。



みんな引いてますよppp







774 :太国:2006/10/29(日) 10:55:36
>>773
お前が妨害の張本人のコテ無パンだな? いい加減に暴走族のスレでも行っ
たらどうだ? 迷惑かけることがお前の生きがいなのか?

775 :日本@名無史さん:2006/10/29(日) 10:59:37
本当に迷惑ですよね。
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1160214983/151-152

776 :日本@名無史さん:2006/10/29(日) 11:02:04
>>774
せいぜい世間に迷惑かけないように、
早く社会復帰したらどうだ?
こんなに馬鹿で、斜に構えてカッコつけてるからな・・・脳味噌大丈夫なのかwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww



777 :太国:2006/10/29(日) 11:04:21
お前は迷惑王か? 妨害を止めて飯でも喰いに行け。

778 :日本@名無史さん:2006/10/29(日) 11:05:20
ただ飯食いのニート君には、お金の支給を禁止し、
大根の葉っぱと、粟稗のみ配給べきです!
当然ガス電気も止めて、2ちゃんにレスする事自体も、全面禁止しましょう。




779 :日本@名無史さん:2006/10/29(日) 11:11:19

太国さんのこのスレは、

普段沢山のコテで賑やかだけど・・・

今日は一人ぼっちですか?

僕らせっかく遊びに来てるのにppp

780 :太国:2006/10/29(日) 11:12:17
お前が有名なコテ無パンだな? どうやら間違いなさそうだ。
自分の論述でもしろ。 何でこんなに妨害ばかり繰り返すのか?
ハハ〜ン、目茶ッ苦茶な論で大負け喰ったからな?ww

781 :太国:2006/10/29(日) 11:15:59
>>780
お前がこそ有名なコテ無パンだな? 
くだらない論述でもしてみろ。 最高権威が聞いてやるぞ。ww


782 :日本@名無史さん:2006/10/29(日) 11:18:24

太国ところで君コンビニやめたの?


783 :太国:2006/10/29(日) 11:23:36



酒田山形東北     パーフェクトな田舎    コンビニOK?  




784 :日本@名無史さん:2006/10/29(日) 11:27:25



いらっしゃいませ こんにちは〜     


   焼き芋売ってますか?









785 :太国:2006/10/29(日) 11:28:41
どうやら間違いなさそうだ。

786 :日本@名無史さん:2006/10/29(日) 11:33:38


太国のしょんべんの切れ悪いんだってな・・・気をつけろまだ若いじゃん。










787 :日本@名無史さん:2006/10/29(日) 11:39:17
>>786
若くないよ 

788 :日本@名無史さん:2006/10/29(日) 11:42:16

☆☆☆ニートウニョウニョ時間にレスしていると狙われるよ!☆☆☆


ニートウニョウニョ時間=ニートばかり活躍する時間(暫定)

毎日24:00〜日の出
平日9:00〜12:00
平日13:00〜17:00



789 ::日本@名無史さん :2006/10/29(日) 12:26:04
自分の都合に合わないと、こんな具合に荒らす九州人のクオリティーを垣間見た・・・。

   さすがてぃんぽ喰う人種だな。

790 :日本@名無史さん:2006/10/29(日) 12:27:21
太国のてぃんぽは切れるのか?

791 :太国:2006/10/29(日) 12:37:07
コテ無パンのような荒しがくると、他のぐうたらの荒しが磁石のように多数
よってくるわけだ。 やることが大汚い、コテ無パンらはパトカーに卵を
投げつけるような奴らで、ここの真面目なスレ人が逃げてしまう。
糞爆弾のようなコテ無パンは大掛かりにコテ名を語るし、真に語呂付き野郎だナ。
まぁ、余にコテンパンに大負けしたからなぁ。ww
いくら余に歯向かっても、1000年経っても〜勝つことが出来ない。ww

792 :日本@名無史さん:2006/10/29(日) 12:48:24
>>791
太国さんはパトカーじゃないよ・・・間違えちゃダメ!・・・スズキアルトH1年製かな?
それに太国さんの読めない文章に人が集まって来てるの?
僕達も太国さんに負ける気がしないよねwwwwwwww



793 :日本@名無史さん:2006/10/29(日) 12:51:00
太国さんppppppppppしっこの切れが悪いんですかpppppppppppppp

794 :日本@名無史さん:2006/10/29(日) 12:57:05
>>791
ぐうたらって
ニートに言われたかないね
世の中ニートよりぐーたら奴等いるのかい!!!

795 :九州ですが:2006/10/29(日) 12:57:47
太国さん。相手しないように。スレ面が落ち着いたら又、喧々諤々しましょう。
私も貴方をはじめ、博学なスレのみんなのおかげで凄く勉強になってますから。
結構こちらの質問に何一つ正確に答える事の出来ない、関西我田引水研究所の
さしがねだったりして。

796 :太国:2006/10/29(日) 12:58:07
お前がそうだ。w

797 :太国:2006/10/29(日) 12:59:47
九州ですがさん 失礼しました。
>>796 は >>794 のことです。

798 :日本@名無史さん:2006/10/29(日) 13:02:52
>>795
そーだそーだ
太国と見ただけで、攻撃されるのに、馬鹿丸出しですね。
しかし太国シンパはまず太国コテを疑いますからね、
九州君のレスも、これから注目するから、
間違っても太国っぽく書かないように!
じゃ頑張ってね(^^)/



799 :日本@名無史さん:2006/10/29(日) 13:08:39
>>798
失礼します!
報告いたします!
九州君のニートウニョウニョ時間レスを、
大量に発見いたしました。

九州君はニートです。
そうなると太国コテの可能性も検討すべきでは・・・

800 :九州ですが:2006/10/29(日) 13:11:49
>>797
知ってますよ。
さすがは関西捏造考古学研究所の工作員の皆さん達だ。レベルが違うレベルが。
考古学とはおよそ無関係な立派な書き込み、見直しました。

801 :日本@名無史さん:2006/10/29(日) 13:13:30
>>800
九州君は
キノコと焼き芋とっちが好き?


802 :九州ですが :2006/10/29(日) 13:20:48
お恥ずかしながら、キノコです。

803 :日本@名無史さん:2006/10/29(日) 13:25:38
君もやっぱり
ニートですか?


804 :九州ですが:2006/10/29(日) 13:34:14
お恥ずかしながら、ニートです。


805 :日本@名無史さん:2006/10/29(日) 13:36:33
いけませんね
キングオブニート太国と、
同様の扱いが今後予想されますよ。
厚顔無恥な太国だから、
馬鹿レス連発で生きていますが・・・
どうか改心なさってください。

806 :日本@名無史さん:2006/10/29(日) 13:38:17
九州君
君は何で究極の小学生太国の擁護をするんだ!
お前本当は太国だろ!

807 :日本@名無史さん:2006/10/29(日) 14:30:51
>>722-725

魏志倭人伝・・・狗古智卑狗
古事記・・・・・久久能智
日本書紀・・・・句句廼馳

似てるねえ。
ククノチを祭神とする公智神社は、兵庫県だから、
クナ国が畿内王権だとすれば、九州説にとっても都合がいいんじゃないの?

なんでもかんでも九州の中で収めたいのかな?

----------------------------------------------

太国は、クナ国=畿内王権という話が、よほど都合が悪かったんだな。

808 :日本@名無史さん:2006/10/29(日) 14:39:27
魏志倭人伝の内容が、全部九州島内部のことしか書かれてないとしたら、
「倭人伝」の体裁を為さなくなるということだね。

出雲にも吉備にも若狭湾にも、もちろん畿内にも東海にも、倭人が住んでてそれなりの勢力を持っていたし、
半島とも交易をしている。
魏の使者が知らないはずはないし、当然、倭人伝に記録しているはず。
九州以外を記述した箇所が全然無い、あるいは削除されてるとしたら、
おのずと倭人と外交にあたる官吏に向けた公用文書として実用性を失わせることになる。

809 :太国:2006/10/29(日) 15:39:01
>>805
フッフッフッ! お前は蜘蛛男のようだな。
余に負けて泣きに泣いたくやし涙の、執念深くなった負け蜘蛛王。

810 :太国:2006/10/29(日) 15:46:50
>>807
とりわけ都合悪いとかいうわけでもありません。
似た名前を同一人物と考えるのは、気持ちはわからんでもないが、やはり
失敗するということです。
名前が似てないのに>>806のように邪推するアンコールムーニーマンがいます。w

811 :日本@名無史さん:2006/10/29(日) 15:48:50
久久能智神を祀る神社
http://homepage3.nifty.com/kuchijinja/

東海や北陸に集まってるね
九州には無い

812 :太国:2006/10/29(日) 15:53:07
そのうち、ククノチを くの一 に似てるなんて言い出すなよ。w

813 :日本@名無史さん:2006/10/29(日) 15:57:50
くの一に似てる

814 :太国:2006/10/29(日) 16:00:37
くノ一か〜? 日暮薄墨

815 :日本@名無史さん:2006/10/29(日) 16:03:40
キングオブニートの太国君
君はキノコ食べる?
おいしいのあるよ(^^)

816 :太国:2006/10/29(日) 16:06:53
>>815
お前は蜘蛛男か〜?w もう消えたから所論がやりやすくなると思って
いたが、お前は蜘蛛の巣のように粘着だな。ww

817 :日本@名無史さん:2006/10/29(日) 16:13:17
>>816
キングオブニートの太国よ
暫く所論なんてねーだろ!

>>814 >>812 >>810 >>809
煽っているだけじゃね!
粘着と使う意味もわかんねし。
馬鹿丸出しで何言っている!

