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『公家・廷臣・門跡について〜5巻目』

1 :日本@名無史さん:2006/07/30(日) 12:56:24
1、他人の書き込みは批判しない。個人攻撃はスルーで。
2、少しでも公家、華族に関係することがらならスレ違いと見なさない。
3、明治以降の話は控えめに。
4、読んだ本の内容を紹介するのも良い。
5、在命中の人の話は多少ぼかしてください。

2 :日本@名無史さん:2006/08/02(水) 17:32:49
北白川宮能久親王が独逸留学中にドイツ貴族の息女と結婚した
という話を耳にしたことがあります。
この相手の女性は何という名前の何家出身の人物だったのでしょうか。
また「結婚した」とすれば、宗教上の問題は無かったのでしょうか。
このあたりの経緯に就いて詳しい方々の御教示を願い上げます。

3 :日本@名無史さん:2006/08/12(土) 23:08:09



http://wolfpac.press.ne.jp/daimyo06.html


http://www.eva.hi-ho.ne.jp/iwaemon/

4 :日本@名無史さん:2006/08/20(日) 18:44:49
北白川宮能久親王って奥羽列藩同盟で祭り上げられ
後に台湾で戦死した殿下でしょう?
李朝以外の外国人と本朝の皇族が結婚した例はないはず。
愛人ならともかく、、、

5 :日本@名無史さん:2006/08/20(日) 20:52:25
あげ

6 :日本@名無史さん:2006/08/21(月) 04:24:48
二条昭実が信長の娘で、秀吉の側室だった三の丸殿を秀吉没後に妻室にしたのは何故?
それまで二条家の正室は宮家や五摂家など上級公家の家柄がほとんど。
それとも正室じゃなかったのか…

7 :日本@名無史さん:2006/08/21(月) 22:03:00
西園寺家が好きです

8 :日本@名無史さん :2006/08/21(月) 23:04:34
近衛公が天皇退位を画策し、宇多院の先例にならい、
仁和寺に入っていただく。って話があったそうだね。
近衛公は時代を超越だ。先例が1100年前の話じゃな。
仁和寺では、ゆうにん法皇とお呼びすることになっていたそうだ。

800年の伝統をもつ伏見宮家に泥ぬった軍令部総長がいましたね。
伏見宮、閑院宮という伝統ある宮家は維持でも存続させてほしかったナ。

9 :日本@名無史さん:2006/08/23(水) 01:12:27
>>2>>3>>4>>8
ウザい、他スレで書け。

10 :日本@名無史さん:2006/08/23(水) 16:03:40
北白川宮能久親王が独逸留学中にドイツ貴族の息女と結婚した
という話を耳にしたことがあります。
この相手の女性は何という名前の何家出身の人物だったのでしょうか。
また「結婚した」とすれば、宗教上の問題は無かったのでしょうか。
このあたりの経緯に就いて詳しい方々の御教示を願い上げます。



11 :日本@名無史さん:2006/08/23(水) 17:39:41
西園寺公経の室・全子が源頼朝の姪だったという話はよく耳にしますが、
この一條全子という女人は、実際に頼朝の同母妹の所生なのでしょうか。
或いは、父親たる一條(藤原)能保の娘を、正室たる全子が嫡母として
養い育てたものなのでしょうか。
精確な血縁関係を教えて下さい。
よろしく。

12 :日本@名無史さん:2006/08/23(水) 21:31:43
教えてクンは死んでください。

13 :日本@名無史さん:2006/08/26(土) 17:25:54
まったり行こう

14 :日本@名無史さん:2006/08/26(土) 19:08:39
age

15 :日本@名無史さん:2006/08/26(土) 20:40:46
知らぬ者が一人前の口を叩くナッ!!!

無知は黙っておれーイッ!!!!





