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【惟任】明智十兵衛光秀・其之参【日向守】

1 :日本@名無史さん:2006/06/08(木) 12:43:03
戦国武将、明智光秀について語るスレです。

前スレ 【明智】惟任日向守・其之弐【光秀】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1137820002/
前々スレ 明智光秀の真実
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1091055281/

注・朝廷説○氏は、このスレには書込まないでください。
  もし○氏の書込みがあっても、このスレで反論しないでください。

○氏、及びその反論は、こちらのスレで↓
専用スレ 【明智】惟任日向守・其之弐【光秀】 U
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1143295102/

2 :日本@名無史さん:2006/06/08(木) 14:48:08
今年の大河ドラマ、いよいよ本能寺ですね

3 :日本@名無史さん:2006/06/08(木) 16:50:07
○にうんざりして立ち去った人間が多いだろうしなあ……
光秀について語りたい人、この板に何人残ってるんだろうか。

4 :日本@名無史さん:2006/06/09(金) 07:12:44
ここ、明智光秀に関して真面目に語っていいスレですか?

5 :日本@名無史さん:2006/06/09(金) 09:10:27
いっぺんくらい明智光秀主役の大河ドラマやらないかね。


6 :日本@名無史さん:2006/06/09(金) 17:19:56
天正十年に三人目との妻との間に子供が生まれたって書いてある所もあるけどホント?

7 :日本@名無史さん:2006/06/09(金) 17:32:30
ゲームの鬼武者みたいな感覚で、破壊魔でサディスティックな
信長に対する、保守派勢力の儚い抵抗、みたいな感じで大河に
してほしい。主役は光秀で。


8 :日本@名無史さん:2006/06/13(火) 21:54:46


9 :日本@名無史さん:2006/06/15(木) 07:24:16
昨日6月14日は、明智光秀の命日でした。

京都新聞 6/14
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2006061400142&genre=J1&area=S00
 
【滋賀】 全国の明智光秀ファン、大津に大集合
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1150295858/


10 :日本@名無史さん:2006/06/16(金) 17:24:29
>>6
それはどこだろう?よくわからん。
側室を持たなかった、というのは伝説で、奥方関係については良くわかってないんじゃなかったっけ?
天正10年に子供が出来るって言うのは、年齢的にはギリギリありえなくはないかな。

11 :日本@名無史さん:2006/06/16(金) 22:09:24
柘植城主、喜多村保光の娘?男子誕生?
http://www.shinshindoh.com/akechi.html
本人が言ってただけかな?


12 :日本@名無史さん:2006/06/17(土) 04:39:56
光秀の末の男子、天正10年1月に坂本城で誕生。
内治麻呂、のち成人して喜多村弥平兵衛。

↑こいつのことか

>>11の系圖は、その弥平兵衛さん当人に、同じく光秀の子(長男?)
である妙心寺の坊さん玄琳が贈ったものだそうな。

13 :日本@名無史さん:2006/06/17(土) 12:19:42
明智系図はデタラメだと言う人もいるし、弥平兵衛誕生直後に喜多村出羽守にあてた手紙があると言う人もある。
んで、どうなんだろ


14 :日本@名無史さん:2006/06/17(土) 18:40:17
明智系図デタラメというか何もどう信用すればいいのかわからない代物

15 :日本@名無史さん:2006/06/17(土) 20:44:40
それでもやっぱり史料をもとにして考えない事には何も分からん。
おかしいとか、怪しいとか、文句付けようと思えばどんな史料にだって言える。
少なくとも、喜多村家の系図は、明智の系図の中では信頼度高い方でしょ。

16 :日本@名無史さん:2006/06/18(日) 02:03:30
そうなのか…
まぁ、玄琳も何か元があって書いたんだろうし…


17 :日本@名無史さん:2006/06/18(日) 04:52:58
明智軍記やら司馬遼太郎やら大河ドラマやら、
そういうので作られたイメージに引きずられるよりは、
少しでも信頼できる史料から考えた方がいいんだろうなあ。
明智光秀は同時代人と比べても、イメージで語られる事が
極端に多い人物だと思うし。
たとえそのつもりが無くても、知らず知らずのうちに
頭の中のイメージの光秀像に影響されてしまいがち。

18 :日本@名無史さん:2006/06/18(日) 16:54:07
この玄琳っていう坊さん、明智光慶と同一人物らしいけど、
光慶って光秀が死んでから間もなく、坂本城で討たれたと色んなとこに書いてある。
実際は僧として生き残ってて、六十五歳にこの系図を書いたってこと?

19 :日本@名無史さん:2006/06/18(日) 18:58:02
結局敗者になったから、勝者の秀吉によって光秀の良質の資料が破棄されたんだろう。

20 :日本@名無史さん:2006/06/19(月) 12:57:40
>>18光慶の首は晒されたのかな?生きてたって可能性はあるかも…

でも玄琳が寺にあった系図に勝手に自分の名を書き込んだって可能性も…

21 :日本@名無史さん:2006/06/19(月) 17:47:59
>>13
>>喜多村出羽守にあてた手紙が確かなものなら、その系図の信用度もかなり上がるのでは。
光秀以前のところは別としても、光秀の子等についてはちゃんとしていることになるかな。

その系図が書かれたのが江戸時代、寛永とあるから家光の時代、秀忠が寿命尽きるくらいの頃か。
当時、明智光秀が極悪人、謀反人と言われていたんなら、わざわざ子孫を詐称することはないだろうけど、
いろんな光秀に対する評価を見ていると、どうもそんなに極端な状況でもなかったような気がする。

22 :日本@名無史さん:2006/06/23(金) 21:09:23
明智光慶こと玄琳についてだが、イエズス会の記録にこう書いてある。
以下、資料サイトからコピペ