818 :太国:2006/10/29(日) 16:18:47
>>817
そうだろう、蜘蛛男wのお前に所論なんかあるはずはな〜い。ww

819 :日本@名無史さん:2006/10/29(日) 16:28:39
どんなキノコが好きなの太国!
どんなキノコが好きなの太国!
どんなキノコが好きなの太国!
どんなキノコが好きなの太国!
どんなキノコが好きなの太国!
どんなキノコが好きなの太国!
どんなキノコが好きなの太国!
どんなキノコが好きなの太国!
どんなキノコが好きなの太国!
どんなキノコが好きなの太国!
どんなキノコが好きなの太国!
どんなキノコが好きなの太国!
どんなキノコが好きなの太国!
どんなキノコが好きなの太国!
どんなキノコが好きなの太国!
どんなキノコが好きなの太国!
どんなキノコが好きなの太国!
どんなキノコが好きなの太国!
どんなキノコが好きなの太国!
どんなキノコが好きなの太国!
どんなキノコが好きなの太国!
どんなキノコが好きなの太国!
どんなキノコが好きなの太国!
どんなキノコが好きなの太国!
どんなキノコが好きなの太国!
おせーなさい
いじめるわよ

820 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/29(日) 17:27:52
>>808
>九州以外を記述した箇所が全然無い、あるいは削除されてるとしたら、

倭人伝には西都市:邪馬台国とすると四国や種子島の事も書いてある。
東南方向なら、小笠原諸島かな。
種子島の人間が身長が1mくらいとするというのはチョッと苦しいけどな。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
女王国から東へ千里ほど海を渡って行くと、また国がある。みな倭と同じ人種である。
その南には小人の国がある。身長は三、四尺である。女王国から、四千余里はなれている。
また、裸の国や、黒い歯の国があり、東南の方角に船で一年ほどでいける。
http://www.webtelevi.com/yamataigisi.htm


821 :日本@名無史さん:2006/10/29(日) 17:34:58
>>820

四国・本州を「倭種」の一言ですませて、
離れ小島を詳しく書くのはいかにもバランスが悪いな。

九州より東に広大な土地を有する本州の様子が全く書かれてない文書が、魏の外交官に役に立つと思うのか?





822 :日本@名無史さん:2006/10/29(日) 17:46:00
>女王国から東へ千里ほど海を渡って行くと、また国がある。みな倭と同じ人種である。

しかも、高地性集落が作られるなど、九州と瀬戸内海は緊張が続いた時期が長く、
それが「倭国大乱」と解釈され、女王が共立されているのに、
瀬戸内海との緊張は「倭と同じ人種」という表現ですまし、
九州内?のクナ国との軋轢を魏に報告してるわけだ。

ずいぶんとバランスの悪い報告書だわな。

悪いことは言わんから、邪馬台国九州説を取るなら、クナ国は畿内王権だと仮定しておけ。



823 :九州ですが:2006/10/29(日) 19:20:21

和訳:女王国より北には、一大率という指令官を置いて諸国を監視させている。
一大率は伊都国にいるが、国中に監視員を派遣していろいろ報告させている。
 
   伊都国が佐賀県糸島郡であるのはほぼ間違いない。その南に女王国がある。

     自女三國以北其戸敷道里可得略載其餘旁國遠絶不可得詳

    和訳:女王国より北にある国々の、その戸数や道のりは簡単に記載できるが、
   それ以外の国はとても遠くにあるため詳しく調べることは出来ない。

和訳:次に斯馬国(しま)がある。次に已百支国(いはき)がある。次に伊邪国・・・
    ・・・次に支惟国(きい)がある。次に鳥奴国(うな)がある。次に
    奴国(な)がある。ここが、女王国の境となる所である。

    邪馬台国連合に属すのは伊都国などであり、奴国が女王国の境となると関門海峡を越えないのではないか。
    従って遠国にあって、強大な勢力を誇っていた出雲、吉備などの名の記述が無いのである。
    当時のクニは今の郡ほどの規模。遠国の吉備、出雲、畿内より、隣の魏との関係が親密だったと思われる。





824 :日本@名無史さん:2006/10/29(日) 19:24:57
>>823

なあ、クナ国を畿内勢力としたほうが、辻褄が合うし、
邪馬台国九州説にも有利なのに、頑なに否定するのはどうして?

>邪馬台国連合に属すのは伊都国などであり、奴国が女王国の境となると関門海峡を越えないのではないか。

すると、高地性集落については、「倭国大乱」「女王共立」とは無関係だと、
そういうことでいいんだね?


825 :日本@名無史さん:2006/10/29(日) 19:30:07
>>824

>邪馬台国連合に属すのは伊都国などであり、奴国が女王国の境となると関門海峡を越えないのではないか。

出雲から銅矛が大量に出てるけど、九州勢力とは親密でなかったと、
そういうことでいいんだね?

826 :日本@名無史さん:2006/10/29(日) 19:59:34
あいかわらず   



低レベルだあ〜

827 :日本@名無史さん:2006/10/29(日) 20:00:26
そーでしょ




呆れるほど低レベルですね〜

828 :日本@名無史さん:2006/10/29(日) 20:03:51
まだ・・・





続くんですかね低レベルで〜

829 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/29(日) 20:53:42
邪馬台国北九州説の弱点
伊都国に警察の権限を与え諸国を監視してるのに、邪馬台国が北九州ではあまりに近すぎる。
ある程度離れていて、監視の目が行き届かないからこそ伊都国に警察権力を与えたものだ。

これは鎌倉幕府が鎌倉なのに、京都の朝廷や西国大名を監視する六波羅探題を設置したのと同じ。
遠くなければワザワザ設置して監視する必要はない。

邪馬台国が宮崎県の西都市なら、当時の経済の中心地である北九州の一角に監視国を設けた理由になる。
経済の中心と、政治・宗教の中心と混同してるから邪馬台国北九州説に誤魔化される。
邪馬台国は宗教・政治の中心地。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
そのため、北条泰時・北条時房の二人が六波羅の北と南に駐留してこの作業にあたった。
西国の御家人を組織し直し、京都の警備、朝廷の監視、軍事行動などを行わせた。

これが六波羅探題の始まりである。探題は執権・連署に次ぐ重職とされ、伝統的に北条氏
から北方、南方の各一名が選ばれて政務に当たった。探題には北条氏一族でも将来有望な
若い人材が選ばれる事が多く、鎌倉に帰還後には執権・連署にまで昇進する者が多くいた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E6%B3%A2%E7%BE%85%E6%8E%A2%E9%A1%8C

830 :日本@名無史さん:2006/10/29(日) 21:18:53
>>829

それで、クナ国はどこなんですか?

宮崎県の西都市の南に、魏に支援を要請するほどの強国クナ国があったんですか?


831 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/29(日) 21:35:28
経済・文化の中心地は軍事力は弱い。
今までの歴史では、経済・文化が発達した場所は、軍事力ではその周辺地帯の人口の多い
集団に負けてる場合が多い。

経済文化の発達は、腐敗の蔓延と裏表だからだろう。
トロイがギリシャ連合軍に負けたのも、金がジンギスカンに負けたのも同じ理由。
よって場所的にも、軍事力で強大な力を持ってたのは宮崎県西都市である。
北九州は経済・文化が発達しすぎ!

ーーーーー(引用開始)−−−−−
1211年、チンギス=ハンは万里の長城を突破し、金の支配する北京に迫りました。
1214年、金の皇帝は莫大な金・銀・絹のほか奴隷・馬などをチンギスに送り、和平
を結びました。
http://www.eonet.ne.jp/~chushingura/p_nihonsi/episodo/051_100/epi065_01.htm

832 :調査:2006/10/29(日) 21:39:30
あまりにもメチャクチャで、答えに窮します。
一体だれがこのレスで満足するのでしょう?
本人だけなのかもしれません。

833 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/29(日) 21:43:27
>>821
>九州より東に広大な土地を有する本州の様子が全く書かれてない文書が、
>魏の外交官に役に立つと思うのか?

本州は当時、文化面でも軍事力でも全く格下だったの。
広大な銅鐸文化圏ではあるが、科学技術吸収力や軍事力が格段に劣ってたんだろう。
その為、外交官は吸収力の旺盛な邪馬台国に白羽の矢を立てたもの。


834 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/29(日) 21:51:55
>>822
>九州内?のクナ国との軋轢を魏に報告してるわけだ。

当時はたいして、海を渡って戦争してないだろう。
四国も軍事力では格下だったんだよ。
その証拠に卑弥呼以前西暦250年ころの、めぼしい遺跡はないんじゃないかね。
300年以降の古墳時代の遺跡が多いように思うけど・・・・

むしろ鹿児島を本拠地とした狗奴国と、場所的にも領土問題などでモメ、軍事力も
拮抗してて長引いてたもの。
近畿王権じゃ、方向が全く違う。

835 :日本@名無史さん:2006/10/29(日) 21:57:29
考古学を軽視した結果がこの有り様。
いい加減目を覚ませ。
考古学無視、文献解釈だけなら、どんないい加減な説でもまかり通る。

836 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/29(日) 22:01:23
>>824
>なあ、クナ国を畿内勢力としたほうが、辻褄が合うし、

近畿じゃ東北になるだろう。
狗奴国が南なら、鹿児島を狗奴国と考えればピッタリ。
明治維新の原動力にもなった、バイタリティ抜群なお国柄。
気性はナカナカ変えれるもんじゃない。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
その南に狗奴国がある。男子を王としていて、狗古智卑狗(くこちひく)という官がいる。
http://www.webtelevi.com/yamataigisi.htm


837 :日本@名無史さん:2006/10/29(日) 22:13:56
↑こいつ死んだ方が世の中のためだな。オウム麻原以上の有害物質だ


838 :日本@名無史さん:2006/10/29(日) 22:18:49
これがあなたの望んだ、考古学無視、文献解釈のみのスレッドです。

このまま続けますか?