16 :日本@名無史さん:2006/08/29(火) 11:31:50
正確な血縁関係は本人に聞いてくれ

17 :日本@名無史さん:2006/08/29(火) 19:07:49
ほー

18 :日本@名無史さん:2006/08/29(火) 22:24:43
>>8

>ゆうにん法皇

ゆうこりん法皇かと思った

19 :日本@名無史さん:2006/08/29(火) 22:27:56
ぷりぷりぷー
ぷりぷりぷー










      _| ̄|_| ̄|  | ̄|_| ̄|__| ̄|_| ̄|   | ̄|_| ̄|_| ̄|
      |_  _||  | ̄    |  |     |  | ̄   |  |     ̄|
       r┘└へ|  |二コ ┌'|  |二コ ┌|  |二コ ┌'|  |二コ ┌┘
      〈 〈]  ゚,、〈|  | o  ヽ| | o  ヽ|  | o  ヽ|  | o └「 ̄\
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20 :日本@名無史さん:2006/09/03(日) 18:08:04
age

21 :日本@名無史さん:2006/09/10(日) 11:18:26
あげ

22 :日本@名無史さん:2006/09/10(日) 21:10:01
>>7
私も鎌倉時代の西園寺家に興味があります。
学術書では「鎌倉時代の朝幕関係」(思文閣出版)、
小説では「春秋」(文芸社)
読みました?

23 :日本@名無史さん:2006/09/12(火) 00:46:11
家格の固定化が始まってなければ
摂関職に就けたかもしれないが

24 :日本@名無史さん:2006/09/16(土) 15:17:45
摂関家は道長公の子孫だけじゃないの?

25 :日本@名無史さん:2006/09/16(土) 15:51:23
>>23
外戚の座を永続的に確保できなければ摂関にはなれんだろう。

26 :日本@名無史さん:2006/09/18(月) 12:34:00
時代がくだれば傍流の公家の息女が何人も入内してます。

27 :日本@名無史さん:2006/09/18(月) 22:39:55
>>25
鎌倉後期には外戚ってもう関係なく摂関になってるのでは?

28 :日本@名無史さん:2006/09/18(月) 23:01:52
清華家、大臣家ってどういった課程で生まれたの? 久我、醍醐、廣幡は分かるが。
藤原傍系の他の家がどうして摂家に次ぐ地位を獲得出来たのか分からない。
閑院流なんか摂家のかなり前から別れた傍流じゃん。平公家との絶対的な差が
分からない。大臣家は清華の分家だからまだ分かりやすいが。清家の歴史に
詳しい人いますか?


29 :日本@名無史さん:2006/09/24(日) 15:21:33
むしろ半家の成立過程が謎

30 :日本@名無史さん:2006/09/24(日) 15:48:24
今更だけど閑院流が摂家に次ぐ家格を得たのは院政期で
やはり外戚になったからでは?
それに、公卿の大半が藤原北家というなかで、たとえ傍流であれ、
源氏や菅原氏より藤原氏一門が優遇されるのは当然の流れかと。

勧修寺流にしろ四條流にせよ、受領層まで堕ちたあと院政期に
公卿にカムバックして以後その地位を保持してるが、それも
やはり彼らが藤原北家の一門だったことと無関係ではないはず。
他氏ではそのようなケースって無いんでは?

と分かりきった話で失礼でした。

31 :日本@名無史さん:2006/09/30(土) 13:29:15
age

32 :日本@名無史さん:2006/10/03(火) 02:05:52
清華の家格成立は院政期。
閑院流は院政期に天皇家の外戚として台頭。
また同じ時期に摂関家の外戚として勢力を拡大したのが村上源氏。

33 :日本@名無史さん:2006/10/03(火) 02:07:29
>>29
半家の大半は室町期くらいになって始めて堂上待遇になるんだっけ?

34 :日本@名無史さん:2006/10/03(火) 02:21:49
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1124544472/l50
前スレ

35 :日本@名無史さん:2006/10/07(土) 17:14:21
半家って羽林、名家より下位なの?

36 :日本@名無史さん:2006/10/07(土) 18:55:36
◆本流「伏見宮」の誕生!
 また、その混乱の中から純正な正統性をもった総本家としての伏見宮が、はじめて皇位を要求し皇位を争うための宮家ではなく「皇統の備え(血のスペア)」としての意義をもったことを語りました。

 ◆時代の権力は、経済基盤を持った女性たち!
 中世編ではまた世襲宮家成立の背後に、皇族の資格の男系継承が絶対であった時代にもかかわらず、古代の女系相続財産の名残として莫大な皇室領を支配して絶大な権力をふるった女性たちの存在がありました。

 ◆近世の宮家の特徴など、中世との変貌
  近世編では、いわゆる「定親王家(世襲四宮家)」が、中世のような男系の血の実系(古代のウヂ制の名残)ではなく、養子でつなぎながら「家(家柄・家格)」を継承するものであったことを解説しました。