>安土山より逃げた明智の部将は、明智の妻子親族等のゐた坂本の城に入ったが、
>火曜日(六月十四日)には羽柴殿の軍隊が同所に着いた。
>この城は五畿内にある諸城中安土山の城を除いては最もよく最も立派なものであったが、
>兵の多数は城より迷げたので、かの殿(明智光春)及び他の武士等は敵軍の近づいたこと を見、
>また第一に入城したのがジュストであることを見て、高山右近殿ここに来れと呼びかけ、
>沢山の黄金を窓より海に投じ、つぎに塔の最高所に入り敵の手に落ちずと言ひ、内より戸を閉ぢ、
>まづ婦女及び小児等を殺し、つぎに塔に火を放ち、彼等は切腹した。明智の二子は同所で死んだといふが、
>長子は十三歳で、ヨーロッバの王侯とも見ゆる如き優美な人であった。
>彼等は今日までも現はれない故、噂のとほり死んだのであらうと思はれるが、逃げたといふ者もある。

この13歳の長子、これが明智光慶だろう。
>>11の系図が書かれたのが寛永八年(1631)で、玄琳は六十五歳とある。
本能寺やら山崎やら坂本城落城が天正十年(1582)で、上の史料によれば13歳だから、
年齢的にはおおむね、誤差の範囲内で合ってる。

23 :日本@名無史さん:2006/06/23(金) 23:56:41
>>彼等は今日までも現はれない故、噂のとほり死んだのであらうと思はれるが、逃げたといふ者もある。

つまり坂本城における明智光慶の生死は、かなり不確かな状況で、
推定死亡、しかし生存の証言もあったと。
当然、首とかが晒されたりはしなかったんだろう。

24 :日本@名無史さん:2006/06/24(土) 11:19:06
そしたら光慶生存の可能性はあるな…

しかし、妙心寺は…
「妙心寺史」には光秀が小栗栖で負傷して、一年後に妙心寺で死んだと書いてあるらしく…
信長公夫人が信長の一周忌法要を妙心寺でやったとも書いてあるらしい
光秀の供養のために建てたのが「明智風呂」ってのもよく分かんねw
まぁ、すくなくとも妙心寺は光秀を極悪人とは思ってなかったんだろうな

25 :日本@名無史さん:2006/06/24(土) 17:51:34
女子が何人も続いた後で、ようやく生まれた待望の明智家の男子。
わざわざ宣教師が書き残す程の優美な容姿。病弱だったと言う説も有る。
13歳前後そこらで、父光秀に随行して連歌会に出席し、
愛宕百韻の結びの句を詠む。最期は燃える坂本城の炎の中へと消えるが、
ひそかに逃れて僧として生きながらえたという生存説も有る………

結構、ロマンをかき立てられる人物ですね、明智光慶。
悲劇の美少年という感じで。
光秀の息子というと、娘婿で養子の明智秀満の方が有名ですが。

26 :日本@名無史さん:2006/06/24(土) 21:17:34
>>24
妙心寺。。
検索してみると、今年の大河ドラマの主人公である山内夫妻の墓所もあるらしいね
織田信長の墓所もあるらしいし、その筋の御用達だったのかな?
あるいはその手の伝説の寄りつきやすい寺なのか?
御用達だったからこそ、とも言えるか。
うーん…信用できるのか、できんのか、今一よくわからん

27 :日本@名無史さん:2006/06/26(月) 06:58:46
妙心寺がどうのこうの言うよりは、
その玄琳が書いたと言われる明智系図も、
それを補強する証拠の手紙も、
みんな喜多村家のものなんだから、
喜多村さんがどういう人かの方が重要では?

まあネットでああだこうだ言ってるだけでは
どのみち限界がある話題だと思うけど

28 :日本@名無史さん:2006/06/27(火) 17:06:17
喜多村氏は大事だけど…。その肝心の喜多村出羽守がどういう人なのか、あまり分かってない。ザザッと調べたけど

一説に喜多村出羽守の元の名は服部出羽守保章。伊賀越えをする家康を柘植城で殺害しようとして失敗。以後伊賀から逃れて喜多村に改名したらしい

で、柘植城の方は…柘植城の別名は福地城。天正の頃は福地伊予守が城主だったが天正9年の伊賀の乱で城を追われている。次の城主は池尻氏らしいが、もしかしたら北村(服部?)氏も短期間城主だったのかもしれない。…だったら話が繋がるんだけど記録がないんで不明。
福地城は天正10年廃城。家康の伊賀越えと関係あり、なのかね?


29 :日本@名無史さん:2006/07/01(土) 09:50:46
少し面白い光秀

http://www.asahi-net.or.jp/~BH3H-SMJY/zuiso/d251.htm


30 :日本@名無史さん:2006/07/04(火) 16:12:05
>>6の質問の、三人目の妻っていうのはどうなんだろう?
嫁入りの際の病気の話とか、黒髪を売った話で有名な煕子さんは、
細川ガラシャとか明智光慶らを生んで、天正四年に病死。
喜多村保光の娘が三人目の妻だとすれば、煕子さんの前か後にもう一人、
明智光秀の妻がいたことになるけど。
側室がいたのなら同時期ということもあるか。

31 :日本@名無史さん:2006/07/06(木) 08:51:55
元亀元年の『兼見卿記』
「明智十兵衛尉来たり、石風呂所望により焼き了ぬ」

光秀サウナ好きだったのか。妙心寺の明智風呂はそのためかな〜?


32 :日本@名無史さん:2006/07/10(月) 20:11:03
宮城系図ってのは信頼されてないのかね?
http://shushen.hp.infoseek.co.jp/keihu/toki/akechi1.htm


33 :日本@名無史さん:2006/07/14(金) 20:32:54
喜多村家の明智系図を見て、ちょっと疑問なんだけど、
玄琳(=光慶)の下の兄弟の「安古丸」っていう人、
山崎合戦討死、とあるけど、
当時光慶が13〜15歳だったとして、それよりも年下の
兄弟が山崎にまで付いていって討ち死にしたっていうのは……
これって当時としては普通なんだろうか?