 はい

⇒いいえ

839 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/29(日) 22:21:27
>>835
>考古学無視、

考古学無視というのは、三角縁神獣鏡を卑弥呼の鏡だなんていってた学者先生だろう。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
しかし、三角縁神獣鏡は100%わが国から出土し、中国からは1面も出土していない事、
また、畿内では、4世紀の古墳時代の遣跡からのみ出土し、邪馬台国時代の3世紀の
墓からはまったく出土しない事、

さらに、鏡の直径も平均22cmほどで、中国で出土する後漢・三国時代の鏡よりも、はる
かに大きい事、華南の鏡のデザインや江南の銅が用いられている事、

三角縁・神像・獣像などの各要素は、洛陽付近出土の銅鏡にはみとめられない事、など
の理由から、同志社大学名誉教授で考古学者の森浩一氏、産能大学教授の安本美典氏
(数理歴史学)、元宮崎公立大学教授の奥野正男氏(考古学)などは、「三角縁神獣鏡」は中国から輸入された鏡ではなくわが国で作られた鏡であろうと主張する。

すなわち三角縁神獣鏡は、邪馬台国の位置をめぐる畿内説・九州説の闘いの渦中にある
鏡なのである。
http://inoues.net/mystery/3kakubuchi.html

840 :日本@名無史さん:2006/10/29(日) 22:39:31

☆☆☆ニートウニョウニョ時間にレスしていると狙われるよ!☆☆☆


ニートウニョウニョ時間=ニートばかり活躍する時間(暫定)

毎日24:00〜日の出
平日9:00〜12:00
平日13:00〜17:00






841 :太国:2006/10/29(日) 22:42:29
>>835
考古学でもいい加減な説がまかり通るんだよ。だいたいあいつらは
まぁ全員じゃぁないことは確かだが? 以下のとおり

ヤマタイ→ヤマト→大和→畿内説+(考古学)

と勝手に考古学を何が何でも畿内説の見方にしている。連中は最初の
ヤマタイ→ヤマトが勝手な先入観で想いこんで、畿内説の結論と行き着いて行く。
これが大間違いの進路であり、迷探偵の推理なのであ〜る。

だいたい畿内に女王国があれば、地図上では朝廷と目と鼻の先だ。必ず女王国
の記事が記紀に詳細に載る。が、しかし内容はほぼ0に近く、ご本家の日本の
文献に女王国の記述がなく赤の他人の外国の文献に女王国の詳細が書かれて
ある、ということは畿内に女王国がなかったからであり、当時大陸と交流が
しやすく大陸に一歩否数歩近い九州に女王国があったことはもう自明であると
断言してはばからない。
だから現今で、考古学を重視するというのは科学的に見えて、実は失敗の
根幹なのである。

842 :九州ですが:2006/10/29(日) 22:52:57
>>829
和訳:女王国より北には、一大率という指令官を置いて、諸国を監視させている。
   諸国は指令館を大変恐れけむたがっている。一大率は伊都国にいるが、
   国中に監視員を派遣していろいろ報告させている。王の使いが魏の都、洛陽や帯方郡や韓国から帰還した時、
   また、郡の使節が倭国へ行く時はみな津で文書とか送り物とかを点検し、
   不足や食い違いがないようにしてから女王のもとに運ばせる。

 一大率が伊都国に置かれたのは、各国の監視機能だけでなく、上のような陸海運事務所や、迎賓館、魏王の使者の
宿泊施設をも兼ねていたからではないか。事実、帯方郡の使者が来倭した時には必ず一大率に立ち寄っていた。
一大率は今でいう県警のようなもので、そこを起点として連合国全体に役人を派遣し、掌握していたものと思われる。



843 :日本@名無史さん:2006/10/29(日) 22:55:46
>>841
じゃあ永遠、恵也の相手してな。

844 :太国:2006/10/29(日) 23:01:48
あいつの言ってることは、あいつ自身の捏造が多くてダメだなこりゃ!!

845 :九州ですが:2006/10/29(日) 23:23:32
>>考古学無視というのは、三角縁神獣鏡を卑弥呼の鏡だなんていってた学者先生だろう。

あのお方の教え子が現在は考古学では幅を利かせている。そもそも邪馬台国への道程を南とされてるにも関わらず
東と読み替えるという荒ワザをやってのけ、三角縁鏡を卑弥呼の鏡と決めつけ、畿内に邪馬台国ありき、から無理やり、
辻褄あわせを試みたが、不自然な部分が続出。三角縁鏡は現在卑弥呼の鏡という説は少数派になっている。
畿内説の根幹を成す説を失ったにもかかわらず、愛弟子らのマスコミを巻き込んだ派手なパフォーマンスに
、地味な真実派は気後れし現在おされ気味。しかし根拠の無い空虚な説は素人にも容易に破折出来るところだ。



846 :日本@名無史さん:2006/10/29(日) 23:27:14
三角縁神獣鏡が遺物の中で目立つのは当然。
学問には寄り道も必要。
考古学無視で間違った方向に突き進む九州説よりはマシ。

方向の批判をするなら、東の海は何処だ?

847 :九州ですが:2006/10/29(日) 23:39:28
東の海?それが邪馬台国の位置を調べるのに何の関係が?

848 :日本@名無史さん:2006/10/29(日) 23:49:27
童貞キモヲタが、がんばっているスレとはここですか?

849 :日本@名無史さん:2006/10/29(日) 23:59:52

童貞かどうか分からないが、馬鹿が都合よく考古学を利用しているのは間違い無い。


850 :九州ですが:2006/10/30(月) 00:01:40
>>846
九州に上陸してから地元の案内人に案内してもらって、間違いなく邪馬台国に到着してるではないか。
その道筋を我々は辿っているのであり、その他は枝葉だろう。要は陸地で方向を間違わなければいいのだ。
地図も無い時代に、海を渡って航海が出来た事こそ驚きに値する。長年の知恵や経験を頼りに風や潮の流れ、天候そして
季節によっての差、などを読むエキスパートが居たに違いない。航海がうまくいかなかった場合、塗炭といって
一人責任を取らされて殺されたらしい。まさに命がけだった。



851 :九州ですが:2006/10/30(月) 00:06:12
[邪馬台国{女王国}の北には一大率をおいて・・]云々。
畿内説など、破折はこれ一文で十分。伊都国{佐賀県糸島郡}に一大率が置かれている。
という事は、女王国はその南である。という事は自明。

852 :日本@名無史さん:2006/10/30(月) 00:33:40
>>851
知ったかぶりすんな、バーカ。 お舞いの説なんて妄想じゃん

853 :九州ですが:2006/10/30(月) 00:41:58

なーんだ少しは知ってるかと思いきや。ただの・・。
今度からこちらを批判するときは、下の二つの疑問の明確な答えを出してからにしてくれる?
   悪いけど知識の無い人相手してるような暇ないから。ごめんね。わるぎはないのよー。

1、伊都国{佐賀県糸島郡}に一大率が置かれている。という事は、女王国はその南である。という事は自明。

2、畿内は倭人伝と埋葬の仕方が食い違っている。


854 :日本@名無史さん:2006/10/30(月) 00:45:23
結論が出るのは100000年後くらいだと思われ

855 :日本@名無史さん:2006/10/30(月) 00:50:52
糞スレお膣


856 :日本@名無史さん:2006/10/30(月) 00:55:53
>>851 伊都国の存在は別の面で畿内説にかなり不利。

畿内説の一部は、画文帯神獣鏡の紀年を、年代遡上の根拠にしている(白石、森岡等)。
つまり、画文帯を180年頃から240年頃までの舶載鏡としている。

だが、画文帯がその時期に日本に来たのであれば、必ず伊都国を経由しているはずだが、
北部九州で画文帯がほとんど出土していないということから、それ以降の時期のと考えた
方が合理的である。

つまり、画文帯神獣鏡は250年以降に畿内で製作されたと考えた方が筋が通る。
画文帯同向式などは、99%が日本で発見されている(1%が楽浪郡)。

そうなると、画文帯に書かれた紀年は信用できなくなる。もともと、古墳から出土した画文帯の
紀年でその古墳の年代を決めるというのが無理筋。
つまり、画文帯は、250〜330年の間のうちのどこかの時期に日本で作られたと考えられる。

そうなると、画文帯より新しい時期の鏡である三角縁は、それ以降となる。

そうなると、畿内説の年代遡上は総崩れとなる。


857 :日本@名無史さん:2006/10/30(月) 08:32:50
画文帯国産は流石に無理があるだろ。
誰もそんなこと言う奴はいない。

858 :日本@名無史さん:2006/10/30(月) 10:05:42
三角縁一仏三神四獣鏡は国産でないと思うけど。

859 :日本@名無史さん:2006/10/30(月) 11:08:31
>>850
都合の悪い記述を枝葉扱いにするな。

考古学的な根拠も無く都合よく解釈し、
他説の学者を侮辱していい気になるな。

東の海は何処だ?

860 :日本@名無史さん:2006/10/30(月) 12:33:19
実際、倭人伝、方角間違ってるからな。マツラから伊都とか。

861 :日本@名無史さん:2006/10/30(月) 15:42:53
>>860
間違っていない

862 :日本@名無史さん:2006/10/30(月) 15:45:11
一大率が伊都に置かれたと解釈している時点で
(>_<)

863 :サガミハラハラ:2006/10/30(月) 15:48:30
私も、倭人伝はまちがっていないと断定します。
間違ったのは日本の学者の解釈です。伊都国は前原ではなく、多久市です。

864 :日本@名無史さん:2006/10/30(月) 16:16:09
まちがってないなら東の海は?

865 :日本@名無史さん:2006/10/30(月) 16:17:15
>>863
>>861ですが
伊都は現在の糸島半島です。

866 :日本@名無史さん:2006/10/30(月) 16:22:41
>>864
豊予水道

867 :サガミハラハラ:2006/10/30(月) 16:25:58
>>864東の海は瀬戸内海西部です。瀬戸内海東端の現近畿地方は魏人にしられていなかったのでは。
>>865前原とは糸島半島のことを意味します。そこは斯馬国があったのです。

868 :日本@名無史さん:2006/10/30(月) 17:09:04
>>867
斯馬である理由は?