 ◆皇室の本家「伏見宮」の近世の皇統
 その中で伏見宮のみは万世一系で実系を守り、後花園天皇以来、皇室の本家としての高い格式を保持したこと、伏見宮以外の三宮家は、はじめから「皇統の備え(血のスペア)」という意義があったがこれは先行する伏見宮の意義をコピーしたものであること、等。
また伏見宮の御落胤伝説の背後に江戸前期の覇権抗争があり、この御落胤事件は史上有名な明正女帝の即位・輪王寺宮門跡の発祥・有栖川宮創立などと深く連動した一連のものであったことを示唆しました。

37 :日本@名無史さん:2006/10/14(土) 10:57:32
age

38 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 16:50:31
蔵人の極臈から堂上に列した家って何軒くらいあるの?

39 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 18:32:31
羽林 ------近衛府
中郎将 ------近衛中将

羽林家のぼんくらの中には出世が目的化してたり、長く帝から遠ざけられたりして、
自分達が誇り高き帝の近衛府である認識が薄れているのではなかろうか。

銀英伝に例えると、ルッツとかケスラーとかミュラーみたいな活躍を期待される家格が
羽林家ぞ。

余談だが、信長上洛時に京から逃げ出した近衛前久とか
戦争責任から逃れようとして、自殺した近衛文麿とか
摂家の近衛家は、紛らわしいから近衛を捨てよ。紛らわしいちゅーねん。

40 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 19:16:16
http://wolfpac.press.ne.jp/daimyo06.html


http://wolfpac.press.ne.jp/daimyo06.html


http://wolfpac.press.ne.jp/daimyo06.html


http://wolfpac.press.ne.jp/daimyo06.html


http://wolfpac.press.ne.jp/daimyo06.html


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http://wolfpac.press.ne.jp/daimyo06.html


http://wolfpac.press.ne.jp/daimyo06.html

41 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 14:50:48
>>36って何のこと?

42 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 08:29:42
>>39
近衛家は陽明御殿と改名すればいいね。

異国には黄金樹という帝室があるそうな。

43 :ゆうこりん:2006/10/28(土) 09:28:01
コリン星

44 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 18:30:32
そうすると、九条は月輪に改称?

45 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 18:34:16
http://www.google.co.jp/gwt/n?mrestrict=xhtml&site=search&q=%E5%85%AC%E5%AE%B6&source=m&hl=ja&ei=uCNDRfmkEomSJKe9-2c&ct=res&cd=1&rd=1&u=http%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F%25E5%2585%25AC%25E5%25AE%25B6

46 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 21:18:41
>>45
>しかしその後、平安時代後期ごろから荘園制度の崩壊とともに勝手に武装し始めた地方豪族達が現れ、それまで平安貴族が日本各地に持っていた荘園の支配権を事実上強奪しはじめた。

もの凄い電波だね。w

47 :日本@名無史さん:2006/10/29(日) 11:32:43
月輪でも陶化御殿でも可

48 :日本@名無史さん:2006/10/29(日) 16:03:10
じゃ、一条家のおにゃのこはピーチ姫で

49 :日本@名無史さん:2006/10/29(日) 16:47:52
桃華楽堂のピーチね↑

50 :日本@名無史さん:2006/10/29(日) 22:01:45
平安後期に荘園制が崩壊なんて言ってるのが何とも香ばしい。

51 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 05:11:22
は?
実際崩壊してただろ
だから武士が登場したんだ
こんなもん常識
鎌倉時代に急に崩壊したとでも?
平安後期から武士はいるんですよw

52 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 05:23:42
>>51が何も理解していないことはよくわかった。

53 :日本@名無史さん:2006/11/01(水) 10:37:27
>>52
じゃ優秀なお前が説明しろよ
しないなら同類。

54 :日本@名無史さん:2006/11/02(木) 00:43:47
とりあえず史学雑誌の「回顧と展望」と歴研大会の要旨を過去20年分くらい読めば?

55 :日本@名無史さん:2006/11/02(木) 00:49:05
そういえば去年の歴研大会は室町期の再版荘園制が一つのテーマだったなぁ。

56 :日本@名無史さん:2006/11/02(木) 00:58:28
>>51
武士は平安時代から戦国時代まで一貫して「荘園の現地管理人」の立場に甘んじていたわけですが、何か?


