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【シルクロード】日本人と謎の秦氏?【始皇帝】

1 :秦氏末裔:2006/09/05(火) 23:15:21
全国の秦氏末裔よ、なにかとネタにされる秦氏だが、逆襲といこう。
秦人(騎馬遊牧北方系)は、西域〜中国西北部の土木・水利技術 集団?
秦造系氏族は始皇帝15世弓月王が率いる古代最大の大規模移民団?
吉備瀬戸の秦王国が応神大王と同盟して大和朝廷連合、大規模古墳時代が到来?
赤穂山城の秦氏太秦(族長)河勝が聖徳太子顧問として、17条憲法など律令税収にトライ?
正倉院、宮内庁雅楽に残るペルシャトルコ中東由来文化は、景教徒説秦氏の力技?

2 :日本@名無史さん:2006/09/05(火) 23:23:09

新羅説など、くそスレが多いなか、期待できる良スレになってほしいね
謎の4世紀とか、宇佐八幡なども秦氏がらみで解明できないか?

3 :日本@名無史さん:2006/09/05(火) 23:33:04
漢字を普及させ、灰陶(須恵器)を伝えているところからも、
楽浪・帯方を滅ぼされ朝鮮半島に残された斜陽華北人の末裔だよ。

彼らが百済や中国大陸との架け橋になっていたんだろう。

4 :日本@名無史さん:2006/09/05(火) 23:47:35
>>意味としては、下記と同じですか? 何年頃の渡来でしょうか?
 応神大王がわざわざ百済に軍団を派兵して新羅と交戦してまで援護した
ということは、同族でしょうか? つまり、天皇家は、、、、
 
504 名前:日本@名無史さん :2006/09/05(火) 22:59:16
秦始皇帝一族は、もと辰王国(三韓ハン、ハーンは王の意味モンゴルは汗)の創設者
のち追われて辰韓=新羅に移住しかし北方からの沃祖ワイ狛系の民族、中国流移民
に侵入され弁韓に逃れる。そこで倭国に応援を求め一時期復帰したが、権力闘争に
破れ結局九州に移住する事になった、かなり新羅人の妨害が有った(日本書紀の記事)
17県の民およそ10万人位移住したらしい。




5 :日本@名無史さん:2006/09/06(水) 00:05:06
313年、楽浪・帯方を滅ぼされ朝鮮半島に残され途方に暮れていた
斜陽華北人。

そこに仲哀天皇がラブコールを送った。

仲哀8年(356年)、皇帝14世の孫、功満王が漢土の兵乱を避け、
日本朝の純朴なる国風を尊信し始めて来朝しこの地に勧請す。

后(のち)の代に至り、功満王の子弓月王、応神天皇14(372)年、
百済より127県(あがた)の民衆一万八千六百七十余人統率して帰化し、
金銀玉はく等の宝物を献上す。

という事だそうだ。

6 :日本@名無史さん:2006/09/06(水) 00:13:23
来朝した年号はまだ信用できるが、漢土の兵乱を避けとか、
一万八千六百七十余人統率して帰化というのはどうもウソくさい。

楽浪・帯方を滅ぼされ途方に暮れていたところを127の村に声をかけて
数百人ほどで来朝したというところだろうね。

7 :日本@名無史さん:2006/09/06(水) 00:27:20
本スレ

http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1131991701/l50

8 :日本@名無史さん:2006/09/06(水) 00:29:59
しかし、秦氏弓月王一団が来朝するまでに2年以上かかり、軍団派遣
までして邪魔する新羅をけん制するとは、ただごとでない。
数百名の難民亡命にそこまでするか?

後に天智天皇の時代に、白村江の会戦に、秦氏は吉備のニマ(吉備真備生誕地)
に国内から2万人!の将兵を結集し、秦水軍をつくり派兵している。
一夜で敗北した後に、多くが中国まで捕縛されるが、後に2000名ほどが吉備にも
帰郷してる。そのときに唐から進駐軍が福岡まで来たらしい。
そういうのをみると、秦氏渡来は、単純な難民亡命じゃないだろう。

9 :日本@名無史さん:2006/09/06(水) 00:34:55
くそスレから渡来させておこう

493 :日本@名無史さん :2006/09/05(火) 04:53:45
なんだかスレタイがひどいので、書きたくないが、中央の学会が知らない事実
一応だしとく。東大京大の学閥対立の中で無視されてきた吉備に注目。
日本で最初の「ハダ(秦)」は、日本書紀他にみえる。応神天皇が后(吉備)を
追って吉備国まできて、ハダ(総社市秦村)の地に逗留し、ミトモ別(妃の兄)の接待に預かり
吉備の地を与えるという話。2世紀最大の墳墓は吉備のタテツキ。それが大和の
マキムクに引き継がれ(邪馬台国首都論争で有名)4世紀当時最大の造山古墳
(非天皇陵では国内最大、墳墓全体でも4位)は吉備の王稜。河内にいたとされる
応神、仁徳から急速に古墳が巨大化するが、この土木技術は、他の堤工事実績から
秦氏以外には候補はいない。各種資料から当時の「ハダの支配地=吉備」なので、
少なくとも380年当時、応神の時代には、書記でかかれたように弓月王の渡来を
応神が兵を出して助力したのは史実だろう。秦氏京都移住は後年の話。


10 :日本@名無史さん:2006/09/06(水) 00:40:10
ある意味、秦氏研究が政治的にやりにくいのはわかる。

494 :日本@名無史さん :2006/09/05(火) 05:14:14
で「ハダ(秦)=吉備」は、隋書倭人伝の「秦王国」セイハイレポート
とも符合する。吉備には紀元8年頃の新時代の王蒙の貸せんも大量にで
でるし、邪馬台国時代の朱(水銀)も大量使用の痕跡が発掘されている。
つまり、かなり昔から、楽ロウや呉からの交易移民華僑のコロニーがあったのかもしれない。
ちなみに、聖徳太子の顧問だった京都の秦河勝とハダ桃太郎は、共通の河から流れてきた卵誕生伝説。



11 :日本@名無史さん:2006/09/06(水) 00:42:31
こういうのがほしかった、もっとほしい

487 :日本@名無史さん :2006/09/03(日) 04:38:30
秦氏の秦王朝末裔説を疑う見解も多いが、『正倉院文書』の西南角領解には、河内国丹比
黒山郷を本貫とする秦羸(エイ)姓田主などという人名が見えており、秦羸(エイ)姓は
本来の秦羸(エイ)姓をよく伝えていることからみて、秦始皇の末裔説はともかく、広い
意味で秦王族(『姓氏詞典』には、子嬰滅びて支庶、秦を以て氏となすと見える)あるいは
秦氏族の末裔という所伝は、一応信頼してよいのではなかろうか。なお、中国の秦氏には、
姫姓の魯公族で河南省の秦を食采としたものもあった。始皇帝の姓名は(羸政)である。


12 :日本@名無史さん:2006/09/06(水) 00:47:21
あのなあ、百済・高句麗滅亡時の時だって一度で
数百人規模だぜ。

18000人もやって来て、どうやって面倒見るのさw

現代でも大変なのに、古墳期にそんなあても無い人たちに
どう食わせていくのさ。

現代の人口で換算すると80万人の難民が押し寄せた事になるんだよ。

そんな生産性どこにあるんだよ。

13 :日本@名無史さん:2006/09/06(水) 00:48:27
確かに記紀では「ハダ・波陀」だね。戦前の佐伯博士はアラム語のイエフダ説
「太秦・イシュマサ(イエス伝説)説」とか、景教徒説もあるよね


488 :日本@名無史さん :2006/09/03(日) 04:39:29
彼らはペルシャ人やヘブライ人をも含んでいた中国西域の多人種混合の遊牧系民、始皇帝
の臣民であった。秦の「はた」は、漢借で「波多」、または「波陀」で、意味として旗のほ
かに着物の生地のことをさしていると言われている。
インド系の語彙で、タミル語の Pat−am(布地、旗、タコ)が「はた」と変化した。
(PがHに変化する)。(小野 晋 日本語とタミル語対応表から)
秦氏らは布地の代名詞として「はた」と呼ばれるようになったのだろう。「秦」が「はた」
と読まれるようになった理由に、「はた」が「はたおり」の「はた」からきているという説
は、やはり本当であった。タミル語の祖語であるシュメール語では「カダ」(綿織物)であ
る。シュメール語→タミル語→日本語に単語が流れこんでいることを感じ取ることができ
る。やはり織物業がすべて元になっている。明快単純にいえば、江南渡海系ハタ族は幡、
西域系ハタ族は秦と区別できる。
http://home10.highway.ne.jp/ikko/Japanese/3_J.html


14 :日本@名無史さん:2006/09/06(水) 01:00:47
>>12
8、9世紀の木管発掘の人名の多くが、秦氏名というのを知ってる?
福岡在住の住民(奴隷でなく市民という意味ね)の8割が秦氏説。
初期納税者の大半が秦氏。ていうか、欽明天皇時代の大蔵官僚は秦氏で
彼らが模範となり律令制度と天皇直轄領地を全国に広げていった。
軍事は在地豪族がもつが、経済殖産は秦氏が優位。
つまり、もともと華僑系コロニーが主要地にあり、そこを拠点に倭人と秦氏が日本を
開拓していったとみたほうが自然では。

15 :日本@名無史さん:2006/09/06(水) 01:16:01
河内のまんたの堤だっけ?吉備秦にも高梁川のたたら堤があるが、吉備平野の
水利開拓という土木工事や田園開発を行ったのは、秦氏。彼らが天文機関でもあった
タテツキ遺跡で暦を導入し、水の管理と農場開拓指導をしたから経済市場が登場し
中国産の貨幣なども使用するようになった。
秦氏が渡来してきて文字が普及し、計画生産が向上した。
墳墓が巨大化し、船舶交易、養蚕導入で「豪族間の戦争経済」から公共投資経済に
転換し、経済成長、人口増加が開始したのでは?
12は、本末転倒、むしろ、秦氏は古代日本のメリーフラワー号じゃないのか?

16 :日本@名無史さん:2006/09/06(水) 02:05:42
これも渡来させよう、東胡説か。
吉備や河内、会津にある月氏、突厥風の足がにょきにょきでてる「亀甲墓石」?
あれなんかトルコ系遊牧民だね。月、亀は重要な神話キーワードだな。
秦氏の松尾神社、渡月橋、弓月、応神天皇と宇佐八幡

25 :日本@名無史さん :2005/12/11(日) 04:44:48
秦氏八幡の最初の上陸地大分宇佐地方にはキョウドそっくりの
遺跡がある、彼らはおそらくシルクロードの民。
東胡と呼ばれた人たちであろう。

物部のゆかりの地出雲には四隅墓がある、これは高句麗満州の
遺跡である。つまり満州人



17 :日本@名無史さん:2006/09/06(水) 02:16:30
こういう旧来のサヨ系アカデミズムの見解をみると、意図的に4,5世紀の渡来
と8世紀ころの渡来を混同させて「秦氏=半島人」というイメージを定着
させようとしている風にみえる。あるいは単なる研究不足?

第34回朝鮮文化をたずねる会 秦氏の遺跡めぐりツアー
平安京創生1200年と秦氏
京都大学名誉教授   上 田 正 昭
http://www5d.biglobe.ne.jp/~tosikenn/trip9494.html




18 :日本@名無史さん:2006/09/06(水) 08:14:47
>>9-11
久々に良レスのコピーを目にしたよ。

>>17
秦王国を「朝鮮人王国」(「その人華夏に同じ云々」ていうやつ)だと
主張する本もあってワロタ。
秦王国=朝鮮人王国を主張する奴の根拠は「当時の朝鮮半島の文化は非常に
先進的で、中国本土の人間も“華夏と同じ”と判断した」という禿笑なもの。

19 :日本@名無史さん:2006/09/06(水) 09:49:37
>つまり、かなり昔から、楽ロウや呉からの交易移民華僑のコロニーがあった
>つまり、もともと華僑系コロニーが主要地にあり、


んなもんあるわけないだろ。短絡思考のあほ。

あれば、かなり昔から日本に灰陶(須恵器)が伝わり、
漢字も普及しているだろ(嘲笑)

20 :日本@名無史さん:2006/09/06(水) 13:59:26
秦氏って秦始皇帝の末裔なの?

21 :日本@名無史さん:2006/09/06(水) 14:12:56
秦氏末裔と言っても、実際には
羸(エイ)姓の血が流れているわけではなく、
呂不韋の子孫だろ。
始皇帝は呂不韋の実子。

22 :日本@名無史さん:2006/09/06(水) 15:41:51
>>19
じゃあいいよ、、、中国人がやって来たのは4世紀で。
古墳時代になると、公用語が漢文になるからな。

23 :日本@名無史さん:2006/09/06(水) 16:50:35
>>21 (Wiki 秦始皇帝より)
出生
政の父、子楚(後の荘襄王)は趙の人質となっていたが、大商人呂不韋の力を
借りて帰国し、秦の王になることができた。このときに子楚が呂不韋の愛人を
もらい受け、この愛人が政の生母となる。しかしその愛人は、子楚に渡された
ときにはすでに身ごもっていたと言われる。つまり始皇帝の父親は子楚ではなく
呂不韋であるということになる。この話は当時かなり広く流布していた話らしく
『史記』では呂不韋列伝に事実として書かれているが、秦始皇本紀には書かれて
いない。司馬遷は両論併記の形をとったのであろう。『漢書』では呂政と書いて
はっきり始皇帝は秦の王室の血ではないと言い切っているが、これは秦王朝の
正統性を否定するためという意味合いが強い。
ここに、同時代の春申君に同様の話があることなどから、事実ではないとする
歴史家もある。また、子楚が後見人である呂不韋の愛人に手を出して懐妊させ
てしまったために、呂不韋がやむを得ず愛人を子楚に差し出したのではと見る
歴史家もある。どちらにせよこの話が広く流布した背景には、始皇帝によって
滅ぼされた六国の遺民たちの恨みがあると言えるだろう。風説の流布だな



24 :月光仮面:2006/09/06(水) 17:16:19
松尾大社は鳴箭を使用する神、マツオ(冒頓王、つまり冒頓単于)を祀り、
その石庭は匈奴の遺跡のものと同様なのだから、この場合の秦氏は
明確に匈奴と見なくてはおかしい。秦氏の遺跡の中で匈奴のものを除いた
純中国的なものはほとんどないのではなかろうか。あれば教えてほしい。

25 :日本@名無史さん:2006/09/06(水) 18:15:29
糞スレ

26 :日本@名無史さん:2006/09/06(水) 18:17:02
出生
政の父、子楚(後の荘襄王)は趙の人質となっていたが、大商人呂不韋の力を
借りて帰国し、秦の王になることができた。このときに子楚が呂不韋の愛人を
もらい受け、この愛人が政の生母となる。しかしその愛人は、子楚に渡された
ときにはすでに身ごもっていたと言われる。つまり始皇帝の父親は子楚ではなく
呂不韋であるということになる。この話は当時かなり広く流布していた話らしく
『史記』では呂不韋列伝に事実として書かれているが、秦始皇本紀には書かれて
いない。司馬遷は両論併記の形をとったのであろう。『漢書』では呂政と書いて
はっきり始皇帝は秦の王室の血ではないと言い切っているが、これは秦王朝の
正統性を否定するためという意味合いが強い。
ここに、同時代の春申君に同様の話があることなどから、事実ではないとする
歴史家もある。また、子楚が後見人である呂不韋の愛人に手を出して懐妊させ
てしまったために、呂不韋がやむを得ず愛人を子楚に差し出したのではと見る
歴史家もある。どちらにせよこの話が広く流布した背景には、始皇帝によって
滅ぼされた六国の遺民たちの恨みがあると言えるだろう。風説の流布だな




24 :月光仮面 :2006/09/06(水) 17:16:19
松尾大社は鳴箭を使用する神、マツオ(冒頓王、つまり冒頓単于)を祀り、
その石庭は匈奴の遺跡のものと同様なのだから、この場合の秦氏は
明確に匈奴と見なくてはおかしい。秦氏の遺跡の中で匈奴のものを除いた
純中国的なものはほとんどないのではなかろうか。あれば教えてほしい。


25 :日本@名無史さん :2006/09/06(水) 18:15:29
糞スレ




27 :日本@名無史さん:2006/09/06(水) 20:19:02
>> 10
吉備には紀元8年頃の新時代の王蒙の貸せんも大量にで
でるし

これは王蒙の時代に、倭人や秦氏が吉備にいて、交易があったということ?
それとも、過去の貨幣を4世紀頃に活用していたということ?

あと、国内4位の造山古墳はでかすぎ。なぜ天皇陵指定されていないのか?
大和朝廷が吉備にまたがってると困るからか、でも当時国内最大なら、そこに
王権があったと考えるのが普通。考古学はどういう学問なのか?
学閥カルトか? 邪馬台国論争で40年間、空気を掘り出す東大も京大も、税金泥棒じゃね?


28 :日本@名無史さん:2006/09/06(水) 20:41:59
>>21
だから血は同じ血が流れてるという事か!?

29 :日本@名無史さん:2006/09/06(水) 21:11:05
秦一族はシルクロード沿いの、商社マンの様な気がするな古墳からは
ペルシャ、西域人みたいな風貌の人物埴輪が、全国から出るしヤマトは
以外と国際都市、国家かもな何が商品か分からんが、宗教にしても
シルクロード沿いで流行ってた太陽神ミトラ、ミトラス教が神道に
かなり影響してる。秦氏は間違いなく信者だなユダヤ系が色濃いが
弥勒教は佛教系、太陽神=天照=アマテラス=あミトラス 何だか匂う
言語でも、チャランポラン、ニクラシー、シオタラン意味は日本と一緒
前方後円墳の形何かしってる?


30 :声を大にしてもっと言ってくれ!:2006/09/06(水) 22:10:27
>>27
>学閥カルトか? 邪馬台国論争で40年間、空気を掘り出す東大も京大も、税金泥棒じゃね?


31 :ついでにこういうオタンチンも潰してくれ!:2006/09/06(水) 22:14:29
>>18
第34回朝鮮文化をたずねる会 秦氏の遺跡めぐりツアー
平安京創生1200年と秦氏
京都大学名誉教授   上 田 正 昭
http://www5d.biglobe.ne.jp/~tosikenn/trip9494.html

>>17
秦王国を「朝鮮人王国」(「その人華夏に同じ云々」ていうやつ)だと
主張する本もあってワロタ。
秦王国=朝鮮人王国を主張する奴の根拠は「当時の朝鮮半島の文化は非常に
先進的で、中国本土の人間も“華夏と同じ”と判断した」という禿笑なもの。


以上です。

32 :日本@名無史さん:2006/09/06(水) 22:19:44
>>26
>『漢書』では呂政と書いて
はっきり始皇帝は秦の王室の血ではないと言い切っているが、これは秦王朝の
正統性を否定するためという意味合いが強い。

これに関しては、ちょっとしたダビンチ・コードだね。


33 :日本@名無史さん:2006/09/06(水) 23:04:48
そりゃ秦王朝に敵対し倒したのは、漢王朝を起こした劉邦なんだから
「漢書」で、こきおろすのは当然だろうな。

34 :日本@名無史さん:2006/09/07(木) 01:19:44
司馬遼太郎 「項羽と劉邦」

35 :日本@名無史さん:2006/09/07(木) 01:35:50
政が呂姓であるか、嬴姓であるかということと、
彼の中華王朝としての正統性とは関係ない。


36 :日本@名無史さん:2006/09/07(木) 02:01:17
まあ始皇帝の血が中東からきていたほうが、ミステリーロマンとしては
沸くな。
それより、司馬遷は当時、日本に渡航したといわれる徐福の友人らに会って
インタビューとかしていたらしい。中国では直系子孫の徐福村が認知されたり
史実とされてるみたいだけど、それって将来、「日本も中華の領土」にするため?

37 :日本@名無史さん:2006/09/07(木) 02:07:59
>>29
 西域人みたいな風貌の人物埴輪

それ、ユダヤのもみ上げ垂らし髭のこと?なんていったけ? かづら?
確かに埴輪にはその髭がついていて、変なとんがり帽子ともども気になっていた

あと、伊勢神宮の神官の袖の先から垂れてる糸と、ユダヤ神官の糸(トートチ)は
まったく同一のものなんだってね。神道のお払い、穢れ思想は根が同じだろうな。

38 :日本@名無史さん:2006/09/07(木) 02:12:36
前方後円墳=マナのつぼ疑惑
ちゃんと、「とって」もついてるのが可笑しい

特殊機器埴輪の波帯模様も中東遊牧民系のデザインと同じにみえる

39 :日本@名無史さん:2006/09/07(木) 02:19:02
ユダヤ髭「みずら」じゃねえ?

太陽神ミトラか。じゃあ牛頭とかは大地神インド系?
秦河勝広隆寺の牛祀りも謎だが、あれは牛頭のカーニバル伝承ですかね?

40 :日本@名無史さん:2006/09/07(木) 04:49:47
>>36
>中国では直系子孫の徐福村が認知されたり
史実とされてるみたいだけど、それって将来、「日本も中華の領土」にするため?

“現在の”中国人は、概ね反日一辺倒だから没問題。徐福に心を砕いている余裕はゼロ。
むしろ、一昔前の「阿倍仲麻呂」や「空海」のような扱いだと思うが。
あまりに国民感情が冷えすぎための苦肉の策(別名苦し紛れ)ではないかと。

41 :日本@名無史さん:2006/09/07(木) 08:34:06
>>33
漢書は漢の時代の作ではないが。

42 :日本@名無史さん:2006/09/07(木) 10:49:13
秦氏は鳥人間!

中国古代の秦王朝が卵生説話をもち、鳥トーテムをもつ部族であったらしいことは、中国神話の研究家白川静氏が
指摘するところである。秦の卵生説話は『史記』の秦本紀に見え、その祖女脩が機織りをしていたとき、玄鳥(黒い鳥。
一説に燕とされるが、それに限らないと思われる)が落とした卵を呑み、子の大業を生んだという。大業の子の大廉は
鳥俗氏の祖であり、その玄孫の中衍は身体が鳥で人語をよくしたと記される。
また、『山海経』の海内経には、贏民という鳥の足をした民族もいたと記すことにも注目される。鳥祖卵生説話をもつ
秦の姓が氏で、が贏に通じることは、本稿のはじめに記したところである。
わが国の秦氏についても、鳥にまつわる伝承が『山城国風土記』逸文に見える。同逸文によると、二つの伝承があげられる。
まず、『神名帳頭註』による「伊奈利社」についてであり、イナリというのは、秦中家忌寸等の遠祖・伊侶具の秦公は
稲・粟などの穀物を積んで富裕であったが、餅を用いて的とし弓を射たところ、餅は白い鳥となって飛び翔け、
山の峰にとまり、化して稲が生いたので、遂に社名とした。その子孫の代になって、先祖の過ちを悔いて、
社の木を引き抜いて家に植えて、これを祈り祭った。いまその木を植えて蘇きづけば福が授かり、枯れれば福がない、という。 

43 :日本@名無史さん:2006/09/07(木) 10:53:41
次に、『河海抄』にあげる「鳥部里」についてで、鳥部というのは、秦公伊呂具が的とした
餅が鳥となって飛び去った、その森を鳥部というと記される。
ともに、秦公伊呂具に関する伝承で、当時の秦氏の富裕さがうかがわれる。この伊呂具は
山城国深草里の人で、和銅ころに活躍したとされる。伊呂具は、欽明朝に大蔵省を拝命
した大津父の玄孫で、その後裔は伏見の稲荷大社の祠官家(大西・松本・森・鳥居南など
の諸家がある)として近世に至ったものである。
餅の的を射たところ白い鳥と化して飛び去ったという伝承は、豊後国にもある
(『豊後国風土記』速見郡の田野条。「塵袋」所収の逸文によると、大分郡の人が玖珠郡
に来住して、そこでの話とする)。こちらのほうは、具体的な人名を記さないが、
豊前・豊後には秦氏系統ではないかとみられる人々が多いので、これらにつながる
伝承なのかもしれない。この話は単純に奢りをいましめるものであるが、稲の精霊が
霊性があるといわれる白鳥に化したということで、鳥トーテムをもつ部族に伝えられた
ものではなかろうか。鳥部里は、『和名抄』では愛宕郡鳥戸郷とあげられ、
現在の京都市東山区の地域内となっている。その遺称地としては、清水寺の西南の
鳥辺山・鳥辺野がある。この地名の由来としては、吉田東伍博士のように、捕鳥または
鳥飼の部民の居住地とされるが、鳥戸郷は深草郷の二、三キロほど北にすぎず、
秦氏の一族も居住していたとみられる。確実なところでは、鳥部郷の粟田朝臣弓張の
戸口の秦三田次が史料に見える(天平十五年正月七日付「優婆塞貢進解」)。

44 :日本@名無史さん:2006/09/07(木) 10:59:00
大陸を遠く離れて、しかも秦始皇の時代から千年ほども隔ててなお、わが国の秦氏が
鳥トーテムの名残を伝えているとみたら、始皇帝の後裔という出自を全くの仮冒として
否定することは、できないのではなかろうか。秦王朝は中国の西疆たる陜西省の地に
興起したが、鳥トーテムをもつ東夷の一派が西遷したものとみられている。
秦と同じ姓や同族の偃姓の諸国が春秋時代に山東からその南方にかけて展開したという
事情も、その辺の傍証となろう。東夷はツングースとも同系統の種族とみられるから、
これらの同種族が朝鮮半島を南下して日本列島に渡来したことは十分に考えうる。
 

45 :日本@名無史さん:2006/09/07(木) 11:12:31
古代の朝鮮関係で秦姓の人が活躍した例もある。『魏略』には、戦国七雄の
一の燕が東北方への侵略を行い、秦開という将軍を派遣して箕子の後の朝鮮侯
を討伐し二千里の地を奪ったと記される。その時期は燕の全盛時代の昭王
(前311〜前279在位)のときとみられる。秦開という人物は『史記』匈奴伝にも
見え、燕の賢相・秦開はかって人質として東胡にあり、厚い信を得たが、帰国
してから東胡を破り千余里を得、その地に燕は五郡を置き長城を築いて胡人を
防いだとある。この五郡のうち、最も奥地の遼東郡は郡治が襄平(いまの遼陽)
とされるから、『魏略』と『史記』匈奴伝は同じことを記したものであろう。
秦開の系譜は不明であるが、遠くは秦王室と同族であったことも考えられ、
秦開の族裔がこの討伐以降、朝鮮半島に遷住したのではなかろうか。あるいは、
秦韓王家はこの秦開同族の流れだったのかもしれない。 

46 :日本@名無史さん:2006/09/07(木) 11:18:17
わが国の秦氏は秦始皇の後という所伝・系譜をもつが、その歴代系譜には世代数が少ないなど
問題点もいくつかあり、実際に秦始皇の近親一族の後とするのは疑問か。おそらく、遥か遠い
祖先が秦始皇と同じ氏族(部族)であっても、華北沿岸部にあったものの流れか。
秦韓王家が秦王室と同族であったとしても、遥かに早い時期に分岐した支族ではなかったろうか、
と考えられる。
(以下より一部コピペ失礼)
http://shushen.hp.infoseek.co.jp/kodaisi/hatareisei/hata1.htm
鳥トーテムをもつ秦王室とその族裔たち
                    宝賀 寿男

47 :日本@名無史さん:2006/09/07(木) 11:37:53
秦氏の族的な性格に新羅的要素が強いという判断があり、ハタやウヅマサの名義から、慶尚北道の北部、
蔚珍郡海曲県の古名「波旦」の地の起源とし、この地が辰韓12国の一つ優由国とみられ、辰韓(秦韓)
の名に因んで、氏族名を「秦」で表したとみることができるという立場がかなり多い(鮎貝房之進、
山尾幸久氏などの説)。これに、『魏志』韓伝以降の中国史書に見える辰韓人を秦の亡人とする説を
根拠とし、倭漢氏の所伝への対抗関係から、出自を秦の始皇帝まで架上したものと考えられている。
ハタの名の起源についての前掲の地名説は、いかにもコジツケ的であり、大和岩雄氏は、伽耶の
「秦の民」を遠く離れた地域のウヅマサ氏が何故統括したのかという説明が必要と批判する。
辰韓人を秦の亡人とする韓伝の所伝もありえよう。しかし、秦氏が倭漢氏に対抗して出自を架上した
という説はいかにも憶測的で、何ら具体的な根拠がない。倭漢氏が秦氏に先立って漢を称したということの証明もなしえない。

48 :日本@名無史さん:2006/09/07(木) 12:23:43
>>44
東夷はツングースとも同系統の種族とみられるから、
これらの同種族が朝鮮半島を南下して日本列島に渡来したことは十分に考えうる。


ツングースっていうのが何か、っていうのは実はよくわからん。
日本語も朝鮮語もツングース系の言葉なのかどうかも解らん。
エベンキがツングースを代表するという話は聞く。
ロシア語で「ツングース」は即ち「エベンキ」を意味している。
東夷というのは、広く中国中部までも指していたと思うが。
その場合は、東夷=ツングースではない。念のため。
強いえて言えば、東夷とは「東の野蛮人」程度の意味か?

なお、北方の遊牧騎馬民族はしばしば「北狄」として認識された。
無理やりツングースとするなら、たぶん「東胡」の字を当てるが適当。

49 :日本@名無史さん:2006/09/07(木) 14:59:06
東大=九州説、京大=大和説の狭間にあるので、吉備瀬戸内王権は
本格調査とかされにくいが、吉備秦氏の聖なる山といわれる実家隣接の
正木山(山自体が墳墓か?)は、平安朝後期以降の宮中歌始の会で、
鎌倉期に何度か歌人に題材にされてきた。新古今和歌集の藤原氏歌人とかに。

なぜ吉備の小さな山が? 
いろいろ秘密を知っていそうな地元生誕のマジシャン吉備真備とかにだまされたか?
ピコ〜ん、そうか! 桃太郎の財宝か!!


50 :日本@名無史さん:2006/09/07(木) 15:17:11
秦氏は、北方の遊牧騎馬民族で「ツングース」「エベンキ」「北狄」「東胡」か?
チュルク系の鮮卑、突厥、昔の匈奴、月氏は?

秦河勝が太子を通して「日出国の書」を隋の煬帝にだしたのは、同じ
同族で対抗意識が強かったから、この機に対等同盟しちゃえ、ていうことでしょう。
小野妹子は近江の渡来系だから、交易を通じて半島大陸ロビーも機能した。
秦氏=新羅、太子=高句麗、蘇我=百済ロビー利権 ようはビジネスだな

51 :日本@名無史さん:2006/09/07(木) 18:53:41
秦氏に関しては卑弥呼と並んで
一向に進まない今の日本国のルーツや成り立ちを解明しようとすれば
絶対に避けて通れない重要な古代史のはずなのに、
歴史学者もメディアも大々的に扱うことに抵抗を持っている気がしてならない。
むしろそこの部分はあからさまにならないようにすら感じる。
今でもかなりお偉い方でも平気で皇紀2600年とか言うしなあ
そりゃアンタッチャブルになるわなぁ
ここら辺が古代ローマや中国文明に遙か劣るとこかなあ
しかもそれに比べれば近代なのに

52 :日本@名無史さん:2006/09/07(木) 19:39:13
亡命してきた秦人が、土着辰韓人の言語とは異なることの一端を説明している。
また、辰韓の中において、秦人は城柵を作っていたという意味は、 つまり、
一族はかならず楼のなかで身を寄せあって暮らしていたということだ。
秦人は、城郭をつくりその中で集団生活をする慣習をもっていた。このことは、
あたかもユダヤ人のがヨーロッパにおいてゲットーのなかで暮した習慣に似て
いる。秦人は結束力が強く、他国に移住しても城柵をめぐらして、土着の民と
たやすく混血してゆくこともなく、土着文化に容易に溶けこまなかった集団
だったといえよう。

53 :日本@名無史さん:2006/09/07(木) 19:41:39
○秦人がつくる城柵は円形だった

 現代中国の広東省(かんとんしょう)と福建省(ふっけんしょう)、
江西省との狭間に1500メートル級の山脈がある。山間部に円楼
(えんろう)と呼ばれる円形の城郭(木造)を作って集団生活をして
いるのが客家と呼ばれる人々である。彼ら客家も始皇帝の末裔とされ、
北方から来てここに定住した。(*注)彼らは中国古代音を残す客家
方言を話す。数字の読み方は、日本と一番近く、いっ、にー、さむ、
しー、うん、るっ、ちっ、ぱっ、きぃぅーと読み上げ、中国のいー、
あーる、さん、すー、うーとは言わない。客家の意味は外来の客、
ゲストという意味で、その名前からして転移住者であった。彼らは
集団自衛生活が特徴であり、五家族をもって連帯責任を課している。
一人の違反者がでると、全員が処罰される。

54 :日本@名無史さん:2006/09/07(木) 19:58:50
古墳に大量の身の回り品の埴輪を埋葬する文化(数百単位の)
秦の始皇帝陵の兵馬傭の考え方と一緒だな(技術力には差があるが)
これは関係者じゃ無いと、記憶して無いだろう
他の民族では余り聞かない文化だと思うが、少量の土器の埋納は有るが。

55 :日本@名無史さん:2006/09/07(木) 22:25:41
>>50
>秦河勝が太子を通して「日出国の書」を隋の煬帝にだしたのは、同じ
>同族で対抗意識が強かったから、この機に対等同盟しちゃえ、ていうことでしょう。

秦河勝のような有能な人物が参謀でありながら、 なぜあのようなトンマな
国書を提出する必要があったのか、俺もずっと考えていた。
聖徳太子が実在し、国書を提出したとしたら、それぐらいしか思い当たる節は
ないんだよな〜〜実際のところ。河勝は、一応バカではないんだからよ。

56 :日本@名無史さん:2006/09/07(木) 22:28:07
>>54
>秦の始皇帝陵の兵馬傭の考え方と一緒だな(技術力には差があるが)
>これは関係者じゃ無いと、記憶して無いだろう

問題は、その“技術力”に開きがありすぎること。
圧倒的多数を占める現地の人間を指導してやらせたとしたら、あんな
もんか?

57 :日本@名無史さん:2006/09/07(木) 22:35:27
>>47
>しかし、秦氏が倭漢氏に対抗して出自を架上した
という説はいかにも憶測的で、何ら具体的な根拠がない。
倭漢氏が秦氏に先立って漢を称したということの証明もなしえない。


現実には、これが定説になっちゃってるんだよな…
根拠がただの推測(別名妄想)だから恐れ入るんだ。

58 :日本@名無史さん:2006/09/07(木) 22:43:57
579 :白馬青牛 :2006/09/07(木) 21:57:47
>>560
忘れとった。秦氏や漢氏、文氏等が、中国系(漢人)と決め付け難いよ。
ツングース系のハラ(xala、腹)氏族制を持っとるし。
>>573
属国人の身分や女真の末裔じゃ云う以前に、>>553のサイトの表1に、
あるよう、江南派に近いのは中橋氏だけじゃ。池田氏の弥生人の初期
渡来人は華北人に近く、弥生後期〜古墳期にかけて、満洲、朝鮮北部の
東北アジア人が渡来することになる。という考え方が妥当じゃろう。
我々、本土日本人、特に西日本人は、東北アジア人が主流民族で、
倭人や縄文人的要素も少し含むのであって、倭人の直接の子孫では無い。


59 :日本@名無史さん:2006/09/08(金) 01:56:59
>>56
そりゃ焼きの技術力と造形の技術力、芸術力は別物だから許してよ
今まで土師器しか作って無かった、職人達なんだから
これは同じ墓制と言う所に意味があるよ、子孫か関係者じゃ無いと
わからないよ今みたいに観光で、見ることなんてないんだから。

60 :日本@名無史さん:2006/09/08(金) 12:32:22
>>58
>秦氏や漢氏、文氏等が、中国系(漢人)と決め付け難いよ。
ツングース系のハラ(xala、腹)氏族制を持っとるし。

「腹氏族制」でぐぐってもマトモなものが殆どヒットしないし、中国語の
文献ばっか大量にヒットするんですけど。

61 :月光仮面:2006/09/08(金) 13:35:11
>>24
冒頓単于を軍神、守り神とし松尾大社を築いたものの、大避・大酒神社が
ロカラ・サカ族の戦闘部門を担当するサカ族自身のもので、(この鬼瓦は軍事組織である
ことを示し、
http://www.asahi-net.or.jp/~bh3h-smjy/rekisi/photo/20020103/photo004.jpg
この百度石は匈奴遺跡ヘレクスルの鹿柱の機能を果たす、これは善光寺回向柱も
同様。)
http://www.asahi-net.or.jp/~bh3h-smjy/rekisi/photo/20020103/photo005.jpg
秦氏は、これをカモフラージュするために苦労しているが、広隆寺の牛祭りは泰山府君
に題材をとり、天竺・印度の風習を加味した独特の行事のようである。ただ、牛に引かれ
て善光寺の善光寺にも似たような牛の伝承はある。秦氏はもっぱら漢字文化の仲介者
の道を選んだのであろう。
http://home10.highway.ne.jp/ikko/Japanese/Frame_N_J.html


62 :月光仮面:2006/09/08(金) 13:39:01
トカラと打ったつもりが、ろれつが回っていない↓これ参照。
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1087800821/menu280-281

63 :日本@名無史さん:2006/09/08(金) 14:28:14
>>61
泰山というんは後漢時代の徐州と兗州の境らへんか?

64 :月光仮面:2006/09/08(金) 14:56:04
北から南に、泰山→?州→徐州

65 :日本@名無史さん:2006/09/08(金) 14:58:34
昔,ストリップで,踊り子さんがアナルにビー玉10個位入れて,
そのあと浣腸させられたら,金属の洗面器の中に
カラン,カランッて音がして,ビー玉が勢い良く飛び出した。
まだ,大学生の頃だったんで,びっくりしたよ。
踊り子さんも体張ってるんだね。
俺らもがんバラねば・・・・

66 :日本@名無史さん:2006/09/08(金) 16:58:11
>>64
山岳信仰って、当然だけど道教の五岳とかもそうなのな。
なぜか長白山が注目されるけど、泰山もあるぞーっと。

67 :日本@名無史さん:2006/09/08(金) 18:33:03
ユダヤ好きは、このスレでやった方がいいんじゃないか?

http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1141736822/l50

68 :月光仮面:2006/09/08(金) 19:38:36
>>66
東岳泰山(山東省泰安市)
南岳衡山(湖南省衡山県)
中岳嵩山(河南省登封市)
西岳華山(陝西省華陽県)
北岳恒山(山西省大同市)
中国青銅器文化がアルタイ、山西省、陝西省」、河南省、湖南省、山東省方面に
移動したんじゃないかなと考えていたが。今後の大きな研究課題となる。
長白山、金剛山に関しては鉄器文化と関係がありそう。これも今後面白い。

69 :月光仮面:2006/09/08(金) 19:48:32
>>67
ユダヤ人に多いYAPというY染色体遺伝子型が日本人にも多いが、日本人のは
それとは別の系統。ユダヤ人のはブッシュマンなんかに近いはずだ。あまり古いことを
いうと人類は一家となるよなー。

70 :月光仮面:2006/09/08(金) 19:57:38
>>68
大雑把に言って土器については東アジアが進んでおり、その延長線上で
自然銅等も発見されていたところに、西から組織的な銅鉱山開発、冶金
の技術が伝来し、爆発的に殷の青銅器が始まるのかなーといった感じを
もっているんだがなー。

71 :月光仮面:2006/09/08(金) 20:01:19
漏れの目下の最大の謎は膠着語の起源とその伝播。シュメール、タミール、
ウグロフィン、アルタイと言うのはどういう関係であったのかと言うことだ。

72 :日本@名無史さん:2006/09/08(金) 21:07:11
羽田氏は被差別の対象とされたのかもしれまへん、古代は位が高かったが
途中で価値観がゴロゴロ変わり当時のコジキが今は日本の富裕層になっており
畑氏のような古代に政府の高官が今はホームレスになってるかもね

73 :日本@名無史さん:2006/09/08(金) 22:24:37
>>66
山岳信仰と言えば山伏、下のサイト山伏そっくりな人見てほしい感想求む。

日本とヘブライの共通点
http://inri.client.jp/hexagon/floorA3F_hb/a3fhb010.html



74 :日本@名無史さん:2006/09/09(土) 01:26:04
>>71
わしも膠着語が気になってるんだ、あまりにも日本語の響きに近い言葉が多い
ので不思議に思ってる。これ民族とか地域に関係なく内陸シルクロード沿い
海のシルクロード沿いだけに通用する、「商人言葉」の様な気がするな、主に
ペルシャ、インド、ユダヤ商人の関わりが、匂うな日本は特にユダヤ臭がする
人物埴輪みてもかなりの異邦人が、居たのは確かだろう異邦人とは秦氏かな?


75 :日本@名無史さん:2006/09/09(土) 05:26:12
>>66
>ユダヤ人に多いYAPというY染色体遺伝子型が日本人にも多いが、日本人のは
>それとは別の系統。ユダヤ人のはブッシュマンなんかに近いはずだ。あまり古いことを
>いうと人類は一家となるよなー。

遺伝子を学んだか、興味のある奴に言わせると、ユダヤ人と縄文系のYAPは
関係ないらしい。タイプが違う。ユダヤ人のYAPはアフリカタイプ。
日本人のは中国(チベット系)タイプ。皆混同するが。
日本人からは、ユダヤ人に特徴的な白人特有の遺伝子も殆ど検出されないらしい。
専門的なことはよくわからないが。

76 :月光仮面:2006/09/09(土) 08:33:34
>>75
穢土時代の民衆の写真などからは現在のフィリピン等のネグリトに近い
形質が見受けられるが、食事の変化などで埋没してしまったのかもしれない。
逆に中近東においてはそうしたネグリト的形質は見当たらない。これまた
埋没してしまったのだろう。と言うことはアフリカにおいてはある種の栄養が
不足して病的な面が強調されたと言うことも言えよう。

77 :月光仮面:2006/09/09(土) 08:44:26
>>74
特に古代北欧へのウグロフィン語、これは発生の中心地がウラル地方とすれば、
どこからそこまで来たのか、南方から来たのかという疑問がある。全ての中心を取ると
ドラビダ語の残る印度亜大陸辺りが発生源なのかと思う。例えば、ヤクートの場合
ツングース系がトルコ系の進入を受けているので、ツングースのほうが古いのかな
と言う感じがある。中近東においてはヤペテ系というか、バスク語、イベリア・カルトベリ・
エトルスキ語のようなものが先行して、存在したのかな。日本の場合はアイヌ語に
近いものがあったのだろうか。

78 :月光仮面:2006/09/09(土) 08:52:11
>>76
江戸時代というのが出ていない。訂正。
余談ではあるが、マサイ族と欧州白人に牛乳を飲んでも平気な遺伝体質が
があるという。漏れは、体格の大型化と関係があるのではと思う。中近東に
入ったピグミーが牧畜文化に入り、同様の体格大型化の変化を起こしたものが
中近東YAPと言うことも考えられる。

79 :月光仮面:2006/09/09(土) 10:23:15
>>74
気がかりなのは華北の雑穀文化、印度と同じ形式のスキだ。
言語的には華北はシノ・チベット語を保った。しかし、北方の興隆窪文化が
雑穀文化の影響を受けた。このときツングース・満州系の言語が滅び代わりに
膠着語が入りアルタイ語に変化して行くということも考えられる。いずれにせよ
朝鮮半島と日本列島がアルタイ化されるのは無紋土器、弥生土器、稲作の頃
だろう。

80 :日本@名無史さん:2006/09/09(土) 11:13:19
やはり北方モンゴロイドの世界拡散があったんだろう。

日本に入ったものは春秋時代頃だから、ワイやハクが
朝鮮半島に定着する前の東胡か粛愼だろう。

http://www.tabiken.com/history/doc/M/M338C100.HTM
http://home.t02.itscom.net/izn/inn03.html

81 :月光仮面:2006/09/09(土) 12:44:15
>>79
もう一つの可能性としてはエラム等の中近東北部の民族がウラル・アルタイに銅資源
獲得のため向かい、特にアルタイではツングース系の言葉を膠着語のアルタイ語とし
たということもありえる。これは形質的にコーカソイドであり、後のトルコ語、ウイグル語等
になるのではないかと思う。

82 :日本@名無史さん:2006/09/09(土) 13:11:05

とりあえず、スレ違いの人達は、どっか逝っちゃって下さい。
ここは、秦氏のルーツに関して語るスレです。
しかも反撃版なので、基本的には、漠然とした「朝鮮人説」に
対抗するスレッドです。

83 :日本@名無史さん:2006/09/09(土) 13:16:37
>>76-81
ぶっ飛び過ぎです。
ここは、日本人の起源について熱く語るスレではないので、
遺伝学か言語学コーナーへどうぞ。

84 :日本@名無史さん:2006/09/09(土) 13:34:02
>>82
つか、秦氏が朝鮮人だなんて思っている香具師なんか居らんだろw

朝鮮人だとか言ってる在日工作員だって本心はそんな事思って
言っていない確信犯だろうねw

85 :日本@名無史さん:2006/09/09(土) 17:21:11
日本皇室与朝鲜之间的血统关系

2001年12月18日,明仁在他68岁生日前的记者会上,首次提及日本皇室与朝鲜半岛之间的关系。
在《日本书纪》里有详细的记载。他承认自己的祖先,即桓武天皇的母亲是百济(古代朝鲜半岛南西部国家)
武宁王的后裔。

桓武天皇の母が百済の血筋を引いていることについて今上天皇が言及した際、
韓国では「天皇家は韓国人の血筋を引いている」として話題となった。
しかし、征服王朝である百済において、扶余族たる百済王族と民衆とでは言葉すら
通じないほどの民族的差異があったとされる。
そもそも、百済の民衆と現在の朝鮮半島に暮らす韓国人との間にすら血統的連続性は
ないことから、「韓国人の血筋を引いている」という表現は明らかな誤謬である。




86 :日本@名無史さん:2006/09/09(土) 18:01:35
>>85
ソース、貼り忘れてますけど。
http://www.cjkvbbs.net/read.php?tid=1865


87 :日本@名無史さん:2006/09/09(土) 18:41:38
月光仮面は適当なことばっかり書いて
ちゃんとソース出せよ

88 :日本@名無史さん:2006/09/09(土) 18:43:33
>>75

わからんかったら書くなアホ
何で中東系ユダヤから白人の遺伝子が検出されるんだよ
アホか

89 :日本@名無史さん:2006/09/09(土) 19:08:25
中東人もインド人も「コーカソイド」ですが。

90 :日本@名無史さん:2006/09/09(土) 22:27:48
>>89
わけのわからん言葉ではぐらかすな
コーカソイドって何じゃ
アーリア系の血のことか?

91 :日本@名無史さん:2006/09/10(日) 01:22:08
>>90
赤の遺伝子ならぬ、白の遺伝子を持っているって事でしょう。
まえに話題になった赤遺伝子だけど、あれは実は、白の遺伝子調査
だったはず。ウイグルもインドも白を持っていた。

92 :日本@名無史さん:2006/09/10(日) 03:38:56
>>49
こういう意見もあるが、むしろ、吉備瀬戸から河内に拠点を拡大した応神軍らの4世紀
北九州、半島南部攻略では。地方政権を吉備(邪馬台国時代からの正当な王権授与あるいは、
秦氏弓月王らの自称始皇帝の血流)でつった大和連合政権の制海権をにぎる「鬼が島退治」

44 :名無しさん@6周年:2006/08/26(土) 15:37:29 ID:EwtTmWza0
♪もーもたろさん ももたろさん♪.
♪お腰に付けた吉備だんごー♪

この歌は、古代の前大和政権が吉備(岡山)からの東征を意味しているんだよー
猿、雉、犬は団子によってなびいた吉備を盟主とする同盟勢力。
鬼は、大和政権が東征によって設立される前の、畿内の地元豪族。
桃太郎=やまと


93 :日本@名無史さん:2006/09/10(日) 03:57:17
鬼=城。
とくに軍事、交易、宗教でも半島外交と直結していた吉備では、白村江会戦
以降に、唐からの防備用?として周囲20数キロにも及ぶ、当時東アジア最大の
最新朝鮮式「鬼城」を建設しているが、なぜか朝廷の公認軍事施設として
記録されていない。8世紀、天智天皇時代でもまだ吉備は軍事独立国だった。
吉備津彦野命と香港シネマやハリウッド真っ青のアニメ的な死闘を演じる
吉備冠者ウラ伝説(お互いの矢が空中で絡み合い、ウラの首が空を駆け巡る)
は全国的には知られていないが、かなり面白い。

94 :日本@名無史さん:2006/09/10(日) 04:39:37
古墳研究から断定されるのは、3世紀前半の大和マキムクの中心は吉備。
その前期の1〜2世紀の最大の初期墳墓は吉備タテツキ。
4世紀以降の半島、日本列島の古墳巨大化を技術的にも資金的にも推進
できたのは、渡来系殖産国際組織をもつ秦氏&応神河内王朝一派か。
族長太秦の任命権は天皇が所持していたらしい。
天皇の祭祀を司する少子部も「秦氏の子供たち限定」だったらしいので、
神道、仏教渡来以前から秦氏が呪術的な宮内庁のルーツを管理していたはず。

95 :日本@名無史さん:2006/09/10(日) 04:50:21
秦氏と深い吉備は、代々皇室に姫をだしているので、星川皇子の悲劇の反乱など
大きな反乱だけで3回も騒乱をおこしているが、滅亡するどころか、
ワカ姫を大王に寝取られた田狭王?のときは、直轄地の金官、任那から
新羅に逃げて吉備非主流派&新羅連合軍で逆に攻勢をかけてきたりしている。
国家概念がない時代とはいえ、大和、吉備、出雲、北九州、任那、百済、新羅、
高句麗などの覇権部族国家は、お互い婚姻関係などでかなり血族的にも
つながりが深かく牽制し合っていたと思う。
合理的な古代専制帝国主義の元祖始皇帝の血流とシルクロード文化や北方
遊牧的な交通文化の融合が、秦氏と初期朝廷の本領だろう。

96 :日本@名無史さん:2006/09/10(日) 14:54:27
朝鮮人とか古代でそんなカテゴリー意味無し。クズばっかりだね。

なら縄文以来ずっと続いているって系図出して見ろよ馬鹿が。
人口のほとんどは東漸の結果なんだよ。縄文人だって由来は不明だが、血続きだった
半島か中国南方が確定だろ。

97 :日本@名無史さん:2006/09/10(日) 15:31:28
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1116050270/l50


 現生人類のアフリカからの旅立ちは一度きりで、その集団の規模は数百人程度だった可
能性が指摘されている。時期は約8万5000年前よりも最近だと考えられているが、明確に
突き止められていない。

98 :日本@名無史さん:2006/09/10(日) 17:50:38
>>96>>97
>朝鮮人とか古代でそんなカテゴリー意味無し。クズばっかりだね。

秦氏が『土着』半島系じゃなくて、漢人や西域人だと、何か特別
困る事でもあるのか?