869 :日本@名無史さん:2006/10/30(月) 17:29:18
どっちみち志摩の地名だけ頼りに、思い込んでいるだけだから

870 :サガミハラハラ:2006/10/30(月) 18:56:17
九州はいくつかの間(マ)に分けられて(倭人伝では馬であらわしています)いました。
北部九州のほとんどが邪馬で、その中の一国(といっても北部九州の覇者である)が壱(イ)国で邪馬の壱国ということで、邪馬壱国と称しました。
北部九州の一角に斯馬があり、その中の一国がイ(リッシン偏に台)土国(後に伊都国と間違えられる。)でした。このイト国を邪馬壱国と区別するために
斯馬のイの国と称しました。そして現在この斯馬の地名だけが残りました。そこは糸島という地名として残っています。

871 :九州ですが:2006/10/30(月) 19:12:28
とにかく、邪馬台国畿内説も、九州説も両説ともに奴国、フミ国までは意見が一致している。
倭人伝では、奴国を、女王国との境となる、と言い、南へ行くと投馬国、とあるところからみて、
瀬戸内海方面を指して言ったのではないか。当時のクニは郡ほどの大きさ。邪馬台国連合は30カ国であり、
伊都国から近畿地方にかけての広範囲に点在していたとは考えにくい。
伊都国に置かれた一大率の役人がが監視のために掌握できる範囲、北部九州に30カ国あったと考えるのが
自然だろう。


872 :日本@名無史さん:2006/10/30(月) 19:37:27
>>870  伊都国の名前の由来なんて、単純に「糸」の国でいいんじゃないの。
麻、綿、倭絹なんかを扱って、加工業者の仲介や、鉄、銅との交換とかをしていたであろう
貿易の中心地だった訳だし。

873 :サガミハラハラ:2006/10/30(月) 19:37:34
だから伊都国がまちがっているから、その後の国の比定もまちがっているのですよ。

874 :日本@名無史さん:2006/10/30(月) 20:01:33

☆☆☆ニートウニョウニョ時間にレスしていると狙われるよ!調査実行中!☆☆☆


ニートウニョウニョ時間=ニートばかり活躍する時間(暫定)

毎日24:00〜日の出
平日9:00〜12:00
平日13:00〜17:00









875 :日本@名無史さん:2006/10/30(月) 20:04:39
倭人伝原理主義の巣窟だな、ここは。

>>871
>とにかく、邪馬台国畿内説も、九州説も両説ともに奴国、フミ国までは意見が一致している。

末盧国から伊都国への方角が間違ってることは認めるんだな?

876 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/30(月) 20:30:23
>>841
>ヤマタイ→ヤマト→大和→畿内説+(考古学)

ヤマタイ→ヤマトというのは十分に可能性はある。
邪馬台国と卑弥呼の後継者:台与(トヨ)と読ませてることを考えるとヤマトコクと
発音した昔の方はいたと思う。

だいたい大和とかいてヤマトなんて読ませるのを考えたら、邪馬台と書いてヤマトと
いうのは常識というべき。

神武天皇が日向から宇佐神宮→北九州→広島→岡山→大阪→和歌山→奈良に遠征をし
たというのは事実というべき。
日本書紀に嘘が半分といっても、半分は事実だ!
よって西都市の邪馬台の植民地が、奈良の大和というべき。
今のアメリカがイギリスの植民地だったのと同じ事。

877 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/30(月) 20:31:19
>>841
>必ず女王国の記事が記紀に詳細に載る。が、しかし内容はほぼ0に近く、

間違い!
記紀の最初に天照大神の名で、高天原は統治された女王国だと明記され残ってるよ。
天照大神の子孫が九州を平定し鏡を祭らせて、その後の神武天皇のときに奈良を
征服させたもの。

卑弥呼と台与と2人の巫女で、天照大神という説もある。
俺は卑弥呼の前にも、同じような巫女が何人か居られたと見る。
さもないと新羅本記の西暦173年の卑弥呼の記事との整合性が取れない。

それに卑弥呼は日巫女(ヒミコ)の中国表記で、日本名は日を祭祀する巫女の役職。
台与も日巫女という役職についた個人の名前に過ぎない。
天皇個人のお名前を生きておられる時には呼ばずに、天皇としか呼ばないのと同じ事。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
天石窟(あまのいわや)に入る前の女神を初代天照大神、天石窟から出て来た女神を
2代目天照大神とすれば、卑弥呼(ひみこ)は初代天照大神であり、台与(とよ)は
2代目天照大神であるということになる。
http://www.k3.dion.ne.jp/~kodaira/sono701.htm

878 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/30(月) 20:32:06
>>845
>愛弟子らのマスコミを巻き込んだ派手なパフォーマンスに

たしかに畿内派はパフォーマンスは上手い。
旧石器考古学で神の手を使って、教科書にまで捏造データを載せたほどの能力を持つ。

小泉総理並みの天才的パフォーマンス能力というべきだが、イカンセン根源的思考能力を持ってない。
国内には通用しても、世界に通用する能力じゃない!
権威に弱いのは日本人の体質なのかね・・・・

ーーーーー(引用開始)−−−−−
当初段階で考古学界が検証を怠ってきたこと、その間に次々と驚異的な業績が重ねられ権威
となったことからその後はもう逆らえなくなっていたこと、裏面には学閥的対立・考古学会
の閉鎖的な体質もあったと言われる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E6%9D%91%E6%96%B0%E4%B8%80

879 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/30(月) 20:33:20
>>847
>東の海?それが邪馬台国の位置を調べるのに何の関係が?

魏志倭人伝には、邪馬台国から東へ1000里海を渡ると倭人の国があり、南へ4000里に
小人の国があり、東南方向に船で1年くらい行くと裸や歯の黒い連中がいるという。

だから東と南方向には、広々した海がなければ辻褄が合わない。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
女王国から東へ千里ほど海を渡って行くと、また国がある。みな倭と同じ人種である。
その南には小人の国がある。身長は三、四尺である。女王国から、四千余里はなれている。
http://www.webtelevi.com/yamataigisi.htm

880 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/30(月) 20:34:02
>>850
>地図も無い時代に、海を渡って航海が出来た事こそ驚きに値する。長年の知恵や経験を
>頼りに風や潮の流れ、天候そして季節によっての差、などを読むエキスパートが居たに違いない。

それは確かに居た。
いたからこそ、人類は世界中に繁殖できたんだよ。
柔らかい木のバルサ材や、パピルスという稲ワラみたいな物でさえ、長い航海が
出来る船を作れるのが人間。

歴史に残るはるか悠久の昔から、人間は航海学や天文学には詳しかったんだよ。
今ではその学問が消えてしまったけど・・・・

ーーーーー(引用開始)−−−−−
ペルーからイースター島まで8000qを101日間かけて航海した。
インカ帝国以前のティワナコ文明とポリネシアの石の文明との共通点を発見し、南米から
ポリネシアへの文化の移動説を実証する為だった。
http://kazahi.hp.infoseek.co.jp/syasin_Kon-Tiki.html

・湿地に生える。
・紀元前2400年頃(4400年前)のエジプトで、
この茎からパピルス紙を作った。これが紙の起源。
茎の髄(ずい)の部分をうすく裂き、
横に広げて縦に伸ばす。
英語の「ペーパー(paper)」の語源はこのパピルス。
http://www.hana300.com/papiru.html

881 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/30(月) 20:34:59
>>853
>伊都国{佐賀県糸島郡}に一大率が置かれている。

糸島郡というのは、確定してない。
伊都国が糸島半島なら、魏の使節団は最初から伊都国に上陸してるはず。

ワザワザ末盧國という人口2万4000人くらいの港による必要はない。
遠路はるばる来た使節団に遠回りをさせるという失礼を、邪馬台国が行えるとは思えない。

むしろ伊都国は、監視する強力な行政組織を持ってるくせにたった6000人くらいの小さな王国。
しかも上陸してから500里(25kmくらい)も歩かないと着かない町。
糸島半島に伊都国があったとは思えない。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
和訳:陸に上がって東南の方に五百里ほど行くと伊都国に着く。

882 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/30(月) 20:35:40
>>857
>画文帯国産は流石に無理があるだろ。

全く無理ではない。
日本では銅鐸という、非常に高度な技術がいる銅鋳物をつくる技術があった。
それに画文帯神獣鏡は日本で発見された数の方が、中国発見数の2倍くらいある。
日本で特に霊験があるとして、流行していたというべき。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
これまでに、日本から150面ていど、中国から80面ていど出土している。
日本からの出土数のほうが、はるかに多い。

日本から出土しているもののなかには、日本で作られたものがかなりあるとみられる。

中国では長江の流域など、南東部から出土することが多い。朝鮮の楽浪郡にあたる
平壌などからも、数は多くないが出土している。
http://yamatai.cside.com/tousennsetu/sinnzyuukyou.htm

883 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/30(月) 20:36:29
>>857
>紀年でその古墳の年代を決めるというのが無理筋。

俺もそう思う。
今だってブランド品だというだけで、品質をロクに見れないで有難がる連中が多い。
当時は中国産というだけで、値段は格段に高かったんじゃないかね。

それなら国産で少し丁寧に作って、隅っこに中国産の名前だけ入れる連中はいっぱいいるよ。
偽ブランドに誤魔化されるド素人が、日本の考古学者には多すぎる。

世間ズレしてない純粋培養された、象牙の塔の温室育ちバカの弱点だろう。
日本の考古学者なんて、生き馬の目を抜く商売人の世界には通用しないモヤシ人間が多すぎる。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
ここ数年前から、海外で日本製時計(SEIKO)の偽物が出回っておりロレックスの偽物
数に匹敵するくらいの量が出回っているそうだ。

外観はほぼ本物と変わらない為に、メーカー側は3年前よりスケルトンに切り替え中身の
ム−ブメントが見えるようにし、ムーブメントで判定ができるように改良された。
http://ameblo.jp/buster/entry-10005081187.html

884 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/30(月) 20:38:08
>>854
>結論が出るのは100000年後くらいだと思われ

俺の論理じゃとっくに結論は出てる、あんたが10万年の時代遅れなだけだよ!