57 :日本@名無史さん:2006/11/02(木) 01:33:55
>>56
はぁ?屁理屈捏ねてないか?
そんな形式上の立場なんてどうでもいいんだよ
歴史分かってねーな


58 :日本@名無史さん:2006/11/02(木) 01:46:39
>>57
君たぶんあちこちでハブられてるでしょ
もう学問系の板には来ない方がいいんじゃない?

59 :日本@名無史さん:2006/11/02(木) 01:54:58
>>58
ん?なんで?
お前が通ぶって定説以外の意見言ってるだけだろ
なんか資料でもあるわけ?
聖徳太子は怨霊だったとかマジで信じちゃうタイプだ?w

60 :日本@名無史さん:2006/11/02(木) 02:37:09
中央の上級貴族や寺社が現地における荘園の管理を完全に現地管理人である
武士に委託しているのが、中世荘園の多くのケース。
地頭職は本来的には荘園の現地管理者を指す名称の一つであったが、それを
鎌倉幕府の統制下において幕府の組織の一部に組み込んだのが源頼朝。

だから幕府の御家人としての中世の武士は、原則的に荘園領主である
上級貴族・寺社と幕府とに両属していることになる。
もっとも鎌倉期以降、公家と武家の通婚なども普通に行われるようになるため、
そうした姻戚関係を通じた相続の結果、室町期くらいになると、ある荘園に
対して武家が領家職を持っていたり、公家が地頭職を持っていたりということも
珍しくなくなるが。

なお中央の上級貴族や寺社にとっても、一定額の年貢をきっちり納入してくれる
分には、自ら直務支配のような面倒なことはせずに、現地の武士に委託して
しまうほうが都合が良かった。
しかし応仁・文明の乱による混乱が一つの契機となって中央に年貢がまともに
上がって来なくなる状況が発生した戦国期になると、公家のなかにも自ら現地に
乗り込んで直務支配を始める者が現れるようになる。

61 :安藤某:2006/11/07(火) 01:10:00
>>60さん
分かり易い説明ですね
スレに絡めてレスするね
お公家さんでも、荘園が一カ所に纏まってる方は戦国期に地方に下った方があります
再び京に上るのは、分家筋が侍として出仕するパターンですかね
公家でも、地方に下った連中は官位が無くなれば庄屋さんです
そう言えば、葵祭のくらべうまは荘園対抗の競馬ですから、ここぞとばかりに名を馳せようと乗り込んだそうです
そんな風にでもしないと、遠くの荘園なんかは連絡さえままならないですから
言わんや、統治なんてね

62 ::2006/11/12(日) 10:55:18
武士の定義って曖昧なとこあるんじゃない。
秀吉の兵農分離までは武士と豪農の区別が不明瞭だと思うのですが。

下橋敬長は一条家の侍ですけど、公家や寺社の中下級家臣が本来の武士ですね。
東寺公人の蜷川式胤など、この階級から明治時代の文化人、官僚が輩出します。


63 :日本@名無史さん:2006/11/12(日) 11:15:29
江戸時代に入るまで武士と豪農の区別が不明瞭だし、
北畠家とか土佐一条家とか見ても公家と武家の区別も不明瞭。

江戸時代に公家に分類された広幡家とか武家に分類された吉井鷹司家も
戦国以前ならどちらに分類すべきか不明瞭な存在だったんではないか。

64 :日本@名無史さん:2006/11/12(日) 12:20:53
土佐一条家は公家出身の戦国大名ですね。
伊予西園寺家も。
これらの家は京にとどまった本家が現在に至るのに比べ
戦国の荒波の中に埋もれてしまったのではないでしょうか。


65 :日本@名無史さん:2006/11/12(日) 12:25:16
皇親・公家と農民の中間層として平安中期から江戸初期にかけて
徐々に武士階層が形成されたと言えば大雑把過ぎるでしょうか。

ただ戦国までは200石クラスでも領地をもったのに対して
江戸時代には1000石未満は殆どサラリーマン化しますね。

66 :日本@名無史さん:2006/11/12(日) 14:51:05
>>63
北畠や土佐一条は朝廷の官位の上では明らかに公家扱い。
一条の場合、土佐一条の出身のものが本家である摂家の一条を継いだりしている
例もある。
また北畠は官位の昇進ルートは羽林家と同じ。

>>64
土佐一条は本家との間がかなり緊密。
しかし伊予西園寺は戦国期段階でどれほど本家との間に交渉があったのかは
不明瞭。
南北朝期に本家=北朝方、伊予分家=南朝方に割れていたこともあるし。

67 :日本@名無史さん:2006/11/15(水) 04:12:42
亀井茲明って養子だったんだな
実家は公卿の堤家

つーことは国民新党の亀井久興は公卿の血筋か

68 :日本@名無史さん:2006/11/15(水) 11:59:22
近代の亀井家って岩倉家や伏見宮家の血も入ってなかったっけ?