渡来人はすべて、百済人か新羅人か高句麗人にされてしまって、
マトモな研究すら許されなかった渡来人の子孫達は、今猛烈に
腹が立っているんだろう。

99 :日本@名無史さん:2006/09/10(日) 19:18:49
>>96
ここは嫌韓厨が集うスレ。

100 :七色仮面:2006/09/10(日) 19:27:01
羽田氏の業績が大きすぎるので人間とちがい技術指導者集団で実際に土木工事を
おこなったのは原住民の倭人かも

101 :日本@名無史さん:2006/09/10(日) 19:32:47
「歌舞伎の起源」百済技楽、困難極める復元作業

「百済技楽の復元はプライドの問題。仮面劇の源流だからです」

 「百済技楽伝承保存会」(オ・テグン会長)の会員は、日本に行くたびに心苦しい思いをするという。失われた百済時代の技楽のルーツを探るため、私費で日本を訪れ、研究に力を注いでいるが、作業は困難を極めているからだ。

 百済技楽は6世紀頃、百済の庶民が行っていたと推定される伝統仮面劇だ。
日本書記には、612年に百済人ミマジにより日本に伝えられたと記録されている。
日本では伝統劇の舞楽や歌舞伎などの起源は、いずれも百済技楽であるとしている。
しかし、国内で百済技楽の資料が不足しているうえ、研究者が無関心であることが伝承を困難にしている。

 さらに、はっきりとした記録のない1400年前の踊りを復元するのは、新しく創造する以上に難しい作業だ。
幸い、百済技楽が日本の伝統演劇の母体となっていることから、会員たちは2003年から毎年、奈良、東京などで現地調査を行っている。
基礎資料の確保と比較研究がある程度可能であるからだ。
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/09/10/20060910000028.html


102 :日本@名無史さん:2006/09/11(月) 01:02:35
「秦ノ河勝ハ、翁ノ化現疑ヒナシ」(明宿集−禅竹)
「秦ノ河勝ハ、翁ノ化現疑ヒナシ」が、翁がこの面なのか?!?!。
ペルシャ風の異国面であることは疑問がない。また、有翼の天使・ケルビムらしき像
が彫られていると言われている。この面は、もともと弓月君の蔵物だったのだろうか。
大型の面で鼻が高いことでは、雅楽の面に共通している。古代ローマの演劇でもかなり
大きくて重い面を使っているが、この面は明らかに西域のものである。

http://home10.highway.ne.jp/ikko/Japanese/Frame_N_J.html
祭神 大避大明神(秦河勝公)天照皇大神 春日大神


103 :日本@名無史さん:2006/09/11(月) 01:09:50
>>101
大避神社が「猿楽の宮」と言われるのは、猿楽の祖がほかならない秦河勝だからだ。
滑稽な物まねや言葉芸が中心で、御神楽の夜などに演じた。
ところで、広隆寺を建立した秦河勝は弓月の民の子孫である。
この彼が、猿楽(さるがく)を起こしたと言われている。広隆寺を河勝が起こした
のは603年で、味摩之(ミマシ)来朝した時と時を同じくする。
しかし、もともと、猿楽はホータンから連綿と続いていた秦氏のファンダメンタル
な民族芸能だったと言えないだろうか。なぜなら、芸能は大衆文化であり、
そうとうな集団に託されていなければならないからだ。猿楽は弓月の民とともに
シルクロードから伝えられたと考えられるのである。
そもそも外来芸能である伎楽(ぎがく)は、呉の国で学んだ味摩之(ミマシ)が
612年に日本に伝えたとされ、そのため呉楽(くれがく)とも呼ばれていた。
伎楽のルーツは、外来であることだけは学問的にも認められているが、
ルーツはインド・チベット地方で発生したと推測されている。ようするに、
それはシルクロードと言ったほうが正しいだろう。伎楽の14種23の面には、
インドやペルシャに因んだ面が多いからである。
 また、伎楽は仏生譚なども含み仏教の影響が明らかである。この2つの条件
を満たすのはホータンである。そして、なによりもホータンは絹織物の生産地
でもあった。伎楽に使用された装束は、非常に高度な絹織物であった。
笛・三鼓・銅拍子の伴奏による仮面をつけた無言劇である伎楽は、後の田楽や
猿楽などに受け継がれ、能、狂言の源流となった。秦河勝は、子供たちを始め
として一族郎党をもって味摩之(ミマシ)に弟子入りして伎楽を学んだ。
味摩之(ミマシ)らは、秦寺(広隆寺)と四天王寺に寄宿していた。

104 :日本@名無史さん:2006/09/11(月) 01:14:41
東大がだしている正倉院の伎楽面のエックス線分析みたが、
見事に中東仕様。ペルシャ王、あんた鼻長すぎ w

105 :日本@名無史さん:2006/09/11(月) 01:20:02

「大和は国のまほろば」(日本武尊)というが、この「大和」(やまと)は、古代に
朝廷のあった地方の名で、広く、日本の国名としても使われた。
この大和が、遠く、中央アジアに、その源があったかも知れないというお話。
『新撰姓氏録』(しんせんしょうじろく)によると、仲哀天皇(第十四代)の第
八年に、「弓月」(ゆづき)の王、功満(こうまん)が、日本の朝廷を公式訪問
したという。これは四世紀後半らしい。
この「弓月」(中国読みでは、クンユエ)は中国の史書「資治通鑑」にも記され
ていて、中央アジアにあったという。現在のアラル海とアフガニスタンとの間、
あるいは、バルハシ湖の南にあった、と言われている。景教研究者として知ら
れていた佐伯好郎博士によれば、この国はキリスト教の国であった。
この弓月から、功満王の子である融通王が1万8670人を率いて、応神天皇(
第15代)の第14年(372年かも知れない)に、日本に来た。そして帰化し
た。これが秦氏である。だから、1549年のザビエル来日以前にも、キリスト
教は日本に伝わっていたという説もあり、最近では、そちらの方も無視できなく
なっている。



106 :日本@名無史さん:2006/09/11(月) 01:21:54
当時は、万里の長城の建設に、中央アジアの人々も駆り出されていたが、その苦
役に耐えかねて、多くの人々が朝鮮半島や日本に逃げてきた。それは、朝鮮半島
の古代の石碑(好太王の碑文、5世紀)や、中国の史書(五漢書の東夷伝、5世
紀)にも記されているという。
弓月の人々も、その苦役を逃れて、朝鮮半島に逃れてきたが、その彼らを助けた
のが日本の天皇であったという。こうして、秦氏は日本に来た。
秦氏の故郷は、カザフ共和国東南部、キルギス共和国、新彊ウイグル自治区北部
あたり、「天山山脈」の北側のふもと、昔は「クルジア」といい、「弓月城」と
もいった。
ヨセフ・アイデルバーグというユダヤ人が書いた『大和民族はユダヤ人だった』
(たま出版)という本の中(202頁)で、秦氏の故郷であったクンユエ(弓月
)には、「ヤマトゥ」という地名があるという。
しかし、この地名は今はなくて、ヴァンミーター・美子さんが著書『幻の橋』(
レムナント出版刊)の中で、その位置を確認したという。英語の読み方では「ジ
ャマティ」というらしい。


107 :日本@名無史さん:2006/09/11(月) 01:22:57
それによると、ヤマトゥは、中央アジアのバルハシ湖の南側、イリ川上流にあり
、昔、中国人が「弓月」と呼んでいた地域と同じ。秦氏が、そこに住んでいた時
に、自分たちで呼んでいた名称かも知れない。
秦氏が日本に来た。彼らは、奈良や京都に多く住んで、そのあたりが「ヤマト」
(大和、倭)と呼ばれるようになった。そして、日本全体を表す言葉となった。
秦河勝という名前は聖徳太子の伝記には出てくる。
アイデルバーグ氏は、日本を「ヤマト」と呼ぶようになったのは、この中央アジ
アの「ヤマトゥ」に由来するのかも知れないと述べている。
同氏は、「ヤマトゥ」をヘブル語で読めば、「神(ヤハウェ)の民(ウマトゥ)
」の意味であるという。ヴァンミーター・美子さんによると、アラム語でも、ヤ
マトは「神の民」を意味するという。
以上は「日本・ユダヤ封印の古代史2」(徳間書店)に書かれているもの。秦氏を
研究していけば、日本がよく分かるかも知れないと思う。

108 :日本@名無史さん:2006/09/11(月) 01:37:07
梅原猛は、つぎのように書いている。
「わたしは『摩多羅神』にディオニソスの神の面影を見る。
ディオニソスの特徴は性的放縦であり、その祭に人々は酒に酔って性器を
かたどった張りぼてをもって頻(しき)りに猥褻(わいせつ)なことを言
って町を練り歩く。わたしはこの広隆寺の牛祭にフリードリヒ・ニーチェが
あれほど熱っぽく語ったディオニソスの神の祭を見る思いであった。
摩多羅神は、はるばると日本にやって来たディオニソスではないだろうか」。
(梅原猛著「京都発見二路地遊行」より

109 :日本@名無史さん:2006/09/11(月) 02:04:26
>>10
「そもそもこの河勝のことは、その昔推古天皇の時代に、泊瀬川(初瀬川)に洪水がおこり、
上流からひとつの壷が流れてきたったことが発端となった。人々はこの壷を不審に思い、
磯城島(しきしま・式島、敷島とも書く・桜井市外山)あたりで拾い上げてみると、壷の中
にはたった今生まれたばかりの子供が発見されたのである。急いでその子供を抱き取ってみると、
そばにいた大人の口を借りて、こう語りだした。『僕は秦始皇帝の生まれ変わりだよ。
日本に生まれる機縁があって、こうして出現しました。急いで朝廷にこのことを報告して
ください。』しばらくしてこの報告は、天皇の耳にも入った。天皇もこの子供の出現をいたく
奇特なことと思し召して、自分のおそば近くにお召し寄せになり、親しくお育てになることに
なった。その子供は成長するにしたがって、抜群の才能と知恵をしめすようになり、
賢臣よ忠臣よとたいへんな栄誉を受けるようになった。」
(精霊の王 中沢新一著 巻末付録 現代語訳「明宿集」より)

110 :日本@名無史さん:2006/09/11(月) 02:14:42
日本書紀には、欽明天皇が秦大津父を顧問として召しだすくだりにも
「夢で見た秦大津父をぼくの家来にできれば、ぼくは大人になって
立派な天皇になれるはずだから、さあ、みんなで彼を探そう!」
というすげー無茶苦茶脚色したものもある。
ちなみに参謀になった大津父がいうには「君が探してたのは、知ってましたよ(ニヤリ)」

秦氏と聖徳太子、ほめられすぎ。選挙パンフか学会の大作先生みてえ。

111 :日本@名無史さん:2006/09/11(月) 02:29:41
>>109
http://home10.highway.ne.jp/ikko/Japanese/Frame_N_J.html
さらにまた、この逸話は、川に流され、エジプト王家で育ったモーセの話と酷似する。
河勝が、”奇跡を起こせた”聖人だったことを示している。「玄なる聖の徳をもって、
日本の国に生まれませり」、(恵慈)は、聖徳の死を惜しんで残した言葉だが、
河勝もまた、神の化身であった。 略
京都で秦河勝が一族の氏神、秦始皇帝(しんのしこうてい)を祀ったのが大酒神社、
晩年を過ごした赤穂(あこう)で自身が祀られたのが大避神社(赤穂郡坂越(佐古志))
ということになる。この佐古志という地名は、かつて「しゃくし」と読ませていたという。
石神の意だろうとされる。が、他方、「しゃく」は「尺」で、北斗七星のことになる。
杓子(しゃくし)の尺(しゃく)をとったものである。北極星は、皇帝のシンボルであり、
同時に、摩多羅神=秦河勝である。秦河勝は「尺師様」と呼ばれていたのであろう。
この社は、古くから「猿楽ノ宮」と呼ばれていた。世阿弥が「風姿花伝」で、猿楽の祖は
秦河勝であると書いている。世阿弥は、「せあ」と、皆から呼ばれていた。
観世弥、世阿弥親子は秦河勝の直系子孫である。

112 :日本@名無史さん:2006/09/11(月) 02:35:51
644年東国の不尽河(富士川)付近で、大生部多(おおふべのおお)という男が
「常世神」(とこよのかみ)を広めた。常世神とは、虫で、長さ12cmあまり、
太さは親指くらい、体色は緑で黒い斑点があった。形はかいこにそっくりだが、
体長が一回り大きい。常世の国からやってきた虫だと広め、祭れば、「貧しき人は
富を致し、老いたる人は還りて少(わか)ゆ」と喧伝した。虫を祭らせ、家の家財を
投げうつ者が多く、河勝は民が惑わされるのを許さず、大生部多を討った。
「太秦は 神とも神と 聞こえ来る 常世の神を 打ち懲(きた)ますも」(書紀24)
とあり、河勝は神であるとか神だとか言われているそうだ。それならば、常世神を懲罰
してもしかたあるまい。
ーーー太子滅亡後、大化の改新の直前。藤原氏は何がいいたいのか?

113 :日本@名無史さん:2006/09/11(月) 02:46:04
河勝=聖徳太子 説
http://home10.highway.ne.jp/ikko/Japanese/Frame_N_J.html
*秦造河勝はすくなくとも国造(くにのみやつこ)の地位にあったはずである。
彼については、モーゼの出生譚に近い伝説があり、奇跡を起こせる聖人(セイント)
だった。自ら、秦の始皇帝の生まれ変わりであると宣言しており、その名声は広く知られた。
初瀬川を壷にのって流れてきたのを、拾い上げると幼児があらわれた。
この幼児は奇瑞をあらわし、朝廷内で幼少から寵愛され、皇子(みこ)として育った。
その能力は特別に秀でており、神通力や予言能力・奇跡を起こす力があった。それゆえに
神とも神のようだとも噂された。天皇事(みかどごと)をも行うようになった。
「豊聡法大王」(とよとみみののりおおきみ)という名前がついた。
厩戸豊耳皇子(うまやとのとよみみのみこ)はイエス生誕に擬しており、彼が正式には
用明天皇の后、穴穂部間人皇后の腹から産まれていないことを示す。そして、
太子の別名・東宮聖徳(ひがしのみやしょうとく)とは、東宮に住む聖ということで、
なんと驚くことにだれあろう、秦河勝その人のことである

114 :日本@名無史さん:2006/09/11(月) 02:49:39
「皇太子」とは、当時、政治・軍事の執行権をもつ「大王」のことである。つまり、
実権をもっているほうが皇太子で、逆に、天皇は、「天津日嗣高座」と呼ばれ、皇祖(天照)
を守る葬送儀礼や、宗教的な典礼を行うことをもっぱらとしていた。そこで、皇太子とは
為政者であり、「大王」と読み替えなければならない。敏達天皇の頃にすでに莵道貝蛸皇女
(うじのかいだこのひめみこ)を娶わせており、このころから用明・崇峻・推古にいたる
まで秦河勝は大王であったのである。そうした意味で、記紀は秦河勝を大王の間は、聖徳太子
という別人に祭り上げるたのである。その後、蘇我家と拮抗する一豪族に押し込められたのである。
ここを見抜けないと聖徳太子の真相は謎のままである。

115 :日本@名無史さん:2006/09/11(月) 06:15:59
実際に秦氏の名前の由来なんかは、こじつけ三昧で胡散臭い

おそらく、日本国内でのみ通用する摩訶不思議なものだろう

116 :日本@名無史さん:2006/09/11(月) 17:35:52
>>111
 この逸話は、川に流され、エジプト王家で育ったモーセの話と酷似する。

流され系の神話は、北方系民族にありがち(桃太郎、一寸法師)
たぶん、日本書記の太子逸話、モーセの旧約聖書のはなしは、景教徒が出入りしていた
秦氏ならではの国際的雑学、伝承の類。河勝あたりの時代では唐で流行する
景教徒ではなく、後漢時代には広州あたりまで来ていたという原始ユダヤキリスト教徒
時代の伝承。あるいは一族、グループ自身にシルクユダヤ商人が多いだからだろう。
>>115
むしろ秦氏を中国系にしたがっているのは、中国のほうだろ
日本人側は、北方系非漢人説や中東起源に期待している w
済州島とか、半島出にこだわる半島系学者は、古墳研究や
6世紀以前の秦氏渡来痕跡をあえて無視するカルト妄想が多い。

4世紀の秦氏と8世紀のそれでは民族、バックボーン自体も異なると思われる。

117 :日本@名無史さん:2006/09/11(月) 17:51:15
>>113
 太子の別名・東宮聖徳(ひがしのみやしょうとく)とは、東宮に住む聖ということで、
 なんと驚くことにだれあろう、秦河勝その人のことである

後に吉備出身の和気清麻呂が秦氏と連携し、平安京を建設したときに、
ほぼ大半の財務と工事業者をだした近江系秦氏(肝心の山城の秦氏は反対論者
が多かったのは意外。秦氏、藤原内部の派閥闘争も過激だった様子)は、
太子時代のパトロン河勝の元邸宅を現在の京都御所として提供している。
ていうか、神仙の方位では他に候補地はないはず。
当時の秦氏は東アジア最先端の科学者集団で、宇治の平等院などにみる人工池、
水時計、排水機能で作られたサンダーバード基地のすごさは、もっと宣伝
されていてもいいと思う。さすが「水の民」
ーーーああ、そうか、もっとも流通量の多い10円貨幣にシニフィエされてるか。

118 :日本@名無史さん:2006/09/11(月) 20:43:34
秦氏は絹生産のハイテク集団、日本は高温多湿のため桑がよく育ち朝鮮半島
より数倍の生産力が有った、当時 絹と金が同じ重さで取引されたと言う、
それを同族のシルクロード交易商人に、売買していたユダヤ系秦氏の財力が
いかに凄いか想像できると思う。



119 :日本@名無史さん:2006/09/11(月) 20:47:31
>>118
日本は「扶桑国」と言われるほど桑が多かった。

120 :日本@名無史さん:2006/09/12(火) 11:26:37
桑の木からは黄金が、溢れだすって感じだろうね。

121 :日本@名無史さん:2006/09/12(火) 15:40:58
秦始皇帝の子孫=秦河勝=聖徳太子=秦氏って事か???

122 :日本@名無史さん:2006/09/12(火) 16:25:19
秦氏にも何系統か有ったみたい、もちろん秦始皇帝の子孫もそのひとつ
徐福の系統、始皇帝一族の傍系の秦氏、ユダヤ、西域系との姻戚秦氏
等々あるみたいだな。胡人、秦人、には西域人のにおいがする
それらの代表を、秦河勝一族が担ってたみたい。

123 :日本@名無史さん:2006/09/12(火) 16:44:24
第二次大戦後の日本は、絹の輸出やカイコの卵の輸出で多くの外貨を得ていた。
そう考えると、昔からカイコ様に日本は、お世話になってるんだね。


124 :日本@名無史さん:2006/09/12(火) 17:02:45
>>116
>むしろ秦氏を中国系にしたがっているのは、中国のほうだろ
日本人側は、北方系非漢人説や中東起源に期待している w

へえ…ありがちで無難だから楽浪漢人説を主張する人間が一番多いと思っていたが。
西域系を主張する人間が多いのは知っていたが、「北方系」は始めて耳にした。
モンゴルや女真か?或いは扶余とか?う〜〜〜む、それとも古代「燕人」の末裔か?

>済州島とか、半島出にこだわる半島系学者は、古墳研究や
6世紀以前の秦氏渡来痕跡をあえて無視するカルト妄想が多い。

半島系の学者って具体的に誰スカ?
「済州島」っていうのも、耳慣れないね。

125 :日本@名無史さん:2006/09/12(火) 17:41:30
カイコの社は、太秦にありますが、景教=太秦教の三角鳥居です。
一度見に行かれればよい。


126 :日本@名無史さん:2006/09/12(火) 18:24:03
>>124
始皇帝末裔(王族・高級官吏含む)を中心とする集団
秦人集団
楽浪漢人集団
徐福の子孫が中心の集団
ユダヤ人が中心の集団
西域人が中心の集団
新羅人(土民)集団
済州島?!
 ・
 ・
 ・
 ・
奇説珍説入り乱れてこのぐらいあるのか?

127 :日本@名無史さん:2006/09/12(火) 23:54:15
かいこ=おしら様=しろこ=シルク?

128 :日本@名無史さん:2006/09/13(水) 02:51:43
>>126
いやいやだから、このスレだけでも大月、匈奴、東湖、うがんとかでてなかったけ?
3世紀以前の墳墓遺跡をみるかぎり、どうみても楽浪漢人集団の中国系コロニーじゃない。
どこかでみたが、1=2世紀の当時最大規模の吉備タテツキ遺跡の鹿石のご神体、亀石は
瓜帯状デザインで縛られており、縄文的でもあるが、北方遊牧民風。欧州のほうでみる
スキタイなどのデザインに酷似。秦氏の遺跡とは断定できないが興味をそそる。

すごいのはその亀石の真ん中に、ライオンのようにみえる紋章風の丸いレリーフが
伺えること。地元研究者が赤外線でみつけたらしい。誰か詳しい人います?

129 :日本@名無史さん:2006/09/13(水) 03:01:28
>>125
 景教=太秦教の三角鳥居といわれているが、それは江戸中期にいまの三井家が
復興したからだろう。当時、神田にもその太秦のレリーフというか複製が
建立され、江戸名物になり瓦版でも紹介されていたくらい。
しかし、なぜ三井が?鳥羽伏見の戦い以降の薩長の支援というながれで
同族の秦氏が接点になるのならわかるが、17世紀じゃ早い。しかも明治以降
サントリイもここから命名されている。これは秦氏=松尾=お酒の神様
からの流れだと思うがミステリアスだね。

130 :日本@名無史さん:2006/09/13(水) 03:13:00
何度かいったが、あの池は賀茂神社のただすの池の元のもの。
賀茂神社=松尾の神=葵祭り
(天皇の使者が松尾の神の水=秦河勝のお清めを貰い受ける神事)
原型は宇佐八幡の応神天皇の産湯の池だろう。
御祓い=バプテスマ=ユダヤイエスの洗礼  ということか?

しかし、幕末は三井、三菱、葵のご紋、毛利の三本矢、島津の十字 と秦氏
オンパレードだな。幕臣勝海舟など、勝姓だし直系に近くない。

131 :日本@名無史さん:2006/09/13(水) 03:26:58
日本の深いところで、皇室と秦氏・藤原公家への郷愁みたいなものが
あるのかな
能の大倉家の重文の人が「古典芸能はみんな世阿弥まで戻り、そこは秦だから
道がある」といっていたが、その道とは万世一系幻想の家元制度のことなのか、
景教のいう三位一体の秘蹟のことなのか。どこまでが共通の知識なのか。
なんか日本版ダビンチコードだね

132 :日本@名無史さん:2006/09/13(水) 07:38:04
>>128
>いやいやだから、このスレだけでも大月、匈奴、東湖、うがんとかでてなかったけ?

ああ、騎馬民族征服説信奉者の白馬青牛さんと、スキタイマニアの月光仮面さんね。


>>129
>景教=太秦教の三角鳥居といわれているが、それは江戸中期にいまの三井家が
復興したからだろう。当時、神田にもその太秦のレリーフというか複製が
建立され、江戸名物になり瓦版でも紹介されていたくらい。

博識、博識。案外知らない人が多いと思うよ。

>>127
>かいこ=おしら様=しろこ=シルク?

さすがにそれは………

133 :日本@名無史さん:2006/09/13(水) 07:45:17
関連スレ
【秦の始皇帝を語ろうか】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1122350547/

134 :月光仮面:2006/09/13(水) 09:39:31
>>132
スキタイ・マニアとは光栄。しかし、シルクロード小河墓遺跡にも劣らぬ興味あり。
脱線しますが、東儀さんという宮内庁雅楽出身の音楽家、大きな視野の持ち主だが
お母さんが偉い人だったようですね。日本にはオリエントは三笠宮、エジプトは
吉村作治などのエキスパートあり。宮内庁、神社本庁、博物館、歴博 橿研等
多くの団体に分かれ、仏教系その他の宗教団体に蓄積された知識も集合すれば
膨大な情報が眠っていると思うのですが、残念ながらそれをまとめ、国際的に
交流を行うような機能はない。せめて2CHで気持ちだけは大きく持って悠然と
がんばりたい。


135 :七色仮面:2006/09/13(水) 09:48:55
新羅系の吉志部神社のきしまいは独特の音楽を持っていた隣の三宅氏も新羅系で
全国の

136 :月光仮面:2006/09/13(水) 10:08:04
秦氏は多民族集団であり、正倉院的ですね。いろいろの文化を取り込んでいる。
とりわけ、シルクロード小河墓遺跡との関連性で言えば、伎楽の面がミイラの
面と似ていること、小河墓は遺跡全体において数字の7へのこだわりが強い。
墓標、柵などにも出ている。これはシュメールも同様です。これは地理的というよりも
小河墓遺跡が時代的にシュメールに近かったと言えるのかなーと思います。
ラピスラズリ http://homepage3.nifty.com/poh-pohlly/ishi%20lapislazuri.htm
等がエジプト、シュメール等と北部南西アジアを結びつけたもので
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1087800821/menu260
ウルクエンメルカル王の執着にもよく現れている。で、言語学的に日本と西域を
結ぶのはやはり馬韓月支国、新羅秦氏も話したであろうトカラ語、これを印欧
原郷探索的に割り出すとモルドバ、トリポリエ・ククテニ文化圏となるんです。


137 :月光仮面:2006/09/13(水) 10:50:52
考古学的にはトリポリエ・ククテニ文化が、ちょうど小河墓遺跡の推定年代の頃、
ボルガ・ドニエプルのバトル・アックス系文化、いわゆる騎馬民族のはしり、の侵入
を受ける。これが、後にトカラ人に随伴することとなるイラン系サカ族の先祖だろうと
おもいます。この頃エーゲ海には海の民の侵入が始まる。ターリム盆地へのトカラ・
サカ族の侵入はこうした時代背景によるものでしょう。このサカ族は坂上田村麻呂、
佐伯等の職業軍人集団として百済経由渡来したものが多かったのでしょう。

138 :月光仮面:2006/09/13(水) 11:03:20
遺伝子プールといいますが、民族的ウェイト面から言えば秦氏集団はやはり燕系と
いうか、中国起源で、朝鮮半島にも多くが残るY染色体ハプログループO-47zが多く、
徐市(ソボル)遠征隊の子孫も多かった。だから、日本全国に徐福伝説があるのだ
と思っていますが。タジマモリの話などはそうした子孫が倭国から逆に魏とか晋に
通辞として派遣されたことによるのかなーと思ったりします。また脱線してきましたね。
要は、歴史に名を留める白人系の渡来人は秦氏集団においてはごく少数の上層階級
にとどまり、遺伝子プールにおいては意味がなかったということでは。

139 :日本@名無史さん:2006/09/13(水) 11:50:12
サカ族といえばトンガリ帽子
古墳の埴輪のなかに西域風のトンガリ帽子の人達、全国から出てくるね
かなり古くからトンガリ帽子の人達、日本列島に来てたんだろうね。

140 :月光仮面:2006/09/13(水) 12:25:14
>>139
幽霊は三角頭巾、足がなく、手がたれており、死人にも三角巾をつける。
赤頭巾とおばあちゃんはとんがり帽子で狼の体内より救出される。小河墓の
ミイラ、兵馬俑の軍団、中近東の戦士等にもよく似たものがある。敦賀、気比神宮
の御神宝は獅子頭、越の獅子には角がある。スコットランドの国章は角の生えた
馬。越前を中心に角杯が出土するが、ゲルマン、ケルトにも有名なものがある。
日本建国時に気比神社にツヌガアラシトが祀られる。---とまー、こうしたことからも
秦氏集団は、シュメールからスキタイに至る時代のユーラシアの架け橋、シルクロード
の月氏と関係があるんじゃないかと思うんですが。足を切ったりするのは記紀、神功
記にも出てきますが、トルコ系にもあるようですね。


141 :月光仮面:2006/09/13(水) 12:35:48
神話的には聖書にも出てくるというユニコーンとか、「天竺(てんじく)波羅那国
(はらなこく)の辺境の山中に住む一角仙人が,神通力で竜神を岩屋に封じ込
めたために,国中に雨が降らなくなった。帝王は一策を案じ,美妃(ツレ)を道
に迷ったていにして山中に分け入らせる。仙人はその容色に引かれ,杯を受
けて妃の舞を見るうちに,自分も立ってまねを始める(〈楽(がく)〉)。酔い伏した
仙人のていを見て妃が都へ帰ったあと,岩屋が裂けて竜神が飛び出すので,
目覚めた仙人は剣を抜いて立ち向かうが,すでにその神通力は失せ,大雨の
中を竜神は立ち去る(〈舞働(まいばたらき)・ノリ地〉)。楽が中心で,仙人が女色
に迷うていが描かれる。竜神の役は2人の子方(こかた)が演ずる。歌舞伎の
《鳴神(なるかみ)》の原拠。」等と言うのもある。これは雨乞いの話かなー。


142 :月光仮面:2006/09/13(水) 13:17:34
岩戸神話は記紀によって絶対化されているが、凡人には御利益が不明。また、
沖縄、普天間の神話も乙女が隠れると言うことで意味不明なのに比較して
一角仙人の場合は明確に雨乞いとしているので意味が明確であり、よりオリジナル
に近いのではないかと言う感じがする。

143 :日本@名無史さん:2006/09/13(水) 13:23:32
神社の獅子の額には角がありますね。
三柱神社は、いまでも日本橋の三井本社ビル屋上にあったか、移転して
どこぞの公園に移設された記事をみたことがある
サカ族ですか

144 :月光仮面:2006/09/13(水) 13:36:57
いや、これは秦氏が世界の宗教、日本語等を基に作り上げたものでしょう。
基本的には十王経、北辰北斗信仰、南西アジアの井戸、ユダヤ・景教等も
関係するのかもしれませんが、要するに、水取りと三鳥居を引っ掛けたもの
ではないかと言う感じがする。更にはまた左右の鳥居の柱の回り方にも
何らかのルールがあったのかもしれない。広隆寺の牛祭りの場合には水牛
に神を乗せると言うのが江南方面との関係も示唆しており、秦氏がありとあらゆる
宗教儀式を総合してのではないかと言う感じですね。

145 :日本@名無史さん:2006/09/13(水) 14:10:26
>>138
・・・戦国の七雄か?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%87%95_(%E6%98%A5%E7%A7%8B)

146 :月光仮面:2006/09/13(水) 16:18:27
>>145
夏王朝崩壊時に西方、北方へと逃れたのが月氏、フンであるとする説があるが、何らかの
同時代の青銅器文化、例えば、カタコンベ文化の青銅器製造技術をシルクロードにいた
月氏(トカラ・イラン系)が仲介し、これに触発され長江中流域で銅山開発、青銅器生産
が開始されると言うことが考えられるが、今後の考古学的発見によって裏付けられる
必要がありますね。

147 :月光仮面:2006/09/13(水) 17:38:01
>>146
同時代の青銅器文化としてはコーカサスよりもアルタイの方つまり、フン文化の前に
アルタイに存在したアファナシエフ文化が南進したと考えるとアルタイの高地性集落
と銅が、夏王朝の銅、城塞文化と共通するので、こちらの可能性が強い。その担架者は
やはり白人ではあるもののトカラ系とは違っていた可能性もある。

148 :月光仮面:2006/09/13(水) 18:23:25
>>68
古代アルタイ人は山西省、陝西省、湖南省、河南省、山東省の山々を
神武が熊野の、雄略が葛城の尾根を通ったようにシャーマンとして渡り、
既に現地人が発見していた自然銅の産地の露頭などを中心に探鉱し、
日本では穴師等と呼ばれた掘削技術力を発揮したものではないかと
妄想する。

149 :日本@名無史さん:2006/09/13(水) 20:47:20
月光仮面がいやまん

150 :日本@名無史さん:2006/09/13(水) 21:32:24
>>149
「がいやまん」時代よりも沈着になられましたよ。
相変わらず連投はされておりますが。

151 :月光仮面:2006/09/14(木) 09:49:35
連投も上祐は困るが、松井の4打席4安打はいいですね。こりずにまた。

後代の言語を新疆ウイグル地域を中心に見てみると、特異な敦煌のトカラ語を
除いて全ての地域がトルコ系、つまり、膠着語、なので、アファナシエフ文化は
文化的には西方草原の影響を受けているものの、言語的には膠着語で、また、
アルタイの青銅器文化は印欧語には属さないエラム語圏(シュメール・ウルク時代
にも、エラム語圏が金属・宝石を持っているとされている)から来たと考えると齟齬
をきたさず、この地域は古代からの印欧語はなかったと見ていい。白人とは言うが、
後代のパジリクミイラの復元を見るとどうもトゥーラン的形質を持っているようだ。
アルタイにおいてアファナシエフ文化と交代するオークニェフ文化の画像には後代
の高車丁霊の高車、牛車のような乗り物が描かれている。

しかし、夏王朝のトーテムは龍。龍は遼河文明において生まる。漢字の基となる
甲骨文の出現は殷だから、夏王朝が膠着語であったとしてもおかしくはない。
遼河文明が長江文明を圧倒し、西方のアルタイ青銅器文化を導入のだ。


殷時代、東夷、殷のトーテムは鳥。トルコ語系統、ウラル語系統も鳥トーテム
なので、この時代、龍トーテムは、倭人が呉の太白の末裔(末裔と言うより同族
か)とされるように、多分南北に離散、甲骨文の出現から中国語が中心となり、
夏王朝構成要素は四方に拡散するものと見られる。

152 :月光仮面:2006/09/14(木) 11:24:18
龍トーテムは満州、朝鮮半島、東夷の鳥トーテムは日本の近畿・中部地方に
見られる鳥形木製品、神武、鴨等のトーテムに残るのであろうが、鴨は銅鐸
と関係があり、内モンゴル赤峰からも類似のものが出土している。鴨はトルコ
系のトーテムでもあり、後期銅鐸の飾耳はアルタイ・パジリクシャーマンの
ヘアスタイルにも似ており、アルタイ・オークニェフの神像頭部の蜈蚣模様
と共通する点があり、アルタイの古代鉱業と関係がある可能性がある。
スサノオがオオクニヌシに頭の虱、蜈蚣を取らすシーンがあるが、これは
復元されたパジリクミイラのシャーマンの髪型から来る可能性がある。
下記サイトの銅の考察を参照↓
http://members.jcom.home.ne.jp/4313532601/page006.html

153 :日本@名無史さん:2006/09/14(木) 13:16:29
>>151>>152
秦氏の話でしたよね?

154 :月光仮面:2006/09/14(木) 16:04:31
>>153
すみません。なんだか脱線してしまいました。

155 :日本@名無史さん:2006/09/14(木) 17:11:38
アハハハ!月光仮面はすぐ熱くなるからな

156 :日本@名無史さん:2006/09/14(木) 17:13:46
まぁいいじゃないか

157 :日本@名無史さん:2006/09/14(木) 18:11:48
月光仮面と愉快な仲間たち

158 :日本@名無史さん:2006/09/15(金) 02:44:13
秦の地だった吉備には鴨別という豪族もいたね、
地名はいまも町名で残ってる
賀茂神社は鴨神社。

159 :月光仮面:2006/09/15(金) 06:27:58
吉備は都であったのではと言う感じがする↓
http://www.infonet.co.jp/nobk/okym/bemin-data.htm

160 :月光仮面:2006/09/15(金) 13:21:36
秦氏はほぼ神武東遷ルート上にいる。これは、時代的に記紀が神武の時代
と位置づけようとする頃に渡来していたと言うことかな。

話は変わるが、 >>151 トルクメニスタンにおいてはBC3000年頃の青銅製
二輪車が出土したと言われ、同時に、エジプト、シリア、バクトリアで出土する
銛も出土したとのことで、事実なら、夏、殷の青銅車両とか、アルタイの二輪
バン等の源流はこの辺かもしれない。・・・秦氏とは無関係であるが何かの
ご参考まで。



161 :日本@名無史さん:2006/09/15(金) 13:44:54
秦氏、職能集団で部民だろ。
京都あたりの土地を差し出しても、従五位下・地方官
4・5万石の大名並みじゃん

162 :月光仮面:2006/09/15(金) 14:03:05
なぜ吉備にこれだけの部民がおかれたのか、吉備においてそれを支配したものは
誰だったのかを考えると朝廷クラスのような感じがするが。これが引っかかる。

163 :日本@名無史さん:2006/09/15(金) 16:13:05
>>161
有能な割りには政治的に埋没してしまった感じが否めない。
子孫は今でも沢山いるのだが。

例えば、東儀秀樹。
ファンがワラワラ集うBBSをハケンした。http://www.all-around-music.net/bbs/jto/togi.html

164 :日本@名無史さん:2006/09/15(金) 19:32:04
羽田氏が2万人規模で移住してきたなら日本中に展開して工事の施工責任者になって
各種土木工事をやった

165 :日本@名無史さん:2006/09/15(金) 21:50:44
>>160
>秦氏はほぼ神武東遷ルート上にいる。これは、時代的に記紀が神武の時代
と位置づけようとする頃に渡来していたと言うことかな。

ああ、そうだな。
あとそれから、秦王国について何か知ってるかい?

166 :日本@名無史さん:2006/09/15(金) 22:13:53
 「普通二年、王姓募名秦、」     「梁書 辰韓伝」

普通二年(521年)、王姓を秦の名から募り、
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/siragi-kanbun1-ryosho.htm

上段漢文、下段和訳らしいけど (王姓、募り名は秦)と読めないか?
これだと後、倭国に秦王国ありの意味が、良く理解できるけどな。
この梁書辰韓伝と韓国の三国史記、内容が全然違うな梁書は同時代の書で
三国史記は約600年後の1145年完成だからな信用できんな。

167 :月光仮面:2006/09/15(金) 22:44:20
>>165
松尾大社はハタ氏の祖、冒頓単于が漢の高祖を制圧したことから
鎮守の意味を込めて造営したのだと思う。が、多民族集団で
呉越同舟、勝ち組的なのもいたのかもしれないなー。いずれにせよ
トリビアな話だ。

168 :日本@名無史さん:2006/09/16(土) 07:09:10
>>166
新羅者、其先本辰韓種也。辰韓亦曰秦韓、相去萬里、傳言秦世亡人避役來適馬韓、馬韓亦割其東界居之、以秦人、故名之曰秦韓。
其言語名物有似中國人、名國為邦、弓為弧、賊為寇、行酒為行觴。相呼皆為徒、不與馬韓同。
(新羅、その先祖は元の辰韓の苗裔である。辰韓は秦韓ともいう、双方の隔たりは大きい。伝承では、秦代に苦役を避けた逃亡民が
馬韓にやって来たので馬韓は東界を分割し、ここに彼らを居住させたゆえに、この名を秦韓という。その言語、名称には中国人と
相似があり、国を邦、弓を弧、賊を寇、行酒を行觴と言う。皆を徒と呼び合い、馬韓とは同じではない。)

又辰韓王常用馬韓人作之、世相係、辰韓不得自立為王、明其流移之人故也、恒為馬韓所制。辰韓始有六國、稍分為十二、新羅則其一也。
其國在百濟東南五千餘里。其地東濱大海、南北與句驪、百濟接。魏時曰新盧、宋時曰新羅、或曰斯羅。其國小、不能自通使聘。普通二年、
王姓募名秦、始遣使隨百濟奉獻方物。
(また、辰韓王は常に馬韓人を用いて擁立し、代々に継承され、辰韓は自ら王を立てることはできない。明らかにそれは流民のゆえで、
恒久的に馬韓が領土を制している。辰韓は初め六国だったが十二に細分した、新羅はその一国である。新羅は百済の東南に五千余里。
東は大海に沿い、北に高句麗、南に百済と接している。三国魏の時代は新盧と言い、宋代では新羅、あるいは斯羅と称した。小国なので、
自ら通使を派遣すせることができなかった。普通二年(521年)、王姓を秦の名から募り、初めての使者は百済の遣使に随伴して方物を
献じた。)

>(王姓、募り名は秦)と読めないか?
王姓を秦の名から募り、となっているが・・

「名」は一字で〜と名乗るで、「募」も〜を募る、と後半にかかって来るから、
「王姓を秦の名から募り」となるが、秦人を名乗る者の中から王姓を募る?何かヘンな感じ。

秦韓人が亡命集団であり、言葉が中国語に似ており、周辺諸国に対して極めて肩身が狭かった、
ということは理解できた。

169 :日本@名無史さん:2006/09/16(土) 21:14:07
住吉神社が白木系とは驚いた、と言うのも百済郡と住吉郡の2群しかないとこから 

170 :日本@名無史さん:2006/09/16(土) 22:01:09
今テレビで電車男やってるけど、
これって2chの話しか?

171 :月光仮面:2006/09/17(日) 07:30:25
朝鮮族は漢四郡、三韓の時代、印度の不可触選民のような下層階級にいたのか
というような感じがするが、そうてはなく、文化としてそういうものを受容したのであり、
朝鮮に渡来したものは少数であったのではないかと思う。残念ながら朝鮮族として
学問的にこの辺を解明するものはないので下層民であったという印象が残る。この点
倭人/縄文人の文化的融合プロセスを科学的に解明している日本の方法が参考になる
のかもしれない。

172 :月光仮面:2006/09/17(日) 07:55:55
燕・遼経由日本に向かった秦氏のほか、高句麗、百済の王族のような亡民は、スサノオ
のように朝鮮を経由するも、そこに樹を植えることはなく、日本に亡命し、朝廷に帰順した
ということなのであろうか。

173 :月光仮面:2006/09/17(日) 08:06:42
日本に到来した倭人と言うのも、三韓人も同じようなものであったが、倭人は
時代が古すぎ、新羅のように民族的な自主性を主張する時代背景にになかった
ということで、縄文人と同化し、大和民族になったと言うことなのかもしれない。

174 :日本@名無史さん:2006/09/18(月) 04:12:29
>>167
ハタ氏の祖、冒頓単于

その根拠はなんでしょうか?

175 :日本@名無史さん:2006/09/18(月) 04:32:53
http://www.infonet.co.jp/nobk/okym/ehime-kurohime.htm
応神王朝では、初代の応神、二代目の仁徳の二代にわたって、吉備からやって来た妃が
国へ帰るのを追って天皇が吉備にまで出掛けている。

この当時、まだ吉備は大和の支配下にあったとは見られない。両者は互角、いや、むしろ吉備の方が優位にあったかも知れない。

http://www.infonet.co.jp/nobk/okym/tatetuki.htm
楯築遺跡は倉敷市矢部西山の片岡山と呼ばれる小高い丘の上にある弥生時代後期
(3世紀)の全国最大の巨大な墳丘墓である。
棺床には30kgを越す朱が敷かれ、翡翠の勾玉、鉄剣、ガラス製小玉が副葬されていた。
双方中円墳
それは、前方後円墳のプロトタイブ、一歩手前の姿とみられるではないか。

176 :日本@名無史さん:2006/09/18(月) 04:42:02
>>170
他のどこにあんな世界があるのかと、、、

177 :月光仮面:2006/09/18(月) 09:37:46
>>174
〔冒頓単于、父を殺して立つ〕
http://www.geocities.jp/sei_taikou/kyoudo.html
当社の背後の松尾山(223m)に古社地があり、山頂に近い大杉谷に磐座とされる巨石
がある。5世紀ごろ、渡来人の秦氏が山城国一帯に居住し、松尾山の神(大山咋神)を
氏神とした。大山咋神については、『古事記』に「亦の名は山末之大主神。此の神は近
淡海国の日枝の山に坐し、亦葛野の松尾に坐して、鳴鏑を用つ神ぞ」と記されており、
古事記が編纂されたころには有力な神とされていたことがわかる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B0%BE%E5%A4%A7%E7%A4%BE
磐座とされる巨石
http://www.y-morimoto.com/jinja22/matsuo14f.jpg
http://www.y-morimoto.com/jinja22/matsuo14d.jpg
http://www.y-morimoto.com/jinja22/matsuo14e.jpg
http://www.y-morimoto.com/jinja22/matsuo14b.jpg
http://www.y-morimoto.com/jinja22/matsuo14a.jpg
秋田県仙北郡協和町境 唐松山天日宮
http://kamnavi.jp/mn/higasi/akitamoh.jpg
楯築遺跡
http://www.sairosha.com/tabi/nazo/tatetuki.htm
古代から国際色豊かな「香春郷」だった
http://www3.coara.or.jp/~primrose/kawara1.html

178 :月光仮面:2006/09/18(月) 09:59:56
↑バイカル湖南部周辺における石板墓遺跡分布図
略図標識は、上から、「集落」、「石板墓とヘレクスル(神籬)」、「線刻」、「鹿石」
http://www.baikalfoto.ru/library/articles/fold_01/fold_01/005.htm

179 :月光仮面:2006/09/18(月) 10:04:56
NHKシルクロードにおいて小河墓遺跡に関連するものとして紹介された
「カラムチ遺跡」と言うのがこうしたケレクスル(ストーンサークル石柱)で
あったが、残念ながらウェブにおいては追跡不可能。

180 :月光仮面:2006/09/18(月) 10:30:16
月氏は冒頓単于に打たれるのであるが、黄河の西(河西地方)に残った勢力は
「小月氏」と呼ばれた↓
http://www.tcat.ne.jp/~eden/Hst/dic/gessi.html
これが南下して馬韓に入って月支、更に秦韓には言っては秦氏と変化する。
冒頓単于は月氏に人質に出されたいた人物であり、月氏との関係も一部とは
深い関係があって当然である。秦氏が冒頓単于を崇拝するのもうなづける。
ただ、タジマモリ、但馬にいた天日矛系は仙薬探求の故事から徐福集団が
楽浪方面に上陸していたものではないかと思われる。アカルヒメが出戻りし
これを追っかけたストーカーのような連中は明らかに秦始皇帝時代に活躍した
法律家のような一面があり、アカルヒメの同族が牛を殺すのではないかとして
予防拘束して国際離婚問題となっている。

181 :日本@名無史さん:2006/09/18(月) 11:47:29
さげ

182 :月光仮面:2006/09/18(月) 11:52:28
秦氏の石柱は豊前、吉備、山城へと広がるが注意して見ると、杭の下は
水、水杭、一方、三島の湟咋(みぞくい)の娘、勢夜陀多良比売(せやだ
たたらひめ)の容貌が美しかったため、三輪の大物主神(大国主神(前述))
は一目で心を奪われて、その娘が便所で用を済まそうとした際に赤く塗った
矢に姿を変えて、溝を伝って、その乙女の陰部をついてしまった。娘は驚きうろ
たえ、そしてその矢を拾って床に置いたところ、矢は立派な男の姿になって、
そのまま乙女を娶った。そうして産まれた子がイスケヨリヒメであるという。
http://shrine.s25.xrea.com/jinmu2.html
さて、弁秦には倭国の租界のようなものとしては、越、ナメリ(高山の鉛を輸出する
越中滑川か)、ミオヤマ(大和又は山門)等があるが、その中に摂津のようなものと
してはC (弁辰接塗國)
http://www.eonyang.com/history/history2_3.htm
がある。州鮮國というのは朝鮮国かな。

183 :月光仮面:2006/09/18(月) 12:00:37
このオオクニヌシの矢というのは丹塗りと言われるが、この文脈で現代風に
言えば白羽の矢であり、多くある豪族中、三島の豪族の娘を初代邪馬台国
女王卑弥呼に選出したと言う意味であろうか。

184 :日本@がいやまんさん:2006/09/18(月) 12:03:28
あげ

185 :月光仮面:2006/09/18(月) 12:15:50
少々脱線するが、
上述の国名比定において李がヨムヘ国をウルサンとしているのは正しく、
末松が迎日郡 杞溪面 (今 浦項市 北區)とするものに相当すると見る。
漏れは、気比大社が迎日であったのではないかと思っているんだが。

186 :月光仮面:2006/09/18(月) 12:36:03
>>182 >>183 こうすると、はっきりしない神武と欠史八代の時代は卑弥呼時代となり、
男王と卑弥呼が等しいとすると9代の卑弥呼があったと言うことになる。この間、大物
としては世襲足媛(丹後/尾張)、倭迹迹日百襲姫(播磨の黒田あたりか)等が出ている
ことから、女王は持ち回り選出であったのかもしれない。

187 :月光仮面:2006/09/18(月) 13:11:36
>>177
http://www3.coara.or.jp/~primrose/02081007.jpg
香春のこの風景は、伊都国/吉野ヶ里からの香山、金山/八幡岳、天山、背振山、
近江の三上山等銅鐸、銅剣銅矛文化はアルタイ(金山)、天山山岳信仰を如実に
示していると思う。

188 :月光仮面:2006/09/18(月) 13:45:01
>>182
河内の豪族は庄内時代に筑紫、豊前を席巻↓
北部九州の庄内土器出土主要遺跡
http://yamatai.cside.com/katudou/image/238-11.gif
邪馬台国/布留式土器時代に繁栄を極め、↓
加美・久宝寺遺跡
http://www.occh.or.jp/kako_news/images/040319/hajiki-leaflet.pdf
大和に邪馬台国を建設、後にこれを河内に移すわけであるから、大和朝廷という
のは本来河内政権と言っても過言でないのではなかろうか。


189 :日本@名無史さん:2006/09/18(月) 14:28:03
月光仮面は歴史に詳しいんだな、歴史博士だな、
でも話しが少し難しいよ、素人にも解るように話してくれ、
それとも俺が無知なだけか?

190 :日本@名無史さん:2006/09/18(月) 14:57:11
>>189
>でも話しが少し難しいよ、素人にも解るように話してくれ、
それとも俺が無知なだけか?

俺にもよくわからん。普通は、従来の説を踏まえてそれについて、
批判したり、修正したりするもんだ。資料を提出しつつ。

>>180
>タジマモリ、但馬にいた天日矛系は仙薬探求の故事から徐福集団が
>楽浪方面に上陸していたものではないかと思われる。アカルヒメが出戻りし
>これを追っかけたストーカーのような連中は明らかに秦始皇帝時代に活躍した
>法律家のような一面があり、アカルヒメの同族が牛を殺すのではないかとして
>予防拘束して国際離婚問題となっている。

スペクタクルだ!ところで、証明できる?

191 :月光仮面:2006/09/18(月) 15:34:42
未来の説を想定し、そこに何らかの首尾一貫性を見出そうとする手法を考えている。


192 :月光仮面:2006/09/18(月) 16:21:32
世界史、東洋史を破壊し、新しいものを作るためにはこうした発想の転換が必要↓
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1087800821/menu298-300
こういう作業のために2CH等はあるべきであり、漢籍といった孫悟空、三国志
のような読み物はウェブにもあるのだから本棚におく必要もないのではないか。
図書館や学校ではこんなことできないからね。

193 :日本@名無史さん:2006/09/18(月) 20:20:57

一応、秦氏から脱線しないようにしてくださいね、念のため。
「皆さん」のしゃべり場なので。

194 :日本@名無史さん:2006/09/19(火) 01:04:19
09:37:46
09:59:56
10:04:56
10:30:16
11:52:28
12:00:37
12:15:50
12:36:03
13:11:36
13:45:01
15:34:42
16:21:32

よく頑張った
感動した

195 :七色仮面:2006/09/19(火) 09:45:05
百済郡と住吉郡の2群しかないのは大阪の古地図のことであり、住吉が新羅なら
なんと大阪には・・・言いにくいので書けまへん、これは漢字と法律を使えたのが
外人だけなのでそうなっただけで倭人はあくまでご主人さまでした

196 :月光仮面:2006/09/19(火) 10:05:52
秦氏と北辰北斗信仰のつながりについて↓下記参照。
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1087800821/304-305

197 :日本@名無史さん:2006/09/19(火) 14:53:52
奥深い北辰信仰http://www.d1.dion.ne.jp/~okmys/myoken1.htm
葛飾北斎も妙見信仰だったんだよな、そういえば

198 :月光仮面:2006/09/20(水) 06:47:43
>>197
↓これは
http://www.d1.dion.ne.jp/~okmys/kosei2.htm
↓の延長線上でしょう。
「豊前の古歴史」
http://www.sysken.or.jp/Ushijima/Den-buzen.html#anchor1959758
「託宣集」によると、八幡大神は小倉山にいた先住の地主神である北辰神に、一緒に住
んで法界衆生利益の願を発そうと持ちかけたところ、北辰神は彦山に権現がいて、一
切衆生を済渡していると云った。香春大明神も八幡大神にむかって同じようなことを云
った、とある。北極星を神格化した北辰神を、妙見菩薩といって鉱山に関係がある。北
極星の信仰はもともと道教から出発したもので、渡来人が持ち込んだものである。

199 :月光仮面:2006/09/20(水) 11:29:13
昼・太陽と夜・星辰は暦の上では日月・新旧暦の対立となっていまだに残るが、
その起源は古い↓
http://www.yugakusha.net/study/yoshimura_egypt/200503-2.html
2つの暦制度を内包する集団と言うのは既に政府と言うか、統治機構と
産業を内包する国家のような集団と見てもいいのではなかろうか。すると、
豊前から本土に上陸する集団は記紀に言う神武東遷に匹敵するという
ことになる。

200 :日本@名無史さん:2006/09/20(水) 13:05:24
便利な図表、発見!

「聖書と秦氏、日本の不思議な関係・失なわれた10支族」【図表】
http://www.geocities.jp/bluewhitered34/seishotonihon060829excelshousai.htm

陰謀論の【図表】
http://www.geocities.jp/bluewhitered34/sekainouraexcel0915kuwasiisaishuu1web.html
「トップ・ページ」
http://www.geocities.jp/bluewhitered34/index.html

201 :日本@名無史さん:2006/09/21(木) 06:26:38
269 :月光仮面 :2006/09/06(水) 12:32:26 ID:Os+qoGdR
こうした大陸からの来訪者の時代背景を考察する上で目安になるのは
秋田のナマハゲ伝承である。

「そのひとつは、中国漢の時代に不老不死の薬草を求めて男鹿島にやって来た
武帝(ぶてい)の話である。漢の武帝は自らは白鹿に乗り、五匹の蝙蝠(こうもり)
に化した眉間(みけん)・逆頬(さかうら)・眼光(がんこう)・首人(くびと)・押領
(おうりょう)の鬼どもを従えて渡ってきた。武帝は鬼どもを日頃に酷使していた。
そこで一年のうち一日だけ村里に出て自由な振舞いを許したので、悪態のきりを
尽くして娘まで攫(さら)ったりした。困り果てた村人は一計を案じ、鬼どもと賭
(か)けを申し入れ、鬼が勝ったならば毎年娘をさし出すというものであった。
賭けは一晩のうちに1000の石段を積むことである。鬼どもは怪力を用い
石段は夜明け前にはでき上がりそうになる。慌(あわ)てた村人たちは夜明けを
告げる鶏(にわとり)の鳴き声を真似て、あわよく999段目で鬼を騙(だま)して
決着をつけた。鬼どもは賭けに負けた悔しさに、そばにあった千年杉を引き抜き
逆さまに地面に突き刺して山にもどったという。その後、騙した鬼たちの崇りを恐れ、
年に一度若者たちが鬼に扮して村を訪れ、そのために村人は充分にもてなして
山に帰ってもらうというのである。
http://www.namahage.ne.jp/namahage/oga/sinwa.htm
武帝は始皇帝の後を追ったものかバイアグラのようなものを服用していたと言う。
前108年衛氏朝鮮を平定して,その故地に設置したいわゆる〈漢四郡)がら、秋田に
バイアグラをもとめてやってきたのはその頃以降であろう。ただし派遣されたのは
いわゆる戎、つまり、匈奴系であったのであろう。

>>武帝は始皇帝の後を追ったものかバイアグラのようなものを服用していたと言う。

お・・・面白い。

202 :日本@名無史さん:2006/09/21(木) 06:52:12
秦氏が移民してくるのは感じは知り合いとしか思えないよな

203 :七色仮面:2006/09/21(木) 07:16:33
新羅系がさきに移民をしててそのツテをたよって職業部の羽田氏は移動しました
いまでも羽田氏は性格の悪いヤシが多いのはそのせいです

204 :日本@名無史さん:2006/09/21(木) 07:57:27
>>180 :月光仮面 :2006/09/18(月) 10:30:16
月氏は冒頓単于に打たれるのであるが、黄河の西(河西地方)に残った勢力は
「小月氏」と呼ばれた↓
http://www.tcat.ne.jp/~eden/Hst/dic/gessi.html
これが南下して馬韓に入って月支、更に秦韓には言っては秦氏と変化する。



う〜ん、う〜ん。

4世紀、吉備の地名はハダ(葉田)=秦 である。
吉備秦氏の伝承を今に伝える末裔一族の苗字は、河西である。
他に河西一族は、山梨県甲府、大月、南アルプス市一帯にあり、南下すれば
神奈川の秦氏居住地だった秦野がある。
岡山吉備と甲府に共通するのは、天然の涼水。昔は蚕、今はぶどう園、ワイン畑。
まさに河西回廊、シルクロードの民と同じルーツだったのか。感慨、、、、


205 :日本@名無史さん:2006/09/21(木) 15:54:13
>>201
そういえば、中国語で日本のことを「東瀛(とうえい)」とも言うんだよな。
ちなみに「瀛州」と言えば、東海の神山を指す。
「蓬莱」「方丈」と並び称される伝説の神山だ。

あ〜ロマンだね〜。

206 :日本@名無史さん:2006/09/21(木) 15:56:18
ちなみに、日本のことを敬意を込めて「瀛州」と呼ぶ椰子もいる。

207 :入力ミス:2006/09/21(木) 16:03:38
>>205

瀛州 ×

瀛洲 ○

208 :月光仮面:2006/09/21(木) 17:38:58
>>205 山海経も、・・・蓋國在鉅燕南倭北 倭屬燕(蓋國は沿海州、咸鏡北道にまた
がって地名が残るので吉林省・沿海州、すると鉅燕というのは黒龍江省、アムール、
チタ、イルクーツク州、蒙古、アルタイであり、倭は内蒙古となる) 朝鮮在列陽東 
海北山南 列陽屬燕(朝鮮は遼の東方、海北山南、これは咸鏡北道か、燕に属す) 
列姑射在海河州中(列姑射は海河州、これすなわち、黒竜江河口浅瀬の彼方、
つまり、樺太) 射姑國在海中 屬列姑射 西南 山環之 大蟹在海中(射姑國は
樺太西南、大きな蟹、すなわち、タラバ蟹の取れる北海道、山環之とは積丹半島
あたりか) 陵魚人面 手足 魚身 在海中  大居海中 (そしてこれはとど、
オットセイ等か) 明組邑居海中 (これは津軽あたりかな)  蓬山在海中 
(これが富士山か) 大人之市在海中 (これが玄界灘あたりか)・・・とまー、
こんなにも読める。

209 :月光仮面:2006/09/21(木) 17:58:44
明組邑居海中、いさり火でイカをつっていたのだろうか。

210 :日本@名無史さん:2006/09/21(木) 18:03:45

月光仮面
       あんたの話もう飽きた、スレ違い
       どっか朝鮮スレでやってくれ。

211 :七色仮面:2006/09/21(木) 19:47:42
とにかく羽田氏の性格が悪いのは古代にいじめられたからです

212 :日本@名無史さん:2006/09/21(木) 22:36:32
>>211誰にいじめられたんだ???

213 :月光仮面:2006/09/22(金) 07:32:08
戦国、秦、漢時代にできた山海経によると倭人は燕に属し、その北方、つまり、
内モンゴル辺りにいたとある。倭人の北、つまり、モンゴル以北は鉅燕、順番から
見ると倭人の東方が列陽、その隣が朝鮮だから、列陽は遼のようだ。これらの
北方に、つまり、吉林省以北に蓋がったようだ。そして大河の洲と、海とが一緒になる
黒竜江河口の彼方に列姑射、つまり、樺太があり、その西南に山に囲まれたような
地形、大きな蟹の取れる射姑國ありとするが、どうも地形からは積丹半島のイメージ、
更に、陵魚人面 手足 魚身 在海中  大居海中と言うのはトド、アザラシの感じ。
順路で行けば、更に南下すると、明組邑居海中、これは意味が不明だが海の辺に
あり、蓬山在海中、 大人之市在海中、これが玄界灘周辺の感じである。つまり、
後半は日本海をぐるりと南下しているようだ。

214 :七色仮面:2006/09/22(金) 07:43:14
中国から見ると倭人は周りにウジャウジャいてて、ニセ倭人の倭寇が海賊をしてた
ので、倭人の固定は無理のようです、羽田氏は勤勉でよく働くのでいじめられました
これがグウタラならだれも相手にしません

215 :月光仮面:2006/09/22(金) 08:05:03
別スレでやろうとして、清書していたら、ついついこのスレでリターンキーを
押しちゃった。しかし、多少は関係あるからなー。倭人のやや西方には月氏
がおり、その東方には秦がいる。後になって皆関係してくる。

216 :月光仮面:2006/09/22(金) 08:12:56
>>214
倭人のほうからすれば、孔子も東夷にあこがれたように、周が殷を打倒したように、
邪悪な古代国家の風習を持つ中原を離れ新天地を求めていたのかも。彼らは
長江下流域方面から北上、内モンゴルを経由南下して日本に流入し、縄文人と
合流して日本人を作ったのでしょう。

217 :月光仮面:2006/09/22(金) 08:52:00
>>213
「出羽国飽海郡遊佐町の三崎山遺跡は鳥海山西山裾であるが、ここから青銅刀子が
出土している。縄文時代中期から後期のの土器や石槍などが伴出しているし、この
刀子と同じ形の石製刀が各地から出土している。この青銅刀子をまねて縄文人が
作ったものである。
 これら縄文人が青銅器を造ったのではなく、これは大陸の殷王朝の時代のもので、
サハリン、北海道経由なのか、対馬海流にのってか、当地にもたらされたのである。」
http://www.kamnavi.net/it/higasi/yamashouwa.htm
上記山海経の情報には殷の時代の黒竜江・樺太貿易ルートが含めれている可能性がある。

218 :七色仮面:2006/09/22(金) 09:27:04
そんなに多くの文章を書くには相当な時間をついやされてますのでしょうね
もちろん時間と知能も投入されてるわけで、趣味でやってられるのにしては
えらい入れ込みようで、私のようなあさがくの者にとっては

219 :月光仮面:2006/09/22(金) 09:43:37
>>213
時代的背景を考えると日本の中心が三内丸山をあまり離れていない頃だから
玄界灘はありえない。遊佐町の殷の刀子を考えると蓬山在海中は鳥海山、
明組邑居海中大人之市在海中は庄内平野が海中にあった頃の鶴岡市水沢
近辺か。明組はミズと読める。

220 :月光仮面:2006/09/22(金) 09:47:25
>>218
>>215 見てくれたらお分かりの通り、アルツハイマーの前触れのようなものが
あり、早く薬ができないとこれの連続になりそうで。

221 :月光仮面:2006/09/22(金) 10:33:21
>>210 あるいはまた蓬山が岩木山で、ミズ村は三沢近辺、三内丸山近辺かもしれない。

222 :月光仮面:2006/09/22(金) 11:07:38
世界の考古学を見渡すと停滞している。その中でひときわ前進を続けるのは
目下日本の国士舘とか、歴博ではないかと思う。天皇制があり、これが聖典として
宗教的に史書を使用する関係上、学問の発展が阻害された。天皇制を教護にするには
宗教で武装するのではなく、科学で武装しなければ国際的に通用せず、全く無力で、
北朝鮮と同じである。古代史を研究すれば天皇があたかも天から降るような状況で
誕生したことがよくわかる。つまり、歴史の途中で霊的な過程を経るというか、宗教の
世界を経た後に世に出現している。

223 :日本@名無史さん:2006/09/22(金) 11:14:00
も少し秦氏にフォーカスしたいのだけど、

>>204
 まさに河西回廊、シルクロードの民と同じルーツだったのか。

地名と氏族名が転移することはあるのだろうか?
甲斐武田武将にも同族がいるみたいだが

朝鮮の月支国は小月氏なのか?
月氏というとトルコ系というよりもイラン系?