●韓国→対馬間の距離50kmが1000里となってるので1里=0.05kmとする

●山道を超える場合、実測距離を書いてあるとし、地図上の直線距離を勘案し30里=1kmとす

韓国50km南→対馬50km南→壱岐(一大国)50km→唐津(末盧國)20km東南
→富士町(伊都国)5km東南→佐賀大和(奴国)5km東→吉野ヶ里(不弥国)80km南
→宇土(投馬国)40km南→芦北に上陸100km→西都市(宮崎県)・・「ここが邪馬台国」

885 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/30(月) 20:39:11
>>859
>他説の学者を侮辱していい気になるな。

ド素人の俺にさえ、ミエミエの脳みそしか持ってないからそんな考古学者は侮辱される。
当たり前の話のどこが悪い。

しかし俺はDIONを接続業者にしてるので、よく書き込めなくなる。
あなたはどこの接続業者を使ってるの?

886 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/30(月) 20:40:00
>>858
>三角縁一仏三神四獣鏡は国産でないと思うけど。

どんな理由でそう思うのかくらい書かないとね。
理由もなしに勝手に思われても、文句のつけようもない。

887 :日本@名無史さん:2006/10/30(月) 20:57:18
>>884 あんた今度は何時頃よそのスレへ逃げ出すの?
    今日のDAYサービスは楽しかった貝?

888 :日本@名無史さん:2006/10/30(月) 21:04:02
>>881
>伊都国が糸島半島なら、魏の使節団は最初から伊都国に上陸してるはず。
>>江戸に用事があっても出島に上陸するアホな外人  だな、お前の考えは

889 :太国:2006/10/30(月) 21:19:11
>>876
京都は東京都ではな〜い。だから ヤマタイ→ヤマト としちゃうのは早計。
こんなのがダメ例はいくらでもある。
宮崎県は宮城県ではない。愛媛県は愛知県ではない。福井県も福島県ではない。
さらに鹿児島神宮は鹿島神宮ではな〜い

>>877
高天原は邪馬台国ではな〜い。あんたの言い分なら邪馬台国が大和だということに
なるから高天原が大和、つまり畿内だということとなる。これは大間違い。
残念ながら天照大御神は神武よりもっともっと遠い以前の超ミス・ユニバース級
の美姫で安藤美姫さんには似てない、また浅田真央にも似ていな〜い。
卑弥呼は神武以降仲哀、神功の時代の九州の姫で時代の段差は日神と格段に
離れている。これを同時代に決めこむ君は、君の先祖が君だと結論してるよう
なもので、もうメチャクチャとしか言いようがない。w

890 :九州ですが:2006/10/30(月) 21:45:00

>>875
何をもって間違いだと? マツラ国=松浦市とでも考えているから、そのような過ちを犯すのだ。
マツラ国=松浦郡、伊都国=糸島郡だ。勿論、マツラ、イトの勢力範囲は今とは多少違っているかもしれない。
そんな事は古今東西歴史上何ら不自然ではない。今でも町村合併で、失われる古名もある事を考えれば、
今ある地名で判断するしかないが、たとえば東松浦郡の玄海町あたりにマツラ国の中心集落があった場合、
{時代とともに中心地は変わる事もあっただろうが}東南の方角に行くと、糸島郡に二丈町に達する。
この付近にイト国の中心集落があったと考えると、方角は間違いではない。正確な位置は学者でさえ特定出来ていないのが実情だ。マツラで九州に上陸し、奴の国博多までの間のどこかにに伊都国があったことは多くの学者の認めるところである。
当時は、方位磁石も無いなか、少しくらいの方向の勘違いはあったかもしれないが、
今となっては大体その辺だったと想像するしか、証拠がはっきりと示されるまではないだろう。
このような質問をしてくる側は、こちらの説よりもさらに信憑性の薄い、奇想天外な論を展開してくるのではないか。




891 :日本@名無史さん:2006/10/30(月) 21:47:10
>>833
>本州は当時、文化面でも軍事力でも全く格下だったの。
>広大な銅鐸文化圏ではあるが、科学技術吸収力や軍事力が格段に劣ってたんだろう。


>>882
>日本では銅鐸という、非常に高度な技術がいる銅鋳物をつくる技術があった。


一晩で、意見が変わるやつだな。
ネット検索して、自分の間違いに気がついたか?
巨大銅鐸は、現代でも作るのが難しい高度な技術だ。
魏の使者が本州の勢力を無視するとは思えんな。

よって、九州説を取るなら、クナ国=畿内王権という考え方を受け入れたほうがいい。
これ以上恥をかくまえに。


892 :調査:2006/10/30(月) 21:53:20
自作自演ですね、此処は・・・

893 :九州ですが:2006/10/30(月) 22:32:23
>>881
ワザワザ末盧國という人口2万4000人くらいの港による必要はない。
遠路はるばる来た使節団に遠回りをさせるという失礼を、邪馬台国が行えるとは思えない

何らかの事情があったのではないか。港では荷物の検査などもあっただろうし、
海上では海が荒れだしたり、常に危険を伴う海上、とりわけ夜間の航行を避けて早めに上陸したり、又は、
「伊都国には帯方郡の使者は必ず寄る」と書かれているから、その前にマツラで
上陸し、長い航海の疲れを癒す為、酒宴が設けられたとも考えられる。身奇麗にした上で、
翌日、シャガのようなものに乗ったり、馬に乗ったりしながら、イト国へ向かい、一大率で正式な歓迎を受け、
その後、再び乗り物に乗って、邪馬台国へ向かったのではないか。



894 :日本@名無史さん:2006/10/30(月) 22:41:00
九州説の根拠の無い決め付け発言が鬱陶しい

895 :太国:2006/10/30(月) 23:17:53
俺実は・・・キノコが好きなんだ・・・今年も既に食べたんだ・・・釈迦はも食べたからいいだろ・・・

俺実は・・・キノコが好きなんだ・・・今年も既に食べたんだ・・・釈迦はも食べたからいいだろ・・・

俺実は・・・キノコが好きなんだ・・・今年も既に食べたんだ・・・釈迦はも食べたからいいだろ・・・

俺実は・・・キノコが好きなんだ・・・今年も既に食べたんだ・・・釈迦はも食べたからいいだろ・・・

俺実は・・・キノコが好きなんだ・・・今年も既に食べたんだ・・・釈迦はも食べたからいいだろ・・・



896 :日本@名無史さん:2006/10/30(月) 23:24:33
>>890
>たとえば東松浦郡の玄海町あたりにマツラ国の中心集落があった場合、

唐津湾から上陸→前原(伊都)が普通考えられるルート。
わざわざ遠回りになるそんな所に上陸はしない。アホらしい。

>当時は、方位磁石も無いなか、少しくらいの方向の勘違いはあったかもしれないが、
>今となっては大体その辺だったと想像するしか

いい加減、倭人伝原理主義、捨てたら? 見苦しいよ。
倭人伝にも間違いがある。当時の測量技術などを考えれば当たり前の話。
絶対間違いがないという思い込み、信仰が、君の目を曇らせている。

897 :次スレのテンプレ?:2006/10/30(月) 23:28:55
邪馬台国畿内説を議論するスレ7

邪馬台国畿内説論者同士で議論を深めませんか。どうも、
九州論者が入ってくると話が拡散して、何時まで経っても
同じ処を堂々巡りしてしまうように感じます。


関連スレ
畿内王権の成立とその前後の過程
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1160892510/

過去スレ
邪馬台国畿内説を議論するスレ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1139060494/l50

邪馬台国畿内説を議論するスレ2
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1142344411/1001-1100

邪馬台国畿内説を議論するスレ3
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1149768938/

【九州説】邪馬台国畿内説を議論するスレ4【厳禁】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1154677516/

邪馬台国畿内説を議論するスレ5
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1159583462/

邪馬台国畿内説を議論するスレ6
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1160799871/

898 :日本@名無史さん:2006/10/30(月) 23:35:18
どうやっても九州説は入り込んでくるから無理。
といっても、畿内説側もさんざ九州説スレに乱入してるから同じ穴の貉だが。

899 :日本@名無史さん:2006/10/30(月) 23:40:32
九州説可の早業で 今日も走らすニートバイ〜♪

900 :九州ですが:2006/10/31(火) 00:23:58


>>896
小学生の邪馬台国研究じゃないんだから。去年、吉野ヶ里に行ったが、暫く前まで倭国大乱といって戦乱の続く時代だった為
環濠集落といって、二重の堀をめぐらし、高見櫓を配置して敵に備えるという物々しさが感じられた。
内陸の少し高くなった見晴らしのいい所で、敵に攻められにくい場所に集落は造られているため、どちらかといえば
交通に不便な場所であることが多い。外国と交易する為、港に海に向けて集落を発達させた訳ではない。
港町など、この時代、ありえないことだ。世情は安定してるとはいえ、いつでも、不測の事態に備えて、警戒していたはずだ。
今の世情と同じと考えれば、わざわざ遠回りする必要ないなど、その様な発想が出るのかもしれないが。
その前に初歩的なミスしてない?上陸したのはマツラだと記してある。
倭人伝は唯一の邪馬台国の資料だから、拠所にするのは当たり前。それをしないのが間違いの元。
倭人伝を離れておたくが自分勝手な想像をいくら膨らませようとおたくの勝手だが、幼稚な作り話で、人を煩わせるのだけは
説明してあげようという人のいい自分にとり、疲労がたまるので迷惑している。
おたくの幼稚な言いがかりこそ、何の根拠も示していない、妄想でしかないと思わない?
なぜその様な説なのかが、全くどこにも無い。根拠があって、理の通ることを言わないと人は誰も信じてはくれない。



901 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 00:33:32
>>900
長文書く前にさ。日本地図見てみろよ。
呼子上陸なんて言ってるの、かなり少数意見なのだが。



902 :九州ですが:2006/10/31(火) 06:37:16
だから大昔のマツラ国のどこでもいいが、どこかにに上陸して東南の方向に伊都国の中心あったと考えられる、
というのが言いたい事であって、呼子なんて言ってない。
>>890でも たとえば と言ってるだろう。


903 :太国:2006/10/31(火) 06:46:07
>>895
お前はニセ犬王!