69 :日本@名無史さん:2006/11/15(水) 12:01:13
亀井久興は、母方の祖父が有馬記念で有名な有馬頼寧伯爵(赤松一族の有馬氏で近世に久留米藩主になった家系)

70 :日本@名無史さん:2006/11/25(土) 08:38:19
age

71 :日本@名無史さん:2006/11/25(土) 10:50:17
あの下品さで公卿の血筋とは

72 :日本@名無史さん:2006/11/25(土) 12:08:31
有馬頼寧伯爵は、第一次近衛内閣の閣僚だったはず。

73 :日本@名無史さん:2006/11/25(土) 22:38:28
有馬氏
衆議院議員→貴族院議員→農林大臣→大政翼賛会事務総長→公職追放→JRA理事長

74 :日本@名無史さん:2006/11/26(日) 00:25:12
>>71
亀井静香と間違えてないか?

75 :日本@名無史さん:2006/11/26(日) 00:36:13
現存している宮門跡の門主は皇族なのですか?

76 :日本@名無史さん:2006/11/26(日) 01:09:33
青蓮院の東伏見以外はみんな普通の坊主。

77 :日本@名無史さん:2006/11/26(日) 03:01:11
現在の東寺長者の鷲尾隆輝って、鷲尾家の子孫?

78 :日本@名無史さん:2006/11/26(日) 13:14:24
たしか分家の男爵家のほうじゃなかったっけ

79 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 06:38:20
明治以降や現代の皇族・華族・門跡・子孫ネタはつまらん。他スレがあるだろ。

80 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 17:19:28
鷲尾家と言えば公家味噌だな。
これがそこそこ旨い。


81 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 19:08:22
人吉藩主相良家も江戸中期に鷲尾氏から養子が行ってるね

82 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 22:55:16

い よ い よ 明 日 で す !

一人でも多くの憂国の同志の参加を待ってます!


■皇室と日本を考える学習会

「皇統断絶の危機
      〜それはいかに乗り越えられたか〜/佐々木 勝浩」

 これまでの日本史上幾度もあったとされる皇統の危機。
 武烈天皇から継体天皇、称徳天皇から光仁天皇、
 称光天皇から後花園天皇、後桃園天皇から光格天皇。
 万世一系を守るため、これらをいかにして乗り越えてきたのか、
 この主な4大事件の共通点と相違点を比較検討し、
 後世にその歴史を伝承するとともに、今後の危機に備える知恵を涵養したい。

日時:12月2日(土)17:40〜20:30(最大延長30分)
場所:豊島区勤労福祉会館 第三会議室
     豊島区西池袋2-37-4 池袋南口から徒歩3分
    http://nihon.lar.jp/02.html

参加費:無料(テキスト無料貸与、購入希望の方は実費¥200)

   なお事前の参加連絡などは一切不要です。

【皇位継承】万世一系の皇統を守る8【男系維持】
http://off3.2ch.net/test/read.cgi/offmatrix/1147608766/

83 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 09:12:09
age

84 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 15:15:35
卜部姓藤井氏は旧家名が猪熊だけど、猪熊から藤井に改めた経緯をご存知の方おられる?
ついでに慶長年間の猪熊事件の教利はこの家の人かな?

85 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 17:32:29
京都橘大学教授の猪熊兼勝さんて人は
卜部氏の一門で近世には堂上だった藤井家の末裔なのかな?
公家の家系というが、少なくとも維新前の新家を含む堂上にも、
奈良華族にも「猪熊」なんて家はないはずなので、
どの家系なのか気になる。
あるいは四辻家が維新後に家名を室町に戻したのと同様に
藤井家も旧家名に戻したのか?