224 :月光仮面:2006/09/22(金) 11:29:14
>>223 後漢書六夷伝韓伝
「子が生まれるとその頭を平らにしようとし、皆これを石で押さえつける。
(要注意)
弁辰は辰韓と雑居し、城郭・衣服は皆同じだが、言語・風俗には異なる
点がある。
その人々の体は皆大柄で、美しい髪を持ち、衣服は清潔である。
刑律は峻厳である。その国は倭に近く、故に入れ墨をしている者が非常
に多い。
初め、朝鮮王準が衛満に破れると、その残りの部下数千人を率いて逃走
して海に入り、馬韓を攻めてこれを破り、自立して韓王となった。
準の子孫が滅んで絶えると、馬韓の人間がまた自立して辰王となった。
建武二十年(44)、韓人の廉斯の人蘇馬ィ(そばし)らが楽浪郡に
やって来て貢物を献じた。(※廉斯は邑の名である。)
光武帝は蘇馬ィを漢の廉斯邑君に封じ、楽浪郡に属させ、四季に朝謁
させた。」

225 :月光仮面:2006/09/22(金) 11:38:40
>>224
子が生まれるとその頭を平らにしようとし、皆これを石で押さえつける。
こうすると大月氏の王の頭になる↓
http://en.wikipedia.org/wiki/Image:Heraios.jpg



226 :月光仮面:2006/09/22(金) 12:06:55
英米系、中央アジア系掲示板書き込みではトカラ、月氏は幼年時に頭に板を
縛りつけ頭骨を平坦にすると言う。

227 :月光仮面:2006/09/22(金) 12:19:26
>>223
>>地名と氏族名が転移することはあるのだろうか?
必ずと言って地名、氏族名は一緒に動く。
>>朝鮮の月支国は小月氏なのか?
頭骨扁平習慣、白人であると言う推古・斎明記記録によりトカラ人小月氏は朝鮮
月支国、後の百済から渡来したもの。
>>月氏というとトルコ系というよりもイラン系?
月氏はトルコ系ではない。ただし、トルコ系文化に日月信仰などを与えたのは月氏。
トルコ系文化は山戎文化として渡来、オオヤマズミと関係があるようだ。月氏は印欧
ケンタムで、英語、ドイツ語などに近い。イラン系ではない。イラン系はサカ氏で坂上
田村麻呂、佐伯などがそのようだ。


228 :月光仮面:2006/09/22(金) 12:58:14
日本は記紀に基づき、月氏がトカラ人であったと言うことを世界に公表しなくては
ならない。政府系の文化庁、文部省、歴博やらないのなら漏れが個人でHPでも作って
やるっきゃないが、しんどいなー。記紀を英語に訳すなんて大変だ。玄奘とか、竺法護
ではあるまいし。そこで質問が来たらどうしよう。

229 :月光仮面:2006/09/22(金) 13:26:35
>>225
巫女埴輪については、頭上に石を載せているのではないかと見られる。
そうだとすればこれも馬韓月支国の風習に起因するものかもしれない。

230 :日本@名無史さん:2006/09/22(金) 14:03:37
>>228
お元気なうちにぜひ開設してください、応援しますよ。
まとまった著書があれば読みたい。ブログとかないでしょうか?

日本人の始祖グループに、そういうユーラシア遊牧系がいたことが世界化
すれば、将来大きな政治的な影響を持つでしょう。特に中韓に対して。
国はこの方面に多大な予算をつけ、中韓の歴史教科書にも逆介入すべきですね
古代日本が中華圏でないアジア横断文明圏であることは、覇権主義の中国解体に
影響を与え、アジア諸民族の自決独立に道を開くことでしょう。
日本はシルクロード中東諸国と連携し、21世紀の覇権国米中に対抗すべきです。
>>229
あれは石だったのか?

231 :日本@名無史さん:2006/09/22(金) 14:37:48
http://www.kappa-kyoto.vis.ne.jp/bunka/kamosi.html
長岡京を作った時の主計局長(今でいう大蔵省の事務次官)は秦足長です。
秦氏の家には天皇も泊まったとの記録もあり、秦氏は非常に天皇と近い存在
だったと思われます。
水を操り、農地を造り勢力を蓄えるなかで、平安京の遷都に深く関わる。
水を操ることの大切さを示している事例です。

>天皇と秦氏の関係について詳しい人いませんか?

232 :日本@名無史さん:2006/09/22(金) 14:54:49
>>231
>>5
>313年、楽浪・帯方を滅ぼされ朝鮮半島に残され途方に暮れていた
 斜陽華北人。
>そこに仲哀天皇がラブコールを送った。

漏れも「ラブコール」の詳しい経緯を知りたい。ご教示願いたい。

233 :日本@名無史さん:2006/09/22(金) 14:58:10
>>230
>日本人の始祖グループに、そういうユーラシア遊牧系がいたことが世界化
すれば、将来大きな政治的な影響を持つでしょう。特に中韓に対して。

中国はともかく、韓国に対しては完全な逆効果でねえの? 喜ばれるよ。
漏れは日本人だから、別にどうでもいいけど。

234 :日本@名無史さん:2006/09/22(金) 15:04:44
>>230
>日本はシルクロード中東諸国と連携し、21世紀の覇権国米中に対抗すべきです。

…中国はともかく、「米国」に対抗ってなに?!
そのアメリカを牛耳っているのも、ユダヤ人なわけだが。
アラブもペルシャもトルコもユダヤも親日だが、ちょっとキモイよ。あんた何者?

235 :月光仮面:2006/09/22(金) 15:16:00
>>230
勇気付けられました。やるときは皆さんにお見せしてご指導ご鞭撻を仰ぎたく、
ご協力お願いします。さて、ご案内の通り、日本の舌足らずによって世界は大変
困っています。やはり、世界の一員として前向きにやるべきでしょうね。民族紛争
を抱える大国にとっては、階級意識に徹して民族意識を危険視する傾向もあるよ
うですが、民族の歴史に日本の神社仏閣のような心の癒しとなるものとの共通点を
認識することは穏やかな世界観の形成、社会の安定に寄与するとともに、相互に
観光資源開発、観光需要供給拡大という経済効果をもたらすと言う面もあろうか
と思われます。こういうことのできるのは日本だけでは。

236 :日本@名無史さん:2006/09/22(金) 20:46:36
>>230
>お元気なうちにぜひ開設してください
月光仮面は死期のせまった老人なのか。


237 :日本@名無史さん:2006/09/22(金) 23:25:27
古文献のひとつに『日本書紀通釈』という書物があります。
『日本書紀』について書かれたものだといいますが、そのなかで雄略天皇
について興味深い箇所があるといいます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「天下に朕が開きて見られざるのなしと宣(のたま)いて、この黄金の
つるべすなわち甕の口を開かせ給いてたるに、中より白い煙が出で
たるより、畏(かしこ)みてこれをもとのごとく密閉せしめたり」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
古来より、代々天皇家には伝わる「黄金の壺」があったといいます。
雄略天皇は、この「黄金の壺」を見ようとしたようです。そして、開けようと
したところ、中から白い煙が出てきたので、びっくりして、慌てて閉めたと
いいます。「黄金の壺」とは何か、ということですが、これこそが「マナの壺」
です。なぜなら、聖書には、「マナの壺」は、黄金であることがはっきりと
記されているからです。


238 :日本@名無史さん:2006/09/22(金) 23:31:07
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
そこには金の香壇と、すっかり金で覆われた契約の箱とがあって、
この中には、マンナの入っている金の壷、芽を出したアロンの杖、
契約の石板があり、 また、箱の上では、栄光の姿のケルビムが償い
の座を覆っていました。 (新約聖書「ヘブライ人への手紙」第9章4節〜5節)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
何と、雄略天皇が見たのは、イスラエル三種の神器のひとつ、ガド族が
伝承したという黄金の壺、「マナの壺」だったということになります。
イスラエル三種の神器を、なぜ天皇家が代々伝承してきたのかというと、
日本の三種の神器とは、イスラエルの三種の神器に他ならないから、と
いうことになります。そして、天皇家のルーツは、失われた10支族の
「ガド族」である可能性があるからです。
中から白い煙が出たとは、これまた奇妙な現象ですが、これは指摘されている
ように、浦島太郎の「玉手箱」から、白い煙が出たとする現象とも重なってきます

239 :日本@名無史さん:2006/09/22(金) 23:33:46
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「雄略天皇が「マナの壺」の蓋を開けたという事件に、南方系の神話を
オーバーラップさせて、「海幸彦・山幸彦」ができあがり、されに中国
の神仙思想が加わって、「浦嶋子の物語」、そしてお伽話「浦島太郎」
へと変化していったのではないだろうか。(『神武天皇の謎』より引用)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「マナの壺」の行方の鍵を握るのは、第21代・雄略天皇ということに
なります。次回、雄略天皇から「マナの壺」の行方を追ってみます。

240 :日本@名無史さん:2006/09/23(土) 00:54:45
age

241 :日本@名無史さん:2006/09/23(土) 06:52:31
>>230
例えば六カ国協議のメンバーから米・中・韓を排除すると、残るは北朝鮮とロシア
だけになってしまうorz
中央アジアの民主化やウイグルの人権問題に最も力を入れているのはアメリカだから、
本来この地域を支援しようと思ったら、アメリカに対抗するのは難しい事なのだ。

どういう思想の持ち主か知らんしどうでもいい事だが、ここのスレ主以外にも秦氏の
子孫が沢山いらっしゃるという事を考えた事があるのか?東儀秀樹なんかが、政治の
駒になりたいと考えているかどうかっていう事だが、少し失礼ではないだろうか。

242 :日本@名無史さん:2006/09/23(土) 06:54:15
訂正(日本以外では)残るは北朝鮮とロシア だけになってしまうorz


243 :月光仮面:2006/09/23(土) 08:36:14
基本的に、漏れなんかの出る幕じゃないって事は百も承知なんだが、誰も何もしないの
ではしょうがないんじゃないかってことなんだが。それと、このスレが学問、文系ということ
で、思想的なこととか、政治的なこととか、商業的なことはやめてよ、という暗黙のルール
がある。これは守るべきだ。しかし、社会は学問だけじゃないんだよなー。この辺に限界
もある。だから、このスレで何かを発言することすらなかなか難しい。ネットでは、更にまた
国際社会ではなおさらのことだろう。・・・
しかし、自由闊達な雰囲気こそ万人の望むものであると言うこともいえるし。
東儀さんなんて方の才能を見るとすごいと思う。この才能と吉村さんのようなエジプト
考古学の実力が共演されるとすごいものになるだろうな。とにかく日本はすごいよ。

244 :月光仮面:2006/09/23(土) 08:46:57
米国は世界中の人種が集まっている上に中央アジアを含め国際的考古学的
研究の伝統がある。現在も、多少現地人パワーにウェートを移しながらも立派に
座長を務めている。日本がこれに向こうを張ってなどトンデモな話だ。しかし、納税者
の一員としてアメリカのいいなりになったりして日本の国費をこれ以上増やすのは
いやだ。が、日本の先生方も英語で活躍するのには閉口しているようだね。

245 :七色仮面:2006/09/23(土) 09:00:42
羽田さんが性格が悪いのはいじめられたからです、働きすぎて表彰されるとおもいきや
まわりからしっとされてしまい、ちにはたらけばカドがたつのことわざのとおりです、
亀岡や京都の造営を羽田さん一人でやったみたいで

246 :月光仮面:2006/09/23(土) 09:04:46
NHK松平、石坂等のシルクロード小河墓遺跡、石坂等の世界ウルルン滞在記、
江守の解説等が好きなんだが、特にNHKの小河墓遺跡、中国もよく見せたもんだよ。
ネバダ、セミパラチンスクのような核実験場の近くだもんなー。それにしてもNHK
は宝の持ち腐れだ。2CHでこれを利用しているのは漏れくらいなもんだなー。
オット脱線した。

247 :月光仮面:2006/09/23(土) 09:19:43
倭人と言うのは燕北方に展開していた多民族の集団で、これは弥生の早い段階
から日本列島に浸透して来た。他方、秦氏というのは同じ様な集団だが、朝鮮半島
においてずーっと後まで上層階級に留まっていたものがあるときに日本に入ってきた
のであり、天日矛などもよく似たものだろう。多少選民、秘密結社好みのところが
あるようだが、ツァイトガイストとでもいうか、オカルチックな秦の時代の影響もあるん
だろう。

248 :日本@名無史さん:2006/09/23(土) 10:15:19
>>243
>東儀さんなんて方の才能を見るとすごいと思う。この才能と吉村さんのようなエジプト
考古学の実力が共演されるとすごいものになるだろうな。とにかく日本はすごいよ。

東儀さんは中国に入り浸って、中国人と仕事をしているよ。雅楽だからね。
シルクロードにも興味がお有りのようだけど。

249 :日本@名無史さん:2006/09/23(土) 10:21:34
>>248
ほらよ。子孫のアイデンティティーが各自マチマチなのが「秦氏」最大の特徴か?
http://www.shwalker.com/shanghai/contents/spinterview/200506/index.html

250 :月光仮面:2006/09/23(土) 10:50:45
東儀さんには大相撲のように世界を結びつける可能性があるなー。
話は変わるが、日活出身の苅谷俊介さんも邪馬台国のプロだなー。
が、テレビ局の使い方を見ると生かしきっていない。歴史と地理を組み合わせ
お料理番組にするのが最高にいいと思う。なんだか漏れも地が出てきたなー。
要はわれらは所詮ライブ2CHなのさ。

251 :日本@名無史さん:2006/09/23(土) 10:54:16
>>230
>日本はシルクロード中東諸国と連携し、21世紀の覇権国米中に対抗すべきです。

国民感情的にいうと、まあうなずける230のたった一言で、ここまで親米発言が
わらわら出てくること自体が、このスレの特異性を物語っている。
230的スタンスの発言は、911以降のネット世論を観察しているメーソンにとっては、嫌な発言
なんだなということがわかったよ。急に「マナの壺」の宣伝が始まるしね。
メーソンにとってもこういうおとなしくて良質のスレは、もっと育成してから工作活用
したほうが得だと思うが。幕やか教科書問題の連中かしらないが、観察者の質が悪い。w

252 :日本@名無史さん:2006/09/23(土) 11:09:18
>>248
シルクロードにも興味があるどころか、彼は元来そっちの専門家です。
チェコ、ハンガリー、モンゴル政府筋とも近いし、オリエント音楽全般と
一定の交流をもつ宮内庁秦氏の顔役じゃん。
東儀氏の母君は河勝直系筋らしいが、赤穂や京都でサロンをもってるよ。

253 :日本@名無史さん:2006/09/23(土) 11:10:37
>>250
>東儀さんには大相撲のように世界を結びつける可能性があるなー。

音楽は国境を越えるからね。
面倒だから、秦氏の先祖は西域出身(秦人)の景教徒だってことにしちゃう(苦笑)?
陝西省あたりも、広く考えれば秦人の末裔なんだろう。
今では漢人になっちゃってて、秦人意識を持つ椰子なんて皆無だろうけど。

>>1
一度「秦氏子孫会」でも開けば?
特別ゲストに東儀氏でも呼んで。
子孫同士でじっくり話し合った方がいいんじゃないのかw

254 :日本@名無史さん:2006/09/23(土) 11:14:01
>>252
>宮内庁秦氏の顔役じゃん。

宮内庁は退職したよ。だから中国で悠々とやっているのさ。

255 :月光仮面:2006/09/23(土) 11:16:21
おせっかいだけど、秘密結社もいいが、割礼はやめろよなー。韓国では
やると言うが。あれは児童虐待の極みだぜ。

256 :月光仮面:2006/09/23(土) 11:21:55
日本の秦さんと引き換え、中国の奥地の秦族は絶滅寸前だ。多少援助してやったら
どうなんだ。

257 :日本@名無史さん:2006/09/23(土) 12:03:45
>>186,231,232
邪馬台国大和説のキーマンで大和吉備連合朝廷時代の最初の女王候補の
倭迹迹日百襲姫は、覇権拡大時代の大和朝廷吉備津彦の姉か叔母。
応神、仁徳天皇時代に姫をだしていた初期外戚ミトモワケ、
カモワケは、吉備中心地をハダ(葉田=秦)と呼んでいた。(書紀、吉備古書)
ハダ(吉備)・タテツキからヤマト・マキムクへの移動が邪馬台国消滅・朝廷成立の鍵。
吉備津彦神社の祭神は倭迹迹日百襲姫。


258 :日本@名無史さん:2006/09/23(土) 12:30:54
>>253>>256
>陝西省あたりも、広く考えれば秦人の末裔なんだろう。
今では漢人になっちゃってて、秦人意識を持つ椰子なんて皆無だろうけど。
>日本の秦さんと引き換え、中国の奥地の秦族は絶滅寸前だ。

実際には「こちとら江戸っ子」「おいどんは薩摩隼人」のノリで「秦人之后裔」
と称する者もいるようだ。
  ↓
>526 :世界@名無史さん :2006/09/17(日) 21:42:43 0
漢網に大秦景教徒っていう肩書きの人がいるけど、『秦氏の謎』みたいだね。


本場中国の秦人が今となっては漢族意識が強固で揺るぎ無い状態なのに比べ、
日本の秦氏が相変わらず「秦人」意識が強烈なのは、実に興味深いね。
そんで子孫の皆さん、第一回秦氏子孫会は、上海でふらふらしている東儀氏を
スカウトして来て、兵馬俑のお膝元でやるかww?

259 :日本@名無史さん:2006/09/23(土) 12:57:38
>>253、258
うるさいな。秦氏関連のサロンはすでに無数にあるだろ、係留人口を考えろよ。
宮内庁林守系譜の会、他の有力な雅楽サロン
能の大倉家、他世阿弥係留の無数の秦末裔のギルド(そもそも末裔じゃないと
生存しずらい京都古典芸能業界)、松尾神社を頂点にした酒屋業界、鳥井家のサントリイの会。
賀茂神社と神社庁保守派の会。
羽田元首相らと薩摩島津家ら秦氏本流を自称している政財界の連中。
谷垣や宮沢が出入りする三井家や三菱のそれぞれの財閥勉強会。
明治天皇の孫でメーソン告発してる某女史の会も類似かな。
広隆寺寄付会だけでもすごい人数なのだが。w

260 :日本@名無史さん:2006/09/23(土) 13:12:18
有名人以外の普通の秦氏が集えるところってあるの?
元首相とかと楽しくおしゃべりする雰囲気じゃないね。

261 :日本@名無史さん:2006/09/23(土) 13:14:05
まあまあ、部外者にはわからんよ
旧山城と赤穂の間にも交流はないのだから。
ましてや、宇佐、吉備、京都、近江、関東諸氏ときては、無理
せいぜい牛祭りや若狭で挨拶するくらい

262 :日本@名無史さん:2006/09/23(土) 13:18:58
>>259
明治天皇の孫
宮内庁林守系譜の会
他の有力な雅楽サロン
羽田元首相らと薩摩島津家ら
三井家や三菱のそれぞれの財閥勉強会
------------
緊張して飯が不味くなりそうだね・・・^^;

263 :日本@名無史さん:2006/09/23(土) 13:34:37
明治天皇の孫って、例の自称御落胤のオバサンだろ。
旧宮家でもなんでもないし、自称アリスガワと似たようなもんだw

それに羽田だってそういう苗字名乗ってるだけで、確証なんかないだろ。
苗字の本読んで「ウチの先祖は○○」って言ってる連中と変わらない。

264 :日本@名無史さん:2006/09/23(土) 14:23:24
>>263
>宮内庁林守系譜の会、他の有力な雅楽サロン
能の大倉家、他世阿弥係留の無数の秦末裔のギルド(そもそも末裔じゃないと
生存しずらい京都古典芸能業界)、

皇室関係や伝統芸能の世界は、素性が確かそうだね。当たり前だが。

265 :日本@名無史さん:2006/09/23(土) 14:24:39
皇室関係 ×
宮内庁関係 ○

266 :日本@名無史さん:2006/09/23(土) 16:55:35
大晦日に誰でも参加できる秦氏の能の奉納会があったと思う。
参加したことないけど、朝までわいわいと飲むらしいよ。
こういう時代なんで、末裔や関心者のオフ会やれば、相当集まるだろうな

羽田元首相が昔議員だった畑議員に同族会を呼びかけたけど、畑のほうは自分が
末裔だということも知らなかったらしい。

267 :日本@名無史さん:2006/09/23(土) 17:16:47
ちょっと教えてほしいんだけど、
秦氏の苗字って畑中、波多野、羽田とかあるらしいけど、羽中田って苗字は秦氏の末裔になるのか???
秦氏の苗字になるのかな?

268 :日本@名無史さん:2006/09/23(土) 17:28:32
秦氏の場合、どこが本家筋だったかわからなくなるみたい。
四国の長宗我部は川勝の3男だったかの子孫らしいが、徳川時代に
なり、山之内のような田舎侍がきて殿様上士になるから、幕末のときは下層に
おかれていた旧長宗我部遺臣団が、土佐勤皇党、庄屋同盟になり、革命の
導火線になっていった。「秦が天子さまを抱いた構図」は、島津も毛利も似たようなものだろう。
関が原の負け組みの秦氏豪族筋が、賀茂神社を語り葵のご紋を詐称した徳川に
反旗を翻すときの錦の御旗になっていた。
初期はメーソン系外人軍商人と島津や毛利の資金で動くが、鳥羽伏見以降の
軍資金を江戸中期に太秦を再興する三井が拠出し、明治になり岩崎弥太郎たちも
参画していく流れは、アメリカ独立戦争のメーソン系ギルドと似ている。
投資回収の拡大という資本主義的市場形成の基本は、河勝の頃から変わってない。

269 :日本@名無史さん:2006/09/23(土) 18:09:55
>>267
なるんじゃない。
苗字で言うと人口の15%くらいが秦氏=藤原氏(婚姻関係)系譜らしいよ。
血流で言うと天皇の血も秦氏の血ももたない日本人はいないと思われ。

辛嶋、勝、波多野、羽田、松尾、加茂、広畑、広中、八幡、林、服部、古池、白髪、
多、大、三宅、大倉、大蔵、畑、火、園部、苑、神、筒、岡田、楽、愛知、小倉、
こういう字、発音を含む人は秦氏系譜かな。
他にもたくさんあるだろうが、詳しい人よろしく



270 :日本@名無史さん:2006/09/23(土) 18:35:22
>血流で言うと天皇の血も秦氏の血ももたない日本人はいないと思われ。
日本の氏族制度から勉強しましょうね。

271 :日本@名無史さん:2006/09/23(土) 19:12:40
>>266
>大晦日に誰でも参加できる秦氏の能の奉納会があったと思う。
参加したことないけど、朝までわいわいと飲むらしいよ。
こういう時代なんで、末裔や関心者のオフ会やれば、相当集まるだろうな

それいいね、「秦氏末裔オフ会」。

>>258
中原西部に住んでる人間で、秦人の末裔意識のある椰子と「秦人オフ会」
と称して、飲みながらシルクロードのロマンについて語り合うのも男前だねw

272 :日本@名無史さん:2006/09/23(土) 19:16:57
朝鮮系のスレって妄想と願望ばっかりですね(^-^)

273 :日本@名無史さん:2006/09/23(土) 19:27:27
>>272
>朝鮮系のスレって妄想と願望ばっかりですね(^-^)

朝鮮人はお前だろう。とっとと、帰国汁。

274 :sage:2006/09/23(土) 20:09:29
「隠された日本史」の図表
http://www.geocities.jp/bluewhitered34/seishotonihon060829excelshousai.htm

(トップページhttp://www.geocities.jp/bluewhitered34/index.html

275 :日本@名無史さん:2006/09/23(土) 21:22:09
妄想と願望スレ

276 :日本@名無史さん:2006/09/23(土) 22:15:26
じゃあ、普通に楽浪漢人でもいいよ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
日本@名無史さん :2006/09/15(金) 22:13:53
 「普通二年、王姓募名秦、」     「梁書 辰韓伝」

普通二年(521年)、王姓を秦の名から募り、
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/siragi-kanbun1-ryosho.htm

上段漢文、下段和訳らしいけど (王姓、募り名は秦)と読めないか?
これだと後、倭国に秦王国ありの意味が、良く理解できるけどな。
この梁書辰韓伝と韓国の三国史記、内容が全然違うな梁書は同時代の書で
三国史記は約600年後の1145年完成だからな信用できんな。

168 :日本@名無史さん :2006/09/16(土) 07:09:10
(前半略)
>(王姓、募り名は秦)と読めないか?
王姓を秦の名から募り、となっているが・・

「名」は一字で〜と名乗るで、「募」も〜を募る、と後半にかかって来るから、
「王姓を秦の名から募り」となるが、秦人を名乗る者の中から王姓を募る?何かヘンな感じ。
秦韓人が亡命集団であり、言葉が中国語に似ており、周辺諸国に対して極めて肩身が狭かった、
ということは理解できた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
これなら別に「妄想」でも「願望」でもないでしょう?

277 :日本@名無史さん:2006/09/23(土) 22:17:46
ほらよ、こういうのもあるよ。


493 :日本@名無史さん :2006/09/05(火) 04:53:45
なんだかスレタイがひどいので、書きたくないが、中央の学会が知らない事実
一応だしとく。東大京大の学閥対立の中で無視されてきた吉備に注目。
日本で最初の「ハダ(秦)」は、日本書紀他にみえる。応神天皇が后(吉備)を
追って吉備国まできて、ハダ(総社市秦村)の地に逗留し、ミトモ別(妃の兄)の接待に預かり
吉備の地を与えるという話。2世紀最大の墳墓は吉備のタテツキ。それが大和の
マキムクに引き継がれ(邪馬台国首都論争で有名)4世紀当時最大の造山古墳
(非天皇陵では国内最大、墳墓全体でも4位)は吉備の王稜。河内にいたとされる
応神、仁徳から急速に古墳が巨大化するが、この土木技術は、他の堤工事実績から
秦氏以外には候補はいない。各種資料から当時の「ハダの支配地=吉備」なので、
少なくとも380年当時、応神の時代には、書記でかかれたように弓月王の渡来を
応神が兵を出して助力したのは史実だろう。秦氏京都移住は後年の話。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
願望でも何でもなくて、沢山資料があるからな。

278 :日本@名無史さん:2006/09/23(土) 22:19:00
朝鮮人が必死ですね(^-^)



279 :日本@名無史さん:2006/09/23(土) 22:19:25
まだまだあるよ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
5 :日本@名無史さん :2006/09/06(水) 00:05:06
313年、楽浪・帯方を滅ぼされ朝鮮半島に残され途方に暮れていた
斜陽華北人。

そこに仲哀天皇がラブコールを送った。

仲哀8年(356年)、皇帝14世の孫、功満王が漢土の兵乱を避け、
日本朝の純朴なる国風を尊信し始めて来朝しこの地に勧請す。

后(のち)の代に至り、功満王の子弓月王、応神天皇14(372)年、
百済より127県(あがた)の民衆一万八千六百七十余人統率して帰化し、
金銀玉はく等の宝物を献上す。

という事だそうだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
これは、随分とオーソドックスだけどね。

280 :日本@名無史さん:2006/09/23(土) 22:27:29
ついでに子孫も現役で活躍しているみたいだよ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
249 :日本@名無史さん :2006/09/23(土) 10:21:34
>>248
ほらよ。子孫のアイデンティティーが各自マチマチなのが「秦氏」最大の特徴か?
http://www.shwalker.com/shanghai/contents/spinterview/200506/index.html

281 :月光仮面:2006/09/24(日) 12:24:46
メーソンはアンネフランクの悲しい思い出の遠因であり、人種的にも無縁の
モンゴロイドがなぜそんな真似をするのかいささか理解に苦しむが、功満、
夕月というのはキプチャク・クマン族、夕月はトルコのシンボルで、半島難民が
入国に大宰府などの当局に秦王朝と同族であることをアピールしたと言うことに
過ぎないのであろう。あまり秦を強調するもんだから古代から中国にへつらって
いるんだと見下されているが、じっさいは戎の一部に過ぎないのであろう。
出自に詮索もいい加減にしないと差別の問題にもなる。

282 :日本@名無史さん:2006/09/24(日) 12:26:28
高知県幡多郡??町??村字??
みなさんお元気ですか、私も40年以上帰ってないな〜

283 :日本@名無史さん:2006/09/24(日) 15:11:13
>>281
純粋に日本の古代史を深く研究したい。
朝鮮説やユダヤ説に分厚く覆われてしまって、地道な研究が無視されて来たのは事実だ。

>メーソンはアンネフランクの悲しい思い出の遠因であり

フリーメーソンとは何なのか?
有名人が実名で公表されているが、別に秘密にしているわけでもないようだ。
http://www.hh.iij4u.or.jp/~iwakami/fmei.htm
怪しくないと言えば、嘘になる。

284 :日本@名無史さん:2006/09/24(日) 18:33:41
羽田氏を朝鮮系にしたがる工作員。
羽田氏をユダヤにしたがる工作員。
どちらも目的は事実の隠蔽と皇室、政財界や日本伝統のかく乱。

世界史的にも画期的な秦河勝(=聖徳太子後援者)が監修した17条憲法、12階制度は、
当時も在郷の豪族につぶされかかった。律令制度が実施されたのは、皇室と羽田氏私有地
限定だった。だから当時の遺跡からは秦氏名の納税記録しかでてこない。
他の豪族は仏教や皇室神道を侮蔑し廃棄した。天皇家を弾劾し、殺戮して自らの
土地と奴隷、利権を守ろうと領民の保護に努める天皇家=秦氏派と闘争してきた。
天皇家を支援し開拓地を献納し、統一国家の体裁を整備したのはほかならぬ
秦氏である。このような重要な歴史を無視している左右の学者や工作員弾圧を
はね除け、秦氏末裔は立つべきであろう。

285 :日本@名無史さん:2006/09/24(日) 18:37:30
>>282

あなたはユダヤの末裔

286 :日本@名無史さん:2006/09/24(日) 18:55:10
まあ、聖徳太子の時代以前から皇室の祭祀や天皇の近侍を勤める、サイキックな
特別祭祀霊能集団とも言える「少子部」は15歳以下の特別な能力を持つ秦氏限定
ということが最近解明されてきたからね。嫉妬も買うし警戒もされるわな。

近代になって「君が代」「海行かば」を制作した宮内庁の秦氏林守の気持ちを
考えれば、半島系とかユダヤよばわりとか、国辱ものだね。
日本最初の海外遠征となった大和百済・唐新羅の大会戦「白村江」に2万人の
将兵と船団をだした阿倍比羅夫と秦軍団、秦将軍に謝罪しる! と末裔の一人として言いたい。
他のどの部族がそこまでの犠牲と建国の貢献をしたというのか?

287 :日本@名無史さん:2006/09/24(日) 19:12:08
俺は秦氏でもないし、ただのオタクだが、電波にまみれた秦氏の過去を綺麗にして
さしあげたいとは思っているよ。

日本にあった謎の朝鮮王国(電波?)
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9930109609
     ↑
“朝鮮王国”などという香ばしい電波ワードを噴出する香具師がいるんだねぇ、日本には。
いわゆる「秦王国」の話なんだが、これって、古代の話ですよorz

過去にこういう意見もあったな。
        ↓
18 :日本@名無史さん :2006/09/06(水) 08:14:47
>>9-11
久々に良レスのコピーを目にしたよ。

>>17
秦王国を「朝鮮人王国」(「その人華夏に同じ云々」ていうやつ)だと
主張する本もあってワロタ。
秦王国=朝鮮人王国を主張する奴の根拠は「当時の朝鮮半島の文化は非常に
先進的で、中国本土の人間も“華夏と同じ”と判断した」という禿笑なもの。

288 :日本@名無史さん:2006/09/24(日) 19:14:24
どう考えてもユダヤでしょ

289 :日本@名無史さん:2006/09/24(日) 19:28:15
初めて天皇という呼称を使用した秦氏製作の天国刺繍
10円硬貨の宇治の平等院
国宝第一号も広隆寺の河勝が頂いた弥勒菩薩像だ。

日本国としては密かに秦氏の功績を称えているし認知させようとしているが、
公けにこの渡来人の建国貢献を宣伝することは、民族のアイデンティテイが
不明瞭になりかねないので、避けてきている。しかし

巨大墳墓、長岡京、平安京開設、漢字、仏教、神道、巨大土木、
律令、税制度、貨幣流通、奈良の大仏、雅楽、能楽をはじめ多くの古典芸能
を秦氏が担っていた。もともと日本という国家中枢自体が彼らによって
形成されていたのに、氏もない土着末裔に外人呼ばわりされるとは情けない。
合理的に考えれば、列島土着民の子孫は徴兵や農奴で寿命も短く、現在の
日本人の大半が豪族や渡来人の子孫なのに、ルーツは尊重すべきだろう。


290 :月光仮面:2006/09/24(日) 19:33:51
秦氏の秘密結社回帰思考には原点があるような気がする。彼らは遊牧民であった
可能性もある。これを参照。↓
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1149793296/menu124-126

291 :日本@名無史さん:2006/09/24(日) 20:00:36
>>281
先生も断片的ですね。
>>じっさいは戎の一部に過ぎない〜とは?
中国系難民というのは、まあそうだろうが、どの朝廷も種はそういうもの。
>>287
ありがたいですね、あまりにも人口や業績の割りに色物扱いだからね
そりゃ、末裔も先祖を隠したがる。親戚の藤原氏は公家なのに、どうなのよ
大著とみられる大和氏の「秦氏の研究」も分厚いだけ。
漫画の世界ではエスパーか日本をのっとりした大陸系悪者キャラでしょ。
でなければ日ユ陰謀論のイエス秘伝の歴史キャラ。
セーラームーンでは、月に変わってお仕置きよ! 
と太秦シンボルがダースベーダ役ですた。
(俺は子供の頃、祖父から沙漠の弓月や悲劇の武将鹿之助の月の説話をきき、
父から江上説を吹き込まれたが、とても子供たちにそんな話はできないよ)

292 :日本@名無史さん:2006/09/24(日) 20:18:54
>>290
シルク商人は古今東西、秘密結社的存在でしょう
くわえて秦氏はたたら、鉱物探索者でもあるし、陰陽道でもある。
八幡神社、稲荷、金毘羅だけでも4万箇所は社殿で結線を張ってるし。
世阿弥、服部某、松尾芭蕉とかも旅好き

293 :こんなのもあるぜ?:2006/09/24(日) 21:48:24
>>287
<<秦氏>>
秦王室と鳥トーテム
http://shushen.hp.infoseek.co.jp/kodaisi/hatareisei/hata1.htm

「梁書 辰韓伝」
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/siragi-kanbun1-ryosho.htm
 
秦韓とは何か?(中国の文献)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E5%8D%8A%E5%B3%B6%E9%96%A2%E9%80%A3%E3%81%AE%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E6%96%87%E7%8C%AE

日本にあった謎の朝鮮王国(電波?)←ww
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9930109609

>>287
>秦王国=朝鮮人王国を主張する奴の根拠は「当時の朝鮮半島の文化は非常に
先進的で、中国本土の人間も“華夏と同じ”と判断した」という禿笑なもの。

さ〜て、この辺は詳しくないから、中国人の学者さんにでも解説してもらおうかなw
当時の朝鮮半島は、リアル中国人も見間違える程『華夏と同じ』状態だったのか?

294 :月光仮面:2006/09/25(月) 06:58:40
>>291
漢字だけから判断すればハタはQinでしょうが、実際豊前香春、吉備楯築、松尾大社
のステラは戎、つまり、匈奴の前身文化を示しています。楯築中円双方墳は日月を
祀るカザフスタンのトルコ系遺跡ヒゲクルガンと同じ信仰が見えます。だから、漢字で
判断するのはあまりにも皮相的ではないかと思います。新羅地域の波旦というのは
秦野、畑野といった姓とは関連があるにせよ、ハタ氏とは果たして何かあるのかと思い
ます。ハタというのは豊前に渡来した戎の総称的なものと解釈するのが妥当であり、
Qinを名乗る部族なら、篠さんとかになるのでは。

295 :日本@名無史さん:2006/09/25(月) 07:16:54
>>294
秦氏というのは、あくまでも職能「集団」ゆえ、漢族、西域系、あるいは倭人など
さまざまな民族の混合体であったと解釈した方がよいのでは?
全てを西域系とするのは、かなり苦しい作業だよ。

296 :月光仮面:2006/09/25(月) 07:20:29
この戎というのは山戎、犬戎等いろいろありますが、日本にはどうも山戎が多いようで、
オオヤマズミなどとされているようです。犬戎とは日本ではアズミノイヌカイ、カラノイ
ヌカイとか分かれているようで、これはトルコ系と高句麗系といった違いを表すのかも
しれません。平地にいた戎はもっぱら遊牧生活をしており、大地を信奉する。大地は
四角で表すそうで、方形周溝墓、四隅突出型古墳も戎の文化、踊りで言えば阿波踊り、
ラッセラー等がそうで、盆踊り、炭坑節などの輪舞は円墳同様太陽崇拝によるもので
はないかとするとする説もあるようです。そういわれればストーンヘンジはコザックダンス
に似ているし、日本にもストーンサークルはあります。秦さんの牛祭りの儀式のような
神秘的なことにも古代人の祭りの思いの一端があるのかも。

297 :月光仮面:2006/09/25(月) 07:26:15
>>295
雅楽、能などに関連するのは特定の宮廷文化であり、高句麗、百済等の国家的
保護下にあったものが渡来したもので、それは中国同様西域からの文化を
うけたものであり、民族的にも新疆ウイグル方面と共通するものがあるのかも。

298 :七色仮面:2006/09/25(月) 07:42:33
古代に働きすぎた羽田氏が嫌われたのは性格が悪いからで悪くなった理由はねたまれて、畑氏は身長が低いので大阪の豪族かもしれまへん
性格は温厚でやさしく色白で美人です

299 :月光仮面:2006/09/25(月) 07:52:21
香春には辛国息長大姫大目尊を祭る。大目=烏女であり↓
http://www001.upp.so-net.ne.jp/dassai/sangokuiji/0101_86/fr.htm
これからすると波旦のハタということはありえる。迎日湾、ウルサンには
日本が浦項製鉄プラントを援助した。

300 :月光仮面:2006/09/25(月) 07:58:51
この時に新羅に日・月の光無し。 日者(=日官/日を司る天文官)奏して云いしく、
「日・月の精、降りて我が國に在りしが、今は日本に去る。故に斯(かく)の恠(あや)
しを致す」と。

秦氏の多い楯築の中円双方墳はまさにこの日月を敬う信仰であり、このシンメトリー
の破壊が月読命の没落、アマテラス独裁でこのときに箸墓が誕生、天孫は纒向に
降臨するのであろう。

301 :日本@名無史さん:2006/09/25(月) 08:10:32
日本の近隣から鳥信仰をかき集めても、ざっとこれぐらいあるが。

http://www.ne.jp/asahi/lapis/fluorite/essay/fav/gyokusou.html
>古代エジプトの石碑に刻まれていそうな鳥人。有翼太陽盤。
>鳳凰を祀る中華民族の首長。
>敦煌やトルファンの石窟に描かれた飛天。
>中国の古墳から発掘された鵜を抱く女性の遺骸。
>人間に稲の実をもたらし農耕を教えた鳥に関する中国少数民族(苗族など)の伝承。
>世界樹の梢に座し秩序と安寧と豊穣を象徴する鳥(ソッテ、鳥竿、金閣寺や平等院の鳳凰、欧風破風屋根の風見鶏)
・・・・・

302 :月光仮面:2006/09/25(月) 08:11:08
日本には、日光月光(にっこう・がっこう)と言い、薬師如来の脇侍として,《薬師本願経》
には名のみ記されるが,その像容などは詳説されない。一般には蓮華上に日輪・月輪を
執るのを図像的特色とする・・・といった奥ゆかしい慣わしがあるが、日本人は常に文化を
尊んできたと言うことがよくわかる。

303 :日本@名無史さん:2006/09/25(月) 10:31:11
>>284
子孫殿、Wikipediaの[秦氏](英文)が、ユダヤ電波ゆんゆんな件について
御注進申し上げます。

http://en.wikipedia.org/wiki/Hata_tribe

304 :月光仮面:2006/09/25(月) 12:54:45
>>303
こんな電波推測ありなら、ハタとはスキタイのヘロドトス分類の王者、牧民、農民の
うちの牧民乃至は農民に近いといえるかも。

305 :月光仮面:2006/09/25(月) 13:02:59
>>301
http://www.ne.jp/asahi/lapis/fluorite/essay/gyokusaiki/shotakubird.jpg
>左に示す図は含山浚家灘から出土した、河姆渡よりやや時代の降るッ沢文化の
>遺物である。全体の形は鳥だが、両翼に目玉があって獣の顔になっているので、
>「猪翼鳥玉器」と呼ばれている。腹に描かれた二重円と、内円を囲んで八方に広
>がる三角形は、気を放射する日月の象徴とされている。何故、鳥と獣(イノシシ?)
>が一体になっているのか分からないが、この文化圏では太陽の運び手は鳥に限
>らなかったのかもしれない。この図像は以下のテキストと直接関係ないのだが、
>印象的だし、「太陽と鳥」の関連を示す傍証になるので載せておく。(補記2:参照)
これはデザインが
http://en.wikipedia.org/wiki/Eagle_(heraldry) にある
http://en.wikipedia.org/wiki/Image:Borzesti_Interior_view_spreaded_eagle.jpg
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%B0%E9%9F%93
と似ている。この猪の代わりに獅子をあしらったものもあるようだ。ッ沢文化に
極めて興味あり。ちょっとトビずれになりそうなのでこの辺にします。





306 :日本@名無史さん:2006/09/25(月) 13:35:08
秦は朝鮮半島から満州に多数見られる古代農奴の総称

宗主国から奴が遣された倭国

猿の官僚は奴でもできるくらいの未開な野蛮国な倭

307 :日本@名無史さん:2006/09/25(月) 14:36:46
>>306
勝手なことをいうな、お前らの先祖こそ彼ら秦氏に文字を伝授されたくせに
しかし馬鹿なんで、始皇帝稜のような墳墓の巨大化も地下宮殿もつくれなかった。


308 :日本@名無史さん:2006/09/25(月) 14:41:50
>>303
国際的に佐伯博士の説はまだ古典のひとつとしても、
手島はないだろう。マクヤの教祖だろ、彼は。
もろイスラエル機関じゃないか。Wikipediaがいかにいい加減かよくわかるな。

309 :日本@名無史さん:2006/09/25(月) 14:59:29
スキタイか
そういえば、月読てなんだろう?アマテラスの弟で夜を司る神。
随書東夷伝に2人の王が昼夜交代で朝廷を司る記述があったが、
あれは当時の摂政実務をしていた聖徳太子=河勝チームのことか?

隋はたしか鮮卑拓跋部の下のほうの部族がペルシャ系軍団の共闘
で覇権を握ったとか。計画的な都市住民の移住政策をした前秦のフケン
とか、三国史時代以降の北中国は少数異民族支配だから、なんでもありかも。

310 :日本@名無史さん:2006/09/25(月) 15:32:28
>>300
ハダ秦=月読命=楯築王(中円双方墳)=吉備が東進して
大和吉備出雲マキムク連合朝廷(アマテラス箸墓)なのか?

311 :日本@名無史さん:2006/09/25(月) 15:46:54
>>303
Wikipediaの行状からみると、国際的に
公式の日本書紀を正統資料とするならば、一応文献上は
「秦の始皇帝の末裔(実は中央アジアの原始ユダヤキリスト国王族)
は大和建国に協力し、いまも日本在住」ということになるが、
これは中国的にはどうなんだろうか?
韓国的には「羽田氏は同族ニダ」ということか
ユダヤはわかるが、ペルシャ、トルコ、ウイグル、中央アジア諸族から
みるとどうなんだろう? 
日本が広い意味での遊牧族系だと国際社会はどうなる?

312 :月光仮面:2006/09/25(月) 16:09:57
>>310
楯築の朱が蓄積され、国家が成立するの百年近くを要していよう。すると、後漢の
記録では帥升しかない、帥升と言うのが、計画されていたオシホミミの東遷の途中に
海外から帰国したのであろう。あるいは、帥升の子の弁韓ウガヤ国に駐在していた
ものが、帰国したのかもしれない。いずれにせよ周防灘の倭面土国にいたのが隣国
投馬国の吉備楯築に拠点を移し全国制覇を目指した。これに対して攻撃をかけたのは
但馬の黒田の豪族、孝霊であったのではないかと思う。これには東海、若狭、北陸、
丹後などが合流し、吉備を落とし、更に、九州北部も制圧した。その後、孝霊一族は
東進し、大和田原本町に移り、地名を黒田と名づける。そして箸墓を建設する。・・・
とまー、こんな線でどうだろう。

313 :月光仮面:2006/09/25(月) 16:22:24
ハタというのは部民であり、大王が代わっても、特殊技能を持った連中なので
政治的にはあまり関係はなかったが、冶金について言えば、これは錬金術のような
もので銅鐸と鏡は技術的と同時に宗教的に相容れないものであったので、バチカン
のような出雲と九州伊都国の鏡を導入しようとする天孫の間には厳しい戦いがあった
と見ていいであろう。荒神谷、加茂・岩倉、その他の銅剣秘匿、銅鐸破壊などが
その痕跡だ。

314 :月光仮面:2006/09/25(月) 16:27:04
まー、この辺は定説がないので皆さん好きなように出版していいのでは。
まだまだ買いますよ。漏れは。

315 :月光仮面:2006/09/25(月) 16:44:57
あるいは、帥升が弁韓から洛陽に生口140人もの大使節団を運ぶためにガードマン
としてニギハヤヒ系、匈奴、鮮卑系の浪人者を雇っていたのが日本までついてきた。
これがいつの間にか飼い主の手を噛むようなことになり、ついには吉備で海賊行為を
行うまでになった。これに手を焼いた阿讃播の実力者が制圧したと言うことかもしれない。

316 :日本@名無史さん:2006/09/25(月) 21:34:43
とりあえず、ユダヤ電波系の方々はこちらでやってもらおうか?
           ↓
ユダヤ関連スレ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1141736822/l50

月光仮面氏も飛ばし過ぎ。いったい何がやりたいの?

>>311
>これは中国的にはどうなんだろうか?

別にどうという事もなかろう。
中国人も秦が漢族で無い事ぐらい知っているだろう。
少なくとも大学生ぐらいになれば。それに、長江流域の発掘や遺伝子研究も進んで、
漢族が混血民族である事ぐらい誰でも知っているが。
掲示板などで「隋や唐は鮮卑だった」と大っぴらに発言する者も多いぞ。

317 :日本@名無史さん:2006/09/25(月) 21:44:08
>>311
>日本が広い意味での遊牧族系だと国際社会はどうなる?

さあな?
せいぜい江上氏の騎馬民族征服説を支持する北朝鮮が大喜びするぐらいかな?
とりあえず俺は、申し訳ないがメーソンが不気味で仕方がない。

>>308手島はないだろう。マクヤの教祖だろ、彼は。
もろイスラエル機関じゃないか。

こういう意見も、多いもんでな。
それから、アルカイダを喜ばせるのも薄気味悪い。

318 :日本@名無史さん:2006/09/25(月) 22:09:18
>>935
No31 高松塚古墳とユダヤの関係 

現在、高松塚古墳の壁画の処理が問題になっていますが、壁画ではなく、出土した
木棺に記された文様に注目し、「天皇家とユダヤ人」を書かれた篠原央憲氏が居ら
れます。No29に紹介しましたトケィヤー氏とマックレオドのことを「まえがき」に
書いて出発されていますから、こうしたことが頭にあって、木棺に記された文様に
注目されたと思われます。書き出しの文は、「奇妙なことの一つは、昭和四十七年
三月、奈良県の明日香村で発見された高松塚古墳出土品のなかの小さな遺物にあった。                    
高松塚古墳からは、例の有名な彩色壁画をはじめ多くの遺物が発見された。壊され
たままの漆塗木棺や、人骨、大刀装具(銀製)、海獣葡萄鏡、玉類、土器、棺の透し
金具などであった。問題は、木棺の中央にある直径10.8センチの唐草模様の入った
透し金具にあった。その金具の真ん中に、なんとユダヤのへロデ大王の紋が彫られ
てあるのであった。そのまた中央の紋が、ユダヤ王朝の紋であった。死体を安置し
た木棺の中央の飾り金具ののだ。これを指摘されたのは民間のユダヤ史研究家・
川瀬勇氏であった」


319 :日本@名無史さん:2006/09/25(月) 22:11:15
「秦」の領域を理解していない人もいるようなのでとりあえず。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%A6
>秦(しん)は、中国の地方名、王朝名。地方としての秦は、現在の陝西省を指す。

上の方で「秦人之后裔」という話があったが、こういうわけだからそのように自称する
人間がいても全くに不思議ではないだろう。

320 :日本@名無史さん:2006/09/25(月) 22:11:20
3* 綾野天満宮の菊斧の神紋

菊紋が天皇家の紋章になったのは後鳥羽上皇の時からとする通説に対して
「北野天満宮縁起絵」や天平瓦、古墳時代の須恵器の陶棺にも菊花紋が見
られる為もっと古いものと考えなければならないでしょう。

321 :日本@名無史さん:2006/09/25(月) 22:15:05

935 :世界@名無史さん :2006/09/25(月) 06:51:44 0
>>932
CIAにつけられて監視されてるとか電波な人の特徴っぽいけど大丈夫なん?


>>933
菊花紋章
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%8A%E8%8A%B1%E7%B4%8B%E7%AB%A0

>鎌倉時代、後鳥羽上皇がことのほか菊を好み、自らの印として愛用したのが始まり。
>その後後深草天皇・亀山天皇・後宇多天皇が自らの印として継承し、
>慣例のうちに皇室の「紋」として定着した。

菊の紋は鎌倉時代以降使われだしたのでユダヤとか無関係だから



322 :日本@名無史さん:2006/09/25(月) 22:50:21
>>306
>秦は朝鮮半島から満州に多数見られる古代農奴の総称

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%A6
春秋時代、周の東遷を助けた功績として中国西部に起こった国。
恵文王のとき王を名乗り、一王国となる。
紀元前221年に始皇帝により、中国史上、初めて中国を統一した王朝。

323 :日本@名無史さん :2006/09/25(月) 23:20:47
>>322


324 :釣りバカ日誌:2006/09/25(月) 23:39:59
306 :日本@名無史さん :2006/09/25(月) 13:35:08
秦は朝鮮半島から満州に多数見られる古代農奴の総称

宗主国から奴が遣された倭国

猿の官僚は奴でもできるくらいの未開な野蛮国な倭


307 :日本@名無史さん :2006/09/25(月) 14:36:46
>>306
勝手なことをいうな、お前らの先祖こそ彼ら秦氏に文字を伝授されたくせに
しかし馬鹿なんで、始皇帝稜のような墳墓の巨大化も地下宮殿もつくれなかった。

325 :::2006/09/26(火) 00:32:43
>>316
311が言いたいことは、もっと国際政治的なことだろ
秦の始皇帝の末裔が日本建国の根幹にかかわっているとしたら、
中国にとってどういう政治材料になるか? てことだろ
俺は以下を危惧するね

1、日本に国力があれば戦前同様、大陸干渉のバックボーンになる(満州〜西域は父祖の地)
2、逆にいえば、最近高句麗を中国領にしたように、古代日本を華僑支配の中国領にできる(中国共産党の見解)
3、秦は最初の皇帝だから、共産党崩壊以降の大陸での欧州教皇的な情報文化価値。

326 :::2006/09/26(火) 00:47:25
>>311
>日本が広い意味での遊牧族系だと国際社会はどうなる?

国連の仲間が喜ぶな、兄弟!もっと援助を!
普通、非同盟AA諸国の反米反中同盟に発展していくだろうな
兄弟、核を持て!
北京とワシントンを騎馬軍団で囲おう!
とか w

327 :日本@名無史さん:2006/09/26(火) 05:46:23
大和民族はそれ系にされるんじゃないか恐らくw

328 :日本@名無史さん:2006/09/26(火) 07:13:17
>>327
されないね。残念ながら。
秦氏が大陸系の秦人でも、その他の人間大勢がただの倭人だし。
あるいは縄文の子孫だし。

秦氏は、日本最大の氏族であるが、1億2千万分のどれくらいだと思う?

329 :日本@名無史さん:2006/09/26(火) 07:14:21
正:その他大勢の人間

330 :日本@名無史さん:2006/09/26(火) 07:24:02
>>325
>秦の始皇帝の末裔が日本建国の根幹にかかわっているとしたら、
中国にとってどういう政治材料になるか? 

たぶん何も起こらないだろう。陝西省辺りの人間に親しみを持たれるぐらいかな?
なぜなら、中国等の古文書を読む限り、「秦韓人」は秦語をしゃべっているとか、
中国語をしゃべっているとか、苦役から逃れてきたとか書かれているが、ただの
亡命集団臭いからだ。やんごとなき方々の集団だったという気がしない。
「秦人集団」と認定されるのが、せいぜいだろう。

ただ、実際のところは解らないけれどね。
それに、始皇帝の子孫って滅せられたんじゃないの?