34 :日本@名無史さん:2006/07/15(土) 15:06:28
安古丸ってのは筒井順慶の養子になった定頼なのかな?山崎の後、坂本で死んだって書いてある所もあるけど…。山崎に行った、変の後に死んだ。ってのはどこも一致してるね。

35 :日本@名無史さん:2006/07/22(土) 14:17:58
坂本城は安土城に継ぐ壮麗な城だったんだっけ?スポンサーって誰だったの?

36 :日本@名無史さん:2006/07/22(土) 14:23:51
信長は、普段住んでいた安土城天主閣1階、京都宿舎である本能寺の自分の寝室の地下に
巨大な火薬壷を埋め、そこから導火線を寝室の床の間に出しておいて、
謀反が起こった際に、自分の首が晒し首にならないように、
床の間にある導火線に蜀台の火を放って自爆できるようにしていたんだって。
で、本能寺の時には見事自爆に成功したと。
信長のことだから罪人や捕虜で何回か実験したんだろうな…

それにしてもよく間違えて、寝タバコの火で自爆しなかったよねw


37 :日本@名無史さん:2006/07/22(土) 14:27:23
犯人を追及する際の定石、誰が一番利益を得たか?で考えると、
秀吉と正親町天皇ってことになるけど、
光秀が晒し首にならなかったことを考えると、秀吉は消えるね。

38 :日本@名無史さん:2006/07/22(土) 15:08:43
>>36ソースキボン

39 :日本@名無史さん:2006/07/23(日) 09:52:40
光秀の長男ってそんな子供だったんだ。
じゃあ年齢も言われているより若かったのかな?
と思ったけど、女の子が沢山いるんだな。
明智軍記の享年五十五歳には信憑性感じないけど。

40 :日本@名無史さん:2006/07/23(日) 10:56:25
てか67だか68歳説もありますな〜

41 :日本@名無史さん:2006/07/29(土) 12:25:40
某HPによると、55歳説の根拠になった明智軍記の辞世の句は、
明智軍記出版と同時代に、元ネタになった句があったらしい。

自分の勝手な感覚で言えば、それほど極端に齢が離れてなければ、
信長より光秀が年下のフィクションを見ても、特に抵抗無いかな。


42 :日本@名無史さん:2006/07/29(土) 15:06:46
そこで28歳説ですよ

43 :日本@名無史さん:2006/08/02(水) 05:53:04
>>42
28歳説って、享年28歳ってことか?

…細川ガラシャが生まれたのが9歳のとき、
織田信長に仕えるようになったのが13歳か……
すごい男だな。。

44 :日本@名無史さん:2006/08/03(木) 09:10:45
陰徳太平記だと信長は午(ウマ)歳生まれ、光秀は子(ネ)歳生まれ

45 :通りすがり:2006/08/07(月) 22:47:51
あのさぁ・・・。光秀って本当に本能寺で信長殺したのかなぁ・・・。なんか
嵌められたとしか思えん。誰に秀吉に・・。ほんとに、あれだけの人が土民に
よって殺されたりするかなぁ。まともに考えると不思議でならん。南光坊天海
=光秀だとしたら・・いいなぁ。豊臣をあそこまでひねりつぶすだけの知恵が
回るんだから・・そうとう恨みがあったんだろうと思うし。
 桔梗の紋所は、確かに明智家以外にも多々使われていたらしいから・・紋で
判断するのは間違いだけど・・。信じたいなぁ。ど〜考えても秀吉が好きに
なれないから・・。

46 :通りすがり@十兵衛:2006/08/07(月) 22:56:49
光秀って熙子さんの前にちぎりを結んだ人いたん?

47 :日本@名無史さん:2006/08/10(木) 15:10:58
>>46
いたと思われる
ドラマとかだと大抵、熙子さんだけだよね。光秀の奥さんて。

48 :日本@名無史さん:2006/08/13(日) 07:32:59
光秀の家族構成を、史実に基づいて詳しくやったドラマって
これまでにあるんだろうか
大河秀吉の、嘘っぽい母親見殺されエピソードとかは別にして

正直、このスレを見て、本能寺の時は既に熙子さん他界してて
次の奥さんと一緒だったとか、長男がまだ十代半ばだったとか
イメージと結構離れてて意外だった

49 :日本@名無史さん:2006/08/13(日) 09:58:21
坂本龍馬や遠山の金さんとこも桔梗紋だよ!

50 :日本@名無史さん:2006/08/14(月) 21:44:17
秀吉はバカだよね。自分が死んだら
家康に天下取られるのはわかってるだろ。
自分だって、信長死んで、天下のっとったんだから。

51 :日本@名無史さん:2006/08/15(火) 19:50:34
>>49龍馬の先祖は秀満だって説があるしね。その説の真偽はともかく、三宅を継いだ秀満の孫は肥後細川藩に仕えた…
いろいろあるね〜あの人も


52 :日本@名無史さん:2006/08/22(火) 21:55:20
明智の妻が髪を売ったという話のネタ元がわからん。やっぱ江戸時代に語られた伝承なのかね?