904 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 07:07:51
>>900

吉野ヶ里遺跡、行ってきたのか。

だったら、教えてもらおう。600年の歴史のある吉野ヶ里は、
どうして3世紀末に衰退してしまったのだ?

905 :サガミハラハラ:2006/10/31(火) 07:53:54
>>904
私が代わりにお答えいたします。
もともと卑弥呼は吉野ヶ里にいたのですが、3世紀中ごろ、引越し(遷都)をしたのです。
この件はあまり信じられていないのですが、ほんとうです。

906 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 07:54:29
>>905

>卑弥呼は吉野ヶ里にいたのですが
>卑弥呼は吉野ヶ里にいたのですが
>卑弥呼は吉野ヶ里にいたのですが
>卑弥呼は吉野ヶ里にいたのですが
>卑弥呼は吉野ヶ里にいたのですが

907 :サガミハラハラ:2006/10/31(火) 08:09:29
そうです。今復元されていますが、あの北内郭の中にお住まいになられていたのです。

908 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 08:34:46
>>902
おいおい。倭人伝って、魏の使節団が邪馬台国に至る行程記事じゃないのか?
なぜ急に、末盧→伊都だけが、地図を見ながら「勢力圏が…」とかになるんだよ。

いや、ホントに救い難いな、倭人伝原理主義者は。
南東と北東を90度間違えたという可能性を、まったく考慮していない。

909 :サガミハラハラ:2006/10/31(火) 08:47:09
中国人が方角を間違える可能性はまったくありません。それに、邪馬台国には何人もの中国人がいっているのですよ。
誤記したものがひとつあってもほかの報告から訂正したはずですよ。

910 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 09:18:28
>>909

日本列島が90度傾いた古地図がありましたが?

911 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 10:19:14
歴史読本の付録古地図を見たが、
九州は江戸時代に入ってもまだ傾いてる。
九州人の測量術って笑える。w

912 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 15:03:50
>>908
>東南と北東を間違えた
>>どうすればそんな間違い起きるんだ?
後世、訂正すらしていないんだぜ

913 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 15:12:26
>>905
>もともと卑弥呼は吉野ヶ里にいた
>>物凄く強烈な妄想だ
そのような妄想が下地になった小城説の底は浅い
古代史もブランド指向になったらおしまいだな

>引越
>>引越屋に伝票でも保存されていたのかな?

914 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/31(火) 17:17:48
>>910
>九州は江戸時代に入ってもまだ傾いてる。

当たり前だろう。
行くときに判りやすければ良いのだから、傾けようとデフォルメするのは当たり前。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
博多港発の九州郵船の航路案内鳥瞰図。釜山・大連・仁川など大陸航路と長崎・三角
・鹿児島などの九州航路。
http://www.asocie.jp/hakatawan/oldmap/index.html

915 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/31(火) 17:18:29
>>904
>どうして3世紀末に衰退してしまったのだ?

神武天皇が占領した近畿に集団移動したもの。
その他にも地震などで有明海地方が大打撃を受け、集団移動した可能性もある。
400年後くらいの記録だが、大地震も実際に起きたという伝説もある。
昔の日本人が、満州に集団移動して新天地を作ろうとしたのと同じようなもの。

古墳時代の遺跡を見ても、3世紀末から経済の中心は近畿に移動してる。
植民地である近畿の大和朝廷が急速に経済力も出来、治安も安定したんだよ。

ご老人は残ったと思うが、衰退せざるを得ない。
イギリスが衰退して、アメリカが経済発展したのと同じ事。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
当時の筑後の国には十二郡があったといわれている。ところが、このうちの二郡がこの天変
地異ともいうべき大地震によって、一夜にして大地が広範囲に壊滅しそのまま海に没してし
まったという驚くべき記録が地元には残されていたのである。(鷹尾神社古文書など)
http://ww22.tiki.ne.jp/~kanemasa/data4/kotizu.htm

916 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/31(火) 17:19:21
>>900
>交通に不便な場所であることが多い。外国と交易する為、港に海に向けて集落を発達させた訳ではない。

逆だよ。
交通の便が良く、しかも安全な場所としてのバランスでその場所を選ばれたもの。
外敵が攻めてきてもすぐに逃げ込めて、応援が集まったら反撃できる集落。
しかも港のすぐ側で、穀倉地帯。
トロイの遺跡もそのタイプの港町だよ。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
第8市のはずれから外界を望む
http://www.asahi-net.or.jp/~mf6t-tkhs/turky_13.htm

917 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/31(火) 17:20:34
>>871
>とにかく、邪馬台国畿内説も、九州説も両説ともに奴国、フミ国までは意見が一致している。

俺の邪馬台国:西都市説じゃ全く一致しない!
奴国は→佐賀大和付近で、それから5km東→吉野ヶ里付近が不弥国
今も佐賀県では海抜0m地帯が多いという。干拓のせいだろうが穀倉地帯でもある。

「当時のクニは郡ほどの大きさ」というのは全く根拠がない。
邪馬台国の勢力圏の中で、邪馬台国と奴国、投馬国はずいぶん大きかったと思うぜ。
人口が42万人、12万人、24万人は他の国に比べたら桁外れだ。
当時の国のなかでは大国というべき。

奴国、投馬国は貿易やお米の生産地としては中心的国家と見るべきだが、他の国は
1000戸:6000人規模じゃあまりにも規模が小さすぎる。
マトモな役人としては村長と副村長くらいしか置けない程度。

犯罪者を島流しにした八丈島でさえ、今じゃ9000人くらいはいる。
こんな離島以下の寂しい邪馬台国の国がなんと多いことか!

ーーーーー(引用開始)−−−−−
八丈島唯一の高等学校です。全日制と定時制があり、全日制は普通科・家政科・園芸科があります。
http://www.8jyo.jp/towninfo/public/h_school/1207.html

918 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/31(火) 17:21:32
>>888
>江戸に用事があっても出島に上陸するアホな外人  だな、お前の考えは

これは徳川幕府が鎖国政策の為に、出島以外からの上陸を禁止していた為だよ。
邪馬台国は魏に対して朝貢するくらいの、へりくだった立場。
邪馬台国が鎖国政策や外国使節団に、上陸禁止をするくらいの強い立場だった
という話は聞いたことがない。

むしろ邪馬台国からお願いして、貿易や援軍、魏の鏡を送ってもらうという弱い立場。
鎖国当時は世界でもトップクラスの量の鉄砲を保持してた、軍事大国徳川幕府とは全く違う。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
汝は特に、紺地の模様のついた綿を三匹、斑模様の毛織物五張、白絹五十匹、金八両、
五尺刀を二口、銅鏡を百枚、真珠と鉛丹それぞれ五十斤を与えるとしよう。
みな包装して、難升米、牛利に託しておく。
   
帰国したら、目録と照らし合わせて、国中の人に展示し、わが国家が汝の国に好意を
もっていることを知らせるがよい。
だからこそ、私は汝によい物ばかりを与えるのである。
http://www.webtelevi.com/yamataigisi.htm

919 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/31(火) 17:23:01
>>889
>卑弥呼は神武以降仲哀、神功の時代の九州の姫で

その根拠はよもや、記紀だけじゃないだろうね。
確か記紀では神武天皇は137歳で死なれたとか、あなたは信じてるのかい。
もっと確実なソースから計算したんだろうね?

世界一のお墓を持ってる第16代仁徳天皇の死亡期日西暦427年を、事実だとしたら神武天皇
や天照大神はいつ頃死んだのか。

天皇の平均在位期間を10年としたら第X代天皇の死亡年月日は次の式で得られる。

427−(16−X)*10=西暦死亡年

427−(16−1)*10=277年・・・第1代 神武天皇
427−(16+3)*10=237年・・・皇祖  天照大神
             247年・・・    卑弥呼死す

まあ、10年の差くらいなら十分に同一人物だった可能性はある。

920 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/31(火) 17:23:56
>>890
>東南の方角に行くと、糸島郡に二丈町に達する。

それは無理!
間に唐津湾があり、Uの字に曲がって行っても真東で、東南方向じゃない。

むしろ唐津が末盧國(マツラ)と表現されたというべき。
唐津なら東南方向に富士町があり、そのまた東南方向に佐賀大和があり、そこは穀倉地帯だ。
名前からして、中国唐からの貿易船が大量に集まった港(津)の意味もピッタリ。

それに、温室育ちで世間知らずな日本の学者先生に正確な位置を特定できる筈がない。
方位磁石は紀元前3世紀の発明という話もあるし、夜空の北極星や夜明けの太陽の位置で
ずいぶん正確に方位は確定できる。

その当時の最先端の科学を知ってる筈の、教養のあるお役人がそんなにバカだったのかね。
朝鮮の公孫氏を追い詰めて滅ぼした、当時の凶暴な魏のお役人の日記を調べた上で書いたと
は思えんよ。

あなたは金印を漢から貰った奴国を、その後200年も経った魏志倭人伝の奴国と混同してる。
今の日本と、徳川末期の日本と同一と考えてるようなものだ。

921 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/31(火) 17:25:03
>>891
>一晩で、意見が変わるやつだな。

意見は全く変わってないぜ。

伝統的な銅鐸を作る技術と、科学技術吸収力や軍事力とは全く別物。
清の高度な芸術品製造技術と、西欧の軍事技術が全く違っていたのと同じ。
科学的技術といっても、いろんな種類があるの!