331 :日本@名無史さん:2006/09/26(火) 07:30:45
だな。
秦人なんて中国の中心性にいないだろw

332 :日本@名無史さん:2006/09/26(火) 07:38:09
>>325
>逆にいえば、最近高句麗を中国領にしたように、古代日本を華僑支配の中国領にできる(中国共産党の見解)

なるわけ、ないだろ。

現在でもそうだが、向こうでは、日本人の3割は漢族出身だと豪語する人間が少なくないよ。
ただ、南京で大虐殺(とやら)をやらかした人間が兄弟か?血が繋がっているが、
いまや赤の他人である。あいつら(日本人)もそう思っているはずだ、という意見が
大多数であるよ。

333 :七色仮面:2006/09/26(火) 07:48:04
羽田氏がきらわれたのは働きすぎるのが球にキズ状態やったのですね、農奴出身なら
そらよく働くわけだわな

334 :月光仮面:2006/09/26(火) 09:55:41
>>316
吉備では鬼のウラの首が刎ねられ釜茹でにされる。出雲日御碕には月氏王襲来
の伝承がある。孝霊の隠岐・黄魃鬼征伐、青谷上寺地遺跡人骨、妻木晩田遺跡
とハタ氏の関係をクリアーにしたいのだがねー。背後には先にも言った朝鮮半島
からの渡来が考えられる。しかし、青谷上寺地のは金海かららしいが、三国遺事
の方はウルサンからのようだし。こうした海外からのインパクトとして考えられる
記紀の記述は海幸・山幸の話だが、これを安曇海人族vs山戎系大陸倭人族の
戦いと見てみたい。

335 :日本@名無史さん:2006/09/26(火) 14:44:53
殷・周・春秋・戦国
http://park1.aeonnet.ne.jp/~iida/kazuo/coin/pre_chin.html
http://park1.aeonnet.ne.jp/~iida/kazuo/coin/image0/war/sanjyuu.jpg
>尖首刀、春秋末頃、山戎

山戎の文化レベルは高いよ。

336 :月光仮面:2006/09/26(火) 16:27:34
>>335
狄戎、「野の民」を倭国語に翻訳したのがハタ、つまり、水田に適しない地域の民といった
意味ではなかったのだろうか。しかし、殷はこうした遊牧民がはじめたのではないかとする
「殷王朝の出自について」という説もある。
http://www002.upp.so-net.ne.jp/epyon/china/ronbun.htm
日本のような稲作社会においてこうした部族は二次、三次産業として生き延びていった
のであろう。殷やエジプトのような古代国家を思わせる巨大古墳時代はかれらによって
引き起こされ、その慣性力で後々まで一定の社会的地位を維持したのだろう。



337 :月光仮面:2006/09/26(火) 16:43:18
このスレを見ているとハタ氏が日本人ではないような言い方をする人があるが、
漏れは、逆にハタ氏は朝鮮、中国とは無関係で倭人と同族であり、列島への
流入のタイミングが遅れた。その理由は半島などにおいて特殊技術、つまり、
鉱山、冶金、鍛造等の金属加工を初めとする専門職に従事していたものと
見る。それは三国遺事にも見られるように新羅の王が第三国人的に見ている
ことと、日本に入ったことになんら不自然なことを感じていないことから読み取れる。
青谷上寺地の骨は朝鮮人のものではなく、倭人のものでもない金海の住民の
ものだとされる。つまり、金海とかその他の朝鮮半島には倭人という民族がいた
ことを意味しているのだと思う。

338 :七色仮面:2006/09/26(火) 19:47:49
畑氏が好かれたのは性格が温厚でよく気が付く働きぶりでみんなの人望があつかったですが
良い人は早く死ぬみたいで40代でいったみたいです。

339 :日本@名無史さん:2006/09/26(火) 19:55:49
なんとなく馬鹿馬鹿しく思えてきたよ。

>>336
山戎バヤンキパの物語
http://huameizi.com/text/ding.htm

これを読むと、山戎というのは、勇猛果敢で規律に厳格というイメージを持つ。
バルモン、バヤンキパなど、邪馬台国の倭人とは全く違ったタイプの名前なので、
ちょっとね、、という感じが多いにする。

340 :日本@名無史さん:2006/09/26(火) 20:02:27
>>337
>金海とかその他の朝鮮半島には倭人という民族がいた
ことを意味しているのだと思う。

うん、で、倭人とは何者なのか?
月光仮面氏は、倭人が中国大陸を南から北上したとか、北から南下したとか、
その日の気分で支離滅裂な事を言っているように思えるんだけど。

341 :日本@名無史さん:2006/09/26(火) 20:20:30
>>337
山戎というのはよく知らないが、秦氏=倭人というのは便利で合理的な解釈だね
でも文献や伝承、遺跡などの整合性はどうなんだろう
倭人には南方的なイメージが強いのだけど

342 :日本@名無史さん:2006/09/26(火) 20:33:58
>>332
>>向こうでは、日本人の3割は漢族出身だと豪語する人間が少なくないよ。

日本政府、特に通産は岡田説とかが好きで、同じ華僑文化を古代から共有する日中は
将来歴史融合できる、みたいなことまで海外論文で撒き散らしていた。
さすがに小泉安部以降は、歴史観の封じ込めをするだろうが、国連ユネスコ人脈
は高句麗=古代日本みたいな研究を平山郁夫にやらせてるし、万世一系議論回帰の
世間様とはおおちがい。秦氏などをあいまいにしてきたぶん、建国神話は将来にわたって
ゆれるだろうね。
あの小林よしのりも戦争論のあとに古代天皇論に取り組もうとしたが、牛頭信仰
あたりでさじをなげた。自分のルーツに関与してくるのを嫌ったんだな。


343 :日本@名無史さん:2006/09/26(火) 21:03:33
同じ秦氏渡来に注目しているひとのなかでも、ネオユダヤ論のケンジョゼフ
(本人はアッシリア系景教徒)あたりは、フセイン排除の米保守ネオコン派の
中東侵攻を支持しているが、陰謀論派の中丸女史の盟友になった日本破産論者
のジョージベンジャミン(元ワシントンポスト日本)になると完全な反米。

秦氏末裔でも、政治的なスタンスはばらばらだろう。
マスコミやNHK、文部省に支持されそうなのは、遊牧系シルクロード部族ルーツ論
だろう。男系議論でよく遺伝子論をとりあげるけど、ばかばかしいよね。誰が王統の
始祖かも決めれないのに、あんな議論をマスコミも放置して。世間がいかに
カルトで曖昧さに生きてるか身にしみた。

344 :日本@名無史さん:2006/09/26(火) 21:11:00
>>342
この3割漢人説は、亡くなられた宝来聰氏の研究が元ネタじゃないかと思うよ。
韓国の朝鮮日報も大きく取り上げていたし。
もっとも、古墳〜現代まで、何かあるたびに牛の涎のごとく亡命者が相次いだ
わけで、3割程度は妥当じゃないかとも思うが、それ以上に政府の反日政策が
今だに続いているし(日本性アニメ締め出し、抗日アニメ製作、戦争映画製作しまくり、
日本製品締め出し…)、無意味だね。

345 :日本@名無史さん:2006/09/26(火) 21:16:36
>>342
>日本政府、特に通産は岡田説とかが好きで、同じ華僑文化を古代から共有する日中は
>将来歴史融合できる、みたいなことまで海外論文で撒き散らしていた。

中国政府を抜きにした友好は多いに結構だと思うよw
正直、政府がウザイ。

346 :日本@名無史さん:2006/09/26(火) 21:42:59
中国政府を抜きにした友好は多いに結構だと思うよw
正直、政府がウザイ。
↑   ↑   ↑   ↑
        
これ、今でかい声で叫べば、賛同者続出だと思うよ。

347 :日本@名無史さん:2006/09/26(火) 21:50:00
いくらなでもそれも、脳天気すぎだろw
あふぉに人形劇で歴史教えてるうちは良いが。

348 :日本@名無史さん:2006/09/26(火) 21:59:23
そうでもないだろ。

349 :日本@名無史さん:2006/09/26(火) 23:12:09
1897年、サミュエルは「シェル運輸交易会社」を設立し、本社を横浜の元町
に置いた。彼は湘南海岸で自ら「貝(シェル)」を拾った日々の原点に戻って
「シェル」と称したのだった。こうして横浜が「シェル石油会社」の発祥の地
となった。1907年、オランダの「ロイヤル・ダッチ石油会社」とイギリス資本
の「シェル石油会社」が合併して、「ロイヤル・ダッチ・シェル」が誕生した。
ちなみに、このイギリス=オランダ連合の
「ロイヤル・ダッチ・シェル」の子会社的存在が、イギリスの
「ブリティッシュ・ペトロリアム」(英国石油:略称BP)である。

350 :日本@名無史さん:2006/09/26(火) 23:15:52
サミュエルは、イギリスに戻ると名士となった。そして1902年に、ロンドン市長
になった。ユダヤ人として、5人目のロンドン市長である。 彼は就任式に、日本
の林董(Tadasu,Hayashi)駐英公使を招いて、パレードの馬車 に同乗させた。
1902年1月に「日英同盟条約」が結ばれたとはいえ、外国の 外交官をたった一人
だけ同乗させたのは、実に異例なことだった。この事実は、 彼がいかに親日家
だったかを示している。続く、2台目の馬車には、サミュエル のファニー夫人と
、林公使夫人が乗った。 サミュエルは1921年に男爵の爵位を授けられて、貴族
に列した。 その4年後には、子爵になった。 サミュエルは「どうして、それほど
までに、日本が好きなのか?」 という質問に対して、次のように答えている。

「中国人には表裏があるが、日本人は正直だ。日本は安定しているが、
中国は腐りきっている。日本人は約束を必ず守る。中国人はいつも変節
を繰り返している。したがって日本には未来があるが、中国にはない。」

351 :::2006/09/26(火) 23:45:12
で、秦氏と縁の深い応神天皇が始祖でいいのか?

352 :日本@名無史さん:2006/09/27(水) 01:39:55
秦氏は中国福建省から来た古代のルンペンだろ

353 :日本@名無史さん:2006/09/27(水) 01:41:36
福建はないだろ。中国切れるんじゃないかw

354 :::2006/09/27(水) 06:45:16
>>300
始皇帝の子供自体が28人いたともいわれるし、長男の子孫、次男の子孫もみんな
殺されたわけじゃない。

487 :日本@名無史さん :2006/09/03(日) 04:38:30
秦氏の秦王朝末裔説を疑う見解も多いが、『正倉院文書』の西南角領解には、河内国丹比
黒山郷を本貫とする秦羸(エイ)姓田主などという人名が見えており、秦羸(エイ)姓は
本来の秦羸(エイ)姓をよく伝えていることからみて、秦始皇の末裔説はともかく、広い
意味で秦王族(『姓氏詞典』には、子嬰滅びて支庶、秦を以て氏となすと見える)あるいは
秦氏族の末裔という所伝は、一応信頼してよいのではなかろうか。なお、中国の秦氏には、
姫姓の魯公族で河南省の秦を食采としたものもあった。始皇帝の姓名は(羸政)である。



355 :日本@名無史さん:2006/09/27(水) 07:56:27
羽田氏が嫌われたのは新羅系がばれてからなのか

356 :日本@名無史さん:2006/09/27(水) 08:16:41
>>354
漢籍には苦役を逃れて秦韓に移住したような話がかいてあるけど、それらしき高貴な
人が移住した形跡が書かれている古文書ってあるの?

いや、嫌味じゃなくて、実際にあれば見てみたいと思って。

357 :日本@名無史さん:2006/09/27(水) 08:19:33
そういや秦国の親族はかなりいるだろうな
中には落ちぶれて日本に来るなんて人はいるかもしれない

新撰姓氏録を否定するのは、先祖の名を高めるために詐称しているというけど
具体的に否定材料もないのにただ推測で否定するのはおかしいと思う
劉備や関羽の子孫がいないのは記録じょう死んでるからあってる
呉や魏と海に接した子孫が多い
決して間違ってるとも思わない

358 :日本@名無史さん:2006/09/27(水) 08:32:11
>>332現在でもそうだが、向こうでは、日本人の3割は漢族出身だと豪語する人間が少なくないよ。
ただ、南京で大虐殺(とやら)をやらかした人間が兄弟か?血が繋がっているが、
いまや赤の他人である。あいつら(日本人)もそう思っているはずだ、という意見が
大多数であるよ。


それは捏造で毛沢東こそだろワロス

359 :日本@名無史さん:2006/09/27(水) 08:34:47
>>342
その岡田説は岡田英弘?

360 :::2006/09/27(水) 09:01:12
通商官僚が理解支持しやすくて、日本史自体を馬鹿にしているアジア史学提唱者
といえば、岡田英弘。
世間はアカデミックで瑣末なな日本史など知らないし、どうでもいい。
秦氏はユダヤ人で聖徳太子はエスパー、大和朝廷は騎馬民族で、彼らがくるまでは
徐福の子孫が各地に王朝をひらき、華僑や大陸からの亡命者がほそぼぞと蝦夷、縄文人と
共存しながら生きていた。
この程度が一応本を読む準インテリ(歴史に疎い教師、政治家、マスコミ、経営者)の
歴史認識。
一般大衆はそれ以下で、江戸、戦国、室町〜平安までがぐちゃぐちゃと共存していて、
古代といえば、奈良の大仏、蘇我と聖徳太子が小野妹子を隋におくり「負けなかった」w
ことくらいしか知らない。それ以前は出雲神話と卑弥呼の占いくらいかな。


361 :月光仮面:2006/09/27(水) 09:19:12
>>339 http://huameizi.com/text/ding.htm 貴重な情報感謝。秦氏には王朝の騎馬
護衛兵、戦闘職能集団の一面あり。

362 :月光仮面:2006/09/27(水) 09:20:02
>>340 鳥越さんの「古代中国と倭族」
http://www.hi-net.zaq.ne.jp/buakf907/books134.htm
も参照願いたいが、まさにその日の気分で、今はッ沢文化の「猪翼鳥玉器」が
シュメール起源ではないかと疑っている。長江下流の倭人は羌族と接触があり、
殷の青銅器文明の影響下にあった後、周に入ってからオルドス、内蒙古方面に
銅鐸の原型とか、短剣とかの青銅器技術を持って移動するものと思っている。

363 :月光仮面:2006/09/27(水) 09:20:44
>>341 秦氏=倭人、更にこれらの集団に羌族を加える必要があろう。トンデモで
恐縮だが、古代日本人は羌という字をカニと読んだのではと思う。そしてカニメ
というのが姜であったのでは。

364 :月光仮面:2006/09/27(水) 09:21:28
>>300 羸であった徐福が楽浪、現在のソウル近辺に到着し平原光沢の地を得た。
これが倭人と同じ地方の出自であり、また、後に南下して秦族に合流し、更には
来日し、徐福伝説を広めたのではないかと見ている。

365 :::2006/09/27(水) 10:37:01
>>343
訂正=ベンジャミン・フルフォード(元フォーブズ、アジア太平洋支局長)

366 :月光仮面:2006/09/27(水) 10:42:58
>>332
>>日本人の3割は漢族出身だと豪語
これって日本人の3割程度と韓国人に多いとされるO-47zのO-と言う部分が中国
オリジンだから中国の影響を受けたのだろうとする世界的通説のことではないか
と思うんだが、日本とか韓国にだけしか残っておらず、中国にはないということは
逆に日本とか韓国が起源だとも言えるわけで何も豪語される必要はないと思う。
本来中国起源のものが朝鮮半島に入った頃に突然変異を起こしたものなら
その時点で既に漢族ではないと言えるだろう。漏れはこれが長江下流にいた東夷
の倭人ではないかと思っているんだが。ポイントは中国人の言うようにコピーではなく
ムーブだろいうことだ。

367 :月光仮面:2006/09/27(水) 10:46:31
では呉の太白などはというと、倭人の文化を継承したに過ぎないとも言えるのだ。
日本の倭人こそ本家だと言うことではなかろうか。

368 :日本@名無史さん:2006/09/27(水) 10:59:55
>>360
>秦氏はユダヤ人で聖徳太子はエスパー、大和朝廷は騎馬民族で、彼らがくるまでは
>徐福の子孫が各地に王朝をひらき、華僑や大陸からの亡命者がほそぼぞと蝦夷、縄文人と
>共存しながら生きていた。
>この程度が一応本を読む準インテリ(歴史に疎い教師、政治家、マスコミ、経営者)の
>歴史認識。

嗚呼・・・神よorz

>>336
>日本とか韓国にだけしか残っておらず、中国にはない
有るけど多くはない、というのがたぶん正解。

369 :日本@名無史さん:2006/09/27(水) 11:01:12
>>336 ×
>>366 ○

370 :::2006/09/27(水) 11:01:44
>>360
異常な女系批判で嫌雅子厨のねらー妻に、万世一系幻想の話をして
先祖が応神天皇、仁徳天皇の后をだしていたかもしれない吉備秦氏
なんだから、天皇制度についてももっとクールに考えろ。
と諭したら、そんな昔の話は知らない、と一蹴された。
じゃあ、いつからの天皇を敬愛するのか?と聞いたら、耳をふさいで首を振りながら
「神武天皇、いやちがった。聖徳太子、これもちがう、もう明治天皇からで
いい〜、ウルサイ〜、キィ〜」
所詮、天皇の歴史と流行のナショナリズムはこの程度。
脆弱であいまいすぎ。w

371 :月光仮面:2006/09/27(水) 11:06:12
あまりにもとぴずれなので別のところに書いたが日本人YAPにつき↓
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1149793296/menu
興味ある方ご参照まで。

372 :日本@名無史さん:2006/09/27(水) 15:34:16
>>370
>先祖が応神天皇、仁徳天皇の后をだしていたかもしれない吉備秦氏
なんだから、

雅子様は、吉備秦氏の家柄なの?

373 :日本@名無史さん:2006/09/27(水) 21:23:32


374 :日本@名無史さん:2006/09/27(水) 21:56:41
マサコに様つけるな、ボケ

375 :::2006/09/28(木) 07:33:43
>>372
370本人が吉備秦氏末裔で、奥さんがアンチ雅子なんだよ
奥さんは男系派だけど万世一系をたどると、だんなの先祖の古い外戚
謎の渡来一族にぶち当たるという矛盾。


376 :::2006/09/28(木) 09:53:50
>>367
いいね、倭人ナショナリズム。
中華文明の土台は倭人がつくった。
ところで、倭人というのは南方系なの?北方系なの?
もともとは江南エリア? 古代半島の一部の先住民でもあるわけ?

377 :::2006/09/28(木) 10:48:09
根本的な問題なのだが、秦氏が応神天皇家と縁の深い宇佐、吉備の殖産事業開拓、
宗教文化的方面の天皇部民ならば、帰順した土着住民と渡来人の混在型部族集団で列島各地で
天皇のコロニーを開拓するために働いた魏の曹操時代の屯田兵のような存在だったのでは。

いまの朝廷の始祖継体天皇が応神天皇の5世を名乗り、河内の馬関係の豪族に支持されて
慎重に入京するくだりも、中世の道鏡事件のときの宇佐八幡のご神託の件も、
応神天皇は聖徳太子と並んで、人気が高く扱いは特別。

応神=神武天皇説もあるのだから、ここらで秦氏殖産渡来人説よりも、
秦氏=天皇を部族連合から全国統一連合王朝に発展させた、直属の渡来、殖産領地民集団
として定義しなおしたほうがよいのでは。
少なくとも単純な渡来氏族では古代日本への影響功績も巨大だし、将来予想される弊害が大きい。


378 :日本@名無史さん:2006/09/28(木) 10:52:14
すいません>::: てなんでしょう?

379 :::2006/09/28(木) 11:20:06
できた。

380 :日本@名無史さん:2006/09/28(木) 11:33:47
>>344
文脈がかみ合ってないなw
「古代日本は華僑が切り開いた国だろう」(岡田説他、アジア海外の研究者)
 =現在の東アジア史の見解、北京共産党、日本経済産業省、日中財界の意見

現在ーー日米同盟が優位、せいぜい間接的反日活動キャンペーン
将来ーー中国が軍事経済優位、国際社会是認の元、ルーツが同じ日本を併合、人民は歓迎
 
もともと、このスレの狙いはここらを危惧した流れの意見回収だろが、ちゃんと嫁
「秦氏は自称始皇帝末裔だが、元来中国人ではない、ましてや半島人ではない」

381 :日本@名無史さん:2006/09/28(木) 11:35:38
:というHMだろ

382 :日本@名無史さん:2006/09/28(木) 11:42:04
>>:さんに聞きたいのですが、コーヒーと秦氏のどちらが好きですか?

:さん、呼びにくいです、名前変えてください

383 :月光仮面:2006/09/28(木) 12:36:36
>>376
日本の遺伝子学界の説では弥生人がO-47zと言うんですが、どうも時代的に
殷に続く倭人と言うのはこれに合っている。他にもYAPとか、Cとかがおり、ほぼ
三等分というところでしょうか。YAPと言うのはチベットに多いらしく、時代的に見て
縄文土器出現以降、世界的に言ってヤンガー・ドリアン過冷却期とか、細石刃
以降でしょう。Cと言うのはそれ以前の旧石器時代でないかと思います。そこで、
O-と言うのは中国系です。ところがO-47zと言うのは韓国と日本だけ、つまり、
中国を脱出してきたものということで長江とか、内モンゴルに出てくる時代も
移動ルートを物語る。漏れとしては、銅鐸が長江の銅鈴に似ていることから
日本の銅鐸文化圏に入ってきたのがこの倭人ではないか、そして、銅剣、銅矛
は戎、後に匈奴などの騎馬民族になったものと同族ではないかと見ています。

384 :日本@名無史さん:2006/09/28(木) 12:42:08
>>377
>天皇のコロニーを開拓するために働いた魏の曹操時代の屯田兵のような存在だったのでは。

民衆を集めて休耕田を耕し、そこに官を置いて成果を上げるという曹操が得意とした「民屯」ですか?
それとも「軍屯」の方?屯田兵だから「軍屯」の方でしょうね。

横レス失礼>>380
>ルーツが同じ日本を併合、人民は歓迎

日本人は劇的に嫌われていますので、歓迎されないでしょう。
対日感情が好転するまで、共産党の一党独裁が続いているとも思えませんが。

385 :月光仮面:2006/09/28(木) 12:43:13
んじゃー、銅鐸と銅剣銅矛は遺伝子が違うんじゃないかとなりますが、調子のいいこと
で恐縮ですが、銅剣・銅矛は縄文と同じYAPであったということもあるかなと。

386 :桃太郎:2006/09/28(木) 12:44:21
:改め桃太郎です
>>382
三度の食事の後は、必ずコーヒーを飲みながら秦氏にロマンを馳せます

>>377
2ちゃねるでもみんなが避けてる話題だが、より本質的な定義として
「雄略15年条、秦酒君が180種勝を率いて朝廷に貢調、大蔵をかまえ酒君が長官となる」
とある。(書紀、姓氏録)
平野邦雄は「秦氏は大蔵の部民で、私有民ではなく最初の「国家の民」に近い」
といい、大和氏は「欽明天皇期に秦大津父が(最初の)大蔵省長官になり、大化以前で
唯一、調庸をもった天皇家の財政援助者となった」という。

つまり、秦氏こそは日本で最初の「天皇に調庸した国民」ではなかったか
単なる渡来氏とあいまいにする従来の日本史こそ、カルトではないか

後に聖徳太子のパトロンだった河勝邸宅跡が、桓武天皇の御所として提供され、
平安京開府の企画財政労務を秦氏が担当したのも、この関係からだろう。

387 :日本@名無史さん:2006/09/28(木) 13:22:15
>>383
>銅鐸が長江の銅鈴に似ていることから

>長江中流域の洞庭湖付近では青銅器(BC1400頃)を山頂、山麓、水辺などの土中に浅く埋めた遺構が多数発見されていて、
>特に鐃(鐸類似の祭祀楽器)は他の遺物を伴わずに山の斜面に埋められており、謎なのだそうです(長江文明の発見/徐朝龍)。
>その出土状況が日本の銅鐸そっくりであることも指摘していますが、日本側の反応は知りません。
>下図は象紋様の鐃で、大きい物では高さ80cm以上あるそうです。
http://www.tcn-catv.ne.jp/~woodsorrel/k_data/nyou.jpg
(青草談話室ログより)


若干微妙な印象だけど。

388 :月光仮面:2006/09/28(木) 13:50:00
>>387
歴博の大御所、白石さんの↓
http://www.rekihaku.ac.jp/koohoo/journal/no121/rekishi.html
銅鈴から銅鐸へ
中国では、銅鈴は3900年前(龍山文化末)に純銅製品が現れ、3700年前
(夏代、二里頭文化)から青銅製品が普及する。世界最古の青銅鈴は高さ
8cmほどの小型品で、人の腰につけて使っていた。3500年前(殷代)には、
人のほか、犬・馬の頸や馬車に銅鈴をつける。朝鮮半島には前6世紀ごろ
銅鈴が伝来する。司祭者が身体に着け、神懸かりの状態になるのを助けて
いたようである。前4世紀ごろ海を渡った銅鈴は、近畿地方で高さが20cmを
こす大型品に変わった。そして、鈕にも身にも文様を施した。

389 :月光仮面:2006/09/28(木) 13:50:57
http://www.rekihaku.ac.jp/koohoo/journal/no121/dotaku2s.jpg
右から:
3900年前 中国陶寺(レプリカ) 高さ2.6cm
3700年前 中国二里頭(レプリカ) 高さ8.4cm
3500年前 中国殷墟 高さ9.1cm
2400年前 韓国扶余合松里(レプリカ) 高さ15.9cm
2400年前 出土地不明(レプリカ) 高さ22.3cm


390 :月光仮面:2006/09/28(木) 13:57:06
日本では吉野ヶ里、東奈良(大阪)、近江と移動する。出だしが九州ということは
銅剣銅矛集団と一緒乃至は同時代に入って近畿地方を中心に拡大したと言うこと
のようです。

391 :月光仮面:2006/09/28(木) 14:17:30
>>376
魏志倭人伝の登場人物も倭人が刺青をしているのに一目を置いたようですね。
漢四郡の名残かと思われる中国系O*-M175は韓国42%、日本24%と言われ、韓国
の受けた影響は大きく言語の面でも日本語より漢語に忠実なことでもうかがい知れ
ます。


392 :月光仮面:2006/09/28(木) 14:26:56
北部九州の後漢鏡ブームを招いたのは上記のO*-M175の中国系渡来人で
これは、ちょうど秦の崩壊後ですから、ハタ氏が秦を名乗るのもこうしたことからかも。

393 :月光仮面:2006/09/28(木) 14:31:25
>.385
すると、銅剣・銅矛(戎)の他に、民族的には秦・漢系もあり、更には、倭人系もある
ということになるんだが、脱線が激しいのでこの辺で。

394 :日本@名無史さん:2006/09/28(木) 15:18:06
>>388
わ〜い、歴博だ〜
http://www.rekihaku.ac.jp/koohoo/journal/no121/dotaku2.jpg

これよりは似ているな。↓
http://www.tcn-catv.ne.jp/~woodsorrel/k_data/nyou.jpg

395 :日本@名無史さん:2006/09/28(木) 15:55:31
>>387 
よくわからない。
>特に鐃(鐸類似の祭祀楽器)は他の遺物を伴わずに山の斜面に埋められており

銅鐸の出土状況(日本)
http://www.tamagawa.ac.jp/sisetu/kyouken/WebLibrary/kamoiwakura/index.html
http://www2.kokugakuin.ac.jp/frontier/publication/h14-inoue.html
http://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/hamahaku/07chosa/doutaku.html

396 :月光仮面:2006/09/28(木) 17:05:40
>>395
加茂岩倉については荒神谷の銅剣と同じ。スキーのジャンプ台の頂上真下
のような感じだ。

397 :日本@名無史さん:2006/09/28(木) 18:10:02
>>395
肝心の出土状況を撮影した適当な写真がないっす。
http://www.town.hikawa.shimane.jp/Contents/7D219A1367/book07b.htm
>中国中部の、これまで軍鼓(ぐんこ)と考えられていた青銅器の中には、水田地帯の小山とか川のほとりに、
銅鐸などと同じに埋められたものもあり、軍鼓ではないのでは8との考察が見られる。
>南中国・ベトナムなどの水田地帯には、銅鼓(どうこ)という銅の太鼓が同じく埋められていているが、
この銅鼓も銅鐸と同じく途中から大きさや模様の性格が違っていて、最初は農耕関係、後では天的(てんてき)
祭事9と考えられているのである。

>>長江中流域の洞庭湖付近では青銅器(BC1400頃)を山頂、山麓、水辺などの土中に浅く埋めた遺構が多数発見
この写真も適当なものがあればいいのだが、、、、

398 :桃太郎:2006/09/28(木) 21:45:59
>>383
ご丁寧にどうも
つまり、弥生人O-47z=戎=匈奴=秦氏=倭人 ということですか

399 :桃太郎:2006/09/28(木) 22:23:15
>>384
>>屯田兵だから「軍屯」の方でしょうね。
どうなんでしょう、秦氏は軍事方面も実は強かったという説もあるようですけど、
一般的なイメージからいうと、民屯じゃないかな

>ルーツが同じ日本を併合、人民は歓迎
この意味は当然、既に併合されているチベット同様、2級市民として日本人を使役できる
ので、歓迎されるという意味ですよ w 
親日ではないことは前提、彼らは軍事経済的に優位になれば、資産強奪しかねないでしょう

400 :月光仮面:2006/09/29(金) 07:03:53
>>398
基本的には
弥生人Y染色体ハプログループO-47z=倭人(銅鐸文化)
戎=匈奴(銅剣・銅矛文化)
秦氏=O*-M175の中国系渡来人(銅鏡文化)
でしょうが、ハタという意味は音読み、字読みの秦は秦氏、訓読みは戎。しかし、
倭人(銅鐸文化)も大陸では地理的に戎扱いであった。戎として古墳時代に
最も近いのは阿讃播に石積墳をもたらしたもので曹操に討伐された烏丸などが
主流ではないでしょうが。これらは匈奴と言うよりも、鮮卑に近いのではないか
と思います。しかし、こうやたらに渡来人の話ばかりすると縄文人は滅亡したかに
見えますが、しかし、もっとも古くから弥生文化を受け入れたのは各地の縄文人
ですから多少の混血もあろうが豪族として残っていた可能性はあり、天皇になる
ような家柄は渡来人では無理で、豪族に婿入りとかの形であったのではないかと
思います。




401 :日本@名無史さん:2006/09/29(金) 07:59:43
>>399
>この意味は当然、既に併合されているチベット同様、2級市民として日本人を使役できる
ので、歓迎されるという意味ですよ w 

あははは・・・・。
チベット系民族も昔は中原で活躍していたかもしれないですからね。
日本を併合する頃には、共産党は潰れているでしょうが。

402 :日本@名無史さん:2006/09/29(金) 08:15:46
>>400
弥生人Y染色体ハプログループO-47z=倭人(銅鐸文化)
戎=匈奴(銅剣・銅矛文化)
秦氏=O*-M175の中国系渡来人(銅鏡文化)

じゃあ、魏志の倭人伝に出てくる倭人の風俗は、縄文由来のものと解釈して
よろしいの?

403 :日本@名無史さん:2006/09/29(金) 08:32:27
現在でも外人の強制によってしか日本の制度を変えられないので
古代に大きな変革はできるとしたら外人の主導でやった

404 :月光仮面:2006/09/29(金) 08:32:28
>>402
夫与の神話には兄貴分が入海するはなしがあり、後漢書にも楽浪海中、つまり、
楽浪の沖合いの島嶼部分に倭人ありとされているところから、弥生人Y染色体
ハプログループO-47z=倭人(銅鐸文化) には魏志倭人伝に出てくる風俗があった。
そして、丹後から尾張、三河方面に広がる海部こそその末裔ではないかと思います。
縄文時代からの沖縄方面経由と言うのは台風、季節風という気象条件により古代人
にはきつすぎたと思うんですが。


405 :日本@名無史さん:2006/09/29(金) 08:46:02
秦氏が騎馬民族と考えていいの?

406 :月光仮面:2006/09/29(金) 11:09:58
波多、羽田、幡多など色んな苗字があり、秦というのが秦人のような感じもするが、
雅楽等の音楽、芸能関係でもあるようでもあり、武人もいるようです。この武人は
相当強力なもので秦人ではないとは言い切れないものの、スキタイ文化の影響を
受けた白人、西部モンゴロイド、東部モンゴロイド騎馬民族の可能性があると思わ
れます。一意的になにそれ民族と言えるものではなく、多民族集団と解釈するのが
妥当ではないかと。

407 :日本@名無史さん:2006/09/29(金) 11:27:37
雅楽ってさあ・・・

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%85%E6%A5%BD

408 :日本@名無史さん:2006/09/29(金) 11:29:57
とか、こういうのだよね・・・

http://www.gagaku.net/home.html

409 :日本@名無史さん:2006/09/29(金) 11:34:07
>中世以前に中国、朝鮮半島、南アジアから伝わった儀式用の音楽が元になっている。中国に於いて雅楽といえば儀式にもよおされる音楽であった

>>407
>現在日本の雅楽で演奏されている曲目のなかで中国から伝わったとされる唐楽は、唐の燕楽といわれる宴会に演奏されていた
音楽がもとになっている

>日本と同様に中国の伝統音楽をとりいれたベトナムのニャーニャク(nha nhac漢字で書けば雅楽)や韓国につたわる国楽とは
兄弟関係

>楽曲のカテゴリーとしても、唐楽、高麗楽、林邑楽(ベトナムの音楽)等国際色豊かな名前が伝わっており、

410 :桃太郎:2006/09/29(金) 11:34:50
>>401
チベット系は漢の時代以降も強力で、南北朝の北の前秦とかはチベットでは。
それはともかく、毛沢東はパーロこじき農奴解放軍で大逃亡をしていたときに
日本軍とはけっして戦わないで逃げ、国民党から策謀で盗んだ武器を使い、まともに
戦ったのはチベット蜂起軍くらいだったようですね。軍略をよくしってる。
それに比べいまや堕落した北京共産党政権が崩壊するのは、時間の問題でしょうが、
でも崩壊させるためには受け皿が必要なんです。
日本は米仏が支援している天安門の英雄ウイグル学生だったウアルカイシとチャネルを
持っていない。来日時に秘書を逮捕して顰蹙をかうなど外務省は基地外としかいいよう
がない。初代自由中国大統領候補を日本が用意しないうちは崩壊させてはだめ。
日本はまたしても欧米に封じ込まれてしまう。親日で上海、華南国独立ならまだ
条件としてはいいが、いまのままの崩壊=日本排除の中華新秩序は最悪。

411 :日本@名無史さん:2006/09/29(金) 11:37:26
>ウアルカイシ

いまや実業家で、国民党を支持していると聞いたが。

412 :日本@名無史さん:2006/09/29(金) 11:47:28
中国中国と言うが、昔の中国と今の中国を分けて考えることは
もう不可能かな。
日本人は、縄文人や弥生人って呼んでるのにな。

そういう意味でも、シナやチョンと呼ばれても仕方がないくらい
向こうの人間は卑怯だとおもう。

413 :桃太郎:2006/09/29(金) 12:05:00
先生には中学高校教科書の「列島古代のあけぼの」の章をおまかせします

400 :月光仮面 :2006/09/29(金) 07:03:53
>>398
基本的には
弥生人Y染色体ハプログループO-47z=倭人(銅鐸文化)
戎=匈奴(銅剣・銅矛文化)
秦氏=O*-M175の中国系渡来人(銅鏡文化)

>>411
そうか、彼は国民党支持か。その事業の資金はたぶん、以下からきてるな
フランスエルゼ宮、ホワイトハウス共和党、民主党、ロックフェラー

ところで、壁新聞世代の英雄、魏京生はどうしてるのだろう?
世代的にいうと彼が初代大統領かな、漢人だし。

414 :桃太郎:2006/09/29(金) 12:37:47
日本が安部以降に債務破綻危機を乗り越えて、うまく平和的核武装なりを
して、米英のIMF管理体制=東京裁判=国連体制
(=日本は敵国で国際的にはATM奴隷)を脱出できれば、以下を独立国としてすべきだね。

1、米中からの軍事経済的自立(ODA、IMF、国連負担放棄、米債権売却、軍需国産)
2、米中政権への干渉(自由中国、有色人種政権支援、台湾、ハワイ独立支援他)
3、失地回復、民族自決支援(北方返還、樺太沿海州独立、チベット他多数独立支援)
4、天皇京都帰還、憲法から排除して祭祀王に戻し天皇延命。実質共和政制度。

まあ、そのためには公務員制度の停止、国民年金一元化、債務1000兆円の始末=国民東京裁判、
国民参画の電子政府開設運用、債務管理政府の分離、産官学の解体(大学の教授会解散も含むw)など
1945次元で改革リセットになるけどね。河勝の苦労がしのばれるよ。w

415 :日本@名無史さん:2006/09/29(金) 12:56:11
>>413
>彼は国民党支持か。その事業の資金はたぶん、以下からきてるな
フランスエルゼ宮、ホワイトハウス共和党、民主党、ロックフェラー

気持ちは解るけど、不思議な期待をしない方がいいよ。
ウーアルカイシは、陳水扁に反対するデモに参加したりして、
どこかで「ただの目立ちたがり屋の馬鹿」と顰蹙を買っていたはず。
興味が無いので、その後の音沙汰は知らないが、知っている?

416 :日本@名無史さん:2006/09/29(金) 12:59:42
>>412
>向こうの人間は卑怯だとおもう。

文句があるなら、蒋介石に言ってくれよ。

>>413
>先生には中学高校教科書の「列島古代のあけぼの」の章をおまかせします

ところで、誰に対してお願いしているの?
月光仮面さん?

417 :日本@名無史さん:2006/09/29(金) 14:09:51
>>414
吉備秦氏、少々ヒートアップし過ぎですな。
トピズレです。


418 :日本@名無史さん:2006/09/29(金) 22:03:55
お〜〜い 秦さ〜〜ん 何処っかへいったんか??

419 :日本@名無史さん:2006/09/29(金) 23:05:31
秦氏が白人なら日本人にもコーカソイドの遺伝があるはずなのに
ないんだけど・・・

420 :日本@名無史さん:2006/09/30(土) 01:13:49
ユダヤ人

421 :日本@名無史さん:2006/09/30(土) 04:44:03
>>1
似たような糞スレばっかり乱立させんな、この糞アラシが。

422 :日本@名無史さん:2006/09/30(土) 08:05:11
>>421
かなり学問的でいいスレでしたけどね。
考古学資料もかなり豊富だったよ。

423 :では、このあたりから行きましょう:2006/09/30(土) 08:08:40
400 :月光仮面 :2006/09/29(金) 07:03:53
>>398
基本的には
弥生人Y染色体ハプログループO-47z=倭人(銅鐸文化)
戎=匈奴(銅剣・銅矛文化)
秦氏=O*-M175の中国系渡来人(銅鏡文化)


424 :では、このあたりから行きましょう:2006/09/30(土) 08:09:30
406 :月光仮面 :2006/09/29(金) 11:09:58
波多、羽田、幡多など色んな苗字があり、秦というのが秦人のような感じもするが、
雅楽等の音楽、芸能関係でもあるようでもあり、武人もいるようです。この武人は
相当強力なもので秦人ではないとは言い切れないものの、スキタイ文化の影響を
受けた白人、西部モンゴロイド、東部モンゴロイド騎馬民族の可能性があると思わ
れます。一意的になにそれ民族と言えるものではなく、多民族集団と解釈するのが
妥当ではないかと。


407 :日本@名無史さん :2006/09/29(金) 11:27:37
雅楽ってさあ・・・

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%85%E6%A5%BD


408 :日本@名無史さん :2006/09/29(金) 11:29:57
とか、こういうのだよね・・・

http://www.gagaku.net/home.html

425 :日本@名無史さん:2006/09/30(土) 09:28:09
羽田さんが性格が悪いのは働きすぎて嫌われていじめられたのでそうなった

426 :桃太郎:2006/09/30(土) 20:11:36
>>417
ああそうでした、少し興奮すたみたいで、すみません(ぺこり)
でも、秦氏のこととか日本国の起源、輪郭がみえてくると天皇制度の未来も
見えてくる気がします。とてもじゃにが、現在の男系女系議論では21世紀は
乗り越えれまい。

だいたい国民の象徴ならば、以下のようなかんじで天皇も変化するしね
明治天皇=近代国民国家、軍人
大正天皇=デモクラシー、大衆登場
昭和天皇=戦争、人間宣言
平成天皇=マスコミイメージ社会、非戦平和
次 =インターネット社会、散逸社会  
天皇がブログをやるとは思えんし、、

427 :日本@名無史さん:2006/09/30(土) 20:35:26
明治天皇以前 ほとんど無視の放置
明治天皇以後 あまりにも急激に持ち上げすぎて新羅神社もつぶして

428 :日本@名無史さん:2006/10/01(日) 07:44:46
羽田河勝の苦労やおおむらかねもちの苦労を思うと働き者はきらわれるので
なにもしない政治家が多いのか

429 :桃太郎:2006/10/01(日) 08:51:52
歴史好きにもいろいろあって、俺は学者ではないので論証には余り興味はない。
仕事がら、あるのは歴史解釈により未来の選択肢がどう広がるかというロマンだ。
悪名高いロベスピエールがいなければ、フランス革命にナポレオンが登場できなかった
だろうし、国民国家という概念もその後のマルクスのような思想も国家、市場、戦争の
流れも今とはちがっていたかもしれない。
幕末の竜馬、古代日本の聖徳太子は、たとえそれが創作的キャラでも日本人にとっては
ああいうイメージでいてほしいのだろう。実際のリアル太子は、新羅ロビーの河勝や
百済派の蘇我に翻弄された小さな傀儡だったかもしれない。
単なる学問おたくで、輸入ブランド好きの好戦的信仰者の一皇族が、1400年後の
近代独立国民国家の代表的民族シンボルとして、お札の肖像になる経緯が面白い。
その横にいた渡来一族族長の世界史的な視線が面白い。煬帝への手紙が面白い。
キーワードは「独立」だと思う。いま一番日本人に求められている概念だ。

430 :桃太郎:2006/10/01(日) 09:56:46
>>415
たしかに反北京・天安門世代でも、彼を嫌うセクトも多いみたいね
戦車が突入する直前まで指導部マイクの取り合いで、占拠解放派の主導権闘争とかも
最後まですごかったらしいし。今どれくらいの数の自称亡命革命指導部がパリやNYにあるのか。
例の宗教系組織から元党幹部亡命組織まで、次期政権の本格的統一ラウンジがまだないからね

学生指導部に公安スパイが潜入してると欧米の取材で泣いていた紫リン?だっけ
名前忘れたが学生夫婦リーダーの女のほうとかは、ウアルカイシ以上の人気で知名度も
高いみたいね。どっちにせよ、日本のネットウヨもアンチ北京のサヨも、こういう連中と
共闘して五輪妨害工作しているという話もきかないし、北京包囲戦線の連携はまだまだこれから
なんだろうな。

431 :日本@名無史さん:2006/10/01(日) 10:05:42
>>426
>次 =インターネット社会、散逸社会  

アキバ系の象徴、ナルくん

432 :日本@名無史さん:2006/10/01(日) 11:40:26
政治板でやられて方がいいんじゃないでしょうか?

433 :桃太郎:2006/10/01(日) 17:04:42
無関係ではないと思うが、君もなにか、秦氏の歴史ねたとか情報、意見だしてよ?
このスレでは月光仮面先生と俺くらいしかレスがないんで、つまらなんいだよ
以下の史実をどう思う?前にも書いたが、東アジア史や世界史でみると、日本国の
建国時の天皇臣民と領土税制を整備したのは、公称始皇帝末裔の秦氏なのだが。
共産党崩壊以降の中華圏諸国に、男系議論でゆれる日本と天皇は、このエピソードも
生かして、再秩序構築にどう関与していくか(しないか)という課題もある。

>>377
2ちゃねるでもみんなが避けてる話題だが、より本質的な定義として
「雄略15年条、秦酒君が180種勝を率いて朝廷に貢調、大蔵をかまえ酒君が長官となる」
とある。(書紀、姓氏録)
平野邦雄は「秦氏は大蔵の部民で、私有民ではなく最初の「国家の民」に近い」
といい、大和氏は「欽明天皇期に秦大津父が(最初の)大蔵省長官になり、大化以前で
唯一、調庸をもった天皇家の財政援助者となった」という。
つまり、秦氏こそは日本で最初の「天皇に調庸した国民」ではなかったか

434 :日本@名無史さん:2006/10/01(日) 17:59:52
>>433
じゃあ遠慮なく。

このスレのレスを最初から読めばご理解いただけると思いますが、
吉備秦さん以外の秦さんも多数書き込んでいます。秦さんそれぞれの
アイデンティティーがバラバラなわけです。
一番多いのが、西域も含めた広い意味で中国系という意識じゃないですか?
東儀さんなんかもそうなんじゃないかと思うけど。

桃太郎さんがどうしてそこまで政治意識が強いのかがよく解らんのですが、
多くの秦氏が皇室とは良好な関係を築いていらっしゃるようで、それを
どうこうしようとは考えていないのじゃないですか?

435 :日本@名無史さん:2006/10/01(日) 18:58:51
日本の古代史は百済はと新羅はのトップの取り合いで成立してるのか

436 :日本@名無史さん:2006/10/01(日) 21:53:21
>>435
秦氏の技術レベルはかなり高度で特殊だから、土着韓人だけのものとするのは苦しいんだろう。
日本にはその手の複雑な事情を抱えた渡来人が多いから、更なる研究が必要になってきている
んだろうよ。
子供だましが効かなくなってきているんだよ、たぶん。

>>433
>共産党崩壊以降の中華圏諸国に、男系議論でゆれる日本と天皇は、このエピソードも
生かして、再秩序構築にどう関与していくか(しないか)という課題もある。

どんな課題でしょう?
よくわからないけど、発想が壮大過ぎやしませんか?
秦氏にできる事と言えば、東儀さんがされているような「日中友好」関係で
しょうね。良い意味で人心を掌握して、5〜10年という、中・長期的スパンで
中国の民主化と複数政党制への移行を応援する事。せいぜいそのぐらいですが、
「たかが」と侮らない方がいいですね。これだって非常に難しい事だから。

騎馬軍団で中国を取り囲むとか、天皇を憲法から外すとか、かなり難しい
し、支持を得られないと思いますよ。少なくとも、俺は支持しない。
騎馬軍団、特に好きじゃないしw

437 :日本@名無史さん:2006/10/01(日) 21:53:49
 京都・「大酒」も赤穂・「大避」もともに「おおさけ」と読む。さらに、両社にある神楽面
が近似しているとすれば、もはや動かしがたい。それがまさしく同根の神社であることを証明
する。ただ、私はいまだに、この二つの神社の神楽面が似ているかどうか、残念ながら見てい
ないが・・・おそらく同一に違いないと思われる。両社の神楽面が同一であれば、両社はダビデ
大王を祖霊とし、タビデ大王を奉るヘブライ系渡来人が造成した神社ということになる。とこ
ろで、ヘブライ人が太古からすべて一神教であると、頭から思いこむのは警戒したほうがよい。
彼らヘブライ人がカナンを去ったのち、およそ4世紀後、秦として中国を統一し、日本に渡来
したとしたら、それらは前206年秦の滅亡した頃の前後となるだろうか。秦の始皇帝がダビデ
大王を祖霊としたヘブライ系の人であったかどうかは傍証しかないが、秦のもととなる民族は
いまのウィグル地区のステップ地帯あたりで、アレクサンドロス(紀元前323年死去)の東征
に押されて中国中原に進出してきたのだろう。つまりもともと西域にいた遊牧民族だった。秦は
このころまだ、小国で、政が31代の秦王に即位したのはBC247年。政、後に始皇帝を名乗る。

438 :日本@名無史さん:2006/10/01(日) 21:57:42
北匈奴と後漢がこの中国西北地方を攻防しあっていた。中国とローマ帝国と
の交易は、安息国=パルティアが中継貿易を行って巨利を得ていた。シルク
ロードに沿った都市は、当時の交易の利害に密接に絡んでいた。ローマ共和
制の末期、執政官クラッススが紀元前53年、5万人のローマ軍を率いて安息
(パルティア)=イランを攻略しようとして敗死した。このときに、約6000
人のローマ軍混成部隊の兵が不明となった。不明となった兵は、ローマ軍装備を
維持していたまま、紀元前36年に漢に帰順し、国境防衛任務に就いたとされる
。(漢書陳湯伝)これらローマ軍の末裔は甘粛省金昌県者来塞村に、あきらかな
欧州人の風貌をした村民が100人、今もなお生活していることが報道された。
(南京・揚子晩報1998・7・31夕刊)一方、後漢も北匈奴を排除、西域の
制圧を図った。攻撃に参加した班超(はんちょう)は、「虎穴に入らずんば、
虎子を得ず」との有名な台詞(せりふ)を吐いて、この西域を制し「西域都護」
に任じられた。彼は大秦国(ローマ)に部下、甘英(かんえい)を派遣したが、
安息国の妨害で小アジアあたりで引き返してしまった。9〜11世紀には中国
西域はトルコ系遊牧民がイスラム教に改宗して、ジハードの名のもとに移住
してきた。現在、これらトルコ系住民が多くを占める。

439 :436:2006/10/01(日) 22:15:07
>>437
いつも色々とユダヤ関連のコピペを貼られていた方?
ダビデもヘブライもいいですが、日本人に西洋人特有の遺伝子は見られない
んじゃないの?

それから、「日中友好」という言葉に脊髄反射したんでしょうけど、心配ご無用。
俺、別に媚中じゃないですし。共産党は普通に嫌いです。

440 :日本@名無史さん:2006/10/01(日) 22:22:45
今日は、たまたま民族の起源について、ある教授と話をしたのですが、ユダヤ人
に多くみられるCohen(聖職者の意味で、これに因んで名づけられた)と、アジア
の一部で認められるYAPと呼ばれる染色体の領域とが、いずれもY染色体上にあ
って、それが民族の起源のマーカーになっているのが面白い、という話になりました。


441 :日本@名無史さん:2006/10/01(日) 22:31:23
>>440
日本を含めた東南アジア系D-YAPと中東系のE-YAPは種類が違うんでは?


442 :桃太郎:2006/10/01(日) 23:21:22
>>434
東儀ママはペルシャ系ていうか、けっこうユダヤ説を信じてるらしいよ
彼本人は、そういうのもあるかもしれない程度でしょうが。
羽田元首相もそうだけど、戦後の江上騎馬説と日ユブームがあったので、
上の世代は、けっこう中東やシルクロード民族、景教徒説を受け入れてますよ。

>>多くの秦氏が皇室とは良好な関係を築いていらっしゃる
どこが? 吉備は造山が天皇陵認定されていないし、京都では差別問題
があったり、肝心の宇佐八幡、松尾神社や広隆寺でさえ、秦氏排斥派が強い。
大体学会系の雅子女系派の連中、あれなんですか?凄く政治的ですよ。
男系派の総帥いまの三笠宮も、前宮のオリエンタル学会開設の頃と比べると
お話にならんですよ。

443 :日本@名無史さん:2006/10/01(日) 23:30:45
>>442
ふーーん。

>戦後の江上騎馬説と日ユブームがあったので、
上の世代は、けっこう中東やシルクロード民族、景教徒説を受け入れてますよ。

もはや江上は電波芸人扱いですけどね。
西域を含めた地域もいまや「中国領」ですからねえ。これはしょうがないかも。
騎馬軍団で囲まないで、なんか別の良い方法を考えませんか?


>京都では差別問題があったり、

今もありますか?

444 :日本@名無史さん:2006/10/01(日) 23:39:38
日本人種と東南アジア辺りのYAP+は別種ですよ。

日本人種のYAP+はht1。
中国南部や東南アジアに微かに残るYAP+はht2。
白人や黒人のYAP+はht3。


◎YAP+マップ

http://www.geocities.com/londonross1/china3.png
http://native.way-nifty.com/./native_heart/images/y_chromosome.jpg



445 :桃太郎:2006/10/01(日) 23:45:31
>>436
 秦氏にできる事と言えば、東儀さんがされているような「日中友好」関係

は?おいおい、前レスで「秦氏は最初の天皇臣民で、大蔵をようした日本国民の原型」
であるとか、「白村江会戦での海軍派遣」「平安京建設」「幕末での再結集」
とさんざんかいてるだろ。
共産党が民主的に政党議会主義になるわけがないのだから、崩壊=大陸混沌化、
日中欧米はもとより、ロシア、インドを巻き込んだ大騒乱時代に突入し、日本も
いやおうなく軍事面でも国家変貌を余儀なくされるよ。別に壮大な話ではなく
リアルにそういう未来がいつか来るというだけの話。
阿部ちゃんの登場と人気は、そういう時代対応への期待値からだろ。
俺は施工氏とかと仕事したことあるが、教育改革で国立大学行政、教科書問題
なんか文部省の人事ごと、急速に変わると思うよ。

446 :日本@名無史さん:2006/10/01(日) 23:49:41
日本人種のYAP+のタイプはシビリーデやエスキミーデや
インディアン諸人種と同じシベリア系のものなのではないか?

447 :桃太郎:2006/10/02(月) 00:00:07
>>443
あなたは、大衆の無知さを知らないね。歴史の本なんて10人いて、9人までが生涯
読みませんし、騎馬民族説なんて1割も知ってる人はいないですよ。
「むー」読者なんて、まだ書店にきて本を読む読書階層ですから、擬似インテリに
近いのですよ(爆!)ですから、物知り博学なひとから「実は日本人の一部に
ユダヤの末裔がいて、伊勢神宮の地下には、、、」以下略
「へ〜そうなんだ、だから万世一系にこだわるのか」
となるわけですよ。ウケもとれるし。

448 :桃太郎:2006/10/02(月) 00:14:37
>>437
 両社はダビデ大王を祖霊とし、タビデ大王を奉るヘブライ系渡来人が造成した神社

これはユダヤキリスト信徒の神社ということではないのかな
奈良の大仏の開眼式に秦氏が招いた各国の仏教関係者の規模は凄い。河勝の時代でも
相当の次元での交流、文化情報蓄積はあっただろうし、信徒自体がいてもおかしくは
ないね。でも、そろそろユダヤ末裔説はやめて、せめて信徒、文化継承説にきりかえた
ほうが効果的だと思うな。司馬遼太郎もデビュー前にこれにはまって、新聞記事に
自らしていたくらいだから、魅力的なねたではある。松本清張とかもね。

449 :行間を読んでくださいよ;:2006/10/02(月) 00:19:19
>>445
そうじゃなくて…

>秦氏にできる事と言えば、東儀さんがされているような「日中友好」関係

彼は、個人的に中国で音楽活動しているし、そうなんですよ。
それをヒントにするんです。
ヒントと言えば聞こえが悪いんですけど、中国がガラガラポンするにも、
このままで行くにも(行くわけはないと思うんですけどね)、政府ではなくて、
“国民”どうしが仲良くなっておくことは、極めて重要であろうと考えます。

>崩壊=大陸混沌化、

より混沌とした方がいいですか?それとも「ソフトランディング」の方が
いいですか?その違いだと思いますけどね。

それから、私は共産党はあまり好きではありませんから、念のため。

450 :449:2006/10/02(月) 00:27:00
中国は確実に民主化に向かいますよ。
向かいますけど、大爆発の末に反日難民を撒き散らす…という最悪の事態だけは
避けたいものです。

穏やかに民主化して、友好的な移民を迎えた方が、日本にとってもいいでしょう?
どうしますか?これ、切実な問題なんですよ。

451 :日本@名無史さん:2006/10/02(月) 00:34:15






日本人種第一主義>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
>>>>>>>>>>>>(越えられない壁)>>>>>色目人>>>>>>
>>>>>>>>>>>>鮮人>漢人>南人  ← 遺伝子真っ赤っかのヨゴレwwww





Oh!セロイセローイ

452 :桃太郎:2006/10/02(月) 00:41:48
>>449
まあおっしゃってることはわかりますが、国民同士は今でも仲がよいとこもありますよ
商売がうまくいってるときとか、食事がうまいとか、アニメが面白いとか、女が、、、。

でも、国民交流と政治は別物でしょう。前の戦争でも、どうみても殺されても仕方のない
状況下で、日本人残留孤児を育児したひとたちも沢山いましたからね。
今も反日教育を受けてきた中国人留学生が、日本人を憎悪しているかというと、
そうでもない。しかし、政治状況で台湾併合のような事件は、日本とは無関係に
党内事情や経済状況でいつでも起こりうる。大体歴史は、味方の派閥抗争やふとした
事件が契機になり起こるもの。いまの大陸にソフトランディングで着地するような
要素はほとんどみえないのですが。連日1日平均50件以上も農村暴動が発生する
国の将来なんて時間の問題でしょう。
まあ、日本も1日公的債務が800億円も増加する、異常な崩壊直前の国ですけどね。w

453 :桃太郎:2006/10/02(月) 00:55:32
穏やかに民主化?
具体的にはどうするんだろう?
たとえば、北朝鮮が中国に併合されて、現状よりは民主化?される
というのはイメージできる。
しかし、チベットやウイグル地区で民主化がおこると、移民漢人は排斥
されて今のイスラエルとパレスチナのような政治状況になり、独立戦争
に火がつくから、まず穏やかにということはありえないと思う。
100万人同族が惨殺された民族は、やはり報復へと向かうだろうし、
独立派弾圧もしくは、少数民族領土独立=漢人排斥 でしょう。
日米が覇権をもち自由中国樹立ができれば、表向き混乱は少なそうだが。

454 :日本@名無史さん:2006/10/02(月) 01:03:10
>>452
>今も反日教育を受けてきた中国人留学生が、日本人を憎悪しているかというと、
そうでもない。

そうでもないんですよ…。
若者で親日なのは、沿海部の人間(それもごく一部)ぐらいでしょうね。
ツンデレな人が多いとは思いますけどね。
一番多いのは「無知」。それから「無関心」そこから来る「偏見」と教育による
「反日」でしょうね。

>いまの大陸にソフトランディングで着地するような要素はほとんどみえないのですが。

それは秦さんの願望じゃないですか?
今胡錦涛さんの力は、昔に比べて強くなっていると思うんですけどね。
最初はこの人も、民主化に興味があったはずなんですよ。
現在、期待は全くできませんが。

まあ、政府がどうなろうとも、人民とは敵対したくないですね。私は。

455 :454:2006/10/02(月) 01:13:05
>>453
>100万人同族が惨殺された民族は、やはり報復へと向かうだろうし、
独立派弾圧もしくは、少数民族領土独立=漢人排斥 でしょう。

うう、、穏やかじゃないですね。
なんか、個人的に漢族に恨みでもあるんですかw?
もう少し、マイルドな解決を目指しませんか?