月さびよ 明智が妻の 話せむ

みたいな…


53 :日本@名無史さん:2006/08/25(金) 19:56:52
age

54 :日本@名無史さん:2006/09/09(土) 06:57:56
>>52
江戸時代に作られた、絵本太閤記に出てくる

55 :日本@名無史さん:2006/09/09(土) 10:11:16
フロイスの回想録にある、明智光秀が体得していた
人を欺くための72の方法って、どんなだろうね。

ていうか、たとえ人を欺くのに長けていたとしても、
その方法をわざわざ72箇条に分類しておくなんて
なんか無駄に几帳面なやつだ。。

56 :日本@名無史さん:2006/09/09(土) 11:43:00
人を欺く方法、もし五とか十だったら、物書きたちが好き勝手に推測して
いろんな小説とかに使われてるネタになってただろうと思う
72個って大杉

57 :日本@名無史さん:2006/09/09(土) 11:54:29
しかし実戦で役にたたなきゃ…
変後の秀吉のハッタリ書状に比べて光秀は泣きの一手っぽい


58 :日本@名無史さん:2006/09/09(土) 12:04:42
フロイスによれば光秀はそれで出世したらしいから、役にはたってるかと
書状にしたって、残ってるのはあくまで一部分だけだろうし。

59 :日本@名無史さん:2006/09/09(土) 14:15:32
秀吉が光秀の評判を下げる目的で
「アイツってさー、人を騙す72箇条なんてのを考えてるらしーぞぉ」
みたいに言い触らしていたのかも。

60 :日本@名無史さん:2006/09/10(日) 21:00:16
>>54
?そんな話ないぞ?絵本大功記のどこら辺で出てくる話なんだ??

61 :日本@名無史さん:2006/09/11(月) 06:02:37
>>55
よく講談に出て来る天コウ36、地刹72の法とかと同じで、
単に「多い数」と言う意味合いで言ってるだけな鬼ガス

62 :日本@名無史さん:2006/09/11(月) 21:45:00
>>60逆みたい。絵本大功記の方にあって、絵本太閤記の方には無さそう

63 :日本@名無史さん:2006/09/12(火) 21:05:06
>>60
>>62
いやいや、浄瑠璃の「絵本太巧記」じゃなくて、
そのもとになった「絵本太閤記」の方。
「照子 断髪沽酒」という、そのまんまの表題。
三篇の八にある。
明智光秀がいろいろあって信長を恨んでから、
謀反を実行する前に、過去話として挿入されてる。

64 :日本@名無史さん:2006/09/14(木) 23:43:19
>>63なるほ…。
それだとやっぱ、光秀が貧乏だったかどうかははっきりしてないのかな?『当代記』に飲食に乏しかり身とか書いてあるみたいだけど、家康の孫が書いたんじゃ…


65 :日本@名無史さん:2006/09/17(日) 04:58:29
光秀ってその後徳川の方についたのですか?
あと、春日の局といとこだって聞いたんですけど本当?

66 :日本@名無史さん:2006/09/17(日) 07:46:47
>>64
朝倉に行く以前の光秀については、はっきりした資料が殆ど無いしね
まあいろいろ想像の余地があるってのは面白くていいのでは
>>65
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1151671577/

67 :日本@名無史さん:2006/09/17(日) 10:39:49
明智の門の桔梗は○の中に桔梗が書いてあるタイプかな
それとも桔梗のみですか?

68 :信長:2006/09/17(日) 16:21:33
丹波丹後、山陰をやるので
玉とさしてくれ

69 :日本@名無史さん:2006/09/17(日) 17:25:14
玉は親父がイエズスからボロクソに言われてたのを知ってたのかなw?

>>67明智は〇は無し。〇に桔梗って東照宮?


70 :日本@名無史さん:2006/09/18(月) 01:32:27 ?2BP(0)
義昭が何故光秀を頼りにしたかだよ
その辺が1つのヒントになるんじゃない?
訳の分からん人物を頼りにするはずがないと思うがね

71 :日本@名無史さん:2006/09/19(火) 15:00:37
織田にいる頃から春日と仲良しで文を交わしてて情勢を見てた
徳川側についた後、光秀を頼りにしてた
だけじゃ理由にはならないかな

家は桔梗門なんだけど実家は相当山奥でカーナビつけても山しか写らない。
なのに家の隣に徳川の門の寺があるんだよね
やっぱ一緒に行動するくらい仲良しだったんだよ

72 :日本@名無史さん:2006/09/19(火) 17:21:45
光秀はすでに一廉の人物
http://www16.plala.or.jp/amber-devil/mitsuhide03.html

73 :日本@名無史さん:2006/09/20(水) 00:52:54
京に信長が泊まれるほどの屋敷があり
足利義晴の子という説がある教養人の細川藤孝とも対等に付き合えた
…って感じの人だったのかな? 朝倉や織田でのスピード出世はそういうのもあったからか…


74 :信長:2006/09/20(水) 10:26:55
しかし、光秀は出生も謎めいてるし、死に際も謎。
ほんとうに土民に殺されたのか?わからない。

75 :日本@名無史さん:2006/09/20(水) 11:11:43
いや、天海として・・・



話しがループするな

76 :信長:2006/09/20(水) 11:43:59
宝塚に持っていけばループなし。

77 :日本@名無史さん:2006/09/21(木) 19:38:19
本能寺の変の原因は信長-蘭丸-光秀の三角関係

78 :日本@名無史さん:2006/09/21(木) 19:47:52
魔夜峰央のマンガに、そんなのがあったw

79 :日本@名無史さん:2006/09/21(木) 21:21:13
無双ね…

まぁ好きだけど

80 :日本@名無史さん:2006/09/21(木) 22:07:15
>>73
細川藤孝との付き合いが古いという、ちゃんとした史料はないのでは?

信長に仕えた後では、京都周辺の統治を任されたり、後には軍事上の
上下関係も出来たりしたので他の武将よりは関係が深くなったのは確かですが。



81 :バロン曽志崎:2006/09/22(金) 17:17:41
時期は不明だけど、光秀ってはじめ藤孝の家臣だったんでしょ。
光秀絡みの逸話は嘘くさいのが多いが、光秀が同僚にいじめられて、細川家
を去ったというのは意外と事実だったりしてね。

82 :日本@名無史さん:2006/09/23(土) 06:08:22
なんだか>>72とか読んでると、公の記録に残っていないだけで、
朝倉以前から知る人ぞ知る男だった、みたいな風にも想像できるな。

でも光秀の出自が謎って言っても、当時親交があった人達にとっては、
謎でも何でもなかったんだよね、きっと。

家康とか、多分知ってたような気がするし、彼を通じて、その後の
二〜三世代くらいまでは知られてたのかな?