銅鐸宗教集団が、鏡を祀る天照宗教集団に変身してしまった根源的理由を考えなさい。
軍事力に圧倒されない限り、宗教集団の急激な変身はありえない。
もう少し落ち着いて、謙虚に俺のカキコを読みなさい、あんたは読解力不足!

922 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/31(火) 17:25:42
>>893
>上陸し、長い航海の疲れを癒す為、酒宴が設けられたとも考えられる。身奇麗にした上で、

酒宴をするなんて目的地の伊都国で行うもの。
そんな酒宴をダブルで行って、長旅で疲れてる使節団を500里=25kmも歩かせたりはしない。
せいぜい200mくらいなら港から歩いてもらってというのは判るけど、末盧國→伊都国
ではあまりにも長距離過ぎる。

それに御輿みたいな物に乗せるにしても、偉いサンだけは乗せてもその他多勢は無理。
連絡・段取りを調える先遣隊は、タダでさえ大変なのに遠回りさせられたら頭にきてしまうぞ。

前原が伊都国なら前原に上陸するのが常識というもの。

923 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/10/31(火) 17:26:29
>>900
>交通に不便な場所であることが多い。外国と交易する為、港に海に向けて集落を発達させた訳ではない。

逆だよ。
交通の便が良く、しかも安全な場所としてのバランスでその場所を選ばれたもの。
外敵が攻めてきてもすぐに逃げ込めて、応援が集まったら反撃できる集落。
しかも港のすぐ側で、穀倉地帯。
トロイの遺跡もそのタイプの港町だよ。

ーーーーー(引用開始)−−−−−
第8市のはずれから外界を望む
http://www.asahi-net.or.jp/~mf6t-tkhs/turky_13.htm


924 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 17:32:27
>>916
>上陸禁止をするくらいの強い立場だった
という話は聞いたことがない。

>>出入り自由な弱い立場だったとゆう話も聞いたことがない。

925 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 18:00:14
珍しく恵也がまともなことを言ってるじゃないかw
倭人伝原理主義のアホさ加減に気付かないから、恵也にも足をすくわれるんだ。

926 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 18:04:15
カキコ禁止とかやっても意味ないし荒れるだけだから、次スレは、

 「 邪馬台国、ドンと来い!!」  

.   ∩____∩゜.:+___∩: :.+
ワク. | ノ      ヽノ     ヽ+.:
:.ワク/  ●   ● | ●   ● | クマ
  ミ  '' ( _●_)''ミ'' ( _●_)''ミ クマ
. /  ._  |_/__ノヽ__  |_/__ノヽ
 -(___.)─(__)__.)─(__)─

にしよう。

九州も畿内も四国も朝鮮もエジプトもコテハンもドンと来い!


927 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 18:30:08
>>925 阿保か?
皆さん。恵也にまともな反論した所で無駄な事が解っているので、お茶を濁したカキコになっていることを読みとれんのか?
奴の反論は、推定カキコか、裏の取れないサイトの引用だけだろう

馬鹿らしくてまともな反論でかるか!

928 :太国:2006/10/31(火) 18:37:14
>>919
137歳? そのために讖緯説とか2倍暦説があるわけだ。後者なら

137÷2=68.5歳

これなら信憑性が充分ある。平均在位期間が10年などどうしてそうなるのか?
昭和天皇なら即位後でも63年ばかりありこれだけでも6倍以上だぞ。
だからその10年とか言い出した奴は 卑弥呼=アマテラス としたいために、
そのようにくっつけたいためにご都合で10年だとかにしたわけで、単純計算
すぎて簡単に一致などするようには行きはしない。
卑弥呼と日神とは少なくとも数千年は生存が離れている。

その3というのは日向3代か? もしもウガヤフキアヘズ朝70余代が実在すれば
そこの点では記紀より偽書性がうすくなり、なおさら等号は成立しなくなる。

929 :太国:2006/10/31(火) 18:40:38
>>928 訂正 最下段
× そこの点では記紀より偽書性がうすくなり、
○ 古史古伝のあるものはそこの点では記紀より偽書性がうすくなり、

930 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 18:52:58
「倭人伝に間違いはない」とかさあ、もはや信仰、オカルトだろ。
なぜそんな風に考えられるのだろう。

931 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 19:01:10
>>930

信者だからさ。
ずいぶん昔から、邪馬台国論争は信仰になってる。
聖書を絶対視して、進化論を否定のに似てる。

畿内説を批判するやつは、進化論にも否定的で、
相対性理論は間違ってるとか考えてるはず。


932 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 19:11:01
>>931

畿内説が正しい事の証明をしてみなさい
それが出来ないのも
また 宗教

933 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 19:22:48
>>931
魏志倭人伝に、疑わしき箇所があるのなら、具体的な部分を提示し、どのように間違っているのか
書き記す可きだろう。
それを、噂話風に垂れ流すとは(畿内説も地に落ちた)と言わざるおえない。

934 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 19:28:06
>>932
畿内説が絶対に正しいとか、オカルトな発言はしないよ。
まともな神経をしていればね。
近年の考古学の成果で、九州説の可能性がかなり低くなったというだけ。
ただそれも、考古学上の新発見で覆る可能性がない訳じゃない。
それが科学的態度。
ところで君は、まともな神経をしてるのでしょうか?w

935 :サガミハラハラ:2006/10/31(火) 19:35:58
九州説の可能性がかなり低くなったとかいう近年の考古学の成果はどんなのがあるかおしえてください。

936 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 19:39:54
>>935

最近の新聞記事を読んでも、畿内説有利の記事しか載らなくなった。

「神の手」の捏造を暴いた新聞が、畿内説有利と太鼓判を押している。



937 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 19:39:54
>>934
君が科学的態度と発言する以上、どう科学的なのか説明する義務を生じる事になるが?
邪馬台国が科学からの副産物であるなら 話は別だが

938 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 19:41:52
>>937

おまえは、進化論を信じてるのか?信じてないのかどっちだ?

939 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 19:47:45
>>938
関係ない話
生物の板じゃないぞ、ここは

940 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 19:50:09
>>937
少なくとも、「倭人伝は絶対的に正しい」と盲目的に信仰する態度は、科学的じゃないよね?
ここまでは納得出来る?
納得出来れば次のステップの説明をしてやるよw

941 :太国:2006/10/31(火) 19:53:38
畿内に女王国はな〜い。あれば外国の魏志倭人伝の記述を待つまでもなく、
当然ご本家の記紀の記載で事は足りる。しかしなぜか記紀に記述は0に近い、
すなわちその記述は猫の額よりも狭い量なのであ〜る。
ヤマタイから始まって単純で考古学が好きな奴が→ヤマトだと本気で考えて
しまう。そこで大好きな考古学を好き勝手に付け足して畿内説を確信してしまう。
こういう連中は迷探偵の推理であり、名探偵はそんな考察には簡単には乗らない。
女王国は九州に存在したのだ。九州は畿内より大陸に近いから、日本にあった
女王国が外国の文献のほうにその詳細が載っているのは当然なわけだ。w

942 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 19:58:56
>>940
>倭人伝は絶対的正しい
>>それを否定する以前にすべき事があるだろう。
書かれているものに対し、正確に反論否定する事だろうに。
それをせず
やみくもに
絶対的でないとするのも如何かと

943 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 20:00:50
>>939

関係なくは無い。
信じるなら、信じる理由があるはずだ。
信じないなら、信じない理由があるはずだ。

それは、邪馬台国がどこにあるかと信じてるものと同じものだ。

944 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 20:03:02
>>941

太国は進化論を信じてるのかな?信じてないのかな?
どっちだ?

945 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 20:06:02
>>943

邪馬台国問題を、信じるとか信じないとかのレベルでは考えていないので
答えられない

946 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 20:09:24
倭人伝やその他の倭伝を読んだ限り、べして誤りを見出だす事は出来ないと言っている。
間違いが有ると、言っている側に必然的に説明義務は生まれる

947 :太国:2006/10/31(火) 20:10:44
>>944
進化論? そっちのほうは保留だな? こことは関係うすいだろ?
ただ言えることは自動車1台できあがるのに、そっちのプロではないが、
おそらく数千?とかの工程を通過せねばならぬのだろう?
生物の方は、創造されたのならばDNA等を観るまでもなく、それ以上の創造の
過程があったんだろうな?ということになる。問題は、そうならば、その生物と
やらは誰さまが造ったのかということに帰着されて来る?と想像するよ。w
皇統はDNAで決まるんじゃぁないがね。

948 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 20:11:37
>>945

それは、中立という意味か?なら結構。



949 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 20:12:26
>>947

進化論を保留に出来て、邪馬台国の所在地を保留に出来ないのは何故だ?


950 :太国:2006/10/31(火) 20:13:59
>>949
お前様、どうかしてるんじゃないのか?ここがその関係スレじゃぁないか。

951 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 20:16:49
邪馬台国は史料に書かれた史料事実だと言うこと
『あったとか無かったと』かの問題では無い

952 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 20:17:46
決して考古学から生まれた副産物ではない

953 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 20:18:20
>>950

ようするに、ダーウィンの進化論はマユツバだと思ってるんだろ?