とりあえず、明日があるのでさようなら。

456 :日本@名無史さん:2006/10/02(月) 01:17:27
チャンコロ見たら、「この汚らしい南方人が。」と言いながら、
ウンコを投げつけるべし。

457 :日本@名無史さん:2006/10/02(月) 02:48:10
日本人種のYAP+と東南アジア辺りのYAP+は別種ですよ。

ゆえに日本人種は中国南部や東南アジアとは無関係。


日本人種のYAP+はht1。
東南アジア・中国南部あたりに微かに残るYAP+はht2。
白人や黒人のYAP+はht3。


◎YAP+マップ

http://www.geocities.com/londonross1/china3.png
http://native.way-nifty.com/./native_heart/images/y_chromosome.jpg


458 :日本@名無史さん:2006/10/02(月) 12:49:45
周瑜と魯粛の差でしかないような気もするが。

459 :日本@名無史さん:2006/10/02(月) 12:51:24
【インド人もびっくり!】エロケ連動USBオナホついに解禁!?
http://news20.2ch.net/test/read.cgi/news/1159759252/

460 :月光仮面:2006/10/02(月) 15:20:02
>>457
日本のYAPはチベットの子孫とされている。出現するのは縄文開始時代という。
豪州キリスト教関係専門サイトでは東南アジアのYAPは日本の海外交易による
ものではと推測している。

461 :日本@名無史さん:2006/10/02(月) 19:49:33
2ちゃんで東儀紙が性犯罪てきな批判をされてたけどもそれで国外にかな、

462 :日本@名無史さん:2006/10/02(月) 20:25:52
周の時代に太公望が山東半島を与えられて
その一族が日本に渡来したんじゃないの?

463 :日本@名無史さん:2006/10/02(月) 20:33:50
>>460
で、そのソースは?

がいやまん。

>>462
おまえはこっちで勉強してこい。

■弥生人中国説にダマされる前に読むスレ■
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1152430591/

464 :日本@名無史さん:2006/10/02(月) 20:48:16
>>463
周の時代が統一された文化だと思ってるの?
チベット系の太公望の一族は支配した地域で独自の文化があったと思うが

465 :日本@名無史さん:2006/10/02(月) 20:49:07
>>456
こんなところで“チャンコロ叩き”してないで、中国人がわんさか集まる
日中友好板とか、春秋戦国スレとかで暴れて一人浮いてくればいいのに。

ああ、どうせだから中国人が運営する板でIP抜かれて身元ばらして
来るっていうのはどう?
http://www.2chu.com/bbs/dispbbs.asp?boardID=107&ID=4433

466 :日本@名無史さん:2006/10/02(月) 20:49:47
大陸を遠く離れて、しかも秦始皇の時代から千年ほども隔ててなお、
わが国の秦氏が鳥トーテムの名残を伝えているとみたら、始皇帝の
後裔という出自を全くの仮冒として否定することは、できないのでは
なかろうか。秦王朝は中国の西疆たる陜西省の地に興起したが、
鳥トーテムをもつ東夷の一派が西遷したものとみられている。秦と
同じ姓や同族の偃姓の諸国が春秋時代に山東からその南方にかけて
展開したという事情も、その辺の傍証となろう。東夷はツングース
とも同系統の種族とみられるから、これらの同種族が朝鮮半島を
南下して日本列島に渡来したことは十分に考えうる。


467 :日本@名無史さん:2006/10/02(月) 20:51:42
古代の朝鮮関係で秦姓の人が活躍した例もある。『魏略』には、戦国七雄
の一の燕が東北方への侵略を行い、秦開という将軍を派遣して箕子の後の
朝鮮侯を討伐し二千里の地を奪ったと記される。その時期は燕の全盛時代
の昭王(前311〜前279在位)のときとみられる。秦開という人物は『史記』
匈奴伝にも見え、燕の賢相・秦開はかって人質として東胡にあり、厚い信を
得たが、帰国してから東胡を破り千余里を得、その地に燕は五郡を置き長城
を築いて胡人を防いだとある。この五郡のうち、最も奥地の遼東郡は郡治が
襄平(いまの遼陽)とされるから、『魏略』と『史記』匈奴伝は同じことを
記したものであろう。秦開の系譜は不明であるが、遠くは秦王室と同族で
あったことも考えられ、秦開の族裔がこの討伐以降、朝鮮半島に遷住したの
ではなかろうか。あるいは、秦韓王家はこの秦開同族の流れだったのかも
しれない。


468 :日本@名無史さん:2006/10/02(月) 20:53:52
『史記』等の秦関係記事にあたってみても、始皇帝の一族が朝鮮半島に
来住したことは見られない。当時かなり多かったとみられる秦王族のなかで
、史料に名をあげられる者は少なく、始皇帝の兄弟では長安王成が秦王政の
八年に叛乱を起こし敗れて自殺したくらいである。始皇帝の子女は多かった
模様であるが、長子扶蘇と末子の胡亥(二世皇帝)が名をあげられるのみで
あり(三代目の秦王子嬰も、年齢的に考えておそらく始皇帝の子であろう)
、二世皇帝と趙高の謀りごとで、まず六人の公子が杜の地で、次に公子将閭
を含む兄弟三人(これも始皇帝の子か)が処刑されたと記される。二世皇帝
は趙高に殺され、秦王の子嬰及び公子・一族は項羽に殺されたと記されるな
ど、秦王朝の崩壊期に多くの公子・公族が殺害されたとみられる。こうした
なかで韓地に逃れた秦王一族がいたことはありえたのだろうか。この辺の
事情は、残念ながら不明であるが、可能性は極めて少ないものとみられる。


469 :日本@名無史さん:2006/10/02(月) 20:58:00
>>466
秦韓人の周辺諸国に対する肩身の狭さっていうのが気になっています。
なんでなんでしょう?


470 :日本@名無史さん:2006/10/02(月) 20:59:00
>>462
ちなみに斉の国ね。

471 :日本@名無史さん:2006/10/02(月) 21:38:11
DNAでチベット人と日本人が近いと分かってるんだから
弥生人はチベット糸と考えていいね

472 :日本@名無史さん:2006/10/02(月) 21:48:33
325 名前:名無しって何ですか?:2005/12/27(火) 07:14:19 ID:YevwbuuZ
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         竹石 圭佑
      (1986〜 愛知県名古屋市)

在日中国人の両親を持つ為か、日本語のアクセントがおかしい時が多々ある。
小学生の時に万引きで補導されたらしく、その頃から既に歪んだ性格であった考えられる。

中学・高校時代…意中の女子には露骨にちょっかいを出して気を引こうとし、また、その時の言動は挙動不審で相手に好意があることがミエミエな為、非常に痛々しい。
でしゃばりで、なぜか偉そうな態度をとっていたが、不良学生相手にはビクビクしながら機嫌をとっていたという不可解な面も併せ持つ。
また特に自分より力の弱い女性教員や女子生徒等を格好の的としていたので、その様な人間には異常に高圧的な態度をとり、馬鹿にし、いつも幼稚な悪口や悪質な嫌がらせを考えて楽しんでいた。

相当な目立ちたがり屋で「地球は自分を中心に回ってる」という性格。しかし、何の能力・才能の欠片もなく、ヘラヘラしていただけなので精神が不安定だったとも考えられる。あだ名はダメ石(何をやってもダメなくせに口八丁なので)→デメ石(非常に出目金に似た顔なので)。

愛知県の底辺の大学に通ってるが、名古屋大学医学部を目指しているらしく、医学生になった自分を日々妄想している。
余談だが、KAT-TUNの田中聖をライバル視しているらしい。

※注 これは自分の知っている範囲の竹石圭佑の情報であり、全てではないと思われ。

473 :日本@名無史さん:2006/10/02(月) 22:08:33
>>471
いや、チベットと関係しているのは縄文人の方でしょう。

474 :日本@名無史さん:2006/10/02(月) 22:12:50
>>471
縄文人? アイヌがチベットと同祖になるの?

475 :日本@名無史さん:2006/10/02(月) 22:16:34
>>474
なんでも、日本人のYAPの兄型がチベット人のYAPになるんだそーです。


476 :日本@名無史さん:2006/10/02(月) 22:19:55
>>475
縄文=チベットのソースある?

477 :日本@名無史さん:2006/10/02(月) 22:29:36
>>476
どこかに詳しい英語の資料があったはずだけど、今見つからない。
http://ethol.zool.kyoto-u.ac.jp/kura/JapanEemp/FameleEmp/1-3.files/image003.jpg
大雑把だけどこういうのがあった。
DというのがYAPで、このタイプのYAPが日本人とチベット人に見られるよ。

478 :477:2006/10/02(月) 22:31:17
ついでにこういうのを、誰かが上の方で貼ってた。
この2つのソースをあわせて比較すると、なんとなく解る。
http://www.geocities.com/londonross1/china3.png


479 :日本@名無史さん:2006/10/02(月) 22:58:51
http://www.dai3gen.net/mt90.htm

これはどうなんですか?

480 :日本@名無史さん:2006/10/02(月) 23:00:30
http://www.dai3gen.net/kigen02.htm
具体的に言えば、ある縄文人骨と同じミトコンドリアDNA配列を持ったヒトが現代の日本人、バイカル湖周辺のブリヤート人、チベット人、に見つかっている。さぁ、日本人の起源はバイカル湖なのか、チベットなのか。日本語の起源はブリヤート語なのかチベット語なのか。

別の縄文人骨と同じミトコンドリアDNA配列を持ったヒトはバイカル湖周辺にもチベットにも見つかっておらず、インドネシアとマレーシアに見つかった。この縄文人は古いインドネシア語を使っていた、と断じるのか。無茶であろう


481 :477:2006/10/02(月) 23:23:13
>>480
日本語の起源は明らかではない。日本語の起源が解明される目途も立っていない。
いくつかの理論仮説があるが総意にいたらない。朝鮮語は、文法的近似性はあるが、
基礎的な語彙を大きく異とする。朝鮮半島の死語である高句麗語などとは共通点が
認められるが、データが非常に限られているため確かなことは言えない。音韻体系
や語彙は、南方系のオーストロネシア語族との近似が見られるが、関連性は分かって
いない。(Wiki「日本語」)

遺伝子は専門じゃないけど、日本語は複雑怪奇みたい。
日本人が複雑な渡来経歴を持つ民族だという事は想像できるよ。

482 :月光仮面:2006/10/03(火) 09:58:14
>>481
古代秦氏の本拠、京都の言葉は古代の標準語であろうが、他の方言と違い丁寧・謙譲
等社会・家族上下関係を明確にする作法をアルタイ語文法に組み込んでいる。残余の
東北から鹿児島に至る方言にはさほど顕著な上下関係にフォーカスした文法関係はない。
これは多分満州・朝鮮北部において燕・漢植民地時代にアルタイ語に中国の思想を
盛り込んで教育活動を行う集団がいたのが日本列島に渡来したのが原因だろう。つまり、
満州ではアルタイ系に祖先・支配者崇拝精神を組み込み、出来上がった言語体系が
朝鮮半島から日本へと入ったが、日本においてはローカルの語彙を取り込んで行ったと
言うようなことであったのではないかと思う。印欧語も同様の教育課程を経て異なる
集団の言語に共通性ができたのであろうが、祖先・支配者崇拝ではなく、農耕・牧畜・
冶金などと言う産業的な革新に対応し、神話の伝授などの形で、言語・文法を構築し
たのであろう。・・・とまー、こんな感じがしますね。

483 :月光仮面:2006/10/03(火) 10:07:16
>>480
倭人伝では大人が通ると下戸は路傍の草むらに平伏し、「オー」とかしこまるとなって
いるが、これは邪馬台国主導の倭国は実際には既に秦氏の思想的統制下におかれて
いたということ、つまり、古代日本語が成立していたことを意味するのであろう。邪馬台国
以前には銅鐸の村祭りの共同体世界であったのに引き換えイデオロギーの違う世界に
入ったために反乱が続いたのは自然な成り行きであったであろう。

484 :月光仮面:2006/10/03(火) 10:22:12
卑弥呼の墓とされる箸墓は、秦氏の夕月が嶽に向かい、三輪山には向いていない。
そしてそこに伸びる線上には兵主神社がある。天日矛の末裔、タジマモリは常世の国
に仙薬を求めるが帝は既に没したと聞き泣き崩れる。これが弥生人の姿であろうか。
仙薬の話は邪馬台国の通訳として晋辺りに派遣され始皇帝陵墓を見学して得た知識
によるものと見るのが自然だと思うが。徐福の子孫も邪馬台国建国時には参加していた
ということではなかろうか。

485 :月光仮面:2006/10/03(火) 10:36:50
>>476
シノ・チベット・ビルマは同族の言語系統であり、アルタイとは違う。チベットにアルタイ
系言語が入るのは歴史時代であり、一方、日本のYAPは縄文時代。それなのにチベット
のYAPは日本の先祖系という。では、縄文時代にはチベットのYAPはどこにいたので
あろうかと考えると、日本に一番近いところでは興隆窪文化>遼河文明>バイカル湖周辺
あたりかということになる。・・・想像ばかりで恐縮だが現在のところこれぐらいのことしか
いえないのでは。

486 :日本@名無史さん:2006/10/03(火) 15:21:08
>>485
日本人のYAPは複雑だから、大陸との間を人が往来したとか、
あるいは、多様な集団が移住してきたという可能性は?

487 :日本@名無史さん:2006/10/03(火) 15:22:52
>>485
>シノ・チベット・ビルマは同族の言語系統

シノ・チベット語を分類したのはたぶんイギリス人の学者だったと思うが、
便宜上のことで、漢語とチベット語はそれ程ちかくはないと思った。

488 :桃太郎:2006/10/03(火) 15:35:40
どなたか、先生のお話を時系列的にまとめていただけると助かるのですが。
あるいは、近い説のまとめサイトとかないでしょうか
ないですよね

>>455
始皇帝同族は帝国崩壊後も殺されたそうですが、個人的に漢族に恨みはないですよ。
昔、祖父の代の明治世代から、秦村は焚書坑儒で中国から逃れてきた学者の子孫も
いた。というような話を聞いたことはある。たぶん後付の話だとは思いますが。

中国の未来はよくわからないけど、少なくとも欧米人よりわれわれのほうが付き合いは
古い。今後もお互い干渉せざる得ないでしょうし、経済的には日米中はすでに一体だからね。
だからこそ、日本は早急に軍事自立しないと危険だと思う。20年後没落した日本が
大陸に吸収されていても、世界史的には誰も困らないからね。

489 :月光仮面:2006/10/03(火) 17:04:57
>>488
漏れが受け売りしているのは主として歴博 の先生方です。この白石
さんのデータなど非常にいいんじゃないでしょうか。秦氏はこの頃の
出来事に相当絡んでいると思います。↓
http://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/shinpo/siraisi.html

490 :455:2006/10/03(火) 17:05:46
>>488
>20年後没落した日本が大陸に吸収されていても、世界史的には誰も困らないからね。

はっきりとは言えませんが、それは心配しなくても大丈夫だと思います。
共産党がこのまま膨張し続けて自由主義国を次々と飲み込むまでに肥大化することを、
一部の国粋主義者を除いては、多くの人々が望まないからです。
当然、欧米人も望んでいません。

491 :日本@名無史さん:2006/10/03(火) 18:21:21
靖国のおかげで首の皮がつながっているのかもしれないからなー。
安倍さん慎重にナ。

492 :日本@名無史さん:2006/10/03(火) 18:37:26
>>491
>安倍さん慎重にナ。

それは参拝すべきだということ?それとも、慎重にせよということ?

493 :日本@名無史さん:2006/10/03(火) 21:33:35
日本人種のYAP+と東南アジア辺りのYAP+が別種なのは事実。

日本人種のYAP+はht1。
東南アジア・中国南部あたりに微かに残るYAP+はht2。
白人や黒人のYAP+はht3。

ゆえに日本人種は中国南部や東南アジアとは無関係。

残念でした(嘲笑)

◎YAP+マップ

http://www.geocities.com/londonross1/china3.png
http://native.way-nifty.com/./native_heart/images/y_chromosome.jpg

494 :日本@名無史さん:2006/10/03(火) 21:35:35
とかくユダヤ人?と噂の絶えない秦氏ですが、ソグド人の故郷・ソグディアナに面白
い言い伝えがあります。ソグディアナには「我々は失われたイスラエル10部族の子孫
である」との伝承を持つ人や、「アケメネス朝ペルシャのキュロス大王がユダヤ人のエル
サレム帰還を許可した後、我々の祖先はエルサレムには戻らず、新天地を求めてこの地
に移り住んだ」というディアスポラ・ユダヤ人が結構いるのだそうです。(キュロス大王
は紀元前6世紀に領土拡張し、ソグディアナを手に入れています。)事実かどうかは別と
して。まぁ実際、サマルカンドやブハラには古くからのユダヤ人居住区があります。

495 :日本@名無史さん:2006/10/03(火) 21:36:13
でもって、その人達の主張が面白い。
サマルカンドの名前の由来が「サマリア」+「カンド(街)」の合成語なのは本当らし
いのですが(アレキサンダー大王遠征の時にギリシャ人が「マラカンダ」と呼んだのは、
現地人の発音がそう聞こえたからで、昔から「サマルカンド」が正しかったらしい。念
のため)、彼らユダヤ系住民の主張によれば、「かつてアッシリアにより捕囚され、その
後流れてきた10部族の末裔が街を築いて、自分達の故郷サマリアから取って『サマル
カンド』と名付けたのだ」ということなのです。
「ヨルダン川西岸地区をユダヤ・サマリア(ヘブル語でシュメロン)と言う」
・・・ってことは、イスラエル→ペルシャ→ソグディアナ→中国→朝鮮半島→日本
わ〜い繋がっt(強制終了)・・・失礼。



496 :日本@名無史さん:2006/10/03(火) 21:48:42
325 名前:名無しって何ですか?:2005/12/27(火) 07:14:19 ID:YevwbuuZ
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         竹石 圭佑
      (1986〜 愛知県名古屋市)

在日中国人の両親を持つ為か、日本語のアクセントがおかしい時が多々ある。
小学生の時に万引きで補導されたらしく、その頃から既に歪んだ性格であった考えられる。

中学・高校時代…意中の女子には露骨にちょっかいを出して気を引こうとし、また、その時の言動は挙動不審で相手に好意があることがミエミエな為、非常に痛々しい。
でしゃばりで、なぜか偉そうな態度をとっていたが、不良学生相手にはビクビクしながら機嫌をとっていたという不可解な面も併せ持つ。
また特に自分より力の弱い女性教員や女子生徒等を格好の的としていたので、その様な人間には異常に高圧的な態度をとり、馬鹿にし、いつも幼稚な悪口や悪質な嫌がらせを考えて楽しんでいた。

相当な目立ちたがり屋で「地球は自分を中心に回ってる」という性格。しかし、何の能力・才能の欠片もなく、ヘラヘラしていただけなので精神が不安定だったとも考えられる。あだ名はダメ石(何をやってもダメなくせに口八丁なので)→デメ石(非常に出目金に似た顔なので)。

愛知県の底辺の大学に通ってるが、名古屋大学医学部を目指しているらしく、医学生になった自分を日々妄想している。
余談だが、KAT-TUNの田中聖をライバル視しているらしい。

※注 これは自分の知っている範囲の竹石圭佑の情報であり、全てではないと思われ。

497 :日本@名無史さん:2006/10/03(火) 22:44:41
>>496
コピペにマジレスするのもどうかと思うが、
勘違い大馬鹿ヤロウが場違いなスレで浮いてて密かに笑えるんだけど。
きっと、不安神経症患者とかなんだろうね。
一度聞いてみたかったんだけど、あんたは病的な漢族嫌いなの?
それとも中華人民共和国が大嫌いなの?
あんたにピッタリな板があるから、どうせならここで直接喧嘩するといいよ。
    
        ↓

・北大中文論壇
http://www.pkucn.com/viewthread.php?action=printable&tid=171673
・憶江南文化論壇
http://www.yijiangnan.net/bbs/index.php

498 :桃太郎:2006/10/04(水) 00:07:30
>>489
おおざっぱにいえば、そうですが、も少し具体的な話がほしいのです。
例えば、牧では、馬に塩をたべさせるための5センチほどの素焼きの土器があり、
海水を煮て製塩して割って使い捨てしたらしいですね。つまり馬は海岸部で育成された。

継体天皇稜の遺跡からは、モンゴル相撲?の像や、騎馬系の胡座で先の反り返った
靴の人物埴輪がでる。6世紀になるとベニスのゴンドラのような船に乗った、とんがり帽子の
南蛮人のようなツーピースルック(ズボンが膨らんでるアラビア風)の人物画が古墳から
たくさん出てくる。あれはなに?時代がたいむすりっぷしてるような目眩に襲われる。


499 :日本@名無史さん:2006/10/04(水) 00:32:41
ユダヤスレが盛り上がっている件・・・・・
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1159268523/

500 :桃太郎:2006/10/04(水) 00:38:30
5世紀の土着系豪族の鎧は、「短甲」という倭、カヤ独自の様式が、継体以降は
「圭(手へんの桂)甲」という騎馬系の騎乗でうちぶせになれるタイプの外来系に
変化する。
トンガリ帽子やユダヤの法学者がかぶるような長靴帽子、埴輪のもみあげがくるり
とカールしている「みずら」も謎。とても同じ倭人とは思えない。ここらの時代には
大陸は鮮碑、北魏だからペルシャ、トルコ系とかの移民もいたかもね


501 :日本@名無史さん:2006/10/04(水) 06:37:32
秦氏というのは、>>500の桃太郎さんだけなの?
他の人の意見も聞きたいです。

502 :月光仮面:2006/10/04(水) 12:15:00
>>500
とんがり帽子についてまとめて見ます↓
http://members3.jcom.home.ne.jp/gentian/horn1.html
あ、敦賀・気比大社のツヌガアラシトを忘れてた。

503 :日本@名無史さん:2006/10/04(水) 19:57:05
畑氏は性格が良かったので、よくはたらき好かれましたが病気で早くしなれました

504 :日本@名無史さん:2006/10/04(水) 23:07:15
325 名前:名無しって何ですか?:2005/12/27(火) 07:14:19 ID:YevwbuuZ
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         竹石 圭佑
      (1986〜 愛知県名古屋市)

在日中国人の両親を持つ為か、日本語のアクセントがおかしい時が多々ある。
小学生の時に万引きで補導されたらしく、その頃から既に歪んだ性格であった考えられる。

中学・高校時代…意中の女子には露骨にちょっかいを出して気を引こうとし、また、その時の言動は挙動不審で相手に好意があることがミエミエな為、非常に痛々しい。
でしゃばりで、なぜか偉そうな態度をとっていたが、不良学生相手にはビクビクしながら機嫌をとっていたという不可解な面も併せ持つ。
また特に自分より力の弱い女性教員や女子生徒等を格好の的としていたので、その様な人間には異常に高圧的な態度をとり、馬鹿にし、いつも幼稚な悪口や悪質な嫌がらせを考えて楽しんでいた。

相当な目立ちたがり屋で「地球は自分を中心に回ってる」という性格。しかし、何の能力・才能の欠片もなく、ヘラヘラしていただけなので精神が不安定だったとも考えられる。あだ名はダメ石(何をやってもダメなくせに口八丁なので)→デメ石(非常に出目金に似た顔なので)。

愛知県の底辺の大学に通ってるが、名古屋大学医学部を目指しているらしく、医学生になった自分を日々妄想している。
余談だが、KAT-TUNの田中聖をライバル視しているらしい。

※注 これは自分の知っている範囲の竹石圭佑の情報であり、全てではないと思われ。

505 :桃太郎:2006/10/05(木) 01:32:08
三世紀初め、鮮卑拓跋部の一酋長であった匹孤は部民を率いて拓跋部から離脱し、
陰山一帯から遠く西方の甘粛河西方面へ移り、漢や羌と雑居した。このため禿髪部
(寿ツ?フ時に禿髪氏へ改姓)は通常河西鮮卑と称される。256年から263年にかけて
魏の鎮西将軍・都督隴右諸軍事であったセH艾は、蜀に対抗するため非漢族を大量に
魏の領内へ引き入れ、河西鮮卑もこの時に雍州・涼州境界(のちの秦州の地)
に居住した。
267年、西晋が土地法の改革(占田・課田制)を行うと西北地域の非漢族は反発し、
270年、禿髪部の族長であった樹機能は秦州一帯の非漢族を糾合して反乱を起こした
(禿髪樹機能の乱.270-279)。当時の秦州刺史は胡烈であり、かつて鍾会に従って
蜀を伐った猛将であったが、270年6月、禿髪樹機能は万斛堆の戦いでこれを敗死させた。
樹機能は同年に安西将軍石鑒を、翌271年には涼州刺史牽弘を撃破し、
司馬亮・杜預・賈充らの討伐軍を恐懼させた。樹機能の反乱は雍・秦・涼三州に拡大し、
皇帝司馬炎をしてこれを呉・蜀の害より甚だしいと歎かせしめた。


506 :桃太郎:2006/10/05(木) 01:39:52
399年8月、利鹿孤は武威王を称し、西平に都を遷して北涼と連携を強めた。
同年、後涼では呂光が死に、呂纂が大涼天王の位を奪って盛んに外征を繰り返した。
400年、利鹿孤は・ツの楊軌を処断して国内をまとめると、後涼の軍を二度に
わたって撃破し、河西諸政権のうち最大の勢力となった。同年5月、関中の
後秦が西秦を滅ぼして河西に進出すると、利鹿孤は後秦に使者を送って臣と称し、
巧みな外交で勢力の発展に努めた。401年、利鹿孤は河西王と改称し、新たに
大涼天王に即位した後涼の呂隆を激しく攻撃した。同年9月、後秦の姚碩徳は
長駆して後涼の都姑臧を攻撃し、これを服属させた。ここに後涼は著しく
衰落することとなり、南涼と北涼は河西の覇権をめぐって敵対関係に入った。
402年3月、利鹿孤は重病となり、弟の禿髪?檀に後事を託して死去した。


507 :桃太郎:2006/10/05(木) 01:53:46
後秦の発展
関中を統一した後秦の姚興は、394年、後秦皇帝に即位した。396年、北魏の主力が
後燕攻撃に向かうと、後秦は北魏の間隙をぬってオルドスを占領し、399年には内紛が
続く東晋から洛陽など漢水淮水以北の諸城を悉く占領した。400年、後秦の姚碩徳は
隴西地域へ進撃して、苑川に割拠していた西秦を滅ぼし、旧西秦王の乞伏乾帰を常安へ移した。
401年、姚興は乞伏乾帰を苑川に還して旧部衆を戻し、姚碩徳の後涼遠征に従事させた。
同年、姚碩徳は後涼の都姑臧を攻め、これを降伏させた。この時、後秦は後涼に軟禁
されていた鳩摩羅什を常安へ送っている。さて、後涼が降ったことは河西諸政権を恐懼させ、
西涼・北涼・南涼は悉く後秦に従属した。こうして河西は後秦の勢力圏内に入ったのである。

508 :桃太郎:2006/10/05(木) 02:28:33
鮮卑拓跋部、秦氏、河西王、河西回廊、騎馬軍団、トルコ/ペルシャ/チベット系

拓跋部系といわれる隋の煬帝に、対等外交の書を送った聖徳太子と秦河勝、
最初の斑鳩(トルコ語?でまだらの鳩という意味)地名は、兵庫。河勝亡命の
地、赤穂は古代吉備(秦、葉田)の勢力内。応神380年代頃にはすでに大王妃
をだしていた吉備秦氏。末裔の河西一族は、戦前、秦小学校の校章に「弓月」
を使った。(確か現在でも使用中)   ジグソーパズルのような、、、

509 :桃太郎:2006/10/05(木) 03:05:42
>>502
ありがとうございます。
かきこしておきました。
確かに日本民族/国家起源については、戦後もあえて曖昧にしてきた
んでしょうが、天皇制度の将来も考えると、そろそろ明瞭にしないと
だめだと思います。富国強兵時代の「天皇教」で日本史をみる習慣が
まだありますから。(ちなみに、天皇制否定論者ではないです)

510 :桃太郎:2006/10/05(木) 03:34:26
歴代秦は河西を押さえることで、シルクロード遊牧諸族を押さえ、中原に進出している。
吉備秦氏の場合、地名は一族と移動している。

http://www.h3.dion.ne.jp/〜china/point30.html
全国統一への道
恵文君の時代になると、秦の軍事戦略はさらに拡大して、趙・楚にも侵略していきます。
魏とは敵対と同盟を繰り返して、河西の地を交換し合っています。 河西での優位は戎へ
の討伐にも現れており、戎の領土にも県を配置しています。

511 :日本@名無史さん:2006/10/05(木) 07:54:30
>>508
>斑鳩(トルコ語?でまだらの鳩という意味)

へーー!そうなだ。
確かに「斑点(はんてん)のある鳩」と書いて「イカルガ」と読むね!

512 :日本@名無史さん:2006/10/05(木) 07:56:36
>>510
読めない・・・

513 :日本@名無史さん:2006/10/05(木) 10:02:09
秦国 → 土佐国幡多郡なので、明治維新も働き者の羽田氏がやったのかも

514 :日本@名無史さん:2006/10/05(木) 10:07:25
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515 :日本@名無史さん:2006/10/05(木) 16:20:22
大化の改新以降秦氏の足跡が途切れた感があるけど、彼らは一体どこに消えたの?
時を同じくして蘇我や物部も倒れ、当時ぱっとしない家の出の者だった
中臣鎌足が中央政界を牛耳るようになるわけだけど。

>>414
日本独立の第一歩は債務破綻危機を乗り越えることができなければ始まらないと考えているようだが、
それは無理だよ。威勢良いように見えるが、あんたも破綻は避けられないと気付いてるんだろ?
大混乱を数年間経てなんとか持ち直し、さあこれからという時には、
日本の特定国家に対する属国化はもはや完成の域に達していると予想される。

516 :桃太郎:2006/10/05(木) 17:25:37
>>501
秦氏末裔を自覚していて、かつ関心をもつひとは少ないと思うよ。負け組みだから。
羽田元首相は系図があったらしいけど、普通、以下の日本史の流れの中で保身のため
隠蔽されていく。うちの母方は徳川方池田家だったので「めったなことをいうな」といわれた
太秦だった秦河勝の没落、大化の改新、藤原の台頭
天智系、天武天皇の内戦
天武系寺院の地方台頭(うちの西日本最古の秦廃寺はこの時点で非主流に)
源平の混乱(うちは初期に平氏につくが生き延びる)
鎌倉武士団の進駐、太平記時代(地元豪族として和平合流、棲み分け、玉虫色的態度)
室町後期〜戦国期(備中松山城一族として新興の宇喜多と死闘。秀吉と同盟後
毛利吉川軍団に攻められ島流し。徳川池田家扱いで免者、庄屋一族で維新。


517 :桃太郎:2006/10/05(木) 17:47:55
終戦後の混乱期に吉田内閣で、車椅子の厚生大臣橋本龍伍というひとが
秦村からでた。大臣就任がきまったときに祖父は蔵からそれまで隠していた
戦陣幟をだしてきて、他の家の蔵からも続々とないはずの鎧、兜が続々でてきて
秦村総出で武装の仮装祝いとなったらしい。
そのときの記念写真を見ると老人たちの風貌は、たしかに大和風じゃないな。

ちなみに、橋本龍伍は軍人恩給を法制度化した。息子の龍太郎は首相になり
秦大津父が初代大蔵長官になってから1500年後に、その大蔵省の名称をリストラの
ため廃止したのも歴史の奇縁かもしれない。

518 :日本@名無史さん:2006/10/05(木) 17:55:40
325 名前:名無しって何ですか?:2005/12/27(火) 07:14:19 ID:YevwbuuZ
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         竹石 圭佑
      (1986〜 愛知県名古屋市)

在日中国人の両親を持つ為か、日本語のアクセントがおかしい時が多々ある。
小学生の時に万引きで補導されたらしく、その頃から既に歪んだ性格であった考えられる。

中学・高校時代…意中の女子には露骨にちょっかいを出して気を引こうとし、また、その時の言動は挙動不審で相手に好意があることがミエミエな為、非常に痛々しい。
でしゃばりで、なぜか偉そうな態度をとっていたが、不良学生相手にはビクビクしながら機嫌をとっていたという不可解な面も併せ持つ。
また特に自分より力の弱い女性教員や女子生徒等を格好の的としていたので、その様な人間には異常に高圧的な態度をとり、馬鹿にし、いつも幼稚な悪口や悪質な嫌がらせを考えて楽しんでいた。

相当な目立ちたがり屋で「地球は自分を中心に回ってる」という性格。しかし、何の能力・才能の欠片もなく、ヘラヘラしていただけなので精神が不安定だったとも考えられる。あだ名はダメ石(何をやってもダメなくせに口八丁なので)→デメ石(非常に出目金に似た顔なので)。

愛知県の底辺の大学に通ってるが、名古屋大学医学部を目指しているらしく、医学生になった自分を日々妄想している。
余談だが、KAT-TUNの田中聖をライバル視しているらしい。

※注 これは自分の知っている範囲の竹石圭佑の情報であり、全てではないと思われ。

519 :桃太郎:2006/10/05(木) 18:10:37
ハシリュウは晩年はねらーからも北京寄りなので弾劾されて人気がなかったが、
俺はビットバレーSOHO支援の要望もあり、数回わりとプライベートに話した
ことがある。(実は彼はかなりのおたくで、自作ホームページももっていたし、
20代のリーマン時代はテキスタイルデザインを担当していた)

橋本本家の土地の中に秦廃寺中央礎石があるらしいので、遠縁として
発掘を要請するまえに亡くなってしまった。橋本家が秦氏係留であるかどうかは
よく知らない。息子の岳さんは、はたして関心をもつかどうか。
まあ、歴史とはそんなもんだろう。


520 :桃太郎:2006/10/05(木) 18:20:54
>>515
俺は中国自体が国家として変容せざるえないから、その準備をすべきだと思う。
日本政府の債務1000兆円は、世界共通の時限爆弾だから、はじけるときは、
米中も同じだろう。日本再建と米中の同時リストラをする世代が今後
出てくると思うがね。それと、領土国家と平行して電子政府の拡張がこれからの
世紀の特徴だろ。

グーグル的な政府登場は領土も軍備も国民もいないぶん、強いよ。
いま、河勝や太子がいれば、これに乗るね。

521 :日本@名無史さん:2006/10/05(木) 20:43:03
岡山の秦大国、

522 :日本@名無史さん:2006/10/05(木) 21:45:49
>>502
こんばんは。
他の写真は注目しなくてけっこうなので、21番目の写真をご覧になってください。
「角端」という文字が目印です。

http://www.asiafinest.com/forum/lofiversion/index.php/t72256.html

523 :日本@名無史さん:2006/10/05(木) 21:53:07
>>515
一つ聞いてよろしい?
いったい、どちらの方にレスされてますか?

524 :523:2006/10/05(木) 21:55:32
>>515

勘違いでした。ごめんなさい。

525 :月光仮面:2006/10/06(金) 08:27:41
>>522
角端
http://www.travelchinaguide.com/images/photogallery/0023000/suzhou%2010022639t.jpg
角端,《宋書符端志》下篇記載「角端,日行萬八千里,又曉四夷之語,明君聖主在位,
明達方外幽遠之事,則奉書而至」。其形象為獅身,長尾,獨角,四爪,上唇特長。
(有的前伸,有的上卷)宋陵石雕有此形象。
http://hk.knowledge.yahoo.com/question/?qid=7006040600980
角端は一日八千里の移動が可能であり、蛮族の言語に通暁している。明君聖主が帝位
にある際において、高邁な思想を国外諸国に明確に伝達、文書をもって到達する。
すると、ツヌガアラシトとは、帯方郡の張政が魏帝の書を携え敦賀に上陸、その地に
角のある獅子、ツノガアルシシ、すなわち、狛犬を残したということかな。
気比神宮の神宝は獅子頭といわれ、その実物は不明だが獅子頭専門店である程度の
ニュアンスはつかめる↓
http://www.e-sisi.com/index.html
この辺を中心に角杯が出土する。

526 :月光仮面:2006/10/06(金) 11:38:50
↑しかし、海流は隠岐から南東に出石にあたるので上陸するのは久美浜辺りと見るのが
順当で、敦賀は、例えば琵琶湖西岸を通るためには不自然だし、張政の当時鶴賀の辺り
は狗奴国との戦線であった可能性もある。と考えると、纒向に新都をおいた邪馬台国が
北陸統制の拠点として新羅にあった祭祀施設を敦賀に移したという事かもしれない。

527 :月光仮面:2006/10/06(金) 12:48:29
李香蘭 蘇州夜曲 君が御胸に♪ 山口淑子 暁の脱走・・・↓この角端
http://www.geocities.jp/chuubunkai/tanabe2-4.jpg
北魏には写真Bの様な角を二本生やした辟邪がいる
http://www.geocities.jp/chuubunkai/tanabe3-1.jpg
鎮墓獣と辟邪・天鹿
http://www.geocities.jp/chuubunkai/tanabe.html
狆の日本への渡来と狛犬
http://www5a.biglobe.ne.jp/~nobon/torai1.htm
中国では無角は獅子、一角は天鹿(天禄、てんろく)、二角は辟邪といった。
http://www1.linkclub.or.jp/~rqw/wf/GR/0202.html
思えば邪馬台国は国策のように三角縁神獣鏡を輸入・ホウ製した時代であった。



528 :月光仮面:2006/10/06(金) 13:20:02
どうやら熊獅子 ↓なるものは、確かに角杯の分布圏であり、
http://www.e-sisi.com/albu/framepage3.html
気比神宮に近い地方で普及しており、獅子頭に焦点をあわせているという
大きな特色があるとはいえ、天鹿、辟邪は邪馬台国によって大々的に普及
されていた可能性は否めない。敦賀、ツヌガアラシトの渡来目的はいまいち
明確ではないが、後の応神などの敦賀への態度は皇位継承に影響力を
もつようにも思える。この辺はとりあえず継続審議とするか。

529 :日本@名無史さん:2006/10/06(金) 13:24:26
そこで女子高生の生フェラ動画うp(;´Д`*)
http://atashi.com/imgbbs/porn/data/1160036094.jpg

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530 :月光仮面:2006/10/06(金) 15:32:47
>>528
熊獅子はライオンではなく、熊でもなく、チベタン・マスチフに似る↓
http://www.xs4all.nl/~sonmeij/Timber.htm
http://www.pets4you.com/pages/images/kesangcamp4.jpg
http://www.puppydogweb.com/gallery/tibetanmastiffs/tibetanmastiff_winston.jpg
http://www.pets4you.com/ABC/images/tibetanmastiff.jpg
http://tibet.cn/en/en_index/aab/W020051128539365802751.jpg
マスチフの起源をアジアに求める説があるが↓
The Origins of the Mastiff
http://people.unt.edu/~tlt0002/mastiff.htm
牧犬としてのマスチフは本来中国西方の犬戎でありこれが東西に分かれ、トルコに
入るのがKangal(高句麗と似ている)犬、日本に入るのが上記熊獅子ではなかろうか。
チベットに入るという点でYAP到来をうまく説明するのだがなー。


531 :日本@名無史さん:2006/10/06(金) 15:54:39
麒麟の角はどうなのだろう?
本来は単角だけど、2本のものもあるという。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BA%92%E9%BA%9F

532 :月光仮面:2006/10/06(金) 16:39:46
鳥取県の獅子舞いは170を越えますが、そのほとんどが東部(因幡地方)に集中し、
しかもその8割以上が麒麟獅子舞いです。この数と密度が示すように因幡地方は
まさに“麒麟の王国”と言えるでしょう。そして麒麟獅子舞いは因幡地方の人々に
より、時代を超えて大切に受け継がれてきた伝統芸能であり、因幡の誇りなのです。
http://www.east.tottori.tottori.jp/kirinjishi/index.htm


533 :日本@名無史さん:2006/10/06(金) 17:06:18
325 名前:名無しって何ですか?:2005/12/27(火) 07:14:19 ID:YevwbuuZ
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         竹石 圭佑
      (1986〜 愛知県名古屋市)

在日中国人の両親を持つ為か、日本語のアクセントがおかしい時が多々ある。
小学生の時に万引きで補導されたらしく、その頃から既に歪んだ性格であった考えられる。

中学・高校時代…意中の女子には露骨にちょっかいを出して気を引こうとし、また、その時の言動は挙動不審で相手に好意があることがミエミエな為、非常に痛々しい。
でしゃばりで、なぜか偉そうな態度をとっていたが、不良学生相手にはビクビクしながら機嫌をとっていたという不可解な面も併せ持つ。
また特に自分より力の弱い女性教員や女子生徒等を格好の的としていたので、その様な人間には異常に高圧的な態度をとり、馬鹿にし、いつも幼稚な悪口や悪質な嫌がらせを考えて楽しんでいた。

相当な目立ちたがり屋で「地球は自分を中心に回ってる」という性格。しかし、何の能力・才能の欠片もなく、ヘラヘラしていただけなので精神が不安定だったとも考えられる。あだ名はダメ石(何をやってもダメなくせに口八丁なので)→デメ石(非常に出目金に似た顔なので)。

愛知県の底辺の大学に通ってるが、名古屋大学医学部を目指しているらしく、医学生になった自分を日々妄想している。
余談だが、KAT-TUNの田中聖をライバル視しているらしい。

※注 これは自分の知っている範囲の竹石圭佑の情報であり、全てではないと思われ。

534 :日本@名無史さん:2006/10/06(金) 19:00:01
こういうコピペ、荒らしをするひとの動機はなんだろう?
嫌がらせというのはわかるが、病気なのか
そもそも、こんな過疎板で効果があるのか? 
秦氏よりも謎

535 :日本@名無史さん:2006/10/06(金) 21:25:59
>>534
正体不明ですが、極度の嫌中厨か本当に精神的に病んでいる人だと思います。
異常な北方好き、中国嫌いで、少しでも“中国”が絡むとこうして火病るのです。
何度かこういう現場を目にしました。

536 :日本@名無史さん:2006/10/06(金) 22:58:27
単にこういうスレが好きできてるんじゃない。
昔の山崎ぬるぽみたいなの。

537 :月光仮面:2006/10/07(土) 08:45:05
「1650年に、おおちだにに、日光東照宮のごぶんれい(徳川家康権現)を完成したときの
祭礼行列に『麒麟獅子舞』を始めたものと推測される。
室町時代、香住
http://map.yahoo.co.jp/pl?lat=35%2F38%2F23.488&lon=134%2F40%2F59.249&layer=1&ac=28585&mode=map&size=s&sc=8
に能、狂言が伝わったとき始まったといわれている。悪い神を踏み払い、国土安泰、
天下泰平を願う神事。
後継者不足。踏む人がいなくて過去中止したこともある。昔は長男が踏んでいたが、
今では次男、三男でもよい。中学2年生が踏んでいる所では、人数が足りなくて中学一
年生が踏むところもあった。」
http://www2.nkansai.ne.jp/sch/kasumi-es/top/kirin.htm
しかし、中国の獅子舞↓
http://www.chinakikaku.com/geinou/sisi1.jpg
とも起源は同じであろうし、香住というのは天日矛の出石に近い。天日矛は秦氏と
非常に縁が深いというか、そのもののようなものの感じがする。

538 :月光仮面:2006/10/07(土) 09:01:04
上記 http://www2.nkansai.ne.jp/sch/kasumi-es/top/kirin.htm  にある分布図では、
銅鏃を受けた人骨の出土する青谷上寺地周辺ではその他の地方と変わらない神楽
獅子舞が行われるのに対して、東部因幡では丹後方面から由来する麒麟獅子があり、
これは家康クラスの歴史を変える君主が出現する際に演じられると言うことは何を意味
するのだろうか。

539 :月光仮面:2006/10/07(土) 09:38:02
しかし、日本の獅子舞は越前から白山を越えた越中、更に、飛騨高山にと
分布している↓
金蔵獅子 岐阜県 国府町
http://www2.cc22.ne.jp/~otoya3/2-shishimai/2-14kokufu/2-14kinzoushishi.html
そしてここにおいてNHKシルクロード・小河墓遺跡のミイラから出現した天狗の祖形
とミイラのかぶるとんがり帽子、烏帽子が草原のライオンと戦う姿を見る想いがする。
これを伝承したのははるかに遠いバルカンからシルクロード、馬韓月支国を経由し
たトカラ人集団ではなかったのか。

540 :日本@名無史さん:2006/10/07(土) 10:10:21
うちにくる獅子舞は伊勢神宮の派遣と違うパッチもんやろか

541 :日本@名無史さん:2006/10/07(土) 12:59:09
>>500,539 世界史板に下記のレス有ったけどホント?

>>ユダヤのとんがり帽子は中世西欧でゲットーが制度化された後に定められたもの。

君はまだまだだね。中世西欧でユダヤカバラを復興させたときに、2世紀以前に
ユダヤ教会で使用されていた風俗のひとつを参考にしているのです。光明派。
西欧世界では(差別的な意味も含む)、とんがり帽子=ユダヤ人を連想するな。
スペイン辺りではキリスト教徒もKKK団みたいな衣装を着る。
日本の古墳から出るとんがり帽子の人物埴輪ユダヤ系だね、それにキリスト教の
司祭がかぶる様な将棋の駒形帽子の人物埴輪も千葉県の古墳から出てるね。

542 :日本@名無史さん:2006/10/07(土) 13:07:52
キリスト教徒を高利貸から保護するために、ユダヤ人隔離が始まった。
ユダヤ人だと人目で見分けられるように、一定の服装が義務付けられ
た。とんがり帽子にユダヤ人の星印を身に付けること。 そしてゲット
ーと呼ばれるユダヤ人居住区が設けられた。 ...
www.digbook.jp/product_info.php/cPath/39_74/products_id/4678 - 59k -
キャッシュ - 関連ページ


543 :日本@名無史さん:2006/10/07(土) 13:08:57
それまでもユダヤ人への迫害はあったわけですが、1215年はやはり大きな
転換 ともいえそうです。それ以後は、「とんがり帽子」の着用やら「黄色
の生地」の 衣服への縫いつけやら、マーク付けは形を変えながら継承され
ていってしまいま す(例えば浜本 ...
www.medieviste.org/archive/magazine/silva27.html - 15k - キャッシュ -
関連ページ


544 :日本@名無史さん:2006/10/07(土) 13:24:38
>>すこし多いですが中ほどに有ります。

セム人の帽子、セム人、相撲 投稿者:児島宮歴史刊行会

http://6312.teacup.com/kojima/bbs

545 :日本@名無史さん:2006/10/07(土) 13:31:35
結局ロマンはあるけど分からないだろ

546 :日本@名無史さん:2006/10/07(土) 14:12:23
邪馬台国と一緒で物凄くにおいすれども、姿がみえずって感じですね。
北方系民族の場合文字資料が少ないため、考古学資料を基に想像する
しかないね。しかし旧約聖書、原始キリスト教の世界を熟知した人物
が居たのは間違いないね。とんがり帽子の埴輪、司祭風の埴輪から
西域人が居た事もまず間違い無いと思う。

547 :月光仮面:2006/10/07(土) 14:26:43
邪馬台国との関係で、漏れの嗅ぎ取ったにおいを参照願う。↓
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1087800821/menu312
ただ、漏れも感じでは小河墓遺跡とか、敦煌の美人ミイラと言うのはBC1800年
のころであり、この集団がもっとも中近東に接近していたのはおそらく現在のトルコ
東部のアナトリア高原乃至はトルクメニア共和国辺りと思われるがその時代はこの
地方に青銅器が始まる直前のBC2300年頃と見ている。この頃エジプトではまだ
一神教が出回る前であり、ユダヤはセムの一部族としてレバントを徘徊してい
たと思う。

548 :月光仮面:2006/10/07(土) 14:31:16
であるから、基本的に月氏集団の根底にあるのはシュメールの文化、神話
7をベースにする埋葬設備、とんがり帽子、また、洪水神話なども影響を受けた
かもしれないが、更にその基底においてはトリポリエ・ククテニ周辺の印欧文化
(最も古いアナトリア・ヒッタイトグループ)があったのであろう。

549 :月光仮面:2006/10/07(土) 14:36:49
で、このスレの秦氏の果たした役割は洛陽の最先端文化と月氏の世界最古級の
文化を融合して倭国の新都を建設すると言う作業で、特に、鏡、忌部、土師集団の
労働力の分配という政治経済的に重要な機能を分担したものと思われる。

550 :日本@名無史さん:2006/10/07(土) 14:45:17

やけに展開が難しくなってきたな。。。

551 :月光仮面:2006/10/07(土) 14:47:31
>>538
梁塵秘抄に「丑寅岬はおそろしや」と言われるのは桃太郎のイヌ、サル、キジそれと
このウシ、トラを方面軍の配置図を意味すると見ると、倭人伝に言われる倭国乱の
大きな戦いが吉備、更に広域的には出雲、因幡、播磨を含めた投馬国を舞台に繰り
広げられ、暫定男王政府が吉備に成立し、麒麟獅子舞はこの男王の登場を祝して
成立したともいえないだろうか。その後直ちに孝霊に討たれるのかもしれないが。
あるいは単に孝霊の勝利を祝したものかもしれないが。

552 :月光仮面:2006/10/07(土) 15:01:11
倭国大乱時代についてのIn Depthなウェブサイトとしては
http://www.geocities.jp/mb1527/index.htm
があり。これがデータ的には最もまとまっているようだ。

553 :日本@名無史さん:2006/10/07(土) 15:06:10
>>547
よく解らないのだが、その掲示板は「児島宮歴史刊行会」という人の
個人的掲示板なのか?

554 :日本@名無史さん:2006/10/07(土) 15:06:44
糞スレ

555 :日本@名無史さん:2006/10/07(土) 15:07:13
訂正:>>544

556 :月光仮面:2006/10/07(土) 16:54:59
>>549
易しく言えば、死人の枕元に辟邪の獣をおくと言うトカラ人の習慣と、これにマッチした
最新式の神獣をあしらった銅鏡を公孫・魏から入手するという機能を担当したと言うこと。

557 :日本@名無史さん:2006/10/07(土) 18:18:50

「がいやまん」・・どうしてお盆から「月光仮面」に変えたの?
東広島のPU、あぼ〜ん、されたから2CHの七不思議?おしえて。

558 :日本@名無史さん:2006/10/07(土) 20:11:02
月光仮面をテレビで見てたのはかなり古いよ、スーパーカブに乗ってたのかな

559 :日本@名無史さん:2006/10/07(土) 20:45:54
>>558
スーパーカブじゃなくブルーバードのSSSじゃないか??


560 :日本@名無史さん:2006/10/07(土) 23:43:03
邪馬台国スレに出没して独演会を行なわなければ無問題でしょう。
ここは秦氏だからねー。

561 :日本@名無史さん:2006/10/08(日) 01:03:30
月光仮面は連投しても自演はしない。

562 :日本@名無史さん:2006/10/08(日) 18:01:15
ハンドルネームを成りすまして使用されたと違うか。

563 :日本@名無史さん:2006/10/08(日) 18:35:40
日本人種のYAP+と東南アジア辺りのYAP+が別種なのは事実。

日本人種のYAP+はht1。
東南アジア・中国南部あたりに微かに残るYAP+はht2。
白人や黒人のYAP+はht3。

ゆえに日本人種は中国南部や東南アジアとは無関係。

残念でした(嘲笑)

◎YAP+マップ

http://www.geocities.com/londonross1/china3.png
http://native.way-nifty.com/./native_heart/images/y_chromosome.jpg

564 :日本@名無史さん:2006/10/09(月) 02:13:24
>>550
グーグルなんて無力、ユダヤは日米中に戦争準備で兵器を買わせたいだけ
日本の占領なんてカンタン。核が落ちれば即時降伏だろう。

107 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/06(金) 03:43:29 ID:fymnsjrJ
60年前の戦争とは違う すでに日本侵略は始まっている
台湾はオリンピックなどの問題で先送りしているだけ
独立を目指す政党はスキャンダルで低迷してるしね
経済侵略はかなり進んでいるアメリカのメジャー石油企業も手に入れようと
したが国家安全保障に引っかかり断念したのは記憶に新しい
日本企業も提携などの口実で徐々に支配していくのが手口
中国がアメリカと対峙したとき全面核戦争をにおわせれば
アメリカは日本を手放す
開戦すれば初日に地対地ミサイルで滑走路をやられ空自は壊滅
十分な迎撃ミサイルもないしね
憲法九条で自衛隊の武器は高価な役立たず
千キロ近く離れたところから主要拠点を潰すのが現代戦
今のヘタレ日本ならすぐ無条件降伏

108 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/06(金) 03:44:36 ID:48yROw1h
もうすぐ中国は台湾を占領するのに十分な兵力を持つ。
空軍が攻めてくると考えるよりは、ミサイルで攻撃してくると考えたほうが良い。

565 :日本@名無史さん:2006/10/09(月) 06:56:34
>>564
政治の話をする場合には、別の場所に別のスレを立てた方がいいだろう。

>独立を目指す政党はスキャンダルで低迷してるしね

国民党も「埋伏の毒」大作戦をやっているような気がするんだけどねぇ。
今の党首は反共色が強いし。

566 :日本@名無史さん:2006/10/09(月) 09:17:27
羽田氏はよく働いてよく嫌われたのが後に差別されることになったのかも
京都の秦氏は差別されてますでしょうかねえ

567 :日本@名無史さん:2006/10/09(月) 09:20:42
秦氏が新羅だから
島津があくどいから

568 :日本@名無史さん:2006/10/09(月) 10:21:39
>>567
島津があくどいから
島津があくどいから
島津があくどいから

琉球独立支援北朝鮮人乙。

569 :日本@名無史さん:2006/10/09(月) 10:38:17
>>568
どうもです
糞スレ立てた
薩摩芋

570 :日本@名無史さん:2006/10/10(火) 09:10:05
羽田氏はあくどいから日本の制服に成功したのかなあ

571 :日本@名無史さん:2006/10/10(火) 11:18:29
>>1
秦氏集団というのは所詮、斜陽楽浪漢人とあるいは西北遊牧民?と土着韓人等

の融合体でしかない、という事に早く気がついて欲しいものだ。

572 :日本@名無史さん:2006/10/10(火) 11:20:47
亡命に亡命を重ねて斜陽化し、更に日本へ逃れてきた人々の集団。

ではけりゃ、あんな技術を気前よくお土産にして、倭国に平伏するわけは

なかろう。

573 :日本@名無史さん:2006/10/10(火) 11:36:20
『史記』匈奴列伝
 而趙武靈王亦變俗胡服、習騎射、北破林胡、樓煩。筑長城、自代并陰山下、至高闕為塞。
而置雲中、鴈門、代郡。其后燕有賢將秦開、為質於胡、胡甚信之。歸而襲破走東胡、東胡
卻千餘里。與荊軻刺秦王秦舞陽者、開之孫也。燕亦筑長城、自造陽至襄平。置上谷、漁陽、
右北平、遼西、遼東郡以拒胡。

而して趙の武霊王もまた胡服の風俗に変えて、騎射を習い、北に林胡と樓煩を破った。
代を併せて陰山の麓から高闕まで長城を築いて塞いだ。そして雲中、鴈門、代郡を置いた。
その後、燕に秦開という賢將がいた。胡(東胡)で人質となっていたが、胡は彼を甚だ
信用した。彼は燕に帰還するや、(軍を率いて)襲撃して東胡を敗走させ、東胡から千余
里の土地を奪う。荊軻(けいか)と秦王の暗殺に同行した秦舞陽とは秦開の孫である。
燕もまた造陽より襄平に至る長城を築き、上谷、漁陽、右北平、遼西、遼東郡を置いて、
胡の侵入を拒む。

上記はBC2〜3C頃の話です朝鮮半島北部には胡、胡人たちが多く
長城を増築して防がなければならないほど、強力な勢力となった集団です。

574 :日本@名無史さん:2006/10/10(火) 11:42:37
>>573
この文面に秦開、秦舞陽と言う胡人と関わった人物が居るが
秦氏と関係ないかな?