86 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 18:01:04
藤井って近衛家の分家にもそういう家号の家があったよね。
中世末に絶家しているようだが。

87 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 19:03:28
教授の家の猪熊は平野社の社家の家系。戦国時代に吉田家から養子をもらっている。
江戸の初期に讃岐の藩主に請われて白鳥神社の神主になった。
その子孫のひとりが宝永期に京に戻って藤井家という堂上家をつくった。
藤井家のほうはそのまま堂上家。
猪熊家は讃岐の宮司をやっているが、都と完全に縁が切れたわけではなくて、
娘を公家の嫁に出したりはしている。
教授の先祖には明治時代の国学者の猪熊夏樹がいる。


88 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 19:20:29
>>87
ご教示感謝です。
淡交社の雑誌「なごみ」2007年1月号では
「公家の家・猪熊家」「代々伝わる公家独特の新年の祝い」
「有職故実の家」なんて表現を使っていますが、
これは学問的にはちょっと怪しい記述なわけですね。

もし平野社の社家が「公家」なら、上賀茂社や松尾社の社家だって
「公家」ということになっちゃう筈。地下官人ぐらいにはなれるけど
堂上でないのに「公家」とは……詐称まがいな感じがするなぁ

89 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 19:50:00
堂上のうちで一番出自が低いのはやっぱり卜部?

90 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 20:08:53
>>88
「公家の家」はオーバーかもしれないけれど、代々の家には変わりはないので
独特の新年の祝いはあるかもしれないですね。(宮司の家だし)
夏樹の息子の浅麿は有職故実の研究家なので(戦前の人ですが)
「有職故実の家」といわれればそうかもしれない。
兼勝さんのほかにも兼繁氏という歴史学者もいるのでくわしいのかも。

>>89
北小路家の大江氏や錦小路家の丹波氏も低いといえば低いかも

91 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 21:09:27
まあ太宰府天満宮宮司の西高辻男爵家のように近代に華族身分になっていれば
よかったのにね。

92 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 14:16:51
堂上のなかでの氏族別の序列は
藤原氏>源氏>菅原氏その他
みたいな感じか?
でも近世あたりだと卜部氏の吉田家から
閑院流の清水谷家に養子が入ったりしてるね。近世の吉田家は
神道関係での収入で裕福だったから、意外に釣合ってたのかも。

93 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 14:56:28
猪熊兼勝は、江戸時代初期の官女密通一件で
斬罪になった猪熊教利の猪熊家と関係有るの?

94 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 17:13:02
関係ないらしいよ
むしろ山科家に関係あるとウィキには書いてあったが

95 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 19:00:52
山科家ってあの丹後局の子孫らしいね。

96 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 21:09:29
太宰府天満宮文化研究所に行くと古い史料を見せてもらえる
驚くのはそこで働く誰もが禰宜の味酒氏を太宰府の代表と考えていることで
西高辻宮司家は幕末にやってきたよそ者扱い、150年経っててもね

97 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 02:05:40
西高辻家の御曹子が俺の大学時代の先輩なんだが。
一回普通に大学を卒業したはずなのに、なんか最近某大学の神道学科に
入り直したらしい。

98 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 20:38:44
>>94
猪熊教利って山科家の流れなのか
でも系図には教利は言経の子の教遠の子とあるから、ウイキの記述と合わない気がするんだけど

99 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 21:42:26
>>96-97
右が西高辻さんで
左が味酒さん

http://www.dazaifutenmangu.or.jp/shiru/1100cht.htm

100 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 21:53:06
>>98
誤記・勘違いをウィキの執筆者がしたのでは?

101 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 23:51:00
結局、猪熊教利は何者なんだ?
山科家の一族というけど、本家とはどういう関係?
で、のち藤井家の猪熊家とは関係ないってことだよな…

102 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 01:20:15
江戸時代の公家の研究している大学の先生を教えてください。
大学選びの参考にしたいです。

103 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 22:53:43
ttp://members.ld.infoseek.co.jp/kazuya0807/kenkyu.htm

ここに近世の朝廷の論文一覧がある(2005年の夏分までだけど)
執筆者名を

ttp://www.google.co.jp/
で検索してみてはいかが?
故人もいるし、停年された先生もいるので気をつけて

104 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 23:31:43
諸大夫とか公家侍って維新後、どうなったの?

105 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 23:52:17
諸大夫はそのまま家司になったのも多い
坊官も還俗した宮様の家司になっている

だから公家侍もそのまま公家の家につかえたとか、
どこかの役人になったんじゃない?

106 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 03:28:58
地下官人は?

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