83 :日本@名無史さん:2006/09/23(土) 10:03:47
これだと光秀より、義昭を抱えて東奔西走してた藤孝の方が苦労は大きかったんかも…


84 :日本@名無史さん:2006/09/27(水) 02:27:51
木村吉清についてだが、本能寺のあと蒲生氏郷に推挙されて秀吉に召抱えられ、
上杉景勝、大谷吉継、前田利家、浅野長政とともに奥州検知を行って三十万石もの領地を与えられたっていうところだけ見ると
それなりの器量があったようにも思えるけど
その後悪政の限りを尽くして一揆が起きたことを考えると愚将だったようにも思える。
木村吉清は名将だったのか愚将だったのか、一体どっちなんだ?

85 :日本@名無史さん:2006/09/27(水) 15:38:36
有力な説としては
光秀は土岐明智氏で可児長山城の城主
斎藤義龍に攻められ落城し、しばらく京で浪人。
溝尾庄兵衛を始め、股肱の臣の可児左衛門、肥田玄蕃らは可児出身
であることから、この説は有力だろう。
(土岐明智氏は東美濃の盟主といわれていた)

86 :日本@名無史さん:2006/09/27(水) 16:45:27
>>84木村吉清は有能でも無能でもないに1票。秀吉はそういう平凡が好きそうだし

87 :日本@名無史さん:2006/09/27(水) 21:16:48
光秀が信長と知り合いだったか、とかは証拠はないけど可児説だと近所だよね
http://www.kani-kankou.jp/meisyo/aketi/index.html


88 :日本@名無史さん:2006/10/01(日) 02:41:22
つまり、幼いころから東美濃で城主だったわけで、
京に屋敷があっても、信長からすぐに四千貫貰ってもなんら不思議はない。

89 :日本@名無史さん:2006/10/01(日) 12:32:04
>>85
美濃明智の一族とつながりはあった可能性はあると思うが美濃育ち、城主の家系とは断定できないでしょ?

代々京都で幕府に仕えてたとかさ。
(立場が逆だけど備中の出たけど京都の本家と姻戚関係があって幕府に仕えた伊勢氏(後北条氏)みたいに)

90 : :2006/10/07(土) 01:36:42
中学の頃、歴史の先生が、明智光秀はハーフと言っていましたが、嘘ですよね

91 :信長:2006/10/07(土) 02:40:03
社会科の先生

92 :日本@名無史さん:2006/10/07(土) 09:41:35
>>90
それはおそらく、マイケル富岡のことでは

93 :日本@名無史さん:2006/10/07(土) 11:18:28 ?2BP(0)
まあ、信長ほどの男ならそんな素性の知れぬ男に
すぐに四千貫与えるとは考えにくい罠

94 :日本@名無史さん:2006/10/07(土) 13:42:51
>>33
十代前半ってのは、当時は初陣の適齢期。
上杉謙信…13歳
武田信玄…16歳
織田信長…14歳
山崎はその位の年齢ではハードな戦場かも知れないけど、
明智の家が終るか否かの戦だったからこそ出たがったのかも。

あと、織田信孝と織田信雄の例とか見ると、生まれによって
一男二男三男ってのが実年齢とは別に前後させられることも
あったのかなと思うけど、何歳も齢を離すような極端な例は
まず無いだろうし、まあ安古丸も十代前半だったんだと思う。

95 :日本@名無史さん:2006/10/12(木) 20:53:13
初セクロスの年齢?

96 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 15:36:21
長宗我部元親に嫁いだ、斎藤利三の妹だけど
異母兄妹説(よく聞く通説)と異父兄妹説(治代普顕記)
があるようだけど、彼女が利三と血縁関係だったことは
ほぼ間違いないと見ていいんだよね?

97 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 08:39:55
そのあたりの関係は、調べてみると結構ややこしいみたい
とりあえず、異父兄妹説の概要ざっと書くと

斎藤利三の母=織田と斎藤の戦のゴタゴタで、
       斎藤利賢の妻から、石谷空然の妻になる

斎藤利賢の子=斎藤利三、石谷兵部少輔(石谷氏へ養子に)

石谷空然の子=長宗我部元親の妻

養子等やりとりがあるし、斎藤氏と石谷氏は親密な仲だった様子

98 :日本@名無史さん:2006/10/22(日) 11:57:13
斎藤利三の周辺のことについては、長宗我部氏側の史料のが詳しいみたい
たしか息子が一人、本能寺の変の後、土佐に逃れてるくらいだし

99 :日本@名無史さん:2006/10/22(日) 12:02:34
          ,;r'"´;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;`ヽ、
         ,r'";;;;:::::;彡-=―-=:、;;;;;;ヽ、
        /;;ィ''"´  _,,,,....ニ、 ,.,_ `ヾ;;;;〉
         `i!:: ,rニ彡三=、' ゙''ニ≧=、!´  本能寺へ行こうぜ・・・・・・
        r'ニヽ,   ( ・ソ,; (、・')  i'
         ll' '゙ ,;:'''"´~~,f_,,j  ヾ~`''ヾ.  久しぶりに・・・・・・
        ヽ) , :    ''" `ー''^ヘ   i!
        ll`7´    _,r''二ニヽ.     l  キレちまったよ・・・・・・
        !:::     ^''"''ー-=゙ゝ    リ
        l;:::      ヾ゙゙`^''フ    /
        人、      `゙’゙::.   イ
             みつひで