575 :日本@名無史さん:2006/10/10(火) 11:59:15
燕の滅亡

燕には名将楽毅・蘇秦の弟蘇代など続々と人材が集まってきた。これらの人材を使い
斉包囲網を形成し、紀元前284年に楽毅率いる五ヶ国連合軍が斉軍を大破し、更に楽毅
は斉の首都臨淄を陥落させ、莒(キョ)と即墨を除く斉の都市を占領した。
その後は秦が圧倒的に強勢となり、紀元前228年に趙が滅ぼされると、燕は直接秦の
圧力を感じる事になった。この状況を覆そうと太子丹は秦王政に対して荊軻と言う
刺客を送ったが失敗し、激怒した政に燕は攻められて、首都は陥落した(紀元前226年)
太子丹は殺され、王は遼東に逃れたが、紀元前222年に秦の王賁将軍に攻められて
王が捕虜となり、燕は滅んだ。燕都・薊城の遺蹟は北京市宣武区に所在する。


576 :日本@名無史さん:2006/10/10(火) 12:17:56
>>575
ここの蘇秦、蘇代、兄弟 後の蘇我氏と関係ないかな700年ほど時代
が違うが。それにしてもこの燕どう言う縁か秦氏と言い蘇我氏と言い
なんか絡むな天皇家は燕の王族か?燕の鉄斧が九州北部の弥生後期遺跡
から出るらしいけど。

577 :日本@名無史さん:2006/10/10(火) 12:26:25
「えん」あって、これもなんかの「えん」、「えん」ぎがいい
「えん」りょ、「えん」あるひと、・・・
日本人は「えん」が好きだな。

578 :月光仮面:2006/10/10(火) 13:56:05
>>576
蘇我氏、羽田氏等葛城系豪族とはきわめて重要な関係があると思う。このことは
レスの枠を外れる規模なので別途まとめて見たい。

579 :日本@名無史さん:2006/10/10(火) 14:25:41
すげー話が進んでるよ…

>>578
>葛城系豪族

葛城さんは中国系と仰ってた中国の学者がいた。
漏れは弥生系だと思うけどね。

>>576
>天皇家は燕の王族

燕なら斉(東夷の寄せ集め)の方が可能性としては近いんじゃないのか?
初期大和朝廷は弥生人だと思ってるけど。例えば巻向って燕な感じする?

580 :579:2006/10/10(火) 14:32:10
纏向遺跡 ○

スマソ。

ちなみに漏れは邪馬台国は北九州にあったと思ってる人ですが。

581 :日本@名無史さん:2006/10/10(火) 15:09:46
>>542
>とんがり帽子
http://oriental-kan.com/ko5253.php

時代が違いすぎるけど。

582 :月光仮面:2006/10/10(火) 15:19:46
>>573
蘇我氏、秦氏などに関連するかもしれないこととしてこういう仮説を考えている。
http://members3.jcom.home.ne.jp/gentian/womiantuguo.html

583 :日本@名無史さん:2006/10/10(火) 15:38:28
>>576
燕の鉄斧
http://home.b06.itscom.net/kodaishi/page036.html
http://home.b06.itscom.net/kodaishi/page045.html

月光仮面氏が別のスレで言ってた、山海経の「倭は燕に属す」というのは、
倭人が燕に朝貢するという意味だよな。
貿易によって流入したんだろう。

584 :日本@名無史さん:2006/10/10(火) 15:56:58
>普通に考えれば前3世紀の燕の滅亡とともにAa型鉄斧の製作技術も河北・遼寧だけ
でなく韓半島でも途絶え、日本への流入時期も燕が活動していた前5世紀から前3世紀の
間となるのではないでしょうか。

585 :月光仮面:2006/10/10(火) 16:43:48
>>583
内モンゴル(綏靖、赤峰)出土の銅鐸というのがあり、中原から綏靖に長江の倭人が
進出したと言う仮説は捨てきれない。また、檀石槐による倭人拉致事件もある。それは、
さておき貴重な情報ありがとうございます。倭国の裏日本vs表日本海人族の内戦に
倭面土国王とか、伊都国の勅島、弁韓租界において流浪の燕、烏丸などの浪人者
をヘッドハントし、兵力にしたということもありえると思う。

586 :日本@名無史さん:2006/10/10(火) 16:56:26
>>585
>中原から綏靖に長江の倭人が進出したと言う仮説は捨てきれない。

証拠になるような文献なりなんなりがあれば説得力があるのだが。

587 :月光仮面:2006/10/10(火) 17:56:12
>>586
そうした資料は今後中国において殷の時代の考古学的研究が進むにつれて出てくる
可能性がある。今は先ず蘇我氏の石の舞台は九州の支石墓と関係があるのか、それ
とも朝鮮半島等に何らかの関係があるのかといったところに興味がある。

588 :日本@名無史さん:2006/10/10(火) 18:49:16
>> 此処に「斧」について面白い話があります

何故紋様にこだわるかと言いますと菊斧は野見宿祢時代から菅原家の家紋で
あったからです。そして道真公が時の権力者藤原時平の策謀によって大宰府
に左遷された時、家紋の菊斧は皇室のシンボル菊紋章を斧で脅かす形である
と嫌がらせを受け、菊斧は四男の淳茂のみに授けられたとされています
 書簡には「野見宿祢は一般に相撲の元祖、埴輪師で葬儀や墳墓の造営に従
事していた氏族のように伝承されていますが、野見宿祢も当時他の渡来せし
大神と同様に古代製鉄の技術を掌る民族であったのです。敢えて言いますと
中国大陸蒙古を経てわが国へ渡来した民族です」と注目すべく説を述べられ
ている。そして更に「野見宿祢が當麻け速との勝負で足蹴りにして腰や肋骨
を折って勝利した強靭な足腰は、製鉄師としてさん鉄等の砂鉄を高山霊国を
駆け巡って鍛えたのであり、かくして英雄になったのです。古代製鉄師の野
見宿祢が山野を駆け巡った時の護身用具が斧鉞であり、斧鉞と共に寝起きし
ていたが故に野見宿祢の紋章でなければならないのである。即ち菊斧は菅原
家の紋章である(起因紋という)」と力強い言葉で述べられている。
http://www4.kcn.ne.jp/~s-oki825/kikou2.html

589 :日本@名無史さん:2006/10/10(火) 18:56:30
>>下部が切れたのでダブリますが貼らせてもらいます。
  
  そして更に「野見宿祢が當麻け速との勝負で足蹴りにして腰や肋骨
を折って勝利した強靭な足腰は、製鉄師としてさん鉄等の砂鉄を高山霊国を
駆け巡って鍛えたのであり、かくして英雄になったのです。古代製鉄師の野
見宿祢が山野を駆け巡った時の護身用具が斧鉞であり、斧鉞と共に寝起きし
ていたが故に野見宿祢の紋章でなければならないのである。即ち菊斧は菅原
家の紋章である(起因紋という)」と力強い言葉で述べられている。

http://www4.kcn.ne.jp/~s-oki825/kikou2.html


590 :日本@名無史さん:2006/10/10(火) 19:28:23
日本人種のYAP+と東南アジア辺りのYAP+が別種なのは事実。

日本人種のYAP+はht1。
東南アジア・中国南部あたりに微かに残るYAP+はht2。
白人や黒人のYAP+はht3。

ゆえに日本人種は中国南部や東南アジアとは無関係。

残念でした(嘲笑)

◎YAP+マップ

http://www.geocities.com/londonross1/china3.png
http://native.way-nifty.com/./native_heart/images/y_chromosome.jpg

591 :日本@名無史さん:2006/10/10(火) 21:44:49
>>588
まさかり かついだ 金太郎 小熊にまたがり 相撲のけいこ

この歌、野見宿祢の話じゃないか?

592 :日本@名無史さん:2006/10/10(火) 22:21:17
>>590
微かに残るYAP+

わずかじゃねーよ。バーカ。

チベット人のDは37%だが?

593 :日本@名無史さん:2006/10/10(火) 22:34:28
とりあえず、込み入ってきたから分散を図ろうか。

吉備氏の興亡を語るスレ。
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1010742490/

594 :日本@名無史さん:2006/10/10(火) 22:36:08
(始皇帝)徐福伝説
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1059892097/

595 :日本@名無史さん:2006/10/10(火) 22:37:48
>>591
坂田金時だろ

596 :日本@名無史さん:2006/10/10(火) 22:37:55
秦の始皇帝を語ろうか
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1122350547/

597 :日本@名無史さん:2006/10/10(火) 22:40:34
【江上】騎馬民族説は今。。。vol.7【波夫】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1152216234/

色々あるよ〜〜。

598 :日本@名無史さん:2006/10/10(火) 22:59:51
【殷周】三国時代までの中国の歴史を語ろう【秦漢】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1128253011/

なんつーのもあり。

599 :日本@名無史さん:2006/10/11(水) 21:04:06
北方アジアは一切抜きの偏向調査で作為的に中国・朝鮮に誘致していた
スットボケ遺伝学者(嘲笑)


宝来センセイによると、韓国や中国にはそれぞれドミナントなミトコンドリアDNAがあるのに、
日本本土では、とくにドミナントなものがない。つまり系統的にさまざまな人たちから成り立って
いるのである。また、これまで、大陸から渡来した弥生人によって分断され、北に追いやられたのが
アイヌ、南に追いやられたのが琉球人といわれてきた。しかし、アイヌと琉球は少なくとも1万2000年
以上まえに分岐しており、紀元前3世紀以降に渡来してきた弥生人によって分断されたんではないという。
1万2000年前にそれぞれ日本に住み着いたアイヌと琉球人。そこへ紀元前3世紀以降になって渡来し、
稲作をはじめた中国・朝鮮系の人びと。こうした人たちの子孫がわたしたちなのだ。
それにしても紀元前3世紀以降の大陸からの渡来って、それ、秦の始皇帝のころの、徐福たちじゃない?
http://home.att.ne.jp/apple/tamaco/Yutenji/000115DNA.htm
http://youtube.com/watch?v=iRD3k2j9BeA

600 :日本@名無史さん:2006/10/11(水) 21:04:52


まーだ宝来mtDNAデータのトリックと欠陥が分からない脳弱が
いるようなので、簡単に説明しておくと、

朝鮮半島も中国大陸も、古代より北方アジア人の侵入定着が絶え間ない
地域であったのにもかかわらず、宝来mtDNAデータには北方アジア人に
関するタイプのデータが一切出てこない。

しかも、調査サンプルに北方アジア人のサンプルが一つも入っていない。

つまり、宝来mtDNAデータは北方アジア抜きの偏向調査で出された
偏向データなのであって、ただひたすら中国や朝鮮からやって来たと
錯覚させるだけの極めて悪質な欠陥データに過ぎないのである。



601 :日本@名無史さん:2006/10/11(水) 21:23:51
ピアノのはねだけんたろうさんも才能がばつぐんなのは、やはり古代の才能がいきてるのかなあ

602 :日本@名無史さん:2006/10/13(金) 03:46:57
>日本の古墳から出るとんがり帽子の人物埴輪ユダヤ系だね、それにキリスト教の
 司祭がかぶる様な将棋の駒形帽子の人物埴輪も千葉県の古墳から出てるね。

風貌も日本人的ではない。手足が長く毛深い。
みずらとユダヤの関係。
伊勢神宮とヤダヤの神官の祭祀服の同一性。
袖先からでてる「とーとーち」という糸のようなものがある。似てるのではなく、同一。
祭祀の作法、マニュアルもラビや研究者アイデルバーグによると、ほぼ同一らしい。


603 :日本@名無史さん:2006/10/13(金) 07:59:28
>>599-601

な〜んだ、そうか。
コイツの正体、今判明した。
安本信者か。
http://toron.pepper.jp/jp/kodai/roots/gmdna.html

北方厨とここに書いてる内容がほぼ一致w


604 :日本@名無史さん:2006/10/13(金) 12:01:48
紀元前3世紀の渡来は秦の始皇帝の徐福の団体の5万人の移住でしょうか

605 :日本@名無史さん:2006/10/13(金) 21:04:36
『山海経』

海外西経「粛慎之国在白民北。有樹名曰雄常、先入伐帝、於此取之」
 「粛慎の国は白民の北に在り。雄常(白樺)と呼ばれる樹がある。
新たに先帝に代わって聖帝が立てば、人々はその樹から樹皮を取る」

大荒東経「大荒中有山、名曰明星、日月所出。有白民之國、帝俊生帝鴻、
帝鴻生白民、白民銷姓、黍食使四鳥、虎、豹、熊、羆」
 「大荒の中に山有り、名を明星と言う。日月の出る所。白民の国が有る。
帝俊は帝鴻を生む。帝鴻は白民を生む。白民は鎖の姓。黍(きび)を食べ
、四鳥・虎・豹・熊・羆を使う」

山海経は中国最古の地理誌だが、史料としては難点のある史籍(現存の
山海経は晋時代の創作)ではあるが、古代の地理認識を知ることができる。
 この「白民」に関連する民族として、淮南子には「白民は全身が白く、
髪毛も白く、髪を振り乱している」と白人種のように記している。いずれ
にせよ古代の中原の人々には、不気味な場所に住んでいる野蛮人だと思わ
れていたのだろう。


606 :日本@名無史さん:2006/10/13(金) 23:23:00
『晋書』粛慎伝

肅慎氏一名挹婁,在不咸山北,去夫餘可六十日行。東濱大海,西接「寇漫汗國」
北極弱水。其土界廣袤數千里,居深山窮谷,其路險阻,車馬不通。夏則巣居,
冬則穴處。父子世為君長。無文墨,以言語為約。有馬不乘,但以為財産而已。
無牛羊,多畜豬,食其肉,衣其皮,績毛以為布。有樹名雒常,若中國有聖帝代立
則其木生皮可衣。

 粛慎氏、一名に挹婁という。不咸山(ふかんざん)の北に在り、扶余から
六十日の行程。東は大海(日本海)に沿い、西は「寇漫汗(こうまんかん)国」
と接し、北は弱水(アムール河)に極まる。その領域は広大で数千里、深い山
の渓谷に居住し、道は険阻で車馬では通れない。

>> 上記の「寇漫(こうまん)汗国」秦氏の先祖「功満王」と関係ないか?
  晋は3C〜4C、書かれたのが7C半ば時代としては一致するよ。


607 :日本@名無史さん:2006/10/13(金) 23:49:45
この「寇漫(こうまん)汗国」扶余の周辺には>>605にあるけど
白人種に近い民族が居たようだな。ユダヤ系?秦氏?この後
(8世紀)中央アジアに居たカザール人がユダヤ教に改宗して
アシュケナジーユダヤが現れる。

608 :日本@名無史さん:2006/10/14(土) 09:47:03
紀元前3世紀秦の徐福の団体の50万人の移住が青銅器文化の開始でしょうか

609 :日本@名無史さん:2006/10/14(土) 11:38:53
50万人のボートピープルw

610 :日本@名無史さん:2006/10/14(土) 12:33:14
>>576
>燕どう言う縁か秦氏と言い蘇我氏と言い
なんか絡むな天皇家は燕の王族か?

>>606
>上記の「寇漫(こうまん)汗国」秦氏の先祖「功満王」と関係ないか?

秦氏や天皇家をお偉いさんの出身にこじつけようとすると無理が生じるよ。
普通に秦人、燕人、というような記述でいいんじゃないかね。

611 :日本@名無史さん:2006/10/14(土) 14:15:14
日本史の中で秦氏ほど移民を取り入れたのは珍しい
やっぱ知り合いじゃないと無理だろ
となると高句麗あたりか

612 :日本@名無史さん:2006/10/14(土) 15:13:14
>>611
楽浪滅亡後の高句麗の膨張と南部の緊張を考えたら、
高句麗系というのは、ありえません。

613 :日本@名無史さん:2006/10/14(土) 15:18:08
百済だな

614 :日本@名無史さん:2006/10/14(土) 15:59:51
>>613
ここは真面目な意見が潰されるスレだから





新羅だな

615 :日本@名無史さん:2006/10/14(土) 18:40:01
新羅からの渡来だが、その素性や技術について語ろう、というスレだろう。

彼らは単一民族集団じゃないんだよ。

616 :日本@名無史さん:2006/10/14(土) 19:01:09
秦氏は逃亡者だからね。

617 :日本@名無史さん:2006/10/14(土) 20:12:06
>>610 普通に秦人、燕人、というような記述でいいんじゃないかね。

ほう普通の秦人、燕人、にどんな場所かもわからん処へ移民するのに
数万〜数十万の人達がついて行くかね、一応一国の族長が従うかね
歴史を舐めてるな!

618 :日本@名無史さん:2006/10/14(土) 20:20:31
皇帝の命令に逆らうと殺されるので、いやいやながら35万人の移民が分散して倭国に行きました

619 :日本@名無史さん:2006/10/14(土) 21:53:46
「寇漫(こうまん)汗国」はじめて聞く名だな

620 :日本@名無史さん:2006/10/14(土) 22:03:04
ニートって人間として
扱うべきじゃなく
中国に生口で渡せばいいんじゃね
胡錦濤喜ぶぜ、
国連憲章第7章も真面目に考えてくれるよ!



621 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 04:10:38
これはユダヤ以外にはありえないな
どう考えても

622 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 20:00:19
中国で混乱がおこると移民が2800万人くらい日本に来るので、日本が破滅するのでやめてほしい

623 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 20:49:06
日本にはユダヤ教、原始キリスト教の要素が神道の世界に入ってるね。

624 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 20:53:17
>>606 上記の「寇漫(こうまん)汗国」秦氏の先祖「功満王」と関係ないか?

それなら戦前の佐伯説の秦氏=弓月国だって実在してるぞ
しかも、5世紀には弓月は、トルコ系の初期キリスト教国だったことが墓石研究から知られてる。


625 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 20:58:34
佐伯博士は景教研究の当時の世界的第一人者だから、
たんなるとんでもではない。景教流入はともかく、秦氏が原始キリスト教徒の
ユダヤ的文化知識を日本に持ち込んだことは否定できない。

626 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 22:14:00
>>625
原始キリスト教=ユダヤ教??

大秦景教徒=ユダヤ教徒??

627 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 22:22:05
>>625
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%A7%A6%E5%AF%BA
>中国への景教の伝来は、635年にネストリウス派宣教団が長安に
>到着したことから始まる。

新しくないか?

628 :日本@名無史さん:2006/10/16(月) 00:09:57
>>626、627
佐伯博士(京都帝大ー当時東京高等師範・現筑波副学長)は最初の「太秦を論ず」論文では
弓月王国を大秦景教徒として、後に年代のずれから批判をあびた。
晩年に原始ユダヤキリスト教(イエス使徒たちの時代のエルサレム教会東方派)伝播説
に修正した。エルサレム教団はイエス実在当時の主流派で、布教対象は当然ユダヤ同胞のみ。
ローマ化されたパウロの異邦人派(現在の世界宗教となった主流)以前の原型。
ユダヤ人伝播説は、シルクロードの拠点に6日置きに建つシナゴーグ、学校、シルク貿易の
独占形態から証明されるそうだ。

629 :日本@名無史さん:2006/10/16(月) 21:29:33
歴史上におけるユニコーンの姿の重要な特徴 - ユニコーンが"一角を備えた
偶蹄目の一種として存在した一本の角を備えた山羊や鹿の天然奇形(あるい
は人工奇形)、それらは世界の様々な地域で偶発的に目撃され、その存在は
旧約聖書の誤訳、あるいは古代ギリシャにおける様々な奇譚によって、相互
補完的に補強された。即ち、ユニコーンは稀な偶蹄目種の奇形として、その
原初的な意味における"一角の獣"として、確かに存在していたのである。
自然の生み出した極めてユニーク(Unicus)な存在であったユニコーン
(Unicorn)はこうして、神話と現実の狭間で、今なお人々を惹きつけ続けて
いるのではないだろうか。
http://x51.org/x/05/04/1924.php


630 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 15:42:36
秦さん ねたぎれか?

631 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 19:32:26
羽田氏は働きすぎてきらわれてしまったので、だらだらしてる法が好かれる

632 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 21:23:23
つきひかりかめんは働きすぎてきらわれてしまったので、だらだらしてる法が好かれる

633 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 05:08:09
か細い道だが、ローマ、エルサレムからのシルクロードがつながっている
弓月がユダヤキリストで、秦氏がカバラを継承していてもいっこうに困らない。

広隆寺にはいまでもカバラのごぼうせいセーマンの奉納(中庭)をみることができる。
明治政府は、縁起をかついで陸軍の紋章に採用した。薩摩の十字よりかスマートだ。
米建国時のめーそんのドルのピラミッドの目と同じ扱いだね

634 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 10:09:35
そのはなしは帝都物語で読んだような

しかし、秦氏=サカ族のはなしはきになるな、千葉のほうで出るんだよね、でかい埴輪
それって、普通にユダヤじゃね

635 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 11:13:56
>>634
埴輪の画像ある?

636 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 12:28:10




秦氏集団の半島脱出理由が判明しないと、あらゆる説も空虚に響くよ。

637 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 19:53:26
埴輪を提案したのは、だれやったかいな、やはり羽田氏で働き過ぎのやりすぎの職人やろか

638 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 21:35:33
157 :夢見る名無しさん :2006/07/10(月) 22:53:34 O
時々目にする「竹石圭佑」という奴をまとめてみました…

@両親が在日(中国人)。名古屋在中?
A顔が出目金or宇宙人そっくり。
B新成人だが、知能が小学生程度(理由は下記の事項より)。
C「自分より力の弱い」女子生徒や女子教師をイジメの格好の的としていた。
D意中の女子には例外なく「ちょっかい」を出して気を引こうとしていた。
E万引きで数回捕まり、長期停学を検討していた(らしい)校長や他職員に大声で泣きながら謝罪。廊下まで泣き声が響いたらしい。
F自分は一般人とは違うと思っており、異常なほどの目立ちたがり屋で注目される為なら何でもする。
Gあまりにも女子に相手にされないことから気が触れ(?)、後輩や仲の良い男子生徒にも手を出す。噂だが注意が必要。
…ちなみにこれらは竹石圭佑の一部にすぎないらしく、
詳しく知りたいならば本人に直接聞くのが一番手っ取り早いそうです。

639 :日本@名無史さん:2006/10/19(木) 00:26:27
全国の秦氏末裔よ、なにかとネタにされる秦氏だが、逆襲といこう。

秦人(騎馬遊牧北方系)は、西域〜中国西北部の土木・水利技術 集団?
秦造系氏族は始皇帝15世弓月王が率いる古代最大の大規模移民団?
吉備瀬戸の秦王国が応神大王と同盟して大和朝廷連合、大規模古墳時代が到来?
赤穂山城の秦氏太秦(族長)河勝が聖徳太子顧問として、17条憲法など律令税収にトライ?
正倉院、宮内庁雅楽に残るペルシャトルコ中東由来文化は、景教徒説秦氏の力技?


640 :日本@名無史さん:2006/10/19(木) 08:05:32
羽田氏は個人ではなくて、職業部ではないかと思うほど仕事をしているので
嫌われてしまったのか

641 :日本@名無史さん:2006/10/19(木) 12:50:47
>正倉院、宮内庁雅楽に残るペルシャトルコ中東由来文化は、景教徒説秦氏の力技?

これは奈良時代にペルシア人がきてたから

642 :日本@名無史さん:2006/10/19(木) 13:25:13
このペルシャ人は朝廷から位もいただいたわけだが、商人?旅行者?
それとも唐の景教の宣教師か?

聖武天皇の時代には、確実に聖書流入や貧民救済の思想が朝廷に浸透しているよな

643 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 00:46:18
>>629

日本の神鹿信仰は明らかにユニコーン信仰だよ、白鹿山を信仰し鹿トーテムの
南部扶余族、扶余とは(プヨ、ブヨ、=鹿の事)南部扶余の中に中央アジア系
で旧約聖書に詳しいグループが居たんだよ史書の(白民)彼らが秦氏、物部氏、
神鹿信仰、春日大社の藤原氏?ところが扶余系の高句麗、百済、には神鹿信仰
聞かんな大和人が扶余族の本家?こりゃ大変だ。

644 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 01:11:45
秦氏は鳥だろう。
蛇とかも信仰されてるし。
鹿もそうだね。

色々あるよ、日本には

645 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 08:17:19
2時好事令で秦氏が羽田氏になったのかも知れないが、1時をつらぬいたのは立派ですよね
まるで職人のがんこいってつの精神がいきててゆいがどくそんのすばらしい結果

646 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 13:17:26
羽田氏は蚕の飼いすぎできらわれてしまったので、だらだらしてる法が好かれる

647 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 13:28:29
秦氏は現在のビルゲイツ、儲け過ぎで独禁法に引っかかったかな?

648 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 19:55:33
地に働けばかどがたつのことわざのように真面目に働けば必ずカドがたつので
羽田氏は気の毒な人だった

649 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 21:03:09
聖書と日本のフシギな関係【図表】
http://geocities.yahoo.co.jp/stats?fn=/seishotonihon060829excelshousai.htm&ops=17&.dom=0

世界の歴史・政治・経済の裏を読み解く【図表】
http://www.geocities.jp/bluewhitered34/sekainouraexcel001shousai.htm

トップページ
http://www.geocities.jp/bluewhitered34/index.html

650 :桃太郎:2006/10/22(日) 11:08:47
http://www.city.neyagawa.osaka.jp/gyousei/images/p2420.jpg

太秦の鹿の埴輪だよ

651 :桃太郎:2006/10/22(日) 11:13:16
http://www.city.ota.gunma.jp/gyosei/0100a/005/03/ota/bunkazai2_03.html
ユダヤ風のみずら

652 :桃太郎:2006/10/22(日) 11:27:31
http://kirara.pref.yamaguchi.lg.jp/backnum/02_summer/uragami.html
帽子、みずら、胡座

653 :桃太郎:2006/10/22(日) 11:44:04
http://plaza.rakuten.co.jp/inishieshasinkan/diary/200603300000/

鳥居の原型は、イスラエルの神殿の2本の柱にあり?

654 :桃太郎:2006/10/22(日) 11:47:24
http://plaza.rakuten.co.jp/inishieshasinkan/diary/200603260000/

京都・蚕の社の三井鳥居

655 :桃太郎:2006/10/22(日) 13:08:09
法然上人は、1133年(長承二)美作国久米南条稲岡庄【みまさかのくにくめなんじょういなおかのしょう】にご誕生された。
 父は久米押領使【おうりょうし:この地方の監督】漆間時国【うるまときくに】、母は秦氏【はたうじ】という。

漆間家の跡が今の誕生寺である。
時国公夫婦には子供がなかったので観音さまに一心込めて子の授からんことを願い、やがて四月七日玉のような男の子を賜った。
 その御誕生の時、空から二流の白幡が舞い降りて屋敷内の椋の木の梢にかかり七日の後飛び去ったと云われる。
以来この椋を二幡の椋、誕生椋と呼ばれている。

ーーー白幡、念仏か

656 :日本@名無史さん:2006/10/22(日) 20:14:48
獣祖神話と北アジア

チベットでは「蒙古人の祖先は犬」と信じられている。一方、蒙古では「チベット人の
祖先は猿」なそうである。まさに犬猿の仲なのだが、蒙古人とチベット人は至極仲が良い。
 モンゴルの英雄・ジンギス汗は”蒼き狼”の子といわれた。モンゴル神話では蒼き狼
と白い牝鹿とが天の命でやってきて、生まれた最初の人間が「バタチカン」だと伝えて
いる。蒼き狼の名はポルテ・チノ、白い牝鹿の名はコアイ・マラル。作家・井上靖は
「蒼き狼」の小説を書いたが、ジンギス汗の征服欲の根源は、蒼き狼の血だとした。

657 :日本@名無史さん:2006/10/24(火) 05:40:00
秦氏創設ーー八幡神社、稲荷神社、金毘羅、お白ねさま
天皇神道は最初から秦くさい

658 :日本@名無史さん:2006/10/24(火) 08:45:23
羽田氏は働きすぎて嫌われたのではなくて、その出字が嫌われたのか、白木とか

659 :日本@名無史さん:2006/10/24(火) 16:19:31
新羅の古墳から金冠やローマングラスが、出てくる時代が4世紀後半〜6世紀前半
5世紀と言えば「倭の五王」時代、この時代半島南部は倭の五王の勢力下にあった
その環境で金冠、ローマングラスの生活が出来ると言うことは、大和勢力と親しい
関係に有りその後6世紀後半からは出土せず、消えてしまう王族?豪族集団?とは?
新羅勢力は6〜7世紀にかけて百済を倒すほど強勢になる、それなのに金冠などの
文化は無くなる。逆に大和では6世紀ごろから出の字形の金銅冠、金冠が出土する
金冠、ローマングラスの集団は秦氏じゃないか?クーデターで新羅を追われた?
中国系の流移民が多かったみたいだし、のち唐と同盟してる。あやしいな??
この時代西域文化を持った集団が新羅から消え、大和に現れたのは間違いないな。

660 :日本@名無史さん:2006/10/24(火) 19:59:33
間違いない、嫌われるほどの几帳面さで悪事がきらいだったので、新羅をでてきた
ので倭国に来てからは、またまじめに働きすぎて土着の人にいやがられたが
天皇の助けもあってまあまあやってこれたが、百済がでてきてからはさっぱりあかんようになった

661 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 09:30:51
羽田氏は個人ではなくて、はたのひとの意味ではないか、傍のひと

662 :月光仮面:2006/10/27(金) 10:01:51
>>658 >>659
この場合の秦氏というのは広義においては西域系渡来人集団と考えられます。
勿論この集団は古代ネイティブチャイニーズも抱えていたことでしょうが、
トカラ人のような漢文・印欧諸語等語学に長けたのもがいたことが考えられます。
更にはモンゴルの祖のような騎馬民族的アジア人もいたことでしょう。で、この
トカラ人は折からのクシャン王朝の隆盛、ガンダーラ仏教文化の繁栄を背景として
一時冒頓単于によって中国とアフガニスタンの分裂国家とされていたものが、河西
回廊で復活し、東方はるか百済経由、長い空白期間の後に合流したと言うことが
考えられます。百済仏教は単に唐のコピペではなく、直接敦煌方面から伝来した
ことが考えられます。別言すればトカラ・月氏によるシルクロード交易路が復活した
と言うべきでしょうか。

663 :月光仮面:2006/10/27(金) 10:42:03
渡来人研究会ではツヌガアラシトをこうした渡来人の嚆矢と位置づけていますが、
なかなかのご意見です。と言うのも角鹿神社には有角人が渡来したという伝承が
あるらしいが、これはツヌガアラシトが気比大社を祀ったことに由来し、角鹿神社
宝物は獅子頭とされる。まだ確認が取れていないんですが、これがユニコーンである
加賀獅子頭、キリン獅子頭である可能性は高い。角杯はこの地域を中心に分布、
出土します。

664 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 12:33:13
ユニコーンと天皇
ユニコーンと始皇帝の末裔たち
ユニコーンと日本建国伝説

どういうタイトルが受けるかな

665 :月光仮面:2006/10/27(金) 13:36:08
「日本の天皇にユニコーンの加護を与えた謎の渡来人とはトカラ人か」

666 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 22:05:02
西洋騎士道事典によりますと、
スコットランド王家の紋章は、右側の優位の位置にユニコーン
左側がライオンとなっていますが、イギリス王家では逆です。

ライオンはユニコーンを打ち負かすと言う童謡はスコットランド
では絶対に歌われないとこの事典に書かれています、微妙に
言葉を婉曲しているのは当事者だからでしょう。

で日本のユニコーンですが、これは古代北イスラエルの紋章が
ユニコーンで、南イスラエルの紋章がライオンです、両方組にして
統一イスラエルを表すと雑誌に書かれていました、このユニコーン
は一本角の牛です、それがシルクロードを通って日本まで伝えられた
ということです。

神社では左が角が有る狛犬(ユニコーン)右が獅子(ライオン)です。

667 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 22:18:15
* ユニコーンとは正に白い獣「狛」だよ

歴史上におけるユニコーンの姿の重要な特徴 - ユニコーンが"一角を備えた
偶蹄目の一種として存在した一本の角を備えた山羊や鹿の天然奇形(あるい
は人工奇形)、それらは世界の様々な地域で偶発的に目撃され、その存在は
旧約聖書の誤訳、あるいは古代ギリシャにおける様々な奇譚によって、相互
補完的に補強された。即ち、ユニコーンは稀な偶蹄目種の奇形として、その
原初的な意味における"一角の獣"として、確かに存在していたのである。
自然の生み出した極めてユニーク(Unicus)な存在であったユニコーン
(Unicorn)はこうして、神話と現実の狭間で、今なお人々を惹きつけ続けて
いるのではないだろうか。
http://x51.org/x/05/04/1924.php



668 :月光仮面:2006/10/28(土) 07:42:02
渡来人研究会も景教の渡来を強調されているようです。しかし、小河墓遺跡では
BC1800年頃のコーカソイドミイラが発見され、7の数字の文化であったこと、小麦
種子を籠に入れて埋葬していること、牛の角、皮、鼻の突き出し、歯を強調露出する
仮面、フェルトとんがり帽子、男女性器表象木柱を反対性別被葬者の墓標として
使用していること、赤く塗った六角形の柱、人型の埋葬が特徴です。最近の中国
考古学会では二里崗で殷商期に西方の影響で小麦作付けが急増するのが確認
されています。時代的に見てセム系よりはシュメール系農耕文化の影響の強い
ことが否めません。更に中国にはこれより前に印度鋤を伴うミレット農業も渡来して
いますが、これはシュメール系というか、シュメール・インダス・ウラル等を先行する
文化かもしれません。で、飛鳥・藤治台に景教が到達することとは別に下層において
はシュメールの影響を除外できない。中近東にはとんがり帽子が多い。従い、ビリテン
島と日本におけるユニコーンについてもこうした歴史的背景もあるのかなと思うのです。

669 :月光仮面:2006/10/28(土) 07:51:35
唐時代としたのが誤入力。失礼。
ついでですが、ユニコーン獅子頭が分布する加賀から伯耆が、記紀に言う
ツヌガアラシトの影響を受けたものと思っています。そしてツヌガアラシトとは
TONUGAARASHITO<TOKARAHITOと考えられます。アラシトとは貴人のこと
と言うのはアーリア、イラン、イラク、アイルランドなどにも見られると同じ印欧系の
*ARを高貴とする解釈で、多分騎馬民族・スキタイ時代の概念かなと思います。

670 :月光仮面:2006/10/28(土) 07:57:52
中国の神農を初めとする牛頭の神々、竜、一角獣(キリン)についても西方起源
の可能性が大きい。特に西王母はシュメール、インダスの影響がある。で、卑弥呼
が神獣図案に惹かれるのは馬韓方面に存在していた中原・江南とは異なる西域系
思想の影響カナとも思うのです。

671 :月光仮面:2006/10/28(土) 08:14:35
>>669
小河墓集団はBC2300年頃ルーマニアのククテニ・トリポリエ農業文化地帯から
東進を開始したが、その移動にはサカ人の祖先であるボルガのバトルアックス
文化・イラン語を話す戦闘集団が加わって連携していた。これが単独で分離する
のはバダフシャン峡谷のエフタルであろうというのが私の読みです。そして、祭祀
活動はトカラ人(カルパチア方面出自か)ではなかったかと思います。

672 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 09:19:15
日本でも和歌山の大田氏が移住させられたか避難したか不明ですが、紀氏が
はいってきたから押し出されたのか、今の移住とは違う大田氏の動きは

673 :月光仮面:2006/10/28(土) 12:58:06
神農氏を祖とする、中原の華人とは異なる羌、姜の血は多分日本とチベットに
分かれ、それはY染色体ハプログループDの縄文集団とされるものだと思うんだが
これ自説です。

674 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 14:07:41
ツヌガアラシトの活動地、若狭湾その西部舞鶴湾の奥山岳部に大江山と
言う山が有り此処の伝説に赤鬼、青鬼、の鬼伝説で有名な山です赤鬼
青鬼は西域白人(京鞍馬の烏天狗も)じゃないかと言われています、
舞鶴湾には元伊勢・「丹後一宮 籠神社=このじんじゃ。京都丹後王国・
橋立創造の神話を伝える」が有ります。



675 :月光仮面:2006/10/28(土) 14:24:36
吉備のウラですが、モンゴル語では赤いというのがウランだそうで、何か関係があり
そうです。

676 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 14:27:02
>>673
インド南部のアンダマン島の原住民のYAPがDだと聞きましたが、
本当ですか?

677 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 17:30:58
日本人種のYAP+と東南アジア辺りのYAP+は別種。

日本人種のYAP+はht1。
東南アジア・中国南部あたりに微かに残るYAP+はht2。
白人や黒人のYAP+はht3。

ゆえに日本人種は中国南部や東南アジアとは無関係。

残念でした(嘲笑)

◎YAP+マップ

http://www.geocities.com/londonross1/china3.png
http://native.way-nifty.com/./native_heart/images/y_chromosome.jpg

678 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 19:51:34
加護ちゃんは、古代に働きすぎてきらわれた羽田氏の関係でしょうか

679 :月光仮面:2006/10/29(日) 07:40:15
>>676
>インド南部のアンダマン島の原住民のYAPがDだと聞きましたが、
>本当ですか?

Genetic Affinities of the Andaman Islanders,
a Vanishing Human Population
Kumarasamy Thangaraj,1 Lalji Singh,1
Alla G. Reddy,1 V. Raghavendra Rao,2
Subhash C. Sehgal,3 Peter A. Underhill,4
Melanie Pierson,5 Ian G. Frame,6
上記によると日本と同じDということです。
and Erika Hagelberg6,7

680 :日本@名無史さん:2006/10/29(日) 10:02:51
キリスト教が記録上、中国に伝来したのは唐の時代、大秦景教(ローマ帝国の
ネストリウス派キリスト教)である。唐帝国は、当時、ローマ帝国と通行が
あった為、別段不思議な話でもない。
431年のエフェソスの宗教会議にてローマ教会(カソリック)で異端とされた
ネストリウス派は布教の地を失い、東洋へ進出を余儀なくされたのである。
陝西省西安(当時の唐の都、長安)から「大秦景教流行中國碑」が発掘されて
いるが、そこには唐の太宗の時、景教の伝道師、阿羅本がネストリウス派キリ
スト教を伝えたこと、太宗が大秦寺を造営させ、長安で大流行した事、多くの
伝道師達が西洋僧として高官に取り立てられたことが記されている。
 参照:桑原隲藏⇒ttp://www.aozora.gr.jp/cards/000372/files/4707_9678.html

後の武宗の時、道教以外の諸外国宗教の大弾圧が行われたが、その際に大秦寺
は廃され、修道士等2〜3千人が国外追放または還俗させられた。

日本の遣唐使は、630年(舒明天皇2年)に始まった。留学僧達はそこで大流行の
キリスト教を目にした事だろうね。
日本の国史はそれから書かれる。和銅五年(712年)太朝臣安萬侶が献上した古
事記や、舎人親王等の撰で養老4年(720年)に完成した日本書記に馬屋で生まれ
た皇子の話がでてくるのは何の不思議もないのである。唐で流行していた景教が
日本にも伝来しなかった方が不思議だ。それは中国で漢字という記録媒体を学ん
できたエリートテクノクラート達の先端知識として入ってきていたんだから。

「秦」は大秦景教教徒の事を指す言葉として唐では普通に使われていた。
では秦氏とは何か。帰国した遣唐使の一部がハイカラぶって「秦」と自称したか、
武宗の大弾圧の際に国外追放された中国人の末裔か。
答えは前者だ。なぜなら彼らは陰陽師として朝廷に雇われていたが、これは中国
製の占術であり西洋に起源を持たない。また彼等はネストリウス派の教義をキチ
ンと理解していない。
以上から秦氏は付け焼刃の遣唐使の一部帰国者の成れの果てである。最澄や空海
になりそこねたんだろね。


681 :月光仮面:2006/10/29(日) 10:28:41
貴重なご意見。大賛成。しかし、正倉院遺物の示すシルクロード東西交流の一翼を
担う文化交流の主体であったことも事実だと思います。シルクロードはユーラシアの
幹線道路であり、多くの文化が流れたことでしょう。はるか昔にはレバントの小麦、
更に昔にはミレットもこの道を通過して中国に入ったのだと思いますね。さて、伊勢の
海女の魔よけのドーマン、これが小河墓ミイラの牛頭にある。小河墓はBC1800年頃。

「匈奴に冒頓単于が立つと紀元前206年・紀元前176年と冒頓による攻撃を受けて、西の
イリ地方に逃れる。この時に一部は甘粛・青海に残った。中国の史書では、残ったほう
を小月氏、西遷した方を大月氏と呼んでいる。紀元前162年に冒頓の息子老上単于に
よる攻撃を受けて、王が殺された。この王の首を匈奴は持ち帰り、頭蓋骨をくり抜いて、
杯にしたと言う。」

月氏の民族はチベット・モンゴル・トュルク・イランと諸説あり、はっきりしない。自身は
記録を残さず、ほとんどが中国の史書による記録が多い。紀元前3世紀ごろからタリム
盆地に拠って東西交易を独占し、一時は匈奴を圧倒するほどの強勢となった。
しかし匈奴に冒頓単于が立つと紀元前206年・紀元前176年と冒頓による攻撃を受け
て、西のイリ地方に逃れる。この時に一部は甘粛・青海に残った。中国の史書では、
残ったほうを小月氏、西遷した方を大月氏と呼んでいる。紀元前162年に冒頓の息子
老上単于による攻撃を受けて、王が殺された。この王の首を匈奴は持ち帰り、頭蓋骨
をくり抜いて、杯にしたと言う。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%88%E6%B0%8F
BC2世紀に中国に入った東の月氏ですが、これは中国で支氏等として残る。だが、
この頃衛氏朝鮮等燕方面から朝鮮に入る動きがある。そして馬韓に月支国ができる。
これが日本に大きな影響を与えると思います。




682 :月光仮面:2006/10/29(日) 10:46:34
牛頭、武塔、ホト、フツ、スサノオが日本神話に入るのは、タクラマカン砂漠の東端、
後の楼蘭から中国に牛頭の神々、西王母、小麦などが殷に入る時代より1500年ほど
遅れたのでしょう。AD2世紀の倭国にはこの牛頭・スサノオ・熊野・出雲・四隅突出型
と楽浪方面を起源とする鏡、特に画文帯神獣鏡、前方後円墳と言う2つの流れが入り
込みますが、アマテラスは月弓・牛頭の好戦的、牧畜的、反水田耕作文化を憎み、
これを出雲、東北などに遠ざけたようです。が、夕月、その形をした石像は、かつては
軍神の魂であったのでしょうが、日本各地に残ります。また、見逃せないのは玉垂れ、
タマヨリ、玉鉾(秋田唐松神社天日宮)等に見られる梵卵思想の渡来です。

683 :月光仮面:2006/10/29(日) 10:53:08
さて、唐の時代の日中文化交流で景教関係が日本に入るということは極めて
ライクリーなことです。と言うのもそれを仲介するのがシルクロードの月氏の
子孫であり、コンテンツは変われ、翻訳・媒介・通商の機能は何千年と変わらない
ものなのでしょう。そして、古代シュメールとユダヤにはそれ自体の関係もあります
ので楼蘭の月氏としては取り扱いやすく、また、西方大月氏はアレクサンダーによる
ギリシャの影響も受けており、日本古代文化が極めて国際色豊かになったのは
大いにうなづけるところです。

684 :月光仮面:2006/10/29(日) 11:09:02
>>681
ドーマンですが、「臨、兵、闘、者、皆、陳、列、在、前」、敵兵に臨んで闘うものは皆
前列に並べ、という決死隊への呼びかけであり、牛頭・半月が戦陣の守護神的役割を
果していた、つまり武塔(フツ)の御霊であったと思われるのです。
http://www.kitombo.com/mikami/0924.html
GC1800年頃の楼蘭ではこれが死出の魔よけに使用されていたということでしょうか。

685 :月光仮面:2006/10/29(日) 12:27:26
>>684
同じコピペより
「臨、兵、闘、者、皆、陳、列、在、前という9つの文字で表現された呪文を縦横、交互
に切っていく。これを一般に九字を切るとか、九字切りなどと呼んでいる。
 しかし、ことは陰陽道である。表があれば、裏がある。陰陽の原理に基づく、裏の
ドーマンが存在することを知る人は少ない。陰陽道における数は、それぞれ奇数が
陽、偶数が陰と決められている。よって、九字は奇数であるから、陽の呪術。陰の
呪術は、これに1を足して、偶数にする。つまり、九字に一字足して、十字である。
九字を切った後、その格子紋の中心に、最後の封印をするように、一字を打ち込む。
 しかし、これは形式的なもので、本来の裏の九字、すなわち十字とは、ずばり縦横
1本ずつの直線で、文字通り十字を切る。
 お分かりだろう。これはキリスト教徒が祈る際に胸の前で切る十字とそっくり同じ。
いや、まったく同じものであるといっていい。なぜならば、この呪術をもたらしたのが、
ほかでもない。ユダヤ人原始キリスト教徒の秦氏なのだ。」
秦氏は原始キリスト教、つまり、景教も扱っている。極めてトカラ・月氏的プロシャーマン
の性質がある。

686 :月光仮面:2006/10/29(日) 12:29:40
http://www.kintetsu.co.jp/ise_toba_shima/shiru/ama_awabi/img/mayoke_me.gif
格子柄は多くの目を作ることで魔物をひるませ退散させると考えられています。
線の数はヨコ4本、タテ5本が決まりだそうです。


687 :桃太郎:2006/10/29(日) 18:25:58
セーマンの阿部清明とドーマンの秦道満

どーまんの十字同様、星マーク(5)は、本来のカバラの裏セーマンでは、
カゴメ紋(6)ですね
吉備には清明岩だけでなく、芦屋といわれるドーマン伝説もあります

ウラは赤色ですか。なるほど

688 :日本@名無史さん:2006/10/29(日) 18:27:37
北方アジアは一切抜きの偏向調査で作為的に中国・朝鮮に誘致していた
スットボケ遺伝学者(嘲笑)


宝来センセイによると、韓国や中国にはそれぞれドミナントなミトコンドリアDNAがあるのに、
日本本土では、とくにドミナントなものがない。つまり系統的にさまざまな人たちから成り立って
いるのである。また、これまで、大陸から渡来した弥生人によって分断され、北に追いやられたのが
アイヌ、南に追いやられたのが琉球人といわれてきた。しかし、アイヌと琉球は少なくとも1万2000年
以上まえに分岐しており、紀元前3世紀以降に渡来してきた弥生人によって分断されたんではないという。
1万2000年前にそれぞれ日本に住み着いたアイヌと琉球人。そこへ紀元前3世紀以降になって渡来し、
稲作をはじめた中国・朝鮮系の人びと。こうした人たちの子孫がわたしたちなのだ。
それにしても紀元前3世紀以降の大陸からの渡来って、それ、秦の始皇帝のころの、徐福たちじゃない?
http://home.att.ne.jp/apple/tamaco/Yutenji/000115DNA.htm
http://youtube.com/watch?v=iRD3k2j9BeA

689 :日本@名無史さん:2006/10/29(日) 18:29:51


まーだ宝来mtDNAデータのトリックと欠陥が分からない脳弱が
いるようなので、簡単に説明しておくと、

朝鮮半島も中国大陸も、古代より北方アジア人の侵入定着が絶え間ない
地域であったのにもかかわらず、宝来mtDNAデータには北方アジア人に
関するタイプのデータが一切出てこない。

しかも、調査サンプルに北方アジア人のサンプルが一つも入っていない。

つまり、宝来mtDNAデータは北方アジア抜きの偏向調査で出された
偏向データなのであって、ただひたすら中国や朝鮮からやって来たと
錯覚させるだけの極めて悪質な欠陥データに過ぎないのである。



690 :桃太郎:2006/10/29(日) 18:30:57
陰陽道(カバラ)の国家導入といえば、吉備真備ですね。
彼は数度の留学も長く、中国朝廷と深いつながりがあります。
藤原以外で律令国家の官僚頂点をきわめたのは、秦河勝以来かも

691 :日本@名無史さん:2006/10/29(日) 18:55:53
>>679
アンダマンの原住民は、先日のスマトラ沖大地震後の大津波で、
絶滅が心配されていたけど、大丈夫かな?

692 :日本@名無史さん:2006/10/30(月) 09:55:53
>678 カゴのの文字がちがうみたいで籠かもしれません、
大陸移動にのってやってきた和牛の黒牛は沖縄のことで、倭人もそのルートでやってきましたが
大王はちがうのかも

693 :月光仮面:2006/10/30(月) 11:49:14
>>687 >>690
吉備真備さんは日本史上極少数の大人物ですね。邪馬台国も吉備なくしてはありえな
いし、吉備には深いものがあります。が、楯築墳丘墓にはあったと思われる月読命が
箸墓では失脚、というか、墓所を守る夕月が嶽と言った形に成り下がっている。つまり、
箸墓は神武・日向系の日神が勝利した形を受けているように思えるのですが。あ、脱線
しましたね。

694 :桃太郎:2006/10/30(月) 13:40:20
吉備真備は高梁川以西の小田川の下道臣系統ですね、吉備諸氏の中でも中核氏です。
日本書紀の3大吉備反乱物語のなかで、最初に出てくる下道臣前津屋の
鶏の試合(大きな吉備号が貧弱な大和号に負けたので、腹いせに大和号を
惨殺した)がきっかけで、雄略天皇の物部遠征軍に孤立無援の前津屋一族が滅ぼされた
事件は有名です。
吉備下道臣は「大和は成り上がり」という意識が強く、任那、百済との
交流も吉備なしでは成立しなかった事情から、新興の大和朝廷を支えた
吉備連合のなかでもアンチ大和の筆頭だったようです。

695 :桃太郎:2006/10/30(月) 13:56:06
7〜8世紀の吉備のなかでも、下道、上道、苑、などは有力氏族で、吉備の秦は下道臣の
勢力地にありました。(秦ハダ自体は5世紀にはいて最古の秦寺は飛鳥時代の6世紀建立)
官位7位の下道氏の真備が大学入学できたのは、異例でよほど優秀だったのでしょう。
母方は渡来系のヤギ(八木)氏で中国語はぺらぺらでした。
江戸時代に真備の祖母の銅製の骨臓器が発掘されており、すでに7世紀に火葬がされて
いたことが証明されています。  豆知識だよ〜んw


696 :桃太郎:2006/10/30(月) 14:15:02
真備はとにかく優秀で、その秀才振りは絵巻物になって、いまボストン美術館に
あります。
彼が唐留学から持ちかえった文化学術は、聖武天皇以降の日本の方向を
決めてますね。
唐礼、式典楽書、音階を決める楽器、暦を決める天文学の道具、孔子像、
兵法、薬草学、陰陽暦とカバラ神秘学、算術、歴史、もろもろ。
右大臣として脱藤原を志向しつつ、後に秦氏と平安京遷都を実行する吉備の青年
和気清麻呂を後継にしたことも重要。大和と吉備の関係は、日米関係に似てなくもない。

697 :月光仮面:2006/10/30(月) 16:55:12
>>694-696
大河ドラマ・DVDのできそうな人材ですね。

698 :桃太郎:2006/10/31(火) 03:13:22
そうですね時代的に長安全盛期だから、多彩な顔ぶれも脇を固めれるし、一時
秦氏支援の東大寺建立委員長もしてるので、インド、ミャンマーとか国際的展開も可能ですね

吉備真備、阿部仲麻呂、唐朝廷の官僚、アジア中東からの留学生、
皇帝、鑑真、景教徒、ゾロアスター教徒、イスラム旅行者、ユダヤ商人、
弦某、空海、最澄、和気清麻呂、聖武天皇、孝謙天皇、道鏡、
藤原悪役〜押勝他

699 :日本@名無史さん:2006/11/01(水) 21:52:26
3.研究論文・・・・1.政治・制度史

 まず曹魏の外交政策を扱った李均垠(10)は、3世紀前半期の最も目立つ2件の
外交事件、即ち 229年に大月氏王波調を「親魏大月氏王」に封じた事件と、 239年に
邪馬台国の女王卑弥呼を「親魏倭王」に冊封した事件について史料の比重の差異を
考察した。その結果、西晋が成立して後、司馬氏政権が積極的に先王司馬懿の功績を
浮き彫りにして、新王朝成立の正統性を強調するために、曹魏の明帝が主導した
「親魏大月氏王」冊封の記事を漏らし落とすか縮小する代わりに、邪馬台国との交渉
過程だけ漏れなく詳しくして比重を置いて叙述したためだという結論を出した。
http://6ch.jin.ocha.ac.jp/6ch/kreview.htm

「親魏大月氏王」波調と加羅「月氏国の弓月王」波多は関係ないかな?


700 :日本@名無史さん:2006/11/01(水) 23:18:53
秦氏の事を追いかけるとユダヤ、ソグドが絡むんだけどユダヤ=ソグド ?

701 :月光仮面:2006/11/02(木) 07:50:07
>>699
秦を滅ぼすは胡なり。最近二里崗で殷初小麦の急増が確認されていると言う。
西方の文化に呑まれたのでは混血のトルコ系諸国の轍を踏むという家康とか、
幕末の頃の文化を吸収するが国体を護持するという方針を固めたということも
あるかな。東夷については少昊とか孔子、孤竹については叔斉伯夷の故事もあり
同朋意識に近いものがあったではなかろうか。これに引き換え三韓は随分とリベラル
というか、国際都市というか。カサブランカのようなところだったのだろうか。

702 :月光仮面:2006/11/02(木) 08:12:29
>>699
脱線しすぎたが応神朝の夕月君については飛鳥・百済時代の文化的
なものがない様なので騎馬民族的出自かもしれない。飛鳥時代の吐火羅
舎衛等と言うのは冒頓単于時代の月氏分裂の時と同様、クシャン朝も
東西に分裂し馬韓月支国は百済時代に二度目の月氏渡来があったのかもし
れない。

703 :日本@名無史さん:2006/11/02(木) 17:10:26
波斯(ペルシャ)
親魏大月氏王 波調(バース デーバ)
波路(ポリユス)
波西士(ポシス)
波池達(ポチダ)

中央アジア地方の部族名、王名、地名、です。では(波多)は?パタ?

704 :日本@名無史さん:2006/11/02(木) 21:21:58
>>703

波陀、波旦、こう言うのも何処っかで見たな。

705 :日本@名無史さん:2006/11/03(金) 05:03:04
飛鳥時代はペルシアの影響が強そうな感じ
これが秦と関係あるのかな?