954 :太国:2006/10/31(火) 20:21:18
>>953
それはこことは関係があまり少ないではないか?
なぜそれにこだわるんだ? 話がそれてるよ。
それに進化論へのスレには今のところ行く気はないしね。

955 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 20:21:50
>>942
人が伝聞で書いた文章を、なぜそこまで無条件に信用するのか、理解に苦しむがな。
まあそれはさておきw
倭人伝解釈を重要視すると言いながら、魏の使節の上陸地点を
「末盧国のどこか」とかぼやかせる態度は不誠実。
唐津でも呼子でないと言うなら、他の候補地をきちんと挙げなよ。
自説に都合が悪いところは目を瞑るのか。

考古学で反論出来なくなると、
畿内説には捏造とか叫び出す始末だし。
殆んどオカルト的反論。ユダヤの陰謀とか信じるタイプだろ、君は。
真面目に研究してる人たちに謝れ。


956 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 20:25:58
>>954

膨大な生物種のサンプルに基づく進化論の是非を保留に出来て、

たった、数ページの魏志倭人伝の記述を、すべて真実だと断定できるのは何故だ?ということだ。


957 :太国:2006/10/31(火) 20:28:32
余はすべて真実とは言った覚えはないぞ。それは他のスレ人だよ。
感違いするなよ。

958 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 20:33:10
>>957

ほとんど信じてる時点で、同じことだろ。


959 :太国:2006/10/31(火) 20:34:32
>>957
ニセ者王

960 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 20:35:13
>>955 >>942だけど
その文章は俺のレスではない


>倭人伝は伝聞

>>その根拠は何?
俺が読んだ限り、伝聞云々の事実はないが
どっかの著書の受け売りか?

961 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 20:35:58
>>946
「誤りを見い出すことが出来ない」の根拠は何?

人が書いた文章を無条件に信じる態度が、科学的かどうかの話だろ。
早く答えてくれよ。
お前は、自分に都合の悪いことを、先延ばしにする悪い癖があるな。

962 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 20:37:28
>>956
悪いが、あんたに古代史は向かない
生物板に移動してくれ

963 :太国:2006/10/31(火) 20:38:00
>>958
まぁ、それに近くなるのは誰でもやむを得ぬだろうが?
だって、これ一点のみの女王国の記述内容での論議だからな。
そこの間隙をあんたが余に突くならばだ、どんな論理も馬鹿げていても全部成立
してしまうぜ。w たとえば女王国が火星にあったとか、地底にあったとか、
ムーじゃぁないが海中に沈んだというのも肯定していかねばなるまいがね?w

964 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 20:40:15
考古学を知らない、倭人伝原理主義者しかいないのか、九州説は。
先輩方が嘆いているぞ。

965 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 20:40:29
本当に太国!コンビニやめたの?


966 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 20:40:43
>>961
一級史料に誤りを見出だす方に説明義務があり、それを正とする方にはその責は無いと思うが
言ってる事が逆だよ 『君』

967 :太国:2006/10/31(火) 20:43:39
>>964
だから考古学を持ち出さなくても、えらくおかしな点がなぜだかを考えれば
どちらにあったかは疑問が氷解してくるのさ。
王より飛車(考古学)を可愛がってては失敗に至ることが目に見えて来る。
この問題は飛車落ちで解決ができうるものなのさ。

968 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 20:43:43
>>963

>そこの間隙をあんたが余に突くならばだ、どんな論理も馬鹿げていても全部成立
>してしまうぜ。w たとえば女王国が火星にあったとか、地底にあったとか、

極端だな。

魏志倭人伝で、国政について読み取れる部分は、
「魏の時代に日本には邪馬台国というクニがあり、女王が治めていたらしい。」
これだけだ。

他の部分は筆記者の都合でいくらでも脚色できる部分だ。
あえて言えば、魏志倭人伝には、その程度の史料価値しか無いんだよ。

969 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 20:47:32
>>964
ここは邪馬台国スレであり、考古学板ではない。
その対象となる邪馬台国は、文献史料上の名称であり決して考古学から生まれた副産物ではないのだよ
文献の信憑性云々をいいだすのなら、
先ず『邪馬台国』の文字の存在価値云々を語る可きだろう。
それとも何か?
ここでも良いとこ取りか?

970 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 20:50:30
>>969

魏志倭人伝の文献としての価値をまず論ずるべきだね。

現在でもなお、「北九州」「宇佐」「西都原」と、九州説の中でも説が分かれている。
この事実を持って、邪馬台国の所在を探る上で、
魏志倭人伝の文献としての価値は低いということなんだよ。


971 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 20:53:41
>>968
ならば、なぜそこの「・・・」は脚色がされてないとわかるんだ?
そこも君の言い分ならば、それも脚色になりうるだろうがねぇ?
そうなると、どうだね? 倭人伝は全部ウソだと君は許容していること
になろうがね? 君は恣意的をふくみながら殆ど倭人伝はデタラメだと決
めこんでいるようなものさ。こうなると火星だ地底などいう奴と伝の記述は
は信用度が同程度だということになる。そんなことはないだろうが?
だからその程度の史料価値しかないという主張は言いすぎだ。君のは
倭人伝は高額でなく1円の価値しかないと聞こえるぞ。

972 :太国:2006/10/31(火) 20:54:22
>>971 太国です。

973 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 20:59:54
>>970
たんに、古代漢文を正しく解釈することが出来ないだけだろう。
問題無いと思うよ。
全ての原点は、誤った翻訳本を読む事から始まっているのだから
倭人伝は、日本人バージョンで書かれた史料ではなく、古代漢人が後世の漢人に宛てた伝承記録と
言うことを忘れているだけその誤りが
現在の翻訳本に、如実に現れているの

974 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 21:05:19
>>971
>ならば、なぜそこの「・・・」は脚色がされてないとわかるんだ?

魏が「金印」を贈ったという事実があるからな。
さすがに、公式文書に、国名や女王までデタラメは書けないと考えていい。

何か質問は?

975 :太国:2006/10/31(火) 21:09:21
>>974
公文書で出鱈目が書けないならば、間違い個所はあまり無いんでないの?

976 :九州ですが:2006/10/31(火) 21:09:53
当時の九州を今の地図と重ねてもおよその事しか解らない。
今現在の、県境も無い、町や郡の境も無い。壱岐から上陸したところに
マツラがあって、東南に行くと、イトがあった、というだけの話。
イトは現在の地名よりもっと内陸部にあったとすれば、間違いではない。


977 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 21:12:57
>>976
そう言う根拠の無いカキコを重ねるから、九州説が馬鹿にされるのだよ
きちんと理論的に説明出来ないのかね。

978 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 21:14:04
>>975

デタラメという言い方が悪ければ、
「場所が特定できない」「時期が特定できない」
ということだな。

979 :九州ですが:2006/10/31(火) 21:15:30
だったら当時のイト国とマツラ国の地図を正確に書いてみろ。

980 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 21:16:07
>>976
>東南に行くとイトが有った

>>そんな事何処にも書かれてないだろうに
簡単に出鱈目書かないでくれないか。

981 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 21:19:15
>>979
まるで子供の喧嘩の様な単純な反論だな。

982 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 21:19:34
要は何が言いたいかと言うと、考古学無視の妄想垂れ流しはやめろ、ということ。

倭人伝に合わせて、実際発見されている遺跡や地形などを無視するのは、噴飯もの。

983 :九州ですが:2006/10/31(火) 21:20:23
東南陸行五百里到伊都國官曰爾支副曰泄謨觚柄渠觚有千餘戸世有王皆統屬女王國
郡使往來常所駐

 和訳:陸に上がって東南の方に五百里ほど行くと伊都国に着く。官を爾支といい、

>>980でたらめと言った理由を書け。


984 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 21:22:31
キリスト教徒に聖書を、イスラム教徒にコーランを信用するな、
と言ってるようなもので、むなしくなってきた。
彼等、倭人伝原理主義者たちは、倭人伝には一字一句誤りがないと主張する
オカルト主義者。学問板には相応しくない。

985 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 21:23:25
>>983

伊都国は、イトとは読まない。

986 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 21:26:42
>>982

>考古学無視
>>馬鹿言わんでくれよ
誰が無視と言った?
無視する前に、考古学の見地は必要なく読み取れると言っているのだよ
古代の文化・生活様子を探る上では考古学を無視するなど考えられないが
こと、
邪馬台国問題では、二次的検証材料でいいのではと、言っている。
考古学は、大事な学問だよ『君』
当時の生活がリアルで見られるのだから

987 :九州ですが:2006/10/31(火) 21:26:53
>>982
現在発見されているだけが全てではない。
新しい発見で学説がかわることだってある。
何が妄想だ。何が考古学無視だ。どこがどう考古学無視なのか言ってみろ。

988 :太国:2006/10/31(火) 21:27:47
>>959
こやつが 迷惑かけるにせ犬王!

989 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 21:30:24
>>985
では何と読む

990 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 21:30:38
>>987

3世紀末に吉野ヶ里が衰退するのは何故?



991 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 21:32:37
>>986
でもアンタ、考古学的知識が圧倒的に欠けてるじゃないw

992 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 21:33:24
>>990

畿内王権が九州を制圧したから。


993 :太国:2006/10/31(火) 21:35:25
>>991
相手は飛車落ちで指せる者さ。大したものさ。君は飛車がないと指せないのか?
あまり史容疑が上手でないのかな?

994 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 21:36:17
>>991
考古学の知識が豊富なら、考古学板に行ってるよ

995 :九州ですが:2006/10/31(火) 21:37:02
>>984倭人伝を信じないで何を信用しろと?
一人一説というくらい色んな説があるのが邪馬台国論争だ。
自説を持つのは悪い事ではない。どうやら誤解があるようだ。
今自分としては、倭人伝を忠実に検証しようとしているところだから。

996 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 21:38:20
古代には緻密な測量技術や製図の技術は無かった。
九州の地図は江戸時代に入ってもまだ傾いていた。

997 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 21:43:02
>>995
>一人一説というくらい色んな説があるのが邪馬台国論争だ。

みんな、他人の言う事を聞かないからだ。

998 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 21:44:36
>>997
それが九州説の真理だな。

999 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 21:46:48
999

1000 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 21:47:25
邪馬台国畿内説を議論するスレ7
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1162298533/

1001 :1001:Over 1000 Thread
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。

421 KB
★スマホ版★ 掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50

read.cgi ver 05.02.02 2014/06/23 Mango Mangüé ★
FOX ★ DSO(Dynamic Shared Object)