100 :日本@名無史さん:2006/10/22(日) 12:15:15
愛宕100韻

101 :日本@名無史さん:2006/10/25(水) 20:42:34
フジテレビの新春時代劇、明智光秀やるらしいね。
「明智光秀〜神に愛されなかった男〜」

102 :日本@名無史さん:2006/10/26(木) 07:50:03
信長に折檻されるのはもういいから、ガ━━━━━━━━━っと新解釈でやってほしい

103 :日本@名無史さん:2006/10/26(木) 13:18:35
だよな。
国替えも折檻もノイローゼも無い本能寺を、そろそろやるべき。
これまでのパターンを繰り返すんなら、主役でやる意味ないし。

104 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 19:24:10
唐沢光秀、マクベスとか財前とかの系統になるんだろうか……
まああまりキャスト云々の話をすると板違いになるからあれだけど

ストーリー紹介を読んで思ったのは、光秀が秀吉にコンプレックスを持つ
っていうのは、ちょっとどうかと
光秀が秀吉ごときになんでコンプレックス感じなきゃならんのかと思う
秀吉主役なら、ライバル光秀みたいな描き方は結構あると思うけど、
やっぱり光秀が主役なら、秀吉なんかじゃなく信長の方だけ見ててほしい

105 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 22:36:58
秀吉にコンプレックス、どうだろ?
出来のいい生真面目な兄が奔放な弟に嫉妬、みたいな描き方もいいかもね


106 :日本@名無史さん:2006/11/02(木) 16:59:46
>>89元亀3年の『兼見卿記』に明智光秀が美濃の親類が山王社の領地に新しく城を築いてからどうも調子が悪いので、祈祷して欲しいと頼みに来たって書いてある。
光秀が明智城主だったかは解らんけど、とりあえず城が建てられる親戚はいたんでないかい?

107 :日本@uj5:2006/11/03(金) 07:06:48
>>97 斎藤利賢の妻から、石谷空然の妻になる
この説は考えにくい。斎藤伊豆守利賢の妻は濃姫の母・小見の方の妹とされます。
子も利三以外に石谷頼辰、斎藤大八郎利次 (天正6年越中今泉城攻略)、
斎藤吉兵衛、女一人は蜷川親長の室、更に稲葉一鉄の室だった女ありとも。

>>96長宗我部元親に嫁いだ、斎藤利三の妹
利三の兄弟(石谷頼辰)が石谷空然(光政)の養子になっており、
長宗我部元親に嫁いだ娘は空然の実子なので利三からみれば義理の妹と
考えるのが妥当と思います。
明智光秀の家臣となったのも石谷頼辰のほうが先で、
この繋がりもあって斎藤利三は稲葉一鉄のところから光秀のもとに走った。
石谷氏や進士氏が足利の幕臣であった事を踏まえると光秀も幕臣であった
可能性は高い。

108 :日本@名無史さん:2006/11/05(日) 15:05:50
          ,;r'"´;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;`ヽ、
         ,r'";;;;:::::;彡-=―-=:、;;;;;;ヽ、
        /;;ィ''"´  _,,,,....ニ、 ,.,_ `ヾ;;;;〉
         `i!:: ,rニ彡三=、' ゙''ニ≧=、!´  なんでおれの妻が
        r'ニヽ,   ( ・ソ,; (、・')  i'
         ll' '゙ ,;:'''"´~~,f_,,j  ヾ~`''ヾ.  長澤なんだよ。
        ヽ) , :    ''" `ー''^ヘ   i!
        ll`7´    _,r''二ニヽ.     l  
        !:::     ^''"''ー-=゙ゝ    リ
        l;:::      ヾ゙゙`^''フ    /
        人、      `゙’゙::.   イ
             みつひで



109 :日本@名無史さん:2006/11/10(金) 22:28:34
>>107
とすると、家は違うわけだし、妹というより親交のある家の娘さんって感じかな?
長宗我部と斎藤利三の間で一応繋がりは出来るけど、義兄弟になったという程でも
なかったのかな。実際。
利三の息子が変の後に逃げてくるくらいだし、繋がりはちゃんとあったんだろうけど。

110 :日本@名無史さん:2006/11/11(土) 13:36:44
>>109
本能寺の変後、石谷頼辰は長宗我部元親を頼り仕えた。
そして元親の子に娘を嫁した。
利三の子が伯父とともに四国へ逃れたのですから、
一緒に四国へ逃れたと考えられます。

111 :日本@名無史さん:2006/11/19(日) 15:25:23
明智五宿老
 明智秀満 明智光忠 斎藤利三 溝尾庄兵衛 藤田行政

112 :日本@名無史さん:2006/11/19(日) 20:03:20
徳川史観で礼の人、明智光秀公を
侮辱するな!

113 :日本@名無史さん:2006/11/23(木) 00:52:05
すみません、この明智光秀の誕生日解る人居ませんか?
1500年代に生まれたとしか記録が無くて困ってます。
織田信長は解るのに・・・orz

114 :日本@名無史さん:2006/11/23(木) 06:10:27
明智光秀の生誕は伝わっていない。
「明智軍記」に辞世の句(褐)とされる
「順逆無二門 大道徹心源 五十五年夢 覚来帰一元」があり、
この五十五年夢から逆算して享禄元年(1528)生まれと
されるが定かとは謂い難い。
他説に大永六年(1526)八月十五日生まれとされるが
定かならず。
現時点では不詳とするのが正しい。

115 :日本@名無史さん:2006/11/23(木) 23:02:24
明智光秀と森蘭丸は偶然にも、同じ岐阜県可児(かに)市生まれ。




116 :日本@名無史さん:2006/11/27(月) 20:54:47
光秀と家康が会ったのは、坂本で接待した時だけ?
家康は光秀の、どこが気に入ってたんかな?