706 :日本@名無史さん:2006/11/03(金) 16:57:42
中国の「波斯寺」が「大秦寺」と名を変えたと聞いたな。

707 :桃太郎:2006/11/04(土) 06:10:09
>>703,704
波旦は朝鮮の某学者説で、「海を渡る人」という意味?たしか語呂合わせ
でしかないといわれている。

佐伯博士は戦前、中東起源説(弓月王国説)を提唱した
「太秦=ウズマシャ=イスマシュア=当時のアラム語でイスラエル」

708 :日本@名無史さん:2006/11/04(土) 07:15:40
秦氏はユダヤ人ではなくソグド人

709 :月光仮面:2006/11/04(土) 07:55:37
>>708
ソグド人ならパタン(パシュトゥン)人に近いが。ちょっと抵抗があるなー。

710 :日本@名無史さん:2006/11/04(土) 16:53:34
>>709 パタン人の事なら面白い話があるよ。

アフガニスタンに来たイスラエル十部族

ラビ・トケイヤーは、まずアフガニスタンに今も、イスラエルの失われた十部族
の子孫が住んでいることを指摘する。アフガニスタンには、ユスフザイ人、また
パタン人と呼ばれる人々が住んでいる。彼らは、イスラエルの失われた十部族の
子孫としての明らかな特徴を持っている。ユスフザイの名は、ヨセフの子孫の
意味である。ヨセフの子孫は、イスラエルの失われた十部族に属する。彼らには
イスラエル人の特徴である「衣の房」、安息日と安息日に敬意をはらって金曜日
の夜にロウソクを灯す風習、またイスラエル人特有のペイオト(耳の前の毛を伸
ばしてカールさせる)の風習などがある。またアフガニスタンに住むパタン人に
も、生後八日目の割礼の風習、衣の房、安息日、コシェル(食物規定)、
フィラクテリー(山伏の兜巾に似たもの等、イスラエル人特有の風習がある。
またパタン人の土地からは、イスラエル十部族関連の考古学的遺物が、多く出土
している。また彼らの言語は、ヘブル語起源の言葉を多く含んでいる。彼らには
聖なる書物が伝わっているが、それはトーラー(モーセ五書)と内容が同じである。
彼らには、イスラエルの失われた十部族に属するルベン族、ガド族、エフライム族
ナフタリ族、その他の部族の子孫としての証拠がある。



711 :日本@名無史さん:2006/11/04(土) 17:40:15
う〜ん。月光仮面、想像力をたくましくすれば

親魏倭王、親魏大月氏王、時代に魏の王宮で交流が出来、交易の中継地と
して馬韓の地に月氏国をユダヤ系パタン人勢力中心に立てた、その一部が
北部九州に移り波多氏として勢力を拡大し、後に馬韓の地に居たパタン人
が秦氏(秦の流移民も含む)として北部九州に移って来た、だから秦を
パタ、ハタと発音する様に成った。これどう?



712 :日本@名無史さん:2006/11/04(土) 17:56:06
>>711 秦氏と波多氏の関係
気比神宮。
 敦賀一の宮である。気比大神は本来新羅の王子・ツヌガアラシトだといわれている。
先に記しておいたアメノヒボコとこのツヌガアラシトはまったく同一人物である。と
ころが私は同族であることはみとめても別人であるといいたい。気比神宮の神職を務
めるのは敦賀氏で、彼らは波多氏の出身である。波多氏と秦氏は同じ新羅系加耶国人
であり、ともに九州北部に渡来した。しかし波多氏はハダ氏、秦氏はハタ氏と、読み
が違う。
http://www.oct-net.ne.jp/~hatahata/hatasi1.html

713 :月光仮面:2006/11/04(土) 18:31:00
>>711
どうもパタン人なんていうとタリバン、アルカイダ、パキスタンといったイメージだが、
日本の秦氏というのは膨大なモンゴロイド集団で、例えば、松尾大社の石組み等は
見事な匈奴遺跡。モンゴリア高原からジンギスカンの時代にパタンがアフガニスタン
に飛び出したと言うのならわからなくもないが。むーむ。ところでモンゴル語でハダ
は「崖」、ブリャート語でハダ、ハダンは「ならば」という助詞のようだ。わからん。


714 :月光仮面:2006/11/04(土) 18:48:42
>>712
物部、スサノオは秦氏とは違う。秦氏は生き様がユダヤ人と似ている。秘密結社を好み
体制に食い込む。物部、スサノオは野党に回ることがある。よって、広隆寺、伊勢神宮
が秦氏、唐松神社、出雲大社は物部、スサノオだ。だけど、ユダヤ人は数からいって
それほどでもなく、秦氏はトカラ文化プラス秦時代の方士・銅鏡文化の影響を受けて
いるようだ。人種的には羌族、姜族なども多いのではなかろうか。


715 :月光仮面:2006/11/04(土) 18:51:59
道教と使用として入力間違えた。卑弥呼はわからないが鏡の家元制度に
もにたようなシステムを組んだであろう椿井大塚山、黒塚等は秦系ではなかろうかl。

716 :日本@名無史さん:2006/11/04(土) 19:15:35
全国の神社総数10数万社のうち、秦氏の神を祭る神社は八幡
系四万社、稲荷系四万社、松尾、出石等その他ひっくるめて九
万社に上ると言われている。


717 :日本@名無史さん:2006/11/04(土) 23:41:04
はだ。か

718 :月光仮面:2006/11/05(日) 08:48:12
秦氏、ユダヤ人が秘密結社的傾向が強いこと、体制の中で生き残る能力があることは
秦氏、ユダヤ人が共に流浪の民であったことによるもので、血のつながりはない。中国
では客家(ハッカ、北京語 : Keji? /客家語 : Hakka)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%A2%E5%AE%B6
と言うのがあるが、これはセムの風土でユダヤが生まれたり、コーカサスの風土でアル
メニア人が生まれるのと同様の現象だろう。いうなれば土石材の古墳時代から鉄・木材
を駆使した飛鳥・天平・白鳳の時代へと移行する中で生まれた神職、寺大工、芸能等の
新文化集団と言うべきものが秦氏なのだから、その語源は日本国内にあると見なくては
おかしいのではないかと言う気がする。

719 :月光仮面:2006/11/05(日) 11:35:14
秘密結社のメンバーが遣唐使、遣隋使等で訪中し、景教、ユダヤ教、密教
の奥義を極めて帰国し、それを布教したからといって、現実にユダヤ人、
ペルシャ人、ギリシャ・ローマ人が渡来したことにはならないし、そのメンバーの
祖先がユダヤ人、欧州人であるということではない。この辺の基本的な誤りは
例の騎馬民族説の致命的な欠点でもある。しかしまた現実に白人の渡来があった
と言う事実も否定しきれない。

720 :月光仮面:2006/11/05(日) 11:44:06
欧州に侵入したフンの遺伝子を調べると、リーダーが白人で、部下がモンゴロイド
であったというが、こうした編成が日本に騎馬民族という形ではなく亡命と言う形で
流入した可能性はある。坂上田村麿、蘇我氏、オオビコなどの一部にはこういう
のもいたのであり、大鵬親方のようなのもその生き残りかもしれない。しかし、その
数は統計的に無視できるものであったのであろう。全てのピッチャーがダルビッシュ、
スタルヒンではないように。

721 :日本@名無史さん:2006/11/06(月) 14:35:11
少数グループでもいいが、白人渡来の明確な証拠はありますか?

722 :日本@名無史さん:2006/11/06(月) 14:36:31
595 名前:名無しさん名無しさん@腹打て腹。 :2006/09/20(水) 23:42:31
          竹石圭佑

「竹石圭佑」、1986年に名古屋の肥溜めにて湧いて出た蛆虫。
小学校高学年から万引きを繰り返し
学校内では好みの女子に嫌と言う程ちょっかいを出しまくる。
当時のクラスメートが「お前って何で女子ばっか苛めるんだ?」という様な
質問をしたところ、竹石は「女を苛めても仕返しとか怖くねぇもん。
だって俺のほうが腕っ節が強いからな。いざとなったらツラァ殴って
やればいいし。」と言ったそうだ。
弱い物に対しては恐ろしいほど高圧的になる竹石、万引きで警察に
補導された事を自慢げに話す竹石、自分が世界の中心だと言って憚らない竹石…
数々の犯罪行為も在日中国人の両親から産まれた自分に後ろめたさがあっての
反発心からの行動だろうか…
ともあれ、竹石はまさに肥溜めから産声を上げた蛆虫である。

723 :日本@名無史さん:2006/11/06(月) 15:11:03
>>721
天狗の面じゃダメ?

724 :月光仮面:2006/11/06(月) 15:36:42
>>721
http://www.asahi-net.or.jp/~rg1h-smed/toraijinkenkyuu/kaihou0603.htm
吐火羅、都貨羅等で検索をかけると出てきます。白人は一切島流し方針だったようで
すね。熊本県菊水、トカラ列島、津軽(トカラが転じたともよめる)などがどうもくさいで
すね。

725 :月光仮面:2006/11/06(月) 15:49:28
このトカラ人が月氏の正体。月氏は冒頓単于に東西に二分された後、中国入りするが
一部が馬韓月支国に入る。馬韓が百済になっても相当数が潜んでいたようでこれが
百済滅亡時日本にゾロゾロでてくるのです。大月氏、韓国共に幼児の頭蓋骨を石で
抑えて変形させている。これがトカラ人の特性とされています。ところが熊本県菊水
のトンカラリン(どうもトカラ人と関係する名前のようだ)からは頭蓋骨を変形された
シャーマンが出土しています。

726 :月光仮面:2006/11/06(月) 15:57:00
熊本県菊水中学校で古代の建築を復元したWEBがあったのですが、取り下げられま
した。八角形の屋根の三重塔でいわゆるトカラ人の須弥山が三重塔に進化してゆく
過程で必ず現れると筆者が予測していたもの図張りでしたが、なくなってしまって
実に残念です。

727 :月光仮面:2006/11/06(月) 16:09:18
月氏の故土、楼蘭・小河墓遺跡で中心的なのは牛の頭ですが、前漢の時代に
原三国に南下した月氏は更に日本に入り牛頭天王、すなわち、スサノオ神話
となったようです。出雲神話には楼蘭に集められたユーラシアの多くの神話が
混在しているようです。

728 :月光仮面:2006/11/06(月) 16:20:51
楼蘭遺跡では牛頭が中心であり、これはバイキング、日本の兜で多用されていますが
更に時代が下ると西方から一角獣の信仰がこれに加わるようです。日本では唐津
オクンチ、加賀獅子頭等となっているようです。ツヌガアラシトというのはウシキアリシチ
とも言いますからトカラ人の額に角の付いた獅子頭を振舞わす神主のようなものかも
知れません。初めてトカラと聞いてツヌガアラと聞くような場面は聞きなれない外国語
を聞く場合のアーティキュレーションに対するカルチャーショックとしてはありえるでし
ょう。

729 :月光仮面:2006/11/06(月) 17:09:40
小河墓では柱の数、線画に数字の7の関係がやたらと多く、シュメール、月の運行
と関係があり、トカラ後の属するアナトリア語は小アジア。従い物部の岩舟神話も
アララト箱舟神話の公算が大。牛頭崇拝はバルカンの文化であり、黒海沿岸北部
から出ているのであろうが、クルガン墳、アファナシエフ的特長はない。月と戦闘
のシンボル牛頭が一緒になり月の両支、月支となったのであろう。老婆のとんがり
帽子には二匹のいたちが巻いてあり、これが辟邪獣の角となるのだろう。

730 :日本@名無史さん:2006/11/06(月) 21:58:19
うーん、ためになるな
どこかでユニコーンと天皇の神社なかったけ?

731 :日本@名無史さん:2006/11/07(火) 01:19:35
外国人が「中華文明は複数の文明が混在していて日本は日本の国自体が一つの文化」
と評してた

732 :月光仮面:2006/11/07(火) 10:45:18
秦氏を韓伝秦韓だとすると
(1)国王は馬韓人。(百済王族と似たようなものか)
(2)言語は秦の言語。(仙薬探索のタジマモリ、徐福末裔の天日矛系)
(3)幼児の頭を石で平たくするトカラ人習慣。(これが秘儀を行う神官層)
(4)馬韓、弁辰と異なり、牛馬に騎乗。(下層にいる鮮卑、烏丸系統の騎馬民族)
ということになり、弥生、古墳時代の渡来が多く、飛鳥時代には馬韓・百済系
として渡来したものには馬韓のトカラ人、弁辰のサイ、サカ人などが多かったので
はないかと思うのだが。秦と言う字は学問、芸術関係者に多いのではなかろうか。
サカ的なものは字を変えて羽田などとしている感じがある。


733 :月光仮面:2006/11/07(火) 10:58:04
本来騎馬民族ではなかった馬韓に騎馬民族が入るのがスサノオ時代で、これが勢い
余って日本に秦氏より先に入るのであろう。しかし、ヘロドトスの農耕スキタイ、牧畜スキ
タイの分類からすればスサノオは牧畜スキタイというか、騎馬民族スキタイに近いもので
これに比して定住性の強いのをヘロドトス分類の農耕スキタイと位置づけ、これを農耕=
畑(ハタ)と言うことからハタ族と呼んだ。放牧的で荒野にいるもの、戎は、クマン(欧州での
匈奴の呼称、タタール語で山地、森林、荒野に住むものの意)とし、熊野vzハタが対比され
たと言うことも考えられる。

734 :月光仮面:2006/11/07(火) 11:04:50
秦氏の前身である春秋戦国時代の秦から既に西方のコーカソイド要素があるところに
馬韓、秦韓でトカラ人、サカ人と一体化した秦氏には相当非モンゴロイド要素が強いの
ではないかと考えられ、伊勢神宮を初め仏像、寺院に西欧的な要素が多いのもこうした
遺伝的なことに由来するのではなかろうか。

735 :月光仮面:2006/11/07(火) 11:08:47
現在山西省方面に残る秦氏と古代秦氏の遺伝的関係の立証は、秦氏の抜け殻の
後に入った民族である可能性もあり、却って容易ではないと思う。

736 :月光仮面:2006/11/07(火) 11:18:35
さらに、現在の山西省の秦はQinであるが、三韓のハタは本来「辰」と言う全く異なる
概念から出ており、勿論、始皇帝時代の徐福の末裔などもおろうが、Qinと呼べる
ものでもあるまい。秦という漢字に血統上のメリットを求めたものに過ぎないのだろう。

737 :日本@名無史さん:2006/11/07(火) 14:21:01
595 名前:名無しさん名無しさん@腹打て腹。 :2006/09/20(水) 23:42:31
          竹石圭佑

「竹石圭佑」、1986年に名古屋の肥溜めにて湧いて出た蛆虫。
小学校高学年から万引きを繰り返し
学校内では好みの女子に嫌と言う程ちょっかいを出しまくる。
当時のクラスメートが「お前って何で女子ばっか苛めるんだ?」という様な
質問をしたところ、竹石は「女を苛めても仕返しとか怖くねぇもん。
だって俺のほうが腕っ節が強いからな。いざとなったらツラァ殴って
やればいいし。」と言ったそうだ。
弱い物に対しては恐ろしいほど高圧的になる竹石、万引きで警察に
補導された事を自慢げに話す竹石、自分が世界の中心だと言って憚らない竹石…
数々の犯罪行為も在日中国人の両親から産まれた自分に後ろめたさがあっての
反発心からの行動だろうか…
ともあれ、竹石はまさに肥溜めから産声を上げた蛆虫である。

738 :日本@名無史さん:2006/11/08(水) 09:18:34
八田もはたで働きすぎて嫌われたのかな

739 :日本@名無史さん:2006/11/08(水) 15:16:54
>>737
把兄弟,老老実実地坦白自己的悪行,和乖乖地聴我的話。

740 :日本@名無史さん:2006/11/08(水) 17:18:57
秦氏が連れてきた部下は、みんな朝鮮半島人だった

741 :日本@名無史さん:2006/11/08(水) 20:04:28
八田氏は働きすぎて嫌われたが、りっぱな人でした

742 :日本@名無史さん:2006/11/08(水) 23:48:00
駄スレが乱立。


ユダヤ=秦氏は鬼・悪魔
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/min/1159451054/
警察官=秦氏=鬼・悪魔
http://society3.2ch.net/test/read.cgi/police/1157987677/1-100

743 :日本@名無史さん:2006/11/09(木) 09:42:23
矢八田氏が働き者で嫌われましたが、なぜでしょうか

744 :月光仮面:2006/11/09(木) 10:42:55
秦氏を意味する大避、大酒に含まれるサケというのはサカ族乃至はサカの王族
と解釈するのが適切であろう。大酒神社、広隆寺で祀られるマダラについては
チベット、パミール、ギリシャに名称が残り、両河地方上流のウラルトゥの都市名
にもあり、背振に似た都市名もあるらしい。サカ族がトカラ族からこうした伝承を
受け継いだ可能性も残る。ブルガリア人の学者はMadara = Ra-Adamとしているが
これはエジプトのラーの神と最初の人間アダム、この綴りを逆読みしたもの、と
している。また、漢代には、東海中の度朔山には3000里に蟠(わだかま)る桃の大樹
(蟠桃とも呼ばれる)があり,その枝の東北部分のすきまが門になっていて,万鬼が
出入りする(すなわち鬼門)。その門に神荼(しんと)・鬱塁(うつるい)の二神がいて悪鬼
の侵入を防ぐが,それが上述の門口に桃の人形を懸ける風習の起源になったと説明
されるが、これも広隆寺の神事とか、スサノオの茅の輪くぐりと似た、狩猟民族的
感覚がある。

745 :月光仮面:2006/11/09(木) 10:59:53
第二十九代欽明天皇の三十二年、宇佐に神の翁が現われ、三歳の小児となって大神
比義に託宣せられるには、我は誉田天皇広幡八幡麻呂であると告げられた。のち社を
造り神靈を奉斉したのが宇佐八幡であるといわれるが、広幡八幡と言う言葉が大八洲
と非常に似ている。そうするとこの場合の幡はクニのような広さを持つ概念と考えられ
農地→畑→行政地域へと概念が拡大してゆく姿を表しているようだ。ハタという概念は
どうやら豊前で生まれたようである。

746 :月光仮面:2006/11/09(木) 18:16:52
「AD378年、東ローマ帝国「王族スキタイ」サカ・ウラカ族出身のスキタイ族将軍は、
サカ・ウラカの支配者の称号がマカルであるところ、「モダル、モダレス」とも呼ばれ
ていた。」
http://users.cwnet.com/millenia/1000ad.htm
するってーと、佐賀県の浦上地方とか、備前の浦上氏、鬼のウラなどは浦上八国、
つまりサカ王族、これが月氏として出雲などに上陸孝霊、キビツヒコと一戦を交えた
ということか。それを八幡といった。・・・これってありえるねー。サカ族、すなわち、
大酒、大避の神はマダラで洋の東西は大体一致するんだが。いずれにせよ応神の
股肱の臣は浦上八国のような好戦的部族、これがタケシウチの子孫と言う形となると
いうことか。

747 :日本@名無史さん:2006/11/10(金) 01:18:44
>>746
というかアブラハムの子孫だろ

748 :日本@名無史さん:2006/11/10(金) 09:44:22
矢八田氏が働きすぎたのは、戦争もしたのできらわれてしまい、八幡は有名だ

749 :月光仮面:2006/11/10(金) 10:07:47
>>747
広隆寺牛祭りの雰囲気はこれに似ている↓
「ミトラス神殿の原型は自然洞中の聖所であったが,市街地ではバシリカ式の建築を
転用して信徒の集会場所とした。ただし,神殿全体は地表面より低い床面をもち,内部
は暗く,祭儀の時のみランプや松明(たいまつ)で照明された。内陣の奥にある祭壇
には,〈牛を環る神ミトラス〉の図(浮彫,壁画,丸彫など)が安置されていたが,その他
の神像も発見されている。信徒たちは現世の苦難からミトラスの英雄的行為で救済され
ると信じていた。この宗派のキリスト教への影響については必ずしも明白でなく,どの
程度の競合があったかもわからないが,キリスト教公認後,多くのミトラス神殿が故意
に破壊されたことは確かである」

750 :月光仮面:2006/11/10(金) 10:16:20
大月氏、百済月支国、広隆寺をつなぐ思想の根源にはイラン系であるサカ族の陽神
ミスラ Mithraがあるのではないか。
「サンスクリットのマイトレーヤ Maitreya の音訳とされているが,〈弥勒〉という名前その
ものはクシャーナ朝(1世紀半ば〜3世紀前半)の貨幣にあらわれる太陽神ミイロ Miiro
に由来すると思われる。クシャーナ朝下で用いられた言語でミイロはイランの太陽神
ミスラ Mithra に由来し,したがってベーダの契約神ミトラ Mitra と関連する。インド
仏教徒は Miiro を Mitra に還元し,mitra が友を意味し,派生語 maitreya が〈友情
ある〉を意味することから,弥勒を〈慈氏〉(Maitreya の意訳語)ととらえたものと思わ
れる。」

751 :月光仮面:2006/11/10(金) 10:49:23
>>741
「継体天皇の代、震旦(しんたん)国、陳(ちん)大王の王女大比留(おおひるめ)女が
七才で男子を出産した。王女は「朝日の光、胸にさすを見て懐妊した」と申し上げた。
王は驚き、母子ともにうつぼ舟に乗せて海に流し、「流れ着いた地を所領せよ」と放ち
やった。舟は大海に浮んで、日本の大隅の磯の岸に着いた。その王子の名を八幡と
号し、この舟の着いた所を、八幡崎と名付けた。大比留女は筑前の国若椙山に飛び
入って、のちの香椎聖母(しょうも)大明神と祭られ、王子は大隅の国に留まって、
正八幡と祭られた。「正」をつけて宇佐とは別派の八幡とした。大隅八幡宮(鹿児島県
姶良郡鹿児島神宮)、一一一三年・『惟覧比丘筆記・二二社註式』」
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou56/kai05602.html
応神の話もこれと同じものがあるとすれば、八幡とは太陽神ということになるんだが。


752 :日本@名無史さん:2006/11/10(金) 20:52:27
矢羽田氏は戦争が強かったのですぐに征服したが、地元の人に嫌われてしまいいやな思いをしてる

753 :日本@名無史さん:2006/11/11(土) 05:21:17
神武=応神=八幡=ミトラ=ダビデ=イエス=弥勒
というふうに古代では、ごちゃに合体して学習していたらしい
景教が流入した聖武天皇時代ね

754 :日本@名無史さん:2006/11/11(土) 05:37:30
秦氏の神話でもっとも面白いのは、欽明天皇の幼少の頃の夢にでてくる
秦大津父のはなし。彼は夢の中で「私を探し出して補佐にすれば、あんたが
大人になったときに天下を獲れるよ」と煽り、伊勢がえりに
「傷だらけのケンかをしている二匹の狼(神)に、そんな調子じゃ他の
誰かに神の座を取られるよ」と天皇家の内紛を諭す。

たしか秦大津父は、初代大蔵卿。天皇制の根幹たる律を支える租税モデルをつくり
全国に散らばった秦氏一族の開墾地を天皇領土して直轄し、中央集権型国土という
概念を現実化した。河勝登場の前に、日本国建設において、かなーり重要な仕事をしている。

755 :日本@名無史さん:2006/11/11(土) 06:32:01
秦氏の神話でもっとも面白いのは、欽明天皇の幼少の頃の夢にでてくる
秦大津父のはなし。彼は夢の中で「私を探し出して補佐にすれば、あんたが
大人になったときに天下を獲れるよ」と煽り、伊勢がえりに
「傷だらけのケンかをしている二匹の狼(神)に、そんな調子じゃ他の
誰かに神の座を取られるよ」と天皇家の内紛を諭す。

たしか秦大津父は、初代大蔵卿。天皇制の根幹たる律を支える租税モデルをつくり
全国に散らばった秦氏一族の開墾地を天皇領土して直轄し、中央集権型国土という
概念を現実化した。河勝登場の前に、日本国建設において、かなーり重要な仕事をしている。

756 :日本@名無史さん:2006/11/11(土) 09:26:53
矢羽田氏はまじめにコツコツはたらいてたが出世しないままでおわり、ろくでないやつが
出世した

757 :月光仮面:2006/11/11(土) 15:49:54
>>753
秋田唐松神社天日宮玉鉾大神、息長帯比売、愛子大神の三位一体における愛子大神
はイエスと理解すると精霊、マリア、イエスでよくわかる気がする。

758 :日本@名無史さん:2006/11/11(土) 21:07:56
そのろくでないやつは、出世しやがって幸せに暮らした

759 :月光仮面:2006/11/13(月) 07:55:40
>>751
だが、しかし、八幡が満州八旗(瀋陽北稜公園にお堂がある)
のような概念かもしれない。と言うのは↓
「(ここが現在の八幡平の源太森である)ここに於いて
源太兄弟は、此の地は天下如何なる名園と雖も遠く
及ばない神秘境なりとし早速湖畔に降りて将兵一同を
清め、戦いの神なる應神八幡大神宮を勸請し、戦勝を
祈願すると共に、本隊に連絡し全軍を迎え八旗を立てて
八旗神社と稱へ、討伐軍遠征のために武運長久を祈願し
兵力少な味方の士気を鼓舞するのであった。時に桓武
天皇の御代、延暦23年(西暦804年)10月の中旬
あったと言う。」
http://www.p-moose.jp/dogyo/sub3.htm

760 :月光仮面:2006/11/13(月) 08:05:40
>>757
八幡を含む三位一体というのには高良大社、宇佐八幡などがあるが、そうすると
応神をイエス・キリストになぞらえているということか。あるいは、神功皇后を聖母
マリアになぞらえているということなのだろうか。いずれにせよ応神時代に大量の
渡来人が入ってきているので、その失業対策事業に高地性というか、朝鮮山城型
の神社を作ったと言うことか。

761 :日本@名無史さん:2006/11/13(月) 20:03:11
坂の上田村麻呂は征夷大将軍なので出世したようでもたいしたことなかった

762 :月光仮面:2006/11/15(水) 13:51:53
八紘一宇が大東亜共栄圏への拡大のスローガンであったように、大和盆地に
興った倭国が九州、三韓へと共栄圏を拡大すると言う過程において大王が八幡
の神であるとし、それが三韓諸国においても受け入れられるということなら、応神を
仲哀の皇太子であることよりも三韓・倭国を支配する神の子である点を強調し、
百済を初めとする三韓の民を筑紫、近畿に呼び込み巨大古墳、山城型神社
の建設を行ったと言うことが考えられるのだが。

763 :月光仮面:2006/11/15(水) 14:18:38
つまり、応神天皇は大量に百済から流入した渡来人に対しては異国の大王ではなく
高良玉垂れという百済の神の子である神でホムダワケといったというのであれば、
長野善光寺に祀られる本田善行と同一の百済のパンテオンにある本田という中心的
存在と名前を共有したと言うことになる。

764 :月光仮面:2006/11/15(水) 14:26:16
応神にまつわる特異な出生のエピソードの背景がわかる。明らかに仲哀の皇太子
であることを前面に出すと百済の渡来人にとっては共栄がしにくかったのではなか
ろうか。この頃既に百済には景教のイエスキリストの生誕に関する話がどことなく
伝わってきていたと言う可能性はあろう。

765 :月光仮面:2006/11/15(水) 14:40:53
神功、タケシウチ、百済軍閥vsカゴ坂、忍熊の戦いは新旧両体制の戦いで
悲劇的、美的であったと思う。神功皇后は近江の出身にしては随分大人物で
あったようだ。
神功皇后↓
http://www.77bank.co.jp/museum/okane/image/008-001.jpg


766 :日本@名無史さん:2006/11/15(水) 17:40:28
羽田氏はまじめにコツコツ出世しないままでおわり、ろくでもない法が出世した

767 :桃太郎:2006/11/16(木) 06:48:31
応神=イエスキリスト=宇佐八幡宮の池
=賀茂神社=松尾の神=葵祭り=禊のバプティスマ?

秦氏広隆寺の弥勒菩薩像がイエス像であるという逸話は結構有名

というはなしもある

768 :月光仮面:2006/11/16(木) 09:11:13
弥勒菩薩がイエスというのなら、後門の虎、高句麗を逃れようとする三韓の民に国土を
開いた神功は三韓にとっては聖母で、その文化を導入できた倭国にとっては神のごとき
功績と言うことでしょうか。

769 :日本@名無史さん:2006/11/16(木) 19:45:50
いつの時代も縁の下の働き者は、いくら働いても最後には差別されるほどの
仕打ちを受ける物で波田氏もがんばったがあかんかった

770 :桃太郎:2006/11/17(金) 04:41:59
イエスがどこまで浸透していたか? どうでしょうね

インドに布教したイエスの弟子トマスは、かの地で死んで教会がいまものこりますが、
彼の福音をもつ一軍がチベットまでいき、後漢時代のチベット遠征軍につれられる
形式で開封や長安、広州まで伝わり、すでに居住者がいたユダヤ教会に確認された
という話もあります。唐の時代のネストリアス派以前に、4世紀のチベット族の後秦
が制覇した時代にもユダヤキリスト教は教養として支配層に流入してていたいう話もあります。

日本の秦氏は、このチベット族系の後秦の移民説もありますからね。


771 :桃太郎:2006/11/17(金) 05:09:51
死んだ祖父の晩年の風貌や子供の成長を見てると、チベット、ウイグル、
満州、どれでもいい気がしてくる。でも、べた耳なんですよね。

今でもハダは、ひょろっとして、べた耳で、おいしい水を好み
マスカットを育てる、器用な歴史好きな一族という印象ですね。
人物でいうと吉備秦一帯からは、吉備真備、雪舟、栄西、法然、
北条早雲などがでてますね。最近だと、犬養毅、江田三郎、橋龍。
大正ロマンの夢二、いまのB,sの背の高いほうやオダギリジョーとか
もそうなんで、なんとなくクールな大陸流浪の民ってかんじかな

772 :月光仮面:2006/11/17(金) 09:10:02
考古学的には庄内式土器、前方後円墳、特殊器台、記紀においては孝霊系統、
モモソヒメ、倭人伝では投馬国が邪馬台国に接することとその世帯数が邪馬台国
に次ぐことなどから、吉備の古代史における重要性がわかりますが、その吉備に
おいて秦氏が大きな位置を占めるということ、鬼が城(アルタイ・チベット・高句麗・
百済)、楯築墳丘墓(ヒゲクルガン)などから秦氏の背後にある非常に大きな歴史が
感じられるのですが、芸術面に限って見ても伎楽・能の持つ仮面によるアスペクト・
、モードの動的・静的キャプチャーは絵画、舞踊の上にも大きな影響があり、それは
ギリシャの仮面劇などを包含する文化であったことを物語るようです。アラタマ、
ニギタマの考え方は仮面劇との関係があるのでしょう。

773 :日本@名無史さん:2006/11/17(金) 10:08:41
波田ようくの耳もべたみみかも

774 :月光仮面:2006/11/17(金) 11:36:14
秦氏の世界史的つながりについては↓
>>134-162
いまや、ケルトのモンサンミシェール、小河墓、ボスニアのピラミッド、高句麗、
オホーツク文化を経由して北米に達している可能性を検討しております。。

775 :桃太郎:2006/11/22(水) 06:08:33
>>772
仮面劇かあ、そういえば、子供のころに大晦日は深夜から神社の境内で
備中神楽という喜劇ていうか、漫談のような出雲神話を題材にした神楽を
みていたなあ。祖父の叔父が烏帽子をかぶって神楽を舞っている古い写真が
あったけど、仮面劇は民衆生活にはなじんでいたかも。

>>774
結局のところ、ルーツは大月氏、匈奴とかの遊牧系ということでいいのでしょうか
で、古い親戚はベーリング海峡もわたったと

776 :桃太郎:2006/11/22(水) 06:22:21
聖徳太子=イエス伝説は、日本書紀作成時代の秦氏らの華僑系国際教養から
遣唐使らが持ち帰ったネストリウス派が混入していても自然。再評価すべき。

ちなみに有名な秦氏=原始ユダタキリスト教徒=エルサレム教会派という説に
晩年きりかえた景教徒の世界的権威の佐伯博士の時代には「死海文書」の文献がなかった。
50年代に発掘され、ローマ教会が研究を独占して資料封鎖が国際問題化して、
94年ごろやっと公開された「死海文書」には重要で気になる記述がある。

777 :桃太郎:2006/11/22(水) 06:26:12
死海文書であきらかになったユダヤ教世界観3派閥の解釈は、ローマ教会も
足下から揺さぶられる話

死海文書(イエス時代の第一資料)発見、翌年イスラエル建国、死海文書研究
はローマ教皇庁が独占。 40年間封印、62年になぜかローマはキリスト殺害の罪を
ユダヤ教徒にしてきたことを歴史的謝罪。
92年にやっと全文公開、いまも「共同体ヤハド」の理念解釈は論争中。

最近公開されたクムラン遺跡資料の「共同体ヤハド」の理念、入会運営マニュアル
=イエスのエッセネ派の共同体ではないか?(清貧、運命論、輪廻転生、カバラ)
=12使徒運営の初期エルサレム教団と同じ(ユダヤ人布教から東方教会として東へ消える、
一部はインド、チベットに)


778 :桃太郎:2006/11/22(水) 06:38:29
死海文章からわかったこと。
イエスがいた当時、ユダヤの終末論は支配階層では信じられていなかった。
支配層は現実的な商人主義で、善悪闘争の二元論自体、否定していた。
終末論は中流主流派(パリサイ派)で、原点回帰運動をしていたエッセネ派
のイエスは過激な原理主義者(カバリスト)だったらしい。

ローマ教皇庁=イエスのエッセネ派を攻撃した大衆派のパリサイ派重鎮のパウロが
処刑3年後「イエスの復活を確信」してクムラン(エッセネ派道場村)にいき転向、
修行後キリスト教義基礎を確立し、主に異邦人に布教。西へ、300年後ローマ国教となる。

779 :桃太郎:2006/11/22(水) 06:47:58
史上最大のヒットとなった「ダビンチコード」でもイエスの末裔を守る
シオン修道会、テンプル騎士団、フリーメーソンらが善き人として描かれているが、
そのモチーフは、ローマ以前のイエスの思想形成場である「共同体ヤハド」の
エッセネ派的系譜であることは明らか。

アンチローマという意味で、ユダヤは今後エッセネ派的な精神世界重視のニューエイジを
演じていき、メーソンら金融結社もローマ以前の初期エルサレム教団系譜を研究している。
賀茂神社は彼らと交流があるし、ユダヤ陰謀論でなく意見交換もあるらしい。

780 :桃太郎:2006/11/22(水) 07:46:09
クムラン遺跡の「共同体ヤハド」イエス12使徒の末裔は、
最終的にシルクロードの弓月を通過して(2世紀にトルコ系住民が改宗して
アジア初の原始ユダヤキリスト教国に)
朝鮮小月をへて、宇佐にはいり、そこで随書東夷伝の「秦王国」を建設。

つまり
応神天皇の八幡(ヤハダ)はエッセネ派の「共同体ヤハド」じゃないのだろうか?
古来より八幡神は謎の神。

781 :日本@名無史さん:2006/11/22(水) 08:00:30
1 秦人是否出于东夷?
http://post.baidu.com/f?kz=145352727

4 回复:秦人是否出于东夷?
秦国统治者出自东夷,但平民不是


作者: BERIX 2006-11-5 16:46   回复此发言

--------------------------------------------------------------------------------

5 回复:秦人是否出于东夷?
4楼的说法更客观……


作者: 超样年华 2006-11-6 08:02   回复此发言

782 :桃太郎:2006/11/22(水) 08:28:57
韓国の秦氏はチンという
日本の秦氏はハダという。この違いは重要。
日本書紀や古書では、「葉田・ハダ」「波陀・ハダ」というから、我々は
ハダであり、後に中国式の秦(シリア中東方面の人たち、流浪)氏となった。

ユダヤはヘブライ語で「イエフダー」旧約聖書のアラム語でも同様。
これらの言語は、基本的に子音表記なので、どちらも「YHD」となる。
「八幡=(イ)ヤハダ」も「YHD」で同じ。
つまり、「八幡神=ユダヤ神」となり、宇佐、吉備、京都の多くの祭り
遺跡の謎(三柱神社、蚕ダビデ信仰、ユダヤ行事との関連性)の手がかりとなる。

783 :桃太郎:2006/11/22(水) 08:40:39
またひとつ、謎の解明に近づいたな w

しかし、佐伯博士の間違ったネストリウス派説ではなく、死海文書から
「八幡(ヤハダ)=エッセネ派の共同体ヤハド」説を提唱してるひとは
いるのだろうか?
いないなら、まじめに論文書くかな。

784 :日本@名無史さん:2006/11/22(水) 09:44:33
羽田氏は働き者だったので海賊の一種で海を渡る一族でありましたが

785 :月光仮面:2006/11/23(木) 09:27:20
ハタは多民族集団。秦、燕系、匈奴系、イラン系が多かった。これらは物部集団
のように多機能を有する一団であり、ちょうど、ダリウス、アレクサンダーのような
編成であったのだと思います。一例として河内物部がありますが、秋田物部なども
同様ではなかったかと思いますが。彼らはフヨというか、満州東部において集団を
結成して半島、列島に南下したものでしょうが、既にそれ以前にユーラシア中央部で
何らかのまとまりを持っていたとも考えられますね。

786 :月光仮面:2006/11/23(木) 11:38:46
中国語での投稿は翻訳するのが礼儀であろう。秦韓の秦人についての
ことであれば、秦、燕の中にも多くの戎、狄、羌、姜等の異民族がおり
これが東夷と一緒になったということはありえる。漢学の才能だけから
人種を割り出すのは難しい。特に、トカラ人などには語学の天才のよう
なのがいたようだ。秦人に成りすました可能性もあろう。

787 :月光仮面:2006/11/23(木) 11:43:31
渡来人研究会の労作を見れば景教が記紀編集時の日本に波及していたと言うことが
考えられる。

788 :1/2:2006/11/23(木) 14:32:58
古代AD701年の大宝律令の制定によって日本の律令制が加速し
中央集権国家として官僚制による地方政治の統治が確立した
そして朝廷で官僚として政治を司っていたのは半島からの渡来人で
超ばっくり分けると百済系と新羅系の二大勢力
その二派がその時々の天皇を味方に引き込み、他方を排斥するということを繰り返してきた
わかりやすいのが平氏・藤氏=百済、源氏・橘氏=新羅

AD794年の平安遷都にて時の桓武天皇に取り入った百済系氏族が
それまで官僚として表舞台で政治を取り仕切ってきた新羅系氏族の多くを排斥し
政治の表舞台から追放しただけでなく尊卑の位の卑の地位に一部の新羅系氏族を落とした
そのときの卑の位が現在の被差別部落に繋がっているというのが有力な説
新羅系氏族は当時の科学芸術神事医学分野において世界トップレベルであったので
そのまま建設土木治水製鉄演芸生物解体などが被差別部落民の主な生業となった
卑の位に落とされなかった例でわかりやすいのは神事仏事を司る役職
卑の位とせずにそのまま新羅系氏族に引き継がせた

新羅系氏族で超一大勢力を誇っていたのが秦氏一族で
日本の神社の9割以上の神官宮司は今でも秦氏による世襲である
八幡神社、稲荷神社、白山神社などすべて秦氏のものであり
現在の皇室に関わる神宮の神官宮司なども秦氏系
学習院などの皇族系教育機関や皇宮警察などの長も秦氏系氏族の世襲が現代まで続いている
ちなみに仏教を日本に伝来させたのも秦氏で古代は神仏分け隔てがなかった

789 :2/2:2006/11/23(木) 14:33:55
関西において被差別民の多くが寺社の管理下に置かれていたのはそういう背景があったから

関東では穢多頭の弾左衛門の支配下で各地域ごとに非人頭をおいて被差別民を管理していた
弾左衛門は秦氏族であり白山神社を信仰していたのもそのせい

関東では非人頭を長吏と呼ぶが、関西では寺社の首長僧を長吏と呼ぶ
天台宗や真言宗の総本山の延暦寺、三井寺(園城寺)、高野山金剛峰寺などの首長僧も長吏
長吏の大元は中国の漢代における官吏の呼称で、官位の高い者のことを長吏と呼んだ

ちなみに秦氏は中国の秦の始皇帝氏族の末裔で
朝鮮半島を経由して倭(日本)に移動してきたという節が有力で
その大元はペルシャ系ユダヤ民族であると言われている
現在の秦氏は国家という枠から離れ
一族による秘密結社的なネットワークを形成しており
日本の政治経済と被差別部落という尊卑の世界を裏で支配しており
その利権を手中に収めることにより日本社会をコントロールしているという節が有る
世界経済を裏で操るロスチャイルド家の日本版ということ

間違っている点があったら指摘修正よろしくエロい人

790 :日本@名無史さん:2006/11/23(木) 19:52:56
たいへん良くできています、ところで京都の羽田氏も差別されてますか

791 :日本@名無史さん:2006/11/23(木) 21:06:26
前述したように官公庁、政界、財界にも秦氏族の巨大なネットワークがある
政治家の羽田氏はわかりやすい秦氏族政治家

現在の被差別民系秦氏族はその独占的な利権を秦氏族の財源とする目的と
マネーロンダリング的機能を果たすべく
意図的にその立場に残っているのだと思われる
被差別部落民系の事業というのは独占的な世界であるから貴重である

秦氏族にとって表の顔(わかりやすいのは旧住友財閥系企業や新日鉄など)
での資金と合わせて巨大な資金源となっているはず

792 :桃太郎:2006/11/24(金) 12:42:15
>>現在の被差別民系秦氏族

少なくとも吉備にはそういうのはない。
古代からの豪族だし、戦国大名一族。
よくそういう白山系の差別的スレをみるが、被差別民系秦氏族というのは、きいたことがない。
伊賀系の忍者のことをいってるのかな、根拠あるのかい?
網信者か? あまり妄想するな、迷惑だ

秦氏では四国の長宗我部、薩摩の島津など、秦氏系豪族大名のほうが一般的だと思う
羽田元首相、ハシリュウも当然だが被差別部落民系とは無関係


793 :日本@名無史さん:2006/11/24(金) 12:53:30
かってにコピペしてほかのスレに張るな

被差別民???
>>789-790
そんな説を誰がいってるんだ?

秦といえば、京都の蚕ノ社の再建をした三井や幕末に土佐勤皇の
秦河勝系譜の長宗我部遺臣の蜂起集団、竜馬や岩崎の三菱だろ、普通。
妄想をかきちらかすな

794 :日本@名無史さん:2006/11/24(金) 13:16:47
>>785
秦氏と出雲の関係はどうでしょうか?
物部がらみだと、古い秦=物部、いまきの秦氏=新羅系ですか

795 :月光仮面:2006/11/24(金) 16:47:26
ハンガリーに入るキプチャク系ノマド、クマン族のこともあり、熊野には戎のイメージが
強い。一方ハタ系はイラン・シュメールなどの南方ユーラシアの要素が強いが、どうも
鮮卑系というか、高麗系というかを取り込んでいるような感じがするのが豊前香春、
松尾大社、楯築墳丘墓などのメンヒル。下部に匈奴系文化を持っているようです。
出雲・熊野はどちらかと言えばアルタイ系統、これに対してハタは南西アジア及び
時代的にスキタイの影響が強い感じがします。

796 :月光仮面:2006/11/24(金) 16:52:17
ハタの神マダラはユーラシアに広がっているらしくブルガリアでも研究されて
いるのですが、ミトラ神と関係があり、マダの部分は拝火教アフラ・マツダのマツダ
との関係があるのではという見方もあります。

797 :月光仮面:2006/11/24(金) 17:00:38
どうもハタが発生するのは対馬かなと思います。
「辛嶋氏の<ヤハタの神>祭祀=原始八幡信仰は、原神道,仏教,道教,
古代ユダヤ教が習合されたものと口伝されている。辛嶋氏の<ヤハタの神>
祭祀=原始八幡信仰は、原神道,仏教,道教,古代ユダヤ教が習合されたものと
口伝されている。」これなんか桃太郎さんの論拠なんでしょうが↓
http://homepage3.nifty.com/yahoyorodu/hatiman.htm
どうも旗という感じが強い。


798 :日本@名無史さん:2006/11/24(金) 20:24:14
橋のない川は、岡山の川ですか

799 :日本@名無史さん:2006/11/24(金) 20:52:29
橋のない川って、橋が架けられないくらい大きな川じゃないの。

800 :日本@名無史さん:2006/11/25(土) 21:30:11
川に橋がかけられないある有名な理由があるのを知らぬは亭主ばかりなり

801 :日本@名無史さん:2006/11/25(土) 21:49:12
秦氏=乞食

802 :日本@名無史さん:2006/11/25(土) 22:22:59
すげえ!!秦氏ってすげーよ!!秦氏シンジケートの一員になりてえ!!!

803 :日本@名無史さん:2006/11/26(日) 00:58:21
・・・・「ヤハハエロ、ヤッハハエロ」・・・・
正月とんどの火祭りの時「ヤハハエロ」と掛け声を掛けるんですが
どうもヘブライ語と関係あるみたいです、どう言う意味か解りませんか?

804 :日本@名無史さん:2006/11/26(日) 01:19:13
>>803
ヤーウェ=キリスト

805 :日本@名無史さん:2006/11/26(日) 05:00:51
ヤハウエはイエスじゃないだろ。
イエスは、ヘブライ語ではヨシュア・メシアと呼ばれていたらしい。

806 :日本@名無史さん:2006/11/26(日) 07:11:52
>>797
元ねた「大和岩雄 1993 秦氏の研究 大和書房」
は参考にしますよ。国内でもっとも分厚く高額な研究書ですから。
でもそれぞれの課題研究は、研究者各氏の自説紹介レベルで断片的かな。
ハダ・ハタ、の語源や随書の秦王国研究についても、吉備=葉田=応神・仁徳天皇の
外戚などのことは無視。ていうか知らないのでしょうね。加羅新羅系の7世紀以降の
渡来秦氏の祭司宗教関連の伝承研究の集約はよくされています。
(ただし、よくコピペされる江戸期の被差別頭弾左衛門のネタとかも誤解が多い)
でも、吉備の秦は、大和朝廷どころか、神武が頼るもっと以前から、紀元前後時代の
王蒙の貸せんを使用している頃から、たぶん華僑系コロニーの住民として居住してる
わけだから、あくまで参考にしかならない。

807 :桃太郎:2006/11/26(日) 07:26:28
佐伯博士説=景教だから否定、というのも芸がない。彼は晩年に原始ユダヤキリスト教団
=エルサレム教団の伝播説にきりかえているし、彼らが第一次ユダヤーローマ戦争で
神殿を放棄して移動し始めた時代、すでに中国の主要な都市にはユダヤ人もいた。

日本の埴輪も怪しいが、むこうでは1世紀にはユダヤ人の俑(焼き物)がでる。
始皇帝兵馬俑の等身大の数千名の俑には各自モデルがいたらしいが、半分近くがシルクロード人だ。
トカラ(ギリシア系バルチア)、ウイグル、トルコペルシャ系などの諸民族系中国人は
普通に中国の官吏にたくさん出てくるし、元来、漢人が多数派であった政権は少ない。
日本書紀にも唐突に、インドや西域の皇女のはなしとかがある。

ハタ=旗はあるでしょうね。

808 :日本@名無史さん:2006/11/26(日) 13:17:38
   みなさん、有難う御座いました。
ヤハハエロは古代イスラエルの北王国エルサレム(神エロヒイム)
と南王国ユダ(神ヤハウェ、ヤー)の神の名で有る事がわかりました。

809 :日本@名無史さん:2006/11/26(日) 13:33:46
>>805
ヨシュア=イシュア=イエス

810 :日本@名無史さん:2006/11/26(日) 14:32:11
そう言えば四国西部地方では肉体的、精神的に疲れたとき
「ヤーエラ」って愚痴こぼすな。関係ありそうだな。

811 :日本@名無史さん:2006/11/26(日) 18:59:58
お蚕様は働きすぎてきらわれてしまったので、だらだらしてる法が好かれる

812 :日本@名無史さん:2006/11/26(日) 19:32:41
彼はユダヤ人だった。しかも、世界でもっとも有名なユダヤ人。その名も、エドモンド・
ロスチャイルドという。いうまでもなく、世界最大の大富豪である。当然ながら、ロスチ
ャイルドはユダヤ教徒である。彼は日本の神輿に、失われたユダヤの祭りを見たのである。
ロスチャイルドの来日をセッティングした人の話によれば、ロスチャイルドは何よりも神
輿に大変興味をもったという。神輿は、あまりにも契約の聖櫃アークに似ていたのである。
契約の聖櫃アークとは、ユダヤ教にとって大切な3つの神器、モーセの十戒石板、アロン
の杖、マナの壺を納めた箱で、下部には担ぐための棒がついていた。外も内も金で覆われ
ており、上部には黄金製の翼を広げた天使ケルビムが2体、向かい合って据えられている。
ユダヤ人は戦いに勝利したとき、契約の聖櫃アークを担ぎ、鐘を鳴らし笛を吹きながら
「ワッショイ、ワッショイ」と行進して歩いたという。かの大王、ダビデは裸踊りまでし
たことが『旧約聖書』に記されている。「ワッショイ」は古代ユダヤ語で「お前の敵をやっ
つけろ」である。考えてみればあの号令は勇ましい。「我と一緒」よりもむしろ相手を威嚇
している。まして『韓国語』ではない。

813 :日本@名無史さん:2006/11/27(月) 22:26:09
秦氏はロスチャイルドより凄いかも!

814 :日本@名無史さん:2006/11/27(月) 23:01:49
ていうか、ロスチャイルドはせいぜい18世紀に、東欧の宮廷にサラ金して
成り上がった国際金融詐欺師だろ。ユダヤの中でも新興だし、雨のユダヤを
しきるというロックフェラにいたっては、20世紀以降の成り上がり。
日本で言えば、江戸期に秦氏神社を持ち上げて復興した三井程度の商人。
層化や統一のように連中をことさら過大評価する必要はない。
歴史や伝統、血統でいえば、中国の名門のなかには、始皇帝をなりあがりとし
アンチ秦の過激派に資金をだしていたらしいという(司馬遷)徐福一門や
孔子の係留とかも現存し、いまも一定人口を誇る。ユダヤなんかよりよほど中国
のほうが怖いよ。連中は本当に1000年単位で仕事をする。

815 :桃太郎:2006/11/27(月) 23:32:41
聖徳太子=秦河勝コンビがえらかったのは、漫画でもおなじみだが、
蘇我馬子らの高句麗、百済外交や有力豪族の連合による大和朝廷運営を
やめて、天皇による中央集権化=覇権大国隋との対等外交=日本国独立を宣言
したこと。領民を天皇直属として律と税を課して、奴婢扱いだった豪族からの
人民独立、保護基準を想定し、屯田兵や殖産奨励、計画経済的な実験をしたこと。

天皇一族=秦氏の相互補完が、奇跡的な17条元祖平和憲法や12階位制度を生み出し
近世的重商主義的センスともいえる競争原理導入を果たした。ユダヤ的教養の土壌は無視
できないだろう。

816 :桃太郎:2006/11/28(火) 00:02:28
その後も中華圏の影響は大きいが、秦氏は権力闘争を避けて職人的な着地
できる仕事をしている。
吉備の秦に限定しても、吉備真備、雪舟、栄西など、中国本国でその後
異民族文化流入で滅ぶ文化技法を吸収し、日本文化として世界史的に
残し発展させてきたといえる。河勝子孫の世阿弥以降の能や伝統芸能の
日本人精神の基盤は、いまの宮内庁雅楽の東儀などに代表される秦氏が
長い歴史の中で培ってきたといってよいだろう。
秦氏を古代最大の渡来人としてみるのではなく、明治期のように大陸に故地を
もつ日本人の原型プロトタイプのひとつとして研究評価すべき時期がきている。
むしろ秦氏以降に、天皇制度文化を創設維持してきた日本人が登場するとみたほうが
日本文化は理解しやすい。


817 :日本@名無史さん:2006/11/28(火) 00:13:49
聖徳太子=秦河勝説がある

818 :日本@名無史さん:2006/11/28(火) 00:26:06
詳しく知りたい

819 :日本@名無史さん:2006/11/28(火) 19:37:11
たったひとりだけ郵政民営化に妥協しない政治家が岡山の○○でこれも古代の
羽田王国の伝統がいきてるのかな

820 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 00:56:03
>>782 あたりを読んでふと思い出した
先日、九州国立博物館で海の神々展を観て来たのですが
島根の赤穴八幡宮の三神像が来ていて
真ん中の応神天皇の烏帽子(?)の正面に十字架のような
傷?が入っていました。でも、傷にしてはきれいに彫ってあるようにも
観えたのですが、何か関係ありますかね?


821 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 02:56:57
初代神武から15代応神天皇まで同一人物で
15代応神が実在を確認できる最初の天皇だということは日本考古学界の定説になりつつある
では初代から15代までは日本書紀の捏造なのかと思ってしまうがそうではなく
これは2600年前に大陸のどこかで初代天皇が誕生したことを暗示しているのだと思う
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%9C%E7%A5%9E%E5%A4%A9%E7%9A%87

822 :月光仮面:2006/11/29(水) 08:40:35
豊前の綾幡ですが、アヤ+ハタという2つの渡来系の名称ともとれる。アヤは
さらに河内漢、東漢、イマキ漢という風に分類すると河内、大和の国づくりに
寄与したということ。又、ハタは山城・葛野の国づくりに寄与したのだろう。
秦とか漢とか言うのは全くのはったりでもなく、秦、漢の特定の時代の後に
燕・遼方面を経由して半島、列島に入ったというルートを言っている可能性もある。
彼らの本当の故郷は更に中国の西方、北方であったのではないか。だが、
銅鐸をもたらしたのは殷の時代の河南方面にいたものが、殷崩壊と共に箕子朝鮮
のように、渤海湾沿岸沿いに半島、列島に入ったのだろう。

823 :月光仮面:2006/11/29(水) 08:58:13
西南・東北日本、出雲、熊野などにはアルタイ・高句麗と共通のフン系と見られる
箱式石棺、四隅突出、四角台形祭祀遺跡があるが、これらは北方系とすると、アヤ・
ハタは西域系というか南西アジアとの影響も感じられる。ただ問題なのはタクラマカン
のミイラなどはユダヤがエジプトの影響を受けている頃の時代のものであり、どちらか
と言えばシュメールの影響を受けた可能性はある。つまり、ユダヤ同様に古代メソポタ
ミアの影響を受けている可能性がある。

824 :月光仮面:2006/11/29(水) 09:17:19
エジプトとか、レバント地方は北方のヒクソス等の襲撃を受けることがあり、ユダヤに
伝わる文化といってもそれが本来の遊牧民文化から出たものかどうかは断言できる
ものではない。

825 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 11:20:33
12/6(水)PM9:00〜10:48テレビ東京12CHにて
「新説!?みのもんたの日本ミステリー!失われた真実に迫る
日本のルーツは古代イスラエルにあった!?」
が放送されます。ついに日ユ同祖論がTVデビューですよぉ!

しかもゴールデンタイムに!
なんと司会はあの人気者みのもんたさんだよ〜ん!絶対必見録画必至!
どこまで日ユ同祖論につっこむのか、こうご期待!

826 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 19:53:13
みのもんた?