117 :日本@名無史さん:2006/12/03(日) 04:08:47
金ヶ崎では、たしか光秀と家康両名とも参戦してたから、
その時に会ってたかもしれない。

118 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 11:23:27
明智光秀ってのは、実像が本当に掴めない。
彼の人生の最後の十数日間の印象が異様に大きすぎる。
本当に彼の個性の成果としてあの死に様があったのかも解らないし。
無罪説とか部下の暴走説とかあるけど、もしそれが真相なら、
光秀個人の人物像と彼の最期の境遇とは大して関わり無い事になる。
そもそもたった一つの事件、それも謎に包まれた事件をもとにして
一人の人間像を推測する事自体が間違ってると思うんだけど、
光秀についてはそういう方向に興味がどうしても行ってしまう。
イメージとしての光秀像っていうのは、割と各人の中で確固として
存在するんだろうけど、それにしたって個人差がかなりある。
かなりどうとでも解釈できてしまう。

119 :日本@名無史さん:2006/12/12(火) 19:24:23
戦国時代で最も謎多き怪人?

120 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 19:29:36
正月に光秀主人公のドラマがやるからHP覗いてみたが……
キャスト表に明智家臣が秀満しかいない…しかも大泉洋だし。。
なのに秀吉の家臣は三人も名前が。
本当にこれ明智光秀が主人公のドラマなのか?
斎藤利三は誰がやるんだ。細川家の人々は出てくるんだよね?

121 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 14:08:18
一月三日か。。
期待しないで観てみよう

122 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 14:27:54
│       朝倉孝景
│         ├──────義景
│武田元信┬広徳院
│      │        ┌足利義昭
│      ├        └姉
│      ├元光┬信親  ├─元明
│           ├信豊┬義統
│           └信高├信方
│               └お牧の方
                   │
           明智光継┬光綱

123 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 14:29:25
│         喜多村保光─伏屋姫(光秀室)─喜多村弥平兵衛
│           ┌妻木広忠
│           └妻木範熈─熙子
│                    ├娘(秀満室)
│                    ├娘(光忠室)
│                    ├玉子(細川忠興室)
│                    ├娘(津田信澄室)
│                    ├光慶
│       お牧の方       ├定頼(筒井)
│         ├──────光秀
├明智光継┬光綱
│      ├光信(山岸)───千草(光秀室)─光重
│      ├景行(遠山)(光安?)─秀満
│      ├光忠(小里)
│      ├頼房(原)
│      ├光廉(三宅)
│      ├娘(斎藤利賢室)─斎藤利三
│      ││             ├利宗
│      ││             ├三存
│      ││             ├福(春日局)
│      ││      稲葉一鉄─娘
│      │└(石谷光政室)┬石谷頼辰
│      │ .         └娘(長宗我部元親室)
│      └小見の方(道三室)─帰蝶(信長室)
└土岐頼明─定明
         ├───定政
  菅沼定広─娘

124 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 22:32:53
>>120-121
キャストがなぁ…
村上弘明のが一番好きだった

125 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 17:25:10
1月3日21時G
明智光秀

126 :日本@名無史さん:2007/01/03(水) 23:09:50
テレビ見た人がいたら明智が信長を討った理由を教えて下さい。恨み説とか無難なものを選んでドラマを作ったのなら見なくて良かったと思う。

127 :日本@名無史さん:2007/01/03(水) 23:15:49
>>126
まあ、色々理由があるけど
全部後世の脚色
唯一信憑性のあるのが、ルイスフロイスに書かれてある
「信長と激しく口論した」ぐらいだな

128 :日本@名無史さん:2007/01/03(水) 23:19:38
それよりも長澤まさみケツデケー

129 :日本@名無史さん:2007/01/03(水) 23:22:21
なんで秀吉に撃たれてんの?

130 :日本@名無史さん:2007/01/03(水) 23:30:04
今のドラマの光秀・・・
普通に酒飲んでたなw

131 :日本@名無史さん:2007/01/03(水) 23:30:07
確かにwまあその辺はドラマって事で…なんだろうね

132 :日本@名無史さん:2007/01/03(水) 23:30:56
まあ…ドラマだったなw脚色ありありだ

133 :日本@名無史さん:2007/01/03(水) 23:33:06
一豊が前田利家に討たれて
前田利家が、よい先生に討れたのか・・・

134 :日本@名無史さん:2007/01/03(水) 23:40:41
光秀と秀吉が心の友してたというのは
割と新鮮な解釈だとは思ったが、
竹藪の一騎打ちはちょっとな....
OK牧場の決闘じゃないんだから

135 :日本@名無史さん:2007/01/03(水) 23:43:11
しかし、猿を指名するのはちょっと……。
嘘なら、ありそうな嘘をついてほしい

136 :日本@名無史さん:2007/01/03(水) 23:55:51
光秀:「敵は本能寺にありぃー!(`・ω・´)」
足軽一同:「(゚д゚)ポカーン」
足軽A:「ちょWW俺たち備中に行くんじゃWW」
足軽B:「つかホンノージてどこだよW」
足軽A:「すぐそこW」
足軽B:「うはっWWマジ?すぐ帰れっかもWWテラウレシス」
足軽A:「それより敵って誰よ?wktk」
―本能寺・信長の最期―
信長:「この世をば我が世とぞ思ふ望月の・・・」
蘭丸:「ちょWそれ道長WWWハライテーWWWW」

137 :日本@名無史さん:2007/01/04(木) 02:35:12
>>127 サンクス 光秀が天海だっけ?坊さんになったとかのドラマ見たいな。あと信長公記の口語訳の本って出版されてますか?結局、現存するものを読まなきゃ真実から遠くなってしまう。

138 :日本@名無史さん:2007/01/04(木) 02:36:22
>>136
ww足軽はそんなカンジかもw夜の行軍マンドクサー

139 :日本@名無史さん:2007/01/04(木) 02:38:22
明智光秀と秀吉ってマジで仲良かったのか?
明智光秀が歴史上裏切り者扱いになったのは秀吉が書かせた信長公紀のせいだろ。
嘘くせーなんか嘘くせードラマだった。
だいたい槍の又左に光秀やらせんなよ。
唐沢敏明は前田利家のイメージしかない

140 :日本@名無史さん:2007/01/04(木) 02:43:14
光秀のドラマはたけしのテレビがCMになった時だけしか見なかったけどそれで十分な内容だった。信長公紀って秀吉が書かせたものなんだ。信憑性も低い?

141 :日本@名無史さん:2007/01/04(木) 09:57:26
秀吉は公記を多少改ざんさせただけだろ〜

142 :日本@名無史さん:2007/01/04(木) 12:30:38
どうせフィクションで作るなら、最初からそれを強調した
光秀→天海なドラマを一度くらい作って欲しい

143 :日本@名無史さん :2007/01/04(木) 13:06:31
秀吉によって、光秀の一族郎党はなぶり殺しになった話は
どこにいったのか?
特に、光秀の妻女は残酷な仕打ちにあっている。かわいそうに。


144 :日本@名無史さん:2007/01/04(木) 16:58:48
妻木氏の娘なら変の前に病死してるよ。

145 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 09:10:42
光秀の家族は堂々と誇り高く自ら死んでいったんじゃなかったっけ。
かのガラシャ夫人の伝説のごとく。
そのガラシャはクリスチャンだし自害はできなかったけど、美人なのに目を付けた秀吉が食指を見せたが懐剣を隠し持って気概を見せて追い払ったとか。

光秀は徳川初期までは特に裏切り者扱いされていないよね。
家康が家臣の水野に「明智光秀に見倣え」と明智の紅槍を渡したくらいだから。
一応秀吉は信長の敵をとった名目とってたけど織田を滅ぼしたのは実質秀吉だし、当時は誰もが知っていたから柴田などは市と共に反乱したわけで。
後にあれじゃ信長さまには人心はついていかないと批判もしてるし。
光秀が裏切り者扱いされていったのは、政治的に取り入れていった後の世の儒教の影響では。

146 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 17:34:40
個人的には裏切り者・光秀の人物像が確立されていく過程に興味あるけどね。
生真面目で信長とはソリが合わず…なんてのは下手したら明治以降にできた、
本能寺の変で主君を殺したっていう結果から導き出された推測でしかないし。
同時代人の評価はむしろ冷徹怜悧、野心もじゅうぶんに持ち合わせた陰謀家
って感じだし、信長とはソリが合わないどころか似た者同士だった。
結局、ビジネスマン向けに好まれる現代世相のパターンに当てはめた、
信長型人間・秀吉型人間みたいな定型的な人物像の方が理解しやすい、
ということなのか。光秀の場合、その事跡が意外と知られていないわりには
信長殺したっていうわかり易すぎる、しかも巨大な成果があるぶん、
その手のパターン化の陥穽にはまりやすかったというのは悲劇。

147 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 22:38:15
野心はあったような気する。比叡山攻めの時の裏工作や、その恩賞で貰った坂本に安土城に継ぐような壮麗な城を建ててるしな〜。
ドラマみたいに気に病む性格だったかな?どうだろ?

148 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 23:03:51
フロイスの描写だと、
「裏切りや密談が好きで、残酷な刑を科し、独裁的な性格、抜け目がなく、
 軍事面では謀略、計略に優れていた」
なんて書かれてるけど、光秀敗死後の人物評だからそこらへんは差し引いて
考える必要はあるかも。負けたから言いたい放題言われるってのもあるし。
でも、信長のやり方に着いていけない清廉潔白の士、みたいな後世に
ありがちな人物像からはほど遠いなあ、と。

149 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 23:27:26
前半生不詳なのに、織田家で頭角をあらわすような人物が
清廉潔白で生真面目で・・・なんて嘘臭いと思ってるけどね。

根本的に武人として信長と波長があう部分が多くあったので
あそこまでの出世もあったのでは?という説に賛成している。

150 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 08:50:02
例の正月時代劇、意外と良かった。
特に前半。ただただ有能な武将として活躍する光秀が観られたのが、
素直に嬉しかった。
光秀を活躍させる見せ場も、金ヶ崎、軍事行動としての延暦寺討ち等々、
ちゃんと押さえどころを心得てたと思うし。
秀吉が琵琶湖を越えて、光秀が左馬助に「お前に出来るか?」
とさりげなく訊くところとか、ニヤリとさせられた。

坂本城が出来てから、奥さんに説教?されたり、民衆に謝ったり
なんだか妙な感じにはなっていったけど、
延暦寺焼き討ちで出世しながら民衆には好かれていったみたいだから、
多分領民に対しては何らかのフォローみたいのがあったのかも知れず、
それを分かり易く表現したのがあの演出だと思えば、まあ許せた。

最期の林の中で秀吉と対面するのは、絵本太閤記からきてるんではなかろうか?
絵本太閤記では、山崎の合戦の前に密かに両雄が対面する場面だったけど、
ドラマでは合戦を省いてそこで決着をつけてしまったという。

後半の展開に多少難は感じたけど、さほど期待しなかった分、結構楽しめた。

151 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 10:20:29
>>148
まあ、その当時は秀吉の天下だから
光秀をよく書くなどありえんだろう

光秀の実像については、彼の統治した福知山で未だに地元民から敬われている
事でわかると思う
かなり善政を布いたからね

152 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 13:29:48
案外、光秀と信長って、実は親友っぽいところあったりして。

153 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 16:33:58
天海上人のスレはここですか

154 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 17:02:54
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1151671577/l50

それはともかく今よく知られている光秀の人物像については、明智軍記の影響が大きいよねえ。

155 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 17:21:31
>>139
表面上のつきあいはあったみたいだねえ。
ただ信長公記だと光秀、徐々に柴田寄りになって言った感じはあります。

156 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 00:38:22
言った→行った
一日もミスに気が付かず、何やってんだ俺orz

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