827 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 10:23:49
八田氏ははたらきすぎて嫌われたが、羽田氏はスジをとおして嫌われてしまい
出世しないままで終わるのか

828 :月光仮面:2006/11/30(木) 11:03:12
名古屋の朝日遺跡で発見される日本最古の銅鐸の鋳型を考えると秦氏は渡来人であろ
うが、現在も日韓両国に共通の遺伝子を持ち、中部日本に濃密である系統とは違い、
その遺伝子はもはや朝鮮半島には残っていないのではなかろうか。秦氏よりも古い
と考えられるのは天日矛だが、具体的な事物としては秋田県横手盆地の梵天様が
よく似ている。秋田唐松神社は韓服宮とも呼ばれるらしいが、ここに出てくる韓服とは
アラハタ乃至はアヤハタではないかと思う。また、男鹿半島に伝わる伝承でも漢の
武帝の頃にとらいがあったようであり、秦氏、天日矛の渡来、については応神
時代よりはるかに古い可能性があり、この点で吉備の秦氏関連地域で王莽の貨泉
が出るという話は大いに興味があります。神社伝承としては男鹿半島のものが北上川
北部から南下して塩釜神社、更に南下して鹿島、西に進んで奈良の春日大社と
考えるとうまく行くんだがなー。


829 :月光仮面:2006/11/30(木) 12:58:34
天日矛は波旦等あった新羅から出ている。一方、秦氏は任那の金海方面、アヤは同じく
任那の安羅方面。新羅はシ歳貊を通して高句麗、北匈奴、アルタイ(後の唐怒烏梁海)
方面からの流民を日本海と東シナ海沿岸、島嶼部に送り出したということで、時代的、
遺伝子内容において異なるのだあろうが、後に渡来人ということで秦氏に統合された
と見るべきであろう。

830 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 14:04:40
>現在も日韓両国に共通の遺伝子を持ち、中部日本に濃密である系統とは違い


あれは縄文人の遺伝子だよ。

15000年前の地続き時代のな。

それに銅鐸時代は弥生中期で、秦氏は4C。

何の関係もない。

831 :月光仮面:2006/11/30(木) 14:36:41
もしそうであったも、それらの原郷は銅鐸から判断するに長江下流域であり、
朝鮮半島ではなかったのだろう。

832 :月光仮面:2006/11/30(木) 14:40:57
秦氏は中部地方経由で信州・静岡・西関東方面に入ったかもしれないが、中部地方には
それ以前(縄文時代か)に先着した連中がいたと言うことではなかろうか。


833 :月光仮面:2006/11/30(木) 14:44:36
秦氏の渡来は河内王朝時代に多かったが、それ以前から三韓地方には達しており、
前漢時代から渡来はあったと考えたい。

834 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 14:48:06
銅鈴は3900年前の龍山文化末の華北の山東からだろ。

それが遼寧経由で朝鮮半島に入って弥生中期に日本に伝わっただけ。

http://www.rekihaku.ac.jp/koohoo/journal/no121/rekishi.html

835 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 14:57:15
縄文時代に来たら縄文時代から須恵器(灰陶)や原始漢字を刻んだ
土器やら木簡やらが出まくるだろが。

前漢時代に来たら前漢時代から須恵器(灰陶)や原始漢字を刻んだ
土器やら木簡やらが出まくるだろが。

836 :月光仮面:2006/11/30(木) 15:00:23
この白石さんのデータには内モンゴル綏遠出土のものがない。寺沢さんも
綏遠方面に環濠集落があったといっていた。ウェブで見たんだが記録をとら
なかったんだがね。

837 :月光仮面:2006/11/30(木) 15:02:12
>>835
漢字のわからないアルタイ系民族が多かったんじゃないの?

838 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 15:26:10
だったら、何で琵琶型銅剣が日本に伝わってないの?

839 :月光仮面:2006/11/30(木) 16:17:12
九州のユーザーさんが実用性のある細型にせい、とでもいったんかな。あれは宗教
用具だから宗教が伝わらないとどうしようもない。行事軍配等で形は伝わってるような
気がするが。小河墓遺跡の墓標では女性のシンボルを表す形とされ、男性被葬者の
墓に使用されていた。

840 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 16:35:25
渡来人はね、アムールあたりの海洋民だったオホーツク文化人だよ。

もう一度、弥生文化と渡来人骨が出土し始める時代を
洗い直してみな。

がいやまんくん。

841 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 16:39:23
それと、新スレ立てておいたのでよろしく。


高床式建物はシベリアやアムールにもあるけど何か?
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1164871625/



842 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 22:29:57
>>月光仮面
三種の神器「まが玉」がユダヤの神「ヨッド(,コンマの形)」説どう思います
なるほど形は似てる、勾玉の形から「や」の平仮名が作られ「ヤー」ヤハウェ
「ヨッド」は「ヤー」の別名らしいけど。


843 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 05:04:39
高床式は8000年前から大陸にあるよ

844 :月光仮面:2006/12/01(金) 07:46:07
>>842
そうですか。東京での出土だと縄文時代でも相当古いようです。日本人と中近東人は
Y染色体YAP型があり、先方はE型、日本・チベットはDと言います。時代的に細石刃とか
縄文式土器が出現する頃になにかあったのか、例えば黒曜石を求めて移動するとか。


845 :月光仮面:2006/12/01(金) 10:48:26
聖書中心に考えて見ると、大伴旅人というのは遊牧の最後に原点であるシオンの要塞
に復帰する、ナトゥフィアン後のレバントの風習、これは今でもモンゴル、ヤクーチアでは
残るようですが、これがヒクソス等により北方ユーラシアからレバントに逆流し、ダビデ
と言う名称となった。つまり原スキタイの大地母トビチが転じてダビデとなったということも
ありましょうか。投馬国というのが大伴の原郷であり、それが吉備であったということは
いかがでしょうか。逆に赤城・日光の蜈蚣・蛇神話はエジプトのセパ神に類を見るもので
エジプトを発してラピスラズリをアフガニスタン、銅をアルタイに求める神官が殷商の
中国を経て日光にまでやってきたと言うこともあるかな。

846 :月光仮面:2006/12/01(金) 11:02:58
話は変わるが米国遺伝子学会では北米原住民遺伝子がベーリング海を越えてアジア
に逆流した疑いがあると見ているようで、これはオホーツク文化の消長をうまく説明す
るのですが、この分野でも日米間のより密接な協力を期待したい。アラスカ航空も
ロシアではなく網走とか、ほれ、夕張とかの活性化を考えた方がおよろしいのでは。


847 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 11:21:29
>>844
そうなんですよユダヤ的な物を持ち込んだと言われる、秦氏と縄文遺跡
から出る勾玉とは時代的にどうしても合わない、しかし勾玉とヨッド
なんか引っかかるんだな。


848 :月光仮面:2006/12/01(金) 11:28:52
秋田の秘湯でマタギの民宿が熊鍋をご馳走した後、お土産に熊の爪を呉れているん
ですが、これでペンダントとかネックレース加工をすれば勾玉に近くなりますね。
ひょっとしてアイヌなんかにもあるのかも。最近は北海道、本土共に熊が多いですね。

849 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 15:19:08
>まあ日本人には多かれ少なかれ朝鮮半島の血が流れているわけだが。

実はほとんど流れていない。
続日本紀によると、7C、百済滅亡で日本に来た百済人が3100人くらい。
高句麗滅亡で来た高句麗人が1800人くらい。
それらとは関係なく自主的に来た百済人や新羅人が数百人。
帰化人の最もピーク時だった7Cでも全部合せて5000人くらい。

それ以前の帰化人が始まる4C、続く5〜6Cに来た半島帰化人が合せて
2〜3000人くらい。

半島帰化人の総数は7〜8000人くらい。

古墳時代の日本人口が400万人くらいの時だから、
朝鮮半島の血など、日本人の血の僅か 0.2% ほどに過ぎない事が分かる。

850 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 16:01:03
吉備真備について、ふと思うのだが読みはキビノマキビ、漢字で書くと
吉備真吉備 真の吉備だと主張しているようにも思える
吉備真備の故郷は備中地方、吉備郡真備町になる 高梁川の西になる
造山古墳、作山古墳にしても旧備中地方にある 備前ー大和朝廷側と
備中ー吉備豪族ー温羅の戦闘地域は備前と備中の境あたりになる
備前は新羅から来た人が多く、備中は百済から来た人が多いとも言われる
いずれにしても、吉備真備は名前の中に真の吉備族は我々、備中族だと
さりげなく主張していたように思われる

851 :日本@名無史さん:2006/12/02(土) 10:06:10
能登半島は越の国や山陰地方及び北九州と並び、古代大陸や朝鮮半島の先進文化を直接に吸収し、大陸や半島と同質の文化圏を形成していた地域である。
従って、当地方は渡来系といわれる人々が多く住み着いていた。
中でも新羅・加羅系の文化が栄え、渡来人の中では新羅系の秦氏が多かったようである。
神社については、能登半島の神社の八割が渡来系の神であるといわれている。
新羅神社に関係が深いといわれるのは田鶴浜町の白比古神社で、古くは新羅神社といわれていた。
中島町の久麻加夫都阿良加志比古神社も、新羅の天日槍と同一人物といわれている都怒我阿良斯等神を祭神としている新羅(加羅)系の神社である。

能登を含めた越前・越中の地方は古代、越(高志)の国といわれ、対馬海流を北西の季節風に乗り対岸の朝鮮半島から多くの渡来があった。
なお、当地方も越の国と同様に、弥生時代には水稲耕作と玉造りの兼業が行なわれていたようである。

能登半島の神社で有名なのは気多神社(羽咋市)、白比古神社(田鶴浜町)、久麻加夫都阿良加志比古神社(中島町)、更に渡来人の子孫といわれる秦澄の創建した白山比刀iしろやまひめ)神社である。
白比古神社と久麻加夫都神社の由緒は夫々新羅系と高句麗系といわれているが、現在に残る祭りの形態等から考えると、二社は共に新羅系の渡来人が祭った神社であると思う。

852 :日本@名無史さん:2006/12/02(土) 10:07:23
若狭地方は北九州・山陰・北陸などの地域と同様に日本海沿岸の古代日本の先進的地域であった。
若狭(ワカサ)の語源は、朝鮮語のワカソ(往き来)であるともいわれている。
弥生時代の水稲は朝鮮半島から直接に伝来したものであろう。
若狭地方は敦賀市から小浜市に渡る若狭湾に面した地方である。
湾内には敦賀半島、中外海半島、大島半島をはじめ数多くの入江や島が存在し、西隣は丹後国である。

当地方も新羅・加耶系氏族に係る伝承や伝説が多く、神社の祭祀氏族としては、秦(はた)氏(朝鮮語のパタは海の意で、渡来海人であろう)が圧倒的に多い。
秦氏については古代中国の秦氏の移民説や加羅氏族説など、異説が多い。
当地の神社で新羅神社と標記される神社は現存しないが、標記の方法を変えて新羅(しらぎ)信仰を今に伝えている神社がいくつか残っている。
敦賀市の「白城(しらぎ)神社」(所在地・白木)、「信露貴彦(しろきひこ)神社」(沓見(くつみ))、小浜市の「白石(しらいし)神社」(下根来(しもねごり))などである。
これらに加え「気比(けひ)神社」「角鹿神社」「須可麻(すがま)神社」なども新羅・加羅系の氏族が祖神を祭ったといわれている。
当地方は応神天皇や継体天皇とのつながりが強い地方であり、いわゆる古代三王朝の内、二王朝、即ち応神王朝(応神―武烈)・継体王朝(継体―現在)が、越前・若狭地方と関係している。
両王朝共に新羅・加羅等と係わりが深かったであろう。

継体天皇は近江で生まれたが、越前で育っており、越前・若狭・近江などを含んだ地域は一つの文化圏といえる。
この時代、敦賀と大和の間を結ぶ重要な交通路である琵琶湖西岸には三尾氏、東岸には息長氏が勢力をもっていた。

853 :日本@名無史さん:2006/12/02(土) 10:08:57
京都府には北部から南部まで新羅の神々が祭られている。
北部では丹後地方、南部は山城地方の宇治市である。
南部の京都盆地には「新羅牛頭(ごず)山に座す素盞鳴尊」を祀る八坂神社や新羅系渡来人秦氏とつながりの深い賀茂神社がある。
丹後地方は古来、大陸や半島との往来が頻繁にあり、弥生時代には王国があったといわれている。
特に弥栄(やさか)町の新羅明神(溝谷神社)は渡来の人々(特に新羅系、或いは秦氏系の氏族)が祭ったといわれる。
丹後地方は但馬の出石郡に隣接しているが、出石郡は地理的には丹後の一部であり、新羅の渡来人、天日槍(あめのひぼこ)と縁の深い土地である。
また、京都府の太秦や園部町から続く丹波地方も新羅系渡来人の痕跡が非常に濃い。

854 :日本@名無史さん:2006/12/02(土) 10:10:21
新潟県は弥生時代の古代から新羅(加羅)系氏族が勢力を持っていた。
越の国といわれ、中でも新潟県は越後と称された。

新羅明神を祭る神社は頸城(くびき)郡妙高村関山の関山神社である。
妙高村関山は、正式には新潟県頸城郡(久比岐)妙高村関山といい、長野県との県境に近い。
妙高山の麓にあり、妙高山やそれに連なる山岳地帯を流れる関川に沿った街である。

元々当地方を開拓したのは日本海を渡って移り住んだ朝鮮半島や中国大陸の人々であり、
新羅(加羅)系の人々が本格的開拓を行ない、従前の信仰の対象である妙高山や関川と共に祖神を祭ったのであろう。
従って、当地方の開拓神は恐らく素盞鳴尊であった。
つまり出雲族と同族である。

855 :日本@名無史さん:2006/12/02(土) 12:39:49
古代には国境は無かったわけだから、倭人といえば日本にいたり、朝鮮に
いたりチョロチョロしていた人種の総称だろう 当然、船で移動するので
海人族ということにはなるが、、、、今の時代でいえばちょっと国内旅行に
行くという程度の感覚だろう

856 :月光仮面:2006/12/02(土) 13:46:13
朝鮮民族については日本に入ったのと同様の優秀なものと、固有のものとがいたが
非常に喧嘩っ早く、漢ににらまれて植民地化、漢四郡で植民地化され、動きが取れ
なくなった。日本に向かって流れ込む新羅を初めとする三韓は実は朝鮮族のこの隙
を突いて日本海沿い、渤海湾沿いに新羅に集結してきたユーラシアのさまざまな民族
であったようだ。朝鮮式山城はアルタイ起源のものでこれがチベット・殷商・朝鮮・日本に
入ってきたもので、それはちょうど高地性集落の時代のことであろう。日本海沿いのもの
は北匈奴、高句麗系統、渤海湾経由のものは燕・遼寧経由の西域人であったが、日本
国内、特に吉備で大きな衝突があったのだと考えられる。従い、朝鮮と日本は似ている
ようで似ていないところがある。

857 :月光仮面:2006/12/02(土) 13:52:04
ただ日本に入ったのと同じと言うのは出自が河南、つまり、殷商の東方沿海方面で
これが民族移動を起こしたもので、血族的には中国人と同じだが、朝鮮人ではない。
これが銅鐸を近畿・中部に持ち込んだのであろう。彼らの渡来はアルタイ・西域系より
かなり早かったものと思われる。

858 :日本@名無史さん:2006/12/02(土) 17:27:22
朝鮮式山城は白村江の大敗の後に作られたというのが定説のようだが
もっと古いものではないか?例えば邪馬台国以前の倭国大乱の時代とか
各地にある山城で作られた年代は変わるだろうが、ああいう山城はかなり
長年に渡って作られたものだろう 2年や3年で出来るものとは思えない

859 :日本@名無史さん:2006/12/02(土) 18:15:26
>>857
まーだ渡来人が来て定着しなければ文化が伝わらないと思っている
馬鹿の見本例だな。

無論、渡来人が来て定着すれば確実に文化は伝わるが、遣唐使よろしく、
こちらから訪問しても文化は伝わるし、渡来人が一時滞在して帰って
しまっても文化は伝わる。それくらい、いい加減に覚えなさい。

朝鮮半島南部とは縄文時代から交流していたし、倭人は半島から青銅器を
輸入していたのだから、単に倭人の方が向こうに出張して朝鮮の銅鈴を
持ち帰ってきて伝わっただけの話。

860 :日本@名無史さん:2006/12/02(土) 18:16:51
それに、何年も研究しているんなら、中国人がやって来たなら何で灰陶や
原始漢字や無いのか考える知能くらいもそろそろ持ちなさいよ。

そこが分かれば、朝鮮半島の灰陶と漢字の登場がBC1Cだから、それまで中国系は
朝鮮半島にいないんだという事も見えてくる。

それが分からないからいつまでも妄想オナニーばっかりで君はさーっぱり
進化が無いんだよ。

861 :日本@名無史さん:2006/12/02(土) 20:07:46
白木人が嫌われてるのに、調べれば新羅系だらけではないのか

862 :日本@名無史さん:2006/12/02(土) 21:31:26
>>860
原始漢字どころか神代文字、ヘブライ文字あちこちで発見されてるわ
このすっとこどっこいが

863 :日本@名無史さん:2006/12/02(土) 23:05:15
白木屋や魚民などのチェーンを展開する(株)モンテローザは秦氏の経営ですな
社名に使っているモンテローザは薔薇の山という意味で
ヨーロッパアルプスでモンブランに次く2番目の高峰である

864 :日本@名無史さん:2006/12/03(日) 01:16:21
羽田氏は出世しないままでおわり、すっとこどっこいの法が出世した

865 :日本@名無史さん:2006/12/03(日) 09:11:29
白木屋ははんまに白木人やったんか、冗談で和人とか白木の名前をつけてるのかと
おもってたよ、

866 :日本@名無史さん:2006/12/03(日) 13:52:04
ソニーの副社長の久太良木てのは百済人なのか?
百済から来たから、久太良木なのか?

867 :日本@名無史さん:2006/12/03(日) 14:42:36
久多良木 肥後国八代郡百済来(久多良木)邑発祥、出自不詳。現在、大分市など大分県に多い。

868 :日本@名無史さん:2006/12/03(日) 18:00:17
姓名は出自を語る
どうみてもクタラ、百済です
本当にありがとうございました

869 :日本@名無史さん:2006/12/03(日) 18:35:32
くだらない、というのは、百済から来ない、
くだらからこない、くだらない 百済からはいいものが来ていたから
という説もあるな 都から下らないからという説もあるようだが
百済から来ない説のほうが、信憑性があるように思えるな

870 :日本@名無史さん:2006/12/03(日) 19:32:17
久宝寺も百済の変形と言われてるがおおいにあり得る説だ

871 :日本@名無史さん:2006/12/03(日) 20:00:03
百済や新羅はまだいいよ、遠い昔に我が国に帰化したんだから。
もう血も薄まってて我々とそう変わんない。問題は近世、それどころか
明治以後、昭和以後に入ってきた連中が、居るということだ。

872 :日本@名無史さん:2006/12/03(日) 20:18:16
>まあ日本人には多かれ少なかれ朝鮮半島の血が流れているわけだが。

実はほとんど流れていない。
続日本紀によると、7C、百済滅亡で日本に来た百済人が3100人くらい。
高句麗滅亡で来た高句麗人が1800人くらい。
それらとは関係なく自主的に来た百済人や新羅人が数百人。
帰化人の最もピーク時だった7Cでも全部合せて5000人くらい。

それ以前の帰化人が始まる4C、続く5〜6Cに来た半島帰化人が合せて
2〜3000人くらい。

半島帰化人の総数は7〜8000人くらい。

古墳時代の日本人口が400万人くらいの時だから、
朝鮮半島の血など、日本人の血の僅か 0.2% ほどに過ぎない事が分かる。

873 :日本@名無史さん:2006/12/03(日) 22:03:22
大分県には、秦さんも久多良木さん多いよ。どっちも同級生にいた。
大分には日本神道、原点中の原点、宇佐があるし。耶馬渓もある

874 :日本@名無史さん:2006/12/03(日) 22:26:24
かつて東アジアには中国を中心にする冊封体制という「華夷秩序」が存在した
その中で日本と朝鮮は中国との関係において同格の位置にあった
それを覆したのが豊臣秀吉の朝鮮侵略である
むろんそれは失敗しただけではなく日本国内でも秀吉自らの没落を招く結果となった

そして豊臣家から権力を奪った徳川家康は以後甚大な被害を与えた朝鮮との関係を
修復するための外交をせねばならなかった
それは中国との貿易を再開するためであり日本が東アジアの政治・経済システムに
復帰するために不可欠であったのである
徳川側(日本側)の「反省」は曖昧なものであったが李朝側(朝鮮側)はそれを受け入れた
東アジアの秩序の再建と平和を優先するための配慮であった

その結果朝鮮側から「通信使」を送るという慣例が成立した
これは単に外交儀礼の問題ではなかった
十二度にわたり毎回五百人に及ぶ朝鮮の一流の学者・医者・芸術家などが来日したからである
日本側も同じレベルの人たちが関与した
したがって江戸日本の儒学・医学・文学・美術その他を考えるには朝鮮通信使の研究が不可欠である

だが徳川幕府が朝鮮に対してとった政策は明治時代には秀吉の朝鮮侵略を「朝鮮征伐」として
礼賛する声によって否認された
その結果が昭和の第二次世界大戦まで続いた日本の東アジア諸国への帝国主義的侵略であった
戦後の復興日本政府の政策はある意味で徳川の政策に似ているものとなったのは必然である

875 :日本@名無史さん:2006/12/04(月) 07:37:04
>>820
>>応神天皇の烏帽子(?)の正面に十字架

どうなんでしょうね、半島、日本の古代古墳からでてくる王冠の装飾には
十字のものが結構ありますが、エフタルとか中央アジアの模様はみんな同じように
みえるから

弓月国とされたアジア最初のシルクロード・キリスト都市からは、5世紀の
トルコ系住民の十字の墓石がでてくる。少なくとも2世紀には改宗した住民が
いたらしい。

876 :桃太郎:2006/12/04(月) 07:57:49
>>828
>>秦氏、天日矛の渡来、については応神時代よりはるかに古い可能性があり、
この点で吉備の秦氏関連地域で王莽の貨泉 が出るという話は大いに興味があります。
>>862原始漢字どころか神代文字、ヘブライ文字あちこちで発見されてるわ

吉備には秦氏、天日矛伝説関連の遺跡、神社が結構ありますね。みんな勝手に解説文に
「紀元180年ごろ朝鮮王子天日矛来日〜」とか書いてあり、小学校課外授業で学びます。w
文化センターには紀元前の遺跡体験サークルとかがあり、老人会が古代文字や抽象壁画を
見学していますが、なにか?

877 :桃太郎:2006/12/04(月) 08:37:06
熊襲討伐遠征の途上、三輪の仲哀王がなくなり、河内のホムタワケ(後の応神天皇)は急遽、
吉備王と葛城王に同盟の使いを出し、神功皇后は、大和三輪に戻る軍団を吉備で
応神天皇=吉備王同盟の保護下にいれる。将軍武内宿禰の仲介で、新王朝は平和裏に
現代に続く大和朝廷連合体制を創設し、三輪王朝の血縁の忍熊王は宇治で破れ、
近江で琵琶湖に身を沈める。
吉備王は、新王朝の始祖に兄媛を与え、代々有力な外戚として瀬戸内の軍事権を
大和に供与するかわりに、従来どおり加那諸国、金官加羅(後の任那日本府)の
安全保障を大和連合に保障させ、北九州勢力と新羅、百済をけん制しる。

878 :桃太郎:2006/12/04(月) 08:51:33
初代応神天皇は葛城襲津彦を遠征させ、百済から弓月王らテクノクラート系の
秦氏移民団をまねき、殖産や古墳の巨大化などの土木、漢字普及をさせる。
公共事業=古墳造営を通じて、吉備と秦氏が後のテラ創設につながる宗教祭司
の制度化=天皇制度国家へ豪族の土俗祭事吸収をはかる。

世界史的にも異常ともいえる巨大陵墓文化のノウハウは、中国地方の出雲=吉備
古墳形式と始皇帝陵墓にみる秦氏の先端技術が合体したもの。

879 :日本@名無史さん:2006/12/04(月) 09:10:12
矛盾だらけ

880 :日本@名無史さん:2006/12/04(月) 10:59:05
どこが?
根拠なくいってみただけだろ

881 :日本@名無史さん:2006/12/04(月) 11:28:38

ヤーレン、ソーラン…と始まる“ソーラン節”。
このヤーレンソーランとは何という意味かご存知だろうか?
そんな疑問に答えてくれたとんでもない人物が…!?

それは、現駐日イスラエル大使。彼はこの「ヤーレンソーラン」がヘブライ語だというのだ!
しかも、ヘブライ語は私たちが慣れ親しんできた“カタカナ”とそっくりだという。

私たち日本人と古代イスラエルに一体どんな関係があるというのか!?

このミステリーの解明に挑む!


■テレビ東京 : 新説!?みのもんたの日本ミステリー!〜失われた真実に迫る〜
2006年12月6日夜9時00分〜10時48分
http://www.tv-tokyo.co.jp/nihonmystery/


882 :日本@名無史さん:2006/12/04(月) 11:44:21
ここにも古代朝鮮語でどうの、こうの言うバカが居るね
古代朝鮮語辞典、見せてほしいね、推測本じゃなく原典本を。

883 :日本@名無史さん:2006/12/04(月) 19:12:48
羽太氏は働きすぎてきらわれ出世しないままでおわったが、ずるずるの怠け者のほうが大きく出世したのが
古代にあった

884 :月光仮面:2006/12/04(月) 22:08:16
みのもんたが何を言ってもおかしくない。それほどこのスレはスケールが広いのだ。
秦氏が中心的ではあるが。

885 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 01:54:02
>>881
明日か

886 :月光仮面:2006/12/05(火) 07:36:29
四大文明というのがシルクロードを主軸とする芋づるでつながっており、秦氏もこの
芋づると関係、ユダヤもこの芋づるにぶら下がるのかもしれない。欧州、エジプト、
メソポタミア、インダス、中国そして日本。この枠組みでの歴史観が必要になろう。

887 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 13:17:52
本にするとすれば、どういうタイトルがいいいだろう?
ムーまでいくとまずいが、分類でいくと、専門歴史ではなく、
まじめなかんじのする不思議世界分野かな、
書き手としては誰がいいだろう?
委員会形式でもいいか、ここの2ちゃんねるのまとの場合はどうなるんだろう
勝手にだしてもいいのかな
しかし、みのもんたか、朝から世直しで元気がいい人だな

888 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 15:53:20

ヤーレン、ソーラン…と始まる“ソーラン節”。
このヤーレンソーランとは何という意味かご存知だろうか?
そんな疑問に答えてくれたとんでもない人物が…!?

それは、現駐日イスラエル大使。彼はこの「ヤーレンソーラン」がヘブライ語だというのだ!
しかも、ヘブライ語は私たちが慣れ親しんできた“カタカナ”とそっくりだという。

私たち日本人と古代イスラエルに一体どんな関係があるというのか!?

このミステリーの解明に挑む!


■テレビ東京 : 新説!?みのもんたの日本ミステリー!〜失われた真実に迫る〜
2006年12月6日夜9時00分〜10時48分
http://www.tv-tokyo.co.jp/nihonmystery/

889 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 19:19:57
今夜だっけ、ゆだや

890 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 19:30:18
ブルーバード333は今夜9時からじゃないか?

891 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 19:35:25
>>877
河内王朝の成立には、吉備の協力は不可欠。遺跡からも否定できない特殊器機などの
埴輪のプロトタイプの根拠がでてるし、天皇祭祀に吉備勢力が深く関与したことは、
大筋で間違いないだろう。
応神も息子の仁徳天皇も嫁を吉備からもらうだけでなく、わざわざ滞在記述まであるので、
政治同盟を超えた深い関係があったかもしれない。

大陸ーー半島南部諸国(任那)ーー吉備ーー河内大和朝廷 へと本隊は南下前進とか?

892 :月光仮面:2006/12/06(水) 19:38:31
これからは本ではなくゲーム、ビデオの時代だ。考古学と言う仕事にも終わりはない。
考古的発見に対応できるゲームの基本ソフトのようなものを考え、各国、各自が自分の
史観でランできるものにすればよい。勿論そこまで一足飛びには行かないだろうから
とりあえずHDDに溜め込んでおき赤字にならない程度の単行本などを発行すればいい
のではなかろうか。世界の人々に最も効果的な歴史観光ルートは何かを書いて提供する
のも一案だし、途上国のため、たとえば、チベット、中央アジアなど、開発してあげるのも
一案ではないか。なんたってわが国周辺の歴史的常識は世界的にお恥ずかしいこと
このこの上ないもんねー。それよりもわが国のニートが食える仕組みを考えなくっちゃ
ねー。

893 :月光仮面:2006/12/06(水) 19:41:03
それと、テレビのサスペンス・・・お粗末だねー。歴史もののほうがど迫力があるよなー。
シナリオライターが不足しているのは事実だねー。

894 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 19:47:34
なんか悪いもんでも食ったのか?

895 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 20:11:17
テレビドラマは50才前の古代のお嬢さんとか老人の主役が多いのでつまらない
若い油ののった役者は放浪してるのか

896 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 21:05:05
みのもんたキタ━━(゚∀゚)━━!!!

897 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 21:10:42
19万人の渡来人が来たので、羽太氏はイスラエル人だった

898 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 21:16:37
テレ東の人もここに来てたのかーw

899 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 21:25:49
もう、番組の流れから言ってもう間違いなく秦氏はユダヤ人だな。
確信に変わった。

900 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 21:34:31
波多陽区が嫡系子孫!!

901 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 21:40:27
勿論デタラメです^^
十何万人が来たとか脳内セカイを垂れ流してるだけだよ。その範疇ならエスキモーも日本人になるの!
みのだけはヤメテね^^

902 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 21:48:49
ああ、ついにあの仮面がテレビで公開された!
昔は頭部に天使像がついていたといわれているお宝なのに。
同様のものは、正倉院のしらくめんが有名。東大がエックス線で分析
して中東のものとお墨付きを出している。

次は、海部氏のマナ壷かね w

903 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 21:50:21
ものみんたデス。コンバンハ。

904 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 21:51:56
あの類似語コーナーはやめてほしかった
かえって胡散臭くなるよ
ほかの類似資料だけで、2000件を超えるのだから
怪しいのはださないほうがいいのに。

905 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 21:56:58
君達は知らない。朝鮮半島にも同じような伝承が腐るほど有る事を!

906 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 22:06:49
ロンドンは韓国領だよ。

907 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 22:16:33
いや、ロンドンは韓国領ではない(笑)ただ朝鮮半島の似たような伝承は事実。

908 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 23:00:12
日ユどころか、秦氏禁句だった嫁が、特番になったとたん、
子供に先祖の話を解禁〜
テレビの力はやはり凄いね
元宮内庁の雅楽、川勝直系の東儀氏のテレビ登場で
市民権をえたような気もする w

909 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 23:01:31
そりゃ通過地点だから、同じじゃなきゃおかしいだろう

910 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 23:09:09
みのの番組。
この内容なら荒俣はだいたい知ってる話ばかりだろうに・・・・・・。
あそこまでしてテレビって出たいのかね??


911 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 23:26:07
通過点だから当然・・^^デタラメ発言で釣れた上に誰も指摘しない^^
そこの騒いでいる奥さん!チエ遅れ〜^^^^^

912 :桃太郎:2006/12/06(水) 23:51:12
いいよ〜、みのもんた〜
今夜の12チャンネルは意外によかったよ。特に秦河勝亡命の地、赤穂の
「大壁神社=ダビデ祖霊」は説得力があった。坂越面は、秦氏世阿弥でも有名だから
中世当時から中東渡来伝承は上流には知られていた。うつぼ船。
でも、いすらいの井戸の12石構造ははじめて知ったよ。12氏族というより、
エルサレム教団のイエス12使徒との関係じゃないかな。
すでに源氏物語に「昔はなにかのいわれがあったという広隆寺のいすらい井戸」
という逸話がでるほどに、秦氏と井戸は古来より深い関係。松尾の神。
日ユ同祖定番の葵祭りや祇園祭り伝説を紹介しなかったのは、時間が
なかったか、有名すぎるので省略したんだろうね。
秦氏ユダヤ文化伝承説の立場で、続編きぼんです。
スタッフは、おつかれさま。みのさん、朝からいつも見てますよ〜


913 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 00:23:56
河童は出世しないままでおわり、人魚の法が出世した

914 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 00:49:54

トム・クルーズは朝鮮系。
キャメロン・ディアスの在日説は有名な実話。

915 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 00:52:05
>>910
そう思った。荒俣は知らないふりをしている!と。

916 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 02:20:30
10時からはその時歴史は動いたをみたお。
埋蔵金は、みつかったの?

917 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 07:08:29
秦河勝が西洋人的な顔をしていたとは初耳だった

918 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 07:09:17
足を洗う風習は日本とユダヤにしかないんだよ

919 ::日本@名無史さん :2006/12/07(木) 08:52:37
天狗が額につけてる六角形のやつユダヤ人もつけてるな。
天狗はユダヤ人

920 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 09:11:27
葵祭りや祇園祭り伝説の生地は渡来系の生地だと分かってるので、弓月氏が中央アジアから来た
日本人がバイカル湖から来たのと一致するので、19万人はただしく今は増えて9000万人になった

921 :月光仮面:2006/12/07(木) 09:48:03
>>912 桃太郎さん、おはようございます。

>いすらいの井戸の12石構造ははじめて知ったよ。12氏族というより、
>エルサレム教団のイエス12使徒との関係じゃないかな。

イスラエル・レビ族が中央アジア出自とされることと、後世ハザラ族が出ていることも
ありますが、ジプシーのように奔放なバサラビア的風潮を求める中世のバサラ大名の
源流に薬師信仰があるのではないか -
〈薬師経〉を信奉する者を守る12の夜叉神将のことで,十二夜叉大将,十二神王など
とも呼ばれる。薬師如来の眷属(けんぞく)であり,薬師如来像の侍者として表現される。
12尊の名称は諸説あるが,玄奘訳《薬師瑠璃光如来本願功徳経》には宮毘羅(くびら),
伐折羅(ばさら),迷企羅(めきら),安底羅(あんてら),髭胤羅(あんにら),珊底羅
(さんてら),因達羅(いんだら),波夷羅(はいら),摩虎羅(まこら),真達羅(しんだら),
招杜羅(しやとら),毘羯羅(びから)と記される。・・・ふとこんな思いがしました。

922 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 10:33:53
神社にあった仮面は雅楽で使う蘭陵王の仮面だよ。

923 :月光仮面:2006/12/07(木) 11:39:36
♪珍島物語
作詞 中山大三郎
作曲 中山大三郎
唄  天童よしみ 
海が割れるのよ 道ができるのよ
島と島とが つながるの
こちら珍島から あちら茅島里まで
海の神様 カムサハムニダ
霊登サリの 願いはひとつ
散り散りになった 家族の出会い
ねえ わたしここで 祈っているの
あなたとの 愛よふたたびと
遠くはなれても こころあたたかく
あなた信じて 暮らします
そうよいつの日か きっと会えますね
海の神様 カムサハムニダ
ふたつの島を つないだ道よ
はるかに遠い 北へとつづけ
ねえ とても好きよ 死ぬほど好きよ
あなたとの 愛よとこしえに
霊登サリの 願いはひとつ
散り散りになった 家族の出会い
ねえ わたしここで 祈っているの
あなたとの 愛よふたたびと
>はるかに遠い 北へとつづけ
これは北周りにハザルの海を越えてエジプトに続けとする天童にまで
達した、モーゼと同じイスラエルに属していた、馬韓月支族が、ハザル
の海の奇跡を思い出して歌っていると解釈すると、小河墓ミイラの仮面
を基にした蘭陵王の仮面の謎が解ける。Oh My God!
http://www1.ocn.ne.jp/~naka222/index2000322.html

924 :桃太郎:2006/12/07(木) 11:44:53
>>921
おはよう。なるほど、薬師如来の眷属(けんぞく)ですか?
インド中東方面ですからね、玄奘の時代にはお互いが編集しあってオリジナルは
整理しずらいでしょうね。

>>922
いいんですよ、かのペルシャ王の酔っぱらった仮面劇が、トルコペルシャ文化を重視した
隋唐の上流文化経由で、輸入好きの大和朝廷以降の日本の宮廷文化のベースなのです。
川勝が雅楽や能楽の始祖であることは史実でしょうから。
ま、ユダヤとは何の関係もないけどさ。
これで秦氏・日ユ不思議ファンが500万人規模で種まかれたとすれば、活用すればよい。

925 :桃太郎:2006/12/07(木) 11:58:24
しかし、昨夜の番組で「もとただすの池」がでてきたのはいいね。
でもなぜあそこまでカメラをいれて、有名な三柱鳥居を画面にださないのか?
日油共通の民族文化的習慣「禊」。
バプテスマの共通遺跡をピックアップしつつも、ネストリアス派の根拠
を削除した。周囲の秦氏の聖山と三角直線で交わる、古代の超高等測量技法を
とりいれた重要な四季の農業予報アイテムであるという説もあるのにね。

ーーーー絶対来春の続編のネタのためだな。w ブレーンに筑波出の某氏がいるね

926 :月光仮面:2006/12/07(木) 12:02:21
>>922
天細女、あめのうずめのみこと、ウツというのはシュメールの太陽神、太秦、宇治、珍彦
等に出てくる。また、細烏女にも出てくるし、豊前の神名にもあったようだ。細木数子は
どうかな。薄目の神様と言うのは古代縄文人の信仰対象としてはありえる。この点天童
よしみさんは実に神に近い風貌であり、どなたがスカウトされたのか真に神業である。
土公氏が祀る椿神社の猿田彦、このサルがイラン系では太陽を意味する。サルボボは
太陽そのものだ。多分太陽母の意味だろう。太陽と土公、つまり大地、これを総合して
3D表現にしたのがピラミッドだ。鈴鹿の土公の御陵が前方後円墳というのも意味深だ。
箸墓建設に関係したものの末裔かもしれない。

927 :月光仮面:2006/12/07(木) 14:26:24
秦氏の井戸はヨセフのようにいじめを受けた人の物語からネタを取ったなのかもしれ
ないが、
http://www.d2.dion.ne.jp/~otk/0407283newpage.htm
話は変わるが、ヨセフなどのエジプトにおける地位は南北戦争以前の米国南部
における白人と黒人の関係のようだね。風と共に去りぬの「文明は終わった」と
言うのが良くわかる。


928 :月光仮面:2006/12/07(木) 15:30:59
古代エジプトから伸びる金属資源などの流通ルートを考えると
(1)シナイ半島・シリア・アナトリア
(2)バルカン・イベリア・ブリテン
(3)ウラル・アルタイ・パミール
大体こんなもんだろうか。この第三の線が後に東南アジア・長江下流域へと流れ、殷・
商が周に変わる頃オルドス・燕・遼・朝鮮半島・日本への流通ルートができる。このユー
ラシア幹線上に活躍した商人たちは、最初はエジプトを中心とする往復運動を繰り返し
ていたが、その後中心がアナトリア・アルタイへと変わって行ったのではなかろうか。
この流れに浮かぶ泡沫としてのユダヤ、トカラ、月支、イラン等の集団が考えられる。
こうした枠組みにおいて文明の盛衰を考えるのがいいのではないか。秦氏の研究と言う
のも発展的に国際化された枠組みの中で考えなければおかしなものになろう。

929 :月光仮面:2006/12/07(木) 16:12:50
>>921
薬師瑠璃光如来の瑠璃とは中近東人がジプシーをそう呼ぶのであり、欧州人は
ジプシー、つまり、出エジプト人と呼ぶ。いずれにせよ古代からの流浪の民であった
もので、瑠璃光とはガラスの光とも取れるが、やはり、ジプシーの神様と取った方が
自然な感じだ。ジプシーもユダヤ人同様12部族の伝承を持っていたということなん
だろうか。

930 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 18:34:23
>>908
>元宮内庁の雅楽、川勝直系の東儀氏のテレビ登場で
市民権をえたような気もする w

たまたま中途半端に見たので、番組の全容が殆ど解らないのだが、、
ちょうど東儀さんが出ておられた。
秦姓の人って、凄く誇り高いんだね、愚民である我は正直驚き。
「朝鮮半島を経由して来たのか、大陸から直接渡来したのかは
分かりませんが...」って仰っていたね。
朝鮮半島はあくまでも経由地と捉えられているようで、なるほど、
そうなのかなぁ...と思いました。

931 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 19:24:28
秦氏はまじめに働いたが、イジメを受けていやになってしまった

932 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 21:24:09
伊勢神宮の参道沿いに並ぶ石灯籠に、イスラエル国旗が彫られているなんて不思議。
他の神社にもイスラエル国旗のマークあるのかな。

933 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 21:55:55
あるよ

934 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 21:58:29
か〜ごめ、かごめ、か〜ごのな〜かの、「籠目歌」「神護目歌」籠の編み目は、
上向きの正三角形と下向きの正三角形を重ねた形で、ちょうど籠目紋になります。
不思議なことに伊勢神宮の紋がこの神護目紋(かみをまもる)ですね。 籠目紋は
古代より神社等に使われています。六芒星の形にもなることからダビデの紋章
ともいわれています



935 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 22:39:34
伊勢は近いから灯篭に刻まれてる六芒星とか見たことあるけどあれはイスラエルと関係あるの?
イスラエルの嘆きの壁?にも日本の菊の紋章と似たようなものが刻まれてるって聞いたことある〜

936 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 23:07:06
ジプシーはインド人だろ。インディアンはインド人じゃないしな。単なる誤解。

937 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 23:49:18
秦氏って、
学校では「はたし」って習ったが、TVでは「はたうじ」と言っていた。
今はそうなのか?

938 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 00:25:54
>>935
伊勢神宮、内宮に有る「八咫鏡」の裏にはヘブライ文字で祈りの言葉が
書かれて居るらしい、神社の配置がユダヤ教の幕屋と同じみたい。

939 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 01:30:18
ありがたいもんは何でも受け入れてそうだからな多神教は
そのうちの一つに過ぎないんだろうな多分

940 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 04:34:18
>>938 >>935
それは明治神宮もあるんだよな。不思議だ・・・
伊勢がつくられたとき、誰がアドバイスしたか、それが気になる

941 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 09:58:02
元伊勢が若さにあるので、と雷神系としてはやはり新羅なのか

942 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 10:30:15
韓国は秦氏の通り道なだけだろ

943 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 13:47:17
襟なし半袖スーツでお馴染みの羽田孜は古代イスラエル人?

944 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 19:47:29
朝鮮は無い。

945 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 20:37:54
海部元首相は元伊勢・籠神社の海部氏宮司の家系
海部の元々の姓は秦氏

946 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 21:03:29
>>945
海部元首相とは直接関係ないんじゃなかったかな?

947 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 21:23:06
>>946
カイフ首相とアマベ宮司は親戚だよ

948 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 21:42:02
籠神社///カゴは差別されてるほうでしょうか、

949 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 22:07:56
このじんじゃ

950 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 03:52:26
>>946
関係あります。伊勢の海部氏の家系です。なぜ知っているかというと
私の両親がそれぞれ親しくしているからです。

951 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 12:52:32
以前海部氏は遷宮前に籠神社にマナの壺があったと言ってたな。今は伊勢神宮にあると
大避神社の宮司は大避神社の祭神はイスラエルの神様だって言ってたぞ

952 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 13:52:35
橋本元首相は岡山県総社市秦というところが出身地なのだが
秦氏となにか関係があるのかな 高梁川の西岸沿いの村だよ

953 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 14:39:53
橋本は関係ない

954 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 15:51:14
>>951
>大避

現代中国語ではdabi(だーびー)と発音するしな。

955 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 16:14:02
>>950
関係があるというのは
どういう関係があるんだろう?
丹後の海部氏
伊勢の海部氏
尾張の海部氏

956 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 16:30:21
愛知県に海部郡(あまぐん)というのがあるけれど
伊勢の海部氏(かいふし)と関係有るのかな?

957 :955:2006/12/09(土) 16:44:55
>>956
関係がありそうですね
ちなみに私はその海部郡生まれです
律令時代に海部郡と呼ばれてた場所ですがw

958 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 17:07:39
ようするに秦氏族つながりでしょ

959 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 17:59:50
海部俊樹

960 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 20:53:02
加茂郡も京都の賀茂氏が領地をもらい、領有したので鴨郡なので、海部郡も
海部氏が領有した

961 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 21:20:41
愛知県 海部郡 (あまぐん)
徳島県 海部郡 (かいふぐん)
和歌山県 海部郡 (あまぐん)


962 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 00:04:12

868 :本当にあった怖い名無し :2006/12/07(木) 02:59:10 ID:BVtR/M6f0
興禅寺にある木造牛頭天王像
http://www.tsushima-cci.or.jp/machi/area/f_02.html

963 :桃太郎:2006/12/10(日) 00:49:52
>>952
ハシリュウ本家は秦氏系統かどうかは不明だが、末裔のうちの一族の縁戚ではある。
重要文化財の秦廃寺礎石の一部を実家は所有しているはず。
まあ多くの家が礎石や瓦をもってるし、秦氏遺跡の本格調査がされていないので、
掘ればたくさんお宝がでるだろうけどね。奈良より古い最古の五条理説もあり、
その遺跡の上に村落があり、昔は一面シルクロードのオアシス都市のような
マスカット畑が続いて、独自の吉備式瓦はかなりでたし、網の重しなどの用具もでる。
昔ナガヤマウサブロウという人が遺跡調査をしたらしいが、その資料本は実家から
も紛失して詳細不明。近郊のH古墳を国内最古の墳墓というひともいる。
卑弥呼の四獣青銅鏡もでてきた聖山正木山は、吉備真備や宮廷歌の題材でもある。
きっとなにかある。

964 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 00:59:15
ふーん 詳しいね

965 :桃太郎:2006/12/10(日) 01:11:08
>>962
これは、禁じられていたユダヤのバールや地母神信仰だな。
小林よしのりも実家の福岡の寺の牛頭天王を調査するうちに、混乱してきて
漫画で描くのはやめたらしい。最古の海部氏の籠神社あたりが、古代歴史トリック
をうまく説明してくれるといいのだが。
元伊勢28社は、口伝もふくめ、そろそろ説明すべきだね。

966 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 02:55:23
愛知県の海部郡には五条川という川があり
石作神社・須佐之男神社・月之宮神社がある

967 :桃太郎:2006/12/10(日) 08:15:36
>>石作神社はイサクと呼ぶのかな
日本の神社遺跡祭事に、旧約聖書ユダヤ風習がらみのものは少なくない

長野諏訪大社の御頭祭は、創世記のイサクの物語とほぼ同一なのが不思議。
この別名ミサクチ祭りは、ヘブライ語のミイサクティンのなまりらしい。

968 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 08:32:57
三神たけるのサイト
http://www.kitombo.com/mikami/back.html
膨大な秦氏情報

969 :月光仮面:2006/12/10(日) 11:49:39
http://www.tibettrip.com/images/photogallery/20002096x27-hada-khatag.jpg
これなんだけど↑
ハダ又はハタグ、というのはチベットにおいて、古代に神様をくるむ白布を指したもので
現在では白いスカーフとして贈答に用いられると言われる。
http://www.travelchinaguide.com/cityguides/tibet/etiquette-taboo.htm
これは日本語の機織とかに似ている。チベット人と日本人はYAP型の男性系遺伝子が
極めて似ている。これは秦氏が住んでいた新疆ウイグル方面(本物の中国系秦族は
山西省の山間部のようだが)からチベットにアルタイ語系民族が移動したことではない
だろうか。


970 :月光仮面:2006/12/10(日) 12:16:14
足の守護・服部天神宮 由緒
「その昔、朝鮮から機織の技術を我が国に伝えた人々に「秦氏」の姓氏を与えて、
これらの子孫の多くがこの地に住まいました。              
「服部」の地名は秦氏の人々の住むところとして「機織部」から成りたったものと思われ
ますが、第十九代允恭天皇の御代に、織部司に任ぜられ、諸国の織部を総領した
「服部連」の本拠地がこの服部であります。(新撰姓氏録、第十八巻摂津国神別)
外来部族であった秦氏は、外来神であり医薬の祖神である「少彦名命」を尊崇して
いましたので、当神社はこの服部の地に古くから、おまつりしていたものと思われ、
その創建は菅公御生前より遠く、相当古い年代であったと推定されています。」
http://kamnavi.jp/en/settu/hattori.htm

971 :月光仮面:2006/12/10(日) 12:35:30
大宰府あたりはろくすっぽ入国審査をせず、つーか、能力がなく、朝鮮から入ってくる
ものが漢字で何かを述べるとメクラ判で秦族としたのでしょうか。ハタとされた
渡来人は全てが中国人ではなく、実際は西域、満蒙のアルタイ系民族とか、更には
イラン・ソグド・トカラといった人種もあったのだと思われます。みのもんたの番組で
放映されたお面などは蘭陵王よりも更に欧州系の顔でしたね。

972 :月光仮面:2006/12/10(日) 13:10:41
東儀さんがおっしゃっておられたとおり、秦氏というのは、「芸術を愛する」(国境を越えた)
集団と言うのが本当の意味なのかもしれない。ただ、伎楽だけではなく宗教、寺社建築、
絵画、造園等その分野は日本文化全般にわたったことであろうが。

973 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 15:19:47
>>966-967
石作神社の読み方は(いしつくり)もしくは(いしさく)でしょう

石作神社は伊和大神(オオナムヂ神)を祀る神社で
太陽神である火明命=天照大神系の石作氏によるもの

伊和大神(オオナムヂ神)は水神・雷神
その子である火明命(饒速日)は太陽神・暴風神
ちなみに火明命は天照大神のこと
そして火明命の子→兄が海部(大綿津見神)、弟が山部(大山津見神)
石作氏は山部からでた氏族のひとつ(他には物部氏、越智氏、久米氏など)

石作神社=天照大神(アマテラス)
月之宮神社=月夜見尊(ツクヨミ)
須佐之男神社=須佐乃袁尊(スサノオ)

いわゆる三貴子(サンキシ)=イザナギ最後の子の三神

974 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 18:34:36
ユダヤのことをjewという
jewfishという魚がいるが、これは日本語ではハタという魚のことで
この繋がりは偶然なのか

975 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 18:59:06
そういえば、某大企業にいたとき、京都出身の秦というのがいたが
風貌がなにやらユダヤ人に似てたね

976 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 19:44:34
>>974
ジューフィッシュ(ハタ科くえ、九絵)
ハタ科の魚は縦じまの模様がついてるものが多い、ユダヤ教のラビが腕に
縦じまのテープを巻いてる様に、ユダヤ教徒は新年に魚をツミレ状にした
ゲフィルトフィッシュって料理食べるね。ハタも気になるけど九も気になる
鳩、九絵、くえと言えばスサノオと関係有った様な気がする。

977 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 19:51:45
葛といえば秦氏
葛という地名には秦氏族が何らかのかたちでかかわっている

978 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 23:49:23
二ジューでハタちってか?

979 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 00:51:29
太秦(うずまさ)の由来は、渡来系の秦氏がヤマト政権に税を納める際、
用いた絹が「うずたかくつもられた」ことから、朝廷から「うずまさ」の姓を与えられた。
そこから、太秦の漢字に朝廷から与えられた姓の読みを当てた。
太秦地域は渡来系秦氏の拠点であったことから、その拠点一帯をうずまさと呼ぶようになった。

他方、古代ヘブライ語で「ウズ」(光)、「マサ」(賜物)が語源という説もある。

由来を証明するように、太秦には秦氏が支援した広隆寺が建立された。
秦氏は聖徳太子との関係も強く、参謀として活躍したことも知られるが、この関係が起因してか、
広隆寺には聖徳太子ゆかりの遺品が多く奉納されるようになった。

980 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 00:54:22
太秦(現在の右京区あたり)=かつての葛野郡

981 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 12:13:13
寝屋川の太秦には 近くにくずはらがあるけども意味はわからん

982 :サガミハラハラ:2006/12/11(月) 12:38:59
太秦とはもともとはオオハタであったろう。太は太郎とか太田と同じく字義は秦氏の本拠といういみである。
秦氏は本拠地を現京都の西、葛野の一角ウズマサというところにおいた。
それ以来秦氏の本部を地名のウズマサとよぶようになったが、字で表記するときは、本来の太秦とかくことになった。
よって、ウズマサとは秦氏が京都に引っ越してくる前からの地名なのであり、意味はウズ=髪または髷、マサはマサキカズラ(テイカカズラ)のことであろう。
つまりテイカカズラの生い茂る草原だったわけである。

983 :月光仮面:2006/12/11(月) 13:20:46
>>962 >>966 >>973
朝日遺跡近辺の銅鐸鋳造遺跡が日本最古とされることと、上記トピの内容における
牛頭、月読、石づくりの組み合わせが記紀の神話体系よりも古いこと、特に馬を持って
朝日、東方を表すことがアルタイ地方と同じであること、付近に春日(朝陽、陽鹿)の
地名があること、また、牛頭、とんがり帽子に巻きつく二匹の鼬は蘭陵王の原型と見
られる小河墓遺跡の辟邪であるが、中国では2つの辟邪は北魏時代には縦一列の
ユニコーンとなるのに反して朝日付近では横に展開していることでこれまた古形である
等から興禅寺にある木造牛頭天王像等には可及的速やかな最大限の保護が望まれる。
心ある人の注意をお願いしたい。馬が東を表す考古学的証拠が立証されれば世界遺産
級となると思う。


984 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 15:30:10
何言ってんだかさっぱり分からん

985 :月光仮面:2006/12/11(月) 15:40:19
小河墓の老女ミイラの仮面が蘭陵王面の原型、フェルトとんがり帽子の二匹の
鼬が北上し、バルハシ湖方面からアルタイ西麓に侵入するスキタイ文化の持ち込んだ
馬を太陽とする信仰とが合流したのではないかと考えているんだがね。それが、パジリク
カラスク、オルドス、遼寧、そして、三韓地域、出雲、東海地方へと入ったのではないかと
見る。

986 :月光仮面:2006/12/11(月) 16:16:44
アルタイのクマンディン族は夜明け前に馬の四足を4本の柱に縛りつけ、
背中に杭を打ち込み、頭を東に向け、噴出す鮮血を太陽に向け、「クルイ・
クルイ」と唱えると言う。四隅突出古墳、サルボボ等にはこうした太陽信仰が
残っているのであろう。スサノオはアマテラスに彼らの習慣として馬の生ハギ
の毛皮を贈答し、かえって疎んじられ、ヒゲを抜かれるなどの刑に処せられ、
月読命も食物生産の違いで紛争を起こしたのか遠ざけられる。こうしたアマテラス
の稲作民族行動規範から外れた神々が名古屋の朝日遺跡付近で残っていて、
その辺から日本最古銅鐸鋳型が出土すると言うのはただ事ではないと考えるのだ。
諏訪の御柱なども朝日遺跡方面から伝わったものかもしれない。

987 :月光仮面:2006/12/11(月) 16:34:27
クマンディン族には秋の収穫に際してコチャカナ(大きな陽根)を振り回す習慣が
あるというが、日本にも九州ではお座敷で座布団を陽根に見立てて三国一の
ヨカチンチといって踊る。思うにタンカンサーというのはジンギスカンと似てる格好↓
http://hayato.com/cgi-bin/p_sekibutu/view28.cgi?mode=view&dir=5
をしており、朝鮮の檀君もそれがなまったもんではないかと思うが、多分アルタイから
東北・九州を始め全国に入ったものではなかろうか。

988 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 16:42:13
>フェルトとんがり帽子の二匹の

まで読んだ

989 :月光仮面:2006/12/11(月) 16:43:06
コーカサス北西方面のドルメンの多い地方から牛の背中を杭が貫く青銅製
祭器が出土しているが、これもアルタイ同様大地の神に捧げるものではない
かと思う。話は変わるが、日本の田の神は冬になると山に帰るが、山の神、
天の神、天神の機能もあるようである。他方太陽の神としては、高句麗、百済、
日本には小童神があり、どうもこれはオリジンが違うようである。

990 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 16:55:50
990

991 :月光仮面:2006/12/11(月) 17:05:56
アルタイというのは金山、一方カグツチのカグは鹿児島県などの解釈を取ると金となり、
カグツチは金山神であろう。これが母の産道を焼いて生まれイザナギに切り殺され、
スサノオ、月読命(月支国渡来人)が失脚する原因となったのは上記の名古屋・朝日
遺跡、熱田神宮近辺の狗奴国と邪馬台国の戦争の結果銅鐸の廃棄、鏡の強制となる
事件があったことの反映と解釈するとドンピシャと来るんだ。例のヤマトタケルの行動
などもね。

992 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 17:36:34
真面目に知りたい奴がかわいそうだなw
このスレ

993 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 17:59:19
>>982-991
言いたい事は全くわからんが、スレ違いって事だけはわかった。

994 :サガミハラハラ:2006/12/11(月) 18:08:08
私のは982スレ違いではありませんよ。

995 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 18:46:09
スレ主「Part2」たのんます。

996 :月光仮面:2006/12/11(月) 19:10:11
渡来人研究会と言うのが極めて真面目で、親切です。そして、結語として
「新約聖書の諸伝承が応神・神功紀、推古・聖徳太子伝承、景行・ヤマトタケル伝承等
に、比較的ダイレクトに挿入されていることが明らかにされてきました。」
http://www.asahi-net.or.jp/~rg1h-smed/toraijinkenkyuu/kaihou0603.htm
といっているが、これらの時代の歴史地理を考えると、河内、飛鳥、東海、九州等
インテリの神主さんたちが第一次情報を最新のユダヤ・キリスト風にアレンジして
朝廷に提出したものだと考えられます。ここにこそ秦氏の優秀性があるのではない
でしょうか。徐福伝説もそうでしょう。

997 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 19:44:20
埋め

次スレは不要です

998 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 19:52:54
きゅうにしんざんしゃがあらわれたね

999 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 19:59:45
埋め

1000 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 20:01:25
1000

1001 :1001:Over 1000 Thread
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。

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